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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 アス 』 -我々の敵とは誰か-

Posted on 2019年9月22日2020年4月11日 by cool-jupiter

アス 75点
2019年9月19日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ルピタ・ニョンゴ
監督:ジョーダン・ピール

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ジョーダン・ピール監督の『 ゲット・アウト 』は、一部意味不明な描写があったものの、全体的にはギャグとホラーの両方をハイレベルに融合させた傑作だった。ピール監督の意識の根底に人種差別の問題があるのは間違いない。そして、その問題意識は本作にも貫かれているし、この作品はそのように観られるべきだろう。だが、Jovianは直感的には少々異なる見方、分析および考察をした。

 

以下、ネタばれに類する記述あり

 

あらすじ

アデレード(ルピタ・ニョンゴ)は、幼少期に自らの分身を目撃したショックから失語症になってしまった。月日は流れ、彼女は夫と娘と息子と共にカリフォルニアにバカンスにやってきた。しかし、彼女はそこで過去のトラウマがまたしても自分の身に迫っていると予感し、恐怖に怯える。果たして、深夜、家の外に自分たちそっくりの一家が現れて・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭のウサギは異世界への案内人代わりか。『 マトリックス 』でもそうだったが、J・ピール監督は、どのような世界に我々を誘ってくれるのか。

 

ドッペルゲンガーと遭遇する物語で近年の白眉と言えばドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『 複製された男 』だろうか。アデレードたちのもとに現れたアス=私たちは、普通に考えれば地下世界のクローンなのだが、Jovianは彼ら彼女らはインターネット世界のアバター=自分の分身を体現したものなのかと感じた。たいていの人はインターネット上では意見が過激になるし、他者に対して攻撃的な態度に出てしまいがちだ。そして、そんな一部の過激なネット上の声が、現実世界の政治にまで影響を及ぼす。そんなディストピアな世界にまさに我々は住んでいる。同じ国に住まう者が、同じ国に住まう者を攻撃する。アジア系のアメリカ人、ヒスパニック系のアメリカ人、様々なアメリカ人が存在する。『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックはエジプト系のfirst generation Americanであると、自身がオスカー授与式の際に語っていたことを覚えている映画ファンも多いだろう。一方で『 ブラック・クランズマン 』に見られるように、同じアメリカ人でありながらも、白人か黒人かという違いだけで、一方が他方を攻撃の対象にすることもある。また、人種の別に依らず、価値観、信条などでも一方が他方を攻撃することがある。プロライフ派が人工中絶を行うクリニックを爆破する事件(というか犯罪、またはテロ行為)は今でも行われているのだ。また政治的思想もアメリカの分断の特徴である。共和党主義者と民主党主義者で“分断”されるアメリカ=USA=US=Us=アスを、この映画は象徴しているのだろう。現実世界ではトランプ支持の声は決して大きくなかったものの、実はネットではトランプ支持の声が相当にあったという分析もある。まるで梅田望夫が著書『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 』で2005年の郵政解散での小泉勝利を予見したように、ネット上の言説空間での声は時に現実世界にまで影響を及ぼすのである。

 

こうした穿った、明後日の方向の分析をしてしまうのは、Jovianが日本の現状について問題意識を抱いているからだろう。『 判決、ふたつの希望 』で日本のコンビニ店員さんたちがどんどん外国人労働者になってきていることに触れたが、これは外国人による日本への攻撃なのか。つまり虐げられる、弱い立場にあった者たちが力(それは往々にして経済力と政治的な発言力だ)を持ちつつあることを脅威であると感じることなのか。それとも、外国人との共存を模索する契機とすべき変化なのか。レッドが片言の英語を話すのは、現代日本で問題になっている親の片方が外国人である子どものランゲージ・バリアーのモチーフと見るのはさすがに穿ち過ぎか。いや、オーソドックスな分析や考察は他サイト、他ブログに譲ろう。本当に強調すべきは、本作は実に多様な見方を許容する深みのある作品であるということだ。

 

他に特筆すべきことがBGMのクオリティの高さである。『 ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男 』でも重低音の効いた、静かで、それでいて迫力のあるサウンドが魅力的だったが、本作のBGMの重低音は下腹部ではなく背筋に響いてくる感じがする。このサウンドは音響の良い劇場で味わって頂きたいと思う。

 

ルピタ・ニョンゴ渾身の演技。ジョーダン・ピール監督の現実批評とユーモアのセンスのバランス感覚。意表を突くカメラワークもある。決して見逃すことなかれ。

 

ネガティブ・サイド

普通の人間が決して知らない、近づけない地下世界があるという世界観は、既に『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』が先行している。また、序盤早々のモグラたたき(Whack ‘em All)は地下に住む存在が顔を出したら、すかさずブッ叩くという世界観の背景を表したものかと思ったが、それを説明または強調する描写や演出はなかった。うーむ・・・

 

アスの長男の撃退が、江戸川乱歩の『 目羅博士の不思議な犯罪 』である。かなり衝撃的なシーンのはずだが、個人的には「おいおい、ここでそのネタかよ」であった。だが、ここは評価が分かれるシーンであろう。たまたまJovianのテイストに合わなかっただけである。

 

父親がユーモラスなのだが、『 ゲット・アウト 』のリル・レル・ハウリーの面白さには到底及ばなかった。同じ監督であっても微妙にトーンの異なる映画であったが、今回の父親はもっと振り切った面白さを表現して欲しかった。アスが家の外で手に手を取っているシーンは、もっとファニーにできただろう。そうすることで、ストーリーの陰陽の反転がもっと鮮やかに感じ取れることができただろう。

 

総評

これは傑作であると言ってよい。『 ゲット・アウト 』とどちらが上かと言われれば、評価は分かれるだろう。一つ言えるのは、ピール監督は、映画でもって現実批評をさせれば、いま最も旬な監督であるということだ。US=アメリカのことだけだと思わずに、この物語現代日本社会に当てはめた時に、どのようなアレゴリーになっているかを考察してみるとよい。きっと様々な仮説が生まれてくることだろう。単なるホラーではない、思考を刺激するホラー映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You gotta be kidding me!

 

マイケル・ルイス著の『 マネーボール:不公平なゲームに勝利する技術 』でビリー・ビーンが他球団のドラフト1位指名を聞いた時に“You fucking gotta be kidding me!”と叫んだとされる。訳書では「ほんとか、おい!」となっている。何か信じがたいこと、冗談だろうと思えるようなことが起きた時に、この台詞を使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ホラー, ルピタ・ニョンゴ, 監督:ジョーダン・ピール, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 アス 』 -我々の敵とは誰か-

『 フリーソロ 』 -Ain’t no mountain high enough-

Posted on 2019年9月19日2020年4月11日 by cool-jupiter

フリーソロ 70点
2019年9月16日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アレックス・オノルド
監督:エリザベス・チャイ・バサルヘリィ 監督:ジミー・チン

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ミハエル・シューマッハの容態が好転しつつあるとの報があった。ふとアイルトン・セナの事故死を思い出した。モータースポーツの危険性は改善はされたものの、依然残っている。マリンスポーツ然り、スカイスポーツ然り、ボクシングを始め格闘技は言うに及ばず。だが最も危険なのはmountaineering、特に安全用の装備や危惧を一切用いないフリーソロは自殺行為と呼んでも差し支えないだろう。なぜそのような危険な営為に従事する人々が存在するのか。本作はそこに一定の回答を提示する。

