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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 シラノ 』 -ややパンチの弱いミュージカル-

Posted on 2022年3月8日 by cool-jupiter

シラノ 65点
2022年3月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ピーター・ディンクレイジ ヘイリー・ベネット ケルビン・ハリソン・Jr.
監督:ジョー・ライト

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『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のシラノが、現代風に換骨奪胎されたミュージカル。期待に胸膨らませて劇場へ赴いたが、Don’t get your hopes up. 

 

あらすじ

騎士のシラノ(ピーター・ディンクレイジ)は、自身の体躯や容姿に劣等感を抱いており、ロクサーヌ(ヘイリー・ベネット)に想いを打ち明けられずにいた。ある時、ロクサーヌは新兵のクリスチャン(ケルビン・ハリソン・Jr.)に一目惚れし、隊長であるシラノに二人の恋を取り持ってほしいと依頼する・・・

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ポジティブ・サイド

ピーター・ディンクレイジ演じるシラノには賛否両論あるだろうが、彼の意外な(と言って失礼か)歌唱力の高さには驚かされた。渋い良い声をしているのは知っていたが、歌声もなかなかのもの。また殺陣もいける。舞台の上でのチャンバラは割と普通だったが、夜の階段で複数の刺客に襲われるシーンはワンカットに見えるように編集されたものだろうが、かなりの迫力だった。目の演技も素晴らしく、パン屋の個室でロクサーヌに恋の相談を持ちかけられるシーンの目の輝き、そしてその目から一瞬にして輝きが消えて虚ろになってしまうのは凄かった。目でこれほど雄弁に語れるのはジェームズ・マカヴォイぐらいだろうか。

 

ロクサーヌを演じたヘイリー・ベネットも feminist theory に則って現代的な女性に生まれ変わった。この変化は肯定的なものと受け止めることができた。理由は二つ。一つには、貴族あるいは素封家との愛のない結婚は悲惨だと高らかに宣言したこと。経済格差が広がり、ブルジョワジーとプロレタリアートに二分されつつある現代社会を間接的に批判している。もう一つには、イケメンだから好きという単純な恋愛観を超えているところ。もちろんクリスチャンはイケメンなのだが、器量良しというだけで惚れ続けてくれるほど甘い女ではないところがポイントが高い。

 

別にフランスだから云々ではなく、それこそ一昔前までは恋愛とは言葉だったのだ。それこそ日本でも平安貴族は顔云々ではなく和歌の巧拙で相手にキュンとなったり、ゲンナリしたりしていたのだ。顔など見ない。噂で美しいと聞いて、御簾の向こうのまだ見ぬ女性(ここでは「にょしょう」と読むべし)に恋文を送っていたのだ。それが日本古来の伝統だったのだ。イギリスでもイタリアでも同じである。不朽の名作『 ロミオとジュリエット 』で感じるのは、圧倒的な修辞の技法である。ロミオは確かにイケメンであったが、顔はきっかけに過ぎず、気品と教養ある言葉の力でジュリエットを攻略したのである。とにかく言葉を尽くすというローコンテクスト言語の特徴がよく出ており、そのことが不細工ながらも詩文の才に恵まれたシラノというキャラクターにリアリティを与えている。

 

ハイライトの一つはバルコニーのジュリエット・・・ではなくロクサーヌと、クリスチャンを手助けするはずのシラノが、いつの間にか自分の言葉でロクサーヌと語り合う場面だろう。この「愛しているが故に姿を見せられない」というジレンマは、男性の90%を占める非イケメンの共感を呼ぶ。だいたい顔面や容姿にコンプレックスのある人間は、恋をすると臆病になる。そしてその臆病さを思いやりにすり替える。「こんなしょうもない男があの子と付き合っても、向こうがかわいそうだ」という認知的不協和を起こす。シラノも同じで、ロクサーヌを愛し、かつ自分のことを愛しきれないが故に、ロクサーヌの幸せのためにクリスチャンの恋路に手を貸してやる。しかし、自分の恋心は隠せない。このシーンで胸が打たれないというなら禽獣だろう(というのはさすがに言いすぎか)。

 

最後のシラノとロクサーヌの語らいの穏やかさと、そこに潜む想いの強さのコントラストが胸を打つ。シラノの健気さ、愚直さ、一途さ、朴訥さに気付いたロクサーヌの涙が、悲恋の悲しさに拍車をかける。散ってこそ桜というが、たまには成就しない恋の物語を味わうのも良いではないか。現実の恋も、上手く行かないことの方が圧倒的に多いのだから。

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ネガティブ・サイド

古典作品のリメイクなのだが、シラノのコンプレックスの原因を鼻ではなく、身長にしてしまうのは賛否両論だろう。Jovianはやや否よりである。手塚治虫のキャラクター、猿田から芥川龍之介の禅智内供、映画で言えば『 エレファント・マン 』や『 グーニーズ 』のスロースや『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』のあの男まで、顔が醜いキャラというのはたいてい良い奴である(中には『 オペラ座の怪人 』のような例外もいるが )。ストレートにキモメン俳優をキャスティングしても良かったのではないか。某プロゲーマーが「170cm以下の男性に人権はない」と発言して炎上したことで身長というファクターが思いがけず注目を集めているが、やはり顔の美醜の問題こそがシラノとクリスチャンの最も際立つコントラストであるべきだと思う。

 

楽曲とダンスに決定的な力が不足しているように思う。例えばアンドリュー・ロイド=ウェバーの『 オペラ座の怪人 』のような圧倒的な楽曲の力や、『 ウェスト・サイド物語 』のダンス・パーティーのシーンのような圧巻のパフォーマンスはなかった。これはちょっと、直前に観た作品に引きずられすぎた意見か。

 

物語全体のペーシングに難ありでもあった。微笑ましい舞台のシーンから、シラノに迫る危機とクリスチャンの登場までの序盤、シラノがクリスチャンを陰日向なく甲斐甲斐しく世話を焼いてやる中盤までは良かったが、シラノたちが戦地に赴くことになってからの終盤が異様に長く感じられた。ド・ギーシュ伯爵が戦場でもあれこれ動いたり、あるいはシラノがこそこそと、しかし悲愴な表情で筆まめにしている描写などがあれば、戦地のシーンも少しは締まったはずだと思う。

 

総評

ミュージカル好きにはややパンチが弱いが、超有名戯曲の実写映画化という面では標準以上のクオリティに仕上がっている。シラノ・ド・ベルジュラックなんか知らないよ、という人はこれを機に鑑賞してみるのも一興かと思う。現代日本版にもアレンジできそうに思う題材である。恋する女子をめぐって、イケメンだが口下手という男と、キモメンだがSNSやブログでは雄弁能弁という男がタッグを組んで・・・というロマコメがパッと構想できるが、どうだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

volunteer 

日本語でもボランティアという言葉は定着しているが、本作では志願兵あるいは義勇兵という意味で使われていた。時あたかも三十年戦争の時代。この戦争の講和のために結ばれたウェストファリア条約によって、ヨーロッパ諸国の輪郭が定まり、個人の自由という概念が生まれた。そして今、ロシアがウクライナに侵攻、世界中から義勇兵 = ボランティアがウクライナに駆けつけている。歴史に学べないのも人か。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, イギリス, ケルビン・ハリソン・Jr., ピーター・ディンクレイジ, ヘイリー・ベネット, ミュージカル, ラブロマンス, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 シラノ 』 -ややパンチの弱いミュージカル-

『 ドリームプラン 』 -星一徹のUSAテニス版-

Posted on 2022年3月1日 by cool-jupiter

ドリームプラン 70点
2022年2月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演・ウィル・スミス アーンジャニュー・エリス サナイヤ・シドニー デミ・シングルトン
監督:レイナルド・マーカス・グリーン

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『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』以来のテニス映画。テニス映画というよりは、スポコン映画、または子育て映画なのだが、ほぼ同世代であり、かつてテニスを嗜んでいたJovianにとっては馴染みがあり、なおかつ新しい発見もある作品だった。

 

