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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: コメディ

『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

Posted on 2019年9月13日2020年4月11日 by cool-jupiter

ヒンディー・ミディアム 70点
2019年9月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:イルファン・カーン サバー・カマル ティロタマ・ショーム
監督:サケート・チョードリー

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日本でも一頃、お受験をテーマにしたテレビドラマが流行していた。日本でも受験の低年齢化が進んだが、結局は学力レベルの二極化を推し進めてしまっただけのように感じる。だが、インドという国に根強く残る格差は、日本のそれとの比ではない。だからこそ、インドは自国の問題点を映画にして世界に発信するのだろう。

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あらすじ

デリーで生地屋を営むラージ(イルファン・カーン)とその妻ミータ(サバー・カマル)は娘に最高の教育を与えたいと思い、進学先を選ぼうとする。しかし、学校によっては親の学歴や住所までが合否の判断材料になると分かり、家族は高級住宅地に引っ越すも、受験結果は全滅。しかし、貧困層救済のための受験枠があることが分かり、彼らは貧民街へと引っ越すが・・・

 

ポジティブ・サイド

よく言われることであるが、小さな子どもほど有望かつ確実な投資先は存在しない。そして、その投資とは教育に他ならない。それはスポーツかもしれないし、音楽や芸術かもしれないし、学業かもしれない。いずれの分野に投資するにしても、その投資効率を最大化する為には、できるだけ早い段階で教育を始めることである。この場合、子ども自身の嗜好や適性を考慮すべきかどうかは、タイガー・マザーという言葉がアメリカで聞かれるようになって以来、常に論争の的となっている。

 

インドでも事情は似たり寄ったりのようである。ただし、急激な発展を遂げている最中とはいえ、その発展の波に乗れない、あるいは乗せてもらえない地域や集団も存在する。そうした特定の弱者やマイノリティーへの配慮が存在するところ、そして、裕福な家庭の子女がそうした制度を悪用としようとするところ、さらに、そうして入学した学校の校長がとんでもない人物であるところに、本作の見どころがある。コメディでありながら、刺すべきところが鋭く刺し、抉るべきところは深く抉る。

 

イルファン・カーンは『 ジュラシック・ワールド 』では真面目そうなビジネスマンだったが、元々はコメディ畑の人なのかな。嫁さんの尻に敷かれっぱなしの姿に、自分を見出す男性観客は多いだろう。そして、最後に見せる雄姿にエンパワーされる男性諸賢もきっと数多くいることだろう。

 

ラージの妻を演じたミータ役のサバー・カマルは初めて見たが、笑ってしまうほどにchew up the sceneryな役者さんである。パキスタン人とのことだが、『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』で描かれていたように、インドとパキスタンは政治的緊張をはらみながらも、文化交流は絶やしていないようである。どこかの島国と半島は両国の関係を見習うべきであろう。

 

『 あなたの名前を呼べたなら 』のティロタマ・ショームも教育コンサル役で良い味を出している。鼻持ちならない感じをギリギリで抑えつけているようで、主演を張った前作とはまるで別人。役者というのはこうでなければ。

 

貧民窟での迫害と交流、日雇い労働現場の劣悪な就業環境と冷徹なビジネスの論理、教育の崇高さと学歴社会の邪悪さ、そうした社会問題を全て包括した笑えないようで笑えてしまうコメディである。

 

ネガティブ・サイド

冒頭のラージとミータの馴れ初めのシーンは必要だっただろうか。美しい歌の調べに乗って、二人の距離が縮まっていくのは良いが、それらのシーンが主題=お受験とのつながりを欠いているように感じた。このシークエンスはバッサリとカットしてしまうか、そうでなければ10分ほどを費やして、二人の学校生活やインド社会全般における受験戦争の模様などを映像で語るべきだった。二人の若い頃の関係がもう少し丹念に描かれていれば、つまり、ラージがどれくらいミータに惚れこんでいるのかを観る側にもっと共感させることができていれば、ラストのラージの告白(二重の意味で!)がもっとドラマチックに、そしてロマンチックになっただろうと思えてならない。

 

グラマー校の校長を演じたアムリター・シンの迫力と圧力が、何故かもう一つ伝わってこなかった。うちの卒業生は云々の脅し文句が、『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のトラスク校長と丸かぶりしているからだろうか。

 

これは日本の広報担当を責めるべきかもしれないが、「英語が話せないなんて!」というキャッチフレーズをあまりにも大きく目立たせ過ぎだ。愛娘を私立にやるか公立にやるかというテーマの裏には、英語の運用能力ではなく愛情があるのである。教育とは科目や学歴ではなく、親や保護者の愛情が形を変えたものなのだ。教育が目指すべきは能力の獲得以上に、人間性の向上なのだ。英語云々を大々的に押し出すのは皮相的である。

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総評

本作もインド社会の発展と矛盾を間近に見ることができて、非常に興味深い。また、そこに自国の事情や自分自身の家族を重ね合わせてみることで、様々な反省作用も生まれてくるだろう。減点材料にしたが、英語は確かに重要な技能だ。入試改革で、英語の民間試験の導入については大揉めに揉めているが、日本も遅かれ早かれ、英語の運用能力は自動車の運転免許のように、必須ではないが持っていないことで「え?持ってないの?」と言われるような一種のコモディティになるだろう。ピアぐらいの年齢の子を持つ親世代の日本人こそ観るべき作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The customer is a god, but a wife is a goddess.