 

あらすじ

アレックス・オノルドは世界最高レベルのクライマー。彼には夢があった。ヨセミテ国立公園の巨岩エル・キャピタンをフリー・ソロで登攀すること。練習と鍛錬を積み重ねたアレックスは遂にフリー・ソロでエル・キャピタンに挑む・・・

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ポジティブ・サイド

NHKの『 体感!グレートネイチャー 』でヨセミテ特集を観たことがある。エル・キャピタンかどうかは定かではないが、寝袋に収まってミノムシの如く岩肌にぶら下がっているクライマーを見て、クレイジーな人間がいるものだ、と感じたことはよく覚えている。しかし、アレックス・オノルドはさらにクレイジーだ。安全装備なしで、この巨岩に挑むというのだから。

 

登山家とクライマーはおそらく別人種だろうなと思わされた。登山を趣味にするのは経営者や医者が多いと言われる。俗世のストレスなどから一時的に逃れたいのだろう。アレックス・オノルドのようなクライマーは天然生粋のアスリート型なのだろう。殴られると痛い、減量はきつい、報酬は人気が出ないと上がらないというボクシングのようなもので、「なぜ登るのか?」とアレックスに尋ねれば、“Because I can’t sing or dance.”と答える可能性は高そうである。アレックスはヴァンで暮らすベジタリアン。収入は成功した歯科医ほどあるが、家を買ったりすることには興味が無い。ガールフレンドはいるが、手を焼かされるというか、文字通り骨を折らされている。グーグルの創業者二人が受けたことで注目を集めたモンテッソーリ教育をアレックスも受けているのだが、もしもアレックスのような個人が日本にいれば、きっと京都大学へ行くのだろう。変人は京大では褒め言葉らしいから。Jovianは現役時代に京大に落ちたからな!

 

Back on track. ドローンをふんだんに使った本作のカメラワークは文字通りに息を飲む。また、エル・キャピタンに挑むアレックスには荘厳なBGMが似合っているが、そこにはお決まりの映画的演出が一切ない。一瞬足を踏み外した、指にかかったはずの岩に亀裂が入った。そんなクリシェは一切存在しない。そんなものを入れる余地はない。だからこそ、アレックスは気にする素振りも見せなかったが、観客側が肝をつぶすような瞬間が撮影されている。Jovianはこの瞬間にイスから飛び上がってしまった。ドキュメンタリーでしか出せない味であり迫力である。

 

ネガティブ・サイド

クライマーのなかでもフリー・ソロをやるのは1%未満ということで、それだけ難易度も危険度も高いことが分かる。もちろん一般人たる我々にもその危険性は直感的に分かるが、それをもっとエキスパートの視点から語ってもらいたかった。アレックスのメンター的存在、練習パートナー的存在のクライマーは登場するが、その他に登場するのは個人となたクライマーの写真が多かった。もっと現役のクライマーたちに、エル・キャピタンとはどのような存在か、それにフリー・ソロで挑むのは、ドン・キホーテよりもクレイジーなことであると語ってもらいたかった。

 

ドローンによる撮影技術は素晴らしかったが、アレックスの見ている世界を我々も見てみたかった。例えば『 クリード 炎の宿敵 』で、コーナーにくぎ付けにされたクリード視点でヴィクター・ドラゴのパンチを雨あられと浴びるシーンがあったが、あのような当事者の視界というものを体験してみたかった。アレックス本人のそれは無理にしても、他のクライマー(もちろんロープや安全器具を使った状態で)に小型カメラ付きの帽子なりヘルメットなりをかぶってもらって撮影することもできたのではないだろうか。

 

総評

非常に力強いドキュメンタリーである。ボルダリングがスポーツとして普及しつつある今、本家ロック・クライミングに興味のある人も増えてきているのではないだろうか。そうした人々が見ても楽しめるだろうし、普通の映画ファンが見ても充分にスリリングである。ドキュメンタリー好きならば、劇場の大画面で鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get a feel for someone/something

 

文字通り、「感触を得る」という意味である。劇中ではget a feel for the route = ルートの感触を得る、という具合に使われていた。

get a feel for the new car

get a feel for the atmosphere of the city

get a feel for what this computer is capable of

これも状況・文脈に応じて練習してみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, アメリカ, アレックス・オノルド, ドキュメンタリー, 監督:エリザベス・チャイ・バサルヘリィ, 監督:ジミー・チン, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 フリーソロ 』 -Ain’t no mountain high enough-

『 ブラインドスポッティング 』 -見えない自分のアイデンティティを巡って-

Posted on 2019年9月18日2020年4月11日 by cool-jupiter

ブラインドスポッティング 70点
2019年9月15日 大阪ス―ションシティシネマにて鑑賞
出演:ダビード・ディグス ラファエル・カザル
監督:カルロス・ロペス・エストラーダ

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オバマ前アメリカ大統領が選んだ favorite movies of 2018の一つであると鑑賞後に知った。Jovianがオバマ氏は大統領としては功罪相半ばする人物だと今でも考えている。彼の美点はトレイボン・マーティン射殺事件の下手人であるジマーマンへの無罪判決に怒りと悲しみの涙を流せることであり、彼の醜悪な点は『 華氏119 』ミシガン州フリントの水道水汚染に対して必要な手段を講じず、下手なパフォーマンスで逃げ切ろうとしたところだ。だが、オバマ氏の映画鑑賞眼には興味がある。本作はどうだろうか。

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以下、ネタバレに類する記述あり

 

あらすじ

黒人青年コリン(ダビード・ディグス)と白人青年マイルズ(ラファエル・カザル)は11歳の頃からの親友だった。過去のある事件の保護観察期間があと3日で終わろうという夜にマイルズは銃を購入。コリンはそれを煙たがる、その翌日の仕事帰り、コリンは警察官が逃げる黒人男性を射殺するところを目撃する。動揺するコリン。マイルズはそれを茶化す。徐々に、二人の間の盲点が浮かび上がってきて・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングからスクリーンが左右に二分割されている。コリンとマイルズ、二人が見ているオークランドの景色は、実は少し異なっているということが観客に「視覚的に」分かるように作られている。これは面白い試みである。

 

アメリカ社会の抱える問題は至って明白である。差別意識である。いや、意識ではなく無意識と言った方がふさわしいかもしれない。マイルズという男は親友が黒人、嫁さんも黒人という、一見すると人種差別とは無縁な男に映る。しかし、コリンの目撃した黒人射殺事件について、「4発撃たれた」という報道のコメントに「それがどうした? 14発撃ち込まれた奴もいたじゃないか!」と返す。数の問題ではないだろう。相手が抵抗しているわけでもないのに、警告や威嚇射撃もなく、複数回発砲することの是非を考えようとしないのか。こうしたところにコリンとマイルズの意識の違いが垣間見えるが、この無意識レベルで見えている、感じているものの違いが徐々に大きくなり、爆発していく展開は見事である。

 

