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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:20世紀フォックス映画

『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

Posted on 2019年4月11日2020年2月2日 by cool-jupiter

ルビー・スパークス 70点
2019年4月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ゾーイ・カザン
監督:ジョナサン・デイトン バレリー・ファリス

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『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』デイトンとファリスの夫婦監督の作品である。本と現実世界がリンクしてしまうという筋立ては古今東西、無数に作られてきた。古くは『 ネバーエンディング・ストーリー 』、割と最近のものだと

『 主人公は僕だった 』。作者が自らが想像および創造したキャラクターに恋するプロットも陳腐と言えば陳腐だ。日本では、漫画の『 アウターゾーン 』にそんなエピソードがあったし、その作者の光原伸も、自らの生み出したミザリィに恋していたのではなかろうか。

あらすじ

弱冠19歳と時のデビュー作で文壇を席巻したカルヴィン(ポール・ダノ)は、以来10年にわたって書けずにいた。しかし、ある時、夢にインスピレーションを得て、ルビー・スパークス(ゾーイ・カザン)というキャラを着想する。カルヴィンは執筆に没頭するうちに、ルビーに恋焦がれるようになるが、ある日、なんとルビーが目の前に現れ・・・

ポジティブ・サイド

カルヴィンというキャラクターの外面のなよなよしさ、そして胸の内に秘めたマグマのようなエネルギー。相反する二つの要素をポール・ダノは見事に同居させ、表現した。動きの貧弱さと眼鏡の奥に光る眼差しの強さと弱さ、そして意外なほどに攻撃的な口調が、このキャラの複雑さを物語る。作家というのは往々にして難しい生き物だ。綾辻行人は東日本大震災後に「書けなくなった」と語ったが、人命を小道具にするミステリ作家ならではの症状だろう。カルヴィンも同じで、父の死や、かつてのガールフレンドとの別れが、書けない自分の理由の一部を為している。我が恩師の一人、並木浩一は、作家には想像力と構想力が必要と説いた。想像力=他者になる力、構想力=世界を仕上げる力、という定義である。カルヴィンは、まず間違いなく構想力優位の作家である。ルビーとの関係に幸福を見出すカルヴィンには、しかし、ルビーの目から見た自分自身の姿がない。つまり、カルヴィンは自分で自分を知らない。そのことをルビーは最初の出会いでいきなり喝破する。愛しい相手が自分に抱いてくれる感情が変わりそうになった時、本当ならば自分が変わらねばならない。しかし、カルヴィンは創造主であるが故にその選択肢を拒否する。本作は青年の成長物語ではあるが、成長できない青年のダークサイドを見せつけるという逆説的な手法を取る。これが面白く、なおかつ背筋に何か冷たいものを感じさせられるような恐怖感や不安感も駆り立ててくる。

また脚本も書き、タイトルロールも務めたゾーイ・カザンも称賛に値する。可愛らしく、それでいて理知的で、創造性に富み、社交性も豊か。最もその魅力が際立つのは、序盤で嫉妬心から悪態をつきまくり、駄々をこねる様だ。暴れる女は無理矢理でも抱きしめなさい。なぜなら、その怒りの大きさが対象への愛情の大きさなのだから、と彼女自身が高らかに宣言しているかのようだ。

本作のカメラワークはユニークである。カルヴィンはしばしば建物や車、部屋という仕切られた空間で非常に弱い照明の光の下で映し出される。対照的に、ルビーは開放的な衣装や環境で、たっぷりと光を注がれる。ダウナー系男子とアッパー系女子の対照性が終盤に交わる時、光と影、どちらがその濃さを増すのか。Fantasticalなラブロマンスと見るか、変化球的なサスペンスと見るか。二人の織り成すケミストリーは最終的に何を生み出すのか。時々スローダウンしてしまう箇所もあるが、全体的には100分程度で綺麗にまとまった良作である。

ネガティブ・サイド

カルヴィンの家族を巡る物語は、もう少し深堀りできたのではなかろうか。このストーリーの流れでアントニオ・バンデラスが陽気にニコニコ笑うおじさんを演じているのを見れば、バイオレンスを含む何らかの陰鬱な出来事があったと想像してもおかしくはない。実際はそんなことはないのだが、ややミスキャスティングかつミスリーディングであるように感じた。

カルヴィンの兄嫁のスーザンとルビーの絡みも欲しかった。また、カウンセラーのローゼンタール先生とルビーにも何らかの接点が欲しかったと思う。ルビーという存在の虚構性ゆえに自分の周りに実在する人間に、なかなかルビーを紹介できないカルヴィンの気持ちは分からないでもない。けれども、ルビーという女子の心の変化を読み取るには、もう少し丁寧な人間関係の描写が必要だったと考えてしまうのは、Jovianが男性だからなのだろうか。

総評

本作の放つメッセージは詰まるところ、庵野秀明が『 新世紀エヴァンゲリオン 』の劇場版で観客に痛烈な形で放ったメッセージと同質のものである。つまり、「外に出ろ、俗世に交われ」ということだ。愛はそこに唯あるだけのものではない。自分が誰かを愛し、誰かから愛されるのなら、その愛を常に保ち続けるために動きなさい、働きなさい、変わりなさいということだ。婚活がなかなかうまくいかない男性には、本作は案外ためになる視聴覚的テキストになるのではないだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ゾーイ・カザン, ポール・ダノ, ラブロマンス, 監督:ジョナサン・デイトン, 監督:バレリー・ファリス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

『 アリータ バトル・エンジェル 』 -2Dでも3D的ビジュアル効果!-

Posted on 2019年2月27日2019年12月23日 by cool-jupiter

アリータ バトル・エンジェル 80点
2019年2月23日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ローサ・サラザール クリストフ・ワルツ マハーシャラ・アリ エド・スクレイン
監督:ロバート・ロドリゲス

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日本のSF漫画でスクリーン映えするだろうものは、『 AKIRA 』、『 BLAME! 』、『 攻殻機動隊 』だと思っていた。皆、映像化された。そこへ満を持して『 銃夢 』である。日本の漫画界最後の戦闘美少女である。期待せずにいらりょうか。Don’t get your hopes up because that’ll spoil a movie! そんなことは分かっていても、やはり期待する。そして、その期待は裏切られなかった。

あらすじ

時は26世紀。火星連邦共和国との“没落戦争”が終結して300年。唯一残った空中都市ザレムと、その直下のアイアンタウン。ある日、Dr.イド(クリストフ・ワルツ)がザレムから落とされるスクラップを漁っていたところ、脳と心臓がまだ生きているサイボーグの頭と胴体を見つけてしまう。新たなボディを与えられた“彼女”は記憶を失っていたが、アリータを名付けられ、徐々にアイアンタウンに馴染んでいく。しかし、ある時、殺人事件が発生し、さらにイドの様子に不審なところがあり・・・

 

ポジティブ・サイド

ガリィではなくアリータだが、いきなりアリータでも良いだろう。ファイナルファンタジーⅥのティナも、英語版ではTerraになっていた。そして、ここでも20th Century Foxのロゴがオープニングから一気に映画の世界に我々を引きずり込んでくれる。ゆめゆめ見過ごすことなきよう。こうした『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』から続く、ロゴいじりは是非とも続けて欲しいトレンドである。

 

本編について何よりも驚かされたのが、2Dで鑑賞したにもかかわらず、3Dを見たかのような印象が強く残ったことである。また、トレイラーの段階では、アリータの目の異様な大きさに、いわゆる「不気味の谷」現象を感じていたが、本編が進むにつれ、アリータに不自然さを感じなくなり、ある時点からは可愛らしいとさえ感じるようになった。製作指揮のジェームズ・キャメロンは、『 エイリアン2 』や『 ターミネーター 』シリーズ、そして『 アバター 』など、人と人なるざる者との関係を描かせれば天下一である。その彼の芸術的な感性と、マチェーテ映画を手掛けてきたオタク監督(と見なして差し支えないだろう)のロバート・ロドリゲスの感性が見事にマッチして生み出されたアリータは、モーション・キャプチャ-とアニメと実写の幸福なマリアージュである。

 

それにしても最近の技術の進歩は凄まじい。『 アントマン&ワスプ 』におけるマイケル・ダグラスやミシェル・ファイファー、『 アクアマン 』におけるウィレム・デフォーなど、デジタル・ディエイジング技術の進化とその応用が著しい。ターミネーターの新作でもシュワちゃんおよびリンダ・ハミルトンが若返るのだろうか。しかし、モーション・キャプチャ-によるフルCGキャラクターというのは、『 シン・ゴジラ 』のゴジラ、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』および『 スター・ウォーズ/最後のジェダイ 』のマズ・カナタがいるが、これらは人間ではなくクリーチャー。そして、アリータは人間ではないがクリーチャーではない。サイボーグである。そこに最先端CGを施すことで、これほど「生きた」キャラクターが生み出されるということに感動すら覚えた。『 ゴースト・イン・ザ・シェル  』の草薙素子がスカーレット・ジョハンソンによって演じられたことが一部(主に日本国外)で典型的なホワイトウォッシュだとして問題視されたが、5年後には少佐がこの技術を使って再登場してくるかもしれない。それほどのポテンシャルを、アリータというキャラのCGの美麗さとリアルさから感じた。

 

戦闘シーンおよびモーターボールのシーンは圧倒的な迫力と説得力である。しかし、それよりも光るのはアリータが、いわゆる戦闘美少女として覚醒する前に、アイアンタウンでオレンジを食べるところであろうか。これは『 ワンダーウーマン 』がアイスクリームの美味しさに感動し、『 アクアマン 』でメラが花をむしゃむしゃとやったように、これだけでアリータの可愛らしさを描き切ってしまった。人が萌え(死語なのだろうか?)を感じるのは、そこにギャップがあるからなのだ。続編も期待できそうだ。いや、絶対に製作されねばならない。

 

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ネガティブ・サイド

ヒューゴがアリータを300年前の没落戦争の遺物であることを知った明確な描写は無かったはず。にもかかわらず、何故そのことをナチュラルに知っているかのような流れになっていたのだろう。ちょっとした編集ミスなのか?それとも何か見落とすか聞き逃すかしたのだろうか(そんなことはない筈だが・・・)。

 

人間が機械の身体を持つことに抵抗を感じない世界というのは、『 銀河鉄道999 』を読んできた我々には分かる。しかし、2019年という今の時代、AIが社会の様々な場面で実用化されつつあり、またロボティックスも長足の進歩を遂げつつあるこの時代と、アリータの時代をつなぐ描写がほんの少しで良いので欲しかった。

 

総評

近いうちに、3DまたはIMAXでもう一度鑑賞したい。MX4Dや4DXも、吹替えではなく字幕なら、是非トライしてみたい。『 シドニアの騎士 』の映画化も見えてきたかと、映画を観終わって、感想よりも次の鑑賞や更なる別作品の映画化を夢想するなど、これほど浮き浮きしたのは久しぶりである。早くこのバトル・エンジェルと再会したい!

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, SF, アクション, アメリカ, エド・スクレイン, クリストフ・ワルツ, マハーシャラ・アリ, ローラ・サラザール, 監督:ロバート・ロドリゲス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 アリータ バトル・エンジェル 』 -2Dでも3D的ビジュアル効果!-

『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -二度目の胸アツ応援上映参戦-

Posted on 2019年2月22日2019年12月23日 by cool-jupiter

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また行ってしまった。本当は梅田の東宝シネマに行きたかったが、ほとんど満席だった。無理してそちらにいくべきだったか。

感想としては、伊丹の東宝シネマもMOVIXあまがさき同様、盛り上がりはいま一つであった。客の入りは1割にも満たなかったか。もしも、この夜の「エーーーーーーーーーーーーーオ!!」の間の ーーーーーー (映画でもここは聴衆のウェーブを上空から映すショットに切り替わるため、音が一瞬小さくなる)を劇場で聞いた、と言う人がいれば、それはJovianの声であったはずだ。そうそう、お一人、Radio Ga Ga の時に、右腕を大きく突き出す御仁がおられた。梅田なら、または東京の劇場なら、もっとノリノリの人が多くいるのだろうか。

以下は雑感。

監督のブライアン・シンガーのスキャンダルがアカデミー賞にどう影響を及ぼすのかは、神ならぬ身には分からない。しかし、新井浩文が逮捕され、事務所も解雇され、地検に起訴されたというニュースを聞いて、改めて彼の出演作がお蔵入りになってしまったことが残念だ。何が残念かと言えば、新井その人のキャリアではない。その映画の製作に関わった多種多様な人々の努力と労力が適切な評価を受ける機を逸したのが悔やまれる。『 空飛ぶタイヤ 』でも危惧したことだが、映画を作るのに携わった多くの人、そしてその映画の公開を待つさらに多くの人を裏切るようなことは誰にもしてほしくない。『 ゲティ家の身代金 』のように、ケビン・スペイシーが盛大にやらかしてくれたおかげで失われかけたものを、クリストファー・プラマーとリドリー・スコットが莫大なカネとほんのわずかな時間で取り戻してくれたのは奇跡だったのだ。

作品と作者の関係をアカデミーの面々、そして多くの映画ファンがどう判断し、どう評価するのかは分からない。しかし、本作が傑作であるという自身の判断は変えたくないし、変えようとも思わない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, ラミ・マレック, 伝記, 監督:ブライアン・シンガー, 配給会社:20世紀フォックス映画, 音楽Leave a Comment on 『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -二度目の胸アツ応援上映参戦-

『 ボヘミアン・ラプソディ(“胸アツ”応援上映) 』 ーThe joy of movie-going is backー

Posted on 2019年1月5日2019年12月20日 by cool-jupiter

ボヘミアン・ラプソディ 85点
2019年1月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ラミ・マレック ルーシー・ボーイントン グウィリム・リー ベン・ハーディ ジョセフ・マッゼロ トム・ホランダー マイク・マイヤーズ
監督:ブライアン・シンガー

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2018年11月17日に大阪ステーションシネマで鑑賞した『 ボヘミアン・ラプソディ 』の“胸アツ”応援上映を体験。『 シン・ゴジラ 』の時にも大都市圏で実施された発声可能上映とだいたい同じと思えばよろしい。映画自体の感想は変わらない。むしろ、repeat viewingによって各シーンの構図やカメラアングルの意味がよりはっきりと伝わってくる。複数回劇場に足を運ぶ人が多くいるというのもむべなるかな。

 

Jovianは嫁さんと観に行ったが、劇場の入りは1割程度だっただろうか。箱の大きさに対して観客数も少なく、また実際にスクリーンに字幕が表示されるパートは大音量なので、かなり叫んだつもりでも、囁き程度にしか聞こえなかった。これは自分も嫁さんも確認している。それにしても客の入りとは関係なく、こうした試みはどんどん広がるべきであると思う。映画館に行くというのは能動的な営為であっても、映画を鑑賞するというのは極めて受動的な営為だ。しかし、そこに発声や手拍子、足踏みなどが加われば、受動でありながら能動のエンターテインメントが出来上がる。

 

問題があるとすれば、劇中の楽曲はすべてのパートが歌唱され、演奏されるわけでもない。またきれいにフェードアウトしてくわけでもないため、大声で歌っていると、いきなり画面が切り替わって、劇場内に自分の声が響き渡る、ということもありうる。「でもそんなの関係ねぇ」な小島よしおな人は、“胸アツ”応援上映を体験すべきだ。目立つのはちょっと・・・という控え目な人は、途中の “We Will Rock You” のシーン、最後のライブ・エイドのシーンで思いっきり絶叫すればよい。Jovianはそうさせてもらった。特に “We Are The Champions” では涙腺決壊必定である。嫁さんと二人で涙を流し、声に詰まりながら、何とか歌い切った。英語(に限らず、たいていの言語)には Editorial We と呼ばれる語法が存在する。新聞記事などで「~~~であると思われる」という、あの表現である。また書き言葉以外でも、特にメディアの質問やインタビューでも盛んに用いられるということは『 響 -HIBIKI- 』のレビューでも示した通りである。知らず知らずのうちに読者や視聴者を著者や話者の視点に包含するわけだ。フレディの抱える劣等感、葛藤、苦悩・・・ 我々はいつの間にか彼と同化する。心に闇を抱えない者がいようか。そうした懊悩の全てが We are the champions という歌詞と歌唱と共に吹き飛ばされていったように感じられた。なんというカタルシス!

 

観終わった後、隣の座席の母娘の会話が漏れ聞こえてきた。「お母さん、ゲイって何?」娘の方はおそらく小6~中1ぐらいだっただろうか。おそらく本作をきっかけに、このような会話が日本の津々浦々で交わされたに違いない。これは、クイーンというバンドの生み出した音楽の力を称揚するだけの映画では為し得ないことだ。受け手にしっかりと考えるきっかけを与える映画である。さあ、あなたも時間と懐に余裕があれば“胸アツ”応援上映に Go! である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ラミ・マレック, ルーシー・ボーイントン, 伝記, 監督:ブライアン・シンガー, 配給会社:20世紀フォックス映画, 音楽Leave a Comment on 『 ボヘミアン・ラプソディ(“胸アツ”応援上映) 』 ーThe joy of movie-going is backー

『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -フレディ死すともクイーンは死せず-

Posted on 2018年11月19日2019年11月23日 by cool-jupiter

ボヘミアン・ラプソディ 85点
2018年11月17日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ラミ・マレック ルーシー・ボーイントン グウィリム・リー ベン・ハーディ ジョセフ・マッゼロ トム・ホランダー マイク・マイヤーズ
監督:ブライアン・シンガー

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原題もBohemian Rhapsody である。葛城ユキあるいはCHAGE and ASKAの楽曲‘ボヘミアン’を思い起こす人は多いのだろうか、それとも最早マイノリティなのだろうか。意味は放浪の人、流離う人、旅人、定住しない人などである。ラプソディとは、一曲の中で転調が見られる壮大な音楽を指す言葉である。そう考えれば、ボヘミアン・ラプソディというフレーズ、そして楽曲はQueenというバンドの定義にして本質であると言えるのかもしれない。

 

あらすじ

インド系の青年ファルーク(ラミ・マレック)はヒースロー空港で荷物の仕分けで日銭を稼ぎながら、夜な夜なパブに足を運び、バンドのライブを楽しんでいた。ある日、お気に入りのバンドのメンバーに声をかけたところ、リード・ヴォーカルが抜けたという。ファルークは歌声を披露し、その高音域を買われ、メンバーに加わる。そして伝説の幕が開く・・・

 

ポジティブ・サイド

20世紀FOXの定番ミュージックがエレキサウンド!『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』でも採用されていた手法で、今後はこのような形で観客を映画世界に招き入れるのが主流になっていくのかもしれない。歓迎したいトレンドである。

 

本作を称えるに際しては、何をおいてもラミ・マレックに最大限の敬意を表さねばならない。はっきり言って、長髪の頃のフレディにはあまり風貌は似ていないのだが、短髪にして髭をたくわえ出したあたりからは、シンクロ率が400%に達していた。架空のキャラクターを演じるのは、ある意味で簡単だ。監督、脚本家、演出家などが思い描くビジョンを忠実に再現する、もしくは役者が自身のテイストをそれにぶつけて醸成させていけば良いからだ。しかし、世界中にファンを持つ伝説的なパフォーマーを演じるというのは、並大抵の技術と精神力で達成できることではない。彼の持つ複雑な生い立ちとその時代や地域におけるセンシティブなパーソナリティ、その苦悩、葛藤、対立、軋轢、堕落、和解、そして真実へと至る道を描き出すその労苦を思えば、マレックにはどれだけの賛辞を送ってもよいだろう。何か一つでもヘマをすれば、数十万から数百万というオーダーの映画ファン、音楽ファンから批判を浴びることになるからだ。史実(と考えられているもの)とは異なるシーンも散見されるようだが、そこは事実と真実の違いと受け入れよう。前者は常に一つだが、後者は見る角度によってその姿を変える。たとえば Wham! の名曲、“Last Christmas”は失恋を歌ったものであるが、ジョージ・マイケルのセクシュアリティを知れば、歌詞の解釈がガラリと変わる。フレディ・マーキュリーについても同様のことが言えるのだ。

 

本作はクイーンがいかに楽曲の製作や録音、編曲にイノベーションをもたらしたのかを描きながら、同時にバンドにありがちな衝突も隠さずに描く。Jovianの知り合いにプロの作曲家・音楽家・サウンドエンジニアの方がいるが、「バンドの解散理由っていうのは音楽性の違いが一番ですよ。ギャラの配分とかで揉めることの方が少ないです」とのことだった。クイーンの面々のこうした側面も描かれるのは、クイーンファンには微妙なところかもしれないが、人間ドラマを大いに盛り上げる要素であり、なおかつクライマックス前の一山のためにも不可欠なことだった。そうした描写に加えて、『 ダラス・バイヤーズクラブ 』のマシュー・マコノヒーよりも乱れた生活を送るフレディが家族のもとに回帰していく様は、夜遊びに興じるファルークが父と母のもとに回帰していく様を思い起こさせた。

 

ラストの21分間は圧倒的である。本作鑑賞後に、是非ともYouTubeで同ステージの映像を検索して観て欲しい。その場にいられなかったことを悔い、しかしその場にいたことを確かに実感させてくれるような作品を産み出した役者やスタッフの全てに感謝したくなることは確実である。本作を送り出してくれた全ての人に感謝を申し上げる。

 

ネガティブ・サイド

 

ほとんどケチをつけるところが無い作品であるが、フレディの過剰歯は本当にちょっと過剰すぎやしないか。

 

またバンドの結成からメジャーデビュー、さらにはアメリカツアーまでのトントン拍子の成功が、ややテンポが速すぎるというか、トントン拍子に進み過ぎたように思う。その時期のバンドのメンバーの関係やマネジメントとの距離感にもう数分だけでも時間を割いていれば、中盤以降の人間関係のドラスティックな変化にもっとドラマが生じたかもしれない。

 

あと、これは作品に対する complaint ではないが、本作のような映画こそ発声可能上映をするべきではないだろうか。‘We Will Rock You’や‘We Are The Champions’を、好事家と言われようとも、スノッブと言われようとも、映画館で熱唱してみたいと思うのはJovianだけであろうか。

 

総評 

レイトショーにも関わらず、かなりの入りであった。上映終了後、客が退いていく中、4~5組みの年配カップルの、特に男性の方が放心状態という態で席から立てずにいたのが印象的だった。『 万引き家族 』のリリー・フランキーではないが、「もう少しこの余韻に浸らせろ」と言わんばかりであった。似たような現象は『 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 』でも観察された。奇しくもそちらも同劇場でのことであった。近年でも『 ベイビー・ドライバー 』で‘Brighton Rock’が、『 アトミック・ブロンド 』のトレーラーでも‘Killer Queen’が使用されるなど、その音楽の魅力は全く色褪せない。フレディ・マーキュリー、そしてクイーン。彼は死に、彼らは最早かつてのバンドではない。しかし、その功績と遺産、輝きは巨大にして不滅、音楽ファンからのリスペクトは無限である。小難しいことは良く分からないという人でも、‘We Will Rock You’や‘We Are The Champions’を聞いたことがないということは、ほとんど無いだろう。トレーラーでもポスターでもパンフレットでも、何かを感じることがあれば、チケットを買うべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, アメリカ, ラミ・マレック, ルーシー・ボーイントン, 伝記, 監督:ブライアン・シンガー, 配給会社:20世紀フォックス映画, 音楽Leave a Comment on 『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -フレディ死すともクイーンは死せず-

『ビブリア古書堂の事件手帖 』 -シリーズ化を狙うなら、監督と脚本の交代が必須-

Posted on 2018年11月8日2019年11月22日 by cool-jupiter

ビブリア古書堂の事件手帖 30点
2018年11月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:黒木華 野村周平 成田凌 夏帆 東出昌大
監督:三島有紀子

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『 幼な子われらに生まれ 』の三島有紀子監督作品ということで期待をしていたが、裏切られた。はっきり言って、脚本の時点で失敗作になると予見できていなければおかしい。何か監督オファーを断れない事情でもあったのか。それとも自ら手を上げたものの、スタジオからこの脚本を使うように圧力があったとでも言うのだろうか。

 

あらすじ

五浦大輔(野村周平)は祖母の遺品整理をしている最中に、夏目漱石直筆の署名入りと思しき『 それから 』を見つける。それは、彼が小さな頃に手に取ったことで、祖母の勘気を被り、二発も殴られたきっかけになった本だった。鑑定のためにビブリア古書堂を訪れた大輔は、若き女店主・篠川栞子(黒木華)に出会う。物静かで陰に籠った感のある栞子はしかし、本については並々ならぬ知識と愛着を持っていた・・・

 

ポジティブ・サイド

黒木華は称えねばならない。楚々として、そこはかとない色気を感じさせながらも、どこか無防備で、だからこそ守ってあげたいと思わせる原作の雰囲気が醸し出せていた。ボソボソと話はするが、決して訥々とは語らず、社交面に弱点を抱えているものの、頭脳の明晰さは随一というキャラであることを演技で証明した。

 

また、大輔の祖母の若い頃を演じた夏帆。『 ピンクとグレー 』あたりから本格的にベッドシーンもこなし、『 友罪 』ではAVやレイプシーンにも取り組むなど、役者としての成長と充実を感じさせる。桜井ユキもそうだが、ラブシーンをこなせる女優には敬意を払わねばならない。次は広瀬アリスあたりかな?

 

ネガティブ・サイド

あまりにも原作各話の扱いに差がありすぎる。三島監督は原作を読まなかったのだろうか。いや、そんなことはあるまい。原作小説のみならず、必要とあらば漫画やテレビドラマ版(剛力は論外、演技力云々ではなく似ていない。オールデン・エアエンライクとハリソン・フォードの似ていなさ加減よりも、篠川栞子と剛力彩芽の似ていなさ加減の方が遥かに大きい)ですらチェックしているはずだ。

 

栞子の博識っぷりを引き出すためには、彼女の本に対する知識を様々な角度から様々な方法で描写する必要がある。通常の2D映画では不可能だが、嗅覚を使うシーンは面白いと思った。が、そのことをもう少し明示的に示す必要もあった。本シリーズの面白さは、栞子は本にとってのシャーロック・ホームズもしくはハンニバル・レクター博士か、とこちらに思わせるだけの静かな迫力にある。決して、カーチェイスやアクションにあるのではない。そのアクションでも大輔に見せ場は無し。というよりも、あのタイミングでこうした事件が起きるなら、犯人は必然的にこいつしかあり得ない、という論理的な思考ができないのか。そもそも警察が存在しない alternate reality での物語なのか、これは?

 

総評

黒木華と夏帆以外に見るべきものが無かった。そんなところでそんな映像美を演出する意味があるのか?というシーンも多く、キャラクターだけではなく映画製作者側の意図や行動原理も不明なところが多い。黒木と夏帆のファン以外には正直、鑑賞はきついだろう。どこか嫌な予感がしたので無料鑑賞クーポンを発行したが、その勘は正しかった。鑑賞する場合にはモーニング・ショーか、レイト・ショーで。正規のチケット代は払うべきではない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ミステリ, 夏帆, 成田凌, 日本, 東出昌大, 監督:三島有紀子, 配給会社:20世紀フォックス映画, 配給会社:KADOKAWA, 野村周平, 黒木華Leave a Comment on 『ビブリア古書堂の事件手帖 』 -シリーズ化を狙うなら、監督と脚本の交代が必須-

『プレデター2』 -宇宙の広大さを感じさせるという一点のみが評価ポイント-

Posted on 2018年10月4日2019年8月22日 by cool-jupiter

プレデター2 40点

2018年9月30日 レンタルDVD鑑賞
出演:ダニー・グローヴァー ルーベン・ブラデス ビル・パクストン
監督:スティーブン・ホプキンス

 

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*以下、ネタばれに類する記述あり

 

前作の『プレデター』が余りにも鮮烈な印象を残したため、その続編も標準以上の面白さを持っているにもかかわらず、標準以下に見られてしまう。極めて不遇な作品である。同じような憂き目に遭った作品としてはまあまあ古いところでは『あネバーエンディング・ストーリー』、そこそこ古いものでは『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』、それなりに最近のものでは『パシフィック・リム』が挙げられるだろう。