 

ラージの台詞である。「お客様は神様だが、妻は女神様なんだ」のような字幕だった気がする。イスラム以外のインドの宗教は基本的に多神教なので、冠詞のaを上ではつけている。英語の正式な慣用表現では、“The customer is always right.”と言う。機会があれば、これも使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イルファン・カーン, インド, カバー・サマル, コメディ, ティロタマ・ショーム, 監督:サケート・チョードリー, 配給会社:カラーバード, 配給会社:フィルムランドLeave a Comment on 『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

『 キラー・メイズ 』 -A typical rainy day DVD-

Posted on 2019年6月15日2020年4月11日 by cool-jupiter

キラー・メイズ 50点
2019年6月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニック・スーン ミーラ・ロフィット・カンブハニ
監督:ビル・ワッターソン

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近所のTSUTAYAで準新作を108円で借りられるクーポンが定期的に使える。いつもなら劇場で見逃して、しかし新作料金を払うほどでないと思える作品を借りる時に使うのだが、『 パズル 』を借りてきた時のように、Sometimes, I like watching garbage. だが本作はゴミと呼ぶほどの駄作ではなかった。

 

あらすじ

30歳近くになろうというのに定職もないデイブ(ニック・スーン)は、ある時段ボール箱で迷宮を作った。しかし、それは本物の迷宮になってしまい、デイブは迷子になる。そんなデイブを救出する為、ガールフレンドのアニー(ミーラ・ロフィット・カンブハニ)はデイブの悪友たちと共に段ボール箱の迷宮に足を踏み入れるが・・・

 

ポジティブ・サイド

とてもオーガニックな作りである。誰しも小さな頃、段ボールで出来た迷路や迷宮で遊んだことがあるだろう。それを題材に映画を作ったと思えば良い。しかし、そこには監督や脚本家の識閾下に眠っていた、あるいは彼ら彼女らが常日頃から愛してやまない数々のガジェットが詰め込まれている。迷宮といえばミノタウロスというのはPSゲームの『 ファイナルファンタジーⅧ 』や、漫画『 ミキストリ -太陽の死神- 』でもお馴染みだろう。また、『 スター・ウォーズ エピソード4 / 新たなる希望 』のワンシーンのパロディ的なものや『 ナイト ミュージアム 』へのオマージュ、『 キューブ 』を思わせるトラップの数々に、『 スーパーマンⅢ 電子の要塞 』的なキャラクター変化もある。そして全体的なスラップスティック・コメディ的なノリとミノタウロスからの逃走劇は、『 グランド・ブダペスト・ホテル 』の同工異曲。こういう作品の作り手に作家性やメッセージを求めてはいけないのである。自分の心の赴くままに作ってみたら、こんな風になりました、というものを、受け手側としては素直に評価するのみである。

 

それにしてもヒロイン(それともヒーロー?)を演じたミーラ・ロフィット・カンブハニは、その名前と容貌からインド系であることが推察されるが、彼女は美女である。『 PK 』のアヌシュカ・シャルマは西欧的な美女であるが、カンブハニは『 パドマーワト 女神の誕生 』のディーピカー・パードゥコーンのようなインド系、アジア系、オリエント系の美女である。テレビへの出演経験が豊富なようだが、もっと銀幕に出てきてほしいもの。

 

デイブの悪友キャラもそれなりに立っている。特に撮影の男はほとんどしゃべらない代わりに、否、それゆえか、しゃべる時に残すインパクトは絶大である。また、その他の眼鏡キャラ二人にも、”Don’t wear glasses, or you’ll look like effin’ nerds.”という言葉を送ってやりたい。素晴らしく陳腐なキャラである。これは褒め言葉である。

 

そうそう、序盤のとあるキャラの怪我が、終盤に残された素朴な疑問への答えになる。なかなかに良く練られた構想、そして脚本である。

 

ネガティブ・サイド

映画そのものの罪ではないのだが、原題の“Dave made a maze”に『 キラー・メイズ 』なる珍妙な邦題を奉ってしまうのは何故なのだ。毎年夏頃になるとわんさか出てくる低級お馬鹿ホラー映画と見せかけて、シチュエーション・スリラーチックなコメディだったではないか。Dave made a maze. というのは、I like Ike for President.のような言葉遊びなのだ。「メイズ メイズ メイズ」のような悪ふざけタイトルか、「デイブが作った迷宮」、「メイズ・ランナー 段ボールの迷宮」のような、さらに悪乗りしたタイトルでも良かったのでは?

 

ストーリーもかなり単調である。スティーブン・キング原作のテレビ映画『 ランゴリアーズ 』並みに象徴的な lady parts が現れる。これがデイブの深層心理であるというなら、アニーともっとお互いをさらけ出すよう口喧嘩シーンがあってもよかった。デイブとアニーの恋人感がどうにも弱いのだ。デイブと悪友たちとの狎れ合いは上手い具合に描けている。こういう不器用な男、自己効力感の低そうな男が、愛する人からの叱咤激励を受けて一皮むけるシーンがないのが実に悔やまれるところである。

 

総評 

雨の日の暇つぶしに最適な一本である。それ以上でもそれ以下でもない。梅雨のこの時期に何もすることが無いと言う時に、近くのレンタルビデオ店、またはストリーミングでどうぞ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, コメディ, シチュエーション・スリラー, ニック・スーン, ミーラ・ロフィット・カンブハニ, 監督:ビル・ワッターソン, 配給会社:ブラウニーLeave a Comment on 『 キラー・メイズ 』 -A typical rainy day DVD-

『 PK 』 -宗教哲学エンタメの一大傑作-

Posted on 2019年5月14日 by cool-jupiter

PK 85点
2019年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アミール・カーン アヌシュカ・シャルマ 
監督:ラージクマール・ヒラーニ

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ゴールデンウィーク中の神戸国際松竹のインド映画祭りで鑑賞が叶わなかった作品。やっとこさDVDを借りてきたが、思わず2回鑑賞してしまうほどのインパクトをJovianにもたらした。PKの母星は地球から目視できるようだが、それは木星なのか(劇中で語られる距離からすると違うようだが・・・)?

