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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

Posted on 2019年9月17日2020年8月29日 by cool-jupiter

プライベート・ウォー 80点
2019年9月15日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク
監督:マシュー・ハイネマン

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これはヒューマンドラマの皮をかぶったホラー映画である。劇場で鑑賞後に即座にそのように感じた。ホラー映画における恐怖は、それがあまりにも理不尽だからこそ恐怖を感じるのだ。ということは、市民と軍人の別なく殺戮行為が横行する戦地のドラマはホラーであるとしか言いようがない。もう一度言うが、これはホラー映画である。

 

あらすじ

メリー・コルビン(ロザムンド・パイク)は戦場ジャーナリスト。スリランカでは爆撃に遭い、左目を失明してしまったが、それでも彼女は戦地の取材に赴くのを止めない。PTSDに悩まされ、上司からはストップをかけられるが、それでも彼女は止まらない。そして、ついに彼女は政府軍による空爆の続くシリアのホムズに足を踏み入れる・・・

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ポジティブ・サイド

日本でも今年『 新聞記者 』が公開され、大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。その他、映画大国アメリカに目を移せば、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』など、ジャーナリストたちの気概と奮闘に焦点を当てた作品の生産において、日本よりも遥かに先を行っていることが分かる。そこに本作である。『 ダンケルク 』や『 ハクソー・リッジ 』のような“戦地”を舞台に、スーパーマンのような兵士ではなく、私生活が滅茶苦茶で規律違反の常習者であるジャーナリストが克己奮励する様には、どうしたって胸を打たれずにはいられない。

 

このメリー・コルビン記者は、常に戦場の最前線で、普通なら面会できないような人物に次々に接触する。そしてものすのは名もなき一般人の悲嘆、怨嗟、苦悩の声を届ける記事なのである。ここに見出されるべきは、平和な国からやってきたジャーナリストの仕事ぶりではなく、一切の虚飾を取り払った究極の個人として行動する一人の人間の生き様である。事実、コルビンは上司の連絡も無視するし、会社が保険に別の記者を送り込んでくるという判断に激怒するし、アメリカ軍が従軍記者に求めるルールすらも呵々と笑い飛ばす。そして信じられない勇気と大胆さ、機転によって危地を脱していく。特にイラクの砂漠のど真ん中のシーンは国や状況は全く異なるが『 ボーダーライン 』で、主人公舞台がメキシコ国境を車で超える時のような緊迫感に満ちていた。中盤以降は、迫撃砲や爆弾の着弾音がストーリーの基調音を形作って、観る者の不安と恐怖を掻き立てる。血と泥と煙と埃がスクリーンを覆い、我々はむせ返るようなにおいすら嗅ぎ取ってしまう。繰り返すが、本作はホラー映画でもあるのだ。爆撃機やミサイル発射台などは一切その姿を見せず、ただいきなり命が奪われていく。これは怪物や怪異の正体が全く分からないままに、ただただ不条理に命が奪われていくホラー映画の文法と共通するものである。

 

なぜこのような危険な場所に好き好んで赴くのか。それはコルビンの本能の為せる業なのかもしれない。漫画『 エリア88 』でもミッキーやシンは戦場での生の実感を平和の内に見出せなかった。コルビンも同じである。平和な世界では、彼女は酒に溺れてしまう。まるで常習的にDV被害に遭っている妻が、暴力夫のところに舞い戻る、または似たような暴力男と再婚するかのように、彼女は戦地に舞い戻る。ここまで来ると後天的な帰巣本能なのだろう。戦争・紛争の理不尽さを紙面で糾弾するのではなく、権力者に面と向かって指摘する。その場で逮捕拘束されて、処刑されてもおかしくないはずだ。それをコルビンはやる。彼女が伝えるのは、戦地で生きて死んでいく、何の変哲もない人々のことである。養老孟司と宮崎駿の対談本『 虫眼とアニ眼 』でも、両者は「我々は人類のことを考え過ぎている」と喝破しているが、コルビンは人類ではなく個々人を見、話し、書いた。個の強さが必要と叫ばれる現代において、彼女の生き方は模倣や追随の対象には決してならないが、大いなるインスピレーションの源泉にはなるだろう。

 

ネガティブ・サイド

同じような戦場ジャーナリストたちの描写がもう少し必要だったと思う。例えば、Jovianの先輩で戦地・紛争地取材に携わった方がおられるが、「オレ、もう花火大会行けないよ。あのヒュ~っていう音が怖いもん」と真面目な顔でおっしゃるのだ。戦地での極限的な恐怖の経験が、平和な社会の些細とも思える事柄によって呼び覚まされるのかという描写が欲しかった。が、これはクラスター爆弾事件を起こしてしまうような、極限まで平和な国に生きている者の出過ぎた要求か。

 

Wikipediaや各種英語のサイトを見回ってみたが、コルビンという無二の記者は、とんでもないモテ女にして、夜の武勇伝から、実際に戦地での英雄的行動の数々を含めて、personal anecdoteに事欠かない人物だったことは間違いないらしい。このような“事実は小説よりも奇なり”を地で行く人物像の描写がほんの少し弱かったように思う。ほんの一言二言でよいのだ。スター・ウォーズでハン・ソロがほんの少しだけ言及したケッセル・ランや、フィンが「トリリアの虐殺を知らないのか?」と言ったような、ちょっとした印象的な固有名詞を聞かせてもらえれば、あとはこちらが勝手に検索できる。そして、コルビンのレジェンドをビジュアルを以って脳内で再生できるようになるのである。

 

あとは、映画そのもののマイナスではないが、字幕で「鑑」であるべき箇所が「鏡」になっていた。翻訳者および構成担当者は注意されたし。

 

総評

何度でも書くが、本作はホラー映画である。しかし、幽霊やチェーンソーを持った殺人鬼が出てくるわけではない。何か大きな力によって意味も分からずに人が死んでいく、そのことに義憤を感じた硬骨のジャーナリストの後半生を追ったヒューマンドラマでもある。領土を取り返すには戦争をするしかない、などという痴人か愚人か狂人にしかできない発言を国会議員が堂々と行い、それでいてお咎めなしという日本の平和は確かに享受すべきで、維持していくべきものだ。しかし、その平和が失われるとはどういうことかについて我々は余りにも無自覚すぎる。メリー・コルビンという記者の生き様を、今ほどこの目に焼き付けるにふさわしい時期は無いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You bet.