あらすじ

リチャード(ウィル・スミス)は、あるテニス選手が短期間で多額の賞金を稼ぐのを観て、自分の娘のビーナス(サナイヤ・シドニー)とセリーナ(デミ・シングルトン)にテニスの英才教育を施すことに決めた。そして、娘たちをさらに大きく成長させるために、彼は無料でコーチングを引き受けてくれる人材を探して東奔西走するが・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianはボリス・ベッカーからテニスを観始めたので、『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』の世代の少し後である。しかし、ビーナス・ウィリアムズとセリーナ・ウィリアムズの二人は、彼女らがプロになりたての頃からグランドスラム大会などで観てきた。マルチナ・ヒンギスのクラシカルでいて、それでいてパワフルでスキルフルなテニスに魅了された世代でもある。伊達公子の実質的な引退試合で、ヒンギスがライジングショットで伊達を圧倒する姿に、世代交代、時代の交代を観たという世代である。しかし、そのヒンギスもL・ダベンポートやメアリー・ピアースは何とかできても、ビーナス・ウィリアムズには敵わなかった。高校生ぐらいの時に読んだテニマガで、父リチャードが「ビーナスは強い。しかし、セリーナはもっと強い」という趣旨のことを述べていて、「それはナンボなんでも言い過ぎやろ」と感じていたが、まったくもって事実だと知って、恐れ入り谷の鬼子母神だと感じたことを今でも覚えている。しかし、父親がこれほどの星一徹的なキャラクターだとは知らなかった。

 

星一徹と決定的に異なるのは、かなり人間的に破綻した人であること、そして娘たちにテニス以外の教育も施したことだ。事実は分からないが、めちゃくちゃな人生を歩まざるを得なかったことが、リチャードの娘たちに対する教育のモチベーションになっているのだろう。前者の点については、物語のかなり後半になるまで触れられないが、その夫婦の row のシーンはかなり真に迫っていたと思われる。例えるなら『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディがメンバーに独立を伝えるシーンか。当人、あるいは娘たちにしか分からないシーンで、これがそのまま事実の再現だったとは思わないが、とにかくリアリティが凄かった。

 

彼の教育としつけは周囲の人間には虐待と映ったようだ。隣人に通報までされている。しかし、家にやってきた警察と保護観察官に対しての毅然とした対応には感動させられた。一方で、名コーチであるリック・メイシーに陽気にたかる姿は、どことなく亀田さん兄弟の父を思い起こさせた。善良かつ厳格なだけの男ではない。良い意味でも悪い意味でも人間臭さというか、人間としての弱さや醜さが出ており、それは自分をぶちのめし、娘をレイプしてやると言い放ったギャングを殺そうと企むシーンにもよく表れていた。ルイジアナというアメリカの南部で生まれ育ち、『 私はあなたのにグロではない 』のJ・ボールドウィンの一つ下の世代であるリチャードが、暴力と差別を知らないはずがない。自分のことなら耐えられても、悪意を娘に向けられた際に見せた相手への憎悪を、誰が否定できようか。

 

彼の人生はある意味で悪意との戦いだったように感じ取れた。それも明確な悪意ではなく、意識されない悪意だ。善意の裏に潜む悪意だ。インタビューしてくるメディアや、スポンサー契約を持ち掛けてくるエージェントに対して「俺たちが白人だったら、お前たちはそんなことを言わないだろう」と言ってみせるが、確かにその通りだろう。我々はついつい本作をテニスで成功を収めた選手の父親の話として観てしまう、あるいは『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』のような女性テニス選手の話として観てしまうが、正しくは『 ドリーム 』(原題”Hidden Figures”)と同系統の作品として観るべきだろう。ゲットーで生まれ育ち、犯罪と貧困の世界から脱出するためにテニスに打ち込んだが、カネには支配されなかった。逆に、カネを持ってくる側をとことん競わせた。このエピソードは知らなかったが、マイク・タイソンにもこのような父親がいれば、あるいはカス・ダマトがもっと長生きしていればと思わされた。

 

本作はテニス映画であるが、それ以上に前例を打ち壊すこと、高潔であること、そして自分を信じることの重要性を真正面から描いている。ホンマかいなと思えるエピソードもあるが、ホンマなのである。亀田三兄弟の父親がまともな人格と哲学の持ち主だったら・・・という思考実験が、本作で可能になる。教育に悩む親など、テニスファン以外にも是非とも鑑賞いただきたい一作となっている。

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ネガティブ・サイド

せっかくのテニス映画なのに、テニスの迫力を伝えるようなシーンや特徴的なカメラワークがなかったのは残念である。それこそ1970年代、80年代のテニスと比べると21世紀のテニスは卓球かと見紛うほどにスピードアップしている。それだけ選手のパワー(とラケットの性能)がアップしたのだ。そのことを伝えるような絵、たとえばビーナスがフラットにボールを叩いた時に、どれくらいボールが潰れているのかだとか、あるいはセンターにサービスエースがバシッと打ち込まれた時に、レシーバー視点ではどう見えるのかを捉えたりといった、そういったものが欲しかった。

 

主人公はリチャードなのだが、もう少しセリーナにも見せ場が欲しかった。Jovianは史上最高の女子テニス選手はマルチナ・ナブラチロワか、シュテフィ・グラフだと思っているが、史上最強の女子テニス選手は文句なしにセリーナ・ウィリアムズだと思っている。

 

映画の出来とは関係ないが、ドリームプランという邦題はもう少し何とかならなかったのか。プランの中身がほとんど劇中で開陳されていないではないか。もっと直接的に「リチャード、ウィリアムズ姉妹の父」のようなストレートな題名でも良かったのでは?

 

総評

2021年の夏に大坂なおみが鬱を告白した。その原因の一つにメディア対応があったとされる。Jovianは詳しく調べていないが、リチャードを苛立たせたのと同じ種類の意識が、大阪にインタビューするメディア側にもあったものと推察される。本作を鑑賞して、そのように感じた次第である。テニスファンはもちろんのこと、無意識の抑圧を感じる人にも鑑賞いただきたい。リチャードの言動には賛否両論あれど、その姿勢からなにがしかを感じ取ることはできるはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You was even born

正しくは You were even born であることは言うまでもないが、African-American Englishでは、しばしば 主語が複数形であってもbe動詞が単数形のままだったりする。ボクシングフロイド・メイウェザーの叔父、ロジャー・メイウェザーの英語はまさにこれで、しばしば We wasn’t surprised. We wasn’t impressed.  などと言っていた。African-American Englishのもう一つの特徴は進行形でのbe動詞の省略で、この用法は古くから白人英語にも輸入されていて、最も有名なのは『 タクシードライバー 』のとラヴィスの “You talking to me?”だろう。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アーンジャニュー・エリス, アメリカ, ウィル・スミス, サナイヤ・シドニー, スポーツ, デミ・シングルトン, 伝記, 歴史, 監督:レイナルド・マーカス・グリーン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドリームプラン 』 -星一徹のUSAテニス版-

『 バットマン・フォーエヴァー 』 -ジム・キャリーの独擅場-

Posted on 2022年2月26日 by cool-jupiter

バットマン・フォーエヴァー 65点
2022年2月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:バル・キルマー ジム・キャリー トミー・リー・ジョーンズ ニコール・キッドマン
監督:ジョエル・シュマッカー

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『 THE BATMAN ザ・バットマン 』公開前に復習鑑賞。多分20年ぶりくらいに鑑賞したが、ダークな中にユーモアを内包するティム・バートンのバットマンとは異なり、本作はユーモアの中に狂気を内包している。

 

あらすじ

検事ハーヴィー・デント(トミー・リー・ジョーンズ)は狂気の怪人、トゥー・フェイスとなり、ゴッサム・シティの銀行を襲撃する。バットマンによって凶事は防がれたものの、今度はウェイン・エンタープライズの従業員、エドワード・ニグマ(ジム・キャリー)が海神リドラーに変身。ブルース・ウェイン(バル・キルマー)に彼らの魔の手が迫る・・・

 

ポジティブ・サイド

再鑑賞して真っ先に思ったのは、プロダクションデザインに相当に力が入っているなということ。CGが全盛になる前の、ある意味で正統派の映画を観たように感じた。ウェイン宅の調度品からバット・ケイブの造作まで、これはこれでジョエル・シュマッカーの世界観が出ている。前二作は、ジャック・ニコルソンの狂喜のジョーカーに、シリアスでダークで政治色も強めの哀れなペンギンだったので、ある意味の揺り戻しが来たのも納得。

 