 

あらすじ

ベルギーに留学中のジャグー(アヌシュカ・シャルマ)はサルファラーズと恋人になるも、思わぬ形で破局。失意の彼女は故国インドに帰り、報道アナウンサーになる。ある日、彼女は「神様 行方不明」というビラを配布して回る奇妙な男、PK(アーミル・カーン)に遭遇して・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ターミネーター 』を思わせる冒頭のシーンで、アミール・カーンの役作りの本気度が分かる。『 ダンガル きっと、つよくなる 』でもそうだが、クリスチャン・ベールや松山ケンイチ、鈴木亮平のように役に合わせて体を作るものだ。それ以上に、まばたきをしない演技というクリシェのレベルを一段上に引き上げたことを評価したい。『 予兆 散歩する侵略者 劇場版 』の東出昌大はアミール・カーンから多大に学ぶことができるはずだ。

 

もちろん、ヒロインのジャグーを演じたアヌシュカ・シャルマも素晴らしい。次世代Indian Beautyという感じで、まるで森見登美彦(の描くへたれ男子キャラ)が恋焦がれてしまいそうなファーティマー・サナー(『 ダンガル きっと、つよくなる 』)とは、また違ったタイプの短髪アヒル口の美女である。彼女の導入シーンも、『 ヒットマンズ・レクイエム 』のパロディもしくはオマージュになっている。ベルギーで In Bruges で、一見すれば似た者同士が仲違いしそうになり、それでも上手く付き合っていきながら、しかしさらに上位の力のせいで・・・ と、やはりラージクマール・ヒラーニ監督は本作の着想のヒントを、マーティン・マクドナーから得たのではあるまいか。

 

インドという国は、日本とは多くの意味で異なる。おそらく最も理解が難しいのは宗教の違いだろう。これについてはインド人自身も自覚があるようで、これまでにも『 ボンベイ 』や『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』のような傑作が生み出されてきた。しかし、本作がこれらの先行作品に優る(と断言してしまう)のは、ヒンドゥー教とイスラム教といったような特定の宗教間の対立にフォーカスするのではなく、あらゆる宗教をまとめて張り倒して、それでも後に残るものは何かを追求しようとした点にある。『 ボンベイ 』で主人公が油を自らかぶって、「さあ、火をつけろ!」などと怒鳴るような方法で、相手も自分も宗教は違えど同じ人間だと気付かせる方法もある。一方で、『 インディペンデンス・デイ 』のように、宇宙人の襲来をもって、人類皆兄弟とある意味で強制的に納得させてしまう手法も存在する。本作のアプローチは後者の宇宙人型であるが、そこはハリウッドではなくボリウッド。宇宙人、必ずしも侵略者ならずである。

 

Jovianは大学で宗教哲学(古代東洋思想)を専攻したが、電話のかけ間違い(Wrong Number)という発想にはいたく感心した。これは哲学者アンリ・ベルクソンの「脳=電話交換局」というアナロジーに通じるところがあるからだ。人間と人間の対話がしばしば誤ってしまうのと同じく、人間と神との対話もしばしば誤ってしまう。このアナロジーが、さらに大きな意味で物語の入れ子構造になっている点にはさらにいたく感心した。『 きっと、うまくいく 』にも同様のプロット構造が採用されていたが、本作ではそれをさらに brush up した形で用いている。親子間の、また言葉によるコミュニケーションの難しさを実感する次第である。同時に、国籍や人種、信仰といった属性を剥いでしまった時に残るものを尊重できるかどうか。そのことの難しさと尊さをも実感させてくれる。

 

映画とは直接関係の無いところで面白いと感じたのは、宇宙人が language を必要としない種族であること。荒唐無稽に思えるが、language は communication を可能にする一つの媒体に過ぎず、心を読む能力さえあれば事足りるというのは説得力がある。心を読むとき、我々は抱くイメージ(!)は、文章を読むのではなく心象風景を読む、という心象風景である。知能=画像、と喝破する山本一成の知能論に説得力を感じつつあるJovianとしては、なぜ自分が殊更にビジュアル・ストーリーテリングを重視するのか。また、映像美に惹かれるのかを、本作に間接的に教えられたような気がする。

 

ネガティブ・サイド

PKの恋慕がやや唐突であった。ジャグーとの出会いの頃から、ほんのちょっとした会話や視線などを積み上げていくシーンがいくつかあれば、もっと良かった。

 

また、ダンスの兄貴との出会いをひ交通事故で描く必要性はあったのだろうか。何かもっと違う出会い方をしてほしかった。特に終盤の兄貴の story arc を考えると、勧善懲悪と言おうか、因果応報的な宗教的観念がどうしたって脳裏に浮かんでくる。兄貴には兄貴のカルマがあるのは分かるが、そこでもう少しマイルドな描写を模索して欲しかったと切に願う。

 

総評

宗教とは無関係、宗教には無関心。そうした姿勢の日本人は多い。しかし、本作に描かれるPKの神を巡る旅路は、宗教哲学的思考の実践としても、クリティカル・シンキングの模範としても、大いに参考になるものである。Dancing Carの部分だけはR15かもしれないが、その他のシーンでは中高生以上のあらゆる年齢層にとってeye-openingにしてjaw-droppingなストーリーを堪能することができる。これは文句なしに傑作である。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アヌシュカ・シャルマ, アミール・カーン, インド, コメディ, ヒューマンドラマ, 監督:ラージクマール・ヒラーニ, 配給会社:REGENTSLeave a Comment on 『 PK 』 -宗教哲学エンタメの一大傑作-

『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

ゾンビランド 70点
2019年5月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

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夏の風物詩といえば、ゾンビ映画かサメ映画である。おそらく商業ベースで全世界で毎年、数百本、インディものまで含めれば、おそらくは数万本のオーダーで製作されているであろうジャンルである。ということは、文字通りに玉石混交な分野なわけで、リバイバル上映されているということは、面白さはある程度保証されているという意味である。そして、それはその通りであった。

 

あらすじ

世界にはゾンビが跋扈していた。内向的な青年コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は厳格なルールを自らに課すことで生き延びていた。彼は故郷のオハイオを目指す途上で屈強なゾンビハンター、タラハシー(ウッディ・ハレルソン)と出会う。そして、旅を続ける二人はウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロックの姉妹に出会うのだが・・・

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ポジティブ・サイド

2009年製作ということは、今からだと10年前になる。にもかかわらずジェシー・アイゼンバーグもウッディ・ハレルソンもエマ・ストーンもトップシーンにあり続けているというのが良い。豪華なものを観た気分になれる。劇中でアイゼンバーグが、ゾンビ・ワールドを指して「フェイスブックを更新する必要が無くなった」というのには、思わずニヤリ。未見の人で、なおかつFacebookアカウントを持っている人は『 ソーシャル・ネットワーク 』を視聴されたし。

 

