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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』 -気軽に笑える安心コメディ-

Posted on 2020年8月25日2021年1月22日 by cool-jupiter

ジェクシー! スマホを変えただけなのに 65点
2020年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アダム・ディバイン アレクサンドラ・シップ
監督:ジョン・ルーカス スコット・ムーア 

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監督および脚本は『 ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い 』のジョン・ルーカスとスコット・ムーアのコンビ。となると、大いに笑えてちょっぴり考えさせられるコメディに仕上がっているのは間違いない。日本版の副題は『 スマホを落としただけなのに 』のパロディだが、ホラー要素はないので安心して観に行ってほしい。

 

あらすじ

フィル(アダム・ディバイン)はスマホ依存症。ある時、街中で偶然にケイト(アレクサンドラ・シップ)と知り合うも、直後にアクシデントでスマホが壊れてしまう。新しいスマホを手に入れたフィルは、「あなたの生活向上を支援します」というジェクシーというAIと奇妙な共同生活を始めるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

主役のフィルはなんと『 ピッチ・パーフェクト 』と『 ピッチ・パーフェクト2 』のトレブルメーカーズの嫌味な男筆頭のバンパーを演じたアダム・ディバインではないか。ベラーズの面々は男とのある意味でとても不毛な惚れた腫れたの関係から華麗に卒業していったが、こちらは対極的にお一人様を楽しむ優雅な中年男。『 結婚できない男 』の阿部寛とは方向性がまるで違うが、フィルのような独身貴族は全世界で軽く数百万人は存在するのではないか。それほどリアルな人物の造形であり描写である。まず、職業がネット記事のライターというところが笑わせる。誰しも「○○○がオワコンである5つの理由」とか「株で成功する人が共通して持つ3つの習慣」といった、テンプレ感丸出しの記事を読んだことがあるだろう。つまり、常日頃から我々をスマホにくぎ付けにすることに血道を上げる職業人なのだ。この情けないやら有り難いやらの中間の存在のフィルに感情移入できるかどうかが大きなポイント。もしも、「何だ、つまんねー主人公だな」と感じるなら本作はスルーしよう。「なんか親近感がある」と思えれば劇場へ行こう。

 

スマホに気を取られて道を歩いていて人にぶつかってしまう。その時、ぶつかった相手ではなく自分のスマホの方を気にかけてしまうフィルに、「人の振り見て我が振り直せ」と感じる人も多いはずだ。だが人間万事塞翁が馬。これがもとでケイトに出会い、ケイトとの出会いがジェクシーとの出会いをもたらしたのだから。ケイト演じるアレクサンドラ・シップのフィルモグラフィーを見て、こちらにもびっくり。なんとあの怪作『 X-MEN:ダーク・フェニックス 』のストームではないか。だが本作ではミュータントではなくいたって普通の人間。というよりもいたって普通の女子である。笑顔がチャーミングで、それでいて野暮なフィルのデートの誘いを快諾。半年ぶりにすね毛を剃ったという女子力ゼロの発言から、小洒落た高級レストランを出て街中のバーへ。あれよあれよの夜中のサイクリング軍団への合流から、深夜の路上の情熱的で扇情的なキス。日本の少女漫画の映画化では絶対に描けないような極めてリアルな大人のデートである。そのすべてに輝きを与えているのは他ならぬケイト。正直、なぜこれで男がいないのかと訝しくなるが・・・おっと、これ以上は劇場で確かめてほしい。

 

スマホと人間の恋愛というと『 her 世界で一つの彼女 』という優れた先行作品がある。あちらは純粋なSFだったが、こちらは純粋なコメディ。そのことを象徴的に表すのが、ジェクシーとフィルのテレホンセックス。言葉で互いを高め合うのではなく、充電用ケーブルのコネクタをスマホ本体に抜き差しするという物理的なセックス。もう笑うしかない。トレイラーで散々映されているから、このぐらいはネタバレにはならないだろう。ジェクシーの魅力は何と言ってもuncontrollableなところ。電源を切ろうにも切らせてくれないし、フィルのプライバシーや口座、SNSにも易々とアクセス。生活を向上させてくれるかどうかはビミョーであるが、フィルを生き生きとさせていることは間違いない。ケイトと自分を比較して「あの女にはポケモンGOもGoogle Mapsもない」と言い放つ。それがフィルにはそれなりに堪える台詞なのだから、情けないやら身につまされるやらで、なんだかんだで笑ってしまう。

 

ストーリーは完全に予定調和で、ランタイムも90分を切るというコンパクトな作りである。脇を固めるキャラも人間味があるし、マイケル・ペーニャは『 アントマン 』並みのマシンガントークで相変わらず笑わせてくれるし、フィルの生活はスマホを片時も手放せない現代人なら、思わず理解してしまったり共感してしまうシーンのオンパレードである。何も考えずに80分笑って、時々はスマホから離れて友人や恋人、家族と語らおう。そんな気にさせてくれるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

スマホショップの老婆は必要だったか。いや、必要だったのは分かるが、何らかのキーパーソンであると見せかけて、これでは・・・。『 ステータス・アップデート 』の不思議なアプリ入りのスマホのように、特定の人物からしか手に入らない特別なスマホとAIという設定の方が良かったのではないか。フィルのようなスマホのヘビーユーザーなら、ジェクシーのことを「なんかヤバいぞ」と感じた瞬間にその場でググるはずだし、新しくできた友人たちにジェクシーというAIを知っているかと尋ねることもできたはずだ。ジェクシー搭載のスマホがありふれたものなのか、それとも希少なのか。そこがはっきりしない点が釈然としなかった。

 

主人公のフィルがジャーナリスト志望という点もストーリーとは密接にリンクしていなかった。ジェクシーに振り回される自分を題材に、【 スマホに振り回されないための10の心得 】みたいな記事を書いてバズる、あるいはマイケル・ペーニャ演じる上司にしこたま怒られる、という展開があっても良かったように思う。そうした経験が肥やしになってこそ、ラストが光り輝くのだろう。

 

細かい点ではあるが、土砂降りの雨のシーンとその後の会社のシーンがつながっていなかた。フィルはびしょ濡れ、オフィスの大きな窓からは陽光が燦々、というのは邦画でもちらほら見られるミスだ。

 

総評

本作は様々な層を楽しませるだろう。高校生以上のカップルや夫婦で楽しんでも良し。もちろん優雅な独身貴族も歓迎だ。そして、あなたがトム・クルーズの大ファンだというなら、本作は決して見逃してはならない。Jovianは何が何でも字幕派だが、本作に関しては日本語吹き替えにも興味がある。誰か吹き替え版の感想を詳細にどこかに書いてくれないかな。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

think outside the box

『 サラブレッド 』でも紹介したフレーズ。マイケル・ペーニャ演じるボスが会議中に言う台詞。意味は「既存の枠組みにとらわれずに考える」である。ビジネスパーソンなら知っておきたいし、実践もしたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ディバイン, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, コメディ, 監督:ジョン・ルーカス, 監督:スコット・ムーア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』 -気軽に笑える安心コメディ-

『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』 -学生、観るべし-

Posted on 2020年8月23日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 75点
2020年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ビーニー・フェルドスタイン ケイトリン・デバー
監督:オリヴィア・ワイルド

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原題は booksmart 。通常は book smart と離して表記すると思われる。意味はwell-readと同じ、つまり「本をたくさん読んでいて賢い」ということ。しばしば、street smart = 実地に色々と経験してきた、との対比される。ちなみにボクシング業界ではたまに ring smart という表現も使われる。意味は推測の通り「リング上で経験を積んでいて巧妙」ということである。

 

