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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『キャビン』 -クリシェ満載の異色面白ホラー-

Posted on 2018年8月17日2019年4月30日 by cool-jupiter

キャビン 55点
2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:クリステン・コノリー クリス・ヘムズワース アンナ・ハッチソン リチャード・ジェンキンス ブラッドリー・ウィットフォード
監督:ドリュー・ゴダード

夏と言えばホラー映画である。近所のTSUTAYAでおススメの表示があったので、借りてみた。原題は”The Cabin in the Woods”、「森の中の小屋」である。『死霊のはらわた』でお馴染みのシチュエーションである。というか、星の数ほどあるホラーの中でA Cabin in the woodsほど分かりやすい状況も無い。人里離れた小屋の中もしくは周囲で一人また一人と死んでいき、その場の人間は疑心暗鬼になり・・・というやつだ。ところが、本作が凡百のホラーと一線を画すのは、小屋を目指して出発するダンジョンもグループを監視する一味が存在することである。

本作については、プロットを説明することが難しい。理由は主に二つ。一つには、そうする意味が全くないほどホラー映画の文法に則った展開だらけ、つまりクリシェだらけであるから。もう一つは・・・、こればかりは本編を観てもらうしかない。なぜなら、ほんの少しでもその理由を説明すると、それが即、ネタバレになりかねないからである。

 いくつか類縁というか近縁種であると言えそうな作品を挙げると、クライヴ・バーカーの小説『ミッドナイト・ミートトレイン 真夜中の人肉列車 血の本』およびその映像化作品『ミッドナイト・ミート・トレイン』、さらにはアーネスト・クラインの小説を原作とする『レディ・プレーヤー1』などがある。

ホラーが好きでたくさん見ているという、言わば上級者が本作を観れば狂喜乱舞するだろう。一方でホラー映画などは一切観ませんという初心者にも、ある意味で安心して進められる作品である。なぜならホラーの入門編として最適だからである。この辺は上述の『レディ・プレーヤー1』に似ていて、まさか『シャイニング』が重要なパーツを構成しているなどとは、誰も予想だにしなかっただろう。

ここからは白字で。本作は最後の最後にシガニー・ウィーバーが現れ、クトゥルー神話さながらの世界の真実を語るが、残念ながら数多登場する怪物の中にエイリアンは見当たらなかった。しかし、そうなるとすぐに『ゴーストバスターズ』(1984)のデイナに見えてくる。そうすると、ズールに思えてくるから不思議なものだ。エンディングは映画版ではなく小説の『ミスト』(スティーブン・キング)を彷彿とさせる。それにしてもドリュー・ゴダードはよほどこういうのが好きなのだな、と感じてしまう。『クローバーフィールド/HAKAISHA』でも、最後に地球に降って来ていたのは、ヴェノムなのか?と囁かれたり。

まあ、あまり深く考えずにクリス・ヘムズワースの若さやクリステン・コノリーの可愛らしさに注目するだけでも良いだろう。しかしまあ、これを機にホラー映画ファンになった人は、幸せなのやら不幸せなのやら・・・

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, クリス・ヘムズワース, クリステン・コノリー, ホラー, 監督:ドリュー・ゴダード, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『キャビン』 -クリシェ満載の異色面白ホラー-

『オーシャンズ8』 -観る前も観ている最中も頭を空っぽにするように!-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

オーシャンズ8 65点

2018年8月11日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:サンドラ・ブロック ケイト・ブランシェット アン・ハサウェイ ミンディ・カリング オークワフィナ サラ・ポールソン リアーナ ヘレナ・ボナム・カーター
監督:ゲイリー・ロス

オールスターキャストでお馴染みのオーシャンズシリーズ最新作だが、過去作を観ていなくても十分に楽しめるように配慮されている。が、全く配慮されていないところというか、個人的に大いに不満があり、それは最後に白字で書く。まずは小さな不満から。

『オーシャンズ11』をところどころトレースしたかのようなシーンがあるが、11で描かれたような、クルーニーとブラピがある意味二大巨頭になってチームを動かし、それをマット・デイモンがぶち壊しそうになる、というクリシェは本作には無い。『ゴーストバスターズ』(2016)のようなフェミニズム理論丸出しでもないが、それでも主人公のデビー・オーシャン(サンドラ・ブロック)の出所直前の容貌や言動にはツッコミを入れたくなるし、出所直後の行動にははっきり言ってドン引きである。それが作り手の狙いなのだろうが。また盗みの動機も弱い。11にあったような鼠小僧や石川五右衛門的な義賊感が無いのだ(そんなもんはどうでもいい、というツッコミは覚悟している)。

ここからは良かった点を。ルー(ケイト・ブランシェット)の登場するシーン全てである。『シンデレラ』では優しく意地悪な継母を、『マイティ・ソー バトルロイヤル』では不敵な死の女神を、本作では聡明さと行動力を持ち合わせるスカウトを完璧に演じている。クルーニーとブラピの間にあったものとは異なる種類のケミストリーを、デビーとルーの間に生み出せているのは、ブランシェットの卓越した演技力に依るところが大きい。男同士の友情や絆は(表面上は)簡単に描写できる。女同士となるとそこにドロドロとした要素を感じさせなければならない。盗みの動機にカネ以上というかカネ以外のものがあるデビーはどこまでも平静を装うが、そんな彼女に迫るルーはブラピ以上にクールだ。

そして今回のターゲット、ダフネ・クルーガー(アン・ハサウェイ)である。ハリウッドでも来日時に振る舞いでも、アンチやヘイトを生み出し続ける彼女であるが、そんな自分自身をdisるような台詞や演出がそこかしこに散りばめられており、思わずニヤリとさせられる。『シンクロナイズド・モンスター』では、飲んだくれのダメ女を演じていたが、普通に美人過ぎてアル中のダメさ加減が少し薄まってしまっていた。しかし、本作では衣装やメイクの力、そして本人の意識的な演技もあるのだろうが、非常に milfy に映った(気になる人だけ、意味を調べてみよう)。ジョディ・フォスター超えも見えてきた。