ゾンビと相対した時に、人間は人間らしさの欠如に恐怖することは『 イヴの時間 劇場版 』でも述べた。もう一つ、ゾンビの存在によって浮きあがってくるものに、ルールや秩序の存在もしくは非在がある。そのことをコロンバスは見事に体現してくれる。DOUBLE TAPは見事なギャグになっていると共に、秩序の存在しない世界では、秩序を自ら生み出す者が生き残るということのメタファーにもなっている。コロンバスは人間社会ではある種の人間嫌いとして引きこもり体質の童貞オタク青年だったが、ゾンビ世界では有酸素運動と銃の扱いに長じた非常に外交的なファイターに変身した。そんな彼が、エマ・ストーン姉妹に翻弄される様は滑稽でもあり、切実でもある。ゾンビに対してはイケイケの青年が、生身の妙齢の女子に対しては奥手になる。そのギャップに、人間の本質が潜んでいる。

 

ビル・マーレイが本人役で出演するが、この間のスキットはギャグであり、シリアスである。ゾンビ世界にあって、既存の人間社会の価値観がどれほど不安定で危ういものかを大いなる笑いの力で見せてくれる。同時に、タラハシーというキャラクターの底浅さと深みの両方が開陳される。このシークエンスには唸らされた。

 

クライマックスはまさにゾンビランドである。ディズニーランドではなくゾンビランドである。遊園地で遊戯のごとくゾンビをぶち殺しまくる末に、爽快感以上に手に入るものとは何か。それはストリーミングやレンタルビデオでお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

ウッディ・ハレルソンのアクションシーンに少々切れが足りない。巨大剪定ばさみのシーンなどは特にそうだ。ゾンビ映画の文法の一つに、時に華麗に、時に残虐にゾンビを退治するというものがある。序盤ではこのあたりにもっとフォーカスをしてほしかった。

 

中盤にも少々中弛みがある。ネイティブ・アメリカンの土産物店を破壊していくシーンは、既存の人間社会の価値観の破壊とそれへの決別宣言、さらにこの奇妙な男女四人組の絆の形成のためでもあっただろうが、カット可能であるように思う。88分というかなり短めな映画だが、もう3~5分短縮することができたはずだ。

 

総評

ゾンビ映画と敬遠することなかれ。豪華キャストでホラー映画の王道的展開を次々と守って行きながら、同時にぶち壊していった『 キャビン 』のゾンビ映画バージョンである。ゾンビ映画のお約束を呵呵と笑い飛ばす本作は、コアなゾンビ映画ファン、ライトな映画ファンの両方にお勧めすることができる。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

Posted on 2019年5月6日 by cool-jupiter

カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 65点
2019年5月4日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ 笹原芳子 秋山ゆずき
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督自身によるスピンオフ作品である。というよりも続編である。今作によって、上田慎一郎という監督の嗜好がよりはっきり見えたような気がする。

 

あらすじ

前作から半年。千夏(秋山ゆずき)はショックのあまり、声を出せなくなってしまっていた。失意のうちに、髪を金髪に染め、名前もホリーとして、ハリウッドのとあるレストランで働くようになった千夏。しかし、そこにもゾンビが現れてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

今作ではゾンビ以外の要素として、ドラキュラもパロディ化されている。上田監督もベラ・ルゴシの『 魔人ドラキュラ 』などを観て、映画オタクになったのだろう。なぜ彼がオタクであると推測、というよりも断言してしまうのか。それは上田監督がマーティン・スコセッシ監督の『 タクシードライバー 』の最も有名な台詞(というよりも、映画史においても最も有名な台詞の一つ)を、劇中で堂々とパロっているからだ。トラヴィスとは違った意味で狂ってしまった男をぜひ堪能されたい。

 

本作でもロングのワンカットは健在である。いわゆるメインストリームの映画でも『 きばいやんせ!私 』の対話シーンや、『 愛がなんだ 』のピロートーク(事後ではないが・・・)のシーンなどでも用いられている。しかし、これほどダイナミックなワンカットは珍しい。これが上田監督の持ち味なのだろう。『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭でアンセル・エルゴートがコーヒーを買いに行くシーンも、30回撮影を重ねて編集したものだと聞く。それを思えば、ワンカットを本当にワンカットで撮り切るというのは、ポリシーなのだろう。カメラワークに凝る人もいれば、照明に凝る人もいる。台詞回しに凝る人もいれば、役者の自由裁量にゆだねる人もいるし、反対に役者には自分のビジョンを共有し、体現してもらうように強く求める人もいる。監督が名を上げるには作品を売ることだが、それ以外にも特徴=個性を持つという方法もある。北野武ならば、暴力を媒介した人間関係を描くことだろうし、是枝裕和ならば、家族という最も小さく最も奇妙な共同体をテーマにすることだと言える。上田慎一郎は、見えている部分を見せることで、逆に見えない部分をよりはっきりと浮き上がらせることを目指しているのではないか。Jovianは『 カメラを止めるな! 』を「映画を作っている人たちを撮影する映画を撮影している人たちが映画を作っている映画」と評したが、続編たる本作もその路線を踏襲している。

 

続編というよりも、同窓会という言葉が似合うのかもしれない。前作の台詞や必殺技がそのまま使われているところがあり、これらによってJovianはスター・ウォーズにおける“I’ve got a bad feeling about this.”やターミネーターにおける“Come with me if you want to live.”などの台詞を聞いた時と同じ感慨にふけったからである。前作を堪能したという向きは、ミニシアターなどで公開されているので鑑賞してみてはどうか。

 

ネガティブ・サイド

英語が頂けない。“Do you listen me?”としか聞こえないシーンがあったが、脚本段階で専門家と言わずとも、誰か少しは英語ができる人間にチェックはしてもらわなかったのか。Jovianなら、よほどの量でなければ手弁当で引き受けるけどね。

 

全体的に前作の焼き直しで、なおかつ説明不足なところが少々見受けられた。最初のゾンビの「オエッ」は前作では巧みに説明されていたが、今作ではそれはなし。また、ポンッ!のキレももう一つだったように見えた。また真魚は、もう少し表情の練習および基礎的な発声練習を積んだ方が良いと思われる。また父親および監督役の濱津隆之の出番も思ったより少なかった。前作はしゅはまはるみとこの人のリードで成立していたのだから、今作でももう少し登場シーンおよび台詞があっても良かったように思う。

