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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: インド

『 盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 』 -インド発のサスペンスフル・ブラックコメディ-

Posted on 2019年11月18日2020年4月20日 by cool-jupiter

盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 75点
2019年11月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アーユシュマーン・クラーナー タブー ラーディカー・アープテー
監督:シュリラーム・ラガバン

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Jovianはインド映画にはまりつつある。そこで『 マッキー 』と『 ロボット2.0 』ではなく、こちらに賭けた。その勘は当たっていたように思う。これも相当なエンターテインメント性を備えた作品である。

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あらすじ

アーカッシュ(アーユシュマーン・クラーナー)は盲目を装ったピアニスト。偶然に知り合ったソフィ(ラーディカー・アープテー)の店でピアノ演奏をしていたところ、スター俳優のプラモードに結婚記念日に妻にサプライズ演奏をしてほしいと依頼される。しかし、アーカッシュがそこで見たものは、プラモードの妻シミー(タブー)と間男、そしてプラモードの死体だった・・・

 

ポジティブ・サイド

まず音楽と歌が良い。『 イエスタデイ 』と同じく、主人公が歌って楽器を演奏するのだが、歌唱も演奏のクオリティも同じくらい高い。もちろん、演奏はプロのそれの差し替えだが、インド映画の魅力の一つは歌と踊りで、本作には踊りの要素がほとんどない。代わりに、序盤の歌はかなりのりやすいポップなもので、アーカッシュとソフィの関係の芽生えを素直に応援したい気持ちにさせてくれる、これが中盤および終盤のtwistに作用してくる。脚本家は手練手管を心得ている。

 

アーカッシュの嘘がばれる瞬間がいつになるのかについてもサスペンスが持続する。もちろん、プロット上、それがばれるのは時間の問題なわけで、問題は「いつ」と「どのように」である。「いつ」に関しては良いタイミング、「どのように」に関してはまあまあ納得できるレベルである。序盤の絶対にウソがばれてはいけないタイミングで、とあるスキットを挿入することで、アーカッシュの暴走暴発を予感させてくれる。嘘を暴こうとする側と嘘をばらしてしまう側という、二重のサスペンスを生み出している。のみならず、そのことが途轍もないブラックユーモアにもつながっている。悪人同士の息詰まる駆け引きに手に汗握ることができる。

 

映画の世界では警察は必ずしも信用できないというのは最早お約束であるが、インド映画でもそのことは踏襲されている。本作を面白くしているのは、その他の人々も同様に信用できないことだ。そうした悪人だらけの世界においても、シミーの狡賢さと悪辣さは群を抜いている。まさに「憎まれっ子、世に憚る」である。“Ill weeds grow fast.”である。悪人同士の対決は、ここまでやるかと思わせてくれるところにまでエスカレートする。収集がつかないだろうという地点に達した時、思いもかけぬデウス・エクス・マキナが現れる。なるほど、ここでこう来たかと思わせてくれる。この脚本家は良い意味で滅茶苦茶である。このタイミングなら、この荒唐無稽さも受け入れられる気がしてくるのである。

 

様々な事柄に説明を与えつつも、物語は極めて鮮やかに不鮮明なエンディングを迎える。あのシーンは意図的なのか、それとも“事故”なのか。まるで『 ゴールド/金塊の行方 』のラストのマシュー・マコノヒーの笑顔のような怪しげな両義性を持っている。この余韻はなかなかに味わい深い。

 

エンディングのクレジットでも席を立たないように。数々の映画のピアノ演奏シーンを一挙に鑑賞させてくれる。これは監督からのほんのちょっとした心付けであろう。じっくりと堪能しようではないか。

 

ネガティブ・サイド

子どもの無邪気さは時に残酷さになる。が、それが純粋な無邪気さなら良いが、金欲しさゆえの行為であることには正直なところ、虫唾が走った。登場する主要な大人キャラクターはほとんど皆が悪人なのだから、子どもぐらいは子どもらしく描いて欲しかった。

 

インド映画は始まるまでの提供会社や配給会社の紹介が延々と続くのが常であるが、本作ではそれが殊更に長かったように感じた。『 バーフバリ 伝説誕生 』のそれよりも遥かに長く感じた。これは如何ともしがたいのだろうか。

 

ウサギのCGが今一つであった。『 空海 KU-KAI 美しき王妃の謎 』の化け猫と同程度のクオリティだった。『 バーフバリ 伝説誕生 』の牛ぐらいのリアリティを目指すべきであった。

 

総評

盲目をテーマにした作品としては『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』には劣るものの、『 ブラインド 』や『 見えない目撃者 』とは甲乙つけがたいほどの面白さである。ぜひ劇場で鑑賞しよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

By accident.

 

ソフィがアーカッシュとの出会いを説明する時の台詞である。「偶然に」、「偶発的に」という意味であるが、文字通りに解釈すれば「事故により」となる。この副詞句を一語にしたaccidentallyもそれなりに使う語なので覚えておいて損はない。“Dammit, I accidentally deleted a very important email!”などのように使える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アーユシュマーン・クラーナー, インド, サスペンス, タブー, ラーディカー・アープテー, 監督:シュリラーム・ラガバン, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 』 -インド発のサスペンスフル・ブラックコメディ-

『 ガリーボーイ 』 -インドの矛盾を暴き、乗り越えていくビルドゥングスロマン-

Posted on 2019年10月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

ガリーボーイ 80点
2019年10月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ランビール・シン アーリアー・バット シッダーント・チャトゥルベーディー カルキ・ケクラン
監督:ゾーヤー・アクタル

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野村周平主演の『WALKING MAN 』と本作を比較して、やはりインド映画好きのJovianはこちらを選んだ。『 パティ・ケイク$ 』のインド版のようなものと思っていたが、実際は近年のボリウッドが目指す娯楽性と社会派メッセージの両方を備えた良作であった。

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あらすじ

ムラド(ランビール・シン)はムンバイの貧民窟の問題のある家庭に暮らす大学生。悪友と車上盗を行うなどしながらも、幼馴染にして医大生のサフィナ(アーリアー・バット)と交際していた。ある日、ムラドは大学のイベントでシェール(シッダーント・チャトゥルベーディー)のラップを聴いたことで、自身もラップに開眼。二人でラップにのめり込んでいくが・・・

 

ポジティブ・サイド

劇中でも一瞬だけ触れられる通り、これは『 パティ・ケイク$ 』よりも『 スラムドッグ$ミリオネア 』の方がジャンル的にはやや近いか。ラップでサクセスを追求していく男の物語であるが、そこにあるのはインド社会の大いなる矛盾と、自身の生き様について抱える葛藤である。ラップの良いところは、元手がゼロ円で始められるところである。必要とされるのはリズム感とインスピレーション。その二つをムラドが有していることが、序盤にさりげなく描かれている。観光客に家の中にまでずかずかと踏み込まれ、勝手に写真は撮られ放題。まるでオブジェか何かのように扱われるムラドがラップを口ずさむシーンは、この男が凡百のガリーボーイではなく、ひとかどのガリーボーイであることを言葉数少なく、声も小さく、しかし雄弁に物語っていた。

 

ムラドが日の当たらない場所から日の当たる場所に出ていくきっかけになったシェールとの出会いも鮮烈だ。ラップという黒人音楽の一つの完成形が、インドという全く異なる土地で大きく花開いている背景には、複雑な民族問題、宗教問題、社会問題(カースト制度)、さらに貧富の格差の拡大問題がある。本作はそれらにはフォーカスしない。しかし、それらを隠さずに正面から描き切る。何かを元凶に描くのではなく、満たされない現状から雄々しく抜け出していく男の姿は、我々をこれ以上なく勇気づけてくれる。

 

