Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

カテゴリー: 映画

『 飛べない鳥と優しいキツネ 』 -生きづらさを抱える少女に捧ぐ-

Posted on 2020年5月18日2020年10月13日 by cool-jupiter

飛べない鳥と優しいキツネ 70点
2020年5月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ファンヒ スホ
監督:イ・ギョンソプ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200518233644j:plain
 

近所のTSUTAYAで狙っている『 悪魔を見た 』と『 チェイサー 』が常に借りられている。そんなバイオレンスものを観てはならぬという天の声だろうか。だったら全然テイストの違う青春ものでも観るかと、本作を借りてきた

 

あらすじ

ミレ(キム・ファンヒ)は、ネットゲームと小説の執筆に没頭して、現実逃避していた。だが現実の世界の友だち作りも少しずつ上手く行っていた。そんな時、耽溺していたゲームの配信終了の知らせが届く。傷心のミレはネットで知り合ったヒナという人物に会いに行くが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演のキム・ファンヒの、何と地味で、それゆえに何と輝いていることか。思春期という時代は様々なこと、たとえば初恋であったり男女交際であったり、あるいは知的生産活動であったり、あるいは人間関係の拡大(たとえそれがネットゲームの世界であっても)にいそしむ時期である。そうした子どもと大人の中間的な存在をキム・ファンヒは見事に体現した。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良を見た時と同じようなインパクトを感じた。彼女の無表情や小声に騙されてはいけない。それはすべてラストに爆発するための大いなる伏線なのだ。

 

韓国の映画を見ていて思うのは、人と人の距離が近いということ。それは時に抱擁という形を取ったり、あるいは容赦のない攻撃の形も取りうる。前者の例は『 建築学概論 』のスンミンが悪友の腕の中で泣きじゃくるシーンであり、後者は本作のイジメであろうか。大昔のテレビドラマ『 人間・失格〜たとえばぼくが死んだら 』のような、いわば子どもだらけの伏魔殿というか、『 ミーン・ガールズ 』からコメディ要素を抜くとこんな感じになるのだろうか。『 地獄少女 』の冒頭にあるようなイジメ描写が続く様は、かなりの鬱展開と言える。だが、これもミレの無表情と同様に、必要な描写なのだ。どうか辛抱してお付き合い頂きたい。

 

ある時点から明確な希死念慮を抱くようになるミレだが、それが薄れていく瞬間がある。ネットで知り合ったヒナと一緒にピザを頬張る姿からは生命力があふれてくるようである。食べるとは生きることそのものである。まるで『 風の電話 』で、どのシーンを見ても、誰かが何かを食べていたことを思い出す。

 

本作は随所に面白いカメラワークがある。夜の街中でミレとヒナが手紙を読み合うシーンでは『 3D彼女 リアルガール 』の文化祭的なシーンはシネマティックかつドラマチックだった。他にもランの植木鉢を抱えて廊下を走るミレの姿を左右から映し出す演出は、そのシーンの滑稽さと相まって不思議な時間を演出していた。その後は『 町田くんの世界 』に負けず劣らずのファンタジー展開となるが、それぐらいは目をつぶってほしい。女子中学生の成長物語として、普遍的な何かを感じられる良作である。

 

ネガティブ・サイド

ミレが心の拠りどころにしているオンライン・ゲームの描写が弱い。というか、実写化する必要があるのだろうか。もちろん、ネトゲの世界を実写で描く意義のある作品はいくらでも考えられるが、本作は違うだろう。描くべきはネトゲ内のコミュニケーションの在り方、そしてそこに没入する孤独な少女の姿だ。ゲーム音楽家の裏谷玲央氏は「昔も今もゲームはコミュニケーション・ツールです」と断言しておられたが、蓋し真理であろう。ミレが欲していたのはゲーム体験ではなく、他プレーヤーとパーティーを組んで、ともに何かを成し遂げることだったのだから。そのあたりの描写の薄さ、中途半端な実写化が、ミレに「ヒナに会わなければならない」と感じさせることに寄与していない。

 