トミー・リー・ジョーンズは素晴らしい役者だと感じた。個人的には『 タイ・カップ 』がベストだと感じているが、本作のトゥー・フェイス役もかなりのはまり役。この作品だけ単体で観ればただの変なおじさんだが、作品ごとにガラリと芸風を変えられる演技ボキャブラリーを持っていることが分かる。笑いながら笑えない暴力を行使するキャラとしては、ジャック・ニコルソンのジョーカーに次ぐ奇妙な可笑しさと怖さがあると思う。ビリー・ディー・ウィリアムズがトゥー・フェイスを演じても、おそらくここまで突き抜けたキャラにはなれないだろう。

 

このトゥー・フェイスを上回るどころか、主役のバットマンさえ霞ませるのがジム・キャリー演じるリドラー。『 マスク 』や『 グリンチ 』など、マスクをかぶったり変装したりするキャラで本領を発揮する怪優だが、本作でもその高い演技力を遺憾なく発揮している。頭が飛びぬけて良いが狂っている、あるいは狂っているが恐ろしく頭脳明晰という二律背反キャラを完璧なまでに演じている。コミカルな動きでバット・ボムを放り投げてバット・ケイブおよびバット・モービルを破壊していく様の何ともいえない薄気味悪さと怖さはジム・キャリーにしか出せない味だろう。Jovianの職場はカナダ人が多めだが、彼ら彼女らが高く評価する自国の俳優はだいたいジム・キャリーである(ちなみに監督だとジェームズ・キャメロン)。

 

バル・キルマーは結構よいキャスティングだった。若くてハンサム、そして経営者としてのカリスマ性も感じられ、ブルース・ウェインとして説得力があった。バットマンとしても、hand to hand combat でトゥー・フェイスの手下たちを次から次へと片付けていく様子が非常に小気味良かった。ミステリアスさなどの影の部分が前面に出ていたマイケル・キートンとは一味違ったバットマン像を打ち出せていた。ダークナイトとしての使命を果たそうとしながら、一人の人間としての人生も生きようとする姿が、悪役トゥー・フェイスやニグマ/リドラーと奇妙なコントラストを成していた。ティム・バートンの描き出す陰影のあるゴッサムおよびバットマンとは大いに趣が異なるが、こうしたバットマンもありだろうと感じた。

 

ネガティブ・サイド

ロビンのキャラが軽すぎるように感じた。トゥー・フェイスに復讐を果たしたい理由があるのは分かるが、脚本に説得力を欠いていた。家族の復讐のためというよりも、ヴィランが二人なので、バットマンの相棒ロビンを出そうという意味合いの方が強かったように映った。もちろんロビンにはロビンの悲しい過去があり。バットマンにはバットマンの悲しい過去があるのだが、互いが相手を必要とするようになる過程の描写が弱かったと感じる。

 

トゥー・フェイスとリドラーの直接の絡みはもう少し減らして良かった。アクの強い者同士を混ぜると、たいていは bad chemistry となる。本作もそうなってしまった。両ヴィランとも単独で十分にキャラ立ちしており、共闘することで1+1=2ではなく、1+1=1になっていたように思う。基本的には一映画で一ヴィランであるべき、もしくはヴィランを一人倒したら、また新たなヴィランが現われるという方が、ゴッサム・シティらしいのでは。

 

トゥー・フェイスを殺してしまうのはバットマンらしくない。コインの表裏で潔く自決するようなプロットは描けなかったものか。

 

総評

久しぶりに鑑賞したが、リドラーの予習にはならないと実感。悪役が強烈すぎて主役が食われてしまっている。ただ『 THE BATMAN ザ・バットマン 』に興味があって、なおかつ「リドラーって誰?」という人は本作を鑑賞するのも一つの手かもしれない。最新作は間違いなく、恐ろしいほど狂ったリドラーではなく、恐ろしいリドラーを描いているはず。そのギャップをJovianは楽しみにしている。この次のシュワちゃんのMr. フリーズは文字通りの意味で寒いギャグが連発されるので、猛暑の夏にでも気が向いたら再鑑賞しようと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Old habits die hard.

直訳すれば「古い習慣は一生懸命死ぬ」だが、意訳すれば「古い習慣はなかなか消えない」となる。日常生活でもビジネスでも時々使われる表現。die hard というとブルース・ウィリスを思い浮かべる映画ファンは多いだろうが、あれも「一生懸命死ぬ」転じて「なかなか死なないタフな奴」の意味である。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, C Rank, アクション, アメリカ, ジム・キャリー, トミー・リー・ジョーンズ, ニコール・キッドマン, バル・キルマー, 監督:ジョエル・シュマッカー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 バットマン・フォーエヴァー 』 -ジム・キャリーの独擅場-

『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

Posted on 2022年2月24日2022年3月4日 by cool-jupiter

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ウエスト・サイド・ストーリー 65点
2022年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー リタ・モレノ
監督:スティーブン・スピルバーグ

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傑作『 ウエスト・サイド物語 』をスティーブン・スピルバーグがリメイク。鑑賞前は期待3、不安7だったが、観終わってみればまあまあ満足できた。しかし、キャラクターたちの根幹を揺るがすような改変があったのは大いに気になった。

 

あらすじ

再開発の波が押し寄せるマンハッタンのウエスト・サイド。イタリア系のジェッツとプエルトリコ系のシャークスは、ストリートで抗争を繰り広げていた。ジェッツのボスであるリフはシャークスのボス、ベルナルドにダンス・パーティーの会場で決闘を申し込もうとする。その場に、かつての兄貴分トニー(アンセル・エルゴート)を誘うが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からスッと物語世界に入っていくことができた。オリジナルでは摩天楼のそびえる大都市の一角にひっそりと生きる不遇な少年たちの姿を活写したが、本作では解体されるスラム街を映し出した。今はもう存在しない街区だが、そこで繰り広げられるドラマを忘れてはならないというメッセージであったかのようだ。

 

レナード・バーンスタインの音楽とスティーブン・ソンドハイムの歌詞はまさに timeless classic。冒頭のジェッツの面々の指パッチンからの集結とベルナルドを始めとするシャークスとの遭遇、そこからの大乱闘までの流れはオリジナルを尊重しつつも、新たな味付けを施していて、これはこれでありだと感じた。いくつかの歌とダンスのシーンが大胆にシャッフルされていたが、トニーが ”Cool” をリフに対して歌うのは説得力があったし、このシーンでトニーの度胸や腕っぷしが垣間見えたのも良かった。

 

アンセル・エルゴートは『 ベイビー・ドライバー 』でダンスの素養を見せつつ、歌については音痴っぽく思えたが、今作では素晴らしい歌唱力を披露。”Something’s coming” や “Maria” はリチャード・ベイマーよりも遥かに上手く歌っていたと評していいだろう。歌声に関しては、マリアを演じたレイチェル・ゼグラーも圧巻のパフォーマンス。名曲 “Tonight” もナタリー・ウッド(の吹き替え)の歌声からレイチェル・ゼグラーの歌声にJovianの脳内で書き替えられた。それほどのインパクトがあった。マリア役のオーディションに3万人から応募があったと読んだが、『 ラ・ラ・ランド 』のような熾烈なオーディションが彼の国では行われているのだなと実感した。 

 

どこか憎めなかったリフのキャラクターが本作では凶悪な悪ガキにグレードアップ。賛否両論ある改変だろうが、Jovianはこれを賛と取った。銃社会アメリカの深刻さは増すばかりだが、その銃をプエルトリコ人ではなくアメリカ人が調達してきたという視点をアメリカ人であるスピルバーグが呈示することの意味は大きい。前作ではどこからともなく銃が湧いてきて、確かに不可解だった。また  “Gee, Officer Krupke” を歌うメンバーからリフを外すことで、アイスの影が薄くなったという逆効果はあったが、ジェッツの面々のキャラがオリジナルよりも立つようになった。

 

