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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 吉沢亮

『 キングダム 運命の炎 』 -キャラ映画になってきた- 

Posted on 2023年8月5日 by cool-jupiter

キングダム 運命の炎 65点
2023年7月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 大沢たかお 杏
監督:佐藤信介

同僚の突然死やら自分自身のMRSA感染などもあり、簡易レビュー。

あらすじ

秦軍主力の韓への侵攻の隙を突いて趙が秦に侵攻。秦は大将軍・王騎(大沢たかお)を総大将に任命。その王騎から中華統一の動機を問われた秦王政(吉沢亮)は、かつての恩人・紫夏(杏)と果たした約束を語り・・・

ポジティブ・サイド

原作で最も面白い馬陽防衛戦とそこに至るまでの過程がきっちり実写化されている。山崎や吉沢、大沢たかおのキャラ再現度は相変わらず高い。飛信隊の面々もなかなか。ひょうきんだが熱情があり、そして思いやりもある。続編では・・・

趙の面々も濃い。原作ではかなり粘った馮忌をあっさりと料理したのは英断。

闇商の紫夏に杏がはまり役。漫画の実写化もここまで忠実にやると、それはそれで面白い。

ネガティブ・サイド

蒙武の見せ場が少なすぎ。

李牧の配役だけはちょっと違和感。もともとこの役者が演じるという噂はあったが、ここで実写御用達俳優を起用するのはちょっと違うのでは?龐煖を演じる役者もなんか違うような気がする。鵜堂刃衛(白字)はめちゃくちゃ似合っていたのだが。

総評

すべては続編の馬陽防衛戦の後半次第か。原作で最もドラマチックな戦いとなるが、「俺たちの戦いはこれからだ!」になるのか、それとも更なる続編製作に舵を切るのか。単純な漫画の実写化として見れば、キャラの再現度が非常に高いので、そこは評価できる。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pay it forward

人から受けた恩を別の人に返す、の意。上方芸人の世界では、師匠やベテランは弟子や後輩に気前よく芸事を教えたり、あるいは飯をおごったりする。それを次世代につなげていく伝統がある。まさに pay it forward だ。Jovianは大学時代に寮で暮らしていて、まさにそういう伝統を体験してきた。廃寮になるまで、我が第一男子寮には pay it forward の精神は生きていたのだろうか。

次に劇場鑑賞したい映画

『 イノセンツ 』
『 658km、陽子の旅 』
『 神回 』

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アクション, 吉沢亮, 大沢たかお, 山崎賢人, 日本, 杏, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 キングダム 運命の炎 』 -キャラ映画になってきた- 

『 ファミリア 』 -新たな家族像を提示する-

Posted on 2023年1月16日 by cool-jupiter

ファミリア 50点
2023年1月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:役所広司 吉沢亮 MIYAVI
監督:成島出

昨年末から気になっていた作品。『 ヤクザと家族 The Family 』とは異なる形で、新しい時代の家族の在り方を提示する野心作。

 

あらすじ

プラントエンジニアの学(吉沢亮)は、アルジェリア赴任中に現地で知り合ったナディアと結婚し、陶芸家の父・誠治(役所広司)のもとに彼女を連れてきた。その夜、地元の半グレ集団とトラブルに陥ったブラジル人のマルコスが誠治の仕事場に迷い込んできた。暴れるマルコスを誠治と学は必死で匿って・・・

ポジティブ・サイド

社会問題・時事問題をふんだんに盛り込んだ作品。特に、Jovianは2008年に某信販会社を辞めて、同年10月に富士重工関連会社から内定取り消しを食らった。リーマン・ショックの煽りで派遣切りが横行していた頃だ。また2013年当時は、大阪の某英会話スクールで日揮の社員のいるクラスを担当していたので、色々と話を聞かせてもらったことがある。なので本作の鑑賞中は、頭の中を色々なことが駆け巡った。

 

働いている業界が業界なので、Jovianの周りは国際結婚だらけである。同僚には夫もしくは妻がアメリカ人、カナダ人、イングランド人、メキシコ人、ペルー人、韓国人、中国人まで様々だ。なので学がナディアと結婚することを素直に受け止めることができたし、実際に今後はこうした国際結婚がどんどん増えていくのは間違いない。学というキャラクターの先駆的なところは、日本に来る外国人と結婚するのではなく、日本の外でパートナーを見つけたこと。これはJovianの周りでも二人しかいないので、かなり珍しい。今はそうした日本人は珍しいが、今後はもっと出てくるはず。それを予感させてくれたのは良かった。

 

MIYAVIは『 ヘルドッグス 』と同じような役だったが、『 BLEACH 』の頃に比べて演技力は格段に向上した。そう感じるのは、彼が弊社の某アンバサダーを務めているからではない。純粋にパフォーマーとしてまだまだ成長できるし、本人がそれを志向しているのだろう。愛する家族を失ったがゆえに暴走するという、役所広司とは異なるベクトルの狂気を巧みに表していた。その役所広司の演技は堂に入ったもの。『 ハルカの陶 』に登場してもおかしくなさそうな指使いで土ひねりをする様には見入ってしまった。吉沢亮との父子の関係もナチュラルで、まさに日本の俳優の大御所である。

 

ブラジル人(別にベトナム人でも中国人でもインド人でも良い)という異質な存在を社会がどう受け入れるのか、または疎外するのか。そうした状況において、個人と個人はいかなる関係を結べるのか、または結べないのか。今後、日本社会のあちこちで進行していくであろうこうした物語を、かなり極端な形ではあるが、本作は描いている。老若男女問わずに観て、そして考えてほしい作品である。

ネガティブ・サイド

ストーリーが全体的にちぐはぐ。息子を失った父の暴走の方向が『 空白 』とは全く違った形で炸裂する中盤の展開は、ホンマかいなと感じてしまった。日本の政治家や役人が海外のテロに何か手が打てるわけがないし、情報が手に入れられるわけでもない。これは歴史的史実。それよりも学とナディアを日本に帰還させて「自己責任!」という言葉を浴びせかける日本社会を描写した方が、もっと強力な社会風刺映画になったことだろう。

 

提示したい家族像が強すぎるというか、届けたいメッセージが強烈すぎるような気がする。愛する妻と娘を失った男が狂気に駆られ、愛する息子を失った男が狂気に駆られるも、最終的には新たな家族を見出すというのは、ちょっとご都合主義が過ぎる。受け取りようによっては、血のつながりは代替可能であるとも取れてしまう。また誠治にそれが可能なのは、彼自身が孤児だったという背景にその要因があるという描写も個人的には受け入れがたかった。

 

半グレやヤクザが在日ブラジル人の若者をとことん痛めつけるが、北野武の映画かいなというぐらいの暴力描写。それはもちろん構わないのだが、そこが一種の見せ場になっているのはどうなのかなあ。公園で遊ぶ小学生ぐらいの子どもたちが無意識に、あるいは意識的に見せる差別意識やいじめの描写を入れることで、逆にエリカやマルコスがどのような艱難辛苦を現在も味わい続けているのかを観る側に想像させる方が、より大人な映画作りであると思うのだが。

 

マルコスが陶芸作りに興味を持ったきっかけが不明瞭だと感じた。色んなあらすじでは、「誠治に亡き父の面影を見出し・・・」的なことを書いているが、そんな描写あったっけ?ここを深堀りしないとタイトル詐欺になるのだが・・・

 

総評

非常に示唆的なドラマと、物語のために無理やり過剰に盛り上げるドラマが混在する作品。結局のところ、役所広司というスーパーな俳優の包容力によってかろうじて成り立つ物語である。ただ『 しあわせのマスカット 』のように時事問題・社会問題を大胆に取り入れた点は評価できる。愛と狂気は表裏一体だが、MIYAVIのキャラが地元有力者の御曹司という点が気になった。ただの一般人が憎悪に駆られていく。その一方で、ただの一般人は愛情を見出していく。そんな対比があれば、もっと上質な人間ドラマになったはず。役所広司やMIYAVIのファンなら鑑賞しても損はない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take care of ~