何よりも、ムラドが当初は抵抗することが出来なかった父に立ち向かえるようになったのが大きい。『 シークレット・スーパースター 』でも描かれていた通り、インドにおける父親像は(山岡士郎視点での)海原雄山のごとき暴君である。その暴君を相手に立ち上がるムラドの姿に、インド社会全体を支配する権威への反抗を重ね合わせて見ることができるだろう。

 

本作の肝となるべきラップもハイレベルだ。字幕担当の方は大変な苦労をされたものと思う。『 ジョーカー 』でもcentsとsenseをかけて、「高価」と「硬貨」と訳し分けたのは上手いと感じたが、本作でもラッパーたちは韻を踏みまくる。字幕にも要注意だし、耳に自信のある人はヒンディー語の歌詞にも耳を傾けてみよう。

 

ラッパーたちの姿も実に見事に活写されている。プロモビデオの製作シーンでは、ムラドが才気煥発する様が映し出されている。カラフルさにはやや欠ける本作であるが、スラム街を縦横無尽に駆けて歌うムラドとシェールは、乾いた色合いの画面にダイナミズムを与えていた。また光を使った演出で目についたのは、ムラドが駐車場に停めた車の中でイヤホンを装用してラップを歌いまくるシーン。『 ベイビー・ドライバー 』冒頭のアンセル・エルゴートを彷彿させるパフォーマンスだが、周囲のビルから車体に降り注ぐ黄金色のカクテル光線が決してムラドには降り注がない。そして観客にもムラドの声は聞こえない。この降り注ぐ光を浴びることができないというシーンは、最終盤に劇的なコントラストをもたらす。ベタな演出ではあるが、見事なものだと唸らされた。

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ネガティブ・サイド

サフィナのキャラクターは、もう少し普通にはならなかったのだろうか。実在の人物に基づいていると言われればそれまでだが、ドキュメンタリーではないのだから、適度に人物や出来事を美化したり、あるいはぼかしたりすることは許されるだろう。癇癪持ちというのを通り越した、エクストリームな暴力女の元に戻っていく(?)ムラドに共感することは難しかった。

 

犯罪行為に手を染め続ける旧友との距離感も観ているこちらとしては、なかなか把握しづらかった。ムラド自身の生い立ち、これまでに共に積み重ねてきた濃密な時間という、サフィナと共通する要素がムラドを繋ぎ止めているのだろう。ただ車上盗は何とか許容できても、子どもを巻き込んだ drug trafficking は許容できない。これも事実だと言われてしまえばそれまでだが、自分で持つにはかなりヘビーな交遊関係である。

 

総評

ラップの素養が無いJovianにも楽しめた。ラップのハードコアなファンには粗が目に付くかもしれないが、それでもランビール・シンのパフォーマンスは圧倒的である。様々な社会的矛盾に押し潰されそうになりながらも、決して膝を屈しないムラドは多くの人を勇気づけることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re gonna kill it.

 

カルキ・ケクラン演じるスカイがステージに向かうムラドにかけた言葉がこれだった。直訳すると意味が分からなくなるが、kill it = 上手くいく、やり遂げる、成功する、というような意味である。ただ基本的にはネイティブ・スピーカーにしか通用しないだろう。インドのようにテレビ番組の半分が英語音声という国なら話は別かもしれないが。イディオムを使いこなせれば中級者以上だが、こういう表現はあまり推奨されない。日本のビジネスマンの多くが英語でコミュニケーションを取る相手は、北米やヨーロッパではなく東南アジアやラテンアメリカ諸国になっている。最大公約数的な英語をKISS(Keep it simple and short)の法則に従って使うのが無難である。

劇中の冒頭でムラドが聴いていたのは

www.youtube.com

だった。Rod Stewartの歌声は、麻薬のようである。一度聴いてしまうと忘れられない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, インド, ヒューマンドラマ, ランビール・シン, 監督:ゾーヤー・アクタル, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 ガリーボーイ 』 -インドの矛盾を暴き、乗り越えていくビルドゥングスロマン-

『 ホテル・ムンバイ 』 -極限の緊張と恐怖に立ち向かえるか-

Posted on 2019年10月14日2020年4月11日 by cool-jupiter

ホテル・ムンバイ 85点
2019年10月13日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:デブ・パテル アーミー・ハマー
監督:アンソニー・マラス

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テロと聞けば9.11を思い浮かべるのは、それだけ我々がアメリカ的な価値観に染まっている証拠である。だが、世界ではテロが頻発している。テロリズムとは何かを定義するのは難しいが、私や個、あるいはその集団が国家あるいは国家に準じる存在・団体・組織に攻撃を仕掛けること言えはしないか。そうした意味でなら、本作は紛れもなくテロリズムを、そして世界の現実を描き出している。

 

あらすじ

2008年11月、ムンバイ各地で同時多発テロが発生した。タージマハル・パレス・ホテルも襲撃を受け、ホテル内には多数の客およびスタッフが取り残された。テロを鎮圧可能な特殊部隊は遠くニューデリーにいる。彼らの到着まではもたない。アルジュン(デブ・パテル)ら、ホテルマンの従業員たちは決死の覚悟で宿泊客らを匿い、逃そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

自分の拙い語彙力や表現力では、本作の凄さや価値を充分に伝えられない。例えて言うならば、『 グランド・ブダペスト・ホテル 』のような群像劇を、『 クワイエット・プレイス 』や『 ALONE アローン 』以上の緊張感、緊迫感で、そして『 デトロイト 』以上の臨場感で作り上げた、と言えば良いだろうか。

 

まず、銃声が怖い。マシンガンを乱射しているわけだから、当たり前と言えば当たり前だが、銃声の質をこれほどまでに追求した作品は、これまでに甘利生産されてこなかったのではないだろうか。邦画の任侠映画やアメリカの刑事ドラマのようなパァンパァンといった軽い音ではなく、腹の底にズシンと来るような重低音の聞いた銃声が、ひたすらに怖い。『 プライベート・ウォー 』も理不尽な暴力の描写方法がホラー映画のそれであったが、本作は効果音と音響効果だけでホラー映画に分類したくなるほどのリアリティと凄惨さである。

 

そして、テロリスト連中が怖い。無表情に、淡々と、それでいて油断なく動き回り、引き金を引くその指先に全く躊躇が無い。ブルという名のイスラム過激派組織の、まさに「考えない兵士」である。だが本作は、そんな末端のテロリストたちも生きた人間であるという描写をそこかしこに挿入する。血も涙もない殺人マシーンなのではなく、イスラムの教義に忠実な信者で、仲間を怒らせかねない冗談も飛ばし、水洗トイレをありがたがる年少の者たち。つまりは無邪気なのだ。アメリカ人を人質にし、インドは「お前たちの富を奪って発展した」と吹き込まれているが、その実、ピザを旨そうに喰い、履いている靴はNikeがどこかのスニーカー。ということは無知なのだ。本当の悪は、声だけしか出てこないブルであって、テロ実行部隊は操り人形に過ぎない。これは示唆的である。我々が大切にしている信念や理念は、どこから来ているのか。例えば、必死に会社のために頑張ってきたというのに、その会社が実は単なるブラック企業で、社会貢献を理念に掲げながら、実際は経営者の懐を潤すためだけに存在していたら?深刻さの度合いは全く異なるが、そんなことが、鑑賞後、ふと脳裏をよぎった。自分はお客さんに非人間的に接していないだろうか、と。

 

閑話休題。本作で最も印象に残るキャラクターは料理長のオベロイである。『 セッション 』におけるJ・K・シモンズを彷彿させるプロフェッショナリズムの塊のようなオジサンで、そのカリスマ性とリーダーシップは、確かに実在のシェフに基づくのだろう。

 