あらすじ

高校の生徒会長モリー(ビーニー・フェルドスタイン)とその親友エイミー(ケイトリン・デバー)は成績優秀。モリーは名門大学への進学が決まっており、エイミーも海外に進学する。だが、同級生たちも名門への進学や大手への就職が決まっていると知ったモリーは、勉強ばかりの高校生活を後悔・卒業前日の夜に盛大に羽目をはずそうと、エイミーと共にパーティー会場を目指そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

プロット自体は陳腐である。どこかイケてない女子が、パーっとはじけようとするという点では『 エイス・グレード 世界いちばんクールな私へ 』に通じる。だが、あちらは中学生で、こちらは高校生。畢竟、下ネタも解禁される。というよりも、下ネタのオンパレードである(それはちょっと言い過ぎか)。パンダのリンリンへのあいさつには笑いを禁じ得なかったし、その他のシーンでも映画館のあちこちから笑い声が漏れていた。本当はこのご時世飛沫を飛ばすような行為はご法度なのだが、そんな意識すら薄れてしまうほど、本作のユーモアには容赦がない。パーティーで意中の相手といい雰囲気になった時の予習に、スマホにイヤホンをしてポルノ動画を食い入るように見つめていると、いきなりそれがBluetooth接続されて大音量で車内に響くというのも現代的だ。似たような失敗を家庭や学校、職場でやらかしたという人がいても全くおかしくない。下ネタだけではない笑いもいっぱいあるので、そこは安心してほしい。そして、セックス未遂シーンもあるので期待してほしい。

 

ニックというスクールカーストの頂点にいる男の主催するパーティーへ向かうはずが、あちらこちらと寄り道させられる、その過程も楽しい。神出鬼没のジジと実は良い奴ジャレッド、同族嫌悪的だが自分たちの写し鏡でもあるジョージとアランの演劇コンビなど、モリーとエイミーの高校の多士済々ぶりが際立つ。目的のニックの叔母宅にたどり着けない二人が、SNSの画像からあれこれと推理していくのは『 Search サーチ 』的で楽しいし、配車サービスだけではなく、図々しくもピザのデリバリー車に便乗しようとするところも微笑ましい(良い子は真似をしないように)。

 

なんとか目的地にたどり着いた二人。場慣れしていないため舞い上がってしまうが、なんとか上手く馴染めそう。それぞれが意中の相手にアプローチしていく様子には、こちらも素直に応援をしたいという気持ちにさせられる。だが好事魔多し・・・

 

主役の一人のビーニー・フェルドスタイン、どこかで観た顔だと思ったら『 レディ・バード 』のシアーシャ・ローナンの親友か。さらにリサーチをしたら(つまり英語Wikipedia記事を読んだ)、なんとジョナ・ヒルの妹。確かに顔はそっくりだ。

 

様々な高校生の青春模様をわずか一日半に凝縮してしまったのはお見事。終盤の展開をどうまとめるかという難題にも、キャラの特長とフェアな伏線と見事に対処。恋と友情は別もの。だからこそ大ゲンカもできるし仲直りもできる。世界は大きく広がるけれど、それで二人の距離まで広がってしまうわけではない。近年の青春映画としては突出した面白さを誇る快作である。

 

ネガティブ・サイド

字幕にローザ・パークスが出てこないのは何故だ?ルールを破った偉人としていの一番に言及されているのに。同性愛者同士の語らいやまぐわい、黒人美女の担任に言い寄るメキシコ系の生徒まで描写されているのに、ローザ・パークス(『 ハリエット 』のハリエット・タブマンと並んで、20ドル札の文字通りの顔となる候補者だった)が字幕に出てこないというのは翻訳担当者あるい配給会社の字幕校正・編集担当の不始末だと指摘しておきたい。

 

ポルノ大音量事件は大いに笑ったが、Bluetoothでクルマ側からスマホに接続するにはペアリングが必要なはず。劇中のようにスイッチを押した瞬間に同期完了というのはありえない。笑いの瞬間最大風速を狙ったが故の単純ミスだろう。

 

劇中でほとんど時計が出てこないのは賢明だと感じたが、いったいこの卒業前夜の夜の長さはどうなっているのか。ロサンゼルスの6月の日没は20:00頃。モリーがエイミー両親に「エイミーは私の家に泊まる」と言って連れ出した時には外はすでに真っ暗。パーティー会場入りは一体何時だったのだろうか?劇中の時間の経過を推測するに23:00過ぎ?パーティー会場入りまでがドタバタしすぎではなかったか。

 

総評

『 スウィート17モンスター 』と並んで、日本の中学高校生あたりに是非とも観てほしい作品である。エイミーとモリーは当たり前のようにスマホユーザーであるが、二人の会話は徹頭徹尾、対面の口頭である。もちろん世界的パンデミックで#StayHomeが推奨されているが、それでも本作は夏休みの内に劇場で観賞してほしいと思う。多くの児童、生徒、学生が「自分たちの学校生活って何なんだろう?」という疑問を抱いてるに違いないが、その疑問に対する一つの答え(必ずしも模範的な回答ではないが)が本作にはある。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What’s shaking?

校長先生がエイミーとモリーに出会った瞬間にかけた言葉。“What’s up?”や“What’s going on?”と同じで、「よう」や「調子どう?」という意味である。かなりカジュアルな表現なので、友人相手だけに使うこと。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ケイトリン・デバー, ビーニー・フェルドスタイン, 監督:オリヴィア・ワイルド, 配給会社:ロングライド, 青春Leave a Comment on 『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』 -学生、観るべし-

『 12モンキーズ 』 -ウィルス&タイムトラベルものの名作-

Posted on 2020年8月23日2021年1月12日 by cool-jupiter

12モンキーズ 80点
2020年8月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ブルース・ウィリス マデリーン・ストウ ブラッド・ピット クリストファー・プラマー
監督:テリー・ギリアム

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アホな政治家は「コロナは高温多湿に弱い」と言っていたが、日本は完全に第二波のただ中のようである。こういう時こそ過去のウィルス系の映画を観返すべきだと思う。手洗いは完全に市民に定着したようだが、我々は今こそ本作中でもブラピによって言及されるセンメルワイス医師の功績を再認識しようではないか。

 

あらすじ

2035年、人類はウィルスにより大多数が死滅。生き残った者も地下深くで生活し、地上には動物たちが闊歩している。

 

ポジティブ・サイド

ブルース・ウィリスが良い感じ。『 オールド・ボーイ 』のチェ・ミンシクが生きたタコを貪り食ったが、ブルース・ウィリスも蜘蛛をむしゃむちゃ。シャワーでは尻の割れ目を披露。そして第一次大戦のフランス軍の塹壕では一瞬だが逸物も披露。シリアスな話のはずが、どこかユーモラスだ。そこにクスリ漬けにされたウィリスと、正気ではあるが現代人の目からは狂人に見えるウィリスという二面性。序盤の時間軸とストーリーの虚実が定まらないこの感じが、いかにもテリー・ギリアムのテイスト。

 

ブラピの狂いっぷりもなかなかの見どころ。科学の進歩をテロで食い止めようとする輩は『 トランセンデンス 』などに見られるようにスマートに狂った輩が多い。そうした意味では本作のブラピのストレートな狂いっぷり(こちらも負けじと尻の割れ目を披露)は、文字通りの意味で世紀末的である。ブラピが最も面白いのは、最後の最後に実行する社会擾乱罪だろうか。なるほど、これはなかなか愉快なテロ行為で、なおかつ2020年代の現在でもリアリティがある。ブラピが最も不気味なのは、精神病棟でテレビの録画について滔々と解説するシーンだろうか。大昔に観た時には何も感じなかったが、20年以上ぶりに観返して、背筋がゾッとした。デイヴィッド・ピープルズとジャネット・ピープルズの二人の脚本家は天才ではあるまいか。ウィリスが目にする数々の動物のビジョンや他のデジャヴにも感心させられたが、このテレビ録画のシーンの気味の悪さと意味の深さには唸らされた。