コリンが射殺事件の現場を目撃してから抱く恐怖感は、ジェームズ・ボールドウィンが『 私はあなたのニグロではない 』で執拗に訴えていた、死への恐怖と全く同質のものである。『 ビールストリートの恋人たち 』でファニーが警察に理由なくしょっ引かれ、いつまでも自由を奪われたままでいるという物語を経験した者からすれば、コリンに共感することはいと容易い。想像力や感受性が豊かな方であれば、現在の日本の言論空間で在日外国人、なかんずく在日韓国人が感じる恐怖もこれと同質であると実感できれば、いかに日本が不自由で不寛容な国家になりつつあるのかを実感頂けよう。マイルズも言ってみれば『 パティ・ケイク$ 』に代表されるようなホワイト・トラッシュ=ゴミのような下層白人なのだ。それでも、彼は死の恐怖とは無縁に生きてくることができた。そこに埋めがたい人種の溝が存在する。しかし、決して埋めらない溝ではない。物語は、絶望ではなく希望をもって終わっていく。

 

それにしても、社会的な弱者やマイノリティを描くに際しては、普通の台詞や対話ではもう一つ足りない。『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』はそこをミュージカル風に仕立てたが、自らの内に眠るマグマを爆発させるための技法としては、本作のようなラップの方が遥かに良い。ラグタイム、ジャズ、ブルース、ロック、ラップ。これらは全て、黒人のソウルから生まれたものだからである。

 

それにしてもクライマックスの例の警察官の「殺すつもりはなかった」ってアホかいな。銃を向けて、1発で飽き足らず4発をぶち込んでおいて、殺すつもりはなかった。これがアメリカの現実なのである。これを我々は他山の石とせねばならない。

 

ネガティブ・サイド

いわゆるホワイト・トラッシュが無意識、無自覚に差別の構造に加担していたことを、もっと衝撃的に伝える演出が欲しかった。冒頭でマイルズがveggieなハンバーガーを「喰ってられるか」と吐き出すが、その後に店員にイチャモンをつけるシーンで、軽いラップ調で相手を罵ってもよかったのではないだろうか。そうすることで、黒人になり切れない白人を描くこともできるし、その後の金持ち白人のパーティーでみじめな思いをさせられるシーンが、よりhopelessでhelplessに描くことができたと思う。客の立場にある白人が、店員である白人を罵りながら、IT長者の主催するパーティーで黒人とケンカになってしまうというプロットは斬新で面白い。そこで親友で黒人のコリンが自分に加勢してくれなかったことで、マイルズは二重の意味で裏切られたように感じる。その部分の苦悩がもっと深まるような演出がほしかった。

 

コリンとマイルズの関係についても、単なる友情だけではなく、仕事上のプロフェッショナリズ、例えば『 ブラック・クランズマン 』におけるストールワースとジマーマンのような奇妙なパートナーシップが描かれていれば、二人の間のギクシャクした空気が、希望と共に回復していくところがより説得力と迫真性をもって感じられたはずだ。そのあたりがエストラーダ監督の課題なのかもしれない。

 

総評

100分以内でまとまったコンパクトな映画で、それでいてメリハリもしっかりついている。プロットはややpredictableだが、クライマックスのサスペンスは息をするのも忘れるほどの迫力がある。本作が究極的に問うのは、人間とは何かということである。この問いに正しく答えるのは難しいだろう。ただ、我々は正解を出すことはできなくとも、何が誤答であるかは即座に判断できるはずだ。本作を通じて、意識の盲点を意識するようにしてみて頂きたい。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Chill out!

 

チルド・フードなどでお馴染みchillである。意味は主に二つ。一つはcalm down = 落ち着け、の意である。もう一つは、hang out = 何もしない、遊ぶ、の意味である。文脈や状況によって使い分けたり、解釈を変えてみよう。Chillだけでも「落ち着け」、「静かにしろ」の意味で使うことも多い。ジョン・シナはWWEでプロレスをやっていた頃は、よく“Chill, chill, chill”と観客に言っていた。

 

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Posted in 映画Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ダビード・ディグス, ラファエル・カザル, 監督:カルロス・ロペス・エストラーダ, 配給会社:REGENTSLeave a Comment on 『 ブラインドスポッティング 』 -見えない自分のアイデンティティを巡って-

『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

Posted on 2019年9月17日2020年8月29日 by cool-jupiter

プライベート・ウォー 80点
2019年9月15日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク
監督:マシュー・ハイネマン

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これはヒューマンドラマの皮をかぶったホラー映画である。劇場で鑑賞後に即座にそのように感じた。ホラー映画における恐怖は、それがあまりにも理不尽だからこそ恐怖を感じるのだ。ということは、市民と軍人の別なく殺戮行為が横行する戦地のドラマはホラーであるとしか言いようがない。もう一度言うが、これはホラー映画である。

 

あらすじ

メリー・コルビン(ロザムンド・パイク)は戦場ジャーナリスト。スリランカでは爆撃に遭い、左目を失明してしまったが、それでも彼女は戦地の取材に赴くのを止めない。PTSDに悩まされ、上司からはストップをかけられるが、それでも彼女は止まらない。そして、ついに彼女は政府軍による空爆の続くシリアのホムズに足を踏み入れる・・・

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ポジティブ・サイド

日本でも今年『 新聞記者 』が公開され、大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。その他、映画大国アメリカに目を移せば、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』など、ジャーナリストたちの気概と奮闘に焦点を当てた作品の生産において、日本よりも遥かに先を行っていることが分かる。そこに本作である。『 ダンケルク 』や『 ハクソー・リッジ 』のような“戦地”を舞台に、スーパーマンのような兵士ではなく、私生活が滅茶苦茶で規律違反の常習者であるジャーナリストが克己奮励する様には、どうしたって胸を打たれずにはいられない。

 

このメリー・コルビン記者は、常に戦場の最前線で、普通なら面会できないような人物に次々に接触する。そしてものすのは名もなき一般人の悲嘆、怨嗟、苦悩の声を届ける記事なのである。ここに見出されるべきは、平和な国からやってきたジャーナリストの仕事ぶりではなく、一切の虚飾を取り払った究極の個人として行動する一人の人間の生き様である。事実、コルビンは上司の連絡も無視するし、会社が保険に別の記者を送り込んでくるという判断に激怒するし、アメリカ軍が従軍記者に求めるルールすらも呵々と笑い飛ばす。そして信じられない勇気と大胆さ、機転によって危地を脱していく。特にイラクの砂漠のど真ん中のシーンは国や状況は全く異なるが『 ボーダーライン 』で、主人公舞台がメキシコ国境を車で超える時のような緊迫感に満ちていた。中盤以降は、迫撃砲や爆弾の着弾音がストーリーの基調音を形作って、観る者の不安と恐怖を掻き立てる。血と泥と煙と埃がスクリーンを覆い、我々はむせ返るようなにおいすら嗅ぎ取ってしまう。繰り返すが、本作はホラー映画でもあるのだ。爆撃機やミサイル発射台などは一切その姿を見せず、ただいきなり命が奪われていく。これは怪物や怪異の正体が全く分からないままに、ただただ不条理に命が奪われていくホラー映画の文法と共通するものである。

 