オリジナルのトニーとマリアが、それこそ貴族であるロミオとジュリエットばりに能天気だったところも改められている。恋に浮かれて “Maria” を歌うトニーが、マリアのバルコニーに上っていくシーンはまんま『 ロミオとジュリエット 』かつ『 ウエスト・サイド物語 』。しかし、トニーとマリアの間には鍵のない扉があった。もちろん迂回してトニーは登っていくのだが、この改変は上手いと思った。心の距離が縮まっていれば、物理的な距離もあっという間に縮まる・・・訳ではない。心にバリアはなくとも、社会にはバリアがある。そうしたことを示唆していた。他にもトニーがリフの人生をトラブルの連続だったと説明したところで、「私たちの人生は楽だと言いたいの?」とマリアが言い返すシーンにはびっくりさせられた。こうしたシーンがあるとないでは、二人の人間性の深みというか奥行きが全然違ってくる。一目で恋に落ちるのは簡単だが、「恋は盲目」というファンタジーではなく、現実に則した物語なのだということを強く意識させられた。このセリフのやり取りだけでもリメイクの意味は確かにあったと思った。

 

トニーとマリアの二人が疑似結婚式を挙げるシーンも良い具合にアップグレードされていた。pickup linesばかりをスペイン語で学ぼうとするトニーだが、マリアが述べる誓いのスペイン語が最初は何のことか分からずにいる時、そしてそれを理解した瞬間のチャーミングさが何とも好ましく映った。『 ちょっと思い出しただけ 』の言う通りに踊りは言葉の壁を超えるが、人を愛する真摯な気持ちも言葉の壁を超えるのだ。

 

オリジナルではほとんど役立たずだったチノにも変化が加えられており、ジェッツの面々の方が引き立てられているように感じていたが、これでフェアになったと感じた。

 

ドクの店のおじいちゃん、『 ロミオとジュリエット 』のロレンス神父がバレンティーナというおばあちゃんに置き換えられているが、なんと演じているのはオリジナルのアニタ役、リタ・モレノ。80代後半にして圧巻の歌声で “Somewhere” を歌い上げる姿に tears in my eyes。 

 

ミュージカル映画としてはかなりの面白さである。祝日の昼間だったせいか、観客は中年から高齢者ばかりだったが、若い人たちのデートムービーとしても鑑賞に堪えるはずである。

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ネガティブ・サイド

前半と後半でトーンが一貫していなかったように見えた。オリジナルを割と丁重になぞっていた前半に比べ、後半に行くほどに『 ロミオとジュリエット 』のイメージが色濃く浮かび上がってくるようだった。リメイクならオリジナルに忠実であるべきで、元ネタの元ネタまで取り込もうとするのはあまりに野心的すぎるだろう。

 

ベルナルドがボクサーだという設定は不要だ。袴田巌を擁護する輪島功一ではないが、ボクサーはナイフなど使わない(と信じている)。フェリックス・トリニダードやウィルフレド・ゴメスが本作を観たら何と思うだろうか。

 

リフのワル度がアップしたのはOKだが、ストリートの子どもの落書きを踏みにじるシーンはどうかと思った。オリジナルでは公園の地面にチョークで絵を描く子どもたちを意識的に避けている=子どもには手を出さないという矜持があったのに、本作はいとも簡単にその一線を超えてしまった。

 

ダンスシーンでの ”Mambo” の前に司会者に輪を二つ作るように呼びかけられたシーンでも、警察官に言われて輪を作るのはどうかと思う。オリジナルではリフが司会者の呼びかけに最初に呼応した。これによってリフの器の大きさが見えたのだが。Prologueの後にシャークスがプエルトリコ国歌を歌い、リフはリフでシュランク警部を小馬鹿にしてみせた。その反骨精神を貫くべきではなかったか。

 

“America” を日が降り注ぐストリートで歌い上げるのは良かったが、決闘の時まで騒ぎは無しだというリフとベルナルドの約束は何だったのか。天下の往来の交通を乱すのは騒ぎではないと言うのか。

 

オリジナルはすべてウエスト・サイドの片隅でドラマが繰り広げられたが、今作ではサブウェイに乗って街区の外へ出ていってしまった。これには違和感を覚えずにいられなかった(その先のシーンは素晴らしかったのだが)。

 

『 ウエスト・サイド物語 』と言えば、ベルナルドらの「あのシルエット」がトレードマークだったが、リメイクではあのポーズはなし。使ってはいけない契約でもあったのだろうか。

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総評

歌と踊りの素晴らしさは維持されているし、一部見事にアップグレードされたものもある。単純なエンタメとして十分に楽しめることができるし、オリジナルが有していた社会的なメッセージをより明確に、より先鋭化した形で提示することにも成功している。ただ、一部に加えられた些少な改変が、キャラクターの根幹に関わる部分を揺るがしていたりする点は大きなマイナスである。グリードがハン・ソロ相手に発砲し、それをハンが避けたのと同じくらいに酷い改変だと感じた。ただそんなことを気にする人は間違いなくマイノリティだ。ぜひ多くの人に鑑賞いただきたいと思う。そのうえでオリジナルと比べてみるのも一興だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

catch someone by surprise

誰かを驚かせる、の意。割とよく使われる表現なので、英語学習者なら知っておきたい。Taylor Swiftの ”Mine” でも使われている。文脈によっては「不意を突く」、「不意打ちする」のような意味にもなる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, ミュージカル, ラブロマンス, リタ・モレノ, レイチェル・ゼグラー, 監督:スティーブン・スピルバーグ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

『 ウエスト・サイド物語 』 -ミュージカル映画の金字塔-

Posted on 2022年2月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

ウエスト・サイド物語 80点
2022年2月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ウッド ジョージ・チャキリス リチャード・ベイマー ラス・タンブリン リタ・モレノ
監督:ロバート・ワイズ ジェローム・ロビンス

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S・スピルバーグが本作をリメイクしたというニュースは2年前からあったと記憶しているが、公開がここまで遅れるとは。本作も小学生の時にVHSで観て以来、多分10回ぐらいは観ている。久しぶりに再鑑賞して、やはり時を超える傑作だと感じた。

 

あらすじ

ニューヨークのマンハッタン。イタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団は、ストリートで抗争を繰り広げていた。ダンス・パーティーの場で、ジェット団のボスであるリフ(ラス・タンブリン)のかつての兄貴分トニー(リチャード・ベイマー)は、シャーク団のボス、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹、マリア(ナタリー・ウッド)と皮肉にも運命的な出会いを果たす・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の音楽だけで、ある意味で物語の全てが描かれている。この色とりどりに変わっていくロゴ画面とサントラのコンビネーションの素晴らしさは、『 2001年宇宙の旅 』の冒頭数分の真っ暗な画面と雑音、そこから太陽が輝き出す瞬間に大音量で流れる『 ツァラトゥストラはかく語りき 』に匹敵する。というか。『 2001年宇宙の旅 』よりも本作の方が古かった。ロバート・ワイズの先見性よ。

 

不遇への不満、怒りから、胸の高鳴りから愛まで、すべてが見事な歌と踊りで表現されている。冒頭のジェット団の指パッチンと口笛が印象的な『 Prologue 』、絢爛豪華な中に危うさも感じさせる『 Dance at the Gym 』、アメリカの正の面と負の面をユーモラスに歌い踊り上げる『 America 』、決闘と逢瀬の両方を待ち焦がれる、おそらく本作で最も有名な『 Tonight 』、同じく不朽の名作『 サウンド・オブ・ミュージック 』を強く予感させる『 I Feel Pretty 』など、レナード・バーンスタインの音楽が冴えわたる。

 

ダンスも息を呑むほどの素晴らしさ。特にベルナルド役のジョージ・チャキリスとリフ役のラス・タンブリンがやはり目を引く。一つ一つのダンスシーンやその導入部分もロングのワンカットが多用されていて、臨場感抜群。衣装や背景も1960年代の雰囲気を醸し出している。トニーの歌う『 Something’s coming 』のシーンは『 イン・ザ・ハイツ 』を彷彿とさせた。というか、あちらが本作にインスパイアされたと見るべきか。

 

マリアとトニーの出会いのシーンは『 フランシス・ハ 』でフランシスが開陳していた愛の定義に合致する。すなわち、周囲に多くの人がいるにもかかわらず、誰も自分たちに気付かない。しかし、自分たちはお互いに相手こそが運命の人だと理解しているという瞬間を共有できることだ。子どもの頃に見て美しいと思ったが、今見てもやはり美しいシーンだ。カメラの性能だとかそういうことではなく、人間の本質が捉えられているからだろう。

 