 

「もちろんだよ」、「オーケー」、「だな」のような肯定や確信の意味を伝える時、そして“Thank you”の返事をする時にさらっとこう言えるようになれば、その人は英語学習の中級者である。本作ではさらにカジュアル度の高い“No shit” という表現も使われている。こちらは「馬鹿言ってんじゃねー、当たり前だろうが」のようなニュアンスである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, イギリス, ヒューマンドラマ, ホラー, ロザムンド・パイク, 監督:マシュー・ハイネマン, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

『 マトリックス レボリューションズ 』 -Dawn of humanity-

Posted on 2019年9月16日 by cool-jupiter

マトリックス レボリューションズ 75点
2019年9月10日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:キアヌ・リーブス ローレンス・フィッシュバーン ヒューゴ・ウィービング
監督:アンディ・ウォシャウスキー 監督:ラリー・ウォシャウスキー

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シリーズの完結作・・・だったはずだが、第4作の製作が決定したとの報が。インディ・ジョーンズになってしまうのでは、との懸念があるが、評価はこの目で確かめてから下したいと思う。

 

あらすじ

マトリックスに接続することなくマトリックスに侵入したネオ(キアヌ・リーブス)。現実世界とマトリックスの中間にあたる謎の空間に幽閉されていたが、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)らによって救出される。ザイオンにはセンティネル兵団が迫っている。状況を変えるためネオは一人、マシン・シティーを目指すが・・・

 

ポジティブ・サイド

ナイオビの船が狭い空間を滅茶苦茶な操艦技術で通り抜けていく様は爽快の一言。元ネタは『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のデス・スター内部への侵入と脱出シークエンスだと思われるが、これは純粋なオマージュとして受け取ろうではないか。同じように狭いところを飛ぶというコンセプトは、ゲームの『 エースコンバット 』シリーズにも受け継がれているし、他にも継承者は探せばもっともっとあるはずだ。

 

また、マトリックスからプログラムが現実世界に位相を移してくるというアイデアも素晴らしい。小説『 クリスタルサイレンス 』でも主人公たる透明人間が同じようなことをしていたが、“ウェットウェア”というアイデアは、今後確実に中国かロシア、またはアメリカが開発を目指すことになるだろう。素晴らしい着想である。

 

マシン・シティーは全てCGではあるが、どこかH・R・ギーガー的な雰囲気を帯びていたのが印象的だ。そのフィールドを闊歩する巨大なマシンたちは、漫画および映画の『 BLAME! 』の建設者のようである。というか、やはりこれもオマージュと見て良いのだろう。そう判断させてもらう。Jovianはこういうオマージュは大好物であり、大歓迎する。

 

初見では???だったエンディングにも一定の意味を見出すことができた。スミスの言う、“The purpose of life is to end.”へのアンチテーゼなのだろう。生命の目的とは、「続く」ということ、もしくは「始まる」ということを強く示唆しているように思えてならない。悪性腫瘍の如く増殖したスミスは、実際にはウィルスに近い存在だ。他の生物の細胞分裂の機序にただ乗りすることで増えるのがウィルスであるが、ネオはそのウィルスを見事に駆逐した。生きとし生けるものは、自らの生を自らで背負わねばならない。生きていくことそのものを目的にしなければならない。エンディングはそのように観る者に語りかけているように感じられた。ウォシャウスキー兄弟は、おそらくこうしたメッセージを発したわけではないだろう。しかし、受け手が自分なりに答えを受け取ることができる映画というのは、そう多くない。

 

ネガティブ・サイド

SFアクションの世界で、バトルが全て肉弾戦というのも、それはそれでありだろう。だがいやしくもSFであるのなら、そこには武器・兵器をしっかりと使いこなしてほしい。『 スター・ウォーズ 』が唯一無二の名作なのは、SF的な世界(正しくはおとぎ話、昔話の世界)にチャンバラと持ちこんだことが大きい。もちろん、ブラスターによる撃ち合いは西部劇のアナロジーである。だが、戦闘機によるドッグファイトやデス・スターやスター・キラーといった超絶トンデモ兵器の存在によって、すべてのバランスが奇跡的に整っている。それは本作も同じで、ネオとスミスのバトルとザイオンとセンティネル兵団の戦いは、奇妙なパラレリズムを成している。問題は、やはりそのバランスだ。マトリックスという仮想現実空間でのバトルが少なすぎる。そのバトルも漫画『 ドラゴンボールZ 』の影響を受けていることがありありと分かってしまう、少々残念なもの。前作でアイデアが枯渇してしまっているのだろうか。

 

ミフネ隊長率いる部隊は、そのまんま『 エイリアン2 』のパワーローダー。シリーズを通じて様々なガジェットが過去の偉大な作品へのオマージュになっていることが伺えたが、これはあまりにも露骨だった。だが、本シリーズのセンティネルは『オール・ユー・ニード・イズ・キル 』のギタイのモデルとして採用されたようだ。インスパイアの連鎖は続いているのだから、これは減点材料ではないのかもしれない。

 

総評

マトリックスと人類の奇妙な共存および敵対関係の円環が閉じたと感じられる、完結作にふさわしい幕切れである。が、大いなる疑問も残る。救世主たるネオはどうなった?培養人間たちの今後は?プログラムやマシンの見出す目的とは?本作の本当の評価が定まるのは、まだ見ぬ続編のリリース後になるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is it.

 

単純明快な表現だが、訳すとなると難しい。文脈に応じて意味が変わるからだ。This =現在の状況、またはこれから起こること、it = 話者のイメージしていること、と理解しよう。そうすれば、「これで終わりだ」、「遂に始まったぞ」など、コンテキストに応じて意味を解釈できるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, SFアクション, アメリカ, キアヌ・リーブス, ヒューゴ・ウィービング, ローレンス・フィッシュバーン, 監督:アンディ・ウォシャウスキー, 監督:ラリー・ウォシャウスキー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 マトリックス レボリューションズ 』 -Dawn of humanity-

『 マトリックス リローデッド 』 -前作からはパワーダウン-

Posted on 2019年9月15日 by cool-jupiter

マトリックス リローデッド 70点
2019年9月9日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:キアヌ・リーブス ローレンス・フィッシュバーン ヒューゴ・ウィービング
監督:アンディ・ウォシャウスキー 監督:ラリー・ウォシャウスキー

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『 マトリックス 』は文句なしの大傑作だったが、続編たる本作はペーシングに少し問題を残す。前半は完全なるアクション映画、後半は完全なるSFミステリ。このあたりの作品のトーンの統一が為されていれば、シリーズ三部作のクオリティは『 スター・ウォーズ 』や『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』に迫っていたかもしれない。

 

あらすじ

救世主として覚醒したネオ(キアヌ・リーブス)は、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)らと共にマシンとの闘いに身を投じていた。だが、マシン側はザイオンを壊滅させんと25万ものセンティネルを送り込んできた。マシンの侵攻を止めるには、「ソース」にネオが出向くしかない。「ソース」にたどり着く鍵、キー・メーカーを探し出すため、ネオはマトリックスに入っていく・・・

 

ポジティブ・サイド

高速道路のアクションはクレイジーの一言に尽きる。ネオのスーパーマンごっこもクレイジーだし、大量のエージェント・スミス相手の無双もクレイジーだ。特に、金属の棒でスミスをぶっ叩き、薙ぎ払っていくのは、PS2ゲームの『 戦国無双2 』のオープニング・デモを思わせる。というよりも、KOEIは本作をヒントに無双アクションを考えたのではないかとさえ思えてくる。極端な話、頭を空っぽにしても前半は視覚的に存分に楽しめる。

 

また、このシリーズで最も際立ったキャラクターはエージェント・スミスを演じるヒューゴ・ウィービングで間違いない。前作では3人のうちのリーダー格という程度だったが、今作では最も危険なエージェントとして覚醒。その風貌、サングラス、スーツ、口調、特徴的なレジスター(=使用言語領域)と相俟って、完璧なキャスティングであると言える。サングラスとスーツがこれほど似合うキャラクターは、ブルース・ブラザーズを除いてはエージェント・スミスだけだろう。

 