ミレの家庭環境が改善された様子が描かれなかったのも気になる。父親と対峙せよ、とまでは思わないが、教師に対してとんでもない行動に出たように、父親に対しても何らかの反抗を見せてほしかった。

 

あとはヒナに秘められた因果か。もちろん物語の進行上、容易く想像はつくのだが、そこから講演でフリーハグを提供するようになっていった過程を、ほのめかす程度でよいので描写してほしかった。ある意味でヒナは自己満足の世界に溺れている。その背景を知らせてくれれば、人が生きることは綺麗ごとではないという真実が垣間見えたのだが。

 

総評 

これまた韓国産の良作である。イジメ描写の容赦の無さに、邦画との違いを思い知らされる。一方で、思春期に普遍的に共通する悩みや友情の美しさも称揚しているため、物語自体には比較的入っていきやすい。案外、中高生が親子で鑑賞してもよいかもしれない。どこか『 エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へhttps://jovianreviews.com/2019/09/23/eighth-grade/ 』に通じるものが本作にはある。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クロム

これも簡単、「それなら」の意である。それなら一緒に宿題をしよう。それなら今日のメシは俺が作ろう。そういう時の「それなら」である。何度でも強調するが、言葉を学ぶ時にコンテクストを絶対に無視してはならない。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ファンヒ, スホ, ヒューマンドラマ, ロマンス, 監督:イ・ギョンソプ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 飛べない鳥と優しいキツネ 』 -生きづらさを抱える少女に捧ぐ-

『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』 -韓国産ゾンビ映画の傑作-

Posted on 2020年5月17日 by cool-jupiter

新感染 ファイナル・エクスプレス 75点
2020年5月16日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ チョン・ユミ マ・ドンソク チェ・ウシク シム・ウンギョン
監督:ヨン・サンホ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200517120849j:plain
 

COVID-19のおかげでゾンビ映画的な世の中が現実化してしまった。だが、いち早くCOVID-19を抑え込んだ(ように現時点では見える)国もある。そう、韓国である。その韓国が生んだ傑作ゾンビ映画を、今というタイミングで見直す意味はきっとあるはずである。

 

あらすじ

ファンドマネージャーのソグ(コン・ユ)は離婚調停中。一人娘のスアンが釜山に向かうのに随行するため高速鉄道KTXに乗る。その頃、各地では謎のゾンビが出現していた。そして、KTX車内にもゾンビの影が迫って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 トガニ 幼き瞳の告発 』のコン・ユが嫌な奴に見える。これはすごいことである。もちろん、そうした人間が変化していく様を描くことが本作の眼目の一つであるが、コン・ユという俳優の高い演技力を大いに堪能できるのが本作の収穫である。子役のスアンと顔立ちが似通っているという点もポイントが高い。親子であるという説得力が生まれ、だからこそコン・ユのダメな父親としての演技が光る。演技力という点ではKTX車内にゾンビウィルスを持ち込むシム・ウンギョンの演技も見逃せない。ゾンビ映画の文法に忠実に乗っ取りながらも、動けるゾンビを新しい形で提示した。特に子泣き爺的に標的にかぶりつく動作は、かまれている女性の火事場の馬鹿力的な描写とあいまって、妙なリアリティがあった。だが、なんといっても娘スアンの魂の泣き声の悲痛さよ。日本でもこれぐらいの金切り声で泣ける子役が欲しい。

 

ゾンビが跋扈する世界の恐ろしさは無論、襲い掛かって来るゾンビにある。だが、それ以上の恐怖は人間同士が疑心暗鬼になることだ。もっと言えば、その人間の本性が露わになることと言ってもいい。主人公のソグが自分と娘だけが助かればいいと身勝手な考えに囚われている中で、周囲の人間も自己中心的になる者、利他的になる者と分断されていく。

その過程の描写がねちっこい。特に必死で最前線を潜り抜けてきた者たちに対して容赦なく浴びせられる罵詈雑言は聞くに堪えない。胸が痛む。まるで現今の日本の医療従事者の家族へのいじめのようではないか。こうした、必死に戦う者への差別的な言動は普遍的に見られるもののはずである。なぜなら世界中のゾンビ映画に共通する文法だからである。クリシェと言えばクリシェであるが、今という時代に見返すといくつも発見がある。

 

ゾンビ発生の原因の一端を主人公ソグが担っていたという設定もなかなか良い。本作は詰まるところ、韓国社会における富裕層と中流層、そして下層社会民の分断を遠回しに批判しているのだ。マネーゲームに興じられるような強者の横暴が、巡り巡って大多数の庶民に多大な迷惑と被害を与えているのだぞ、というのが本作の脚本家と監督のメッセージである。いやはや、これはかなりの傑作である。

 

ネガティブ・サイド

走るゾンビは世界的にもだんだんと描かれるようになってきているが、本作でも健在。だが、上空のヘリコプターから落ちてきたゾンビやどう見ても脚や背骨が損傷しているだろうゾンビまでもが走りまくるのはいかがなものか。腕が異様な方向に曲がったまま走るゾンビは面白かったので、もっと足を引きずるゾンビ、高速で這うゾンビなど、走る以外の方法で迫りくるゾンビも見たかった。これは贅沢か。

 

途中、コン・ユ、マ・ドンソク、チェ・ウシクでパーティーを組むところで何故か上着を抜き出す男たち。いや、皮膚の露出は抑えろ。それに、携帯を使ってのトラップはなかなか良かった。であるならば、各車両に残された荷物を漁って、もっと使えそうなアイテムを探すべきではないか。女性もののカバンにはかなりの確率でスマホが入っているだろうし、旅行客の荷物ならタオル類などもあるだろう。力業以外の知恵の部分がもう少し見たかった。

 

ラストはかなり評価が分かれるところだろう。『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』のように、「え?」と思わせるエンディングの方が結果的によりドラマチックに、よりシネマティックになったのではないだろうか。

 

総評

本邦でも『 カメラを止めるな! 』や『 アイアムヒーロー 』、『 屍人荘の殺人 』など、近年でもゾンビ映画は制作され続けている。おそらくゾンビ映画もしくは未知のウィルス系の作品はメジャーやインディーを問わず今後も世界的な需要があるだろう。そこで日本はどんな作品を世に問うことができるか。本作は邦画が乗り越えるべき一つのハードルを示していると言える。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クロニカ

「だから」の意味。「パパは自部勝手だ。だからママも逃げたんだよ」というセリフがあったが、話の文脈がはっきりしていると、どんな言葉もインプットしやすい。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, コン・ユ, シム・ウンギョン, スリラー, チェ・ウシク, チョン・ユミ, パニック, マ・ドンソク, 監督:ヨン・サンホ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』 -韓国産ゾンビ映画の傑作-

『 愛人/ラマン 』 -セックスから始まる悲恋の物語-

Posted on 2020年5月16日 by cool-jupiter

愛人/ラマン 75点
2020年5月15日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:ジェーン・マーチ レオン・カーフェイ
監督:ジャン=ジャック・アノー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200516181911j:plain
 

『 月極オトコトモダチ 』とは裏腹のテーマの作品を鑑賞してみたいと思い、本作があったなと思い出した。確か大学生3年生ぐらいの時に、当時急成長中だったTSUTAYAでVHSを借りて観た。当時、純情だったJovian青年は『 ロミオとジュリエット 』のオリビア・ハッセーを観た時と同じくらいの衝撃を味わったのだった。

 

あらすじ

20世紀初頭のフランス領インドシナ。少女(ジェーン・マーチ)は偶然にも裕福な華僑青年(レオン・カーフェイ)と知り合い、性的な関係を持つようになる。愛のないセックスに耽る二人だが、少女も青年も家族に問題を抱えており・・・

 

ポジティブ・サイド

主演の一人、レオン・カーフェイが、『 グリーンブック 』で言及した韓国系カナダ人にそっくりなのである。それが原因なのかもしれないが、異邦人の悲哀が確かに感じられた。YouTubeに行けばいくらでもinterracial relationshipにあるカップルたちの日常の動画や結婚生活、喧嘩の模様などが赤裸々に語られている時代である。それは取りも直さず、ようやく時代がinterracial relationshipを許容できるようになってきたことの表れでもある(移動や情報公開のテクノロジーが行き渡った面も無論あるが)。一方で20世紀前半のインドシナで、華僑の青年と宗主国フランスの少女という、互いにアウェーな状況は、どこか『 ロスト・イン・トランスレーション 』を彷彿させた。実際に、日本語に英訳がつかなかったように、本作でも中国語に字幕が存在しない。仕事をせずとも暮らしていける富裕なこの男は世界に居場所がない。その居場所として少女を見出していく様ははかなげで悲しい。スーパーリッチなアジア人青年キャラクターとして『 クレイジー・リッチ! 』のニックが思い出される。本作の華僑青年のキャラクター造形はニックに影響を与えていてもおかしくない。

 

もう一人の主演であるジェーン・マーチは、まさにこの限られた時期にしか発揮することのできない魅力や魔力を存分に発揮したように思う。『 ガール・イン・ザ・ミラー 』でも感じたことだが、邦画の世界には脱げる役者が少ない。男でも女でもである。その意味では本作は、30年前の映画でありながら邦画の30年先を行っている。つまりは stand the test of timeな作品である。脱ぐから偉いのではなく、その瞬間にしか作れない作品をしっかりと作り、世に送り出している。本邦では、脱ぐ=話題作り、落ち目女優の勝負、体当たりの演技ぐらいにしか捉えられない。まことに貧相で皮相的である。脱ぐからセクシーだとかエロティックになるわけではない。聴診器で心音を聞いたり、マンモグラフィー検査や乳房の触診で興奮する男性医師などいない。物質としての女体に男は興奮するのではない。それへの距離を詰めていく過程に最も興奮するのである。嘘だと思うなら本作を具に観よ。最も官能的なのは、車中で男が少女の指に自らの指を重ねていくシークエンスであり、前戯やセックスそのもののシーンではない。

 

監督のジャン=ジャック・アノーは『 薔薇の名前 』でもかなり唐突なセックスシーンを描いていた。確か隠れていたところを見つかった少女が、自分から少年の手を取り、自分の胸を触らせて篭絡していく過程が妙に艶めかしかった。自身の問題意識の中に人間関係とセックスがあったのだろう。セックス=愛情表現と考えがちな男のちっぽけな脳みそではなかなか消化しきれないが、セックス=自己表現の一つとしていたフランス人少女の姿は、色々な因習を突き破ったという意味で本土ではなく植民地における『 コレット 』だったと言えなくもない。

 

主演二人に名前がない設定も素晴らしい。『 母なる証明 』の母にも名前がなかったが、名前を持たないことでその人間の“属性”が一気に肥大化し、かつ“個性”が一気に矮小化される。COVID-19における報道を考えてもらいたい。志村けんや岡江久美子のように、“名前”のある人が死亡すると、我々は戦慄させられる。一方で名前が一切出てこない報道、たとえばイタリアやアメリカの死者数を伝えられても「あの国、ヤバいな」ぐらいにしか感じない。男と女、華僑と白人、青年と少女。様々な属性に縛られる二人の関係を、どうか堪能してほしい。そして、男というアホな生き物の生態に一掬の涙を流してほしい。

 

ネガティブ・サイド

寄宿舎でもう一人いる白人少女との語らいのシーンがもっとあっても良かった。どこの誰が売春をやっていてだとかいう話よりも、男に〇〇したら幼児返りしただとか、演技で男を喜ばせてやっただとか、そういう男を震え上がらせるようなトークが聞ければ、このラマンはファム・ファタール的な属性をも帯びたことだろう。

 

またお互いの家族とのシーンも少々物足りなかった。居場所となるべき家で地獄の責め苦を味わう、あるいは虚無的な気分にさせられる。だからこそ、市場の喧騒のただ中にある“部屋”でセックス三昧になってしまう。それはとてもよくわかる。ただ、「中国人と寝やがって!」と激昂する兄や不甲斐ない母の描写がもっと序盤にあれば、ジェーン・マーチを性に積極的な少女以上の存在に描けていたと思うのである。

 

総評

時を超えて観られるべき作品である。汚らしいメコン川が、なぜか美しく懐かしく感じられる映像世界も素晴らしい。世に悲恋は数多くあれど、たいていは結ばれないままに終わってしまう。本作はいきなり結ばれる。そこから先にどうしても進めないというジレンマが痛々しい。官能シーンも良いが、鑑賞すべきは人間ドラマの部分である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Repeat after me.

リピート・アフター・ミー、つまり「 続けて言ってみましょう 」の意である。セックスの前、最中、もしくは後に女性に何かを言わせたいという男性は多い、というか大多数だろう。それを実際にやったカーフェイに拍手。そして、その行為の余りの悲しさと虚しさに胸が押しつぶされそうになった。Jovianは商売柄、しょっちゅうこのフレーズを使うが、プライベートでこれを言う、もしくは言われるようになれば、あなたは英会話スクールを卒業する時期に来ていると言える。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, B Rank, イギリス, ジェーン・マーチ, フランス, ラブロマンス, レオン・カーフェイ, 監督:ジャン=ジャック・アノー, 配給会社:日本ヘラルド映画Leave a Comment on 『 愛人/ラマン 』 -セックスから始まる悲恋の物語-

『 月極オトコトモダチ 』 -男女の友情は成立するか-

Posted on 2020年5月14日 by cool-jupiter

月極オトコトモダチ 55点
2020年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:徳永えり 橋本淳
監督:穐山茉由

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200514203303j:plain
 

男女の友情は成立するか否か。こうした問いそのものに、個人的的には意味がないと思っている。これが普遍的な命題になりうるとはJovianは思わない。男女というのは何歳の男女なのか。友情の定義とは何か。セックスフレンドとは友達なのか愛人関係なのかそれ以外の関係なのか。正解はない。だが、答えは様々にありうる。

 

あらすじ

WEBメディライターの望月那沙(徳永えり)は、レンタル友だち柳瀬草太(橋本淳)と出会う。そして二人の関係を記事にしていく。一方で、那沙のルームメイトの珠希は音楽を通じて草太と距離を縮めていく。那沙は草太との関係をどうすべき悩み苦しみ・・・

 

ポジティブ・サイド

何とも不思議なリアリティに満ちている。それは男女の友情をテーマにした物語から生じているのではなく、アラサー女子のそれらしい立ち居振る舞いやルームメイトとの関係性、仕事への打ち込み具合、そうしたものがとてもリアルに感じられる。それは徳永えりが正に等身大の、結婚願望がなさそうである、かつバリキャリになりきれないアラサー女子を自然体に見える形で演じているからだろう。そして、そうしたキャラクター同士の掛け合いをごくナチュラルな視点から撮影し、かつごくナチュラルに発生する対話に巻き込んでいく。映画というよりは演劇的である。この演劇的な演出がストーリーテリングの上で奏功している。

 

「コントロールできたら恋じゃない」、「コントロールできたら、それは愛」といった格言めいたセリフが飛び交うのもドラマ的だ。Jovianがあまり滔々と堂々と女性論をぶつと妻に殺されるので、ごく一般的な男性論だけを語らせてもらえれば、男は脳で考えている。だが、脳内の思考のおよそ3~4割は下半身由来であると思われる。これが中学生や高校生だと脳内思考の7~8割は下半身由来だろうか。どうすれば、この下半身からの支配から逃れられるのか。その答えの一つが草太の言うスイッチなのだろう。そのスイッチがどういったものであるのか、興味のある男性はぜひ本作を鑑賞されたい。

 

本作のテーマは『 はじまりのうた 』のダンとグレタの関係の相似形であり、『 娼年 』の逆バージョンであり、『 “隠れビッチ”やってました。 』の裏バージョンでもある。男女の関係、と言えば、そのまま肉体関係を指すことが多いが、それすなわち関係の進展もしくは破綻とはならない。答えのない問いかけに一定の答えを出そうとしたという意味で、本作のチャレンジは認められるべきである。

 

ネガティブ・サイド

Jovianは映画の長さは1時間30分~1時間55分ぐらいが理想的だと思っている。その意味では本作は1時間18分と少々物足りない。『 生理ちゃん 』も75分と少々物足りなかったが、やはり映画は2時間弱はあって欲しいと思うのである。

 

砂浜でのサッカーシーンはノイズであるように感じた。女性が得意げに球を扱う。男性がドリブルで女性の股抜きをする。その象徴するところは極めて性的である。こうした演出を挿入するなら、それこそ挿入直前まで描いて、しかしやはり未遂に終わりました。これでよかったのではないか。

 

那沙が珠希と衝突するのもクリシェでしかない。ドラマとは意外性から生み出されるべきで、普通に予想される事柄から生み出されるべきではない。気になっている男が、自分の友人と共同で何かをおこなっている。その姿にたまらない嫉妬や焦り、敗北感を募らせる。いったい、いつの時代の少女漫画なのか。那沙の会社の編集長ではないが、いつまで純情ぶっているのか。

 

総評

着眼点は良いと思うが、その後の展開にひねりがない。いつの頃からか、オタク連中は日常系の深夜アニメをありがたがるようになったが、映画がそれをやってはおしまいである。もし、そうした方向に舵を切るなら、例えば『 セトウツミ 』のように、独特の見せ方を追求すべきである。そうした意味では、カジュアルな映画ファン向けではあるが、ディープな映画ファン向けな作りにはなっていない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How about if we go out?

 

「私たち、付き合ってみる?」「俺たち、付き合ってみる?」の意味である。劇中ではどちらの意味で使われていたか、興味があれば確かめて頂きたい。How about if S + V? = SがVしてみてはどうだろうか? という意味である。How about S + V? でも同じである。TOEFLのリスニングなどでは頻出であるし、TOEICでもたまに聞こえてくる表現である。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンス, 徳永えり, 日本, 橋本淳, 監督:穐山茉由, 配給会社:SPOTTED PRODUCTIONSLeave a Comment on 『 月極オトコトモダチ 』 -男女の友情は成立するか-

『 パズル 戦慄のゲーム 』 -韓国製ピエロ映画の失敗作-

Posted on 2020年5月11日 by cool-jupiter

パズル 戦慄のゲーム 30点
2020年5月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チ・スンヒョン
監督:イム・ジンスン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200511220816j:plain
 

近所のTSUTAYAがうるさいぐらいに『 ジョーカー 』と『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』を宣伝している。ひねくれ者のJovianは、だったら別の道化ものを借りてやるぜ、とジャケットだけでレンタルを決めた。

 

あらすじ

広告代理店で順調に出世を重ねるドジュン(チ・スンヒン)だったが、妻と娘は遠くカナダはバンクーバーに暮らしていた。妻に対して猜疑心を抱くドジュンは、偶然に知り合った女性セリョンと怪しげなクラブで一夜の関係を持つ。だが、気が付くとセリョンが殺害されていた。誰が、何の目的で?ほどなくして、ドジュンの携帯に脅迫のメッセージが届き・・・

 

ポジティブ・サイド

同じ駄作は駄作でも『 パズル 』よりは良い出来である。オープニング・シーンが『 聖女 Mad Sister 』と同じで、ハンマーを引きずる主人公の姿なのだが、制作はこちらの方が早いらしい。まさか本作が『 聖女 Mad Sister 』に影響を与えたとは思わないが・・・

 

以外にも色々な形で伏線はフェアに張られている。特に中盤の追走シーンでは、多くの人が「何だこれは?」と違和感を覚えるところがあるが、これは監督の意図したものであることは間違いない。終盤あたりからその「演出」がもっと目に見える形で現れてくる。はっきり言ってクリシェであるが、これはこれで一応受け入れてよいのだろう。

 

アクションシーンはなかなかに面白い。何故に普通のリーマンがここまでスラッシャーに変貌するのだと思わせるが、たとえ無意味に思えてもバイオレンスを放り込んでこその韓国映画。『 殺人の告白 』も無意味なアクションだと思えるところに限って、やたらと力が入っていた。

 

ネガティブ・サイド

主人公のhand to hand combatのアクションはまだ許せても、銃を触ったことがないような一般人女性が引き金を引くのが気に入らない。のみならず、ズドンと急所に命中させるところはもっと気に入らない。実弾を撃ったことがある方にはお分かりいただけようが、素人は5m離れれば、まず的には当たらない。十数年前にLAで5mの距離から20発ほど外したJovianが断言する(そういう意味では『 アジョシ 』のラストのガンアクションにはリアリティがあったと改めて妙に納得)。

 

ストーリーの発端となるドジュンの濡れ場のシーンにはエロスが足りない。というか、敢えて嫌な言葉使いをさせてもらえれば商売女なのだから、もっとサービスしろと言いたい。『 オールド・ボーイ 』のミドのまぐわいを100回鑑賞しろと言いたい。脱ぐだけではダメなのだ。脱いだからには色気を感じさせなければならないし、極端に言えば脱ぐ前から色気を発していなければダメだ。それがプロだろう。

 

肝心のオチが正直なところ、あまりにもひどい。二十数年前の『 世にも奇妙な物語 』で見たことがある気がするし、洋の東西を問わずアホほど量産されてきたプロットの焼き増し再生産に過ぎない。そこに新味を加えるべく一捻りを加えてきたが、これは逆効果。このあたりについてはイム・ジンスン監督は『 イニシエーション・ラブ 』を100回鑑賞してみてほしいもの。

 

総評

一言、失敗作である。アクションと流血描写だけはまあまあ楽しい。が、それだけである。ピエロものを観たいのならば『 仮面病棟 』や『 ピエロがお前を嘲笑う 』を観るべし。よほど手持無沙汰な人がちょうど90分を潰したい、という向きにしか本作はお勧めできない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

チンチャミアナダ

 

「本当にごめんな」の意である。チンチャは『 母なる証明 』で紹介した言葉で、ミアナダは『 国家が破産する日 』で紹介したミアネの語尾が変化したもの。外国語学習ではある程度ボキャブラリーを蓄えたら、今度はそれを組み合わせる段階に進むべきである。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, スリラー, チ・スンヒョン, 監督:イム・ジンスン, 韓国Leave a Comment on 『 パズル 戦慄のゲーム 』 -韓国製ピエロ映画の失敗作-

『 ぼくのエリ 200歳の少女 』 -人間らしさの根源に迫る-

Posted on 2020年5月10日 by cool-jupiter

ぼくのエリ 200歳の少女 70点
2020年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:カーレ・ヘーデブラント リーナ・レアンデション
監督:トーマス・アルフレッドソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200510205717j:plain
 

韓国映画やアメリカ映画のような、胃にかなり重く来るような食べ応えの作品を立つ続けに見ると、やはり北欧産の映画に惹かれてしまう。色々なものをそぎ落とす演出と世界観は、時に不思議な魅力を生み出す。ゾンビものもいいが、吸血鬼ジャンルも、このご時世にはいいのかなと感じた。

 

あらすじ

学校でいじめられている内気な少年のオスカー(カーレ・ヘーデブラント)は、隣室に引っ越してきた謎めいた少女エリ(リーナ・レアンデション)と出会う。同じ頃、近隣では、血を抜き取られるという殺人事件が起こるようになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200510205749j:plain
 

ポジティブ・サイド

キャスティングがとにかく素晴らしい。オスカーを演じたカーレ・ヘーデブラントもエリを演じたリーナ・レアンデションも、このタイミングでしか撮れない絵を見事に作り出している。『 ネバーエンディング・ストーリー 』のバスチアンやアトレーユ、幼心の君や、『 スタンド・バイ・ミー 』の4人組、『 ぼくらの七日間戦争 』の1年2組の面々らのように、主演の二人は大人と子どもの境目であるという奇妙な存在感を大いに発揮していた。

 

安易に人外のモンスターが登場する=ホラー映画、に仕立て上げないところにも好感が持てる。これは人間の物語で、もっと言えば人間が人間らしくある、あるいは人間らしさを失うこととは何かを問うている。我々はよく「人命ほど尊いものはない」と口にする一方で、「けしからん、死刑にせよ!」などと勝手に他者を断罪したりする。いじめっ子や問題のある親のせいで、学校にも家にも居場所がないオスカーが、吸血鬼エリと親しく交わることを誰が咎められようか。『 東京喰種 トーキョーグールhttps://jovianreviews.com/2019/08/14/tokyo-ghoul/ 』と同工異曲の作品であるが、オスカーの方がより社会的に疎外された存在であるため、エリとの交流の儚さがより際立っている。