ストーリーはまんま『 ロミオとジュリエット 』だ。敵対関係にある陣営の男女が恋に落ちる。しかし、悲劇が・・・ 思えば、10年ぐらい前まではグローバル化だ多様化だと声高に叫ばれていたが、それはつまり世界がそれだけ分断されていた証拠なのだろう。修身斉家治国平天下と言うが、まず修身のレベルからして難しい。いつの時代、どの地域でも、個人レベルですら本当に理解し合い、愛し合うのは難しい。いや、個人同士は上手くいっても、その個人が属するちょっとした集団同士が仲良くするのは、どういうわけか難しい。『 シュリ 』や『 JSA 』を観ても分かる通り、同じ民族ですら個人同士では愛し合えても、国同士では分かり合えない。陳腐な筋立てだが、どういうわけか胸を打つ。憎しみからは何も生まれない。マリアの言葉が強く響く。

 

ネガティブ・サイド

スペイン語を使う場面がもう少しあってもよかったように思う。特にチノがダンス・パーティーの場でマリアに「帰ろう」と呼びかけるのは英語ではなくスペイン語であるべきだろう。

 

クラプキ巡査の去り際、緊急通報が入ったというのにパトカーが一切サイレンを鳴らないのは何故なのか。

 

映画の出来そのものとは関係ないが、漫画に出てくる Captain Marvel をマーヴェル船長と訳してしまうのは時代のせいか。それでもDVDにする頃にはアメコミの知識も少しは日本に入ってきていたと思うが。

 

総評

まごうことなき傑作。スピルバーグがリメイクしたくなるのも分かるが、よほど良い味付けのアイデアがないと、失敗は目に見えている。鑑賞するのが楽しみなような、怖いような。今度は元ネタである『 ロミオとジュリエット 』を再鑑賞しようかな。というか、買おうかな。ミュージカルには興味がないという向きにもお勧めしたい。『 ベイビー・ドライバー 』と同じく、最初の10分を楽しめれば、後はエンディングまで一直線である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Beat it

「失せろ」の意。マイケル・ジャクソンの『 今夜はビート・イット 』のおかげで、80年代が青春だったという世代なら、発音や意味はお馴染みだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, アメリカ, ジョージ・チャキリス, ナタリー・ウッド, ミュージカル, ラス・タンブリン, ラブロマンス, リタ・モレノ, リチャード・ベイマー, 監督:ジェローム・ロビンス, 監督:ロバート・ワイズ, 配給会社:シネカノンLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド物語 』 -ミュージカル映画の金字塔-

『 エンダーのゲーム 』 -微妙なジュブナイル映画-

Posted on 2022年2月17日 by cool-jupiter

エンダーのゲーム 45点
2022年2月14日 WOWOW録画にて鑑賞
出演:エイサ・バターフィールド ハリソン・フォード ベン・キングスレー ヘイリー・スタインフェルド 
監督:ギャビン・フッド

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バレンタインデーである。ロッテファンのJovianはボビー・バレンタインを思い浮かべるが、何故かふと本作に登場するキャラクターのバレンタインを思い出して、Blu-rayディスクを引っ張り出してきて再鑑賞した。

 

あらすじ

かつて異星人の侵攻を受けたことから、人類は次なる侵攻に備えて優秀な兵士や指揮官を育成せんとしていた。そして衛星軌道上にバトルスクールを設立し、素質のある子どもを集めていためていた。グラッフ大佐(ハリソン・フォード)にスカウトされたエンダー(エイサ・バターフィールド)は、家族と離れ、バトルスクールへと向かう・・・

 

ポジティブ・サイド

ジュブナイル小説、あるいはヤング・アダルト向けの小説の映画化ということで『 メイズ・ランナー 』や『 ハンガー・ゲーム 』と、ある意味で同工異曲。しかし、それが面白いところでもある。つまり、子どもが大人に反抗する、もっと言えば世界や秩序に対して反抗するストーリーだからだ。

 

人口抑制政策の例外としてエンダーが生まれてきたという設定も現代的で良い。1980年代にそうした世界観を持っていたのは卓見と言える。このエンダーが第三子=サードであるというところから、彼の反抗の物語が始まる。おぎゃあと産声を上げた瞬間から、彼は異端分子だった。こうした疎外された存在には感情移入しやすい。

 

また、凶暴な兄貴とダダ甘な姉、そして頼りになりそうで頼りにならない父の存在が、逆説的にではあるが、エンダーの成長と自立を促している。エンダーのポテンシャルが垣間見える地上の学校でのエピソードは、兄貴との衝突の日々が皮肉にも生きている。

 

バトルスクール、その先のコマンドスクールでも異端児として頭角を現していく。無重力空間でのバトル訓練はなかなかユニーク。一種のスポーツで、ルールのある中でいかに合法的に勝つのかを考え、実行する良い機会であると感じた。実際、エンダーの考案したフォーメーションはラグビーのドライビングモールで、フットボール好きのアメリカ人らしからぬ発想だと感心した。

 

異星生命フォーミックとの最終決戦に備える展開は、劇場で初めて観た際にはポカーンとなってしまったが、よくよく見れば細かな伏線やら演出があったのだなと再鑑賞して確認できた。ハリソン・フォードは相変わらずハリソン・フォードだが、ノンソー・アノジーが『 シンデレラ 』同様の役柄で非常に良い味を出している。じっくり観ても良いし、あっさり観てもよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

ジュブナイル映画であるのは間違いないが、ビルドゥングスロマンになっていない。エンダーが家族の中ですら浮いた存在であること、兄貴は落ちこぼれで狂暴、父親はあまり頼りにならないという中で、ハリソン・フォード演じるグラッフ大佐がエンダーにとっての良き兄貴分、良き親父分という positive male figure になれていない。ところどころでドラマが盛り上がりそうになるが、どれもこれもが中途半端に終わる。かろうじて最後の戦いの後ぐらいか、盛り上がったのは。

 

エンダーのシスコンっぷりも度を越している。Jovianお気に入りのヘイリー・スタインフェルドが、ただのチームメイト的存在にとどまっている。別にロマンスの対象にしろと言っているわけではない。エンダーのシスター・コンプレックスを癒やす、あるいはより刺激してしまうといったドラマが生まれたはずなのに、それがなかった。原作小説ではあるのだろうか?

 

ボンソーとの対決はエンダーの哲学、すなわち勝つことよりも勝ち方が大事なのだという考えを生み出す、あるいは強化するという意味で非常に重要だった。しかし、この戦い自体がエンダーとフォーミックの戦いについて何かしらの有意な影響を与えていないのは虚しい。ボンソーは単なる引き立て役にすぎなかったのか。ボンソーと争うにしても、それはエンダーの兄との確執を低減する契機になるようなものであるべきで、厄介な奴には途中退場願うというのは何か違うのではなかろうか。

 

エンダーのプレーする最後のゲーム、そしてその後の選択に説得力がない。それは、そこに当時のアメリカ的な価値観が色濃く出てしまっているからだろう。相手を死ぬまで叩くのではなく、歯向かってくる気をなくすようなやり方で叩けばいいというのは、個人同士のケンカならいざ知らず、国家同士、あるいは文明同士というレベルの争いにも適用できるのか。『 地球外少年少女 後編「はじまりの物語」 』でもAIが人間と人類を弁別できないことが描かれたが、人間も異種の生命を個体と種として区別できていない。相手がアリのような群体生物という点はあるにしても、これは個人を国家に属させる、個人を国家と同一視するというアメリカ人の悪癖であると思う。実際にアメリカはそのやり方をベトナムやらイラクで散々試したが、上手くいったのは日本だけではないか。

 

ジュブナイル小説の映画化ではあるが、大人の世界の嫌な現実がめちゃくちゃ透けて見えるという意味では、本作はティーンエイジャー向きではないのかもしれない。

 

総評

『 オフィシャル・シークレット 』の脚本兼監督の作品とは思えないが、これもギャビン・フッド自身の倫理観なのだろう。もしくは2010年~2015年あたりで心境に変化が生じたのか。まあ、小難しく頭を使わなければ楽しめない作品というわけではない。少年としての葛藤、弟としての葛藤など、観る側の感情移入を容易にする属性が主人公にはたくさんある。ストーリー展開や演出で「ん?」と思うところもそれなりにあるが、2時間弱を飽きることなく観ることはできるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a shoulder to cry on

