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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: イギリス

『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

Posted on 2022年3月6日 by cool-jupiter

ロミオとジュリエット 95点
2022年3月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オリヴィア・ハッセー レナード・ホワイティング
監督:フランコ・ゼフィレッリ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220306135521j:plain

『 ウェスト・サイド・ストーリー 』および『 ウェスト・サイド物語 』の元ネタである,

シェークスピアの名作『 ロミオとジュリエット 』。いくつかある映画化作品の中でも、おそらく本作が最も完成度が高いだろう。中学2年の時に初めてVHSで観て衝撃を受けたし、大学生の頃にも3回ぐらい観た。久しぶりに再鑑賞したが、間違いなく timeless classic である。

 

あらすじ

イタリアのベローナ。モンタギューとキャピュレットの両家は不和で、街では家中の者同士が騒乱を引き起こしていた。モンタギューの一人息子のロミオ(レナード・ホワイティング)はキャピュレットの舞踏会に潜入、そこで一人娘のジュリエット(オリヴィア・ハッセー)と出会う。二人は一瞬にして激しい恋に落ちるが・・・

 

ポジティブ・サイド

プロダクションデザインが出色。中世イタリアの雰囲気がよく出ている。日本の古き良き時代劇も例外なく街並みや屋敷や衣服や調度品が真に迫っているが、本作におけるそれらの再現度の高さは素晴らしかったと感じる。

 

主演の二人も輝かしかった。レナード・ホワイティングは本作以外ではさっぱりで、まるでマーク・ハミルのようだ。しかし、それだけ強烈なインパクトを与えたとも言える。仲間が喧嘩で流血しているというのに、一人で街はずれの森を優雅に闊歩しながら恋煩いをこじらせる。それもこれも、ジュリエットに一目惚れして総てがバラ色に。しかし、親友のマキューシオの死にはちゃんと激昂する。若気の無分別と辞書で引けば、例としてロミオ・モンタギューが出てきそうである。ロミオについて特筆すべきは、イケメンでありながらイケメンの余裕が全くないところだろう。シェークスピアは同時代人であるフランシス・ベーコンの格言、”It is impossible to love and to be wise.” を知っていたのだろう(二人が同一人物という説をJovianは取らない)。10代男子の頭の中の80%は異性への興味で、その興味の95%は肉欲、性欲だ。日本の漫画原作の青春恋愛ものの多くは何とかの一つ覚えのごとく学園祭の出し物で『 ロミオとジュリエット 』を上演するが、ロミオ=単なるイケメンであり、そのアホっぷりにフォーカスできていない。このロミオの恋は盲目、恋をしながら賢いままではいられないという人間の普遍的な在り方が限りなくリアルに感じられた。

 

オリヴィア・ハッセーも初めてVHSで観た時は雷に打たれたようなショックを受けたのを覚えている。それまでは『 ネバーエンディング・ストーリー 』の幼ごころの君の大ファンだったJovian少年は、この瞬間からオリヴィア・ハッセー/ジュリエットがアイドルになった。くるくる変わる表情に清楚をにじませるたたずまい、けれど舞踏会の場でロミオを焦らす様には百戦錬磨のような雰囲気も醸し出す、今風の言葉で言えば年下のお姉さんキャラ。それでも乳母や母の前では、年齢相応の幼さが前面に出てきていた。フランコ・ゼフィレッリ監督はよくここまで演出できたなと感心させられる。撮影時に15~16歳だったらしいが、一瞬とはいえトップレスを見せるというのも素晴らしい女優魂だと思う。

 

アクロバティックなカメラワークが技術的に不可能な時代だが、その代わりにカメラと役者の距離感が絶品。冒頭のちょっとしたいざこざから大きなケンカに発展する流れのスムーズさは『 ウェスト・サイド物語 』の prologue に負けず劣らずの出来。またティボルトとマキューシオの決闘の馬鹿馬鹿しさと深刻さの同居は、それこそキャピュレットとモンタギューが反目すること自体の馬鹿馬鹿しさと深刻さの表れで、それを傍観者視点と当事者視点が入り混じるように撮影したのは上手いと感じた。マキューシオの役者は、舞台俳優がそのままスクリーンに再現されたようで素晴らしかった。出てくるたびに場を自分のものにしてしまう。フィルムの時代なので、気軽に撮ってその場で編集できたわけでもない。なので、セリフから動きまでを完全にマスターしておく必要がある。マキューシオ役をはじめ、舞台のバックグラウンドを持った役者が多く出演していたのだろう。カメラ・オペレーターと役者が互いの仕事を理解しながら各シーンを生み出していったことが窺える。

 

ロミオとティボルトの決闘シーンも真に迫っていた。途中で上着を脱いだり、土埃を浴びるシーンがあるが、すべてのシーンが linear に撮影されていたので臨場感があったし、ワンカットがかなり長かった。BGMのない決闘シーンは『 アジョシ 』のラストのナイフバトルを彷彿させた。壁や階段から落ちるシーンもあり、どれくらいリハーサルが可能だったのだろうか。スローモーションや派手なBGMで乱闘シーンを誤魔化す多くの現代映画は、もっと役者への演出で臨場感を生み出せるということを知るべきだと思う。

 

そうはいっても音楽の力も重要で、本作で言えばニーノ・ロータの ”Love Theme” が要所で流れる。それが 物悲しさや儚さを感じさせる。また舞踏会で歌われる “What is a youth?” の歌詞が物語全体の通奏低音になっている。この楽曲と物語が完璧に合っていて、映画のレベルをさらに一段上げている。フランコ・ゼフィレッリとニーノ・ロータのペアは、G・ルーカスとJ・ウィリアムズ、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネのような組み合わせだと評して良いと思っている。 

 

ロレンス神父やジュリエットの乳母など、脇を固めるキャラクターにも血肉が通っている。二人ともロミオやジュリエットの幸福を祈って行動するが、些細な誤解やすれ違い、思いの違いから悲劇に至る。特に乳母がジュリエットにロミオを見限るように諭すシーンは衝撃的である。乳母の一種の裏切り行為は、ティボルトを失い、ロミオまで追放されてしまったジュリエットにとってはこの世に未練などなくなってもおかしくない。誰も悪など目指していない。ただ憎い相手がいる。しかし、それは個人ではなく家名である。家名は記号であって、実体ではない。ジュリエットの発する “What’s in a name?” という問いは、現代なら “What’s in a nationality?” や “What’s in a color of skin?” 、”What’s in a gender?” などとも言い換えられるだろう。悲恋の物語の最も成功した映画化というだけではなく、20世紀の古典と言っても良い傑作だろう。

 

ネガティブ・サイド

ロレンス神父はジュリエットに「42時間で目覚める」と伝えていたが、夜の9時あるいは10時に服毒したとして、目覚めるのは夕方の5時あるいは6時。ところが実際にジュリエットが目覚めたのは真夜中。薬の効き目にはブレがあって当然とはいえ、ここだけはフランコ・ゼフィレッリ監督の責に帰さなけれなならない。

 

総評

シェークスピアが天才的だなと思うのは、非常に小さな世界の小さな出来事を、これほどドラマチックに、かつ普遍的な事象として描き切ったこと。フランコ・ゼフィレッリは自ら脚本も手掛け、監督として若い二人の演出にも腐心しただろうが、その苦労は実った。This timeless classic will stand the test of time forever. 教育者の端くれがこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、日本の中学高校のカリキュラムにヘッセの『 デミアン 』と『 車輪の下 』を読むこと、そして『 ロミオとジュリエット 』を鑑賞することを組み込んでほしい。それほど若い世代こそ観るべき傑作に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a Capulet