なぜこのような危険な場所に好き好んで赴くのか。それはコルビンの本能の為せる業なのかもしれない。漫画『 エリア88 』でもミッキーやシンは戦場での生の実感を平和の内に見出せなかった。コルビンも同じである。平和な世界では、彼女は酒に溺れてしまう。まるで常習的にDV被害に遭っている妻が、暴力夫のところに舞い戻る、または似たような暴力男と再婚するかのように、彼女は戦地に舞い戻る。ここまで来ると後天的な帰巣本能なのだろう。戦争・紛争の理不尽さを紙面で糾弾するのではなく、権力者に面と向かって指摘する。その場で逮捕拘束されて、処刑されてもおかしくないはずだ。それをコルビンはやる。彼女が伝えるのは、戦地で生きて死んでいく、何の変哲もない人々のことである。養老孟司と宮崎駿の対談本『 虫眼とアニ眼 』でも、両者は「我々は人類のことを考え過ぎている」と喝破しているが、コルビンは人類ではなく個々人を見、話し、書いた。個の強さが必要と叫ばれる現代において、彼女の生き方は模倣や追随の対象には決してならないが、大いなるインスピレーションの源泉にはなるだろう。

 

ネガティブ・サイド

同じような戦場ジャーナリストたちの描写がもう少し必要だったと思う。例えば、Jovianの先輩で戦地・紛争地取材に携わった方がおられるが、「オレ、もう花火大会行けないよ。あのヒュ~っていう音が怖いもん」と真面目な顔でおっしゃるのだ。戦地での極限的な恐怖の経験が、平和な社会の些細とも思える事柄によって呼び覚まされるのかという描写が欲しかった。が、これはクラスター爆弾事件を起こしてしまうような、極限まで平和な国に生きている者の出過ぎた要求か。

 

Wikipediaや各種英語のサイトを見回ってみたが、コルビンという無二の記者は、とんでもないモテ女にして、夜の武勇伝から、実際に戦地での英雄的行動の数々を含めて、personal anecdoteに事欠かない人物だったことは間違いないらしい。このような“事実は小説よりも奇なり”を地で行く人物像の描写がほんの少し弱かったように思う。ほんの一言二言でよいのだ。スター・ウォーズでハン・ソロがほんの少しだけ言及したケッセル・ランや、フィンが「トリリアの虐殺を知らないのか?」と言ったような、ちょっとした印象的な固有名詞を聞かせてもらえれば、あとはこちらが勝手に検索できる。そして、コルビンのレジェンドをビジュアルを以って脳内で再生できるようになるのである。

 

あとは、映画そのもののマイナスではないが、字幕で「鑑」であるべき箇所が「鏡」になっていた。翻訳者および構成担当者は注意されたし。

 

総評

何度でも書くが、本作はホラー映画である。しかし、幽霊やチェーンソーを持った殺人鬼が出てくるわけではない。何か大きな力によって意味も分からずに人が死んでいく、そのことに義憤を感じた硬骨のジャーナリストの後半生を追ったヒューマンドラマでもある。領土を取り返すには戦争をするしかない、などという痴人か愚人か狂人にしかできない発言を国会議員が堂々と行い、それでいてお咎めなしという日本の平和は確かに享受すべきで、維持していくべきものだ。しかし、その平和が失われるとはどういうことかについて我々は余りにも無自覚すぎる。メリー・コルビンという記者の生き様を、今ほどこの目に焼き付けるにふさわしい時期は無いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You bet.

 

「もちろんだよ」、「オーケー」、「だな」のような肯定や確信の意味を伝える時、そして“Thank you”の返事をする時にさらっとこう言えるようになれば、その人は英語学習の中級者である。本作ではさらにカジュアル度の高い“No shit” という表現も使われている。こちらは「馬鹿言ってんじゃねー、当たり前だろうが」のようなニュアンスである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, イギリス, ヒューマンドラマ, ホラー, ロザムンド・パイク, 監督:マシュー・ハイネマン, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

『 マトリックス レボリューションズ 』 -Dawn of humanity-

Posted on 2019年9月16日 by cool-jupiter

マトリックス レボリューションズ 75点
2019年9月10日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:キアヌ・リーブス ローレンス・フィッシュバーン ヒューゴ・ウィービング
監督:アンディ・ウォシャウスキー 監督:ラリー・ウォシャウスキー

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シリーズの完結作・・・だったはずだが、第4作の製作が決定したとの報が。インディ・ジョーンズになってしまうのでは、との懸念があるが、評価はこの目で確かめてから下したいと思う。

 

あらすじ

マトリックスに接続することなくマトリックスに侵入したネオ(キアヌ・リーブス)。現実世界とマトリックスの中間にあたる謎の空間に幽閉されていたが、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)らによって救出される。ザイオンにはセンティネル兵団が迫っている。状況を変えるためネオは一人、マシン・シティーを目指すが・・・

 

ポジティブ・サイド

ナイオビの船が狭い空間を滅茶苦茶な操艦技術で通り抜けていく様は爽快の一言。元ネタは『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のデス・スター内部への侵入と脱出シークエンスだと思われるが、これは純粋なオマージュとして受け取ろうではないか。同じように狭いところを飛ぶというコンセプトは、ゲームの『 エースコンバット 』シリーズにも受け継がれているし、他にも継承者は探せばもっともっとあるはずだ。

 

また、マトリックスからプログラムが現実世界に位相を移してくるというアイデアも素晴らしい。小説『 クリスタルサイレンス 』でも主人公たる透明人間が同じようなことをしていたが、“ウェットウェア”というアイデアは、今後確実に中国かロシア、またはアメリカが開発を目指すことになるだろう。素晴らしい着想である。

 

マシン・シティーは全てCGではあるが、どこかH・R・ギーガー的な雰囲気を帯びていたのが印象的だ。そのフィールドを闊歩する巨大なマシンたちは、漫画および映画の『 BLAME! 』の建設者のようである。というか、やはりこれもオマージュと見て良いのだろう。そう判断させてもらう。Jovianはこういうオマージュは大好物であり、大歓迎する。

 

初見では???だったエンディングにも一定の意味を見出すことができた。スミスの言う、“The purpose of life is to end.”へのアンチテーゼなのだろう。生命の目的とは、「続く」ということ、もしくは「始まる」ということを強く示唆しているように思えてならない。悪性腫瘍の如く増殖したスミスは、実際にはウィルスに近い存在だ。他の生物の細胞分裂の機序にただ乗りすることで増えるのがウィルスであるが、ネオはそのウィルスを見事に駆逐した。生きとし生けるものは、自らの生を自らで背負わねばならない。生きていくことそのものを目的にしなければならない。エンディングはそのように観る者に語りかけているように感じられた。ウォシャウスキー兄弟は、おそらくこうしたメッセージを発したわけではないだろう。しかし、受け手が自分なりに答えを受け取ることができる映画というのは、そう多くない。

 

ネガティブ・サイド

SFアクションの世界で、バトルが全て肉弾戦というのも、それはそれでありだろう。だがいやしくもSFであるのなら、そこには武器・兵器をしっかりと使いこなしてほしい。『 スター・ウォーズ 』が唯一無二の名作なのは、SF的な世界(正しくはおとぎ話、昔話の世界)にチャンバラと持ちこんだことが大きい。もちろん、ブラスターによる撃ち合いは西部劇のアナロジーである。だが、戦闘機によるドッグファイトやデス・スターやスター・キラーといった超絶トンデモ兵器の存在によって、すべてのバランスが奇跡的に整っている。それは本作も同じで、ネオとスミスのバトルとザイオンとセンティネル兵団の戦いは、奇妙なパラレリズムを成している。問題は、やはりそのバランスだ。マトリックスという仮想現実空間でのバトルが少なすぎる。そのバトルも漫画『 ドラゴンボールZ 』の影響を受けていることがありありと分かってしまう、少々残念なもの。前作でアイデアが枯渇してしまっているのだろうか。

 

ミフネ隊長率いる部隊は、そのまんま『 エイリアン2 』のパワーローダー。シリーズを通じて様々なガジェットが過去の偉大な作品へのオマージュになっていることが伺えたが、これはあまりにも露骨だった。だが、本シリーズのセンティネルは『オール・ユー・ニード・イズ・キル 』のギタイのモデルとして採用されたようだ。インスパイアの連鎖は続いているのだから、これは減点材料ではないのかもしれない。

 

総評

マトリックスと人類の奇妙な共存および敵対関係の円環が閉じたと感じられる、完結作にふさわしい幕切れである。が、大いなる疑問も残る。救世主たるネオはどうなった?培養人間たちの今後は?プログラムやマシンの見出す目的とは?本作の本当の評価が定まるのは、まだ見ぬ続編のリリース後になるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is it.

