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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ホラー

『 マーターズ(2016) 』 -完全なる劣化リメイク-

Posted on 2020年3月28日 by cool-jupiter

マーターズ(2016) 20点
2020年3月26日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:ベイリー・ノーブル トローヤン・べリサリオ
監督:ケビン・ゴーツ マイケル・ゴーツ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200328002339j:plain
 

かの怪作『 マーターズ 』のアメリカ版劣化リメイクである。パスカル・ロジェの持つ生々しいビジュアルへの感覚と哲学・死生観といったものが、本作からはごっそり欠落している。

 

あらすじ

リュシーはかつての監禁のPTSDに悩まされながらも、アンナの介護によって回復していった。しかし15年後、リュシー(トローヤン・べリサリオ)は自分を監禁していた者たちを見つけてしまう。復讐心に駆られた彼女は、銃を手に取り、彼らのアジトに踏み込んでいく。しかし、それは監禁と拷問の幕開けだった・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianの嫁さんがハマっていたテレビドラマ『プリティ・リトル・ライアーズ 』のトローヤン・べリサリオは美人である。原作のモルジャーナ・アラウィに負けていない。

 

クライマックス手前のショベルのアクションシーンは良かった。原作にはない暴れっぷりと流血シーンで、ここだけはちょっと「お!」となった。

 

ネガティブ・サイド

悲しくなるくらいに何もかもがダメである。モンスターの幻影・幻覚も劣化、暴力描写も劣化、中盤のアンナとリュシーを巡る主役交代もなし、そして何とも知り切れトンボな幕切れ。ケビンとマイケルのゴーツ兄弟は、オリジナル作品から何を読み取ったのか。そして本作を通じで何がしたかったのか。

 

まずもってべリサリオが脱がないのは何故なのか。PLLでは、トップレスではなかったとはいえ、裸体の結構な部分を見せてくれていたではないか。いや、ヌードを見せろと言っているわけではない。人間の尊厳を失うような暴力描写がもっと必要なのではないかということだ。女性の裸に性的な魅力を認めるのではなく、むしろ逆に「女の命」である髪を情け容赦なく切っていくオリジナルの方が、はるかに迫力が感じられたし、すべてはある崇高な目的のためという、オリジナルにあったマドモアゼルたちの狂信性が、本作からはごっそりと抜け落ちていた。

 

原作でリュシーが見たビジョンも本作では再現されず。いや、別にダンテの『 神曲 』的なビジョンでなくてもよいのだ。監禁・拷問・虐待の果てに見出せる境地があるとすれば、それはとても禍々しいものか、その逆にひょっとしたら神々しいものなのかもしれない。そうしたビジョンの特徴を、観る側と共有できるような共通の記号あるいはガジェットとして、オリジナルはダンテの『 神曲 』的なイメージを効果的に使った。本作にはそれがない。裸でもない、髪を切られたわけでもない、生皮をはがされたわけでもないべリサリオが白目を剥いているだけ。拍子抜けもいいところである。

 

最後の最後もシラケる。オリジナルのambivalentでenigmaticな雰囲気が、文字通りの意味で吹っ飛ばされる。オリジナルでマドモアゼルはなぜ念入りに化粧をしていたのか。狂信的なまでの信念の持ち主とは思えない言葉を吐いたのは何故なのか。そうした謎をすべてぶっ飛ばす本作の終わり方には失望を禁じ得ない。

 

総評

90分をドブに捨てた気分である。COVID-19がオーバーシュートしそうなクリティカルなフェーズなため、シアターでムービーをウォッチすることにもためらいが生まれてしまう(小池百合子風)。オリジナルを観たら、本作を観る必要はない。逆に本作から観たという人は、絶対にパスカル・ロジェの『 マーターズ 』を観るべきだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You tell me.

本作の字幕では「見れば分かる」だったが、この訳も微妙である。本来は文字通りに「あなたが私に教えて」であるが、転じて「知らんがな」というような意味でも使われる。『 ベイビー・ドライバー 』で、ベイビーに予定を尋ねられたデボラが“You tell me.”と返していた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, トローヤン・べリサリオ, ベイリー・ノーブル, ホラー, 監督:ケビン・ゴーツ, 監督:マイケル・ゴーツ, 配給会社:AMGエンタテインメントLeave a Comment on 『 マーターズ(2016) 』 -完全なる劣化リメイク-

『 ミッドサマー 』 -不協和音的ホラー映画-

Posted on 2020年2月27日2020年9月26日 by cool-jupiter

ミッドサマー 50点
2020年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:フローレンス・ピュー
監督:アリ・アスター

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予告編の日本語ナレーションが【 明るいところが怖くなる 】と煽ってきたので、「お、変化球のホラーが来たか」と思っていたら、『 ヘレディタリー/継承 』のアリ・アスター監督作だった。なんとなくだが、この人は波長の合う人はばっちり合うのだろうが、合わない人はとことん合わないように思う。Jovianはあんまり合わないかな・・・

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あらすじ

女子大生のダニー(フローレンス・ピュー)は、双極性障害の妹がる発作的に両親を殺害し、自身も自殺してしまったことから天涯孤独になってしまった。頼れるのはボーイフレンドのクリスチャンだけ。だが彼もダニーとの別れを考えていた。しかし、独りきりになってしまったダニーに別れを告げられない。そんな中、クリスチャンはダニーと距離を取るべく人類学の論文の調査のために、留学生の友人ペレの地元、スウェーデンの夏至祭に仲間と赴くことにする。だが結局はダニーも同行してしまう。その先には奇妙なコミューンが待ち受けているとも知らず・・・

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ポジティブ・サイド

何とも不穏な始まり方である。妹から奇妙な連絡が来たことを極度に不安がり、ボーイフレンドにヒステリックなまでに電話し続ける痛い女、ダニー。彼氏であるクリスチャンに粘着し、彼の「ごめん」の一言にも「謝ってほしいわけじゃない」と返す会話の無限ループ。さらには旅先にまで無理やりついて行くストーカー気質。映画文法に沿ったキャラではなく、極めてリアルなキャラなのである。つまり、ホラー映画もしくはラブコメに出てきそうなキャラではなく、実在するアッパーかつダウナー系の女子大生っぽさを醸し出している。主人公の女性が典型的映画キャラではないことが、今作にリアリティを与えている。

 

スウェーデン(実際はハンガリーらしいが)に作られた撮影用のコミューンも素晴らしい。このプロダクション・デザインは、ホラー映画としては異例の美しさである。陽の光が燦々と降り注ぐ自然に満ち溢れた村のかしこに見られる性的なアートやオブジェが、それゆえに際立って異様に映る。この神経にぞわぞわと来る感じがいい。明と暗のコントラストがあるが、この不快感に近い恐怖感はジョーダン・ピール監督の『 ゲット・アウト 』や『 アス 』に近いと感じた。こけおどしのジャンプ・スケアではなく、観る側が期待する恐怖感。それが本作にはある。

 

クライマックスのシュールさは近年稀に見るレベルである。詳しくは観てもらうしかないが、性的なオブジェに対して我々が抱くポジティブな感情・感覚とネガティブな感情・感覚がごちゃまぜにされる。その不快感たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。この混乱に近い感覚は、新時代のホラー映画のひとつの基軸になるかもしれない。理不尽な怪異ではなく、理解できそうで理解できない不条理。『 ヘレディタリー/継承 』とは異なるテイストのホラー映画である。

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ネガティブ・サイド

以下にJovianが本作鑑賞中および鑑賞後にパッと思い起こした作品をいくつか挙げる。

 

『 タイタス 』
『 グリーン・インフェルノ 』
『 ウィッカーマン(1973) 』
『 ウィッカーマン(2006) 』
『 レクイエム・フォー・ドリーム 』

 

他にも色々と先行作品はあるのだろうが、普通にこれだけ思い浮かぶ。つまり、ストーリーとしてはそれだけ陳腐である。本作の面白さの肝は、ストーリーの見せ方であって、ストーリー展開そのものではない。ここにもう一工夫、あるいはもう一捻りがあれば、もっと高い評価を与えることができたのだが。

 

ゴア描写も『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』の二番煎じだった。人体破壊を売りする安易なホラーと本作は一線を画すものだが、ここでもやはりオリジナリティの欠如が惜しまれる。

 

いくつか不可解に思えることもある。なぜ夏至祭は90年に一度なのか。人生を18年ごとに四季のように区切るのならば、72年に一度ではないのか?