~の世話をする、の意味。劇中では「息子をよろしく頼みます」=Please take care of my son. と訳されていた。今後、日本でも国際結婚が増加する。これぐらいの簡単な英語ぐらいは知っていてもいいだろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 パーフェクト・ドライバー 成功確率100%の女 』
『 そして僕は途方に暮れる 』
『 死を告げる女 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, MIYAVI, ヒューマンドラマ, 吉沢亮, 役所広司, 日本, 監督:成島出, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ファミリア 』 -新たな家族像を提示する-

『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を-

Posted on 2022年7月22日 by cool-jupiter

キングダム2 遥かなる大地へ 55点
2022年7月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 豊川悦司 清野菜名
監督:佐藤信介

『 キングダム 』はなかなかの出来栄えだったが、今作はちょっと落ちるという印象。それでも随所に原作漫画らしさが爆発しており、面白さは保っている。

 

あらすじ

下僕の身から戸籍を得た信(山崎賢人)は、王宮に侵入した秦王・嬴政(吉沢亮)の暗殺者を見事に撃退する。しかし、その直後、魏が秦へ侵攻してきたとの報が入る。嬴政は迎撃のため麃公将軍(豊川悦治)を蛇甘平原に出征させる。武功を求めて歩兵に志願した信は、同郷の尾平や尾到、伍長の澤圭、謎の剣士・羌瘣(清野菜名)と伍を組むことになるが・・・

ポジティブ・サイド

副題の「遥かなる大地へ」の通り、山や王宮がメインの戦場だった前作とは一転して、ほとんどの闘いが屋外で繰り広げられる。それも大平原に山岳にと、非常にスケールが大きい。黄色の土ぼこりが一面に舞うと、山ばかりの日本の平野とは違うなと感じる。単純な演出効果は大きい。

 

アホだが確実に腕は立つ信を前作に引き続き、山崎賢人が好演。チャンバラの迫力も前作と同水準を維持している。また蛇甘平原で一気に敵陣に突っ込んでいく無謀さ、そこで雑兵を蹴散らす漫画的な迫力も映像で十分に表現できていた。大軍vs大軍の迫力を出すのは予算的にもCG技術的にも無理。しかし、本作では伍という単位にフォーカスすることで、その問題をうまく回避した。実際の歩兵部隊も伍長や什長が最小単位を率いていたし、最近の連載では描かれなくなった伍の戦いにはリアリティが感じられた。

 

同時に、原作漫画で二度にわたって絶望感を与えられた魏の戦車隊の迫力は、漫画には出せないものがあった。Jovianの持つ映画における戦車というのは『 ベン・ハー 』ぐらいなのだが、戦車隊が歩兵を蹂躙する様、その戦車隊を「策」でもって退ける様、そして信が戦車を見事に破壊するシークエンスなどは、スペクタクルそのもの。これらのシーンは是非とも大画面で堪能されたい。

 

『 キングダム 』は究極的にはキャラクター漫画であり、映画もキャラクター映画である。極端な話、将軍一人で数千人の力に匹敵するし、実際に原作でも李朴は合従戦編でそのような趣旨のことを述べていた。その意味で、今作では最初の三人(信・嬴政・河了貂)以外の、後の飛信隊の中核となるメンバーの絆を上手く描き出していた。特に原作では全く馴れ合おうとしなかった羌瘣を、原作とは少し(というか大いに)異なる方法で仲間に引き込むという脚本はよくできていた。原作者が加わっているから、どこを削るのか、何を足すのかが明確だったのだろう。

 

エンドロール後には第三作への予告編も垣間見ることができる。『 キングダム 』で予想したとおりに、馬陽防衛戦になりそうだ。まだ編集段階だろうか。2時間40分程度の長さで、飛信隊の誕生から王騎の矛を受け継ぐシーンまで、見せ場てんこ盛りで描き出してほしい。

ネガティブ・サイド

率直に言って、羌瘣、麃公、呂不韋はミスキャストだと感じた。初登場時の羌瘣は10代前半くらいのはず。清野菜名は薹が立つではないが、それこそ現在連載中の宜安の戦いぐらいの年齢に見える。探せばもっと羌瘣っぽい役者はいるはずだし、見当たらなければ、それこそオーディションすべきだろう。

 

麃公を演じた豊悦も、ビジュアルはかなり原作に忠実だったが、声と立ち居振る舞いがどうにも本能型の極みに思えなかった。「全軍、待機じゃあ!」や「ハァアア!」の声のピッチが高すぎて、どうにもイメージに合わない。また呉慶将軍との一騎打ちも、原作にあった「相手を知ろうとする」過程がすっぽり抜け落ちていて、信が目指すべき大将軍像を呈示できていなかった。

 

最後に少しだけ出てくる呂不韋も佐藤浩市では年齢が合わないし、なにより原作の呂不韋が放つ圧倒的なオーラが足りない。北村一輝や豊原功補のような役者の方が呂不韋に逢っているように感じる。あと、春秋戦国時代で最も有名な人物の一人である李斯が登場しなかったのは何故なのだろうか。

 

アクションは文句なしだが、それ以外の部分の演出の粗が多かった。魏火龍の発音がキャラごとに違ったり、あるいは羌瘣と羌象が緑穂を異なるイントネーションで発音したりと、もう少し台詞回しにも目を光らせてほしかった。

 

効果音にも改善の余地あり。羌瘣が巫舞で敵兵を屠っていく際の音が「ガギィン」だった。これは絶対に「スヒン」でなければならない。フォーリー・アーティストの尻を叩いて「スヒン」という音を生み出すべきだった。

 

ミスチルの楽曲『 生きろ 』は悪くなかったが「遥かなる大地」という感じは全くしなかった。副題が「仲間と共に」とかなら、まだフィットしたのかもしれないが。前作同様にONE OK ROCKの荘厳なバラード曲を依頼できなかったのだろうか。

 

総評

アクション映画としても、漫画の映像化としても、それなりの水準に達している。三部作は往々にして、1から2で上がって、2から3で落ちるものだが、本シリーズは1から2で少し下がってしまった。その代わり、2から3で爆上がりすることが期待できそう。原作ファンならキャスティングや演出に対して賛否のどちらもありそうだが、観て損をすることはないはず。歩兵目線の戦争アクションを邦画も描けるようになったというのは実に感慨深い。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

turn the tables 

「テーブルを引っくり返す」というのが直訳だが、実際の意味は「形勢を逆転する」の意。劇中では渋川清彦演じる縛虎申千人将が「将軍の狙いはここから大局を覆すことだ」と言うシーンがあったが、大局を覆すというのは turn the tables が英訳としてふさわしいだろう。類似の表現に turn things around というのもある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 清野菜名, 監督:佐藤信介, 豊川悦治, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- への2件のコメント

『 東京リベンジャーズ 』 -タイムリープものの珍品-

Posted on 2021年7月21日2021年7月21日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210721121306j:plain

東京リベンジャーズ 50点
2021年7月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北村匠海 吉沢亮 山田裕貴 磯村勇人
監督:英勉

 

土曜日も短期集中課外講座の季節になってきて稼働中。吉沢亮と磯村勇人を見に来た。

 

あらすじ

フリーターのタケミチ(北村匠海)は、唯一の恋人だった橘ヒナタとその弟・ナオトが、半グレ集団の東京卍曾とヤクザの抗争に巻き込まれ死亡したことを知る。翌日、駅のホームで線路に転落したタケミチは、不良学生だった10年前にタイムスリップしてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