直訳すれば「そこで泣くための肩」だが、転じて「悩みや愚痴を聞いてくれる人」を意味する。名曲『 ラスト・クリスマス 』でも My God, I thought you were someone to rely on. Me? I guess I was a shoulder to cry on. という歌詞がある。まあ、Jovianはロッド・スチュワートのファンなので、”Last Christmas”よりも”To Be With You”の出だしの歌詞として紹介をしたい慣用表現である。

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, エイサ・バターフィールド, ハリソン・フォード, ヘイリー・スタインフェルド, ベン・キングスレー, 監督:ギャビン・フッド, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 エンダーのゲーム 』 -微妙なジュブナイル映画-

『 リトル・シングス 』 -中途半端なサスペンス-

Posted on 2022年2月11日 by cool-jupiter

リトル・シングス 50点
2022年2月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:デンゼル・ワシントン ラミ・マレック ジャレッド・レト
監督:ジョン・リー・ハンコック

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『 ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ 』のジョン・リー・ハンコックの監督作にして、『 ボヘミアン・ラプソディ 』でスターの仲間入りを果たしたラミ・マレック、大御所デンゼル・ワシントン、超実力派ジャレッド・レトのそろい踏み。しかし、サスペンスもミステリも中途半端だった。

 

あらすじ

保安官代理のディーコン(デンゼル・ワシントン)は、古巣のLAに出張するが、そこで連続殺人事件の捜査に加わることになる。捜査の陣頭に立つバクスター(ラミ・マレック)は、厄介者扱いされるディーコンの力量を認め、良きパートナーになっていく。そして、容疑者としてスパルマ(ジャレッド・レト)が浮上してくるが・・・

 

ポジティブ・サイド

デンゼル・ワシントンの好演が光る。2010年代以降では絶滅危惧種、あるいは絶滅種になってしまったであろう古いタイプの警察。ハイテクや高度な犯罪心理学の知識ではなく、自らの観察眼と直感に忠実な、ある意味で極めて日本的な警察とも言える。そういう意味では、非常に感情移入しやすいキャラクターだった。落ち着いた物腰の中に垣間見えるハンターの目が印象的で、今後は中年以降のクリント・イーストウッドのように、アクションではなく、オーラで役者をやっていくのだろう。

 

相棒となるラミ・マレックも正義の執行に執念を燃やすタイプの刑事で、敏腕ではあるが、いわゆる鼻持ちならないインテリの刑事ではない。なので、こちらのキャラクターの思考や心情も、観ている側に伝わりやすいし、マレック自身の目線の演技がさらにそれを助けている。ラストで見せる非常に虚ろな目が特に味わい深い。

 

ジャレッド・レトはいつ見ても普通ではない役を演じていて、きっと本人もノリノリなのだろう。サイコパス的な不気味さと犯罪・警察マニアという皮相さが絶妙にブレンドされて、限りなく怪しいけれど、しかしマニアが調子こいているだけかもしれないという、gray area を極めて強く印象付ける。こういう虚々実々の役作りにおいては、存命俳優の中ではトップクラスだろう。クライマックスでラミ・マレックと対峙した時、徐々に力関係が逆転していく様子は見応えがあった。

 

捜査の過程で事件の謎だけではなく、ディーコン自身がLAで厄介者になってしまった経緯も徐々に明らかになっていく。そして今回の事件の真相(と言っていいのかどうか・・・)を知ることで、原題の The Little Things が巧妙なダブルミーニングになっていることに気付く。ステイホームの週末の時間つぶしにちょうどいい作品かもしれない。

 

ネガティブ・サイド

何というか、脚本に力がない。『 セブン 』や『 羊たちの沈黙 』、『 チェイサー 』や『 殺人の追憶 』のようなサスペンスを生み出すポテンシャルがありながら、その可能性を追求せず、スターをキャスティングすることで満足してしまったように思える。

 

冒頭、不穏さが充満するクルマの追走シーンで、殺人の過程を描かないのは別に構わない。匂わせるだけの方が効果的な場合もあるからだ。ただ、本作はあまりにも匂わせるだけのシーンが多すぎる。『 セブン 』にあったような陰惨極まりない事件現場や、『 羊たちの沈黙 』で描かれたような残虐シーンがない。ディークとバクスターが犯人を追いかけていく様には『 チェイサー 』のキム・ユンソクのような執念が感じられなかった。特にバクスターの方は、何が彼をそこまで駆り立てるのかについての描写が明らかに不足していた。単なる正義感では説明がつかないし、信仰心でも答えにならない。バクスターの背景が見えてこないことが、ディークと彼のバディ同士としてのバランスが上手く取れていないように映る主要因だったと感じる。

 

この何ともモヤモヤする感じのクライマックスの展開は、悪いとは言わないが、少々物足りない。この容疑者が本当に犯人なのか、それとも犯人ではないのかというモヤモヤ感を楽しむ分野の作品には『 殺人の追憶 』といった傑作があるので、どうしても比較対象になってしまう。

 

本作の脚本上の弱点は、テーマがぼやけてしまっている点にあると思う。The Little things = 小さなこと(それは時に文字通りの小物であったり、あるいはちょっとした言動だったりする)へのフォーカスが弱い。どちらかというと、警察が職務外でもどれだけ警察官たりえるのか、あるいは警察がその私人性を突かれた時にどれだけ警察でいられるのか、といったテーマの方が色濃くにじみ出ていた。そういった意味でも『 セブン 』や『 殺人の追憶 』といった先行作品に大きく水をあけられていると感じた。

 

それにしてもラミ・マレックの相棒がジョー・ディーコンというのは笑ってしまう。脚本家またはプロデューサーがQueenのファンなのだろうか。

 

総評

事件そのものに謎やサスペンスを生み出す力は弱いが、逆に言えばあまりにも陰鬱かつ残虐な映画は勘弁・・・という向きに合っているのかもしれない。主演の3人の演技合戦を素直に楽しむべきなのだろう。デンゼル・ワシントンのファンならば、ディークの存在感と人間臭さを堪能するために、観ておいて損はない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get on the fast track for a promotion

「出世街道に乗る」の意。Jovianも初めて聞いた表現だが、これは色々な場面で使えそうに思える。ひとまず自分の職場のネイティブ連中相手に使ってみようと思う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, サスペンス, ジャレッド・レト, デンゼル・ワシントン, ラミ・マレック, 監督:ジョン・リー・ハンコックLeave a Comment on 『 リトル・シングス 』 -中途半端なサスペンス-

tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

Posted on 2022年2月3日2022年2月3日 by cool-jupiter

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tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン! 80点
2022年1月30日 塚口サン投稿を表示サン劇場にて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド アレクサンドラ・シップ ロビン・デヘスス 
監督:リン=マニュエル・ミランダ 

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2021年にシネ・リーブル梅田で見逃してしまった作品。塚口サンサン劇場でリバイバル上映。地元のミニシアターに感謝である。

 

あらすじ

ダイナーで働きながらミュージカル作曲家として世に出ようともがくジョナサン(アンドリュー・ガーフィールド)。役者志望だった友人も広告会社に就職し、まもなく30歳になるというのに何者にもなれていない自分に焦りを覚える。長年取り組んできたミュージカルのワークショップに全力で取り組むジョナサンだが・・・

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ポジティブ・サイド

アンドリュー・ガーフィールドは今まさに円熟期にあるのだろう。夭折したジョナサン・ラーソンを演じるだけではなく、故人の心の奥底にあったであろう感性や衝動を音楽やダンスの形で見事に吐き出した。意外と言っては失礼だが、素晴らしい歌唱力を披露してくれた。『 マリッジ・ストーリー 』のアダム・ドライバーよりも上手い。ダンスも『 メインストリーム 』の最終盤に見せてくれた見事なパフォーマンスで、そのダンス能力の高さは証明済み。今回もダイナーなどで見事な踊りを見せた。

 

見た目もジョナサン・ラーソン本人に似ているのがプラスだったのか。まさにハマり役。日本でもアメリカでも、おそらく世界のどこでも30歳というのは一つの区切りだろう。何者にでもなれるというポテンシャルが認められる、一種のモラトリアムとしての20代が終わっていくという焦燥感は、味わった者にしか分からない。今でこそ転職を2度3度行うことが一般的になってきたが、一昔前の日本では就職=就社で、自分=会社だった。自分のアイデンティティーを会社に預けることの是非はともかく、30歳にして売れない役者、売れない音楽家、売れない絵描きでいることのいたたまれなさが痛切なまでに伝わってきた。