 

夜中(といっても白夜なのだが)にしきりに聞こえる赤ん坊の泣き声が不快感をいやでも増幅してくるが、いったい何歳なのか。普通に考えれば夏至祭は4~5年に一回はやっているだろう。人類学・民俗学的に90年に一度のお祭りというのは考えづらい。『 凛 りん 』の“100年に一度”と同じで、信ぴょう性はゼロである。人類学の学徒であるクリスチャンやその友人が、このように思い至らないことが、宗教学専攻だったJovianにとっては全く腑に落ちない。

 

最も不満なのはドラッグの使い方である。『 レクイエム・フォー・ドリーム 』や、あるいは邦画では『 クリーピー 偽りの隣人 』など、ドラッグでトリップしたのでゴニョゴニョというのは個人的には受け入れがたい。これもまた二番煎じであるが、『 ジョーカー 』のように、抗うつ薬の効き目が弱くなった時のダニーが本当のダニーの姿である、というような描写をもっとクリアな形で序盤に入れておくべきだった。

 

また、ダニーの妹の死および両親との心中が双極性障害だったからというのにも説得力がない。というか配慮がない。躁状態であれ鬱状態であれ、それをはっきりと言明してしまうと、現実世界で双極性障害や鬱病、躁病に苦しむ人々があらぬ疑いをかけられてしまう。だからこそ、例えば『 四月は君の嘘 』や『 3D彼女 リアルガール 』では、病名が明かされないのである。

 

最も盛り下がったのは、とある動物が描写された瞬間である。上で挙げた作品の一つには、とんでもないギャグシーン(としか思えない)を含む作品があるが、まさかそれをここでも繰り返すとはゆめにも思わなかった。何度でもいうが、オリジナリティが欲しいのである。

 

総評

嫌ミス的なテイストの作品を好む向きにはぜひおすすめしたい。『 ヘレディタリー/継承 』と波長が合わないと感じた人も、本作は一度試しに見てみるのも一興である。ただし、カップルで鑑賞する際はタイミングに注意を要する。コミューンの住人との虚々実々のミステリに興味がある向きは、奥泉光の小説『 葦と百合 』を読もう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Problem solved.

「問題が解決された」の意である。冠詞やbe動詞は不要である。これはこういう決まり文句なのである。会議でトラブルの解決法が示され、実際にそれで解決の見通しが立った、あるいは解決された時に“Problem solved”とつぶやこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, フローレンス・ピュー, ホラー, 監督:アリ・アスター, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ミッドサマー 』 -不協和音的ホラー映画-

『 犬鳴村 』 -ジャパネスク・ホラー終了のお知らせ-

Posted on 2020年2月8日2020年9月27日 by cool-jupiter

犬鳴村 20点
2020年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:三吉彩花
監督:清水崇

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『 ブライトバーン 恐怖の拡散者 』がクソ駄作だったので、思わず『 シライサン 』と本作に過度な期待を抱いてしまっていた。『 シライサン 』はそれなりに楽しめるところもあったが、本作はもう駄目である。何度も寝そうになったし、いっそのこと途中で席を立とうかと思ったのも1度や2度ではない。令和の訪れと共にやって来た『 貞子 』は、ジャパネスク・ホラーの黄昏だった。そして本作によってジャパネスク・ホラーは終焉したのかもしれない。

 

あらすじ

森田奏(三吉彩花)の兄・悠真とその恋人・明菜が、地図から消された「犬鳴村」に行ってきた。そして明菜が怪死した。そして奏の周囲で次々と怪異が起こる。いったい「犬鳴村」とは何なのか、どこにあるのか。そこで何が起きて、地図から消されてしまったのか・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭はなかなかに不気味な感じを漂わせている。アホなYouTuberが体を張っていると思えば、それなりにリアリティもある。このYouTuberの死にっぷりはなかなかである。そこだけは評価したい。

 

また終盤の手前で、白いシャツを着た三吉の上半身をスクリーンにするという構図はなかなか面白いと感じた。犬鳴村と奏の関係を、視覚的に見事に表現できていた。

 

全体的に坂東真砂子の小説『 狗神 』に通じるものがある。霧がけぶる山々を見ると、特にそう感じる。同小説の映画化作品である『 狗神 』は、最後の最後で小説にある重要なシーンを削ってしまったが、本作はある意味で清水崇流に『 狗神 』を脱・構築してから再構築しものであると言える。それが成功しているかはさておき、その試み自体は評価したい。

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ネガティブ・サイド

『 呪怨 』に味をしめたのかどうか知らないが、ジャンプ・スケアを多用し過ぎである。そして馬鹿丁寧にも、重低音の利いたBGMをじわじわとビルドアップしていくことで「ハイ、ここでびっくりして!」と教えてくれる。ホラー映画、特にジャパネスク・ホラーは本当に終わってしまったのかもしれない。

 

まず肝心の犬鳴村の存在が怖くない。まず昭和24年というのは、そこまで昔か?江戸時代以前ならまだしも、戸籍制度が高い水準で整備されていた戦前、そして戦後の時代に、村一つを無理やり消せただろうか。2020年時点から71年前だから、当時20歳の人は91歳。かなりの高齢だが、存命の人間もまだまだ多いだろう。犬鳴村の住民を迫害した側の者たちで生き残っている人間がいても全く不思議ではないと思うが。序盤で意味ありげに「あの村で何が起こったのかを知っているのは、もはや自分とお前だけ」と語る院長先生と、それに無言でうなずく高嶋政伸が、事の真相を何一つ語ろうとしないのは拍子抜けもいいところである。というか、犬鳴村が消された理由に心底がっかりである。お上にまず懐柔され、そして迫害された・・・って、懐柔される部分は要らんやろ。

 

犬鳴村出身の怨霊たちも何がしたいのかさっぱり分からない。集団でわらわらと現れて、訳の分からん民謡だか童謡を歌って、奏を追いかけまわす意味は?病院内のチェイスは、そのあまりのシュールさに思わず笑ってしまった。また、奏の兄の友人だか子分だか分からない連中の霊が、奏のクルマに乗っているシーンもシュールなことこの上ない。一歩間違えればギャグにしか見えないシーンである。というか、ギャグだ。クルマのバックミラーに追跡してくる何かが映っているというのは『 ジュラシック・パーク 』へのオマージュかもしれないが、三馬鹿トリオが追いかけてきても怖くない。クルマに乗り込んできても、奏に襲いかかわるけでもない。何がしたいのか分からないが、奏を傷つけようとはしてこないので、そこで恐怖を感じることがない。