登場人物の多くが17歳時と27歳時を演じ分けなければならないが、それが出来ていた一人として磯村勇人が挙げられる。ヤンキーと半グレ、そして社会人のそれぞれで印象的なオーラを放っていた。特にとある社会人像は一瞬だけではあるが、劇中で語られたとある行為とそこに込められた思いが別の角度から表現されていて、非常に味わい深いものになっていた。磯村は個人的には2021年最優秀国内俳優の候補になっている。

 

ケンカのシーンが多いが、ほとんどの場面で主人公のタケミチが一方的にボコられるだけ。それが逆にこのキャラクターの好感度を高めている。ヤンキーでブイブイ言わせていた奴が冴えない人生を送っても自業自得にしか思えない。しかし、ヤンキーをやっていたせいで自分よりも強い奴に理不尽な目にあわされるばかりの人生に突入してしまったのなら、まだ同情の余地はある。北村匠海の幼さと若さの両方が上手く表現されていたと感じた。

 

吉沢亮も、相変わらず闇を秘めたキャラの演技が似合う。意外と言っては失礼だが、アクションもまあまあ出来る。学校の乱闘シーンの振り向きざまの左フックなどは、背骨を軸に骨盤を回して、その力を左の腕に上手く伝えていた。相当トレーニングして、なおかつファイト・コレオグラファーと打合せもしているのが分かる。タケミチやドラケンと一緒にいる時とそれ以外の時の表情、特に口角の微妙な上がり下がりがわざとらしくなく、それでいてさり気なさすぎないという良い塩梅になるところを見極めている。原作漫画は未読だが、子のキャラを相当に掘り下げていることが容易にうかがえる。

 

山田裕貴演じるドラケンもとにかく見せ場が多い。中盤は「あれ、主人公ってドラケンなのか?」と勘違いさせられそうになるほど。ヒナタの死の原因に間接的につながるキーパーソン。ナンバー1である総長のマイキーではなく、ナンバー2のドラケンが東京卍會という組織の在り方や行き先を決めるというのは説得力がある設定だ(デレク・シヴァーズの『 社会運動はどうやって起こすか 』を参照のこと)。ヤクザ役あるいは暴力刑事役も観てみたい。

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ネガティブ・サイド

はっきり言って主要キャラ以外で褒めるところがない。タイムリープ現象について、あまりにも説明が不足している。そう感じさせるのは、変にプロジェクターなどを使って中途半端に説明シーンを入れるから。そんなものは不要。タイムリープを何度か繰り返すことそこに法則性を見出していく。そうすることで観る側はタケミチと同一化できていく。原作漫画がそうした説明的なシーンを入れているのかもしれないが、漫画という媒体と映画という媒体で全く同じことをやる意味はあるのか。そのあたりは原作者と脚本家の間でもっと色々と練り上げていくべきだろう。

 

原作通りなのだろうが、刑事になったナオトの言動にもクエスチョンマークがつくものばかり。姉の死に間接的につながる人物に接触できる → そいつを殺せ というのは、警察官とは到底思えない。普通は「逮捕に協力してほしい」だろう。姉の死に取り乱すのは分かるが、ナオトの凝り固まった考え方には共感ができなかった。

 

思わせぶりなキャラにまあまあ知名度のある俳優をあてているのは、続編ありきの作りだからか。「アンサンブル・キャストにせよ」とまでは言わないが、物語の焦点をはっきり絞るのか、それとも世界観を拡げるのか。方針をはっきりさせて作るべきだった。

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総評

『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』で上手くいかなかった邦画のタイムトラベル・ムービーだが、今作でもやっぱりダメだった。が、タイムトラベルものは硬派なSFでもない限り、本格的な考証は不要。その部分に目くじらを立てず、なおかつヤンキーの描写を受け入れられれば、漫画的な面白さはある。どうせタイムトラベルものを作るなら、佐藤藍子主演で不発に終わった高畑京一郎の小説『 タイム・リープ あしたはきのう 』をアニメでリメイクしてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I have taken to you.

マイキーの言う「俺はお前を気に入った」の試訳。take to ~ には様々な意味があるが、「~を好きになる、気に入る、~にハマる」の意味を押さえておけば、まず大丈夫である。ちなみに対象を人間以外にしてもいいし、主語が人間以外になってもいい。

My cat never seems to take to the new toy.

うちの猫はあたらしいおもちゃを気に入ってくれる様子がない。

のようにも使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, アクション, 北村匠海, 吉沢亮, 山田裕貴, 日本, 監督:英勉, 磯村勇人, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 東京リベンジャーズ 』 -タイムリープものの珍品-

『 AWAKE 』 -もっと綿密な取材を-

Posted on 2020年12月31日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201231120258j:plain

AWAKE 50点
2020年12月29日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:吉沢亮 若葉達也 落合モトキ 寛一郎
監督:山田篤宏

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201231120219j:plain
 

Jovianの映画以外の趣味として、ボクシング観戦、テニス、そして将棋がある。実際に2015年の電王戦も、それをさらにさかのぼる渡辺明 vs ボナンザ戦もリアルタイムで観ていた。阿久津主税 vs AWAKEに着想を得た本作はどうか。将棋の部分のリアリティが不足していたと言わざるを得ない。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201231120239j:plain
 

あらすじ

奨励会の大一番で幼少期からのライバル・浅川陸(若葉竜也)に敗れた清田英一(吉沢亮)は、将棋から足を洗い、大学に入学するも、将棋意外に人とのかかわりを持てない英一は孤立。しかし、自宅で父親がコンピュータ将棋をしているのを見て、大学の人工知能研究同好会に向かい、そこで磯野(落合モトキ)と出会う。英一は将棋プログラムの開発に没頭するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド 

吉沢亮といえば『 リバーズ・エッジ 』、『 キングダム 』、『 青くて痛くて脆い 』など、どこかダークサイドを内に秘めたキャラを演じることに長けている。その力を今作でも遺憾なく発揮している。碁打ちや将棋指しは完全情報ゲームで戦っているので、建前上そして理論上は勝ち負けに運の要素はない。すべては実力で決まる(ことになっている)。そうした勝負の最中の敗北を悟った瞬間の目の演技は見事だった。また、『 聖の青春 』で東出昌大が羽生の仕草を完コピしていたのを参考にしていたのだろう。羽生の癖をよくよく研究していると思しき演技にも好感が持てた。

 

若葉竜也演じる浅川陸が阿久津主税に似ているかというと、さにあらず。現実の阿久津は、飲む打つ買うの三拍子そろった昭和気質の悪童・・・ではなく、酒とパチンコを嗜む現代的な将棋指しである。ただ、本作は阿久津のドキュメンタリーではないので、そこのディテールにこだわる必要なし。棋士とはどういったたたずまいの生き物なのか、どういった生態なのかを描出できていれば合格。その意味では、和服で対局室に向かう浅川の姿は、写真集『 棋神 』に掲載されている谷川浩司を意識したとしか思えない構図のショットあり、往年の中原誠の所作をコピーしたと思われるタイトルホルダーあり、また大山康晴の格言「助からないと思っても助かっている」を忠実に表す局面ありと、将棋ファンのノスタルジーを大いに刺激してくれる。

 

ストーリーも現実の改変度合いが適度だったと感じた。現実の電王戦2015は、双方ともに納得のいく展開でも結末でもなく、ソフト開発者にも阿久津にも賛否両論があった。そうした現実のドロドロはいったん無視して、清田と浅川を幼少期からのライバルという設定を導入したのは面白かった。棋譜を読み込むことが生活の一部だった清田が、プログラミングの教科書を読むだけで丸暗記するところは、非現実的でありながら「元奨ならありそうだ」と思えた。またプロ棋士浅川が将棋以外はからっきしの音痴であるという設定もリアルだ。漫画『 将棋の渡辺くん 』を読めばわかるが、トッププロは著しく家事家政能力やその他の日常生活関連の知識や技能に乏しいことが多い(渡辺は徐々に料理ができるようになったようだが)。プロ棋士を変に天才や超人のように描かないところも、本作のテイストに合っていた。