デブ・パテル=虐げられている、苦難に陥る、のようなイメージがあったが、その印象は本作を以ってさらに強化された。オベロイ料理長とはまた異なる意味でプロフェッショナルであり、ターバン(パグリー)と豊かな髭のせいで、ホテル客を疑心暗鬼にさせてしまうが、人間は外見ではなく内面で判断すべきということを我々に思い知らせてくれるシーンを披露する。『 PK 』でも用いられたネタであるが、我々はいかに外見で人を判断し、その内面を知ろうとしないのかを痛感させられる。多民族・多文化共生は言うは易く行うは難し。いつの間にか移民大国となった日本、大坂なおみやラグビー日本代表のようにダイバーシティを体現する存在がかつてないほど身近になっているからこそ、我々はインドに学ぶことが多い。

 

一部でチクリとCNNを刺すシーンがあるが、これはオーストラリア人監督としてのアメリカへのメッセージだろうか。

 

ネガティブ・サイド

全体的にストーリーに一本太い芯が通っていない。アーミー・ハマーが妻子を助けようと奮闘するぐらいだが、行き当たりばったり感が否めない。また、テロリストたちが客やスタッフを一人また一人と殺害していく、そしてホテルマンたちが客を匿おうとする、逃がそうとするシーンの一つひとつはこの上なくサスペンスフルであるが、客やスタッフの全体像が不透明であるため、何階建ての何階まで侵入された、何人中の何人が殺されてしまったという意味での、追い詰められる感覚が欲しかった。まあ、もしもそれがあれば窒息してしまったかもしれないが。

 

後はテロリストが「まだ少年じゃないか!」と形容されていたが、ちょっとそれは苦しい。どう見ても立派な20代だからだ。本当に10代半ばぐらいの俳優たちをキャスティングするという選択肢はなかったのか。それともそれが史実なのだろうか。それぐらいは映画的な演出として許容されると思うが。

 

冒頭で頼んでいない品を頼んだものと笑顔で言い張るインド人の食堂店員がいるが、個の描写は必要だったのだろうか。タージ・ホテルとその他のインドの店との格の違いを見せようという意図かもしれないが、そんなものは不要である。

 

最後にアルジュンが自宅に帰るシーンがあるが、普通は地元当局や警察に事情聴取も嵐を喰らうだろう。内部で一体何が起こっていたのか。どうやって生き延びたのか。そういったプロセスをすっ飛ばしてしまったのは頂けない。茫然としたまま原付に乗っていたが、茫然としたまま、聴取を受けて、茫然としたまま自宅に帰れば良かった。

 

総評

弱点も数多くあるが、間違いなく2019年公開作品の最高峰の一つである。よく知られたことであるが、世界史上の宗教戦争の99.9%は経済戦争である。テロリズムはその延長線上にある。ジハードの意味を、テロに利用された少年たち同様に、我々は決して誤解してはならない。信じるもののために奮励努力する。本作はそれを二極化された視点から描いているとも言える。分断・分裂によって起こる悲劇を描いたインド映画としては『 ボンベイ 』に並ぶ傑作が誕生したと言える。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Guest is God.

 

インドには日本と同じく、「お客様は神様です」という言葉が存在する。それが Guest is God である。あまりにも直球の訳であるが、実際にこう言うのだから仕様がない。英語ではもう少しマイルドになり、“The customer is always right.”となる。神様ならぬかみさんに頭が上がらない男性諸賢には“MEN to the left because WOMEN are always right! ”という言葉を贈る。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミー・ハマー, アメリカ, インド, オーストラリア, サスペンス, デブ・パテル, ヒューマンドラマ, 監督:アンソニー・マラス, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ホテル・ムンバイ 』 -極限の緊張と恐怖に立ち向かえるか-

『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

Posted on 2019年9月13日2020年4月11日 by cool-jupiter

ヒンディー・ミディアム 70点
2019年9月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:イルファン・カーン サバー・カマル ティロタマ・ショーム
監督:サケート・チョードリー

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日本でも一頃、お受験をテーマにしたテレビドラマが流行していた。日本でも受験の低年齢化が進んだが、結局は学力レベルの二極化を推し進めてしまっただけのように感じる。だが、インドという国に根強く残る格差は、日本のそれとの比ではない。だからこそ、インドは自国の問題点を映画にして世界に発信するのだろう。

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あらすじ

デリーで生地屋を営むラージ(イルファン・カーン)とその妻ミータ(サバー・カマル)は娘に最高の教育を与えたいと思い、進学先を選ぼうとする。しかし、学校によっては親の学歴や住所までが合否の判断材料になると分かり、家族は高級住宅地に引っ越すも、受験結果は全滅。しかし、貧困層救済のための受験枠があることが分かり、彼らは貧民街へと引っ越すが・・・

 

ポジティブ・サイド

よく言われることであるが、小さな子どもほど有望かつ確実な投資先は存在しない。そして、その投資とは教育に他ならない。それはスポーツかもしれないし、音楽や芸術かもしれないし、学業かもしれない。いずれの分野に投資するにしても、その投資効率を最大化する為には、できるだけ早い段階で教育を始めることである。この場合、子ども自身の嗜好や適性を考慮すべきかどうかは、タイガー・マザーという言葉がアメリカで聞かれるようになって以来、常に論争の的となっている。

 

インドでも事情は似たり寄ったりのようである。ただし、急激な発展を遂げている最中とはいえ、その発展の波に乗れない、あるいは乗せてもらえない地域や集団も存在する。そうした特定の弱者やマイノリティーへの配慮が存在するところ、そして、裕福な家庭の子女がそうした制度を悪用としようとするところ、さらに、そうして入学した学校の校長がとんでもない人物であるところに、本作の見どころがある。コメディでありながら、刺すべきところが鋭く刺し、抉るべきところは深く抉る。

 

イルファン・カーンは『 ジュラシック・ワールド 』では真面目そうなビジネスマンだったが、元々はコメディ畑の人なのかな。嫁さんの尻に敷かれっぱなしの姿に、自分を見出す男性観客は多いだろう。そして、最後に見せる雄姿にエンパワーされる男性諸賢もきっと数多くいることだろう。

 

ラージの妻を演じたミータ役のサバー・カマルは初めて見たが、笑ってしまうほどにchew up the sceneryな役者さんである。パキスタン人とのことだが、『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』で描かれていたように、インドとパキスタンは政治的緊張をはらみながらも、文化交流は絶やしていないようである。どこかの島国と半島は両国の関係を見習うべきであろう。

 

『 あなたの名前を呼べたなら 』のティロタマ・ショームも教育コンサル役で良い味を出している。鼻持ちならない感じをギリギリで抑えつけているようで、主演を張った前作とはまるで別人。役者というのはこうでなければ。

 

貧民窟での迫害と交流、日雇い労働現場の劣悪な就業環境と冷徹なビジネスの論理、教育の崇高さと学歴社会の邪悪さ、そうした社会問題を全て包括した笑えないようで笑えてしまうコメディである。

 

ネガティブ・サイド

冒頭のラージとミータの馴れ初めのシーンは必要だっただろうか。美しい歌の調べに乗って、二人の距離が縮まっていくのは良いが、それらのシーンが主題=お受験とのつながりを欠いているように感じた。このシークエンスはバッサリとカットしてしまうか、そうでなければ10分ほどを費やして、二人の学校生活やインド社会全般における受験戦争の模様などを映像で語るべきだった。二人の若い頃の関係がもう少し丹念に描かれていれば、つまり、ラージがどれくらいミータに惚れこんでいるのかを観る側にもっと共感させることができていれば、ラストのラージの告白(二重の意味で!)がもっとドラマチックに、そしてロマンチックになっただろうと思えてならない。

 

グラマー校の校長を演じたアムリター・シンの迫力と圧力が、何故かもう一つ伝わってこなかった。うちの卒業生は云々の脅し文句が、『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のトラスク校長と丸かぶりしているからだろうか。