 

その奏が犬鳴村に出向く流れも不自然極まりない。父親が口をつぐむのなら、まずは母親に尋ねるのが定跡ではないのか。不思議な力を持っていた祖母が、「奏にもできるはずだよ」と言っていた能力が、序盤に一回、クソどうでもいいシーンで発現しただけだったのは何故だ?というか、その能力もまんま『 シャイニング 』の輝きのパクリではないのか。輝きを使って、犬鳴村の怨霊に語り掛けるのかと思いきや、結局何もしない。味方(?)の霊の存在意義もよく分からないし、奏の兄の悠真の死体のあり様も説明がつかない。男の方は女に抱きついているべきで、男が男に抱きついてどうするのだ・・・ そしてビデオカメラがあったなら、中をちゃんと見ろ。そして映像を再生したのなら、最後まで観ろ。

 

犬鳴村のボス的存在の怪異が怖くない。というか、どこかで観た要素のパッチワークで、シラケるばかりである。和服の女性というのはクリシェもいいところだし、変な動き方をするのなら『 エクソシスト 』並みにやってほしい。『 サイレントヒル 』や『 バイオハザード 』にすら及んでいない。というか、『 地獄少女 』の取り巻き禿爺いのブレイクダンスのようなことをやっても、怖くない。言葉そのままの意味で尾も白い・・・、ではなく面白いだけである。なぜ犬のように四足歩行をしない?なぜ犬のように遠吠えをしない?犬鳴村をテーマに観客を怖がらせたいのなら、「犬」という要素は絶対に外してはいけないのではないか。

 

エンディングもシラケる。「あ、この展開は間違いなく〇〇〇やな」と思わせて、本当にその展開へ。捻らんかい。というか、謎の家族団らんシーンとエンディングのシーンは順番が逆でないか。バッドエンドを示唆するなら“母親”という概念をもっと効果的に使えるはずだろう。これよりもマシなエンディング演出を脚本家は考えられなかったのか・・・誠に残念至極である。

 

総評

ジャパネスク・ホラーは終わった。そう感じさせられるほどにつまらない作品である。いっそ三吉彩花を川上富江役に起用して、令和の時代に合った『 富江 』映画を作ってみてはどうか。三吉彩花なら魔性の美女たる富江にふさわしいルックスとスタイルの両方を備えている。『 富江 Resurrection 』を清水崇が監督するなら、それはそれで観てみたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I really need to forget about this film ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, ホラー, 三吉彩花, 日本, 監督:清水崇, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 犬鳴村 』 -ジャパネスク・ホラー終了のお知らせ-

『 シライサン 』 -可もあり不可もあるホラー-

Posted on 2020年1月12日 by cool-jupiter

シライサン 50点
2020年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:飯能まりえ 稲葉友
監督:安達寛高

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『 貞子 』が無残な駄作に堕ちてしまった2019年。2020年は、新たなジャパネスク・ホラーの勃興が期待される。そこへ本作である。結果としては、可もあり、不可もある作品であった。

 

あらすじ

瑞紀(飯豊まりえ)はレストランで食事中に、親友の眼球が破裂し、心不全を起こすというが不可解な死に方をするのを目撃してしまった。同じ大学の春男(稲葉友)の弟も、同じような死に方をしていたと知った二人は、調査に乗り出す。そこで分かったのは「シライサン」という名の女性にまつわる怪談だった・・・

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以下、マイルドなネタばれ記述あり

 

ポジティブ・サイド

日本には昔から、「だるまさんがころんだ」や、ゲーム『 スーパーマリオブラザーズ3 』以来おなじみの“テレサ”など、見ていれば近づいてこないという存在があった。しかし、それをホラー映画のネタにしようというのは斬新である。まさに、古い革袋に新しい酒である。この発想は、『 イット・フォローズ 』の、遠くからゆっくりと毎回違う姿で近づいてくる“それ”の突飛さや斬新さと並ぶと思う。

 

また、半陰半陽の貞子の後継者として、近親相姦の繰り返しの結果として誕生してきたと示唆されるシライサンの設定も悪くない。異様に大きな目というのも、遺伝子の異常で説明がつきそうだからである。またシライサンが、しゃなりとした身のこなしでチリンと鈴を鳴らすシーンはかなり怖かった。『 地獄少女 』でブレイクダンスを踊った変なハゲチャビン爺さんは、シライサンの爪の垢を煎じて飲むべきである。

 

「目をそらすな」というのは、慣れてしまえば簡単そうに思えるが、あの手この手で目をそらさせようというシライサンはなかなかに策士である。人間の心の隙や弱さというものをよく理解している。特に忍成修吾演じるライター間宮への責めは反則スレスレではないか。そして、クライマックスの春男への責めは反則ではないか。しかし、怪異というのは理不尽なものである。これで良いのである。

 

巻き込み型の怪談は、昔からの定番である。本作はイヤホン360上映のお知らせを開演前に行ってくれるが、その通知から『 シライサン 』の世界は始まっている。20世紀FOXが『 ターミネーター ニュー・フェイト 』などで見せたように、映画上映前から映画世界がスクリーンに展開されていく。単純な仕掛けであるが、このような工夫は歓迎したい。また、エンディング・クレジットも見逃してはならない。特に脚本家の名前に注目されたい。以上である。

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ネガティブ・サイド

様々な描写が中途半端である。シライサンが呪いの対象者を死に至らしめる過程が、特にそうである。目玉を抉りとって潰す様を全部映してしまうというスプラッタ路線で行くか、効果音や叫び声などを最小限に抑えて、観客の想像力を最大限に刺激するような心理的な細工を徹底する路線で行くか、何らかのポリシーを貫いてほしかった。死に方が怖いのではなく、シライサンの顔が不気味であるという怖さになってしまっていた。

 

またシライサンは一種のミームであると考えられるが、その呪いのルールを解明することにもっと時間を費やしてよかった。シライサンの呪いがどのように伝播するのかをもっと検証するべきだった。『 リング 』の怖さは“そのビデオを見たら一週間後に死ぬ”ということで、面白さはどんな“オマジナイ”でその死を回避できるかを探るということだった。同じく、シライサンに関しても、考察をもっと深めるべきだった。ミームとしてのシライサンをfidelity=忠実さ、fecundity=繁殖力、longevity=寿命の全て、またはいずれかの観点から分析するべきだった。例えば、シライサンの呪いの成立する為には、どの程度正確に怪談を語らなければならないのか、あるいは怪談の形式ではなくとも、話の筋さえ合っていれば良いのか、それともシライサンという怪異が存在するということだけを知ればよいのか、などの分析・考察に瑞紀と春男、そして間宮は奔走するべきだった。ホラーは、理詰めでどうにもならない部分と、理詰めでなんとかなる部分のバランスを、適切に配分することで生まれるからである。

 

そして、肝心のシライサン対策が忘れることだとは・・・ ご都合主義にもほどがある。また瑞紀の考え付くシライサン対策が、まんま『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 の対策と同じである。もっとオリジナルでユニークなアイデアが欲しかった。

 

最後に細かい指摘を三つだけ。

 

1.GoogleマップやGoogleアースを使え。

2.現役の大学生は「大学時代からの友人」とは言わない。

3.愛する人が死んでいいことが一つだけある話、必要か?