 

浅川とAWAKEの決戦の緊張感は、リアルタイムで当時の対局を見守っていた頃のハラハラドキドキを思い起こさせてくれた。結末が分かっていても、それでも安心できない。当時の対局の空気感を本作は見事に蘇らせている。当時を知る人も知らない人も、人間とコンピュータが激突することの意味を改めて現代に問い直すために、本作を鑑賞されたし。

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ネガティブ・サイド

人間の、特に将棋に夢破れた人間の負の感情がストレートに吐露されたイベントだった電王戦の空気が再現され、棋士の姿も将棋ファンを満足させる程度には練り上げていた。決定的に欠けていたのは、電王戦に至るまでの歴史的な経緯だ。特にボナンザのソースコードが公開されたというくだりは不要だろう。そこに言及してしまうと渡辺明 vs ボナンザが存在したことになってしまう。そうするとドワンゴが主催する電王戦というイベントの重みが急に軽くなってしまう。また、清田のメンターでありパートナーとなる磯野は「将棋は完全情報ゲームだから、それを解明しても人類の進歩に寄与しない」と吐き捨てていたが、だったら何故全幅探査型のボナンザのコードにあれほど興奮するのか、不思議でならなかった。磯野がコンピュータ将棋に前のめりになるきっかけのようなものを30秒でよいので描くべきだった。

 

ボナンザという現実のソフトの名前を出しながら、GoogleがGeegloに、WikipediaがWakipediaになっているのもいかがなものか。変えるべきは阿久津や巨瀬氏の名前であって、その他の人物や事物、出来事については現実に即したもののままで良かった。また、「私は失敗などしていない。上手く行かない方法を1万通り見つけただけだ」と嘯いたのはトーマス・エジソンだが、何故か磯野はそれを息子のチャールズ・エジソンの言葉にしている。このあたりの現実世界とのシンクロしない点がリアリティを殺いでおり、そこが大いに不満である。

 

何名かの女性キャラクターもノイズだ。浅川の姉や磯野の妹は完全に不要なキャラ。もしも登場させるなら、もっと浅川や磯野のキャラクター背景を掘り下げるために使うべきで、残念ながら本作の本筋に彼女らの居場所はなかった。

 

重大なミスも散見された。2点だけ指摘する。電王戦前の浅川の段位が「七段」 、電王戦終局直後の記者の呼びかけが「浅川八段」、そして翌日の新聞の見出しでは「浅川七段」。この大ポカに脚本段階でも撮影段階でも編集段階でも誰も気付かなかったのだろうか。もう一点はとある縁台将棋的な場面。「それは教えてもらって打ってるんだぞ」という台詞が気になった。確かに直前には持ち駒を「打った」が、その次の手は盤上の駒を「指して」いたのではなかったか。上で「碁打ちや将棋指し」と敢えて書いたが、囲碁は打つ、将棋は基本は指す、持ち駒は打つものである。将棋の素人ならまだしも、『 聖の青春 』や『 3月のライン 』では決して見られなかったミスである。製作者側の取材や勉強が不足していると感じる。

 

最後に・・・プロのタイトル戦経験者と2枚落ちで指せるガキンチョとはいったい・・・6枚落ちではなく?プロと2枚落ちで指せる(≠勝てる)=アマチュア3段レベルで、小学生になったばかりぐらいの子が・・・はっきり言って藤井聡太レベルの器だろう。つまり、非現実的だ。最後にスクリーンに映し出されるキャプションも、「今日も人間同士の戦いは続いている」などで終わっていれば、電王戦だろうと伝統的な将棋だろうと、結局は人間と人間のぶつかり合いなのだな、と納得できたのだが。

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総評

日本将棋連盟も制作に協力していたようだが、実在のプロ棋士をモデルにしたと思しきキャラクターは数えるほどしかいない。将棋界の面白さは、1.将棋というゲームの面白さ、2.将棋指したち自身の面白さ、の二つで成り立っている。将棋というゲームの面白さを映画で描くことは困難だ。だが、将棋指しの面白さを伝えることは比較的容易だろう。テレビで加藤一二三を見て「このじいさん、面白い」と多くの人が感じているではないか。浅川や清田という人間にもっとフォーカスを当てた物語を作るべきだった。ライトな将棋ファンならまだしも、生粋の長年の将棋ファンをも唸らせるクオリティには本作は残念ながら達していない。

 

私的電王戦雑感

『 泣き虫しょったんの奇跡 』で以下のように述べていたので引用する。

 

元奨の残念さという点では、電王戦FINALで21手で投了した巨瀬亮一を思い出す。FINALはハチャメチャな手が飛び出しまくる闘いの連続で、特に第一局のコンピュータの水平線効果による王手ラッシュ、第二局のコンピュータによる角不成の読み抜け(というか、そもそも読めない)など、ファンの予想の斜め上を行く展開が続いた。特に第二局は、▲7六歩 △3四歩 ▲3三角不成 という手が指されていれば一体どうなっていたのか。

 

Jovianは個人的には巨瀬氏は28角を誘導されたからといって投了すべきではなかったと今でも強く思っている。劇中でも少年時代の清田が奨励会幹事に「自分の力でどうしようもなくなったら投了するんだ」と諭されていたが、それは明確な詰みがある、一手一手の寄りで受けがない、攻防ともに見込みがないなどの局面でのこと。とんでもない悪手を指したから投了というのが許されるのは、芸術家気質の強い棋士(例:谷川浩司)ぐらいのもの。最低限、飛車で馬がボロッと取られるところまでは指すべきだった。投了するならばそこの局面であるべきだった。本作を通じてプロ棋士の姿がほとんど見えてこないのは、それだけプロが電王戦、なかんずくAWAKEの開発者の巨瀬氏に複雑な感情を抱いているからだと見ることもできる。本作で提示される清田の葛藤にどれだけ共感できるか、そこは人によってはかなり難しいのではと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

awake

劇中では動詞として紹介されていたが、実際は形容詞として使われることの方が圧倒的に多い(動詞で“眠りから覚ます”、“覚醒させる”のならawakenを使う)。職場で眠気に襲われてコーヒーを淹れてくる際に

 

I need some coffee to keep myself awake.

