Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: カナダ

『 リアム16歳、はじめての学校 』 -親離れと子離れと-

Posted on 2020年7月30日 by cool-jupiter

リアム16歳、はじめての学校 60点
2020年7月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダニエル・ドエニー ジュディ・グリア シボーン・ウィリアムズ
監督:カイル・ライドアウト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200730205415j:plain
 

シネ・リーブル梅田で去年(2019年)に見逃した作品。カナダの映画というのは、アメリカ映画とは違って、外部の日常生活に劇的な変化が起きるというプロットよりも、キャラクターの内面の変化やキャラ同士の関係性の変化を丹念に追うプロットが多い気がする。そういう意味では本作は典型的なカナダ映画である。

 

あらすじ

リアム(ダニエル・ドエニー)は物理学を愛する16歳。学校には行かず、ホームスクーリングで育った。ケンブリッジ大学に入学して天文学者になるという目標は、しかし、高卒認定試験を受けるために訪れた公立高校で変更となる。彼はそこで義足の少女アナスタシア(シボーン・ウィリアムズ)に恋をしてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

どことなく『 ミーン・ガールズ 』に似ている。大自然の中で育った少女が、高校という独自の生態系でも食物連鎖の上位者となっていく過程が面白かった。本作の主人公のリアムは逆で、自宅で温室栽培されていた。にもかかわらず、男子のダメなところをしっかりと学校で体現してしまう。リアムがアナスタシアの行動パターンを掴み、何度も何度も偶然を装って廊下ですれ違うシーンに共感する、あるいは自らの(情けない)過去を思い出す男性は多いに違いない。アナスタシアに恋焦がれながらも、アプローチができない。行動が小学生レベルなのだ。リアムの行動にもどかしさを覚えながらも共感してしまうという絶妙な仕掛けである。

 

何がユニークで面白いかと言えば、リアムがマリア・サンチェスという優等生の代わりになるというところ。普通におかしい展開なのに、あれよあれよという間にリアムがマリアとして学校に受け入れられるのには笑ってしまう。

 

母親とリアムの関係も多少の毒を孕みながらも真に迫っている。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』でも存分に描かれていたが、男というのはどこまで行っても本質的にはマザコンである。息子と母親の距離感にも共感することしきりである。これはリアムの初恋を描くと同時に母親からの旅立ち、そして母親への回帰、そして更なる自立への一歩を描く物語だからである。

 

シングルマザーとして過剰なまでにリアムの教育に注力する母親クレアもなかなかの味わいだ。夫、つまりリアムの父親との離婚については詳しく触れられないが、その部分にドラマを求めなかったのは正解である。リアムは極めて共感しやすいキャラクターであるが、自分と同一視してしまうという人はあまりいないはず。それはリアムと母クレアの関係の近さと強さが普通ではないからだ。お祖母ちゃんが常にそこに鎮座ましましているが、この祖母の距離と視点が我々ビューワーの距離と視点だ。実際にクレアが自宅の黒板にリアム教育プロジェクトのマイルストーンを一つ一つ書き出し、そして達成の暁には一つ一つ消していく。クレア視点ではなく第三者視点でそれが描写される。息子に「どうせ学校で覚えるのだから」とマリファナを吸わせたり、パーティーでの酔い方を積極的に学ばせようとしたりするなど、この母親への共感のしづらさがリアムへの共感のしやすさと絶妙なバランスを作り出している。

 

個人的に本作を最も面白くしているのはアナスタシアのパーソナリティだと感じる。『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ 』の主人公と同じ名前というところで笑ってしまうが、最も目を引くのは義足である。なぜ義足なのか。いつから義足なのか。そうした疑問の答えをマリア・・・ではなくリアムが得るまでに、一筋縄ではいかない初恋および青春の「あるある」が待ち受けている。初恋の相手は清純な乙女だった・・・というのは多くの男が抱く幻想であろう(だからといって女性がみんな百戦錬磨の恋愛強者だと言っているわけではない)。カナダ人や西洋人全般の文化やメンタリティだろうか。『 建築学概論 』に近い展開があり、我々ならここで心が折れてしまうかもしれないが、リアムはそうはならない。カナダ制作映画『 もしも君に恋したら 』のD・ラドクリフ演じる主人公と共通するメンタリティである。アナスタシアとの距離を徐々に、しかし確実に縮めていくリアムの姿はやはり男心を疼かせる。リアムの初恋は実るのか?固唾をのんで見守ってしまうこと請け合いである。アッと驚く展開あり、運命を予感させる展開もあって、なかなかに飽きさせない作りである。

 

それにしてもカナダというのはずいぶん進んでいる国だなとあらためて感じる。2017年にカナダ旅行中に見た子供向け番組の『 Super Ruby 』は主人公が眼鏡着用・・・だけなら別に驚かないが、なんと補聴器も装用している。そして補聴器の新品をゲットするために尋ねた言語聴覚士が義手装備。この記事の『 チョコレートドーナツ 』の項をよくよく読んでいただきたい。これがほぼ同時期の日本の現実である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200730205108j:plain

 

ネガティブ・サイド

母親クレアのキャラクターに一貫性が欠けている。息子を愛してやまないのだが、ギャグやユーモアを前面に押し出しているシーンと、そうではないシーンを対比させた時に、ギャップがあり過ぎる。普段優しい人ほど怒ると怖いという感じではなく、息子の一番の親友という役を演じているテンションのまま母親として怒る、というのがどうにもチグハグに見えてしまった。

 

校長先生がリアムの母親にアプローチする展開が蛇足であるように感じた。もしもそうしたサブプロットを追求したいのなら、チャランポランな人物に設定すべきでない。しかし、チャランポランでなければリアムがマリアにはなれない。プロットとキャラクターのパーソナリティであれば、プロットを優先すべきだ。

 

キャラのちぐはぐさやプロットとの不整合は他にもある。学校でリアムをいじめてくるキャラになんらかの因果応報があってしかるべきだと思うが、なかった。うーむ、ベタでもいいから、何かこのいじめっ子にして恋敵の男にギャフンと言わせるような展開が欲しかった。また、リアムのお祖母ちゃんは存在感あり台詞なしというキャラで、最後に見せ場があるかと期待したが、これも無し。うーむ・・・

 

総評

妥当性確認が今もって為されていない「全国一斉休校」によって、日本各地で図らずもホームスクーリングが大規模に行われた。その意味では本作は自宅学習(の狙いや難しさ)をシミュレーションできる作品である。同時に親離れと子離れのプロセスを描く一種のセミドキュメンタリー的でもある。親バカの自覚のある人、または大学進学などで子どもが家から出ていくことが不安でならないという向きにお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You had it coming.