 

総評

貞子や伽椰子の後継者になれるかどうかは分からない。それは映画ファンは一般大衆が決めることである。だが、シライサンはジャパネスク・ホラーの歴史の一ページを刻んだことは間違いない。それなりに恐怖を感じさせるし、主演の二人も素人っぽさを醸し出す演技は、ホラーのテイストによく合っていた。ディープなホラー映画ファンには自信を持ってお勧めはできないが、カジュアルな映画ファンにはお勧めをしたい。カップルのデートムービーにも使えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t look away.

「目をそらさないで」の私訳である。Lookときたら、atかforというのが中高の英語の定石だろう。しかし、lookには様々な語がくっついて、その意味を豊かに膨らませる。Awayもその一つで、look away=目をそらす、である。『 デッドプール 』でデットプールが、エージェントをぶちのめす前にカメラに向かって、また最終決戦前に下着を脱ぐ前にネガソニックに、“Look away.”と言っていた。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ホラー, 日本, 監督:安達寛高, 稲葉友, 配給会社:松竹メディア事業部, 飯豊まりえLeave a Comment on 『 シライサン 』 -可もあり不可もあるホラー-

『 マーターズ 』 -監禁拷問の果てにあるものは-

Posted on 2019年12月5日2019年12月5日 by cool-jupiter

マーターズ 65点
2019年12月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:モルジャーナ・アラウィ ミレーヌ・ジャンパノワ
監督:パスカル・ロジェ 

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『 ゴーストランドの惨劇 』のパスカル・ロジェ監督の作品で、『 マーターズ 』の方が先発作品である。前々から「やばい映画だ」、「すごい映画だ」とは聞いていた。ホラーは嫌いではないが、拷問ジャンルは好きではない。まして『 ソウ 』の twist を一発で見破ったJovianなのだから、たいした捻りでもないだろうと高を括っていた。それは間違いだった。

 

あらすじ

 

傷だらけの少女リュシーは路上で保護された。彼女は廃墟に監禁され、拷問と虐待を受けていた。施設に預けられたリュシーはPTSDに悩まされながらも、アンナ・アサウェイの介護によって回復していく。しかし15年後、リュシーは自分を監禁していた者たちを見つけてしまう。復讐心に駆られた彼女は、銃を手に取り、アンナと共に彼らの家に踏み込んでいく。しかし、それは更なる悲劇と惨劇の始まりで・・・

 

ポジティブ・サイド

 

血が ドバッ とか ピュー と出るのは別に構わない。そういうのは小さい頃に『 13日の金曜日 』で充分に堪能した。本作は、いたいけな女子がこれでもかと痛めつけられる描写に目を背けたくなる。それだけなら、凡百のホラー映画だろう。本作が際立っているのは、リュシーを痛めつける者が、ビジュアル的かつ精神的に、とてもおぞましい存在であると言うこと。恐怖を感じさせる極意は『 はじまりのうた 』でキーラ・ナイトレイがヘイリー・スタインフェルドに諭したこと、すなわち「肌を見せてはいけない。衣服の下がどうなっているのかを男たちに想像させなければならない」という点に尽きる。その意味では、リュシーにとっての恐怖を、観る側にとっての恐怖と同一視させることに成功している本作は、それだけでも稀有な作品と評すことができる。

 

ところがストーリーはここから思わぬ展開を見せる。まさかの主役交代である。リュシーのパートナーのアンナが、かつてリュシーが経験したおぞましい苦痛の数々を味わうことになる。それは『 デッドプール 』でウェイド・ウィルソンがミュータント変身のために受けた拷問よりも、遥かにフィジカル的に残忍である。特に最終盤は『 羊たちの沈黙 』の行き過ぎたバージョンである。あまりにもおぞましい。デッドプールなら笑えるが、相手は女性である。ここまで彼女に拷問と虐待と苦痛とストレスを与える意味は何か。それがタイトルの『 マーターズ 』の意である。以下、ネタばれになる部分は白字で。

 

本作は映画『 ソウ 』、『 羊たちの沈黙 』にダンテの『 神曲 』と野崎まどの小説『 know 』を組み合わせたものである。アンナがクライマックスに観るビジョンをその目で確かめたら、ぜひこの画像を見てみてほしい。パスカル・ロジェ監督が上に挙げた古典作品をモチーフにしていることは間違いなさそうである。その上で、ラストの一連のシークエンスの意味をよくよく考えてみて欲しい。なぜ念入りに化粧をするのか。なぜ側頭部を撃つのではなく銃口を加えて後頭部を破壊するのか。なぜ「疑い続けなさい」と言い残すのか。いかようにも解釈可能だが、黒沢清の『 CURE 』の和尚の言葉「ありと見ればあり、なしと見ればなし」なのだろう。

 

ネガティブ・サイド

吐き気を催すほどの拷問が繰り広げられるが、後半にアンナをとことん痛ぶる場面は編集の粗が出たか。大柄な男がアンナに拳を振り下ろすシーンとアンナがフロアに叩きつけられるシーンが繋がっていないように感じられたし、アンナ自身も痛みの声と表情は見せても、痛みを体で伝えてはいなかった。WWEのジョバーの仕事を見て、痛いふりをすることと、痛みを観客に分かるように大げさに伝えることは、似て非なるものであると学ぶべし。

 

マドモアゼルが少し喋り過ぎである。いや喋るのは構わないが、明らかに観客に語りかけている。『 ミスター・ガラス 』でもサラ・ポールソン演じる精神分析医がイライジャ・プリンスの説明をご丁寧に観客に説明して白けさせてくれたが、このあたりの語りにも改善の余地がある。

 

後は重箱の隅をつつくようなものである。尿の色が薄い、食べさせられているものや置かれている状況からして量が多いなどの医学的なケチもつけられるし、あのような身体的ダメージを受けて生きていられるはずがない。感染症にかかって、即死亡であろう。もっと言えば、アンナは監禁されていた女性を見つけた時点で警察にすぐに通報すべきだった。だが、かの家の電話は何番にダイヤルしようと全てマドモアゼルの息のかかったところに繋がる・・・などの設定にしておけば、より絶望感が生まれたのではないだろうか。

 

総評

暴力的な描写に耐性が無いのであれば観てはならない。ただのホラーではない。スーパーナチュラルなホラーは大好物だぜ、という向きにもお勧めはできない。『 悪魔のいけにえ 』やそのリメイク『 テキサス・チェーンソー 』を堪能したような向きにこそお勧めしたい。リメイク版の『 フラットライナーズ 』や『 ラザロ・エフェクト 』的なテーマに興味のある向きは、片目をつぶりながら観るべし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語会話レッスン

Mademoiselle

カタカナでは「マドモアゼル」、または「マドモワゼル」だろうか。「嬢」、「さん」に当たる表現である。未婚ではこちら、既婚ではマダムとなる。テニスファンならば、全仏オープンのアンパイアの声に耳を傾けてみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, カナダ, フランス, ホラー, ミレーヌ・ジャンパノワ, モルジャーナ・アラウィ, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:iae, 配給会社:キングレコードLeave a Comment on 『 マーターズ 』 -監禁拷問の果てにあるものは-

『 ドクター・スリープ 』 -S・キングの世界へようこそ-

Posted on 2019年12月1日2020年4月20日 by cool-jupiter

ドクター・スリープ 75点
2019年11月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ユアン・マクレガー カイリー・カラン レベッカ・ファーガソン  ダニー・ロイド
監督:マイク・フラナガン

