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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 砕け散るところを見せてあげる 』 -青春映画を期待するべからず-

Posted on 2021年4月11日 by cool-jupiter

砕け散るところを見せてあげる 65点
2021年4月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:中川大志 石井杏奈 井之脇海 清原果耶
監督:SABU

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怪作『 蟹工船 』監督のSABUが竹宮ゆゆこの同名小説を映画化。タイトルからして不穏であるが、割と血生臭い系の映画にばかり出演している石井杏奈がヒロインであることから色々とお察しされたい。

 

あらすじ

高校三年生の濱田清澄(中川大志)は、いじめの対象にされている一年生の蔵本玻璃(石井杏奈)を助ける。初めは拒絶していた玻璃だが、徐々に清澄に心を開き、二人は打ち解けていく。しかし、玻璃は「UFOを撃ち落とさなければならない」という謎の告白をして・・・

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ポジティブ・サイド

石井杏奈の代表作が生まれた。『 ホムンクルス 』のレビューでキャピキャピ映画に出るべしと提案したが、撤回したい。等身大ではなく、一筋縄ではいかない、どこかに闇を抱えた少女路線をしばらく続けるべし。久しぶりに若い女優の「演技」を観たと感じた。体育館での奇声、女子トイレでの吃音交じりのしゃべりに『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良を思い起こさせてくれる演技だった。特にトイレのシーンは圧巻。寒さからくる震えと極度の緊張感と不安感から、自然とどもってしまう感じが演技には思えなかった。そして中盤に華麗なる(外見上の)変身を果たしても、口数の多さから対人的な距離の取り方の下手さがうかがい知れる。つまり、他人との距離が極めて近いか、極めて遠いかという不器用な人間の顔が見えてくる。佳人薄命と言うが、こういう人間に救いの手を差し伸べられるかどうかでその人間の価値が上下するようにすら思えてしまう。それほど周囲から孤立し、それゆえに多くの人を遠ざけ、ほんのわずかな人間だけを引き寄せるという不思議なキャラクターに仕上がった。SABU監督の演出もあるのだろうが、石井杏奈本人のcharacter studyの努力も見逃せない。

 

それを助ける中川大志も今までのキャリアの中ではベストアクトだろう。『 坂道のアポロン 』的な役で1年のいじめっ子たちをぶっ飛ばしてほしいと一瞬だけ感じたが、すぐにそういう役ではないと分かった。どちらかというと『 覚悟はいいかそこの女子。 』に近かった。といっても、甘酸っぱい、青臭いラブストーリーではなく、かといって社会的な貧困問題などを取り上げているわけでもない。極めて個人的な背景と関係を描いた物語である。ヒーローになるという、ともすれば青臭い正義感に駆られた少年という漫画的なキャラクターをリアリティをもって描き出せていた。そう感じさせてくれたのは、いじめられている玻璃にひたすらに寄り添う姿勢からだ。確かにいじめっ子に対して先輩という立場や体格の違いにものを言わせることはたやすい。担任や学年主任にいじめを報告することもできる。しかし、清澄はそうした行動を選択しない。それは彼自身の信念から来ていることで、だからこそ少々不可解に思える行動にもある程度納得することができる。

 

青春邦画には少々珍しく、かなり直截的なメイクアップが使われている。そこは評価したい。美しく見せるだけがメイクではない。痛みを伝えることも、メイクの重要な役割であることが本作を通じてあらためて感じられた。

 

若い二人の関係性の発展にフォーカスした中盤までは必見。終盤でも、一発で撮影できなければやり直しが困難あるいは多大な時間を要するシークエンスが多数あり、それを見事に乗り切った中川と石井、そして多くのスタッフの労力に敬意を表したい。

 

愛とは何か。それは消えないもの、続いていくもの、目に見えなくても実感できるもの。そうした極限的に青臭いメッセージを最終的に送ってくる本作であるが、それを好ましく受け止められるだけの重みが本作にはあった。

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ネガティブ・サイド

冒頭の勉強部屋のシーンはもっとうまく作れたはず。それこそ窓の外から撮るとか、または母親目線で、つまり背後から撮るとか、もっと工夫のしようがあった。多分このシーンと直後の全力ダッシュシーンのつながり方で、多くの人が「ん?」となったはず。Jovian嫁はそうだった。ここは「ん?」と思わせてはいけないシーンだろう。

 

清澄と田丸の友情は非常に好ましく、微笑ましくも思えたが、終盤で田丸が清澄に「この線の向こう側に行くな!あの女ではなく俺を選べ!」といったようなセリフを吐いたのには正直ドン引きした。BL要素は不要だし、何よりも普通の男は、男の友情よりも女を選ぼうとしている男の肩を持つものだ。原作がこうなのかな?ここには多大な違和感を覚えた。

 

『 パブリック 図書館の奇跡 』でもあったミスだが、真冬の長野だという設定にもかかわらず登場人物たちの吐く息がまったく白くない。夜でさえも。また清澄と玻璃の帰り道だか車から見えるシーンだったか、思い切り稲穂が首を垂れていた。つまり、撮影時期は10月頃だろう。だったら劇中をそういう時期に設定するか、あるいは夜だけでも白い息を吐くように工夫するか、CG処理でもしてほしかった。特に真冬で凍える時期という設定に一定の意味があるのだから、後者が必要だったのではと強く思う。

 

最後に、これは映画そのものへのfeedbackでもcomplaintでもないのだが、どうしても言わせてほしい。もうトレーラーで物語を全部ばらす愚行からはそろそろ卒業してはどうだろうか。これは邦画だけではなくハリウッドにも当てはまるが、インド映画や韓国映画のトレーラーはもっと巧みに作られている。本作もまったく悪いストーリーではないが、トレーラーがほとんど全部のストーリーを語ってしまっている。本編鑑賞後に観て「ああ、なるほど」と思える構成ではなく、観る前にストーリーの推測ができて、観た後に「トレーラーのまんまやんけ・・・」と頭を抱えてしまう。もう、そういうトレーラー作りや公式サイト作りはやめよう、本当に。

 

総評

冒頭の北村匠海→中川大志のチェンジに違和感を抱いてはならない。それが第一の関門(いや、原作小説ではどうだかわからないが、これは10人中8人ぐらいが素直に飲み込めるはず)。終盤でガラリとトーンが変わるが、それを受け入れられるかどうかが二つ目の関門。そこさえクリアできれば、非常に小さな、それでいて大きなスケールの感動を味わうことができるに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

UFO

ユーフォーではなく、ユー・エフ・オーと読む。unidentified flying objectの頭文字を取ったもの。意味は未確認飛行物体=正体が確認されていない飛んでいる物体、である。Jovianが分詞の形容詞的用法を説明する際に必ず使う語である。過去分詞でも現在分詞でも、それを形容詞的にサッと名詞にくっつけて発話できるようになれば、英語の中級者であると言える。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, 中川大志, 井之脇海, 日本, 清原果耶, 監督:SABU, 石井杏奈, 配給会社:イオンエンターテイメント, 青春Leave a Comment on 『 砕け散るところを見せてあげる 』 -青春映画を期待するべからず-

『 21ブリッジ 』 -プロットはありきたりだが、迫力は十分-

Posted on 2021年4月11日 by cool-jupiter

21ブリッジ 55点
2021年4月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:チャドウィック・ボーズマン J・K・シモンズ ステファン・ジェームス
監督:ブライアン・カーク

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ブラックパンサーのチャドウィック・ボーズマンの遺作。マンハッタン封鎖という壮大なスケール+話題性に惹かれて鑑賞。エンタメの面だけ見れば上々である。

 

あらすじ

マンハッタンで警察官8人が射殺されるという事件が発生した。警察官殺しの犯人を過去に何度も射殺してきたアンドレ・デイビス(チャドウィック・ボーズマン)刑事が犯人を逮捕するため、マンハッタンを全面封鎖するが・・・