 

総評

基本的に前作の焼き直しなので、前作を楽しんだという人にはお勧めできるとも言えるし、できないとも言える。ただユーモアの点では確実に前作に劣る。それでも笑うべきポイントや感心するべきポイントはしっかりとあるので、初見の人でなければ、つまり前作を観た人であれば、1時間を費やして損をすることは無いだろう。そうそう、露骨にネスレが宣伝されるが、そこは大人の事情というやつで我慢しましょう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, しゅはまはるみ, 提供会社:ネスレ日本, 日本, 濱津隆之, 監督:上田慎一郎, 真魚, 秋山ゆずき, 笹原芳子Leave a Comment on 『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

お米とおっぱい。 65点
2019年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高木公佑
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督のキャリア初期の実験的作品である。こういう作品を見ると、上田慎一郎監督という人は、ビッグバジェット・ムービーにはあまり興味は無く、自分の信頼できるスタッフと共に、自分の思い描くビジョンを生み出すのが好きな映画人のようだ。近いタイプとしてはM・ナイト・シャマランが挙げられるだろうか。

 

あらすじ

公民館の一室に集まった互いに面識の無い5人の男。「おっぱいとお米、この世に残すとすればどちらなのか」を討議し、全員一致の結論を出すことができれば、一人につき謝礼十万円が支払われる。彼らはまずは決を取って、おっぱい派とお米派に分かれた。そして議論の戦端は開かれたのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 十二人の怒れる男 』、『 キサラギ 』、『 エグザム 』などのテイストを意識的にか無意識的にか取り入れた作品に仕上がっている。つまり、閉鎖空間内部で赤の他人同士が次第に濃密な人間関係を構築していく=濃密な対話やフィジカルな交流(それは時に暴力でもある)を行う様を映画にしたのである。上田監督は『 カメラを止めるな! 』でもその傾向は顕著だったが、一つのクローズドな空間を徹底的に撮り切るのが好きなのだろう。そして、それは本作でもある程度は成功している。

 

議論の本質はおっぱい vs お米ではない。男たちは時に功利主義的な、時に哲学的な議論を戦わせるが、その議論の根底にあるのは自らの人生観であると考えて間違いない。おっぱいに仮託して語ること、もしくはお米に仮託して語ることで、彼らのディベートは青年と壮年の世代間闘争や、フリーランサーとサラリーマン、または経営者と非正規雇用者という対立軸までも生み出していく。非常に舞台ドラマ的で、人間の心という究極の閉鎖空間の在り様を、この公民館の一室内に再現するのが監督の目論みなのだろう。それは成功した。人間の思考は根本的に分裂状態で、それらを最も巨大な意識が統合したものを、我々は通常、「自我」と呼んでいる。このような思考の過程を大仰な形で可視化することで、人は変わりうるし、現に変わるのだということを見せようとしている。好むと好まざるとに関わらず、グローバル化待ったなし、移民の増加待ったなしの日本において、対話の重要性はいや増すばかりである。そうした背景を下敷きに観れば、アホな議論に多層性が見出せるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ところどころに意図がはっきりしないカメラワークがある。ここは天井からのショットではないだろう、ここでこそ360°のショットだろうという、少しこちらの期待と実際の撮影の間のずれがあった。こうした対話劇は、徹底的にPOVにしてしまうか、全体を俯瞰するような視点で撮り切ってしまうか、どちらかの方が良かったように思う。いずれにしろ、もっと実験的なアプローチをカメラワークにも求めたい。と感じてしまうのは、やはり『 カメラを止めるな! 』が傑作だったことの証左なのだろう。

 

暴力は、状況によっては必要な小道具だが、絵をびりびりに破るのはどうなのか。そのことについての真摯な悔悛の言葉が聞かれれば良かったのだが、そんなものはなかった。お米派の中年オヤジに対しては、どす黒い嫌悪感が募るばかりであった。もちろん、この男にはこの男なりの分かりやすい背景があるのだが、それと彼の暴挙が上手くリンクしているとは感じなかった。

 

総評

かなり観る人を選ぶ作品であろう。ドラマチックな要素はあっても、シネマティックな要素には欠ける作品なので、『 カメラを止めるな! 』に大笑いしただけの人が興味本位で鑑賞するとがっかりするかもしれない。大の男の真剣にアホな対話劇を自己に重ね合わせることができる、そうした人が鑑賞すれば、上田慎一郎の才能の一端に触れられるのだろう。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, サスペンス, 日本, 監督:上田慎一郎, 高木公佑Leave a Comment on 『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

『 ミーン・ガールズ 』 -高校という生態系の派閥権力闘争物語-

Posted on 2019年4月17日2020年2月2日 by cool-jupiter

ミーン・ガールズ 65点
2019年4月15日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:リンジー・ローハン レイチェル・マクアダムス アマンダ・セイフライド
監督:マーク・ウォーターズ

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高校に限らず、小学校の高学年くらいから女子は独特の群れを形成し、行動する習性が観察され始める。そしてそこには必然的に中心 vs 周辺、または頂点 vs 底辺といった序列が生まれる。本作は女子高生の闘争物語であり、アマンダ・セイフライドの映画デビュー作であり、その他の中堅キャストの若かりし頃を振り返ることもできる作品である。

 

あらすじ

ケイディ・ハーロン(リンジー・ローハン)はアフリカ育ちの16歳。動物学者の両親の仕事の関係でホームスクーリングを受けていたが、16歳にしてアメリカの高校に入学することに。そこには様々な種類の動物たち・・・ではなく、人間関係のグループが存在していた。当然のように底辺グループに属すようになったケイディは、ひょんなことからレジーナ(レイチェル・マクアダムス)とその取り巻きのカレン(アマンダ・セイフライド)のグループ、頂点グループの“プラスティックス”に属することになり・・・

 