ザイオンという都市もディストピアな感じを上手に醸し出していている。ハイテクなメカを使用する軍事体制と、古代ギリシャ・ローマ的な原始的な政治体制の共存は、人類の後退を確かに思わせる。そんな中でも普遍的な家族愛や男女の愛憎入り乱れる人間関係は、人間の人間らしさを思わせると同時に、人間とマシーン、人間とプログラムとの間の境目を曖昧模糊としたものにしている。メロビンジアンとその愛人の関係は、人間のそれと何ら遜色がない。その不思議な感覚を受け入れられる世界を構築したウォシャウスキー兄弟の卓越した想像力と構想力は、現代においても評価を下げることは全くない。むしろ更に評価を上げている。なぜなら、現実の世界においてシンギュラリティ=技術的特異点が到来することがますます現実味を帯びて予感されているからだ。

 

本作の最もスリリングな瞬間は、ネオとアーキテクトの対話であろう。新約聖書の使徒行伝か、それとも何らかの手紙の記述に、「イエスという奴が出てきたらしい。革命の指導者になれる器だそうだ」「前にもそういう奴がいたが、結局は駄目だった。今回もしっかり様子を見よう」という会話が交わされる箇所があった。マトリックス世界は、マシンをローマ軍、ザイオン=シオン=イスラエル=パレスチナ(この等式が乱暴であることは理解しているつもりである)という過去の歴史の模倣、パロディであると見ることもでいるだろう。そもそもトリニティからして三位一体=神=精霊=イエスの意味である。何を言っているのか分からないという向きには『 ジーザス・クライスト=スーパースター 』を鑑賞してみてほしい。

 

ネガティブ・サイド

トリニティとネオのラブシーンは果たして必要か?いや、生々しいベッドシーンも、マトリックスという仮想現実との対比でリアリティを演出したいという意図があってのことなら、理解できる。また、マシンとの戦争という命の危機にあって、生存本能が極限にまで高まっているからという説明も許容可能だ。しかし、サイケデリックなラブシーンやダンスシーンというのは、個人差もあるだろうが、マトリックス世界にはそぐわないように感じた。

 

また、前作『 マトリックス 』ではそれほど目立たなかったものの、本作ではモーフィアスのネブカドネザル号の内部のコクピットシーンが、スター・ウォーズのミレニアム・ファルコン号のそれと酷似していると感じられたり、あるいは白スーツのエージェントが『 ゴーストバスターズ 』を彷彿させたりした。もちろん、前作も様々な映画の換骨奪胎ではあるのだが、それらの残滓や痕跡をほとんど感じさせないパワーがあった。アクションはパワーアップしたが、オリジナリティ溢れる物語の、そして映画の技法のパワーが本作には少々不足していた。その点が大いに不満である。

 

総評

革命的な面白さだった第一作には及ばない。しかし、クオリティの高さは十分に保っているし、二十年近い歳月を経てもアクションやSF的な要素に古さを感じさせないことは、それだけでも名作の証である。『 エイリアン2 』は『 エイリアン 』を未鑑賞でも楽しめてしまうが、本作はBTTFの1、2と同じく、一作目の鑑賞が必須である。ゆめゆめ本作から鑑賞する愚を犯すことなかれ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

So far, so good.

 

預言者がネオの台詞を聞いてこのように言う。「ここまでのところは順調だ」のような意味である。

“How’s the project going?” / “So far, so good.”

などのように使う。機会があれば、使ってみよう。フレーズは正しいシチュエーションとセットで使うことで身に着く。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, SFアクション, アメリカ, キアヌ・リーブス, ヒューゴ・ウィービング, ローレンス・フィッシュバーン, 監督:アンディ・ウォシャウスキー, 監督:ラリー・ウォシャウスキー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 マトリックス リローデッド 』 -前作からはパワーダウン-

『 マトリックス 』 -SFアクションの新境地を切り拓いた記念碑的傑作-

Posted on 2019年9月12日 by cool-jupiter

マトリックス 90点
2019年9月7日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:キアヌ・リーブス ローレンス・フィッシュバーン ヒューゴ・ウィービング
監督:アンディ・ウォシャウスキー ラリー・ウォシャウスキー

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あれから20年か。当時、Jovianは大学2年生の夏休みがちょうど終わった頃だった。確か新宿のバルト7でブラジル人、アメリカ人と一緒に観たんだったか。『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』のミディ=ファッキン=クロリアンのせいで心にすきま風が吹き抜けていたのを、この映画によって回復したんだった。

 

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あらすじ

アンダーソン(キアヌ・リーブス)は昼は巨大ソフト会社の社員プログラマー、夜はネット世界でハンドルネーム“ネオ”と名乗る凄腕ハッカー。そんな彼にトリニティという謎の女性が接触してくる。彼女についていった先で、アンダーソンは世界の真実を知ることになり・・・

 

ポジティブ・サイド

本作はSFアクション映画としても、ディストピア映画としても、歴史に残る傑作である。「古い革袋に新しい酒」とはよく言ったもので、ウォシャウスキー兄弟(当時)はワイヤーアクションとスローモーションに新たな生命を吹き込んだ。カンフーを始め、未来を舞台にするSF映画であるにも関わらず、hand to hand combatをここまで追求して描くという、このギャップが最高だ。さらにブレット・タイムにはファンのみならず業界人も度肝を抜かれたことは間違いなく、以降に作成された作品は洋の東西を問わず、テレビドラマか映画であるかを問わず、とにかく360度回転カメラ撮影でブレット・タイムを使いまくっていた。そして、その影響は今でも『 わたしに××しなさい! 』や『 Diner ダイナー 』といった、ややビミョーな出来の邦画でも確認できる。とにかく、映画史を変える技法を大々的に使ったことが本作の大きな貢献の一つであることは間違いない。同時に、ブルース・リー、ジャッキー・チェンによって開拓されたカンフー映画の系譜に連なる映画である点も見逃してはならない。新しさは、時に古いものを全く違う方向性に適用することで生まれる。そのことは、スター・ウォーズが宇宙戦争でありながら、チャンバラで雌雄を決する時代劇の要素を取り入れたことが大成功の要因になったことからも明らかである。

 

もう一つ、本作の世界観が現代においても全く古びていないことも見逃せない。人間とAI、そして機械の対立、戦争そのものはテーマとしては古い。事実、1960年代に公開された『 2001年宇宙の旅 』はAIによる殺人が大きなパートを占めているし、『 ターミネーター 』シリーズはスカイネットというAIの暴走から全てが始まった。だが、本作がユニークなのは、VR技術の進展が著しい現代においてより顕著になる。すなわち、人間は機械を必要とし、機械も人間を必要としているというところだ。人間は機械に熱を提供し、人間は機械=マトリックスを揺り籠に夢を見る。そうした未来像は決して非現実的とは言い切れない。藤崎慎吾の小説『 クリスタルサイレンス 』でも、「私にとって肉体は単なるずだ袋ですよ」と言い切るキャラが登場するし、『 レディ・プレイヤー1 』でもオアシス中毒になる人間は無数にいた。『 ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来 』でも、人間と虚構の親和性を論じていた。人間は現実だけに生きるわけではない。好むと好まざるとに関わらず、AIという新たなテクノロジーの勃興期である現代において、本作は鑑賞の価値をさらに増している。

 

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ネガティブ・サイド

『 インセプション 』や『 レディ・プレイヤー1 』でも、現実世界と仮想世界(夢の世界、ゲーム世界)の判別に困難をきたすシーンがあったが、マトリックス世界では体にプラグを差し込む穴があり、これによって否応なく現実世界を認識させられる。そこは良くできていると感じる。一方で、現実世界でも睡眠は必要で、睡眠時には人間は必ず夢を見るものだ。そうした夢の世界とマトリックス世界の境目にたゆたう感覚に、誰かが苦しむ、あるいは恍惚とするようなシーンがあってもよかったように思う。これは現代の視点で物語世界を眺めた時の感想かな。

 

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総評

1999年の劇場公開から20年を経てのtheatrical re-releaseは本当にありがたい。4DXでの鑑賞はかなわなかったが、梅田ブルク7のDolbyCinema2Dでも映像の美しさや迫力は十二分に伝わってくる。映画は巨大スクリーンでこそ映えるが、本作は大音響、大画面で鑑賞することで映像芸術としての魅力が倍増する。時期的にレザーコートは着辛いが、サングラス着用で劇場へどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Run, Neo! Run!