 

単純明快な表現だが、訳すとなると難しい。文脈に応じて意味が変わるからだ。This =現在の状況、またはこれから起こること、it = 話者のイメージしていること、と理解しよう。そうすれば、「これで終わりだ」、「遂に始まったぞ」など、コンテキストに応じて意味を解釈できるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, SFアクション, アメリカ, キアヌ・リーブス, ヒューゴ・ウィービング, ローレンス・フィッシュバーン, 監督:アンディ・ウォシャウスキー, 監督:ラリー・ウォシャウスキー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 マトリックス レボリューションズ 』 -Dawn of humanity-

『 マトリックス リローデッド 』 -前作からはパワーダウン-

Posted on 2019年9月15日 by cool-jupiter

マトリックス リローデッド 70点
2019年9月9日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:キアヌ・リーブス ローレンス・フィッシュバーン ヒューゴ・ウィービング
監督:アンディ・ウォシャウスキー 監督:ラリー・ウォシャウスキー

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『 マトリックス 』は文句なしの大傑作だったが、続編たる本作はペーシングに少し問題を残す。前半は完全なるアクション映画、後半は完全なるSFミステリ。このあたりの作品のトーンの統一が為されていれば、シリーズ三部作のクオリティは『 スター・ウォーズ 』や『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』に迫っていたかもしれない。

 

あらすじ

救世主として覚醒したネオ(キアヌ・リーブス)は、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)らと共にマシンとの闘いに身を投じていた。だが、マシン側はザイオンを壊滅させんと25万ものセンティネルを送り込んできた。マシンの侵攻を止めるには、「ソース」にネオが出向くしかない。「ソース」にたどり着く鍵、キー・メーカーを探し出すため、ネオはマトリックスに入っていく・・・

 

ポジティブ・サイド

高速道路のアクションはクレイジーの一言に尽きる。ネオのスーパーマンごっこもクレイジーだし、大量のエージェント・スミス相手の無双もクレイジーだ。特に、金属の棒でスミスをぶっ叩き、薙ぎ払っていくのは、PS2ゲームの『 戦国無双2 』のオープニング・デモを思わせる。というよりも、KOEIは本作をヒントに無双アクションを考えたのではないかとさえ思えてくる。極端な話、頭を空っぽにしても前半は視覚的に存分に楽しめる。

 

また、このシリーズで最も際立ったキャラクターはエージェント・スミスを演じるヒューゴ・ウィービングで間違いない。前作では3人のうちのリーダー格という程度だったが、今作では最も危険なエージェントとして覚醒。その風貌、サングラス、スーツ、口調、特徴的なレジスター(=使用言語領域)と相俟って、完璧なキャスティングであると言える。サングラスとスーツがこれほど似合うキャラクターは、ブルース・ブラザーズを除いてはエージェント・スミスだけだろう。

 

ザイオンという都市もディストピアな感じを上手に醸し出していている。ハイテクなメカを使用する軍事体制と、古代ギリシャ・ローマ的な原始的な政治体制の共存は、人類の後退を確かに思わせる。そんな中でも普遍的な家族愛や男女の愛憎入り乱れる人間関係は、人間の人間らしさを思わせると同時に、人間とマシーン、人間とプログラムとの間の境目を曖昧模糊としたものにしている。メロビンジアンとその愛人の関係は、人間のそれと何ら遜色がない。その不思議な感覚を受け入れられる世界を構築したウォシャウスキー兄弟の卓越した想像力と構想力は、現代においても評価を下げることは全くない。むしろ更に評価を上げている。なぜなら、現実の世界においてシンギュラリティ=技術的特異点が到来することがますます現実味を帯びて予感されているからだ。

 

本作の最もスリリングな瞬間は、ネオとアーキテクトの対話であろう。新約聖書の使徒行伝か、それとも何らかの手紙の記述に、「イエスという奴が出てきたらしい。革命の指導者になれる器だそうだ」「前にもそういう奴がいたが、結局は駄目だった。今回もしっかり様子を見よう」という会話が交わされる箇所があった。マトリックス世界は、マシンをローマ軍、ザイオン=シオン=イスラエル=パレスチナ(この等式が乱暴であることは理解しているつもりである)という過去の歴史の模倣、パロディであると見ることもでいるだろう。そもそもトリニティからして三位一体=神=精霊=イエスの意味である。何を言っているのか分からないという向きには『 ジーザス・クライスト=スーパースター 』を鑑賞してみてほしい。

 

ネガティブ・サイド

トリニティとネオのラブシーンは果たして必要か?いや、生々しいベッドシーンも、マトリックスという仮想現実との対比でリアリティを演出したいという意図があってのことなら、理解できる。また、マシンとの戦争という命の危機にあって、生存本能が極限にまで高まっているからという説明も許容可能だ。しかし、サイケデリックなラブシーンやダンスシーンというのは、個人差もあるだろうが、マトリックス世界にはそぐわないように感じた。

 

また、前作『 マトリックス 』ではそれほど目立たなかったものの、本作ではモーフィアスのネブカドネザル号の内部のコクピットシーンが、スター・ウォーズのミレニアム・ファルコン号のそれと酷似していると感じられたり、あるいは白スーツのエージェントが『 ゴーストバスターズ 』を彷彿させたりした。もちろん、前作も様々な映画の換骨奪胎ではあるのだが、それらの残滓や痕跡をほとんど感じさせないパワーがあった。アクションはパワーアップしたが、オリジナリティ溢れる物語の、そして映画の技法のパワーが本作には少々不足していた。その点が大いに不満である。

 

総評

革命的な面白さだった第一作には及ばない。しかし、クオリティの高さは十分に保っているし、二十年近い歳月を経てもアクションやSF的な要素に古さを感じさせないことは、それだけでも名作の証である。『 エイリアン2 』は『 エイリアン 』を未鑑賞でも楽しめてしまうが、本作はBTTFの1、2と同じく、一作目の鑑賞が必須である。ゆめゆめ本作から鑑賞する愚を犯すことなかれ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

So far, so good.

 

預言者がネオの台詞を聞いてこのように言う。「ここまでのところは順調だ」のような意味である。

“How’s the project going?” / “So far, so good.”