ポジティブ・サイド

『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』でも描かれた学校という舞台、いや、本作風に言えば学校という生態系におけるカースト制度が、もっとどぎつく描写される。『 ステータス・アップデート 』ではカーストの頂点捕食者の交代劇が行われたが、本作のプロットも似たようなものである。ただし本作のユニークさは、主人公のケイディがダブル・エージェントであるところだ。底辺グループの仲間に頼まれ、頂点グループの情報を流しつつ、自身はしっかりと栄光の階段を上って行くところは『 アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング! 』のようである。2004年の作品ということで、これらすべての要素の始祖が本作であるはずはないのだが、本作が現代の視点で観ても充分に面白いと感じられる要因は、学校裏サイト的なガジェットを有しているところである。これは古くて新しいネタである。

 

中盤から終盤にかけて、このガジェットが原因で騒動が勃発する。それにより、アメリカの学校もアフリカのサバンナと同じく、弱肉強食の生態系であることが漫画的に露呈する。だが、この騒乱を収める大人たち=教師たちのやり方には感心した。日本でも最近、校則をすべて廃止するに至った高校がニュースになったが、そこの高校の校長先生は、きっと本作の校長先生と多くの共通点を持つに違いない。日本でもアメリカでも、良い教師は往々にしてプライベートな属性、例えば父親であったり母親であったり、あるいは夫であったり妻であったりという顔を見せることで、生徒から異なる認知を受けるようになることが多い。実際に『 スウィート17モンスター 』で使われた手法は、大体それであった。だが、本作の教師たちはどこまでも教師に徹する。教師が主人公でもない映画にしては珍しい。校長先生と数学教師にはJovian個人として最大限の敬意を表したい。

 

本作はまた、アマンダ・セイフライドの映画デビュー作でもある。その他、レイチェル・マクアダムスの若い頃にお目にかかることも可能だ。アン・ハサウェイのファンなら『 プリティ・プリンセス 』を見逃せないように、アマンダのファンは本作を見逃すべきではないだろう。

 

ネガティブ・サイド

主人公のケイディが学校に馴染むのが少し早すぎるように感じた。学校、なかんずくアメリカのそれには冷酷非情な生態系が存在することは『 ワンダー 君は太陽 』などで充分に活写されてきた。アフリカ帰りのweirdoであるケイディが“プラスチックス”のメンバーになるまでに、もう少しミニドラマが必要だったように思う。彼女の狡猾さは生まれ持ったもの、もしくはアフリカで身に付けたものではなく、生来の頭の良さを無邪気に、なおかつ意図的に悪い方向に使ったものであるという描写は、リアリティに欠けていたからだ。

 

後はケイディの父と母の存在感がもう一つ弱かった。ホームスクールをしていたということは、父と母が教師でもあったわけで、初めての学校でケイディの感じる戸惑いが、アフリカとの違いばかりというのもリアリティに欠ける。親に教わることと他人に教わること。その違いも学校という舞台のユニークさを際立たせる演出として必要だったように思う。

 

総評

普通に良作ではなかろうか。邦画が学校を舞台にすると、往々にして恋愛または部活ものになってしまう。ちょっと毛色が違うかなというものに『 虹色デイズ 』があった。野郎同士の友情にフォーカスするという点では本作の裏腹。女同士の人間関係に着目した作品では『 リンダ リンダ リンダ  』があった。これらの作品を楽しめたという人なら、本作も鑑賞して損をすることは無いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アマンダ・セイフライド, アメリカ, コメディ, リンジー・ローハン, レイチェル・マクアダムス, 監督:マーク・ウォーターズ, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 ミーン・ガールズ 』 -高校という生態系の派閥権力闘争物語-

『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』 -スタイリッシュ・ゾンビ映画の快作-

Posted on 2019年4月10日2020年2月2日 by cool-jupiter

ショーン・オブ・ザ・デッド 75点
2019年4月7日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:サイモン・ペッグ ニック・フロスト
監督:エドガー・ライト

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ジョージ・A・ロメロの死の翌年に『 カメラを止めるな! 』という傑作が世に送り出された。しかし、それを遡ること十数年、イングランドでもスタイリッシュなゾンビ映画が生み出されていた。『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』は現地での製作と発表から四年後に日本で劇場公開されたが、本作のタイムラグはなんと15年である。DVD鑑賞済みとはいえ、これは劇場にまで行かねばならない。

あらすじ

ショーン(サイモン・ペッグ)はうだつのあがらない家電のセールスマン。同居人のエド(ニック・フロスト)は無職のろくでなし。いつも同じ酒場で飲むだけの日々に、ショーンの恋人のリズはついに愛想を尽かしてしまう。一念発起して変わろうと奮起するショーンだが、折しもロンドンの街は謎の原因でゾンビが溢れかえることに。ショーンは愛しのリズを救い出すことができるのか・・・

ポジティブ・サイド

冒頭でサイモン・ペッグが自宅から近所の店まで買い物に行くシーンは、まるで『 ベイビー・ドライバー 』のアンセル・エルゴートの Coffee Run の原型である。計算されたワンカット(実際は編集されているだろうが)で、街の異常さとそれに気づかないショーンの対比が、否が応にも観る側の緊張を煽る。また、本作はビジュアル・ストーリーテリングの面でも魅せる。個々の事物への瞬間的ズームアップの連続で、どのキャラクターが何をしたのかを観る者に瞬時に伝えきってしまうのである。この手法は見事である。唸らされてしまった。栴檀は双葉より芳し。

『 ベイビー・ドライバー 』で Hocus Pocus のリズムとテンポに合わせた銃撃シーンの原型となったであろう、Queenに”Don’t Stop Me Now”に合わせてゾンビをしこたまボコっていくシーンはとにかくシュールで笑える。『 ボヘミアン・ラプソディ 』の大ヒットも、本作の劇場公開を後押ししたのかもしれない。

本作を評価するにあたって何よりも優先せねばならないのは、サイモン・ペッグとニック・フロストのケミストリーである。はっきり言って、エドはクソ野郎以外の何者でもないのだが、だからこそショーンは彼の親友であり続けられる。“Never let your friends feel lonely. Disturb them all the time.”というやつである。兵庫県加古川市の【 結婚物語のブログ 】で喝破されているように、野郎同士は基本的にいつも同じ店で飯を食い、同じ店で酒を飲む生き物なのだ。もしくは「白木屋コピペ」を思い出してもらっても良い。ショーンとエドの関係の本質がそこにあり、だからこそショーンとリズの関係の脆さや危うさ、さらには得難さまでもが際立つ。マーティン・スコセッシの『 タクシードライバー 』のトラヴィスのように、女心が全くわかっていないショーンとその親友のエドに、何故か我々アホな男たちは自己同一化をしてしまう。このあたりのキャラの造形と描写は見事である。