映画全体を見渡せば、『セックス・アンド・ザ・シティ』的要素あり、『クリミナル・マインド FBI行動分析課』的要素ありの、どちらかと言えば映画よりもテレビドラマを思わせるテンポの良さ。クリエイターがオリジナリティを発揮する場が、映画からテレビそしてインターネットの世界に移行しつつある中、振り子が今後はどちらに振れて行くのか、気になるところではある。カジノとは一味違う華やかさの中、一方で非常に洗練された方法で、他方では非常に泥臭い方法で盗みを着実に実行していくところはオーシャンズに忠実であった。お盆休みが暇だなという向きには、劇場に足を運んでみよう。

さて、最後に配給会社やプロモーションへ一言。『オーシャンズ8』というタイトルから主役が8人=アン・ハサウェイも一味である/になる、というのはあまりにも簡単に予想できることであるが、なぜそのことを殊更に強調するようなポスターやパンフレットを作りまくるのか。『Newオーシャンズ』とか『オーシャンズ ファースト・ミッション』(どうせ9や10も作る気だろう)のようなどこぞのパクリ的タイトルでも良いから(本当はダメだが)、何らかのネタバレへの配慮が必要という判断は出来なかったのだろうか。こうした展開が観る前から読めてしまうと、他にもたくさん盗んでましたというどんでん返しのインパクトが弱まってしまう。細かいことかもしれないが、そういうことを気にする映画ファンも一定数は存在するのである。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アン:ハサウェイ, クライムドラマ, ケイト・ブランシェット, サンドラ・ブロック, 監督:ゲイリー・ロス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『オーシャンズ8』 -観る前も観ている最中も頭を空っぽにするように!-

『JUNO ジュノ』 -妊娠することと母親になることは同義ではないし、妊娠は属性であって人格ではない-

Posted on 2018年8月9日2019年4月30日 by cool-jupiter

JUNO ジュノ 75点

2018年8月2日 レンタルDVD観賞
出演:エレン・ペイジ マイケル・セラ ジェニファー・ガーナー ジェイソン・ベイトマン アリソン・ジャネイ J・K・シモンズ オリビア・サールビー
監督:ジェイソン・ライトマン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180809174818j:plain

『センセイ君主』に我々は『3年B組金八先生』へのオマージュを見出したが、やはりかの伝説的テレビドラマで最も印象に残るエピソードの一つは「十五歳の母」であろう。日米の文化の差や時代の違いもあるが、10代の妊娠が軽い事柄でないことだけは確かだ。そうした時、妊婦はどうするのか、妊娠させた相手の男は何をすべきなのか、友人は?教師は?家族は?地域社会は?金八先生を用いての比較文化論は、実際にどこかの日本の中学か高校に任せたいが、本作のような映画こそ夏休みに入る前の中高生たちに観てほしいと願うし、学校関係者も訳の分からん長広舌を振るったり、やっつけ仕事の冊子を渡すぐらいなら、真剣に映像授業というものを考えるべきだ。特に日本の現場(の先生方はまあまあ頑張っているが)を監督する側の石頭連中に対して、切に願う。

16歳のジュノ(エレン・ペイジ)は親友のポーリー(マイケル・セラ)と成り行きでベッドイン、一度のセックスで妊娠してしまった。産むべきか、産まざるべきか。それが問題である。産むとなると、父親(J・K・シモンズ)や継母(アリソン・ジャネイ)の手を借りるのか、借りないのか。自分には小さな妹がいるが、両親は自分の妊娠と出産を喜んでくれるのか、歓迎してくれないのか。変わらないのは親友リア(オリビア・サールビー)だけなのか。ジュノは冷静に考え、中絶を選択することを決断する。しかし、クラスメイトのスー・チンが中絶クリニック前で一人シュプレヒコールをしているところに出くわし、わずかに心が揺れる。妊娠何週目かを知ったスー・チンの言う「もう胎児には爪が生えている」という言葉に、自分を重ね合わせるジュノ。彼女が命に人格を見出した、非常に印象的なシーンである。

ジュノはならばと、里親を探す選択をする。そして理想的な夫婦をローカル・コミュニティ誌で見つけ出す。ヴァネッサ(ジェニファー・ガーナー)とマーク(ジェイソン・ベイトマン)である。実際に出会ってみると、確かに理想的な夫婦で、ジュノは里親に彼らを選択するのだが・・・

本作を名作たらしめているのは、何と言っても主人公ジュノの型破りなキャラクターである。70年代のパンクロック好きで、B級ホラー映画好きで、ギターはGibsonかFenderかに一家言あり、しかし、テイストの異なるスプラッターも受け入れるだけの柔軟さも持ち合わせている。物語のある時点からマークが乱心するのだが、男はなかなか父親になれないのだ。一方で、女性は母親になっていなくても、母親になれる。想像妊娠という現象は動物にも人間にも現実に見られる生理学的反応なのである。『スプリット』で心理カウンセラーが「多重人格者は脳内物質の力で人体そのものも変化させてしまう可能性がある」と言うシーンがあるが、想像妊娠というのは確かに上の言を裏付けている。男の狼狽というか、頼りなさ、情けなさについては漫画『美味しんぼ』で山岡およびその友人一味が、マークとよく似た(しかし、それほど深刻ではない)症状を呈するというエピソードがどこかにあったが、何巻のどこかを探す気にならない。