「自業自得」の意である。直訳すれば「あなたがそれをやって来るようにした」である。 I had it coming. や We had it coming. など主語を変えて使うこともできる。

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, カナダ, シボーン・ウィリアムズ, ジュディ・グリア, ダニエル・ドエニー, ヒューマンドラマ, 監督:カイル・ラウドアウト, 配給会社:エスパース・サロウ, 青春Leave a Comment on 『 リアム16歳、はじめての学校 』 -親離れと子離れと-

『 ゾンビーノ 』 -人間とゾンビの共生は可能か-

Posted on 2020年6月4日 by cool-jupiter

ゾンビーノ 65点
2020年6月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キャリー=アン・モス ビリー・コノリー クサン・レイ
監督:アンドリュー・カリー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200604222657j:plain
 

間もなく「withコロナの時代」になると言われている。コロナは未知のウィルスであり、それはゾンビや魔女に例えられるだろう。そうした異形の存在と人類が平和共存できるかどうか。さらには高度に発達したAIと人類の共生は可能か。陳腐なテーマであるが、今という時代においては重要な問いである。

 

あらすじ

放射能のせいで死者がゾンビとしてよみがえる世界。だがゾムコム社の開発した首輪により、ゾンビは無害・無力化された。そうした世界で、ティミー(クサン・レイ)は母親が見栄で手に入れてきたゾンビによっていじめっ子たちからたまたま救われる。ティミーはゾンビ(ビリー・コノリー)にファイドと名付け、奇妙な友情を育んでいくが・・・

 

ポジティブ・サイド

ゾンビは元々ブードゥーの呪いによる産物とされているが、普通に考えればそれはない。かなりの確率で、脳血管障害で仮死状態に陥った者が息を吹き返した、だがその時に構音障害や構語障害、あるいは片麻痺などを発症したのだろう。そうした人物が都合の良い単純労働力と見なされ、生かされていた。それがゾンビのルーツだろう。本作のゾンビはもちろん人を襲うのだが、それがゾンビの主たる属性にはなっていない。ゾンビが労働力として、あるいは愛玩動物として扱われる社会を描いており、これは極めてユニークな世界観だ。

 

ティミーとファイドの友情は、abnormalでありながらも美しい。ゾンビというある意味で絶対服従してくれる危険な存在と友情を育むのは、どこかロボットと疑似父子・疑似親友関係を結ぶ『 ターミネーター2 』のジョン・コナーとT-800のようであり、異形の存在者との奇妙な友情という点では『 グーニーズ 』のチャンクとスロースを思い起こさせる、ほっこり系でもある。それだけなら動物との友情やロボットとの友情と特に変わりはない。本作の貢献は、キャリー=アン・モス演じるティミーの母とゾンビであるファイドとの、奇妙な関係とその劇的な帰結にある。その脇には、女性ゾンビのタミーとの関係を深める脇役もいる。ゾンビと共存する世界というのは、ある意味でゾンビと本当の家族になることだ。家族がゾンビ化して葛藤する映画はおそらく2000本ほど存在するだろうが、ゾンビと家族になる映画というのは、おそらく20本以下ではないだろうか。本作はその貴重な一本である。

 

本作はほのぼの映画である反面、強烈な社会風刺でもある。ゾンビという物言わぬ、思考力を持たぬ、搾取される側であり、なおかつ人間性を喪失した存在という属性の諸々が、人類そのものに一挙に投影されることになるからである。これには恐れ入った。冒頭のコメディックなナレーションと白黒映像は大いなる伏線である。本作は多くの男性諸氏の心胆を寒からしめるのではないか。同時に、人間と非人間の関係性、その境目を大いに揺さぶってくる。コメディでありならがコメディの枠を大いに超えた良作である。

 

ネガティブ・サイド

コメディとして『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』のような突き抜けた面白さがない。ティミーの父親の抱えるトラウマがそもそも面白くないのだ。葬式にこだわる気持ちは分からないでもないが、そうした気持ちがこれだけ持続するからには、ゾムコム社も当初はテクノロジーに欠陥があって、ゾンビを飼いならすことにはしばしば失敗した、そして多くの犠牲がその過程で出た。そうした歴史的な経緯が必要だっただろう。

 

政府ではなく企業がでかい顔をする世界というのは確かに近未来的であるが、本作の世界観とは合わない。経済=金銭の授受が絡むと、様々な境目がそれだけで揺らぐからだ。人はカネのためならプライドも捨てられるし、衣服だって脱ぐ。近未来SFの要素は歓迎だが、あまりにも現実社会とリンクした要素は不要である。そうした経済優位の社会を描くのなら、それこそゾンビという労働力をいかに搾取できるかが社会的地位の高さにつながっているというディストピアを描くべきだったと思う。

 

グロいシーンは不要だったように思う。真夜中に月を背景に立ち上がる老婆のシルエット、のように序盤から中盤にかけてはボカした描写だけで良かった。そうすることで、後半のストーリーがよりカラフルになったはずだし、タミーを愛するナード男の怒りにも共感しやすくなったことだろう。

 

総評

多様性の重要さが叫ばれて久しい。その一方で差別問題の根深さが浮き彫りになる事件も頻発している。Homo homini lupusな世界が現出する一方で、橋や塔や動物やゲームのキャラクターと結婚する者も出てくる時代である。そして、新型コロナウィルスの出現で、ソーシャル・ディスタンスなる概念と行動まで生まれた。人間同士の関係がまさに揺らいでいる。本作は10年以上前の作品であるが、人間と非人間との奇妙な関係の醸成にフォーカスしている。今こそ再鑑賞すべき時を迎えていると言えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

There is no such thing as ~

~などというものは存在しない、の意である。劇中では There is no such thing as a stupid question. = マヌケな質問なんてないんだよ、というふうに使われていた。

 

There is no such thing as a perfectly safe drug.

There is no such thing as a foolproof plan.

 

といった感じで使う。職場であなたの提案が上司や同僚の抵抗にあったら、“There is no such thing as a risk-free investment/project!”と反論しよう。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2000年代, C Rank, カナダ, キャリー=アン・モス, クサン・レイ, コメディ, ビリー・コノリー, 監督:アンドリュー・カリー, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ゾンビーノ 』 -人間とゾンビの共生は可能か-

『 スキャンダル 』 -セクハラおやじ、観るなかれ-

Posted on 2020年2月24日2020年9月27日 by cool-jupiter
『 スキャンダル 』 -セクハラおやじ、観るなかれ-

スキャンダル 70点
2020年2月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ニコール・キッドマン シャーリーズ・セロン マーゴット・ロビー ジョン・リズゴー
監督:ジェイ・ローチ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200224132117j:plain
 

