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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 ガリーボーイ 』 -インドの矛盾を暴き、乗り越えていくビルドゥングスロマン-

Posted on 2019年10月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

ガリーボーイ 80点
2019年10月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ランビール・シン アーリアー・バット シッダーント・チャトゥルベーディー カルキ・ケクラン
監督:ゾーヤー・アクタル

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野村周平主演の『WALKING MAN 』と本作を比較して、やはりインド映画好きのJovianはこちらを選んだ。『 パティ・ケイク$ 』のインド版のようなものと思っていたが、実際は近年のボリウッドが目指す娯楽性と社会派メッセージの両方を備えた良作であった。

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あらすじ

ムラド(ランビール・シン)はムンバイの貧民窟の問題のある家庭に暮らす大学生。悪友と車上盗を行うなどしながらも、幼馴染にして医大生のサフィナ(アーリアー・バット)と交際していた。ある日、ムラドは大学のイベントでシェール(シッダーント・チャトゥルベーディー)のラップを聴いたことで、自身もラップに開眼。二人でラップにのめり込んでいくが・・・

 

ポジティブ・サイド

劇中でも一瞬だけ触れられる通り、これは『 パティ・ケイク$ 』よりも『 スラムドッグ$ミリオネア 』の方がジャンル的にはやや近いか。ラップでサクセスを追求していく男の物語であるが、そこにあるのはインド社会の大いなる矛盾と、自身の生き様について抱える葛藤である。ラップの良いところは、元手がゼロ円で始められるところである。必要とされるのはリズム感とインスピレーション。その二つをムラドが有していることが、序盤にさりげなく描かれている。観光客に家の中にまでずかずかと踏み込まれ、勝手に写真は撮られ放題。まるでオブジェか何かのように扱われるムラドがラップを口ずさむシーンは、この男が凡百のガリーボーイではなく、ひとかどのガリーボーイであることを言葉数少なく、声も小さく、しかし雄弁に物語っていた。

 

ムラドが日の当たらない場所から日の当たる場所に出ていくきっかけになったシェールとの出会いも鮮烈だ。ラップという黒人音楽の一つの完成形が、インドという全く異なる土地で大きく花開いている背景には、複雑な民族問題、宗教問題、社会問題(カースト制度)、さらに貧富の格差の拡大問題がある。本作はそれらにはフォーカスしない。しかし、それらを隠さずに正面から描き切る。何かを元凶に描くのではなく、満たされない現状から雄々しく抜け出していく男の姿は、我々をこれ以上なく勇気づけてくれる。

 

何よりも、ムラドが当初は抵抗することが出来なかった父に立ち向かえるようになったのが大きい。『 シークレット・スーパースター 』でも描かれていた通り、インドにおける父親像は(山岡士郎視点での)海原雄山のごとき暴君である。その暴君を相手に立ち上がるムラドの姿に、インド社会全体を支配する権威への反抗を重ね合わせて見ることができるだろう。

 

本作の肝となるべきラップもハイレベルだ。字幕担当の方は大変な苦労をされたものと思う。『 ジョーカー 』でもcentsとsenseをかけて、「高価」と「硬貨」と訳し分けたのは上手いと感じたが、本作でもラッパーたちは韻を踏みまくる。字幕にも要注意だし、耳に自信のある人はヒンディー語の歌詞にも耳を傾けてみよう。

 

ラッパーたちの姿も実に見事に活写されている。プロモビデオの製作シーンでは、ムラドが才気煥発する様が映し出されている。カラフルさにはやや欠ける本作であるが、スラム街を縦横無尽に駆けて歌うムラドとシェールは、乾いた色合いの画面にダイナミズムを与えていた。また光を使った演出で目についたのは、ムラドが駐車場に停めた車の中でイヤホンを装用してラップを歌いまくるシーン。『 ベイビー・ドライバー 』冒頭のアンセル・エルゴートを彷彿させるパフォーマンスだが、周囲のビルから車体に降り注ぐ黄金色のカクテル光線が決してムラドには降り注がない。そして観客にもムラドの声は聞こえない。この降り注ぐ光を浴びることができないというシーンは、最終盤に劇的なコントラストをもたらす。ベタな演出ではあるが、見事なものだと唸らされた。

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ネガティブ・サイド

サフィナのキャラクターは、もう少し普通にはならなかったのだろうか。実在の人物に基づいていると言われればそれまでだが、ドキュメンタリーではないのだから、適度に人物や出来事を美化したり、あるいはぼかしたりすることは許されるだろう。癇癪持ちというのを通り越した、エクストリームな暴力女の元に戻っていく(?)ムラドに共感することは難しかった。

 

犯罪行為に手を染め続ける旧友との距離感も観ているこちらとしては、なかなか把握しづらかった。ムラド自身の生い立ち、これまでに共に積み重ねてきた濃密な時間という、サフィナと共通する要素がムラドを繋ぎ止めているのだろう。ただ車上盗は何とか許容できても、子どもを巻き込んだ drug trafficking は許容できない。これも事実だと言われてしまえばそれまでだが、自分で持つにはかなりヘビーな交遊関係である。

 

総評

ラップの素養が無いJovianにも楽しめた。ラップのハードコアなファンには粗が目に付くかもしれないが、それでもランビール・シンのパフォーマンスは圧倒的である。様々な社会的矛盾に押し潰されそうになりながらも、決して膝を屈しないムラドは多くの人を勇気づけることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re gonna kill it.

 

カルキ・ケクラン演じるスカイがステージに向かうムラドにかけた言葉がこれだった。直訳すると意味が分からなくなるが、kill it = 上手くいく、やり遂げる、成功する、というような意味である。ただ基本的にはネイティブ・スピーカーにしか通用しないだろう。インドのようにテレビ番組の半分が英語音声という国なら話は別かもしれないが。イディオムを使いこなせれば中級者以上だが、こういう表現はあまり推奨されない。日本のビジネスマンの多くが英語でコミュニケーションを取る相手は、北米やヨーロッパではなく東南アジアやラテンアメリカ諸国になっている。最大公約数的な英語をKISS(Keep it simple and short)の法則に従って使うのが無難である。

劇中の冒頭でムラドが聴いていたのは

www.youtube.com

だった。Rod Stewartの歌声は、麻薬のようである。一度聴いてしまうと忘れられない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, インド, ヒューマンドラマ, ランビール・シン, 監督:ゾーヤー・アクタル, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 ガリーボーイ 』 -インドの矛盾を暴き、乗り越えていくビルドゥングスロマン-

『 スペシャルアクターズ 』 -予想通りで予想以上の面白さ-

Posted on 2019年10月25日2020年9月26日 by cool-jupiter

スペシャルアクターズ 65点

2019年10月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:大澤数人
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』で華々しくメジャーな舞台に登場し、『 イソップの思うツボ 』で評判をガクンと落とした上田慎一郎監督であるが、本作は標準以上に出来に仕上がったと言える。前作は、監督三人態勢が祟っていたのだろうか。

 

あらすじ

大野和人(大澤数人)は売れない役者。極度に緊張すると失神するという症状に悩まされていて、アルバイトで何とか食い扶持を稼いでいる。ある時、数年ぶりに弟の宏紀と再会した。弟は「スペシャルアクターズ」という、芝居でトラブルを解決するという会社に所属しているという。和人もなりゆきでスペシャルアクターズに所属するが、そこに「旅館をカルト宗教団体から守って欲しい」という依頼が入り・・・

