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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: スリラー

『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

Posted on 2021年4月6日 by cool-jupiter

ホムンクルス 40点
2021年4月4日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:綾野剛 成田凌 岸井ゆきの 石井杏奈
監督:清水崇

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ホムンクルスという言葉に初めて触れたのは手塚治虫の『 ネオ・ファウスト 』だった。腎臓の人間ではなく、人間の深層心理を擬人化したものが見えるというのは面白いアイデア。どうせ漫画を映画化するなら。これぐらい毒のある作品にトライしてほしいもの。ただチャレンジ精神と結果は別物である。

 

あらすじ

記憶喪失でホームレスとして暮らす名越(綾野剛)に、謎めいた男・伊藤(成田凌)はトレパネーション手術を持ちかけられる。その手術を受けた名越は左目だけで見ると他人の深層心理が見えるようになってしまい・・・

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ポジティブ・サイド

綾野剛の演技が光る。ホームレスでありながらAMEXのブラックカードを持ち、高級ホテルの展望レストランで食事をする。記憶がないのだが、記憶を取り戻すことに拘泥しない。どこか底知れない雰囲気の男を好演した。感情の無い男が徐々に感情を表出するようになっていく過程は見応えがあった。特にホームレス仲間の命の値踏みを淡々と進めていくところは、感情がないようでいて感情があった。つまり、元々路上生活者たちのことを何とも思っていなかったわけで、ストーリーの持つメッセージの一つ、「見てはいるけど、見ていない」を体現していたわけだ。

 

成田凌も平常運転。『 スマホを落としただけなのに 』や『 ビブリア古書堂の事件手帖 』と同じく、インテリなサイコパスを怪演した。青っ白い肌に奇抜な髪の色と髪型、そしてファッション。映画『 セブン 』的な精神病者気質の部屋。ちょっと頭がいっちゃってる役を演じる成田凌としては、本作は過去作よりも上かもしれない。

 

石井杏奈と岸井ゆきのもしっかりと脇を固めている。特に石井杏奈の方は女優としてはまだまだ駆け出しでありながら、結構ハードなシーンに挑んでいる点には好感が持てる。『 記憶の技法 』とか本作のような暗めの作品ではなく、広瀬すずや橋本環奈がキャピキャピするような映画でヒロインの親友役を狙った方がプロモーション上は吉なのでは?

 

本作の特徴の一つに、効果音の不気味さが挙げられる。特にトレパネーションを実施する際のドリルの音は、歯科医の使う器具の音でありながら、頭蓋骨に穴を空けるというその行為の気持ち悪さによって、不快指数を否が応にも高めてくれる。その他にも、音が印象的なのが本作の特徴である。フォーリー・アーティストを称えようではないか。

 

ネガティブ

綾野剛がトレパネーションを受けて、はじめて右目を隠して街を観るシーンは緊張感が漂った。が、実際に目にした光景を見てずっこけた。何じゃこりゃ?と。まず、CGがしょぼい。唯一ちょっと面白いなと感じたのは体が右半身と左半身に別れて、左右反転した形で歩いているサラリーマンぐらい。その他の意味不明な姿は本当に意味不明だ。トラウマが目に見えると伊藤は推測していたが、だったら「今から会える?」と電話しながら下半身、特に腰部だけをクルクルと回転させていたミニスカ女子は一体なんなのか。普通に考えれば「お、今日はセックスする気満々だな」ぐらいにしか思えないのだが、それもトラウマなのか?

 

トレパネーションの結果、ホムンクルスが見えるようになったというのは受け入れられる。だからといって内野聖陽演じる組長が、ドスを握った手を不随意にプルプルと震わせるのは理解できない。百歩譲って名越の言葉に動揺したせいで震えてしまったことにしてもよい。だが、それをあたかも名越自身の何らかの超能力であるかのように描写するのはいかがなものか。また、組長がトラウマから解放されるくだりはあまりにも安直過ぎないか。たったそれだけで心の傷が癒えるのなら、これまで切り落としてきた小指七十数本については胸が一切痛まなかったというのか。精神医学の歴史を変える治療だと伊藤は言うが、とてもそうは感じられない。古典的なカウンセリングにしか見えなかった。

 

同じことは石井杏奈演じる女子高生にも当てはまる。そもそも名越に携帯の中を見られたことをさも当然のことであるかのように振る舞っていたが、どうやってパスを解除したのか、まずそこを不審に思わないところがおかしい。また性についてのコンプレックスがあるのはさして珍しいことではないが、それがあんな形で治療扱いになるのか?むしろ新たなトラウマを植え付けただけだろう。なぜ組長は言葉で治療しながら、女子高生には『注射』で治療するのか。原作がこうなのか?それとも注射に至る過程の描写が映画では削られているのか?どちらにせよ、見ていて気持ちいいものではなかったし、筋が通っているとも感じられなかった。

 

肝心の名越が記憶喪失になった経緯も、中途半端にしか説明されていない。何が起こったのかは分かった。だが、あのような出来事があれば、必ず葬式やら入院退院やら警察からの事情聴取などがあるはずなのだ。そこで必ず身分証明がなされているはず。そうした社会的に当然の事象を全部すっ飛ばして記憶喪失でござい、と言われて納得などできるはずもない。原作は未読だが、エピソードを端折り過ぎているか、あるいは大幅に改変、いや改悪しているのは間違いない。

 

本作の放つメッセージとして「相手の心を見ろ」というものがあるのだろうが、そこが上手く伝わってこない。なぜホムンクルスが見える人間とそうでない人間がいるのか?名越の目にホムンクルスが見える人間に何らかの共通点はあるのか(友達を傷つけた、性体験、父親からの愛の不足)?伊藤がホムンクルスを見てななこを誤認したのは理解できなくもないが、肌と肌を合わせて気が付かないことがあるのか?それこそ無意識レベルで何か思い出すのでは?また伊藤の顔の吹き出物は何なのか?伊藤のトラウマは金魚ではなく水槽ではないのか?などなど、疑問が尽きない。

 

総評

『 犬鳴村 』や『 樹海村 』よりは面白いが、素材の持つ毒を完全に調理しきれているかと言うとはなはだ疑問である。『 オールド・ボーイ 』や『 藁にもすがる獣たち 』のような振り切れた日本産の作品の映像化に大成功している韓国が本作を映画化したら、いったいどうなっていたのだろうか。悪い出来ではないが、ミステリ、スリル、サスペンスのいずれの面でも、少し足りないという印象である。実力ある役者を集めてみたものの、総合的な味付けで失敗したという印象。綾野剛や成田凌のファンなら鑑賞してもよい。逆に言うとそうでない映画ファンはスルーもひとつの選択肢である。というかスルーしてよい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why are you shaking?