 

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』のアレクサンドラ・シップ演じるガールフレンドのスーザンが、現実を否応なく突き付けてくる。医大生からダンサーに転身、ダンス講師としての職を得たスーザンが、自分と一緒にニューヨークから出て、田舎で素朴に暮らしてほしいと願ってくることを、いったい誰に責められようか。このあたり、『 ラ・ラ・ランド 』と似ているようで少し違う。夢を取るのか、自分を取るのか。日本風に言えば、「仕事と私とどっちが大事?」に近いだろうか。「あなたの夢を尊重するから、私の夢も尊重して」という、ややファンタジックな『 ラ・ラ・ランド 』とは違って、本作は非常にリアルである。現実的である。伝記物語なのだから当然と言えば当然なのだが、ジョナサンやスーザンの苦悩が、我がことのように感じられた。様々な楽曲もシーンとキャラの心情にマッチしていて、ミュージカル好きのJovianも十分に満足できた。

 

サブプロットとして、役者志望だった親友マイケル(ロビン・デヘスス)が、マイノリティとしての属性を見事に体現していた。マイケルとジョナサンの関係の変化、そして関係の維持が、ミュージカル『 RENT / レント 』の骨子になっていることが伝わってきた。もちろん、『 RENT / レント 』を観たことがない人でも、二人の友情と現実への向き合い方のスタンスの違いは、重厚かつ感動的なドラマとして堪能できることは間違いないので、ご安心を。

 

ジョナサンの生き様、そして現実のある意味での非情さに、打ちのめされる人もいるかもしれない。しかし、ジョナサンたちが自分なりの生を生きようとする姿に胸を打たれない人はいないだろう。

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ネガティブ・サイド

文句なしの傑作だが、映画と舞台の住み分けというか、ステージ・パフォーマンスをそのまま映画化したような構成が気になった。予備知識なしで鑑賞したが、途中まで「これは、スパービア後の作品が Tick tick … boom で、その劇を劇中劇化したのだな」と勘違いしていた。それぐらい、映画ではなく舞台に見えた。映画には映画の技法があって、舞台には舞台の技法がある。マイケルの新居で踊るシーンなどは、映画ではなく舞台である。

 

ソンドハイムとそれっぽい批評家のコメント合戦も、ギャグだと思えば面白いのかもしれないが、少し上滑りしているように聞こえた。

 

総評

日本でミュージカル『 RENT 』を観たという人は、だいたい宇都宮隆バージョンを観たことだろう。宇都宮隆はJovianと同じく、ロッド・スチュワート信者である。それはさておき、1990年代はまだまだエイズやゲイに対する社会の理解は深くなかった。今は違う。そういう意味では、ジョナサン・ラーソンは類まれなるアーティストにしてビジョナリーであったとも言える。アンドリュー・ガーフィールドは役者・表現者としてますます脂がのってきた。彼のファンも、彼のファンでなくとも、ミュージカル好き、または映画好きなら、本作を是非ともウォッチ・リストに加えてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Break a leg

『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で少し触れた表現。意味は「幸運を祈る」である。これは theater language で、ネイティブ相手でも通じないことがある。実際にJovianの同僚でも、theater や film studies のバックグラウンドを持つ者は知っていても、business management や history のバックグラウンドを持つ者は知らなかったりする。基本的には、音楽や芝居の前に使う表現である。日常会話ではあまり使わないが、映画好きかつ英語好きなら知っておいて良いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, アンドリュー・ガーフィールド, ミュージカル, ロビン・デヘスス, 伝記, 監督:リン=マニュエル・ミランダ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

Posted on 2022年1月19日 by cool-jupiter

ハウス・オブ・グッチ 70点
2022年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:レディー・ガガ アダム・ドライバー ジャレッド・レト アル・パチーノ
監督:リドリー・スコット

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年老いてなお意気軒高なリドリー・スコット御大の作品。『 ゲティ家の身代金 』のクオリティを期待してチケットを購入。

 

あらすじ

パトリツィア(レディー・ガガ)は、マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)。マウリツィオの叔父のアルド(アル・パチーノ)の手引きもあり、一時は義絶されていたグッチ家に復帰する。幸せな時を過ごすパトリツィア達だったが、ある時、グッチの鞄のフェイクを発見したことをパトリツィアがアルドとマウリツィオの耳に入れて・・・

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ポジティブ・サイド

グッチと言えば鞄、というぐらいは知っている。逆にそれぐらいしか知らない。Jovianはそうであるし、それぐらいの予備知識で本作を鑑賞する層が最も多いのではないだろうか。心配ご無用。グッチの製品およびグッチ家のあれやこれやを全く知らなくても、一種の緊張感ある歴史サスペンスとして充分に楽しむことができる。

 

『 アリー / スター誕生 』以来のレディー・ガガの演技が光っている。基本的には、純朴な田舎娘が大きな野心を抱くようになり・・・というキャラクターという意味では同じだが、明らかに演技力が向上している。パトリツィアの目が、野望はもちろんのこと、怒りや悲しみまでもを雄弁に物語っていた。

 

対するアダム・ドライバーも、純朴な青年から、人好きはするが暗愚な経営者までを幅広く好演。演技ボキャブラリーの豊富さをあらためて証明した。マウリツィオ・グッチの人生を客観的に見れば、女性を見る目のないボンクラ2世なのだが、アダム・ドライバーが演じることで、どこか憎めないキャラクターになった。

 

対照的にどこからどう見てもボンクラだったのが、アルドの息子でマウリツィオのいとこであるパオロ。ジャレッド・レトが演じていることに全く気付かなかった。『 最後の決闘裁判 』でもベン・アフレックが嫌味な領主を演じていることに気が付かなかったが、今回のレトのメイクアップと演技はそれを遥かに超える。大志を抱く無能というコミカルにして悲劇的なキャラをけれんみたっぷりに演じている。この男にドメニコのような腹心・耳目・爪牙となるような側近がいなかったのは、幸運だったのか不運だったのか。

 

20年に亘るグッチ家およびグッチという企業の転落および復活の内幕を、必要最低限の登場人物で濃密に描き切る。2時間半超の大部の作品だが、パトリツィアの野心の発露とマウリツィオの心変わりに至る過程がじっくりと描かれていて、観る側を決して飽きさせない。イタリアはトスカーナ地方の雄大な自然とそこにたたずむ小さな村における人々の生活が色彩豊かに描かれていて、ニューヨークのオフィスやきらびやかなファッション・モデルの世界と鮮やかなコントラストをなしていた。

 

パトリツィアが段々とダークサイドに堕ちていく様がビジュアルによって表現されているのも興味深い。船上でのマウリツィオとのロマンティックなキス、バスタブでの情熱的なキスが、最終的には泥エステとなり、そこは怪しげな占い師との共謀の語らいの場となる。Jovianには正直言って、マウリツィオを殺したいとまで思うパトリツィアの情念が頭では理解できなかった。しかし頭の中ではいつしか石川さゆりの『 天城越え 』が聞こえてきた。「隠しきれない移り香が いつしかあなたにしみついた 誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」というあの名曲である。ここまで来て、リドリー・スコットが本当に描きたかったのは、タイトルになっている「グッチの家」ではなく、パトリツィアという一人の女の底知れない情念だったのではないかと思い至った。そうした目でストーリー全体を思い起こしてみれば、1978年から20年に及ぶ物語が、別の意味を帯びていると感じられた。つまり、グッチ家という特殊な一家の栄光と転落の物語ではなく、パトリツィアというどこにでもいそうな普通の女が傾城の美女=悪女になっていく物語であって、抑圧されてきた女性が男性支配を打破する物語ではない。逆にアホな男どもをある意味で手玉に取っていく物語である。パトリツィアを加害者と見るか、それとも被害者と見るかは意見が分かれるところだろう。パトリツィアが欲しかったのは愛だったのか、それともカネだったのか。

 