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『 シャイニング 』の続編である。いきなり本作から観る人は少数派だろうが、もし可能なら『 ダーク・タワー 』や『 IT イット 』シリーズも事前に鑑賞されたし。というのも本作は『 シャイニング 』のその後の物語であり、スティーブン・キングの創造世界の一端でもあるからである。

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あらすじ

母との死別後、展望ホテルの悪夢から逃れるために酒に溺れていたダニー(ユアン・マクレガー)。 “シャイニング”を始め、様々な力を持つアブラ(カイリー・カラン)という少女。その力を狙うローズ・ザ・ハット(レベッカ・ファーガソン)ら人外の者たち。“シャイニング”で通じあったダニーとアブラは、戦いに身を投じていく・・・

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ポジティブ・サイド 

『 プーと大人になった僕 』では、Jovianの同僚のイングランド人に「あれはクリストファー・ロビンじゃない」と酷評されてしまったユアン・マクレガーだが、今回は実に良い仕事をしたと言えるし、ビジュアル面でもダニー・トランス(ダニー・ロイド)の成長した姿であると充分に受け入れられる。『 シャイニング 』で怯える母をまさしく狂演したシェリー・デュバル、子役の演技としては最高峰のものを見せたダニー・ロイド、シャイニングをダニーに教えたハロランさん(スキャットマン・クローザース)と容貌も話し方も瓜二つのキャストを使って、前作のエンディング後を序盤に描いたことで、本作と前作が地続きの世界であるということに充分な説得力が生まれた。

 

レベッカ・ファーガソンも人外の化生を率いるローズ・ザ・ハットを巧みに演じていた。アメリカやカナダはとにかく子どもの誘拐が頻発する(その犯人の多くは親だったりする)国で、テレビを観ていると、結構な頻度でアンバーアラートが出る。そうしたことは『 白い沈黙 』(監督:アトム・エゴヤン 主演:ライアン・レイノルズ)や『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』などの作品からもよく分かる。同時に天才を発見することにも長けた国である。そのことは『 ドリーム 』や『 ギフテッド 』などから分かる。S・キングは児童の不可解な蒸発に対して、真結族という答えを用意した。そこに説得力があるのが、原作者キングの手腕である。我々の生きる世界は、様々に数多く存在する世界の一つに過ぎないことは彼の他の作品からも明らかである。そうしたキングの世界観をマイク・フラナガン監督は巧みに再現した。例えば、日本人が本作を観れば、「狐憑きも、もしかして“シャイニング”の一種なのか」と感じるだろう。

 

本作に特徴的なのは、“シャイニング”という能力がより広がった、あるいは深まったところだろう。そして、それを体現したアブラの活躍が印象的だ。前作(映画版)ではダニーは(そしてトニーも)それほど活躍できなかったが、今作のダニー、そしてアブラはかなり強い。前作がホラーにしてスリラーなら、本作はサスペンスにしてサイキック・バトル・アクションである。特にハロランさんがダニーに授ける技や、アブラがローズに仕掛ける罠は、『 NIGHT HEAD 劇場版 』のマインドコントロール・バトルよりも興奮した。クライマックスは『 貞子vs伽椰子 』的なのだが、キャラクターにキャラクターをぶつけるのではなく、キャラクターを場所=展望ホテルに呼び込むというところが良い。これがダニーが新たに身につけたシャイニングとの相似形を成しているからである。

 

『 アップグレード 』のようなトリッキーなカメラワークあり、ユアン・マクレガーがオビ・ワン・ケノービに見えてしまう瞬間ありと、ストーリー以外の部分でも楽しめる要素が多い。ホラー映画というよりも、超能力バトルものなので、前作の狂気が受け入れられなかったという向きにも今作はお勧めできる。

 

ネガティブ・サイド

せっかくよく似た役者を探してきたというのに、肝心かなめの“あのお方”が全く本人に似ていない。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』のオールデン・エアエンライクもハリソン・フォードにはあまり似ていなかったが、今作のあの人も負けず劣らず前作のあの人に似ていない。これは致命的ではないか。『 キャプテン・マーベル 』的な方法で解決できなかったのだろうか。それでは予算オーバーになってしまったのだろうか。『 ジェミニマン 』的な買い得決方法ではなく、『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』のタルキン提督的な解決も無理だったのだろうか。

 

まさかキング御大が平野耕太の『 HELLSING 』を読んでいるとは思えないが、ダンの“シャイニング”がちょっとアーカード的すぎないだろうか。同時に、人外の化生どもの死に方があまりにも呆気なさすぎるのではないか。それこそ『 HELLSING 』ではないが、銃弾一つひとつに異常なこだわりを持てとは言わない。それでも、ダニーとアブラが念を込めただとか、この森には強い正の霊気があるだとか、何かあってしかるべきだった。

 

また、とあるシーンでアブラが携帯をポイ捨てするのだが、あの状況で「カチャ」という音はしないはずだ。実際に試したことはないし、試したくもないが、「ここは○○○という設定で撮影しているのだ」ということを感じさせてはいけない、絶対に。

 

【全ての謎が明らかになる!】などと煽っていたが、トニーは結局現われなかった。この謎のイマジナリー・フレンドは二作品通じて結局は謎のままである。思わせぶりにトニーの出現を示唆する台詞もありながら、この展開ではトニーが浮かばれない。

 

総評

一部に、うーむ・・・と眉をひそめざるを得ないシーンや演出もあるものの、エンターテインメント性は前作よりも上である。シャイニングの静謐な雰囲気と狂気の芸術性の完成度は否定できないが、本作のように娯楽度を高めることも重要である。キューブリックの路線を敢えて踏襲しなかったフラナガン監督の決断は評価されるべきである。S・キングのファンなら必見。ホラーやファンタジーのライトなファンであっても、『 シャイニング 』を鑑賞して臨めば、世界の広さや深さに触れることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

That was then and this is now.

 

「それは過去で、これは今だ」の意である。アナ雪(今もって未視聴である)のTheme Songに“The past is in the past.”という歌詞がある。『 インビクタス/負けざる者たち 』でもM・フリーマン演じるネルソン・マンデラが“What is verby is verby. The past is the past.”と言っていた。過去は過去、というだけではなく、過去は過去で今は今だ、と言いたい時に上の台詞を思い浮かべてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, カイリー・カラン, ファンタジー, ホラー, ユアン・マクレガー, レベッカ・ファーガソン, 監督:マイク・フラナガン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・スリープ 』 -S・キングの世界へようこそ-

『 ブライトバーン 恐怖の拡散者 』 -全てがこけおどしのクソホラー映画-

Posted on 2019年11月29日2020年4月20日 by cool-jupiter

ブライトバーン 恐怖の拡散者 20点
2019年11月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エリザベス・バンクス デビッド・デンマン ジャクソン・A・ダン
監督:デビッド・ヤロベスキー

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『 地獄少女 』がホラーとは言えないビミョーな出来だったので、ホラー成分を求めて本作へ。やはり季節外れのホラーは観るものではないと思わされた。何という駄作。

 

あらすじ

ブライトバーンに暮らすトーリ(エリザベス・バンクス)とカイル(デビッド・デンマン)の夫婦はなかなか子どもを授からなかった。そんな時、天空から飛来した何かが自宅近くに落下。その後、二人はブランドンを名付けた赤ん坊を育て始めた。12年後、少年に成長したブランドンは、自分が普通の人間ではないと気付き始めて・・・