 

ストーリーは軽妙にして重厚、単純にして複雑である。ウィリスもブラピも、人類を救うべく行動しているという点では同じである。重い使命である。そして、地下生活に順応してしまったウィリスの地上生活への憧憬と音楽などの世俗的な娯楽の享受が、とても大きな意味を持っている。人類のため、ではなく、自分のためにと行動するウィリスが次第次第に正気を失っていく様は痛々しい。12モンキーズという謎の軍団の探求のミステリーとサスペンスでぐいぐいと観る者を引き込んでいく。普通に鑑賞してもあっという間の2時間10分であり、再鑑賞すればさらに引き込まれる2時間10分である。

 

ネガティブ・サイド

ウィリスを途中から甲斐甲斐しく支えることになるキャサリンが、割と安易にロマンチックな関係に陥ってしまうのは何故なのか。この手のプロフェッショナルが、患者やクライアントに恋愛感情を抱くのはご法度であり、自身の気持ちをコントロールする術もある程度は体得しているはずだ。そうした人物が、相手が未来人とはいえ、いや未来人だからこそ、適切な距離を保てないというのは腑に落ちなかった。

 

ウィリスのキャラクターが最後まで混乱しっぱなしというのも気にかかった。並外れた記憶力の良さを買われた割には、肝心なところを思い出せないというのはご都合主義的だと感じた。

 

総評

幾重にも張り巡らされた伏線を見返すのも楽しいし、現今のコロナ禍と重ね合わせて人間考察してみるのもよいだろう。まだ観たことがないという若い映画ファンは、配信やレンタルで要チェックである。『 マトリックス 』や『 マイノリティ・リポート 』のようなテイストの作品を好む向きであれば、ぜひ鑑賞されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ventilation

「換気」の意。今やいかに rooms with good ventilation / well-ventilated= 風通しの良い部屋を確保するかが、どこのオフィスや学校でも喫緊の課題になっている。知っておくべき語と言えるだろう。ちなみに緊張状態やストレスから起こるとされる「過呼吸」は hyper ventilation と言う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, SF, アメリカ, クリストファー・プラマー, ブラッド・ピット, ブルース・ウィリス, マデリーン・ストウ, 監督:テリー・ギリアム, 配給会社:松竹富士Leave a Comment on 『 12モンキーズ 』 -ウィルス&タイムトラベルものの名作-

『 オズ はじまりの戦い 』 -及第点の前日譚-

Posted on 2020年8月17日2020年8月17日 by cool-jupiter

オズ はじまりの戦い 60点
2020年8月15日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジェームズ・フランコ ミラ・クニス レイチェル・ワイズ ミシェル・ウィリアムズ
監督:サム・ライミ

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『 オズの魔法使 』の前日譚。オズがいかにして大魔法使いとして、エメラルド・シティーに君臨するようになったのかを描いている。色々と不満な点もあるが、前日譚としては及第点である。

 

あらすじ

「偉大なる男」になることを夢見るカンザスの手品師オズ(ジェームズ・フランコ)は、気球事竜巻に飛ばされてオズの国へとたどり着く。そこではオズという名の魔法使いの到来が予言されていた。大魔法使いだと勘違いされたオズは、東の魔女エヴァノラ(ミラ・クニス)に、邪悪な魔女を倒してほしいと頼まれてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

あちらこちらに『 オズの魔法使 』へのオマージュが見られる。カンザスはモノトーン、オズの国はカラーというのもそうであるし、カンザスにいる人物、たとえばオズの助手の男性が、オズでは従者の猿になり、車イスの少女が、脚の壊れた陶器の少女になるところもそうだ。ブリキ男やかかし、ライオンにもつながる伏線もある。サム・ライミ監督によるこうしたリスペクト溢れる演出を歓迎したい。

 

ジェームズ・フランコは『 スプリング・ブレイカーズ 』でも感じたことだが、ダメ男や詐欺師を演じることで本領を発揮できるのではないか。はっきり言って序盤から中盤にかけてのオズは全くいけ好かない男なのであるが、それが徐々に変わっていき、なおかつダメさ加減も適度に残す終盤のオズは、なかなか演じられる役者はいないだろう。

 

ミラ・クニスも西の魔女を怪演。口角の上げ下げや眉間にしわをキープする顔面の演技がマーガレット・ハミルトンへのリスペクトであることは明らか。細長い顔のハミルトンと丸っこい顔をクニスでは、そもそもミスキャストだったのではないかと思うが、それを乗り越える熱演を見せる。あのキンキン響く笑い声にも、ノスタルジアを感じた。

 

終盤のオズと西の悪い魔女セオドラとの対決シーンは一大スペクタクルである。オリジナル作品へのリスペクトと、20世紀初頭という時代背景、そして映画という媒体のすべてを一つにまとめた圧巻のクライマックスである。江戸川乱歩が『 魔人ゴング 』で描いた空中に浮かぶ巨大な顔と笑い声というのは、きっとこういうものなのだろう。大乱歩は英語にも堪能だったので、原作の児童文学を読んで、魔人ゴングを構想したのではないかとすら思えた。この巨大な映像と音響に圧倒される魔女や民衆の姿は、そのまま映画という技術に圧倒的な感動を覚えた20世紀前半の人類の姿であり、映画ファンの原型=archetypeなのではあるまいか。

 

全編通じて『 オズの魔法使 』へのオマージュとリスペクトが溢れる作品である。

 

ネガティブ・サイド

細かい部分の粗が目立つ作品である。竜巻の中で気球のゴンドラには鋭利な破片が次々と突き刺さる。だが、オズの国の川に不時着したゴンドラには水が一切浸水しない。また、川の妖精にしこたま噛みつかれたオズのズボンに、ほつれ一つないのは何故なのか。CG処理による弊害が如実に出ている。

 

そのCGの濫用が随所で目立つ。グリンダのシャボン玉はまだ許せる。だが、遠景ならともかく、1~2メートル先の背景すらCGで描いてしまうのはどうなのか。オズの国が実在するのか、それともすべてはドロシーが頭を打った拍子に見た夢なのか。これは今でも議論になるところである。Jovianは夢派であるが、だからといってオズの国の実在は否定しない。エジプトに行ったことがない人間でも、伝聞を基にエジプトの夢を見ることは可能だからだ。本作はオズの国を実在するものとして描いている。であるならば、もっとオーガニックに、オズの国をあれやこれやを実際に手で触れることができるものとして描いて欲しかった。『 シンデレラ 』や『 美女と野獣 』と違い、カンザスやオズという固有名詞で土地を描くからには、その土地の実在性や迫真性をしっかりと担保せねばならないと思う。そして、その手段はCGであるべきではない。クライマックスこそ、ある意味ではCGの先駆的な表現形態であり、そこに至るまでにふんだんにCGを使ってしまうのは逆効果であると感じる。

 

総評

ミュージカルの『 ウィキッド 』とは一味違う解釈で西の悪い魔女の誕生を描いている点が、賛否の分かれるところかもしれない。だが、本作の解釈と描写もそれなりに納得ができるものであるし、終盤のカタルシスも悪くない。レンタルや配信で視聴する前に『 オズの魔法使 』の事前・復習鑑賞は忘れずに。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

(all) rolled into one

センテンスの最後にくっつけて、「すべてが一つにまとまった物/人である」という意味になる。使い方は以下のようになる。

 

He is a lawyer and an entrepreneur rolled into one.

彼は弁護士かつ起業家でもある人物だ。

 

She is a singer, a composer and an actress all rolled into one.

彼女は歌手、作曲家、そして女優をも兼ね備えた人物だ。

 

Learning a foreign language is a pastime, an education, an investment, and an adventure all rolled into one.