キャピュレット家の一員の意。有名なバルコニーのシーンでのジュリエットがロミオに「モンタギューの名前を捨てて」と独り言ちて、”Then I’ll no longer be a Capulet.” = そうすれば私もキャピュレット家の者であることをやめる、と続く。「a + 固有名詞」は色々な用法があるが、英語を教える仕事に従事する人以外は「そんなのがあるのか」ぐらいの意識でよい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, S Rank, イギリス, イタリア, オリヴィア・ハッセー, ラブロマンス, レナード・ホワイティング, 監督:フランコ・ゼフィレッリLeave a Comment on 『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

Posted on 2021年12月13日2021年12月13日 by cool-jupiter

ラストナイト・イン・ソーホー 75点
2021年12月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トマシン・マッケンジー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:エドガー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215427j:plain

『 ベイビー・ドライバー 』のエドガー・ライト監督の最新作。ダークな物語を明るくポップなチューンに乗せて魅せるという持ち味は、本作でも遺憾なく発揮されている。Jovian一押しのアニャ・テイラー=ジョイの出演作でもあり、見逃す手はない。

 

あらすじ

デザイン専門学校に入学したエロイーズ(トマシン・マッケンジー)は寮になじめず、ソーホーのアパートで一人暮らしを始める。ある日、エロイーズは1960年代のソーホーでクラブの歌手になろうとするサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の夢を見る。それ以来、夜ごとにサンディとシンクロしていくエロイーズだったが、サンディは徐々にソーホーの闇に墜ちていくことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215445j:plain

ポジティブ・サイド

オープニングから、本職のダンサーさながらに古い音楽に合わせて踊るトマシン・マッケンジーが光る。死んだ母親が見えるという奇妙な力を持ちつつも、希望を胸に抱き、片田舎から都ロンドンへと旅立つ様、そしてロンドンに到着した瞬間から味わう違和感。そして学生寮のルームメイトや同期と馴染めぬままに、アパート暮らしを始めるまでがあっという間のテンポである。大都会とそこに暮らす人々に馴染めないという、祖母の懸念通りのエロイーズであるが、ここまでのシーンを明るい色使いと明るい音楽で描くことで、エロイーズが夢の中でサンディと徐々に同化していく過程が、ムーディーな音楽でもって描き出されるダークで淫靡なソーホーと、鮮やかなコントラストになっている。

サンディと同じブロンドに染め、サンディの着ていた衣装を実際にデザインしてみることで、生き生きと輝きだすエロイーズだが、夢の中でサンディがだんだんと60年代のソーホーの暗部に囚われていくにつれ、現実のエロイーズも「霊が見える」という能力のせいで浸食されていく。

 

この男に食い物にされてしまう女性という構図が、1960年代でも21世紀であっても本質的には変わっていないことを本作は大いに印象付ける。その意味で、2010年代から急速に大量生産されるようになってきた gender inequality の是正を訴える作品群のひとつのように思える。が、実体はさにあらず。詳しくは書けないのだが、脚本も手掛けたエドガー・ライト監督は、単なるMeToo映画を世に送り出してきたわけではない。これは一筋縄ではいかない作品である。

 

主演を務めたトマシン・マッケンジーは、今もっとも旬なニュージーランド人俳優と言える。美少女が、そのキャリアの初期にホラー(っぽい)作品に出演するのは日本でも海外でも、まあ大体同じなのだろう。ホラーで頭角を現したという点ではアニャ・テイラー=ジョイも同じ。『 ウィッチ 』は正真正銘のホラーで、アニャはそこから同世代の女優たちの中から一歩踏み出した感がある。

 

エロイーズとサンディの人生が思わぬ形で交錯することになる終盤からは、まさにジェットコースター。エドガー・ライトの作劇術の巧みさに乗せられ、一気にエンディングにまで連れていかれてしまう。最後に流れる ナンバー『 Last Night in Soho 』 のサビの “I let my life go”という一節が強烈だ。この歌は、誰が誰に向けて歌っているのか。それが理解できれば、本作は男性にとってはホラーとなる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215502j:plain

ネガティブ・サイド

エロイーズが夜な夜な見るビジョンについて、なんらかの補足というか、ルールらしきものの描写が必要だったのではないかと思う。田舎を旅立つ直前に祖母とエロイーズが「見えること」、「感じること」について言葉を交わすシーンがあったが、字幕に訳出されない英語台詞の中にも、エロイーズが「何を」「どのように」見えてしまうのかについては一切触れられていなかった。例えばの話だが、エロイーズが目にする母の姿は、実は自分を見守ってくれているものなのだ、のような描写があれば、恐怖とその後の納得の感覚が、どちらも強化されただろうと思う。

 

同じく、ハロウィンの時にエロイーズが見てしまうビジョンの源泉は何だったのだろうか。ジョンと自分の(夜の)関係を、思い切りバイオレントに表したもの?このあたりも少々矛盾というか説明材料不足であるように感じた。

 

総評

本作については、ジャンル分けが非常に難しい、というよりもジャンルを明言してしまうこと自体が重大なネタバレとなりかねない。それだけ危うい構成でありながら、鑑賞中は I was on the edge of my seat = 夢中になってスクリーンにくぎ付けだった。結構ショッキングな瞬間もあったりするが、デートムービーにもなるし、都市出身者や田舎出身者。現代主義者と懐古主義者の視点から様々なコントラストに注目することもできる。ホラーと宣伝されているからと敬遠することなかれ。素晴らしいエンタメ作品である。

 

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a bad apple

悪いリンゴ、転じて「腐ったリンゴ」となる。作中では bad apples と複数形で使われていた。一定以上の世代なら、ドラマ『 金八先生 』の腐ったミカン理論を知っていることだろう。あれと意味は全く同じである。要は、周りに悪影響を与える存在、という意味である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, トマシン・マッケンジー, ホラー, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

『 リトル・ジョー 』 -静謐&ノイズ系ホラー-

Posted on 2021年11月29日2021年11月29日 by cool-jupiter

リトル・ジョー 65点
2021年11月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エミリー・ビーチャム ベン・ウィショー
監督:ジェシカ・ハウスナー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211129193017j:plain

シネ・リーブル梅田で上映していたが、見逃してしまった作品。こけおどしで溢れる昨今のホラーの中では異色の仕上がりとなった。

 

あらすじ

アリス(エミリー・ビーチャム)は、その匂いを嗅ぐことで多幸感が得られるという「リトル・ジョー」という新種の植物を開発し、息子のジョーにプレゼントにした。しかし、「リトル・ジョー」の花粉を吸ったジョーは普段と少し異なる言動を取り始めた。同じころ、花粉を吸い込んだ助手のクリス(ベン・ウィショー)も、奇妙な振る舞いを見せ始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

どこか彼岸花を連想させるリトル・ジョーという植物が、とても妖しげな雰囲気を放っている。それは、全編を通じて独特の色使いと、ノイズとも言えるBGMが、不協和音を奏でながらも、一つのハーモニーとして機能しているからだろう。「赤」の使い方としては、『 シックス・センス 』のシャマランを思わせる。リトル・ジョーという植物の持つ魔力のようなものが、この赤の使い方によって際立つ。少なくとも見る側にとってはそのように映る。オリエンタルなBGM(というか日本人の作曲家なのね)も、リトル・ジョーが画面に映る際のノイズとあいまって、観る側の心をざわつかせる。

 

アリスと息子ジョーの関係の変化も自然である。思春期の息子が母親に隠し事をする、あるいは言動が以前と変わってしまう。それは当たり前のことである。しかし、そこにリトル・ジョーの花粉吸引をまじえることで、独特のスリルが生まれている。また、ベン・ウィショー演じる助手のクリスの変化も興味深い。詳しくはネタバレになってしまうが、ヨーロッパあるいは日本には「リトル・ジョー」を購入する理由がたくさんありそうである。

 

ジョーや、そのガールフレンドの演技はなかなかのものである。瞬きを極力しないというのは演技者の基本だが、それに加えて無表情なのに雄弁な表情ができることに恐れ入った。特にジョーのガールフレンド役の女の子は不気味なこと、この上なかった。アリスが定期的に訪れるカウンセラーも、アリスに傾聴するふりをしながら、実に底浅い心理分析を行い、やはり観る側を苛立たせる。愛犬ベロを失った(というか・・・)同僚ベラの言動のあれこれも、観る側を戸惑わせる。リトル・ジョーは無害なのか、有害なのか。

 

植物が人間を操るということにリアリティを感じられるかどうかが胆だが、実際に植物は多くの動物を操っている。繁殖の時期になると、花粉の飛ばしをよくするために、はなびらを敢えてトカゲ好みの味に変える植物もあるぐらいなのだ。植物の力、そして人間の生物学的かつ社会的・心理的な弱さを知っている人であれば、本作は非常に不愉快かつ興味深いものになるはずだ。『 リトル・ショップ・オブ・ホラーズ 』へのオマージュが盛り込まれているらしいが、Jovianは中学生の時に読んだ『 トリフィド時代 』を思い出した。これもまた本作の持つ英国らしさゆえなのだろう。

 

ネガティブ・サイド

研究所の同僚のベラとその愛犬ベロの関係の変化を、もっとじっくりと描いてほしかった。犬は人間の何万倍、下手したら何億倍の嗅覚性能を誇るのだから、リトル・ジョーの香りや花粉から受ける影響も、(理論的には)もっと大きいはず。ここを丹念に描いておけば、アリスが気付くキャラクターたちの変化と、観る側が気付くキャラクターたちの変化がシンクロする、あるいはギャップを生み出すことできる。それによって、観る側がアリスに「おーい、気付け気付け」のように感じられ、それが更なるサスペンスになっただろう。

 

リトル・ジョーの香りをかいだ人間たちのインタビューを、もう少しじっくり見たかった。This is not the woman I used to know. = これは私が知る女性ではない、というセリフは認知症のパートナーを持つ人間の定番のセリフであるが、具体的に相手のどんなところからそう感じるようになってしまったのかを見せてくれていれば、リトル・ジョーの魔力にもっと説得力が生まれただろうと思う。

 

総評

昨今のホラー、なかんずくアメリカで夏に大量に公開されるものは、観客を怖がらせるのではなく、驚かせている。本作は、迫力こそないものの、神経にじわじわ来る『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』のような感じである。本作を面白いと感じて、なおかつ活字にアレルギーのない人は、鯨統一郎の『 ヒミコの夏 』も詠まれたし。または恐怖を快楽に変えて人間を操る生物のストーリーならば貴志祐介の『 天使の囀り 』も傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

talk back

「返事をする」、「言い返す」の意。劇中では前者の意味で使われているが、実際のコミュニケーションでは後者の意味、特に「口答えする」という意味合いで使うことが多い。一時期のアップルやIBMには、If you talk back, you’re fired. = 口答えするならクビだ、みたいなスーパーバイザーがたくさんいたことだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, エミリー・ビーチャム, オーストリア, スリラー, ドイツ, ベン・ウィショー, ホラー, 監督:ジェシカ・ハウスナー, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 リトル・ジョー 』 -静謐&ノイズ系ホラー-

『 モーリタニアン 黒塗りの記録 』 -日本はアメリカを笑えない-

Posted on 2021年11月3日 by cool-jupiter

モーリタニアン 黒塗りの記録 70点
2021年10月30日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジョディ・フォスター タハール・ラヒム シャイリーン・ウッドリー ベネディクト・カンバーバッチ
監督:ケビン・マクドナルド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211103205611j:plain

また出てきたイラク戦争関連映画。黒塗りの記録という副題が付されているのは、配給会社の Good job だと言える。また本作の製作は英国。つまりは『 オフィシャル・シークレット 』と同じく、反省と将来同じ過ちを繰り返すまいという英国人の意識の表れと取ることができる。

 

あらすじ

9.11の実行者たちをリクルートしたとの容疑から米当局に逮捕されたモハメドゥ(タハール・ラヒム)だが、起訴されることなく数年間拘束され続けていた。人権派弁護士のナンシー(ジョディ・フォスター)はモハメドゥの弁護を無償で引き受ける。そして、モハメドゥ拘束の裏にある非人道的な行為の数々が明らかになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211103205627j:plain

ポジティブ・サイド

物語の視点がユニークだ。『 最後の決闘裁判 』のように、同一の事象を異なる人間が捉えたというのではなく、9.11という事件を背景に一人の人間の弁護側と検察側、両方の視点で迫っていく点に視野の広さを感じる。同時に、モハメドゥの語る言葉とモハメドゥの書く手記のギャップ、さらに米政府によって徐々に公開される資料、その黒塗りの記録の向こう側にあるMFR(Memorandoum For Record)によって明らかになる事実が、物語に更なる重層性を与えている。

 

忖度という言葉が人口に膾炙するようになって久しい日本社会であるが、それはつまり他者への迎合に他ならない。そこに自分というものはない。本作の弁護士ナンシーや検察官であるカウチ中佐は、自分の信念にどこまでも忠実だ。ナンシーはモハメドゥの弁護を手がけるものの、それは彼の無実の証明のためではなく、あくまでも米政府の手続きの瑕疵を責めるもの。モハメドゥの母親の肉声に触れながらも、女性として、あるいは母親として同情するのではなく、あくまでも推定無罪の原則にしたがって動く。カンバーバッチ演じるカウチ中佐も同じ。友人が9.11のハイジャック犯に殺害されたことから、アルカイダのリクルーターであると目されるモハメドゥを裁判で有罪にすべく奮闘するが、その過程で「これはおかしい」と気付いていく。個人の情ではなく、法律家としての哲学に忠実であり続ける。国家と個人を同一視する傾向が多くの国で見られる今、この二人の姿勢に学ぶべき点は多い。

 

モハメドゥを演じるはタハール・ラヒム。どこかで観たと思ったら『 ダゲレオタイプの女 』に出演していた。このキャラクターも一筋縄ではいかない。無実を訴えつつも、常にどこかに疑惑を感じさせる。Jovianも弁護士の先生に「弁護士を信用しているのなら、事実をありのままに語ってください。黒を白にするのは難しいが、黒を灰色にすることはできる」と教えてもらったことがある。すべてを語らないモハメドゥはすなわちナンシーを全面的に信用していなかったわけで、なにが彼をそれほど頑なにさせるのか。その秘密が情報公開請求で呈示される段ボール箱何個分になるか分からない資料の山として現われる。それが見事なまでに黒塗りだらけなのだ。ここに至って、我々日本のオーディエンスは、これは赤木ファイルやスリランカ人女性の死亡を思い出すことになる。黒塗りは、そのまま時の政治権力の闇の大きさ、闇の深さを表している。

 

黒塗り記録の向こう側にはモハメドゥを自白させた力、すなわち拷問があり、これ自体は『 ザ・レポート 』などで既に明らかにされていることだが、本作において真に恐るべきなのは、エンディングで明かされる数字だろう。「WMDを所有している」、「テロ組織を支援している」として散々イラクを攻撃しておきながら、自らの主張は嘘っぱちだった。その裏で、法律無視の非人道的な行為の数々を犯し、それを黒塗りにすることで真相を闇に葬ろうとしていたのだから、これはもうまともな国家運営とは言えない。しかし、忘れてはならない。我々はそんなアメリカのやることなすことに必ず追従する国家に生きているということを。

 

ネガティブ・サイド

シャイリーン・ウッドリー演じる弁護士がMFRを見て「モハメドゥは自白していた!」とパニックになるシーンは実話なのだろうか。普通に考えれば、そこは最初に開示された黒塗り文書の、黒塗りされていない部分に該当しそうだが。また、自白そのもの、特に不当に長期に拘留されたり、身体的精神的な拷問によって強制された自白に証拠能力などない。弁護士ならそれぐらい知っていて当たり前のはず。あるべき反応は「なぜ自白した?なぜ当局は罪状を定めて起訴しない?起訴できない?自白は強要されたもの?」のように、理路整然とした推理であるべきだったと感じる。

 

拷問シーンの苛烈さがもう一つ伝わってこなかった。もっと過激にモハメドゥを痛めつけるシーンを作っていれば、モハメドゥが見せる普通の振る舞いの意味がより強調され、さらにエンディングで明かされる数字のインパクトも更に増したに違いない。

 

総評

英国人がイラク戦争関連の事象を描くとこうなるのかというお手本のような作品。アメリカ人だと『 ボーイズ・オブ・アブグレイブ 』のような、一見反省しているように見せかけて、実は単なるアメリカの個人主義的英雄譚の焼き直し作品になってしまう恐れが常にある。日本も法治国家であり続けたいなら、そして法治国家の国民であり続けたいなら、本作を観て、推定無罪の原則や公文書管理の重要性などをあらためて学ぶべきだろう。120%不可能だろうが、邦画の世界で入管によるスリランカ人女性の殺人(と敢えて呼ぶ)を映画化したら、それだけで国内ムービー・オブ・ザ・イヤーだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

See you later, alligator.

受験英語ではまず触れられないが、キッズ英会話などでは割とお馴染みの表現。意味はそのまま「じゃあね、アリゲーター」で、later と alligator が韻を踏んでいる。劇中でも触れられるが、こう言われたら”After a while, crocodile.”と返すのがお約束になっている。これも while と crocodile が韻を踏んでいる。ただ、大人が使うことはまずない。大人の先生がキッズ英会話の受講生に言ったり、小児科医が患児に言ったりすることはあるが、ビジネスの文脈ではほぼ間違いなく使われない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イギリス, サスペンス, シャイリーン・ウッドリー, ジョディ・フォスター, タハール・ラヒム, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:ケビン・マクドナルド, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 モーリタニアン 黒塗りの記録 』 -日本はアメリカを笑えない-

『 アナと世界の終わり 』 -コロナ禍にフィットするミュージカル-

Posted on 2021年6月3日 by cool-jupiter

アナと世界の終わり 65点
2021年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エラ・ハント
監督:ジョン・マクフェール

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210603224856j:plain

土日は映画館が閉まっているため、読書かYouTube、またはレンタルDVD鑑賞。最近、YouTubeでたまたま上がってきたTim Minchinによる『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』のユダ役が素晴らしかったので、ミュージカルでも観るかと近所のTSUTAYAで本作をチョイス。ゾンビ要素が濃いめかなと思いきや、意外にも本格的なミュージカル映画だった。

 

あらすじ

アナ(エラ・ハント)は父と二人暮らし。オーストラリア旅行のためにバイトしていることが、友人のジョンのせいで父にばれてしまい口論に。翌日、学校へ向かうアナとジョンの前に突如ゾンビが現れる。辛くもゾンビを撃退したアナだが、街はいつの間にかゾンビだらけ。アナたちは皆がいるはずの学校へ向かおうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

ゾンビワールドとコロナ禍の現在は、人との接触を避けなくてはならないという意味で、よく似ている。ゾンビ物を観るたびに、脚本家や監督といったアーティストのビジョンには感心させられる。愛する人であっても、無理やり離れなければならないという状況は、まさにコロナが蔓延する今という時代そのままである。

 

それよりも本作で堪能すべきはミュージカル・パートだろう。冒頭からどこか満たされないティーンたちが歌う”Break Away”がなかなかの名曲。正直、このナンバーだけでレンタル代の元は取れたと感じた。アップテンポの明るいメロディでありながら、歌詞は現状からの脱却を力強く渇望する歌。それを歌うエラ・ハントたちの歌声が力強く、それでいて哀し気だ。ゾンビ蔓延世界の登校風景で颯爽と歌われる”Turning My Life Around”でも主演エラ・ハントの歌唱力が光る。 Hey, it’s a brand new day. のHeyを高音域で伸びやかに歌えるのが素晴らしい。また、陽気に絶望的な状況を歌っているのも、背景のシュールさと絶妙なコントラストになっている。エラ・ハント以外では悪の校長サヴェージ先生が、”Nothing Gonna Stop Me Now”でひときわ目立つ輝きを放っている。『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』のカヤパをほうふつとさせる。 

 

ゾンビ映画というのは、それこそ星の数ほど制作されてきており、またミュージカルもそれなりの数が生み出されてきた。しかし、ゾンビ・ミュージカルというのは、ありそうでなかったジャンル・ミックスだ。ミュージカル形式で感情を爆発させる登場人物たち。そして「え、このキャラ、ここで死ぬの?」という意外な展開の組み合わせで、ぐいぐいと引き込まれてしまう。グロ描写はそこまで多くないが、田舎町で鬱屈した気分のティーンたちによる人間関係と恋模様は結構ドロドロである。案外、梅雨の時期の室内デートにも使えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

コメディとして振り切れていないところが惜しい。ボーリング場での対ゾンビのバトルなど、もっと面白くできるはず。ボウリングの球でゾンビの頭を潰したシーンでは、「お、ゾンビをボウリングのピンに見立てて、遊びながら倒していくか?」と期待させたが、それはなし。その一方で、ゾンビの頭がボールリターンにゴロゴロゴロと帰ってくるという茶目っ気ある演出。コメディとして振り切るパートは全力でコメディに徹してほしかった。

 

ミュージカル・パートの楽曲の良さと反比例するかのように、ゾンビ・パートの展開があまりに陳腐だ。人間社会の規範が壊れることで人間の本性が明らかになるというのはゾンビ映画文法にあまりにも忠実すぎる。意外性が欲しい。無茶苦茶だと自分でも思うが、アナの父がゾンビの群れの中に亡き妻の幻を見出して・・・のようなサブプロットがあれば、個人的には大満足だったのだが。

 

アナの親友のリサを演じたマルリ・シウにもう少し見せ場が欲しかった。ステージで彼女が歌う歌は、ダブル・ミーニング満載である。字幕でも面白さは伝わるが、英語が分かる人はぜひ聞き取って、色々と調べてほしい。この歌の暗喩するところ、ゾンビ・パートでもう少し実現してしかるべきではなかったか。

 

総評

究極的には好みの問題だが、『 ラ・ラ・ランド 』の楽曲よりも本作の楽曲のほうが個人的には楽しめたし感銘を受けた。愛する人々を助けたい一心で行動するのはゾンビ映画としては陳腐だが、その過程の描写が『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』のようにスタイリッシュだ。イギリスのどこか陰鬱な空気が全編を覆っているが、それを吹き飛ばす楽曲のパワーも全編に満ち溢れている。ゾンビ映画と敬遠するなかれ。ミュージカル好きなら要チェックだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be lost in ~ 

「~に夢中になる、没頭する」の意。序盤早々の歌唱シーンで使われているが、字幕に盛大な誤訳があるので注意。

 

There’s a world out there, why does no one care? Are they lost in the game they play?

外には広い世界が待ってるのに みんな諦めちゃってるの?

 

となっているが、正しくは

 

There’s a world out there, why does no one care? Are they lost in the game they play?

すぐそこに世界が広がってるのに みんなは目の前のゲームに夢中なの?

 

が正しい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, イギリス, エラ・ハント, ミュージカル, 監督:ジョン・マクフェール, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 アナと世界の終わり 』 -コロナ禍にフィットするミュージカル-

『 ローグ 』 -密猟、ダメ、絶対-

Posted on 2021年5月22日 by cool-jupiter

ローグ 60点
2021年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ミーガン・フォックス
監督:MJ・バセット

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210522001551j:plain

MOVIXが平日の日中限定で営業再開。溜まっている有給の消化も兼ねて、久しぶりに映画館へ向かう。座席の間隔を空ける。飲食をしない。しゃべらない。これを徹底すれば、映画館はかなり安全安心な環境であると感じた。

あらすじ

傭兵部隊のキャプテンであるサム(ミーガン・フォックス)は、テロリストに誘拐された州知事の娘を救出するため、隊員を率いてアフリカにやってきた。人質と人身売買されていた少女たちを辛くも救出するが、敵の追撃により救援のヘリを失ってしまう。そして逃亡した廃村でさらなる救援を待つサムたちだが、そこには追手が迫っているだけではなく、凶暴なライオンも潜んでおり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210522001610j:plain

以下、マイナーなネタバレあり

ポジティブ・サイド

ストーリーなどはあってないようなものである。密漁者がライオンを殺しそこねて、逃げられた。逆にライオンの反撃を食らってしまう冒頭のシークエンスは雑もいいところだが、製作者が描きたいのはそこではない。早く主人公たちを登場させたい。ドンパチさせたい。そして、ライオンが暴れるところを描きたい。観る側も、早くミーガン・フォックスが暴れるところを観たい。ライオンに襲われるところが観たい。作り手と観客の思いがシンクロして、序盤の救出シーンから廃墟での銃撃戦&ライオンとのバトルまで、あっという間である。1時間50分ほどの映画だが、体感では1時間30分ちょうどぐらいだった。

ストーリーがないと言ってしまったが、実はそれなりに練られたメッセージも込められている。一つにはライオン密猟の問題。もう一つに欧米列強によるアフリカの侵略と支配。さらに、イスラム過激派の侵入。こうした事情が複雑に絡み合った先に、各キャラクターの設定や物語の背景が見えてくる。

傭兵映画らしさ全開で、随所に one-liner が炸裂する。最も印象的だったのは、 クライマックスのサムの放つ”You get to decide which bitch is going to kill you.”という台詞。bitchを含む名セリフとしては『 エイリアン2 』のシガニー・ウィーバーの”Get away from her, you bitch!”に次ぐインパクトだ。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210522001625j:plain

ネガティブ・サイド

人質および人身売買されていた少女たちがひたすらにうざい。有能な敵よりも無能な味方のほうが怖いと言われるが、まさにそういう存在だ。問題なのは、プロ中のプロである傭兵団のキャプテンであるサムが、いつまで経っても彼女らにルールを叩き込もうとしないこと。自分の言うことに従わなければ殴る・・・まではいかなくとも、何らかの不利益を被る。そういう躾のようなものが序盤にあってしかるべきだったと思う。そのせいか、序盤でいきなり少女の一人が退場させられた時には、心の中で「よっしゃ!」と思ってしまったほどである。

上の退場シーンとの関連で感じたのが、サムの仲間の傭兵団の一人である地元出身のアフリカン。ライオンのことに異様に詳しいのに、ワニについては何の知識もなかったのだろうか。そんなはずはないと思うが。

サムの戦闘力にはそれなりの説得力があったが、キャプテンシーの面ではどうか。序盤でガキンチョたちにルールを教え込まないのも問題だと思ったが、自分のチームの隊員が、地元アフリカ出身、元過激派の一員だったということで非常なる口激を食らうが、それに対する擁護もなし。そら何人かのチームメンバーからキャプテンとは認められんわな。何故にここまで中途半端なキャラクターにしたのか。

総評

ストーリー性やキャラクターの深堀りを求めてはいけない。派手なガンファイト、忍び寄るライオンの恐怖。それらを堪能するだけでよい。製作者側はホラーやスリラーの要素を強めに作りたかったのだろうが、『 コマンドー 』や『 プレデター 』といった面白系One-linerが目立つアクション映画である。そういった系統の作品が好きな人なら、存分に楽しめることだろう。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bitch

いわゆる swear word である。意味はあまりにも多彩で、名詞にもなれば動詞にもなる。この語が正しく使えれば、英検マイナス2級、TOEIC L&R で1800点だと判定する。「あばずれ女」や「売女」の意味でも使うが、現代的には(本当はもっと前から) a bitch = やばい人、酷い事柄のような意味がある。1970年代にはロッド・スチュワート御大がすでに”Ain’t love a bitch”(邦題は『 あばずれ女のバラード 』)をリリースしていた。興味がある向きはググられたし。また、ボクシングやプロレスを観る人なら、ボクサーやレスラーがリベンジマッチに臨む前に、”Payback is a bitch!”と咆えるのを聞いたことがあるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, イギリス, ミーガン・フォックス, 南アフリカ, 監督:MJ・バセット, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ローグ 』 -密猟、ダメ、絶対-

『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

Posted on 2021年5月9日 by cool-jupiter

ブリングリング 50点
2021年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ケイティ・チャン エマ・ワトソン イズラエル・ブルサール
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210509194932j:plain
 

時間つぶしにTSUTAYAで借りてきた。難解な哲学書を読んでいて、頭をリセットする必要がある。そうした時には、何も考えていないティーンの映画でも観るに限る。これは偏見かな。

 

あらすじ

マーク(イズラエル・ブルサール)は転校先で出会ったレベッカ(ケイティ・チャン)に誘われ、ふとしたことから空き巣と窃盗の共犯になってしまう。やがてニッキー(エマ・ワトソン)らも加わり、彼らはハリウッドのセレブたちの留守を狙って、豪邸への侵入を繰り返すようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

ティーンの日常風景が生々しい。ドロドロとした虐めや派閥争いではなく、淡々とした友情を淡々と描き出す序盤は、ドキュメンタリーのようにも感じられた。元が実話だからしょうがない。何度も侵入されては、色んなものを盗まれるパリス・ヒルトンだが、実際に自宅を撮影用に提供したというのだから、商魂たくましいと言うしかない。その豪邸の広さ、物の多さ、そして至るところから発せられる強烈なナルシシズムからは、確かにティーンならずとも惹きつけられてしまうカリスマ性を感じる。

 

戦利品のアイテムや金を使ってガキンチョどもが何をするかと言えば、お定まりのショッピングにドラッグ、そしてクラブ通い。このあたりは大人も子どももアメリカ人らしさ全開という感じがする。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオも目のくらむよう大金を稼いで、同じようなことをやっていた。これも陳腐でありながら生々しい。リアルであると感じる。

 

生々しいのは、犯行に及ぶティーンたちの無計画性。そして、今風の言葉で軽く評するなら、自己承認欲求の強さ。なぜセレブ宅への侵入と窃盗の現場で写真を撮るのか、そしてそれをSocial Mediaに上げてしまうのか。なぜ自分たちの盗みを同級生たちに自慢してしまうのか。そして、犯行現場で素手であれやこれやをべたべたと触って指紋を残すのか。帽子もかぶらず、髪の毛も落としまくっていくのか。『 アメリカン・アニマルズ 』での、凝りに凝った犯行計画を練り上げていく過程とは対照的に、本当に何も考えずに次から次へと犯行を繰り返すブリング・リングの面々には嫌悪感すら催してしまう。観る側をこのような気持ちにさせた時点で、本作は一定の成功を収めていると言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド 

『 スプリング・ブレイカーズ 』は青春への決別を映し出していたが、本作で描かれるブリングリングの連中は、マークを除いて全員アホである。反省の色が見られない。いや、反省しないだけならいいのだが、その原因を何らかの形で劇中で提示すべきだろう。ホームスクーリングや離婚した両親など、思わせぶりな描写は多いが、それは事実であって仮説の形にはなっていない。有罪が確定しているにもかかわらず、自らの将来をメディアに高らかに語ったり、事件の真相を知りたければ自分のウェブサイトを見ろと宣伝するニッキーは、どこまでも薄っぺらい。本当なら、そうしたティーンのアホな自己承認欲求をかなえる手伝いをするような映画ではなく、何が彼女たちをそこまで駆り立てたのかを考察し、そこを盛り込むべきだった。

 

他に不足を感じたのは、マスコミ及び大衆の反応の描写。アホなティーンがある意味で同じくらいアホなセレブに経済的な痛撃を一時的にも加えたこと、そしてそれを口コミおよびSocial Mediaを通じて一時的にもセンセーションを作り出したことを、当時のニュース映像と対比する形で挿入すべきだった。そこをもう少し手厚く描写しないと、ブリングリングの連中が特別だったことになり、ごく一部の無軌道な若者、若気の無分別の物語になってしまう。そうではなく、若いうちは(老いてからでも)誰でも道を踏み外す可能性があること。そして、セレブであろうが誰であろうが、情報の取り扱い、そのリテラシーについてもっと注意を要すべしという教訓が伝わってこない。

 

エマ・ワトソンは悪い女優ではないが、特別に良い女優でもないと今作の演技から感じた。ハリポタのハーマイオニーというはまり役は、『 スター・ウォーズ 』におけるルークやハン・ソロと同じく、役者の素の顔を引き出す演出が奏功したというのが大きい。本作のエマ・ワトソンのあざとさはあまりにも意図的で、逆に演技くさくなっている。本当のエマ・ワトソンの演技を観たい向きは『 ウォールフラワー 』を鑑賞すべし。 

 

総評

ハリウッドの豪邸に入り込んで、好き勝手なことをする。そんなことが出来るんかいなと思ってしまうが、『 ビバリーヒルズ・コップ2 』でもエディ・マーフィーが同じようなことをやっていたなと思い出した。つまりは出来てしまうし、実際にそうした事件が起きた。盗みに入る方もアホだなと思うし、盗みに入られる方もアホだなと思う。『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』のシャロン・テートの教訓からセレブたちは学んでいないのかと考えさせられるが、この能天気さや鷹揚さもアメリカの特徴なのだろう。暇つぶし用、典型的な a rainy day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

for all I know

文頭または文末に使って、「多分」、「もしかしたら」という意味を加える。

For all I know, the champion could lose.

I want to be a politician. I could even become Prime Minister for all I know.

のように使う。関西人ならば語尾につける「知らんけど」とほぼ同じだと説明すれば一発で理解できるかもしれない。知らんけど。

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, イズラエル・ブルサール, エマ・ワトソン, クライムドラマ, ケイティ・チャン, ドイツ, フランス, 日本, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:アークエンタテインメント, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

Posted on 2021年3月1日2021年3月1日 by cool-jupiter

アーカイヴ 60点
2021年2月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:テオ・ジェームズ ステイシー・マーティン
監督:ギャビン・ロザリー

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近所のTSUTAYAで先行レンタル作品だと謳われていた作品。たまたま一つだけ借りられていなかったので、あらすじも読まずに新作料金を払ってレンタル。低予算SFの掘り出し物とまではいかないが、それなりに楽しませてくれた。

あらすじ

アーカイヴと呼ばれる人間の意識を保存したシステムにより、一定期間だけ死者と交流可能となった近未来。ロボット工学者のジョージ(テオ・ジェームズ)は亡き妻ジュール(ステイシー・マーティン)の意識を違法にアーカイヴからダウンロードし、ロボットのJ1とJ2を開発。そして、さらに本物のジュールに近いロボットとしてJ3の開発にも着手するが・・・

ポジティブ・サイド

象牙の塔に閉じこもり、黙々と研究・開発に打ち込む科学者というのは、ホムンクルスやゴーレムの作成、ひいてはフランケンシュタインの人造人間に至るまで、古典的かつ典型的な人物像である。作品の雰囲気も『 エクス・マキナ 』のそれによく似ている。全編ほとんど山梨のラボ内で進行するが、一度だけ出てくる繁華街は、『 ブレードランナー 』を意識して作ったことは間違いない。また、J3がアップグレードされていく様子は実写『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』の少佐のそれにそっくり。J1とかJ2は、やっぱり『 スター・ウォーズ 』へのオマージュか。

要するにあまりにも陳腐なクリシェに彩られ過ぎていて、これは絶対に最後に何かあるだろうと思わせてくれる。実際に、まあまあのドンデン返しが待っていた。以下、白字。Jovianはてっきり姿を消したJ2が自身の意識をアーカイヴ化し、ジョージ自身の手によってJ3の意識が上書きされる際に、J3のボディに潜り込む・・・と予想していた。小さい頃に観た『 デモン・シード 』の影響かな。

勘の良い人なら、「ははーん、これはそういう話だな」と類似の先行作品(たとえば『 シックス・センス 』や『 パッセンジャーズ 』 、『 13F 』など)をいくつか思いつくことだろう。すれっからしのJovianはここのところを読み違えたわけだが、逆にこうしたジャンルに馴染みがない人なら、大きな驚きを体験できるかもしれない。

アーカイヴのようなシステムは、善悪の判断は措いておくとして、今後必ず誰かが開発しようとするのは間違いない。死者との交信ではなく、むしろ自分の意識をアーカイヴ化したスーパーリッチな人間が、マモーよろしく自分の意識を乗せた船で恒星間宇宙飛行に乗り出すのではないかとJovianは結構本気で考えている。オチを予想するも良し、アーカイヴの別の可能性をあれこれ想像するも良し。週末をステイホームで過ごすなら、ちょうどよい一本かもしれない。

ネガティブ・サイド

J3の最初の見た目がフリーザ様の最終形態そっくりなのは、製作者の日本へのリスペクトなのだろうか。脚がない状態で登場するところが、なおさらフリーザを連想させる。だが、このようなオマージュはノイズだろう。実写なら実写作品のオマージュをすべきで、アニメ作品まで射程に収めるなら、『 レディ・プレイヤー1 』並みに突き抜けている必要がある。むしろダース・ベイダー誕生の時のように(あれもフランケンシュタインの怪物へのオマージュだが)仰臥位で寝ているところから徐々に起き上がってくるという演出の方が個人的には好ましかった。

