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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ミステリ

『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

Posted on 2020年6月22日2021年1月21日 by cool-jupiter
『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

水曜日が消えた 30点
2020年6月20日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:中村倫也 石橋菜津美 深川麻衣
監督:吉野耕平

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多重人格ものと記憶喪失もの、そしてタイムトラベルあるいはタイムパラドックスものは、たいてい始まりは抜群に面白い。その面白さをいかに維持するか、それが共通のテーマとなるが、それに成功した作品はごく少数である。本作はどうか。Fizzle outした。

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あらすじ

幼い頃の交通事故の影響で“僕”(中村倫也)は曜日ごとに異なる人格に入れ替わるようになってしまった。成長し、各人各様に生きるようになった“僕”だが、その中でも火曜日は掃除やゴミ捨てなど損な役回りを押し付けられていた。だが、ある日、目覚めてみると、水曜日だった。“水曜日”が消えて、“火曜日”が火曜と水曜を生きるようになったのだ。火曜日はいなくなった“水曜日”を不審に思いながらも、水曜日の生活を堪能するのだが・・・ 

ポジティブ・サイド

“火曜日”と深川麻衣とのロマンティックな関係が、平凡ながらも幸せの意味を実感させる良いシークエンスだった。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でなかなか売れない芸能人役がハマっていたように、元がアイドルとは思えない地味さが深川麻衣の魅力だ。褒めている。決してけなしてなどいない。実際に本人を目の前にしたとすれば、相当にキュートであろう。しかし、スクリーンで見ると地味なのだ。そのギャップが良いのである。

 

“僕”の友人を演じた石橋菜津美もなかなかに奥ゆかしい。ベリーショートで、体の曲線をまったく感じさせない服装で、言動もかなりの男前。その一方で、そうした態度はすべて“僕”への好意の裏返しであることがバレバレというとても分かりやすいキャラ。そんな人物が「じゃあ、深夜らしいことするか」というシーンは、「お?お色気シーンがあるのか?」と期待させてくれた。もちろん、そんなものはない。『 月極オトコトモダチ 』はやはりファンタジーだ。そういったサバサバ系女子の因果は、ちゃんと後半に明らかにされるし、そこにはそれなりの説得力がある。

 

“火曜日”が別の人格とコミュニケーションを取るシーンの演出はそれなりに斬新か。どこか初代『 グレムリン 』を思わせる深夜のルールも、序盤から中盤のサスペンスを効果的に盛り上げている。

 

ネガティブ・サイド

なんというか、プロットだけ見れば『 セブン・シスターズ 』と『 ジョナサン -ふたつの顔の男-   』を足して2で割ったようなストーリーである。つまり、オリジナリティが無い。他に類似作品としては新城カズマの小説『 サマー/タイム/トラベラー 』の某キャラや漫画『 嘘喰い 』の某キャラなどが挙げられる。とにかくキャラクター設定が陳腐だ。

 

また多重人格ものの定石として、物語の割と早い段階でそれぞれの人格がいかに異なり、独立したものであるのかをオーディエンスに明確に示す必要がある。観客の一定数は役者の演技力を堪能したいがために鑑賞しているからだ。そうした意味でも、本作の構成には不満が残る。『 スプリット 』のジェームズ・マカヴォイのレベルは別に求めない(そんなことができる役者は世界的にも40~50人しかいないと思われる)。しかし中村倫也の一人七役というのは過剰広告であった。実質的には一人二役で、それも正反対のキャラクター。こういうのは非常に演じ分けやすく、はっきり言って役者のポテンシャルをとことんまで引き出す演出にはなりにくい。スマホの録画機能で対話するシーンは現代的だが、それも『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』が似たようなことを先に行っている。スマホと対話するのではなく、スマホで録画するシーンを交互に映し出せなかったか。あるいは、スマホを右手に構えながらシームレスに人格同士が語り合うシーンは撮れなかったか。そこまでやらないのなら多重人格ものを撮る意味は薄い。

 

映像演出の面でも不満が残る。割れたサイドミラーに映る鳥が分裂していくのは、どう考えても『 スプリット 』のジャケットやポスターの二番煎じだし、そもそもそのシーンを繰り返し再生しすぎである。またキーとなる図書館が『 図書館戦争 』 のそれ。もっと別の図書館を探せなかったのか。同じ図書館を使うにしても、上方からの俯瞰のショットや、円周部分の書棚など、『 図書館戦争 』で飽きるほど見た構図である。もっと別の角度からのショットを監督や撮影監督は模索すべきでなかったか。

 

腑に落ちないのは、“火曜日”の態度。普通は“水曜日”が消えたら、第一に「自分も消えてしまうのではないか」という恐怖、第二に「他にも消えている曜日がいるのではないか」という疑念を抱くはずである。そうはならずに、いきなり未知の水曜日を楽しんでしまうところに、とんでもないご都合主義およびDIDへの無知と無理解を感じた。『 スプリット 』のカウンセリングシーンや『 ISOLA 多重人格少女 』を観ろ、そして原作小説『 十三番目の人格 ISOLA 』を読めと吉野耕平監督に強く言いたい。『 セブン・シスターズ 』も“月曜日”が姿をくらませたことで残りの曜日たちは大混乱に陥ったではないか(あちらは七つ子だが)。普通に考えれば10年単位で付き合いのある人間がいなくなれば困惑するだろう。あるいは、“水曜日”が水曜日を拒否したくなるような出来事があったのかと、水曜日に警戒することはあっても、ウキウキはしないだろう。七重人格という設定だけを先走らせて、人間というものが描けていない。

 

“僕”の面倒を看るべき医療関係者たちの目も節穴なのだろうか。脳への器質的なダメージでDIDを発症した、あるいは器質的なダメージの回復過程でDIDを発症したということは、“各曜日”との面談(カウンセリング)とメディカル・チェックが人格の独立あるいは統合という、いわゆる治療への道筋を立てるための大きなカギとなる。それを火曜日に“火曜日”相手にしか行っていない。アホなのだろうか。脚本および監督を務めた吉野耕平は、どこまで取材し、どこまで考察し、どこまで七重人格へリアリティを付与しようと努力したのか。おそらく満足にしていない。様々な先行作品の色々な要素をつまみ食いしただけの企画に予算とゴーサインを出した配給会社と制作委員会の罪である。ということは邦画という産業構造の罪でもある。勘弁してくれ。

 

メインキャスト以外の演技が総じて学芸会レベルである。特にきたろうと若い医者。これで出演料を受け取っていいと感じているのか。監督も何テイク撮ったのか。編集にどこまで関わったのか。どこまで現場で演出や演技指導をしたのか。せっかく昨今珍しい小説や漫画原作ではない邦画だというのに、この出来はあまりにも無残であり残念である。

 

総評

邦画のダメなところが凝縮されたような作品である。映画館が徐々に日常(withコロナだが)を取り戻しつつある中、割と楽しい気分で劇場に向かったのだが。これがTOHOシネマズ梅田のScreen 1というスクリーンの大きさと画質、そして音質に優れた劇場でなければ、もうマイナス5点したい。それぐらいの酷い出来である。某映画サイトなどで好評レビューが多いが、サクラだと思いたい。そうでなかれば映画ファンの劣化も甚だしい。というのはさすが言い過ぎか。はっきり言って中村倫也のファンでなければ、観る価値は極小である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get along

劇中で火曜日の言う「僕たち、仲良いんだよ」を英語にすれば、“We get along.”となるだろうか。A and B get along. = AとBは仲良くやっている、We get along = 僕たちは仲良くやっている、である。一定以上の世代の人間ならば“We can get along together.”と言えば通じるだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ミステリ, 中村倫也, 日本, 深川麻衣, 監督:吉野耕平, 石橋菜津美, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 水曜日が消えた 』 -竜頭蛇尾の邦画ミステリ-