外国語を学ぶことは、気晴らし、教育、投資、冒険のすべてが一つになったことである。

 

列挙する事柄が3つ以上になったら、allをつけるようにしよう。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ジェームズ・フランコ, ファンタジー, ミシェル・ウィリアムズ, ミラ・クニス, レイチェル・ワイズ, 監督:サム・ライミ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 オズ はじまりの戦い 』 -及第点の前日譚-

『 エミリー・ローズ 』 -法廷サスペンスの変化球-

Posted on 2020年8月15日 by cool-jupiter

エミリー・ローズ 60点
2020年8月14日 レンタルDVDにて鑑
出演:ローラ・リニー トム・ウィルキンソン ジェニファー・カーペンター
監督:スコット・デリクソン

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夏と言えばサメ映画とホラー映画である。サメの方は『 海底47m 古代マヤの死の迷宮 』でノルマは達成。ホラーの方は地雷臭しか漂ってこないが『 事故物件 怖い間取り 』を劇場鑑賞予定である。TSUTAYAでふと目に入った本作、何と『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』のトム・ウィルキンソン出演作ではないか。『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』のようなテイストかと思ったが、法廷サスペンスだった。

 

あらすじ 

大学生のエミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)が死亡した。彼女を救おうとエクソシズムを実行したムーア神父(トム・ウィルキンソン)は過失致死の容疑で逮捕拘留される。教区は彼を救うべく、秘密裏に敏腕弁護士のエリン(ローラ・リニー)に弁護を依頼するが・・・

 

ポジティブ・サイド 

これが実在の事件に基づいているということに、まず驚かされる。同時に、どれだけ科学的な知識が増大し普及しても、人間は非科学的な事象を信じる余地を脳と心に残しているのだなと感じる。「悪魔が存在すること」と、「悪魔が存在すると信じること」は、全く別のことである。これは「超自然的な力が存在すること」と「超自然的な力が存在すると信じること」と言い換えてもよい。同時に「科学的に説明がつく」ということと、「科学以外の視点から説明ができる」ということが、背反するのか両立するのかを考えてみるのも面白い。こうすれば本作のテーマを身近に感じられる日本人も多いのではないか。「そんな馬鹿な」と思う向きもあるだろうが、某プロ野球チームの監督が、かつて「手かざし療法」にハマっていたこと、また病魔に侵された某水泳選手にも「手かざし」の噂がついて回るのは何故なのか。末期がん患者本人やその家族が民間療法に頼って死亡、などというニュースも時折報じられるが、こうした一見すると非合理的な事件に法律や科学はどのように切り込んでいけるのか。

 

1970年代ぐらいまでは、狐憑きなどは日本でもまだまだ身近な現象だった。50代以上の年齢層ならば、本作のエミリー・ローズの悪魔付きの描写にはそれなりに説得力を感じるのではないだろうか。また、かなり激しいてんかん発作を見たことがある、という人ならば、検察側の主張するエミリーの疾患に説得力を感じるだろう。Jovianも一度職場で、二度目は路上で見たことがあるが、あれは怖いものである。看護学校に通ったというバックグラウンドがなければ逃げ出していたかもしれない。人がいきなり「キィーーーーーー!」という奇声をあげて、両手両足を不自然な方向に曲げて、その場でバタリと倒れるのだ。てんかんで説明がつくかもしれないが、それがてんかんではなく悪魔憑き、あるいは狐憑きではないと誰が言えるのだろうか。

 

医学の側面からねちねちと攻める検察と、宗教学の面で守勢に回る弁護側。一転、意外な学説を唱える学者の登場や、医師の論理のちょっとした綻びを見逃さずに突くエリンの姿は、法廷もののジェットコースター的展開としても及第点。また、悪魔祓いの儀式を録音したテープを再生するシーンと、その後の検察と弁護側の丁々発止のやり取りは手に汗握る・・・とまでは言わないが、陪審員の評決や裁判官の判決にどのような影響を与えるのかと、固唾をのんで見守ってしまった。そして、数ある法廷ものの中でも、この判決は凄い。どこまでが事実で、どこからが脚色なのかは分からないが、エンターテインメントとしても上々であると感じた。

 

感覚としては高野和明の小説『 K・Nの悲劇 』の読後感に近い。スーパーナチュラル・スリラーと現実的・科学的な説明の間を揺れ動く物語が好きだという人なら、鑑賞しない手はない。

 

ネガティブ・サイド

オープニングからして『 エクソシスト 』へのオマージュというかパクリである。古びた館を見上げる初老の男性。「なるほど、彼がエクソシストなのか」と思わせて、まさかの検視官(medical examiner)というオチ。いきなり観る者をズッコケさせてどうする?

 

たびたび挿入されるエリンやムーア神父の身に迫る怪異のシーンは、どれもこれも単なるジャンプ・スケア以下の迫力。はっきり言ってホラー映画の文法に忠実に作られているとは言い難い(かと言って、忠実に作れば作るほどクリシェ満載となり怖さも面白さも減ってしまうのだが)。法廷の場で軽い幻覚を見たり、あるいはちょっとした金縛りに遭うなどすれば、ムーア神父の言う「闇の力」の存在を少しは感じられたはずだ。または「闇の力云々」には一切言及しないでもよかった。「この法廷は闇の力に覆われている」という神父の発言は蛇足であった。

 

クライマックスの録音テープのシーンでは、再生終了後に陪審員の面々の表情にもっとクローズアップしても良かったのではないだろうか。自分が理性的に悪魔の存在と悪払いの儀式の妥当性を信じられるかどうか。そこが本作の眼目なのだから。

 

総評

ホラー要素が少々あるが、ホラー映画ではない。子ども向けとは決して言えないし、高校生ぐらいでも理解は難しいのではないかと思う。しかし、法とは何か。信仰とは何か。赦しとは何か。そういったテーマについて考えたことがある、もしくは考えてみたいという向きには、本作は格好の材料となる。法律とは人間を縛るものではなく、人間を人間らしくあらしめるために存在しているのだから。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

schizophrenic

カタカナで表記するのは難しいが「スキッツォフレニック」と発音する。意味は「統合失調症の患った」という形容詞的な意味である。疾患や不調は多くの場合、形容詞で表現される。

 

I am diabetic. = 私は糖尿病です。

She is autistic. = 彼女は自閉症なんです。

Are you anemic? = あなたは貧血なのですか?

 

もちろん、have + 名詞で表現することもできるが、英語学習の中級者以上なら、疾患は形容詞で表現するように心がけてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, サスペンス, ジェニファー・カーペンター, トム・ウィルキンソン, ホラー, ローラ・リニー, 監督:スコット・デリクソン, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 エミリー・ローズ 』 -法廷サスペンスの変化球-

『 ディック・ロングはなぜ死んだのか 』 -ジャンル不特定の尻すぼみ作品-

Posted on 2020年8月15日2021年1月22日 by cool-jupiter

ディック・ロングはなぜ死んだのか 40点
2020年8月13日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:マイケル・アボット・Jr. バージニア・ニューコム アンドレ・ハイランド
監督:ダニエル・シャイナート

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“A24 presents”と聞くだけで食指が動く、という映画ファンは一定数いるだろう。Jovianもその一人。だが、正直なところ、本作はハズレである。監督のダニエル・シャイナートは『 スイス・アーミー・マン 』ではダニエル・クワンと組んでいたことが奏功していたが、ソロでは作劇のバランスを保つことに苦労するタイプなのだろうか。

 