 

言わずと知れた『 フォレスト・ガンプ 』の名セリフ、 “Run, Forrest! Run!” へのオマージュであろう。アメリカでは誰かに「逃げろ」、「走れ」という時には、“Run, 名前, Run”というのがそれ以来normになっているとかいないとか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, S Rank, SFアクション, アメリカ, キアヌ・リーブス, ヒューゴ・ウィービング, ローレンス・フィッシュバーン, 監督:アンディ・ウォシャウスキー, 監督:ラリー・ウォシャウスキー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 マトリックス 』 -SFアクションの新境地を切り拓いた記念碑的傑作-

『 バットマン 』 -ダークヒーロー誕生物語-

Posted on 2019年9月9日 by cool-jupiter

バットマン 70点
2019年9月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マイケル・キートン ジャック・ニコルソン ビリー・ディー・ウィリアムズ
監督:ティム・バートン

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やはり新作DC映画『 ジョーカー 』の封切を前に、復習の意味で鑑賞。ちなみに『 スーサイド・スクワッド 』を見直す予定はない。ハーレイ・クインの単独映画リリース前には最鑑賞するかもしれない。

 

あらすじ

ゴッサムシティには犯罪が絶えない。しかし、警察が取り締まれない悪人たちを夜毎に制裁するバットマン(マイケル・キートン)がいた。その正体は大富豪のブルース・ウェイン。そして、犯罪組織内の仲間割れでジャック・ネイピア(ジャック・ニコルソン)は警察とバットマンに追われる。辛くも逃れた彼はしかし、ジョーカーへと変貌してしまった・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングのダークでおどろおどろしい雰囲気の映像に、ダニー・エルフマンのTheme Musicが奮っている。アニメの「バットマ~ン!」ではなく、「ダダダダーダ」の旋律が、どこか危うい力強さを感じさせる。これによって観る者は一気にゴッサムに入っていくことができる。素晴らしいシークエンスである。

 

またマイケル・キートンも、ベン・アフレック並みにハマっている。というか、ベン・アフレックがマイケル・キートン並みにハマっていると評すべきか。クリスチャン・ベールはバットマンとして卓越した演技を見せたが、最もブルース・ウェインに近いのはキートンであるように感じる。鼻持ちならない金持ちで、プレイボーイなところがよく似合っている。また、バットマンとしての演技でも魅せる。特に、振り向き様や真上を見上げる瞬間の身のこなし、その時にピタリと動きを止めて見せるところから、原作コミックの絵を忠実に再現しようとしていることが分かる。ティム・バートンの美意識とマイケル・キートンのプロフェッショナリズムが上手く相互作用した。

 

だが、何と言ってもジャック・ネイピアおよびジョーカーを演じたジャック・ニコルソンだろう。『 シャイニング 』はホラー映画の金字塔として今も燦然と輝いている。そのことは『 レディ・プレイヤー1 』を観てもよく分かる。その狂気が今作でも爆発。しかも真っ白の顔がルージュの口紅のようなもので常に笑った顔にメイクアップされ、しかも紫のスーツ!完全にイカれているのが外見からだけでも分かるが、行動もinsaneの一言。曲撃ちで元々の組織のボスを撃ち殺したかと思えば、『 ゴーストバスターズ(1984) 』のマシュマロマン的な人形に詰め込んだ毒ガスを散布したりと、犯罪者を通り越して大量殺人者、無差別テロリストである。このジョーカーも相当に恐い。バットマン自身が原作コミックに忠実に動いていたり、ゴッサムの街そのものが『 シザーハンズ 』や『 スリーピー・ホロウ 』的な世界観を纏っている、つまり、この世ならざる幻想世界のような雰囲気を醸し出す中で、容赦なく人を殺して回るジョーカーは決して道化師ではない。また、『 ダークナイト 』の名シーンである、バットマンがジョーカーを轢き殺さんと真正面から対峙する構図は、すでに本作で描かれていた。すなわちバットウィングで上空からジョーカーを射撃するバットマンと、超長砲身の銃でバットウィングを撃墜せんとするジョーカーの対決シーンである。このシーンを観るのは三度目だが、何度観ても手に汗握る名シーンである。

 

もう一つ、ジャック・ネイピアの若い頃を演じた俳優が良い。ジャック・ニコルソンを若返らせれば、確かにこうなるだろうという容姿である。ハンニバル・レクター/アンソニー・ホプキンスの若き頃を演じたギャスパー・ウリエルを思い起こした。余談だが、Jovianの同僚イングランド人はマッツ・ミケルソンをホプキンス以上と激賞する。

 

コミカルなダークさ、hand to handの格闘アクション、バットモービルやバットウィングなどの大型ガジェットなども見物で、バットマンというアメリカで最も有名な(Jovian調べ:同僚アメリカ人2人にアンケート調査)スーパーヒーローとそのarchnemesisであるジョーカーとの対決を堪能できる逸品である。

 

ネガティブ・サイド

ゴードンやデントの存在感の無さ。特にビリー・ディー・ウィリアムズは空気なのかと思えるほど、劇中で存在感を発揮しない。ハービー・デントの名が泣くではないか。

 

また執事アルフレッドの存在感も今一つだ。両親を早くに亡くして、というか殺されてしまったブルース・ウェインの心の拠りどころの大部分はこの老執事にあるのだから、彼にもそれなりの見せ場が欲しかった。飲食物を手配したり、取材費を渡してやったり以外にもするべきことはあったはずだ。アルフレッドがブルース人生におけるpositive male figureである演出があってしかるべきだった。この部分が欠けてしまっているが為に、バットマンがなぜ夜な夜な悪と戦うのかという動機づけの説明、または観る側に推測させる材料が不足してしまっている。

 

キム・ベイシンガーのキャラクターが個人的にはハマっているようには見えなかった。大富豪と二人っきりでディナーを楽しみ、同衾しながら、翌朝には「普段の自分はこんなことしない」と、そのことを後悔するなど、キャラクターがぶれまくっている。ゴッサムにカマトトは似つかわしくない。

 

総評

ジョーカーの登場シーンで頻繁に流れる“Beautiful Dreamer”が摩訶不思議な雰囲気を生み出している。ティム・バートン世界とゴッサムは相性が良さそうだ。リアル路線のバットマンおよびスーパーヒーローものも悪くないが、幻想的な世界で繰り広げられるバットマンとジョーカーの攻防の面白さは、とてもユニークである。『 ダークナイト 』のジョーカーはカリスマ性を感じさせるが、波長が合えばこちらのジョーカーの方がチャーミングかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How much do you weigh?