日本でも2000年あたりから、焼肉屋や居酒屋から女性の水着グラビアつきのカレンダーが消えていったと記憶している。あれはビール会社から店へのプレゼントだった。女性をセックス・オブジェクトとして見る傾向は徐々になくなってきてはいるが、今でも外国人(西洋人だろうが東洋人だろうが)は、日本のコンビニに並ぶ漫画雑誌や週刊誌の表紙が一様にグラビアになっていることに衝撃を受けるようだ。何がセクハラかは定義しづらい。しかし、曖昧であればいいわけではない。本作は日本の中年おやじにはどう映るのだろうか。

 

あらすじ

TVネットワークの巨人、FOXニュースの元キャスターのグレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)はCEOのロジャー・エイルズ(ジョン・リズゴー)をセクハラで提訴した。カールソンはその他の被害女性たちが立ち上がるのを待つ。主要キャスターのメーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)は女性を蔑視するD・トランプ大統領候補との論戦の中、自身とロジャーの関係を思い起こしていた。そして野心を秘めたケイラ・ボスビシルはロジャーと面会するチャンスを得るが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200224132138j:plain
 

ポジティブ・サイド

冒頭でシャーリーズ・セロン演じるメーガン・ケリーが第四の壁を突き破って、FOXニュースとはどんな組織であるのかを懇切丁寧に説明してくれる。つまりは究極のトップダウンな組織なわけである。権力者が長く居座るとろくなことがない。星野仙一が中日ドラゴンズの監督を辞した時に、そうした旨のことを言っていた。ここに抑圧された個の存在を容易に嗅ぎ取ることができる。

 

アナウンサーは、ニュースを正確に読み、ニュースに適宜にコメントをつけ、あるいは専門家から適宜にコメントを引き出す。その仕事に性別は本来は関係ない。それでも日本でも女子アナ相手にこんな質問が飛ぶ土壌が今でもあるのだ。女子アナという言葉はあるが、男子アナあるいは男性アナとは普通は言わない。つまりはそういうことである。

 

脚本家が『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』のチャールズ・ランドルフなので、ストーリーの進行の仕方がよく似ている。つまり、説明的なセリフもナレーションもなく、淡々と進んでいく。観る側はいきなりテレビ局の真ん中に放り込まれた気分になる。そこは完全なる別世界だ。異なる論理の支配する世界。組織の構造を知ったら、あとはキャラクターを追う。そうしないとストーリーについていけない。非常に上質な、大人向けの作りと言える。

 

本作ではロジャー・エイルズを単純なセクハラ大魔王として描いていないところが興味深い。彼の妻は彼をとことん信じているし、FOX内部にはチーム・ロジャーの一員であることを自認する女性も数多く存在する。彼女らに名誉男性というレッテルを貼ることはたやすい。だが、それは安直に過ぎる。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』でジョーダン・ベルフォートから多額の金を前借した女性社員は、涙を流して彼に感謝していた。極悪人であっても人を重用することはできるし、人に好かれること、リスペクトされることもある。いや、むしろ巨大な帝国を築いた人間なのだからカリスマ性があって当然なのだとも考えられる。「英雄色を好む」と古今東西で言われるが、我々は人間をあまりにも性別や貧富などの属性で見ることに慣れすぎて、人間そのものを見なくなってしまっているのではないか。ロジャー・エイルズの没落は痛快である一方で、苦い味も残す。そのバランス感覚が良い。彼を全面的な悪に描くのではなく、その背後にトランプ現大統領のような人間がいることを描くことで、権力を持った男の危険性や組織論への新たな見方も提供しているからだ。

 

ニコール・キッドマンの不退転の決意を示す表情、弱気になりながらも子供たちの前では気丈に声を振り絞る様、そしてケリー・メーガンの同調に目を丸くする様は堂に入っている。セクハラの告発はやはり勇気がいるのだ。復讐に燃える女ではなく、個の強さを信じる個人を演じるからこそ、これほどの強さを感じさせてくれるのだろう。次に素晴らしいと感じたのは、ケイト・マッキノン。完全なる男社会におけるゲイなのだが、こういった存在に光を当てられる監督ジェイ・ローチや脚本家チャールズ・ランドルフの感覚は素晴らしいと思う。単純な男女の物語に二分化されてもおかしくないストーリーが、彼女の存在によって強者とマイノリティの対立の構図になっているからである。

 

後味は苦い。まるで『 ブラック・クランズマン 』のエンディングのようである。伊藤詩織さんが元TBS記者の山口敬之相手の裁判で実質勝利を収めたのが昨年の2019年。本作が描くストーリーはトランプ政権誕生前夜の2016年。これは記録映画ではない。現在進行形の物語である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200224132200j:plain
 

ネガティブ・サイド

ストーリーのその後がもっと知りたかった。カールソンらが多額の示談金を得たこと、そしてロジャーらがさらに高額の退職金を得たことが字幕で示されたが、その後についてもう一言二言触れてほしかった。例えば、#MeToo運動との関連だとか、他局や他の会社、他国にもこうした運動が広まったということなど。

 

主役がカールソンなのかケリーなのかが少々分かりにくい。歴史的(と言うほど昔ではないが)にはカールソンなのだろうが、物語的にはケリーなのだろう。であれば、ケリーの存在感をさらに際立たせるためにD・トランプ候補との舌戦などにもう少し尺を割くべきだったと思う。例えば、トランプのツイッター連投をしっかり時系列順に画面に表示し、いかに彼の投稿が支離滅裂であるかを示すこともできたはず。

 

あとは視聴者側からの視点がほんの数か所で良いので挿入されていれば、もう少しわかりやすくなったはずである。ほとんどすべてがFOXの局内で完結してしまうストーリーであるため、市井の人の反応が分からない。テレビのニュースというのは報じる側と視聴する側の両方が存在してこそ成立するのだから、ニュースの受け手が「ロジャー・エイルズ提訴される」の報にどのように反応したのか、そうした声をもう少しつぶさに拾う必要があったのではないか。

 

総評

これは決して対岸の火事ではない。いや、火事という言い方をしてしまうこと自体が当事者意識の欠如になるかもしれない。狭義のセクハラとは性的な関係の強要なのだろうが、広義に解釈すれば性的な機能を人間性よりも上位に置く関係の構築という、人間性の否定となる。セクハラとはスケベな言動ではなく、無礼・失礼な言動であるということを、Jovianをはじめアホな中年男性はまず思い知る必要がある。セクハラはすまいと心に決めた男性はぜひ本作を鑑賞しよう。「俺はセクハラなんかしたことないよ」と無自覚に胸を張れる男性は、本作を観ても無意味であろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

A fish rots from the head.