あらすじ

ジーク(マイケル・アボット・Jr.)とアール(アンドレ・ハイランド)とディック(ダニエル・シャイナート)は、夜な夜なバカ騒ぎしていた。しかし、ある時、ディックがアクシデントにより重傷を負った。ジークとアールはディックを病院前に置いていく。発見されたディックは、しかし、治療の甲斐なく死亡。なぜディックは死んだのか?ジークとアールは、ディックの死因をひた隠しにするが・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングのクレジットシーンから笑わせてくれる。マリファナを吸ってハイになったアホな男どもが、愚かな乱痴気騒ぎに興じるのだが、この時の花火のシーンをよくよく脳裏に刻まれたい。意味のないショットではなく、実は深い意味が込められたショットだからだ。

 

また主人公のジークとその娘の間の細かなやりとりについても目と耳をフル活用して、注意を払ってほしい。ディック・ロングの死の真相についてのヒントがそこにある。

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ネガティブ・サイド

トレイラーからは本作のジャンルはコメディであるとの印象を受けたが、実際はそうではなかった。実際はサスペンス風味が強めなミステリで、かつ少々シリアスなヒューマンドラマだった。それ自体は構わない。ジャンルが特定されない、あるいは劇中で次々にジャンルを変えていく映画というのはたくさん存在する。問題はどのジャンルに分類しても、本作はたいして面白くないということだ。

 

コメディ要素は無きに等しい。ディックの死につながる様々な証拠を隠滅しようとジークとアールは奔走するが、そこにスラップスティックさが感じられない。最後の最後に、アホとしか言いようがない行動に出るのだが、そこに至るまでの罪証隠滅の流れに一切笑えるところがないので、最大の見せ場で笑っていいのか、呆れていいのかが分からなくなるのである。

 

サスペンスもイマイチだ。手柄を立てようと意気込む若手と、老成して、どこか達観した感のある女性保安官のコンビがジークとアールの包囲網をじわじわと縮めていくが、そのことがサスペンスを生み出さない。口裏を合わせたり、物事の辻褄を合わせていても、蟻の一穴天下の破れとなる。問題は、いつ、どこで、どのように論理が破綻するかなのだが、そのシーンにもハラハラドキドキがない。ジークの挙動不審が笑えないレベルに達しているからだ。論理の欠陥を突くのは、相手が自信満々の時でないと面白さが半減する。

 

ミステリ、つまりディックの死の真相も盛り上がらない。レイ・ラッセルの小説『 インキュバス 』のような驚きの真相を期待してはいけない。いや、もっと言えば、これは『 モルグ街の殺人 』の変化球ではないか。または漫画『 ゴールデンカムイ 』の、とあるエピソードを思い浮かべてもよい。細かな伏線から、薄々そうだろうなとは感じていたが、やはりそうだった。意外と言えば意外だが、予想通りと言えば予想通りである。男が女房にひた隠しにしようとすることはなにか。そのあたりを考えてみれば、本作はそれなりに面白い。ただし、真相に関する驚きは確実に減じるだろう。

 

総評

極力、トレイラーを観ずに本編を鑑賞することをお勧めする。また、一部の映画情報系サイトやレビューサイトのあらすじ(殺人犯の存在が小さな田舎町を恐怖と混乱のるつぼに変えて・・・)は間違っている。そんな描写は一切存在しない。これはファミリードラマ、それも夫婦のドラマとして観るのが、おそらく最も正しい。That’s how you do this film justice. それでもストーリーのあちらこちらにノイズが混じっているように感じられるだろう。デートムービーには絶対に向かない。年季の入った夫婦以外はカップルで鑑賞する作品ではない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The shit hits the fan

劇中では“The S has hit the fan”とshitが頭文字だけで表現されていた。直訳すれば、「糞が扇風機にぶつかる」である。結果として、糞が飛び散るわけで、意味は「収集困難な事態になる」である。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』でも、アル・パチーノが

“When the shit hits fan, some guys run and some guys stay.”

大変な事態になった時、逃げる奴もいれば、その場にとどまる奴もいる

と、長広舌を振るってチャーリーを弁護していた。勤め先やクライアント先でまずい状況が発生したら、“The shit has hit the fan …”と心の中でつぶやこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, アンドレ・ハイランド, バージニア・ニューコム, ブラック・コメディ, マイケル・アボット・Jr., 監督:ダニエル・シャイナート, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ディック・ロングはなぜ死んだのか 』 -ジャンル不特定の尻すぼみ作品-

『 海底47m 古代マヤの死の迷宮 』 -クリシェ満載のサメ映画-

Posted on 2020年8月4日2021年1月22日 by cool-jupiter

海底47m 古代マヤの死の迷宮 55点
2020年8月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ソフィー・ネリッセ コリーヌ・フォックス ブリアンヌ・チュー システィーン・スタローン
監督:ヨハネス・ロバーツ

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ジェイミー・フォックスの娘にシルベスター・スタローンの娘。ハリウッドにも親の七光りがあるようだ。それでもあちらのショービズは冷酷無比な生態系。結局はコネよりも実力あるもの生き残るはずだ。そういう意味でサメのように何億年も進化せずに生き残る生物というのは、完成形に近いのかもしれない。

 

あらすじ

ミア(ソフィー・ネリッセ)とサーシャ(コリーヌ・フォックス)は、親の再婚で姉妹となったが、まだお互いに打ち解けられていない。考古学者の父親は、二人でサメを観ることができる遊覧船に乗ることを提案する。しぶしぶ了承する二人だが、遊覧船乗り場には学校のいじめっ子が。二人はサーシャの友人が知るというダイビングスポットの穴場に向かうことにするが・・・

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ポジティブ・サイド 

前作(といってもストーリー上の関連はない)『 海底47m 』で主人公姉妹がダイビングに至るまでの背景があまりにもアホ過ぎたと監督と脚本家も考え直したのか、本作の女子高生4人組が海に潜る理由はそこまで荒唐無稽ではない。女子高生=学校に通っている=冷酷非情な生態系に住んでいる、ということであり、いじめっ子から遠ざかるために穴場スポットに向かうという流れには説得力もある。また、この序盤の展開が終盤に活きてくる。このあたりも監督と脚本家が前作よりも真面目にプロットを練ってきた証拠である。予算もしっかりついたのだろう。

 

暗い海底に適応したために視力をなくしたサメというのも、なかなかに興味深い。前作では、見えているにもかかわらず目標に噛みつき損ねるばかりという、実に情けないサメであったが、本作はそこを逆手に取った。だったら、サメから視力を奪ってやれ、と。これも面白い試みである。山口県の秋芳洞に行ったことがある人であれば、鍾乳洞に適応して、目をなくした魚を見たことがあるだろう。進化の完成形のサメにも、こうしたことが起きても不思議はない。実際に『 ダーウィンが来た! 』で紹介されたことがあるように、ニシオンデンザメという、ほぼ100%目に寄生虫が住み着いて失明してしまっているサメも実在する。盲目のサメにも、それなりのリアリティがあるわけだ。

 

ストーリーは単純である。迷路状のマヤの海底遺跡に巣食う巨大ザメからどのように逃れるのか、これだけである。そこに酸素ボンベという究極のタイムリミットもついてくる。否が応にもハラハラドキドキさせられる。

 

本作は色々な先行作品への、よく言えばオマージュに満ち溢れている。悪く言えば、パクリだらけ。控えめに言えばクリシェ満載ということである。けれど、それで良いではないか。サメ映画などというのは大量生産され過ぎて、今さら新奇なアイデアというのはなかなか望めない。だからこそギャグとしか思えないサメ映画が陸続と生み出され続けている。本作でも小説版『 メグ 』を読んでいる人なら、思わずニヤリとさせられる展開が序盤にあり、これが終盤に効いてくる。ヨハネス・ロバーツ監督は『 MEG ザ・モンスター 』を観て、「あ、これは原作に忠実じゃない」と感じて、「だったら俺が小説にオマージュを捧げるぜ」と意気込んだに違いない。また、『 ディープ・ブルー 』のサミュエル・L・ジャクソンのあっけない最期を知っている人からすれば、本作のとある瞬間に強烈なデジャブを覚えることだろう。Jovianはそうだった。そして、思わず小さくガッツポーズしてしまった。多くのサメ映画は『 ジョーズ 』を超えようとして失敗してきた。ジョーズに敬意は払っても、越えられない。だったら他作品に敬意=オマージュを払うまで。そうした割り切りは嫌いではない。