 

これは日本の広報担当を責めるべきかもしれないが、「英語が話せないなんて!」というキャッチフレーズをあまりにも大きく目立たせ過ぎだ。愛娘を私立にやるか公立にやるかというテーマの裏には、英語の運用能力ではなく愛情があるのである。教育とは科目や学歴ではなく、親や保護者の愛情が形を変えたものなのだ。教育が目指すべきは能力の獲得以上に、人間性の向上なのだ。英語云々を大々的に押し出すのは皮相的である。

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総評

本作もインド社会の発展と矛盾を間近に見ることができて、非常に興味深い。また、そこに自国の事情や自分自身の家族を重ね合わせてみることで、様々な反省作用も生まれてくるだろう。減点材料にしたが、英語は確かに重要な技能だ。入試改革で、英語の民間試験の導入については大揉めに揉めているが、日本も遅かれ早かれ、英語の運用能力は自動車の運転免許のように、必須ではないが持っていないことで「え?持ってないの?」と言われるような一種のコモディティになるだろう。ピアぐらいの年齢の子を持つ親世代の日本人こそ観るべき作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The customer is a god, but a wife is a goddess.

 

ラージの台詞である。「お客様は神様だが、妻は女神様なんだ」のような字幕だった気がする。イスラム以外のインドの宗教は基本的に多神教なので、冠詞のaを上ではつけている。英語の正式な慣用表現では、“The customer is always right.”と言う。機会があれば、これも使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イルファン・カーン, インド, カバー・サマル, コメディ, ティロタマ・ショーム, 監督:サケート・チョードリー, 配給会社:カラーバード, 配給会社:フィルムランドLeave a Comment on 『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

『 シークレット・スーパースター 』 -母と娘の織り成す極上の人間ドラマ-

Posted on 2019年8月22日2020年4月11日 by cool-jupiter

シークレット・スーパースター 80点
2019年8月19日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ザイラー・ワシーム メヘル・ビジュ アーミル・カーン
監督:アドベイト・チャンダン

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アーミル・カーンが出演だけではなく製作も手掛けた作品。何故にこのような作品が100館規模で上映されないのか。日本の配給会社に勤める方々に真剣に考えて頂きたいものだ。最近のインド映画は意図的に歌と踊りを減らしつつあるが、そのことが彼の国の映画のエンターテインメント性やメッセージ性を些かも減じていない。ということは、それだけ映画製作に関して確固たるポリシーとノウハウを有しているのだろう。極東の島国の住民としては羨ましい限りである。

 

あらすじ

インドの片田舎に住むインシア(ザイラー・ワシーム)は、いつかインド最大の音楽賞であるグラマー賞の獲得を夢見る少女。だが頑迷固陋な父親は彼女の夢を決して肯定しない。ある日、インシアはブルカを纏って顔や体を隠して、“シークレット・スーパースター”というハンドルネームで自分の歌をYouTubeに投稿した。動画は爆発的にヒットし、インシアはお騒がせ作曲家のシャクティ・クマール(アーミル・カーン)の目にも留まり・・・

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ポジティブ・サイド

頑固な娘とそれを見守る母親という構図は『 レディ・バード 』そっくりである。しかし、そこに厳格すぎる父、というよりも田舎(という閉鎖社会)の悪しき因習、価値観、行動原理などをすべて体現してしまったような父親が加わるだけで、サスペンスとヒューマンドラマの要素が倍増した。なぜなら、インシアやその母ナズマは父親そして夫という一人の人間に闘争を挑むのではなく、その先にあるインドという国が抱える男尊女卑的な思想や体制に挑戦しているからだ。暴君然として振る舞う父親に我々は嫌悪感を抱く。そして、誰かこの男を思いっきり懲らしめてやってくれと願ってしまう。だが、物語は安易にそれをしない。凡百の脚本ならば、アーミル・カーン演じるシャクティ・クマールをこの父親と対峙させて、娘の才能を自分に託すように言わせてしまうかもしれない。もしくは、エクストリームにアホな展開にしてしまうなら、シャクティに「俺はちょうど離婚が成立した。だから、お前の嫁は、娘ごと俺が頂く」と言わせてしまうことも考えられる。しかし、それでは意味が無い。本作は、この母と娘の自立への旅路をある意味では非常にコメディックに、また別の意味では非常にポリティカルに描き出す。以下、ネタばれ。

 

シャクティの嫁さん側の弁護士に頼ろうという発想が面白い。笑えてしまう。だが、インシアのこの発想は、単純にfunnyなだけではない。彼女が目指すのは、因習の打破。だが、それは非常に強固に人々の内側に根を張っている。それを壊す、あるいは超えるために民主主義的に成立したルール、法律に則るというのは現実的かつ現代的である。象徴的なのは空港のシーン。当たり前のことだが、暴君である父親も、飛行機に積み込める荷物の重さや数の制限には従うのである。法律やルールを最大限に利用して、母と子どもたちが自由の身になるシークエンスのカタルシスは筆舌に尽くしがたいものがある。

 

それにしても、主演のザイラー・ワシームは『 ダンガル きっと、つよくなる 』の姉妹の姉のギータだったのか。確かにどこかで見た気がしたわけだ。立派に成長しつつあるが、見る角度によってはJovian一押しのヘイリー・スタインフェルドにちょっと似ている。奇しくもヘイリーもザイラーもギター少女。What an amazing coincidence! ヘイリーのファンは『 はじまりのうた 』を観るべし!そして母親役は『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』でも、ムンニーの母親を演じていた。娘のためにあらゆる手を尽くそうとする姿勢には純粋に心を打たれるばかりだ。

 

Back on track. ザイラー演じるインシアは感情の起伏が激しく、中盤まではやや感情移入しにくいキャラクターだった。だが、それも終盤手前で明かされるある出来事の真相によって、彼女が受けるショックの大きさを逆説的に表すための布石なのである。なぜ『 旅猫リポート 』は、こうした劇的な演出ができなかったのか。『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』や『 ダンガル きっと、つよくなる 』でも顕著だったが、女性に生まれる、そして女性を産むということがインド社会ではこれほどの重しになるのかと驚嘆させられ、また慨嘆させられる。そうした社会の悪弊を打ち破ろうとするインシアの物語のクライマックスは、まるで昨年(2018)のアカデミー賞を受賞したフランシス・マクドーマントのようであった。何というカタルシスであることか。

 

本作は単なる女性救済の物語ではない。男性のあるべき姿についても大いなる示唆を与えている。かといって、典型的な、紋切り型のヒーロー像ではなく、極めてユニークな男性像である。それぞれインシアの同級生、インシアの弟、そしてアーミル・カーン演じる音楽家である。健気さを読み取る人もいるだろうし、優しさを読み取る人もいるだろう。あるいは気高さを見出す人もいるかもしれない。男として彼らの姿に何かを感じ取らない者は、よほどの完璧超人か、あるいは鈍感を極めたダメ男かのいずれかであると断言させていただく。そうそう、インシアと同級生のチンタンはパスワードについてとあるやり取りを行うが、類似のあるいは模倣のシークエンスが、今後日本の少女漫画の映画化作品でちらほら見られると予想しておく。このシーンではJovianの脳裏では『 ロマンティックが止まらない 』と『 ロマンティックあげるよ 』の両方が流れた。我ながらオッサンだなと実感してしまう。

 

ネガティブ・サイド

インシアがYouTubeに投稿する動画は、もう数本あってもよかったのではないか。最後の最後にアーミル・カーンが歌と踊りで大いにエンターテインしてくれるとはいえ、本作は思ったよりも歌の成分が少なめである。もう少し、このギータ・・・、ではなくギター少女の音楽活動を鑑賞したかった。

 

また、アーミル・カーンが本格的に物語に絡んでくるのに、かなりの時間を要する。この不世出のスーパースターの登場を映画ファンは楽しみにしているのだから。出し惜しみはよろしくない。インターバルのタイミングと併せて、ストーリー進行のペーシングをもう少し速めても良かったのではないか。

 

総評

シネ・リーブル梅田はお盆期間中から連日の満員御礼である。エンドクレジット終了後には「いよっ!」という掛け声、口笛、拍手がごくわずかだが発生した。これは『 カメラを止めるな! 』以来である。娯楽性とメッセージの両方をハイレベルで追求した傑作である。上映してくれる箱の数は少ないが、是非とも多くの方に鑑賞頂きたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Keep it up.

アーミル・カーンが序盤で言うセリフである。意味としてはKeep up the good work. とほぼ同じと考えていい。今後もグッジョブを続けて欲しい相手に言おう。

 

Can I have a window seat?

これはインシアが空港で言う台詞。Can I have ~? で飲食物の注文から、相手の名前や住所、電話番号、メールアドレスなどの contact information まで、何でもリクエストが可能である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミル・カーン, インド, ザイラー・ワシーム, ヒューマンドラマ, メヘル・ビジュ, 監督:アドベイト・チャンダン, 配給会社:カラーバード, 配給会社:フィルムランド, 音楽Leave a Comment on 『 シークレット・スーパースター 』 -母と娘の織り成す極上の人間ドラマ-

『 あなたの名前を呼べたなら 』 -ほろ苦さ強めのインディアン・ロマンス-

Posted on 2019年8月17日2020年4月11日 by cool-jupiter

あなたの名前を呼べたなら 70点
2019年8月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ティロタマ・ショーム ビベーク・ゴーンバル
監督: ロヘナ・ゲラ

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原題は Sir である。インドは国策として映画作りを推進しているが、だんだんとインド特有の歌や踊りを減らしていくという。個人的にそれはつまらないと感じるが、グローバルなマーケットで売ろうとするためには、柔軟さも必要か。本作はそうした、ある意味ではデタラメなパワーを持つインド映画らしさではなく、普通に近い技法で作られたインド映画なのである。

 

あらすじ

建設会社の御曹司アシュヴィン(ビベーク・ゴーンバル)は挙式目前。しかし、婚約者の浮気が発覚し、結婚は破談した。通いのメイドのラトナ(ティロタマ・ショーム)は、そんなアシュヴィンに甲斐甲斐しく尽くす。彼女には夢があった。いつかファッションデザイナーになり、自立した女性となる夢が。だが、彼女は19歳で結婚した身。今は未亡人でも、新たな恋愛や結婚は因習的に許されない。いつしか惹かれ合い始める二人だが・・・

 

ポジティブ・サイド

とてもとても静かな立ち上がりである。アシュヴィンとラトナの間に恋愛感情が芽生えることは誰もが分かっている。そのbuild-upをどうするのかが観る側の関心なのであるが、ロヘナ・ゲラ監督は淡々と二人の日常生活を描いていくことで、二人の間の距離感を丁寧に描写していく。食事のシーンが好例である。ラトナがアシュヴィンに供する食事は、どれも一皿に一品で、ナイフとフォークで食するようなものばかりである。一方で、自分がとる食事は大皿にナンや野菜や鶏肉などを全て乗せた、いわゆるインド的なカレーであったりする。この対照性が二人の距離である。

 

だが、二人には共通点もある。ラトナはファッションデザイナーになるという夢があり、将来は妹とともに独立して自分たちの力でビジネスを営みたい。そのために妹の学費を自らの稼ぎから工面している。一方でアシュヴィンはアメリカに留学し、ライター稼業をしていたが、兄の死によって自らが事業継承になるためにインドに帰国してきた。つまり、ラトナもアシュヴィンも、本当の意味での自己実現を果たしているわけではないのである。全くとなる背景を持つ二人であるが、自分にはどうしようもない事情で現在の自分があることを受け入れている。だからこそアシュヴィンはラトナが仕立て屋に通うことや裁縫学校に行くことを快く承諾してくれるし、ラトナはアシュヴィンに執筆業への回帰を促す。それが互いへの思いやりであり配慮である。そのことが、しっかりと伝わってくる。安易にさびしさに負けて、なし崩し的にキスからベッドインなどという展開にはならない。しかし、二人が互いに秘めていた想いを一瞬だけ露わにするシーンは、見ているこちらが緊張するほどぎこちなく、それでいて甘く、激しい。近年のラブロマンスにおいては、白眉とも言えるシークエンスである。

 

ラストシーンが残す余韻も素晴らしい。終わってみれば「なるほどね」なのだが、この一瞬のために、ここまでドラマを積み上げてきたのかと得心した。そのドラマとは、ラトナの精神的、そして経済的な自立への旅路であり、アシュヴィンにとっては家族、そして友人関係のしがらみからの解放への旅路でもある。そして、二人はインドの因習からの独立を目指す同志でもあるのだ。使用人とその主人という縦の関係を、水平的な関係に転化させる一言を絞り出すラトナの表情に、我々は心の底から祝福のエールを送りたくなるのだ。

 

アシュヴィンを演じたビベーク・ゴーンバルはアメリカ帰りという設定ゆえか、非常に流暢な英語を操る。彼の台詞のかなりの割合が、非常にスタンダードな英語なので、英語悪習者の方は、ぜひ彼の台詞に耳を傾けて欲しい。本作の感想ではないが、インド人はそこそこの割合で英語を話せる。また、人口の結構な割合の人々が英語を聞いて理解できると言われている。確かに『 きっと、うまくいく 』の講義は英語だったし、『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』でも、ラクシュミは英語を話すのは苦手だったが、リスニングはできていた。英語の運用能力を持つことがそれなりのステータスであるという点で、日本はインドとよく似ている。しかし、インドにおいて英語力というものは、おそらく運転免許証のようなものなのだと推測する。なくてもそこまでは困らないが、だいたい皆が持っている。そういうことである。

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ネガティブ・サイド

アシュヴィンのone night standは必要だったのだろうか。別にこのシーンがなくとも、ストーリーはつなげられるように感じた。もちろん、結婚が破談になったアシュヴィンが人肌恋しく思うのは理解できるが、その相手をバーで調達してしまうというのは、あまりにも安易ではないか。また、ラトナに「彼女はもう帰ったのか」と尋ねるのもいかがなものか。自分が求めているのは刹那的な関係ではなく、長期にわたって真剣に互いを高め合える、あるいは補い合えるような関係であると気付くのであれば、破談になった相手との関係を振り返る、あるいはアシュヴィンの姉や友人に劇中以上にそのことを喋らせれば良かった。このあたりはゲラ監督とJovianの波長は合わなかった。

 

もう一つ。アシュヴィンが最初からあまりにも物分かりの良いご主人様で、少々ご都合主義のようにも感じられた。召使いとして甲斐甲斐しく恭しく使えるラトナは、メイド仲間の愚痴を聞くシーンが何度か挿入されるが、その仲間の愚痴がことごとくアシュヴィンに当てはまらないのだ。そうではなく、仲間が愚痴ってしまうようなシチュエーションが自分にも訪れた時に、主人であるアシュヴィンがどのように反応するのか、そうした展開があってこそ、ハラハラドキドキ要素がより一層盛り上がるというものだ。それが無かったのは惜しいと言わざるを得ない。

 

総評

静かな、大人のラブストーリーである。韓国ドラマのように、互いが互いを想いながらも絶妙にすれ違う展開にイライラさせられることはなく、むしろ近くて、けれどなかなか縮まらない距離感をじっくりと鑑賞できる構成である。そこにインド独特の因習や女性蔑視への眼差しもあるのだが、決してそれらに対して批判的にならず、そうした障害を乗り越えていく予感を与えてくれる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