「魚は頭から腐る」の意。日本語なら「鯛は頭から腐る」だが、元はロシアのことわざであるようだ。魚を鯛に置き換えたのが日本らしい。上等な魚に言い換えることで、上等な組織ほど、トップから腐敗していくことを端的に表している。某議員が某総理にあてた言葉がまさにこれである。偶然だろうが非常に良いタイミングで英語の同じ意味のことわざが本作で使われている。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, カナダ, シャーリーズ・セロン, ジョン・リズゴー, ニコール・キッドマン, ヒューマンドラマ, マーゴット・ロビー, 伝記, 監督:ジェイ・ローチ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 スキャンダル 』 -セクハラおやじ、観るなかれ-

『 ガール・イン・ザ・ミラー 』 -やや変化球な双子スリラー-

Posted on 2020年2月21日 by cool-jupiter

ガール・イン・ザ・ミラー 50点
2020年2月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:インディア・アイズリー ミラ・ソルビノ ジェイソン・アイザックス
監督:アサフ・バーンスタイン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200221204711j:plain

 

ジャケットとタイトル響きだけでTSUTAYAから借りてきた。どう考えても『 ガール・オン・ザ・トレイン 』を模している。パッと見でクソホラーだなと分かるが、Sometime I’m in the mood for garbage.

 

あらすじ

マリア(インディア・アイズリー)はカナダの内向的な高校生。友人はいるが、ベストフレンドというわけではない。プロムに行くような相手もいない。ある時、偶然にも自分には死別した双子の片割れがいると知った時から、マリアは鏡の中にアイラムという自分と同じ姿かたちをした少女を見るようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

インディア・アイズリーの、この不思議な美貌よ。母オリビア・ハッセーと同じく期間限定の美なのだと思われるが、いわゆる薄幸の美少女から魔性の女までを見事に演じ分けていた。日本だと小松菜奈の雰囲気が少し近いだろうか。マリアとアイラムの関係は、おそらく日本でJovianだけが名作だ傑作だと騒いでいる月森聖巳の小説『 願い事 』の美音子とエレーヌのようである。ヘレン・マクロイの小説『 暗い鏡の中に 』や高野和明の小説『 K・Nの悲劇 』並みの面白さなので、古本屋などで見つけたら是非購入されたし。

 

Back on track. 双子、特に一卵性のそれは常にアイデアの源泉になるようである。本作ではマリアとアイラムの関係が、実のところ何であるのかは明示されない。それが心地よいのである。アイラムを超自然的な存在と見なすか、それともマリアが自己暗示で作り上げた人格と見るのか。その解釈は受け手に委ねられている。冒頭のエコーのシーン直後のマリアの登校シーンをよくよく観察してみよう。非常に細かい伏線が張られていたことに、後から気づくことだろう。

 

古いスケート場のシーンは良かった。カメラアングルも低く、まさに疾走している感覚を味わうことができ、ホラーの原点である追う者と追われる者の間の緊張感と恐怖が盛り上がった。また、裸体を惜し気もなく晒してくれたインディア・アイズリーに拍手。蒼井優や夏帆も、どうせならこれぐらいやってほしい。クソホラーではなく、ちょっとした変化球スリラーである。雨の日の暇つぶしに最適だろう。

 

ネガティブ・サイド

一部のシーンが不自然につながっている。あるいは、セリフに妙なところがある。だいたい、寝起きにいきなりマリアが完全メイクアップしているというのはどうなのか。父親もその顔を見て「ぐっすり眠れたようだな」はないだろう。せっかくオリビア・ハッセーの娘をキャスティングしながら、これはもったいない。素材の味をもっと素直に引き出してやれば良いのにと思う。

 

スケート練習を父親のクリニックに行くからと断り、「明日ね」とリリーらに約束しながら、次の日の放課後もまた父親のクリニックに行くというのはおかしくないか。Jovianの見間違いだったのだろうか・・・

 

一番の不満は、自分をイジメてくる同級生へのリベンジ方法があまりにも直接的だったことである。途中、誰もいない更衣室におびき寄せるまでは良かった。ああいう男にリベンジするなら、リベンジポルノではないが、脱がせたところに最大の屈辱と苦痛を味わわせてやればよいのだ。せっかく蟹をバリバリとかみ砕くシーンを入れているのだから、いじめっ子の男性自身も噛み切ってやればよかったのだ。それでこそ本物の魔性の女だろうに。

 

総評

タイトルはミステリ映画『 ガール・オン・ザ・トレイン 』をパロって(原題はLook Awayだが)いるものの、中身のテイストはホラー映画『 キャリー 』に近いものがある。ただ、色々な要素がどれもこれも中途半端なのである。逆に言えば、どういったジャンルの作品としても無難にまとまっているとも言える。COVID-19で外出する気にならないという向きは、自宅で鑑賞してはいかがだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a good night’s sleep

劇中では A good night’s sleep is essential. という風に使われていたが、実際には get a good night’s sleep という形で使うことも多い。同僚や部下が目の下にクマを作っていて、夜はぐっすり眠れたか?と言いたくなったら“Did you get a good night’s sleep?”と言おう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, インディア・アイズリー, カナダ, スリラー, 監督:アサフ・バーンスタイン, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ガール・イン・ザ・ミラー 』 -やや変化球な双子スリラー-

『 マーターズ 』 -監禁拷問の果てにあるものは-

Posted on 2019年12月5日2019年12月5日 by cool-jupiter

マーターズ 65点
2019年12月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:モルジャーナ・アラウィ ミレーヌ・ジャンパノワ
監督:パスカル・ロジェ 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191205171653j:plain

『 ゴーストランドの惨劇 』のパスカル・ロジェ監督の作品で、『 マーターズ 』の方が先発作品である。前々から「やばい映画だ」、「すごい映画だ」とは聞いていた。ホラーは嫌いではないが、拷問ジャンルは好きではない。まして『 ソウ 』の twist を一発で見破ったJovianなのだから、たいした捻りでもないだろうと高を括っていた。それは間違いだった。

 

あらすじ

 

傷だらけの少女リュシーは路上で保護された。彼女は廃墟に監禁され、拷問と虐待を受けていた。施設に預けられたリュシーはPTSDに悩まされながらも、アンナ・アサウェイの介護によって回復していく。しかし15年後、リュシーは自分を監禁していた者たちを見つけてしまう。復讐心に駆られた彼女は、銃を手に取り、アンナと共に彼らの家に踏み込んでいく。しかし、それは更なる悲劇と惨劇の始まりで・・・

 

ポジティブ・サイド

 

血が ドバッ とか ピュー と出るのは別に構わない。そういうのは小さい頃に『 13日の金曜日 』で充分に堪能した。本作は、いたいけな女子がこれでもかと痛めつけられる描写に目を背けたくなる。それだけなら、凡百のホラー映画だろう。本作が際立っているのは、リュシーを痛めつける者が、ビジュアル的かつ精神的に、とてもおぞましい存在であると言うこと。恐怖を感じさせる極意は『 はじまりのうた 』でキーラ・ナイトレイがヘイリー・スタインフェルドに諭したこと、すなわち「肌を見せてはいけない。衣服の下がどうなっているのかを男たちに想像させなければならない」という点に尽きる。その意味では、リュシーにとっての恐怖を、観る側にとっての恐怖と同一視させることに成功している本作は、それだけでも稀有な作品と評すことができる。