 

ティーンエイジャー4人組のワーワーキャーキャーのパニック映画であり、それ以上でもそれ以下でもない。家族の絆だとか古代文明の謎だとか、そんなものは一切考慮する必要はない。夏と言えば海、海と言えばサメなのである。海に行けないならば映画館に行こう。ライトなファンならば、本作で充分に涼はとれる。

 

ネガティブ・サイド

海の中ということで、必然的に画面は暗くなる。それが前作では不吉な予感を増大させ、サメが出て来ずとも、状況そのものが恐ろしいのだという雰囲気につながっていた。本作には、そうした視覚的な効果はない。ライトで照らすとそこには・・・というのは洞窟やら地底世界、あるいは夜の森などでお馴染みのクリシェで、サメ映画の文法ではない。そもそもこのサメは光に反応しないので、そこから恐怖が生まれないのだ。

 

キャラクターの掘り下げも不十分だ。特に主役のミア。いきなりいじめっ子にプールに突き落とされるが、その時にびしょびしょに濡れてしまった教科書は、いったいどの分野の何というテキストなのか。それが海の生態系やサメに関する書籍であれば、引っ込み思案に見えるミアが一転、海の中で大化けを見せる、といったプロットも構想できるし、あるいは目が見えないサメは、嗅覚と聴覚が鋭いに違いない。だから、逃げ切るためにはこうした行動が必要で・・・といったリーダーシップを発揮する場面を生み出せただろう。実際はそんな構図はほとんどなし。どのキャラもピーチクパーチク騒がしいだけ。

 

酸素ボンベの酸素の減り方もムチャクチャだ。ゆっくり泳いでいる前半に大半を消費し、激しく動き回る後半に残り少ない酸素で激しく運動するという???な展開。サメ遭遇時点でのボンベの残量を40%ではなく、60%程度にしておくべきだった。

 

最終盤のミアとサーシャの行動も不可解の一語に尽きる。パニックになっていたと言われればそれまでだが、サメが嗅覚と聴覚、どちらを優先するかを冷静に判断すべきだった。血の臭いが充満する海を突っ切って泳ぐか?そこは冷静に迂回すべきだっただろう。海でも山でも空でも、パニックになる者が死亡し、冷静さを保つものが survive するのである。

 

総評

サメ映画というのは、『 シャークネード 』や『 シャークトパス 』のような真面目なギャグ路線と、『 MEG ザ・モンスター 』や本作のような真面目なホラー・スリラー・パニック路線の二つの系統に分化、進化しつつあるようである。どちらのジャンルにも良さがある。もしも夏恒例のサメ映画を観たいのなら、本作は格好の暇つぶしの一本である。大画面と大音響で鑑賞してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

slip

滑る、の意。Oops, my hand slipped. = おっと、手が滑った、となる。英語でも日本語でも、これほど嘘くさい表現はあまりない。ちなみに「舌が滑った」は、a slip of the tongueと言う。Sorry, that was a slip of the tongue. = すまん、今のは失言だった、というように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, コリーヌ・フォックス, システィーン・スタローン, ソフィー・ネリッセ, パニック, ブリアンヌ・チュー, 監督:ヨハネス・ロバーツ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 海底47m 古代マヤの死の迷宮 』 -クリシェ満載のサメ映画-

『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

Posted on 2020年8月1日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブラック アンド ブルー 75点
2020年7月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ナオミ・ハリス タイリース・ギブソン
監督:デオン・テイラー

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Black Lives Matter運動前に制作された映画。黒人市民ではなく黒人警官がこれでもかと虐げられる映画。しかも、その被害者=主役が女性というのも個人的にはタイムリー。ニューオーリンズについては最近見たこのTED TALKS、女性への侮辱的な言動についてはこのYouTube動画が興味深い。事前にこれらを予習しておくのもありだろう。

 

あらすじ

アリシア(ナオミ・ハリス)は新人警察官だが、黒人というだけで一部の同僚から侮辱的な扱いを受けていた。ある夜勤でアリシアは先輩警察官と共に廃工場へ向かった。そこでアリシアは刑事が麻薬の売人を射殺するのを目撃した。自身も撃たれるアリシアだが、防弾ベストのおかげでなんとか助かる。すべてを収めたボディカメラを罪証隠滅のために取り戻そうとする汚職警察官たち、そして彼らの陰謀によりギャングからもアリシアは追われることになり・・・

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ポジティブ・サイド

ニューオーリンズのイメージが一変すること請け合いである。オーリンズとはフランスのオルレアンの英語読みである。『 セルフレス/覚醒した記憶 』で若い肉体を手に入れたベン・キングスレーが悠々自適に街角のミュージシャンの演奏に耳を傾けていた異国情緒あふれる街。空港にルイ・アームストロングの名前をつける街。本作が映し出すニューオーリンズにはそんな呑気な光景は一切出てこない。『 華氏119  』でのミシガン州フリントのように、忌避された土地、警察官すらも近寄らない土地が舞台のすべてである。『 ブラインドスポッティング 』でも黒人と白人の友情が静かに壊れていく過程に緊張感が感じられたが、本作が生み出すサスペンスはそれをはるかに上回る。ギャングと警察が特定の個人を追うという構図は『 悪人伝 』と同じだが、そこにコミカルさはない。『 哀しき獣 』並みの絶望感だけがそこにある。拳や道具、せいぜい刃物で戦う韓国人に比べるとアメリカ人はあまりにも銃火器を使いすぎである。銃の威力も怖いのだが、誰もかれもがそれを持っていること、そして躊躇せず使おうとするところが恐ろしい。

 

アリシアが追われる展開までが非常にスピーディーだが、そこに至るまでの短時間にこれでもかとアリシアが虐げられる。ジョギング中に後ろから来たパトカーにいきなり呼び止められ、白人警官に暴力的に身分照会させられる。「指名手配犯に似ていた」と言い訳されるが、後ろから顔も見ることができないのによくもそんな言い訳ができるなと、一瞬で腹立たしい気分にさせられる。かと思えば、アリシアが黒人コミュニティ内でも「警察官だから」という理由だけで疎外されるシーンを挿入してくる。この孤立無援の感覚がアリシアの逃亡劇の恐怖とサスペンスを否が応にも盛り上げる。

 

BGMと様々な楽曲もアリシアに感情移入するオーディエンスの不安感をさらに煽る。『 ルース・エドガー 』のBGMも我々の心を落ち着かないものにさせるものだったが、ラップや金属音強めのBGMはそれを聴く者の心をざわつかせる効果があるようだ。映画的な文法に沿って言えば「まだ主人公は大丈夫なはず」という場面も、音楽と効果音の力が非常に強く、ハラハラドキドキが持続させられる。

 

アリシアとなし崩し的に逃亡することになるマウスが味わい深いキャラである。白人側に立つのか、黒人側に立つのか。警察官の側に立つのか、市民の側に立つのか。アリシアは複雑な選択を迫られるが、そうした二項対立的な選択肢しか存在しないことを、この映画は糾弾している。マウスはそうした疑問に一定の答えを呈示する役回りだ。この地域では黒人といえども警察官はお断りだという拒否感と、困っている人間を助けなければならないという良心とのジレンマは、そのままアリシアがかつて抱いていた心情である。

 

