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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 パーフェクト・ケア 』 -高齢化社会の闇ビジネスを活写する-

Posted on 2021年12月10日 by cool-jupiter

パーフェクト・ケア 75点
2021年12月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク ピーター・ディンクレイジ エイザ・ゴンザレス 
監督:J・ブレイクソン

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『 ゴーン・ガール 』で一気にトップスターに昇りつめたロザムンド・パイクの最新作。介護ビジネスを悪用するやり手の話というのは、世界随一の高齢社会である日本にとっても非常に興味深いものがある。

 

あらすじ

マーラ(ロザムンド・パイク)は、高齢者をケアホームで保護しつつ、実はクライアントの財産を食い物にする悪徳後見人だった。独り身の高齢者ジェニファーの財産に目をつけるが、彼女をホームに送り込むが、彼女の背後にはロシア系マフィアの存在があり・・・

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ポジティブ・サイド

日本はもはや多死社会だが、アメリカも相当な高齢社会である。畢竟、介護の需要が高まるが、行政と民間の二軸でサポートする日本と違い、彼の国では司法が民間業者に一般人の保護を命じることが当たり前のようにあるらしい。この制度を上手く利用して儲けてやろうと目論むところが痛快・・・もといプラグマティックである。

 

『 ゴーン・ガール 』で世間の目を見事に欺いたロザムンド・パイクが本作でも魅せる。法廷で高齢者の家族から「勝手に財産を処分して、その金を自分の懐に入れている」と糾弾されても、「高齢者の保護が私の仕事で、仕事であるからには報酬を受け取る」といけしゃあしゃあと言ってのける。そして判事も納得させる。何という女傑だろうか。

 

こうして高齢者家族を煙に巻き、裁判所を味方につけ、友人の医師に株とのトレードで資産家高齢者の情報と診断書を得ていくマーラだが、次の獲物のジェニファーが曲者。詳しくは鑑賞してもらうしかないが、背後にいるマフィア(ピーター・ディンクレイジ)が登場してくるあたりから、悪 vs 悪の図式となり、一挙にストーリーが加速する。

 

ハイライトは2つ。一つはマフィアに拉致されたマーラが、その親玉であるピーター・ディンクレイジに交渉を持ちかける場面。どれだけ狂った人生を送ったら、このような言葉を実際に口に出せるようになるのだろうか。『 女神の見えざる手 』のジェシカ・チャステイン演じるスローン女史と並ぶ、強烈な女性キャラクターの誕生を目撃した気分になった。二つ目は、マフィアへのリベンジを果たすマーラが、ピーター・ディンクレイジから交渉を受けるところ。こちらもアメリカ社会の闇を感じさせるが、それはある意味で日本社会にもそっくりそのまま当てはまる。

 

平成の初期から、独居老人のもとに足繁く通って話し相手になり、信頼を得たところで高額な羽毛布団を売りつけるセールスマンというのは、全国津々浦々にいたのである。今後は高齢者向けにビジネスをするのではなく、高齢者そのものをビジネスにしようとする動きが、先進国で加速していくだろう。それがどういう結末になるのか、本作は一定の示唆を与えて終わっていく。

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ネガティブ・サイド

エイザ・ゴンザレスの存在感が今一つだった。マーラとビジネスパートナーであり、セックスのパートナーでもあったが、さらにもう一歩踏み込んだ関係性を構築できていなかったように思う。もしもマーラがこのキャラに介護ビジネスの帝王学を伝授しているようなシーンがあれば、終幕のその先にもっと色々な想像が広がるのだが。

 

マフィアのピーター・ディンクレイジがチト弱いし、詰めも甘い。普通なら即死させて終わり。死体は、それこそ手慣れた始末方法があるはず。『 ベイビー・ドライバー 』のケビン・スペイシーはそういうキャラだった。拉致するまでの手際があまりに見事なせいで、その相手を事故死に見せかけて殺すところで下手を打つところに、どうにもリアリティがない。

 

ストーリー上のコントラストのために、介護の現場で甲斐甲斐しく働くケアワーカーの姿が必要だったが、それが一切なかった。もちろん現場で働く人たちはいたが、フォーカスは警備員や経営者であった。正しい意味で介護をビジネスとしている人々の姿編集でカットされていたとしたら残念である。

 

総評

一言、傑作である。弱点はあるが、それを補って余りある展開の良さとキャラクターの濃さがある。現代社会の闇にフォーカスしながら、単なるヒューマンドラマではなく極上のエンタメに仕上げている。介護の現場にパワードスーツやロボットが導入されるなど、その営為は様変わりしつつあるが、介護のニーズが減じることは、今後数十年はない。その数十年の中で、本作のような出来事は必ず起こる。それを是とするのか非とするのか、それは鑑賞後にじっくりと考えられたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bona fide

ラテン語の「ボナーフィデー」で、bona = good, fides = faithの奪格である・・・と言っても何のこっちゃ抹茶に紅茶であろう。英語では「ボウナファイド」と発音し、意味は「本物の」や「真正の」となる。奪格=副詞句的には使われず、形容詞として使われることがほとんど。This is a bona fide autograph of Muhammad Ali. = これは本物のモハメド・アリのサインだ、のように使う。英検1級以上を目指すなら、同じラテン語のbona由来の pro bono = 無料で、も知っておきたい。こちらは副詞句として使うが、慣れるまでは on a pro bono basis を使うといい。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エイザ・ゴンザレス, クライムドラマ, ピーター・ディンクレイジ, ロザムンド・パイク, 監督:J・ブレイクソン, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 パーフェクト・ケア 』 -高齢化社会の闇ビジネスを活写する-

『 ディメンション 』 -B級SFの変化球-

Posted on 2021年12月5日 by cool-jupiter

ディメンション 50点
2021年12月1日 レンタルDVDにて鑑賞 
出演:ライアン・マッソン ハイディ・クァン クリスチャン・プレンティス ドン・スクリブナー
監督:エリック・デミューシー

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大学の試験関連業務で超繁忙期である。そのため、ある意味で頭を空っぽにして観られる映画を近所のTSUTAYAで直感でピックアウト。思った通りのB級作品であった。

 

あらすじ

NASAのJPLに勤めるアイザック(ライアン・マッソン)は、宇宙人に誘拐され、腕に謎の物質を埋め込まれてしまう。偶然に撮影してしまった映像をネットにアップし、メディアに登場するアイザックだったが、呆気なくフェイク扱いされてしまい、世間からは相手にされなくなった。しかし、自分の体験が事実だと確信しているアイザックは、自らと同様の体験をした者を探そうとして・・・

 

ポジティブ・サイド

おそらく製作予算は『 ロード・オブ・モンスターズ 』と同程度だろうと推測するが、セリフのオンパレードで間をつなぐのではなく、しっかりとキャラクターの表情や立ち居振る舞いで間を持たせている。その意味で、アイザックを演じたライアン・マッソンは、その個性的な目鼻立ちだけではなく、確かな演技力・表現力を持っていると言える。

 