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ポジティブ・サイド

上田慎一郎の持ち味はドンデン返しである。それがこの監督がキャリアをかけて追い求めていくものなのだろう。例えば、是枝裕和監督は家族とは何かを問い続けているし、宮崎駿は「子どもはいかに生きるべきか」を描き続けている。そうした頑迷固陋と言えるほどのポリシーを持つ映画人がいてもよい。実際に本作は、まあまあ楽しめた。

 

どこらへんがどうドンデン返しなのか。よく似た作品にデヴィッド・フィンチャー監督の『 ゲーム 』が挙げられる。もしくは邦画の『 ピンクとグレー 』も少し似ている。つまり、ドンデン返しが来るぞ来るぞと期待しながら観て、その上でそれなりに驚かされたということである。詳しくは劇場で鑑賞して頂くのが一番である。

 

役者は皆、無名である。だからこそこちらも先入観を抱かずに、フレッシュな視線で鑑賞できる。主人公を演じた大澤数人は、大根役者を演じるという、ある意味では非常にチャレンジングな仕事を見事に務めた。芝居がかった喋りではなく、実際に職場などにいればイライラさせられるかもしれないトロい語り口とモッサリした動きは、まさに本作の主人公そのものであった。

 

本作の面白さの肝は、芝居で何でも解決する会社、すなわち「スペシャルアクターズ」が、カルト教団「ムスビル」を撃退する展開である。つまり、騙してくる奴をお芝居で騙し返すわけである。そこにサスペンスとドラマが生まれている。しかし、息詰まるようなサスペンスではない。どこかB級チックで、ユーモラスなサスペンスである。このあたりはイソップではなく、カメ止めのテイストである。上田監督も原点回帰を果たしつつあるようである。数人の弟、スペシャルアクターズの幹部の面々、旅館の若女将、ムスビルの幹部たちが織り成す面白おかしく、それでいてシリアスなプロットを是非劇場で堪能いただきたい。

 

ネガティブ・サイド

血しぶきが弱いなと感じた。もっとカメ止めのゾンビのように、ブフォーッ!!という感じで血反吐を吐かなければだめだ。ただし、NGが出た時にできるだけ素早く撮り直しができるように、あのような演出にしたのだろうなとは理解できる。だが、クライマックスの超展開はカメ止め並みのワンテイクが観てみたかった。または和人視点のPOVでも面白かったかもしれない。我々が上田慎一郎に求めるのは無難な映画ではなく、実験的な映画なのである。カメ止めも手法や演出が新しかったのではなく、それらを意表を突く形で繋ぎ合わせたところに面白さがあった。もっと上田監督はもっと自分のクリエイティビティに忠実になるべきだ。

 

また裏教典の中身が拍子抜けであった。てっきり、薬物による催眠誘導や各都道府県で賄賂の効く警察や政治家のリストなのかと思っていたが・・・ この程度で「ヤバいもん」というのは誇大広告であろう。

 

あとはもう少しのリアリティが必要だろうか。現代人は何をするにしても、まずはPCやスマホで対象を検索する。カルト教団のムスビルを検索するのであれば、その他も検索対象になってしかるべきだろう。もちろん、逆SEOの跡もうかがえたが、やはりそこは2ページ目以降にすべきだったのではないか。

 

総評

カメ止めの切れ味が蘇ったわけではない。それはおそらく無理な注文である。だが本作は平均以上の面白さを感じた。上田慎一郎はOne Hit Wonder = 一発屋ではないことを証明したと言えるだろう。『 イソップの思うツボ 』にがっかりした向きも、本作にならある程度は満足させてもらえるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This company pays you by the day.

 

金銭的に困窮している数人がスペシャルアクターズに入ることを決心した言葉「ここ、給料、とっぱらいだよ」の英訳例。「とっぱらい」=その日払いということで、pay by the dayとなる。韻を踏んでいるので覚えやすいだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, 大澤数人, 日本, 監督:上田慎一郎, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 スペシャルアクターズ 』 -予想通りで予想以上の面白さ-

『 イエスタデイ 』 -パラレル・ユニバースものの佳作-

Posted on 2019年10月23日2020年4月11日 by cool-jupiter

イエスタデイ 70点
2019年10月19日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ヒメーシュ・パテル リリー・ジェームズ エド・シーラン ケイト・マッキノン
監督:ダニー・ボイル

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Jovianが生まれた時には、ビートルズはすでに解散していた。しかし、彼らの残した影響の巨大さは空前絶後であろうと思う。Jovianは父の薫陶よろしきを得てロッド・スチュワートのファンとなったが、ビートルズやエルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、カーペンターズ、ジャニス・ジョプリン、ティナ・ターナーなども好んで聴くようになった。そうした幼少期が今の職業の肥やしになっている。今さらながら父に感謝。

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あらすじ

ジャック・マリク(ヒメーシュ・パテル)は売れない歌手兼ギタリスト。幼馴染のエリー(リリー・ジェームズ)は彼のマネジメントをしているが、マリクは泣かず飛ばずのまま。あるフェスの帰り、マリクが音楽からの引退を決意した夜、世界中で謎の停電が起き、運悪くマリクはバスにはねられる。病院でマリクは目覚めるが、そこはビートルズが存在しなかった世界になっていて・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』、未鑑賞だが『 エリック・クラプトン 12小節の人生 』や『 ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~ 』など、故人であるか存命であるかを問わず、ミュージシャンの人生にフォーカスした作品が近年、多く作られてきている。その中でも本作はユニークである。ビートルズという伝説的なバンドをフィーチャーするのではなく、彼らが存在しないパラレル・ユニバースを描くことで、その存在の希少性、功績の巨大さを逆説的に浮かび上がらせようという試みが面白い。

 

『 ロケットマン 』でも、名曲“Your Song”誕生の場面を我々観客が目撃した時、鳥肌が立つほどの衝撃を受けたが、本作のタイトルにもなっている“Yesterday”をマリクが披露する場面では、リリー・ジェームズを始めとする登場人物たちが同じような衝撃を受けていた。さらにビートルズというバンドとその音楽の芸術性と完成度の高さを表現するための手段として、本作はエド・シーランを本人役で出演させている。この試みも面白い。当代随一のアーティストを映画に出演させることは、『 はじまりのうた 』がMaroon 5のアダム・レヴィーンを起用したように、また今後公開予定の映画『 キャッツ 』がテイラー・スウィフトを起用しているように、それほど珍しいことではない。しかし、彼ら彼女らは本人役ではない。現代アーティストと史上最高とされるバンドを、パラレル・ユニバースという異論の出にくい環境で比較するというアイデアは、もっと称賛されてしかるべきだろうと思う。

 

主演を張ったヒメーシュ・パテル演じるジャック・マリクは、どこかフレディ・マーキュリーを感じさせてくれる。つまり、移民の子で第一世代のイングランド人で、白人のガールフレンド(的な存在)がいて、学歴があり、音楽に打ち込んでいる。そんな男がビートルズの楽曲を使って、世界を席巻していく様は痛快である。と同時に、成功の代償に手放してしまったものの大きさに気付いて後の祭り・・・というところもフレディ・マーキュリー的だ。これは陳腐ではあるが、しかしストーリーに自分を重ね合わせやすくなるという利点もある。特殊な設定の世界であっても、物語そのものは理解しやすくなっているということで、Jovianとしてはこの点をプラスの方向に評価したい。その特殊な設定の世界という点でも、とある超有名バンドが存在しなくなっていたりして、芸が細かい。

 

またリリー・ジェームズの献身的な姿勢と、それゆえに彼女が自分の職と土地から離れられないジレンマは、ベタではあるが観る者の胸を打つ。幼馴染で友達以上恋人未満という絶妙な距離感の女性を、彼女は確かに描出した。終盤の鍵穴のシーンにもニヤリ。我ながら、男というのはアホな生き物であると感じながらも、ジャックとエリーを心から祝福したい気分にさせてくれる。