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ポジティブ・サイド

それほどメジャーではない俳優でも、演技面ではしっかりしているのがハリウッド映画の長所か。エリザベス・バンクスもデビッド・デンマンも、過去の出演作を鑑賞したことがあるが、正直なところ記憶には残っていない。それでも本作を観て感じるのは、迫真の演技をしているということ。例えば『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』はレオ様とブラピでなければヒットしなかっただろうが、『 クワイエット・プレイス 』はエミリー・ブラントやジョン・クラシンスキーでなくとも、『 孤独なふりした世界で 』もエル・ファニングやピーター・ディンクレイジでなくとも、それなりの結果を残せた作品であったと感じる。役者の演技力で言うなら、オリンピックの100メートル走のランナーのようなものか。世界トップとその他のランナーの差は0.1~0.5秒差。超高額なギャラを要求するような大御所を起用せずとも、アイデアと演出で勝負する時代が来つつある。里親二人の熱演から、そのようなことをつらつらと考えた。

 

主演のジャクソン・A・ダンも悪くなかった。ジェイソン・クラーク的というアレだが、元々の容貌が正義の味方というよりもダークサイドを内に秘めた感じがしていて本作にはマッチしている。『 アンブレイカブル 』では見事に子役をこなし、『 ミスター・ガラス 』では頼もしく成長した姿を披露したスペンサー・トリート・クラークを彷彿とさせる。彼のハンドラー達は彼をしっかりと名脇役に育てて欲しい。

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ネガティブ・サイド

オリジナリティの欠如も甚だしい。ここまで様々なネタををあちこちの映画からパクってくるとは、監督・脚本家・プロデューサーの連中は一体何を考えていたのだろうか。

 

まず始まりからして『 IT イット 』である。リメイク版ではなくテレビ映画版である。干した洗濯物をかき分けて進む画は他作品でも色々と見られるが、それを本作で取り上げる意義は何か。プロットも『 スーパーマン 』のパクリである。オマージュではない。パクリである。もしくは漫画『 ドラゴンボール 』で、孫悟空がじっちゃんに育てられず、サイヤ人として成長していれば・・・というプロットの焼き直しでもある。

 

異能の力を持つ子に親が銃口を向けてしまう画は『 テルマ 』が既に見せてくれているし、キャンプに行った先で子どもがいなくなるというのも『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』で既に見た。

 

他にも『 クロニクル 』の空飛ぶシーンそっくりの構図あり、『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でキングギドラがゴジラに加えた攻撃方法と全く同じことをブランドンがやったりと、全編これ、過去作品のモンタージュで出来ているかのようだ。

 

もちろん、ホラー映画のクリシェもふんだんに取り入れられている。カメラが片方にパンして、もう一方に戻ってくると、そこには!!という手垢まみれの手法をこれでもかとばかりに全編にわたって使いまくる。もちろん、不快感を誘う低音の音楽がジャンプ・スケアのタイミングをしっかりと教えてくれるので、感じるのは恐怖ではなくビックリだけ。子どものノートを見た親が、そのダークな中身に衝撃を受けるというのは『 ビューティフル・ボーイ 』が先行している。目から光線というのもスーパーマンそのままだが、光る眼で恐怖を演出するのは、ジョン・ウィンダムの小説を映画化した『 光る眼 』のクライマックスで体験済み。無数の子どもたちが無言のまま一斉に目から白い光を放って、人間の形ではなくなっていくあのシーンの方が遥かに恐怖感を味わわせてくれた。

 

本作にサスペンスがないのは、ブランドンが葛藤を経験しないからである。なぜ自分に注目してくれるクラスの可愛い女子に怪我を負わせるのか。力の使い方や使いどころを間違ってしまったわけではない。ただの思い込みに過ぎない。自分がちょっとでも気に入らない者は無条件に傷つけるというのなら、いじめっ子的なクラスメイトが無事なのは何故なのか。ブランドンの何もかもがこけおどしで、恐怖の演出もクリシェばかり。図々しくも続編も視野に入れているようだ。こんな映画を作って、あるいは観て、誰が得するというのだろうか。

 

総評

観てはならない。チケットを買ってはいけない。レビューだけ見て満足すべし。もしも高い評価を与えているレビュワーがいれば、目が節穴か、依頼されて書いていると思っていい。それぐらい酷い駄作である。2019年はホラーの凶作年だったか。面白かったのは『 アス 』ぐらい。2020年の『 シライサン 』と『 犬鳴村 』に期待するとしよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s have some fun.

 

日本語にすれば「楽しもうじゃないか」という意味である。いざ子作りしようというカイルとトーリの会話中の台詞である。だからといってロマンチックな、あるいはセクシャルな文脈だけで使う表現ではない。普通にパーティーに出席したり、スポーツやゲームに参加したり、あるいはライバルや強敵との戦いに臨むなどにも使うことができる表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, エリザベス・バンクス, ジャクソン・A・ダン, デビッド・デンマン, ホラー, 監督:デビッド・ヤロベスキー, 配給会社:Rakuten Distribution, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ブライトバーン 恐怖の拡散者 』 -全てがこけおどしのクソホラー映画-

『 地獄少女 』 -いっぺん、観てみる?-

Posted on 2019年11月21日2020年9月26日 by cool-jupiter

地獄少女 25点
2019年11月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:玉城ティナ 森七菜 仁村紗和
監督:白石晃士

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隙間時間が生まれたので映画館へ。そんな暇があれば仕事をすべきなのだろうが、たまには羽を伸ばすことも必要である。季節外れのホラー映画に特に期待はしていなかったが、やはりダメ作品であった。しかし、暇つぶしとちょっとした目の保養になったので良しとすべきなのだろう。

 

あらすじ

誰かに強い恨みを抱いて午前0時にネットで「地獄通信」にアクセスすれば、憎い相手を地獄送りにできるという都市伝説が出回っていた。そんな時に、美保(森七菜)は南條遥(仁村紗和)と知り合う。しかし、遥が歌手の魔鬼のバックコーラスになった時から、美保は遥から引き離されてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

『 天気の子 』の陽菜のvoice actingを務めた森七菜も、それなりに眼福。大人と子どもの中間的な存在をよくよく体現していた。

 

先行するアニメもドラマも一切観たことが無いが、玉城ティナは地獄少女の閻魔あいというキャラクターをよくよく理解しているなと感じた。劇中で昔懐かしの童謡を歌う玉城ティナの声(本人の声?)は実に美しい。わらべ歌のサウンドスケープは夕焼けである。そして夕焼けは『 君の名は。 』で言うところの誰そ彼時の入り口に通じている。閻魔あいの登場シーンは、毎回それなりに凝っていた。エキゾチックな顔立ちの美少女が和服を着ると、それだけで絵になる。

 

玉城ティナよりもエキゾチックに感じられたのは仁村紗和。暴力上等で暴力常套の謎めいた美少女役がはまっていた。高校生役はかなり無理がありそうだが、大学生ならまだまだ全然通じる。超絶駄作だった足立梨花主演の『 アヤメくんののんびり肉食日誌 』をリメイクするなら、仁村紗和で是非どうぞ。

 

まあ、白石監督という人は、個性的な顔立ちの美少女を集めて、わーわーキャーキャーな映画を作りたい人なのかな。そうした妙なポリシーは嫌いではない。

 

ネガティブ・サイド

これって一応、ホラーやんな?なんで開始1分で笑いを取りにくるんや?おもろい顔の禿げちゃびん爺さんがいきなりブレイクダンスを始めて、思わず劇場で

 

( ゚∀゚))、;’.・ブハッ!!