ヒロイン的なポジションのサラを演じたハイディ・クァンも、オリエンタルな美貌の持ち主で、『 シャン・チー テン・リングスの伝説 』のジム・リウのようなチャンスが巡ってくれば、ブレイクできそう。

 

ナード然とした青年と、アジアン・ルーツを持つ美少女というのは、今後のアメリカのドラマや映画で、小さいながらも一つのジャンルとして確立されていくように思う。

 

天文学とPC関連のオタクが主人公であるにもかかわらず、本作はかなりダイナミックにあちらこちらへと移動していく。『 ローンガンメン 』のようなギークとは、ここが違う。少ないアクションシーンはそれなりにスリリングで、CGの使用も控えめ。まさに低予算映画のお手本のような作りである。

 

UFOに誘拐されただとか、宇宙人の実在を隠ぺいする謎の組織だとかいうのはドラマ『 X-ファイル 』以後、雨後の筍のごとく生産されてきたが、本作のアイデアはまあまあ珍しい部類に入るのではないか。宇宙人の来訪の目的は少々アレだが、腕輪関連の技術には目を見張った。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーは面白いものの、場面と場面のつなぎに必ずと言っていいほど挿入される歌が、とてつもなく耳障りである。邪魔であるという意味と、楽曲としてクオリティが高くないという2つの意味で耳障りなのである。せっかく役者はまあまあ頑張っているのだから、役者を動かしてシークエンスをつなぐべきだった。

 

何から何までがあまりにもトントン拍子すぎるとも感じた。異邦の地でのゼッドというもう1人のナードとの邂逅。サラが語るカール・マイスナーというアブダクション経験者とのコンタクトなど、パズルのピースがはまっていくのが早すぎる。

 

ISRP警察は、地下組織内部であれば許容できるが、あれが外部世界にまでやって来るのには呆れた。他の乗客がまったくいない列車のシーンは、低予算映画の悲哀が漂っている一方で、その絵面のあまりのシュールさに失笑を禁じ得なかった。

 

アイザックが偶然にもアブダクションとエイリアンとの邂逅をカメラに収めることになるきっかけとなったカウンセリングと、セラピーの一環として行った自撮りはいったい何だったのだろうか。アイザックの独白から彼に関する多くの背景情報が得られるが、そのことと彼自身がその後にたどっていく数奇な運命にまったく関連がない。何を意図した脚本なのだろうか・・・

 

終盤のとあるシーンで、カメラマンがばっちりガラスの反射で映ってしまうシーンがある。これはいただけない。

 

総評

随所に『 スター・ウォーズ 』へのオマージュと思しきセリフが挿入されている。You’re my only hope.はその一例だろうが、脚本および監督のエリック・デミューシーは、結構な『 スター・ウォーズ 』マニアなのだろうと推察する。つまり、波長が合う人であれば本作はかなり楽しめる可能性がある。過大な期待さえ抱かなければ、手持ち無沙汰の週末の午後の時間を過ごすのにはちょうどいい作品に仕上がっていると言えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Necessity is the mother of invention.

「必要は発明の母」の意。実際にはコロナ前から存在していたが、コロナ禍によって Zoom や Google Meet といったビデオ会議ツールが一気に花開いた。invention や innovation は、ニーズによってもたらされるというのは、昔も今も将来も変わりはないのだろうと思う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, SF, アメリカ, クリスチャン・プレンティス, ドン・スクリブナー, ハイディ・クァン, ライアン・マッソン, 監督:エリック・デミューシーLeave a Comment on 『 ディメンション 』 -B級SFの変化球-

『 カオス・ウォーキング 』 -ジュブナイル小説の映像化-

Posted on 2021年11月18日 by cool-jupiter

カオス・ウォーキング 50点
2021年11月13日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:トム・ホランド デイジー・リドリー マッツ・ミケルセン
監督:ダグ・リーマン

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マット・デイモンの『 ボーン 』シリーズや、『 バリー・シール アメリカをはめた男 』や『 ザ・ウォール 』など、骨太な物語とエンタメ性を両立させる監督。しかし、今作はビミョーな出来栄えであった。

 

あらすじ

西暦2257年。女はおらず、男は思考が「ノイズ」として具現化されてしまうニューワールド。そこでは何故か女性が存在しない。地球からの植民第二波の宇宙船が事故に遭い、不時着したことで、トッド(トム・ホランド)は女性のヴァイオラ(デイジー・リドリー)と出会う。母船と連絡を取れる場所へたどり着くため、トッドとヴァイオラは旅立つが、その過程で二人は星の秘密に迫ることになり・・・

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ポジティブ・サイド

『 メイズ・ランナー 』を面白いと思える人なら、本作も面白いと感じられるだろう。謎の環境。男しかいない世界。そこに現われた1人の少女。それによって動き出す運命。本作も、時代や場所こそ違えど、大きな枠では典型的なジュブナイル小説の映画化である。

思考が具現化されてしまうというのは面白いアイデア。女性がいない世界、あるいは男性がいない世界というのはSFやファンタジーでは使い古された設定ではあるが、「ノイズ」と組み合わせることで、非常にユニークなボーイ・ミーツ・ガールに仕上がった。男という生き物は『 君が君で君だ 』を観るまでもなく、隙あらば妄想するものである。それが筒抜けになることの恐怖と滑稽さよ。

 

ありふれた世界観にユニークな現象を一つ持ち込んだ一点突破型のストーリーを、トム・ホランド、デイジー・リドリー、マッツ・ミケルセンのスターが牽引することで魅力的なものにしている。彼らのファンならば鑑賞されたし。

 

ネガティブ・サイド

悪い意味でも『 メイズ・ランナー 』そっくりである。肝腎の「ノイズ」の謎の根源には1ミリたりとも迫らない。元々、三部作の小説の第一部だけというのも『 メイズ・ランナー 』と同じ。あちらは小説を読んだのだが、テレパシー設定が映画ではバッサリとカットされていた。それが映像化の際にはプラスに作用していたが、本作はおそらく小説から映画にする際に、取り除いてはいけない要素を取り除いてしまっている。女性がいない世界、文字も存在しない世界で、なぜキスを夢想できるのか。

 

同じく、冒頭でいきなり牧師だか神父だかにトッドが折檻されてしまうが、ニューワールドにおける宗教観、あるいは世界観がイマイチ不明である。「ノイズがあれば文字はいらない」というのは、ジュブナイル小説としてはありかもしれないが、SFとしてはなしだと感じた。それでどうやって農業を営むのか。あるいは、共同体の生産力と生産物を分配するのか。

 

最大の弱点は、エイリアンの存在。第一部の引きとして、先住エイリアンのスパクルが大挙して登場、敵、それとも味方?という場面がなかった。あわよくば二部、三部に続けられたらいいな、というのは映画製作の attitude としていかがなものか。「この世界に観客を引きずり込んでやるんだ」という強い気概は今作からは感じなかった。

 

