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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: インド

『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』 -Rise up against all odds-

Posted on 2021年1月11日 by cool-jupiter

ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 80点
2021年1月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アクシャイ・クマール ビディヤ・バラン シャルマン・ジョーシー
監督:ジャガン・シャクティ

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昨年2019年夏ごろにNHKの『 地球ドラマチック 』でインドの衛星打ち上げ特集を行っていたのを見て、数学の国がついに天文学にも本腰を入れ出してきたかと感じた。そして本作、インド版『 ドリーム 』がリリース。宇宙開発および映画製作の優等生への仲間入りをさせてもらうぞ、との宣言であるかのようだ。

 

あらすじ

タラ(ビディヤ・バラン)は過程を切り盛りする主婦であり母であり、そしてISRO(インド移駐研究機関)の職員でもある。ロケット発射の際のほんのわずかな確認ミスのために、打ち上げは失敗。それによりタラと責任者のラケーシュ(アクシャイ・クマール)は閑職の火星探査衛星打ち上げプロジェクトに左遷されてしまうのだが・・・

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ポジティブ・サイド

文句なく面白い。その最大の理由は、魅力的なキャラクターにある。実話ベースとはいえ、おそらく登場人物たちは相当にデフォルメされているだろう。けれど、その改変具合が絶妙で、キャラクターの性格や行動がストーリーを違和感なく推し進めていく。映画の冒頭でタラが主婦として母親として奮闘する場面がこれでもかと描写されるが、それがあるからこそ家政・・・ではなく火星到達のための一発逆転のアイデアがタラから出てきたことに納得できるし、そのアイデアの中身に我々はたと膝を打つのである。

 

敵役のNASA帰りのプロジェクトマネージャーによって指名され、三々五々やって来る経験の浅い女性スタッフたちも個性豊かだ。収納や節約、裁縫など、とても宇宙開発や宇宙探査に関係があるとは思えない分野の知恵がどんどんと現場で生まれ、応用されていく展開が子気味よい。そして、そのアイデアをしっかりと受け止め、吟味し、ゴーサインを出す責任者のアクシャイ・クマールの存在感よ。この役者は『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』でも、威厳ある上官でありながら、部下が上げてくる声を丹念に聞き取る耳を持っていた。そうしたキャラを演じさせるとハマる。まさにキャリアの円熟期なのだろう。本作で共演する多くの若い女優たちとも過去に共演歴があることも、アクシャイ・クマールをして演技中でもカメラOFFでも、現場をリーダーたらしめていたのかもしれない。

 

独り者で趣味もないラケーシュが女性たちの献策を容れていくところに、家父長制の色濃いインド社会へのメッセージを感じた。対照的に、妻として母として科学者・技術者としても活躍するタラが、夫や子ども達との距離を模索する姿には複雑な思いを抱かされる。だが、そこに救いもある。これまでのインド映画は、例えば『 シークレット・スーパースター 』や『 あなたの名前を呼べたなら 』のような、女性の耐える姿に美徳を見出すようなものが多かった。しかし本作ではタラは保守的・因習的な夫やイスラム教(いわゆる異教)に改宗する息子、門限を守らない娘たちと理解し、和解し合っていく。「仕事と家庭とどっちが大事なんだ?」という、問うてはいけない質問に、「両方ともに大事だ」という答えを行動で呈示していく。さらに、タラ以外の女性キャラクターたちも呼応。耐えるだけではなく、とある電車内のシーンでは男性モブキャラたちをボコボコにしていく。これは衝撃的だ。『 猟奇的な彼女 』でも、彼女が男性乗客をひっぱたくシーンがあったが、本作はそれを超えている。インドの新時代の幕開けを目の当たりしたように感じる。

 

探査機の打ち上げ前、そして打ち上げ後も、ベタな手法ではあるが、観客のハラハラドキドキを持続させてくれる。もちろん、歴史的に成功したミッションであることは分かっているが、それでも手に汗握ってしまうのは、それだけ感情移入させられているからだ。『 ドリーム 』のクライマックスでも聞こえてきたが、レーダーコンタクトの瞬間、信号受信の瞬間の安堵のため息が、劇場の数か所から漏れ伝わってきた。

 

「ハリウッド映画よりも少ない予算で我々は火星までたどり着いた」という演説に思わずニヤリ。予算も大切だが、もっと大切なのは創意工夫である。今後のインドの宇宙開発にエールを送りたくなると共に、インド映画界からエールを送られたように感じた。

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ネガティブ・サイド

歌と踊りが少な目である。というか、2シーンしかないし、短い。『 きっと、またあえる 』や『 スラムドッグ$ミリオネア 』のように、エンドクレジットで爆発させてくれるのかと思いきや、それもなし。世界的なマーケットを視野に入れているのは分かるが、インド映画の特徴はやはり絢爛豪華な歌と踊りにあるのだから、そこは忘れてほしくなかった。オペレーション・ルームでサリーを着て踊りまくるMOMの面々を是非とも観たかった。

 

ラケーシュが歌うキャラクターという点にもう少し一貫性が欲しかった。最終盤に思わず歓喜の歌でも歌うのかと思ったら、それもなし。そこが少し残念だった。

 

敵役のNASA帰りの鼻持ちならない男が司るプロジェクトの進行状況なども描写されていれば良かった。ミッション・マンガルの面々がそれを知って、奮励したり、あるいは落胆したりといった様子が見られれば、より人間ドラマの要素が生々しくなっただろう。

 

最後に、映画の中身とは関係ないが、どうしても言いたい。タイトルは普通に『 ミッション・マンガル 』で良いではないか。一体どこの馬の骨が何の権限をもってどういう根拠に基づいて、このようなアホな副題をつけているのか。「崖っぷち」の部分が耳障りだし、「火星打上げ」に至っては完全なる日本語ミスだ。正しくは「火星探査機打ち上げ」または「火星探査機打上げ」だろう。火星という惑星そのものを打ち上げてどうする?誰もこの誤用に気付かなかったというのか?そんな馬鹿な・・・

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総評

『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』の主演アクシャイ・クマールとその監督のR・バールキが脚本で参加した本作は、インド映画の娯楽性とインド人の問題意識、そして現代インド社会を如実に反映している。サイエンスに関する知識も必要ない。カップルで観ても良し、家族で観ても良しの秀作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

 

「あの頃が懐かしい」の意。

Those were the days. There was no such thing as consumption tax.

あの頃は良かったなあ。消費税なんか無かったし。

Those were the days. Hardly anybody wore a mask.

あの頃が懐かしい。マスクを着けている人なんかほとんどいなかった。

自分バージョンを色々と英作文してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクシャイ・クマール, インド, シャルマン・ジョーシー, ビディヤ・バラン, ヒューマンドラマ, 歴史, 監督:ジャガン・シャクティ, 配給会社:アットエンタテインメントLeave a Comment on 『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』 -Rise up against all odds-

『 無職の大卒 』 -この世に役立たずなど存在しない-

Posted on 2020年9月30日 by cool-jupiter

無職の大卒 70点
2020年9月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ダヌシュ サムドラカニ アマラ・ポール
監督:ヴェールラージ

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インディアン・ムービー・ウィークの一作。インドは近年、宗教・神学・哲学問題(『 PK 』)や国境問題(『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』)、さらには教育問題(『 ヒンディー・ミディアム 』)などの分野で優れた作品を送り出してきた。そして本作は就職問題に関する快作であった。

 

あらすじ

大学で土木工学を学んだラグヴァラン(ダヌシュ)は、IT専攻でなかったばかりに、就職に失敗してしまった。日がな一日、家事でもして過ごしていたところへ、隣家に妙齢の美女のいる家族が引っ越してきて・・・

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ポジティブ・サイド

大卒にして無職というのは、ある意味でその国の発達の度合いを測る目安になるのかもしれない。そもそも子どもを大学にやれる経済力が親世代に求められる。一方で、順調に若者を吸収してきた労働市場が飽和状態になりつつある。そのようなインドの現状、そして多くの先進国の一昔前の姿を、本作は如実に映し出す。だが、悲壮感が漂うばかりではない。多くのインド映画はあまりにも強権的、威圧的な家父長制の家族や社会を映すが、本作の親子関係は時にシリアスでありながら、基本的にはコミカルだ。

 

インド映画で工科大学と言えば『 きっと、うまくいく 』が思い出される。エンジニアの卵たちがここぞという場面で本領発揮するシーンには痺れた。本作でもタイトル通りに工科大卒の無職たちが大いに躍動するシーンが収められているが、そこで得られるカタルシスは非常に大きい。これはJovianがいわゆる就職氷河期世代に属するからだろうか。

 

主演のダヌシュは普段の情けなさと、やる時はやる男というギャップがたまらなく魅力的である。父に叱られ、母に甘え、弟に劣等感を抱いているのかと思えば、キレッキレのダンスを披露し、無手勝流のケンカ術でチンピラをコテンパンに叩きのめす。女性は男性のギャップの大きさに惚れるというが、確かにラグヴァランはギャップの塊である。

 

悪役である大企業の社長とそのボンクラ息子が、成長著しいインドという国家の負の面を見事に体現している。見ていて本当に腹が立ってくる嫌味キャラなのだが、それは役者の演技力ゆえか、それとも半沢直樹的な下克上や倍返しを容赦なくやってくれ!と思いたい、観る側の心の在りようゆえか。おそらくその両方だろう。「 万国のプロレタリア団結せよ! 」と叫んだのはマルクスであるが、これを今風に言い換えれば「 万国の大卒無職、団結せよ! 」となるだろうか。ある意味で安心して見ていられる勧善懲悪ものであり、多民族社会を維持するインドらしい結末も用意されている。2014年の映画であるが、古さは全くない。

 

ネガティブ・サイド

一言、脚本が粗い。ヒロインが二人いるのも紛らわしいし、本命であるべきシャーリニとの関係が劇的に進展するわけでもない。そもそも、もう一人のヒロインが生み出される経緯が気に食わない。中盤で唐突に「え・・・?」という展開が待っているが、この事件がご都合主義にしか思えないのだ。ここまでドラマチックな展開を無理やりに作らなくても、もっと現実味のあるサブプロットで、後半~終盤の展開は描けたはずである。

 

シャーリニのバックグラウンドもイマイチはっきりしない。自分の父親の倍以上を稼ぐらしいが、歯科衛生士?それとも歯科医?彼女の職業的背景がはっきりしないので、無職のラグヴァランとの距離感や職を持ったラグヴァランとの関係性が奥深いところでは把握しにくかった。

 

少しだけ残念だったのはエンディング。振り切ったアクションの直後に、どこか唐突に、知り切れトンボな感じで終わってしまう。絢爛豪華な終わり方が観たかったのだが・・・

 

総評

はっきり言ってシーンとシーンのつながりは滅茶苦茶である。しかし、それをインド映画独特のでたらめなパワーで乗り越えている。そこにしっかりとメッセージも込められている。この世に役立たずなど存在しない。もしも誰かが無能だとするなら、それは時代やコミュニティがその者に活躍の機会を与えていないからだ。そのよう感じさせてくれるインド映画の快作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Can you ~ ?

最もスタンダードな英語の依頼表現。劇中では“Can you come here?”という具合に使われていた。Canは可能性や能力があるという意味の助動詞だが、疑問文の場合はほぼ依頼だと思って間違いない。Are you able to ~ ? と Can you ~ ? を使い分けられれば、英会話初心者は卒業である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アマラ・ポール, インド, コメディ, サムドラカニ, ダヌシュ, ヒューマンドラマ, 監督:ヴェールラージLeave a Comment on 『 無職の大卒 』 -この世に役立たずなど存在しない-

『 きっと、またあえる 』 -インド発・寮生活の勧め-

Posted on 2020年8月26日2021年2月23日 by cool-jupiter

きっと、またあえる 80点
2020年8月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:スシャント・シン・ラージプート シュラッダー・カプール
監督:ニテーシュ・ティワーリー

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『 ダンガル きっと、つよくなる 』のニテーシュ・ティワーリー監督の最新作。タイトルが『 きっと、うまくいく 』に似ているのは、内容もちょっと似ているから。原題はヒンディーでChhichhore。意味を調べてみたところ、「軽佻浮薄な野郎ども」となるらしい。このあたりを見るに脚本も手掛けたティワーリー監督は、3 idiots = 『 きっと、うまくいく 』のことも意識していたのは間違いない。

 

あらすじ

アニは、受験に失敗した息子がマンション構想階のベランダから転落したという知らせを受け、離婚した元・妻とともに病院に駆けつける。自分を「負け犬」だと卑下する息子に生きる気力を与えるために、アニは負け犬だった自らの大学生時代の思い出を語る。そして、大学時代の親友たちを一人また一人と招き、息子に紹介していく・・・

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ポジティブ・サイド

アニの息子はICU(集中治療室)に入ったと聞いて、不謹慎にも笑ってしまった。Jovianの母校もICU(国際基督教大学)だからである。そして、Jovianは今はもう取り壊されて久しい第一男子寮の出身で、大学の四年間を帰国子女や留学生らと共に二人部屋三人部屋で暮らしていた。つまり、主人公のアニに思いっきり感情移入することができたのだ。

 

ストーリーの肝はGC=General Championshipで、球技からカバディ、そしてチェスなどの10種競技の成績を大学の各寮対抗で2か月かけて競い争うというイベント。これもJovianが現役時代に(今もあるのかな?)存在した男子寮対抗の年2回のサッカー大会(岡田杯)と年1回のラグビー大会(細木杯)と、規模こそ違えど中身はそっくり。しかも、GCでの成績が振るわないのを何とか好転させるためにアニやセクサ、マミーらの多士済々の面々が自分の大好きなものを断つ、と決断するところが面白い。なぜなら我が第一男子寮にも上記のイベントごとに「オナ禁週間」が設けられていたからだ。古き良き時代という表現は好きではないが、確かにあれは古き良き日々だった。

 

酒やたばこ、母親への電話、エロ本&AV鑑賞など、様々なものを断っていく4号寮の面々だが、主人公のアニは、後に妻になり、現在猛烈にアプローチ中のマヤ(シュラッダー・カプール)との連絡・接触を断つという荒行に出る。Jovianが一年生の時に全く同じことをやっていたSという4年生の先輩がいて、実際のサッカーの試合でも決勝点を決めていた。とにかく、大学で寮生活をしたことがある者が観れば、心に突き刺さりまくり、思い出がよみがえりまくるのだ。アホなことをやっているものだと軽蔑することなかれ。我々のオナ禁も彼らの好きなもの断ちも、相手ではなく自分に負けないという気概を涵養するためのものなのだ。それこそがアニが自殺未遂を図った息子に伝えたいメッセージなのだ。

 

物語そのものの面白さもかなりのものだが、社会派としての一面も併せ持っている。過去と現在が交錯していく作品として『 サニー 永遠の仲間たち 』という傑作が思い起こされるが、この作品も韓国の血みどろの民主化運動が背景にあった。現在の繁栄は先人の流した血の上に成立しているのだというメッセージである。本作『 きっと、またあえる 』の社会的なメッセージは何か。それは、負け犬は一か所に集めろ、出来る奴も一か所に集めて、それを外部に見せろという姿勢への批判である。3号寮のライバルがスポーツ万能のアニをスカウトする時に「外国からの留学生は3号寮に集まる。だから、3号寮には特に出来の良い学生を集めるんだ」と語るが、当然アニはこの誘いを毅然と断る。経済成長と国際社会での地位向上の著しいインドへのメッセージだろう。カーストを隠すな、取り繕うなと言っているわけだ。だからといって被差別者に立ち上がれ、体制をぶっ壊せ的なメッセージを発したりはしない。倒すべきは自分の弱い心で、自分で自分に負けてはいけないのだということこそが本作の眼目だ。

 

かといってシリアスになるばかりでもない。寮生活はお下劣で非衛生的で、上下関係も緩く、友情と連帯感にあふれている。そして、GCの様々な競技で劣勢に立たされる4号寮が、アニの策略によって次々に相手を撃破していく過程は卑怯でもありながら、ぎりぎりで合法的な策略でもある。携帯電話が一般に普及していない時代だからこそ、なおかつ女子が極端に少ない工科大学だからこその謀略が炸裂するシーンは、自身の大学生活を思い起こして、笑いを押し殺すのに必死になってしまった。別に寮暮らしの経験がなくとも本作のアニとその仲間のLOSERSの奮闘には、大いに笑えるし涙も出てくることだろう。

 

それにしても『 PK 』のアヌシュカ・シャルマといい、本作のシュラッダー・カプールといい、インドの女優さんの美しさには目が眩むばかりである。

 

『 スラムドッグ$ミリオネア 』のように、エンディングのクレジットシーンの途中から壮大な歌と踊りが展開されるので、よほど膀胱が限界だという人以外は席を立ってはならない。

 

ネガティブ・サイド

ほとんど欠点が見当たらないが、二つだけ。セクサ以外のキャラが現在どのような仕事しているのかが見えてこないのが少し残念。セクサは「ムンバイは物価が高いな」と外国慣れとインドの物価上昇の両方をさりげなくアピールしていたが、こういった描写や演出が他キャラにも欲しかった。

 

もう一つ、LOSERSのTシャツを作る、あるいは着用して写真を撮るシーンが大学時代に欲しかったと思う。

 

総評

大学生時代のアニを演じたスシャント・シン・ラージプートが2020年6月14日に死亡したことが報じられた。本作は彼の遺作の一つとなる。本作のメッセージである「お前は負け犬じゃない」は、彼には届かなかったのか。冥福を祈る。三浦春馬といいラージプートといい、何故に好き好んで鬼籍に入るのか。虎は死んで皮を残すと言うが、その皮の見事さについては、誰かが細々とでも語り継いでいかなければならないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pressure

名詞なら「圧力」、動詞なら「圧力をかける」の意。しばしば、以下のような形で使う。

 

He’s getting a lot of pressure from his girlfriend to get a decent job.

彼は恋人からまともな仕事に就くようにと多大なプレッシャーを受けている。

 

My wife is always pressuring me to get a promotion and make more money.

うちの嫁さんは俺に出世してもっと金を稼げといつもプレッシャーを与えてくるんだ。

ついでに Rod Stewart の “When We Were The New Boys”も紹介しておきたい。学生時代の友情は unforgettable である。

www.youtube.com

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, インド, シュラッダー・カプール, スシャント・シン・ラージプート, 監督:ニテーシュ・ティワーリー, 配給会社:ファインフィルムズLeave a Comment on 『 きっと、またあえる 』 -インド発・寮生活の勧め-

『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

Posted on 2019年12月15日2019年12月19日 by cool-jupiter
『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

KESARI ケサリ 21人の勇者たち 65点
2019年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アクシャイ・クマール
監督:アヌラーグ・シン

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インド映画を鑑賞する時、たまには頭を空っぽにして『 バーフバリ 』のようなアクションを楽しんでみたいと思う。なので近所のTSUTAYAで本作をピックアウト。真面目に鑑賞してもそれなりに面白く、アクションだけに注目しても、まあまあ面白い作品であった。

 

あらすじ

1897年、英国領インドの北方、パキスタンとアフガニスタンとの国境地帯。イシャル・シン(アクシャイ・クマール)はイスラム教徒パシュトゥーン人の女性への蛮行を見逃せず、命令違反を犯してその女性を救う。そのため僻地の通信基地、サラガリ砦に左遷されてしまう。そこには通信兵21名と調理人1名のみが配属されていた。一方で、パシュトゥーン人は他部族と連合を組み、1万人規模でのインド侵攻を目論んでいて・・・

 

ポジティブ・サイド

21対10,000という荒唐無稽な史実の戦闘に目をつけたのは面白い。日本で言うならば桶狭間の戦いや立花道雪vs島津および北九州豪族連合軍、それらよりもさらに酷い数的不利での戦いである。つまり結末は見えている。後はどう料理するかである。その意味では、いくらでもドラマチックな演出を施すことができる。本作はボリウッドらしく、荒唐無稽なバトルアクションを練り上げた。

 

まず、砦に立てこもる。当たり前である。そして手当たり次第に迫り来る敵を撃つ。戦略も戦術も作戦も、この規模の数的不利では意味を成さない。撃って撃って撃ちまくるしかない。下手に小賢しい作戦を用いない分、シク教徒の矜持が素直に表れていて分かりやすい。パシュトゥーン人も、作戦らしい作戦もなく烏合の衆が、バタバタと倒れていく。アホである。痛快である。まるで『 スター・ウォーズ 』世界のトルーパーの如しである。それでも彼我の戦力差はいかんともしがたく、ついに門扉は破られる。

 

あの時代、あの地域では近接戦闘では銃器を使わないという暗黙のルールがあるのか、ここからは手持ちの獲物でのバトル・シークエンスに突入する。ここでのアクシャイ・クマール演じるイシャル・シンのアクションは、『 マトリックス 』的であり、ゲームの『 三国無双 』や『 戦国無双 』的であり、韓国映画的でもある。特に高くジャンプしてからの回転切りは韓国ドラマや韓国映画で何千何万回と見たアクションである。これについては、 

1.韓国映画がインド映画を真似ている
2.インド映画が韓国映画を真似ている
3.コレオグラファーが共通の学びの土台を持っている
4.偶然の一致である

などが考えられる。インド人の一番の留学先はやはり英国らしいが、韓国人はソウル大学以外のどこで映画や演劇を学ぶのだろうか。それともソウル大学の教授陣が英国などで学んだ背景があるのだろうか。本作を観ながら、そのような比較文化論も考えてしまった。つまりは、日本のゲームや韓国映画的なデタラメなパワーを、インド映画もやはり持っているということである。『 散り椿 』や『 居眠り磐音 』のような、正統的な剣術も悪くないが、『るろうに剣心 京都大火編 』の左之助vs安慈のようなクレイジーなバトルを邦画でもっと見てみたい。そんなふうにも思わされた。

 

イシャルの人間造形も良い。自らの信念を軍の規律よりも優先し、良き家庭人であり、良き地域人であり、厳しい上官であり、部下への思いやりも持ち合わせている。砦では仏頂面を通しているが、ユーモアを解する心もある。そして敵と味方を人道的に区別できる。つまりはヒーローなのである。これが『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』その人である。このような男になってみたい。

 

少人数で拠点に立てこもるというと、本能寺の変の際の二条城が思い出される。掘りもあって、武家御城とも称され、武器弾薬もたんまりあったであろう二条城に500人が籠城したにもかかわらず、明智勢1万数千の前に一時間で陥落させられたという史実(?)のシミュレーションを本作を通じて行ってみるのも面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

中盤から終盤にかけてのバトルシーンに比して、序盤のイシャルとパシュトゥーン人との闘いは迫力を欠いていた。冒頭の非常に説明的なナレーションと図示的な映像から、さらにインド、ロシア、英連邦なども絡んでの国際情勢と国境の云々を語って、いきなり観る側の眠気を誘うのだから、それを吹っ飛ばすだけの迫力を伴ったアクションが欲しかった。正直なところ、この冒頭のバトルでは近接での殴り合いやチャンバラにスピードやパワーが不足していた。

 

終盤のバトルでも、いくつか不自然な編集が目に付いた。最も残念だったのは背中から出血しているイシャルの格闘シーン。衣服にまだ赤い血がへばりついているショットと、土ぼこりや泥と混じり合った血が完全に乾いているショットが混在していた。デパルマ・タッチやブレット・タイムで撮影しているものだから、余計にそうしたおかしな点が目立つ。これは非常に大きな減点材料である。

 

イシャルは倒れた敵兵は敵兵ではないという慈悲の哲学に忠実であり、ジュネーブ条約の定める傷病者取り扱いの体現者でもある。その一方で、捕虜の取り扱いに関して信じられないほど非人道的な行為も行っている。これは史実なのだろうか。それとも映画オリジナルの演出なのだろうか。いずれにしろ、Jovianはこれを見て『 ハクソー・リッジ 』のデズモンドと日本兵を思い起こした。いくら戦争とはいえ、やってはいけないこともあるはずだ。これによってイシャルのヒロイズムがいくぶん弱められている。

 

21人の兵士が勲章を贈られ、顕彰されたのは当然であるが、サラガリの戦いの英語版のWikipedia記事によると、one civilian employeeがいたということである。これが料理長かどうかの記述はなかったが、デズモンド・ドス的な活躍を見せた彼にも、エンドクレジットで何らかの言及が欲しかった。

 

総評

インドという国の中だけでも複数の民族、複数の言語、複数の宗教が混在しているのに、そこに更に植民地と属国の関係と他国の他部族、他宗教勢力、さらに国境線も絡めたストーリーというのは、極東の島国の我々にはもはり理解不能である。史実や国際政治、紛争史を学ぼうなどという心構えは一切不要である。単純にボリウッドアクションを楽しむか、という気持ちで鑑賞するのが正しい態度である。これは英雄譚であって、ドキュメンタリー的な何かを期待してはいけない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Cock-a-doodle-doo.

鶏の鳴き声、コケッコッコーの英語である。ここからcookという動詞を聴きとるのは、確かに難しいことではない。Cookという動詞とバトルに無理やり関連を見出すなら、俳優のドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンのWWE(WWFと言うべきか)の“If you smell what the Rock is cooking!”を知っていれば、アメリカのオールドプロレスファンと話す時に盛り上がれるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクシャイ・クマール, アクション, インド, 歴史, 監督:アヌラーグ・シン, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

『 盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 』 -インド発のサスペンスフル・ブラックコメディ-

Posted on 2019年11月18日2020年4月20日 by cool-jupiter

盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 75点
2019年11月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アーユシュマーン・クラーナー タブー ラーディカー・アープテー
監督:シュリラーム・ラガバン

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Jovianはインド映画にはまりつつある。そこで『 マッキー 』と『 ロボット2.0 』ではなく、こちらに賭けた。その勘は当たっていたように思う。これも相当なエンターテインメント性を備えた作品である。

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あらすじ

アーカッシュ(アーユシュマーン・クラーナー)は盲目を装ったピアニスト。偶然に知り合ったソフィ(ラーディカー・アープテー)の店でピアノ演奏をしていたところ、スター俳優のプラモードに結婚記念日に妻にサプライズ演奏をしてほしいと依頼される。しかし、アーカッシュがそこで見たものは、プラモードの妻シミー(タブー)と間男、そしてプラモードの死体だった・・・

 

ポジティブ・サイド

まず音楽と歌が良い。『 イエスタデイ 』と同じく、主人公が歌って楽器を演奏するのだが、歌唱も演奏のクオリティも同じくらい高い。もちろん、演奏はプロのそれの差し替えだが、インド映画の魅力の一つは歌と踊りで、本作には踊りの要素がほとんどない。代わりに、序盤の歌はかなりのりやすいポップなもので、アーカッシュとソフィの関係の芽生えを素直に応援したい気持ちにさせてくれる、これが中盤および終盤のtwistに作用してくる。脚本家は手練手管を心得ている。

 

アーカッシュの嘘がばれる瞬間がいつになるのかについてもサスペンスが持続する。もちろん、プロット上、それがばれるのは時間の問題なわけで、問題は「いつ」と「どのように」である。「いつ」に関しては良いタイミング、「どのように」に関してはまあまあ納得できるレベルである。序盤の絶対にウソがばれてはいけないタイミングで、とあるスキットを挿入することで、アーカッシュの暴走暴発を予感させてくれる。嘘を暴こうとする側と嘘をばらしてしまう側という、二重のサスペンスを生み出している。のみならず、そのことが途轍もないブラックユーモアにもつながっている。悪人同士の息詰まる駆け引きに手に汗握ることができる。

 

映画の世界では警察は必ずしも信用できないというのは最早お約束であるが、インド映画でもそのことは踏襲されている。本作を面白くしているのは、その他の人々も同様に信用できないことだ。そうした悪人だらけの世界においても、シミーの狡賢さと悪辣さは群を抜いている。まさに「憎まれっ子、世に憚る」である。“Ill weeds grow fast.”である。悪人同士の対決は、ここまでやるかと思わせてくれるところにまでエスカレートする。収集がつかないだろうという地点に達した時、思いもかけぬデウス・エクス・マキナが現れる。なるほど、ここでこう来たかと思わせてくれる。この脚本家は良い意味で滅茶苦茶である。このタイミングなら、この荒唐無稽さも受け入れられる気がしてくるのである。

 

様々な事柄に説明を与えつつも、物語は極めて鮮やかに不鮮明なエンディングを迎える。あのシーンは意図的なのか、それとも“事故”なのか。まるで『 ゴールド/金塊の行方 』のラストのマシュー・マコノヒーの笑顔のような怪しげな両義性を持っている。この余韻はなかなかに味わい深い。

 

エンディングのクレジットでも席を立たないように。数々の映画のピアノ演奏シーンを一挙に鑑賞させてくれる。これは監督からのほんのちょっとした心付けであろう。じっくりと堪能しようではないか。

 

ネガティブ・サイド

子どもの無邪気さは時に残酷さになる。が、それが純粋な無邪気さなら良いが、金欲しさゆえの行為であることには正直なところ、虫唾が走った。登場する主要な大人キャラクターはほとんど皆が悪人なのだから、子どもぐらいは子どもらしく描いて欲しかった。

 

インド映画は始まるまでの提供会社や配給会社の紹介が延々と続くのが常であるが、本作ではそれが殊更に長かったように感じた。『 バーフバリ 伝説誕生 』のそれよりも遥かに長く感じた。これは如何ともしがたいのだろうか。

 

ウサギのCGが今一つであった。『 空海 KU-KAI 美しき王妃の謎 』の化け猫と同程度のクオリティだった。『 バーフバリ 伝説誕生 』の牛ぐらいのリアリティを目指すべきであった。

 

総評

盲目をテーマにした作品としては『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』には劣るものの、『 ブラインド 』や『 見えない目撃者 』とは甲乙つけがたいほどの面白さである。ぜひ劇場で鑑賞しよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

By accident.

 

ソフィがアーカッシュとの出会いを説明する時の台詞である。「偶然に」、「偶発的に」という意味であるが、文字通りに解釈すれば「事故により」となる。この副詞句を一語にしたaccidentallyもそれなりに使う語なので覚えておいて損はない。“Dammit, I accidentally deleted a very important email!”などのように使える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アーユシュマーン・クラーナー, インド, サスペンス, タブー, ラーディカー・アープテー, 監督:シュリラーム・ラガバン, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 』 -インド発のサスペンスフル・ブラックコメディ-

『 ガリーボーイ 』 -インドの矛盾を暴き、乗り越えていくビルドゥングスロマン-

Posted on 2019年10月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

ガリーボーイ 80点
2019年10月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ランビール・シン アーリアー・バット シッダーント・チャトゥルベーディー カルキ・ケクラン
監督:ゾーヤー・アクタル

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野村周平主演の『WALKING MAN 』と本作を比較して、やはりインド映画好きのJovianはこちらを選んだ。『 パティ・ケイク$ 』のインド版のようなものと思っていたが、実際は近年のボリウッドが目指す娯楽性と社会派メッセージの両方を備えた良作であった。

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あらすじ

ムラド(ランビール・シン)はムンバイの貧民窟の問題のある家庭に暮らす大学生。悪友と車上盗を行うなどしながらも、幼馴染にして医大生のサフィナ(アーリアー・バット)と交際していた。ある日、ムラドは大学のイベントでシェール(シッダーント・チャトゥルベーディー)のラップを聴いたことで、自身もラップに開眼。二人でラップにのめり込んでいくが・・・

 

ポジティブ・サイド

劇中でも一瞬だけ触れられる通り、これは『 パティ・ケイク$ 』よりも『 スラムドッグ$ミリオネア 』の方がジャンル的にはやや近いか。ラップでサクセスを追求していく男の物語であるが、そこにあるのはインド社会の大いなる矛盾と、自身の生き様について抱える葛藤である。ラップの良いところは、元手がゼロ円で始められるところである。必要とされるのはリズム感とインスピレーション。その二つをムラドが有していることが、序盤にさりげなく描かれている。観光客に家の中にまでずかずかと踏み込まれ、勝手に写真は撮られ放題。まるでオブジェか何かのように扱われるムラドがラップを口ずさむシーンは、この男が凡百のガリーボーイではなく、ひとかどのガリーボーイであることを言葉数少なく、声も小さく、しかし雄弁に物語っていた。

 

ムラドが日の当たらない場所から日の当たる場所に出ていくきっかけになったシェールとの出会いも鮮烈だ。ラップという黒人音楽の一つの完成形が、インドという全く異なる土地で大きく花開いている背景には、複雑な民族問題、宗教問題、社会問題(カースト制度)、さらに貧富の格差の拡大問題がある。本作はそれらにはフォーカスしない。しかし、それらを隠さずに正面から描き切る。何かを元凶に描くのではなく、満たされない現状から雄々しく抜け出していく男の姿は、我々をこれ以上なく勇気づけてくれる。

 

何よりも、ムラドが当初は抵抗することが出来なかった父に立ち向かえるようになったのが大きい。『 シークレット・スーパースター 』でも描かれていた通り、インドにおける父親像は(山岡士郎視点での)海原雄山のごとき暴君である。その暴君を相手に立ち上がるムラドの姿に、インド社会全体を支配する権威への反抗を重ね合わせて見ることができるだろう。

 

本作の肝となるべきラップもハイレベルだ。字幕担当の方は大変な苦労をされたものと思う。『 ジョーカー 』でもcentsとsenseをかけて、「高価」と「硬貨」と訳し分けたのは上手いと感じたが、本作でもラッパーたちは韻を踏みまくる。字幕にも要注意だし、耳に自信のある人はヒンディー語の歌詞にも耳を傾けてみよう。

 

ラッパーたちの姿も実に見事に活写されている。プロモビデオの製作シーンでは、ムラドが才気煥発する様が映し出されている。カラフルさにはやや欠ける本作であるが、スラム街を縦横無尽に駆けて歌うムラドとシェールは、乾いた色合いの画面にダイナミズムを与えていた。また光を使った演出で目についたのは、ムラドが駐車場に停めた車の中でイヤホンを装用してラップを歌いまくるシーン。『 ベイビー・ドライバー 』冒頭のアンセル・エルゴートを彷彿させるパフォーマンスだが、周囲のビルから車体に降り注ぐ黄金色のカクテル光線が決してムラドには降り注がない。そして観客にもムラドの声は聞こえない。この降り注ぐ光を浴びることができないというシーンは、最終盤に劇的なコントラストをもたらす。ベタな演出ではあるが、見事なものだと唸らされた。

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ネガティブ・サイド

サフィナのキャラクターは、もう少し普通にはならなかったのだろうか。実在の人物に基づいていると言われればそれまでだが、ドキュメンタリーではないのだから、適度に人物や出来事を美化したり、あるいはぼかしたりすることは許されるだろう。癇癪持ちというのを通り越した、エクストリームな暴力女の元に戻っていく(?)ムラドに共感することは難しかった。

 

犯罪行為に手を染め続ける旧友との距離感も観ているこちらとしては、なかなか把握しづらかった。ムラド自身の生い立ち、これまでに共に積み重ねてきた濃密な時間という、サフィナと共通する要素がムラドを繋ぎ止めているのだろう。ただ車上盗は何とか許容できても、子どもを巻き込んだ drug trafficking は許容できない。これも事実だと言われてしまえばそれまでだが、自分で持つにはかなりヘビーな交遊関係である。

 

総評

ラップの素養が無いJovianにも楽しめた。ラップのハードコアなファンには粗が目に付くかもしれないが、それでもランビール・シンのパフォーマンスは圧倒的である。様々な社会的矛盾に押し潰されそうになりながらも、決して膝を屈しないムラドは多くの人を勇気づけることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re gonna kill it.

 

カルキ・ケクラン演じるスカイがステージに向かうムラドにかけた言葉がこれだった。直訳すると意味が分からなくなるが、kill it = 上手くいく、やり遂げる、成功する、というような意味である。ただ基本的にはネイティブ・スピーカーにしか通用しないだろう。インドのようにテレビ番組の半分が英語音声という国なら話は別かもしれないが。イディオムを使いこなせれば中級者以上だが、こういう表現はあまり推奨されない。日本のビジネスマンの多くが英語でコミュニケーションを取る相手は、北米やヨーロッパではなく東南アジアやラテンアメリカ諸国になっている。最大公約数的な英語をKISS(Keep it simple and short)の法則に従って使うのが無難である。

劇中の冒頭でムラドが聴いていたのは

www.youtube.com

だった。Rod Stewartの歌声は、麻薬のようである。一度聴いてしまうと忘れられない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, インド, ヒューマンドラマ, ランビール・シン, 監督:ゾーヤー・アクタル, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 ガリーボーイ 』 -インドの矛盾を暴き、乗り越えていくビルドゥングスロマン-

『 ホテル・ムンバイ 』 -極限の緊張と恐怖に立ち向かえるか-

Posted on 2019年10月14日2020年4月11日 by cool-jupiter

ホテル・ムンバイ 85点
2019年10月13日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:デブ・パテル アーミー・ハマー
監督:アンソニー・マラス

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テロと聞けば9.11を思い浮かべるのは、それだけ我々がアメリカ的な価値観に染まっている証拠である。だが、世界ではテロが頻発している。テロリズムとは何かを定義するのは難しいが、私や個、あるいはその集団が国家あるいは国家に準じる存在・団体・組織に攻撃を仕掛けること言えはしないか。そうした意味でなら、本作は紛れもなくテロリズムを、そして世界の現実を描き出している。

 

あらすじ

2008年11月、ムンバイ各地で同時多発テロが発生した。タージマハル・パレス・ホテルも襲撃を受け、ホテル内には多数の客およびスタッフが取り残された。テロを鎮圧可能な特殊部隊は遠くニューデリーにいる。彼らの到着まではもたない。アルジュン(デブ・パテル)ら、ホテルマンの従業員たちは決死の覚悟で宿泊客らを匿い、逃そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

自分の拙い語彙力や表現力では、本作の凄さや価値を充分に伝えられない。例えて言うならば、『 グランド・ブダペスト・ホテル 』のような群像劇を、『 クワイエット・プレイス 』や『 ALONE アローン 』以上の緊張感、緊迫感で、そして『 デトロイト 』以上の臨場感で作り上げた、と言えば良いだろうか。

 

まず、銃声が怖い。マシンガンを乱射しているわけだから、当たり前と言えば当たり前だが、銃声の質をこれほどまでに追求した作品は、これまでに甘利生産されてこなかったのではないだろうか。邦画の任侠映画やアメリカの刑事ドラマのようなパァンパァンといった軽い音ではなく、腹の底にズシンと来るような重低音の聞いた銃声が、ひたすらに怖い。『 プライベート・ウォー 』も理不尽な暴力の描写方法がホラー映画のそれであったが、本作は効果音と音響効果だけでホラー映画に分類したくなるほどのリアリティと凄惨さである。

 

そして、テロリスト連中が怖い。無表情に、淡々と、それでいて油断なく動き回り、引き金を引くその指先に全く躊躇が無い。ブルという名のイスラム過激派組織の、まさに「考えない兵士」である。だが本作は、そんな末端のテロリストたちも生きた人間であるという描写をそこかしこに挿入する。血も涙もない殺人マシーンなのではなく、イスラムの教義に忠実な信者で、仲間を怒らせかねない冗談も飛ばし、水洗トイレをありがたがる年少の者たち。つまりは無邪気なのだ。アメリカ人を人質にし、インドは「お前たちの富を奪って発展した」と吹き込まれているが、その実、ピザを旨そうに喰い、履いている靴はNikeがどこかのスニーカー。ということは無知なのだ。本当の悪は、声だけしか出てこないブルであって、テロ実行部隊は操り人形に過ぎない。これは示唆的である。我々が大切にしている信念や理念は、どこから来ているのか。例えば、必死に会社のために頑張ってきたというのに、その会社が実は単なるブラック企業で、社会貢献を理念に掲げながら、実際は経営者の懐を潤すためだけに存在していたら?深刻さの度合いは全く異なるが、そんなことが、鑑賞後、ふと脳裏をよぎった。自分はお客さんに非人間的に接していないだろうか、と。

 

閑話休題。本作で最も印象に残るキャラクターは料理長のオベロイである。『 セッション 』におけるJ・K・シモンズを彷彿させるプロフェッショナリズムの塊のようなオジサンで、そのカリスマ性とリーダーシップは、確かに実在のシェフに基づくのだろう。

 

デブ・パテル=虐げられている、苦難に陥る、のようなイメージがあったが、その印象は本作を以ってさらに強化された。オベロイ料理長とはまた異なる意味でプロフェッショナルであり、ターバン(パグリー)と豊かな髭のせいで、ホテル客を疑心暗鬼にさせてしまうが、人間は外見ではなく内面で判断すべきということを我々に思い知らせてくれるシーンを披露する。『 PK 』でも用いられたネタであるが、我々はいかに外見で人を判断し、その内面を知ろうとしないのかを痛感させられる。多民族・多文化共生は言うは易く行うは難し。いつの間にか移民大国となった日本、大坂なおみやラグビー日本代表のようにダイバーシティを体現する存在がかつてないほど身近になっているからこそ、我々はインドに学ぶことが多い。

 

一部でチクリとCNNを刺すシーンがあるが、これはオーストラリア人監督としてのアメリカへのメッセージだろうか。

 

ネガティブ・サイド

全体的にストーリーに一本太い芯が通っていない。アーミー・ハマーが妻子を助けようと奮闘するぐらいだが、行き当たりばったり感が否めない。また、テロリストたちが客やスタッフを一人また一人と殺害していく、そしてホテルマンたちが客を匿おうとする、逃がそうとするシーンの一つひとつはこの上なくサスペンスフルであるが、客やスタッフの全体像が不透明であるため、何階建ての何階まで侵入された、何人中の何人が殺されてしまったという意味での、追い詰められる感覚が欲しかった。まあ、もしもそれがあれば窒息してしまったかもしれないが。

 

後はテロリストが「まだ少年じゃないか!」と形容されていたが、ちょっとそれは苦しい。どう見ても立派な20代だからだ。本当に10代半ばぐらいの俳優たちをキャスティングするという選択肢はなかったのか。それともそれが史実なのだろうか。それぐらいは映画的な演出として許容されると思うが。

 

冒頭で頼んでいない品を頼んだものと笑顔で言い張るインド人の食堂店員がいるが、個の描写は必要だったのだろうか。タージ・ホテルとその他のインドの店との格の違いを見せようという意図かもしれないが、そんなものは不要である。

 

最後にアルジュンが自宅に帰るシーンがあるが、普通は地元当局や警察に事情聴取も嵐を喰らうだろう。内部で一体何が起こっていたのか。どうやって生き延びたのか。そういったプロセスをすっ飛ばしてしまったのは頂けない。茫然としたまま原付に乗っていたが、茫然としたまま、聴取を受けて、茫然としたまま自宅に帰れば良かった。

 

総評

弱点も数多くあるが、間違いなく2019年公開作品の最高峰の一つである。よく知られたことであるが、世界史上の宗教戦争の99.9%は経済戦争である。テロリズムはその延長線上にある。ジハードの意味を、テロに利用された少年たち同様に、我々は決して誤解してはならない。信じるもののために奮励努力する。本作はそれを二極化された視点から描いているとも言える。分断・分裂によって起こる悲劇を描いたインド映画としては『 ボンベイ 』に並ぶ傑作が誕生したと言える。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Guest is God.

 

インドには日本と同じく、「お客様は神様です」という言葉が存在する。それが Guest is God である。あまりにも直球の訳であるが、実際にこう言うのだから仕様がない。英語ではもう少しマイルドになり、“The customer is always right.”となる。神様ならぬかみさんに頭が上がらない男性諸賢には“MEN to the left because WOMEN are always right! ”という言葉を贈る。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミー・ハマー, アメリカ, インド, オーストラリア, サスペンス, デブ・パテル, ヒューマンドラマ, 監督:アンソニー・マラス, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ホテル・ムンバイ 』 -極限の緊張と恐怖に立ち向かえるか-

『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

Posted on 2019年9月13日2020年4月11日 by cool-jupiter

ヒンディー・ミディアム 70点
2019年9月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:イルファン・カーン サバー・カマル ティロタマ・ショーム
監督:サケート・チョードリー

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日本でも一頃、お受験をテーマにしたテレビドラマが流行していた。日本でも受験の低年齢化が進んだが、結局は学力レベルの二極化を推し進めてしまっただけのように感じる。だが、インドという国に根強く残る格差は、日本のそれとの比ではない。だからこそ、インドは自国の問題点を映画にして世界に発信するのだろう。

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あらすじ

デリーで生地屋を営むラージ(イルファン・カーン)とその妻ミータ(サバー・カマル)は娘に最高の教育を与えたいと思い、進学先を選ぼうとする。しかし、学校によっては親の学歴や住所までが合否の判断材料になると分かり、家族は高級住宅地に引っ越すも、受験結果は全滅。しかし、貧困層救済のための受験枠があることが分かり、彼らは貧民街へと引っ越すが・・・

 

ポジティブ・サイド

よく言われることであるが、小さな子どもほど有望かつ確実な投資先は存在しない。そして、その投資とは教育に他ならない。それはスポーツかもしれないし、音楽や芸術かもしれないし、学業かもしれない。いずれの分野に投資するにしても、その投資効率を最大化する為には、できるだけ早い段階で教育を始めることである。この場合、子ども自身の嗜好や適性を考慮すべきかどうかは、タイガー・マザーという言葉がアメリカで聞かれるようになって以来、常に論争の的となっている。

 

インドでも事情は似たり寄ったりのようである。ただし、急激な発展を遂げている最中とはいえ、その発展の波に乗れない、あるいは乗せてもらえない地域や集団も存在する。そうした特定の弱者やマイノリティーへの配慮が存在するところ、そして、裕福な家庭の子女がそうした制度を悪用としようとするところ、さらに、そうして入学した学校の校長がとんでもない人物であるところに、本作の見どころがある。コメディでありながら、刺すべきところが鋭く刺し、抉るべきところは深く抉る。

 

イルファン・カーンは『 ジュラシック・ワールド 』では真面目そうなビジネスマンだったが、元々はコメディ畑の人なのかな。嫁さんの尻に敷かれっぱなしの姿に、自分を見出す男性観客は多いだろう。そして、最後に見せる雄姿にエンパワーされる男性諸賢もきっと数多くいることだろう。

 

ラージの妻を演じたミータ役のサバー・カマルは初めて見たが、笑ってしまうほどにchew up the sceneryな役者さんである。パキスタン人とのことだが、『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』で描かれていたように、インドとパキスタンは政治的緊張をはらみながらも、文化交流は絶やしていないようである。どこかの島国と半島は両国の関係を見習うべきであろう。

 

『 あなたの名前を呼べたなら 』のティロタマ・ショームも教育コンサル役で良い味を出している。鼻持ちならない感じをギリギリで抑えつけているようで、主演を張った前作とはまるで別人。役者というのはこうでなければ。

 

貧民窟での迫害と交流、日雇い労働現場の劣悪な就業環境と冷徹なビジネスの論理、教育の崇高さと学歴社会の邪悪さ、そうした社会問題を全て包括した笑えないようで笑えてしまうコメディである。

 

ネガティブ・サイド

冒頭のラージとミータの馴れ初めのシーンは必要だっただろうか。美しい歌の調べに乗って、二人の距離が縮まっていくのは良いが、それらのシーンが主題=お受験とのつながりを欠いているように感じた。このシークエンスはバッサリとカットしてしまうか、そうでなければ10分ほどを費やして、二人の学校生活やインド社会全般における受験戦争の模様などを映像で語るべきだった。二人の若い頃の関係がもう少し丹念に描かれていれば、つまり、ラージがどれくらいミータに惚れこんでいるのかを観る側にもっと共感させることができていれば、ラストのラージの告白(二重の意味で!)がもっとドラマチックに、そしてロマンチックになっただろうと思えてならない。

 

グラマー校の校長を演じたアムリター・シンの迫力と圧力が、何故かもう一つ伝わってこなかった。うちの卒業生は云々の脅し文句が、『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のトラスク校長と丸かぶりしているからだろうか。

 

これは日本の広報担当を責めるべきかもしれないが、「英語が話せないなんて!」というキャッチフレーズをあまりにも大きく目立たせ過ぎだ。愛娘を私立にやるか公立にやるかというテーマの裏には、英語の運用能力ではなく愛情があるのである。教育とは科目や学歴ではなく、親や保護者の愛情が形を変えたものなのだ。教育が目指すべきは能力の獲得以上に、人間性の向上なのだ。英語云々を大々的に押し出すのは皮相的である。

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総評

本作もインド社会の発展と矛盾を間近に見ることができて、非常に興味深い。また、そこに自国の事情や自分自身の家族を重ね合わせてみることで、様々な反省作用も生まれてくるだろう。減点材料にしたが、英語は確かに重要な技能だ。入試改革で、英語の民間試験の導入については大揉めに揉めているが、日本も遅かれ早かれ、英語の運用能力は自動車の運転免許のように、必須ではないが持っていないことで「え?持ってないの?」と言われるような一種のコモディティになるだろう。ピアぐらいの年齢の子を持つ親世代の日本人こそ観るべき作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The customer is a god, but a wife is a goddess.