アシュヴィンが友人からの誘いに対して“Rain check?”と返す場面がある。これは野球の試合が雨天順延になった時に、rain check=再試合のチケットを受け取ることから、「別の機会にまた誘ってくれ」という意味で使われる表現である。主に北米=野球が行われる地域でしか通用しない。なので、オーストラリアやニュージーランドの人間に使うと「???」と返されることがある。アシュヴィンのアメリカ帰りという設定、そして野球にちょっと似ているクリケットが盛んなインドのお国柄を考えてみると面白い。ちょっとした慣用表現の向こうに、様々な世界が見えてくる。同表現は『 パルプ・フィクション 』でJ・トラボルタも使っている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, インド, ティロタマ・ショーム, ビベーク・ゴーンバル, フランス, ラブロマンス, 監督:ロヘナ・ゲラ, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 あなたの名前を呼べたなら 』 -ほろ苦さ強めのインディアン・ロマンス-

『 SANJU サンジュ 』 -歌と踊りが少なめのシリアスなインド映画-

Posted on 2019年6月20日2020年4月11日 by cool-jupiter

SANJU サンジュ 80点
2019年6月16日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ランビール・カプール アヌシュカ・シャルマ ソーナム・カプール
監督:ラージクマール・ヒラーニ

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ラージクマール・ヒラーニ監督の『 きっと、うまくいく 』と『 PK 』は極上のエンターテインメント作品であった。本作はどうか。やはり傑作であった。

 

あらすじ

サンジャイ・ダット(ランビール・カプール)、通称サンジュはインドの人気俳優。しかし、母の早すぎる死、ドラッグへの惑溺、恋人との別離から彼の人生は転落していく。そして、銃の所持による逮捕、さらにはテロ事件への関与も疑われたサンジュは遂に塀の向こうの人となる。サンジュはしかし、諦めていなかった。信頼できる作家に自分の伝記を書いてもらい、世間に自らの実像を知らせようとしていた・・・

 

ポジティブ・サイド

『 きっと、うまくいく 』でもアーミル・カーンが40代にして大学生役を演じたが、ランビール・カプールも負けていない。『 PK 』の、どこか憎めない兄貴、知らないところで大活躍の兄貴、なんでこんなことになってしまうんだと思わされてしまう兄貴。そんな兄貴を演じたサンジャイ・ダットの波乱万丈を絵にかいたような人生、それを映画化するにあたって、ランビール・カプールも念入りに顔と体を作ってきた。ぎこちない演技、父とのかかわりとプレッシャー、ひょんなことから手を出してしまったドラッグ、無二の親友との出会い、ハイになってしまったまま迎えた恋人との破局、獄中生活のすべてが迫真性を有している。というのも、メディアが報じるサンジュの姿と、我々が追いかけるサンジュの姿に常にずれが生じるからだ。伝記作家ウィニー(アヌシュカ・シャルマ)が取材していく中で浮かび上がっていくサンジュの姿は、それを語る者によって変化する。陰影が強くなるのだ。誰が見ても同じ、誰が語っても同じという人物は極めて皮相的だ。人間というのは、重層的な存在なのだ。そして時に応じて変化する。そうした人間本来のありうべき姿を見事に描出したランビール・カプールは、表現者としての階段をまた一歩上に登ったのではないだろうか。彼のサンジャイ・ダットのportrayalは完璧に思える。

 

ソーナム・カプールも称賛したい。『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』では道ならぬ恋慕をするキャリアウーマンを演じたが、今作では悲劇のヒロインに。彼女も an epitome of Indian beauty の一人だろう。美女の顔が悲嘆で歪むのを見るのは、大変なる痛苦である。それをもっと見たいと思ってしまうのは、Jovianにはサドマゾヒスティックな嗜好があったのだろうか。

 

しかし何よりも称賛に値するのはサンジュの無二の親友カムレーシュを演じたヴィッキー・コウシャルだ。メイクアップアーティストやヘアスタイリストの貢献度も大のはずだが、何よりも本人の演技力が光る。若かりし頃と現在とで、サンジュ本人よりも成長や老成の跡が見られる。そして、サンジュ本人は底抜けに明るく、ダークサイドから這い上がってくる強さも併せ持つ、不撓不屈の男でもある。そんなサンジュの苦悩を、カムリが対照的に映し出す。何年も音信不通であり、サンジュの逮捕を伝える新聞記事の切れっぱしを後生大事に持ち歩き、無二の知音を得た夜のことを、まるで昨日のことであるかのように鮮明に思い出せる。女性に対してもプラトニックで、男の純粋さの全てを体現したかのようなキャラクターである。このような友を持つことができる男は果報者である。タイガー、タイガー!

 

実在の映画俳優をフィーチャーしているだけあって、古今東西の映画の小ネタも大量にちりばめられている。最も分かりやすいのは『 ロッキー4 炎の友情 』のトレーニングシーンだろうか。『 ロッキー 』ではなく、『 ロッキー4 炎の友情 』というところが渋い。

 

歌と踊りは少なめであるが、その不満はエンドクレジットが解消してくれる。この何とも可愛らしいダンスは、『 帝一の國 』における美美子のパフォーマンスに優るとも劣らない。というのは、Jovianがもはや美少女よりもオッサンに感動させられる精神年齢に達してしまった証拠なのだろか。

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ネガティブ・サイド

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

 

 

総評

一人の俳優の人生が、インドの社会構造や歴史とリンクしていく様は圧巻である。のみならず、友情の普遍性や家族愛、人間の尊厳という時代や地域を超えて語るべきテーマを、陳腐になる一歩手前で感動的に描くことこそヒラーニ監督の手腕であろう。作品全体にややダークなトーンが貫かれているという点で、『 きっと、うまくいく 』や『 PK 』のような一部だけがダークな作品よりも、少し入りにくいかもしれない。ただ、そのことが本作の大きな減点要因にはならない。ぜひ多くの方にサンジュの人生の追体験をしていただきたい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アヌシュカ・シャルマ, インド, ソーナム・カプール, ヒューマンドラマ, ランビール・カプール, 監督:ラージクマール・ヒラーニ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 SANJU サンジュ 』 -歌と踊りが少なめのシリアスなインド映画-

『 パドマーワト 女神の誕生 』 -インド叙事詩の絢爛たる映像化作品-

Posted on 2019年6月10日2020年4月11日 by cool-jupiter

パドマーワト80点
2019年6月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ディーピカー・パードゥコーン ランビール・シン シャーヒド・カプール
監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー

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監督はインドの黒澤明と呼ばれているらしい。しかし、黒澤は音楽に一家言はあっても、自分で音楽を創り出すことはしなかった。そうした意味では、サンジャイ・リーラー・バンサーリーはスコット・スピア-やジェレミー・ジャスパーのようなマルチな才能の持ち主と言うべきなのかもしれない。世代的にも、ちょうど黒澤と彼らの間に属しているようだ。

 

あらすじ

傾城の美女パドマーワティ(ディーピカー・パードゥコーン)はメーワール国の王ラタン・シン(シャーヒド・カプール)と結ばれ王妃となる。しかし、デリーでスルタンとなったアラーウッディーン(ランビール・シン)はとあることからパドマーワティに執着するようになり、ついにはメーワール国へと出兵する・・・

 

ポジティブ・サイド

相変わらずの映像美である。ディズニーの実写版『 アラジン 』は、トレイラーの絵があまりにも綺麗過ぎて、つまり本物であるように感じられず、どうにも食指が動かないが、本作はこれまでのインド映画の文法から外れることなく、動物以外には極力CGを使わずに実物、または精巧なセット、大道具、小道具を駆使して映像美を生み出している。

 