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ポジティブ・サイド

チャドウィック・ボーズマンの雄姿が光る。冒頭の査問シーンから、容赦なく相手を射殺していくタイプかと思いきや、血も涙もある人間だった。認知症の母親をいたわる姿に、Mama’s boyとしての顔と、激務である刑事の仕事に誇りを持っているというプロフェッショナリズムの両方が見えた。これがあるためにラストの言葉による対決が説得力を持っていた。

 

犯人たちを追跡するシークエンスも大迫力。追いかけるデイビスは『 チェイサー 』のキム・ユンソクばりに走る走る、逃げる。犯人の一人であるマイケルも『 哀しき獣 』のハ・ジョンウばりに逃げる逃げる。マンハッタンの街中や道路、地下鉄、住宅などを縦横無尽に駆け巡る追跡&逃走劇は、邦画では描けない臨場感。追う者と追われる者がいつしか自分たちだけの一体感を得ていくというのは、よくある話であるが、それゆえに説得力がある。

 

ハリウッド映画で感じるのは、銃撃のリアリティ。銃撃されたことはないけれど、色々なものが確実に伝わってくる。Jovianは大昔に一度だけアメリカで銃を撃ったことがあるけれど、銃器って重いんだ。それを扱っている人間の体の動きや姿勢、撃った後の反動、それに音響などの迫真性がたまらなく恐ろしい。こればっかりは邦画が逆立ちしても勝てない領域(勝つ必要はないけれど)。

 

チャドウィック・ボーズマンのファンならば、彼の雄姿を目に焼き付けるべし。

 

ネガティブ・サイド

デイビスのキャラクターをもう少し深堀りすることはできなかったか。警官殺しを容赦なく殺すというのは、なかなか強烈なキャラクターだ。だからこそ、冒頭で描かれる彼の父親の死や、実際に彼が行ってきた容疑者や犯人の射殺に至る経緯をもっと詳しく見せる必要がある。それが中途半端ゆえに「あれ、撃ち殺すんじゃないの?」という疑問がわき、それが「ああ、撃ち殺せないプロット上の理由があるのね」とつながってしまう。このあたりからストーリーの全体像が読めてしまうし、2020年夏の米ウィスコンシン州のジェイコブ・ブレイク事件を彷彿させる、無抵抗な人間を警察が容赦なく射殺・銃撃するシーンを見せられれば、否が応でも黒幕の存在にはピンとくる。韓国映画の警察が無能というのは常識だが、アメリカ映画の警察が味方とは限らないというのもまた常識である。

 

デイビスの孤立無援、孤軍奮闘っぷりばかりが目立つが、「ヨランダ」にもう少し後半に出番があってもよかったのではないか。「ケリー」の方にはあるのだから、ここはバランスをとってほしかった。というか、ヨランダがデイビスにかけてきた電話はいったい・・・

 

総評

警察という仕事の困難さはJovianも義理の親父から何度か聞かされた。しかし、警察という仕事の誇らしさもそれ以上に聞かされた。そういう意味で、マンハッタン封鎖作戦以降は、警察1vs警察の物語として観るべし。ただしデイビスの人間性はうまく描出されていたが、デイビスの警察官としてのバックグラウンドがほとんど描かれなかった点が惜しい。同じようなテーマの『 ブラック アンド ブルー 』の方が面白さは上だと感じた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on borrowed time

『 サヨナラまでの30分 』で紹介した live on borrowed time とほぼ同じ意味である。つまり、借り物の時間で存在している=死ぬのは時間の問題、ということ。劇中のアメリカの警察の恐ろしさを実感させてくれるセリフである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, J・K・シモンズ, アクション, アメリカ, ステファン・ジェームス, チャドウィック・ボーズマン, 中国, 監督:ブライアン・カーク, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 21ブリッジ 』 -プロットはありきたりだが、迫力は十分-

『 るろうに剣心 』 -コスプレ映画以上、傑作映画未満-

Posted on 2021年4月9日 by cool-jupiter

るろうに剣心 60点
2021年4月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 武井咲 香川照之
監督:大友啓史

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漫画『 るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 』をジャンプ連載時にリアルタイムで読んでいた世代としては、本作が映画化された時は素直に嬉しかった。ただし初めて劇場鑑賞した時、そして今回のリバイバル上映を観ても、感想は同じ。ストーリーをもっと練ることができたはずだ。

あらすじ

明治維新から10年。東京では神谷活心流を名乗る懸隔による謎の惨殺事件が頻発していた。流浪の剣客である緋村剣心(佐藤健)は、神谷活心流の薫(武井咲)と出会い、道場に逗留することになる。一方で、実業家の武田観柳(香川照之)は阿片の密売を進めようと画策していて・・・

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ポジティブ・サイド

佐藤健が緋村剣心にそっくりである。もちろん役者の容姿だけではなく、そこにはヘアスタイリストやメイクアップアーティスト、衣装の力があることを忘れてはならない。それでも、佐藤の演技に漫画の剣心をストレートにイメージできた人は多いのではないだろうか。剣心のユニフォームと言うべき、朱色の着物を身に着けるようになるエピソードもなかなかである。『 続・夕陽のガンマン 』でブロンディが最終盤近くでポンチョを身にまとうシーンを思い起こした。もちろんアクションでも魅せる。剣心というキャラクターの魅力は、華奢で天然の入った優男が実は凄腕の剣客であるというギャップ。実際に刀を振るってのアクションは迫力満点。キャラの外見は漫画的だが、チャンバラやその他のバトルシーンは映画的だ。ワイヤーアクションをふんだんに使ってのソード・アクションは必見。観柳邸の庭で大人数の浪人相手の立ち回りでは、カメラワークの巧みさもあり、漫画的なショットの連続で神速の体術と刀裁きが光っていた。飛天御剣流のお約束的なポーズもしっかり再現されていて、ファンサービスも抜かりなし。

剣心以外でキャラの再現度が高いと感じられたのは相楽左之助。演じた青木崇高に拍手。原作ではどこかクリーンなイメージの外見だが、映画では粗野で不潔で喧嘩っ早いという属性そのままの容姿。さらに斬馬刀を振り回すという迫力あるアクションに、本物の元格闘家を相手にして徒手空拳で挑むバトルも、漫画的でどこか笑える雰囲気でありながら、痛みを感じさせるリアルなシーンに仕上がっていた。特に観柳邸の台所でのバトルは、すぐそこにあるもので相手を殴りまくっており「これは痛い」と実感できた。

鵜堂刃衛役の吉川晃司もコスプレはもちろん、アクションを相当に頑張っている。警察署への討ち入りから剣心との決闘まで、チャンバラ活劇の迫力では佐藤健に一歩も引けを取っていなかった。背車刀の実演も見事。連載時に「うおっ、なんかすげえ!」と感じた中学生の頃をおっさんになった今でも思い出せた。本職は俳優ではなかったはずだが、この多芸多才ぶりは賞賛に値する。物語序盤の敵であるため目立たないが、スーパー実力者である鵜堂刃衛をコスプレ以上の意味で体現した、本作の影の立役者である。

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ネガティブ・サイド

るろ剣という壮大な物語の導入とキャラ立てとストーリー展開を同時並行でやろうとして、見事に失敗している。るろ剣ほどのヒット漫画の映画化なのだから、第一作目ではキャラをじっくり作りこみ、キャラ同士の関係の発展に焦点を当てるか、あるいは観る側がキャラ設定をすでに十分に承知したうえで鑑賞するものと想定して、一気に物語を動かすか。そのどちらかすべきだった。

