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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 17歳のエンディングノート 』 -Live as if you were to die tomorrow-

Posted on 2020年5月23日 by cool-jupiter

17歳のエンディングノート 65点
2020年5月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダコタ・ファニング カヤ・スコーデラリオ
監督:オル・パーカー 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200523101421j:plain
 

『 マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー 』の監督作。COVID-19禍が縮小傾向とはいえ、第二、第三波は来る。まさか『 フィフス・ウェイブ 』ような間抜けにもほどがある第五波が来るとは思っていないが、世界の死者数などを知ると命のはかなさについて考えざるを得ない。そこで本作をチョイス。

 

あらすじ

テッサ(ダコタ・ファニング)は若くして癌を患っている。そしてついに医師に余命宣告を受けた。彼女は死ぬまでにやりたいこと決めて、それらを実行していく。そしてテッサは最近隣に引っ越してきたアダムとの距離を確実に縮めていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

こういうストーリーでは、死に行く主人公よりも、その周辺のキャラクターが光り輝く。本作も例外ではない。テッサの父がアダムと出会って語る言葉の前半は、全ての父親に共通する心理だろう。そしてその言葉の後半は、『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』におけるロブ・リグルや『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』の杉本哲太のそれと同じである。病気の娘を輝かせるのは父親というのは、古今東西の映画文法のようである。ベタではあるが、やはりオッサンの好演に心を揺さぶられる。

 

テッサの家族が一致団結していないことが本作のアクセントになっている。必死で娘に向き合う父親、その父親とは離縁していて、娘の看病や介護ができずにおろおろする母親、そして姉の病気を正しく理解するにはまだ幼すぎる弟。こうした、ちょっと普通ではない家族だからこそ、テッサは時に傷つき、そして救われもする。そして若くして妊娠する親友に、とある秘密を抱えた隣家の青年と、家族外でテッサを取り巻く面々も多士済々だ。テッサの親友のゾーイと恋人アダムが絡まないのも潔い。変に人間関係をこねくり回すよりも、これぐらいがちょうど良いと感じた。

 

『 マトリックス レボリューションズ 』のエージェント・スミスは“The purpose of life is to end.”と喝破したが、本作はその逆のテーマを非常にベタな手法で力強く称揚する。生きるからには愛し愛されたいものである。

 

ネガティブ・サイド

冒頭のテッサの屋内スカイダイビングのシーンは、おそらく顔だけ差し替えている。このアトラクションはフェイスマスクをつけることが多い。つけない場合は、鼻の穴や唇が常にプルプルすることになる。ダコタ・ファニングの変顔を、監督が見せたくなかったのか、それとも本人が嫌がったのか。いずれにせよ、死ぬまでにやりたいことをやるというのが本作のコンセプトなのだから、変にCGなどは使わないでほしかった。

 

中盤にアダムが街中に思わぬ仕掛けを施すが、時間的に、また労力的にちょっとこれは不可能ではないかという仕事をやってのけている。非常に良いサプライズなのだが、もうちょっとリアリスティックにしてほしかったところ。

 

テッサが自室の壁に書いていくTo do リストが少々弱い。というよりも、始まりと終わりが上手くつながっていないというか、死ぬまでにやりたいことと、開き直ってもうやっていることが、ごっちゃになっている部分があった。「明日死んでもいいように今日を生きろ」というのが本作のメッセージの一つである。ならば、そのようにテッサが思い立って行動を始める瞬間を、もっとドラマチックに描いてほしかったと思う。

 

総評

よく練られた話である。100分ほどと、コンパクトにまとまっているし、ストーリーやキャラクター同士の関係も適切な範囲でのみ盛り上がる。Jovianはエル・ファニング推しであるが、姉ダコタも素晴らしい役者であると感じる。躊躇なく下着姿になって海に向かって突撃するシーンはまさに青春である。女子高生の娘を持つ父親が、家族で鑑賞して、そして泣いて見せればよいのではと思う。娘が父の愛の大きさと深さに感動するか、それとも気持ち悪いと感じるか、そこは諸刃の剣だろうが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drift away

訪問看護師がテッサに「疼痛緩和が進めば、やがて意識がなくなる」と語った、“意識がなくなる”の意味である。物理的にドリフト的に本来の場所から逸れて行ってしまうという意味と、意識が今この瞬間から離れて行ってしまうという意味の二つがある。後者については、オールド・ロックンロールのファンならばロッド・スチュワートやレイ・チャールズ、ドゥービー・ブラザーズやローリング・ストーンズが歌った“Drift Away”=『 明日なきさすらい 』を知っているはずだ。I wanna get lost in your rock and roll and drift away!

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, カヤ・スコーデラリオ, ダコタ・ファニング, ラブロマンス, 監督:オル・パーカー, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 17歳のエンディングノート 』 -Live as if you were to die tomorrow-

『 42 世界を変えた男 』 -Take him out to the ballgame-

Posted on 2020年5月19日 by cool-jupiter

42 世界を変えた男 60点
2020年5月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チャドウィック・ボーズマン ハリソン・フォード
監督:ブライアン・ヘルゲランド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200519231513j:plain
 

MLBも日本プロ野球も開幕が遅れている。球春未だ来たらず。ならば野球映画を観る。大学生の頃に観たトミー・リー・ジョーンズ主演の『 タイ・カップ 』もなかなかに刺激的だったが、second viewingならこちらにすべきかと思い直した。

 

あらすじ

第二次大戦後の1947年、ブルックリン・ドジャースGMのブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、ニグロ・リーグのスターの一人、ジャッキー・ロンビンソン(チャドウィック・ボーズマン)を史上初の黒人選手としてMLBに招き入れる。そしてロビンソンは、差別や偏見にプレーで対抗していく・・・

 

ポジティブ・サイド

JovianがMLBのことを知ったのは中学生ぐらい、青島健太がやっていたBSスポーツニュースを通じてだったか。マイケル・ジョーダンがバスケを引退、野球に転向というニュースにびっくりしたのを覚えている。その翌年ぐらいか、野茂英雄が海を渡ったのは。その頃から日本でも本格的にメジャーリーグが認知され始め、イチローと新庄のメジャー行きで完全にMLBが身近なものになったと感じられるようになった。個人的には大学生の頃に読んだパンチョ伊東の『 野球は言葉のスポーツ 』で、メジャーの歴史の広さと深さに初めて触れたと感じた。ニグロ・リーグの消滅(人によっては発展的解消とも呼ぶが)を、MLBへの人材流出が続く日本にも重ね合わせた名著だった。

 