劇中である人物が「なんで震えてるの?」と言う場面がある。その私訳である。「震える」の最も一般的な動詞は shake だが、感情または肉体が原因での震えは tremble、寒さが原因の震えには shiver を使うことも覚えておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, スリラー, 岸井ゆきの, 成田凌, 日本, 監督:清水崇, 石井杏奈, 綾野剛, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

『 ビバリウム 』 -それでもマイホーム買いますか?-

Posted on 2021年3月14日 by cool-jupiter

ビバリウム 55点
2021年3月13日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:イモージェン・プーツ ジェシー・アイゼンバーグ
監督:ロルカン・フィネガン

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トレイラーを観ただけで好みの作風と判断。『 エスケープ・ルーム 』や『 迷宮物語 』のような、非現実的な領域に迷い込んでしまう話が好きなのである。

 

あらすじ

教師のジェマ(イモージェン・プーツ)と庭師のトム(ジェシー・アイゼンバーグ)は、二人で住む家を探して不動産屋へ。ヨンダーという郊外の住宅地で内見をするが、住宅地から抜け出せなくなってしまう。そして「育てれば解放する」というメッセージと共に謎の赤ん坊が届けられて・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭のEstablishing Shotが奮っている。托卵の結果、カッコウの雛は他の卵を落とし、さらには雛も落とし、自分だけぬくぬくと他人(他鳥?)に育ててもらう。このショットが適切かどうかは別にして、それが自然の摂理であるということは強く伝わってきた。

 

育てることになった子どもが上げる奇声の不穏なことと言ったらない。神経を逆撫でする声である。ジェマの台詞に“I’ve never heard such perfect silence”(こんな完璧な静寂、聞いたことがない)というものがあったが、こんな空間でこんな声聞かされたらノイローゼになること必定である。この子(Itと呼ぶべきか)の不気味さを増す要素に、ジェマとトムの言葉をオウム返しする習性が挙げられる。そりゃトムも壊れるわな・・・ 『 光る眼 』や『 アンダー・ザ・スキン 』のような、変則的な侵略SFが好きな向きは本作も問題なく楽しめることだろう。

 

という見方がオーソドックスだろうか。

 

もう一つの見方は、本作はマイホーム購入後の人生をカリカチュアライズしているのではないかというもの。元々、子どもなんていうものはエイリアンみたいなもの。母親の体液をチューチューと啜って成長する生き物、と書けば哺乳類全体がいきなりヤバい生物に感じられるが、事実はそうなのである。親のすねかじりこそがある程度の高等生物の本質なのではないか。

 

本作の子どもの振る舞いを見れば、子育てがどれだけ大変かが分かる。腹が減るたびにギャーギャーと泣き喚き、親の言葉をオウム返しするのも言語を獲得する過程の一部に過ぎない。成長すれば深夜まで訳の分からんテレビを観るのに没頭して、外ではどこで誰と何をやっているのか分からない。Z世代というのは個性を重視すると言われるが、全世界的に観ても今の30代後半以上の世代は、恋愛にせよ仕事にせよ、何らかの「モデル」(その多くは小説や映画、テレビドラマや企業の商品CM)を良い意味でも悪い意味でも押し付けられてきた。ロルカン・フィネガン監督はJovianと同世代。そんな彼が現代の子育て事情を目の当たりにして、「俺たちが何を育てさせられているんだ?」という問題意識に基づいて作ったのが本作なのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーに二転三転がない。グッド・エンドであれ、バッド・エンドであれ、途中で適度に上げたり落としたりするべきだろう。タバコのポイ捨てによって、何か突破口が広がりそうに予感させるが、それをトムがジェマに見せる。それによってわずかな希望が生まれる。あるいは、トムがタバコをポイ捨てして見せるが、芝生に変化なし。ジェマはトムを少し信用できなくなる、といった演出も可能だったはずだ。

 

あと、これはカッコウの托卵とは構図が真逆ではないか?どちらかというと、サムライアリとクロヤマアリの関係に近いと思う。なんらかのミスリードなのかなとも思ったが、そうでもないようだ。人間という生き物の性質と托卵戦略を取る外的侵略種の狭間の物語であることを強調するなら、もう少し別の見せ方もあったように思う。

 

ジェシー・アイゼンバーグの見せ場が少なかった。それこそ得意のマシンガントークをかまして、それを子どもがひたすら真似するというシーンがあれば、子どもの気味の悪さも一層際立ったことだろう。

 

総評

公開直後ということもあり劇場はかなりの入りだったが、特に若いカップルが目立った。はっきり言ってデートムービーには向かない。人によっては本作をホラーに分類するかもしれない。子育て真っ最中の人にもお勧めはしづらい。子育て一段落の世代なら、適度な距離感で鑑賞できるものと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ium

プラネタリウムやアトリウム、シンポジウムなど、iumで終わる英単語は日本語になっているものも多い。意味は「場所」である。サナトリウム=sanatoriumは療養所だし、スタジアム=stadiumはスポーツファンにはお馴染みだろう。ビバリウム=vivariumは「生きる場所」の意味で、辞書的には動植物飼養場となるらしい。「ビバ」と聞いて万歳=Long live!だとつなげて考えられれば、本作のストーリーも腑に落ちるのではないか。語彙素の知識は不可欠とは思わないが、知っておいて損になることはまずない。ちなみにプレステで『 シーマン 』をプレーしていたJovianと同世代または上の世代は、ビバリウムという言葉自体には聞き覚えがあるはず。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アイルランド, イモージェン・プーツ, ジェシー・アイゼンバーグ, スリラー, デンマーク, ベルギー, 監督:ロルカン・フィネガン, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ビバリウム 』 -それでもマイホーム買いますか?-

『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

Posted on 2021年2月11日 by cool-jupiter

哀愁しんでれら 50点
2021年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:土屋太鳳 田中圭 COCO 山田杏奈
監督:渡部亮平

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なにやらストーリーがさっぱり分からないトレイラーばかりを見せられているうちに、気になってきた作品。土屋太鳳が母親役を演じるということで、新境地が見られるかと思い、劇場へと向かった。

 

あらすじ

市役所で自動相談員として働く小春(土屋太鳳)は、10歳の頃に母親に捨てられたことから、そんな大人にだけはなるまいと誓っていた。祖父の入院、実家の火事などの災難続きなところへ恋人の浮気も発覚。どん底にいた小春は、偶然にもクリニック経営者の大吾(田中圭)を踏切内で助ける。大吾の娘のヒカリにも気に入られた小春はとんとん拍子に大吾と結婚、幸せな生活が始まるが・・・

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ポジティブ・サイド

土屋太鳳の新たな一面が見られる。これまでのどこか受動的なキスではなく扇情的なキス。閨事のはじまりに、事後のピロートークなど、年齢相応の役を演じられるようになってきた。『 累 かさね 』でも鼻持ちならないキャラを演じていたが、本作をもってそうしたキラキラ女子高生および女子大生イメージからは完全に脱却したと言っていいだろう。

 

相手の田中圭も安定感のある演技で応える。さわやか系ではあるが、チンピラから暴力的な刑事まで何でも過不足なく演じられる標準以上の俳優で、今回は哀愁しんでれら相手のプリンス・チャーミング役を好演。白馬に乗った王子様であるが、この王子様は馬刺しを食べる王子様である。

 

役者陣で最も印象的だったのはCOCOという子役。『 コクソン 哭声 』の子役のキム・ファンヒの怪演には及ばないが、それでも最近の子役のパフォーマンスでは白眉。無邪気な小学生の顔ともう一つの顔を見事に演じ分けた。監督の演出と本人の個性がマッチしたのだろう。こういう子どもが『 約束のネバーランド 』にいれば、ミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうに。

 

ところどころに人間の根源的な願望というか、見たいものを見るという選択的な意志が働くショットがあり、そこは面白いと感じた。そして、そのビジョンの一つを実現させてしまうラストには笑ってしまった。邦画らしくない邦画で、こうした企画が通り、実現されるのだから、日本の映画界ももう少し見守ろうという気になれる。