 

ところがストーリーはここから思わぬ展開を見せる。まさかの主役交代である。リュシーのパートナーのアンナが、かつてリュシーが経験したおぞましい苦痛の数々を味わうことになる。それは『 デッドプール 』でウェイド・ウィルソンがミュータント変身のために受けた拷問よりも、遥かにフィジカル的に残忍である。特に最終盤は『 羊たちの沈黙 』の行き過ぎたバージョンである。あまりにもおぞましい。デッドプールなら笑えるが、相手は女性である。ここまで彼女に拷問と虐待と苦痛とストレスを与える意味は何か。それがタイトルの『 マーターズ 』の意である。以下、ネタばれになる部分は白字で。

 

本作は映画『 ソウ 』、『 羊たちの沈黙 』にダンテの『 神曲 』と野崎まどの小説『 know 』を組み合わせたものである。アンナがクライマックスに観るビジョンをその目で確かめたら、ぜひこの画像を見てみてほしい。パスカル・ロジェ監督が上に挙げた古典作品をモチーフにしていることは間違いなさそうである。その上で、ラストの一連のシークエンスの意味をよくよく考えてみて欲しい。なぜ念入りに化粧をするのか。なぜ側頭部を撃つのではなく銃口を加えて後頭部を破壊するのか。なぜ「疑い続けなさい」と言い残すのか。いかようにも解釈可能だが、黒沢清の『 CURE 』の和尚の言葉「ありと見ればあり、なしと見ればなし」なのだろう。

 

ネガティブ・サイド

吐き気を催すほどの拷問が繰り広げられるが、後半にアンナをとことん痛ぶる場面は編集の粗が出たか。大柄な男がアンナに拳を振り下ろすシーンとアンナがフロアに叩きつけられるシーンが繋がっていないように感じられたし、アンナ自身も痛みの声と表情は見せても、痛みを体で伝えてはいなかった。WWEのジョバーの仕事を見て、痛いふりをすることと、痛みを観客に分かるように大げさに伝えることは、似て非なるものであると学ぶべし。

 

マドモアゼルが少し喋り過ぎである。いや喋るのは構わないが、明らかに観客に語りかけている。『 ミスター・ガラス 』でもサラ・ポールソン演じる精神分析医がイライジャ・プリンスの説明をご丁寧に観客に説明して白けさせてくれたが、このあたりの語りにも改善の余地がある。

 

後は重箱の隅をつつくようなものである。尿の色が薄い、食べさせられているものや置かれている状況からして量が多いなどの医学的なケチもつけられるし、あのような身体的ダメージを受けて生きていられるはずがない。感染症にかかって、即死亡であろう。もっと言えば、アンナは監禁されていた女性を見つけた時点で警察にすぐに通報すべきだった。だが、かの家の電話は何番にダイヤルしようと全てマドモアゼルの息のかかったところに繋がる・・・などの設定にしておけば、より絶望感が生まれたのではないだろうか。

 

総評

暴力的な描写に耐性が無いのであれば観てはならない。ただのホラーではない。スーパーナチュラルなホラーは大好物だぜ、という向きにもお勧めはできない。『 悪魔のいけにえ 』やそのリメイク『 テキサス・チェーンソー 』を堪能したような向きにこそお勧めしたい。リメイク版の『 フラットライナーズ 』や『 ラザロ・エフェクト 』的なテーマに興味のある向きは、片目をつぶりながら観るべし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語会話レッスン

Mademoiselle

カタカナでは「マドモアゼル」、または「マドモワゼル」だろうか。「嬢」、「さん」に当たる表現である。未婚ではこちら、既婚ではマダムとなる。テニスファンならば、全仏オープンのアンパイアの声に耳を傾けてみよう。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, カナダ, フランス, ホラー, ミレーヌ・ジャンパノワ, モルジャーナ・アラウィ, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:iae, 配給会社:キングレコードLeave a Comment on 『 マーターズ 』 -監禁拷問の果てにあるものは-

『 もしも君に恋したら。 』 -不器用な男の不器用な恋-

Posted on 2019年10月14日 by cool-jupiter

もしも君に恋したら。 60点
2019年10月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダニエル・ラドクリフ ゾーイ・カザン アダム・ドライバー マッケンジー・デイビス
監督:マイケル・ドース

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191014134331j:plain

 

禁断の恋はいつでもドラマチックである。最もドラマチックなのは韓国ドラマでお馴染みの、実は二人は兄妹でした的な展開であるが、日常的なレベルでの禁断の恋は、彼氏彼女持ちを好きになってしまうことだろう。これは独身でも既婚者でも、自分にパートナーがいてもいなくても起こりうることで、それゆえに本作は共感を呼びやすく、同時に陳腐でもある。

 

あらすじ

ウォレス(ダニエル・ラドクリフ)は、内向的な青年。友人のアラン(アダム・ドライバー)に呼ばれて行ったパーティでシャントリー(ゾーイ・カザン)に出会い、ひと目惚れする。しかし、シャントリーには恋人がいた。しかし、ある日、映画館の外で偶然に再会した二人は意気投合。ウォレスとシャンとリーは友人関係を結ぶことを約束するが・・・

 

ポジティブ・サイド

ハリー・ポッター=ダニエル・ラドクリフだった頃の、あの少年はもういない。『 スイス・アーミー・マン 』で見事に生気のない役、というか死体を演じた演じる前だが、生気があまり感じられないという点では、本作の役と共通点は多い。ラドクリフ演じるウォレスには共感しやすい。男は基本的に奥手で受け身で自分が傷つきたくないという考える生き物だ。相手を傷つけたくないという配慮は、自分が傷つきたくないという軟弱な精神構造の裏返しなのだ。そんな典型的なダメ男を演じたラドクリフは、世界中のイケてない男の羨望の的である。

 

アダム・ドライバー演じる彼の親友のアランもいい。邦画の、特に少女漫画を映画化した作品では、主人公の親友はたいていの場合、物分かりの良い縁の下の力持ちに終始するが、アランは違う。極めて実践的なアドバイス、すなわち自分を清いままに保とうなどという甘ったれた観念をぶち壊せという助言をしてくれるし、あと一歩を踏み出せない友人と従妹シャントリーに、その一歩を超えられるような舞台設定もしてくれる。一見すると女性=セックス・オブジェクトとしてしか見ていないような男なのだが、実はそうではない。責任を取れる男なのだ。野郎同士の関係、特に悪友とのそれはなかなか変化しない。それは、あまり気持ちの良い例えではないが『 宮本から君へ 』のピエール瀧とそのラグビー仲間のオッサン悪童連を見ればよく分かる。だが、関係が変化せずとも人間は変わる。そして、人間が変わった時、その相手に差し向かう自分も変化を突き付けられる。これは遅れてきた男のビルドゥングスロマンであり、そういう意味ではダニエル・ラドクリフという俳優の人生をある意味で象徴している。まさに面目躍如である。