本作の弱点は明らかで、キャラの立て方が中途半端になってしまっている。相良左之助と剣心の出会いが留置所というのはいかがなものか。いや、左之助と剣心の出会いの物語を原作漫画通りやっていたら、それだけで40~50分はかかる。それは理解できる。だが、なぜ警察絡みにしてしまうのかが解せない。原作のこの段階では出てこず、かつ左之助とはまったく馬が合わない斎藤一を、プロローグ段階でバンバン出してしまっていることで、キャラの人間関係や背後関係が妙なことになっているように見える。左之助を捕縛できる警察など斎藤以外にいないが、それでは話のつじつまが色々と合わない。

その一方で観柳はコスプレではなく、香川照之の独演会、ワンマンショーになっている。他のキャラは漫画のコスプレをしているのに、一人だけオリジナルキャラクターになってしまっている。もちろん観柳は観柳なのだが、なにもかもが over the top で、インテリヤクザではなくただのヤクザになっているのだ。

斎藤一のキャラもぶれている。というよりも、斎藤の代名詞である「悪・即・斬」が一度も聞かれないので、斎藤がただの腕の立つ警察官になり下がってしまった。なぜ幕府側だった斎藤が明治政府の要人の下でその腕を振るっているのか、それは原作で執拗なほどに描写された、斎藤自身の正義感=悪・即・斬という哲学・信念に常に忠実であり続けているからに他ならない。だが、そういったキャラ立てに最も必要とされる部分がすっぽりと抜け落ちてしまっているせいで、斎藤が単なる体制側の人間に見えてしまう。

最も許せないと感じたのは弥彦の扱いだ。それまで単なるにぎやかし要員だった弥彦が、観柳邸に向かう剣心と左之助から薫と道場の警護を託されるシーンは名場面だったし、漫画『 ベルセルク 』でガッツがイシドロに殿を任せる場面は、るろ剣のここからインスパイアされたものだと勝手に解釈している。そんな弥彦が、警察、それも斎藤一のところに駆け込むか?斎藤の口から語られるべきだったのは「お前らのところのちびが来た」ではなく、「神谷道場が襲撃されたと近隣住民から通報があった。急行してみたら、子どもが奮戦むなしくやられていたが、最後まで立派だった」みたいなことでなければならなかった、絶対に!るろ剣というのは主人公が最初から超絶強いわけで、読者は「かっこいい!」とは思えても、自己同一視はできないタイプのキャラである。そういう意味で弥彦というキャラは同時期の漫画『 ダイの大冒険  』で言うところのポップのような、成長型の人間、つまり普通の読者が自己を重ね合わせやすいキャラだった。そこを読み誤った、あるいは脚本に盛り込めなかった大友啓史には猛省を促したい。

総評

コスプレ映画以上の出来であることは間違いない。しかし、脚本があまりにも粗い。ストーリーを詰め込み過ぎている。また重要キャラクターの描写にも原作軽視あるいは無視の傾向が見て取れるのが残念である。逆に言えば、単純にアクションを楽しむ分には何の問題もない。チャンバラに関して言えば、韓国英語がにもハリウッド映画にも負けていない(というか、絶対に負けてはいけないのだが)。るろ剣の実写映画の最終章の公開前に復習鑑賞するという意味では、ファンならばチケットを買うべきだろう。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

no-kill

殺さず、の意味の形容詞。英語でも no-kill trap や no-kill animal shelter などの言葉は、あちらのドキュメンタリーなどを観ていると聞こえてくる。不殺の誓いは、no-kill oathとなるだろうか。初期以外のバットマンは犯罪者を殺さないというポリシーを持っているが、それも時々 no-kill oath と言われている。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, 佐藤健, 日本, 武井咲, 監督:大友啓史, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 香川照之Leave a Comment on 『 るろうに剣心 』 -コスプレ映画以上、傑作映画未満-

『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

Posted on 2021年4月6日 by cool-jupiter

ホムンクルス 40点
2021年4月4日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:綾野剛 成田凌 岸井ゆきの 石井杏奈
監督:清水崇

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ホムンクルスという言葉に初めて触れたのは手塚治虫の『 ネオ・ファウスト 』だった。腎臓の人間ではなく、人間の深層心理を擬人化したものが見えるというのは面白いアイデア。どうせ漫画を映画化するなら。これぐらい毒のある作品にトライしてほしいもの。ただチャレンジ精神と結果は別物である。

 

あらすじ

記憶喪失でホームレスとして暮らす名越(綾野剛)に、謎めいた男・伊藤(成田凌)はトレパネーション手術を持ちかけられる。その手術を受けた名越は左目だけで見ると他人の深層心理が見えるようになってしまい・・・

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ポジティブ・サイド

綾野剛の演技が光る。ホームレスでありながらAMEXのブラックカードを持ち、高級ホテルの展望レストランで食事をする。記憶がないのだが、記憶を取り戻すことに拘泥しない。どこか底知れない雰囲気の男を好演した。感情の無い男が徐々に感情を表出するようになっていく過程は見応えがあった。特にホームレス仲間の命の値踏みを淡々と進めていくところは、感情がないようでいて感情があった。つまり、元々路上生活者たちのことを何とも思っていなかったわけで、ストーリーの持つメッセージの一つ、「見てはいるけど、見ていない」を体現していたわけだ。

 

成田凌も平常運転。『 スマホを落としただけなのに 』や『 ビブリア古書堂の事件手帖 』と同じく、インテリなサイコパスを怪演した。青っ白い肌に奇抜な髪の色と髪型、そしてファッション。映画『 セブン 』的な精神病者気質の部屋。ちょっと頭がいっちゃってる役を演じる成田凌としては、本作は過去作よりも上かもしれない。

 

石井杏奈と岸井ゆきのもしっかりと脇を固めている。特に石井杏奈の方は女優としてはまだまだ駆け出しでありながら、結構ハードなシーンに挑んでいる点には好感が持てる。『 記憶の技法 』とか本作のような暗めの作品ではなく、広瀬すずや橋本環奈がキャピキャピするような映画でヒロインの親友役を狙った方がプロモーション上は吉なのでは?

 

本作の特徴の一つに、効果音の不気味さが挙げられる。特にトレパネーションを実施する際のドリルの音は、歯科医の使う器具の音でありながら、頭蓋骨に穴を空けるというその行為の気持ち悪さによって、不快指数を否が応にも高めてくれる。その他にも、音が印象的なのが本作の特徴である。フォーリー・アーティストを称えようではないか。

 

ネガティブ

綾野剛がトレパネーションを受けて、はじめて右目を隠して街を観るシーンは緊張感が漂った。が、実際に目にした光景を見てずっこけた。何じゃこりゃ?と。まず、CGがしょぼい。唯一ちょっと面白いなと感じたのは体が右半身と左半身に別れて、左右反転した形で歩いているサラリーマンぐらい。その他の意味不明な姿は本当に意味不明だ。トラウマが目に見えると伊藤は推測していたが、だったら「今から会える?」と電話しながら下半身、特に腰部だけをクルクルと回転させていたミニスカ女子は一体なんなのか。普通に考えれば「お、今日はセックスする気満々だな」ぐらいにしか思えないのだが、それもトラウマなのか?