総評

SFになりきれていない。文明や世界観を描き切れていない。熱心なSFファンには訴えるものがないだろう。男女二人の長変則的ロードムービーかつ逃避行ものとして見れば、それなりの出来栄え。若者向けデートムービーというのが最も無難な評価だろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

martyr 

「殉教者」の意。『 マーターズ 』はこの語の複数形である。英検1級やTOEFL iBT100点以上を目指すなら知っておきたい。コロナ前からも存在していたが、コロナ禍によって「健康のためなら死んでもいい」、「薬やワクチンはすべて毒」という考え方がますます可視化されるようになってきた。こうした考えの人間たちは、ある意味で殉教者と呼んで差し支えないと思うのだが、どうだろう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, トム・ホランド, マッツ・ミケルセン, 監督:ダグ・リーマン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 カオス・ウォーキング 』 -ジュブナイル小説の映像化-

『 アンテベラム 』 -ややマンネリか-

Posted on 2021年11月14日 by cool-jupiter

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アンテベラム 60点
2021年11月7日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ジャネール・モネイ
監督:ジェラルド・ブッシュ クリストファー・レンツ

 

私生活が多忙なためレビューが遅くなってしまった。『 殺人鬼から逃げる夜 』の上映時にトレイラーを観て、面白そうだと感じた。実際に面白かったが、テーマ的にも手法的にも先行する作品はいくつかある。

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あらすじ

気鋭の論客ヴェロニカ(ジャネール・モネイ)は、友人たちと楽しいディナーを過ごしていた。一方で、エデン(ジャネール・モネイ)は南軍の支配する南部で過酷な奴隷生活を送っていた。二人の人生が交差する時、恐るべき真実が明らかになり・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭からロングのワンカットで南北戦争時代の南部プランテーションの光景をこれでもかと見せつける。まるで『 ハリエット 』の世界に放り込まれたかのようである。BGMがまた不安を煽る。非人間的な扱いを受ける奴隷たちの姿と相まって、これから展開される物語が非常にダークなものになることを示唆する establishing shot になっていた。この作りこみは見事である。

 

事実、綿花の収穫に駆り出される黒人奴隷たちの置かれた境遇は過酷の一語に尽きる。観ていて気分が悪くなるが、これが歴史的な事実だったのだからしょうがない。 現代パートでも、さりげなく、しかし確実に黒人差別が存在することを印象付けるシーンがかしこに配置されている。Deep South という言葉があるが、本当に恐ろしい地域であると思う。

 

物語はヴェロニカ視点とエデン視点で進むが、その切り替わりが夢と目覚めというのは巧みである。どうしたって『 シャイニング 』を彷彿させる不気味な少女を使うことで、スーパーナチュラル・スリラーの要素も効果的に増強されている。トランプ政権爆誕以来、The Divided States of Americaになってしまった彼の国であるが、そんな状況の中でも本作ような作品を作り上げてしまうのだから、大したものである。

 

ぶっちゃけJovianは開始15分程度で話の全貌が見えてしまった。職業柄、TOEFL iBTを教えることが多く、畢竟アメリカ史には詳しくなる。あるキャラクターがある場面でポロっと漏らす一言は実にフェアな第一の伏線であった。『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』で、マット・デイモンが親友ベン・アフレックをバーでかばうシーン並みにアメリカ史に通暁していれば、ひょっとしたらもっと早い段階で見破ってしまうのかもしれない。

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ネガティブ・サイド

今というタイミングだからこそセンセーショナルに感じるが、先行作品はいくらでも思い浮かぶ。以下、白字。

『 ザ・ハント 』

『 アス 』

『 ヴィレッジ 』

他にも今年(2021年)亡くなった劇画家の第3巻にも非常によく似たエピソードがある。種明かしされれば気付く類の伏線の数々が周到に張られてはいるものの、これらが少し大げさすぎた。もっと控え目でよかったのだが。

 

ジョーダン・ピールが関わっているわけではないが、ヴェロニカの親友の太っちょは『 ゲット・アウト 』のリル・レル・ハウリーの女性バージョン。『 ゲット・アウト 』は潜在的に白人が黒人を恐れ、なおかつ憧れているからこそ成り立つストーリーで、奇妙なユーモアがあった。だからこそ面白キャラの居場所があったの。しかし、本作のような黒人差別バリバリの話の中では、彼女の存在はひたすら浮いていたように感じた。

 

総評

ネタバレ厳禁というのは確かにその通りであろう。ただ、トレイラー自体が結構なネタバレになっている。また、ストーリー進行が前半は特に重く感じられ、そこでヴェロニカとエデンの切り替わりさながらに眠りの世界に旅立ってしまう人も多そうだ。ミステリ映画好きなら、あっさりと見破ってしまうだろう。逆にそうでなければ気持ちよく big twist に酔うことができるだろう。実際に、Jovian妻は感心することしきりであった。

 

Jovian先生のワンポイントラテン語レッスン

bellum

戦争を意味するラテン語。『 竜とそばかすの姫 』で、bellum omnium contra omnes = war of all against all = 「万人の万人に対する闘争」という格言に触れたが、bellという語は英語にも大きな影響を及ぼしている。英検2~準1級なら rebel, rebellion あたりを、英検1級なら bellicose, belligerence あたりを知っておきたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, ジャネール・モネイ, スリラー, 監督:クリストファー・レンツ, 監督:ジェラルド・ブッシュ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 アンテベラム 』 -ややマンネリか-

『 エターナルズ 』 -スーパーヒーロー映画の限界か-

Posted on 2021年11月12日 by cool-jupiter

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エターナルズ 30点
2021年11月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジェンマ・チャン アンジェリーナ・ジョリー マ・ドンソク
監督:クロエ・ジャオ

 

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以後、はじめて新キャラを本格的に導入する本作。だが、過去のスーパーヒーロー作品のパッチワークにしか見えなかった。個人的には、霧の良いところでMCUから離脱してもいいのかなという気持ちになった。

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あらすじ

宇宙の創世期。セレスティアルは太陽を生み出し、生命を育む星々を育てた。しかし、そこにはデヴィアントという想定外の凶悪な生物も生まれてしまった。セレスティアルのアリシェムは地球に巣食うデヴィアントに対処するため、エイジャックやイカリスらのエターナルズを地球に送り込んだ。以来7000年間、エターナルズはデヴィアントから地球人を守護してきた。そして、サノスとアベンジャーズの戦いが終わった今、再びデヴィアントたちが姿を現わして・・・

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ポジティブ・サイド

『 シャン・チー テン・リングスの伝説 』から、明らかにMCU(というかディズニーか)もアジア系のオーディエンスへの配慮を始めている。『 クレイジー・リッチ! 』の嫌味な元カノが実質的な主役だし、我らが鉄拳オヤジのマ・ドンソク、『 ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 』のクメイル・ナンジアニの起用など、明らかに diverstiy と inclusion を意識している。なぜ地球の危機を西洋人だけが解決しようとする、あるいは解決する力を持っているのかは、常々西洋世界以外を困惑させていた。地球の危機には地球規模で対処すべきで、映画界もその方向にシフトしていっているのだということ、MCU新フェースの作品が基軸として打ち出してくれたことは素直に評価したい。

 