 

ゾーイ・カザンは安定のクオリティ。下着姿やセミヌードを惜しみなく披露してくれる女優で、容赦ないエロトークやエロティックな演技もできる一方で、slutty な感じを一切出さない。健康的なのだ。日本で比較できそうな女優は高畑充希か。芳根京子の今後の成長に期待。ベタではあるが、怒ったり拗ねたりした時の方が魅力が増す女子というのは、大切にしなければならないのである。

 

ネガティブ・サイド

ゾーイ・カザン演じるシャントリーの商業がアニメーターという設定が今一つ生きていない。ペンだこひとつない綺麗な手というのはどういうことなのだろう?例えば、ウォレスとの友情を誓い合う握手の時に、ウォレスが「ちょっと普通の手の感触と違うね?」みたいなことを言えば、彼女が真摯に仕事に打ち込むキャラクターであることも伝わるし、ウォレスはただのヒッキーではなく、実はそれなりに経験を積んだ男であることを仄めかすこともできただろう。シャントリーの職業的背景が、変てこアニメーション演出以外に特に活かされなかったのは遺憾である。

 

シャントリーのボーイフレンドであるベンを必要以上に dickwat に描く必要はあったのだろうか。高度な知識と技能を持つプロフェッショナルで5年も付き合ってきた女性にプロポーズもできていない時点で、ある意味ではウォレスに負けず劣らずのヘタレなのである。もう少し正攻法のウォレスとベンの対決を見てみたかった。

 

 

総評

全体的に予想を裏切る展開が少なく、予定調和的である。ただ、日本の少女漫画の映画化作品に食傷気味の向きには、A Rainy Day DVD または A Typhoon Day DVDとしてお勧めできるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Did you guys meet?

 

Meetの意味は出会うではなく、「出会って挨拶や簡単な会話をする」ところまでを含む。『 モリーズ・ゲーム 』でも、ジェシカ・チャステインがイドリス・エルバに娘を紹介された時に“We met.”と返していた。またmeetは名詞としても使う。『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』でも水泳大会=Swim Meetと表現されていた。会=Meetと理解すれば、出会って何かを行う、というイメージをより強く持つことができるだろう。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アイルランド, アダム・ドライバー, カナダ, ゾーイ・カザン, ダニエル・ラドクリフ, マッケンジー・デイビス, ラブロマンス, 監督:マイケル・ドース, 配給会社:エンターテイメント・ワンLeave a Comment on 『 もしも君に恋したら。 』 -不器用な男の不器用な恋-

『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

Posted on 2019年9月10日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

ゴーストランドの惨劇 65点
2019年9月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:クリスタル・リード アナスタシア・フィリップス エミリア・ジョーンズ テイラー・ヒックソン
監督:パスカル・ロジェ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190910233535j:plain


 

劇場の新作予告での非常にユニークな宣伝文句に惹かれた。すなわち【2度と見たくないけど、2回観たくなる】に。また、【 姉妹が その家で再会した時 あの惨劇が再び訪れる―などという ありきたりのホラーでは終わらない 】や【 観る者を弄ぶ絶望のトリック 】という挑発的な惹句にもそそられた。結果はどうか。まあまあであった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190910233555j:plain

あらすじ

叔母の家を相続したベス(エミリア・ジョーンズ)とヴェラ(テイラー・ヒックソン)の姉妹とその母と共に人里離れた屋敷に移り住んできた。しかし、キャンディ屋に扮した異常な二人組の侵入により、屋敷は惨劇の場に。母は娘たちを守らんと決死の抵抗を試みて・・・

 

ポジティブ・サイド

確かに凡百のホラー映画とは違う。そこに『 キャビン 』との共通点を感じる。ネタバレになりかねないので白字で書くが、本作を観て以下の作品を思い出した。

 

『 バタフライ・エフェクト 』

『 ミスター・ノーバディー 』

『 スプリット 』

『 カメラを止めるな! 』

 

残暑も厳しいし、サメかゾンビか、それとも普通のホラー映画でも観るか、のような軽いノリで鑑賞する作品ではない。かといって、骨の髄までホラー映画ファンでなければ観てはならないのかというと、そんなことはない。確かに、タイトルにある惨劇の名に恥じないキツイ描写はあるが、本作の真価はそこにあるのではない。Jovianが脚本家なら、このtwistを最後の最後に持ってきて、観客をflabbergastedな状態に放置して終わりにしてしまうことだろう。そして、それも脚本執筆段階では選択肢にあったはずだ。しかし本作の製作者たちは、ジェットコースター的な展開を選択した。真相が明かされたところからが本番なのだ。普通の90分のホラー映画文法に従えば、最初の15~30分でキャラクターと舞台を説明/描写する。30~70分で惨劇を描く。70~90分で窮地を脱してエンディングとなるだろう。だが、本作はそこをひっくり返した。惨劇の開始までが圧倒的に短く、窮地を脱するまでが最も長いのだ。それでいて90分に収めてしまうのだから、パスカル・ロジェ監督の手腕は見事である。

 

主演のエミリア・ジョーンズはまさに人形のような可愛らしさで、やはりホラー映画は美少女または美女の顔が苦痛にゆがむのを眺めて悦に入るための小道具であることを実感。そうした王道、場合によってはこの上なく陳腐な展開を、超絶技巧で圧縮してしまった本作は、近年のホラーの中でも出色の出来である。ベスの最後の意味深な台詞にもにやり。ホラー映画にこそ余韻が必要なのである。

 

ネガティブ・サイド

展開は途中までは陳腐そのものであるが、こけおどし的な手法の多用も陳腐である。つまり、ジャンプスケアが多すぎるのである。いつになったら「怖い」と「びっくりする」をホラー製作者たちは区別するようになるのか。『 来る 』や『 貞子 』が怖くないのも、作り手が怖がらせようと意識しすぎるからだ。視覚的に怖がらせるのであれば、『 エクソシスト 』の、ベッド上で、膝から上だけでドッタンバッタンするシーン、首が180度回転するシーン、仰向けのまま階段を這い降りるシーンでもう十分に怖い。そうではなく、もっと映画を観終わってからも誰かに心臓を握りしめられているような感覚を味わわせてほしいのだ。例えば『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』の意味不明なラストのテント内のシーンが、序盤の街の声を思い出すことによって、とてつもなく恐ろしいものに変貌したり、あるいは黒沢清監督の『 CURE 』のラストシーンの一見何気ない行動をとっているように見えるウェイトレスなど、考えることによって生まれてしまう恐怖感が、もっと欲しいのだ。

 

個人的に他にも気になったのは、オープニングがまるっきり『 レディ・バード 』だったこと。これもこれで、一種のホラー映画のオープニングあるあるなのだろうか。母と娘の関係を深読みしすぎてしまったようである。これは狙ったmisleadingなのだろうか。

 

総評 

ホラー映画ファンならば劇場へGoだ。美少女好きな映画ファンも劇場へGoだ。幽霊はちょっと・・・という方には朗報だ!本作はそのタイトルにもかかわらず、幽霊は出てこない!とにかく劇場にGoだ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I can’t wrap my mind around ~

 

wrap one’s head around ~ = ~を理解する、という慣用表現。

 

Once you are able to wrap your head around Blade Runner, go for 2001: A Space Odyssey.