 

トレパネーションの結果、ホムンクルスが見えるようになったというのは受け入れられる。だからといって内野聖陽演じる組長が、ドスを握った手を不随意にプルプルと震わせるのは理解できない。百歩譲って名越の言葉に動揺したせいで震えてしまったことにしてもよい。だが、それをあたかも名越自身の何らかの超能力であるかのように描写するのはいかがなものか。また、組長がトラウマから解放されるくだりはあまりにも安直過ぎないか。たったそれだけで心の傷が癒えるのなら、これまで切り落としてきた小指七十数本については胸が一切痛まなかったというのか。精神医学の歴史を変える治療だと伊藤は言うが、とてもそうは感じられない。古典的なカウンセリングにしか見えなかった。

 

同じことは石井杏奈演じる女子高生にも当てはまる。そもそも名越に携帯の中を見られたことをさも当然のことであるかのように振る舞っていたが、どうやってパスを解除したのか、まずそこを不審に思わないところがおかしい。また性についてのコンプレックスがあるのはさして珍しいことではないが、それがあんな形で治療扱いになるのか?むしろ新たなトラウマを植え付けただけだろう。なぜ組長は言葉で治療しながら、女子高生には『注射』で治療するのか。原作がこうなのか?それとも注射に至る過程の描写が映画では削られているのか?どちらにせよ、見ていて気持ちいいものではなかったし、筋が通っているとも感じられなかった。

 

肝心の名越が記憶喪失になった経緯も、中途半端にしか説明されていない。何が起こったのかは分かった。だが、あのような出来事があれば、必ず葬式やら入院退院やら警察からの事情聴取などがあるはずなのだ。そこで必ず身分証明がなされているはず。そうした社会的に当然の事象を全部すっ飛ばして記憶喪失でござい、と言われて納得などできるはずもない。原作は未読だが、エピソードを端折り過ぎているか、あるいは大幅に改変、いや改悪しているのは間違いない。

 

本作の放つメッセージとして「相手の心を見ろ」というものがあるのだろうが、そこが上手く伝わってこない。なぜホムンクルスが見える人間とそうでない人間がいるのか?名越の目にホムンクルスが見える人間に何らかの共通点はあるのか(友達を傷つけた、性体験、父親からの愛の不足)?伊藤がホムンクルスを見てななこを誤認したのは理解できなくもないが、肌と肌を合わせて気が付かないことがあるのか?それこそ無意識レベルで何か思い出すのでは?また伊藤の顔の吹き出物は何なのか?伊藤のトラウマは金魚ではなく水槽ではないのか?などなど、疑問が尽きない。

 

総評

『 犬鳴村 』や『 樹海村 』よりは面白いが、素材の持つ毒を完全に調理しきれているかと言うとはなはだ疑問である。『 オールド・ボーイ 』や『 藁にもすがる獣たち 』のような振り切れた日本産の作品の映像化に大成功している韓国が本作を映画化したら、いったいどうなっていたのだろうか。悪い出来ではないが、ミステリ、スリル、サスペンスのいずれの面でも、少し足りないという印象である。実力ある役者を集めてみたものの、総合的な味付けで失敗したという印象。綾野剛や成田凌のファンなら鑑賞してもよい。逆に言うとそうでない映画ファンはスルーもひとつの選択肢である。というかスルーしてよい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why are you shaking?

劇中である人物が「なんで震えてるの?」と言う場面がある。その私訳である。「震える」の最も一般的な動詞は shake だが、感情または肉体が原因での震えは tremble、寒さが原因の震えには shiver を使うことも覚えておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, スリラー, 岸井ゆきの, 成田凌, 日本, 監督:清水崇, 石井杏奈, 綾野剛, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

Posted on 2021年4月4日 by cool-jupiter

モンスターハンター 50点
2021年4月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ トニー・ジャー
監督:ポール・W・S・アンダーソン

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実はJovianはモンハンはプレイしたことがない。しかし、モンハン製作者の方の一人と交流があるため、モンハンは応援しているフランチャイズの一つである。USJでモンハンのアトラクションにも行ったし、幸運にもコンサートに招待されたこともある。CDを買って、サインをしてもらったこともある。けれど映画は映画、ゲームはゲーム。批評は公平にせねばならぬと言い聞かせてもいる。

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あらすじ

国連軍所属のアルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は隊と共に砂漠の嵐に飲み込まれた。気が付くとそこは巨大な怪物が跋扈する異世界だった。隊員は巨大蜘蛛に殺されてしまい、アルテミス自身も窮地に陥る。しかし、そこで彼女はハンター(トニー・ジャー)と出会い・・・

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ポジティブ・サイド

ディアブロスやネルスキュラといったモンスターの迫力が素晴らしい。JovianはあまりCGそのものには感動しないのだが、大学生の頃に観た『 ロード・オブ・ザ・リング 』のバルログを心底怖いと思ったが、あの感覚に近い。『 ホビット 竜に奪われた王国 』の邪竜スマウグにも同様の感覚を抱いた。ゴジラやガメラといった怪獣は着ぐるみとの親和性高いし、『 エイリアン 』のゼノモーフなども着ぐるみであるからこその実在感があった。だが、モンハン世界は神話や伝説のファンタジー世界の方に近いのでCGでも問題はなしである。

 

ミラ・ジョヴォヴィッチとカプコンは相性が良いのかな。『 バイオハザード 』と『 バイオハザードⅡ アポカリプス 』は面白かった(シリーズ最後の2つは観ていないが)。本作でも、いわゆる戦う女性としてのアイデンティティを見事に発揮。アリス役で銃を撃ちまくる姿を思わず重ね合わせたファンは多いのではないだろうか。

 

ハンター役のトニー・ジャーはミラ・ジョヴォヴィッチを上回る存在感。ゲーム未プレイのJovianでも「あ、なんかゲームのキャラっぽい」と直感した。格闘能力や弓矢の腕前、ハントの知恵など、本当はもっとたくさんいるはずのハンターたちの属性を一手に引き受けていたように思うが、確かにそれらをすべて体現していた。タイ人ということだが、日本人でもこういう無言・無口で、しかしアクション能力は抜群みたいな役者は、ハリウッドを目指すべきだと思う。トニー・ジャーが今作で見せたパフォーマンスは日本や韓国、インドの役者がハリウッド進出を目指す際の一つの目安になるのではないか。

 

ディアブロスとの戦闘シーンは迫力満点。ゲームのドラクエやFFなど、明らかに自分よりも遥かに巨大なモンスターと戦っている時の自らの脳内イメージに近いものがあったし、ファンタジー世界に浸っているという感覚も十分に味わえた。モンハン未プレイ者としては、それなりに満足できた。

 

ネガティブ・サイド

製作者の方が言っていた「モンハンの魅力はチームワークとコミュニケーション」がきれいさっぱり抜け落ちていた。きれいさっぱりは言い過ぎか。一応、序盤のAチームの面々にはチームワークとコミュニケーションがあった。が、それは単なる死亡フラグやろ・・・

 

タイトルが『 モンスターハンター 』、コンセプトも「モンスターを狩る」ということのはずなのに、そこが弱い。アルテミス大尉とハンターのバトルはそれなりに見どころはあるものの、はっきり言って不要なシークエンスだった。映画自体は続編のありきの作り方とはいえ、人間パート、もっと言えば人間同士のバトルのパートはもっと削って「モンスターを狩る」、「モンスターの皮や角や牙から武器防具やアイテムを作る」というモンハンならではの世界観の構築に時間とエネルギーを費やすべきだった。そしてそうした思考や行動は現代人であるアルテミスにも可能なはず。普通に考えれば、現代兵器が通用しないモンスターの皮なら実用的な防弾ベストが作れると考えるはずだし、そうすべきだった。どこからともなくアルテミスの体のサイズにぴったりの鎧が出てきたのは不可解だし、逆に鎧を着せるなら、その鎧を手に入れる過程こそしっかり描くべきだった。

 

アルテミスというキャラについても疑問に感じられる点が一つ。自分は指輪というアイテムを後生大事に持っている癖に、ハンターが祈りを捧げる人形にまったくリスペクトを払わないというのはこれ如何に。国連軍所属ということは世界のあらゆる地域の紛争に介入する可能性があるということ。つまり、異文化への理解が不可欠なはずなのだ。そうした職業軍人としての背景と行動が矛盾しているし、単純に見ていて気持ちの良いものではない。

 

一点だけ映画のプロットに関係のないネガティブを。それは序盤の字幕。”I got it!”とあるキャラが叫ぶシーンがで字幕が「分かった!」になっていたが、これは間違い。正しくは「(エンジンが)かかった!」である。

 

総評

アクション映画、ファンタジー映画として観ればそこそこの出来である。ゲーム『 モンスターハンター 』の映画化として観れば微妙だろう。モンハンのいわゆるテーマソング、あれが少しでも使われていれば、それだけで一部のファンはゲーム世界と映画世界がつながったと感じられたはず。まあ、良くも悪くもゲーム世界と映画世界は別物だと理解して鑑賞するかどうかを決める必要がある。ちなみにMOVIXあまがさきの客入りはさびしいものだった。ゲームファン世代であるべき10代~30代はほとんどおらず、どういうわけか年配の方々ばかり。公開から1週間以上が経過しているとはいえ、土曜の昼にこのありさまと言うことは、ゲームファンからそっぽを向かれた作品なのだろう。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bait

エサの意。ただし、ペットの犬や金魚にエサをやるという時のエサではなく、獲物などを呼び寄せる時に使うエサのこと。釣りを嗜む人ならベイトやルアーなどの言葉に馴染みがあるだろう。魚をベイトでルアーするわけである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, トニー・ジャー, ファンタジー, ミラ・ジョヴォヴィッチ, 監督:ポール・W・S・アンダーソン, 配給会社:東和ピクチャーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

『 ANNA アナ 』 -スタイリッシュなスパイアクション映画-

Posted on 2021年4月3日 by cool-jupiter

ANNA アナ 70点
2021年3月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サッシャ・ルス ルーク・エヴァンス キリアン・マーフィ ヘレン・ミレン
監督:リュック・ベッソン

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『 ニキータ 』の昔からスタイリッシュな女性キャラクターを描き出すことにご執心のリュック・ベッソン御大の作品。劇場公開時に見逃したこともあるが、ジェシカ・チャステイン主演の『 AVA/エヴァ 』のトレーラーを観て、同工異曲の本作が気になった。ゆえに近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

1990年のソ連。不遇な環境に生きるアナ(サッシャ・ルス)は、KGBのアレクセイ(ルーク・エヴァンス)からスパイとしてスカウトされる。彼女はエージェントとして頭角を現し、数々の困難なミッションを遂行していくのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 レッド・スパロー 』の虚々実々の騙し合いの駆け引きと『 アトミック・ブロンド 』の肉弾バトルと銃撃アクションを見事に融合している。主演のサッシャ・ルスはまさに佳人薄命。ろくでもない恋人のせいでどん底の生活をしていたところを、アレクセイにスカウトされる。その時の台詞がしびれる。「5分前まで未来がなかったのに、今は5年後の心配か?」

 

KGBに属することになったその先で出会う女上司のオルガの存在感がまた抜群だ。『 グッドライアー 偽りのゲーム 』でも貫禄の演技を見せたヘレン・ミレンが、現場上がりの管理職の凄みを見せる。五体満足ではこの稼業はできないんだぞ、ということをアナにも観る側にも伝えてくる迫力は本物。

 

アクションもスタイリッシュかつ、血みどろの泥臭さ。レストランに乗り込んでの大立ち回りは『 悪女 AKUJO 』の冒頭のシークエンスを彷彿とさせた。カッコよくぶっ殺すのだが、返り血もしっかり浴びる。『 アトミック・ブロンド 』と同じく、敵をちぎっては投げるが、本人もゼェゼェハァハァ状態。闘う女性の美しさをフレームに収めてきたリュック・ベッソンが、血糊というメイクアップをふんだんに使ってきた。それだけサッシャ・ルスという素材が魅力的だったのだろう。実際にそうなのだ。ファッションモデルからコールガールまで違和感なく演じ、バイセクシャルでもある。単なるキリング・マシーンになっていないところがいい。ロシア人だとかKGBだとかは、何やら得体の知れない怖さがあるが、アナのヒューマンな部分がそうしたところをうまく中和してくれている。

 

KGBのアレクセイを演じるルーク・エヴァンスのロシア人っぽさが微妙に笑えるし、うさん臭さと軽佻浮薄さを漂わせながら目が笑っていないキリアン・マーフィも良い味を出している。男ならどこか彼らに自分を同一視してしまうのではないだろうか。男は美女に翻弄されてナンボなのだろう。

 

アナが終盤で見せる暗殺劇と脱出も手に汗握るガンアクションの連続。アクションができる女優というのは、魅力が200%増しに見える。実際にルーク・エヴァンスとキリアン・マーフィをある意味で手玉に取ってしまうのだから、魔性の女でもある。頭脳明晰、容姿端麗、それでいて凄腕のエージェント。けれどその中身は、何よりも自由と解放を希求する一人のか弱い乙女というギャップ。リュック・ベッソンの趣味が全部ぶちこまれたキャラクターの爆誕と言える。波長が合う人にとっては大傑作だろう。波長が合わない人にとっても佳作だと言えるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

過去の回想シーンが結構な頻度で挿入されてくるが、それによってストーリーテリングのテンポが悪くなっている。「3年前」の後に「半年後」みたいな構成は混乱の元だろう。もちろん、そうすることで観客を驚かせたい、キャラクターの背景を深掘りしたいという意図があるのは百も承知だが、このあたりの回想をもっとコンパクトにまとめることはできなかったのか。

 

1990年のソ連崩壊前夜、またはその数年前が舞台のはずだが、ノートパソコンが普通にバンバン登場する。いや、ノートパソコンそのものは当時も存在したガジェットだが、もっと小さかったはず。まあ、ソ連の科学の粋だと思うことにしよう。だが決定的におかしいのはメールに動画メッセージを添付して送信できるところ。これにはズッコケた。そんなもん、当時の技術や通信インフラの水準で出来るわけないやろ、と。『 真・鮫島事件 』でも思ったが、動画をカジュアルにやりとりできるようになったのはたゆまぬ技術革新のおかげで、それは2000年代後半以降のこと。時代考証はしっかりとすべし。

 

総評

普通に面白い。スパイ映画に出てくる人物というのは、『 ミッション・インポッシブル 』イーサン・ハントだとか『 007 』のジェームズ・ボンドのようなキャラ以外は、基本的にダブル・エージェントであることがお約束である。つまり、スパイ映画の文法に忠実でありながら、それ以外の部分での面白さも追求できている。本邦でも『 奥様は、取り扱い注意 』なる地雷臭が漂う作品が公開間近だが、土屋太鳳や山本舞香といったアクションができる女優を使ったスパイアクション映画を作ってほしいものだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Trouble never sends a warning.

危険は決して警告を送ってこない、の意。字幕は忘れたが、このセリフは耳に残った。You can never check too many times because trouble never sends a warning.だと感じる繁忙期の今日この頃である。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アメリカ, キリアン・マーフィ, サッシャ・ルス, フランス, ヘレン・ミレン, ルーク・エヴァンス, 監督:リュック・ベッソン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ANNA アナ 』 -スタイリッシュなスパイアクション映画-

『 騙し絵の牙 』 -トレーラー観るべからず-

Posted on 2021年4月1日 by cool-jupiter

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騙し絵の牙 55点
2021年3月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:大泉洋 松岡茉優
監督:吉田大八

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塩田武士はJovianと同郷の兵庫県尼崎市出身、さらに学年も同じである。ひょっとしたらその昔、街中ですれ違ったことぐらいはあるかもしれない。原作小説は未読であるが、『 罪の声 』が傑作だったので、本作も期待していたのだが、こちらはダメだった。とにかくトレーラーで半分はネタバレしてしまっている。作った人間は切腹してよい。

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あらすじ

大手出版社「薫風社」で社長が急逝。次期社長の東松の経営改革によって、看板雑誌である「小説薫風」すらも月刊から季刊に変更されかねない。そんな中、サブカル雑誌「トリニティ」の変わり者編集長・速水(大泉洋)は、新人編集者の高野(松岡茉優)を誘い、独自の企画を次々に立案・実行していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

ひとりのサラリーマンとして本作を観た時、サラリーマン世界の権力闘争や仕事の切り拓き方をよくよく活写しているなと感じた。特に新社長の東松と専務の宮藤の権力争いは旧態依然の典型的な日本企業であると感じたし、小説薫風の編集長の木村佳乃は旧弊に無意味に固執するという点で、バリキャリでありながらも、やはり昔ながらの日本のサラリーマンである。こうした職場や会社に厭いている人は実は多いのではないかと思う。だからこそ、トリニティの編集長の速水が、文壇の大御所にまったく物怖じすることなく接し、また新人編集者の高野から忖度無しの批評を elicit するところが痛快なのだ。本人たちに出会ったことは無いが、大泉洋は速水に、松岡茉優は高野に、それぞれ似たところがあるのではないだろうか。役者がキャラにピタリとはまっていた。

 

文学や読書という視点から眺めてみるのも面白い。テレビ番組内文学の価値を大仰に語る國村準演じる文豪には、確かに名状しがたい説得力がある。『 響 – HIBIKI – 』などから感じられるように、文学にはまだまだポテンシャルがあるはずだし、文学が果たすべき役割は大きい。文学という虚構の物語でしか提示できない命題や哲学があるからだ。またコロナ禍において、書籍の売り上げが増加しているという事実もある。人はいまでも文学(小説かもしれないし、エッセイかもしれないが)を求めているのである。

 

そうしたことに思いを巡らせている中で、なぜかいきなり國村準が歌っていたり、あるいはワインのテイスティングで大失態したりと、シリアスとギャグを行ったり来たり。このシーンでは笑ってしまうこと必定である。このシリアスとギャグを行ったり来たりは、佐野史郎演じる専務や、新社長の東松と速水がシンクロするシーンでも見られ、とにかく笑ってしまうのだ。実際に劇場のそこかしこから笑い声が聞こえてきた。

 

高野と速水の凸凹コンビが新たな領域を切り拓いてく様はサラリーマンとして見ても痛快だし、そこから生まれる人間模様や世間の反応、さらにちょっとしたツイストもあり、観る側を飽きさせない。騙し騙されよりも、純粋にお仕事ムービーとして鑑賞することで、速水の秘めた思い、そして高野が抱くようになった思いを理解できる。どちらに共感するかは人に拠るだろうが、Jovianは速水の思いに寄り添いたくなった。多分、35歳ぐらいが分かれ目か。それ以上の年齢なら速水派だろうし、それ以下の年齢なら高野派だろう。本作を楽しむ方法の一つは、自分をメインキャラの誰かに重ね合わせて仕事をする、仕事を構想することだと思う。

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ネガティブ・サイド

騙し合いバトルなどど散々に煽ってくれたが、この程度で騙されるのはミステリ初心者ぐらいだろう。まあ、ミステリ作品でもないのだからそこに目くじらを立てるべきではないのかもしれないが、本当ならもっとびっくりさせられる展開のはずが、半分くらい種明かしされていたと映画のかなり早い段階で気付いてしまった。とにかくトレーラーが罪である。とにかく「全員嘘をついている」という煽り文句を信じれば、新たなキャラが登場したり、展開が進んでいくたびに「ああ、これ嘘だ」、「あ、これも嘘かな」、「これも嘘やろうな」と分かってしまう。他にもいわくありげにトレーラーに登場していて、それでいて本編では謎の人物として序盤から存在がにおわされているキャラクターとか、そんな中途半端過ぎる演出や筋立てはいらんやろ・・・ リリー・フランキーの無駄遣いと言うか、観客を驚かせようという意図が見えない。

 

また、作り手が本当に騙したいのは読者や映画の観客であることを常に意識していれば、某キャラのやや不自然な振る舞いや大袈裟なリアクションがフェイクであることが分かってしまう。終盤手前のドンデン返しの驚きが、ここでひとつ弱くなってしまっている。

 

高野の父親が倒れるエピソードは不要な気がする。もちろん、父親の病気によってその後の高野の行動が分かりやすくなっている面もあるが、あえて病気の力を借りる必要もない。もともと出版不況の折、街の書店が潮時を自然に悟っても不自然さはない。

 

佐藤浩市と中村倫也が腹違いの兄弟疑惑も不要。それが事実であろうと事実でなかろうと、プロットに何の影響もない。原作では何かあったのだろうが、ドンデン返しにつながらないのであれば、そんな設定はバッサリ切ってくれてよかった。

 

斎藤工のキャラも蛇足。胡散臭いファンドマネージャーなどいてもいなくても、本編に何の影響も与えていない。どうせ胡散臭いキャラを出すなら、実はアメリカあたりのハゲタカファンドのエージェントだったとか、大規模工事に一枚噛みたい大手ゼネコンにつながってましたみたいなキャラにするべきだった。

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総評

大泉洋は腹に一物抱えていながらも飄々としたキャラを好演。松岡茉優も編集者として等身大の演技を見せた。笑えるシーンも多く、その一方で『 七つの会議 』的なサラリーマン社会のシリアスな描写もあり、エンターテインメントとしては及第点。問題はとにかくトレーラーの出来が酷過ぎること。トレーラーを何度も何度も観た人間が本編を観れば、「ああ、このキャラはあいつで、こいつの正体はこうだな」と次から次に分かってしまう。「全員嘘をついている」とか言う必要はゼロだろう。何たる興覚め。とにかく本作を楽しむためにはトレーラーの類を一切観ないこと。これに尽きる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

power struggle

 

権力闘争の意。新社長と常務の対決シーンは本作の(数少ない)見どころの一つである。サラリーマンで上に昇っていけるのは、実力半分ハッタリ半分なのだというところが役員同士のdick measuring contestから見て取れる。

 

Jovianセンセイのお勧め書店

REBEL BOOKSは群馬県高崎市の、いわゆる街の書店。といっても高野の実家のような昔ながらの書店ではなく、地域の拠点、情報発信基地のような本屋さんである。Jovianの大学の同級生が経営者である。Jovianも時々通販で買っている。とんがった品揃えの店なので、bibliophileな方はぜひ一度のぞいみてくだされ。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, ヒューマンドラマ, 大泉洋, 日本, 松岡茉優, 監督:吉田大八, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 騙し絵の牙 』 -トレーラー観るべからず-

『 ノマドランド 』 -現代アメリカの新しい連帯の形-

Posted on 2021年3月28日 by cool-jupiter

ノマドランド 75点
2021年3月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:フランシス・マクドーマンド デビッド・ストラザーン
監督:クロエ・ジャオ

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様々なメディアによると米アカデミー賞の本命は『 ミナリ 』よりも、こちらだとか。まあ、『 スリー・ビルボード 』のフランシス・マクドーマンド主演なので、話題性がどうであれ観ることには間違いはない。こちらも『 ミナリ 』とは別の角度から人間の生き方に光を当てた良作。

 

あらすじ

長年連れ添った夫のボーを亡くし、勤め先の企業の倒産もあり、住み慣れた家や土地を離れることになったファーン(フランシス・マクドーマンド)。彼女はキャンピング・カーでアメリカ各地を周り、アマゾンの倉庫などで期間限定の仕事をして暮らすノマドになった。そして、行く先々で様々な人々との出会っていき・・・

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ポジティブ・サイド

フランシス・マクドーマンドがその存在感を消して、見事にノマドになっている。いや、ノマドというよりもどこか原始的な人間であるように映る。険のある表情の中に憂いを秘めている。根無し草でありながら、生への執念は消えていない。ノマドという生き方を選ぶことの是非ではなく、どんな形であれ生きることを選択する姿が胸を打つ。ホームレスではなくハウスレスだとファーンが元教え子に伝えるシーンは、衣食住の住には、住まい以上の意味があるのだということを教えてくる。Home is home = 住めば都、という表現があるが、キャンピング・カー、そして思い出の皿など、ホームとは安住できる依り代なのだ。

 

ノマドとしての生活も真に迫っている。原っぱでの排せつや川での行水までも描かれる。しかし、いくら遊牧民とはいえ貨幣経済からは逃れられないし、完全な自給自足も不可能。そこでノマド同士が出会い、寄り添っていく姿がひたすら写実的に描写される。アマゾン倉庫やSAのちょっとしたショップ、ボブ・ウェルズというオーガナイザーの呼びかけるイベントなど、ドラマを盛り上げる要素はいくらでもある。だが、そうはしない。なぜならファーンを始めとしたノマドたちがただ生きる日々それ自体が十分にドラマだからだ。もちろん、他人の善意がファーンを大いに傷つけることもある。だが、それを許すことができるのもまた人だ。作った事件やハプニングがなくとも、人の生き様は充分にドラマチックでありうるのだ。

 

キャンピング・カーの内と外、都市の内と外、家庭の内と外。ノマドは、自分以外の人間と隔絶した世界に生きている。それをするのが広大無辺なアメリカの大地だ。ビルも家も何もない。草原や荒野や岩地が広がるばかりの光景に、朝焼けと夕焼けが映える。まるで一日一日が再生と死を象徴しているかのようだ。そうした情景描写がファーンを始めとしたノマドたちの生き様をよりリアルにしている。実際に本作に登場するノマドたちは本当のノマドによって演じられていることをエンドクレジットで知って驚いた。演出された世界ではなく、現実の世界を観ていた。現実と虚構の境目があやふやになった。ノマド的な生き方に憧れを持つことはいが、ノマドという生き方を現実に選択する人々のことをリスペクトしたいと強く感じるようになった。ファーンやリンダ・メイ、スワンキーのような生き方も今後のニューノーマルの一つになっていくのかもしれない。



ネガティブ・サイド

ピアノのBGMが、ある人物が弾くアコースティック・ギターの音とケンカをしているシーンがあった。数秒だけだったが、非常に jarring に感じた。

 

もう一つ、スワンキーの語るツバメの乱舞する光景のシーン。なぜ水面を映し出さなかったのだろうか。自分も一緒に飛んでいる感覚を観る側が味わうためには、スワンキーが見たのと同じ構図の画を共有させる必要があったのではないだろうか。

 

石膏採掘会社の倒産に翻弄されるファーンだが、アマゾン倉庫での労働の描き方が非常にニュートラルであると感じた。アマゾンの労働環境の過酷さは広く知られているところで、ノマドたちがそこで生き生きと働く姿に少々違和感を覚えた。

総評

一部の地域を除いてコロナ禍が今もって現在進行形の世の中で、人と人との距離感がずっと問い直されている。本作は、ファーンという個人のとてつもない孤独の中の旅路に、新しい形の人間関係を呈示している。格差や分断の中でこのような交流が生まれてくることは、日本の未来を見つめる時の一つのヒントになりうる。生きることの難しさ、そして生きることの尊さを静かに、しかし力強く描く傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

stand for 

作中では”What does RTR stand for?”のように使われていた。意味は「~を意味する」だが、しばしば頭字語について用いられる。

“What does NATO stand for?” / “It stands for North Atlantic Treaty Organization.”

のように使う。meanを使っても問題ないが、stand for ~ も知っておくと、ネイティブに色々と質問もしやすい。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, デビッド・ストラザーン, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, 監督:クロエ・ジャオ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ノマドランド 』 -現代アメリカの新しい連帯の形-

『 守護教師 』 -鉄拳は全てを解決する-

Posted on 2021年3月27日 by cool-jupiter

守護教師 55点
2021年3月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク キム・セロン チン・ソンギュ
監督:イム・ジンスン

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エヴァの映画やテレビアニメ版ばかりを鑑賞して脳みそが少々疲れた。こういう時は、頭を空っぽにして鑑賞できる映画でリセットしたい。ということで、マ・ドンソクの映画をピックアウト。こちらも『 無双の鉄拳 』と同工異曲のマ・ドンソク映画だった。

 

あらすじ

元ボクシング東洋チャンピオンのギチョル(マ・ドンソク)は、暴力沙汰から連盟から追放されてしまった。そんな彼が見つけた仕事が地方の高校の学生主任。だが、そこは女子高生の家出が異様に多かった。そして教師たち、警察までもがそれを見て見ぬふりをしている。ギチョルは、次第に消えた友人を探すユジン(キム・セロン)と関わっていくことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

マ・ドンソクの鉄拳は本作でも健在。けれども、彼の役者としての成長も見える。Jovianの嫁さんが本作のマ・ドンソクを観た瞬間に「これは善人やろ」と一言。ひょうきんなシーンではなかく、ニュートラルな表情をしていたが、確かにそれだけでキャラ属性が伝わってきた。もちろん剛腕もド迫力。普段から絶対ボクシングの練習をしているに違いない。それぐらい重心が低く、また背骨を軸にした左右フックを放っていた。アクションシーンはやられる側と相当綿密に打ち合わせして作っているのだろうなと思わせてくれた。

 

『 アジョシ 』の天才子役ソミを演じたキム・セロンが等身大の女子高生になっていた。多分、『 建築学概論 』のぺ・スジのように、正統派の美少女でありながら我々が怖気をふるうような罵り言葉を口にするコリアン・ビューティーになるのだろう。実際にその片鱗を序盤のヤンキー女子たち相手に発揮していた。つくづく思うが、韓国女子のたくましさには頭が下がる。本邦の女性たちがいわゆる「女性らしさ」から脱却できるのはいつなのか。その意味では『 地獄の花園 』にはちょっとだけ期待している。

 

ストーリーは単純明快だが、社会の闇、権力の闇を描くことを忘れないのが韓国映画の基本的文法である。悪い人間が存在する、ということではなく、悪い人間を生み出す土壌が存在する。それを国の恥、社会の恥だと言って無視する、あるいは隠すことは容易い。だが、それをエンターテインメントの種にして、世界に発信してしまうことには感心する。

 

本作は『 アジョシ 』が本来想定していた中年オヤジによる少女の救出劇の亜種だとして観るとなかなか興味深い。美女と野獣ではないが、美男子が美少女を救うのではなく、むさくるしいオッサンが美少女を救う。そこに教師と生徒という関係を持ってくることで違和感を中和している点も見事だ。マ・ドンソクがサラリーマン社会の論理で縛られてしまうところ、そうしたしがらみを全部振り切っていく終盤の流れはベタながら、誰にとってもそこそこ楽しめるものであることは間違いない。



ネガティブ・サイド

マ・ドンソクのキャラクターがはっきりしない。体育教師なのか、債権回収担当なのか。キャラの面白さはギャップにあるのだから、体育の授業で女子の扱いに手を焼くマ・ドンソクや、取り立ての際に女子高生にマシンガントークをかまされて言い負かされるマ・ドンソクを観てみたかった。そうすれば、その拳を振るう時のギャップがより大きくなる=意外性(我々にとってのではなくユジンら女子高生らにとっての)が大きくなり、物語をもっとダイナミックに動かしやすくなっただろう。

 

遅咲きのスター、チン・ソンギュもやや拍子抜け。『 犯罪都市 』での朝鮮族ギャングのNo.2という役で恐るべき存在感を発揮したのだから、それと同じくらいの迫力を出す役に仕上げるべきだった。あるいは監督がそのように演出するべきだった