 

ラージの台詞である。「お客様は神様だが、妻は女神様なんだ」のような字幕だった気がする。イスラム以外のインドの宗教は基本的に多神教なので、冠詞のaを上ではつけている。英語の正式な慣用表現では、“The customer is always right.”と言う。機会があれば、これも使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イルファン・カーン, インド, カバー・サマル, コメディ, ティロタマ・ショーム, 監督:サケート・チョードリー, 配給会社:カラーバード, 配給会社:フィルムランドLeave a Comment on 『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

『 シークレット・スーパースター 』 -母と娘の織り成す極上の人間ドラマ-

Posted on 2019年8月22日2020年4月11日 by cool-jupiter

シークレット・スーパースター 80点
2019年8月19日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ザイラー・ワシーム メヘル・ビジュ アーミル・カーン
監督:アドベイト・チャンダン

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アーミル・カーンが出演だけではなく製作も手掛けた作品。何故にこのような作品が100館規模で上映されないのか。日本の配給会社に勤める方々に真剣に考えて頂きたいものだ。最近のインド映画は意図的に歌と踊りを減らしつつあるが、そのことが彼の国の映画のエンターテインメント性やメッセージ性を些かも減じていない。ということは、それだけ映画製作に関して確固たるポリシーとノウハウを有しているのだろう。極東の島国の住民としては羨ましい限りである。

 

あらすじ

インドの片田舎に住むインシア(ザイラー・ワシーム)は、いつかインド最大の音楽賞であるグラマー賞の獲得を夢見る少女。だが頑迷固陋な父親は彼女の夢を決して肯定しない。ある日、インシアはブルカを纏って顔や体を隠して、“シークレット・スーパースター”というハンドルネームで自分の歌をYouTubeに投稿した。動画は爆発的にヒットし、インシアはお騒がせ作曲家のシャクティ・クマール(アーミル・カーン)の目にも留まり・・・

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ポジティブ・サイド

頑固な娘とそれを見守る母親という構図は『 レディ・バード 』そっくりである。しかし、そこに厳格すぎる父、というよりも田舎(という閉鎖社会)の悪しき因習、価値観、行動原理などをすべて体現してしまったような父親が加わるだけで、サスペンスとヒューマンドラマの要素が倍増した。なぜなら、インシアやその母ナズマは父親そして夫という一人の人間に闘争を挑むのではなく、その先にあるインドという国が抱える男尊女卑的な思想や体制に挑戦しているからだ。暴君然として振る舞う父親に我々は嫌悪感を抱く。そして、誰かこの男を思いっきり懲らしめてやってくれと願ってしまう。だが、物語は安易にそれをしない。凡百の脚本ならば、アーミル・カーン演じるシャクティ・クマールをこの父親と対峙させて、娘の才能を自分に託すように言わせてしまうかもしれない。もしくは、エクストリームにアホな展開にしてしまうなら、シャクティに「俺はちょうど離婚が成立した。だから、お前の嫁は、娘ごと俺が頂く」と言わせてしまうことも考えられる。しかし、それでは意味が無い。本作は、この母と娘の自立への旅路をある意味では非常にコメディックに、また別の意味では非常にポリティカルに描き出す。以下、ネタばれ。

 

シャクティの嫁さん側の弁護士に頼ろうという発想が面白い。笑えてしまう。だが、インシアのこの発想は、単純にfunnyなだけではない。彼女が目指すのは、因習の打破。だが、それは非常に強固に人々の内側に根を張っている。それを壊す、あるいは超えるために民主主義的に成立したルール、法律に則るというのは現実的かつ現代的である。象徴的なのは空港のシーン。当たり前のことだが、暴君である父親も、飛行機に積み込める荷物の重さや数の制限には従うのである。法律やルールを最大限に利用して、母と子どもたちが自由の身になるシークエンスのカタルシスは筆舌に尽くしがたいものがある。

 

それにしても、主演のザイラー・ワシームは『 ダンガル きっと、つよくなる 』の姉妹の姉のギータだったのか。確かにどこかで見た気がしたわけだ。立派に成長しつつあるが、見る角度によってはJovian一押しのヘイリー・スタインフェルドにちょっと似ている。奇しくもヘイリーもザイラーもギター少女。What an amazing coincidence! ヘイリーのファンは『 はじまりのうた 』を観るべし!そして母親役は『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』でも、ムンニーの母親を演じていた。娘のためにあらゆる手を尽くそうとする姿勢には純粋に心を打たれるばかりだ。

 

Back on track. ザイラー演じるインシアは感情の起伏が激しく、中盤まではやや感情移入しにくいキャラクターだった。だが、それも終盤手前で明かされるある出来事の真相によって、彼女が受けるショックの大きさを逆説的に表すための布石なのである。なぜ『 旅猫リポート 』は、こうした劇的な演出ができなかったのか。『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』や『 ダンガル きっと、つよくなる 』でも顕著だったが、女性に生まれる、そして女性を産むということがインド社会ではこれほどの重しになるのかと驚嘆させられ、また慨嘆させられる。そうした社会の悪弊を打ち破ろうとするインシアの物語のクライマックスは、まるで昨年(2018)のアカデミー賞を受賞したフランシス・マクドーマントのようであった。何というカタルシスであることか。

 

本作は単なる女性救済の物語ではない。男性のあるべき姿についても大いなる示唆を与えている。かといって、典型的な、紋切り型のヒーロー像ではなく、極めてユニークな男性像である。それぞれインシアの同級生、インシアの弟、そしてアーミル・カーン演じる音楽家である。健気さを読み取る人もいるだろうし、優しさを読み取る人もいるだろう。あるいは気高さを見出す人もいるかもしれない。男として彼らの姿に何かを感じ取らない者は、よほどの完璧超人か、あるいは鈍感を極めたダメ男かのいずれかであると断言させていただく。そうそう、インシアと同級生のチンタンはパスワードについてとあるやり取りを行うが、類似のあるいは模倣のシークエンスが、今後日本の少女漫画の映画化作品でちらほら見られると予想しておく。このシーンではJovianの脳裏では『 ロマンティックが止まらない 』と『 ロマンティックあげるよ 』の両方が流れた。我ながらオッサンだなと実感してしまう。

 

ネガティブ・サイド

インシアがYouTubeに投稿する動画は、もう数本あってもよかったのではないか。最後の最後にアーミル・カーンが歌と踊りで大いにエンターテインしてくれるとはいえ、本作は思ったよりも歌の成分が少なめである。もう少し、このギータ・・・、ではなくギター少女の音楽活動を鑑賞したかった。

 

また、アーミル・カーンが本格的に物語に絡んでくるのに、かなりの時間を要する。この不世出のスーパースターの登場を映画ファンは楽しみにしているのだから。出し惜しみはよろしくない。インターバルのタイミングと併せて、ストーリー進行のペーシングをもう少し速めても良かったのではないか。

 

総評

シネ・リーブル梅田はお盆期間中から連日の満員御礼である。エンドクレジット終了後には「いよっ!」という掛け声、口笛、拍手がごくわずかだが発生した。これは『 カメラを止めるな! 』以来である。娯楽性とメッセージの両方をハイレベルで追求した傑作である。上映してくれる箱の数は少ないが、是非とも多くの方に鑑賞頂きたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Keep it up.