一部にグロいシーンもあるが、本作は紛れもないゾンビ映画でありながらもユーモラスなコメディ映画でもある。その絶妙なさじ加減とテンポの良さに、エドガー・ライト監督のセンスの良さとインスピレーションの豊富さを垣間見ることができる。

ネガティブ・サイド

ショーンとエドとリズ以外のキャラクターが動き出すまでに少し時間がかかる。ゾンビという理不尽な存在は、人間性への究極の挑戦であろう。何しろ死なないのだから。愛する者との死別が、新たな恐怖と惨劇の始まりになることにどのように立ち向かうのか。そうした悲劇的展開の描写が弱い。というか、あれもこれもと盛り込み過ぎた感がある。特にショーンの家族を巡る悲劇と喜劇は、エンディングとは調和しなかった。少なくともJovianの目にはそう映った。だからこそショーンはどうしようもない愛すべきボンクラだと言えるのだが。

もう一つ、やや不満に感じたのが、「レコードを投げるのか?」ということ。このあたりのギャグは波長が合うかどうかだが、貴重なLPレコードを ninja star か何かのように放り投げていくシークエンスは、ドン引きした。

総評

映画(に限らず小説なども)は波長が合うかどうかが大きい。特にエドガー・ライト監督の作品全般に言えることだが、波長が合う部分を大いに楽しみ、合わない部分については片目をつぶるぐらいの気持ちが必要かもしれない。Jovianは『 ベイビー・ドライバー 』には90~95点ぐらいをつけたい。それぐらい好きな作品である。おそらく本作も、一部の人にはカルト的な人気を博し、そうではない人には変な作品、または普通に笑える作品として親しまれるだろう。つまり、ゾンビが苦手という人以外なら、万人に勧められる作品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, イギリス, コメディ, サイモン・ペッグ, フランス, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:カルチャヴィルLeave a Comment on 『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』 -スタイリッシュ・ゾンビ映画の快作-

『 ブラック・クランズマン 』 -事実は小説よりも奇なり-

Posted on 2019年4月3日2020年2月2日 by cool-jupiter

ブラック・クランズマン 70点
2019年3月31日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジョン・デビッド・ワシントン アダム・ドライバー
監督:スパイク・リー

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原題はBlacKkKlansman、黒人のKKKメンバー男性の意である。冒頭からいきなり『 風と共に去りぬ 』のワンシーンが流される。あのスパイク・リーがスカーレット・オハラを好意的に見ているとは思えないので、これには何らかの意図があるのは間違いない。このシーンをEstablishing Shotとして見るならば、プロットは白人優越世界の終焉を予感させるものであろう。だが、スパイク・リーはそんな単純な人物では全くなかった。

あらすじ

時は1970年代。ベトナム戦争への厭戦気分が反戦運動に変わりつつあるアメリカ。コロラド州コロラドスプリングスで初めて黒人警官として採用されたロン・ストールワース(ジョン・デビッド・ワシントン)は、ある時、勢い余ってKKKに突撃電話。トントン拍子に話は進み、KKKメンバーと会うことに。しかし、彼は黒人。そこで同僚のフリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)が対面に赴くことに。電話でロン、対面はフリップという、前代未聞の二人一役潜入捜査が始まり・・・

ポジティブ・サイド

『 ゲット・アウト 』監督のジョーダン・ピールが製作として参加していることで、ユーモアとサスペンスがハイレベルで融合した佳作に仕上がっている。主演を努めたジョン・デビッド・ワシントンがとにかく面白い。笑える。黒人差別丸出しの同僚警察官に対する怒りのシャドーボクシングというかシャドー空手がとにかくコミカルだ。なるほど、これはシリアス一辺倒の映画ではありませんよ、とスパイク・リーは冒頭のワンシーンとの対比で観客に告げているわけだ。実際にジョン・デビッド・ワシントンの電話シーンはハチャメチャな面白さである。何しろ、ノリと勢いだけで黒人警官がKKKに電話をして、見ているこちらの心臓が鷲掴みにされるぐらいドキッとする差別的言辞を弄して、相手の懐に飛び込むのである。差別を笑いに転化するのは不謹慎かもしれない。しかし、『 翔んで埼玉 』でも明らかになったように、差別とは本人のものではない属性を本人の意に反して押し付けるものである、今作では被差別対象である黒人自身が黒人をクソミソにけなしまくるのがとにかくとにかく痛快なのである。

だが、本作は決してコメディ一辺倒なのではない。差別の醜悪さを描き出す実話を基にしたサスペンス映画であり、警察バディムービーであり、ヒューマンドラマでもある。むしろヒューマンドラマでしかない、とさえ言えるかもしれない。黒人のロン、ユダヤ系のフリップの二人は共にKKKからすれば排除、攻撃の対象である。敵の敵は味方などという単純な人間関係はそこにはない。ロンとフリップの間に思わぬ形で友情が花開いたりすることはなく、二人はどこまでも警察官という一点でつながる。おそらく人間同士が関係を築くのは、それだけで充分なのではないだろうか。互いが互いの仕事をリスペクトする。それだけで争いや諍いは相当に減らせるはずなのだ。

ともするとコメディになりがちなジョン・デビッド・ワシントンとはある意味で大局的なアダム・ドライバーは、警察であることやユダヤ系であることが露見しそうになるたびに、汚い差別意識丸出しの言辞を弄して、状況をサバイブしていく。とある絶体絶命に思えたシーンを切り抜けるため、彼がロンに向かって実弾を発砲するのだが、その時の口調と表情!鬼気迫る演技と言おうか、イラクにも実際に赴いた軍人上がりにこそ出せる味があった。善のルーツを持つ悪のプリンス、カイロ・レンを演じるにふさわしい役者であることをあらためて満天下に示したと言えるだろう。