本作は差別と融和の構造を鮮やかに描き出している。当時の野球人たちのロビンソンへの反応と同じくらいに、一般人であるファンの差別が恐ろしい。純粋無垢に見える野球少年が、差別思想に凝り固まった大人たちの圧力に屈して罵りの言葉を吐き出す様はグロテスクである。本作はそうした目をそむけたくなる、耳をふさぎたくなるようなシーンを真正面から描く。そうすることで、差別する者の醜さを炙り出す。これは怖い。自分にも何らかの意味での差別思想がないとは言い切れない。そうした時に、ロビンソンを口汚く罵るフィリーズのチャップマン監督を思い出そうではないか。こんな人間になってはおしまいである。

 

本作ではハリソン・フォードが光っている。基本的にフォードは(トム・クルーズや木村拓哉と同じく)誰を演じてもハリソン・フォードになってしまう。だが、本作では実在したブランチ・リッキーの模倣に徹した。それが奏功した。Jovianは東出昌大は当代きっての大根役者だと断じるが、『 聖の青春 』の羽生善治の物真似は素晴らしかった(というか、東出に演技をさせなかった監督の手腕なわけだが)。ブランチ・リッキーの表情、声、話し方、立ち居振る舞い、思想信条を研究して、役をものにしたというよりも、まさに物真似をした。フォードのファンならば必見の出来に仕上がっている。

 

主役を張ったチャドウィック・ボーズマンも好演・はっきり言って顔立ちはロビンソン本人には似ていないのだが、苦悩を内に秘めて、しかしフィールドでそれを決して表に出さない。かといって、ほぼ同時代人であるジョー・ディマジオのようなcool-headedなプレーヤーでもない。投手を挑発し、観客をエキサイトさせる一流アスリートである様を体現している。

 

ネガティブ・サイド

肝心かなめの野球シーンに迫力がない。本作は伝記であり、ヒューマンドラマであるが、スポーツ映画ではなかった。残念ながら野球をしている時のボーズマンは、最もロビンソンから離れた存在に見えてしまった。『 フィールド・オブ・ドリームス 』のシューレス・ジョー・ジャクソンが何故か右利きにされていたが、レイ・リオッタのスイングには力強さとキレがあった。『タイ・カップ 』のトミー・リー・ジョーンズの走塁と殺人スライディングにはスピードと躍動感(と殺気)があった。残念ながら、チャドウィック・ボーズマンのスイングにはパワーが欠けているし、走塁にはスピードがない。守備にしても『 マネーボール 』のクリス・プラットの方が(一塁手としては)遥かに様になっている。

 

史実として、リッキーはニグロ・リーグの最優秀選手を連れてきたわけではない。折れない心の持ち主をpick outしたとされている。だが、パンチョ伊東らの著書やその他の研究によると、当時のジャッキー・ロビンソンはニグロ・リーグ全体で上から3~4番手という、トップ中のトップだったことは間違いないようである。であるならば、当時の白人が持っていなかった異質なスピード、異質なパワーというものを、もう少しはっきりとした形で描き出すべきだったと思う。

 

また野球そのものの描写もめちゃくちゃである。いくら何でも一塁から離れてリードを取り過ぎだし、絶妙のタイミングの牽制球で、帰塁のタイミングも遅いのにセーフになったりしている。また、劇中でビーンボールや頭部直撃デッドボールも描かれるが、それらの投球が『 メジャーリーグ 』のチャーリー・シーンの荒れ球よりも速い。というか、佐々木朗希のストレートよりも速く見えるビーンボールもあるなど、野球に対する愛情もしくは造詣、または競技経験のある者が作ったとは思えないCGピッチングには、正直なところかなり呆れてしまった。

 

総評 

ジャッキー・ロビンソンと聞いて「誰?」となる人も若い世代には多いだろう。それは仕方がない。オリックス時代のイチローを全く知らない世代の野球ファンもいるのだ。そのイチローがMLB1年目に新人王(とMVP!)を獲得した時に「日本のプロ野球で実績充分な者をMLBは新人扱いするのか?」とMLB内外で論争が沸き起こった。その当時に下された結論は「ニグロ・リーグのトップスターだったジャッキー・ロビンソンもMLBでは新人で、それゆえに新人王を獲得した」というものだった。イチローの偉業の向こうにロビンソンがいる。差別に屈しなかった男の物語には食指が動かない向きも、イチローの先達の物語になら興味を抱くのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

as you see fit

「あなたの好きなように」、「あなたが適切だと思えば」の意。

 

Make changes as you see fit.  好きなように変更を加えてくれ。

Raise your hand and ask questions as you see fit.  挙手をして好きなように質問したまえ。

 

職場で使うとちょっとかっこいい。ぜひ機会を見つけて口に出してみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, チャドウィック・ボーズマン, ハリソン・フォード, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ブライアン・ヘルゲランド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 42 世界を変えた男 』 -Take him out to the ballgame-

『 飛べない鳥と優しいキツネ 』 -生きづらさを抱える少女に捧ぐ-

Posted on 2020年5月18日2020年10月13日 by cool-jupiter

飛べない鳥と優しいキツネ 70点
2020年5月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ファンヒ スホ
監督:イ・ギョンソプ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200518233644j:plain
 

近所のTSUTAYAで狙っている『 悪魔を見た 』と『 チェイサー 』が常に借りられている。そんなバイオレンスものを観てはならぬという天の声だろうか。だったら全然テイストの違う青春ものでも観るかと、本作を借りてきた

 

あらすじ

ミレ(キム・ファンヒ)は、ネットゲームと小説の執筆に没頭して、現実逃避していた。だが現実の世界の友だち作りも少しずつ上手く行っていた。そんな時、耽溺していたゲームの配信終了の知らせが届く。傷心のミレはネットで知り合ったヒナという人物に会いに行くが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演のキム・ファンヒの、何と地味で、それゆえに何と輝いていることか。思春期という時代は様々なこと、たとえば初恋であったり男女交際であったり、あるいは知的生産活動であったり、あるいは人間関係の拡大(たとえそれがネットゲームの世界であっても)にいそしむ時期である。そうした子どもと大人の中間的な存在をキム・ファンヒは見事に体現した。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良を見た時と同じようなインパクトを感じた。彼女の無表情や小声に騙されてはいけない。それはすべてラストに爆発するための大いなる伏線なのだ。

 

韓国の映画を見ていて思うのは、人と人の距離が近いということ。それは時に抱擁という形を取ったり、あるいは容赦のない攻撃の形も取りうる。前者の例は『 建築学概論 』のスンミンが悪友の腕の中で泣きじゃくるシーンであり、後者は本作のイジメであろうか。大昔のテレビドラマ『 人間・失格〜たとえばぼくが死んだら 』のような、いわば子どもだらけの伏魔殿というか、『 ミーン・ガールズ 』からコメディ要素を抜くとこんな感じになるのだろうか。『 地獄少女 』の冒頭にあるようなイジメ描写が続く様は、かなりの鬱展開と言える。だが、これもミレの無表情と同様に、必要な描写なのだ。どうか辛抱してお付き合い頂きたい。