 

本作ではビートルズの数ある傑作の中でも名曲中の名曲と誉れ高いある歌が、歌われそうになっては中断されてしまうというコメディ的な展開がある。その歌のタイトルと、マリクとエリーの関係、そして最後に降臨する人物の語る言葉の意味を繋ぎ合わせれば、本作のメッセージの意味はおのずと明らかになる。タイトルにもなっている“Yesterday”だけではなく、終盤の入り口で盛大に発表される曲は、マリクの心の叫びと完全にシンクロしているが、歌われることのなかったあの曲こそが、全編を通じて実は奏でられ、歌われていたのである。素晴らしい構成である。

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ネガティブ・サイド

ローディーを務めてくれる親友役が、いつの間にかそれなりに有能な奴に見えるのは何故なのだ。いや、有能であることは構わない。しかし、ほんの少しでよいので、この男の成長というか、ジャックとの二人三脚の様子をもう少し活写してくれないと、ジャックが成功への階段を上っていくプロセスにリアリティが生まれない。

 

ケイト・マッキノンのキャラクターも紋切り型に過ぎる。彼女は悪い役者ではないが、今作では光らなかった。『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』を通じて、我々は稀代のアーティストにはろくでもない敏腕ではあるが人間としては低俗なマネージャーがついていることを既に承知している。このキャラクターがエリーの対比になっていることは分かるが、エリートの共通点があまりにも無さ過ぎる。その点で、マリクが彼女との契約に合意してしまったシーンのリアリティが低下してしまっている。そこが残念である。

 

総評

原理主義的なビートルズのファンを除けば、誰にでもお勧めしたい映画である。ただし、ビートルズの音楽をこれっぽっちも素晴らしいとは感じないという人は(かなりのマイノリティだろうが)、鑑賞する必要はない。本作はビートルズの音楽の素晴らしさを再認識・再発見する一種の装置であると同時に、巨大な“遺産”を手に入れた個人がどう生きるべきかを問うビルドゥングスロマンにしてヒューマンドラマでもある。ビートルズの楽曲を一切聴いたことがないという若い世代にも、ぜひ観て欲しいと心から願う。

ちなみに本作を鑑賞した帰りに寄ったラーメン屋の有線放送で『 Hello World 』のテーマソングだった Offcial髭男dismの”イエスタデイ”が聞こえてきた。奇縁である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That’s music to my ears.

 

学校で教えているエリーが、生徒の答えを聞いてこのように返す。Thatやmyは適宜に入れ替わることがあるが、この形で用いられることがほとんどである。直訳すれば、「それは私の耳にとっては音楽である」だが、実際のニュアンスとしては「それが聴きたかった」、「素晴らしい返答/答え/ニュースだ」である。洒落た表現であるし、音楽を基軸にした本作から紹介するのにふさわしい慣用表現だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イギリス, ヒメーシュ・パテル, ヒューマンドラマ, リリー・ジェームズ, 監督:ダニー・ボイル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 イエスタデイ 』 -パラレル・ユニバースものの佳作-

『 サウナのあるところ 』 -裸の男たちを追う異色のドキュメンタリー-

Posted on 2019年10月21日 by cool-jupiter

サウナのあるところ 60点
2019年10月17日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:カリ・テンフネン
監督:ヨーナス・バリヘル 監督:ミカ・ホタカイネン

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原題はフィンランド語でMiesten vuoro、英語に無理やり翻訳すると、manly turnまたはmen’s turnとなるようだ。「男たちの番」「男性のターン」ということか。日本では少し前からサウナブームらしい。Jovianは平成最後の日を近所の「昭和温泉」という銭湯で過ごす程度には風呂好き、銭湯好きである。もちろん、サウナも嫌いではない。しかし、本作はさっぱりと汗を流したような爽快感を得られる作品ではなかった。

 

あらすじ

老夫婦がサウナに入っている。夫は甲斐甲斐しく、妻の背中を手でこすり、洗い流してやる。「51年、この背中を流してきたんだな」と感慨深げに語る。別の中年男たちは、ふと生い立ちを語り合う。老人たちは妻との死別や新しい出会いについて語る。フィンランドの男たちが、サウナという空間で訥々と語り始めて・・・

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ポジティブ・サイド

『 雪の華 』がフィンランドの美しい街並み、容赦のない寒さ、そして奇跡のような夜空の美しさを捉えたのとは対照的に、本作が映し出すのは極めてのどかな田園風景である。そして、電話ボックス的な個室サウナに、キャンピングカーを改造したサウナなど、我々の常識を遥かに超えるサウナの数々が描かれる。これは面白い。映画というのはたいていの場合、異国の地のエキセントリックさを際立たせるものであるが、本作を通じて我々が目にするのは、人間、特に男性に普遍的な不器用さなのである。つまり、我々の目からすれば奇異な環境、状況に身を置きながら、彼らの口から語られる言葉の一つひとつが、リアリティを以って我々に迫ってくるのである。それは多くの場合、自身の不幸な生い立ちであったり、仕事中に取り返しのつかないミスを犯してしまったことだったり、家族に起こった不幸であったりする。中には、とても心温まるエピソードが語られることもある。だが、それはプールであったり、更衣室であったりと、サウナ以外の場所で語られることが多い。

 

つまりは、そういうことなのだ。サウナという閉鎖空間は、フィンランドの男たちの憩いの場いであり、社交場であると同時に、カウンセリング・センターでもあるのだ。彼らはみな裸で、ヨボヨボであったり、ムキムキであったり、タプタプであったりするが、内面は、つまり心はとてもナイーブな男たちだ。そんな彼らが外面の虚飾を脱ぎ去り、文字通りに赤裸々に胸の内を語る。聞くも涙、語るも涙な事柄すらも語られてしまう。サウナは基本的にとても狭い。それゆえに必然的に男たちは身を寄せ合う。そこに我々が見出すのは、決して弱さや情けなさではない。人種や国境、世代というものを超えた、男という哀れで悲しい生き物たちの、それでも雄々しく生きていく姿である。ある人物が、「さあ、蒸気(ロウリュ)を足そう」というのは、武士の情けと通じるものがあった。これについては、そのアナロジーをワンポイント英会話レッスンで補足したい。

 

ネガティブ・サイド

実は地味にR15指定である。登場人物のほとんどは男性であるが、かなりの人が男性自身を丸出しである。カメラもそれを敢えてフレームに収めており、当然のことながらモザイクは無い。性的な意図は込められてはいないが、性別を問わず、人によってはネガティブに捉えるかもしれない。

 

別にエロ親父的な目線で言うわけではないが、サウナにおける女性同士の語らいが無いのは何故だろうか。ほんのわずかでよいので、ガールズ・トークでも魔女トークでもよいので収録されていれば、男性以外にもアピールする力のある作品になれたのではないだろうか。

 

ほとんどが郊外あるいはのどかな田園風景が広がる地方での撮影である。もう少し都市部でのサウナと、その空間内の人々の営みというものも見てみたかった。『 かもめ食堂 』でもレンタルしてくるか。

 

総評

かなりヘビーな内容である。男性の裸よりも、話の内容の方が重たくてしんどい、という人の方がマジョリティだろう。それでも、人は皆、裸で生まれてくる。赤ん坊はタブラ・ラサだ。共通点は人間であることだ。そして、人間であるからには、心がある。心があるということは傷つくことがあるということだ。そのような傷ついた心、そして癒しを求める心の姿が、ある意味では裸以上に露わになる空間としてのサウナにフィーチャーした本作は、比較文化人類学的な観点からは非常に貴重な資料である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

A man is not supposed to cry.

 

終盤近くで、とある男性が自身の悲嘆について(フィンランド語で)このように語る。彼はまた「男にできるのは、黙って酒を飲むことだけ」とも言う。まるで河島英五である。『 酒と泪と男と女 』の世界観である。be supposed to Vで、「Vすることになっている」のような意味である。Jovianが大ファンであるロッド・スチュワートのフェイセズ時代にテンプテーションズの“I Wish It Would Rain”をカバーしていた。その歌詞でもEveryone knows that a man ain’t supposed to cry. とある。古今東西、男とはそのような生き物であるようだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, カリ・テンフネン, ドキュメンタリー, フィンランド, 監督:ミカ・ホタカイネン, 監督:ヨーナス・バリヘル, 配給会社:kinologue, 配給会社:アップリンクLeave a Comment on 『 サウナのあるところ 』 -裸の男たちを追う異色のドキュメンタリー-

『 アップグレード 』 -名作SFへのオマージュ満載-

Posted on 2019年10月18日2020年4月20日 by cool-jupiter

アップグレード 70点
2019年10月15日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ローガン・マーシャル=グリーン
監督:リー・ワネル

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Jovianは小説でも映画でもSFが好きである。本作も、当初はflying under my radar。しかし、大阪ステーションシティシネマのパンフレットで先月ぐらいに本作を知った。アイデア勝負の低予算C級SF映画は嫌いではない。むしろ好物である。しかし、本作はC級ではなかった。間違いなく良作である。

 

あらすじ

自動車修理工のグレイ(ローガン・マーシャル=グリーン)は、自動運転車の事故に遭ったところを、謎の男たちに襲撃され、妻は殺害され、自身も首から下が麻痺状態という深刻なダメージを負う。しかし、顧客である大企業オーナーにして科学者の男性から、STEMというAI搭載チップを頸椎に埋め込まれることで、グレイは身体能力を取り戻した。彼は妻の敵を討つべく、独自の捜査に乗り出すが・・・

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ポジティブ・サイド

なんとまあ、多くのSF映画へのオマージュになっていることか。『 ブレードランナー 』、『 ブレードランナー2049 』的な社会の到来前夜といった趣の世界に、ボロボロの身体のはずが『 エリジウム 』的に復活し、『 ターミネーター 』や『 ロボコップ 』のような身体を動きを見せる。人間ではないものが人間らしそうで人間らしくない動きをする例として、『 エイリアン2 』のビショップも忘れるわけにはいかないだろう。ビショップの披露したナイフの早業へのオマージュに思わずニヤリ。さすがに『 ジョジョの奇妙な冒険 』のスタープラチナがモデルではないだろう。それだけではなく、『 マトリックス 』や『 アリータ バトル・エンジェル 』のような格闘を独特のカメラワークと音響効果で魅力的に演出してしまうのだから、リー・ワネルはどこまでSF好きでどこまでサービス精神旺盛な監督なのだろう。イヤホンからの指示で動くのは現実でも映画でもお馴染みの光景であるが、自分の体内にあるものとコミュニケーションを取るバディ・ムービーはそれほど量産されてきてはいない。メジャーなところでは邦画なら『 寄生獣 』、洋画なら『 ヴェノム 』ぐらいか。そして敵キャラは漫画『 コブラ 』のようなサイコガン・・・ではないが、銃を腕に仕込むという中二病的設定。『 エクス・マキナ 』的な結末が悲劇的とは映らず、むしろ

『 イヴの時間 』的な世界への過渡期が到来するのだ予感させてくれる、この味わいの複雑さよ。とにかく名作SFへのオマージュをちりばめた近未来サイバーパンク要素てんこもりのエンターテインメント作品に仕上がっている。これぞ正に掘り出し物である。インパクトだけならば、昨年の『 search サーチ 』に並ぶかもしれない。

 

ストーリーも一本道に見えて、適度にひねりが効いている。日本なら野﨑まど、神林長平、または小川一水あたりが思いつきそうなプロットである。タイトルの真の意味が明らかになるエンディングのシークエンスにはため息が出るであろう。これらの作家のファンは直ぐに劇場に向かうべし。これら作家のファンではなくてもライトなSFファンは、劇場に向かうべし。ディープでハードコアなSFファンも劇場へGoである。

 

ネガティブ・サイド

STEMのしゃべりであるが、何をどうやってグレイの鼓膜に音波を送っているというのか。神経に直接働きかけて、コミュニケーションをとっている設定では駄目なのか。耳の中の産毛を巧みに操って、あのような人工的な声を出しているのか?到底理解できないし、納得もできない。また、STEMはグレイの知覚したものしか知覚できないというが、だったらどうやって終盤の高速道路でのチェイスを、あのような方法で切り抜けたというのか。STEMという非常に凶暴で頼りになる相棒に、リアリティが足りないのが本作の最大の欠点である。

 

中盤のハッカーの存在も非常に中途半端である。『 ブレードランナー 』におけるセバスチャン的なポジションかと思わせて、fizzle out する。期待外れもいいところである。

 

同じくその中盤、ハッカー関連のシークエンスで、プロット的に破綻しているとまでは言わないが、小さな綻びが見られる。サスペンスを生み出したかったのだろうが、これのせいで最終盤の展開の驚きが減じる。もしくは鑑賞後に考察していると、???となってしまう。

 

総評

弱点や矛盾点も存在するが、とにかく製作者の映画愛が溢れんばかりに満ちた作品である。95分と非常にコンパクトにまとまっているのもポイントが高い。繰り返しになるが、SFファンならば、直ぐにチケット購入に走られたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t give a shit.

 

I don’t give a damn. や I don’t give a fuck. とも言う。「んなもん知るか、ボケ」のような意味およびニュアンスである。汚い言葉であるが、それゆえに多用されている。『 ア・フュー・グッドメン 』でジャック・ニコルソンが“I don’t give a damn what you think you are entitled to!”と絶叫するシーンは特に有名である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SF, アクション, アメリカ, ローガン・マーシャル=グリーン, 監督:リー・ワネル, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 アップグレード 』 -名作SFへのオマージュ満載-

『 エンテベ空港の7日間 』 -古い革袋にビミョーに新しい酒-

Posted on 2019年10月18日2020年4月11日 by cool-jupiter

エンテベ空港の7日間 55点
2019年10月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダニエル・ブリュール ロザムンド・パイク
監督:ジョゼ・パジーリャ

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嫁さんの希望で台風明けに本作を鑑賞。我が家はたいていの場合、婦唱夫随なのである。Jovianもトレイラーなどから少し興味を持っていた。だが、『 アルゴ 』のような水準を期待してはいなかった。結果的に、それで正解であった。

 

あらすじ

 

1976年。ボーゼ(ダニエル・ブリュール)とクールマン(ロザムンド・パイク)はエールフランス機をハイジャックし、ウガンダのエンテベ空港に飛行機を降ろす。彼らの狙いは獄中のパレスチナ解放闘士の解放。イスラエルのラビン首相と国防相のペレスは態度を保留しつつ、交渉と軍事作戦の両方を立案して・・・

 

ポジティブ・サイド 

ハイジャック、というよりもテロリストという呼称の方がふさわしいか。我々はテロリストという人種には血も涙もないと考えがちである。事実、『 ホテル・ムンバイ 』が描き出すテロリストたちには血も涙もなかった、中盤までは。実際に彼ら彼女らも生きた人間であり、人間であるからには親から生まれ、生まれたからには最初の数年から十数年は誰かに育てられたはずなのだ。そこで洗脳されてしまえば終わりであるが、人と触れ合わずに生きることは不可能である。テロリストにも人間らしさがあるという視点は、当たり前ではあるが新鮮でもあった。本作は、そのテロリストを主人公に据える。『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』や『 ユダヤ人を救った動物園 〜アントニーナが愛した命〜 』などの作品と同様に、ダニエル・ブリュールは善悪の境界線上を行くようなキャラクターを演じさせれば、非常に良い仕事をする。ロザムンド・パイクも『 プライベート・ウォー 』とは全く逆のキャラクターを見せかけて、本質的には同じような人間を演じている。すなわち、自分の生命よりも自分の信念に忠実なタイプの人間だ。そうであっても、例えばパイクのキャラクターも飛行機の乗客から、「シャツのボタンが一つ外れている」と指摘され、思わず女性性を発露させてしまうところや、ブリュールのキャラにしても、妊娠していると言う女性を解放したりと、人間性が感じられた。

 

特に、ブリュールのキャラに関しては、エンテベに向かう前の給油地での機関士との会話、そしてエンテベに着いて以降の機関士との会話で、自分自身の正義の定義が揺らいでいるように感じた。というよりも、元々、善悪の狭間にいるのではなく、自らの信念と思考の中間点に囚われやすい人物なのかもしれない。自分はドイツ人だが、ナチではないという主張もこのことを裏付けているように思う。本人に取材できたはずはないので、このあたりがジョゼ・パジーリャ監督の構想及び解釈なのだろう。

 

テロリスト同士の対話、テロリストと人質の対話でストーリーが進行していく中、イスラエルのラビン首相とペレス国防相の駆け引きも大いなるスリルとサスペンスを生んでいる。事態の解決に向けてのアプローチがそのまま彼らの水面下での駆け引き、権力闘争になっているところが興味深い。またラビン首相の指摘、すなわち「パレスチナは敵だが、隣国でもある。彼らから離れることはできない。いつか話し合いで和平をもたらす必要がある」という言葉がそれだ。アメリカには厄介な隣国として、例えば『 ボーダーライン 』で描かれるようなメキシコがあり、インドには『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』で描かれたようなパキスタンという隣国がある。日本には北朝鮮および韓国という、なかなか手強い隣国があるが、れいわ新選組の山本太郎も「国の位置は動かせない」と冷静に指摘している。本作はアクションの少ない対話劇である。大人の対話をじっくりと鑑賞しようではないか。

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ネガティブ・サイド

対話劇であることは良いが、最後の最後に見せ場であるはずのオペレーション・サンダーボルトが、本当にサンダーボルトの如く、一瞬で終わってしまう。せっかく劇場の大画面と大音響で映画を鑑賞するのだから、もう少し見せ場を作って欲しかった。

 

オープニングから随所に挿入されるダンスも蛇足である。バタンと倒れ続ける1人は、例え一部に脱落者がいたとしても、「”The Show Must Go On” ですよ」と言いたいのだと思うが、それならエンディングのクレジットシーンに舞台ダンスシーンの全てを持って来ても良かった。ダンスシーンが各所に入れられることで、ただでさえ歩みの遅い物語のペースが更に悪くなっていたように感じた。

 

配球会社や広報会社は盛んに「4度目には訳がある!」と、古い革袋に新しい酒が入っているかのように喧伝していたが、テロリストの苦悩や葛藤、その悲劇性ならば前述した『 ホテル・ムンバイ 』の方が遥かに生々しかったし、思考と信念の違いに思い至り愕然とする人物の描写ならば『 判決、ふたつの希望 』が先んじているし、完成度でも優っている。

 

総評

イスラエルとパレスチナの問題は、もう百年以上続いている。何がどうしてこうなったのかは一言で説明できないが、欧米列強、就中、イギリスが元凶であることは間違いない。しかし、そうしたことはおくびにも出さず、テロリストの葛藤に焦点を当てた対話劇を作り上げたのだと思えば、パジーリャ監督への評価も上がることはないが、下がることもない。政治的ドラマではなくヒューマンドラマを観るつもりでチケットを買われたし。

 

Jovian先生のワンポイント独語会話レッスン

Scheiße!

 

劇中でロザムンドが吐き捨てるドイツ語の卑罵語である「シャイセ!」と発音しよう。英語では“Shit!”となる。排泄物を指して苛立ちを表現するのは、どこの国でも変わらない。Jovianの大学の先輩にドイツ留学者がいたが、彼も常に「シャイセ!」と吐き捨てていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, サスペンス, ダニエル・ブリュール, ロザムンド・パイク, 監督:ジョゼ・パジーリャ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 エンテベ空港の7日間 』 -古い革袋にビミョーに新しい酒-

『 リリイ・シュシュのすべて 』 -詰め込み過ぎたジュブナイル映画-

Posted on 2019年10月16日 by cool-jupiter

リリイ・シュシュのすべて 55点
2019年10月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:市原隼人 蒼井優
監督:岩井俊二

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『 マトリックス 』を20周年劇場鑑賞して以来、大学生時代に観た映画を再鑑賞したいという気持ちが生まれてきた。あの頃は田中麗奈のファンで、『 がんばっていきまっしょい 』や『 はつ恋 』を何度も繰り返し観ていた記憶がある。本作は確か銀座だか有楽町あたりの映画館で観た覚えがある。

 

あらすじ

栃木の田舎。蓮見雄一(市原隼人)は、同級生の星野と友人になる。しかし、その星野が非行少年に変貌したことにより、雄一は窃盗などの犯罪を強要され、悩み苦しむようになる。そんな雄一の救いは、リリイ・シュシュの音楽を聴くことだったが・・・

 

ポジティブ・サイド

閉鎖的な空間それ自体は、ある者にとっては居心地が良く、ある者にとっては居心地が悪い。後者は往々にして高校や大学への進学を機に、そうした閉鎖的なコミュニティを脱出していく。だが、小学生や中学生にはそれは難しい。中学受験は昔も今もそれほど一般的ではないし、公立の中学校というのは小学校時代の人間関係の延長線上にしか存在しないとさえ言える。本作は、そんな環境において、人間関係が突如として変質してしまったらどうなるのかを描き出している。

 

まず市原隼人が可愛らしい。これは言葉そのままの意味である。現役時代の亀田興毅のような険のある顔ではなく、声変わり前の中性的な面影を残す貴重な時期を上手く切り取った。『 誰も知らない 』における柳楽優弥のようだ、と言うのは流石に褒め過ぎか。蒼井優はあまり変わっていない。というか、この女優の現在のスタイル、すなわち色気があり、影があるという魅力の萌芽がこの時点で認められるのは新鮮な発見である。

 

中坊というのは、自分では大人と子どもの中間ぐらいに思っているのかもしれない。確かにJovian自身もそう勘違いしていた。だから、恰好つけるためだけに煙草を吸って、吸い殻をポイ捨てしたりしていた。とっくに時効だから書いてしまうが、そういう背伸びをしたくなる時期というのは誰にでも普遍的に存在するはずだし、ケンカはまだしもかっぱらいや恐喝、レイプなどは論外だが、社会の枠を意識的にはみ出してしまう行動を取ってしまう少年少女というのは、現実的にも比喩的な意味でも理解できないことはない。本作はそんな若者たちの残酷で底の浅い青春を確かに美しく切り取っている。そんな現実世界の濃密過ぎる、つまり地域や時代のせいで離れられない人間同士の関係とは別次元で、ネット上でリリイ・シュシュについて意見を共有し、時には戦わせるのは面白いコントラストであると感じた。広大なネット空間であっても、彼ら彼女らは非常に狭い領域に集ってしまう。それが子どもというものなのかもしれない。