そして音楽も良い。BGMや効果音にどこか techy なところを感じさせつつも、基本は非常にオーガニックな音なのである。50代の監督だが、音楽にしても最先端の機器や技術を貪欲に取り入れているのだろう。特にパドマーワティの舞う「グーマル」とアラーウッディーンの舞う「カリバリ」が強く印象に残った。前者は30kgにもなる衣装を身につけての舞踊と知ってびっくり。後者はアッラーウッディーンの悪逆無道さと純粋なまでの強欲さが鬼気迫る表情と力強い踊りで表現されており、ひとつのハイライトになっている。インド映画にハマって日は浅いが、このようなダークなトーンのダンスシーンは珍しいのではないだろうか。

 

戦闘シーンは『 バーフバリ 王の凱旋 』には及ばないものの、『 キングダム 』と同水準かそれ以上であると言える。とはいっても、映画『 キングダム 』では大兵力と大兵力のぶつかり合いが(まだ)描かれていないので、これはアンフェアな評価なのかもしれない。とある攻城兵器をCGで描いているのだが、これが全体の調和を崩さないのだから、インドのCG製作技術の高さを認めないわけにはいかない。というか、同じ予算で同じCGを作らせたら、全体的にはインドの方が日本より上かもしれない。一騎討ちもかなりロングのワンテイクを繋ぎ合わされており、作り手の意気込みがうかがえる。

 

しかし、何と言っても役者、演技者、表現者としての白眉はランビール・シンに尽きる。パドマーワティは戦を「正義と悪の戦い」という二項対立で捉えるが、アラーウッディーンは単なる悪には留まらない魅力がある。スルタンである伯父を弑逆しながらもその家臣団を変わらずに統率し、甥の毒矢に倒れながらも、家来たちに動揺は見られなかった。つまりはカリスマの持ち主なのだ。ラタン・シンとの会談時に、「歴史とは燃やせば消える紙のことではない」と喝破されながらも、「私の名前を記さない歴史書に意味は無い」という断言で応じる胆力。どこぞの歴史修正主義者たちも、これぐらいの神経の図太さを持ってみてはどうか。

 

現代的なメッセージも含まれている。殉死を奨励するわけではないことは冒頭でも明示されるが、死を以ってしかできない抗議というのは確かにある。ベトナムの仏僧ティック・クアン・ドックが燃えるプラカードになった事件を知っている人も多いはずだ。傾城の美女を巡って男どもドンパチとチャンバラを繰り返すだけのアクション映画ではなく、女性同士の連帯、女性の知略と勇気をもしっかりと描き出しているのが本作の特徴である。このような描写がしっかりしているからこそ、クライマックスのシーンがなおのこと際立つ。『 バーフバリ 王の凱旋 』とは一味もふた味も違うが、本作も確かに傑作である。

 

ネガティブ・サイド

アラーウッディーンの側近となる奴隷の活躍はどこだ?思わせぶりに登場して、暗殺者やスパイ、破壊工作員として大いにその腕を振るうのではと予感させておきながら、大した活躍は無かった。何という肩すかし。

 

叙事詩の内容と異なるのかもしれないが、デリー軍とメーワール国の二度目の戦争では、ぜひ周辺諸国の連合軍が結成されると思っていたが、これも無し。衣装やセットに予算をつぎ込み過ぎたのか。欲を言えば、単純明快なバトルシークエンスがもう少しだけ欲しかった。

 

パドマーワティと妃殿下の対立シーンも、ややノイズであるように感じられた。妃殿下はいっそのこと存在ごとばっさりカットして、上映時間を150分程度に抑える工夫をしても良かったのではないかと考える。

 

総評

スペクタクルである。ロマンである。インド映画に外れなしである。アクション映画ファンも、サスペンス映画ファンも、ミュージカル好きでさえも唸らせる作品が届けられた。ぜひ劇場で堪能して欲しいと思う。その場合は、事前のトイレはしっかりと。鑑賞中の水分摂取もほどほどに。Jovianの鑑賞回でも、少なくとも5人はトイレに立っていたので。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, インド, シャーヒド・カプール, ディーピカー・パードゥコーン, ランビール・シン, 歴史, 監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 パドマーワト 女神の誕生 』 -インド叙事詩の絢爛たる映像化作品-

『 PK 』 -宗教哲学エンタメの一大傑作-

Posted on 2019年5月14日 by cool-jupiter

PK 85点
2019年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アミール・カーン アヌシュカ・シャルマ 
監督:ラージクマール・ヒラーニ

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ゴールデンウィーク中の神戸国際松竹のインド映画祭りで鑑賞が叶わなかった作品。やっとこさDVDを借りてきたが、思わず2回鑑賞してしまうほどのインパクトをJovianにもたらした。PKの母星は地球から目視できるようだが、それは木星なのか(劇中で語られる距離からすると違うようだが・・・)?

 

あらすじ

ベルギーに留学中のジャグー(アヌシュカ・シャルマ)はサルファラーズと恋人になるも、思わぬ形で破局。失意の彼女は故国インドに帰り、報道アナウンサーになる。ある日、彼女は「神様 行方不明」というビラを配布して回る奇妙な男、PK(アーミル・カーン)に遭遇して・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ターミネーター 』を思わせる冒頭のシーンで、アミール・カーンの役作りの本気度が分かる。『 ダンガル きっと、つよくなる 』でもそうだが、クリスチャン・ベールや松山ケンイチ、鈴木亮平のように役に合わせて体を作るものだ。それ以上に、まばたきをしない演技というクリシェのレベルを一段上に引き上げたことを評価したい。『 予兆 散歩する侵略者 劇場版 』の東出昌大はアミール・カーンから多大に学ぶことができるはずだ。

 

もちろん、ヒロインのジャグーを演じたアヌシュカ・シャルマも素晴らしい。次世代Indian Beautyという感じで、まるで森見登美彦(の描くへたれ男子キャラ)が恋焦がれてしまいそうなファーティマー・サナー(『 ダンガル きっと、つよくなる 』)とは、また違ったタイプの短髪アヒル口の美女である。彼女の導入シーンも、『 ヒットマンズ・レクイエム 』のパロディもしくはオマージュになっている。ベルギーで In Bruges で、一見すれば似た者同士が仲違いしそうになり、それでも上手く付き合っていきながら、しかしさらに上位の力のせいで・・・ と、やはりラージクマール・ヒラーニ監督は本作の着想のヒントを、マーティン・マクドナーから得たのではあるまいか。

 

インドという国は、日本とは多くの意味で異なる。おそらく最も理解が難しいのは宗教の違いだろう。これについてはインド人自身も自覚があるようで、これまでにも『 ボンベイ 』や『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』のような傑作が生み出されてきた。しかし、本作がこれらの先行作品に優る(と断言してしまう)のは、ヒンドゥー教とイスラム教といったような特定の宗教間の対立にフォーカスするのではなく、あらゆる宗教をまとめて張り倒して、それでも後に残るものは何かを追求しようとした点にある。『 ボンベイ 』で主人公が油を自らかぶって、「さあ、火をつけろ!」などと怒鳴るような方法で、相手も自分も宗教は違えど同じ人間だと気付かせる方法もある。一方で、『 インディペンデンス・デイ 』のように、宇宙人の襲来をもって、人類皆兄弟とある意味で強制的に納得させてしまう手法も存在する。本作のアプローチは後者の宇宙人型であるが、そこはハリウッドではなくボリウッド。宇宙人、必ずしも侵略者ならずである。

 