I still can’t wrap my head around what this company is aiming to do with this project.

 

等のような使い方をする。自分でも練習してみよう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190910233631j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナスタシア・フィリップス, エミリア・ジョーンズ, カナダ, クリスタル・リード, スリラー, テイラー・ヒックソン, フランス, ホラー, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

『 ザ・ミスト 』 -フランス産パニック・ムービーの珍作-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

ザ・ミスト 40点
2019年5月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ロマン・デュリス オルガ・キュリレンコ
監督:ダニエル・ロビィ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190519103838j:plain
TSUTAYAは時々、TSUTAYAだけでしかレンタルできません!的な作品を出してくる。本作もその一つ。大体において、この手の商品はただの製品であって作品ではないことが多い。が、Sometimes, I am in the mood for garbage. 駄作と分かっていて観るのも、亦悦しからずや。

 

あらすじ

マチュー(ロマン・デュリス)とアナ(オルガ・キュリレンコ)には、免疫疾患のため、金魚鉢的なコンテナに隔離された娘がいた。ある時、パリが地震に見舞われ、地下から謎の霧が噴出。それを吸った人々は倒れていく。娘は無事だが、機械のバッテリーがもたない。愛娘を助けるべく、マチューとアナは霧と対峙するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ゲティ家の身代金 』のチンクアンタを熱演したロマン・デュリスが本作でも額に汗して、子どもを守ろうとする。火事場の馬鹿力ならぬ霧場の馬鹿力で、一般人では少々無理目なアクションを易々とこなしていく・・・というような安易な展開を見せないところが良かった。リミッターが外れれば、ひょっとしたらこれぐらいなら出来るかもしれないと思わせてくれた。

 

また、金魚鉢に閉じ込められた娘が同病相哀れむように同じ疾患を抱える他の者と通信していることに意味があることも評価できる。単なるパニック・ムービー、もしくはディザスター・ムービーの場合、多くの場合は自然 vs 文明、地球 vs 人間 といったような単純、単調なテーマがモチーフになっている。謎の霧の正体は何か?いつ、どこで、どのように発生したのか?そんなことは追及しない。このあたりがハリウッド映画とフランス映画の違いなのだろう。小説にしろ、映画にしろ、人間関係を広げ過ぎず、なおかつそこにエスプリを織り交ぜてくるのがフランス流で、フランス料理のフルコースとフランス産の映画、小説は全く趣が異なる。アメリカ映画で胃もたれをおこした時には、フランス映画で中和するのも一つの手かもしれない。

 

ネガティブ・サイド

パニック・ムービー、スリラー映画とはいえ、キャラクター達の行動原理がよく分からない。いや、子どものために必死になっているということは分かる。しかし、合理的とはとても言えない行動の数々を選択するのは何故なのか。単にサスペンスフルなシーンを演出したいがためにしか見えなかった。娘のための防護服が破損していても代用品はある。例えば、『 MEG ザ・モンスター 』でも一瞬映っていたアクアボールなどは、いくらパリが海から遠いとはいえ、冷静に考えればどこかしらで調達はできるアイテムだ。変に街をかけずり回るよりも、知識と知恵をフルに活用するような展開をもっと織り交ぜられたはずだ。

 

母親の行動も、美しいと見る向きもあれば、???となる向きも多かろう。Jovianは後者である。必要なのは電池であって伝者ではない。これも無用なドラマを無理やり仕立てるというプロットありきで、人間を描くことには失敗していたように思う。

 

字幕で父親が軍隊に、「自己免疫疾患の娘がいる」と言っていたが、これは誤訳ではないだろうか。自己免疫疾患は自分の免疫系が、細菌やウィルスではなく、自分の細胞を排除の対象として攻撃してしまう疾患だからだ。もちろん、隔離に意味が無いとは言わないが、それなら娘に必要なのは免疫抑制剤なのでは?と思えてしまった。フランス語に堪能な方がおられれば、是非お確かめ頂きたい。ただし、名作傑作と言える類の映画でないことだけはご承知いただきたい。

 

総評

それなりに捻りの効いたオチもあるが、それもオリジナルというわけではない。これなら、小松左京の小説およびその映像化作品の『 首都消失 』(YouTubeで視聴可能)を鑑賞し、返す刀でハヤカワSF文庫の『 アトムの子ら 』を読んだ方が面白いだろう。あれ、微妙にネタばれしてしまったかな?どちらも相当に古い作品なので、お目こぼしいただきたい。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, オルガ・キュリレンコ, カナダ, スリラー, フランス, ロマン・デュリス, 監督:ダニエル・ロビィ, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 ザ・ミスト 』 -フランス産パニック・ムービーの珍作-

『(r)adius』 -ひとひねりは効いているが、着地に失敗したSFスリラー-

Posted on 2018年7月30日2020年1月10日 by cool-jupiter

(r)adius 40点

2018年7月28日 レンタルDVDにて観賞
出演:ディエゴ・クラテンホフ シャーロット・サリバン
監督:キャロライン・ラブレシュ スティーブ・レナード

リアム(ディエゴ・クラテンホフ)は交通事故に遭い、負傷していた。気がついた時には見知らぬ土地にいて、記憶を失っていた。そして、自分の半径15mに近づいてきた動物(植物や微生物は無事らしい)は、白目をむいて即死することに気づいた。そんな中、自分に近づいても死なない女性ジェーン(シャーロット・サリバン)と出会う。ジェーンもまた記憶を失っていたが、2人は元々一緒に行動していたらしいことが分かる。一緒にいれば、謎の即死現象が中和されることに気づいた2人は、警察その他から逃れるべく、逃亡を開始するが・・・