などのように使う。機会があれば、使ってみよう。フレーズは正しいシチュエーションとセットで使うことで身に着く。

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『 マトリックス 』 -SFアクションの新境地を切り拓いた記念碑的傑作-

Posted on 2019年9月12日 by cool-jupiter

マトリックス 90点
2019年9月7日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:キアヌ・リーブス ローレンス・フィッシュバーン ヒューゴ・ウィービング
監督:アンディ・ウォシャウスキー ラリー・ウォシャウスキー

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あれから20年か。当時、Jovianは大学2年生の夏休みがちょうど終わった頃だった。確か新宿のバルト7でブラジル人、アメリカ人と一緒に観たんだったか。『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』のミディ=ファッキン=クロリアンのせいで心にすきま風が吹き抜けていたのを、この映画によって回復したんだった。

 

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あらすじ

アンダーソン(キアヌ・リーブス)は昼は巨大ソフト会社の社員プログラマー、夜はネット世界でハンドルネーム“ネオ”と名乗る凄腕ハッカー。そんな彼にトリニティという謎の女性が接触してくる。彼女についていった先で、アンダーソンは世界の真実を知ることになり・・・

 

ポジティブ・サイド

本作はSFアクション映画としても、ディストピア映画としても、歴史に残る傑作である。「古い革袋に新しい酒」とはよく言ったもので、ウォシャウスキー兄弟(当時)はワイヤーアクションとスローモーションに新たな生命を吹き込んだ。カンフーを始め、未来を舞台にするSF映画であるにも関わらず、hand to hand combatをここまで追求して描くという、このギャップが最高だ。さらにブレット・タイムにはファンのみならず業界人も度肝を抜かれたことは間違いなく、以降に作成された作品は洋の東西を問わず、テレビドラマか映画であるかを問わず、とにかく360度回転カメラ撮影でブレット・タイムを使いまくっていた。そして、その影響は今でも『 わたしに××しなさい! 』や『 Diner ダイナー 』といった、ややビミョーな出来の邦画でも確認できる。とにかく、映画史を変える技法を大々的に使ったことが本作の大きな貢献の一つであることは間違いない。同時に、ブルース・リー、ジャッキー・チェンによって開拓されたカンフー映画の系譜に連なる映画である点も見逃してはならない。新しさは、時に古いものを全く違う方向性に適用することで生まれる。そのことは、スター・ウォーズが宇宙戦争でありながら、チャンバラで雌雄を決する時代劇の要素を取り入れたことが大成功の要因になったことからも明らかである。

 

もう一つ、本作の世界観が現代においても全く古びていないことも見逃せない。人間とAI、そして機械の対立、戦争そのものはテーマとしては古い。事実、1960年代に公開された『 2001年宇宙の旅 』はAIによる殺人が大きなパートを占めているし、『 ターミネーター 』シリーズはスカイネットというAIの暴走から全てが始まった。だが、本作がユニークなのは、VR技術の進展が著しい現代においてより顕著になる。すなわち、人間は機械を必要とし、機械も人間を必要としているというところだ。人間は機械に熱を提供し、人間は機械=マトリックスを揺り籠に夢を見る。そうした未来像は決して非現実的とは言い切れない。藤崎慎吾の小説『 クリスタルサイレンス 』でも、「私にとって肉体は単なるずだ袋ですよ」と言い切るキャラが登場するし、『 レディ・プレイヤー1 』でもオアシス中毒になる人間は無数にいた。『 ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来 』でも、人間と虚構の親和性を論じていた。人間は現実だけに生きるわけではない。好むと好まざるとに関わらず、AIという新たなテクノロジーの勃興期である現代において、本作は鑑賞の価値をさらに増している。

 

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ネガティブ・サイド

『 インセプション 』や『 レディ・プレイヤー1 』でも、現実世界と仮想世界(夢の世界、ゲーム世界)の判別に困難をきたすシーンがあったが、マトリックス世界では体にプラグを差し込む穴があり、これによって否応なく現実世界を認識させられる。そこは良くできていると感じる。一方で、現実世界でも睡眠は必要で、睡眠時には人間は必ず夢を見るものだ。そうした夢の世界とマトリックス世界の境目にたゆたう感覚に、誰かが苦しむ、あるいは恍惚とするようなシーンがあってもよかったように思う。これは現代の視点で物語世界を眺めた時の感想かな。

 

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総評

1999年の劇場公開から20年を経てのtheatrical re-releaseは本当にありがたい。4DXでの鑑賞はかなわなかったが、梅田ブルク7のDolbyCinema2Dでも映像の美しさや迫力は十二分に伝わってくる。映画は巨大スクリーンでこそ映えるが、本作は大音響、大画面で鑑賞することで映像芸術としての魅力が倍増する。時期的にレザーコートは着辛いが、サングラス着用で劇場へどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Run, Neo! Run!

 

言わずと知れた『 フォレスト・ガンプ 』の名セリフ、 “Run, Forrest! Run!” へのオマージュであろう。アメリカでは誰かに「逃げろ」、「走れ」という時には、“Run, 名前, Run”というのがそれ以来normになっているとかいないとか。

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『 バットマン 』 -ダークヒーロー誕生物語-

Posted on 2019年9月9日 by cool-jupiter

バットマン 70点
2019年9月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マイケル・キートン ジャック・ニコルソン ビリー・ディー・ウィリアムズ
監督:ティム・バートン

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やはり新作DC映画『 ジョーカー 』の封切を前に、復習の意味で鑑賞。ちなみに『 スーサイド・スクワッド 』を見直す予定はない。ハーレイ・クインの単独映画リリース前には最鑑賞するかもしれない。

 

あらすじ

ゴッサムシティには犯罪が絶えない。しかし、警察が取り締まれない悪人たちを夜毎に制裁するバットマン(マイケル・キートン)がいた。その正体は大富豪のブルース・ウェイン。そして、犯罪組織内の仲間割れでジャック・ネイピア(ジャック・ニコルソン)は警察とバットマンに追われる。辛くも逃れた彼はしかし、ジョーカーへと変貌してしまった・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングのダークでおどろおどろしい雰囲気の映像に、ダニー・エルフマンのTheme Musicが奮っている。アニメの「バットマ~ン!」ではなく、「ダダダダーダ」の旋律が、どこか危うい力強さを感じさせる。これによって観る者は一気にゴッサムに入っていくことができる。素晴らしいシークエンスである。

 

またマイケル・キートンも、ベン・アフレック並みにハマっている。というか、ベン・アフレックがマイケル・キートン並みにハマっていると評すべきか。クリスチャン・ベールはバットマンとして卓越した演技を見せたが、最もブルース・ウェインに近いのはキートンであるように感じる。鼻持ちならない金持ちで、プレイボーイなところがよく似合っている。また、バットマンとしての演技でも魅せる。特に、振り向き様や真上を見上げる瞬間の身のこなし、その時にピタリと動きを止めて見せるところから、原作コミックの絵を忠実に再現しようとしていることが分かる。ティム・バートンの美意識とマイケル・キートンのプロフェッショナリズムが上手く相互作用した。

 