もちろん、出てくるキャラクターは全て魅力的な味付けがなされており、特に強面のJ・K・シモンズがジュノに父親としての愛の深さを淡々と語る場面は観る者の胸を打つし、妊娠の相手がポーリーであると知った時に「次に会った時にはアソコをぶん殴ってやる(punch the kid in the weiner)」と言ったのは極めて正常な父親としての反応だ。そして継母のブレンは、アリソン・ジャネイそのままの迫力で、超音波検査技師に凄む。このシーンは圧倒的な迫力で我々に迫って来る。10代で妊娠、出産する家庭は劣悪な環境であるというバイアスを我々はいとも簡単に形成してしまうが、それこそが男がなかなか父親になれないマインドセットの裏返しである。人は変われるし、変わるべきである。そして妊娠というのは、決して女性が母親になるための儀式や生理現象であるとも本作は言っていない。Jovianは実際にとある産婦人科の女医先生に教えてもらったことがある。先生曰く、「妊娠は通常ではないが、正常であって、決して異常ではない」と。10代の妊娠、そして出産を考える時、変わるべきものは何なのか、変わる必要の無いものは何なのか。これらの問いに一定の答えを提示する本作は、若い中高生たちのみならず、結婚を考えているカップル、子作りを計画している夫婦、孫の世話を焼きたいと気を揉む高齢者など、見る人によって様々に異なるヒントを得られるはずだ。時代や地域を越えて観られるべき傑作である。

ちなみに本作と全く裏腹の、妊娠していないのに(実際は妊娠したのを中絶した)妊娠している振りをする15歳のミランダを主人公とする傑作ミステリ・サスペンスの『泣き声は聞こえない』(シーリア・フレムリン著)も余裕があれば手に取ってみてはいかがだろうか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, アリソン・ジャネイ, エレン・ペイジ, ヒューマンドラマ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『JUNO ジュノ』 -妊娠することと母親になることは同義ではないし、妊娠は属性であって人格ではない-

『プラダを着た悪魔』 -何かを手に入れるだけがサクセス・ストーリーではない-

Posted on 2018年8月8日2019年4月26日 by cool-jupiter

プラダを着た悪魔 80点

2018年8月1日 DVD鑑賞
出演:メリル・ストリープ アン・ハサウェイ エミリー・ブラント スタンリー・トゥッチ
監督:デビッド・フランケル

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恥ずかしながら10年ぐらいDVDを寝かせたままにしておいたのだが、遂に鑑賞した。非常によくできた話で、『ブリジット・ジョーンズの日記』と並んで世界中の女子の支持を得るのもむべなるかなと思う。

ライター志望のアンドレア・サックス(アン・ハサウェイ)は、全世界のお洒落女子垂涎のポジション、すなわちファンション誌『ランウェイ』編集部に就職を果たす。しかし、そこには鬼編集長のミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)がおり、アンドレアは押し寄せる仕事量と小言と嫌味と無理難題に振り回されていく。同僚のエミリー(エミリー・ブラント)やナイジェル(スタンリー・トゥッチ)らと共に働く中で得るものは大きかった。しかし、私生活では失われるものもあり、アンドレアの人生は大きな岐路を迎えることとなる・・・

 あらすじだけ見ればありふれた話に思えるし、実際にありふれている。しかし、10年以上前の映画ということを考えれば、そうした見方を変えざるを得なくなる。フェミニズム理論というものがある。『センセイ君主』に見られた間テクスト性の提唱者の一人でもあるジュリア・クリステヴァも、そうした理論の構築に大きく寄与している。主に文学の分野での運動だったが、これは何かと言うと、神話やおとぎ話を現代の視点から読み解き、さらにはフェミニズムの観点から読み替えようという試みである。脱構築という言葉は、文系学生である/だったという人であれば聞いたことはあるだろう。すでに完成された、静的とされるものを一度壊して再構築する試みである。おそらく一番分かり易いテキストはエマ・ドナヒューの『Kissing the Witch: Old Tales in New Skins』だろう。英語に自信のある人は読んでみよう。ちなみにドナヒューは、『ワンダー 君は太陽』でも喝采を浴びた天才子役ジェイコブ・トレンブレイの『ルーム』の原作者/脚本家でもある。

Back on track. これまでのエンターテインメント作品(小説や映画)はしばしば、女性を受け身の立場で描いてきた。男の主人公が奮闘し、最後には愛を告白し、ヒロインを抱擁し、キスして終わる。そんな映画を我々は前世紀に数限りなく観てきたし、また観させられもしてきたのである。おそらく映画史においてフェミニズム理論を最初に反映させたメジャーな作品は『エイリアン』シリーズ(リプリー)と『スター・ウォーズ』シリーズ(レイア姫)であろう。そうして蒔かれた種が、ある意味で一気に芽吹いたのが2000年代以降と言えるのかもしれない。分かり易い例を挙げれば『スノーホワイト/氷の王国』や『高慢と偏見とゾンビ』か。最も露骨なのは『ゴーストバスターズ』(2016年版)であろう。『ハンガー・ゲーム』シリーズや『バイオハザード』シリーズも当てはめていいかもしれない。男に助けられる女、麗らかに存在をアピールする女ではなく、自分の居場所を戦って勝ち取る者である。単に主人公が女性であるというだけではダメである。そうした意味では、実は『ブリジット・ジョーンズの日記』は古いタイプの物語だったのである!

本作のアンドレアはファッションセンス、人も羨む仕事、友情や恋人、背徳的な関係など、ある意味では全てを手に入れるキャリアー・ウーマンに成長する。ブルゾンちえみの提唱するキャリアウーマンとはかなり趣の異なる強かな女性である。しかし、最後には手に入れたものをあっさりと捨ててしまうという“自由”を手に入れる。女性の成功の陰にはよき理解者の男がいたという批判を一部で浴びたのが『ドリーム』であるが、それは時代がもっともっと昔のことであるから、批判しても詮無いことである。本作はメリル・ストリープという大御所とアン・ハサウェイという(当時の)Rising Starのケミストリーによって、映画史の一つの大きなマイルストーンになった。今までなんだかんだで本作を観てこなかった我が目の不明を恥じ入るばかりである。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, アメリカ, アン:ハサウェイ, エミリー・ブラント, ヒューマンドラマ, メリル・ストリープ, 監督:デビッド・フランケル, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『プラダを着た悪魔』 -何かを手に入れるだけがサクセス・ストーリーではない-

『ミッション:インポッシブル フォールアウト』 -今こそスパイの原点に立ち返るべきか-

Posted on 2018年8月6日2019年4月25日 by cool-jupiter

ミッション:インポッシブル フォールアウト 60点

2018年8月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:トム・クルーズ ヘンリー・カビル レベッカ・ファーガソン サイモン・ペッグ 
監督:クリストファー・マッカリー

プルトニウムを奪ったテロ組織がマッドサイエンティストを使って、核兵器製造および使用を企てる。『アメリカン・アサシン』を挙げるまでもなく、ソ連崩壊から現代に至るまで、数限りなく生産されてきた物語である。そして上の記事でも触れたように、スパイ映画における上司や同僚という関係には、常に裏切りの可能性が示唆される。トム・クルーズは余りにもイーサン・ハントであるが、チャーリー・マフィン的な要素をもう少し持たないと、スパイなのか軍人なのか、区別がつかなくなってくる。

かなりネタ切れ感が強い。はっきり言って見せ場は全てトレーラーで描かれている。何故にこんなことをするのか。とにかく劇場に来てもらってチケット代だけ払ってもらえればよいと思っているのか。いや、さすがにこれは言葉が激しすぎたか。しかし、続編を作る気満々の終わり方だが、スパイ映画の面白さに立ち返らないと尻すぼみになるよ。リアリティの無いハラハラドキドキ満載アクションよりも、冷や汗がたらりと頬を伝い落ちるような感覚を味わわせてくれる映画を作っておくれ。ヘリコプター操縦の訓練を積んで云々や、パラシュート降下を何回も何回も繰り返して云々というのも雑音だ。これだけCGが発達した時代に、手間暇をかける意味は確かにあるだろうし、逆にここまでCGが発達しても、見た瞬間に「あ、これはCGだな」と分かるものは分かってしまう。本物の素材を映すことは確かに重要で意義あることではあるが、それが面白さや観客の満足度につながるかと言えば、必ずしもそうではない。そのことは『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』の飛行機墜落シーンと、その映画そのものの評価から身に沁みて分かったのではなかったか。さらにキャスティング上のミスも。『アンロック 陰謀のコード』と同じミスをやらかしている。しかし、こうしたミスは『ビバリーヒルズコップ3』の頃からあるのだ。

とネガティブな評価はここまで。ここから先はポジティブな評価も。IMFのチームワーク!これはもう完全に熟成され、円熟の域に達している。サイモン・ペッグやビング・レイムスとは、もはや旧友であるかのように感じてしまう。『スター・ウォーズ』のオリジナル・キャストとまではいかないが、もはやこのメンツでなければ生み出せない空気というのが確かにそこにある。そしてトム・クルーズ! 爆風スランプの“RUNNER”も斯くやの爆走を見せる。御年とって五十数歳。サ〇エ〇ト〇ジーへの傾倒を除けば、理想的な中年であろう。

マンネリズムから逃れることが難しいシリーズ物ではあるが、今作ではあらためてイーサン・ハントの人間性が掘り下げられるシーンがある。逆にそれが次作への大いなる伏線になっていることを窺わせる展開もある。シリーズ総決算も近いかもしれない。色々と文句をつけてきたが、スパイ映画であるということを一度頭から追いやってしまえば、単純に手に汗握る展開を2時間超楽しむことができる。トム様ファンなら観ておいて後悔はしないだろう。

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, アメリカ, サイモン・ペッグ, トム・クルーズ, ヘンリー・カビル, レベッカ・ファーガソン, 監督:クリストファー・マッカリー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『ミッション:インポッシブル フォールアウト』 -今こそスパイの原点に立ち返るべきか-

『ラ・ラ・ランド』 -LAの街に夢を見る者たちの苦悩と幸福の物語-

Posted on 2018年8月4日2019年11月28日 by cool-jupiter

ラ・ラ・ランド 55点

2018年8月1日 WOWO録画観賞
出演:ライアン・ゴズリング エマ・ワトソン J・K・シモンズ ローズマリー・デウィット ソノヤ・ミズノ 
監督:デイミアン・チャゼル

『セッション』のJ・K・シモンズ演じるフレッチャーに違う形で再会してみたいと思い、本作を見返す。タイトルの『ラ・ラ・ランド』は、原題でも“La La Land”、LA=Los Angelesでもあり、現実から遠く離れたファンタジーの世界であり、そうした世界に住まう恍惚感を表わすTriple Entendreなのである。

ジャズ・ピアニストとして自分の店を持ちたいと願うセブ(ライアン・ゴズリング)と女優として大成したいと望むミア(エマ・ワトソン)は、最悪の形で出会いながらも、互いの夢へのリスペクトから惹かれ合うようになる。しかし、夢を追いかけるミアと、ミアとの将来のために、ジャズの店ではなく売れ筋バンドでの演奏を選択するセブは、すれ違い始める・・・

主題は至ってシンプルである。しかし、我々に投げかけられる問いは重く深い。男と女、お互いの夢を追求することがお互いの関係を疎遠にしてしまう時、自分なら何を選択するのか。相手の夢を叶えるサポートをしたいと心から願うのか。そのためには自分の夢をあきらめることも厭わないのか。しかし、自分が夢をあきらめることを、自分のパートナーが認めてくれない時、自分はどうすればよいのか。何もミュージシャンや俳優志望でなくとも、普通に誰にでも起こりうる事象である。Jovian個人としては、ミアが最後に夢見たラ・ラ・ランドのあまりの都合の良さに正直なところ、辟易してしまったが、逆にそうした一瞬のまどろみの中に見出した、ありうべきだった幸福な生活のビジョンこそが、観客へのメッセージだとの見方も成り立つ。夢よりも現実の幸せを選べ、と。いや、セブが最後に見せた一瞬の表情の陰りこそがメッセージなのかもしれない。自分こそが彼女の夢の後押しをしてしまったのだ、と。いずれにせよ、歌と踊りに彩られた華やかさの裏には、ほろ苦い悔恨の念がある。様々な意味を持つラ・ラ・ランドという言葉だが、本作が最も提示したかった意味はファンタジー世界のことだったのかもしれない。