眠らないようにするためにコーヒーが必要だよ

 

と一声かけてみよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 吉沢亮, 寛一郎, 日本, 歴史, 監督:山田篤宏, 若葉竜也, 落合モトキ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 AWAKE 』 -もっと綿密な取材を-

『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

Posted on 2020年11月18日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

さくら 30点
2020年11月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北村匠海 小松菜奈 吉沢亮 永瀬正敏 寺島しのぶ
監督:矢崎仁

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変なおじさんの永瀬正敏と安定した演技力の寺島しのぶ、そしてJovianの推しの一人である吉沢亮と小松菜奈。そして『 うつくしい人 』、『 炎上する君 』の西加奈子の作品ときた。それが、どうしてこうなってしまったのか・・・

 

あらすじ

大学入学のために上京していた長谷川薫(北村匠海)は久しぶりに大阪の実家に帰ってきた。あこがれだった兄、一(吉沢亮)の死により家を出た父が、年末に家に帰ってくるという。薫はまた、屈託のない愛犬のさくらにも会いたかった。家族が離散する前の幸せな長谷川家を薫や妹の美貴(小松菜奈)は思い出していく・・・

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ポジティブ・サイド

まずは中学生から高校生(進学していないが)の年代を演じた小松菜奈に賞賛を。しまりのない表情から、逆にころころと自在に変化する表情までを披露し、まさに箸が転んでもおかしい年頃の娘を好演した。露出度がかなり高めの服装であっても色香を感じさせないのは、お見逸れしましたとしか言いようがない。

 

次いで寺島しのぶ。冒頭で性行為について幼い美貴にも分かる言葉で優しく丁寧に語る様は、そのまま各家庭で実践できそうに感じた。一が家にガールフレンドを連れてきたときには、昭和や平成の初めころにいっぱいいた大阪のおばちゃんの風情を存分に醸し出していた。

 

ストーリーの見どころは何と言っても長男の一。美貴が昭和59年生まれだと一瞬映っていたので、一はまさにJovianの同世代。服装も今の目で見れば全然ファッショナブルではないが、それが逆に時代の空気を濃厚に感じさせてくれた。部屋にイチローのポスターを貼ってあるのもいい。また、携帯が一般的ではなかった頃、手紙や家の電話で恋人とのもどかしいコミュニケーションを堪能できた世代には、一の映し出されなかった恋愛のあれやこれやがつぶさに想像できた。家で誰かがインターネットを見ていると、家の電話が不通になるという光景が繰り広げられる映画が、そろそろ制作されてくるのだろう。

 

閑話休題。一の死、そこに至るまでの物語は非常に痛々しく重い。そこに社会的マイノリティであるLGBTのサブプロットを絡ませる演出はなかなかに心憎い。ネタバレになるので詳しくは書けないが、自分はノーマルでありマジョリティであると思っていても、それは必ずしも永続的なものではない。何かの拍子にそうではなくなることは大いにありうる。そうした時にすがれるものがあるかどうか。人によっては宗教であったり、あるいは家族であったりするのだろう。家族の在り方が多様化する今、本作のような悲劇的かつ喜劇的な一家の物語は一種のケーススタディとなりうるように感じた。

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ネガティブ・サイド

まず第一に言っておかなければならないこととして、誰もかれもが大阪弁がヘタすぎる。寺島しのぶでもこうなのか。『 君が世界のはじまり 』の松本穂香、『 鬼ガール!! 』の井頭愛海、『 セトウツミ 』の菅田将暉や中条あやみのような関西弁ネイティブを使ってほしい。もしくは話の舞台を北関東あたりに移してほしい。別に大阪である必要は全くないではないか。

 

タイトルロールであるさくらの扱いが雑である。というよりも、特にストーリーの主題になっていない。壊れてしまいそうな家族の紐帯としてのさくらは一切描かれていないし、楽しい時も苦しい時も、さくらがいたからこそ長谷川家の一人ひとりが踏ん張れたんだという描写も特にない。なにかもっと『 戦火の馬 』のように、色々と見えないところでドラマを生んでいたという場面が一切画面に映らないので、さくらという犬が長谷川家のかけがえのない一員であるように見えない。むしろ、残飯処理係なのかと思えてしまうような描写があり、矢崎仁監督の手腕を疑ってしまう。

 

長男の一の背中を見て育った薫と美貴、という設定も何やら薄っぺらい。一とその恋人の矢嶋さんの関係の変化に、薫は愛というものの力を知った・・・ようには見えなかった。というのも、肝心要の矢嶋さんの描写が極めて一面的だからだ。変わっていく矢嶋さんや変わっていく一の描写があまりにも弱い。一が料理を手伝うようになっただとか、洗濯物を丁寧にたたむようになっただとか、そんなことでよいのだ。そうしたシーンが全くないのに、薫に「いつか二人は結婚するんだろうなと思った」と独白させても説得力はゼロだ。

 

その薫の独白も量が多いし、説明的すぎる。心象風景を言葉にするのならまだしも、話の前後関係をくだくだしく説明する必要はない。映画ならば映像や音楽、音響などを駆使してそれを行うべきで、原作が小説だからといって小説の技法をそのまま映画に持ってきてよいわけではない。そもそも説明が説明になっていないナレーションまである。一例は「初めの遅れてやって来た反抗期」だ。いや、それ反抗期ちゃうやろ、と映画館でフツーに突っ込ませてもらった。北村は歌手でもあるため声に透明感やしなやかさがあるが、何故か台詞をしゃべらせると情感を伴っているように聞こえない。『 私はあなたのニグロではない 』のサミュエル・L・ジャクソンや『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマンのように、ナレーションだけで聞く側の心を落ち着かせたり、興奮させたり、ざわめかせたり、悲しませたり、といった声の表現力を目指すべきだ。あと、韓国映画(『 息もできない 』がいい)を観て暴力シーンを勉強すべきだろう。

 

トレイラーで“奇跡が起きる”とされた夜の長谷川家の移動ルートも地味に謎だ。劇中で一瞬チラッと大阪府枚方市あたりが住所であるように見えたが、枚方から国道2号は結構な距離がある。また、高速道路上から左手に初日の出を見ていたが、2号線沿線に南北に走る高速道路など存在しない。それとも2号線をひたすら西進して舞鶴若狭自動車道まで行ったというのか?とても信じられない。大阪弁の下手さからも感じたが、場所を関東に再設定すべきだった。

 

ネタバレになるため、中盤以降のストーリーについてはものさずにおくが、とにかく映画的な描写がとにかくうすっぺらく、またリアリティに欠ける。これはおそらく原作の原文からして間違っているのだろうが、「悪送球を仕掛けてきた」という文章の何とも気持ちの悪い響きよ。送球の主体は投手ではなく野手だし、送球は仕掛けるものでもない。野球で仕掛けるものといえばバントやヒット・エンド・ラン、盗塁などだ。「悪送球を打てない」という文章の不自然さに西加奈子もその編集も校正担当も、そして本作の脚本担当も誰一人として気が付かなかったというのか。そんな馬鹿な・・・

 

総評

家族という大きくて小さな枠組みが壊れていく、しかし完全に壊れたりはしない。そうしたメッセージは残念ながら非常に不完全な形でしか伝わってこなかった。家族の死、家族の離散、家族の再生というテーマなら『 焼肉ドラゴン 』の方が遥かに面白い。出演者のファン、あるいは原作のファン向けの作品ではあっても、映画ファン向けに仕上がっているとは言い難い作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pop one’s cherry

「さくらんぼをはじけさせる」という意味ではない。これは「処女・童貞を喪失する」の意味である。一と薫の部屋での会話の私訳。ただ性的な意味意外に使うこともある。

 

I popped my skiing cherry.

初めてスキーに行った。

 

Now that I’m twenty, I will pop my drinking cherry today.