『 ムゲンのi 』 -ジャンルミックス・ファンタジーの良作-

Posted on 2020年4月25日2021年1月8日 by cool-jupiter

ムゲンのi 75点
2020年4月19日~4月23日にかけて読了
著者:知念実希人
発行元:双葉社

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『 仮面病棟 』の知念実希人の単行本上下二巻の大部の小説。こちらはイージー・リーディングとは程遠いズッシリとした手応えが得られる。なので、活字に慣れていない人には少々しんどいかもしれない。だが、活字を苦にしないならば、本作を巣ごもりのお供にするのも良いだろう。

 

あらすじ

医師の識名愛衣は、眠りから目覚めることがないというイレスという奇病の患者の治療にあたっていた。だが、霊能者だった祖母から力の使い方を授かった愛衣は“夢幻の世界”で自分の分身的存在であるククルと共に、イレス患者の魂を救うマブイグミを行っていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

海堂尊の作品のような外科医一辺倒の医学ミステリや医学サスペンスではなく、純粋なファンタジーというのは、それだけで貴重である。そして本書の価値は、その希少価値ゆえではなく、その面白さによって高められている。

 

本書の面白さとは、第一にその壮大なる世界観である。フロイト的な個人の深層にある無意識世界、まさに夢幻の領域を探索するストーリーといえば真っ先に『 インセプション 』が思い浮かぶ。だが、本書が描写する夢幻の世界には、それこそ明晰夢のような臨場感と迫真性がある。『 インセプション 』は夢と現実の境目をどんどんと曖昧にしていったが、本書は逆である。夢幻の世界は、対象のイレス患者のトラウマ体験が極端に肥大化して存在する世界なのである。現実に絶対にありえないような世界の在り様は、そのままイレス患者の心の傷の深さの象徴なのである。非現実がますます非現実になっていく。それは、悪夢という名の現実に苛まれていることの証なのである。それを救うための旅路のお供がウサギ耳の猫というのがいい。我々は猫耳やウサ耳という属性には結構慣れている。しかし、猫にウサギの耳をくっつけるという発想は非凡だと感じる。Jovianと同世代である知念実希人、恐るべしである。

 

夢幻の世界に引きこもってしまったイレス患者たちの現実体験も非常に過酷で苛烈だ。特に父がパイロットだった女子高生と、人権派の弁護士に秘められた非常に悲しく苦しい物語は、読者の心に確かな爪痕を残すことだろう。特に後者は『 黒い司法 0%からの奇跡 』をひっくり返したような、何とも後味の悪い話だ。上巻は『 友罪 』と同じ、あいつは少年Xなのか、という疑惑で締めくくられる。Jovianや知念実希人の数歳年下である、あの少年Xがモデルであることは疑いようがない。現実に起きたあまりにも非現実的な事件をも効果的なガジェットとして使うことの意味は、終盤に分かってくる。なるほど、これは一種の『 HELLO WORLD 』なのだ。こうした構造の小説はそれほど珍しくはないが、読む側をもこのような形で包み込んでくるような物語はそれほど多くない。なんとなく映画にもなったミヒャエル・エンデの小説『 はてしない物語 』を彷彿させてくれる。

 

本作には、一種の叙述トリックも仕込まれている。種明かしされてみれば、確かにそうだった・・・と納得できるクオリティ。綾辻行人の『 Another 』や山本弘の『 詩羽のいる街 』を読んだ時に近い驚きを覚えた。下巻も3分の2まで読み進めれば、もうページを繰る手を止めることは不可能。毎日少しずつ読むのもアリだが、下巻も半分を過ぎたら、残りは翌日が休日となる日までとっておこう。ぐいぐい読ませるし、そしてベタではあるが感動的なフィナーレが待っている。

 

ネガティブ・サイド

犯人(という表現が適切かどうかはさておき)が、あまりにもあからさま過ぎる。いわゆる、いちばん犯人っぽくなさそうな人物が実は・・・というお約束は本作でもしっかり守られている。ミステリ愛好家は読む前にあれこれと考えたり、あるいは「コイツが犯人だな」と序盤で当たりをつけて読み始める習性がある。是非そうした読み方をしてほしい。案外簡単に犯人を当てられることだろう。もう少しひねりやミスリーディングさせる仕掛けが欲しかった。

 

最終盤手前のククルの言動がいかにもクリシェである。「まあ、多分そんなことにはならないと思うけど」というのは、「100%そうなるよ」の意味であることを、我々は熟知している。このあたりの定番の台詞や展開を外して、もっと悲壮感ある展開を生み出せなかったのかと、少々残念に感じる。

 

総評

ミステリであり、サスペンスであり、ファンタジーである。そのどれもがハイレベルにまとまったジャンルMIXの快作である。読み終わった瞬間に、初回では全く意味不明だった上巻の冒頭を読みたくなる。まるでジェームズ・P・ホーガンの『 星を継ぐ者 』や高畑京一郎の『 タイム・リープ あしたはきのう 』のような読後感である。ムゲンとは無限であり夢幻である。iは愛、英語の一人称のI、主人公の名前である愛衣である。アイを含むタイトルの小説としては、山本弘の『 アイの物語 』に次ぐ面白さだと感じた。活字嫌いにも、1か月かけて読んでほしいと思える。読みごたえは保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m in the pink.

「絶好調だよ」というセリフの私訳。しばしば、be in the pink of healthという形で使われる。実際には「絶好調だよ、腰から上は」というセリフで、後半を英語にするなら、from my waist upとなるだろうか。これは、I’m paralyzed from my waist down.の裏返しである。元強豪ボクサー、ポール・ウィリアムスを思い出す。

 

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, B Rank, ファンタジー, ミステリ, 日本, 発行元:双葉社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 ムゲンのi 』 -ジャンルミックス・ファンタジーの良作-

『 エンドレス 繰り返される悪夢 』 -韓流タイム・ループの佳作-

Posted on 2020年4月13日2020年9月20日 by cool-jupiter

エンドレス 繰り返される悪夢 65点
2020年4月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ミョンミン ピョン・ヨハン チョ・ウニョン
監督:チョ・ソンホ

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COVID-19の感染爆発の重大局面(というかすでに爆発してるでしょ・・・)により映画館はどこも休業。仕方がない。家のテレビでDVDやAmazon Prime Videoを観るしかないのである。家ではどうしても他に気を取られることがある。なので、軽めのシチュエーション・スリラーでも観るか、と本作を借りてきた。

 

あらすじ

外国帰りの心臓血管外科医のジュニョン(キム・ミョンミン)は娘との待ち合わせ場所に急いでいた。しかし、娘は交通事故により死亡。次の瞬間、ジュニョンはソウル到着前の機上の人に戻っていた。再び、娘の元に向かうジュニョンだが、やはり娘は死んでしまう。ループするたびに何とか手を尽くすがジュニョンはどうしても娘を助けられない。だが、そこのもう一人ループしている男、ミンチョル(ピョン・ヨハン)も加わり・・・

 

ポジティブ・サイド 

タイムループものは、タイムトラベルものや記憶喪失ものと並んで、出だしの面白さが保証されているジャンルである。ただし、話のオチをつけるのが難しい。その意味では、本作はかなり健闘している。『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』と同じような展開、つまりだんだんと主人公がタイムループ現象を理解し、理詰めで少しずつ状況を打開していく流れは、説得力がある。

 

序盤のジュニョンの試行錯誤が、観る側が「ここで、こうしてみたら?」というアイデアとかなり一致するのは非常に心地いい。観ていてストレスになるようなアホな行動をジュニョンがとらないのもポイントが高い。成功しないと分かっていても、ジュニョンを応援したくなるのだ。チョ・ソンホ監督、なかなかの手練れである。

 

謎解き要素だけではなく、適度なアクションやカーチェイスもあり、単純に画面を眺めているだけでもそこそこ楽しめる。またネタバレを極力避けて書くが、本作を動かしていく三人の男たちの熱演は、相当数の男性の共感を得ることだろう。ある者は父親として、ある者は夫として、またある者は高い倫理観を備えたプロフェッショナルとして、彼らの物語を見つめるだろう。ヒューマンドラマとしても、一定の水準に達している。