 

「体重はどれくらいだ?」の意味である。“What do you weigh?”も同じくらい良く使われる表現である。こんな表現を頻繁に使うのはボクシング関係者および熱心なボクシングファンくらいであろうが、覚えておいて損になるものでもない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, B Rank, アクション, アメリカ, クライムドラマ, ジャック・ニコルソン, ビリー・ディー・ウィリアムズ, マイケル・キートン, 監督:ティム・バートン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 バットマン 』 -ダークヒーロー誕生物語-

『 ダークナイト 』 -ヒーローの限界を露わにする野心作-

Posted on 2019年9月8日2019年9月8日 by cool-jupiter

ダークナイト 75点
2019年9月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリスチャン・ベール ヒース・レジャー アーロン・エッカート
監督:クリストファー・ノーラン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190908210007j:plain

 

DC映画『 ジョーカー 』の封切を前に、復習の意味で鑑賞。シーザー・ロメロが演じたジョーカーまでは、さすがにさかのぼる余裕はなかった。

 

あらすじ

犯罪の絶えないゴッサム・シティに新たな犯罪者、ジョーカー(ヒース・レジャー)が現れた。ブルース・ウェイン/バットマン(クリスチャン・ベール)はゴードン警部補やハービー・デント検事と共に、次から次へと引き起こされるジョーカーの犯行を止めるべく奔走するが・・・

 

ポジティブ・サイド

バットマンというキャラは時代と共に変化する。当初は殺人も厭わないキャラで、生み出された時代背景を反映し、栄えあるfirst villainは日本人マッドサイエンティストだったようである。バットマンというキャラは顔がほとんど隠れてしまっているわけで、表情の演技が難しい。そこをクリスチャン・ベールは目と声、そして立ち居振る舞いと格闘アクションで存分に表現した。

 

だが、月並みではあるが、本作で称賛すべきはヒース・レジャーなのだろう。ジョーカーに関しては、ジャック・ニコルソンのイメージが最も強くJovianには残っているが、このジョーカーはこのジョーカーで類稀なる説得力を有している。冷酷無比、悪逆非道だからヴィランであるわけではない。見方を変えれば、スーパーヒーローというのは、悪役たちを片っ端から問答無用で始末しているわけで、彼ら彼女らこそ冷酷無比にして、悪逆非道であるとの見方も成り立つわけである。ジョーカーをそこをさらにひっくり返した。端的に言えば「バットマンよ、俺を殺せ」というのジョーカーのメッセージなわけで、正義と悪が戦っているわけではない。戦っているのはどちらも悪だと言いたいわけだ。仮面を脱げ、というのは、善人ぶるのをやめろ、ということだ。そのことは、クライマックスの客船と囚人船の対比で明らかになる。だが、ここでストーリーは見事に転換する。多くの人が既に本作を鑑賞済みと思われるが、まだ観ていないという方も当然おられよう。タイトルがダークナイト=闇の騎士であることには大いなる意味が込められている。武士道は主君のために死ぬことを是とし、騎士道は名誉や正義や真実といった抽象概念に奉仕し、それらを具現化することを是としていることの対比が思い起こされよう。バットマンが掲げる正義の理想は、決して赫耀たる光輝を帯びた正義ではない。陳腐ではなるが、我々はヴィランやヒーローを超えたところに正義を見出す。このパラダイム・シフトこそが本作の最大の貢献だろう。

 

ネガティブ・サイド

トゥー・フェイスの存在感が今一つである。完全にジョーカーに呑まれているように思う。だが、作品自体のテーマが正義と悪の不可分性、両者の境目の不可知性なのだから、その境界線上の存在であるトゥー・フェイスには相応の存在感が求められる。これでは、ただの頭脳明晰な悪人ではないか。バットマンが必殺仕事人なら、デントは長谷川平蔵であるべきではないか。コイントスの結果によって正義と悪の両方向に極端に揺れ動く様が、もう一つ弱かった印象である。まあ、このヒース・レジャーと共演するというのは、ライブ・エイドでクイーンの後にパフォームするようなものではあるが・・・

 

ジョーカーの異常性や危険性を際立たせる演出がもう少しあってもよかった。『 ダークナイト ライジング 』でアルフレッドが、「ベインと戦ってはいけない。あなたに勝ち目はない」と忠告したような演出が、今作のジョーカーにあっても良かった。ジョーカーの危険性はその強さではなく、その狂った哲学にあるからだ。戦いの土俵に上がってしまうことそれ自体が危険な行為であるという映画的な技法による説明があってもよかった。

 

総評

ジョーカーが取調室で不敵に言い放つ、“You complete me.”が全てである。人間は陰と陽が入り混じって生きているように、絶対的に正義を悪を区別できるものではない。Marvel Cinematic Universeではなトニー・スターク/アイアンマンの営為が、しばしば破壊的なアフターマスをもたらすが、今作のジョーカーは、スケールでは大きく劣るものの、残すインパクトはアイアンマンのそれに全く負けていない。むしろ上回っている。スーパーヒーローものとしては異色の作品にして大胆不敵な野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Ta-da!

 

Tah-dah!と書かれることもある。ジョーカーが序盤に鉛筆を消して見せるシーンで言い放つ。感嘆表現で、日本語の「ジャジャーン!」にあたると思ってよい。『 デッドプール 』でも盲目老婆のルームメイトであるアルが、棚を組み立て、イスに座る瞬間に発している台詞である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アーロン・エッカート, アクション, アメリカ, クライムドラマ, クリスチャン・ベール, ヒース・レジャー, 監督:クリストファー・ノーラン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ダークナイト 』 -ヒーローの限界を露わにする野心作-

『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』 -パラレル・ワールド・ハリウッド・ストーリー-

Posted on 2019年9月6日2020年4月11日 by cool-jupiter

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 65点
2019年9月1日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ブラッド・ピット マーゴット・ロビー
監督:クエンティン・タランティーノ

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映画のタイトルとは何か。それは映画のプロットの究極の要約であり、映画のキャッチコピーでもある。つまり、これは昔話なのだ。昔話については『 サッドヒルを掘り返せ 』で少し触れた。端的に言えば、昔話とは心の原風景の物語である。そう、これはタランティーノの心の原風景にあるハリウッドの物語なのだ。

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あらすじ

リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は俳優。そのスタントマンのクリス・ブース(ブラッド・ピット)はショーファーにしてシャペロン、公私にわたって兄弟以上妻未満のパートナーだった。だが、プロデューサーからはイタリアで映画に出演しろと言われ、リックは自分が落ち目であることを悟る。しかし、自宅の隣に『 ローズマリーの赤ちゃん 』の監督として絶大な人気を誇っていたロマン・ポランスキーとその妻にして女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してきたことで、リックの役者魂は再び燃え上がり・・・

 