二十歳になったから、今日は初めてお酒を飲むんだ。

 

のような使い方もできる。この表現を使えたら・・・というよりもそういう話をできる人間関係を作れたら、外国語でのコミュニケーション能力は上級であると言える。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 北村匠海, 吉沢亮, 寺島しのぶ, 小松菜奈, 日本, 永瀬正敏, 監督:矢崎仁, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

Posted on 2020年8月31日2022年9月15日 by cool-jupiter

青くて痛くて脆い 50点
2020年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 杉咲花 岡山天音 松本穂香
監督:狩山俊輔

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『 君の膵臓をたべたい 』は良作だったが、同作のイメージをぶっ壊すと宣言して書いたとされる本作も、まばゆく輝く女の子に憧憬を抱く男の物語という点では目新しいものではなかった。おそらく、高校生や大学生が観れば異なる感想になるのだろうが、おっさんには刺さらなかった。

 

あらすじ

田端楓(吉沢亮)は他人を傷つけたくない、他人に傷つけられたくないという大学一年生。そんな楓が、世界から暴力・貧困・差別をなくそうと願う秋好寿乃(杉咲花)に出会い、彼女に引っ張られ、秘密結社サークル「モアイ」を立ち上げるが・・・

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ポジティブ・サイド

まさにタイトル通りの男、青臭くて、言動が痛くて、そのくせハートだけは妙に脆いという、誰にとっても思い当たるところのあるキャラクターを吉沢が見事に怪演した。他人に関心がないというのは自意識過剰の裏返しで、他人にどうこう思われるぐらいなら、他人から距離を取ってしまえという思考もまた自意識過剰の裏返しである。おっさんになって自らの過去を振り返れば、「ああ、自分にもそんな時期があったな」と一笑に付すことができるが、10代後半、あるいは20歳前後のまだ何者にもなれていない若者の中には本作の楓に魂を持っていかれるほどの影響を受ける者がいてもおかしくない。それほど吉沢の演技は際立っている。人間の心の非常にダークな部分を隠すことなくさらけ出しているからだ。特に、他人とのつながりを「間に合わせ」と表現するところでは唸らされた。ちょっと愚痴を聞いてほしい相手、ちょっと一緒に酒を飲んでほしい相手、一晩だけ一緒に過ごしてほしい相手(という相手は本編には出ないが)等々の間に合わせ的な人間関係は極めて一般的だが、子どもにはそうではない。それこそ、一瞬一瞬の人間関係が宝石のような価値を持っている。そうした輝きに背を向ける楓というキャラクターの屈折っぷり=闇の深さは、近年の漫画や小説の映画化作品の中でも突出している。

 

また、一種の叙述トリックが仕掛けられているところも野心的だ。なにがどういうトリックなのかには言及できないが、これはなかなかに気の利いた演出である。

 

モアイを潰そうと画策する過程で悪友役の岡山天音も好演。一匹狼の楓に共感してモアイに潜入するも、ミイラ取りがミイラになるの諺通りにモアイにオルグされる様はまあまあ見応えがあった。そのモアイの幽霊部員役の松本穂香が物語を地味に、しかし確実に盛り上げる。無防備に見えて隙が無く、難攻不落に見えて落ちる時はあっさりと陥落。しかし、男の掌の上で踊ることは決してなく、逆に男を手玉に取る悪女の雰囲気すらも醸し出す。『 君が世界のはじまり 』と比較すれば、その演技の幅の広さは同世代(20代前半)では頭一つ抜けている。テンさんこと清水博也も味わい深い。『 愚行録 』や『 屍人荘の殺人 』に出てきそうな大学生と見せかけて・・・というキャラクターである。人は見かけによらない、あるいは人を見かけで判断してはならないという好個の一例である。

 

こうした、一癖ある面々と田端楓と秋好寿乃の織り成す物語は、現役の大学生にこそ堪能してもらいたいと思う。

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ネガティブ・サイド

編集の粗がひどく目立つシーンが多い。秘密結社「モアイ」のイメージ図をバックにした楓と寿乃のスナップショットで、寿乃はオーバーオールを着ているのに出来上がった写真はスエットだけ?になっていなかったか。また、楓目線で寿乃と向き合うショットでも、寿乃の目の角度がおかしい。二人は相当に身長差があり、いくら楓が猫背といっても、向き合って、あごを引いて笑っている寿乃の目がまっすぐ前を見つめるのはありえない。

 

モアイのとあるメンバーが行っている不正行為を内部告発することに葛藤するというのも、傍から見れば滑稽千万である。(老害と化した)ダウンタウンの松本人志が「(東出昌大の)不倫を暴いた週刊誌の記者はどんな気持ちなのか?」という疑問を発していたが、悪事(不倫が悪かどうか、悪だとしてどのような性質で、どの程度の悪なのか、それは措いておく)を暴くことに良心の呵責を感じるとすれば、その悪事が自分にとって近しい人によってなされた時、あるいは告発によって自分の近しい人がダメージを受ける時ぐらいだろう。そういう意味では、自らモアイと寿乃から距離を置いた楓は、距離こそあるものの、つながりを維持しているに等しい。やり方を間違えているのだ。本当にリベンジをしたいのなら、モアイよりも大きい、あるいは秀でた組織を作る、あるいは組織に拠らず個として強く生きていけるように精進することだ。

 

こうした見方はいい年こいたオッサンのものであることは自覚している。寿乃が作ったモアイの目指すところは究極的にはニーチェの言う「超人」であり、サルトルの言う「アンガージュマン」である。なりたい自分になった、作りたい世界を作ったという結果ではなく、その過程そのものに意味があると考える。自分が主体的に動くのと同様に、他者も自分と同じような主体であるのだと認識するところから始まるのだ。本作も2時間かけて楓がそのことを自覚する過程を描いていると受け取れなくもないが、その描写があまりにも稚拙である。創始者や共同創始者が弾き飛ばされるストーリーなど星の数ほど存在する(『 スティーブ・ジョブズ 』など)。本作はどちらかというと、【社会運動はどうやって起こすか】における最初のフォロワーとしての楓にフォーカスできなかったがために、その後の展開すべてが陳腐に見えてしまった。理屈っぽく映画を観てしまう向きには、お勧めできる作りになっていない。

 

総評

良い点、悪い点、それぞれに目立つ。ある一点やある方向には思いっきり振り切れているという印象だが、その一方でディテールには粗が目立つ。あまり深く考えず、若気の無分別の物語に身を任せれば、邦画ではなかなかお目にかかれない一種の暴走型青春サスペンスとして楽しめるのではないだろうか。『 キングダム 』のイケメン吉沢ではなく、『 リバーズ・エッジ 』のような、ちょっと頭がおかしいキャラを演じる吉沢を観たいというファンにこそお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make a difference

変化を生み出す、の意。往々にして「良い変化を生む」の意味で使われる。同質性を重んじる日本語とは異なり、英語圏では他との違い=良いことだという概念がある。これは頭で理解するよりも肌で実感すべきことなのだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 吉沢亮, 岡山天音, 日本, 杉咲花, 松本穂香, 監督:狩山俊輔, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

『 一度死んでみた 』 -バランスが少々悪いコメディ-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

一度死んでみた 55点
2020年3月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:広瀬すず 吉沢亮 堤真一
監督:浜崎慎治

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『 一度死んでみた 』の映画化作品。映画化されても、原作の持っている構造的な欠点は何一つ解消されていない。だが、映像化には成功したと言えるだろう。なぜなら、キャラクターが血肉を得て、背景が色鮮やかに再現されたからだ。

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あらすじ

野畑七瀬(広瀬すず)は製薬会社社長の野畑計(堤真一)が大嫌い。そんな父が死んだ。「一度死んで二日後に蘇る薬」を飲んだからだ。開発中の若返りの薬を巡る競合他社からのスパイを炙り出すためだったが、復活を前に計は荼毘に付されることに。七瀬は、存在感の希薄な社員、松岡(吉沢亮)と共に計を救おうと奔走するが・・・

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ポジティブ・サイド

原作ではスッカスカだった様々な事物の描写が見事に映像化された。これは素晴らしい。特に「デスデスデス」のメタル『 一度死んでみた 』は、劇場では予告編の前の時間にかなり流されていて、その再現度(というか説得力)の高さにびっくりした。本編でもフルで見られるので是非とも堪能してほしい。『 サヨナラまでの30分 』のライブよりも、こちらの告別式・・・ではなくミサの方が、個人的には楽しめた。他にも「ま・さ・に」や、藤井さんの不思議なたたずまいや、ドラムソロと山手線駅名歌唱、さらに「ここよー!」など、ぼんやりとしたイメージでしか把握できていなかったディテールがリアリティのある映像になっていた。このあたりは浜崎慎治監督の手腕によるものと認められる。CMというのは見た目一発で視聴者に色々なものを伝えなくてはならない。そのあたりの手練手管は見事だった。