 

ってなってもうたわ。一応ホラー映画観にきたのに、コメディかギャグを見せつけるのは勘弁してや。看板に偽りありやで。ハイソな尼崎市民のJovianが、思わず大阪の天下茶屋のおっちゃんみたいな喋りになってもうてるやないか。

 

冗談はここまでにして、『 不能犯 』の宇相吹正の視線と同じく、出来そこないの万華鏡をCGで再現したかのようなエフェクトは何とかならんのか。CGを否定しているのではない。それを用いて効果的な視覚効果を生み出せていないことを批判しているのである。異界に通じる、または異界に送り込む視覚効果において『 2001年宇宙の旅 』のスターゲート・シークエンスを乗り越えるようなアプローチを、ほんの少しでも構想したか。観る者の心胆を寒からしめる地獄送りエフェクトを考案したか。そうした努力が残念ながら見られない。色使いにおいても蜷川実花監督のビジュアル感覚の方が優っている。

 

魔鬼というキャラクターにもオリジナリティが感じられない。映画化もされた漫画『 日々ロック 』のMAREがもう少しいろいろ拗らせた感じのキャラにしか見えない。ただ、MDMA所持で沢尻エリカ逮捕のニュースは、もしかすると本作のパブリシティに少しは貢献してくれるかもしれない。

 

本作品では様々な人物が様々な動機から地獄通信にアクセスし、憎い相手を地獄に送っていくが、その動機をどうしても理解しがたい人物がいる。なぜ死体があがったわけでもない行方不明の段階で、その人間の死亡を確信するのか。なぜ、あの段階で地獄通信にアクセスできるだけの「強い憎しみ」を持てるのか。

 

そして肝心かなめの地獄のイメージも今一つである。おいおい、『 ザ・フライ 』かというシーンあり、タイトルを思い出せないが、ネクロノミコンがうんたらかんたらのC級ホラー映画そっくりのシーンありと、オリジナル作品の割にオリジナル要素が不足している。また本作は人間が描けていない。クラスメイトに不満のある美保、母親と確執のある遥をはじめ、ライターの工藤もそうであるが、人間関係に鬱屈したものを抱えている人間の苦悩の描写が弱い。特に工藤に至っては、母親の遺影を飾っている部屋の中で、堂々と女子高生の美保に「一発やらせろ」と迫る。泉下の人となった母も、これでは草葉の陰で泣いている。世界が腐って見えるのは、その人間の世界観と人間観が腐っているからである。そのことは、やはり玉城ティナ出演の『 惡の華 』が既に明らかにしている。またそうした世界の悪意から逃避先が音楽であることも『 リリイ・シュシュのすべて 』の焼き直しである。人間描写とオリジナリティ不足。これでは高い評価は与えられない。

 

総評

ジャンル不明の珍作である。『 来る 』よりも、更にもう一段つまらない。個性的な顔立ちの美少女達を大画面で鑑賞したいという向きにしかお勧めできない。心されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How about you die?

 

How about S + V? という表現は、受験英語に出てくるのだろうか?出て来ないのならば、それは日本の英語教育の夜明けがまだ来ていないことを意味する・・・というのはさすがに大袈裟すぎるか。How about if S + V? という形はTOEICに時々出てくるので、学生よりもビジネスパーソンの方が、この表現には馴染みが深いだろう。「いっぺん」という二音節にHow aboutを、「死んでみる」の二音節にyou die?を乗せて発声すれば、あなたも閻魔あいの気分を味わえるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ホラー, 仁村紗和, 日本, 森七菜, 玉城ティナ, 監督:白石晃士, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 地獄少女 』 -いっぺん、観てみる?-

『 シャイニング 』 -サイコ・スリラーの名作-

Posted on 2019年11月20日 by cool-jupiter

シャイニング 80点
2019年11月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャック・ニコルソン シェリー・デュバル ダニー・ロイド
監督:スタンリー・キューブリック

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期せずして『 レディ・プレーヤー1 』の核心的な部分のプロットを占め、また公開間近の『 ドクター・スリープ 』のprequelである本作を復習鑑賞するなら、今でしょ!というわけでTSUTAYAで借りてきた。というか原作小説が20年も積ん読状態なのだが・・・

 

あらすじ

ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)は冬季に閉鎖される展望ホテルの管理人の職を得て、妻のウェンディ(シェリー・デュバル)、息子のダニー(ダニー・ロイド)と共にホテルにやってくる。だが、ダニーは「シャイニング」というテレパシー能力と、トニーというイマジナリー・フレンドがいた。そしてホテルでは過去に管理人が正気を失い、家族を斧で斬殺するという事件が起きていた・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングの瞬間から、目に見えない緊張が走っている。それは、仕事を得ようとするジャックの意気込みであったり、あるいはウェンディとダニーの会話であったり、あるいはダニーとトニーの鏡を挟んでの謎めいた対話であったりである。それら全てが不吉なオーラを放っている。このことは狭い室内や車内に家族三人だけというシーンと、巨大な展望ホテル内に大人数のスタッフが働き、客が宿泊しているというシーンと対比させると余計に際立って感じられる。光と影だけではなく、空間や人口密度のコントラストが映えている。

 

何気ない日常の描写の一つひとつが生きている。トランス一家にホテル全体を案内するシーンや、庭園にある迷路を散策するシーン、大広間でひとり仕事に没頭するジャックの絵などが不安を招く。特に玩具の車でホテル内を疾走するダニーの前に現れる双子は、その唐突さ、静寂さ、動きの無さ、そして動きの遅さに人外の気配を感じ取れずにはおれない。

 

そうした中で狂ってしまったジャックの演技は名優ジャック・ニコルソンの真骨頂である。『 バットマン 』におけるジョーカーは「こんな悪党、おらへんやろ」的なキャラであったが、こちらのジャックは「こういう奴はおるかもしれんな」と思わせてくれた。特に、感情の全くこもらない顔と声でダニーに「愛している」と呟くシーン、口角を上げながらも下からねめつけてくるように階段を上って、ウェンディを追い詰めるシーンは称賛に値する。そのウェンディも、余りにも大袈裟すぎる顔芸で恐怖を我々に伝えてくれる。元々大きめな目がさらに見開かれ、悲鳴を上げ続けるしかないクライマックスは、恐怖映画の一つの様式美になっている。

 

そしてダニーを演じたダニー・ロイドは『 シックス・センス 』のハーレイ・ジョエル・オスメント以上の怪演を披露する。個人的には『 エクソシスト 』のリンダ・ブレアに匹敵するパフォーマンスであると感じた。特にトニーと話す時の目つき、顔をやや傾ける仕草、そして人差し指をカクンと折り曲げる動作には、名状しがたい不気味さがある。そして、voice changerを使っているかのようなトニーの声も神経に障るような感覚をもたらす。特に“Redrum”を連呼しながら、反転した文字を書くシークエンスは鳥肌ものである。また、そうした不気味なオーラを放つ子どもが『 アス 』並みの顔芸で驚くのである。これはダイレクトに怖さが伝わる。というか、『 アス 』のこの顔はダニーから来ているのではとすら思えてしまう。

 

本作は後の時代の様々な作品に影響を及ぼした。特に狂気に囚われ、斧でドアを破壊して、不気味な笑みをのぞかせる最も有名なショットは数々の作品でオマージュとなり、パロディにもなってきた。ややマイナーな例を挙げるならば、漫画『 ジョジョの奇妙な冒険 』第三部の敵キャラであるアレッシーの「ペロロロロペペロロペロ~ン」のシーンだろう。また、狂ったジャックが酒を煽るバーのシーンはそっくりそのままSF映画『 パッセンジャー 』で再現された。時代を経てもオマージュが捧げられるのも名作の条件である。