 

ある時点から明確な希死念慮を抱くようになるミレだが、それが薄れていく瞬間がある。ネットで知り合ったヒナと一緒にピザを頬張る姿からは生命力があふれてくるようである。食べるとは生きることそのものである。まるで『 風の電話 』で、どのシーンを見ても、誰かが何かを食べていたことを思い出す。

 

本作は随所に面白いカメラワークがある。夜の街中でミレとヒナが手紙を読み合うシーンでは『 3D彼女 リアルガール 』の文化祭的なシーンはシネマティックかつドラマチックだった。他にもランの植木鉢を抱えて廊下を走るミレの姿を左右から映し出す演出は、そのシーンの滑稽さと相まって不思議な時間を演出していた。その後は『 町田くんの世界 』に負けず劣らずのファンタジー展開となるが、それぐらいは目をつぶってほしい。女子中学生の成長物語として、普遍的な何かを感じられる良作である。

 

ネガティブ・サイド

ミレが心の拠りどころにしているオンライン・ゲームの描写が弱い。というか、実写化する必要があるのだろうか。もちろん、ネトゲの世界を実写で描く意義のある作品はいくらでも考えられるが、本作は違うだろう。描くべきはネトゲ内のコミュニケーションの在り方、そしてそこに没入する孤独な少女の姿だ。ゲーム音楽家の裏谷玲央氏は「昔も今もゲームはコミュニケーション・ツールです」と断言しておられたが、蓋し真理であろう。ミレが欲していたのはゲーム体験ではなく、他プレーヤーとパーティーを組んで、ともに何かを成し遂げることだったのだから。そのあたりの描写の薄さ、中途半端な実写化が、ミレに「ヒナに会わなければならない」と感じさせることに寄与していない。

 

ミレの家庭環境が改善された様子が描かれなかったのも気になる。父親と対峙せよ、とまでは思わないが、教師に対してとんでもない行動に出たように、父親に対しても何らかの反抗を見せてほしかった。

 

あとはヒナに秘められた因果か。もちろん物語の進行上、容易く想像はつくのだが、そこから講演でフリーハグを提供するようになっていった過程を、ほのめかす程度でよいので描写してほしかった。ある意味でヒナは自己満足の世界に溺れている。その背景を知らせてくれれば、人が生きることは綺麗ごとではないという真実が垣間見えたのだが。

 

総評 

これまた韓国産の良作である。イジメ描写の容赦の無さに、邦画との違いを思い知らされる。一方で、思春期に普遍的に共通する悩みや友情の美しさも称揚しているため、物語自体には比較的入っていきやすい。案外、中高生が親子で鑑賞してもよいかもしれない。どこか『 エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へhttps://jovianreviews.com/2019/09/23/eighth-grade/ 』に通じるものが本作にはある。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クロム

これも簡単、「それなら」の意である。それなら一緒に宿題をしよう。それなら今日のメシは俺が作ろう。そういう時の「それなら」である。何度でも強調するが、言葉を学ぶ時にコンテクストを絶対に無視してはならない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ファンヒ, スホ, ヒューマンドラマ, ロマンス, 監督:イ・ギョンソプ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 飛べない鳥と優しいキツネ 』 -生きづらさを抱える少女に捧ぐ-

『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』 -韓国産ゾンビ映画の傑作-

Posted on 2020年5月17日 by cool-jupiter

新感染 ファイナル・エクスプレス 75点
2020年5月16日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ チョン・ユミ マ・ドンソク チェ・ウシク シム・ウンギョン
監督:ヨン・サンホ

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COVID-19のおかげでゾンビ映画的な世の中が現実化してしまった。だが、いち早くCOVID-19を抑え込んだ(ように現時点では見える)国もある。そう、韓国である。その韓国が生んだ傑作ゾンビ映画を、今というタイミングで見直す意味はきっとあるはずである。

 

あらすじ

ファンドマネージャーのソグ(コン・ユ)は離婚調停中。一人娘のスアンが釜山に向かうのに随行するため高速鉄道KTXに乗る。その頃、各地では謎のゾンビが出現していた。そして、KTX車内にもゾンビの影が迫って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 トガニ 幼き瞳の告発 』のコン・ユが嫌な奴に見える。これはすごいことである。もちろん、そうした人間が変化していく様を描くことが本作の眼目の一つであるが、コン・ユという俳優の高い演技力を大いに堪能できるのが本作の収穫である。子役のスアンと顔立ちが似通っているという点もポイントが高い。親子であるという説得力が生まれ、だからこそコン・ユのダメな父親としての演技が光る。演技力という点ではKTX車内にゾンビウィルスを持ち込むシム・ウンギョンの演技も見逃せない。ゾンビ映画の文法に忠実に乗っ取りながらも、動けるゾンビを新しい形で提示した。特に子泣き爺的に標的にかぶりつく動作は、かまれている女性の火事場の馬鹿力的な描写とあいまって、妙なリアリティがあった。だが、なんといっても娘スアンの魂の泣き声の悲痛さよ。日本でもこれぐらいの金切り声で泣ける子役が欲しい。

 

ゾンビが跋扈する世界の恐ろしさは無論、襲い掛かって来るゾンビにある。だが、それ以上の恐怖は人間同士が疑心暗鬼になることだ。もっと言えば、その人間の本性が露わになることと言ってもいい。主人公のソグが自分と娘だけが助かればいいと身勝手な考えに囚われている中で、周囲の人間も自己中心的になる者、利他的になる者と分断されていく。

その過程の描写がねちっこい。特に必死で最前線を潜り抜けてきた者たちに対して容赦なく浴びせられる罵詈雑言は聞くに堪えない。胸が痛む。まるで現今の日本の医療従事者の家族へのいじめのようではないか。こうした、必死に戦う者への差別的な言動は普遍的に見られるもののはずである。なぜなら世界中のゾンビ映画に共通する文法だからである。クリシェと言えばクリシェであるが、今という時代に見返すといくつも発見がある。

 

ゾンビ発生の原因の一端を主人公ソグが担っていたという設定もなかなか良い。本作は詰まるところ、韓国社会における富裕層と中流層、そして下層社会民の分断を遠回しに批判しているのだ。マネーゲームに興じられるような強者の横暴が、巡り巡って大多数の庶民に多大な迷惑と被害を与えているのだぞ、というのが本作の脚本家と監督のメッセージである。いやはや、これはかなりの傑作である。

 

ネガティブ・サイド

走るゾンビは世界的にもだんだんと描かれるようになってきているが、本作でも健在。だが、上空のヘリコプターから落ちてきたゾンビやどう見ても脚や背骨が損傷しているだろうゾンビまでもが走りまくるのはいかがなものか。腕が異様な方向に曲がったまま走るゾンビは面白かったので、もっと足を引きずるゾンビ、高速で這うゾンビなど、走る以外の方法で迫りくるゾンビも見たかった。これは贅沢か。

 

途中、コン・ユ、マ・ドンソク、チェ・ウシクでパーティーを組むところで何故か上着を抜き出す男たち。いや、皮膚の露出は抑えろ。それに、携帯を使ってのトラップはなかなか良かった。であるならば、各車両に残された荷物を漁って、もっと使えそうなアイテムを探すべきではないか。女性もののカバンにはかなりの確率でスマホが入っているだろうし、旅行客の荷物ならタオル類などもあるだろう。力業以外の知恵の部分がもう少し見たかった。

 

ラストはかなり評価が分かれるところだろう。『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』のように、「え?」と思わせるエンディングの方が結果的によりドラマチックに、よりシネマティックになったのではないだろうか。

 

総評

本邦でも『 カメラを止めるな! 』や『 アイアムヒーロー 』、『 屍人荘の殺人 』など、近年でもゾンビ映画は制作され続けている。おそらくゾンビ映画もしくは未知のウィルス系の作品はメジャーやインディーを問わず今後も世界的な需要があるだろう。そこで日本はどんな作品を世に問うことができるか。本作は邦画が乗り越えるべき一つのハードルを示していると言える。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クロニカ

「だから」の意味。「パパは自部勝手だ。だからママも逃げたんだよ」というセリフがあったが、話の文脈がはっきりしていると、どんな言葉もインプットしやすい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, コン・ユ, シム・ウンギョン, スリラー, チェ・ウシク, チョン・ユミ, パニック, マ・ドンソク, 監督:ヨン・サンホ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』 -韓国産ゾンビ映画の傑作-

『 愛人/ラマン 』 -セックスから始まる悲恋の物語-

Posted on 2020年5月16日 by cool-jupiter

愛人/ラマン 75点
2020年5月15日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:ジェーン・マーチ レオン・カーフェイ
監督:ジャン=ジャック・アノー

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『 月極オトコトモダチ 』とは裏腹のテーマの作品を鑑賞してみたいと思い、本作があったなと思い出した。確か大学生3年生ぐらいの時に、当時急成長中だったTSUTAYAでVHSを借りて観た。当時、純情だったJovian青年は『 ロミオとジュリエット 』のオリビア・ハッセーを観た時と同じくらいの衝撃を味わったのだった。

 

あらすじ

20世紀初頭のフランス領インドシナ。少女(ジェーン・マーチ)は偶然にも裕福な華僑青年(レオン・カーフェイ)と知り合い、性的な関係を持つようになる。愛のないセックスに耽る二人だが、少女も青年も家族に問題を抱えており・・・

 

ポジティブ・サイド

主演の一人、レオン・カーフェイが、『 グリーンブック 』で言及した韓国系カナダ人にそっくりなのである。それが原因なのかもしれないが、異邦人の悲哀が確かに感じられた。YouTubeに行けばいくらでもinterracial relationshipにあるカップルたちの日常の動画や結婚生活、喧嘩の模様などが赤裸々に語られている時代である。それは取りも直さず、ようやく時代がinterracial relationshipを許容できるようになってきたことの表れでもある(移動や情報公開のテクノロジーが行き渡った面も無論あるが)。一方で20世紀前半のインドシナで、華僑の青年と宗主国フランスの少女という、互いにアウェーな状況は、どこか『 ロスト・イン・トランスレーション 』を彷彿させた。実際に、日本語に英訳がつかなかったように、本作でも中国語に字幕が存在しない。仕事をせずとも暮らしていける富裕なこの男は世界に居場所がない。その居場所として少女を見出していく様ははかなげで悲しい。スーパーリッチなアジア人青年キャラクターとして『 クレイジー・リッチ! 』のニックが思い出される。本作の華僑青年のキャラクター造形はニックに影響を与えていてもおかしくない。

 

もう一人の主演であるジェーン・マーチは、まさにこの限られた時期にしか発揮することのできない魅力や魔力を存分に発揮したように思う。『 ガール・イン・ザ・ミラー 』でも感じたことだが、邦画の世界には脱げる役者が少ない。男でも女でもである。その意味では本作は、30年前の映画でありながら邦画の30年先を行っている。つまりは stand the test of timeな作品である。脱ぐから偉いのではなく、その瞬間にしか作れない作品をしっかりと作り、世に送り出している。本邦では、脱ぐ=話題作り、落ち目女優の勝負、体当たりの演技ぐらいにしか捉えられない。まことに貧相で皮相的である。脱ぐからセクシーだとかエロティックになるわけではない。聴診器で心音を聞いたり、マンモグラフィー検査や乳房の触診で興奮する男性医師などいない。物質としての女体に男は興奮するのではない。それへの距離を詰めていく過程に最も興奮するのである。嘘だと思うなら本作を具に観よ。最も官能的なのは、車中で男が少女の指に自らの指を重ねていくシークエンスであり、前戯やセックスそのもののシーンではない。

 

監督のジャン=ジャック・アノーは『 薔薇の名前 』でもかなり唐突なセックスシーンを描いていた。確か隠れていたところを見つかった少女が、自分から少年の手を取り、自分の胸を触らせて篭絡していく過程が妙に艶めかしかった。自身の問題意識の中に人間関係とセックスがあったのだろう。セックス=愛情表現と考えがちな男のちっぽけな脳みそではなかなか消化しきれないが、セックス=自己表現の一つとしていたフランス人少女の姿は、色々な因習を突き破ったという意味で本土ではなく植民地における『 コレット 』だったと言えなくもない。

 

主演二人に名前がない設定も素晴らしい。『 母なる証明 』の母にも名前がなかったが、名前を持たないことでその人間の“属性”が一気に肥大化し、かつ“個性”が一気に矮小化される。COVID-19における報道を考えてもらいたい。志村けんや岡江久美子のように、“名前”のある人が死亡すると、我々は戦慄させられる。一方で名前が一切出てこない報道、たとえばイタリアやアメリカの死者数を伝えられても「あの国、ヤバいな」ぐらいにしか感じない。男と女、華僑と白人、青年と少女。様々な属性に縛られる二人の関係を、どうか堪能してほしい。そして、男というアホな生き物の生態に一掬の涙を流してほしい。

 

ネガティブ・サイド

寄宿舎でもう一人いる白人少女との語らいのシーンがもっとあっても良かった。どこの誰が売春をやっていてだとかいう話よりも、男に〇〇したら幼児返りしただとか、演技で男を喜ばせてやっただとか、そういう男を震え上がらせるようなトークが聞ければ、このラマンはファム・ファタール的な属性をも帯びたことだろう。

 

またお互いの家族とのシーンも少々物足りなかった。居場所となるべき家で地獄の責め苦を味わう、あるいは虚無的な気分にさせられる。だからこそ、市場の喧騒のただ中にある“部屋”でセックス三昧になってしまう。それはとてもよくわかる。ただ、「中国人と寝やがって!」と激昂する兄や不甲斐ない母の描写がもっと序盤にあれば、ジェーン・マーチを性に積極的な少女以上の存在に描けていたと思うのである。

 

総評

時を超えて観られるべき作品である。汚らしいメコン川が、なぜか美しく懐かしく感じられる映像世界も素晴らしい。世に悲恋は数多くあれど、たいていは結ばれないままに終わってしまう。本作はいきなり結ばれる。そこから先にどうしても進めないというジレンマが痛々しい。官能シーンも良いが、鑑賞すべきは人間ドラマの部分である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Repeat after me.

リピート・アフター・ミー、つまり「 続けて言ってみましょう 」の意である。セックスの前、最中、もしくは後に女性に何かを言わせたいという男性は多い、というか大多数だろう。それを実際にやったカーフェイに拍手。そして、その行為の余りの悲しさと虚しさに胸が押しつぶされそうになった。Jovianは商売柄、しょっちゅうこのフレーズを使うが、プライベートでこれを言う、もしくは言われるようになれば、あなたは英会話スクールを卒業する時期に来ていると言える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, B Rank, イギリス, ジェーン・マーチ, フランス, ラブロマンス, レオン・カーフェイ, 監督:ジャン=ジャック・アノー, 配給会社:日本ヘラルド映画Leave a Comment on 『 愛人/ラマン 』 -セックスから始まる悲恋の物語-

『 月極オトコトモダチ 』 -男女の友情は成立するか-

Posted on 2020年5月14日 by cool-jupiter

月極オトコトモダチ 55点
2020年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:徳永えり 橋本淳
監督:穐山茉由

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男女の友情は成立するか否か。こうした問いそのものに、個人的的には意味がないと思っている。これが普遍的な命題になりうるとはJovianは思わない。男女というのは何歳の男女なのか。友情の定義とは何か。セックスフレンドとは友達なのか愛人関係なのかそれ以外の関係なのか。正解はない。だが、答えは様々にありうる。

 

あらすじ

WEBメディライターの望月那沙(徳永えり)は、レンタル友だち柳瀬草太(橋本淳)と出会う。そして二人の関係を記事にしていく。一方で、那沙のルームメイトの珠希は音楽を通じて草太と距離を縮めていく。那沙は草太との関係をどうすべき悩み苦しみ・・・

 

ポジティブ・サイド

何とも不思議なリアリティに満ちている。それは男女の友情をテーマにした物語から生じているのではなく、アラサー女子のそれらしい立ち居振る舞いやルームメイトとの関係性、仕事への打ち込み具合、そうしたものがとてもリアルに感じられる。それは徳永えりが正に等身大の、結婚願望がなさそうである、かつバリキャリになりきれないアラサー女子を自然体に見える形で演じているからだろう。そして、そうしたキャラクター同士の掛け合いをごくナチュラルな視点から撮影し、かつごくナチュラルに発生する対話に巻き込んでいく。映画というよりは演劇的である。この演劇的な演出がストーリーテリングの上で奏功している。

 

「コントロールできたら恋じゃない」、「コントロールできたら、それは愛」といった格言めいたセリフが飛び交うのもドラマ的だ。Jovianがあまり滔々と堂々と女性論をぶつと妻に殺されるので、ごく一般的な男性論だけを語らせてもらえれば、男は脳で考えている。だが、脳内の思考のおよそ3~4割は下半身由来であると思われる。これが中学生や高校生だと脳内思考の7~8割は下半身由来だろうか。どうすれば、この下半身からの支配から逃れられるのか。その答えの一つが草太の言うスイッチなのだろう。そのスイッチがどういったものであるのか、興味のある男性はぜひ本作を鑑賞されたい。

 

本作のテーマは『 はじまりのうた 』のダンとグレタの関係の相似形であり、『 娼年 』の逆バージョンであり、『 “隠れビッチ”やってました。 』の裏バージョンでもある。男女の関係、と言えば、そのまま肉体関係を指すことが多いが、それすなわち関係の進展もしくは破綻とはならない。答えのない問いかけに一定の答えを出そうとしたという意味で、本作のチャレンジは認められるべきである。

 

ネガティブ・サイド

Jovianは映画の長さは1時間30分~1時間55分ぐらいが理想的だと思っている。その意味では本作は1時間18分と少々物足りない。『 生理ちゃん 』も75分と少々物足りなかったが、やはり映画は2時間弱はあって欲しいと思うのである。

 

砂浜でのサッカーシーンはノイズであるように感じた。女性が得意げに球を扱う。男性がドリブルで女性の股抜きをする。その象徴するところは極めて性的である。こうした演出を挿入するなら、それこそ挿入直前まで描いて、しかしやはり未遂に終わりました。これでよかったのではないか。

 

那沙が珠希と衝突するのもクリシェでしかない。ドラマとは意外性から生み出されるべきで、普通に予想される事柄から生み出されるべきではない。気になっている男が、自分の友人と共同で何かをおこなっている。その姿にたまらない嫉妬や焦り、敗北感を募らせる。いったい、いつの時代の少女漫画なのか。那沙の会社の編集長ではないが、いつまで純情ぶっているのか。

 

総評

着眼点は良いと思うが、その後の展開にひねりがない。いつの頃からか、オタク連中は日常系の深夜アニメをありがたがるようになったが、映画がそれをやってはおしまいである。もし、そうした方向に舵を切るなら、例えば『 セトウツミ 』のように、独特の見せ方を追求すべきである。そうした意味では、カジュアルな映画ファン向けではあるが、ディープな映画ファン向けな作りにはなっていない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How about if we go out?

 

「私たち、付き合ってみる?」「俺たち、付き合ってみる?」の意味である。劇中ではどちらの意味で使われていたか、興味があれば確かめて頂きたい。How about if S + V? = SがVしてみてはどうだろうか? という意味である。How about S + V? でも同じである。TOEFLのリスニングなどでは頻出であるし、TOEICでもたまに聞こえてくる表現である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンス, 徳永えり, 日本, 橋本淳, 監督:穐山茉由, 配給会社:SPOTTED PRODUCTIONSLeave a Comment on 『 月極オトコトモダチ 』 -男女の友情は成立するか-

『 パズル 戦慄のゲーム 』 -韓国製ピエロ映画の失敗作-

Posted on 2020年5月11日 by cool-jupiter

パズル 戦慄のゲーム 30点
2020年5月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チ・スンヒョン
監督:イム・ジンスン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200511220816j:plain
 

近所のTSUTAYAがうるさいぐらいに『 ジョーカー 』と『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』を宣伝している。ひねくれ者のJovianは、だったら別の道化ものを借りてやるぜ、とジャケットだけでレンタルを決めた。

 

あらすじ

広告代理店で順調に出世を重ねるドジュン(チ・スンヒン)だったが、妻と娘は遠くカナダはバンクーバーに暮らしていた。妻に対して猜疑心を抱くドジュンは、偶然に知り合った女性セリョンと怪しげなクラブで一夜の関係を持つ。だが、気が付くとセリョンが殺害されていた。誰が、何の目的で?ほどなくして、ドジュンの携帯に脅迫のメッセージが届き・・・

 

ポジティブ・サイド

同じ駄作は駄作でも『 パズル 』よりは良い出来である。オープニング・シーンが『 聖女 Mad Sister 』と同じで、ハンマーを引きずる主人公の姿なのだが、制作はこちらの方が早いらしい。まさか本作が『 聖女 Mad Sister 』に影響を与えたとは思わないが・・・

 

以外にも色々な形で伏線はフェアに張られている。特に中盤の追走シーンでは、多くの人が「何だこれは?」と違和感を覚えるところがあるが、これは監督の意図したものであることは間違いない。終盤あたりからその「演出」がもっと目に見える形で現れてくる。はっきり言ってクリシェであるが、これはこれで一応受け入れてよいのだろう。

 

アクションシーンはなかなかに面白い。何故に普通のリーマンがここまでスラッシャーに変貌するのだと思わせるが、たとえ無意味に思えてもバイオレンスを放り込んでこその韓国映画。『 殺人の告白 』も無意味なアクションだと思えるところに限って、やたらと力が入っていた。

 

ネガティブ・サイド

主人公のhand to hand combatのアクションはまだ許せても、銃を触ったことがないような一般人女性が引き金を引くのが気に入らない。のみならず、ズドンと急所に命中させるところはもっと気に入らない。実弾を撃ったことがある方にはお分かりいただけようが、素人は5m離れれば、まず的には当たらない。十数年前にLAで5mの距離から20発ほど外したJovianが断言する(そういう意味では『 アジョシ 』のラストのガンアクションにはリアリティがあったと改めて妙に納得)。

 

ストーリーの発端となるドジュンの濡れ場のシーンにはエロスが足りない。というか、敢えて嫌な言葉使いをさせてもらえれば商売女なのだから、もっとサービスしろと言いたい。『 オールド・ボーイ 』のミドのまぐわいを100回鑑賞しろと言いたい。脱ぐだけではダメなのだ。脱いだからには色気を感じさせなければならないし、極端に言えば脱ぐ前から色気を発していなければダメだ。それがプロだろう。

 

肝心のオチが正直なところ、あまりにもひどい。二十数年前の『 世にも奇妙な物語 』で見たことがある気がするし、洋の東西を問わずアホほど量産されてきたプロットの焼き増し再生産に過ぎない。そこに新味を加えるべく一捻りを加えてきたが、これは逆効果。このあたりについてはイム・ジンスン監督は『 イニシエーション・ラブ 』を100回鑑賞してみてほしいもの。

 

総評

一言、失敗作である。アクションと流血描写だけはまあまあ楽しい。が、それだけである。ピエロものを観たいのならば『 仮面病棟 』や『 ピエロがお前を嘲笑う 』を観るべし。よほど手持無沙汰な人がちょうど90分を潰したい、という向きにしか本作はお勧めできない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

チンチャミアナダ

 

「本当にごめんな」の意である。チンチャは『 母なる証明 』で紹介した言葉で、ミアナダは『 国家が破産する日 』で紹介したミアネの語尾が変化したもの。外国語学習ではある程度ボキャブラリーを蓄えたら、今度はそれを組み合わせる段階に進むべきである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, スリラー, チ・スンヒョン, 監督:イム・ジンスン, 韓国Leave a Comment on 『 パズル 戦慄のゲーム 』 -韓国製ピエロ映画の失敗作-

『 ぼくのエリ 200歳の少女 』 -人間らしさの根源に迫る-

Posted on 2020年5月10日 by cool-jupiter

ぼくのエリ 200歳の少女 70点
2020年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:カーレ・ヘーデブラント リーナ・レアンデション
監督:トーマス・アルフレッドソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200510205717j:plain
 

韓国映画やアメリカ映画のような、胃にかなり重く来るような食べ応えの作品を立つ続けに見ると、やはり北欧産の映画に惹かれてしまう。色々なものをそぎ落とす演出と世界観は、時に不思議な魅力を生み出す。ゾンビものもいいが、吸血鬼ジャンルも、このご時世にはいいのかなと感じた。

 

あらすじ

学校でいじめられている内気な少年のオスカー(カーレ・ヘーデブラント)は、隣室に引っ越してきた謎めいた少女エリ(リーナ・レアンデション)と出会う。同じ頃、近隣では、血を抜き取られるという殺人事件が起こるようになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200510205749j:plain
 

ポジティブ・サイド

キャスティングがとにかく素晴らしい。オスカーを演じたカーレ・ヘーデブラントもエリを演じたリーナ・レアンデションも、このタイミングでしか撮れない絵を見事に作り出している。『 ネバーエンディング・ストーリー 』のバスチアンやアトレーユ、幼心の君や、『 スタンド・バイ・ミー 』の4人組、『 ぼくらの七日間戦争 』の1年2組の面々らのように、主演の二人は大人と子どもの境目であるという奇妙な存在感を大いに発揮していた。

 

安易に人外のモンスターが登場する=ホラー映画、に仕立て上げないところにも好感が持てる。これは人間の物語で、もっと言えば人間が人間らしくある、あるいは人間らしさを失うこととは何かを問うている。我々はよく「人命ほど尊いものはない」と口にする一方で、「けしからん、死刑にせよ!」などと勝手に他者を断罪したりする。いじめっ子や問題のある親のせいで、学校にも家にも居場所がないオスカーが、吸血鬼エリと親しく交わることを誰が咎められようか。『 東京喰種 トーキョーグールhttps://jovianreviews.com/2019/08/14/tokyo-ghoul/ 』と同工異曲の作品であるが、オスカーの方がより社会的に疎外された存在であるため、エリとの交流の儚さがより際立っている。

 

エリとホーカンの関係も象徴的だ。実に甲斐甲斐しく夜な夜な血液集めに奔走するホーカンは、何故に好き好んで少年を狙うのかと思っていたが、それ自体が伏線だったとは。ある意味で少年の心のままに老齢に達してしまったホーカンと永遠に老いることのないエリの奇妙な共生関係は、エリとオスカーの未だ見ぬ将来について実に示唆的だ。

 

オスカーに拒まれて血を流すエリの不気味なまでの美しさは、映像美の一つの到達点ではないだろうか。そして、最終盤の、荒れ狂うエリの狂暴さとその場面の静謐さのコントラストも実に鮮やかである。北欧産のスリラーにしてヒューマンドラマの良作である。

 

ネガティブ・サイド

1時間26分48秒時点のボカシ、これは果たして必要だったか。「女の子じゃないよ」というエリの言葉は二通りに解釈できる。すなわち、1) 自分は女の子と呼ばれるような年齢ではない、そして2) 自分は性別的に女ではない、である。おそらく、その両方と解釈すべきなのだろうが、ここは恐れることなく“そのもの”、あるいは“そのものの痕跡”を見せてほしかった。あるいは、『 11人いる! 』のフロルの裸を目撃したアマゾンのごとく、オスカーにもっと分かりやすい反応をさせても良かったのではないか。

 

エリに襲われたことで半吸血鬼化した人物が、太陽光にあたってしまったことで焼け死ぬシーンがあるが、いくら何でも大げさすぎる演出ではないか。『 ミュージアム 』の殺人鬼ぐらいの演出で良かったのだが。

 

ヴァンパイアの特徴である「招かれないと部屋に入れない」を効果的に使っていた一方で、「影がない」という特徴は反映されず、ばっちり影ができていたり、「鏡に映らない」という衝撃的な画作りもできたはずだが、それもなし。特に鏡を使った印象的なカメラワークが随所にあるのだから、これは是非やってみてほしかった。元々太陽光を浴びられないエリなのだから影の件は置いておくにしても、鏡に映らないにはぜひ挑戦してほしかった。

 

総評

医療従事者の子どもが学校でいじめられているという、なんともやりきれない気分にさせられるニュースが報じられている。いじめっ子には直ちにやり返せとは思わないが、疎外がどのような結果につながるかについては真剣に考えなければならないだろう。誰かのために必死に生きる。その結果、残虐なことも起こりうる。それを美しいと思えることが人間らしい思いやりなのか。何とも言えない余韻を残す佳作である。

 

Jovian先生のワンポイントスウェーデン語レッスン

gå

英語にすると、go=行く、の意である。エリがオスカーにこのように叫ぶシーンがある。英語のgoは「ゴウ」だが、こちらは「ガウア」という感じ。むやみに辞書を引くのではなく、状況から未知の言葉の意味を類推する癖をつけておこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, カーレ・ヘーデブラント, スウェーデン, ヒューマンドラマ, レーナ・リアンデション, 監督:トーマス・アルフレッドソン, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ぼくのエリ 200歳の少女 』 -人間らしさの根源に迫る-

『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

Posted on 2020年5月6日 by cool-jupiter

ウォー・ドッグス 65点
2020年5月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル マイルズ・テラー アナ・デ・アルマス ブラッドリー・クーパー
監督:トッド・フィリップス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200506155608j:plain
 

アベノマスクなる、とても使い物になるとは思えない品質のクソ製品が、木っ端役人によって提案され、得体の知れない会社によって調達され、国中に支給され始めている。そこで本作を思い出した。有事の裏では、常に機を見るに敏なmoney-hungry dogsが暗躍しているものなのかもしれない。

 

あらすじ

時はイラク戦争とその後始末のただ中。デビッド(マイルズ・テラー)はうだつが上がらない仕事に従事していたが、ひょんなことから銃火器を売りものにする旧友のエフレム(ジョナ・ヒル)と共に仕事をすることになる。やがて二人はアメリカ国防総省に武器弾薬を納入する仕事に目をつけ・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200506155630j:plain
 

ポジティブ・サイド

マイルズ・テラーとジョナ・ヒルが、若く無鉄砲な若者二人組を好演している。アホかと思う面も多々あるが、特にエフレムのメンタル・タフネスと着眼点は起業を志す者なら大いに参考になるだろう。小学生の頃の昔話や与太話で定期的に盛り上がるところがガキンチョのメンタリティそのままで、子どものまま大きくなってしまったところを見事に表している。相方のデビッドの精神構造も見上げたもの。とある入札を見事に勝ち取るのだが、二位との差額を聞いて「国民の税金が節約できた」と言い切る、その言や良し。

 

『 バイス 』を事前に観ておくと、当時の(といってもたかが十数年前)のアメリカの政治的背景がよく分かる。同時に、戦争=経済活動と言い切るところもアメリカらしくてよろしい。というよりも、人類の歴史上、戦争の99%は経済的な理由で起こっている(宗教戦争に見える十字軍遠征さえ、本質的には交易の一大拠点であるコンスタンティノープルをキリスト教勢力が欲したというのが真相である)。本作は、しばしばヒューマンドラマに還元されてしまいがちな戦争の最前線ではなく、その銃後で何が起きていたのかを描く点がユニーク。『 バイス 』において、D・チェイニーは9.11の際に危機ではなく好機を見出していた。エフレムも、イラク戦争の後始末に危機ではなく商機を見出している。煎じ詰めれば、トッド・フィリップスは戦争という営為を嗤っているのだろう。『 シン・ゴジラ 』でも松尾スズキ演じるジャーナリストが「東日本の地価が暴落する一方で、西日本の地価が高騰している。面白いですな、人の世は」と語っていた。国難や有事をチャンスと捉える人間を褒めているのではない。半ば呆れている。トッド・フィリップスも本作におけるエフレムやデビッドをそのように見ている。デビッドも?と思う向きもあるだろうが、最後の最後のシーン(それが事実がどうかはどうでもよい)が意味するところを考えれば、その答えはおのずと明らかである。

 

それにしても、『 プライベート・ウォー 』でホラー的に描かれた検問シーンが、本作では見事にコメディになっている。同じイラク戦争でも、描く角度が異なれば、これほどに印象が異なるのかと考えさせられる。トッド・フィリップス監督は『 ジョーカー 』において、社会の分断と棄民政策から生まれた鬼子としてのジョーカーの誕生を描いたが、戦争という社会の異常事態からは常に何かしらの鬼子が生まれてもおかしくないのだぞ、と警告を発しているかのようにも見える。それは考え過ぎだろうか。

 

ネガティブ・サイド

どうしても『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』と比較されてしまうだろう。そして、比べるまでもなく本作の完敗である。ペニー・ストックを舌先三寸で見事に売りつけ、そこからのし上がっていく様をテンポよく描いた『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』に比べると、ジョナ・ヒル演じるエフレムの事業は目のつけどころはシャープであるものの、そこからトントン拍子にパイのかけらを美味しく頂戴していくシーンがなかった。ストーリーに説得力がなかった(実話に説得力も何もないと思うが)。

 

ジョナ・ヒル自身のパフォーマンスも『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のそれには劣る。若きアントレプレナーの事業や経営への意識の違いが、やがて関係の破綻・破局につながっていくというストーリーの見せ方は『 ソーシャル・ネットワーク 』の方が一枚も二枚も上手だった。エフレムというキャラクターが十分に肉付けされていないからだろう。ところかまわずカネで女を買いまくっているが、高校の時に女に手酷い目にあわされたというような逸話の一つにでも言及してくれれば、観る側の捉え方も少しは変わる。また、『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』におけるディカプリオが、創業の功臣メンバーの女性に非常に人間味あふれるサポートを施していた逸話があったが、エフレムに何か一つでも会社や従業員に対する想いを見せる演出が欲しかった。それがないために、最初から最後まで小悪党にしか見えなかった。

 

総評

普通に面白いブラック・コメディである。総理大臣肝入りの数百億円規模の事業の裏側で何が起こっていたのかを、本作を下敷きにあれこれ想像してみるのも興味深いだろう。同時に、夫婦の在り方の軸には正直さが、ビジネスの在り方の軸には真っ当さが必要であるという当たり前の教訓をも教えてくれるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

read between the lines

「行間を読む」の意である。これは何も読書に限ったことではない。エフレムの言う“All the money is made between the lines.”=すべてのカネは行間から生まれる、は蓋し真実である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・デ・アルマス, アメリカ, ジョナ・ヒル, ブラック・コメディ, ブラッドリー・クーパー, マイルズ・テラー, 伝記, 監督:トッド・フィリップスLeave a Comment on 『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

Posted on 2020年5月5日 by cool-jupiter

ハンナ 40点
2020年5月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン ケイト・ブランシェット
監督:ジョー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200505220556j:plain
 

近所のTSUTAYAがこのご時世にもかかわらず、いや、このご時世だからか大繁盛していて、本命(多くは準新作)がどれもこれも借りられている。たまたま目についたシアーシャの“顔”だけで借りてきた。この判断は失敗だった。

 

あらすじ

フィンランドの人里離れた森でCIA工作員だった父から語学や一般教養、そして格闘術を叩き込まれた少女ハンナ(シアーシャ・ローナン)に、ついに外の世界へ巣立つ時期がやってきた。だが、かつての父の同僚メリッサ(ケイト・ブランシェット)がハンナを執拗に追跡してきて・・・

 

ポジティブ・サイド

ハンナが各国の言語を流暢に操るシーンはとてもクールである。同時に初めて出会う人々とずれたコミュニケーションを取る様は非常に滑稽でもある。どこか『 ターミネーター 』的である。クリシェであるが、そこはまあまあ面白い。

 

年端のいかない暗殺者というのは死ぬほど量産されてきたキャラで、化粧っ気がゼロだが、そこが魅力的でもある。野生児の風味があるところがいい。アクション、特に近接格闘前に逃げるところに動物らしさが見て取れる。Fight or flightである。

 

16歳の少女らしく、開放的な世界でのアバンチュール的展開もある。ここで妙なときめきを感じたりしないところもgood。ストーリー進行を妨げていない。友人となるソフィーとのsleep-overも良いムードである。血も涙もない殺人者ではなく、かといって動物的な勘性だけに染まっているわけではない。ある意味でとても無垢な少女という印象を観る者に刻み付けてくれた。

 

10代のシアーシャを本作で堪能されたし。

 

ネガティブ・サイド

トム・ホランダーの演じる追走者一味がかなり間抜けだ。迷路状の貨物置場でチェイスしている最中に口笛を吹くか?ここでのロングのワンカットは緊迫感溢れるシークエンスだったが、ホランダーの口笛がその空気をぶち壊しにしたように感じた。他にも余裕をぶっこいておきながらエリックの逃走を許す。あるいは格闘戦で普通に負けるなど、とてもCIAエージェントたるマリッサが「裏の仕事を任せたい」と頼る相手とは思えない。見た目も間抜けで実力もイマイチ。なぜこのような設定になってしまったのか。

 

『 オールド・ボーイ 』でも感じたことだが、なぜハンナは初めて触れるパソコン、そしてインターネットを使いこなせるのか。父親から話に聞いていたとはいえ、数分で使いこなせる代物ではないはずだ。また、元CIAであるエリックの情報がネットでほいほいと簡単に手に入るのもおかしい。本物のCIA職員からすれば噴飯ものだろう。

 

マリッサの行動も意味不明なものが多い。サイレンサーを持っているなら、毎回それを使えと言いたい。なぜ街中で銃をぶっ放す時に使わないのか。そして、わざわざ仕留めた相手をよっこらせとばかりに運んだというのか。そんなことをしている暇があるのなら、ハンナというターゲットをしっかりと追いかけろと言いたい。

 

そのハンナとマリッサの対決シーンも腑に落ちない。フィンランドの雪原および森林をホームに育ったハンナが、なぜ待ち伏せて狙い撃ちする戦術を選択しなかったのか。せっかくの決め台詞が、やはり間抜けに聞こえてしまう。全く同じ構図の絵作りをしている作品に『 ウインド・リバー 』がある。完成度はそちらの圧勝である。

 

字幕が余計なことをしている。どの部分とは言わないが、ケイト・ブランシェットの台詞とだけ指摘しておく。

 

総評

凡百のアクション映画である。10代のシアーシャ・ローナンが見られるということぐらいしか特徴がない。だが、シアーシャのファンならば観ておく価値はある。大女優や大俳優の多くも、クソ映画に出演して腕を磨いたのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

gross

GNP = Gross National Productのgrossだが、日常会話では圧倒的に「キモイ」の意味で使われる。同義語はcreepyやobnoxiousである。劇中では、朝ごはんとして皮剥ぎのウサギを調達してきたハンナに、ソフィーが一言“That’s gross.”=「キモイよ」と言い放つ。服でも食べ物でも容姿でも言動でも、なんでもgrossと言うことで不快感や嫌悪感を表明することができる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ケイト・ブランシェット, シアーシャ・ローナン, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

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