アーミル・カーンが序盤で言うセリフである。意味としてはKeep up the good work. とほぼ同じと考えていい。今後もグッジョブを続けて欲しい相手に言おう。

 

Can I have a window seat?

これはインシアが空港で言う台詞。Can I have ~? で飲食物の注文から、相手の名前や住所、電話番号、メールアドレスなどの contact information まで、何でもリクエストが可能である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミル・カーン, インド, ザイラー・ワシーム, ヒューマンドラマ, メヘル・ビジュ, 監督:アドベイト・チャンダン, 配給会社:カラーバード, 配給会社:フィルムランド, 音楽Leave a Comment on 『 シークレット・スーパースター 』 -母と娘の織り成す極上の人間ドラマ-

『 あなたの名前を呼べたなら 』 -ほろ苦さ強めのインディアン・ロマンス-

Posted on 2019年8月17日2020年4月11日 by cool-jupiter

あなたの名前を呼べたなら 70点
2019年8月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ティロタマ・ショーム ビベーク・ゴーンバル
監督: ロヘナ・ゲラ

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原題は Sir である。インドは国策として映画作りを推進しているが、だんだんとインド特有の歌や踊りを減らしていくという。個人的にそれはつまらないと感じるが、グローバルなマーケットで売ろうとするためには、柔軟さも必要か。本作はそうした、ある意味ではデタラメなパワーを持つインド映画らしさではなく、普通に近い技法で作られたインド映画なのである。

 

あらすじ

建設会社の御曹司アシュヴィン(ビベーク・ゴーンバル)は挙式目前。しかし、婚約者の浮気が発覚し、結婚は破談した。通いのメイドのラトナ(ティロタマ・ショーム)は、そんなアシュヴィンに甲斐甲斐しく尽くす。彼女には夢があった。いつかファッションデザイナーになり、自立した女性となる夢が。だが、彼女は19歳で結婚した身。今は未亡人でも、新たな恋愛や結婚は因習的に許されない。いつしか惹かれ合い始める二人だが・・・

 

ポジティブ・サイド

とてもとても静かな立ち上がりである。アシュヴィンとラトナの間に恋愛感情が芽生えることは誰もが分かっている。そのbuild-upをどうするのかが観る側の関心なのであるが、ロヘナ・ゲラ監督は淡々と二人の日常生活を描いていくことで、二人の間の距離感を丁寧に描写していく。食事のシーンが好例である。ラトナがアシュヴィンに供する食事は、どれも一皿に一品で、ナイフとフォークで食するようなものばかりである。一方で、自分がとる食事は大皿にナンや野菜や鶏肉などを全て乗せた、いわゆるインド的なカレーであったりする。この対照性が二人の距離である。

 

だが、二人には共通点もある。ラトナはファッションデザイナーになるという夢があり、将来は妹とともに独立して自分たちの力でビジネスを営みたい。そのために妹の学費を自らの稼ぎから工面している。一方でアシュヴィンはアメリカに留学し、ライター稼業をしていたが、兄の死によって自らが事業継承になるためにインドに帰国してきた。つまり、ラトナもアシュヴィンも、本当の意味での自己実現を果たしているわけではないのである。全くとなる背景を持つ二人であるが、自分にはどうしようもない事情で現在の自分があることを受け入れている。だからこそアシュヴィンはラトナが仕立て屋に通うことや裁縫学校に行くことを快く承諾してくれるし、ラトナはアシュヴィンに執筆業への回帰を促す。それが互いへの思いやりであり配慮である。そのことが、しっかりと伝わってくる。安易にさびしさに負けて、なし崩し的にキスからベッドインなどという展開にはならない。しかし、二人が互いに秘めていた想いを一瞬だけ露わにするシーンは、見ているこちらが緊張するほどぎこちなく、それでいて甘く、激しい。近年のラブロマンスにおいては、白眉とも言えるシークエンスである。

 

ラストシーンが残す余韻も素晴らしい。終わってみれば「なるほどね」なのだが、この一瞬のために、ここまでドラマを積み上げてきたのかと得心した。そのドラマとは、ラトナの精神的、そして経済的な自立への旅路であり、アシュヴィンにとっては家族、そして友人関係のしがらみからの解放への旅路でもある。そして、二人はインドの因習からの独立を目指す同志でもあるのだ。使用人とその主人という縦の関係を、水平的な関係に転化させる一言を絞り出すラトナの表情に、我々は心の底から祝福のエールを送りたくなるのだ。

 

アシュヴィンを演じたビベーク・ゴーンバルはアメリカ帰りという設定ゆえか、非常に流暢な英語を操る。彼の台詞のかなりの割合が、非常にスタンダードな英語なので、英語悪習者の方は、ぜひ彼の台詞に耳を傾けて欲しい。本作の感想ではないが、インド人はそこそこの割合で英語を話せる。また、人口の結構な割合の人々が英語を聞いて理解できると言われている。確かに『 きっと、うまくいく 』の講義は英語だったし、『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』でも、ラクシュミは英語を話すのは苦手だったが、リスニングはできていた。英語の運用能力を持つことがそれなりのステータスであるという点で、日本はインドとよく似ている。しかし、インドにおいて英語力というものは、おそらく運転免許証のようなものなのだと推測する。なくてもそこまでは困らないが、だいたい皆が持っている。そういうことである。

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ネガティブ・サイド

アシュヴィンのone night standは必要だったのだろうか。別にこのシーンがなくとも、ストーリーはつなげられるように感じた。もちろん、結婚が破談になったアシュヴィンが人肌恋しく思うのは理解できるが、その相手をバーで調達してしまうというのは、あまりにも安易ではないか。また、ラトナに「彼女はもう帰ったのか」と尋ねるのもいかがなものか。自分が求めているのは刹那的な関係ではなく、長期にわたって真剣に互いを高め合える、あるいは補い合えるような関係であると気付くのであれば、破談になった相手との関係を振り返る、あるいはアシュヴィンの姉や友人に劇中以上にそのことを喋らせれば良かった。このあたりはゲラ監督とJovianの波長は合わなかった。

 

もう一つ。アシュヴィンが最初からあまりにも物分かりの良いご主人様で、少々ご都合主義のようにも感じられた。召使いとして甲斐甲斐しく恭しく使えるラトナは、メイド仲間の愚痴を聞くシーンが何度か挿入されるが、その仲間の愚痴がことごとくアシュヴィンに当てはまらないのだ。そうではなく、仲間が愚痴ってしまうようなシチュエーションが自分にも訪れた時に、主人であるアシュヴィンがどのように反応するのか、そうした展開があってこそ、ハラハラドキドキ要素がより一層盛り上がるというものだ。それが無かったのは惜しいと言わざるを得ない。

 

総評

静かな、大人のラブストーリーである。韓国ドラマのように、互いが互いを想いながらも絶妙にすれ違う展開にイライラさせられることはなく、むしろ近くて、けれどなかなか縮まらない距離感をじっくりと鑑賞できる構成である。そこにインド独特の因習や女性蔑視への眼差しもあるのだが、決してそれらに対して批判的にならず、そうした障害を乗り越えていく予感を与えてくれる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

アシュヴィンが友人からの誘いに対して“Rain check?”と返す場面がある。これは野球の試合が雨天順延になった時に、rain check=再試合のチケットを受け取ることから、「別の機会にまた誘ってくれ」という意味で使われる表現である。主に北米=野球が行われる地域でしか通用しない。なので、オーストラリアやニュージーランドの人間に使うと「???」と返されることがある。アシュヴィンのアメリカ帰りという設定、そして野球にちょっと似ているクリケットが盛んなインドのお国柄を考えてみると面白い。ちょっとした慣用表現の向こうに、様々な世界が見えてくる。同表現は『 パルプ・フィクション 』でJ・トラボルタも使っている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, インド, ティロタマ・ショーム, ビベーク・ゴーンバル, フランス, ラブロマンス, 監督:ロヘナ・ゲラ, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 あなたの名前を呼べたなら 』 -ほろ苦さ強めのインディアン・ロマンス-

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