『 アイアンマン2 』や『 キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー 』あたりから顕著にヒーローの人間部分にフォーカスし始めたが、本作でもエターナルズの面々の人間的な面を描くことに腐心していた。『 ワンダーウーマン 』が切り開いた女性というヒーローが主役を張るという方向性が成功を収めたことで、マイノリティをヒーローにするのは個人的にはありだと思う。同性愛者や聴覚障がい者がヒーローというのも、バービー人形に車椅子バージョンや義肢装着バージョンがあったり、子供向けアニメ番組の主役が補聴器装用者(Super Rubyなど)だったりすることを知っていれば、このあたりの印象はガラリと変わることだろう。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

一番の不満はエターナルズの面々の強さがよく分からないところ。というか強そうには見えないのに「俺たちはアベンジャーズより全然強いんだが?」的な言葉をポンポン発するところが意味不明。別にJovianはアベンジャーズを贔屓にしているわけではない。ただ「サノスも俺たちが出張っていればなあ」やら、「アベンジャーズからキャプテン・アメリカもアイアンマンもいなくなったから、お前リーダーやってくれば?」のような会話は、白けるばかりだ。強さのインフレはある意味しゃーないとはいえ、ここまで露骨に言葉で説明する必要があったのかどうかは疑問だ。

 

そもそもデヴィアンツの強さがよく分からない。縄文時代ぐらいの人間を襲っていたのだろうが、これでは強さが分からない。それこそ『 アベンジャーズ 』でハルクが一撃KOしたリヴァイアサンのような巨大な敵、太古の怪獣のような存在であれば、まあ分かる。けれど実際は現代の普通の銃器でそれなりダメージを与えられる相手。これを倒すためにエターナルズが送り込まれてきたとなると、「エターナルズってホンマは弱いんちゃうの?」と感じざるを得ない。

 

冒頭のエターナルズの面々のデヴィアンツとのバトルも既視感ありあり。スーパーマンにクイックシルバーまたはフラッシュ、ミスティーク、アイアンマンなどなどで、「いや、これもう散々観ただろ」というシーンのオンパレード。普通のSFアクションものならド迫力のシーンなのかもしれないが、スーパーヒーローものとしては陳腐の一言。マ・ドンソクといえば確かに鉄拳なのだが、それはもうハルクだけで十分。

 

エターナルズの面々の能力全般にポテンシャルが感じられないのが痛い。ドルイグのマインド・コントロールというのは人間だけに効いて、デヴィアンツには効かないのか?だったら、その能力を使って一体セレスティアルは何をしろと言いたいのか。ファストスも科学技術の天才であるならば、核兵器の開発を嘆くのではなく、それよりもっと前の段階で太陽光発電やら地熱発電の sustainable energy といった領域の技術をバックアップしときなさいよ。スプライトも成長したいだとか恋がしたいだとか言うなら、バーで幻影を使って男をひっかけるのではなく、(見た目の上で)同世代の男(女でも可)とデートして、初々しくキスに失敗する、あるいはやたらとキスがうまくて相手がドン引きする、などの描写がないと説得力が生まれない。

 

人間的なヒーロー像の追求は別に結構だが、ゲイのカップルの物語などは、次回作以降にじっくりと掘り下げるべきで、本作のように一人一人のエターナルズの面々の背景にフォーカスしてしまうと、時間がいくらあっても足りない。実際に本作は2時間半の長丁場でありながら、最も求められているはずのアクションがあまりにも中途半端で、エンターテイメントとして大いに不満が残る。かといって個々の背景についても掘り下げは中途半端である。

 

宇宙規模の壮大なスケールの物語ではあるが、これはすでに『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス 』で使われたネタで、新鮮味はなかった。また、デヴィアンツがあまり強くないことから、エターナルズ同士が争わざるを得なくなるが、これも『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』で既に使われたネタである。

 

サノスの弟もいらない。次のフェイズに行くなら、前のフェイズのラスボスネタは引っ張らなくていい。または前のフェイズのラスボスを落とすことで、次の敵の格を上げようとしなくていい。もうここまでくると、ストーリーを紡いでいるのではなくマーチャンダイズに使えるキャラを登場させているようにしか見えない。次作のクオリティ次第ではMCUから抜けてもいいような気がしてきた。

 

総評

MCUもネタ切れに近いのだろうか。何もかもが既視感ありありだった。ぶっちゃけ『 ファンタスティック4(1994) 』(ところで何回再映画化されるの?)と同レベルの作品に思える。ここまで来たら、もうデッドプールやゴーストライダーもMCUに放り込んで、『 怪獣総進撃 』みたいなハチャメチャ展開にしてもらいたい。本作はかなり好き嫌いが別れることだろうが、MCUになじみのない人にお勧めできない。これだけは断言できる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

move in 

引っ越しする、の意。たいていの場合、だれか意中の相手のいる街へ引っ越したり、あるいは同居や同棲を開始するための引っ越しのために使う。古い洋楽を好む人なら、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの『 秋風の恋 』(I’d Really Love to See You Tonight)のサビの歌詞、I’m not talking bout moving in, and I don’t wanna change your life. で知っていることだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, アクション, アメリカ, アンジェリーナ・ジョリー, ジェンマ・チャン, マ・ドンソク, 監督:クロエ・ジャオ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 エターナルズ 』 -スーパーヒーロー映画の限界か-

『 ジョーカー 』 -Blu rayで再鑑賞-

Posted on 2021年11月8日2021年11月8日 by cool-jupiter

ジョーカー 85点
2021年11月5日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ
監督:トッド・フィリップス

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再鑑賞のきっかけは、やはり京王線の事件。アメリカでも本作公開後にBLM、さらにそのどさくさ紛れの暴動が多発したが、持たざる者からさらに収奪しようとする時、社会はしっぺ返しを食らってもおかしくないという本作のビジョンは概ね正しかったことが残念ながら改めて証明されたように思う。

 

あらすじ

アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、緊張すると笑ってしまうという障がいを抱えながらも、ゴッサムの片隅でピエロ稼業をしながら、コメディアンになることを夢見ていた。母親と二人暮らしで、フランクリン・マレー(ロバート・デ・ニーロ)がホストのテレビ番組を楽しんでいた。だが、街も人々も彼の存在をどこまでも軽んじる。そんな時、同僚から護身用にとアーサーは拳銃を手渡され・・・

 

ポジティブ・サイド

今回の再鑑賞の目的は2つ。1つは、どこまでが現実でどこまでがアーサーの妄想なのかを考えてみたいということ。もう1つは、この映画に人を狂気あるいは凶行に走らせる要素があるのかどうかということ。

 

現実か妄想かについて。日英の両語で色々なサイトを渉猟してみたが、百家争鳴の感はぬn拭えない。トッド・フィリップスも、様々なインタビューで「自分たちは何が現実で何が妄想か分かっている。たくさんのセオリーが存在して、そのどれもが興味深い」という趣旨を述べており、正解については煙に巻いている。そこで自分なりの仮説を。

 

1.すべて現実

2.最初と最後だけ現実

3.最初だけ現実で残りはすべて妄想

4.最後だけ現実で残りはすべて妄想

5.すべて妄想

 