J2の扱いが酷い。こういうロボットとヒューマノイドの中間的な存在は、2030~2040年代には市民生活に間違いなく参加してくる存在だろう。そうしたロボに対する接し方のヒントになるようなものが何一つなかった。同時にAIが人間並みの複雑な感情(つまりは思慕や嫉妬)を持つということについての深掘りもなかった。いみじくもアーカイヴというシステムが示している通り、人間は何らかの刺激に対して適切な反応を返している。たとえば「愛している」と言われたら「私も」と返ってくる、など。AIもこうしたやりとりを学ぶことは可能なはずだ。人間から特定の感情(たとえば愛情)を引き出すように振る舞え、とプログラムされたAIと、人間に対して愛情を持っているAIを区別することは、表面上は困難だろう。ジョージがそうした哲学的な省察を一切行わない点も不満である。

総評

悪くない映画だと思う。人工知能やロボットを主題に据えたSF作品はこれまでに星の数ほど制作されてきたが、今という時代、すなわちAIやロボに関する学問や産業が爆発的な進展を見せる前夜に、このような作品が作られるのは必然だろう。本作の提示する世界観は思考実験にはぴったりである。J1、J2、J3の誰と一緒に暮らしたいかと問われれば、JovianはJ2を選ぶ。また身近な人間でアーカイヴ化できるとしたら、多分、父を選ぶように思う。単純に面白い、つまらないだけではなく、様々なことをリアルに考えさせてくれるSF映画である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

~ is my fault

「~は私の責任だ」の意。英語学習者がよくやる間違いの一つに、

This glitch is my responsibility.

この不具合は私の責任です。

というものがある。これだと「責任もって不具合を発生させます」的に聞こえてしまうので注意のこと。日本語で言う責任には、responsibilityとfaultの二つがある。前者は責任者が負うもので、後者は過失のこと。英語でビジネスをしている人はゆめゆめ間違えないように。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, イギリス, ステイシー・マーティン, テオ・ジェームズ, 監督:ギャビン・ロザリー, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

『ズーム/見えない参加者 』 -Zoomらしさをもっと前面に出せ-

Posted on 2021年1月16日 by cool-jupiter

ズーム/見えない参加者 30点
2021年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ヘイリー・ビショップ
監督:ロブ・サベッジ

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Jovianは2017年の秋ごろから当時の仕事およびプライベートでZoomを使っていた。有料版を使い始めたのは2020年からだが、Zoomにはまあまあ詳しい方だと自負している。劇場予告を観て「遂に出るべくして出できたな」と感じた。が、甘かった。これは英国版『 真・鮫島事件 』であった。

 

あらすじ

コロナ禍でロックダウン中の英国で、ヘイリー(ヘイリー・ビショップ)は友人たちとZoom降霊会を開催する。だが、参加者のジェマが実在しない死者の話をしてしまったことで、本来呼び出されるべきではない霊が現れてしまい、ヘイリーたちは数々の怪異に見舞われてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

無名に近い俳優たちだらけだが、そのおかげでリアリティが生まれている。『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』でも顕著だったが、こうしたアイデア一発勝負のホラーには有名キャストはノイズとなる。どうしても作り物感が生まれてしまうからだ。彼ら彼女らの話し振りも、なかなかにダーティーで、それが逆に親密さを感じさせる。実際にZoom飲み会をやっている面々というのは、往々にしてこういう関係性なのだろうと思わせる。ヘイリーとジェマの迫真の演技は見ものである。

 

スマホの顔認証や、コンピュータ音声に特有のサーっというホワイトノイズやクリック音もなかなか効果的。下手に大きな効果音を使うよりも、静かな耳慣れた音の方が恐怖感を演出しやすい。これはZoomに慣れた人ほど感じやすいはずだ。

 

科学的な知識の普及と浸透により、超自然的な現象は一時期後退していった。それでも携帯の普及と共に『 着信アリ 』が出てきたように、Zoomに代表されるウェブ会議システムのような新しいテクノロジーが生まれれば、やはりホラー映画がそこから生まれる。凡作ではあるが、暇つぶしにはなる。

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ネガティブ・サイド

全編がZoom上で行われること以外は、凡百のホラー映画と何一つ変わらない。「ここで大きなが音がするぞ」とか「ここでこけおどしのオブジェが出てくるぞ」という予感がことごとく的中する。まるでホラー映画の作り方の教科書を読んだ高校生あたりが作ったかのようにすら感じられる。実際に、細部にこだわらなければ、類似の作品は高校生に手に入るリソースだけでも十分に制作可能だろう。低予算であるならば、それこそアイデアにこだわるべきで、ホラーとして新しい何かを提供しようという製作者側の気概は一切感じ取ることができなかった。

 

いわゆるZoomらしさが一切なかったのは残念で仕方がない。Zoomが他のウェブ会議システムに比べて優っている(優っていた)点は、主に

 

1.お手軽さ

2.画面共有

3・ブレイクアウトルーム

 

だった。もっとこれらの特徴を生かしたホラーを構想すべきだろう。たとえばZoomはその参加の「お手軽さ」ゆえにZoom爆撃と呼ばれる悪質な乱入事件が世界で相次いで行われていた。そうした愉快犯(高校生男女数人がいいだろう)が大学のオンライン授業に爆撃を仕掛けて楽しんでいたところ、ランダムに入力したミーティング・パスコードによって入ってはいけない領域に迷い込んでしまい・・・というようなストーリーである。

 

「画面共有」や、それに類するファイル交換にフィーチャーするなら、例えば画面共有をすると参加者を映すウィンドウが縮小する。そこで共有を解除してギャラリービューに戻してみると、参加者が増えている。それも他人が乱入してきたのではなく、参加者Aと参加者A’が生まれて、自分同士で通話できてしまう。他の参加者は呆然とそれを眺めて・・・というようなプロットも割と簡単に思いつく。

 

ブレイクアウトルームでも恐怖は生み出せる。Jovianは大学の英語の非常勤講師を自身で行っていたり、あるいは派遣元企業の担当者としてそうした講師の授業をオブザーブ(ビデオをマイクもOFF)してフィードバックすることもある。某大学のオンライン授業をオブザーブした際に、ブレイクアウトルームに割り振られたので、学生のペアワークの様子を見学させてもらおうと思ったが、スクリーンネームを適当な6桁の数字にしていたせいで「え、誰これ?なんで6桁なん?学生じゃない?やばいやばい、怖い怖い、誰?」と学生に言われてしまった苦い経験がある。なので舞台を大学にして、オンライン授業でブレイクアウトルームに参加者を割り振るごとに、一人また一人で学生がZoom上からも、そして自宅からも消えていく。あるいはブレイクアウトルームの中だけで起きる怪奇現象があり、ホストも他の参加者もそのことになかなか気づいてくれず・・・といった物語も作ろうと思えば作れるのではないか。

 

Zoomならではの恐怖要素をもっともっと追求した作品は、今後インディーズで、もしくは高校生や大学生の映研やら、サンデー・アート・スクールのプロジェクトなどから生まれてくると思われるが、それに先立って本作はZoomの魅力と魔力を世に発信すべきだった。

 

そうそう、Zoomのギャラリー・ビューでは喋っている人の表示枠が黄色の太線で囲われるが、本作にはそれが無かった。監督および編集者の完全なるミスだろう。

 

最後のメイキング映像は完全なる蛇足。観ずに劇場を後にしてもなんの問題もない。

 

総評

クソホラー映画である。『 search サーチ 』のようなクオリティを期待するとがっかりさせられること必定である。68分(本編後のボーナス映像を除けば、おそらく60分)という短さで、なおかつ1000円でチケットを購入できるので、暇つぶしと割り切れるホラー愛好家のみにお勧めしておく。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on lockdown