 

全編を93分にまとめたのも見事。変に細部に凝ることなく、原作の持ち味であるテンポの良さをそのまま映像化する際に保ったのは好判断であった。タイムリミットのある物語というのは、どこかで緩急をつけることで終盤のリミット近くのサスペンスを盛り上げるのが定石。本作はその部分をクリスマスイブのお通夜を情感たっぷりに、ロマンティックな予感を漂わせつつ、しかしコメディ路線にのっとって描いた。つまりはファミリーや中高生カップルでも安心して観られる作りになっているということである。アップダウンにメリハリがあるので、体感では75分ぐらいの上映時間に感じられた。ジェットコースター的な展開の映画としては、なかなかにハイレベルな作品である。

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ネガティブ・サイド

テンポの良さとは対照的に、物語全体のトーンは全くもって一貫性を有していない。大部分はスラップスティック・コメディなのだが、一部にシリアスなドラマあり、一部にロマンスありと、ところどころで監督が変わったのかと思うぐらいに変調する。最も違和感を覚えたシークエンスは、葬儀場(?)を確保するまでのコメディ調と、そこからのライブ・・・ではなくミサだった。“水平リーベ僕の船”も悪くないのだが、原作に逆らってでも“一度死んでみた”と順番を入れ替えてもよかった。「デスデスデスデス!」で一気にミサを盛り上げ、このエモーショナルなバラードを後ろに持ってきた方が終盤の流れに調和するし、しんみりとしたムードの中、これ幸いとばかりに悪人たちが棺桶を運ぶ絵の卑劣さと間抜けさが際立ったはずだ。

 

広瀬すずのハイキックについても・・・浜崎監督はまだまだ分かっていない。見せてはダメなのだ。いや、見えてはいないが、演出が実に中途半端だ。『 ダンス ウィズ ミー 』の三吉彩花のように照れることなく恥じることなく見せてしまうか、あるいは『 はじまりのうた 』のキーラ・ナイトレイの教えのごとく、見る者に想像をさせねばならない。

 

これでもかと原作小説に忠実だったのに、何故に最後の最後で小説の描写と異なる画を撮ってしまったのか。本作のメッセージの一つは「言葉にしないと分からない」だったのではないか。最後の最後のシーンが全体のトーンを壊してしまった。終わりよければすべて良しなのだが、終わり悪ければすべて悪しである。

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総評

コンテンツの面では十分に面白い。フォームの面では改善の余地がある。ただ、ひねくれた映画マニアでもないかぎり、フォームなどは気にするべきではないし、気にしてもしょうがない。料理がそれなりに美味しければ、食器が多少おかしくても許容すべきだろう。そのことで過度の料理人を責めても意味はあまりない。逆に言えば、長編映画初監督にしてこれだけディテールを再現する力があるのだから、浜崎慎治というオールド・ルーキーには期待できるのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You stink.

「くーさーい!」の英訳である。年頃の娘にこう言われる男親の悲哀はいかばかりか。なお、同様の台詞は『 トップガン 』でマーヴェリックがスライダーに言い放っていた。ちなみに国際的に活躍する公認会計士の方から「“These numbers stink.”とは時々言いますね」と聞いたことがある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, 吉沢亮, 堤真一, 広瀬すず, 日本, 監督:浜崎慎治, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 一度死んでみた 』 -バランスが少々悪いコメディ-

『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

Posted on 2020年1月3日 by cool-jupiter

リバーズ・エッジ 65点
2019年1月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:吉沢亮 二階堂ふみ 森川葵
監督:行定勲

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2018年に劇場で見逃してしまった作品。決して二階堂ふみのヌード目当てではない。『 チワワちゃん 』原作者の岡崎京子の作品であるということに惹かれたのである。

 

あらすじ

若草ハルナ(二階堂ふみ)は、いじめられっ子の山田一郎(吉沢亮)をひょんなことから助ける。そのお礼に山田の宝物である、川原の死体を見せてもらうことになる。そこから、闇を抱える高校生たちの物語は徐々に暗転し・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ママレード・ボーイ 』、『 BLEACH  』、『 あのコの、トリコ。 』という、2018年の邦画20点トリオの全てに出演してしまった吉沢の、これはベスト(当時)である。吉沢のキャリアハイは『 キングダム 』だと思うが、本作はそれに次ぐパフォーマンスである。無表情で、ぶっきらぼうな口調で話す。そして基本的に他者と目を合わさない。そのことが終盤のあるカットで大きな効果をもたらす。

 

時折映し出される工場廃水や煙、オゾン層破壊のニュース、そして携帯電話が普及している気配がないところから、舞台は1990年代の半ばだろうか。当時の空気では、同性愛は個性ではなく疾患、障害(敢えてこの字を使う)、異常と考えられていたように思う。そして、いじめによって中学生がどんどんと自殺をしていた時代でもあった。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン 』もこの頃だったか。本作に登場する若者達は皆、リビドーとデストルドーの狭間にたゆたう、とても儚い存在だ。そのことは随所に挿入されるドキュメンタリー風のインタビューで問われる、「生きていることの実感はあるか?」との問いに対する応答に、ぼんやりと表れている。「生きる」という行為もしくは状態は、心臓が動いているだとか呼吸をしているという生理現象とイコールではない。仕事で疲れ切っている時、ひとっ風呂した後のビールで「生き返ったような気分」になる、そういった体験が「生きる」ということである(高校生に飲酒を推奨しているわけではない、念のため)。その意味では、死体=宝物と認識する若者3人の奇妙な絆には、妙な説得力がある。

 

全編これ、キラキラとまばゆい青春映画とは全く違う、ドロドロのドラマの連続である。だが、それもまた青春の一つの形だろう。アスペクト比4:3の映像が、古さを思い起こさせる。ちょうどDVDレコーダーの出始めの頃、VHSをDVDに移したりしていたことを思い出した。エンディングのポエムのシーンはフルサイズである。つまり、生きづらさは過去だけではなく現在にもある、普遍的なサムシングなのですよというのが行定監督と岡崎京子のメッセージなのだろう。Jovianはその見解に賛成である。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら主要な登場人物のほとんどが高校生に見えない。『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』ではメイ・ホイットマンがアラサーにして女子高生を演じたが、彼女はかなりの幼児体型なのでそれなりに説得力があった。だが小山ルミを演じた土居志央梨に高校生を演じさせるのは無理がある。彼女は悪い役者ではないが、制服を着て学校にいるだけで、とてつもない異物感を放っている。もちろん、多様なセックスシーンやフェラチオシーンなどを未成年に演じさせるのは難しいだろうが、『 惡の華 』における秋田汐梨のような素材は探せば見つかったのではないだろうか。本作のテーマの一部は、セックスでしか陳腐な承認欲求を満たせない若者の存在である。だからといって、セックス描写に力を入れる必要はない。いかに薄っぺらいセックスをしているのかを伝えるだけで充分で、必ずしもそれを見せる必要はなかった。極端な話、脱ぐのは二階堂ふみだけで良かった。

 

また、その二階堂ふみは煙草を吸い過ぎである。いや、それは構わない。Jovianもかつては喫煙者だった。だが、一度高校生の時に自室のゴミ箱をかなり焦がしてしまい、父親にしこたま怒られた。当たり前である。それ以来、止めはしなかったものの、煙草が怖くなったものだ。そのため、煙草の火の不始末をしでかしたハルナが、煙草をポイ捨てしまくるのには、かなりの嫌悪感を抱いた。

 

総評

暗い青春を送った人にお勧めである。というのは冗談で、若者よりも、むしろ青年や壮年が我が身の青春を振り返ってあれこれ考えるのに適している気がする。雨の日の室内デートにはあまり向いていないので、高校生や大学生カップルは注意されたし。逆に1990年代に高校生だったという層には刺さるだろう。Jovianには一部チクリと刺さった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re annoying.