 

1990年代はいわゆるJ-POPの全盛期だった。その大きな要因は音楽が“私有”されるようになったからだろう。Jovianも高校時代、雄一と同じようにCDプレイヤーを持ち歩き、通学の途上で、休日にどこに行くでもなく自転車であたりを巡る時に、あるいはそこらの道端でふと音楽を聞き耽っていた。1990年代後半から2000年頃というのはインターネットが黎明期を終えて、勃興期に入っていく時代だったが、それでも同好の士と巡り合い、語り合うことができるのは僥倖以外の何物でもなかった時代だった。掲示板は本当に掲示板で、文字以外の媒体、例えば画像や動画などは完全に容量オーバーだった時代。互いの好みを語り合い、時に談論風発し、ケンカ腰になりながらも、新しい形の人間関係を模索することができるようになり始めた時代でもあった。雄一の最後の行動は決して認められるものではないが、それでも自分の居場所を自分で確保したのだと思えた時、それが破壊されたとなると、その衝撃はいかばかりか。たかが十数年前ではあるが、その時代の空気を確かに味わわせてくれる貴重な映画であるように思う。

 

ネガティブ・サイド

光の使い方があまりにも下手くそである。特に夜のシーンは、不自然極まりない。もっとさりげない、月明かりよりほんの少し強い程度の光を、薄く、ぼんやりとカメラの撮影範囲に広げることはできなかったのか。また、窓からの光、刷りガラス越しの光などを必要以上に取り込んでいるせいで、画面全体にハレーションを起こしているようなシーンがちらほらあった。DVDの画質のせいだろうか。それでも、芸術然としたカットを撮ろう撮ろうと意識しすぎたせいで、全体的な光のトーンが一貫性を欠いている。ストーリーそのものがアンソロジー的な構成になっているのだから、逆に照明や音響といった部分に余計に一貫性を持たせる必要があったはずなのだ。本作の光の使い方は、二重の意味で残念である。

 

仕方がないと言えば仕方がないが、中学生連中の演技が拙い。蒼井優は、台詞は言うことはできていても、体の動かし方に遠慮が見られる。というか、男を蹴るのなら、もっと容赦なく蹴れ。岩井監督も演技指導が弱すぎる。その蒼井優が、川にその身を委ねるシーンがあるが、次のシーンではなぜかスカートが乾いていて、シャツは半乾き。何故だ。映画とは撮影時点では連続していないシーンとシーンを編集の妙味でそう感じさせなくすることが本義である。もっと細やかなリアリティを追求して欲しいものである。

 

時代がそうだったと言えばそれまでかもしれないが、現代とは比較にならないほど若者の倫理感が壊れている。しかし、映画化された『 ろくでなしBLUES 』や『 BE-BOP-HIGH SCHOOL 』のからっとしたケンカとは違い、本作が描写する数々の違法行為、犯罪行為は、あまりにも観る者の胸くそを悪くする。リアルタイムで観ていた記憶があまりないということは、当時の自分に刺さるものが少なかったということだろうか。しかし、今の目で見てしまうと、高く評価することは著しく難しい。

 

総評

映画は一にかかって芸術媒体であるが、光の使い方の拙さ、大雑把さが本作の大きな弱点である。また、子どもの世界に住まうことのない「大人」という種族が、あまりにもぼやけた姿でしか描出されない点も気にかかる。だが、蒼井優だけではなく大沢たかおや勝地涼など、今も活躍する俳優が相当数本作に出演している。ストーリーではなくキャストに注目すれば、再鑑賞の価値は少しは上がる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Is she seeing anyone?

 

蒼井優演じる津田に関する台詞で「あいつって、誰か付き合ってる奴いるのかな?」というような台詞があった。誰かと付き合う= date someone, go out with someoneなどの表現が一般的だが、be seeing anyoneは、しばしば疑問形で使われる。Are you seeing anyone? = 誰か付き合っている人がいるの?は、独身諸賢に是非とも使ってもらいたいフレーズである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 市原隼人, 日本, 監督:岩井俊二, 蒼井優, 配給会社:ロックウェルアイズLeave a Comment on 『 リリイ・シュシュのすべて 』 -詰め込み過ぎたジュブナイル映画-

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』 -エンディングにぶっ飛ばされる-

Posted on 2019年10月15日2020年8月29日 by cool-jupiter

ブルーアワーにぶっ飛ばす 65点
2019年10月13日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:夏帆 シム・ウンギョン 渡辺大知 南果歩
監督:箱田優子

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シム・ウンギョンが熱い。日本語にはまだまだ違和感が残るが、数年もすれば日本映画界にとって欠かせないピースになるのではないだろうか。『 新聞記者 』と本作において、私的2019年海外最優秀俳優賞でホアキン・フェニックスの次点につけている。

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あらすじ

CMディレクターの砂田夕佳(夏帆)は既婚、子どもなしの30歳。職場の同僚と不倫関係にあり、仕事も修羅場続き。ある日、病気の祖母を見舞うために帰郷することになった砂田は、友人の清浦(シム・ウンギョン)の運転で茨城を目指すが・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianは出身地は兵庫県だが、岡山県に8年暮らし、東京でも10年半を暮らした。大都市、まあまあ都会、ド田舎の全てを肌で知っていると思っている。そういう背景を持つ人間には、痛いほどに伝わるサムシングが本作には確かにある。都市の変化は激しい。一方で、日本昔話級の田舎には、目で見て分かる変化はほとんど起きていない。だが、それは一つの幻想である。変わらないように見える人間も確実に変わっていく。当たり前だが、人間は年老いていく。そして、どんな人間にも幼少期がある。田舎がダサい、カッコ悪い、居心地悪いと感じるのは、それが自分で自分を好きになれない部分を投影しているからだろう。逆に言えば、田舎に帰省してホッとするという向きには本作の砂田の痛々しさは伝わらないのかもしれない。それでも、清浦が隠そうとしない旺盛な好奇心や高いコミュニケーション力は、誰でも好ましく感じるに違いない。その感覚を大切にしなくてはならない。人間、ポジティブに感じられることを基軸に考え、行動したいものである。

 

構成はユニークである。オープニングシーンでは、ブルーアワーに田舎のけもの道を話しながら疾走する幼女を描き、エンディングでは茨城から東京への家路をブルーアワーにひた走る車を描く。本作の特徴は、その説明の少なさ、徹底して映像で語ってやろうという意気込みにある。冒頭から不倫相手との同衾シーン、そこから帰宅に至るシークエンスであるが、これがかなり不自然な画の繋がり方なのである。え、そこで切って、そこに繋げるの?という編集である。これはいきなり失敗作・・・いやいや実験的作品なのか?との杞憂は、中盤に至っても消えない。『 ダンス・ウィズ・ミー 』のようなロードムービーを予感させた瞬間には、もう別シーンに切り替わっていたりと、常に観ているこちらの虚を突くような展開が続く。だが、どうか辛抱して欲しい。全てはある演出のためのもので、それが全て明らかになるエンディング・シーンは絶対に席を立ってはならない。

 

映像といえば、清浦が常に手にしているビデオカメラも重要なガジェットになっている。いつ、どこにそれがあり、誰がどういったタイミングでそれを使うのかに、これから鑑賞する方は是非注意を払ってみてほしい。同じく、出番が可哀そうなぐらいに少ない渡辺大知のシーンにも、是非とも注意を払ってみてほしい。

 

夏帆の母親役に果歩。名前だけではく、外見もかなり似せてきている。メイクアップアーティストさんやヘアドレッサーさんはGood job! である。

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ネガティブ・サイド

夏帆は良い意味で円熟期を迎えつつあるようだ。しかし、悪く言えばマンネリズムに陥る危機を迎えているとも言える。『 きばいやんせ!私 』の貴子というキャラクターと今作の夕佳というキャラクターは、重複するところがかなりある。彼女自身、あるいは彼女のハンドラー達は、型にはめないように注意をしてほしいもの。

 

東京という虚飾に塗れた都市と、その周辺・従属地域の対比という構図は、すでに『 翔んで埼玉 』や『 ここは退屈迎えに来て 』にて用いられた、いわば手垢のついたものである。そこに新たな視点を提供するという野心的な試みは本作にはなかった。シム・ウンギョンの演じる清浦の出身地を湘南ではなく、韓国のソウルもしくは釜山という大都市にするか、あるいは韓国の田舎出身にしてしまった方が、対比が鮮やかになったのではないだろうか。異邦人の目から見た日本国内の地域差というのは、これまで映画では取り上げられなかった視座ではないだろうか。ただ、それをやってしまうと、物語の根幹部分が崩れるという諸刃の剣でもあるが。

 

また、『 イソップの思うツボ 』で感じたアンフェアさが本作にも感じられる。もちろん、こちらは伏線を見事に回収しているのだが、その手法の鮮やかさ、インパクトの強さにおいて『 勝手にふるえてろ 』には及んでいない。この部分において斬新なアイデアを披露してくれていたら、たとえそれが失敗に終わっても、個人的には野心作として非常に好ましく思えたのだが。

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総評

かなり観る人を選ぶかもしれない。生まれも育ちも東京23区内です、両親の実家もそれぞれ名古屋と横浜です、などという人には正直なところ勧め難い。けれど、アラサー女子が感じる閉塞感や焦燥感を感じ取ることができれば、それで充分かもしれない。自分の頭と心が一致していないと感じることがあれば、本作から何かを感じ取ることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Oh, good for you.

 

序盤の夏帆の「 へー、良かったね 」という台詞である。日本語と同じで、祝福の意味でも皮肉の意味でも使われる。表現として何一つ難しいことはない。これも機会を見つけて使ってみるべし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, シム・ウンギョン, ヒューマンドラマ, 南果歩, 夏帆, 日本, 渡辺大知, 監督:箱田優子, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』 -エンディングにぶっ飛ばされる-

『 ホテル・ムンバイ 』 -極限の緊張と恐怖に立ち向かえるか-

Posted on 2019年10月14日2020年4月11日 by cool-jupiter

ホテル・ムンバイ 85点
2019年10月13日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:デブ・パテル アーミー・ハマー
監督:アンソニー・マラス

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テロと聞けば9.11を思い浮かべるのは、それだけ我々がアメリカ的な価値観に染まっている証拠である。だが、世界ではテロが頻発している。テロリズムとは何かを定義するのは難しいが、私や個、あるいはその集団が国家あるいは国家に準じる存在・団体・組織に攻撃を仕掛けること言えはしないか。そうした意味でなら、本作は紛れもなくテロリズムを、そして世界の現実を描き出している。

 

あらすじ

2008年11月、ムンバイ各地で同時多発テロが発生した。タージマハル・パレス・ホテルも襲撃を受け、ホテル内には多数の客およびスタッフが取り残された。テロを鎮圧可能な特殊部隊は遠くニューデリーにいる。彼らの到着まではもたない。アルジュン(デブ・パテル)ら、ホテルマンの従業員たちは決死の覚悟で宿泊客らを匿い、逃そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

自分の拙い語彙力や表現力では、本作の凄さや価値を充分に伝えられない。例えて言うならば、『 グランド・ブダペスト・ホテル 』のような群像劇を、『 クワイエット・プレイス 』や『 ALONE アローン 』以上の緊張感、緊迫感で、そして『 デトロイト 』以上の臨場感で作り上げた、と言えば良いだろうか。

 

まず、銃声が怖い。マシンガンを乱射しているわけだから、当たり前と言えば当たり前だが、銃声の質をこれほどまでに追求した作品は、これまでに甘利生産されてこなかったのではないだろうか。邦画の任侠映画やアメリカの刑事ドラマのようなパァンパァンといった軽い音ではなく、腹の底にズシンと来るような重低音の聞いた銃声が、ひたすらに怖い。『 プライベート・ウォー 』も理不尽な暴力の描写方法がホラー映画のそれであったが、本作は効果音と音響効果だけでホラー映画に分類したくなるほどのリアリティと凄惨さである。

 

そして、テロリスト連中が怖い。無表情に、淡々と、それでいて油断なく動き回り、引き金を引くその指先に全く躊躇が無い。ブルという名のイスラム過激派組織の、まさに「考えない兵士」である。だが本作は、そんな末端のテロリストたちも生きた人間であるという描写をそこかしこに挿入する。血も涙もない殺人マシーンなのではなく、イスラムの教義に忠実な信者で、仲間を怒らせかねない冗談も飛ばし、水洗トイレをありがたがる年少の者たち。つまりは無邪気なのだ。アメリカ人を人質にし、インドは「お前たちの富を奪って発展した」と吹き込まれているが、その実、ピザを旨そうに喰い、履いている靴はNikeがどこかのスニーカー。ということは無知なのだ。本当の悪は、声だけしか出てこないブルであって、テロ実行部隊は操り人形に過ぎない。これは示唆的である。我々が大切にしている信念や理念は、どこから来ているのか。例えば、必死に会社のために頑張ってきたというのに、その会社が実は単なるブラック企業で、社会貢献を理念に掲げながら、実際は経営者の懐を潤すためだけに存在していたら?深刻さの度合いは全く異なるが、そんなことが、鑑賞後、ふと脳裏をよぎった。自分はお客さんに非人間的に接していないだろうか、と。

 

閑話休題。本作で最も印象に残るキャラクターは料理長のオベロイである。『 セッション 』におけるJ・K・シモンズを彷彿させるプロフェッショナリズムの塊のようなオジサンで、そのカリスマ性とリーダーシップは、確かに実在のシェフに基づくのだろう。

 

デブ・パテル=虐げられている、苦難に陥る、のようなイメージがあったが、その印象は本作を以ってさらに強化された。オベロイ料理長とはまた異なる意味でプロフェッショナルであり、ターバン(パグリー)と豊かな髭のせいで、ホテル客を疑心暗鬼にさせてしまうが、人間は外見ではなく内面で判断すべきということを我々に思い知らせてくれるシーンを披露する。『 PK 』でも用いられたネタであるが、我々はいかに外見で人を判断し、その内面を知ろうとしないのかを痛感させられる。多民族・多文化共生は言うは易く行うは難し。いつの間にか移民大国となった日本、大坂なおみやラグビー日本代表のようにダイバーシティを体現する存在がかつてないほど身近になっているからこそ、我々はインドに学ぶことが多い。

 

一部でチクリとCNNを刺すシーンがあるが、これはオーストラリア人監督としてのアメリカへのメッセージだろうか。

 

ネガティブ・サイド

全体的にストーリーに一本太い芯が通っていない。アーミー・ハマーが妻子を助けようと奮闘するぐらいだが、行き当たりばったり感が否めない。また、テロリストたちが客やスタッフを一人また一人と殺害していく、そしてホテルマンたちが客を匿おうとする、逃がそうとするシーンの一つひとつはこの上なくサスペンスフルであるが、客やスタッフの全体像が不透明であるため、何階建ての何階まで侵入された、何人中の何人が殺されてしまったという意味での、追い詰められる感覚が欲しかった。まあ、もしもそれがあれば窒息してしまったかもしれないが。