 

ネガティブ・サイド

タイムループ現象に関して論理的な説明を求める向きには不適な作品である。例えば小林泰三の短編『 酔歩する男 』を読んで、「ふざけるな!」と憤慨するようなSFファンは決して本作を観るべきではない。

 

また一部のキャラクターが常軌を逸した行動をとり続けるが、そうした行動の過激さに眉をひそめるような向きにもお勧めはできない。というか、エクストリームさが特色の韓国映画全般に当てはまることだが、大袈裟な事柄を「大袈裟すぎる」として、現実的・理性的な描写を求めるのはお門違いである。

 

結構なゴア(血みどろ)の描写もあるので、耐性のない人は注意のこと。

 

総評

凡百のタイムループものかと思いきや、意外な掘り出し物である。『 殺人の告白 』からアクションシーンを極力減らして日本風に料理した『 22年目の告白 -私が殺人犯です- 』ように、邦画界にはぜひ本作のリメイクにトライしてほしい。その時は『 ブラインド 』を見事に換骨奪胎して『 見えない目撃者 』を作り上げた森純一監督にメガホンを託したい。コロナで引きこもるなら、本作をウォッチ・リストに加えられたし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ネガ

韓国語で「私が」「僕が」の意味である。韓流ドラマや韓国映画でしょっちゅう聞こえてくるのでご存じの方も多いことだろう。「ネガ+動詞」のパターンを身に着ければ、動詞のボキャブラリーを増やすだけで表現力も増す。語学学習の王道は、一定のパターンに一つずつ習熟していくことである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, キム・ミョンミン, サスペンス, スリラー, チョ・ウニョン, ピョン・ヨハン, ミステリ, 監督:チョ・ソンホ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 エンドレス 繰り返される悪夢 』 -韓流タイム・ループの佳作-

『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

Posted on 2020年3月17日2020年9月26日 by cool-jupiter

殺人の追憶 80点
2020年3月15日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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シネマート心斎橋がポン・ジュノ特集を再開してくれたおかげで、本作を劇場鑑賞することができた。ポン・ジュノは異才・異能の持ち主である。人間の内面をこれほど透徹した目で見つめられるのは、映画監督というよりも哲学者、芸術家気質だからではないだろうか。

 

あらすじ

時は1986年、場所はソウルのはずれの田舎町。同じ手口による女性の連続殺人事件が起こる。捜査を担当するパク刑事(ソン・ガンホ)は、ソウル市内から派遣されてきたソ・テユン刑事と対立しながらも捜査を進めていく。だが、それでも殺人事件は起こり続け・・・

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ポジティブ・サイド

韓国映画のごく大雑把な特徴は、描写のリアリティとエネルギーである。特に暴力に関しては、全く逃げることなく容赦のない演出を繰り出してくる。ただ単にバイオレンスを映し出しているわけではない。一方が他方に無条件に暴力をふるうことができるのは、そこに力の不均衡があるからである。それは例えば警察という国家権力の後ろ盾を持った組織に属していることであったり、あるいは相手が知的障がい者であったりするからである。ポン・ジュノが本作(そして彼の作品に通底するテーマとして)を通じて描き出し批判するのは、暴力の発生を触媒する理不尽な社会的および心理的なメカニズムである。

 

そのことはソン・ガンホ演じるパク刑事とソ・テユン刑事のほとんどと言っていいほど噛み合わないコンビネーションによって表現されている。根拠がまったくないにも関わらず観相術の達人を自称するパク刑事は、初対面のソ・テユン刑事に勘違いからドロップキックを浴びせ、しこたまパンチも食らわせた。つまりは人を見る目もなく、人の話も聞かないダメ警察官である。一方でソ・テユン刑事は冷静沈着かつ理知的で、「書類は嘘をつかない」を信条に、科学的に、理性的に捜査を進めていく。模範的な刑事と言えよう。だが、ある時点から、この二人の属性のバランスが逆転していく。どんどんと冷静になっていくパク刑事、どんどんと理性を失い暴力に走り出すソン刑事という具合に。その過程が、お互いの捜査の進捗によって可視化されている点が非常にユニークだ。特にパク刑事は「犯人には陰毛が生えていない」という仮説に基づいて、銭湯をはしごする様は滑稽である。だが本人はいたって真面目なのだ。同時に、老若男女に丁寧に聞き込みをし、ほんのわずかな手がかりも逃さず、着実に事件の真相に迫っていくソ刑事は、まっとうな捜査を進めていくほどに暴力への衝動に抗えなくなっていく。この対比が実によく描けている。暴力を食い止めるために暴力が必要なのか。暴力を食い止めるためには非暴力をもってせねばならないのか。ポン・ジュノが投げかける問いに答えは出せない。

 

本作は映画の技法の面でも粋を凝らしている。特に冒頭、現場保全をしようと大声で周囲に注意しまくるパク刑事のロングのワンカットや、スナックでの口論から所長の嘔吐までのワンカットが印象的だ。また、犯人と思しき男との路地裏の追跡劇、そして犬の遠吠えまでのサスペンスあふれるシークエンスは岩代太郎の音楽の力も大きい。犯行がしばしば灯火管制の夜に行われるというのも興味深い。町の暗さに感化されて、人間の内面の闇が暴れだすのか、それとも人が住居にこもるのをチャンスとばかりに犯行に走るのか。

 

ミステリ作品としても秀逸。日本語とも共通する韓国語のとある言語的特性を巧みに使った伏線は見事(Jovian嫁は即座に見破っていたようだが・・・)。被疑者の身体的な特徴と犯行に使われた道具との間の矛盾を的確に指摘するソ刑事の味がいい。また、とある条件のそろった日に殺人を重ねるというのは映画『 ミュージアム 』の元ネタになったのではないかとも感じた。

 

最後の最後にソン・ガンホが見せる表情。すべてはこれに尽きる。後悔に驚愕、そして疑惑と確信を両立させる渾身の顔面の演技である。これによって我々はパク刑事やソ刑事の経験した内面の変化、すなわち暴力衝動が劇中のキャラクターたちだけのものではなく、自身の内面に潜む闇として確かに存在するものであるという真実を突きつけられるのである。このような形で第四の壁を突き破って来るとは、ポン・ジュノというのはつくづく稀有なクリエイターである。

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ネガティブ・サイド

ソ刑事が寝落ちしてしまうシーン、そしてその後に車のエンジンがかからずに、被疑者を乗せたバスを追跡できなかったというシーンが、かなりご都合主義的に見えた。交代制で見張っている言われていたし、刑事は基本的に単独行動はしないものだ。車のエンジンがかからないというのも、それ以前になんらかのそうした前振りとなる描写が必要だった。

 

犯行のパターンが解析できたところで、なぜラジオ局に働きかけないのか。特定の手紙を受け取ったら警察に連絡するように言えるはずだ。Jovianが警察署長あるいは担当の刑事なら絶対にそうする。頭脳明晰なソ・テユンの考えがそこに至らなかったというのは少々信じがたい。

 

最後に、チョ刑事の足はどうなった?

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』以上、『 母なる証明 』に並ぶ大傑作である。重ねてシネマート心斎橋に感謝。劇場支配人の鑑賞眼の鋭さと商売人として機を見るに敏なところ、その両方のおかげで本作を大スクリーンで鑑賞できた。このレベルの邦画は、黒澤明とは言わないまでも小津安二郎まで遡らなくてはならないのではないか。邦画は10年前の時点で既に韓国映画に抜かれていたようである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チョンマリヤ?