ラストのアリシア、警察、ギャングのバトルは壮絶の一語に尽きる。暗闇での接近戦は『 チェイサー 』のハ・ジョンウとキム・ユンソクの格闘を彷彿させ、またクライマックスの二転三転する形勢は冷や汗と鳥肌、両方を体感できた。

 

カメラが重要なモチーフになっている本作であるが、デオン・テイラー監督のメッセージはシンプルだ。見てほしい、そして見せてほしいということだ。差別。貧困。汚職。暴力。目を背けるな。そこには常に誰かがいる。その誰かとは肌の色や性別で区別される存在ではない。その誰かは、別の誰かにとっての子であり、父であり、友であり、同僚なのだ。親がいない人間はいない。社会的に親が存在しないことはあるが、生物学的には絶対に存在する。誰かは確実に誰かの息子であり娘である。人が人を見る時、属性ではなく関係で見る。それこそが求められる一つの答えなのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

様々な場面でのアリシアの行動に合理性や一貫性がない。序盤にカネを払わずコーヒーを買っていく同僚に代わりにカネを店に置いていく一方で、中盤の逃亡中に同じマウスの店でいきなり飲料品をゴクゴク飲みだす。緊急時なのでそれは構わないが、その後、警察の制服を脱ぐところ=一人の人間に戻るところで、代金を払うと申し出る、それをマウスが「要らない」と返すようなやりとりが必要だったのではと思う。あるいは編集でカットしのだろうか。人間同士のやり取りが、相手の帯びる属性で変わってしまうという重要なテーマを、もう少し掘り下げるべきではなかったか。

 

軍人としての経験豊富なアリシアが、武装したギャング連中に追われていることを知りながらあれだけ簡単に道路などの遮蔽物のない空間に飛び出たりするだろうか。司令部への通報を簡単に諦めたりするだろうか。プロットを前に進めるための、かなり強引なご都合主義に感じた。そこでそのスマホを手に入れろ!という場面もあっさりとスルーしてしまう。このあたりは脚本段階で改善の余地があったはずだ。

 

総評

黒人差別問題だけなら、本作の評価はここまで高くはならない。ハリケーン・カトリーナによって街が破壊され、放棄されてしまった。そこに我々はもっと注意を払わねばならない。50年に一度とされる大豪雨や洪水が2~3年に一度起きる国に日本はなってしまった。また#MeToo運動に見られるように、女性への差別問題の根深さも近年あらためて浮き彫りになった。人は人に狼 homo homini lupusや武器の下では法も沈黙する intra arma silent legesという状態からはそろそろ本当に脱出しなければならない。娯楽性とメッセージ性の両方を持つ、隠れた傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Way to go

「よくやった」、「おめでとう」、「グッジョブ!」の意。同僚や家族が良い仕事を成し遂げたら、“Way to go!”と声をかけるようにしよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, サスペンス, タイリース・ギブソン, ナオミ・ハリス, 監督:デオン・テイラー, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

『 パブリック 図書館の奇跡 』 -Don’t shoot me, I’m only a librarian.-

Posted on 2020年7月26日2021年1月21日 by cool-jupiter

パブリック 図書館の奇跡 70点
2020年7月24日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エミリオ・エステベス アレック・ボールドウィン ジェナ・マローン
監督:エミリオ・エステベス

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タイトルだけ読むと『 図書館戦争 』的な世の中で、それでも本を愛する人たちが・・・のような物語を想像するが、実際は全然違う。むしろ『 ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス 』を舞台にヒューマンドラマを作った。それが本作の紹介として最も端的かもしれない。

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あらすじ

シンシナティ公共図書館員のスチュアート(エミリオ・エステベス)は、体臭を理由にある人物を図書館から退去させたことで訴訟を起こされてしまう。失意の彼がその日の勤務を終えようとすると、いつもの馴染みのホームレスたちが図書館から去ろうとしない。大寒波の夜、シェルターも満杯。行き場がなく、居座ろうとする彼らを前に、図書館員のスチュアートが取った行動は・・・

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ポジティブ・サイド

図書館の存在意義については『 ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス 』で自分なりにかなり深く考察したつもりだが、こんな現世的な図書館の利用方法があったのか。確かにニューヨーク公共図書館でも求職者たちに各種セミナーやサービスを提供していたが、シンシナティ公共図書館はホームレスたちにとっては昼間のシェルターなのだ。『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』でもシェルターや教会がLGBTQにとって重要な生活の拠点になっていたことが思い出される。

 

利用者たちは真面目な学習者から、ちょっとおかしな人まで様々だ。個人的に笑ったのは「ジョージ・ワシントンのカラー写真が載った本はありますか?」と尋ねる市民だ。ホームレスたちも多士済々。退役軍人もいれば、やたらと博識な者、対人恐怖症かと見せかけてメンタルに少々困難を抱える者など、素顔は様々だ。特に博識男のシーザーは愉快だ。トリビアを披露しては「ヘイル、シーザー!」と仲間に叫ばせる。キャラを立たせると同時に、彼らがどれだけ息が合っているのか、彼らがいかに長く図書館で過ごしているのか、どんな本を読んでいるのか。そういったことがわずか数分で明らかになる。この図書館のトイレのシーンはビジュアル・ストーリーテリングの極致である。

 

本作には明確な悪役が存在する。それはクリスチャン・スレーター演じる検察官だ。検察官というと、検察庁のナンバー2という要職にありながら常習的なテンピン麻雀で御用・・・とならなかった上級国民が今年はニュースになった。本作の検察官は市長選に立候補しており、「法と正義を執行する」ことで街を良くしていくのだと言う。実に分かりやすい。つまり、この男の言う法と正義の執行とは、主演兼監督のエミリオ・エステベスが「問題である」と感じ、自身のメッセージとして世に問いたい事柄なのだ。法の文言を守ることが重要なのか、それとも法の精神を守ることが重要なのか。個の領域に属すもの、例えばプライバシーなどに、法はどこまで効力を及ぼすのか。市民として守るべき法と職業人として守るべき法、それらが対立する時に、自分はどうすればよいのか。本作が投げかけてくる問いは、我々一般人も一度は深く考えてみるべきことばかりだ。

 

メディアの在り方についても問われている。フェイクニュースが各国で問題となる中、それが生み出される過程を本作は描く。Black Lives Matter運動以前に制作された作品であるにも関わらず、「無抵抗の黒人を殺すなよ」などというドキリとさせられる発言を警察官同士で行ったりしている。フェイクニュースとは、事実ではない報道のことだ。ここでの事実でないこととは何か。それは差別的な先入観であったり、偏見であったりだ。事実をまずは虚心坦懐に受け入れる姿勢ではなく、いかにセンセーショナルものなのか、いかにニュース・バリューがあるのかで判断する姿勢がメディアの側の問題点である。同時に、報じられるニュースがいかに自分と関係があるのか、それとも無いのかで我々はニュースに接する。コロナに罹患した人を「自己責任」と切って捨てるのは、自分はコロナには罹らないという過信から来ている。過信とはつまり、想像力の欠如のことである。メディアは自分たちが扱う事件や人物に対して、我々は報道の向こう側の事象や人物に対して、偏見ではなく想像力で接さねばならない。

 

図書館立てこもり組と交渉人刑事(演じるのはベテラン俳優のアレック・ボールドウィン)との間のちょっとしたサブプロットもあり、またエミリオ・エステベス演じるスチュアート自身の隠された過去もあり、単なる思想的な映画では終わらない。籠城組に対して思わぬ援軍が現れ、ことは図書館だけではなく街全体をも巻き込んでいく。そして、いざ武装警官が突入か、という緊張感マックスの場面で、スチュアートたちが取った起死回生の策とは?うーむ、すごい。確かに伏線というか前振りはあったが、それをここまで大胆にやってしまうのか。公共とは何かという問いをブッ飛ばすと同時に、法や正義とは何かという問いも同時にブッ飛ばす驚きの解決策である。社会派映画としても娯楽映画としても、高い水準で完成された作品である。

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ネガティブ・サイド

事の発端は大寒波の襲来だったはず。にもかかわらず、街行く人の吐く息がまったく白くない。誰も寒さで震えていないし、スチュアートとの交渉で下手をうった検察官が路上で上着を脱いで寝かされても、まったく震えもしない。いくらなんでもこれはおかしい。狭い路地裏で数人が固まれば、何とかしのげるんじゃ?と思ってしまった。

 

スチュアートやマイラの図書館員としてのプロフェッショナリズムの描写が、特に序盤に弱かった。『 水曜日が消えた 』は駄作だったが、深川麻衣は図書館員として本の整理や貸し出し以外の仕事をしていた。本をプロモートするか、セミナーやワークショップをどう開催するか。そうしたことも図書館員の仕事である。立てこもったホームレスの面々に思い思いに時間を過ごさせるのではなく、図書館員としての知識やスキルで人々をまとめるシーンが欲しかった。

 

スチュアートの隣人のアンジェラとの情事は必要だったか。やたら遅い時間に図書館を訪れてくるのを見て、本当は貸し出しカードを作りに来たのではないだろうと誰もが思うはず。この描き方では、夜の営みに手ごろな相手が見つかったぐらいにしか見えない。スチュアートとアンジェラの最初のシーンは、これから何かが始まるかもしれないぐらいの予感を漂わせる程度に抑えておくべきだった。

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総評

これは良作である。2018年制作ということだが、同じ頃の日本では、某大学が蔵書数万冊を焼却処分したことが話題になっていた。本を廃棄・焼却することの是非はともかく、図書館はどんな書籍にも差別はしない。何でも受け入れるのが図書館だ。その図書館という「民主主義の最後の砦」を舞台に繰り広げられる一夜の攻防は、エンタメ作品として合格。法と何か、正義とは何かという社会派な面でも及第点以上の出来である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

look for ~

~を探す、の意である。人でも物でも、この表現で探すことができる。

I’m looking for a Brad Pitt movie.

Where have you been? I’ve been looking for you.

What kind of job are you looking for?

など、「探す」=look for である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, アレック・ボールドウィン, エミリオ・エステベス, ジェナ・マローン, ヒューマンドラマ, 監督:エミリオ・エステベス, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 パブリック 図書館の奇跡 』 -Don’t shoot me, I’m only a librarian.-

『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

Posted on 2020年7月23日 by cool-jupiter

パッセンジャーズ 50点
2020年7月20日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:アン・ハサウェイ パトリック・ウィルソン
監督:ロドリゴ・ガルシア

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飛行機墜落ものというと『 ノウイング 』(監督:アレックス・プロヤス 主演:ニコラス・ケイジ)を思い出す(冒頭だけだが)。これがけっこうな珍品で、面白くもあり、つまらなくもあった。以来、飛行機墜落ものにはあまり食指が動かくなくなった。しかし、心斎橋シネマートで『 アフターマス 』(監督:エリオット・レスター 主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)あたりから墜落ものも、ポツポツと再鑑賞し始めた。これもそのうちの一本。

 

あらすじ

飛行機墜落事故が発生。多数が死亡したが5名は生き残った。その生存者のカウンセリングを担当することになったクレア(アン・ハサウェイ)だったが、セッションを欠席した生存者が1人また1人と姿を消していく。クレアは事故の真相を何とか探ろうとするのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

アン・ハサウェイが相変わらず魅力的である。『 プラダを着た悪魔 』から『 シンクロナイズドモンスター 』まで、年齢を重ねつつも、魅力を増している。おそらく本作ぐらいが、いわゆる girl と woman のちょうど境目ぐらい(実際の役でもそうだ)で、それゆえに無垢な学生、姉との関係に悩む妹、男性と情事に耽る大人の女性などの多彩な面を見事に演じ分けている。彼女のキャリアにおけるベストではないが、間違いなく on the right side の演技である。

 

作品としては非常に分かりにくい。それは、「はは~ん、これは実はこういう話だな」ということがすぐに読めるからである。たいていの人は「これはアン・ハサウェイがセラピーをしていると見せかけて、実はセラピーを受けている側なのだ」と思うことだろう。Jovianは割とすぐにそう直感したし、映画や小説に慣れた人なら、あっさりとそう思えるだろう。それこそが本作の仕掛ける罠である。

 

「なるほど、そう来るか」

 

素直にそう感心できる twist が待っている。

 

本作の最初の展開に騙される人、あるいはそれを見破れる人は、以下のような作品に親しんでいる人だろう。以下、白字。

 

『 シックス・センス 』

『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』

『 ラスト・クリスマス 』

『 ムゲンのi 』

 

人によっては ( ゚Д゚)ハァ? となるだろうが、真相に至るまでには結構フェアに伏線が張られている。例えば寒中水泳のシーン、あるいは線路のシーン。このあたりをちょっと考えれば、誰もが何かがおかしいと感じられることだろう。それに、多くのキャラクターのふとした言動や、人間関係、他キャラとの交流のあり方もヒントになる。2000年代にもなると、ありふれた謎解きにも変化球が色々と混ざって来る。本作は、ただのシュートかと思ったらシンカーだった。そんな一品である。

 

ネガティブ・サイド

ちょっと風呂敷を広げ過ぎている。こういうのは中盤と終盤の twist のインパクトで勝負するしかない作品で、そこに至るまでがかなり間延びしているように感じられる。93分の映画だが、75分でも良かったのではないかと思えるのだ。エリックが壁を塗りたくるシーンや屋上にクレアを誘うシーンは削除できた。あるいは大幅に短縮しても、特にラストのインパクトに影響を及ぼさないだろう。

 

事故を起こした航空会社が、その自己の生存者を監視し、追跡し、拉致しているのではないかというクレアの推理は、はっきり言って迷推理である。生存者の名前は大々的に報じられるだろうし、そうした人間が本当に失踪したならば、周囲の人間が絶対に気付くし、捜索届を出したり、マスコミにも知らせたりするだろう。人間は陰謀論が大好きなのだから。一人ひとり消えていくのではなく、単にセラピーを欠席して、日常生活に帰っていった、という説明はできなかったか。

 

クレアとエリックのロマンスがどうにもこうにも陳腐である。アン・ハサウェイ演じるクレアから見たエリックが、一人の男性としての魅力に欠ける。いや、説得力に欠けると言うべきか。アン・ハサウェイから見て、危なっかしい弟のような存在、あるいは幼馴染のような友達以上恋人未満のような存在に見えないのだ。多面的なアン・ハサウェイの魅力とパトリック・ウィルソンのキャラ設定が、どこかミスマッチなのだ。

 

総評

アン・ハサウェイのファンならば観よう。こういった作品はドンデン返しを楽しむためのもので、そこに行くまでに退屈してしまうという向きにはお勧めできない。ディープな映画ファンならば、あれこれと先行作品を思い浮かべるだろうし、もっと鍛えられた映画ファンならば、この変化球が曲がり始めた瞬間に軌道を見切ってしまうかもしれない。結局、お勧めできるのはアン・ハサウェイのファンであるというライトな映画ファンになるだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

work one’s ass off

「働きまくる」の意である。もうすぐ子どもが生まれるのか?じゃあ、がむしゃらに働かないとな!=You’re going to have a baby soon? Well, someone has got to work his ass off! などのように使う。同じような表現に、laugh one’s ass off = 爆笑する、というものがある。こちらは laugh my ass off = LMAO や、rolling on the floor laughing my ass off = ROFLMAO などの略語の形でネット上で見たことがある人もいるかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, アン・ハサウェイ, サスペンス, パトリック・ウィルソン, ミステリ, 監督:ロドリゴ・ガルシア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

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