異常な暑さに襲われるLAの街では麻薬取引を仕切るコロンビア系ギャングとメキシコ系ギャングが市街地で警察相手に銃撃戦を繰り広げていた。ハリガン警部補(ダニエル・グローヴァー)は体を張って現場に介入するが、そこにはギャングの惨殺死体が吊るされていた。さらに、LAの街では奇妙な惨殺事件が続発する。得体の知れない殺人者を相手に、ハリガンの死闘が幕を開ける・・・

大昔に親父と一緒にWOWOWだかレンタルビデオで観た記憶がある。『リーサル・ウェポン』と『リーサル・ウェポン2 炎の約束』は劇場で観たんだったか。まあ、とにかくハリガン警部補がマータフにしか見えないのである。役者というのは、あまりに強烈なハマり役を持たない方が良いのだろう。寅さんを演じた渥美清しかり、スーパーマンを演じたクリストファー・リーブ然り、ルーク・スカイウォーカーを演じるマーク・ハミル然り。そういう意味ではハン・ソロでありインディ・ジョーンズでありリチャード・キンブル医師でもあるハリソン・フォードは大したものである。

閑話休題。SFは本来はScience Fictionの頭文字を取ったものだが、人によってはSpace Fantasyの頭文字だという人もいる。宇宙の謎、神秘、広大さ、深遠さをテーマにした娯楽作品ということだ。本作は後者として定義づけられたSFに属すると言える。プレデターの船内でハリガンが目にする数々の頭蓋骨および脊椎らしきものの中に、ゼノモーフのそれが見られるからだ。この点だけで、『プレデター』のシリーズは、『エイリアン』の持つ世界観、いや宇宙観に並んだと言える。なぜなら、我々はそこに新たな宇宙の広がりを予感するからだ。『エイリアン』を傑作たらしめた最大の要素は、疑いようもなくH・R・ギーガーが手掛けたエイリアンの造形美であるが、「エンジニア」の存在も見逃してはならない。この宇宙には未知なる存在が眠っている、潜んでいると思うだけで、胸が興奮で、あるいは恐怖で高鳴るではないか。J・P・ホーガンの傑作小説『星を継ぐもの』も、月面で見つかる死体が最大のサプライズなのだが、木星の衛星ガニメデで見つかる宇宙船に読者は宇宙の途方もない広大さを予感するのである。とは言うものの、では何故『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』にはJovianは全く感銘を受けなかったのだろうか。結局は、個人の好みの問題に尽きるのだろう。

AVPシリーズとなると、はっきり言って観るのが苦痛だったが、今なら、あるいは今こそ、フレッシュな目で観られそうな気がする。さて、今年中には観てみるとしよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, D Rank, SFアクション, アメリカ, ダニー・グローヴァー, 監督:スティーブン・ホプキンス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『プレデター2』 -宇宙の広大さを感じさせるという一点のみが評価ポイント-

『プレデター』 -SFアクション映画の記念碑的作品-

Posted on 2018年9月30日2019年8月22日 by cool-jupiter

プレデター 75点

2018年9月29日 レンタルBlu-ray鑑賞
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー カール・ウェザース ビル・デューク ジェシー・ベンチュラ ソニー・ランダム リチャード・チャベス シェーン・ブラック
監督:ジョン・マクティアナン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180930025346j:plain

  • 以下、ネタばれに類する記述あり

先日、悪魔の囁きによって導かれるように観てしまった『ザ・プレデター』のあまりの酷さに、口直しが必要となり、本作を借りてきてしまった。録画DVDの山の中のどこかにありそうだが、探すのも面倒くさいのである。どうしても口直しが必要となったこの気持ちは、あの駄作を観てしまった諸賢ならば共有頂けよう。

救出専門部隊のリーダー、ダッチ(アーノルド・シュワルツェネッガー)、冷静沈着なマック(ビル・デューク)、噛みタバコを吐き散らすブレイン(ジェシー・ベンチュラ)、スー族の末裔ビリー(ソニー・ランダム)、スペイン語に堪能なポンチョ(リチャード・チャベス)、口を開けば下品なジョークを飛ばすホーキンス(シェーン・ブラック)は、ジャングル奥地の救出ミッションに、ディロン(カール・ウェザース)と共に派遣される。無事に任務を果たすも、ダッチ達はジャングルに潜む何者かとの戦いに巻き込まれ、一人また一人と戦友を失っていく。現地の者の間では、暑い年になると悪魔がやってくるという伝承があった。彼らは悪魔と戦っているのか・・・

まず素晴らしいのは、軍人のリアリティを描いていることである。自衛官もしくは元・自衛官の知人友人がいれば、自衛隊という組織内での飲み会や宴席では、「菊の花」なる宴会芸が行われているのを聞いたことがあるだろう。人体のとある解剖学的なとある部分を「菊の花」に見立てる芸で、いわゆるお座敷遊びのそれではない。軍というのは、極めて男性的な世界で、猥褻な言動に歯止めが利かないことがある。そうしたバックグラウンドのある男同士のしゃべりには独特の緩さと汚さがある。単に下品なジョークを飛ばすのではなく、ある意味で容赦のないジョーク、共に死線を越えた者同士でないと通用しないような言葉使いなのだ。それを最も端的に表すシーンが、ダッチとディロンの再会の場面だ。“You, son of a bitch!”と言いながら笑顔でハンドシェイクし、そのままアームレスリングをすることで、片やデスクワークで体がなまくらになってしまっており、もう片方は現役のままのパワーを維持していることを示す、非常に象徴的なシーンである。文字ではなく映像で説明する。これこそが映画の技法であり作法である。そして、ハンドサインやハンドジェスチャーによる意思疎通、ダッチが目線をやってアゴをくいっと動かすだけでその意を汲んで動く部隊の連中。これこそがチームワークであり、『ザ・プレデター』に最も欠けていたものだった。シェーン・ブラックが何故この要素を一切に続編に引き継がなかったのか、不思議でならない。