「本当か?」の意である。これも劇中で何度も出てくるので、把握しやすい。チョンマル=本当、となるようだ。関西弁の「ホンマ」と音がそっくりである。ヤというのは中国語・漢文で言うところの「也」だろう。これをつけて語尾をrising toneにすれば疑問文の出来上がりである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, ヒューマンドラマ, ミステリ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:シネカノン, 韓国Leave a Comment on 『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』 -完全にネタ切れ-

Posted on 2020年3月10日2020年9月26日 by cool-jupiter

スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 40点
2020年3月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:千葉雄大 成田凌 白石麻衣
監督:中田秀夫

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前作『 スマホを落としただけなのに 』の続編。前作はスマホという文明の利器の闇を描いたという点では意欲的な作品だったが、本作はただのハッキング+シリアル・キラーもの。それも先行する作品のおいしいところばかりを頂戴して、ダメな料理を作ってしまった。

 

あらすじ

刑事の加賀谷(千葉雄大)が天才ハッカーにしてシリアル・キラーの浦野(成田凌)を逮捕して数か月後。浦野が死体を埋めていた山中から新たな死体が発見される。浦野は加賀谷に「それはカリスマ的なブラック・ハッカー、Mの仕業ですよ」と語る。時を同じくして、加賀谷の恋人である美乃里(白石麻衣)に魔の手が忍び寄っていく・・・

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ポジティブ・サイド

千葉雄大が前作に引き続き好演。闇を秘めたキャラであると見ていたが、それなりに納得のいくバックグラウンドを持っていた。こういうところでも、日本は律義にアメリカに20年遅れている。しかし、こうしたことがリアルに感じられるのも現代ならではである。最近、自動相談所が小学生女児を親の元に帰してしまったことで悲劇が起きたが、こうしたことは実は全国津々浦々で起こってきたのではないか、そして見過ごされてきたのではないか。そうした我々の疑念が、加賀谷という刑事の背景に逆に説得力を持たせている。

 

白石麻衣、サービスショットをありがとう。

 

役者陣では、成田凌の怪演に尽きる。まあ、ハンニバル・レクターもどき、もといハンニバル・レクター的アドバイザーを体現しようとしているのは十分に伝わってきた。犯罪を楽しむ、いわゆる愉快犯ではなく、社会的な規範にそもそも収まらない異常者のオーラは前作に引き続き健在だった。千葉と成田(というと地名みたいだが)のファンならば、劇場鑑賞もありだろう。

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ネガティブ・サイド

何というか、ありとあらゆる先行作品を渉猟しまくり、あれやこれやの要素をパッチワークのようにつなぎ合わせたかのような作品という印象を受けた。『 羊たちの沈黙 』のハンニバル・レクターとスターリング捜査官の関係、『 トップガン 』のマーヴェリックの入隊理由、『 ハリー・ポッターと賢者の石 』のスネイプ先生など、さらには高畑京一郎の小説『 クリス・クロス 混沌の魔王 』および『 タイム・リープ あしたはきのう 』の「あとがきがわりに」に登場する江崎新一など、メインキャストの二人、千葉と成田を評すにはクリシェ以外の言葉がなかなか見当たらない。千葉は童顔とのギャップで、成田は持ち前の演技力でなんとかこれらの手あかのつきまくった設定を抑え込もうとしたが、残念ながら成功しなかった。作品全体を通じて感じたのは、スリルでもサスペンスでもなく退屈さである。

 

凶悪な犯罪者が野に放たれたままであるという可能性が高い。そいつを捕まえんと警察も全身全霊で奮闘するが及ばない。獄中の天才犯罪者の力をやむなく借りるしかないのか・・・ こうした描写があればストーリーに説得力も生まれる。だが、本作における警察はアホと無能の集団である。しかも、そうした設定に意味はない。単に観る側にネットやスマホの技術的な解説や悪用方法を説明したいからだけにすぎない。この室長(?)キャラはただただ不愉快だった。無能でアホという点では、浦野の監視についた脳筋的ギャンブル男もどうかしている。浦野の食事に嫌がらせをするから不快なのではない。相手が大量殺人鬼であると分かっていながら油断をするからだ。というよりも、PCを使うのに支障がない程度に、浦野は両手両足は拘束されてしかるべきではないのか。ハンニバル・レクター博士並みというのは大げさだが、それぐらい警戒しなければならない相手のはずである。だいたい、なぜ監視が一人だけなのだ?現実の警察(富田林署除く)がこれを見たら、きっと頭を抱えることだろう(と一市民として信じている)。

 

浦野がMを追う手練手管はそれなりに興味深いものだったが、ブログ解説はいかがなものか。いや、ブログの中身ではなく、ブログ記事執筆者としての加賀谷の写真をいつどうやって撮影したのか。シリアスな事件の捜査中に、笑顔でPCに向かう写真を撮ったというのか。考えづらいことだ。それとも合成・生成なのか。また【 Mに告ぐ 】というメッセージをクリックさせるという罠にはめまいがした。そんなもの、M本人がクリックするわけないだろう。ダークウェブに潜み、あらゆるネット犯罪に精通するカリスマ的ブラックハッカーが聞いて呆れる。そもそも、こいつが怪しいですよというキャラクターをこれ見よがしに登場させるものだから、すれっからしの映画ファンやミステリファンならずとも、Mを名乗る者の正体は容易に分かってしまう。こういうのはもう、スネイプ先生に端を発するお定まりのキャラである。

 

他にも珍妙な日本語も目立った。脳筋ギャンブラーによる、ラーにアクセントを置く“ミラーリング”や、「とりあえずメール送った相手に注意勧告してください」(そこは注意喚起だろう・・・)など。撮影中、最悪でも編集中に誰も気付かないのだろうか?こんなやつらがサイバー犯罪を取り締まっているようでは、邦画の中での日本の夜明けは遠いと慨嘆させられる。

 

後はリアリティか。獄中生活が長い浦野が、毛根まで銀髪というのはどういうことなのか。最近の留置場は髪染めもOKなのだろうか。普通に黒髪でいいだろうに。

 

総評

ミステリやサスペンスものの小説や映画に馴染みがない人ならば、前作と併せて楽しめるのだろうか。ストーリーの根幹の部分は悪くないのだ。ネット社会、PC社会の闇というのは今後広がっていくのは間違いない。だが、そこに至るまでの過程に説得力がない。『 羊たちの沈黙 』とはそこが最大の違いである。続編作る気満々のようだが、原作者、脚本家、監督の三者で相当にプロットを練りこまないことには、さらなる駄作になることは目に見えている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

the most safest

劇中のダークウェブ侵入前にブラウザに上の表現を使った文章が現れていた。the most safestは、もちろん文法的には誤りである。the safestか、またはthe most safeとすべきだろう(後者のような形はどんどん受け入れられつつある eg. the most sharp, the most clearなど)。受援英語で the most 形・副 estと書けば間違いなく×を食らうが、実際にポロっとネイティブが使うことも多い表現である。Jovianの体感だと、the most awesomestという二重最上級が最もよく使われているように思う。受験や大学のエッセイ、ビジネスの場では使わないこと!