本作は、最後の最後に衝撃的な絵を持ってくる。これを蛇足と見るか、これこそがスパイク・リーの本当に見せたいものなのだと見るかで、本作の評価はガラリと変わる。Jovianはこれこそがスパイク・リーの問題意識なのであると受け取った。ストーリー自体は、ゴキゲンな黒人警官がアホな差別主義者の白人の横っ面を見事に張り倒すというものなのだが、スパイク・リーの意図するものは、『 評決のとき 』におけるマシュー・マコノヒーの弁論と同質のものであろう。非常に痛切に考えさせられる映画である。

ネガティブ・サイド

Based on a true storyやInspired by a true event系の映画は近年、大量生産されてきた。粗製乱造とまでは言わないが、さすがにそろそろ食傷気味である。この手の差別の恐ろしさ、その知性と思考能力の欠落具合は『 私はあなたのニグロではない 』、『 デトロイト 』、『 ジャンゴ 繋がれざる者 』、『 ビールストリートの恋人たち 』、『 グリーンブック 』などでもう十二分に描かれてきた。KKKを告発したいのではなく、人々が心の中に頑強に持つ固定観念、硬直した思考を討ちたいのだろう。スパイク・リーほどの映画人であれば、自分でオリジナルの物語を紡げるはずだし、紡ぎ出さなければならない。

総評

ポール・ウォルター・ハウザー演じるKKKメンバーは『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』でも陰謀論全開にして、思考能力ゼロ、コミュニケーション能力ゼロ、批判精神ゼロという頭の悪すぎる男を演じていたが、これを他山の石とせねばならない。宗教団体を支持母体とする政党や、カルト的な思想信条を隠そうともしない団体からの指示を受ける与党、そして不健全な思考の右翼化を見せる高齢世代。そうした者たちの背後に透けて見えるのは、全て同質のものなのだ。それはちくま新書『 私塾のすすめ: ここから創造が生まれる 』で梅田望夫と齋藤孝が共通して闘う敵と同じものである。ゆめゆめ他国の過去の出来事と思うことなかれ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, コメディ, ジョン・デビッド・ワシントン, ヒューマンドラマ, 監督:スパイク・リー, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ブラック・クランズマン 』 -事実は小説よりも奇なり-

『 ディック&ジェーン 復讐は最高! 』 -アメリカ版鼠小僧物語-

Posted on 2019年3月24日2020年1月9日 by cool-jupiter

ディック&ジェーン 復讐は最高! 60点
2019年3月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジム・キャリー ティア・レオーニ
監督:ディーン・パリソット

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 嫁さんが近所のTSUTAYAで借りてきたのを一緒に鑑賞。これを見れば、今後はジム・キャリーの前歯を見るたびに、鼠小僧を連想するようになること間違いなし。原題は“Fun with Dick and Jane”で、1970年代に製作、公開された映画の現代版リメイクである。

あらすじ

IT企業に勤務するディック(ジム・キャリー)は、広報本部長への昇進を告げられる。妻のジェーン(ティア・レオーニ)も大喜びして仕事を辞めた。喜び勇んだ二人は新しい芝生を入れ、庭にプールを作り始めたが、実はディックの会社は粉飾決算で実態は経営破綻状態。社長だけは自社株を売り抜けていた。再就職活動がうまくいかないディックとジェーンは、ついに泥棒をすることになるが・・・

ポジティブ・サイド

ジム・キャリーと言えば、人間離れした怪演で知られる。それは『 グリンチ 』のレビューでも述べた。しかし、人間離れしない程度に面白い演技もできる俳優であることを本作は教えてくれる。意外にサラリーマン役がハマる。たとえばジョージ・クルーニーやケビン・コスナー、ハリソン・フォード、ブルース・ウィリスらは普通の一般人役は馴染まない。そう考えれば、ジム・キャリーの芸域の広さが見えてくる。

ティア・レオーニも良い味を出している。『 ディープインパクト 』のリポーター役で世に出たが、大統領役のモーガン・フリーマンに“I want …”と言って“Want?”と逆に凄まれてしまった小娘が、妻になり、子も持った、大人の女性を過不足なく演じている。

単なるコメディで終わることなく、『 オーシャンズ11 』や『ジーサンズ はじめての強盗 』的な手に汗握る泥棒シーンもあり、『 ショーシャンクの空に 』のような勧善懲悪物語的な一面もあり、『エリン・ブロコビッチ 』的なフィニッシュを飾る。普通に良い話である。

ネガティブ・サイド

余りにもトントン拍子に泥棒稼業が成功していくのはどうだろうか。コメディ映画に突っ込んでも詮無いことだが、そこがどうしても気になってしまった。特に子どもがいる設定は大胆に改変しても良かったのでは?

後は笑いたくても笑えないパートがいくつかある。ディックが移民局に取り締まられるパートも、誰がディックの財布を拾ったのかを明らかにしないのなら、不要だろう。単にディックがボコられて、顔が変形して、喋りも変になりました、というだけでは笑えないし、そんな方法を取らなくても、ディックの落ち目っぷりは描写できるはずだ。またジェーンも化粧品モニターで顔面に発疹ができてしまう展開もいらない。ヨガのインストラクターを辞めてしまったことで、脂肪をたくわえてしまった、という方がまだ説得力がある。ティア・レオーニは体作りに苦労するだろうが。

本作の弱点は、ジム・キャリーがあまりジム・キャリーっぽくないところである。水鉄砲を取り出そうとして取り出せないのは、面白いことは面白いが、我々がジム・キャリーに求めるのは、気持ち悪い面白さなのである。単純にコメディをやっているから面白いというのなら、ジム・キャリーである必要はどこにも無いのである。

総評

まさに手持ち無沙汰の雨の日DVDである。そうそう、TVドラマの『リゾーリ & アイルズ 』好きなら、本作には笑ってしまうかもしれない。アンジー・ハーモンがレオーニに向かって“Hey, Jane!”と呼びかけるシーンがあるのである。ジェーンはあなたでしょ!と突っ込んでしまうこと請け合いである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, コメディ, ジム・キャリー, 監督:ディーン・パリソット, 配給会社:ソニー・ピクチャーズLeave a Comment on 『 ディック&ジェーン 復讐は最高! 』 -アメリカ版鼠小僧物語-

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