2.が有力かとは思うが、5.も捨てがたい。よく言われる時計が11時11分を指しているシーンは間違いなく妄想だろうが、そのことが他のシーンを現実だと決定づける要素でもない。事実、テレビのシーン、ソフィーとデートするシーンなど、間違いなく妄想だとしか思えない。結局、アーサーの言う通り、人生は悲劇ではなく喜劇、何が面白いかは社会全体が決めることなのかもしれない。そして社会は時に、たった一人の象徴によって大きく歪むことがありうる。そして、その象徴は社会の大きな歪みから生まれる。循環論法である。これは、妄想している人間が「自分は妄想している」と自覚した時の自己言及矛盾とも共通するだろう。結局のところ、アーサーは”You wouldn’t get it.” = 「あんたには分からない」と言って、自らのジョークを説明することを拒否している。自分のジョークは自分にしか分からない。つまり、社会自体を拒絶している。だとすると、仮説4.もそれなりに有力?トッド・フィリップスの仕掛けた陥穽にどっぷりハマってしまったかもしれない。

 

本作が人を凶行に走らせる要素があるかどうか。これは正直なところ、ある。なぜならJovian自身が本作に影響されて、ほとんど発作的に前職を辞したから。ストレートに本作の物語を受け取るなら、家族、仕事、人間関係、さらに(メンタルの)健康にまで恵まれない男が、半ば偶発的に殺人を犯してしまったが、それによって Kill the rich = 金持ちを殺せというムーブメントが形成され、殺人犯たる自分がアイコンに祭り上げられた。ここから導き出せるのは「持たざる者から奪うな。そうすろと思わぬしっぺ返しが来るぞ」という社会の側への警告であって、「俺は持たざる者だ。だから持つ者に対して攻撃を加えてよいのだ」という個人へのメッセージにはならないだろう。その意味では京王線ジョーカーはリテラシーが足りなかった。ただ、Jovian自身も「自分の仕事がイマイチ面白くないのは自分ではなく会社のせいだ」という気持ちを本作によって後押しされたことは否めない。結局は、どのようなメッセージを受け取るのかも、喜劇と同じく、主観的なのだろう。

 

サントラが恐ろしい力を持っていて、チェロの低音がいつまでも耳に残る。

 

Put on a happy face. = 幸福の仮面をかぶれ、というキャッチフレーズが重苦しい。愛想笑いという社交儀礼について、我々は少し見方を変えるべきなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

やはり、マレーのショーに登場する際に初めて「ジョーカー」という名前に言及されるべきだった。

 

総評

「ジョーカーに憧れた」という言葉がどこまで本当なのか、それは本人にしか分からない。しかし、社会擾乱を是とする見方を後押ししていると解釈されてもおかしくない作品になっていると感じた。日本社会はある時(おそらく宮崎勤の事件)から、凶悪犯罪の病理を既存のメディア、特にゲームや漫画に求めるようになった。実際にそうしたオタク文化とされるものが凶悪犯罪に結びついた事例は聞いたことがないが、2021年になって遂に出てきてしまったとも言える。本作の評価が定まるのはもう少し先になりそうだが、日本では今後10年地上波で放送されることはないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

decide

 

「決める」という意味の動詞。他動詞の場合、decide ~ =「~を決める」だが、自動詞の場合は decide on ~ = 「~に決める」となる。 Jovianが講師をしていた時には

Ohtani decided on the Angels. = 大谷はエンゼルスに決めた。

Ohtani hit a homer and decided the game. = 大谷はホームランを放って、試合を決めた。

という例文で説明をしていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, クライムドラマ, ホアキン・フェニックス, ロバート・デ・ニーロ, 監督:トッド・フィリップス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ジョーカー 』 -Blu rayで再鑑賞-

『 コンテイジョン 』 -コロナ”後”への警鐘-

Posted on 2021年10月31日 by cool-jupiter

コンテイジョン 75点
2021年10月28日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:マリオン・コティヤール ローレンス・フィッシュバーン マット・デイモン ジュード・ロウ
監督:スティーブン・ソダーバーグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211031223409j:plain

コロナは収まりつつあるとはいえ、第六波の到来も予測されている。実際に、世界では全然収まっていない。そんな時は『 アウトブレイク 』の時と同様に、ウィルス感染テーマの作品を鑑賞して、少し未来を想像してみる。

 

あらすじ

ミッチ・エムホフ(マット・デイモン)は、出張帰りの妻ベスが急激な体調不良になったことから病院に急行。しかし、ベスは死亡した。未知のウィルスによるものだった。そのウィルスは世界各地に拡散、パンデミックとなる。アメリカCDCのチーヴァー(ローレンス・フィッシュバーン)はウィルスの正体を突き止め、感染拡大を防止しようと奮闘するが・・・

 

ポジティブ・サイド

始まりから終わりまで、全てが淡々とした空気で進んでいく。突出したヒーロー然とした人物がおらず、それがリアルさを増している。世界各地で静かに、しかし確実にウィルスが勢力を拡大していく様も淡々と映し出される一方で、現場の右往左往、そしてその奥のWHOやCDC内部の人間の奮闘が描かれている。このCDCやWHOが現実世界でいまいち働いているように見えないのがポイント。実際は悩み苦しむ人間が多くいることが描かれている。本作のウィルスは虚構だが、そこに現実の豚インフルエンザを絡めてくることでリアリティが増している。2009年、日本でも薬局やコンビニからマスクが消えたことを覚えている人は多いだろうし、それこそ2020年春のマスク争奪戦の記憶は誰しもの脳裏に焼き付いていることだろう。そうした記憶を下敷きに本作を見れば、人間はなかなか教訓を学ばないものなのだなと思わされる。

 

ウィルスの起源をリサーチする役割のケイト・ウィンスレットがさっそくウィルス感染し、死亡する。この無情さがいい。日本でもコロナの深刻さ(それを疑問視する向きも多数いるが)が認識されたのは、志村けん死亡のニュースからであったと思う。ウィルスは相手に忖度などしない。一方で、最初から抗体を持っている、あるいは免疫の強さによって影響を受けない者もいるという設定も、SFではお馴染み(『 アンドロメダ病原体 』など)ながら説得力がある。

 

マット・デイモンやローレンス・フィッシュバーン、ケイト・ウィンスレット、グウィネス・パルトロウなどの名のあるスターを起用しながら、誰かが飛び抜けた活躍をするわけでもなく、誰かがとんでもない事件を起こすわけでもない。人間のちょっとした弱さがその人間を悪事に走らせる展開があるが、それもまた自然な展開に思える。

 

パンデミックが進行し、人々が自主的にロックダウンを実施した時に何が起こるのかを、まるでドキュメンタリー作品のようなタッチで映し出していく。ミッチの娘がボーイフレンドとテクストする中で、ステイホーム生活を jail = 牢屋 と表現していたが、これは若者には本当にそのように感じられるのだ。たまたまJovianは大学の教壇に立たせていただいているが、20歳前後の若者にとっての青春の時期というのは、空虚で低生産な時間を過ごすことに定評のある日本のオッサンの日常とは大いに異なるのである。 

 

ジュード・ロウ演じるブロガーが怪しげな情報をふりまいて支持を得るというのも、コロナ、およびコロナに対するワクチンに対するネガキャンでしこたま儲けたという医療従事者や評論家連中の登場を正確に予見していたものとして評価できる。というか、どんな苦難の状況にあっても、それを鉄火場にできる人間は必ず出てくるということか。

 

最後の終幕も苦い余韻がある。結局は人類が自然破壊を推し進めてしまったことがパンデミックをもたらした。現実の新型コロナの起源についても、「突き止めた!」、「発表する!」とトランプ政権時代のアメリカはやたらとかまびすかしかったが、全て大山鳴動ねずみ一匹。真相は案外本作の示す通りなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

映画なので、ある程度ご都合主義にならざるを得ないのだろうが、現在の我々の目から見てかなり不自然に映る描写がある。最も気になったのはケイト・ウィンスレットのキャラクター。Jovianは看護学校中退の経歴があるので言わせてもらうが、マキシマム・プリコーションどころかスタンダード・プリコーションすら施さずに調査にあたるのは杜撰を通り越して無能ではないだろうか。もちろん、感染してもらわないといけないキャラが防御が万全では話が進まないが、もうちょっとここに説得力が必要だった。

 

また、ジュード・ロウのキャラにR-0、いわゆる基本再生産数について議論を吹っ掛けられたチーヴァーが言葉に詰まってしまうのも不自然だった。SARSや2009年の新型インフル騒動でも、いわゆるスーパー・スプレッダーの存在は報じられていた。R-0が2というのは、単純に2のべき乗で感染者数が増えていくわけではない、クラスター(これについても言及されていた)を潰していくことが最善の対処である、というような旨の反論ができたはずなのだが・

 

総評

コロナ・パンデミックの始まりから猖獗までを見てきた現代人にとって、非常に示唆に富む内容になっている。映画製作者たちの取材力と考察力に裏打ちされた想像力と創造力は大したものだなと心から感心する。第6波、さらにその先(コロナは相撲で言うと関脇とされており、大関や横綱は今後100年でやって来るとされる)に、我々がどう振る舞うべきで、またどう振る舞うべきではないのかについてのヒントが満載である。パンデミックなど社会の擾乱を奇貨とする輩をフォローしないという教訓だけでも学ぶべきだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be immune to ~

~に免疫がある、の意。普通は医学的な文脈で使われるが、卓球の水谷のように、”I’m immune to criticisim.”のように言ってもいい。「批判の言葉をいくら投げつけてきても、俺には全く効かないぜ」ということである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SF, アメリカ, サスペンス, マット・デイモン, マリオン・コティヤール, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 コンテイジョン 』 -コロナ”後”への警鐘-

『 最後の決闘裁判 』 -事実は一つ、真実は複数-

Posted on 2021年10月22日 by cool-jupiter

最後の決闘裁判 80点
2021年10月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マット・デイモン ジョディ・カマー アダム・ドライバー ベン・アフレック
監督:リドリー・スコット

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監督がリドリー・スコット、そして出演にアダム・ドライバー。これだけでチケット購入決定。歴史的なイベントを現代の視点で見事に再構築した逸品である。

 

あらすじ

従騎士カルージュ(マット・デイモン)と同じく従騎士ル・グリ(アダム・ドライバー)は戦友だった。しかし、ル・グリばかりがピエール伯爵(ベン・アフレック)に重用されるにつれ、彼らの友情は冷めていく。そんな時、カルージュの妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、ル・グリに強姦されたと訴え出て・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianはアダム・ドライバーが大好きである。善人も悪玉も、シリアスな男もユーモアのある男も演じられるからである。しかし、本作では毒のある男を演じた。どこからどう見てもアダム・ドライバーなのだが、観る作品ごとにしっかりとキャラクターを立たせられるのは演技力のなせる業。このあたりが、何を演じても結局本人にしかならないハリソン・フォードやニコラス・ケイジ、トム・クルーズとの違いだろう。

 

マット・デイモンも円熟期に入った。『 グレートウォール 』や『 ダウンサイズ 』あたりで失速したが、『 フォードvsフェラーリ 』で復活し、本作でさらにキャリアをブーストさせた。「男子家を出ずれば七人の敵あり」と言うが、それを地で行く生き様を見せる。西洋の騎士も東洋の武士も、名誉を重んじるという点で変わりはなく、それゆえに中世フランスの騎士階級の人間の物語であっても、そこに共感することが容易になっている。また、男の屈強さゆえの醜悪さも存分に醸し出しており、デイモンのキャリアの中でも屈指の好演だと言えるだろう。

 

本作がユニークなのは、カルージュの視点、ル・グリの視点、そしてマルグリットの視点から、同一の事象が描かれることである。よく我々は「真実は一つ」と言うが、それは違う。事実は一つで、真実は人の数だけ存在する。F・ニーチェ流に言えば「真実など存在しない。あるのは解釈だけである」となろうか。歴史的な事象は常に現代という文脈から再解釈され、再構築される。リドリー・スコットが本作の製作を思い立った背景には、間違いなくMeToo運動があるはず。遥か過去の人物であるマルグリットを現代に蘇らせ、二人の男に翻弄されてしまった女性の姿を通じて、我々はセクハラが罪であるという時代に生きねばならないという思いが強くなってくる。詳しくは観てもらうのが一番だが、同一の事柄でも見る人によってこれほど変わるものかと感心させられること請け合いである。

 

ジョディ・カマーは『 フリー・ガイ 』での圧倒的な強さとは対照的に、控えめながらも芯の強さを備えた女性を好演。追従する女性から毅然と立つ女性まで、各チャプターごとに異なる顔を見せる。印象的に感じたのは、初夜の後の表情。カルージュ視点とマルグリット視点で、同じ行為であっても全く異なる感想を抱いているのが、彼女の微妙な表情で分かる。『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』でも山田杏奈が同じような表情を浮かべるシーンがあったが、我々男性は女性のこのような顔を決して見逃してはならないのである。国王までもが列席することになった裁判で、これでもかと辱めを受けさせられるマルグリット。セカンド・レイプとは何であるかを思い知らされる。そら誰も声上げんわな・・・というほどの無知と偏見、そしてデリカシーの欠如に、頭を抱えざるを得ない。数百年前のフランスの出来事とは思えない。おそらく世界のたいていの国に当てはまってしまうのではないだろうか。

 

タイトルにもある決闘のシーンは spectacular の一語に尽きる。 決闘と聞けば、エペで軽く突つき合う儀礼的なものを思い浮かべるが、本作では違う。重騎兵同士の激突である。殺し合いである。漫画原作の『 キングダム 』のような戦闘には活劇的な面白さがあるが、本作にあるのは凄まじい臨場感と緊迫感。それを見る視点はカルージュなのか、ル・グリなのか、それともマルグリットなのか、はたまた自分自身なのか。様々な視点からこの決闘を見ることで、そこに渦巻く思いが愛なのか名誉なのか憎しみなのかが変わってくる。ものすごい奥行きの深さである。

 

アダム・ドライバーも相変わらずの演技力の冴え。加藤清正や福島正則と友好関係にあったが、後に対立することになってしまった石田三成も、こんな男だったのかもしれないと感じた。ベン・アフレックも「どこに出ていた?」とエンドロールの際に思わされるほど、ピエール伯を怪演。伝説的な映画監督と豪華キャスト。そして現代的なメッセージを強烈に放つ作品。特にマルグリットが最後の最後に見せる表情は必見だ。鑑賞しないという選択肢はない。

 

ネガティブ・サイド

気になったのは、ル・グリによるマルグリットの強姦シーン。三者三様に物語を回想する本作のスタイル上、必要なのかもしれないが、強姦シーンを2回流す必要はあったのだろうか。いや、まるっきり異なるシーンであれば良いのだが、初見ではほとんど違いが分からない。「靴を脱いだ」と「靴が脱げてしまった」のような違いを、強姦そのもののシーンにもっと加えることで「真実は人によってこんなに違うのですよ」とあからさまに見せるのであれば、まだ意味を見出せるのだが。

 

総評

超豪華な製作陣が期待通りのクオリティの作品を届けてくれた。単なる映像美だけではなく、それを物語る手法もユニークである。遠い過去の人物たち、そして出来事でありながら、それが今という時代にこのような形で提示されることには大きな意味がある。大学生以上なら、本作の持つ社会的なメッセージ、その重みをしっかりと受け止められるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Hear, hear.

「聞け聞け」の意ではなく、「その通りだ」、「賛成するぞ」の意。ビジネスものの映画やドラマのミーティングで時々聞こえてくるし、実際のオフィスなどでもたまに使われる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, ジョディ・カマー, ベン・アフレック, マット・デイモン, 歴史, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 最後の決闘裁判 』 -事実は一つ、真実は複数-

『 DUNE デューン 砂の惑星 』 -続編に期待・・・?-

Posted on 2021年10月17日 by cool-jupiter

DUNE デューン 砂の惑星 50点
2021年10月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ティモシー・シャラメ レベッカ・ファーガソン オスカー・アイザック
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

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『 デューン / 砂の惑星 』の現代リメイク、いやリブートと言うべきか。事前情報をとことん断って劇場に向かったが、これは前編であった。良い意味でも悪い意味でもドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の美意識が炸裂した作品。続編=完結編はおそらく製作されると思うが、やはり元々映画化に不向きな作品なのかもしれない。

 

あらすじ

スパイスが産出される砂の惑星アラキス。宇宙皇帝の命によって、そのと統治権が大領ハルコネン家から同じく大領アトレイデス家に移ることになった。レト公爵(オスカー・アイザック)は妻ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)、息子ポール(ティモシー・シャラメ)らと共に兵団を率いてアラキスへと赴くが、それは宇宙皇帝およびハルコネン家による大いなる陰謀の始まりで・・・

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ポジティブ・サイド

紛れもなく古典小説『 デューン 』の映像化になっている。荒涼とした砂漠に潜むゲリラ的な民族。皇帝から派遣された統治者。その統治者の交代。それに伴う様々な陰謀。これはまさしくローマによるイスラエル統治と、その後の政治的擾乱をモチーフにしている。そこに『 アバター 』ならぬ『 ポカホンタス 』の要素を混ぜ込んだ、壮大な叙事詩である。

 

映像の雄大さと美麗さにおいて素晴らしい。特に砂漠とそこに住まう民というイメージは間違いなく『 スター・ウォーズ 』に影響を与えているし、『 モンスターハンター 』のディアブロスは巨大なサンドワームにインスパイアされたものだとしか考えられない。古典SF小説家の想像力を見事に映像に翻訳したと言えるだろう。

 

砂漠のサンドワームが1984年の『 デューン / 砂の惑星 』よりも大迫力で再現されていて、それだけでも満足。加えてハルコネン家によるアトレイデス家への襲撃も1984年版とは比較にならない規模で展開される。CGの乱用にはJovianは常に懐疑的であるが、これぐらい派手にやるのなら、CGもありだろう。

 

ティモシー・シャラメ演じるポールは正に悲劇のプリンス。元々貴族的なルックスのシャラメなので、今作のような役は大いにハマる。英才教育を受けた悲劇の王子にして、野望を秘めた瞳に宿る芯の強さは他の役者には出せないと思わせるだけの迫力と説得力がある。できれば次作で完結と言わず、小説世界以上に宇宙帝国の転覆および新たな宇宙秩序構築の物語にまで発展させていってほしい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211017154445j:plain

ネガティブ・サイド

これは小説の映像化なのか、それとも映画化なのか。映像化であれば満点だが、映画化としては疑問が残る。一つにはスパイスの存在意義。1960年代であれば恒星間宇宙旅行は、それこそ超高速プラス超長時間の旅だった。だからこそスパイスの存在意義があった。しかし、SF作品においてワープが当たり前になった現代では、スパイスに新たな意味付けが必要である。そこを避けてしまったのは頂けない。

 

アトレイデスやハルコネンについても、予備知識があるならまだしも、まっさらで鑑賞する人には厳しいだろう。実際、Jovian嫁は「最初から最後まで意味わからん」という感想を述べた。今にして思えば、デビッド・リンチ版の冒頭のナレーションは非常に親切なものであったと再評価できる。

 

全体的に長い。『 デューン / 砂の惑星 』のレビューで、ポールの成長過程および妹の誕生過程を丹念に描いてしまうと、3時間になってしまうと指摘した。が、本作は2時間35分でポールがやっとフレメンたちに受け入れらるところまでしか進んでいない。はっきり言って遅すぎる。サンドワームを乗りこなして、アラキスを掌握。フレメンの協力を得て、一気にハルコネンを駆逐し、銀河皇帝に戦いを挑む・・・という展開2時間30分~3時間にまとめるなら分かる。だが、物語のほとんどが儀礼と政治的な駆け引きで、アクションと呼べるシーンはハルコネン家の急襲とポールの決闘ぐらい。これでカジュアルな映画ファンに続編を期待してもらおうというのは虫が良すぎる。多分、ライトな鑑賞者は結構な割合で寝てしまったものと思われる。

 

ポールの見る予知夢がしばしば挿入されるが、これが前編の終わりの引きにつながっていない。謎ばかりが深まる中、最後の最後にゼンデイヤとポールがサンドワームに騎乗し、大軍勢を率いているビジョンがあれば、後編のスペクタクルに否が応にも期待が高まるはずなのだが。

 

総評

映像を鑑賞することはできても、映画として楽しむのはなかなかキツイ作品になってしまった。後編の製作が決まっている、もう撮影もされているというのであれば、期待もできる。けれど、そうではないらしい。世界的にコケないことを祈る。ヴィルヌーヴは思弁的なSFは監督できても、アクション巨編はもう困難なのかもしれない。同じSF古典の『 火星のプリンセス 』を思いっきりエンタメ路線に染め上げた『 ジョン・カーター 』のアンドリュー・スタントン監督にメガホンを取ってほしいとさえ思ってしまう。そんな出来栄えである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

unquenchable

quench = 水を飲んで渇きを癒やす、(炎などを水で)消す、の意。否定の接頭辞 un と可能の接尾辞 able がつくことで「癒やせない」、「消すことができない」の意味になる。しばしば unquenchable thirst や unquenchable desire, unquenchable passionのように使われる。『 ロッキー4 炎の友情 』の ”Burning Heart” でも 

In the burning heart 
Just about to burst 
There’s a quest for answers 
An unquenchable thirst 

というサビの一節の印象が強烈だ。

 

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『 メインストリーム 』 -その「いいね」は誰のもの?-

Posted on 2021年10月10日 by cool-jupiter

メインストリーム 60点
2021年10月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド ホーク・マヤ ナット・ウルフ
監督:ジア・コッポラ

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『 沈黙 サイレンス 』や『 ハクソー・リッジ 』のアンドリュー・ガーフィールドが出演していて、コッポラ御大の孫娘が監督。それだけで観てみようという気になる。というわけで人混みを避けてレイトショーへ。

 

あらすじ

バーテンダーをしながらアート製作を志すフランキー(ホーク・マヤ)は、ある日、リンク(アンドリュー・ガーフィールド)という不思議なメッセージを発する青年と出会う。彼を撮った動画をYouTubeにアップしたところ、普段の自分の動画とは違い、バズることに。ライター志望でバーでの仕事仲間のジェイク(ナット・ウルフ)も誘い、フランキーはリンクと共にYouTube動画を作成し、リンクはノーワン・スペシャルとして人気を博していくが・・・

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ポジティブ・サイド

このフランキーという主人公の女性は、現代の典型的な鬱屈した若者像であり、なおかつジア・コッポラ監督自身の投影でもあるのだろう。映像作家を志す若い女性が「これだ!」という男性素材に出会うという点で『 サマーフィルムにのって 』にそっくりだが、フランキーが目指すのは映画ではなくYouTube動画。YouTube動画を作ることをテーマにした映画という意味で、なかなかメタでシュールな作品である。

 

多くの人間が成功を夢見ながら、諦めたり去って行ったりするのがLAという都市の常。そのことは『 ラ・ラ・ランド 』から良く分かる。また仮に売れたとしても、売れ続けられる保証はない。それも『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』で描き出されていた。またLAという娯楽産業には裏の顔があり、裏のシステムがあるということは『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』が寓話的に暴き出していた。本作はそうしたLAの固有性を背景にして鑑賞する必要がある。

 

一方で、フランキーがプッシュするリンクは何の代わり映えもしないセレブ系YouTuberだが、とあるインフルエンサーとのコラボ動画がバズったことでYouTuber界隈のプロデューサーと契約することになる。そこからブレイクを果たしたリンクたちだが、その過程で大問題を起こしてしまい・・・というのは、実際にありそうな事柄に思える。ペテン師メンタリストのDaiGoの「生活保護受給者は無視しろ、猫の命の方が大事だ」というメッセージおよびそれが巻き起こした動乱と、本質的には同じ流れが本作でも展開される。

 

このあたりはSNSを盛んにやる人は、自分に置き換えて考えてみても面白いだろう。あるいは最近話題になったYahooからヤフコメ民への「誹謗中傷はやめて」というお願い、あるいは自民党の高市早苗が自身の支持者に対して「総裁選の他候補への誹謗中傷はやめて」というお願いに通じるものがある。それらを受けて当事者らはどう反応したか。自分に関係のない事柄をさも自分のコンテンツであるかのように振る舞い、自分そのものがコンテンツである事柄には、さも無関係であるかのように振る舞ったのである。「高市さんも変な支持者がいて大変ですね」と言っているアカウントが、SNS上でとんでもない毒をばらまいていたりしたわけである。

 

本作でリンクが引き起こす騒動とその顛末の本質は、メインストリームというタイトルそのものに意味が込められているように思う。結局のところ、現代の、特にSNS上には、個人としての意見や主張などは存在しえないのかもしれない。あるのは、以下のメインストリームに迎合するかだけ。作家の八切止夫は「人間関係は一にかかっていかに相手を誤解させるか」と喝破した。合成あるいは編集したセルフィーをアップする。それはメインストリームに対するアピールに他ならない。本作の最後のリンクをアピールを聞いて、どう思うか。どう思ったところで、そのコンテンツを消費してしまったあなたは、もはやメインストリームの一部なのだ。

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ネガティブ・サイド

フランキーの満たされなさ、没個性さの描写が足りない。どんなアートを志向していて、どんな映像芸術をこれまでにYouTubeに公開して、どんな反響を得たのか、あるいは得られなかったのか。そのあたりの描写がわずかしかないため、リンクという素材との出会いのインパクトが弱くなっている。

 

そのリンクの思考や行動の原理の描写も弱い。フランキーとの3度目の出会いで彼女のスマホを奪い「他人から承認してもらうのが望みか」と問いかけるまで、彼の言動には思想がない。あるとすれば「スマホを持たない」ということぐらい。スマホを持たないことでスローライフを謳歌している、あるいは人間関係を非常に充実したもの、ストレスフリーなものにしているのであれば、まだ分かる。実際のところは定職を持たない変な奴である。もっとリンクを謎めいた、それでいて理知的な男には描けなかったか。

 

フランキーとリンクのロマンスにも必然性が感じられない。元々はジェイクと付き合っていたフランキーが、不意にリンクと関係を持ってしまう。その方が3人組の崩壊にもドラマ性が生まれるし、リンクというキャラが見せる落差も大きくなる。また、リンク=ノーワン・スペシャルという一種の怪物がだんだんとコントロールできなくなっていったのは、彼自身に原因があるというよりも、バックヤードでオペレーションをしているフランキーやジェイクの非であるとした方が、SNSと対比されるリアルの人間関係の生々しさがより際立ったと思う。

 

総評

普通に面白い作品。ただ、それはこの作品と鑑賞者の間にどれくらいの距離があるのかによるだろう。スマホやSNSに依存した生活を送っている若者であれば、チンプンカンプンかもしれない。逆に、彼ら彼女らの親ぐらいの世代であれば、本作の放つメッセージを読み取る(≠受け取る)ことは容易なのかもしれない。承認欲求とは、承認されたいという思い以上に、承認されることが可能なシステムへの参入の意志なのだ。10代20代よりも、40代50代が観るべき(少なくとも日本では)作品であるように思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

esteem-needs

「承認欲求」または「承認の欲求」と訳されることが多い。近年の日本で急激に人口に膾炙するようになった言葉だが、それだけ他者からの承認欲求に飢えているのだろう。Jovian自身はこの言葉を看護学校時代にマズロー心理学を学んだ際に知った。現代の承認欲求はヘーゲルやマズローの言う”承認”とはかなり意味がずれてきているように思えてならない。他者と承認の関係について考察を深めたいという向きには、Jovianの同級生が上梓した『 ヘーゲルの実践哲学構想 』をどうぞ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, アンドリュー・ガーフィールド, サスペンス, ナット・ウルフ, ホーク・マヤ, 監督:ジア・コッポラ, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオLeave a Comment on 『 メインストリーム 』 -その「いいね」は誰のもの?-

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