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, スリラー, ミステリ, 千葉雄大, 成田凌, 日本, 白石麻衣, 監督:中田秀夫, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』 -完全にネタ切れ-

『 仮面病棟 』 -面白さは小説 > 映画-

Posted on 2020年3月10日2020年9月26日 by cool-jupiter
『 仮面病棟 』 -面白さは小説 > 映画-

仮面病棟 45点
2020年3月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:坂口健太郎 永野芽郁
監督:木村ひさし

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小説『 仮面病棟 』の映画化である。小説=活字であれば上手く誤魔化せていた部分の粗が映像では目立ったという印象。さらに、映画化に際して加えたちょっとした改変が、リアリティを損なってしまっているシーンもある。脚本には原作者の知念実希人の名もあったが、彼が関与できたのはどの程度なのだろうか。

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あらすじ

速水(坂口健太郎)は、先輩医師の代打で急遽、当直医のバイトを引き受ける。だが、出向いた病院にピエロの仮面をかぶった銃を持つコンビニ強盗が押し入って、負傷した若い女性を治療しろと強要してきた。女性・川崎ひとみ(永野芽郁)をなんとか治療した速水だったが、ピエロは病院を立ち去らない。事態を打開しようとする速水だが、院長も看護師も病院そのものも、どこか不審な点ばかりでで・・・

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  • 以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

本作はミステリ風味の脱出系シチュエーション・スリラーに分類されるのだろうか。病院まるごとを一種の密室にして、そこに『 エスケープ・ルーム 』(近く観たい)と『 パニック・ルーム 』の要素を混ぜてきた。ミステリ要素がサスペンスを呼び、サスペンス要素がミステリを盛り上げる。原作小説の持っている面白さを損なうことなく映像化した点は、間違いなく加点対象である。

 

大根役者だと思っていた坂口健太郎が、いつの間にか普通の役者になっている。『 人魚の眠る家 』では、まだ少しぎこちなさがあったが、本作ではピエロに怯えながらも知力と胆力で堂々と渡り合う若い医師を見事に演じきった。坂口よ、3年間みっちり英語を勉強して英語圏の映画に出ることを目標にしてみないか?その気になったら、Jovianが学習プランを立てて、コーチングして、時々実際のレッスンも提供しようではないか。

 

Back on track. 小説にあった病院の秘密を、映画化に際してはさらにパワーアップ。社会的なメッセージを放り込んできた。小説の出版は2014年12月。当時と今とで、日本の何が異なったのか。一つには、経済格差がさらに進んだこと。一億総中流というのはもはや幻想にすぎない。ごく一部の富裕層(それを上級国民と言い換えても良いのかもしれない)と、マジョリティである中の下クラスの庶民、そして貧困層が固定化されつつあるのが日本のみならず、いわゆる先進国に共通する現象である。そうした中、若さや命をカネで買おうとする者が現れるのは、理の当然と言える。

 

松竹系の劇場だけだろうか。最近、頻繁にドナーカードのCMが予告編前に流れるが、なかなかに意味深で趣がある。『 AI崩壊 』も、AIが命の選別をしてしまうというプロットだったが、命の価値についての問題提起をフィクション、そしてエンターテインメントの形で行ったことには一定の意義を認めたい。

 

ネガティブ・サイド

銃創がいくらなんでも不自然すぎる。というか、服の上をほぼ真横から撃たれたというのに、服は一切損傷しておらず、腹に傷を負わせるとは、いったいどんな擦過射創なのだ。『 JFK 』で言及された“魔法の銃弾”なのか。

 

小説のレビューで期待交じりに書いた「映画化に際して、永野芽郁の下着姿が拝めるかもしれない」という部分は実現せず。なんじゃそりゃ・・・

 

もしもJovianが速水と同じ状況になったら、病院にあるカネを全てピエロに渡し、全員が二階に上がったところで階段の鉄格子を鎖と鍵で封印してもらい、なおかつピエロに一回のエレベーターにソファを突っ込んで(『 十二人の死にたい子どもたち 』

の仕掛けの一つ)、扉を閉められなくなる=他の階から一階に移動できなくなるようにするということを提案する(その上で院長が5階のエレベーターに同じ細工を施せばいい)。金目当てなら、乗ってくるだろう。この提案を飲まないのなら、それは目的がカネ以外にあるということになる。だが、普通に考えれば、互いが互いを隔離できる上のような提案が生まれなかったというのは、やや不自然にも感じられた。

 

セリフのつながりがおかしいところがある。ずばり、トレーラーの「あいつだけじゃない」の部分である。坂口演じる速水は、小説版では即座にピエロの仲間、もしくはピエロが二人いる可能性に思考を巡らせるが、映画の速水はさにあらず。なにやら頓珍漢な応答をする。あの状況で「あいつ」と言われて、それが誰を指すのか分からないというのは無理がある。説得力ゼロである。

 

ズバリ書いてしまうが、上のセリフを言う看護師もおかしい。普通は院長に言うだろう。もしくは速水に言うべきだ。なぜ永野に耳打ちするのか。いや、普段から羊しかいない牧場に、ふらりと狼がやってきたら絶対に警戒するだろう。ましてや女、それも同性。さらに勘が鋭い(はずの)看護師。一発で気が付かないとおかしい。活字では誤魔化せるだろうが、映像では無理だ。粗が目立ちすぎである。

 

警察の対応も間抜けの一言である。普通は監禁された人間の安否をまずは確認する。それはいい。だが次に確認すべきは位置だろう。犯人および人質が1階なら「はい」、2階なら「いえ」、3階なら「ええと、まあ」などと符丁を使ってやり取りすべきだ。元警察官のJovianの義父がこれを観たら、頭を抱えることだろう。また、SITも機動力が無さすぎるし、突入前に病院の間取りを確認したのかどうか怪しい挙動をする者もいる。なぜ特殊事件捜査係をことさらに無能に描くのか。

 

無能なのはマスコミも同じである。『 ホテル・ムンバイ 』でも米メディアがリアルタイムで軍の突入を報じたことで、ホテル内部のテロリストが一般人を殺傷するというシーンがあったが、同じことをここでも繰り返している。アホなリポーターがリアルタイムで警察の突入の様子をテレビで報じている。ご丁寧に、警察の配置なども丸見えの絶好のポジションを映している。マスコミは警察の味方なのか、ピエロの味方なのか。2020年1月に島根で立てこもり事件があったが、その時もマスコミは建物は遠くからだけ映し、警察官などは映り込まないように配慮していた。木村ひさし監督よ、リアリティというものを学んでくれ・・・

 

またラスト近くの絵が非常にシュールである。どうやって手術台に乗せたのだろうか。というか、一般人がオペ室に入れてしまうのは何故なのか。病院のセキュリティが緩すぎる。

 

記者会見での魂の叫びもシュールである。現実にこんなやつはいないだろうということ。そして、原作にあったロマンス要素を取っ払い、代わりに婚約者を交通事故で死なせてしまったという背景を速水にくっつけたのは悪いアイデアではなかった。だが、この映画版の背景と上述の叫び声が必ずしもリンクしない。原作通りに、患者に惚れる医師で良かった。その上で「生きてくれ!」と叫ぶのなら、まあ分からんでもない。医者が私的に告発するというのは、ダイヤモンド・プリンセス号に乗りこんだドクター岩田がやってくれた。そのおかげで、記者会見のくだりだけはそれなりに説得力があった。

 

総評

端的に言って、映画化失敗である。映画単独で観ればそれなりに面白いのかもしれないが、原作のスパッとした切れ味がなくなり、冗長性ばかりが目立つ作りになってしまった。1時間30分~1時間40分にまとめることもできたはずだ。原作を読んだ人なら、劇場鑑賞する意味はない。キャストに惹かれる、あるいは予告編に何かを感じたという人は劇場にどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

clown around

『 仮面病棟(小説) 』でも紹介したが、clown around=(道化師のごとく)ふざけた真似をする、の意である。トレーらーにもある「ふざけるな」というセリフはいかようにも訳しうるが、せっかくピエロが出ているのだから、それに絡めた訳をしてみた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, シチュエーション・スリラー, ミステリ, 坂口健太郎, 日本, 永野芽郁, 監督:木村ひさし, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 仮面病棟 』 -面白さは小説 > 映画-

『 グッドライアー 偽りのゲーム 』 -少々拍子抜けのミステリ-

Posted on 2020年3月1日2020年9月27日 by cool-jupiter

グッド・ライアー 偽りのゲーム 60点
2020年2月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:イアン・マッケラン ヘレン・ミレン
監督:ジム・コンドン

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イアン・マッケランとヘレン・ミレンの共演、そして競演。日本で言えば石橋蓮司と吉永小百合をダブルキャストするようなものか。このキャスティングだけでも観る価値はある。だが、キャスティング以上に見るものは残念ながらなかった。

 

あらすじ

ロイ(イアン・マッケラン)は年季の入った老齢の詐欺師。インターネットの出会い系サイトで知り合った未亡人のベティ(ヘレン・ミレン)の資産をそっくり頂戴してしまおうと画策していた。彼女の孫に手を焼きながらもベティの信頼を得ていくロイ。しかし、二人でドイツに旅行に行くことになったことから、事態は思わぬ方向へと動き出し・・・