どこかジョニー・デップとシャーリーズ・セロンの『ノイズ』を思わせる雰囲気があったりと、予備知識ほぼゼロの状態で観ていたため、序盤の展開にはスッと入っていくことができた。記憶喪失物というのは、小説であっても映画であっても、始まりはたいてい面白いと決まっているのである。問題は、記憶を取り戻す方法とタイミングだ。もちろん、そこにも『ジェイソン・ボーン』式のきっかけとともに小出しで思い出していく方式、『メメント』式の終盤一気の思い出し方(というか説明の仕方か)、装置を使って思い出す『トータル・リコール』方式など、こちらも記憶喪失ジャンルと同様にある意味で確立されていると言える。残念なのは本作の記憶喪失とその記憶の取り戻し方が、あまりにもご都合主義過ぎるところ。良かったところは、失われた記憶が蘇ったことで分かるリアムとジェーンの本当の関係の意外性。しかし、この映画の最も残念な点は、テーマを絞り切れなかったところであろう。主題は分かりやすい。半径15m以内の生物を問答無用で即死させてしまう謎の現象だ。しかし、テーマが薄い。というか分散させすぎである。ジャンル分けするとすれば、SFであり、スリラーであり、記憶喪失物であり、ロードムービー的要素もあり、ロマンス要素もある。敢えて絞るとすると、良心への目覚めということになるのだろうか。しかし、タイトルにもある(r)adius=半径について、もっともっと深掘りするべきだし、観る側はそれを期待する。エレベーターのシーンはサスペンス感があったが、他にも例えば、リアム一人でボートで湖にこぎ出してたんまり魚をゲットしてくるなど、二人の逃避行にもっとほのぼのとした要素を入れてくれないと、オチとの落差があまり感じられず、結果的に着地で失敗したとの印象だけが強めに残った。誰も漫画の『B-SHOCK!』みたいなのは期待していないのだから。

もともと梅田のシネリーブルの未体験ゾーンの映画たちの一つとして公開されていた当時、都合がつけられず劇場鑑賞ができなかった。まあ、レンタルで観て、それなりに満足したということで、良しとしようではないか。ちなみに本作のジェーンは、ジェーン・ドウ=Jane Doeから来ている。身元不明の女性はジェーン・ドウなのだ。ちなみに男になるとジョン・ドウ=John Doeとなる。『マイノリティ・レポート』でトム・クルーズが一瞬言及するシーンがあるので、熱心なトム様ファンは見返してみてもいいかもしれない。直近では『ジェーン・ドウの解剖』、近年だと『ブラック・ダリア』がジェーン・ドウものの秀作かな。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, カナダ, シャーロット・サリバン, ディエゴ・クラテンホフ, 監督:キャロライン・ラブレシュ, 監督:スティーブ・レナード, 配給会社:アットエンタテインメントLeave a Comment on 『(r)adius』 -ひとひねりは効いているが、着地に失敗したSFスリラー-

『 ウィッチ 』 -魔女映画の新境地-

Posted on 2018年5月20日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:ウィッチ 70点
場所:2017年7月 シネリーブル梅田にて観賞
主演:アニャ・テイラー=ジョイ
監督:ロバート・エガース

魔女映画の傑作(公開当時)と言えば『 ブレアウィッチ・プロジェクト 』が想起される。レンタルビデオで観た時はあらゆるシーンの意味が分からず、その場でもう一度見直したら、いくつか背筋が凍るような場面があった。ホラー映画は一部の傑作を除いてあまり楽しむことはそれ以来なかったが、本作は久しぶりの個人的ヒットであった。

冒頭、主人公一家が追放されるシーンの直後に森の遠景を映し出す、いわゆるEstablishing Shotがあまりにも暗く、家族の今後の生活に暗雲が立ち込めていることを明示していた。

しばらくは平穏に過ごす家族に、しかし災いが訪れる。赤ん坊がいきなり消えてしまうのだ。その場で子守りをしていたアニャ・テイラー=ジョイ演じるトマシンは家族の中で立場を失っていく。

この作品を観賞する上では、アメリカの家族文化やキリスト教に関する一定の理解があることが望ましい。それによって主導的な役割を果たそうとする父親を見る目が大きく変わってくるだろう。

本作では魔女が何度かその姿を見せる。時に不気味な老婆であったり、時に妖しい美女であったりと、観る者をも惑わせる。魔女は姿を変えるのか、と。姿かたちが特定できない魔物のような存在を描いたホラーの傑作と言えば『遊星からの物体X』が思い出される。一人また一人と隊員が死んでいく中で、誰が”The Thing”であるのかが分からないのが最大の恐怖。それと同じように、家族は次第に疑心暗鬼に駆られていく。中盤においては双子の妹が重要な役割を担うが、彼女らを見ていて不覚にもニコラス・ケイジ版の『ウィッカーマン』を思い浮かべてしまった。時に幼い少女の無邪気さほど邪悪なものは無いということを我々は思い知らされてしまう。

物語が進む中で、ついにはトマシンの弟も魔女の手にかかり死んでいくのだが、このシーンは筆舌に尽くしがたい恐ろしさを醸し出すことに成功している。観る者は魔女の呪いの恐ろしさと、家族の反応の異様さの両方に恐怖を感じるであろう。魔女がもたらす災いにより家族が崩壊していく様を目の当たりにすることで、人間が本質的に恐れるのは人間ならざる者ではなく、人間そのものであることが露わになる。そのことは実は、冒頭で共同体から追放される家族自身がすでに経験していることでもあったのだ。人間関係の崩壊、それこそが本作のテーマであると思わせておきながら、しかし思いもよらぬ結末が待っている。この結末をあるがままに受け取ることによって、劇中の魔女の不可解さが説明される。それと同時に、ある肝心なシーンが意図的に映し出されていないことが別の解釈の余地を観る者に与えている。この映画の視聴後の虚脱感はヘレン・マクロイの『暗い鏡の中に』を想わせる。こちらも同工異曲の小説で、かなり古い作品ではあるものの、現代にも通じる面白さを秘めている。

本作で他に注目すべきは、音楽の恐ろしさと英語の古さ。一瞬の不協和音でびっくりさせてくるようなこけおどしではなく、脳に響いてくる不協和音とでも言おうか。また英語の古さがリアリティを与え、非現実的な物語に逆に更なる深みを与えることに成功している。カジュアルな映画ファンにはキツイかもしれないが、スリラーやサスペンスが好きな向きにもお勧めしたい一本。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, カナダ, ホラー, 監督:ロバート・エガース, 配給会社:インターフィルムLeave a Comment on 『 ウィッチ 』 -魔女映画の新境地-

最近の投稿

  • 『 BLUE ブルー 』 -生涯一ボクサー-
  • 『 AVA/エヴァ 』 -続編は難しいか-
  • 『 太陽は動かない 』 -ドラマ未鑑賞でもOK-
  • 『 ザ・バッド・ガイズ 』 -悪をもって悪を制す-
  • 『 パーム・スプリングス 』 -結婚について考えよ-

最近のコメント

  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に cool-jupiter より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に goody_taka より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に cool-jupiter より
  • 『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- に goody_taka より
  • 『 サイレント・トーキョー 』 -竜頭蛇尾のグダグダのサスペンス- に cool-jupiter より

アーカイブ

  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme