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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

Posted on 2019年12月18日2020年1月16日 by cool-jupiter
スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

趣旨は『 ゴジラ映画考および私的ランキング 』と同じである。だが、多くの人にとってそうであるように、『 スター・ウォーズ 』はJovianにとっては特別な物語なのである。『 サッドヒルを掘り返せ 』でJovianは『 スター・ウォーズ 』を【おとぎ話】であり【昔話】であり【童話】であると説明した。だが、文学論的に言えば、

 

1.超自然的な要素がある

2.時代や場所を特定できない

3.王族が登場する

 

といったところから、『 スター・ウォーズ 』は本質的には【おとぎ話】に分類されるのだろう。自分にとっても映画の原体験の一つであり、極端に言えば人生にも影響を及ぼした作品が、もう間もなく完結を迎える。その前に、自分の頭と心を整理しておきたい。本稿はそうした試みである。

 

『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』

 

スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 95点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

今でもよく覚えている。Jovianが初めて観た映画は、映画好きの父の影響もあり『 王様と私 』だった。そこで「エトセトラ」という言葉を覚えたが、それだけしか印象に残らなかった。次に観たのは『 オズの魔法使 』、そして次に観たのが『 スター・ウォーズ 』だった。当時はタイトルに他に何もなく、『 スター・ウォーズ 』だった。ちなみに次に観たのが『 ダリル D.A.R.Y.L. 』だった気がするが、正直なところ、『 スター・ウォーズ 』以降の映画作品については、古典ミュージカル作品以外は記憶があやふやである。

 

当時は6歳だった。その時はデス・スターへの潜入やブラスターの撃ち合い、ミレニアム・ファルコンのワープ、XウィングとTIEファイターの戦い、そしてオビワンとダース・ベイダーの電光剣(が当時のVHSの字幕だった)対決、そしてデス・スター爆破などのアクション・シーンに心を奪われて、何度も何度も観ていた。おそらく現在までにDVD、ブルーレイで20回以上は観ている。けれど中学生ぐらいだったろうか。ある時、ルークが二つの太陽の夕焼けをやるせない表情で眺め、そのBGMにジョン・ウィリアムズの“Binary Sunset”が流れるあの瞬間にルークと自分がシンクロした。兵庫県から岡山県に引っ越した頃、自分はあるべき場所におらず、なるべき自分になっていないと直感した。そんな自分も、未知なる宇宙に飛び出すことができる。まだ見ぬ冒険をすることができる。『 スター・ウォーズ 』はそんな予感を自分に与えてくれた。だからこれは誰にも当てはまらず、誰にでも当てはまる物語なのだろう。やはり、おとぎ話なのである。

 

VHSやレーザーディスクでリミテッド・エディションが販売され、当然のようにJovianの父も購入。しかし、デス・スターの爆発の様子が異なっている部分に大きな違和感を覚えたことを覚えているし、グリードーが発砲したりしたシーンでも???となった。DVDではハン・ソロの首が動いたところでギョッとしたのを覚えている。後年になって、『 スター・ウォーズ 』がおとぎ話であることに気付いたのは、これらの違和感や異物感からだった。シリーズが完結しても、おそらく最も多く見返すのは本作だろうと思う。

 

『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』

 

スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 90点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

本作で思い出すのは、ミレニアム・ファルコンがひたすらにかっこいいということ。すぐに故障するボロ船でありながら、常にピンチを脱する。本作でC-3POが「訛りがひどい」と評したことで、ファルコン号は乗物からキャラクターに正式に進化した。

 

本作ではC-3POがバラバラにされるシーンでショックを受けた。というかトラウマになった。前作でもドロイドがドロイドに痛めつけられるシーンは存在したが、何故かあまり印象に残らなかった。

 

本作で最も強く心に刻まれたのは、ファルコン号内でのハン・ソロとレイアのキスシーンである。『 ロッキー 』で、ロッキーが自宅にエイドリアンを誘って、キスをするシーンと並んで、Jovianがこれまでに観てきた中で最もロマンティックなシーンだと思っている。これも小学生ぐらいの頃は映画の中の普通のワンシーンだった。それが中学生高高校生ぐらいになってくると全く異なるシーンに見えてきた。変わったのは物語ではなく、自分だったのだろう。

 

ダース・ベイダーの言う“I am your father.”は、その後のどんな推理小説のトリックにも、どんなミステリ映画のプロットにも優る衝撃を少年時代のJovianの心に与えた。ルークが右手を斬り飛ばされ、ハン・ソロが冷凍され、ヒーロー側が惨敗して終わり・・・というエンディングは、子どもだった自分に強烈なインパクトを残した。初めて観た時は、「早くこの続きを!」という焦りで頭がいっぱいになった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』

 

スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 90点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

ルークがパワーアップして、颯爽と帰ってきた。ハン・ソロも復活した。レイアも解放された。序盤の30分だけで満足した記憶がある。

 

地上と宇宙で同時進行する展開に、単身でデス・スターに乗りこむルーク。正式に反乱軍の将校になったハン・ソロとチューバッカにランド・カルリジアンらが、戦闘ではなく戦争をする。前作や前々作は、主人公側が逃げる展開がメインだったが、本作でようやく乾坤一擲の大勝負に出る。助っ人がイウォークというのも良い。惑星エンドアのローカル・クリーチャーでありながら、宇宙戦争に参戦する意気やよし。姿かたちや話す言葉が違っても分かり合える存在が宇宙にはたくさんいる。アクバー提督など、人間ではない生き物と連合する反乱軍に、アイデンティティに迷っていたJovian少年は自分を投影していたように思う。

 

多種多様な生き物を包括して組織される反乱同盟軍と一律にホワイト・トルーパー達で構成される帝国軍の対比は、現代の視点で見返してもコントラストが鮮やかだ。ジョージ・ルーカスは STAR WARS と題しながらも、決して戦争を描くことは望んでいなかったという。戦うことではなく耐えることでジェダイとしてのアナキン・スカイウォーカーを帰還させたルークは、自らの中で永遠のヒーローとなった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』

 

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 40点
出演:ユアン・マクレガー リーアム・ニーソン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

これは確か大学二年生の夏休みに劇場公開された時にすぐに観た。Jovianの母校は6月末から夏休みだったのだ。劇場で観た。そしてがっかりした。絶望したと言ってもいい。その理由の第一は、通商連合である。いきなりそんな現実世界と地続きの事象を説明されて、一気にシラケたことを覚えている。「遠い昔、はるか彼方の銀河系で」いきなりゼニカネの話。おとぎ話の世界が現実の経済の論理に侵食された瞬間であった。だが、これはまだ許せた。

 

最も腑に落ちなかったのはミディ=クロリアンである。『 スター・ウォーズ 』のファルコン号内で、オビ=ワンはフォースを銀河を結びつける力と説明した。それとミディ=ファッキン=クロリアンはどう考えても結びつかない。フォースの神秘性が失われて、一つの世界が音を立てて崩れ去っていくかのように感じた。

 

パドメ(替え玉)の衣装と化粧があまりにもけばけばしく、スター・ウォーズ世界で浮いているようにも感じたし、ジャー・ジャー・ビンクスはひたすらに気持ちが悪い。ジャー・ジャー以上に不快なのがグンガンの族長。パドメとの交渉でいちいち顔面をけいれんさせながら唾液をまき散らすことに何のartistic meritsがあるというのか。ジョージ・ルーカスがマーシアと離婚したことで暗黒面に堕ちた(正確に言えば、外部社会との接点が極めて小さくなり、クリエイティブ面で馬耳東風になってしまった)ことはよく知られているが、女性を必要以上に醜く描き、その顔面に唾を吐きかけてやりたいという欲望をそのままストレートに映像化してしまったジョージ・ルーカスは、まさにシスの暗黒卿になってしまったわけだ。そんな男の作品を評価するのは困難極まりないことである。

 

それでも若きオビ=ワンとその師クワイ=ガン・ジンとダース・モールとのライトセーバー・バトルは圧倒的なスペクタクルだった。褒められるところは、それぐらいだった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』

 

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 65点
出演:ユアン・マクレガー ヘイデン・クリステンセン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

これは確か2002年7月3日にアメリカはロスアンゼルスで二番目に大きいと言われるモールの中のミニシアターで観た。2002年7月1日から7月7日まで親戚のところに逗留させてもらっていた。4~5割ぐらいしかリスニングできていなかったと思うが、最後のどぅーく―伯爵vsオビ=ワン&アナキンのライトセーバー・バトル、そして真打ヨーダとドゥークー伯爵のライトセーバー・デュエルのおかげで大満足で劇場を後にしたことを覚えている。

 

しかし日本に帰国後、あらためて劇場鑑賞して、「何だそりゃ?」と突っ込まざるを得なかった箇所も多数あった。ジェダイ評議会は動きが遅すぎる。“過激な交渉”で通商連合を封じ込めたパドメが過激な手段で報復されることなど予見できてしかるべきだし、護衛がひよっこのアナキン一人というのも、いかにも不自然だ。星図には何もない=そこには星が存在しない、という思考もクエスチョンマークだ。グーグル検索に引っかからない=検索対象が存在しない、とは普通は考えないだろう。誰かが情報を改竄したか隠蔽していると考えないあたり、ジェダイの騎士はかなりナイーブなようである。

 

それでもアナキンとパドメの逢瀬は美しくも健全な背徳感があり、ロマンスが盛り上がれば盛り上がるほどに悲劇の予感が強まっていく。このあたりも健全な結婚生活を送ることができていたジョージ・ルーカスが理想的な過去の心象風景を銀幕に投影したと考えられなくもない。

 

前作に続き、パドメが戦う姫を体現し、これでこそレイアの母親という印象を観る者に強く刻みつけた。青年アナキンを演じたヘイデン・クリステンセンも、ルーク・スカイウォーカーの父親というビジュアルを体現。ドロイド軍団とジェダイ軍団の大激突から、全面的な戦闘、そしてクライマックスの決闘シーンまでの流れだけならパーフェクトだが、ジャー・ジャー・ビンクスが懲りずにパルパティーンに権力移譲を発議。政治ネタをジャー・ジャーを使ってぶち込んでくるとは、ジョージ・ルーカスはどういう了見をしていたのだ?長所と短所、両方を兼ね備えた評価の難しい作品になってしまった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』

 

スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 80点
出演:ユアン・マクレガー ヘイデン・クリステンセン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

アナキンがダース・ベイダーになることは確定している。ならば、どのように暗黒面に堕ちていくのか。ルーカスはその答えを“愛”に求めた。より正確に言えば、愛を失うという恐れに求めた。素人の精神分析学的に言えば、ルーカスはマーシアの愛の喪失により、自らが暗黒卿になってしまった。そして巨万の富を築き、帝国とすら呼べる企業を作り上げてしまった。ジェダイ評議会とは、彼のような異端の映画製作者を認めようとしない既存のハリウッドの映画製作システム全体を象徴していたのだろう。

 

アナキンとドゥークー伯爵のリマッチ、オビ=ワンとグリーヴァス将軍のライトセーバー・バトルなど序盤から大チャンバラ活劇である。おとぎ話に政治的な要素は不要である。本作はとにかくバッタバッタとライトセーバーで敵も味方も斬っていくストーリーを堪能すべしである。孤高のオビ=ワンと孤独なアナキンのコントラストが映えるし、二人の“Duel of the Fate”は、映画史(邦画除く)においては屈指のチャンバラ劇に仕上がっている。同時進行するヨーダと皇帝パルパティーンのライトセーバー・バトルとフォース・バトルも見応えは十分だ。

 

本作は当時、戸田奈津子の珍妙な訳に首を傾げたのを覚えている。オビ=ワンの“So uncivilized.”が「掃除が必要だ」だったり、アナキンの“He must live!”が「お慈悲を!」だったりと、色々と映画の外側のことも覚えている。それでも、全てのバトルが決着し、最後にパドメがルークとレイアを出産、そのルークがタトゥイーンのオーウェン夫妻に引き取られていくシーンでは身震いしたことは、まるで昨日のことのように覚えている。このPrequel Trilogyは、この瞬間のためだけに存在したと言っても過言ではない。

 

『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』

 

スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 80点
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー ハリソン・フォード キャリー・フィッシャー ジョン・ボイエガ オスカー・アイザック
監督:J・J・エイブラムス

 

まさかの続編。しかも、『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』の30年後の世界。公開時、劇場で7回観た。ブルーレイを入手後に、確か5回観た。実質的に『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』をフェミニスト・セオリーに則して脱・構築し、再構築したリメイクと言っていい。それだけに、おとぎ話として雰囲気を全編にふんだんに湛えている。

 

劇場が暗転し、20世紀FOXのロゴとファンファーレはなかったものの、

 

A long time ago in a galaxy far,

               far away….

 

が表示され、画面にジョン・ウィリアムズのあのテーマ曲とともに

 

   STAR   

   WARS   

 

の文字が表示された時、一気に『 スター・ウォーズ 』の世界に引き込まれた。劇場に何度も足を運んだのは、ほとんど全部この瞬間のためだった。初期三部作を劇場でリアルタイムに鑑賞できなかった世代であるJovianは、プリクェル・トリロジー、特に『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』には心底がっかりさせられた。その時の落胆の気持ちを、本作は忘れさせてくれた。いや、薄めてくれたと言うべきか。いずれにせよ、傷がかなり癒されたのは間違いない。

 

本作制作および公開の報が流れた時、最初のトレーラーを観た。砂漠の背景に、『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』を想起した。そして第二弾のトレーラーの最後で、ハン・ソロがチューバッカに “Chewie, we’re home.” と呟くシーンに接して、文字通り鳥肌が立った。ハリソン・フォードの老け具合、つまり現実世界の時間の流れが、スター・ウォーズ世界の時間の流れと一致したように感じられた。あのおとぎ話の世界が延長され、拡張されたように感じられたのだ。ハン・ソロの言う ”We’re home.” とは、我々ファンの心の声を代弁したものだった。我が家に帰ってきたのは、ハン・ソロとチューバッカだけではなかった。

 

ストーリーは全くもって陳腐である。『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』の焼き直しだからである。メッセージを携えたドロイドが、砂漠を漂流。ここではないどこかへの脱出を夢想する少年・・・ではなく、今回は少女と出会い、そこから宇宙を駆ける大冒険が始まるからである。少し違うのは、オリジナルのスター・ウォーズにはオビ=ワンという師匠が存在したが、本作は伝説となったルーク・スカイウォーカーを探し求める筋書きである。それが心地好い。ルークとレイアとハン・ソロとミレニアム・ファルコン号と魅力的なドロイドたちあってこそのスター・ウォーズだからである。特にルークである。

 

本作でハン・ソロという映画史上屈指のヒーロー・キャラクターが退場してしまった。Jovianは落涙を禁じ得なかった。キャリー・フィッシャーの訃報が届いたのは、本作公開の約一年後。戦う女性の元祖が逝ってしまった。

 

それでもデイジー・リドリーとアダム・ドライバーは、伝説を見事に継承したと思う。完結する前からそう断言させてもらう。この二人の光と闇の戦いに胸踊らされないファンもいるようだが、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々である。

 

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』

 

スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 75点
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ジョン・ボイエガ オスカー・アイザック
監督:ライアン・ジョンソン

 

遂に巡り合えたルーク・スカイウォーカー。しかし、彼は初登場時のヨーダのような世捨て人だった・・・。ユーモアなのかギャグなのか、よく分からない雰囲気が全編を覆っている。それもライアン・ジョンソン監督なりの深い考えがあってのことだろう。ミディ=ファッキン=クロリアンのような、世界観そのものをぶち壊す概念やガジェットでない限り、Jovianは何でも歓迎したいと思っている。それがレイア姫=オーガナ将軍が宇宙空間でスーパーマン化して復活することでも、宇宙空間を超えて交信することでも何でも良い。

 

レイとレンがタッグを組んで、スノークの親衛隊と戦うシーンを劇場で初めて観た時には脳汁が出た。ベイダーがパルパティーンに叛逆して、ルークを救ったシーンを思い出したからだ。『 ジェダイの帰還 』とは、ルークではなくアナキンのことだった。今作は基本的に『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』と『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のマッシュアップなのだから、一瞬ではあってもそのように夢想したファンは世界中で数百万人はいたはずである。

 

本作と『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』によって、超光速航法それ自体が武器になるという新しいアイデアが提起された。『 銀河英雄伝説 』以来、宇宙空間での戦闘はレーザービームを旨とすべしという不文律に、明確に反している。が、それも時代の流れだろう。

 

クライマックスでルークが夕陽を浴びて、ウォーカーの大軍と対峙するシーンは鳥肌モノである。そして最後の最後にルークが二つの太陽の夕焼けを眺めて消えていくシーンでは、不安と期待の入り混じった予感を残した。ヨーダが本作で登場したことは、何らかの布石になるはずである。

 

エンドクレジットの途中の、

 

In Loving Memory of our Princess

CARRIE FISHER

 

という文字が画面に現れ、壮大なシンフォニーに一瞬、“愛のテーマ”のメロディが挿入された瞬間、劇場で滂沱の涙が流れた。自分でも心底アホだと思うが、劇場で8回観て、8回同じタイミングで泣いた。

 

ランキング

 

1位 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望

2位 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還

3位 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲

4位 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒

5位 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐

6位 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ

7位 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃

8位 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス

 

総評

『 スター・ウォーズ 』の分析や考察をすることに意味はあるだろうか。自分のアイデンティティ形成にこの物語がどれくらい関わっているのかを考えることには意味がある。しかし、このサーガが歴史や世界に与えたインパクトについては、学者や業界人、筋金入りのファンが既に微に入り細を穿って論じている。興味のある向きは『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』というドキュメンタリーを観るべし。もしくは『 ファンボーイズ 』も良いだろう。キャリー・フィッシャーに出会えるからだ。2015年、余命幾ばくもないファンが特別に『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』を劇場公開前に観ることができたというニュースがあった。そして今年、2019年にもほとんど同じニュースが報じられ、実際に『 スター・ウォーズ エピソード9/スカイウォーカーの夜明け 』を末期がん患者が観たという。粋なことである。観ずに死ねるか、という映画はなかなかない。それがこの物語のパワーである。

 

“スカイウォーカーの夜明け”は英語では“The Rise of Skywalker”である。スカイウォーカーが人名である以上、夜明けという訳語の選定には少々違和感が残る。この三部作におけるスカイウォーカーとは誰か。普通に考えればルークだが、カイロ・レンも母レイアからスカイウォーカーの血を受け継いでいる。アナキンが最後の最後にジェダイとして帰還したように、カイロ・レンも暗黒面から光に帰ってくることが予感される。それをありきたりと見るか、それとも王道と見るかは人によるだろう。またはルークがフォース・ゴーストとして“復活”することも考えられる。前作でヨーダが登場したことには何らかの意味が絶対にあるはずだ。パルパティーンが復活するからには、アナキンやオビ=ワンが復活しても良いように思える。

 

Jovianは英語教師の端くれでもあるので、自分でも色々と訳してみたくなる。

 

『 スカイウォーカーの復活 』

『 スカイウォーカーの再臨 』

『 スカイウォーカーの再誕 』

『 スカイウォーカーの再生 』

『 スカイウォーカーの目覚め 』

 

・・・・・・どれもこれもイマイチである。とりあえず、金曜の朝イチに観に行く。できれば土日にもう1~2回は劇場鑑賞したいと思っている。少年時代にもう一度戻れるのか。おとぎ話の世界に浸れるのか。完結作の公開を楽しみに待ちたい。

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『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』 -お下劣面白フランス映画-

Posted on 2019年12月16日2020年4月20日 by cool-jupiter

シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 80点
2019年12月15日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:フィリップ・ラショー エロディ・フォンタン
監督:フィリップ・ラショー

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よくよく思い返してみれば、週刊少年漫画誌で平気で「もっこり」や「君と一発やりたい」などのネタがよく掲載OKになっていたものだ。『 シティーハンター 』や『 ジャングルの王者ターちゃん 』、『 BASTARD!! -暗黒の破壊神- 』などは当時の少年たち(自分含む)に強烈なイメージを植え付けていた。そうしたかつての少年たちをデモグラフィックにした作品の中でも、本作は出色の出来である。フランス映画界、恐るべしである。

 

あらすじ

シティーハンターのリョウ(フィリップ・ラショー)は裏の世界の凄腕ガンマンとして、相棒のカオリと共に数々の依頼を請け負っていた。ある時、究極の惚れ薬である「キューピッドの香水」が奪われた。その香りを嗅いでいたカオリやその他の者たちは48時間以内に解毒剤を服用できるのか・・・

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ポジティブ・サイド

作り手の原作に対する愛とリスペクトがスクリーンから直接伝わってくる。脚本・監督・主演の全てを務めたフィリップ・ラショーは漫画『 シティーハンター 』を再解釈するのではなく、“再現”することを試みた。そして見事に成功した。フランス人がリョウやカオリを演じているのに違和感を覚えない。これはすごいことである。

 

まずオープニングからして親切だ。というのも、シティーハンターとは誰で、どんな仕事をしているのかを一切説明することなく物語が始まるからである。この作品を観に来る人を作り手が最初からスクリーニングしている。これが心地好い。たとえば『 アメイジング・スパイダーマン 』でピーターがクモに咬まれるシークエンスや『 バットマン・ビギンズ 』でブルースの両親が強盗に殺されるシークエンスなどは、正直なところ多くのファンが「ああ、このシーン要らないよね・・・みんな知ってるし」と感じていたはずである。本作は、当たり前のように『 シティーハンター 』の世界に入って行ける。招かれるのではなく、いきなりその世界に存在している。そんなオープニング・シークエンスが待っている。

 

その冒頭のアクション・シーンも、映画ではなく漫画である。『 アクアマン 』も漫画的だったが、本作は漫画そのものである。まず、モザイクの代わりにジャンプのあのカラスがそのまま使われている。何のことか分からない人は残念ながら本作の対象外だ。何のことか分かる人は、一刻も早く劇場へGo!!!である。そして本来ならば緊迫感溢れるバトルのはずが、非常にユーモラスで、それでいてサスペンスフルでありスリリングでもある。そんな人は少数派だろうと思われるが、たとえシティーハンターを全く知らないままに劇場に来た人でさえ、冒頭の10分で冴場リョウというキャラクターが理解できる。このオープニングの疾走感とユーモアは『 デッドプール 』のそれに匹敵する。

 

ストーリーの要所をアクションで語るのも良い。話の展開はシンプルそのもので、ヤバい惚れ薬を、それを濫用している男から取り戻すということである。惚れ薬が使われる一方で、リョウたちはアクションを見せてくれて、その配分が適切だ。また、非常に珍しいPOV視点の格闘シーンがあり、『 ALI アリ 』や『 クリード 炎の宿敵 』などのボクシング映画の試合シーンで使われることはあっても、その他ジャンルではあまり見ない撮影技法である。このシーンのhand to hand combatと狙撃のシーンはかなり楽しかった。

 

終盤のド派手ファイトとガンアクションも『 マトリックス 』に迫る出来である。この場面ですら容赦のないギャグが放り込まれ、シリアスな展開にもかかわらず漫画世界にいるという安心感すら漂う。そして、この原作へのリスペクト溢れる漫画世界にいるという安心感を、ぶち壊しながらも確保するという離れ業のクライマックス。漫画を映像化しているのに、これほど漫画に見えてしまうのは何故なのか。実写であるにも関わらず、まるでアニメーションのようにすら感じてしまうのは何故なのか。その絶妙な仕掛けは、ぜひ劇場で自身の目でお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

大きく不満と言えるものは二つだけ。

 

一つは、リョウの「もっこり」シーンがなかったこと。といってもベッドシーンやラブシーンというわけではなく、下半身を隆起させる一コマがなかったということ。編集でカットされたのだろうか。

 

もう一つは、原作で最高の名場面である「ガラス越しのキス」がなかったことである。話の流れやエンディング直前のとある台詞のためにも、原作そのままに再現することが難しいのは理解できる。しかし、それを何とか実現する脚本は書けなかったものか。

 

総評

『 シティーハンター 』愛に満ちた作品である。のみならず亀仙人にしか見えないおじいさんや、『 らんま1/2 』ネタ、『 キャプテン翼 』や『 聖戦士星矢 』のネタなど、ジャンプ漫画へのオマージュも多数ある。30代後半以上でこれらの漫画をリアルタイムで楽しんでいた人には、チケット代と2時間という時間の投資を惜しむ理由は何もない。事実、Jovianは行こう行こうと思いながらも、チケット予約でいつも後手に回り、嫁さんと二人並んで座れる席の確保に苦労した。そして、実際の劇場も40歳前後か、それ以上のカップルがマジョリティだった。原作ファンならば本作を見逃してはならない。

 

Jovian先生のワンポイント仏会話レッスン

Je t’aime

挿入歌で繰り返しこのセンテンスが聞こえてきた。“I love you.”の意であることはよく知られている。Je t’aime, je t’aime, je t’aime comme ca.のように聞こえたが、だとすればI love you, I love you, I love you like this.の意である。知っている言葉ならリスニングはたやすい。逆に言えば、リスニングできなければ、まだ理解できていないということ。これはおそらくどんな言語を学習していても真理だろう。

 

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『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

Posted on 2019年12月15日2019年12月19日 by cool-jupiter
『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

KESARI ケサリ 21人の勇者たち 65点
2019年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アクシャイ・クマール
監督:アヌラーグ・シン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191215125349j:plain

インド映画を鑑賞する時、たまには頭を空っぽにして『 バーフバリ 』のようなアクションを楽しんでみたいと思う。なので近所のTSUTAYAで本作をピックアウト。真面目に鑑賞してもそれなりに面白く、アクションだけに注目しても、まあまあ面白い作品であった。

 

あらすじ

1897年、英国領インドの北方、パキスタンとアフガニスタンとの国境地帯。イシャル・シン(アクシャイ・クマール)はイスラム教徒パシュトゥーン人の女性への蛮行を見逃せず、命令違反を犯してその女性を救う。そのため僻地の通信基地、サラガリ砦に左遷されてしまう。そこには通信兵21名と調理人1名のみが配属されていた。一方で、パシュトゥーン人は他部族と連合を組み、1万人規模でのインド侵攻を目論んでいて・・・

 

ポジティブ・サイド

21対10,000という荒唐無稽な史実の戦闘に目をつけたのは面白い。日本で言うならば桶狭間の戦いや立花道雪vs島津および北九州豪族連合軍、それらよりもさらに酷い数的不利での戦いである。つまり結末は見えている。後はどう料理するかである。その意味では、いくらでもドラマチックな演出を施すことができる。本作はボリウッドらしく、荒唐無稽なバトルアクションを練り上げた。

 

まず、砦に立てこもる。当たり前である。そして手当たり次第に迫り来る敵を撃つ。戦略も戦術も作戦も、この規模の数的不利では意味を成さない。撃って撃って撃ちまくるしかない。下手に小賢しい作戦を用いない分、シク教徒の矜持が素直に表れていて分かりやすい。パシュトゥーン人も、作戦らしい作戦もなく烏合の衆が、バタバタと倒れていく。アホである。痛快である。まるで『 スター・ウォーズ 』世界のトルーパーの如しである。それでも彼我の戦力差はいかんともしがたく、ついに門扉は破られる。

 

あの時代、あの地域では近接戦闘では銃器を使わないという暗黙のルールがあるのか、ここからは手持ちの獲物でのバトル・シークエンスに突入する。ここでのアクシャイ・クマール演じるイシャル・シンのアクションは、『 マトリックス 』的であり、ゲームの『 三国無双 』や『 戦国無双 』的であり、韓国映画的でもある。特に高くジャンプしてからの回転切りは韓国ドラマや韓国映画で何千何万回と見たアクションである。これについては、 

1.韓国映画がインド映画を真似ている
2.インド映画が韓国映画を真似ている
3.コレオグラファーが共通の学びの土台を持っている
4.偶然の一致である

などが考えられる。インド人の一番の留学先はやはり英国らしいが、韓国人はソウル大学以外のどこで映画や演劇を学ぶのだろうか。それともソウル大学の教授陣が英国などで学んだ背景があるのだろうか。本作を観ながら、そのような比較文化論も考えてしまった。つまりは、日本のゲームや韓国映画的なデタラメなパワーを、インド映画もやはり持っているということである。『 散り椿 』や『 居眠り磐音 』のような、正統的な剣術も悪くないが、『るろうに剣心 京都大火編 』の左之助vs安慈のようなクレイジーなバトルを邦画でもっと見てみたい。そんなふうにも思わされた。

 

イシャルの人間造形も良い。自らの信念を軍の規律よりも優先し、良き家庭人であり、良き地域人であり、厳しい上官であり、部下への思いやりも持ち合わせている。砦では仏頂面を通しているが、ユーモアを解する心もある。そして敵と味方を人道的に区別できる。つまりはヒーローなのである。これが『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』その人である。このような男になってみたい。

 

少人数で拠点に立てこもるというと、本能寺の変の際の二条城が思い出される。掘りもあって、武家御城とも称され、武器弾薬もたんまりあったであろう二条城に500人が籠城したにもかかわらず、明智勢1万数千の前に一時間で陥落させられたという史実(?)のシミュレーションを本作を通じて行ってみるのも面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

中盤から終盤にかけてのバトルシーンに比して、序盤のイシャルとパシュトゥーン人との闘いは迫力を欠いていた。冒頭の非常に説明的なナレーションと図示的な映像から、さらにインド、ロシア、英連邦なども絡んでの国際情勢と国境の云々を語って、いきなり観る側の眠気を誘うのだから、それを吹っ飛ばすだけの迫力を伴ったアクションが欲しかった。正直なところ、この冒頭のバトルでは近接での殴り合いやチャンバラにスピードやパワーが不足していた。

 

終盤のバトルでも、いくつか不自然な編集が目に付いた。最も残念だったのは背中から出血しているイシャルの格闘シーン。衣服にまだ赤い血がへばりついているショットと、土ぼこりや泥と混じり合った血が完全に乾いているショットが混在していた。デパルマ・タッチやブレット・タイムで撮影しているものだから、余計にそうしたおかしな点が目立つ。これは非常に大きな減点材料である。

 

イシャルは倒れた敵兵は敵兵ではないという慈悲の哲学に忠実であり、ジュネーブ条約の定める傷病者取り扱いの体現者でもある。その一方で、捕虜の取り扱いに関して信じられないほど非人道的な行為も行っている。これは史実なのだろうか。それとも映画オリジナルの演出なのだろうか。いずれにしろ、Jovianはこれを見て『 ハクソー・リッジ 』のデズモンドと日本兵を思い起こした。いくら戦争とはいえ、やってはいけないこともあるはずだ。これによってイシャルのヒロイズムがいくぶん弱められている。

 

21人の兵士が勲章を贈られ、顕彰されたのは当然であるが、サラガリの戦いの英語版のWikipedia記事によると、one civilian employeeがいたということである。これが料理長かどうかの記述はなかったが、デズモンド・ドス的な活躍を見せた彼にも、エンドクレジットで何らかの言及が欲しかった。

 

総評

インドという国の中だけでも複数の民族、複数の言語、複数の宗教が混在しているのに、そこに更に植民地と属国の関係と他国の他部族、他宗教勢力、さらに国境線も絡めたストーリーというのは、極東の島国の我々にはもはり理解不能である。史実や国際政治、紛争史を学ぼうなどという心構えは一切不要である。単純にボリウッドアクションを楽しむか、という気持ちで鑑賞するのが正しい態度である。これは英雄譚であって、ドキュメンタリー的な何かを期待してはいけない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Cock-a-doodle-doo.

鶏の鳴き声、コケッコッコーの英語である。ここからcookという動詞を聴きとるのは、確かに難しいことではない。Cookという動詞とバトルに無理やり関連を見出すなら、俳優のドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンのWWE(WWFと言うべきか)の“If you smell what the Rock is cooking!”を知っていれば、アメリカのオールドプロレスファンと話す時に盛り上がれるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクシャイ・クマール, アクション, インド, 歴史, 監督:アヌラーグ・シン, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

『 屍人荘の殺人(映画) 』 -原作をさらにライトに仕上げた映像作品-

Posted on 2019年12月15日2020年4月20日 by cool-jupiter

屍人荘の殺人 50点
2019年12月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:神木隆之介 浜辺美波 中村倫也
監督:木村ひさし

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『 屍人荘の殺人(小説) 』の映画化である。しかし、原作小説の忠実な映像化ではなく、一応ちょっとした変化を織り交ぜている。なので原作を読んだ人も、興味があれば映画館に足を運んでもよいだろう。それなりに面白い出来に仕上がっている。

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あらすじ

大学のミステリ愛好会の明智恭介(中村倫也)と葉村譲(神木隆之介)は、同じ大学の探偵少女・剣崎比留子(浜辺美波)の誘いで、ロックフェス研究会の夏合宿に参加することとなった。宿泊先は紫湛荘。しかし、その別荘が屍人荘に変貌。外部の人間も数人交えて閉じこもるメンバーたち。そこで密室殺人が起きてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

『 センセイ君主 』で強く感じたことだが、浜辺美波の真骨頂はコメディエンヌを演じることかもしれない。本作でも非常に理知的な探偵を演じながらも、本質的には普通のお茶目なところもある女子大生になれていた。

 

中村倫也は顔芸で、神木隆之介も心の声でコメディを盛り上げる。特にサノスばりの指パッチンは明智恭介というキャラの切れ者ぶりと間抜けっぷりの両方を描き出す効果的な演出となった。言わずと知れた明智小五郎の明智の名前を冠しているだけあり、高等遊民の雰囲気を醸し出している。そしてワトソン役の葉村は、心の声がダダ漏れの、ある意味では非常に等身大のミステリ愛好会員であった。ミステリの世界に浸り過ぎたせいで、可愛いあの子との距離の縮め方が分からないという、『 桐島、部活やめるってよ 』で橋本愛にドギマギしていたあの姿が思い起こされた。

 

原作小説からのキャラも、映画オリジナルのキャラも、本作ではとにかくユーモアを前面に押し出している。それはやはりとある「舞台装置」とのバランスの為なのだが、それが効果的に機能している要因に、昨年公開の邦画『 カメラを止めるな! 』が挙げられる。また韓国映画の『新感染 ファイナル・エクスプレス 』や『 ゾンビランド:ダブルタップ 』など、このジャンルは常に新しいアイデアが投入されるものだ。ここでもどういうわけか、とあるプロレスラーが参戦してくる。非常に滑稽であり、恐怖でもある。その比率は9:1で、もちろん滑稽が9で恐怖が1である。そこかしこで笑えるのが本作の大いなる特徴である。

 

グロいはずの描写もレントゲン写真的に処理され、グロ耐性の無い人への配慮がされている。これはありがたい。おかげでデートムービーに使うこともできる。推理を楽しみたいという向きにも、それなりにフェアな材料提示がされている。ライトなミステリ好きにとってもそこそこ楽しめるように作られている。

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ネガティブ・サイド

原作小説もそうであったが、ハードコアなミステリファンを唸らせるような出来にはなっていない。序盤でこれ見よがしに、とある人物の不在をアピールしたり、マスターキーを濫用したりと、少々過剰サービスとも思える描写や演出が気になった。また原作にはない明智の台詞、「事件はまだ起きてはいないが、犯人は分かった」という台詞は、原作を読んだ者にとっては完全なるノイズである。原作未読者でも、すれっからしの人であれば、すぐにピンと来たことだろう。ライトなファンへの配慮かもしれないが、ハードなファンには雑音である。このあたりのバランス感覚にもう少し敏感になることが木村ひさし監督には求められる。

 

また、ギャグの面で滑っているものもあった。「迷宮太郎」はその最たるものだろう。キャラクターにしても、原作ではマニアか学者かというキャラが、映画では『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』を鑑賞しながらニヤニヤしているだけ。また、このキャラの分析によって推理が進み、またサスペンスも生まれるのだが、そうした要素をほぼ全カット。ユーモアを前面に押し出してきたのは、サスペンス路線を放棄したからだという見方も成り立つ。事実、本作の「舞台装置」に対してのキャラクター達の対策はお粗末もいいところである。

 

また映画オリジナルの要素に関しては、現実的な感覚が欠けている。一番に思うのは、「スマホの画面ロックをしないのか?」である。この映画の一番の客層あたりは、この点だけで真相はともかくも犯人を当ててしまってもおかしくない。

 

原作にあったちょっとしたお色気どぎまぎ要素をキスに置き換えているにもかかわらず、肝心のキスシーンもなし。そこは比留子に大真面目な顔で『 覚悟はいいかそこの女子。 』の小池徹平と同じで投げキッスさせれば良かったのだ。そういうサービスシーンすら思いつかなかったのか。

 

最終盤に明智と比留子が再対決。そんなアホな。原作のマイナス要素だったシリーズ化への野望が、映画本編ではかなり薄まっていたにもかかわらず、ここでそれをやるか?しかも、自分が葉村ならば、この展開で比留子についていこうとは決して思わないだろう。続編(『魔眼の匣の殺人 』)も映画化するなら、少なくとも監督は変えてもらいたい。

 

総評 

浜辺と神木の掛け合いを楽しむ作品である。推理についてはライトなファン向け、○○○要素についてもライトなファン(このジャンルにそんな層が存在するのか疑問だが)向け。結局のところ、高校生や大学生カップルが一番の客層になるだろうか。悪い作品ではない。しかし手放しで褒められる作品でもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Awesome!