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ポジティブ・サイド

イアン・マッケランほどになるとキャラクターをactingするのではなく、キャラクターをbeingする。そのような感想さえ抱く。この御仁はマグニートーのイメージが強いが、ガンダルフの白髭もパッと思い浮かぶ。善と悪、両方で象徴的な役を演じられるのはそれだけで名優の証拠である。本作でも好々爺然とした顔と冷酷無比で暴力に訴えることにも躊躇しない極悪人の顔の両方を瞬時に入れ替えて見せる。目と口角だけですべてを語り切れる男である。ジェームズ・マカヴォイの40年後は、こんな俳優なのだろう。

 

受けて立つヘレン・ミレンも素晴らしい。御年70歳であるが、高貴な気品に満ち溢れている。だが、『 クィーン 』で現英国女王エリザベス2世を演じる一方で、『 くるみ割り人形と秘密の王国 』のマザー・ジンジャーも好演するなど、その演技の幅の広さはイアン・マッケランに引けを取らない。その演技の何が素晴らしいかと言えば、未亡人の在り方をまさに体現しているところ。夫と死別したという不幸を背負いながらも、自分の人生は自分のもの。私は私として生きていくのだという楽天的とも必死とも言える決意を秘めた様は、古今東西の未亡人の鑑であろう。皆さんの周りにもきっといるだろう、とてつもない亭主関白の夫婦が。だが、そんな夫婦でも夫が先に逝くとどうなるか。残された妻は生き生きとするのである。いや、それは不謹慎だと言うなら、一度平日の昼間の大病院の外来を覗かれたし。多くの老人をそこに見ることができるだろう。そして男女比に目を凝らしてほしい。女性の方が多いことに気づくはずである。なぜなら、年老いた男は一人では病院には来れない。妻か、あるいは娘が90%の確率で付き添っている。一方で矍鑠たる女性たちを見よ。病院で一人で名前を呼ばれるのを待っているのはほぼ間違いなく女性である。そして、おしゃべりに花を咲かせるのも100%近く女性である。ヘレン・ミレンはそんな生き生きとした女性像を鮮やかに、しかし非常に貞淑に打ち出した。

 

何を言ってもネタバレをしてしまう恐れがあるため控えるが、演技合戦という意味では『 天才作家の妻 40年目の真実 』にも勝るだろう。『 2人のローマ教皇 』のアンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスの競演にも勝るとも劣らない。老練・熟練という言葉では足りない。極上の演技合戦を堪能するなら、本作で決まりである。

 

ネガティブ・サイド

トレイラーにあるように、好々爺の仮面をかぶった詐欺師が近付いてくるのを、資産家未亡人の孫が何とか食い止めようとするのだが・・・という煽り方で何か不都合があったのだろうか。制作国のアメリカでも、【 ヘレン・ミレンが“最強の悪女”に! 】、【 大人の騙し合い! 】などというアホな宣伝をしていたのだろうか。これでは原題の“The Good Liar”(単数形)が誰を指すのか、一目瞭然ではないか。何故に作品のミステリ要素を最初から減じてしまうような興ざめなことをやらかすのか。アホなのか。

 

本作は要するに『 太陽がいっぱい 』なのである。本来はポジティブな要素なのだろうが、なぜ舞台が2019年ではなく2009年なのか。Jovianは冒頭から疑問であった。だが、ある瞬間にピンと来てしまった。それはJovianの職業に少々関係がある。とにかく何を言ってもネタバレになってしまうから言えないのだが、Jovianは話のどんでん返し部分にかなり前に気づいてしまった。なので本作のミステリ部分、そこから生まれるサスペンスを味わうことができなかった。何のことか分からん、という人はJovianが毎回やっているワンポイントレッスンが何なのか、確認されたし。まあ、普通はこんなことは絶対に思い至らないだろうが、Jovianと同じ職業の人はある瞬間のロイのセリフに「ん?」となると思われる。フェアな伏線だったが、すれっからしの英会話スクール勤務のサラリーマン・シネファイルの目と耳はごまかせないのである。

 

本作で少々気になったのは監視カメラ。意味ありげにあるシーンでずーっと映っていたので、「ははーん、ロイは監視カメラの一つは上手く避けたが、これが後々効いてくるのだな」と思わせて、何もなかったところ。それだけならJovianの深読みしすぎで済む。しかし、この監視カメラ絡みの事件でロイが裁かれないのは不満であった。

 

総評

途中で真相が見えてしまうと、どんなに秀逸なミステリでも興ざめしてしまう。ただ、割と辛めの点数をつけているが、実際には70~75点は与えられるはず。なぜならJovian妻は真相を知って驚天動地という面持ちだったからである。演技を堪能しても良し、真相を見破ってやろうと意気込むも良し、きれいに騙されるのも良いだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

tiny

「とても小さい」の意である。ベティが心臓発作の程度を表して、このように言う。どれくらい小さいかというと、かのマイケル・ジョーダンが電撃引退後にバスケットボール復帰への可能性を問われ“Tiny tiny tiny tiny tiny tiny tiny tiny tiny.”とtinyを9回繰り返した。MJがその後、野球を経由したもののNBAに復帰したのは誰もが知るところである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, イアン・マッケラン, サスペンス, ヘレン・ミレン, ミステリ, 監督:ジム・コンドン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 グッドライアー 偽りのゲーム 』 -少々拍子抜けのミステリ-

『 母なる証明 』 -女は弱し、されど母は強し-

Posted on 2020年2月17日2020年9月27日 by cool-jupiter

母なる証明 90点
2020年2月16日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:キム・ヘジャ ウォンビン
監督:ポン・ジュノ

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『 スノーピアサー 』に続いて、シネマート心斎橋にて鑑賞。これも以前にWOWOWで観たんだったか。しかし、再度の鑑賞をしてみると違った風景が見えてくる。これが再鑑賞の面白いところ。

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あらすじ

軽度の知的障がいを持つトジュン(ウォンビン)は、近所の女子高生の殺害容疑で警察に逮捕されてしまった。母(キム・ヘジャ)は息子の無実を証明すべく、独りきりで事件を調査していくが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭のEstablishing Shotの美しさよ。乾いた空気の草原に木が一本だけ佇立している。その向こうには林があり、外界の視線からは完全に遮断されている。その場で踊り始める母の姿は『 ジョーカー 』のトイレでダンス・シーンを思い起こさせた。『 ジョジョ・ラビット 』のエルサの言葉を借りるまでもなく、ダンスとは自己表現である。無表情で踊る母の姿に、我々は虚無感と歓喜の両方を見出す。非常に美しく、そして示唆的なオープニングである。

 

母親が息子のために孤軍奮闘、奔走する様は『 ベン・イズ・バック 』のジュリア・ロバーツが神がかり的な演技を見せたが、本作のキム・ヘジャはそれに勝るとも劣らないパフォーマンスを披露してくれた。この母親、名前がない。いや、あるはずだが、それが劇中で呼ばれることは一切ない。名前が呼ばれないキャラクターは時々いる。『 用心棒 』の三船敏郎や『 荒野の用心棒 』、『 夕陽のガンマン 』、『 続・夕陽のガンマン 』のクリント・イーストウッドらがそれである。彼らにも名前はあるが、それらは便宜上のもので、そこに本質的な意味はない。「名は体を表す」と言うが、名が無い者は行動で体を表すしかない。その恐るべき行動力で、役立たずの警察や弁護士を振り切り、韓国社会の一種の闇に切り込んでいく。キム・ヘジャ演じる“母”が『 ベン・イズ・バック 』のジュリア・ロバーツに勝ると思われる点は、母なき者に涙を流すことができるところである。ジュリア・ロバーツは我が子ではない他人を容赦なく、躊躇なく地獄に落とすような真似をするが、この母は母親としての普遍的な情を持っている。それが良いか悪いかは別にして、「女は弱し、されは母は強し」を実現し、そして実践している。

 

本作は様々なシーンが伏線であり、重要な前振りとなっている。特に冒頭のダンス・シーンの直後の「血」は、単純ではあるが、強力な伏線である。ミステリ要素が強く、まるで邦画『 二重生活 』のようなシーンもある(というか、『 二重生活 』の一部シーンが本作にインスパイアされた可能性があると言うべきか)。非常に基本的なことであるが、伏線にはインパクトが必要で、ポン・ジュノ監督はそれを反復という形で表現する。本作における「血」に代表される一連のモチーフは、さりげなく、しかし周到に張り巡らされている。ミステリ愛好家も納得させうる構成になっていると感じる。

 

『 パラサイト 半地下の家族 』と同じく、本作も途中でトーンがガラリと変わる。ミステリ/サスペンスだったはずが、ある瞬間がホラーなのである。特にトジュンとアジョンの遭遇シーンの闇。闇とは不思議なもので、実体がない、単に光が欠如した空間であるにも関わらず、圧倒的な存在感を持つことがある。『 パラサイト 半地下の家族 』でも、壁の向こうには闇が広がっていた。同じく、懐中電灯に照らし出される老婆のシーンもホラーである。2019年に邦画は『 貞子 』を送り出し、訳の分からん老婆をガジェットとして配置するだけの一方で、韓国映画界はそのさらに10年前に、ホラー映画ではないのに並みのホラー映画以上に怖い演出を生み出している。いつも間にどうやってこのような差がついたのか。

 

ポン・ジュノ監督の特徴に中盤で映画の様相がガラッと変わるというものがあるが、同時にこの監督は自らの作品の随所に社会的なメッセージを込めてくるという特徴もある。10年以上前の映画なので同時代的なレビューはできないが、それでもトジュンや母が暮らす街がアーバン・スプロール化現象の先端部にあることは分かる。トジュンの悪友ジンテや廃品回収業者の男の住居などは、その最先端部だろう。まるで『 ボーダーライン 』のとあるメキシコの町のように、無秩序が支配する空間である。殺害された少女アジョンを巡る人間関係の混沌が、居住空間の混沌と不可思議なフラクタルを形成している。ポン・ジュノ監督の社会への透徹した眼差しを、ここに見て取ることができる。

 

『 ジョーカー 』に通じる(というか、『 ジョーカー 』が受け継いだ)ダンスで始まり、さらにダンスで終わるこのエンディングは、善悪の彼岸を超越した境地に母という存在があることを示しているかのようだ。夕陽に照らされ、踊り狂う数々の黒のシルエットを通じて見えてくるのは、個としての母ではなく、象徴としての母なのか。英語に“Like father, like son.”という諺があるが、“Like mother, like son.”とも言えそうである。母とは、子を産んでこそ母で、トジュンという、これまた善悪の彼岸にあるかのような、ある意味でとても純粋無垢な存在の無邪気さに、我々は怖気を震うのである。母はあの鍼で何を忘れようとし、そして忘れたのか。本作を観る者は、等しくその思考の陥穽に落ちることだろう。何と気持ち悪く、そして心地よい感覚であることか!

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ネガティブ・サイド

真相の描写がややアンフェアであると感じた。「あのシーン、実はこうだったんです」と後から言われても、納得しがたい。もっとボカした描写も追求できたのではないだろうか。

 

ジンテとミナのセックスシーンは眼福だったが、あれは母の位置から見たものだったのだろうか?カメラアングルを母の目線のそれに合わせれば、よりスリリングで背徳感のある絵が取れたと思うのだが。

 

トジュンの元同級生の刑事が、どこまでもうざったい。最後に「真犯人を捕まえた」と母に報告に来るシーンでも、普通ならもっと神妙になってしかるべきではないか。我が国の警察の人権意識や冤罪への注意の度合いはこんなに低いですよ、というポン・ジュノ監督のメッセージなのかもしれない。だが、シリアスさを増していくばかりの終盤の展開ではノイズのように感じられた。

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総評

これは大傑作である。『 パラサイト 半地下の家族 』よりも面白さでは上であると感じる。細部の記憶があいまいになった状態で再鑑賞したことで、ところどころでトジュン的な気分も味わうことができた。ポン・ジュノ監督は、そこまで計算して本作を作り上げたのだろうか。二度目に鑑賞することで、印象がガラリと変わる作品というのは稀にしか巡り合えない。本作は間違いなくその稀な一本である。

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Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン 

チンチャ

本当、の意である。劇中で何度か「チンチャ」と聞こえてきた。日本語と同じように形容詞や副詞として使われているのだろうか。最近の10代の間では「チンチャそれな」というような日韓チャンポンの言葉も使われているらしい。日本も「もったいない」、「カイゼン」に続く言葉の輸出に本腰を入れるべきだ。そのためには韓国に負けないような音楽やダンス、テレビドラマ、映画などのコンテンツを作り、世界に届ける仕組み作りが必要だ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, S Rank, ウォンビン, キム・ヘジャ, サスペンス, ヒューマンドラマ, ミステリ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 母なる証明 』 -女は弱し、されど母は強し-

『 9人の翻訳家 囚われたベストセラー 』 -犯人に思わず共感-

Posted on 2020年2月7日2020年9月27日 by cool-jupiter

9人の翻訳家 囚われたベストセラー 75点
2020年2月2日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ランベール・ウィルソン オルガ・キュリレンコ
監督:レジス・ロワンサル

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Jovianは子どもの頃は宇宙飛行士になりたかった。長じてからは翻訳家や通訳になりたいと考えるようになった。今は何故か英会話スクールで働いている。それでも翻訳家がテーマとなった作品となると、やはり食指が動く。そして本作は傑作だった。

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あらすじ

世界的なベストセラー小説『 デダリュス 』の完結編を翻訳するために、カテリーナ(オルガ・キュリレンコ)ら9人の翻訳家が外部との接触が断たれた豪邸に缶詰めにされた。彼ら彼女はそこで1日に20ページずつ翻訳をしていった。しかし、ある時、出版契約を持つ出版社の社長エリック・アングストローム(ランベール・ウィルソン)に「『 デダリュス 』の冒頭20ページをネットに流出させた。カネを払わないと、さらに流出させる」という脅迫が届く。いったい誰が原稿を流出させたのか・・・

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ポジティブ・サイド

『 アメリカン・アニマルズ 』+『 11人いる! 』+『 ア・フュー・グッド・メン 』=本作、というのがJovianの観終わった直後の印象である。序盤は少々だるい展開を見せるが、中盤以降から物語は一気に加速する。サスペンスを盛り上げるためには、こういう展開・構成が必要なのだ。『 AI崩壊 』と同日に観たので、なおさら強くそう感じた。

 

本作の事件の元となる『 デダリュス 』が覆面作家の手による作品という点が、物語の大きなスパイスになっている。覆面作家というのは、その作品が売れれば売れるほどに、その正体にも注目が集まるものである。そして翻訳家というのは、作家が著名であろうと無名であろうと、正体が分かっていようと不明であろうと、ほとんど常に黒子である。Jovianは翻訳家が池央耿というだけで古本屋で買ってしまった文庫がいくつかあるが、そんな購買行動をする人間はマイノリティも良いところだろう。池ほどの翻訳の手練れでも、アイザック・アシモフやジェームズ・P・ホーガンなど巨匠の名前に埋もれてしまう。それが翻訳家の悲哀である。本作は、そんな影の存在である翻訳家たちの、いわば心の中のドロドロを様々な形で吐き出す。その思いにJovianは強く共感を覚えた。

 