 

最後の最後に巨悪をぶん殴れない展開というのもいかがなものか。この黒幕、『 トガニ 幼き瞳の告発 』の黒幕と同じく、めちゃくちゃ気持ち悪い御仁。そして『 トガニ 幼き瞳の告発 』でも、physical punishmentは受けなかった。マ・ドンソクの一番の魅力はその剛腕にあるのだから、ブッ飛ばせる相手はブッ飛ばしてほしいと切に願う。

 

総評

マ・ドンソクの映画である。それだけで分かる人は分かるだろうし、観たくなる人は観たくなるだろう。ただ、個人的には『 無双の鉄拳 』の方が面白かったかな。頭を空っぽにしたいときに向いている作品である。どちらかと言うと、マ・ドンソクのファンよりもキム・セロンのファン向けの作品かもしれない。コリアン・ビューティーはいつ見てもいいものである。

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オッパ

お兄さん、の意。ただし血縁関係がなくても年上の親しみのある男性に使える語。そこらへんは日本語でも同じである。『 悪人伝 』でヒョン=兄と紹介したが、男性→年上の親しい男性の時はヒョン、女性→年上の親しい男性の時はオッパという具合に体系的に理解したい。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, キム・セロン, チン・ソンギュ, マ・ドンソク, 監督:イム・ジンスン, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 守護教師 』 -鉄拳は全てを解決する-

『 夏時間 』 -生きることの側面を鮮やかに切り取る-

Posted on 2021年3月23日 by cool-jupiter

夏時間 75点
2021年3月21日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:チェ・ジョンウン パク・スンジュン
監督:ユン・ダンビ

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韓国映画には過渡期が訪れているのかもしれない。容赦の無い暴力描写に、隠すことのない激しい人間の感情。そうしたものをことさらに強調することなく、しかし、心の動きはしっかりと映し出す。昨年、キム・ギドクが死去してしまったが、ギドク映画に影響された世代が、こうしたトレンドが生み出しているのかもしれない。

 

あらすじ

オクジュ(チェ・ジョンウン)とドンジュ(パク・スンジュン)の姉弟は、父と共に祖父の家でひと夏を過ごすことになった。そこに離婚を望む叔母も加わり、奇妙な共同生活が始まった。だが、オクジュは何かしっくりこないものを感じていて・・・

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ポジティブ・サイド

これまた韓国から素晴らしく瑞々しい感性の映画が届けられた。劇的な事件などなくても、劇的な物語は作れるのだ。『 ミナリ 』が異邦人の新天地での物語であったとすれば、本作はある意味での自分探しだ。自分というものが自分でも分からない。そんな時期が誰にでもある/あったはずで、本作はそんな人生の中の刹那のひと時を捉えている。

 

まず目を引くのが俳優陣の演技力の高さ。特に父親の善人さとダメ人間さの同居は、演技とは思えない。自分では必死に頑張っているが、それが報われない。打算や欲得ずくで動いているわけではないので、なおさら悲哀が目立つ。かといって悲壮なばかりではない。子どものために頑張るし、妹のことも思いやる。けれど、人間らしい弱さ、人間らしい冷たさもしっかりと併せ持っている。韓国映画に出てくる父親というのは往々にして暴君の象徴であるが、この父親はどこまでも人間らしい。良い意味でも悪い意味でも、市井のどこにでもいるあなたであり、わたしなのだ。

 

そしてドンジュを演じたWonder Boyのパク・スンジュン。監督の演出に素直に従っているのか、何パターンか撮影した中で出来の良いものを使っているのか。いずれにしても恐ろしいほどの演技力の子役である。なにが凄いかって、子役特有のわざとらしさが一切ないところ。甥っ子や近所の子どもに本当にいそうな感じを全身から醸し出している。特に目を瞠ったのが、姉とのケンカと、その後のなんでもない仲直りのシーン。兄弟姉妹を持つ者なら、この絶妙な距離感が肌で理解できるはずだ。そして、この男の子のけた外れのパフォーマンスの凄さも。

 

それでも最も高い評価を与えたいのはオクジュを演じたチェ・ジョンウン。別に特に目を引く美少女と言うわけではないのだが、『 息もできない 』のヨニや、『 はちどり 』のヨンジ先生のように、物語の後半に入るあたり、おばさんと一緒に洗濯物を干すシーンあたりから急にきれいに見えてくる。下着を干しているからだとか、恋人がいるかどうかといった女子トークをしているからではない。このあたりから、家族との微妙な距離感が浮き彫りになってくるからだ。家族を大事にしたいという思いと、家族を大事にできない、この家族は私を大切にしていないという思いのせめぎ合いのようなもの、つまり心の奥底が見えてくるからだと思う。実際、少々退屈だった前半とは打って変わって、オクジュはここから動き出す。ひと夏のアバンチュールを求めてなどではなく、本当に思春期特有のほんのちょっとしたことのために。それはボーイフレンドとのちょっとした逢瀬だったり、“盗んだバイクで走りだす”的な若気の無分別だったりするわけだが、そこには何も劇的な要素はない。誰もが共感できる身近な行動ばかりだ。物語はそこから加速し、終盤に向かっていくが、そこで初めて我々は序中盤の冗長な家屋内のシーンの意味を知る。

 

前半から中盤にかけてのドラマの無い日常=家の中での何気ない家族の触れ合い(多くの場合それは食事だ)や、祖父のほんのちょっとした時間の過ごし方が、オクジュがずっと感じていたもどかしさと実は通底するものだと悟った瞬間の衝撃よ。一人で広い家に住む祖父に覚える違和感の正体は、そこにいるべき祖父の妻、父の母の不在なのだ。それが父の妻、自分の母の不在と重なってしまうのだ。祖父のとある行為と涙のシーンでは、自分がオクジュと同化してしまったかのような感覚を覚えてしまった。心揺さぶられる最後のオクジュの啼泣に、「おめでとう、オクジュ。君は自分の心を見つけたんだ」とエールを送った。同じように感じる壮年、中年は多いのではないだろうか。この春、見逃すべからざる映画の一本である。

 

ネガティブ・サイド

叔母さんとオクジュの間でもう少し会話が欲しかった。別に「旦那さんとの間に何があったの」のような踏み込んだ会話は必要ないが、叔母さんが選ぶべき男について延々と語る場面で、オクジュの声を聞いてみたかった。

 

食事のシーンがやたらと多かったが、調理のシーンにももう少し尺を割いてほしかった。もちろん、キムチを手でよく揉みこんだり、ラーメンを作ったりはしていたが、料理も結構な家族の共同作業なのだ。ラーメンも姉弟の二人で作ったりとか、あるいはそれぞれに入れたい具が違うといった描写があれば、姉弟としてのリアリティはもっと増したと思う。

 

総評

『 ミナリ 』と不思議な対を成すかのような作品。『 はちどり 』と同じく、少女と家族の物語を瑞々しい感性で切り取った秀作である。本作を観る時には、事件や人間関係の進展のような劇的な要素を求めてはいけない。ドラマとは日常の片隅で静かに繰り広げられており、誰にとってもありふれた物語にこそ、本当に共感できる要素が詰まっているのである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ハラボジ

お祖父さん、の意。日本語でも親の父を「お祖父さん」と言うが、血縁関係のない高齢者を指して「お爺さん」と言うのと同様に、韓国語でも高齢男性を指してハラボジとも言えるらしい。「おじさん」や「おばさん」も多分、同様だろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, チェ・ジョンウン, パク・スンジュン, ヒューマンドラマ, 監督:ユン・ダンビ, 配給会社:パンドラ, 韓国Leave a Comment on 『 夏時間 』 -生きることの側面を鮮やかに切り取る-

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