 

後はテロリストが「まだ少年じゃないか!」と形容されていたが、ちょっとそれは苦しい。どう見ても立派な20代だからだ。本当に10代半ばぐらいの俳優たちをキャスティングするという選択肢はなかったのか。それともそれが史実なのだろうか。それぐらいは映画的な演出として許容されると思うが。

 

冒頭で頼んでいない品を頼んだものと笑顔で言い張るインド人の食堂店員がいるが、個の描写は必要だったのだろうか。タージ・ホテルとその他のインドの店との格の違いを見せようという意図かもしれないが、そんなものは不要である。

 

最後にアルジュンが自宅に帰るシーンがあるが、普通は地元当局や警察に事情聴取も嵐を喰らうだろう。内部で一体何が起こっていたのか。どうやって生き延びたのか。そういったプロセスをすっ飛ばしてしまったのは頂けない。茫然としたまま原付に乗っていたが、茫然としたまま、聴取を受けて、茫然としたまま自宅に帰れば良かった。

 

総評

弱点も数多くあるが、間違いなく2019年公開作品の最高峰の一つである。よく知られたことであるが、世界史上の宗教戦争の99.9%は経済戦争である。テロリズムはその延長線上にある。ジハードの意味を、テロに利用された少年たち同様に、我々は決して誤解してはならない。信じるもののために奮励努力する。本作はそれを二極化された視点から描いているとも言える。分断・分裂によって起こる悲劇を描いたインド映画としては『 ボンベイ 』に並ぶ傑作が誕生したと言える。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Guest is God.

 

インドには日本と同じく、「お客様は神様です」という言葉が存在する。それが Guest is God である。あまりにも直球の訳であるが、実際にこう言うのだから仕様がない。英語ではもう少しマイルドになり、“The customer is always right.”となる。神様ならぬかみさんに頭が上がらない男性諸賢には“MEN to the left because WOMEN are always right! ”という言葉を贈る。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミー・ハマー, アメリカ, インド, オーストラリア, サスペンス, デブ・パテル, ヒューマンドラマ, 監督:アンソニー・マラス, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ホテル・ムンバイ 』 -極限の緊張と恐怖に立ち向かえるか-

『 もしも君に恋したら。 』 -不器用な男の不器用な恋-

Posted on 2019年10月14日 by cool-jupiter

もしも君に恋したら。 60点
2019年10月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダニエル・ラドクリフ ゾーイ・カザン アダム・ドライバー マッケンジー・デイビス
監督:マイケル・ドース

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禁断の恋はいつでもドラマチックである。最もドラマチックなのは韓国ドラマでお馴染みの、実は二人は兄妹でした的な展開であるが、日常的なレベルでの禁断の恋は、彼氏彼女持ちを好きになってしまうことだろう。これは独身でも既婚者でも、自分にパートナーがいてもいなくても起こりうることで、それゆえに本作は共感を呼びやすく、同時に陳腐でもある。

 

あらすじ

ウォレス(ダニエル・ラドクリフ)は、内向的な青年。友人のアラン(アダム・ドライバー)に呼ばれて行ったパーティでシャントリー(ゾーイ・カザン)に出会い、ひと目惚れする。しかし、シャントリーには恋人がいた。しかし、ある日、映画館の外で偶然に再会した二人は意気投合。ウォレスとシャンとリーは友人関係を結ぶことを約束するが・・・

 

ポジティブ・サイド

ハリー・ポッター=ダニエル・ラドクリフだった頃の、あの少年はもういない。『 スイス・アーミー・マン 』で見事に生気のない役、というか死体を演じた演じる前だが、生気があまり感じられないという点では、本作の役と共通点は多い。ラドクリフ演じるウォレスには共感しやすい。男は基本的に奥手で受け身で自分が傷つきたくないという考える生き物だ。相手を傷つけたくないという配慮は、自分が傷つきたくないという軟弱な精神構造の裏返しなのだ。そんな典型的なダメ男を演じたラドクリフは、世界中のイケてない男の羨望の的である。

 

アダム・ドライバー演じる彼の親友のアランもいい。邦画の、特に少女漫画を映画化した作品では、主人公の親友はたいていの場合、物分かりの良い縁の下の力持ちに終始するが、アランは違う。極めて実践的なアドバイス、すなわち自分を清いままに保とうなどという甘ったれた観念をぶち壊せという助言をしてくれるし、あと一歩を踏み出せない友人と従妹シャントリーに、その一歩を超えられるような舞台設定もしてくれる。一見すると女性=セックス・オブジェクトとしてしか見ていないような男なのだが、実はそうではない。責任を取れる男なのだ。野郎同士の関係、特に悪友とのそれはなかなか変化しない。それは、あまり気持ちの良い例えではないが『 宮本から君へ 』のピエール瀧とそのラグビー仲間のオッサン悪童連を見ればよく分かる。だが、関係が変化せずとも人間は変わる。そして、人間が変わった時、その相手に差し向かう自分も変化を突き付けられる。これは遅れてきた男のビルドゥングスロマンであり、そういう意味ではダニエル・ラドクリフという俳優の人生をある意味で象徴している。まさに面目躍如である。

 

ゾーイ・カザンは安定のクオリティ。下着姿やセミヌードを惜しみなく披露してくれる女優で、容赦ないエロトークやエロティックな演技もできる一方で、slutty な感じを一切出さない。健康的なのだ。日本で比較できそうな女優は高畑充希か。芳根京子の今後の成長に期待。ベタではあるが、怒ったり拗ねたりした時の方が魅力が増す女子というのは、大切にしなければならないのである。

 

ネガティブ・サイド

ゾーイ・カザン演じるシャントリーの商業がアニメーターという設定が今一つ生きていない。ペンだこひとつない綺麗な手というのはどういうことなのだろう?例えば、ウォレスとの友情を誓い合う握手の時に、ウォレスが「ちょっと普通の手の感触と違うね?」みたいなことを言えば、彼女が真摯に仕事に打ち込むキャラクターであることも伝わるし、ウォレスはただのヒッキーではなく、実はそれなりに経験を積んだ男であることを仄めかすこともできただろう。シャントリーの職業的背景が、変てこアニメーション演出以外に特に活かされなかったのは遺憾である。

 

シャントリーのボーイフレンドであるベンを必要以上に dickwat に描く必要はあったのだろうか。高度な知識と技能を持つプロフェッショナルで5年も付き合ってきた女性にプロポーズもできていない時点で、ある意味ではウォレスに負けず劣らずのヘタレなのである。もう少し正攻法のウォレスとベンの対決を見てみたかった。

 

 

総評

全体的に予想を裏切る展開が少なく、予定調和的である。ただ、日本の少女漫画の映画化作品に食傷気味の向きには、A Rainy Day DVD または A Typhoon Day DVDとしてお勧めできるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Did you guys meet?

 

Meetの意味は出会うではなく、「出会って挨拶や簡単な会話をする」ところまでを含む。『 モリーズ・ゲーム 』でも、ジェシカ・チャステインがイドリス・エルバに娘を紹介された時に“We met.”と返していた。またmeetは名詞としても使う。『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』でも水泳大会=Swim Meetと表現されていた。会=Meetと理解すれば、出会って何かを行う、というイメージをより強く持つことができるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アイルランド, アダム・ドライバー, カナダ, ゾーイ・カザン, ダニエル・ラドクリフ, マッケンジー・デイビス, ラブロマンス, 監督:マイケル・ドース, 配給会社:エンターテイメント・ワンLeave a Comment on 『 もしも君に恋したら。 』 -不器用な男の不器用な恋-

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