J・K・シモンズは、『セッション』のノリと同じく、口うるさいレストランの支配人で、ジャズを何よりも愛するセブに、クリスマス・ソングを演奏しろとプライドを傷つける要求をする。セブのちょっとした反骨心に火がついてしまった時には、あっさりとクビを言い渡す。ほんのちょっとしたやり取りに、フレッチャーの姿がちらついてしまうのは、それだけの怪演、本人からすれば会心の演技だったからだろうか。

それにしても本作はゴズリングに尽きる。「ジャズは死につつある!」と、まるで「哲学は死につつある!」などと叫ぶ真面目過ぎる学徒の如く熱弁を振るう様に、究極的なギークの姿を見出せるが、それを微塵も感じさせず、逆に女性を惹きつけてしまうのだから大したもの。『博士と彼女のセオリー』でも、花火を見ながらホーキングが物理学を語って、女性を口説くシーンがあったが、ギークであっても、いや、ギークだからこそ惹きつけられる女性もいるのか。共通点は、どちらの映画でもヒロインは結局主人公の元を去ってしまうということ。

色々と示唆に富む映画で、観るたびに発見がありそう。『グレイテスト・ショーマン』とは違って、囁くような、呟くような歌が多いのもポイント高し。TOHOシネマズ梅田のDOLBY ATMOSでいつか再上映やってくれないかな。2800円でもチケット買うよ。

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, エマ・ワトソン, ミュージカル, ライアン・ゴズリング, 監督:デイミアン・チャゼル, 配給会社:ギャガ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『ラ・ラ・ランド』 -LAの街に夢を見る者たちの苦悩と幸福の物語-

『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』 -どこかの国の政治家および官僚は絶対に観るべき作品-

Posted on 2018年8月2日2019年4月25日 by cool-jupiter

ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 65点

2018年7月31日 レンタルDVD観賞
出演:アンソニー・ウィーナー フーマ・アベディン
監督:ジョシュ・クリーグマン エリース・スタインバーク

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*ネタバレに類する記述あり

血気盛んに議会で熱弁を振るい、政敵を舌鋒鋭く口撃するウィーナー下院議員。民主党の次代の顔として、国民からの支持と期待を集めていた気鋭の若手政治家はセクスティング・スキャンダルで一挙に失脚。デジタル時代、インターネット時代を象徴するスキャンダルであったと言えよう。しかし、この映画の見どころは、主人公アンソニー・ウィーナーの惨めな落ちっぷりではない。落ちるところまで落ちて、後は上がるだけというところからまた落ちる。しかし、それでも懲りずに上がろうと足掻くウィーナーに、呆れる者もいれば、感心する者もいるはずだ。各々がそれぞれに感じ入ればそれで良いのだが、現代日本に暮らす我々には、非常に示唆に富む内容になっていた。彼のミスとそこからのリカバリーを見てみよう。

まず、もっこりブリーフの下半身写真をTwitterで見られるようにしてしまった、というのが彼の第一のミス。そして初動で、その写真が自分のものかどうかは定かではないと言ってしまったのが第二のミス。さらに、即刻辞任することを拒否(後に撤回し、辞任を正式に表明)したのが第三のミス。そして最大のミスは、妻に「実は他にもまだあるんだ」と打ち明けられなかったことであった。このあたりのミスの連鎖は、まるでどこかの国の名前を冠した大学のアメリカンフットボール部責任者にそっくりである。危機管理がまるでなっていない。いや、もっとダイレクトに日本の政界にウィーナーのcounterpartを求めるなら、それは宮崎謙介となろう。ゲス不倫+クソ&キモLINEでワイドショーを賑わせたあの男、またはもう少し真面目な方面から言えば、国会議員として育児休業を取ろうとしたことで世間に議論を巻き起こした男、と言えばピンとくる諸兄も多いのではなかろうか。それにしてもNew York Postの見出しの数々よ。”HE’S GOT SOME BALLS”、”HARD TIME!”、”WEINER EXPOSED”、”NAKED TRUTH”などなど。日刊ゲンダイあたりも、権力批判をやるのならもう少しウィットに富む方法でやってほしいと思わされる。

ウィーナーはここから劇的なカムバックを見せ、ニューヨーク市長選に立候補する。ゲイパレードを先導するし、自転車や地下鉄でニューヨークを駆け回り、MBWA(Management By Walking Around)を忠実に実行し、着実に市民の支持を取り付けて行く。またアメリカには”Everybody should be given a second chance.”もしくは”Everybody deserves a second chance.”という格言がある。一度はミスしても、誰もが二度目の機会が与えられてしかるべきだという考え方が一般的なのである。これを忠実に体現したウィーナーは一時は支持率トップに躍り出るも、ここで更なる激震が。ある意味では『女神の見えざる手』に匹敵するような激震である。今度は、モロ出し写真を複数女性に送信していたことがばれてしまったのである。Watergate事件ならぬWeinergate事件である。アホとしか言いようがないのだが、ウィーナーが仮にも許されたのは、前述したような、再起を歓迎するアメリカ的な考え方と、それ以上に妻による赦しがあったからだ。この妻こそ、フーマ・アベディンその人で、ヒラリー・クリントンの国務長官時代から大統領選挙運動に至るまでの右腕であった人物である。言うまでもなくヒラリーの夫はビル・クリントン元大統領であり、そのヒラリーも夫がモニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」を持ったことを赦した(というか揉み消しに走った)ことで知られている。ただし、二度目は無い。二度目は無いのである。

Jovianは十数年前、衆議院議員の伊藤達也(自民党)とソフトボールをしたことがある。その時に印象的だったのが、めちゃくちゃフレンドリーな人であると印象付けようと頑張っているところと、バックネット裏で地元有力者に説教を喰らってペコペコしていた姿である。普通、政治家は地元の有権者、それも有力者にはへいこらするものだ。しかし、ウィーナーは、失うものの無い強みか、市民にも平気で論戦を吹っかける。妻がアラブ系であることを揶揄した男に詰め寄る様、自分を否定しても構わないが、支持者まで否定するなと一喝する様は圧倒的である。この時からウィーナーはエスニック・マイノリティの支持を集め始めたようだ。

結果としてウィーナーは落選するのだが、彼という存在は我々に様々な問いを突き付けてくる。現在の日本の政治状況に絡めて言うなら、「個人の性的な嗜好と個人の能力には関連があるのか」、「性的な志向と個人の存在意義に関連があるのか」などの問いが即座に思い浮かぶ。杉田水脈なる人格・識見ともに政治家として劣るとしか思えない人物の妄言を放置する政権与党の姿勢に、彼ら彼女らが創り出そうとする『美しい国』の正体が透けて見える。もちろん、そんな大袈裟に考えることなく、「あちらのメディアはたくましいなあ」、「ニューヨークには色んな人種や性的マイノリティがいるなあ」などの感想を持つだけでも良い。この男の姿を一面からだけ捉えようとすれば、それだけで失敗であろう。選挙ドキュメンタリーとしても楽しめるし、人生訓にもなりうる。2013年の選挙のことであるが、古さを全く失っていない。いつ見ても発見がある作品に仕上がっていると言える。特に、スキャンダル続出の自民党や財務省、文科省のお歴々に是非とも観てほしい作品に仕上がっている。本音でそう思っている。なぜならウィーナーは本当に懲りない男だからだ。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アンソニー・ウィーナー, ドキュメンタリー, フーマ・アベディン, 監督:エリース・スタインバーク, 監督:ジョシュ・クリーグマン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』 -どこかの国の政治家および官僚は絶対に観るべき作品-

『ウインド・リバー』 -忘却と抑圧の歴史を現在進行形で提示する傑作- 

Posted on 2018年7月31日2020年2月12日 by cool-jupiter

ウィンド・リバー 80点

2018年7月29日 シネ・リーブル梅田にて観賞
主演:ジェレミー・レナー エリザベス・オルセン ジョン・バーンサル
監督:テイラー・シェリダン

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最初にキャスティングを観た時は、何かの冗談だろうと思った。ホークアイとスカーレット・ウィッチで何を作るつもりなのだと。しかし、テイラー・シェリダンは我々の持っていた固定観念をまたしてもいともたやすく打ち砕き、『羊たちの沈黙』、『セブン』の系譜に連なるサスペンス映画を世に送り出してきた。それが本作『ウインド・リバー』である。

アメリカ・ワイオミング州のウィンド・リバー地区で少女の死体が見つかる。場所は人家から遠く離れた雪深い森林近く。発見者はコリー・ランバート(ジェレミー・レナー)、地元のハンターである。捜査のためにFBIから新米エージェントのジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)が送り込まれてくる。ジェーンは地元の地理や人間関係に精通し、何よりも雪を読む力を有するランバートに捜査の協力を依頼する。そして二人は事件の真相を追っていく・・・

あまりにも広大なワイオミング州に限られた人員、しかし捜査は拍子抜けするほどあっさりと進んでいく。なぜなら、この土地の人口密度の希薄さとは裏腹に、人間関係の濃密さは反比例しているからだ。さらにこの土地には『スリー・ビルボード』のような地方、田舎に特有な閉鎖的人間関係のみならず、ネイティブ・アメリカン居留地であるという歴史に由来する抑圧への憤りが静かに漂っている。それは主人公のランバートにしても同じで、彼の家族との関わり、殺された娘の両親との関わりから、我々は実に多くの背景を悟ることができる。何もかも分かりやすく会話劇やナレーションで説明してしまう映画が多い中、これほど画で語る映画に出会えたのは僥倖だった。ただし、ネイティブ・アメリカンと独立国家アメリカとの関わりの歴史を知らなければ、少し理解が難しいかもしれない面はあった。『焼肉ドラゴン』についても、日本が朝鮮半島を植民地化した歴史を知らなければ、理解が追いつかない部分があったのと同様である。ネイティブ・アメリカンの強制移住、就中、涙の道=The Trail of Tearsの話は、怒りと悲しみ無しに知ることはできないので、興味のある向きはぜひ調べてみてほしいと思う。

本作を特徴づけているのはその狭く濃密な世界観だけではなく、主人公ランバートの雪読みの能力。小説『スミラと雪の感覚』のスミラを彷彿とさせるキャラクターである。このスミラも、デンマーク自治領グリーンランドで生まれ育ったイヌイットの混血児で、デンマーク社会を複雑な視線で見つめるキャラクターで、ランバートとの共通点が多い。雪という自然現象が本作『ウインド・リバー』の大きなモチーフとなっており、観る者は雪の持つ美しさだけではなく、命を容赦なく奪う冷徹性、あらゆるものの痕跡を掻き消してしまう暴力性、なにもかもを一色に染めてしまう無慈悲さを見せつけられる。特に雪が一面を白に染めてしまうという無慈悲さは、そのままずばりアメリカの歴史の負の側面を象徴している。近代国家として成立したアメリカの歴史は端的に言えば、対立と融和の繰り返しだ。植民地と宗主国との対立と融和、弱小州と強大州の対立と融和、自然と文明の対立と融和、エリートとコモン・ピープルの対立と融和、男性と女性の対立と融和、白人種とその他人種の対立と融和、そしてネイティブ・アメリカンとアメリカンの対立と融和。しかし、これらの歴史がすべて今も現在進行形であるということに我々は慄然とさせられる。そうした差別と被差別の関係が今も残っていることにではなく、我々が普段、いかにそうした抑圧された側を慮ることが無いのかを突きつけられるからだ。雪が染め上げる大地は、白人に無理やり染め上げられるネイティブ・アメリカンの悲哀のシンボルであろう。