一郎がガールフレンドの田島に「うるさいなあ!」と切れる時の言葉である。うるさい=noisyなどと短絡的に結び付けてはいけない。ここでは、うるさい=ウザい、である。そして、ウザい=annoyingである。Annoyingはかなり強い不快感を表明する言葉なので、使用する際には注意が必要である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 二階堂ふみ, 吉沢亮, 日本, 森川葵, 監督:行定勲, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

Posted on 2019年10月28日2020年9月26日 by cool-jupiter

空の青さを知る人よ 75点
2019年10月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 吉岡里帆 若山詩音
監督:長井龍雪

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これはJovianの観た限りの邦画アニメでは2019年で1,2を争う良作である。一部で『 天気の子 』とそっくりの構図(それも『 千と千尋の神隠し 』や『 天空の城ラピュタ 』から来ているのだが)があったりするが、全体的に音楽プロモ・ビデオ的だった『 天気の子 』とは違い、ミュージシャンをフィーチャーした本作の方が、より確かな人間ドラマを描いているのは皮肉なものである。つまり、それだけ本作の完成度が高いということである。

 

あらすじ

埼玉県秩父市。相生あかね(吉岡里帆)と相生あおい(若山詩音)の姉妹は両親を亡くして以来、二人暮らし。あかねは18歳の時に恋人のプロのミュージシャンを夢見る慎之介(吉沢亮)の上京にはついて行かず、地元の役所に就職した。そして今、18歳になったあおいは音楽で身を立てるために上京しようとするが、そこに13年前の慎之介の生霊が現れ・・・

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ポジティブ・サイド

良い意味で期待を裏切られた。吉沢亮が出ている作品はだいたい駄作か凡作。吉岡里帆の出ている作品はだいたい珍品。そうした私的ジンクスを2人そろってたたき壊してくれたからである。

 

まずは吉沢亮の意外なvoice actingの上手さに驚かされた。『 二ノ国 』というクソ作品のクソな声の演技や、『 HELLO WORLD 』の至ってオーソドックスでアベレージな声の演技と比較すれば、その技量は際立っている。もしも本職の声優たちが本作で脇を固めていても、これだけハイレベルな声の演技ができるのなら、素人っぽさで浮いてしまうこともなかっただろう。18歳のシンノと31歳の慎之介を演じ分けるだけではなく、キャラクターの表情や仕草に合わせた、今ここではこの声が欲しい、という声を出せていた。監督のディレクションの賜物だろうが、本人の努力もあったはず。『 キングダム 』で秦王・政をシンクロ率95%で演じ切ったが、あれはflukeではなかった。高良健吾の後継者はこの男で間違いない。

 

吉岡里帆の感情を抑えた、控え目な声の演技も見事だった。『 見えない目撃者 』で殻を破ったと感じたが、その印象は誤りではなかった。慈しみや愛情を豊富に感じさせながらも、拒絶する時の声音には芯の強さがあった。これも監督の演技指導と本人の探究心と練習によるものだろう。順調にキャリアを積み重ねていけば、30歳ごろには演技派と呼ばれるようになれるかもしれない。この調子で覚醒を続けて欲しい。

 

あかねとあおい、二人の姉妹が二人の慎之介と相対する時に交錯する想いは何とも複雑玄妙だ。青春をすでに過ごし終えた者とまさに青春を謳歌している者が、それぞれに異なる悲哀を経験するからだ。誰かを好きになるという気持ちは、素晴らしいものだ。だが、それは往々にしてままならない感情でもある。あかねはある意味で閉じた土地に自分を縛りつけ、止まった時間の中に生き続けている。それがあおいから見た姉の姿である。それを引っ繰り返す終盤のシークエンスは、お涙頂戴ものの典型でありながら、それでも万感胸に迫るものがあった。これは男女の複雑な恋模様であるだけでなく、家族愛であり、姉妹愛であり、自己愛の物語だからでもある。

 

ストーリーはドラマチックであるが、終盤では実にシネマティックになる。つまり、画面いっぱいにスペクタクルが展開されるということである。冒頭で述べた『 天気の子 』そっくりな構図がここで描かれるが、浮遊感や爽快感は本作の方が上であると感じた。ここではあいみょんのタイトルソングが絶妙な味付けになっている。彼女の楽曲が最高の調味料なのであるが、それは歌が主役であるということではない。音楽が映像を盛り立てているのであって、逆ではない。『 天気の子 』はこのあたりのさじ加減を誤っていたと個人的には感じる次第である。もしも良作アニメ映画を観たいという人がいれば、本作を強く推したい。

 

ネガティブ・サイド

本作は変則的なタイムトラベルものと言えないこともないが、多くの作品が犯してしまう間違いをやはり犯してしまっている。最大のものは生霊シンノの「あんとき」という表現である。その話のコンテクストを映像で表現しているので気付かなかったのかもしれないが、そこから読み取れるのは、シンノの体感では成長したあおいと出会ってしまったのは18歳のあかねと別れることになってから1日後である、ということだ。昨日のことを自分から、あるいは誰かに求められて説明する時に「あんとき」というのは、違和感のある日本語である。ここは「そのとき」であるべきだったと思う。

 

本作のグラフィックは非常に美しい。一部、実写をそのままフルCG化したようなショットが随所に挿入されていたようだが、そうした美麗なグラフィックがノイズになってしまっていたように思う。公園内の木々や落ち葉のショットが特に印象的だったが、そこあるべき動き、例えばちょっとした風のそよぎなどが、一切感じられなかった。そのため、かえって非常に無機質な印象を与える風景のショットが見られる。『 あした世界が終わるとしても 』では、実際の人間の如くゆらゆら揺れるキャラクターCGが不気味な印象を与えてきたが、本作の風景の一部は美しさと引き換えに生々しさ、リアルさを失ってしまっていた。それが残念である。

 

キャラクター造形で言えば、31歳の慎之介があかねと再会した場面にも違和感を覚えた。帰ってきたくなかった地元で再会したくなかった(多分)初恋あるいは初交際の相手に、あそこまでだらしなく迫るものだろうか。音楽に操を立てて、それが報われなかったからと言って、昔の女に慰めを求めるのは端的に言ってカッコ悪すぎる。同じ夢破れかけた男として、余りに見るのが忍びない。そうか、だからあかねは「がっかりさせないで」と言ったのか。オッサンが見るにはキツイが、ストーリー上は整合性があるシーンである。これは減点対象ではないか。

 

総評

観終わって、実に爽やかな気分になれる。それは本作が人間の心のダークな領域に恐れることなく光を当てているからだ。ダークと言っても、サイコパス的な心理ではない。普段、他人には決して見せない心の在り様を、ある者は人目を憚って、ある者は赤裸々に、スクリーン上で見せてくれるからだ。ビターなロマンス要素あり、優れた楽曲と優れた声の演技があり、カタルシスをもたらしてくれる映像演出もある。中高生から中年ぐらいまで、幅広くお勧めできる上質なアニメである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t like those who say they like me.

 

あおいの「私は私を好きだと言う人は嫌い」という台詞である。those who + Vは、しばしば「~する人々」、「~する者たち」など、誰とは特定せずに一般的な人間全般を指す時に用いられる。書き言葉でも話し言葉でも、どちらでもよく使われる。昔、ハマっていたシリーズ物のゲームのトレイラー

www.youtube.com

でも確認できるので、興味のある人はどうぞ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, ラブロマンス, 吉岡里帆, 吉沢亮, 日本, 監督:長井龍雪, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

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