ポジティブ・サイド

レオナルド・ディカプリオは一作ごとに役者としての階段を駆け上がっていくようだ。どの作品を観ても、それがディカプリオの最高傑作のような気がしてくる。というのは、Jovianがディカプリの代表作の『 タイタニック 』を今もって未鑑賞だからなのだろうか。劇場公開時、Jovianは大学一年生だったが、当時のdream girlから「一緒に観に行こう」と言われて、それを言葉通りに受け取ってしまった。いつの間にか劇場公開は終わってしまっていた。少年老い易く、恋実り難し。

 

Back on track. ディカプリオ演じるリック・ダルトンも、文字通り生涯最高の演技を劇中で披露する。『 ジャンゴ 繋がれざる者 』の解剖生理学の講義およびメイドの脅迫シーンに匹敵するように感じた。タランティーノとディカプリオにはgreat chemistryが存在するのは間違いない。彼が呟く“Rick Fucking Dalton”という一言は、『 ボヘミアン・ラプソディ 』でラミ・マレックがリハーサルの最後にクイーンのメンバーにエイズであることを告げた後に、自分はパフォーマーであり、“Freddie Fucking Mercury”だと宣言した一言と全く同じ意味とニュアンスだ。本作はリック・ダルトンではなく、レオナルド・ディカプリオその人の練習やリハーサル・シーンも垣間見え、レオ様ファンにとって貴重な資料的作品にも仕上がっている。

 

ブラッド・ピットはディカプリオの影法師的存在だが、最良の友人でもある。そして中盤に大きな見せ場が待っている。デヴィッド・フィンチャー監督の『 セブン 』と『 ファイト・クラブ 』を彷彿とさせるシークエンスは、サスペンスとテンションの山場である。そして最終盤にはタランティーノをタランティーノたらしめる最大の要素の一つ、すなわち“暴力”が爆発する。言葉そのままの意味で笑ってしまうほどにユーモラスで、しかし、BGM無しで鑑賞すれば、低級スナッフフィルムかと見紛うチープな凄惨さである。おまけの部分は『 ゴーストバスターズ 』的なギャグシーンである。

 

タランティーノが『 続・夕陽のガンマン 』を激賞していることはよく知られているが、本作は彼のマカロニ・ウェスタンへの愛着とオマージュに満ちている。タランティーノにとっての心の原風景は1960年代終盤のハリウッドとマカロニ・ウェスタンなのだろう。『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』はハリウッドのアンダーグラウンドな面に光を当てた。『 ラ・ラ・ランド 』はロサンゼルスという土地へのラブレターだった。タランティーノは、ダークにしてチアフルなパラレル・ワールドのハリウッド世界がここに完成した。これでタランティーノも思い残すことが一つ減ったのだろう。『 マーウェン 』と同じく、芸術は人間よりも長く生きる。人間は変わるが、芸術は変わることなく存在し続ける。

 

ネガティブ・サイド

タランティーノはブルース・リーを一体何だと思っているのか。『 キル・ビル 』で見せたブルース・リーへのリスペクトは見せかけに過ぎなかったのか。それとも、タランティーノが評価するブルース・リーは俳優としてのブルース・リーであり、ブルース・リーその人の哲学や格闘能力ではなかったのか。ブルース・リーがハリウッドに及ぼした、そして現代にも残した影響の大きさを考えれば、本作におけるブルース・リーの扱いには賛否両論が出るだろう。というか、否が圧倒的に多いのではないだろうか。

 

“The Haunting of Sharon Tate”(邦題『 ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊 』)のニュースをたまたま読んでいたからよかったものの、Jovianの嫁さんはプロット全体を通じて何を言わんとしているのか、さっぱり分からなかったようである。確かに親切な作りであるとは言えない。ナタリー・ウッドをネタにするにしても、皆が皆、『 ウエストサイド物語 』などを観ているわけでもないはずだ。もう少し、この仮想のハリウッドについて説明的な要素が欲しかった。

 

総評

『 パルプ・フィクション 』のクオリティを期待してはならない。シャロン・テートやナタリー・ウッドについての知識がほんの少しでもあれば話は別だが、予備知識なしで観てしまうと、「各シーンは笑えたし、泣けたし、震えたけど、全体としては何だったんだ?」となってしまうだろう。劇場に向かうのであれば、これはクエンティン・タランティーノがハリウッドに関する記憶や思い出を自分なりに美化したパラレル・ワールド物語なのだと承知しておこう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m sorry about that.

 

ディカプリオがこう言って涙を流すシーンがある。ポイントはaboutという前置詞である。be sorry about ~で、~について謝る、ごめん、すまない、などの意味になる。対して、be sorry for ~で、~を気の毒に思う、という感じの意味になる。前置詞に関しては覚えてしまうのが早道だが、文字だけではなく、状況とセットで覚えた方が断然良い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ブラック・コメディ, ブラッド・ピット, マーゴット・ロビー, レオナルド・ディカプリオ, 監督:クエンティン・タランティーノ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』 -パラレル・ワールド・ハリウッド・ストーリー-

『 500ページの夢の束 』 -自閉症少女の旅立ち-

Posted on 2019年9月2日 by cool-jupiter

500ページの夢の束 65点
2019年8月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダコタ・ファニング トニ・コレット
監督:ベン・リューイン

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原題は“Please Stand By”、「スタンバイ願います」の意である。テレビおよび映画のスター・トレックでしばしば使われる表現である。Jovianの父およびJovianの同僚のイングランド人はコテコテのトレッキーであるが、JovianはStar Warsおfanboyである。そしてエル・ファニングのファンでもある。ならば、その姉のファンになっても良いではないか。

 

あらすじ

ウェンディ(ダコタ・ファニング)は自閉症の女子。周囲の人間や家族とすらも、時にコミュニケーションが難しくなるが、スター・トレックのハードコアなファンで、その知識の量と正確さは他のナード連中を圧倒する。ある時、パラマウント・ピクチャーズがスター・トレックの脚本コンテストを開催していると知り、自分でも応募を試みるが・・・

 

ポジティブ・サイド

自閉症の方が知り合いや身内におられるだろうか。Jovianのいとこに一人いる。とにかく数学の才能に優れ、楽器をすぐにマスターし、一度のめり込んだら何時間でも絵を描き続ける。しかし、正月やお盆に親戚が一堂に会してご飯を食べたり、結婚式や葬式の食事などでも他人を待つ、皆と同じタイミングで食べ始めるということができない。また話しがかみ合わない。というよりも、言葉の裏の意味が読み取れない。そんな自閉症の症状をダコタ・ファニングは見事に描き切った。

 

トニ・コレットも毎度のことながら良い仕事をしている。『 シックス・センス 』から『 ヘレディタリー/継承 』に至るまで、苦悩する母親といえばトニ・コレットなのである。いや、実際は姉ソーシャルワーカーにしてカウンセラーなのだが、精神的な意味での母親だと呼んで差し支えないだろう。『 セッションズ 』でもそうだったが、ベン・リューイン監督は社会からcast outされがちな人々に光を当てることに長けている。人間がサルからヒトになったと判断できる基準は様々にあるだろうが、セックスが子作りではなく愛情表現、さらに濃密なコミュニケーションになっているかどうかであると思う。『 セッションズ 』からはそれを学んだ。愛情があるからセックスするのではなく、セックスから生まれる愛情もある。陳腐ではあるが、障がい者を通じてこそ見えてくるものもある。

 

Back on track. スター・トレックは『 スター・ウォーズ 』と並んでクレイジーなファンが多いことで知られている。そのクレイジネスを活かした脚本がここに出来上がった。人は愛するものと一体化したいという欲望を持つ。スター・トレックの製作者たちはそのことをよく知っている。実際には彼ら彼女らは脚本の一般公募をしているからだ。だからこそ、本作にはリアリティがある。『 ファンボーイズ 』は死ぬ前にスター・ウォーズの新作を観たいという欲望、いや本能を満たすためのストーリーで、言ってみれば自慰行為だ。しかし、本作は愛情表現。そこが違う。500ページの夢の束は、500ページのラブレターなのである。

 

ウェンディの旅路を是非とも見届けて欲しい。

 

ネガティブ・サイド

ウェンディが「渡ってはいけない」とされていた道路を、割とあっさりと渡ってしまうシーンには少し萎えた。ルーティンに従うことで心の安定を保てる自閉症者が、いくら大好きなスター・トレックのためとはいえ、そこまで簡単に自分のルールを変えられるだろうか。このあたりにもう少し逡巡する描写が欲しかった。

 

ウェンディにクイズで挑んでいた連中は、何だったのか。ただの引き立て役か。こういう奴らこそがウェンディの旅の役に立たなくてどうする?またはウェンディ捜索に人肌脱がなくてどうする?はたから見れば変人のウェンディにも、家族やチワワ以外の誰かがいるのだということを見せて欲しかった。自閉症者はコミュニケーション能力に欠けていても、その他の能力が一般人のそれを凌駕していることが多い。そのことが他人を遠ざける原因になることもあるし、逆に他人を引きつける要因になることもありうる。実際にバイト仲間のトニー・レヴォロリはウェンディにロマンティックな意味での好意を抱いている。そうでなくとも、趣味嗜好を同じくする者同士の連帯感を描いてくれても良かったのではなかろうか。ローン・ガンメンみたいな奴らとして、彼らが登場してくれるのを期待していたのだ。

 

総評

静かな、しかし確実に長く残る余韻をもたらす映画である。トレッキーではなくても楽しめるし、逆にスター・トレックの知識が無いほうが、純粋に物語を鑑賞できるかもしれない。自分ではよく分からないけれど、他人が夢中になっているものに、人は興味を抱くものだから。ウェンディという一人の少女の旅立ちの先に、「未知との遭遇」が待っているかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Do you know who I am?

「私が誰だか知っていますか?」の意である。つまり、端的に言って名前を知っているか?と尋ねているわけである。英語学習の中級者ぐらいでも、“Do you know me?”と言ってしまう人がたくさんいるが、これは「私がどんな人間か分かってくれてるよね?」、「俺ってやつのこと、ちゃんと理解してくれてるだろ?」のような意味である。“Listen to me.”が「私を聞け」ではなく「私の言うことを聞いて」という意味だということの類推で理解しよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ダコタ・ファニング, トニ・コレット, ヒューマンドラマ, 監督:ベン・リューイン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 500ページの夢の束 』 -自閉症少女の旅立ち-

『 アメリカン・ピーチパイ 』 -面白スラップスティック・ラブコメディ-

Posted on 2019年8月31日 by cool-jupiter

アメリカン・ピーチパイ 65点
2019年8月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アマンダ・バインズ チャニング・テイタム
監督:アンディ・フィックマン

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近所のTSUTAYAで、ふと目についた。近年はLGBTを主題に持つ作品が量産されているため、本作のように女子が男子に化けるストーリーというのが逆に新鮮に映る。原題は“She’s the Man”。つまり、「彼女は男だ」という意味と「彼女はサイコーだぜ!」のダブルミーニングである。

 

あらすじ

女子サッカー部が廃部になってしまったため、ヴァイオラ(アマンダ・バインズ)はサッカーを続けるために、ロンドンに行った兄に成りすまし、兄の高校の男子サッカー部に入部する。そこでデューク(チャニング・テイタム)に恋をしてしまう。だが、デュークは学校一の美女のオリヴィアに恋をしており、そのオリヴィアは男子らしからぬ女子力の持ち主のヴァイオラのことを気に入ってしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

アマンダ・バインズがひたすらに可愛らしい。川口春奈が『 桜蘭高校ホスト部 』で男装したのも悪くはなかったが、中性的、またはユニセックスな魅力を放っているとは言い難かった。アマンダはそれなりに豊かなバストをサラシできつく巻くのはもちろんのこと、もみあげ、眉毛に至るまでメイクアップしている。このあたりは予算や監督の意識の違いであって、日米のメイクアップ・アーティストの技術差であるとは思わないが。

 

チャニング・テイタムが若い。『 マジック・マイク 』の圧倒的な肉体は完成されていないが、『 ホワイトハウス・ダウン 』の頃の気弱そうに見える瞬間もありながら、闘志を内に秘めたタイプを好演した。

 

『 ミーン・ガールズ 』は女子高生の生態にリアルかつフィクショナルに迫った。一方で本作は男子高校生の生態にリアルに迫っている。特に、女子が振られて、あるいは分かれて落ち込んでいるところを狙い目だと話す悪童連に姿に、眉をひそめる向きはあっても、それが男性心理の真理の一面であることは否定できまい。

 

本作はDVDメニュー画面が面白い。英語学習中の人で、関係代名詞がちょっと・・・という方は、本作を借りてみよう。または配信サービスで探してみよう。

 

ネガティブ・サイド

いくつか撮影や編集に欠点がある。弱点ではなく欠点である。その最も目立ったものは、ヴァイオラの転校初日のサッカー部の練習シーンである。わずか1秒足らずであるが、カメラマンとカメラ機材の影が映りこんでいるシーンがあるのである。これは、しかし、大きな減点要素だ。映画を映画たらしめるのは、それを撮影している人間の存在が画面内に絶対に映り込まないことである。

 

もう一つ。映画を映画たらしめるのは、一連のシークエンスを本当にその時間の経過通りに起きている出来事なのだと観る側に錯覚させるテクニックである。つまりは編集である。その編集が本作はいくつかのパートで非常に雑になっている。特に最終盤の試合後、昼の光と傾きかけた太陽の光が混在していた。役者の演技に納得いかない監督がリテイクを繰り返したのだろうか。繋がらない画を無理やり繋げても良いことはない。

 

だが本作の最大のマイナスポイントは邦題だ。なんでこんな狂ったタイトルをつけてしまうのか。夏恒例の水着映画だから、とでも言うのか。そんなシーンは冒頭の数分だけだ。

 

総評

友情、恋愛、家族の対立と絆、内面の葛藤などのありふれた要素が散りばめられているが、そのバランスが良い。何かが突出してフォーカスされていたり、あるいはあるテーマが他のテーマの小道具になっていたりはしていない。女子力の高い男はモテる、という普遍の真理は本作でも確認できる。LGBTの物語はちょっと食傷気味という向きにこそお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Pounce

 

普通は肉食動物が獲物に襲いかかる様子を描写する為に使われる動詞だが、しばしば「異性を落としにかかる」、「異性を(性的な意味で)食べに行く」の意味で使われる。もしも映画の音声と字幕の意味が普通の辞書で一致しない時は、urban dictionaryを試しみて欲しい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アマンダ・バインズ, アメリカ, チャニング・テイタム, ラブ・コメディ, 監督:アンディ・フィックマン, 配給会社:ドリームワークスLeave a Comment on 『 アメリカン・ピーチパイ 』 -面白スラップスティック・ラブコメディ-