 

その他にも、三輪車を追いかけるカメラワーク、庭園の迷路を行くウェンディとダニーを追いかけるカメラワークなど、巨大な空間にごく少数の限られた人間しか存在していないということを明示するようなショットがふんだんに使われていて、観る者に否応なくある種の予感めいたものを感じさせる。また鏡が重要なモチーフを果たすのは古今東西の映像作品のお約束であるが、その技法を徹底的に追求した最初の作品であるとの評価を本作に与えることもできるだろう。

 

ネガティブ・サイド

シャイニングという能力が何であるのかが今一つはっきりしない。それに終盤にさっそうと再登場してくれるハロラン料理長も、なぜ大声を出して呼び掛けるのか。もちろん、シャイニングでコミュニケーションが取れないからこそ声を出しているわけだが、237号室で何かあったと考えないのか。あまりにも無防備で、あまりにも呆気ない死に様であった。

 

全体的にカメラワークが光るのだが、26:09の時点で、小屋の窓に撮影車両が写ってしまっている。DVDにする時に消せなかったのだろうか。完璧主義者スタンリー・キューブリックにしても、こんなことが起こってしまうのか。

 

ジャックが狂気に侵されていく過程の描写が弱い。劇中ではネイティブ・アメリカンの墓地が云々と説明していたが、それでは普段のスタッフや宿泊客が無事であることの理由にはならない。ホテルそのものが邪悪を孕んでいるということを暗示させるようなシーンや演出が序盤で二つ三つ欲しかった。“All work and no play makes Jack a dull boy.”を一心不乱にタイピングし続けるシーンが数秒だけでもあれば尚よかったはずだ

 

総評

悪霊や超自然的な存在は恐怖の源泉である。しかし、本当に怖いのは人間だろう。しかも、「本当に実在するかもしれないアブナイ人間」が一番怖いように思う。自分もそうなってしまうかもしれないという不安が振り払えないからである。トランス一家の面々の素晴らしい演技、迷路状のホテル内部と敷地内の庭園、この世ならざる双子の娘たちの不気味さ。数学てな計算によって最も恐ろしいホラー映画とされたことには個人的には疑問符がつくが、サイコ・スリラーの名作であることは疑いようもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grab a bite

 

直訳すれば、「ひと噛みを手で掴む」である。転じて、「軽く食べる」という意味である。マクドナルドのハンバーガーなどを思い浮かべればいい。手にとって、パクっとひと噛みする、あのイメージである。「一口じゃ、食べられねーぞ」という突っ込みは無用である。「一杯行くか」と言って、一杯だけで済む酒飲みはいない。英語でもgo for a drinkといって、酒の一杯で済ませる人はいない。Grab a biteも同じである。

 

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『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』 -結末が要改善の恐怖映画-

Posted on 2019年11月15日 by cool-jupiter

ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 60点
2019年11月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーティン・フリーマン アンディ・ナイマン
監督:ジェレミー・ダイソン アンディ・ナイマン

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シネ・リーブル梅田でタイミングが合わず見逃してしまった作品。海外のレビューでは結構評判がよかったので、TSUTAYAで借りてきた。ジャンプスケアばかりのアメリカのホラー映画とは異なり、人間の心の分け入っていくところが英国流か。

 

あらすじ

心理学者のグッドマン(アンデイ・ナイマン)はインチキ霊能者の嘘やイカサマを暴いてきた。だがある時、彼の憧れの存在であり、疾走していたキャメロン博士よりコンタクトを受ける。曰く、「この3つのケースは説明が付けられない」と。グッドマンは3人それぞれのインタビューに向かうが、彼はそこで不可思議な体験をすることになり・・・

 

ポジティブ・サイド

久しぶりにまともな副題が付されている。“英国幽霊奇談”とはなかなかに洒落ている。もっともこうでもしないと『 A GHOST STORY ゴースト・ストーリー 』と区別がつけにくくなるという事情もあるのだろうが。

 

大きな音や視覚的に不穏な表現を使うことで怖がらせよう、いや、驚かせようとするシーンが少ない。これは良いことである。恐怖とは受動的に感じさせられるものと、能動的に感じてしまうものとがある。本作が追求しようとしているのは後者である。これは一体なんなのか。何が起きたのか。どのように起きたのか。何物がそれを引き起こしたのか。何故それが引き起こされたのか。こうした次々に湧いてくる問いに、答えを示唆するものもあれば、完全に受け手の想像力に委ねてくるものもある。その塩梅がちょうどよい。そして、その塩梅の良さがそのまま結末への伏線になっている。ジェレミー・ダイソンとアンディ・ナイマンの二人はかなりの手練れである。

 

「脳は見たいものを見る」というのは、定期的に話題になる。Jovianがよく覚えているのはこの画像である。コロッと騙された覚えのある男性諸氏も多かろう。本作の投げかけるテーマは、この画像のようだと思ってよい。見えないものは見えないし、見えたとしてもそんなものは子供騙しだと退ける。人間の心理とは斯くのごとしである。これを言ってのけるのが心理学者であるというところが味わい深い。また、心理学に造詣の深い向きならば「行為者-観察者バイアス」を念頭に本作を鑑賞するとよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

この結末は賛否両論を呼んだことだろう。Jovianは否である。それは恐怖の余韻をぬぐい去ってしまうからではなく、恐怖の根源が説明できてしまうからである。ネタばれになるので何も書くことができないが、この結末は「脳は見たいものを見る」ということの恐ろしさを伝えるものではない。いや、伝えてくれてはいるものの、この手の結末は小説などで散々使いまわされてきた。ここをもう一捻りするか、あるいは結末部分の3分間をデリーとすることも考慮するべきだったように思う。

 

3つのケースの怪異の描き方にも改善の余地がある。特に2人目のケースでは、「木」はパートは無用である。というよりも、これで恐怖感を煽るとするならば島田荘司の小説『 暗闇坂の人喰いの木 』以上のおどろおどろしさを演出する必要がある。このあたりに英国の幽霊譚の限界があるように感じた。もちろん、比較文化論的な意味であって、絶対的にそうであるというわけではない。Jovian一個人の感想である。

 

総評

もっと面白く作れたのではないかと思えてしまうのは文化の違いだろうか。ただし、ジェームズ・ワンの手掛ける虚仮脅し満載のギャグと紙一重のホラー映画とは異なり、人間の心理の単純さと複雑さ、そこを探索しようとしたことには一定の意義が認められるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Certainly not.

 

「生き物を殺したことはあるか?」と問われたグッドマン教授の返答である。“No.”の一言ではぶっきらぼうである(口調や表情にもよるが)。“Certainly not.”というのは、かなり丁重な表現である。類似の表現をフォーマルからカジュアルに並べると

 

Certainly not. > Definitely not. > Absolutely not.

 

となる。これは肯定形にしても、つまりnotを取り除いても同じである。ビジネス・シチュエーションで顧客や上席に返事をするときは“Certainly.”や“Certainly not.”を使うようにすべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アンディ・ナイマン, イギリス, ホラー, マーティン・フリーマン, 監督:アンディ・ナイマン, 監督:ジェレミー・ダイソン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』 -結末が要改善の恐怖映画-

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