キャストでとりわけ素晴らしいと思えたのは目のぎょろつき具合が強烈な印象を与えるマックと、ネイティヴ・アメリカンらしい自然と対話する男ビリーである。特にビリーの寡黙さと、ホーキンスのクソつまらないジョークに一拍置いて大声で笑い出しながらも、直後にただならぬプレデターの気配を感じ、森を睨みつけるシークエンスは、映画全体のサスペンスを大いに盛り上げた。

舞台は中南米のどこかのようだが、これはどう見てもベトナム戦争映画なのだろう。森に潜む見えない敵というのはベトコンのメタファーであり、ダッチが泥にまみれて弓矢と罠で戦うのは、米軍の対ベトコン戦略のやり直しシミュレーションのように思える。米軍もやろうと思えば、森林の中で原始的な手段でも戦えるのだぞ、というところを見せたのが当時のアメリカ人の心を捕えたのかもしれない。

武士道精神と言おうか騎士道精神と呼ぶべきか、武器を持たない者は攻撃しないというポリシーのプレデターこそが実は米軍の在りうべき姿が仮託された存在なのだろうか。ダッチの言う”You are one ugly motherfucker.”という言葉に、当時の米軍のテクノロジーの濫用(枯れ葉剤!)に見られるような醜さ、汚さを見出すのはいと容易い。『ザ・プレデター』でオリビア・マンが呟く”You are one beautiful motherfucker.”という台詞は、いったい誰に向けてのものだったのだろうか。

クソのような正統続編を作ってしまったがためにオリジナルがますます輝くという点では、まるで『エイリアン』シリーズのようだ。そして目に映るもの以上の意味を盛り込んでいることで単なる面白作品以上のものに作品が昇華されているという点で、名作以上の古典的作品と呼べるものに仕上がっている。『ビバリーヒルズ・コップ』のように『プレデター』も2で止めておけば・・・ 近所のTSUTAYAで関連作品を借りてきてレトロ映画レビューみたいなのもやってみようかな。しかし、そうすると『エイリアンVSプレデター』も、もう一度観ないといけないのが辛いところ。まあ、おいおい考えてみますか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, B Rank, SFアクション, アーノルド・シュワルツェネッガー, アメリカ, カール・ウェザース, シェーン・ブラック, 監督:ジョン・マクティアナン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『プレデター』 -SFアクション映画の記念碑的作品-

『ザ・プレデター』 -製作者がアホだらけ=登場人物もアホだらけ-

Posted on 2018年9月27日2019年8月22日 by cool-jupiter

ザ・プレデター 20点

2018年9月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ボイド・ホルブルック トレバンテ・ローズ ジェイコブ・トレンブレイ キーガン=マイケル・キー オリビア・マン 
監督:シェーン・ブラック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180927234655j:plain

  • 以下、マイルドなネタばれ記述あり

まるで『デスノート Light up the NEW world』を観ているようだった。つまり、長い年月を経て続編を作ったにもかかわらず、そこにあるべきアイデアが全く無いという意味である。デスノートという凶悪な兵器が存在することが分かっている。そして、そのノートが力を発動する条件も解析されている。ならば可能な限りのシミュレーションを行い、万全に近い対策を取れるようになっていなければおかしい。にも関わらず、お面は無いだろうお面は・・・と落胆させられた映画ファンはきっと多かったことと思う。あの何とも言えないがっかり感、虚脱感をまた味わえるのが本作である。よほどこのシリーズ、もしくはプレデターというクリーチャーに思い入れが無い限りは、カネと時間の両方を浪費することになるだろう。注意されたし。

 スナイパーのクイン・マッケナ(ボイド・ホルブルック)は、任務の最中に異星人の宇宙船の墜落に遭遇してしまう。そこで仲間を失い、自身もピンチに陥るも、異星人の装備を偶然に発動させてしまったことで危機を脱する。事態の深刻さを重く受け止めたクインは、自閉症気味だが天才でもある息子、ローリー・マッケナ(ジェイコブ・トレンブレイ)に装備を託す。しかし、1987年から異星人の襲来を知り、研究をしていた機関がマッケナ家に迫る。一方で、異星人を狩る異星人も地球に降り立ち、事態は混迷を極める。マッケナは、刑務所へ護送中の脛に傷のある兵士たちと共に立ち上がる・・・

 

以下は、余りにも不可解な点のいくつかを書き出したものなので、これから映画本編を存分に楽しみたいと思っている方は読まない方がよいかもしれない。

 

まず言っておかねばならないのは、この映画の登場人物たちの思考や発言、行動をまともに理解しようとしてはいけない、ということである。なぜ生きたプレデターのサンプルをあれほど無造作に扱うのか。『ライフ』における“カルヴィン”の如く扱われてしかるべきではないのか。なぜプレデターの装備品を強化ガラスでも何でもない、ただのガラスケースに入れて展示しているのか。なぜ女性生物学者のケイシー(オリビア・マン)がララ・クロフトばりの体術を披露してプレデターを追跡するのか。なぜ自国の戦闘機が撃墜されているというのに、米軍は本腰を入れてプレデター掃討に乗り出さないのか。なぜ警察や軍は真っ先に張り込むべきクインの自宅に張り込まなかったのか。なぜクインの仲間たちは車を手に入れろと言われて、絶対に盗んではいけないコップ・カーを盗んでくるのか。なぜローリーが、全くの不運とはいえ、プレデター兵器で殺人を犯さねばならないのか。なぜケイシーは、いやしくも生物学者の端くれであるにも関わらず、異星生物の体液に何の抵抗もなく素手で触れてしまうのか。なぜケイシーは光学顕微鏡でプレデターの血液を覗いて、それが各種生物のハイブリッドであると分かるのか。そもそもプレデターのDNA、というか遺伝情報が書き込まれた生化学物質は光学顕微鏡で見えるサイズなのか。また、なぜ見たことがないはずの≪銀河系中の生物の遺伝情報≫を取りこんでいる、などと分析できてしまうのか。30年も研究していたなら、プレデターの装備の素材の強度などとっくの昔に分析済みだろう。なぜ通用しないと分かっている弾丸を撃ち続けるのか。徹甲弾ぐらい用意できなかったのか。またファーストはなぜスーツそのものを人類に託すのか。そこは設計図、もしくはプレデター側の情報だろう。