ロックダウン中である、の意。London is on lockdown.のように使う。どこかのアホな知事が不用意に発話したことから、意味や解釈に誤りが生じた語。決して「都市封鎖」という意味ではない。字義どおりに解釈すれば、都市封鎖=都市へ入ること、そしてその都市から出ることを禁じる措置であって、都市内での人々の移動は自由である。「国境を封鎖する」と聞けば、入国や出国が禁じられるが、国内の移動が制限されるとは誰も受け取らないだろう。Lockdown = 外出制限または移動制限と訳すべきと思う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, イギリス, ヘイリー・ビショップ, ホラー, 監督:ロブ・サベッジ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『ズーム/見えない参加者 』 -Zoomらしさをもっと前面に出せ-

『 ジェイン・オースティン 秘められた恋 』 -社会的属性から偏見を取り除くべし-

Posted on 2020年9月7日 by cool-jupiter

ジェイン・オースティン 秘められた恋 70点
2020年9月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アン・ハサウェイ ジェームズ・マカヴォイ
監督:ジュリアン・ジャロルド

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商業柄、TOEFL iBTという英語の資格検定を教えることがある。そこで、出てくることがあるのがJane Austen。Official Guidebookにも出てくる。オースティンは一般には『 高慢と偏見 』の作者として知られているのだろう。彼女は『 メアリーの総て 』のメアリー・シェリーよりもさらに一世代前の人物で、まさに女性小説家の始祖の一人と言える。

 

あらすじ 

イギリスはハンプシャーの貧農家に生まれ育ったジェイン(アン・ハサウェイ)。両親は彼女を裕福な名士と結婚させたがっていた。だが、ジェインは財産ではなく愛を結婚に求めていた。良家との縁談も断ってしまうジェインだったが、法律家の卵であるトーマス・ルフロイ(ジェームズ・マカヴォイ)と出会い・・・

 

ポジティブ・サイド

何よりも目立ったのアメリカ人であるアン・ハサウェイがBritish Englishを流暢に操ること。一般的には『 ブレス しあわせの呼吸 』のアンドリュー・ガーフィールドのように、アメリカ人が英国風の英語を話すのは結構骨が折れる。その逆はそうでもない。アメリカ英語を使いこなす英国人やオーストラリア人の俳優は多い。その意味でアン・ハサウェイの演技は際立つ。また、目の大きさが特徴でもあるハサウェイは、その目の演技でも光っていた。初対面のルフロイから得た最悪の第一印象。朗読会の後に、ルフロイに生まれた静かな怒りの炎がその目の奥で燃え盛り始める瞬間の演技はベテラン女優の風格。当時のハサウェイは20代のはずだが、これは凄いと素直に感じられた。

 

対するはジェームズ・マカヴォイ。Jovianが世界で最も実力を評価している俳優である。常に自信満々で、弁が立つ。まさに法律家の卵という感じだが、その根底には男らしさがある。登場早々にボクシングをしているが、その拳闘の腕を力自慢のためではなく自らが信じる正義のために振るう、つまり自らの信念に準じて行動する様は見ていて気持ちがよい。一方で、どれほど頭脳明晰であろうと男はこと色事に本気になるとアホになるという、男の真理も体現している。

 

この主役二人に共通するのは、時代という抗いようのない外形的な圧力を受けながらも、心の中にはしっかりと個人を持っているところである。過剰とも思えるほどに会釈を繰り返すのは、それがマナーであり社会のコードであるからだが、一方でそうしたしきたりめいたものに抗おうとするのは、まさに地域や時代は違えど、ロミオとジュリエット的である。つまり、観る者の胸を打つ。

 

印象に残るのは舞踏会。反目しながらも惹かれ合いつつあるジェインとトムが踊りながら言葉を交わすシーンは大勢の人間に囲まれているにもかかわらず、とてもロマンチックだ。『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のレイ・とベン・ソロのような関係を作る、つまり自分たちだけの時空に没入してコミュニケーションを取っているからだ。ロミオとジュリエットよろしく、駆け落ちをしようとするも上手くいかない二人の姿に、言いようのないもどかしさを抱くが、それが時代や社会の違いなのか、それとも自分自身の感性によるものなのかは観る人によって異なるだろう。また男女でもこのあたりの感想は異なって来ると思われる。時間があればRotten Tomatoesあたりのレビューを渉猟してみたい。

 

ラストも泣かせる。『 僕の好きな女の子 』の加藤ではないが、男は自身の恋愛を「名前を付けて保存」する生き物である。そのことを何よりも雄弁に物語るエンディングに、心揺さぶられずにいられようか。このシーンは他の意味でも特に印象的だ。邦画の世界も、メイクアップにこれだけの労力を是非割いてもらいたいと思う。アメリカに逃げられてもいいではないか。第二・第三のカズ・ヒロを生み出そうではないか。

 

ネガティブ・サイド

冒頭の牧師の言葉はあまりにも直接的すぎる。もっと当時の普通の暮らしぶりの中で、女性が個性を発揮することができず、ステレオタイプな役割のみに従事する、あるいはステレオタイプな人格のみを有することが求められる時代と社会だということを、もっと映画的に語る方法はあるはずだ。そうしたシーンを冒頭で一気に見せるか、あるいは牧師の言葉(「女性に機知は無用」云々)は中盤に持ってくるべきだった。

 

『 プライドと偏見 』とのつながりがよく見える、というよりも『 プライドと偏見 』から逆に計算して作られたかのようで、捻りがない。すべてがある意味で予定調和的である。もっと自由に話を盛ってしまっても良かったのではないか。たとえばトムがジェインの作品を評して「(恋愛)経験が不足している」と言い放つが、であるならばトムがリードする形での恋愛の手ほどきや、あるいは同衾するシーンがあってもよかったのではないか。直接そうしたシーンを見せずともよい。『 博士と彼女のセオリー 』でジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)がジョナサンのテントを訪ねたようなシーン、あのような間接的な描写でもってジェインとトムが一夜を共にしたのだな、と観る側に思わせる大胆な演出があってもよかった。

 

最後にジェイン・オースティンという人物の歴史的な役割を総括するシーン、あるいは簡潔な説明が欲しかった。『 ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語 』にも共通するが、作家の残した物語は有名でも、作家自身はそれほど知られていないことはよくあるからである。

 

総評 

2000年代の映画であるが、まったく古くない。LGBTQについて世の中の理解は進みつつあるが、やはり男と女が一番のマジョリティであり、それだけ背負わされる社会的属性も多い。そうした社会的属性の中からいかに“偏見”をなくしていくかが21世紀に生きる我々のミッションの一つだろう。そうした原点を思い起こす意味でも本作は幅広い層にお勧めができると思う。ジェイン・オースティンという人物へのある程度の知識や興味がないと難しいかもしれないが、その場合は『 プライドと偏見 』を鑑賞してみるとよい。そんな時間はないという向きには、カーペンターズの “All You Get From Love Is A Love Song” をお勧めしておきたい。

www.youtube.com

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

S have seen better days

直訳すれば「Sはすでに(今よりも)良い日々を見てきた」=Sは今はすでに盛りを過ぎている、ということ。

 

This part of Osaka has seen better days.

大阪のこのあたりも以前に比べて寂れてしまった。

 

That boxing champion has seen better days.

あのボクシング王者も全盛期は終わったな。

 

という具合に使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アン・ハサウェイ, イギリス, ジェームズ・マカヴォイ, ラブロマンス, 伝記, 歴史, 監督:ジュリアン・ジャロルド, 配給会社:ヘキサゴン・ピクチャーズ:Leave a Comment on 『 ジェイン・オースティン 秘められた恋 』 -社会的属性から偏見を取り除くべし-

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