だが、何と言ってもジャック・ネイピアおよびジョーカーを演じたジャック・ニコルソンだろう。『 シャイニング 』はホラー映画の金字塔として今も燦然と輝いている。そのことは『 レディ・プレイヤー1 』を観てもよく分かる。その狂気が今作でも爆発。しかも真っ白の顔がルージュの口紅のようなもので常に笑った顔にメイクアップされ、しかも紫のスーツ!完全にイカれているのが外見からだけでも分かるが、行動もinsaneの一言。曲撃ちで元々の組織のボスを撃ち殺したかと思えば、『 ゴーストバスターズ(1984) 』のマシュマロマン的な人形に詰め込んだ毒ガスを散布したりと、犯罪者を通り越して大量殺人者、無差別テロリストである。このジョーカーも相当に恐い。バットマン自身が原作コミックに忠実に動いていたり、ゴッサムの街そのものが『 シザーハンズ 』や『 スリーピー・ホロウ 』的な世界観を纏っている、つまり、この世ならざる幻想世界のような雰囲気を醸し出す中で、容赦なく人を殺して回るジョーカーは決して道化師ではない。また、『 ダークナイト 』の名シーンである、バットマンがジョーカーを轢き殺さんと真正面から対峙する構図は、すでに本作で描かれていた。すなわちバットウィングで上空からジョーカーを射撃するバットマンと、超長砲身の銃でバットウィングを撃墜せんとするジョーカーの対決シーンである。このシーンを観るのは三度目だが、何度観ても手に汗握る名シーンである。

 

もう一つ、ジャック・ネイピアの若い頃を演じた俳優が良い。ジャック・ニコルソンを若返らせれば、確かにこうなるだろうという容姿である。ハンニバル・レクター/アンソニー・ホプキンスの若き頃を演じたギャスパー・ウリエルを思い起こした。余談だが、Jovianの同僚イングランド人はマッツ・ミケルソンをホプキンス以上と激賞する。

 

コミカルなダークさ、hand to handの格闘アクション、バットモービルやバットウィングなどの大型ガジェットなども見物で、バットマンというアメリカで最も有名な(Jovian調べ:同僚アメリカ人2人にアンケート調査)スーパーヒーローとそのarchnemesisであるジョーカーとの対決を堪能できる逸品である。

 

ネガティブ・サイド

ゴードンやデントの存在感の無さ。特にビリー・ディー・ウィリアムズは空気なのかと思えるほど、劇中で存在感を発揮しない。ハービー・デントの名が泣くではないか。

 

また執事アルフレッドの存在感も今一つだ。両親を早くに亡くして、というか殺されてしまったブルース・ウェインの心の拠りどころの大部分はこの老執事にあるのだから、彼にもそれなりの見せ場が欲しかった。飲食物を手配したり、取材費を渡してやったり以外にもするべきことはあったはずだ。アルフレッドがブルース人生におけるpositive male figureである演出があってしかるべきだった。この部分が欠けてしまっているが為に、バットマンがなぜ夜な夜な悪と戦うのかという動機づけの説明、または観る側に推測させる材料が不足してしまっている。

 

キム・ベイシンガーのキャラクターが個人的にはハマっているようには見えなかった。大富豪と二人っきりでディナーを楽しみ、同衾しながら、翌朝には「普段の自分はこんなことしない」と、そのことを後悔するなど、キャラクターがぶれまくっている。ゴッサムにカマトトは似つかわしくない。

 

総評

ジョーカーの登場シーンで頻繁に流れる“Beautiful Dreamer”が摩訶不思議な雰囲気を生み出している。ティム・バートン世界とゴッサムは相性が良さそうだ。リアル路線のバットマンおよびスーパーヒーローものも悪くないが、幻想的な世界で繰り広げられるバットマンとジョーカーの攻防の面白さは、とてもユニークである。『 ダークナイト 』のジョーカーはカリスマ性を感じさせるが、波長が合えばこちらのジョーカーの方がチャーミングかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How much do you weigh?

 

「体重はどれくらいだ?」の意味である。“What do you weigh?”も同じくらい良く使われる表現である。こんな表現を頻繁に使うのはボクシング関係者および熱心なボクシングファンくらいであろうが、覚えておいて損になるものでもない。

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『 ダークナイト 』 -ヒーローの限界を露わにする野心作-

Posted on 2019年9月8日2019年9月8日 by cool-jupiter

ダークナイト 75点
2019年9月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリスチャン・ベール ヒース・レジャー アーロン・エッカート
監督:クリストファー・ノーラン

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DC映画『 ジョーカー 』の封切を前に、復習の意味で鑑賞。シーザー・ロメロが演じたジョーカーまでは、さすがにさかのぼる余裕はなかった。

 

あらすじ

犯罪の絶えないゴッサム・シティに新たな犯罪者、ジョーカー(ヒース・レジャー)が現れた。ブルース・ウェイン/バットマン(クリスチャン・ベール)はゴードン警部補やハービー・デント検事と共に、次から次へと引き起こされるジョーカーの犯行を止めるべく奔走するが・・・

 

ポジティブ・サイド

バットマンというキャラは時代と共に変化する。当初は殺人も厭わないキャラで、生み出された時代背景を反映し、栄えあるfirst villainは日本人マッドサイエンティストだったようである。バットマンというキャラは顔がほとんど隠れてしまっているわけで、表情の演技が難しい。そこをクリスチャン・ベールは目と声、そして立ち居振る舞いと格闘アクションで存分に表現した。

 

だが、月並みではあるが、本作で称賛すべきはヒース・レジャーなのだろう。ジョーカーに関しては、ジャック・ニコルソンのイメージが最も強くJovianには残っているが、このジョーカーはこのジョーカーで類稀なる説得力を有している。冷酷無比、悪逆非道だからヴィランであるわけではない。見方を変えれば、スーパーヒーローというのは、悪役たちを片っ端から問答無用で始末しているわけで、彼ら彼女らこそ冷酷無比にして、悪逆非道であるとの見方も成り立つわけである。ジョーカーをそこをさらにひっくり返した。端的に言えば「バットマンよ、俺を殺せ」というのジョーカーのメッセージなわけで、正義と悪が戦っているわけではない。戦っているのはどちらも悪だと言いたいわけだ。仮面を脱げ、というのは、善人ぶるのをやめろ、ということだ。そのことは、クライマックスの客船と囚人船の対比で明らかになる。だが、ここでストーリーは見事に転換する。多くの人が既に本作を鑑賞済みと思われるが、まだ観ていないという方も当然おられよう。タイトルがダークナイト=闇の騎士であることには大いなる意味が込められている。武士道は主君のために死ぬことを是とし、騎士道は名誉や正義や真実といった抽象概念に奉仕し、それらを具現化することを是としていることの対比が思い起こされよう。バットマンが掲げる正義の理想は、決して赫耀たる光輝を帯びた正義ではない。陳腐ではなるが、我々はヴィランやヒーローを超えたところに正義を見出す。このパラダイム・シフトこそが本作の最大の貢献だろう。

 

ネガティブ・サイド

トゥー・フェイスの存在感が今一つである。完全にジョーカーに呑まれているように思う。だが、作品自体のテーマが正義と悪の不可分性、両者の境目の不可知性なのだから、その境界線上の存在であるトゥー・フェイスには相応の存在感が求められる。これでは、ただの頭脳明晰な悪人ではないか。バットマンが必殺仕事人なら、デントは長谷川平蔵であるべきではないか。コイントスの結果によって正義と悪の両方向に極端に揺れ動く様が、もう一つ弱かった印象である。まあ、このヒース・レジャーと共演するというのは、ライブ・エイドでクイーンの後にパフォームするようなものではあるが・・・

 

ジョーカーの異常性や危険性を際立たせる演出がもう少しあってもよかった。『 ダークナイト ライジング 』でアルフレッドが、「ベインと戦ってはいけない。あなたに勝ち目はない」と忠告したような演出が、今作のジョーカーにあっても良かった。ジョーカーの危険性はその強さではなく、その狂った哲学にあるからだ。戦いの土俵に上がってしまうことそれ自体が危険な行為であるという映画的な技法による説明があってもよかった。

 

総評

ジョーカーが取調室で不敵に言い放つ、“You complete me.”が全てである。人間は陰と陽が入り混じって生きているように、絶対的に正義を悪を区別できるものではない。Marvel Cinematic Universeではなトニー・スターク/アイアンマンの営為が、しばしば破壊的なアフターマスをもたらすが、今作のジョーカーは、スケールでは大きく劣るものの、残すインパクトはアイアンマンのそれに全く負けていない。むしろ上回っている。スーパーヒーローものとしては異色の作品にして大胆不敵な野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Ta-da!