さらに本作の問題点は続く。どこかで見た構図が異様に多いのだ。ちょっと思い出せるだけでも『ミッション・インポッシブル』、『ターミネーター』および『ターミネーター2』、『エイリアン』および『エイリアン2』、『スタートレック』、『アイアンマン』、『インデペンデンス・デイ』および『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』などなど、Jovian以上のCinephileなら、おそらくもう20~30本は本作の先行作品というか、模倣の基になったお手本作品の名を挙げられるのではなかろうか。

オリジナルの『プレデター』が素晴らしかったのは、軍人ユニットに特有の緊張感のあるユーモア、サバイバルという共通の目的を暗黙のうちに理解し合ったチームワーク、そして戦士vs戦士へと昇華していく流れの良さだった。役者としてそこにいたはずのシェーン・ブラックにして、何故こんなクソのような続編を作れてしまうのか。本編中でやたらと「プレデターは言葉通りの意味のプレデターではない」みたいなことを何度もキャラクターに喋らせ、代わりに「エイリアン」を連呼させていたが、何か映画製作中に外部もしくはスポンサーから特別な注文でもついたのか。ここからさらに続編作る気満々のようだが、製作者を総入れ替えしない限り、同じようなクソ作品になることは火を見るよりも明らかである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, SFアクション, アメリカ, オリビア・マン, ジェイコブ・トレンブレイ, 監督:シェーン・ブラック, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『ザ・プレデター』 -製作者がアホだらけ=登場人物もアホだらけ-

『アイ、ロボット』 -近未来にあり得たかもしれない世界への警鐘-

Posted on 2018年8月22日2020年2月13日 by cool-jupiter

アイ、ロボット 45点

2018年8月13日 レンタルDVD観賞
出演:ウィル・スミス ブリジット・モイナハン ブルース・グリーンウッド アラン・テュディック
監督:アレックス・プロヤス

採点はあくまで現在の視点からによるもの。ある程度、アンフェアであることは意識している。AIの発展・発達が目覚ましく、一方で人型ロボットの開発は端緒についてから久しいものの、人間のような動きをすることができるロボットを生みだすことの難かしさばかりを研究者は思い知らされるばかりだと言う。技術の進歩は曲線的に、しかも我々に思い描いていたのとは異なる方向に進むのが常であるようだ。『2001年 宇宙の旅』が描いた世界は到来しなかったし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が描き出した2015年はやってこなかった。漫画『ドラえもん』や『火の鳥 生命編』を挙げるまでもなく、我々はロボットの到来と進化を予測していた。それは巨匠アイザック・アシモフにしても同じだったわけだが、ロボットという存在に対して我々は心のどこかに生理的な嫌悪感を抱くようにプログラムされているのかもしれない。いわゆる「不気味の谷現象」である。このことにいち早く気が付いていたクリエイターの一人にアレックス・ガーランド監督で、その作品の『エクス・マキナ』はまさに不気味の谷現象を我々に引き起こす。『ターミネーター』もこの系列の作品と呼んでも差し支えはなさそうだ。本作も同じで、スプーナー刑事(ウィル・スミス)も「何故こいつらに顔をつけた?」とカルヴィン博士(ブリジット・モイナハン)に問いながら、ロボットに発砲するシーンがある。観る者に嫌悪感を催させるシーンで、その嫌悪感は顔のあるロボットを破壊することから来るのではなく、中途半端に人間に似ているものが存在することから来るのだ。ゾンビがその好例だ。我々は死んでいるはずのものが動くから恐れるのではない。ゾンビという人間の姿かたちをしたものが、およそ人間らしさを感じさせない動きを見せるところに、我々は不安と恐怖を掻き立てられるのである。実際に、Jovianが本作で最も嫌悪感や恐怖感を催したシーンは、『BLAME!』の大量のセーフガードさながらに、人間の形をしたロボット群が昆虫のような動きで建物の外壁をよじ登るところであった。

本作の主題はロボット三原則であるが、その奥に潜むテーマは複雑多岐である。上に挙げたような手塚作品のビジョンもあれば、『ブレードランナー』にも通底する人間と非人間の境、人間と非人間の混じり合うところ、人間と非人間の交流もある。このような世界が数年というスパンで到来することは到底なさそうだが、ありうべき他の世界線として考えるならば、全ての優れたSFがそうであるように、思考実験の場と機会を提供してくれるものとしての価値は十分にあった。

難点はあまりにもCGのクオリティが低いこと。同時代に観賞する分には良かったのだろうが、それでも本作に先行して作られた『マイノリティ・リポート』の方が遥かに自然に近いCGが見られたことから、残念ながら減点が生じてしまう。

カルヴィン博士はアンセル・エルゴートとシャーリーズ・セロンを足して2で割ったような顔が印象的。そんなに映画は出てないのね。妙に存在感があって、良い女優さんだと思うので、もう少しスクリーンに出てきてほしいものである。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2000年代, D Rank, SFアクション, アメリカ, ウィル・スミス, 監督:アレックス・プロヤス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『アイ、ロボット』 -近未来にあり得たかもしれない世界への警鐘-

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