Jovianは観終わってから、嫁さんと晩飯を食いながら、本作についてあーだこーだと議論をしたが、男性と女性というだけで見方が変わるのだから面白い。ぜひ異性と鑑賞されたい。そして、パトリツィアなのか、それともマウリツィオなのか、誰に自分を重ね合わせてしまうかを考察するべし。

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ネガティブ・サイド

中盤に至るまで、BGMを多用しすぎであると感じた。多様なミュージックを流し、そのテイストの移り変わりで時代の変遷を表現しているのだろうが、これはリドリー・スコット御大の本来の手法ではないだろう。

 

グッチの再建に向けての道筋があまりよく見えなかった。気鋭のデザイナーを起用して、ショーでかつての名声を取り戻すという描写だけではなく、いかに品質の良い鞄をプロデュースし、いかにブランドとしての地位を築いてきたのかというビジネスの側面を描かないと、マウリツィオが放漫経営していたという事実が際立ってこない。

 

アル・パチーノ演じるアルドが、イタリア語風にパトリツィアと発音したり英語風にパトリーシャと発音したりするシーンが混在しているが、リドリー・スコットをしてもリテイクをすることができなかったのか。

 

総評

2時間半超の作品であるが、一気に観ることができる良作である。グッチに関する予備知識も必要ない。アホな男と情念に駆られる女という普遍的な構図さえ捉えておけば、重厚なドラマとして堪能することができる。2022年は始まったばかりだが、ジャレッド・レトには私的に年間ベスト助演男優賞を与えたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイントイタリア語レッスン

Come stai

イタリア語で ”How are you?” の意。カタカナで発音を書くと「コメ スタイ」となる。 Ciao や Grazie と一緒にこれぐらいは知っておいてもよいだろう。ちなみに劇中ではアル・パチーノが見事なブロークン・ジャパニーズで、Come staiに近い表現を使っている。結構笑えると同時に、在りし日の好景気の日本の見られ方が分かる、懐かしさを覚えるシーンでもある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, アル・パチーノ, ジャレッド・レト, ヒューマンドラマ, レディー・ガガ, 歴史, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ハウス・オブ・グッチ 』 -男のアホさと女の執念-

『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』 -The Dawn of SpiderVerse-

Posted on 2022年1月11日 by cool-jupiter

スパイダーマン 80点
2021年1月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・ホランド ゼンデイヤ ベネディクト・カンバーバッチ ジェイコブ・バタロン
監督:ジョン・ワッツ

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『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』の続編にして完結作。よくこれだけ壮大なストーリーを構想して、それを一本の映画に落とし込んだなと感心させられた。過去の『 スパイダーマン 』シリーズを鑑賞していることが望ましい・・・というか必須である。

 

あらすじ

自分がスパイダーマンであることが白日の下にさらされてしまったP・パーカー(トム・ホランド)は、助けを求めてドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を訪れる。ドクター・ストレンジは、全世界にP・パーカー=スパイダーマンであることを忘れさせる魔法を実行するが、そのせいで他の世界のヴィランを呼び寄せてしまうことになり・・・

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以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

見事なまでにスパイダーマン世界の文法に従い、スパイダーマンというキャラクターの特徴を描き出している。スパイダーマンの特徴とは、マン=男になろうとするボーイ=少年の物語であるということである。『 スパイダーマン:ホームカミング 』でT・スタークに”This is where you zip it. The adult is talking!”=「黙れ、大人が喋っているんだぞ」というシーンが象徴的だったが、本作でも子どもらしさが全開。大人(ひねくれてはいるが)のドクター・ストレンジが魔術を使おうと集中しているところに何度も何度も割り込むさまは、まさに子ども。Jovianも大学で教えている時に、たまにP・パーカーのようにマシンガンのようにまくし立てて、こちらを遮ってくる学生に遭遇する。スパイダーマンとは、このピーターという少年の成長物語なのである。

 

トレイラーで明らかにされていたドック・オックの出現、もっと言えば前作『 スパイダーマン ファー・フロム・ホーム 』のラストにJ・K・シモンズ演じる例の編集長が登場していたことに、もっと敏感になる必要があった。うーむ、悔しい。あそこに本作の胆の部分が大いに示唆されていたのだなあ。Jovianは『 スパイダーマン スパイダーバース 』が劇場公開された際にスルーしてしまった。

 

スパイダーマンが新しいスーツでドック・オックと激闘を繰り広げるシーンとそのオチはなかなか面白かったし、その他のお馴染みヴィランが次から次へと登場して、しかもそれらを演じるのもウィレム・デフォーやジェイミー・フォックスといったお馴染みの面々。「こいつら全員をまとめて相手するのは無理ちゃう?」と感じたが、ここまで来て鈍いJovianはやっとのことトビー・マグワイアやアンドリュー・ガーフィールドが登場する可能性に思い至った。そしてアンドリュー・ガーフィールド、そしてトビー・マグワイアが登場した際には、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』のトレイラーで、ジェダイの帰還ならぬハン・ソロとチューバッカの帰還を知った時と同じような感覚を味わうことができた。

 

アクションも見せる。トムホのスパイダーマンがドクター・ストレンジとの一騎打ちで、まさかの大金星。MagicよりもMathだ、という発言には説得力があったし、P・パーカーがボストンの大学を志望するほどの優等生であるという背景ともちゃんと連動している。ドック・オックとの対決でも、ナノテク・スーツが文字通りに勝敗を分けた。観る側をひやひやさせつつ、しっかり笑わせてもくれた。

 

スパイダーマンは親愛なる隣人である一方、若さゆえの過ちや純粋な不運から、周囲の人を不幸にしたり、あるいはヴィランに変えてしまう。グリーン・ゴブリンなどが好例だが、そうした歴代でお馴染みのヴィランを本作は fix =治療しようとする。これには驚いた。同時に、やはりスパイダーマンは大事な人を喪失してしまう。これには胸が痛んだ。同じく、アメイジング・スパイダーマンが落下していくMJを見事に救い出したシーンには、彼自身が果たせなかったグウェンの救出を重ね合わせて観ることができた。まさにジョン・ワッツのスパイダーマンだけではなく、サム・ライミやマーク・ウェブのスパイダーマン世界をも包括した大団円には、目頭が熱くなった。

 

MCUはちょっと食傷気味のJovianも、本作はほとんどすべての瞬間を純粋に楽しむことができた。シリーズのファンなら、本作を鑑賞しないという選択肢は絶対にありえない。

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ネガティブ・サイド

マルチバースからやって来たヴィランたちやP・パーカーたちがあっさりと異世界に順応するのには、少々違和感を覚えた。彼らの世界には魔術師は存在しなかったはずだ。

 

ポストクレジットシーンが長い、というか informercial のようになっている。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のように、壁画だけを数秒間映し出してパッと暗転、クレジットへ・・・というので充分だと思う。

 

これは映画の出来とは関係ないが、明らかな誤訳はどうかと思う。林完治は売れっ子翻訳家だが、vigilanteを悪党と訳すのは、さすがにダメだろう。まさか villan と混同したわけはないだろうが、これはちゃんと「自警団」あるいは「自警団員」、もしくは「警官気取り」とでも訳すべきだ。もちろん映画字幕の字数制限については承知しているが、スパイダーマンを悪党呼ばわりはあんまりだと思った次第である。

 

総評

2022年最高の一本とまでは言わないが、間違いなくトップ10には入るだろう出来映え。トップ5もありえるかもしれない。過去の『 スパイダーマン 』映画の鑑賞がマストであるが、その労力は報われるはず。というよりも、本作を観る層の90%は過去作品を鑑賞済みだろう。スパイダーマン世界をきれいに終わらせつつ、新たな世界の幕開けにつなげるという離れ業を演じたジョン・ワッツに満腔の敬意を表したいと思う。政府がまん防や緊急事態宣言を出す前に鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a people person

字面だけ見ると何のことやら分からないかもしれないが、

He’s a dog person.
彼は犬好き人間だ。

She is a cat person. 
彼女は猫派だ。

I am a rabbit person. 
俺はウサギ大好き人間なんだ。

と来ると、a people person = 人間が好きな人、人付き合いが好きな人という意味が見えてくるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アクション, アメリカ, ジェイコブ・バタロン, ゼンデイヤ, トム・ホランド, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:ジョン・ワッツ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』 -The Dawn of SpiderVerse-

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