『 ロケットマン 』 -I’m gonna love me again-

Posted on 2019年8月27日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ロケットマン 』 -I’m gonna love me again-

ロケットマン 70点
2019年8月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:タロン・エガートン リチャード・マッデン ブライス・ダラス・ハワード
監督:デクスター・フレッチャー

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ブライアン・シンガーが降板した『 ボヘミアン・ラプソディ 』を、ある意味で立て直したデクスター・フレッチャーの監督作品である。それだけでも話題性は十分だが、日本との関係で言えば、テレビドラマの『 イグアナの娘 』のテーマ曲だったことを覚えている30代、40代は多いだろう。Jovian自身のエルトン・ジョンとの邂逅はロッド・スチュワートのアルバム『 スマイラー 』収録の“レット・ミー・ビー・ユア・カー”だった。ライトなエルトン・ジョンのファンとしては、本作はそれなりに楽しめた。

 

 

あらすじ

レジー・ドワイト少年はピアノの神童だった。奨学金を得て王立音楽院に通えるほどの才能に恵まれていながら、彼はいつしかロックに傾倒していった。そして、名前をエルトン・ジョン(タロン・エガートン)に変え、音楽活動を本格化する。そして作詞家バーニー・トーピンと出会い、意気投合。彼らは成功を収めるも、エルトンは満たされたとは感じられず・・・

 

 

ポジティブ・サイド

タロン・エガートンの歌唱力、ピアノの演奏、そしてエルトンの動きの模倣。これらはラミ・マレックが『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたの同じレベルにある。ただ、あまりにもあからさまなので、アカデミー賞は取れないだろうが。それでも、容姿の点ではマレックとマーキュリーよりも、エガートンとジョンの方が近い。その点は素晴らしいと称賛できるし、何よりもエルトンの幼年期を演じた子役のシンクロ度よ。写真で見比べて「うおっ!」と感嘆の声を上げてしまうほどだ。

 

そしてブライス・ダラス・ハワードは、ますますmilfy(気になる人だけ意味を調べてみよう)になったようだ。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』でアリソン・ジャネイが演じた母親とは一味違う、恐怖の母親を演じた。子どもにとって生みの親に愛されないことほど辛いことはない。その愛情がスパルタ教育という形で表れるのは、まだましな方なのかもしれない。愛の反意語は無関心であると喝破したのは、マザー・テレサだったか。この母親は子どもの持つ並はずれた才能にも頓着せず、カネの無心ばかり。このあたりの演技と演出方法が抜群であるため、物語の開始早々から我々はレジーの心象風景であるミュージカルシーンに違和感なく入っていくことができる。この冒頭のシークエンスは、どこか『 グレイテスト・ショーマン 』の“A Million Dreams”に通じるものを感じた。子どもというのは空想、イマジネーションの世界に遊ぶことができるのだ。その媒体としての音楽=LPレコードとの出会いを、今度は父親が無下に拒否する。我々の心はさらに締め付けられる。かくしてレジーは音楽へ没入せざるを得なくなる。

 

そのレジーが生涯の友のバーニーと邂逅するシーンはリアルである。エルトン・ジョン自身が監修しているのだから当然と言えば当然だが。初対面の二人は互いの音楽の趣味嗜好を確かめ合うのだが、それがぴたりと合う。そこからは意気投合あるのみ。このあたりは『 はじまりのうた 』でマーク・ラファロがキーラ・ナイトレイと互いの音楽の趣味について語り合った場面と共通するが、あれをもっと一気に凝縮した感じである。音楽家同士が理解し合うのに百万言は必要ないのである。このカフェのシーンは実に印象的だ。

 

楽曲面で言えば、すべてを自らの声で歌いきったタロン・エガートンには称賛することしかできない。特に“Your song”は、歌詞からインスピレーションを得て生まれてくるメロディにピアノと声で生命を与えていくシークエンスには、魂が震えるような衝撃を受けた。また個人的にはストーリー中盤のライブでの“Pinball Wizard”が白眉だった。発声可能上映が期待される。

 

エンターテインメントとして完成度が高く、ダンスシーンも圧巻の迫力。なによりもエルトン・ジョンのファンではなくとも、彼の抱える苦悩と共感しやすい作りになっている。愛情を得られない子ども、仮面をかぶり自分を偽る大人、自分という存在を認めてくれる別の存在を求めて彷徨するvagabond。自己を表現することで自己を隠していた天才的パドーマー。愛されるためには、愛さねばならない。そんな人生の真理のようなものも示唆してくれる。稀代の歌い手の前半生を追体験できる伝記映画にして娯楽映画の良作だ。

 

ネガティブ・サイド

映画がフィーチャーしている時代が異なるので仕方がないと言えば仕方がないのだが、エンドクレジットにおいてすら“Candle in the wind”が流れないのは解せない。もしかして、最初から続編の予定ありきなのだろうか。

 

また、一部のニュースによると、ラミ・マレック演じるフレディを作中に登場させるという構想もあったらしいが、それも色気を出し過ぎだし、話題を無理やり作りたい=商業主義的な考え方が透けて見えてしまう。そんなにクロスオーバーをしたいのであれば、悪徳マネージャーのジョン・リードをエイダン・ギレンに演じさせれば良かったのだ(クイーンにとってのジョン・リードはそこまで悪辣ではなかったらしいが)。

 

また、せっかくエルトン・ジョンの前半生に焦点をあてるのなら、レジー・ドワイトの時代にもう数分を割いてもよかった。『 ボヘミアン・ラプソディ 』の構成で最も印象深かったのは、フレディ・マーキュリーがファルーク・バルサラであった時代に光を当て、なおかつフレディがライブ・エイドの最中にファルークに戻って、母親にキスを送るシーンだ。もちろん、別人の物語なので全く同じ構成にはできないが、もっと王立音楽院での学びが後のキャリアに生きてくる描写なども欲しかった。B’zの松本も音楽の専門学校でジャズを学んだことが創作活動に活かされていると常々語っているではないか。

 

最後に、やはり締めには壮大なライブシーンが欲しかった。『 リンダリンダリンダ 』や『 ソラニン 』もそうだったが、音楽の映画の締めにはライブこそふさわしいと思うのである。

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総評

これは素晴らしい作品である。色々と注文をつけたくなるのも、それだけ素材が良いからである。1970~1980年代に青春を過ごした日本のシニア層には『 ボヘミアン・ラプソディ 』並みに刺さるのではないか。エルトン・ジョンを知らない世代でも、両親や親戚、会社の先輩などと一緒に(気が向けば)鑑賞に出かけてほしい。サム・スミスのような新世代の歌手が生まれてきた下地を作ったのは、エルトン・ジョンやジョージ・マイケルのような偉大な先達なのだから。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

“We’ll be in touch.”

『 殺人鬼を飼う女 』で日→英で紹介したフレーズがさっそく登場した。ビジネスパーソンならば、是非とも使ってみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, タロン・エガートン, ヒューマンドラマ, ブライス・ダラス・ハワード, ミュージカル, リチャード・マッデン, 監督:デクスター・フレッチャー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 ロケットマン 』 -I’m gonna love me again-

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