本作のスリルとサスペンスは、1)脅迫者は誰か、2)覆面作家の正体は誰か、3)原稿はどうやって流出したのか、などの疑問が深まっていくのに比例して、どんどんと高まっていく。これらの1)、2)、3)の絡まった謎が次々に解き明かされていく終盤の怒涛の展開は、文字通りに手に汗握るものである。ここでもJovianは犯人に強く共感した。Jovian自身、以前の会社の退職時に、職務著作の取り扱いその他に関して会社と少々トラブルを持ったからである(権利の帰属の問題ではない、念のため)。小説であれ教材であれ、創作物であるからには作った人間がいるのである。そして、作った者にしてみれば、作りだされた物は、大げさな言い方をすれば我が子にも等しいのである。あれこれと書きすぎるとネタバレをしてしまいそうである。一つ言えるのは、この犯人の犯行は一部の人の心を文字通りに鷲掴みにするだろうということだ。

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ネガティブ・サイド

エリックが脅迫に屈して、カネを捻出するために自らの持ち株を売却するが、それが本当にあっという間に売れてしまう。Jovianは株式取引のプロでも何でもないが、まとまった株を市場で一気に売却すれば、それだけでその銘柄の株が値崩れを起こすのではないだろうか。それに、買い手がないと売れないのは株でも何でも真理である。「売れ」と言った途端に大金が口座に転がり込んでくるというのは、少々現実離れしていた。

 

クルマをバンバン走らせるシークエンスがあるが、誰もバイクには乗れなかったのだろうか。『 ドラゴン・タトゥーの女 』ばりのバイク・アクションを魅せるチャンスだったと思うが。

 

劇中で断片的に『 デダリュス 』のプロットについて語られるが、全体的な構成や、前巻がどのようなクリフハンガーで終わったのかを、誰かに喋らせてくれても良かったと思う。

 

総評

多言語が飛び交うクライマックスの展開の緊張感は、近年の映画の中では出色である。また、どこか『 女神の見えざる手 』を思わせるエンディングは、続編の予感も漂わせている(実際に作るとなると、プリクェル=前日譚となるだろうが)。少人数を旨とするフランス産ミステリーにしては登場人物が多いが、それが全くストレスにならない。これだけ話を詰め込んで1時間45分というのは脚本と監督と編集の大いなる勝利だと言えるだろう。素晴らしい作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

nothing to lose and everything to gain

nothing to lose=失うものは何もない、というよく知られたフレーズだが、実際は have nothing to lose and everything to gain =失うものは何もなく、逆に何もかもが手に入る、というようにeverything to gainがくっついてくることも多い。“The challenger has nothing to lose and everything to gain in this fight.”のように、ボクシングなどで比較的よく聞こえてくる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, オルガ・キュリレンコ, サスペンス, フランス, ベルギー, ミステリ, ランベール・ウィルソン, 監督:レジス・ロワンサル, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 9人の翻訳家 囚われたベストセラー 』 -犯人に思わず共感-

『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

Posted on 2020年1月20日 by cool-jupiter

仮面病棟 65点
2020年1月19日に読了
著者:知念実希人
発行元:実業之日本社

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『 神のダイスを見上げて 』が結構読みやすかったので、本作(小説)も購入。現役医師が病棟を舞台に描くだけあって、臨場感もプロットの妙も、こちらの方がかなり上であると感じた。

 

あらすじ

外科医・速水秀悟は先輩の代打で当直バイトのため、田所病院に入った。その夜、ピエロの仮面をかぶった男が病院に押し入り、「この女を治せ」と腹部に銃創のある女性を連れてきた。ピエロは自らを金目当ての強盗だと言うが・・・

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ポジティブ・サイド

グイグイと引き込まれた。330ページ弱と、小説としては標準的な長さだが、2時間ちょうどで一気読みできた。帯の惹句の【 一気読み注意! 】という文言は本当である。

 

また医師が書いているだけあって、病棟の構造や患者の設定にリアリティがある。それも海堂尊の作品に共通して見られる、医師や医療従事者、官僚などが専門用語を使ったり、倫理観を戦わせたり、徹底した手洗いやオペの手技に悦に入っているような描写ではない。一般人にも十分に理解できるような語彙を使ったり、情景描写を行ったりしている。一方で、治療の場面などはスピード重視。専門的な語彙を存分に駆使しながらも、やはり海堂作品にやたらと見られる、ルー大柴的(日本語とカタカナ語のちゃんぽん)な言葉の使い方をしていないので、専門用語(数は多くない)も漢字から意味がスッと理解できたり、その後に続く動詞が平易であるので、何を行っているのかというイメージを脳内に描きやすい。なかなかの書き手である。

 

ジャンル分けすれば、ミステリ、サスペンス、シチュエーション・スリラーだろうか。この田所病院には「館」的な趣がある。そして、それは全く荒唐無稽ではない。おそらく本職の医師や看護師らコ・メディカルであれば、田所病院各階フロア図を見て何かに気づくことであろう。天狗になるわけではないが、Jovianも本文を読み始める前にピンときた。これは漫画『 おたんこナース 』のとあるエピソードから病院独特のシステムがあることを学んでいたからである。また同じく漫画『 スーパードクターK 』を読んだことがある人なら、とある闇のビジネスについてもピンとくるかもしれない。日本の社会構造が目に見える形で変わってきている今、こうした問題はいつか本当に起こるかもしれない。

 

数少ない登場人物、病院という閉鎖空間、時間にして一日足らず(実際は数日だが、事件そのものは一日足らず)という極めて短い時間でありながら、ミステリ要素も社会派要素も込められていた。小説の映画化ではないが、韓国映画『 ブラインド 』を日本式に換骨奪胎して成功させた『 見えない目撃者 』のような、ミステリとサスペンスの両方を貪欲に追求するような作品である。また、映画化に際して、永野芽郁の下着姿が拝めるかもしれない。これは知念実希人先生の隠れたグッジョブかもしれない。読むならば、次の日が休日の夜にすべきである。

 

ネガティブ・サイド

このピエロの犯人像には感心しない。詳しくは言及できないが、普通に考えれば速水よりも先に病院の構造上のある秘密に気がつくはずである(映画のトレイラーは盛大にネタバレを含んでいるので注意!)。また、ある程度大きな病院には地下に発電施設などがあることが多いが、この病院には地下室はない。うーむ。ストーリーが十分にアングラだからだろうか。

 

ひとつ不自然に感じたのは、あるキャラクターのある言動である。怪しいのはセリフそのものではなく、そのセリフを言う相手である。ヒントとしてあからさま過ぎる。

 

「もしかしたら・・・、いえ、先に確かめてきます」 

↓ 

死体として発見される 

 

のような現実世界では不自然極まりないがミステリ世界では全う至極な展開は構築できなかっただろうか。また、順番が前後するが、犯行の構造が『 神のダイスを見上げて 』とそっくりである。こちらを読んだ人なら、真相に一気に迫れるかもしれない。これは知念実希人の癖なのだろうか。

 

総評

あわよくばシリーズ化も狙えたかもしれないが、それをあっさりと放棄するエンディングは個人的に好感触であった。ダークヒーローというのは、マイノリティだからかっこいいのである。誰もかれもがダークヒーローになる必要はない。映画化に際しての不安材料は、トレイラーにある「国家の陰謀」なるナレーションである。そこまで話を大きくする必要はない。その点、小説版はコンパクトにまとまっている。映画はさらにもう一捻りを加えてくるのは間違いないと思われる。それが吉と出るか凶と出るかは分からない。吉3:凶7ぐらいの確率だろうか。非常にリーダビリティの高い作品なので、3月の映画公開前に一読をお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

clown

ピエロというのはフランス語で、英語では clown と言う。『 ジョーカー 』を思い浮かべてもらうのがちょうどいい。日本ではあまり見ない存在であるが、clown aroundという熟語は覚えておいて損はないかもしれない。「道化師のごとく、ふざけた真似をする」の意である。ただし、必ずしも顔をペイントしたり派手な衣装を身にまとったりする必要はない。飲み会などで同僚たちのバカ騒ぎが過ぎるときに、心の中でつぶやくとよいだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, シチュエーション・スリラー, ミステリ, 日本, 発行元:実業之日本社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

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