Jovianは大学で宗教哲学(古代東洋思想)を専攻したが、電話のかけ間違い(Wrong Number)という発想にはいたく感心した。これは哲学者アンリ・ベルクソンの「脳=電話交換局」というアナロジーに通じるところがあるからだ。人間と人間の対話がしばしば誤ってしまうのと同じく、人間と神との対話もしばしば誤ってしまう。このアナロジーが、さらに大きな意味で物語の入れ子構造になっている点にはさらにいたく感心した。『 きっと、うまくいく 』にも同様のプロット構造が採用されていたが、本作ではそれをさらに brush up した形で用いている。親子間の、また言葉によるコミュニケーションの難しさを実感する次第である。同時に、国籍や人種、信仰といった属性を剥いでしまった時に残るものを尊重できるかどうか。そのことの難しさと尊さをも実感させてくれる。

 

映画とは直接関係の無いところで面白いと感じたのは、宇宙人が language を必要としない種族であること。荒唐無稽に思えるが、language は communication を可能にする一つの媒体に過ぎず、心を読む能力さえあれば事足りるというのは説得力がある。心を読むとき、我々は抱くイメージ(!)は、文章を読むのではなく心象風景を読む、という心象風景である。知能=画像、と喝破する山本一成の知能論に説得力を感じつつあるJovianとしては、なぜ自分が殊更にビジュアル・ストーリーテリングを重視するのか。また、映像美に惹かれるのかを、本作に間接的に教えられたような気がする。

 

ネガティブ・サイド

PKの恋慕がやや唐突であった。ジャグーとの出会いの頃から、ほんのちょっとした会話や視線などを積み上げていくシーンがいくつかあれば、もっと良かった。

 

また、ダンスの兄貴との出会いをひ交通事故で描く必要性はあったのだろうか。何かもっと違う出会い方をしてほしかった。特に終盤の兄貴の story arc を考えると、勧善懲悪と言おうか、因果応報的な宗教的観念がどうしたって脳裏に浮かんでくる。兄貴には兄貴のカルマがあるのは分かるが、そこでもう少しマイルドな描写を模索して欲しかったと切に願う。

 

総評

宗教とは無関係、宗教には無関心。そうした姿勢の日本人は多い。しかし、本作に描かれるPKの神を巡る旅路は、宗教哲学的思考の実践としても、クリティカル・シンキングの模範としても、大いに参考になるものである。Dancing Carの部分だけはR15かもしれないが、その他のシーンでは中高生以上のあらゆる年齢層にとってeye-openingにしてjaw-droppingなストーリーを堪能することができる。これは文句なしに傑作である。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アヌシュカ・シャルマ, アミール・カーン, インド, コメディ, ヒューマンドラマ, 監督:ラージクマール・ヒラーニ, 配給会社:REGENTSLeave a Comment on 『 PK 』 -宗教哲学エンタメの一大傑作-

『 バーフバリ 王の凱旋 完全版 』 -貴種流離からの英雄凱旋譚-

Posted on 2019年4月30日2020年1月28日 by cool-jupiter

バーフバリ 王の凱旋 完全版 85点
2019年4月29日 神戸国際松竹にて鑑賞
出演:プラバース ラーナー・ダッグバーティ サティヤーラージ
監督:S・S・ラージャマウリ

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『 バーフバリ 伝説誕生 完全版 』と同日同劇場で連続鑑賞。『 アベンジャーズ 』シリーズをマラソン上映したり、『 スター・ウォーズ 』のリバイバル上映だったり、ゴジラシリーズからの何作かをMOVIX八尾でも一挙に上映するらしい。こうしたトレンドは歓迎すべきで、更なる広がりに期待をしたい。

 

あらすじ

奴隷にして最強の棋士カッタッパの語る父アマレンドラ・バーフバリの死の真相を知ったシブドゥ/マヘンドラ・バーフバリは、親子二代にわたる因縁の決着をつけるべく、暴君バラーラデーヴァの鎮座するマヒシュマティ王国を目指す・・・

 

ポジティブ・サイド

剣の腕前では『 キングダム 』の信以上、弓の腕前では韓国ドラマの朱蒙(チュモン)以上、肉弾戦の強さなら『 沈黙の~ 』シリーズのスティーブン・セガール以上の無敵キャラをプラバースはシブドゥとしてもアマレンドラとしてもマヘンドラとしても体現した。戦闘というか、戦術。作戦行動はクライマックス前に一挙にギャグ漫画の域に到達するが、それすらも納得させられてしまいそうな超人的な活躍!バーフバリとバラーラデーヴァの一騎打ちも痺れる。『 トロイ 』のアキレスとヘクトール以上のコンバットにして、『 ターミネーター:新起動/ジェニシス 』におけるシュワちゃん vs シュワちゃん的な鋼鉄肉弾戦。その最中にも願掛けの儀式を放り込んでくるのだから、スリルとサスペンスが止まらない。これ、作ってる人たちはどんなテンションで撮っていたのだろう?きっとこういう激しい絵ほど、冷静な眼と頭で撮り切ったのだと思われる。インド映画の底力に痺れて震えるべし。

 

船でマヒシュマティ王国を目指すシークエンスは『 アラビアン・ナイト 』的であり、『 アラジン 』的であり、『 タイタニック 』的でもある。とにかくスケールが突き抜けている。こうした絵作りのインスピレーションは一体どこから手に入れているのだ。

 

本作は前篇以上に政治術、権力闘争、計略といった面が色濃く描かれるが、それだけではなく、庶民の生活に密着した面も活写される。創意創造の力でも並はずれた才能を見せるアマレンドラは、戦場における武器や戦術の創意工夫だけではなく、民衆と共に暮らす中でもその才を遺憾なく発揮する。こうした描写が、民衆がマヘンドラを目にした時にバーフバリと叫ばざるを得なくなるということに説得力を与えている。またセクハラ許すまじをあからさまに主張するシークエンスもあり、インドというある意味で頑迷な国家の在り方に対しても一石を投じている。こうしたトレンドは『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』に受け継がれていったのだろう。

 

それにしてもプラバースという俳優の芸達者ぶりよ。『 キングダム 』で吉沢亮が政と漂を見事に演じ分けたことが話題になっているが、プラバースの演じ分けも見事の一語に尽きる。マヘンドラの時は口角を少し上げ、アマレンドラの時はやや眉間に皺を寄せ気味にする。前者にはどこか幼さが、後者にはどこか老成された雰囲気というか老練さが漂う。不思議なもので、それだけで両者が見分けられる。これは演技力の勝利である。王を称えよ!!

 

ネガティブ・サイド

『 バーフバリ 伝説誕生 完全版 』で思わせぶりに描かれたペルシャの武器商人は一体何だったのだ。あんな展開を見せられたら『 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』におけるカシムのような助っ人キャラになると誰でも予想するではないか。その後、一切登場せずとはこれ如何に。

 

アマレンドラとデーヴァセーナの弓矢連射シーンに匹敵するようなコンビでの戦闘シーンが、マヘンドラとアヴァンティカにも欲しかった。全編に続いてアヴァンティカの存在感が小さいのが、やはり減点対象なのだ。

 

ビッジャラデーヴァが左腕に障がいを負っているとはいえ、右腕に鉄拳は健在。それを使った戦闘シーンが無いのは何故だ。石造りの壁を素手で破壊したのを見た時、カッタッパとのジジイ対決か?と期待したのだが、そのマッチアップは実現しなかった。なんでやねん!?

 

総評

弱点、欠点もいくつか目に付くものの、それらを遥かに上回るアクションや鬼気迫る演技の数々に圧倒されること請け合いである。国母シヴァガミの瞬きしない目の迫力、バラーラデーヴァの憎悪、アマレンドラの威風、マレンドラの成長。そこにインドという国が世界に発信しようとする自国の在りうべき姿が見える。英雄叙事詩の実写映画の傑作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, インド, ファンタジー, プラバース, 監督:S・S・ラージャマウリ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 バーフバリ 王の凱旋 完全版 』 -貴種流離からの英雄凱旋譚-

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