 

Tah-dah!と書かれることもある。ジョーカーが序盤に鉛筆を消して見せるシーンで言い放つ。感嘆表現で、日本語の「ジャジャーン!」にあたると思ってよい。『 デッドプール 』でも盲目老婆のルームメイトであるアルが、棚を組み立て、イスに座る瞬間に発している台詞である。

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『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』 -パラレル・ワールド・ハリウッド・ストーリー-

Posted on 2019年9月6日2020年4月11日 by cool-jupiter

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 65点
2019年9月1日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ブラッド・ピット マーゴット・ロビー
監督:クエンティン・タランティーノ

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映画のタイトルとは何か。それは映画のプロットの究極の要約であり、映画のキャッチコピーでもある。つまり、これは昔話なのだ。昔話については『 サッドヒルを掘り返せ 』で少し触れた。端的に言えば、昔話とは心の原風景の物語である。そう、これはタランティーノの心の原風景にあるハリウッドの物語なのだ。

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あらすじ

リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は俳優。そのスタントマンのクリス・ブース(ブラッド・ピット)はショーファーにしてシャペロン、公私にわたって兄弟以上妻未満のパートナーだった。だが、プロデューサーからはイタリアで映画に出演しろと言われ、リックは自分が落ち目であることを悟る。しかし、自宅の隣に『 ローズマリーの赤ちゃん 』の監督として絶大な人気を誇っていたロマン・ポランスキーとその妻にして女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してきたことで、リックの役者魂は再び燃え上がり・・・

 

ポジティブ・サイド

レオナルド・ディカプリオは一作ごとに役者としての階段を駆け上がっていくようだ。どの作品を観ても、それがディカプリオの最高傑作のような気がしてくる。というのは、Jovianがディカプリの代表作の『 タイタニック 』を今もって未鑑賞だからなのだろうか。劇場公開時、Jovianは大学一年生だったが、当時のdream girlから「一緒に観に行こう」と言われて、それを言葉通りに受け取ってしまった。いつの間にか劇場公開は終わってしまっていた。少年老い易く、恋実り難し。

 

Back on track. ディカプリオ演じるリック・ダルトンも、文字通り生涯最高の演技を劇中で披露する。『 ジャンゴ 繋がれざる者 』の解剖生理学の講義およびメイドの脅迫シーンに匹敵するように感じた。タランティーノとディカプリオにはgreat chemistryが存在するのは間違いない。彼が呟く“Rick Fucking Dalton”という一言は、『 ボヘミアン・ラプソディ 』でラミ・マレックがリハーサルの最後にクイーンのメンバーにエイズであることを告げた後に、自分はパフォーマーであり、“Freddie Fucking Mercury”だと宣言した一言と全く同じ意味とニュアンスだ。本作はリック・ダルトンではなく、レオナルド・ディカプリオその人の練習やリハーサル・シーンも垣間見え、レオ様ファンにとって貴重な資料的作品にも仕上がっている。

 

ブラッド・ピットはディカプリオの影法師的存在だが、最良の友人でもある。そして中盤に大きな見せ場が待っている。デヴィッド・フィンチャー監督の『 セブン 』と『 ファイト・クラブ 』を彷彿とさせるシークエンスは、サスペンスとテンションの山場である。そして最終盤にはタランティーノをタランティーノたらしめる最大の要素の一つ、すなわち“暴力”が爆発する。言葉そのままの意味で笑ってしまうほどにユーモラスで、しかし、BGM無しで鑑賞すれば、低級スナッフフィルムかと見紛うチープな凄惨さである。おまけの部分は『 ゴーストバスターズ 』的なギャグシーンである。

 

タランティーノが『 続・夕陽のガンマン 』を激賞していることはよく知られているが、本作は彼のマカロニ・ウェスタンへの愛着とオマージュに満ちている。タランティーノにとっての心の原風景は1960年代終盤のハリウッドとマカロニ・ウェスタンなのだろう。『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』はハリウッドのアンダーグラウンドな面に光を当てた。『 ラ・ラ・ランド 』はロサンゼルスという土地へのラブレターだった。タランティーノは、ダークにしてチアフルなパラレル・ワールドのハリウッド世界がここに完成した。これでタランティーノも思い残すことが一つ減ったのだろう。『 マーウェン 』と同じく、芸術は人間よりも長く生きる。人間は変わるが、芸術は変わることなく存在し続ける。

 

ネガティブ・サイド

タランティーノはブルース・リーを一体何だと思っているのか。『 キル・ビル 』で見せたブルース・リーへのリスペクトは見せかけに過ぎなかったのか。それとも、タランティーノが評価するブルース・リーは俳優としてのブルース・リーであり、ブルース・リーその人の哲学や格闘能力ではなかったのか。ブルース・リーがハリウッドに及ぼした、そして現代にも残した影響の大きさを考えれば、本作におけるブルース・リーの扱いには賛否両論が出るだろう。というか、否が圧倒的に多いのではないだろうか。

 

“The Haunting of Sharon Tate”(邦題『 ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊 』)のニュースをたまたま読んでいたからよかったものの、Jovianの嫁さんはプロット全体を通じて何を言わんとしているのか、さっぱり分からなかったようである。確かに親切な作りであるとは言えない。ナタリー・ウッドをネタにするにしても、皆が皆、『 ウエストサイド物語 』などを観ているわけでもないはずだ。もう少し、この仮想のハリウッドについて説明的な要素が欲しかった。

 

総評

『 パルプ・フィクション 』のクオリティを期待してはならない。シャロン・テートやナタリー・ウッドについての知識がほんの少しでもあれば話は別だが、予備知識なしで観てしまうと、「各シーンは笑えたし、泣けたし、震えたけど、全体としては何だったんだ?」となってしまうだろう。劇場に向かうのであれば、これはクエンティン・タランティーノがハリウッドに関する記憶や思い出を自分なりに美化したパラレル・ワールド物語なのだと承知しておこう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m sorry about that.

 

ディカプリオがこう言って涙を流すシーンがある。ポイントはaboutという前置詞である。be sorry about ~で、~について謝る、ごめん、すまない、などの意味になる。対して、be sorry for ~で、~を気の毒に思う、という感じの意味になる。前置詞に関しては覚えてしまうのが早道だが、文字だけではなく、状況とセットで覚えた方が断然良い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ブラック・コメディ, ブラッド・ピット, マーゴット・ロビー, レオナルド・ディカプリオ, 監督:クエンティン・タランティーノ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』 -パラレル・ワールド・ハリウッド・ストーリー-

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