閉鎖社会の中でさらに抑圧された存在として描かれるネイティブ・アメリカンの女性は、我々に忘却することの残酷さを否応なく突き付けてくる。ジェレミー・レナーが被害者の娘の父親に語る彼自身の逸話は胸に突き刺さる。我々が初めてこの父親を目にする時、どこか無機質で非人間的とも思える印象を受けてしまうのだが、そうしたイメージをいかに容易く我々が形成してしまうのは何故なのか、そしてそうしたイメージを一瞬で粉々に打ち砕くようなシークエンスがすぐさま挿入されるところに、テイラー・シェリダンの問題意識が強く打ちだされている。人間とは何であるのか、人間らしさとは何であるのか。傑作SF『第9地区』でも全く同じテーマが問われているのだが、我々は人間であることを簡単に忘れ、獣に堕してしまう。そんな獣を撃ち抜くランバートとともに、本作を堪能してほしい。今年、絶対に観るべき一本である。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, エリザベス・オルセン, ジェレミー・レナー, ジョン・バーンサル, ヒューマンドラマ, 監督:テイラー・シェリダン, 西部劇, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『ウインド・リバー』 -忘却と抑圧の歴史を現在進行形で提示する傑作- 

『セブン・シスターズ』 -七姉妹がシェアするアイデンティティが壊れる時-

Posted on 2018年7月28日2020年2月13日 by cool-jupiter

セブン・シスターズ 60点

2018年7月26日 レンタルDVDにて観賞
出演:ノオミ・ラパス グレン・クローズ ウィレム・デフォー
監督:トミー・ウィルコラ

原題は”What happened to Monday?”、「月曜日に何が起こった?」である。時は2073年、人口の爆発的増加により、水や食料、エネルギー資源のシェアが困難となり、戦争や紛争が頻発。それにより国家は衰退したものの、科学技術は進歩。より生産性の高い農作物を創り出すことに成功した。しかし、それは両刃の剣で、それを食べた女性は多胎児を妊娠するようになってしまった。ヨーロッパ連邦は人口管理の重要性を唱え、「一人っ子政策」を厳密に実施していた。二人目以降の子どもはクライオ・スリープにより、資源問題が解決される未来に目覚めることになっていた。そんな中、テレンス・セットマン(ウィレム・デフォー)は疎遠になっていた娘の出産に立ち会っていた。娘は七姉妹を出産、そのまま死亡した。残されたテレンスは秘密裏に孫娘たちを育てる。一人が指の先端を切断する怪我を負ってしまった際には、心を鬼にして残りの六人全員の指先を包丁で切り落としたほどである。そして娘たちが30歳(ノオミ・ラパス)に成長した時、祖父はもはやいなくなっていたものの、それぞれがその世界では一人のカレン・セットマンとして銀行員として働いていた。そして月曜日がある日、帰ってこなかった・・・

古くは『ソイレント・グリーン』、やや古いものでは『マイノリティ・レポート』、近年では『ハンガー・ゲーム』や『インターステラー』に見られるようなディストピアは、ありふれてはいるものの、ユニークな世界観を構築することができていた。食糧不足、生体情報管理社会、独裁者による体制・権力の維持などと書いてしまえば陳腐そのものだが、七姉妹が各曜日ごとに一人の人間を演じきるという点に、本作の独自性がある。一卵性の多胎児なので同一の遺伝子を有しているにもかかわらず、この月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日はそれぞれに実に個性的である。ある者はコンピュータ・ギークであり、ある者は格闘技に精通している。ある者は便器に嘔吐し、ある者はシャワーを浴びながら官能的な台詞を口にする。それぞれが互いに反目することもあるものの、協力しながら日々を過ごしていた。しかし、月曜日が帰ってこなかった日を境に、彼女らは自分たちの身に何かが起きつつあることを知る。そして、月曜日に何が起こったのかを追究していく。

なぜ月曜日は消えたのか。なぜ姉妹の連帯は破られたのか。本作を観賞する前に、ここのところを考え抜けば、ひょっとすると本編を見ずして真相に迫れる人もいるかもしれない。というか、このレビューもこの時点で、すでに重大な情報をバラしてしまっているわけだが、果たして貴方もしくは貴女は気付いただろうか。なにはともあれ本作を観賞してほしい。Jovian自身もシネマート心斎橋で観賞をしたかったが、スケジュールが合わずに劇場で観賞できなかったことに悔いが残る作品だった。『プロメテウス』以上のセクシーシーンから、『アンロック/陰謀のコード』並みのアクションシーンまであり、決して観る者を飽きさせない。あまりの気温の高さに外で遊んでいられないという向きは、レンタルやネット配信でどうぞ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SFアクション, アメリカ, イギリス, ウィレム・デフォー, ノオミ・ラパス, フランス, ベルギー, 監督:トミー・ウィルコラ, 配給会社:コピアポア・フィルムLeave a Comment on 『セブン・シスターズ』 -七姉妹がシェアするアイデンティティが壊れる時-

『セッション』 -責める者と攻める者の一体化がもたらす究極のカタルシス-

Posted on 2018年7月27日2020年1月10日 by cool-jupiter

セッション 70点

2018年7月23日 WOWOW録画観賞
出演:マイルズ:テラー J・K・シモンズ
監督:デイミアン・チャゼル
製作総指揮:ジェイソン・ライトマン

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  • ネタバレに類する記述あり

原題は”Whiplash”、鞭打ちとジャズの名曲のタイトルのダブルミーニングである。または、第三の意味を持つTriple Entendreなのかもしれない。文字通り、鞭で打つが如くの言葉の暴力と折檻を繰り返す音楽学校の鬼教官テレンス・フレッチャー(J・K・シモンズ)と世界一のジャズドラマーになることを志す若きアンディ・ニーマン(マイルズ・テラー)。アンディの青春というか、ボーイ・ミーツ・ガール的展開もあるが、安心してほしい。すぐに終わる。というかアンディが終わらせる。君と会う時間も惜しい、練習をしたい、君と会ってもケンカを繰り返すばかりになってお互いに気まずくなる、だから今のうちにきれいに別れよう。それがアンディの言い分である。アホである。ドラム馬鹿である。よく失うものが何もない者は強いと言われるが、果たしてそうだろうか。守るものを持っている者の方が強いと思われる例も多々あると思うが。本作はそうした命題にも一つの答えを提示する。非常に興味深い答えである。

鬼教官と夢見る学生のぶつかり合いと言えば聞こえは良いし、激しいぶつかり合いが互いへのリスペクトにいつしか昇華するのだろうと予想するのはいとも容易い。しかし冒頭から物語が描き出すのはフレッチャーによる一方的な虐待である。正しくはアンディとフレッチャーの出会いの二日目からというべきだろう。フレッチャーの第一印象は、少なくともアンディにとってはすこぶる良かったからだ。フレッチャーはアンディのドラムの腕を認め、血筋や親の教育にその才能の源泉を求めたがるが、フレッチャーは音楽一家の生まれ育ちではない。それゆえに音楽学院の教授に、ある意味で見初められたのは、望外の僥倖だったことだろう。そして、翌日から、彼は地獄の責め苦を味わわされる。

その責めの苛烈さは実際の映画を観てもらうしかない。これまでJ・K・シモンズと言えば、色んな映画に脇役として色彩を添えることが多かった。最も印象的なのはサム・ライミの『スパイダーマン』シリーズの編集長だろう。『サンキュー・スモーキング』でも主人公のエッカートの上司として、ウィリアム・H・メイシーと共にどこかで観たことあるオッサンを好演していた。これらの役どころでは、本人はいたってシリアスであるにも関わらず、我々はそこに巧まざるユーモアを見出してしまうのである。けだし匠の技である。近年では『ワンダー 君は太陽』でオーウェン・ウィルソンが、『ハクソー・リッジ』ではヴィンス・ヴォーンが同じような路線の演技を堪能させてくれたが、本作におけるJ・K・シモンズは、ついにキャリアを代表する作品を手に入れた、というよりも自ら作り出したと言えよう。ブラック企業の経営者、あるいは軍隊にいる鬼教官、そうした言葉でしか名状しようのない情け容赦のない指導である。しかし、単にどなり散らすだけの役ではない。指先に至るまで神経を張り巡らさせたその演技により、我々はこの男に本物の指導者としての姿を見出すのである。アンディが学外でフレッチャーがピアノを演奏するのを見る機会を得る。鍵盤を慈しむかのようにピアノを弾くその姿に、アンディはフレッチャーの音楽への愛を見出す。そこで二人は言葉を交わす。フレッチャーは「第二のチャーリー・パーカーがいたとすれば、その男は絶対に諦めない」と切々と語る。その言葉にアンディは世界一のジャズドラマーになる夢を持つ自身を重ね合わせる。観る者はチャーリー・パーカーが誰であるかを知らなくても、何となくその凄さを理解できるようになっているのが脚本と演出の妙であろう。Jovian自身もRod Stewartの“Charlie Parker Loves Me”で名前だけ知っているぐらいだったが、フレッチャーの鬼のしごきの裏にある理想を追求してやまない、ある意味での求道者としての姿を見た時、クライマックスはこの歪な師弟の和解になるのかと思っていた。そんな予想は見事に打ち砕かれた。興味のある向きは日野皓正でググってみるとよいだろう。一頃、ワイドショーを賑わせたので、覚えている方もおられよう。あの時、日野氏はどう振る舞うべきだったのか、何をすれば良かったのか。その答えが本作にはある。というよりも、このドラマーは『セッション』を観ていたのではなかろうか。ヴォーカルと楽器の対話で個人的に最も印象に残っているのはB’zの『Calling』のイントロのギターと稲葉の歌唱、洋楽ではベタだが、やはりRod StewartとRon Woodが『Unplugged… and seated』で魅せた“Maggie May”か。音楽をやる人間というのは往々にして我が強く、音楽性の違いで解散するバンドは結局、カネの取り分で揉めて解散しているんだろうと思っていたが、実は結構な割合のバンドが“音楽性の違い”を理由に本当に解散しているという。フレッチャーが否定に否定を重ねるアンディーの音楽性が爆発するクライマックスは必見である。まるでボクサー同士が激しい殴り合いの末に互いへの尊敬の念を育むかのようなぶつかり合いは、観る者に息を吸うことすら忘れさせかねない迫力がある。爆音上映をしている時に、無理して観ておけばよかったと、後悔だけが今も募っていく。

本作のマイルズ・テラーのドラム演奏に感銘を受けた向きは、Rod Stewart & The Facesによる

www.youtube.com

のケニー・ジョーンズのドラムソロを観賞してみよう。若かりしロッドとロンも見られる貴重な映像である。それにしてもマイルズ・テラーはボクサーからドラマーまで何でもやる男だ。ハリウッドで売れるためには、渾身で臨まねばらないということを教えてくれる俳優だ。時間を見つけて、この男の出演作は一通り全てチェックしてみたいと思う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, ジェイソン・ライトマン, ヒューマンドラマ, マイルズ・テラー, 監督・デイミアン・チャゼル, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『セッション』 -責める者と攻める者の一体化がもたらす究極のカタルシス-

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