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ネガティブ・サイド

土屋太鳳を追い込むなら、もっと徹底的にやるべきだ。男性器をかわいらしく言い換えた言葉も使うが、そこは「あんたの粗末なアレ」とか言うべきだったと思う。序盤と終盤での土屋の変化の落差を印象付けたかったのだろうが、すでにこの時点で小春は不幸のどん底だった。つまり、本音がポロリと漏れやすい状態、思わずきつい言葉を吐いてしまう状態だったわけで、落差を印象付けるなら、ここだった。

 

新居となる家が大きすぎる。『 シンデレラ 』の城のイメージなのだろうが、それなら靴ばかりに不自然にフォーカスするのではなく、小春のバックグラウンドも分かりやすくシンデレラのようにするべきだった。母親に捨てられるというのは辛い体験であるが、その後に家族と共に結構楽しそうに暮らしていては、シンデレラ・ストーリーを成立させにくい。家族によって無意識のうちに抑圧されていたという背景を小春に持たせた方が、荒唐無稽なストーリーにも少しはリアリティが生まれる。

 

その迷い込んでしまった城でも、ホラーのクリシェが多すぎる。薄気味悪いガジェットで埋め尽くされた部屋も既視感ありありだし、気味の悪い肖像画というのもお馴染みのアイテム。シンデレラ・ストーリーを恐ろしいものに見せたいのなら、王子様が怖い人だったという構成ではなく、お城暮らしをするようになったシンデレラが、いつの間にか下々の者を見下すようになっていた、という筋立ての方が説得力があっただろう。山田杏奈演じた小春の妹が大吾にネチネチと嫌味を言われるシーンがあるが、こういった言葉を小春自身が可愛がっていた妹に知らず知らずのうちに浴びせていたという方がサイコな怖さを演出できたと思う。

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』並みにジャンル・シフトする作品である。だからといって面白さはその域には全然達していない。けれども、邦画が及び腰になっていた領域に果敢に突っ込んでいった点は評価せねばなるまい。ドラマスペシャル『 図書館戦争 BOOK OF MEMORIES 』、『 図書館戦争 THE LAST MISSION 』の二人のreunionを喜べる人であれば、チケットを購入してみてもいいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

disqualify

失格させる、の意。元々の動詞、qualifyに否定の接頭辞disがくっついたものである。「母親失格です」ならば“You are disqualified as a mother.”となる。他にもunderqualifiedやoverqualifiedなどの語は、外資系で採用に携わっている人はしょっちゅう耳にしていることだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, COCO, D Rank, スリラー, 土屋太鳳, 山田杏奈, 日本, 田中圭, 監督:渡部亮平, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

『 シャッフル 』 -サンドラ・ブロックを堪能せよ-

Posted on 2021年2月6日 by cool-jupiter

シャッフル 50点
2021年2月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サンドラ・ブロック
監督:メナン・ヤポ

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緊急事態宣言以後、嫁から尼崎市内から極力出るなとのお達しが出ている。本当は梅田や心斎橋に足を伸ばしたいのだが・・・。一方で映画を観る人は増えているようだ。事実、近所のTSUTAYAは明らかに客が増えている。配信ではなくレンタルというところに日本のデジタル化の遅れを実感するが、それでもVHSからDVD、Blu-rayのカバーボックスの表と裏でキービジュアルやプロットをチェックするのは楽しい。本作もタイトルとカバーのデザインだけでレンタルを決めた。

 

あらすじ

リンダ(サンドラ・ブロック)のもとに保安官が訪れ、夫のジムが交通事故で死亡したと告げる。呆然自失するリンダは翌日、出勤前にリビングでくつろぐ夫と出会う。だが、さらにその翌日、ジムは亡くなっていた。時間の流れがシャッフルされているのか。リンダはジムを救うことができるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

高畑京一郎の小説『 タイム・リープ―あしたはきのう 』を映像化すると、このような作品になるのだろう。タイムトラベルやタイムスリップは、それこそ星の数ほど小説でも映画でも使われてきたが、時間をバラバラに経験するというのは珍しい。時間の描写を逆にするのは『 メメント 』などもあり、珍しいものではなくなってきているが、本作のように時間の順序をシャッフルしてしまうというアイデアは秀逸だと思う。このことによって思わぬサスペンスが生まれている。

 

例えば娘の顔の傷。あるいは洗面所に無造作に放置された錠剤。謎が生まれるたびに、その謎がいつの時点で発生したのかを考えてしまい、引き込まれる。これが例えば『 オフロでGO!!!!! タイムマシンはジェット式 』のような普通のタイムトラベルものだと、現代と過去の違い(たとえば片方の腕の有無)から、過去に何かが起きたと分かる。問題は、時間の流れが一方通行であるため、現代につながる事件の起きる瞬間に対して主人公たちが受け身にならざるを得なかったところ。本作は逆に、待っていれば欲しい情報が得られるわけではない。次から次へと意味不明の展開が起こり、別の曜日になってみて初めて、その意味が分かる。ある意味で『 TENET テネット 』のような構成なのだ。ここが非常に新鮮で面白かった。

 

オチも、この手の時間改変スリラーの中では王道と言えるものだが、後味は悪くない。むしろ、Memento moriの元来の意味に近いCarpe diemという哲学を想起させる。Milfyなサンドラ・ブロックが堪能できる佳作。

 

ネガティブ・サイド

超常現象、あるいは怪奇現象を思わせる演出のすべてがノイズである。カラスの死骸のシーンでは、「あれ、これって『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』の系統のストーリーなの?」と感じてしまった。妙な演出など不要、ストレートに不可解なシャッフル現象だけを取り上げれば良い。ストーリーの根本にあるのは「何故こうなっているのか」ではなく、「この状況で何をなすべきか」なのだから。

 

ジムの出棺のシーンもめちゃくちゃ。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』でも、御棺を警察官2人で軽々と運ぶシーンがあったが、プロレスラー並みの力持ちかいな。本作は本作で、男二人で運ぼうとした棺をガタンと落としてしまい、中から首がゴロゴロゴロ、ってそんな馬鹿な。普通は簡単にでも縫い合わせる。その上で縫合部に包帯を巻くのが常道だ。ここでも場に不穏な空気を流したいという園主のためだけに、リアリティが著しく損なわれてしまっている。なんでもかんでも現実に即せと言いたいわけではない、念のため。その作品の持つ世界観と合っていないのだ。

 

世界観にマッチしない最大のノイズと感じたのは、牧師?神父?がリンダに教えを与えるシーン。信仰の本質を突いた鋭い説教だと感じたが、これを最終盤手前に持ってくるのなら、序盤のホラー的な演出はすべてが無意味である。なので、このシーンをバッサリ削るか、あるいはこけおどしシーンを全て切り落として説教のシーンを活かすかである。監督:メナン・ヤポ監督は、このあたりのバランスを見失った。二兎を追う者は一兎をも得ずである。

 

総評 

壮大な謎や陰謀の存在をにおわせるが、その謎解きも無し。けれども『 エミリー・ローズ 』のように謎を解くことに主眼があるのではなく、その謎に立ち向かう人間の姿に美点を見出すならば、なかなかの良作と言えるのではないだろうか。英語でたまにa rainy day DVD=雨の日にちょうど良いDVDと言ったりするが、時代に合わせてa stay-home day DVD=外出自粛日にちょうど良いDVDという言葉を提唱したい。本作は、a stay-home day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Tell me about it.

『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』でも紹介したフレーズ。「言われなくても分かってるさ」、「まったくその通りだ」、「よく分かるよ」という意味である。こうした表現をナチュラルに使えるようになれば、上級者の一歩手前である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, サンドラ・ブロック, スリラー, 監督:メナン・ヤポ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 シャッフル 』 -サンドラ・ブロックを堪能せよ-

『 悪魔を見た 』 -悪魔を倒すには悪魔になるしかないのか-

Posted on 2021年1月26日 by cool-jupiter

悪魔を見た 80点
2021年1月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ビョンホン チェ・ミンシク
監督:キム・ジフン

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『 さんかく窓の外側は夜 』がイマイチだったので、だったら人間がとことん怖くなる作品を観たいと思い、本作をレンタル。はっきり言って後悔した。キム・ジフン監督の独自の哲学というのか美学というのか、とにかく恐るべき人間性を見せつけられてしまった。This film is not for the faint of heart.

 

あらすじ

国家情報院捜査官スヒョン(イ・ビョンホン)は婚約者の誕生日も仕事に追われていた。その夜、婚約者は殺人鬼ギョンチョル(チェ・ミンシク)にさらわれ、殺害される。スヒョンは恋人の受けた苦痛を倍にして返してやると誓い、犯人を捜し始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

雪降る夜。人里離れた道路。車内には妙齢の美女。これで事件が起きない方がおかしいと思えるほどのオープニングである。携帯電話で語らう仲睦まじい二人の間に突如として割って入るチェ・ミンシク演じるギョンチョルは、登場してから豹変するまでわずか数分。普通、この手のサスペンスやスリラーというのは犯人の残虐性を強調するシーンは中盤まで取っておくものだ。それを序盤から惜し気もなくギョンチョルの異常な攻撃性をまざまざと見せつける。この立ち上がりだけで胸やけがしてくる。

 

復讐相手を突き止めるために警察から容疑者リストを手に入れたスヒョンが、相手を片っ端からぶちのめしていく様は爽快だ。『 デッドプール 』と『 アンダードッグ 二人の男 』ぐらいでしか見たことのなかった顔面へのサッカーボールキックが、実は本作でも放たれている。というか、本作の方が上記二作よりも古い。やはり21世紀のバイオレンス描写の本家本元は韓国なのか。

 

ギョンチョルがとあるキャラクターの頭をハンマーでガツンガツンやるシーンがあるが、これは『 オールド・ボーイ 』へのオマージュだろう。頭を鈍器や棒で殴るシーンのある映画は数多く存在するが、北野武の『 その男、凶暴につき 』で北野武が金属バットで男の頭をから竹割にするシーンと同じだけの痛みが伝わる描写が本作にはてんこ盛りである。観ているだけで痛い。

 

スヒョンがギョンチョルと初めて相まみえるシーンのアクションも見物。稀代の殺人鬼に真正面から立ち向かい、実力で半殺しにしてしまう。半殺しというのも誇張ではなく、気絶した相手の手を大きな石の上に乗せて思い切り踏みつぶしたり、片方のアキレス腱を切ったりと、殴って失神させましたというレベルの暴力ではなく、相手に障がいを残すようなレベルの暴力。

 

この他にもギョンチョルのやっている血みどろの解体作業もおぞましい。『 ミッドサマー 』や『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』のような人体破壊描写があるわけではないが、これらの作品にあった「リアルな作り物を壊している」感は本作にはない。その代わりに「その血のりは本当に血のりか。まさか本物ではあるまいな。そこに転がっている胴体は作りものだよな?襦袢だよな?」と確認したくなるような気味の悪さ。

 

スヒョンの同僚がポロっと漏らした一言から、追うスヒョンと逃げるギョンチョルの立場が逆転。安心できるハラハラドキドキが、不安と恐怖のハラハラドキドキに変わる。これによって人間性をなくしていたスヒョンの目に生気がよみがえる。ここまで、とにかく空虚な目、喜怒哀楽の喜と楽を失った目をしていたスヒョンに、人間として気遣いや配慮が見られるようになる。婚約者の家族までが逃亡するギョンチョルの魔の手にかかってしまうからだ。同時に、ギョンチョルを殺す最も残酷な方法についても、この時点で構想が浮かんだのは間違いない。人間を痛めつけるために必要なのは、非人間性なのか、それとも人間性なのか。

 

控えめに言って脚本家のパク・フンジョンと監督のキム・ジフンは頭がおかしい。CTが何かで断層撮影すれば、脳の一部が欠損している、あるいは異様に肥大しているのではないか。頭のおかしい人間が頭のおかしい犯罪を実行する、あるいは人間とは思えない残虐な殺し方をする。そういうのは分かる。ギョンチョルに限らず、映画の世界には頭がイってしまった犯罪者がいっぱいいる。しかし、頭がおかしくないはずの人間が頭のおかしい犯罪を次々に犯し、しかし最後には人間性=愛を思い起こし慟哭するというラストシーンを思い描ける人間というのは、やっぱり頭がおかしいのではないだろうか。スヒョンの凄惨な復讐劇を追体験して、まともな人間にできる所業ではないと思うと共に、自分はそこまで一人の女性を強く強く愛することができるだろうかとも自問してしまった。

 

ネガティブ・サイド

スリラーとしては完全無欠の逸品である。だが、リアリティの面で大きな演出ミスが二つ。

 

一つには、GPS入りカプセル経由で相手の声や周囲の音を聞く際に、コポポポという腸音やドクンドクンという心音がバックに流れておらず、非常にクリアな音が聞こえてきた。これは絶対にありえない。ギョンチョルの排せつ物まで描くほどのリアリズムを追求する本作であれば、そうした細かな部分にまで神経を行き届かせてほしかった。

 

もう一つには、ギョンチョルのムショ仲間のアジトでのセックスシーン。女性側が普通に犯されているだけ。もっと頭のイカれた女性像を打ち出せたはず。たとえば欲求不満のたまっているミンシクを逆に食ってしまうような豪の女性とか。全編に異様に張り詰めた雰囲気が充満する中、このシーンだけが普通に感じられてしまった。

 

総評

20歳ぐらいの時に観た『 タイタス 』でタイタス・アンドロニカスを演じたアンソニー・ホプキンスを観て、「ああ、『 羊たちの沈黙 』的なキャラをまた演じているなあ」と感じたが、本作のスヒョンを演じたイ・ビョンホンの復讐劇は、ある意味で『 タイタス 』を超えている。これほど一人の男の復讐劇に感情移入し、嫌悪感を催し、さらには畏敬の念すら持ってしまうという映画体験は初めてである。生きるとは何か。死ぬとは何か。とにかく、韓国人をパーソナルな意味で敵に回すのは避けた方が賢明である。そんなことを思わせてくれる韓流リベンジ・スリラーの秀作だ。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

『 アンダードッグ 二人の男 』その他で紹介した「この野郎」という表現。本作でもギョンチョルが何度も何度も口にする。韓国映画で相手を口汚く罵る時には、必ず出てくる表現だと思って間違いない。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, イ・ビョンホン, サスペンス, スリラー, チェ・ミンシク, 監督:キム・ジフン, 配給会社:ブロードメディア・スタジオ, 韓国Leave a Comment on 『 悪魔を見た 』 -悪魔を倒すには悪魔になるしかないのか-

『 マー サイコパスの狂気の地下室 』 -邦題担当者は切腹せよ-

Posted on 2020年12月27日 by cool-jupiter

マー サイコパスの狂気の地下室 50点
2020年12月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オクタビア・スペンサー ダイアナ・シルヴァーズ
監督:テイト・テイラー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201227231918j:plain
 

YouTubeか何かでトレイラーを観て、「たまには頭を使わずサスペンスでも観るか」とTSUTAYAでレンタル。よくよく見ればオクタビア・スペンサーだけではなく『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』の最後の最後でインパクトを残した同級生役のダイアナ・シルヴァーズも出演しているではないか。ホリデーシーズン向けの映画ではないが、パーティーがしづらい今だからこその映画だと割り切って鑑賞した。

 

あらすじ

マギー(ダイアナ・シルヴァーズ)は引っ越し先の学校の友だちと飲み会をすることに。高校生であるため誰か大人に酒を買ってもらおうと、通りがかった女性スー・アン(オクタヴィア・スペンサー)に依頼する。何度か彼女に酒を買ってもらっているうちに、スー・アンは自宅の地下室をパーティー用に貸してくれると言い・・

ポジティブ・サイド

オクタヴィア・スペンサーと言えば『 ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜 』、『 ドリーム 』、『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』、『 シェイプ・オブ・ウォーター 』のような優しいおばさん、強いおばさんのイメージが強かったが、『 ルース・エドガー 』や本作を通じて、キャリアの方向性を少し変えつつあるようである。人好きのするおばさんが徐々に変質していく様は非常にサスペンスフルだった。特に印象に残ったのは、ある抱擁のシーン。これはマギー視点からすれば、震え上がるしかない。オクタビア・スペンサーの円熟の演技力に磨きがかかったと言えるだろう。

 

本作はリベンジ・スリラーに分類される。スー・アンは生まれながらのサイコパスではない点に注意。というか、後天的にサイコパスになったわけでもない。学生時代にトラウマを植え付けられ、片田舎でひっそりと暮らしてきたところに、思いがけず復讐のチャンスが巡ってきたというストーリーである。田舎特有の人間関係が垣間見られ、どこか『 スリー・ビルボード 』を彷彿とさせる。限定的なコミュニティ内では人間関係も限定的になり、それゆえに濃密なものになる。問題はその濃さが人間関係のどういった要素によるものなのかだ。そうした意味で、序盤の酒盛りが警察官に見つかるシーンは、この片田舎のコミュニティの人間関係がきわめて長く、そして強く維持されてることが示唆されていた。

 

他にも最序盤の学校のシーンが終盤の伏線になっていたりと、作り自体は非常にフェアである。マーがマギー達を追い詰めていく反面で、マーも次第に追い詰められていく。Social Mediaを巧みに使い、何かあればすぐにググって対策を練るところも現代的。登場人物の心理描写を極力排して、代わりに具体的な行為を見せることでキャラクターの内面がかえってよく見える。本作には芸術映画要素はなく、徹底して商業映画である。斬新な殺し方もあるので、復讐ものが好きな方はどうぞ。

 

ネガティブ・サイド

マーのリベンジ方法の濃淡に差があるところにが不満である。Motor mouthな女子高生に「え、それやっちゃう?」というお仕置きを加える一方で、黒人少年に対してはpunishにならないpunishmentを与える。やるなら残虐に徹してほしい。

 

全編を通じて、母と娘の物語を紡ぎ出そうとしているのだろうが、そのあたりは盛大に失敗している。マギーと母親の関係性、そしてスー・アンの母性。このあたりからもっとコントラストを利かせたサブ・プロットが生み出せたはず。原題=Ma=母親というからには、子どもとの関係性をもっと追求せねばならない。同じ母親映画にしても『 母なる証明 』や『 MOTHER マザー 』と比較すれば、数段落ちる。

 

もっとスー・アンとパリピ学生以外の視点からの物語も欲しかった。ルーク・エヴァンスはもっと効果的に使えたはず。大人たちからスー・アンに抗議が行くが、当の子ども達が「スー・アンは悪くない!!」と言い張るような展開、『 ミセス・ノイズィ 』のように同じ事象を異なる視点で見つめるというシークエンスがあれば、サスペンスがもっと盛り上がったのにと思う。

 

最後にこれだけは言っておきたい。この邦題はおかしい。これは別に作品の罪ではないが、なぜにこのようなアホな副題をつけるのか。上で挙げた『 ドリーム 』も当初は『 ドリーム 私たちのアポロ計画 』という、イメージ先行かつ史実無視の酷いものだったし、効果間近の『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』も、崖っぷち~の部分は不要だ。映画の宣伝会社や配給会社はもっと日本の映画ファン、さらには日本語話者の国語力を信頼すべきだ。

 

総評

典型的な a rainy day DVDだろう。純粋な娯楽映画で、ここから何かメッセージを受け取ろうなどと思ってはダメ。観終わってから「いやあ、片田舎の人間関係って怖いね」と呟いて、一か月後にはすべて忘れてしまう。そのぐらいのスタンスで観賞すべきだろう。オクタビア・スペンサーのちょっと怖い演技を堪能して、ダイアナ・シルヴァーズで目の保養をする映画だと割り切るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Ma

「母」の意味。呼びかけで使う。Mama, Mommy, Momなどがあるが、Maという単純な呼びかけも結構使われる。テレビドラマ『 リゾーリ&アイルズ ヒロインたちの捜査線 』でも主人公のジェーンは自分の母親を常に“Ma”と呼んでいた。ちなみにmamaというのは、哺乳類=mammalや乳房X線撮影=mammographyと起源を一にする語である。母とは乳なのだ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, オクタビア・スペンサー, サスペンス, スリラー, ダイアナ・シルヴァーズ, 監督:テイト・テイラーLeave a Comment on 『 マー サイコパスの狂気の地下室 』 -邦題担当者は切腹せよ-

『 親切なクムジャさん 』 -イ・ヨンエの復讐劇に戦慄せよ-

Posted on 2020年9月19日 by cool-jupiter

親切なクムジャさん 70点
2020年9月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ヨンエ チェ・ミンシク オ・ダルス
監督:パク・チャヌク

 

Jovianの教えている大学の女子大生たちが『 愛の不時着 』に夢中になっている。だが彼女らは知らないだろう。自分たちが生まれた頃、あるいは直後ぐらいに放送された『 冬のソナタ 』や『 宮廷女官チャングムの誓い 』は、自分たちの親世代を熱狂させていたことを。特に前者のペ・ヨンジュンはマダムを、後者のイ・ヨンエはオッサンの心を鷲掴みにしていた。当時20代だったJovianもイ・ヨンエの虜になったものだ。そのイ・ヨンエの新作が間もなく公開される。復讐・・・ではなく復習のために本作をレンタル。

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あらすじ

誘拐と殺人の罪で服役するクムジャ(イ・ヨンエ)だったが、彼女は無実だった。13年の刑務所暮らしの中で囚人仲間に数々の親切を施すクムジャだったが、それはシャバに出た時に真犯人に復讐するための仲間作りのためだった。そして彼女の復讐劇が幕を開ける・・・

 

ポジティブ・サイド

どうしてもチャングムのイメージが強いが、あのドラマでも少女の天真爛漫さ、放逐されて途方に暮れる表情、医女となる決意を固めた顔、王や長年相思相愛だった文官とのロマンスで見せる艶のある顔など、イ・ヨンエの演技力の幅はすでに証明されていた。しかし、『 オールド・ボーイ 』のパク・チャヌク監督は、そんなイ・ヨンエの内からダークサイドを引きずり出した。復讐を果たさんとするクムジャの怒りと悲しみに満ちた苦悶の表情は、アカデミー賞級ではないか。『 MOTHER マザー 』のラストでは長澤まさみにこのような表情を見せてほしかったのだ。鬼子母神がいるとすれば、それはイ・ヨンエのような表情を見せる狂乱の母であろう。また、ホラー映画かと見紛うほどの顔面崩壊劇を見せており、美貌も何もかも吹っ飛ばしている。『 ディストラクション・ベイビーズ 』の柳楽優弥のボコボコの顔をイ・ヨンエが再現したと言ったら、その衝撃と恐怖が伝わるだろうか。とにかく本作はイ・ヨンエの表情だけでご飯が3杯はいけるのである。

 

脇を固める復讐仲間も味わい深い。刑務所と言えば『 ショーシャンクの空に 』や『 ブラッド・スローン 』のように、良くも悪くも濃密な人間関係が生まれるところである。中には殺人者だったいるわけで、そうした者たちとの交流と友情は、単なる友人関係を超えて戦友の域にあるのだろう。パク・チャヌク演じる教師に復讐するために、そこまでやるかと思う仕込みがある。普通に考えれば成立しないプロットだが、刑務所あがりならありえるかもしれないと思わせるパワーがあった。『 ショーシャンクの空に 』のアンディとレッドの抱擁がどんな男女のロマンスよりもセクシーかつ崇高に見えたように、特別な人間関係は刑務所で生まれるのかもしれない。

 

復讐のために生きる。その姿は時に神々しいまでに美しいが、復讐を果たした時にその輝きがどうなるのかは誰にも分からないだろう。『 アジョシ 』でも、ソミが殺されたと思い込んでいたテシクは、組織に復讐を果たした後、自らの頭を銃で撃とうとした。復讐は生きる理由になるが、逆に言えば死ぬ理由にもなる。親切なクムジャさんが最後に見せる表情とは何か。そして我々はその表情を見られるのか。その答えは是非、自分の目でお確かめを。

 

ネガティブ・サイド

凄惨な暴力シーンもあるが、『 オールド・ボーイ 』が凄すぎたこともあり、今一つ衝撃的には感じなかった。SBホークスの柳田みたいだ。超弾丸軌道の特大ホームランをコンスタントにかっ飛ばすせいで、普通にスタンドに入るだけのホームランでは客は満足しない。

 

クムジャの有罪を確信しきれない刑事が少々無能すぎやしないか。『 暗数殺人 』のように、大人絡みの事件なら、事件が表面化せず、結果的に暗数犯罪になってしまうこともあるだろうが、子どもばかりを狙う誘拐犯という線で捜査をしていけば、チェ・ミンシクには割とすぐにたどり着けたのではないか。

 

また復讐の女神としてのイ・ヨンエが終盤で少々ぶれる。刑務所仲間は良いとしても、その他のキャラクターにも登場してもらうのは、物語的にはノイズになっていた。いっそのことキム・ヘジャとは一味違った『 母なる証明 』を追求してほしかったと思う。協力者はいても、ミッションの最も肝の部分は自分が達成するのだという気概が弱かったように感じた。

 

総評

韓国映画お得意の復讐物語としては標準以上の面白さ。イ・ヨンエの演技力の幅を存分に堪能することができる。日本でもバイオレンス物はそれなりに作られているが、血の臭いが漂ってくるもの、見ているこちらまで痛みを感じてしまうもの、キャラクターの放つ瘴気に精神を摩耗させられるものとなると、韓国映画には残念ながら敵わない。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』が待ち遠しくなるし、イ・ヨンエの銀幕への復帰が、ウォンビンに良い刺激を与えてくれるのでは、との期待も生まれる。

 

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クロニカ

だから、の意。『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』でも紹介した表現。慣れてくれば、「クロニカ、オーケー(OK)」とか「クロニカ、カジャ」のように、すでに知っている表現を組み合わせて使ってみるのもよいだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, イ・ヨンエ, オ・ダルス, スリラー, チェ・ミンシク, 監督:パク・チャヌク, 配給会社:東芝エンタテインメント, 韓国Leave a Comment on 『 親切なクムジャさん 』 -イ・ヨンエの復讐劇に戦慄せよ-

『 妖怪人間ベラ 』 -竜頭蛇尾のサイコサスペンス・スリラー-

Posted on 2020年9月18日2022年9月15日 by cool-jupiter

妖怪人間ベラ 50点
2020年9月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:森崎ウィン emma 桜田ひより
監督:英勉

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『 ぐらんぶる 』は悪いが予告編だけ観て、「これは時間とカネの無駄かな」と感じたが、同じ監督がどうしてなかなかのサイコサスペンスを送り出してきた。惜しむらくはラストに失速してしまったこと。着地さえしっかりしていれば、今年の邦画トップ5に入れたかもしれない。

 

あらすじ

新田康介(森崎ウィン)はTVアニメ『 妖怪人間ベム 』のコンプリートDVDボックス発売の仕事の際に、幻の最終回を観ることになる。その衝撃的な展開を目の当たりにした康介は徐々に精神のバランスを崩していく。その頃、ある高校に謎めいた少女、ベラ(emma)が転校してきていた・・・

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ポジティブ・サイド

ベラを演じたemmaは不気味さと可憐さを両立させるという稀有な役割をしっかりとこなした。『 富江 』や『 貞子 』とは異なる方向性のキャラクターで、現代的かつ正統的ゴシック・キャラクターになっていた。

 

桜田ひより演じるキャラの狂いっぷりもなかなか。青春とはキラキラと輝くだけではなく、どす黒い情念も渦巻いているもの。ベラという相反する属性の魅力を持つキャラにあてられた人間の無様さや非情さを体現していた。

 

だが、やはり一番の狂いっぷりを発揮したのは森崎ウィンだろう。豹変という表現にふさわしい変わり方で、家の電話で部長と話す時のそれは、そんじょそこらのホラー映画以上の怖さだった。手斧を抱えて家族を追うのは『 シャイニング 』のジャック・ニコルソンへの大胆なオマージュで、本家に劣らぬ恐怖と迫力を生みだせていた。

 

今という時代に妖怪にフィーチャーする意味を考えてみるのも面白いだろう。Jovianの世代では妖怪と言えば鬼太郎であってベムではなかったが、両者に共通するのは人間の与り知らぬ領域で人間に害為す存在と戦っているということだ。元々、彼ら妖怪は日本人の差別意識の裏返し的な存在だったと思われるが、コロナ禍で浮き彫りになったエッセンシャル・ワーカーという存在がどういうわけか世間からいわれのない差別を受けているという今日的背景を透かして本作を鑑賞するのも、それはそれで乙なものである。

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ネガティブ・サイド

これはもうラストの展開に尽きる。キャストの無駄遣いもいいところだし、原作『 妖怪人間ベム 』の作品に宿る精神をぶち壊すかのような展開にはめまいがしてしまった。CGも低品質だし、とあるアイテムの使い方も間違えている(タバコは吸いこまないと火がつかない)。無理やりこうやって終わらせるしかなかったのか・・・

 

人間関係の描写も弱い。というか、康介が綾瀬の葬式を訪ねる必然性が見当たらなかった。芸能事務所とDVD制作・販売の仕事をつなげる描写をほんの少しでも入れておくべきだろう。

 

様々な展開が虚実皮膜の間にたゆとう本作だが、実の部分の細部に粗が目立った。清水尋也のキャラクターが康介に「そろそろ会社に出た方がいいっすよ」的なアドバイスを送るが、会社をさぼってベムにのめり込んでいるという描写はなかったし、オフィスで上司が「あいつは何故出勤してこない?」と言うようなシーンもなかった。また綾瀬の死の真犯人など、警察がちょっと捜査すれば一発で判明するだろう。そんな相手がずっと野放しになっているのは何故なのか。

 

ベラと康介の接触の回数が少なすぎる。あるいは、接触に濃密さが圧倒的に不足していた。きっかけは幻の最終回だったかもしれないが、康介の狂気の触媒はベラとの出会いだったのは間違いない。ならば、ベラと康介の邂逅をよりドラマチックなものにするか、あるいは接触の回数をもう少し増やすべきだっただろう。

 

総評

かなり観る人を選ぶであろう。ホラーは苦手という人は避けたほうが良いかもしれない。逆にホラー好きなら終盤の手前まではかなり楽しめることだろう。『 妖怪人間ベム 』の知識が皆無な人が本作を観るとは思えないが、なんらかの知識を持っていることが望ましい。いったん鑑賞を始めてしまえば、シーンとシーンのつながりの悪さには目をつぶるべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take medicine

薬を飲む、の意。受験英語では今でもdrink medicineは誤りだと教えることがあるらしいが、液体の薬ならdrink medicineと言ってもOKである。だが、一般的には take medicine の使用頻度が高い。medicineのところにa pillやa tablet、syrupやa cough dropなど具体的な薬を表す語を入れて使ってみよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, emma, サスペンス, スリラー, 日本, 桜田ひより, 森崎ウィン, 監督:英勉, 配給会社:DLELeave a Comment on 『 妖怪人間ベラ 』 -竜頭蛇尾のサイコサスペンス・スリラー-

『 チェイサー 』 -韓国版『 セブン 』+『 ソウ 』-

Posted on 2020年6月20日 by cool-jupiter

チェイサー 80点
2020年6月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ユンソク ハ・ジョンウ ソ・ヨンヒ
監督:ナ・ホンジン

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『 PMC ザ・バンカー 』のハ・ジョンウの出演作。鬱映画だと聞いていたが、この作品は確かに精神的にくるものがある。

 

あらすじ

元刑事のジュンホ(キム・ユンソク)はデリヘルを経営している。しかし、所属する女性二人が行方をくらます。誰かに売り飛ばされたと直感したジュンホはミジン(ソ・ヨンヒ)使って独自におとり捜査を開始。自店に他店にも記録のあるヨンミン(ハ・ジョンウ)という客をジュンホは追走して捕まえるが・・・

 

ポジティブ・サイド

2000年代の作品だが、やはりここにも『 国家が破産する日 』の傷跡が見える。刑事を辞めて、どういうわけかデリヘル経営者になっているジュンホが、最初は自社の商品を誰かに奪われていると憤慨し、行動を起こす。それが徐々に、社会的な弱者を自分が守らねばという使命感へと変わっていく。警察はあてにならない。所詮は権力者の犬である。ナ・ホンジン監督のそんな信念のようなものが物語全体を通じて聞こえてくるようである。

 

それにしても、ジュンホ演じるキム・ユンソクの妙な迫力はどこから生まれてくるのか。『 オールド・ボーイ 』でオ・デスを演じたチェ・ミンシクもそうだが、一見すると普通のオッサンが豹変する様は韓国映画の様式美なのか。『 アジョシ 』の悪役、マンソク兄のように三枚目ながら、やることはえげつない。こうしたギャップが、決してlikeableなキャラクターではないジュンホを、観ている我々がだんだんと彼のことを応援したくなる要因だ。最初の15分だけを観れば、ジュンホが主役であるとは決して思えない。むしろ、こいつが悪役・敵役なのでは?とすら思える。普通に社会のゴミで、普通に女性の敵だろうというキャラである。何故そんな男を応援したくなるのか。その絶妙な仕掛けは、ぜひ本作を観て体験してもらうしかない。アホのような肺活量と無駄に高い格闘能力も、何故か許せてしまう。なんとも不思議なキャラ造形である。

 

だが、キャラの面で言えばハ・ジョンウ演じるヨンミンの方が一枚も二枚も上手。『 殺人の追憶 』の真犯人はこんな顔だったのではないかと思わせるほど平凡な見た目ながら、その内面は鬼畜もしくは悪魔。このギャップにも震えた。それも『 羊たちの沈黙 』のハンニバル・レクター博士のような超絶知性のサイコパスではなく、『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』などのポン・ジュノ作品でも静かにフィーチャーされた知的障がい者を思わせる男で、どこまでが素なのかが全くつかめない。本当に知的に問題のあるキャラかと言うと違う。ミジン(そして、その前の二人も)を自宅に連れ込んで、あっさりと監禁してしまうまでの流れは、非常に知性溢れる犯罪行為である。けれど、警察の取り調べにあっさりと口を割ってしまうところなど、どこか幼い子どもを思わせる素直さ。これほど掴みどころのない猟奇殺人者はなかなか見当たらない。その語り口はどこか『 ユージュアル・サスペクツ 』のケビン・スペイシーを彷彿させる。実在の事件と犯人に基づいているというところに韓国社会の闇と、その闇に多くの人に目を向けてほしいという韓国映画人の気迫を感じる。

 

それにしても韓国映画のバイオレンス描写というのは、いったい何故にこれほど容赦がないのか。ミジンを殺そうと金槌で特大の釘を後頭部にぶち込もうとするシーンは、観ているだけで痛い。『 ソウ 』でとあるキャラクターが壮絶な自傷行為を行うシーンも視覚的に痛かったが、本作はもっと痛い。路上のチェイスでついにジュンホがヨンミンを捕らえ、マウント状態からアホかというぐらい殴るシーンも痛い。邦画にありがちな口から血がタラリといったメイクや演出ではない。顔が腫れる、出血する、傷跡が残る、痛みで目がチカチカする。殴られる側の痛みが観る側にまで伝染してくるかのような描写だ。

 

鬱映画とは聞いていたが、エンディングも救いがない。まさしく韓国版『 セブン 』である。奇しくもこれもケビン・スペイシーか。猟奇殺人者やシリアル・キラーの恐ろしいところは、殺人行為そのもの以上に、何が彼ら彼女らを殺人に駆り立てるのかが不明なところにある。弁護士との接見シーンでヨンミンが性的に不能だから、その腹いせに女性を殺したのだという説が開陳される。単純で分かりやすい説明だ。だが、ヨンミンの甥っ子の負った頭の大怪我はいったい何なのか。ヨンミンが女刑事の“性”を揶揄するシーンは何を意味するのか。宗教的なシンボルを半地下の部屋の壁に描きたくったのは、いったいどういう衝動に突き動かされたからなのか。ヨンミンという殺人鬼の内面に迫ることなく閉じる物語は、我々に圧倒的な無力感と敗北感を味わわせる。だが、その先に一縷の望みもある。社会の底辺に生きる者同士の連帯を予感させて、物語が終わるからだ。後味の悪さ9、光の予感1である。それでも光は差しこんでくると信じたいではないか。

 

ネガティブ・サイド

ギル先輩とその仲間たちとジュンホの絡みが欲しかった。何の説明も示唆もないままに、「またお前が何かやりやがったのか!」という態度は、下手をすると偏見や差別になりかねない。もちろん偏見や差別に対する糾弾の意味合いも本作には込められている。けれど、偏見・差別は関係性が全く存在しない相手との間に発生する傾向のあるものだ。彼らの態度は、悪を許すまじというある意味で度を超えた正義感の持ち主であるジュンホという人間へのまなざしではなく、デリヘル経営者という社会のはみ出し者への視線に感じられた。

 

ジュンホの部下であるチンピラは最後はどこに行った?素晴らしく良い顔の俳優である。この男の活躍をもっと堪能したかったのだが。

 