劇中の「すごい!」である。ただし、Awesomeは「すごい」、「素晴らしい」といった意味以外にも、リアクションで使われることも多い。

A: Can you get this job done by the end of the day?

B: Sure. No problem.

A: Awesome.

などのようにも使える。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, コメディ, ミステリ, 中村倫也, 日本, 浜辺美波, 監督:木村ひさし, 神木隆之介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 屍人荘の殺人(映画) 』 -原作をさらにライトに仕上げた映像作品-

『 ひとよ 』 -家族の崩壊と再生の物語-

Posted on 2019年12月13日2020年4月20日 by cool-jupiter

ひとよ 75点
2019年12月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:田中裕子 鈴木亮平 佐藤健 松岡茉優
監督:白石和彌

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『 凶悪 』や『 彼女がその名を知らない鳥たち 』、『 孤狼の血 』など、作品ごとに日常と非日常の境目(それは多くの場合、犯罪である)を描いてきた白石和彌監督であるが、今作では家族と非家族、あるいは家族と疑似家族の境目を映し出そうとしている。やっと劇場鑑賞できたが、なかなかに刺激的な作品であった。

 

あらすじ

稲村こはる(田中裕子)は、家族に暴力を振るう夫を自身のタクシーで轢き殺し、刑務所へ。残された長男の大樹(鈴木亮平)、次男の雄二(佐藤健)、長女の園子(松岡茉優)はDVから解放されたが、周囲の偏見と圧力に耐えて生きてきた。そして15年。その母が帰ってきた。子どもたちは母の受け入れに戸惑い・・・

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ポジティブ・サイド

日本の少子化の背景には、生涯未婚率の上昇がある。さらに離婚率も33%ほどもあるそうだ。つまり、家族が新しく生み出される機会そのものが減少し、なおかつ家族の崩壊(というと少しドラマチック過ぎるか)も進行中ということである。また乳幼児の虐待のニュースも定期的にメディアをにぎわせる。家族観は確実に変化しつつある。本作はその点を改めて問い直している。

 

罪を憎んで人を憎まずと言うが、このようなことわざが存在するということは、取りも直さず我々は罪を憎んで人をも憎むことが往々にしてあることを示唆している。警句が存在するのは、そうすることが望ましくとも、そうすることが難しいからである。罪を犯した人間だけではなく、その親類縁者まで攻撃するのは東北アジア、特に日本の地方に根強く残る慣習のようである。そのことは『 影踏み 』でも描かれていたし、今作でも同様である。奇しくもどちらも“北”関東。東京の人間に言わせれば、“南”東北である。

 

家族の一員の犯した罪のせいで、残された家族が被る被害は誰の責になるのか。一度そのようにして壊れた家族は再生可能なのか。そのような家族の出の者は幸せな家族を作ることができるのか。この点は『 友罪 』でも問われていた。Jovianは家族が殺人者でも、その家族の一員には新たな家庭を築く権利はあると考える。同じ轍は踏まないとの決意があることが条件になると思うが。本作では鈴木亮平演じる長男・大樹が、この問いに真正面からぶつかった。その中盤のシークエンスは、人によっては怒りに震え、人によっては悲痛の涙を流すことだろう。Jovianは大樹の言動に怒りを覚えた。Jovianの隣に座っておられたシニアの女性の方々は嗚咽を漏らしておられた。家族というものは難しい。それが呪縛になることがあるからである。

 

子どもたちの中で、しかし、最も印象に残ったのは松岡茉優の園子である。ひたすらにネガティブな兄二人とは対照的に、帰ってきた母に愛情を与える。『 “隠れビッチ”やってました。 』よりも、よほど健全なビッチになっていたが、それによりDVの父親に育てられると何故かDV男に惹かれてしまうという因果を上手く表現できていた。『 スリー・ビルボード 』のミルドレッド並みの口の悪さでありながら、そのうちに秘めた愛情への狂おしいまでの飢餓は、個人的には本作のハイライトだった。園子の胎内回帰願望が成就するシーンで、不覚にもJovianは涙した。

 

田中裕子は遂に『 二十四の瞳 』を超えたのかもしれない。TVドラマ『 おしん 』をリアルタイムで鑑賞していない世代としては、この御方はどちらかというと縁の下の力持ち的な役者だった。だが、ここにきて遂に代表作を送り出してきたと言える。まるで『 セッション 』のJ・K・シモンズのようである。酸いも甘いも噛み分けた、ではなく酸いしか噛みしめてこなかったような女性。その弱さと強さを同居させた圧倒的な存在感は、邦画もまだまだ捨てたものではないと思わせてくれた。

 

また、今作の子役たちの演技も堂に入ったものである。少女漫画の映画化に出てくるアイドル的な役者とは違い、しっかりとした演技になっている。このような子役らをしっかり育てていかないと、韓国映画やインド映画には勝てない。業界は頑張って欲しい。

 

ネガティブ・サイド

雄二の言う「飯のネタ」とは何なのだ。「飯の種」ではないのか。エロ本の記者でも、それぐらい語彙は正しく使ってほしいと思うが、小説家志望だという。それでこの誤用は戴けない。喝である。だが、直近でも『 屍人荘の殺人(小説) 』でも「断然」と「俄然」が堂々と間違えられていたりするので、日本語の乱れはいよいよ激しくなり過ぎて、もはや誤用が誤用ではなくなっているのかもしれない。憂うべきことである。

 

また、序盤にタクシーのルーフ視点でのショットがあったが、これはなかなか新鮮だった。惜しむらくは、終盤のアクションシーンでも、このようないつもと異なる視点からの撮影ではなかったことだ。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 』でも、時速100km/h超の機関車走行を、線路下から見上げるようなショットで、スピードを上手くごまかすシーンがあった。最後のシーンはおそらく時速10数キロといったところだろう。運転席や車内からの視点だと、スピードの見当が一瞬でついてしまう。別視点、別角度からの撮影はできなかったのかだろうか。やや興醒めするシーンでもあった。また、個々のタクシーと本部の無線の使い方が非常に巧みだったが、最後の韓英恵こそ、無線をちゃんと使ってほしかった。そこからでも三兄弟出撃という流れは作れたはずである。

 

総評

白石監督は、家族というものに今作はとことんこだわったようである。泣く泣く割愛させてもらったが、筒井真理子や佐々木蔵之介のキャラクターにも、現代社会の闇が宿っている。決してハッピーエンドではないが、しかし重く苦しい空気の中にも希望が見出せる作品である。今年の邦画の中ではトップテンに入るだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

And you’re a fucking part of it!

佐藤健がいう「外から見てみろ、この家族、狂ってんぞ」に対して松岡茉優が「テメーもその一人だよ!」と返す台詞の私訳である。日本語には多種多様な一人称(わたし、僕、吾輩、拙者、小生etc)や二人称(あなた、きみ、貴様etc)が存在するが、英語にはRoyaltyを除けば、IとYouしか存在しない。「テメー」という強い意味を出すには、上のようなFワードが最適解である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 佐藤健, 日本, 松岡茉優, 田中裕子, 監督:白石和彌, 配給会社:日活, 鈴木亮平Leave a Comment on 『 ひとよ 』 -家族の崩壊と再生の物語-

『 屍人荘の殺人(小説) 』 -ホワイダニットの秀作-

Posted on 2019年12月12日2019年12月15日 by cool-jupiter

屍人荘の殺人 65点
2019年12月9日~11日にかけて読了
著者:今村昌弘
発行元:東京創元社

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JovianはCinephileでもあるが、同じくbibliophileでもある。『 ゴジラ映画考および私的ランキング 』でも触れたが、Jovianの本好きの始まりは江戸川乱歩の『 少年探偵団 』シリーズである。それ以来、読む本のおそらく7~8割はミステリか、ミステリ色の強いサスペンスやホラーであった。仕事をするようになると、いつの間にか活字のエンターテインメントから離れてしまったが、それでも細々とミステリは読んでいた。そこに映画化もされる本作である。たまには書評も悪くないだろう。

 

あらすじ

大学のミステリ愛好会の葉村譲と明智恭介は、同じ大学の探偵少女・剣崎比留子とともに、映研の夏合宿に参加することとなった。宿泊先は紫湛荘。しかし、その別荘が屍人荘に変貌。閉じめられるメンバーたち。そこで密室殺人が起きてしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191212184217j:plain

 

ポジティブ・サイド

ミステリというのは、ふたつの意味で非常に難しいジャンルである。ひとつには、「理論的に実行可能」な犯罪トリックと「実際に実行可能」な犯罪トリックの境界線を、意図的に分かりにくくしなければならないからである。この分野で個人的に大失敗したのは小説およびTVドラマの『 謎解きはディナーのあとで 』だろう。北川景子の穴だらけの推理を、櫻井翔が「おそらく、こういうことでございましょう」と訂正していくが、その推理も完全に穴だらけ、というよりも、理論的に可能であっても、実際にそれをするのは不可能という類のものだった。Jovianはキャラものミステリも嫌いではない。だが、アホな推理しかできないミステリは断固お断りである。

 

ミステリが困難になりつつあるもう一つの理由は、テクノロジーの進化である。それこそジョン・ディクソン・カーやヴァン・ダイン、江戸川乱歩の時代であれば、機械的に成立する密室や殺人トリックが受け入れられた。そうした機械的なトリックが技術の進展により陳腐化していくと、クローズド・サークル(吹雪の山荘や絶海の孤島など)が舞台に設定されるようになった。それも携帯電話の普及により過去の遺物となったら、次には心理的な密室が作られるようになった。だが、それも「動機は○○です。なぜなら犯人はサイコパスだからです」式の異常心理ものと共に消えて行った。「心理的に~~~である」という説明は、当時は新鮮で説得力もあったが、今では単なるご都合主義である。

 

『 屍人荘の殺人 』は、その舞台設定の巧みさと、技術の進歩によって陳腐化してしまわないプロットで成り立っている。見事な作品である。また本作は、探偵役の剣崎比留子も言う通り、フーダニットやハウダニットではなく、ホワイダニットが謎の焦点となる。そして、その「何故?」という問いの対象と、真相はなかなかに意表を突くものであった。とはいうものの、ある特定のジャンルに詳しいマニア(それは作中にも登場する)で、なおかつnecrophile(念のため白字にしているが、それでも見たいという方は意味は自己責任で調べて欲しい)な人なら、案外あっさりとこの「ホワイ?」の答えにたどり着ける、もしくは思い当たるかもしれない。それでもこの真相の衝撃が薄まることは少しもないだろうが。

 

大学生とひよっこ社会人たちの集まり、つまり警察や特定の職業人が出てこないので、視点が常に一般的である。つまり読みやすい。イージー・リーディングである。またキャラの語り口も軽妙で、しばしば衒学的になってしまうJovianも、このような書き方をせねばならないと反省を促される。島田荘司ばりの本格推理のファンも、浦賀和宏のようなジャンル横断的な変則ミステリファンも満足させるような、新時代の本格推理小説に仕上がっている。綾辻行人の『 館 』シリーズのファンなら、必読と言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド

「俄然、うどん」という謎の日本語には参った。「断然、うどん」の間違いだと思われるが、著者のみならず編集者や校正担当も気がつかなかったと言うのか。日本人の国語力低下が叫ばれているが、出版に携わる方々にはもっとプロフェッショナリズムを以って仕事をしてもらいたい。

 

最初からシリーズ化を狙っていたとしか思えない比留子のキャラ造形はいかがなものか。特に文庫の110ページの11~12行目、258ページの8行目の描写は、いたいけな青少年読者に取り入ろうとしているのか。なお、映画で比留子を演じる浜辺美波は、小説版の比留子のこれらの部分の描写に合致しない。そのかわり、キス(本編では“ちゅー”となっている)で神木隆之介を籠絡しようというのか。どちらにせよ、こうした描写はラノベ向きであって、本格ミステリ向きではない。泉下のヴァン・ダイン師も呆れていることだろう。また、売れてきたら前日譚を書いてやろうという著者の魂胆が透けて見える。こうした描写はもっと控え目にできたはずである。

 

また、驚愕の真相に比して、トリックに少々弱点がある。密室を成立させるトリックがかなり手垢のついたものであるし、鍵開けトリックは『 影踏み 』のようなコソ泥の技だろう。それが実行可能であるということと、そのトリックをマスターして実地に行うことの間には大きな開きがある。なお、『 影踏み 』にこのような鍵開けトリックは出てこないので安心してほしい。

 

最後に、文庫版を買う人はカバーをじっと見つめてみよう。それによって、真相はまだしも、犯人が見えてくるはずである。これは出版社や作者の、犯人当てではなく、何故こうした犯行方法を採用したのかを当てる小説ですよ、というメッセージなのかもしれないが、もうちょっと異なるカバーにはできなかったのだろうかとも感じる。

 

総評

少しケチをつけてしまう部分もあるが、これは本邦ミステリの新境地かもしれない。古い革袋に新しい酒が入っている。小説も映画も、とある「舞台装置」の存在を明らかにしながらも明らかにしていない。これは賢い戦略である。これを明かしてしまうだけで、「うげっ、だったら読まねー、観ねえ」となる人間が一定数出てくるからである。しかし、そうした人こそ、映像よりも先に活字を味わうべきだろう。心底そう思う。同時に、本作の映画化への期待も膨らんできた。原作にはいないキャラクターが加えられており、一捻りしてあることが期待されているからである。また、また小説を読んだ人は、映画の主題歌に「ニヤリ」とすること請け合いである。日本映画界よ、少女漫画ばかりでなく、小説の映画化をもっと考えてくれたまえ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I will give you a smooch.

キスはkissである。ちゅーはsmoochである。give 人 a smoochで、「人にちゅーしてあげる」である。こうした会話を英語で出来るようになれば、英会話スクール卒業である。というか、英会話を教える側に回ってもよいだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, ミステリ, 日本, 発行元:東京創元社, 著者:今村昌弘Leave a Comment on 『 屍人荘の殺人(小説) 』 -ホワイダニットの秀作-

『 パターソン 』 -平凡な男の平凡な日々が輝く-

Posted on 2019年12月12日 by cool-jupiter

パターソン 75点
2019年12月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アダム・ドライバー ゴルシフテ・ファラハニ ネリー
監督:ジム・ジャームッシュ

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『 マリッジ・ストーリー 』が傑作だったので、アダム・ドライバー作品をさらに渉猟。こちらも良作。映画らしくない映画だが、そこが映画らしいと思えるのはエンターテイナーというよりはアーティストであるジャームッシュの持ち味か。

 

あらすじ

 

バスの運転手のパターソン(アダム・ドライバー)は愛妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)と愛犬マーヴィン(ネリー)と暮らしていた。バスの運転手と変わり映えのしない毎日を送るパターソン。しかし、彼は詩を読むことが日課だった。ある朝、ローラは双子を身ごもった夢の話を語る。その時からパターソンの目には街の様々な双子が映るようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

なんという平々凡々とした日々の繰り返しだろうか。それ自体は映画に限らず、様々な物語の導入部として充分に機能する。しかし、本作は最初から最後まで、ほとんどがパターソンの日常を描写するのみ。それが不思議な心地好さを生み出す。物語には事件がつきものである。そして、主人公は往々にして事件に巻き込まれるか、主人公の持つ背景がその事故の遠因になっているものだ。そうした映画的、物語的文法は本作には存在しない。まるで自分の日常であるかのように、彼の仕事ぶりや家庭人としての姿にリアリティが感じられる。パターソンという男の平穏無事な日常、そこにあるちょっとしたアクセントを存分に観察して堪能してほしい。

 

それにしてもアダム・ドライバーという男は稀有な存在である。大柄できわめて個性的な顔立ちをしていながらも、どんな役にもハマる。『 スター・ウォーズ 』でのカイロ・レンも良いし、『 ブラック・クランズマン 』での警察官役もクールにこなし、『 もしも君に恋したら。 』の悪友役も魅力的だった。本作でも、仕事をきっちりこなし、近所のバーで毎晩一杯やり、バーテンダーや常連客とちょっとした会話をし、妻を抱いて眠り、妻を抱きながら目覚め、白河夜船の妻にキスをする、そんな至って普通の男をこれ以上ないリアリティで演じた。まるで特徴のない男にすら思えるが、さにあらず。彼には詩人としての顔がある。Jovianには詩の何たるかを語る能力が不足しているので、例を二つ引きたい。漫画『 蒼天航路 』で夏侯惇が「こういう日にゃ詩才のないのが腹立たしくなる」とぼやくと、曹操が「続けろ、もう少しで詩になる」と促す。つまりはそういうことである。もう一つの例は詩人ジェームズ・ライトの“It goes without saying that a fine short poem can have the resonance and depth of an entire novel.”という言葉である。「洗練された短い詩一篇には小説一冊分の響きと深みが宿りうるということは言うまでもない」のである。パターソンが書きつける詩の言葉の一つひとつが、変わり映えしない日常の中のアクセントなのである。

 

妻ローラを演じたゴルシフテ・ファラハニもとても愛らしい雰囲気を醸し出している。手作りカップケーキがマーケットで売れたことで大喜びし、その臨時収入で夫とディナーをして白黒映画を観に行く。子どものいない夫婦であれば、特に珍しい光景ではない。しかし、そうした外出を心から喜び、楽しみ、夫に感謝し、人生を謳歌する様を見て、我々アホな男連中は「愛」という感情、そして「結婚」という因習の重みと意義を知るのである。『 ファウスト 』の「時よ止まれ、お前は美しい」ではないが、一つひとつの瞬間に有りがたみを感じられれば、それは素晴らしい人生であり、人間関係なのだ。フーテンの寅さんの言葉を借りれば、「なんて言うかなあ、ほら・・・、はあ、生まれきてよかったなって思うことが、なんべんかあるじゃない。ねえ、そのために人間、生きてんじゃないのか?」である。そうした心構えを実践し、こちらもそうした気分にさせてくれるローラは、妻の鑑である。

 

だが何と言っても、本作を最も輝かせているのはマーヴィンを演じたブルドッグのネリーである。TVドラマ『 まだ結婚できない男 』のタツオには悪いが、演技者としては月とすっぽんである。もちろん、ネリーが月でタツオがすっぽんである。それほど、この犬の演技は本作ではずば抜けている。終盤になって大事件を引き起こしてくれるが、そこに至るまでにも数々の名演技を披露する。特にイスの上から「何だ、テメー、この野郎」的にパターソンを見つめる様は、目の演技としては『 ジョーカー 』のJ・フェニックスに次ぐものであると感じた。

 

終盤、唐突に日本人が登場する。彼とパターソンが交わす言葉、彼がパターソンに贈るものの意味を考えてみよう。パターソンの生活は、一歩間違えればスティーブン・キングが『 ドリームキャッチャー 』で言うところの“SSDD, same shit, different day(日は変わっても同じクソ)”なのである。そうした日々が輝くのは何故か。それは彼が詩人だからである。なんと清々しい物語であることか!!!

 

ネガティブ・サイド

双子以外にも、カップケーキやギターなど、愛妻ローラの言葉を媒介に、パターソンが世界を観察する目を変えていく描写が欲しかったと思うのは贅沢だろうか。それは描かれなかった二週目、三週目の物語だろうか。

 

後は、パターソンがあまりにも普通の男過ぎて、映画に彩り、色が足りなかった。別の女性に話しかけてみたいという欲求があるのなら、それを試してみればよかったのだ。その上で、妻との会話や触れあいでしか得られない満足感や充足感があるのだということを、ほんのちょっと、本当に些細な出来事を通して描くことはできなかったか。しかし、このあたりの塩梅は実に難しい。それをひとつのイベントにしてしまうと物語世界全体のトーンが崩れる。かといって、そうした要素を極限まで排してしまうと観客が眠気を催す。だが、トライをしてみて欲しかったと思うのである。パターソンは、全ての平凡な男の象徴なのだから。

 

総評

アダム・ドライバーという役者のキャリア的には『 マリッジ・ストーリー 』と鮮やかなコントラストを成している作品である。どちらも傑作である。しかし、雨の日の室内デートでの鑑賞にはおそらく耐えられない。既婚で子どもなしという夫婦で鑑賞してみてほしい。いや、むしろTHE虎舞竜の『 ロード 』をカラオケで歌って、一人たそがれるようなオッサンにこそ観て欲しいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Speak of the devil.

「噂をすれば影」の意である。バーのとあるシーンで、女性が呟く一言である。ちなみに中国語では「说曹操,曹操就到」、「曹操の噂をすれば、曹操がやって来る」と言うようである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, ゴルシフテ・ファラハニ, ヒューマンドラマ, 監督:ジム・ジャームッシュ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 パターソン 』 -平凡な男の平凡な日々が輝く-

『 ルパン三世 THE FIRST 』 -Lupin is back in action!-

Posted on 2019年12月11日2020年4月20日 by cool-jupiter

ルパン三世 THE FIRST 65点
2019年12月8日 東宝シネマズなんばMX4Dにて鑑賞
出演:栗田貫一 小林清志 浪川大輔 沢城みゆき 山寺宏一 吉田鋼太郎 藤原竜也 広瀬すず
監督:山崎貴

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フランスのアルセーヌ・ルパンに、日本の和のテイストと鼠小僧のエッセンスを加えてルパン三世が帰ってきた。小栗旬バージョンの実写はどのキャストも頑張っていたものの、峰不二子役の黒木メイサが残念ながらノイズだった。ならばと3DCGアニメでルパンたちを蘇らせた。この判断は正解である。『 ドラゴン・クエスト ユア・ストーリー 』の傷も少しは癒された。

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あらすじ

時は第二次大戦。稀代の考古学者ブレッソンは、ある宝のありかを示した日記、“ブレッソン・ダイアリー”をナチスに狙われていた。時は流れ、パリにてお披露目されるそのダイアリーをルパン三世(栗田貫一)が狙って現れる。レティシア(広瀬すず)という考古学者の卵の少女と共に、ルパンは宝の謎解きに乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

ルパン三世とは何か。それは大泥棒にして義賊、犯罪者にして正義漢、破廉恥にして紳士、そうした非常に矛盾に満ちたキャラクターである。かかる複雑な属性がルパンの大いなる魅力になっていて、そのことは本作でもいかんなく発揮されている。例えば不二子に対しては「報酬は俺の体で」と下品なオファーをする一方で、レティシアには「いい女になれ」と優しく諭す。元々の漫画では、割とすぐにすっぽんぽんになって不二子に襲いかかっていたが、一般大衆アニメになるにつれて、そうしたエロ要素が薄れてきた。本作はルパンのそうしたスケベ属性を残している。山崎監督のルパン三世へのリスペクトは本物だと思える。

 

他のキャラも立っている。常にルパンに先んじて、しかし途中でルパン一味に合流しながらも、最後には美味しいところを奪っていく峰不二子。今回はつまらないものを斬らずに、斬るべきものを一刀両断に斬る石川五ェ門。超絶ドライブ・テクニックと超絶射撃テクニックを披露する次元大介。そして、おそらくララ・クロフトよりも強くてセクシーな峰不二子。まさに役者がそろっている。彼ら彼女らが生き生きと銀幕上を動くだけで、実に楽しく感じられる。

 

ストーリーも悪くない。ナチス第三帝国の復活ネタは古くは小説では『 ブラジルから来た少年 』、近年の映画でも『 アイアン・スカイ 』や『 帰ってきたヒトラー 』など、いつの時代でも掘り起こされるテーマだ。それこそ、ヒムラーやゲッベルスが映画化される日も近いはずである。また戦後70数年になんなんとする今、ナチス・ドイツは日本の若い世代にはファンタジー的な存在になりつつもある。そうした世界でルパンという架空のキャラクターを活躍させることで、かえってリアリティを増しているようにすら感じられた。

 

ストーリーはテンポよく進むし、スリルとサスペンスとユーモアの配分も見事である。ルパン三世とその仲間たちは見事に復活したと言えるだろう。なによりも名曲“ルパン三世のテーマ”が流れてくるだけで、少年時代が蘇ってくる。“ゴジラのテーマ”や“ロッキーのテーマ”と並んで、それが聞こえてくるだけで物語世界に一気に引き込まれるように感じる。THE FIRSTと副題にあることから、THE SECONDやTHE THIRDへの期待もふくらむ。

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ネガティブ・サイド

アクションシーンやプロットのあまりにも多くの部分がクリシェである。クリシェという言葉が辛辣に過ぎるなら、過去の名作へのオマージュが多過ぎると言い換えればよいだろうか。パッと思い浮かぶだけでも

 

映画『 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』

映画『 ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 』

映画『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』

映画『 天空の城ラピュタ 』

映画『 ルパン三世 』(実写版)

TVアニメ『 未来少年コナン 』

TVアニメ『 ふしぎの海のナディア 』

 

などが挙げられる。特にお宝の封印は、びっくりするほど『 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』のそれにそっくりである。正直なところ、本作にはオリジナリティは認められない。

 

またヒロインであるレティシアの年齢はいったいどうなっているのだ?物語冒頭では赤ん坊で、その後十年だか十二年が経過したところで、美術館のキュレーター的ポジションについているというのか。大学への進学を夢にしているところからも10代後半であると思われるが、それでもやはりこのヒロインは年齢不詳である。

 

総評

個人的にはアクションに胸が躍り、ユーモアには笑顔にさせられたが、ストーリーそのものには驚きはなかった。劇場鑑賞後、Jovianの嫁さんは「サイコー!」と言っていた。そこまで良かったか?と思ったが、同じく観客にいた6人組アラサー女子たちが滂沱の涙を流しながら、シアター内でも劇場ロビーでも称賛の言葉を次々に述べていた。観る人によって異なる感想を抱くということの好例である。ルパン三世のファンであってもそうでなくても、チケット代に見合うエンターテインメント作品にはなっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

If you are an archaeologist, you have got to be a romanticist.

レティシアの「考古学者ならロマンチストじゃないと」という台詞である。ロマンチストは英語ではromanticist=ロマンティシストである。このように一般論を語る時は、しばしば主語をyouに設定するのが英語の特徴である。Jovianがアメリカ人の友人から聞いたこれと同じ構文として“If you don’t know about Harriet Tubman, you are not American.”というものがある。ここでは彼はyouを使ったが、これがJovianを指すものではないことは明らかである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アドベンチャー, ミステリ, 小林清志, 広瀬すず, 日本, 栗田貫一, 浪川大輔, 監督:山崎貴, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ルパン三世 THE FIRST 』 -Lupin is back in action!-

『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

Posted on 2019年12月9日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

“隠れビッチ”やってました。 40点
2019年12月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐久間由衣 森山未來
監督:三木康一郎

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三木康一郎監督は、平凡な作品を量産するという印象を持っている。ただし、時々『 旅猫リポート 』のような駄作も作るので、楽観はできない。本作はどうか。可もなく不可もない・・・というより、可もあるが不可もあるという作品である。

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あらすじ

ゲイのコジとヤリマンのアヤの3人でシェアハウスに暮らす荒井ひろみ(佐久間由衣)は、男を自分に惚れさせては、付き合うことなく袖にするという自称“ビッチ”。しかし、ある日、勤め先のデパートのアルバイトの男子に恋心のようなものが芽生えて・・・

 

ポジティブ・サイド

主演の佐久間由衣と同居しているコジ役の村上虹郎とアヤ役の大後寿々花が印象的な演技をしてくれた。女性二人と同居している男性というのは、それだけで奇異に感じるが、登場した瞬間から「ああ、このタイプの人間なのか」と腹にストンと落ちる。それだけ表情、身のこなし、仕草、声の出し方に話し方、そして偏見とも取られかねないが、その家事家政能力の高さから、三人の中で最も女性的である。より正確に言えば最も姐御肌である。コジの存在が、この奇妙な三人組の関係と生活を引き締めている。

 

アヤも良い。彼女のような女性の方が、主役のピロよりも遥かに共感できる。寂しさを紛らわせるために肌と肌を合わせるというのは、ごくごく自然なことだ。体と体がつながって、それから先にある心と心のつながりを求めるというのも、ごくごく自然なことだ。これが高校生ぐらいだと、互いの心がある程度充分に惹かれ合っているということが望ましいが、社会的に自立した大人(それが必ずしも精神的に自立した大人であるとは限らない)であれば多少の手順前後は構わない。『 シンクロナイズドモンスター 』のアン・ハサウェイが良い例である。

 

三沢さんを演じた森山未來は、ある程度アヤとの共通点が認められる。線路脇でいきなりとある行動に出るわけだが、Jovianは劇場で思わずガッツポーズをしそうになった。自分ならこうするだろうな、という行動をまさに彼が体現してくれたからである。気弱そうに見えるが、自分の弱さや負い目をさらけ出せる人間というのは、それだけで強い人間である。彼には“逃げた”過去があり、ひろみからも逃げそうになる。そこで条件付きながら踏み止まったのには拍手喝采である。なぜなら、Jovianは似たようなシチュエーションで逃げ出したことがあるからである・・・。三沢さん、幸せになってくれ・・・。

 

ネガティブ・サイド

佐久間由衣は悪い演技をしていたわけではないが、では良い演技だったかと問われれば、答えに窮してしまう。ただ単にでかい声を出せばいいわけではないし、鼻をほじほじすればガサツな印象を生み出せるわけでもない。公園で大声を出して木に話しかければ酔っ払いに見えるわけでもない。全てが演技臭い演技で、見ていて全く自然体に感じられなかった。演技というのは、演技していると悟らせないように演技するもので、映画というのは、連続していないシーンとシーンを連続したものとして見せる技法である。佐久間由衣のシーンでは、全てが不自然な作り物であるという感覚をぬぐえなかった。

 

ひろみのバックグラウンドについても矛盾がある。中盤では、母親は父親に経済的に支配されていたというが、終盤になると父親はまともに仕事をしていなかったことになる。どういうことだ?経済的に支配されるというのは、妻が稼いだ金を全て夫が略取するということか?そうではないだろう。普通は『 アンダー・ユア・ベッド 』の千尋のような状態を、経済的に支配されると言うはずだ。

 

もう少しライトなところでは、惹句にある「3年でふった男の数600人」というのも眉つばである。1年で200人ふるということは、ほぼ2日に一人をふっているわけで、それだけの出会いの機会を生み出す、もしくは与えられるということがいささか現実離れしている。また、それだけの男に接してきて、これまで暴力男や、もっと言えばデートドラッグを使うような男に引っかからなかったのは、棋士・藤井聡の言葉を使わせてもらうならば「僥倖」以外のなにものでもない。というか、暴力男に育てられた女性は、どういうわけか暴力男を引き寄せてしまう傾向があるのだが、その辺のリアリティにも欠けていた。暴力男が出てこないことが問題なのではなく、ひろみがどのようなアンテナやセンサーを使って男を選り分け、嗅ぎ分けているのかの描写が不足していたように感じられた。

 

エンドクレジット後の1コマも蛇足である。焼けぼっくいに火がついても構わないし、怒りの炎が燃え盛っても構わない。なぜなら、ひろみというキャラクターにはまったくと言っていいほど共感できなかったからである。まあ、普通にこのスキットを見て、効果音を聴く限りは後者なのだろうが、原作者のエッセーその他を買って、自分の解釈を確かめてみようとも思わない。

 

総評

タイトルが刺激的なだけで、ストーリーとしてはそれほど練られたものでもない。主演の演技にも褒められるところも少ない。Jovian夫婦は観終わって劇場の照明がついた時に「何じゃこりゃ?」と二人して眉間にしわを寄せて見合ってしまった。カップルのデートムービーには向かない。女子中高生あたりがグループで鑑賞するか、あるいはお一人様上等の男性または女性あたりが本作のターゲットになるだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chew up the scenery

これは慣用句で、『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で紹介した ”break a leg” と同じくtheater languageである。意味は≪大げさな演技をする≫である。主演の佐久間由衣の熱演には敬意を表すが、空回り気味であった。ニコラス・ケイジ、船越英一郎、藤原竜也あたりがscenery-chewing actorの好例だろうか。映画のレビューを英語で読みたいという人ならば、是非知っておくべき表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンス, 佐久間由衣, 日本, 森山未來, 監督:三木康一郎, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

Posted on 2019年12月7日2020年4月20日 by cool-jupiter

ラスト・クリスマス 70点
2019年12月7日 東宝シネマズなんばにて感想
出演:エミリア・クラーク ヘンリー・ゴールディング ミシェル・ヨー エマ・トンプソン
監督:ポール・フェイグ

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英国には偉大なシンガーを生み出す土壌がある。『 イエスタデイ 』のビートルズ、なかんずくジョン・レノン、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のフレディ・マーキュリー、『 ロケットマン 』のエルトン・ジョン、そして現代ではサム・スミス。本作はワム!、特にジョージ・マイケルの楽曲で彩られている。上に挙げた歌い手に共通するのは、愛を求めて彷徨ったということだろうか。永遠の名曲“Last Christmas”にインスパイアされた本作も、大きな愛を歌っている。

 

あらすじ

ユーゴスラビアからの移民であるケイト(エミリア・クラーク)は、“サンタ”(ミシェル・ヨー)の経営するクリスマスショップで働きながら、歌手としてデビューすることを夢見て、オーディション参加を繰り返していた。家族と疎遠であるケイトは、友人宅などを泊まり回るも、トラブルばかりで行き先をなくしてしまう。そんな時、店先に現れた不思議な青年(ヘンリー・ゴールディング)と知り合って・・・

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ポジティブ・サイド

名曲“Last Christmas”に新たな解釈を施したエマ・トンプソンに満腔の敬意を表したい。失恋からの立ち直りの歌をこうも鮮やかに再解釈するのかと唸らされた。何をどう解説してもネタばれの恐れがあるので、敢えて類似の作品を挙げるだけに留める。

 

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』

『 イソップの思うツボ 』

『 思い出のマーニー 』

『 勝手にふるえてろ 』

 

パッと思いつくのは、これらだろうか。作品タイトルだけでネタばれになりかねないので、シネフィルな方々におかれては、鑑賞前に上の白字部分を読むのは自己責任でお願いしたい。

 

『 シンプル・フェイバー 』でもヘンリー・ゴールディングを起用したポール・フェイグ監督だが、そのヘンリー・ゴールディングは『 クレイジー・リッチ! 』に続いてアジアのレジェンド女優ミシェル・ヨーと共演。アジア人がメインキャストを占めて、舞台がロンドン、製作国はアメリカというところに、時代の変化を感じざるを得ない。また、主人公がユーゴスラビア移民であること、国際化・多様化が極度に進むロンドンを舞台にしていることにも大きな意味がある。そしてJovianが冒頭でF・マーキュリーやE・ジョンやS・スミスに言及したことにも意味がある。ミシェル・ヨーというマダムがメインキャストを張ることにも意味があるのである。生きるとは、助け合うことであるということを本作は高らかに宣言する。

 

エミリア・クラークは『 ターミネーター:新起動 ジェニシス 』ではウブ、『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』ではウブから百戦錬磨に、本作では逆に百戦錬磨からウブに戻って行く感じがして、非常に健康的な魅力を物語中盤からふりまくようになった。特にスケートリンクでのシーンは『 ロッキー 』でのロッキーとエイドリアンの語らいを彷彿とさせた。

 

小説『 クリスマス・キャロル 』では、スクルージは悔い改め、クリスマスは孤独に過ごすものではなく、家族と過ごすものだと気付いた。本作ではケイトも同じことに気付く。そう、これは家族の物語だったのだ。ケイトが見つけ出した家族とは誰か?それは劇場で確認して欲しい。クライマックスに楽曲と共にもたらされるカタルシスは『 リンダ リンダ リンダ 』のそれに匹敵する。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーが本当の意味で始まるまでに、かなりの時間を要する。また、ケイトのあまりのダメ人間っぷりは、何らかの精神的な疾患もしくは障がいをも疑わせるレベルである。もしくは『 女神の見えざる手 』のスローン女史のような、セックス依存症一歩手前なのかとも考えた。終盤になってこのあたりの事情が明かされるのだが、これは少々アンフェアというか、非常に分かりづらかった。青春の真っただ中を空爆されるユーゴスラビアで恋を知らずに生きてきた反動で、bitchになってしまったのかと思ったが、そういうわけでもない。このへんの見せ方とストーリー上の秘密を、もう少し上手い具合に組み合わせるべきだった。

 

ビミョーにネタばれになるが、“Last Christmas”を一曲まるごと、どこかの場面で歌う、もしくは流してほしかった。『 ロケットマン 』でも“Your Song”がフルで流れることがなかったように、少々フラストレーションがたまる構成である。また、ワム!というよりは、ジョージ・マイケルにフォーカスした楽曲の選定になっているので、ワム!のファンは少々物足りなく感じるかもしれない。

 

総評

ジョージ・マイケルのファンにもワム!のファンにも観て欲しい。彼らのファンではない方々にも観てもらいたい。聖歌ではないクリスマス・ソングとしては、おそらくビング・クロスビーの “White Christmas” に並ぶ知名度の“Last Christmas”を聴いたことがないという人は、日本でも超少数派だろう。ジョージ・マイケルが泉下の人となって3年。この偉大なアーティストへのR.I.P.の念も込めて、是非多くの人にこの物語を味わってほしい。

そうそう、本作をきっかけにユーゴスラビアに興味を持った向きには、米澤穂信の小説『 さよなら妖精 』をお勧めしておく。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エマ・トンプソン, エミリア・クラーク, ヘンリー・ゴールディング, ミシェル・ヨー, ラブロマンス, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

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