クライマックスの展開の引っ張り方が少々強引かつ冗長だった。検事から12時間以内に証拠を出せと言われて、タイムリミットが設定されているうちはよいが、それを過ぎてしまった後の流れとテンションが中盤から後半のそれに比べて、やや落ちた。

 

総評

傑作と評して良いのかどうかわからないが、それでも最後までハラハラドキドキを持続させる良作である。グロ描写や暴力描写が多めなので観る人を選ぶ作品だが、社会矛盾を穿つメッセージ性と、社会的弱者を救うのはまた別の社会的弱者という希望とも絶望とも取れる内容は、これまた観る人を選ぶ。サスペンスの面だけ見れば、迷うことなく傑作である。この緊張感はちょっと他の作品では得られない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アニ

日本語では「いいや」ぐらいの軽い否定語。アニアニ=いやいや、も韓国映画ではちらほら聞こえてくるような気がする。外国語学習のコツの一つに「はい」、「いいえ」と1~10の数字をまずは覚えろ、という教えがある(ボクシングジャーナリスト・マッチメーカー・解説者のジョー小泉)。なかなか機会は訪れないだろうが、韓国旅行や韓国出張の際に土産物屋であれこれ売りつけられそうになったら「アニアニ」と言ってやんわりと断ろう。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2000年代, A Rank, キム・ユンソク, サスペンス, スリラー, ソ・ヨンヒ, ハ・ジョンウ, 監督:ナ・ホンジン, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 チェイサー 』 -韓国版『 セブン 』+『 ソウ 』-

『 アウトブレイク 』 -アメリカの本音が詰まったウィルス・パニック映画-

Posted on 2020年5月31日 by cool-jupiter

アウトブレイク 70点
2020年5月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダスティン・ホフマン ケビン・スペイシー モーガン・フリーマン
監督:ウォルフガング・ペーターゼン

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これは確か高校3年生ぐらいの時にWOWOWだかレンタルVHSだかで家族そろって観た記憶がある。エボラ出血熱のニュースがその2~3年前にあり、人食いバクテリアなる言葉が人口に膾炙するようになった時代だったように思う。本作もまたCOVID-19禍によって再評価が進む作品の一つだろう。

 

あらすじ

サム(ダスティン・ホフマン)はアフリカで未知のウィルスが猛威を振るうの目の当たりにして、アメリカ本土も警戒の要ありと認めた。だが軍の上層部や政府は動かない。そうしている間にも、シーダー・クリークという田舎町で突如謎の感染症によって人々が死に始める。サムはこの苦境に立ち向かえるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

単純に未知の病原体が現れて人類を恐怖と混乱のただ中に放り込む・・・というだけのストーリーではない。そこには職業人と家庭人の両立をできなかった男の悲哀があり、軍という自制が必要な組織体の自制の無さという問題があり、なおかつ自然と人間の適切な距離の問題がある。さらに過剰とも思えるほどのヘリコプター・アクションもあり、よくこれだけのストーリーを2時間に凝縮したなと、脚本家と監督、そして編集の手腕に感心させられる。

 

25年前の映画だが、現代にも通じる点としてウィルスが変異する点が挙げられる。COVID-19もアジア株とヨーロッパ株の2種に大別できるとされているが、実際は何十にも何百にも枝分かれしているとされる。小説および映画化もされた『 パラサイト・イブ 』では「ミトコンドリアは人間の10倍の頻度で変異する、つまり人間の10倍のスピードで進化する」とされていた。微生物を人間がどうこうしようというのが、そもそもおこがましいことなのかもしれない。ましてや兵器にしてやろうなどと。そうしたことも本作から学べるのだ。

 

ダスティン・ホフマンの名探偵も斯くやの快刀乱麻を断つがごとしの推理や論理展開の速さは必見。そして「自分を抜きにしてアメリカの防疫を語るな!」というプライドとプロフェッショナリズム。日本にこれほど熱く有能な科学者や官僚はいるのだろうかと思われてしまう。モーガン・フリーマンやドナルド・サザーランドのいかにもアメリカ軍人らしい冷徹さも、そのコントラストが際立っている。その裏には少数を切り捨てることで絶対的多数を守ろうと決断する者たちの姿が見えるからだ。シーダー・クリークを爆撃し、ウィルスおよび感染者を文字通りに一掃しようと立案する大統領補佐官らしき男の官僚連中への「この顔を刻み付けろ!一生思い出す顔だ!」という怒声は、果たしてダイヤモンド・プリンセス号を見捨てた(としか思えない)日本政府の中でも聞かれたのだろうか。フィクションと現実を比較しても詮無いことだが、現実がフィクションに侵食されている今こそ、現実を鋭く批判検証せずに、いつするというのか。

 

アクションも熱い。現代ならおそらく95%はCGで描いてしまうであろうヘリコプターのチェイスと曲芸飛行を、おそらく9割は実物、1割は模型(ハンマーヘッドターンはさすがに模型だろう)だと思われるが、それでもこのヘリコプターアクションのシークエンスは90年代の作品では『 ターミネーター2 』のそれに次ぐクオリティであると感じた。相当な腕っこきパイロットを連れてきたのだろうな。

 

ネガティブ・サイド

ヘリコプターの燃費が良すぎる。通常巡航速度以上の飛行をずっと続けて、なおかつ戦闘機動も織り交ぜ、なおかつ巡航速度を超大幅に下回る飛行を行いつつも、給油なしで飛び続けるあのヘリコは一体全体何であるのか。またAWACSがついていながら軍用ヘリをロストするというのも頂けない。カーナビがついているのに迷子になった、あるいは暗視スコープをつけているのに暗闇でこけてしまった、そういうレベルの盛大なミスである。さすがにちょっとご都合主義が過ぎやしないか。

 

ケビン・スペイシーの感染シークエンスが不可解だ。あの一瞬でウィルスを吸い込んでしまうだろうか。あれでは、防護服周辺に来た人間全員に感染してもおかしくないではないか。その後のラボの人間が誰も発病していないところを見ると、防護服に穴が開いた瞬間に感染というのも大げさすぎる演出だと感じた。

 

土壇場での血清培養も、シーダー・クリークのような地方の片田舎でどのように行ったのだろうか。厳密な温度管理や滅菌処理など、かなり大掛かりな施設が必要となるはずだが、「いいぞ、もっとドンドン作れ!」とはこれいかに。

 

総評

色々と不可解な面もあるが、ヒューマンドラマの要素とSFの要素、そして家族愛や友情の要素に、『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』が前面に出しきれなかった人間vs自然のような視点までも包含した、ジャンル横断的な傑作である。願わくば、『 Search サーチ 』のような様式、すなわち全編これ顕微鏡下の映像だけで送る最近・ウィルスのパニック・スリラーも観てみたい。映画関係者よ、作るなら今だ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m on it.

itは大抵の場合、何らかの仕事やミッションを指す。「自分がそれを担当します」、「今取り組んでいるところです」のような意味で、日常会話というよりは、どちらかというと職場でよく使われる表現。実際にJovianの職場でも、

 

X: “We need to make a guideline for this.”「ガイドラインが必要だな」

Y: “I’m on it.”「私が作成します」

 

のようなやりとりはまあまあの頻度で聞こえてくる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, B Rank, アメリカ, ケビン・スペイシー, スリラー, ダスティン・ホフマン, モーガン・フリーマン, 監督:ウォルフガング・ペーターゼン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 アウトブレイク 』 -アメリカの本音が詰まったウィルス・パニック映画-

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