 

エリとホーカンの関係も象徴的だ。実に甲斐甲斐しく夜な夜な血液集めに奔走するホーカンは、何故に好き好んで少年を狙うのかと思っていたが、それ自体が伏線だったとは。ある意味で少年の心のままに老齢に達してしまったホーカンと永遠に老いることのないエリの奇妙な共生関係は、エリとオスカーの未だ見ぬ将来について実に示唆的だ。

 

オスカーに拒まれて血を流すエリの不気味なまでの美しさは、映像美の一つの到達点ではないだろうか。そして、最終盤の、荒れ狂うエリの狂暴さとその場面の静謐さのコントラストも実に鮮やかである。北欧産のスリラーにしてヒューマンドラマの良作である。

 

ネガティブ・サイド

1時間26分48秒時点のボカシ、これは果たして必要だったか。「女の子じゃないよ」というエリの言葉は二通りに解釈できる。すなわち、1) 自分は女の子と呼ばれるような年齢ではない、そして2) 自分は性別的に女ではない、である。おそらく、その両方と解釈すべきなのだろうが、ここは恐れることなく“そのもの”、あるいは“そのものの痕跡”を見せてほしかった。あるいは、『 11人いる! 』のフロルの裸を目撃したアマゾンのごとく、オスカーにもっと分かりやすい反応をさせても良かったのではないか。

 

エリに襲われたことで半吸血鬼化した人物が、太陽光にあたってしまったことで焼け死ぬシーンがあるが、いくら何でも大げさすぎる演出ではないか。『 ミュージアム 』の殺人鬼ぐらいの演出で良かったのだが。

 

ヴァンパイアの特徴である「招かれないと部屋に入れない」を効果的に使っていた一方で、「影がない」という特徴は反映されず、ばっちり影ができていたり、「鏡に映らない」という衝撃的な画作りもできたはずだが、それもなし。特に鏡を使った印象的なカメラワークが随所にあるのだから、これは是非やってみてほしかった。元々太陽光を浴びられないエリなのだから影の件は置いておくにしても、鏡に映らないにはぜひ挑戦してほしかった。

 

総評

医療従事者の子どもが学校でいじめられているという、なんともやりきれない気分にさせられるニュースが報じられている。いじめっ子には直ちにやり返せとは思わないが、疎外がどのような結果につながるかについては真剣に考えなければならないだろう。誰かのために必死に生きる。その結果、残虐なことも起こりうる。それを美しいと思えることが人間らしい思いやりなのか。何とも言えない余韻を残す佳作である。

 

Jovian先生のワンポイントスウェーデン語レッスン

gå

英語にすると、go=行く、の意である。エリがオスカーにこのように叫ぶシーンがある。英語のgoは「ゴウ」だが、こちらは「ガウア」という感じ。むやみに辞書を引くのではなく、状況から未知の言葉の意味を類推する癖をつけておこう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, カーレ・ヘーデブラント, スウェーデン, ヒューマンドラマ, レーナ・リアンデション, 監督:トーマス・アルフレッドソン, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ぼくのエリ 200歳の少女 』 -人間らしさの根源に迫る-

『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

Posted on 2020年5月6日 by cool-jupiter

ウォー・ドッグス 65点
2020年5月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル マイルズ・テラー アナ・デ・アルマス ブラッドリー・クーパー
監督:トッド・フィリップス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200506155608j:plain
 

アベノマスクなる、とても使い物になるとは思えない品質のクソ製品が、木っ端役人によって提案され、得体の知れない会社によって調達され、国中に支給され始めている。そこで本作を思い出した。有事の裏では、常に機を見るに敏なmoney-hungry dogsが暗躍しているものなのかもしれない。

 

あらすじ

時はイラク戦争とその後始末のただ中。デビッド(マイルズ・テラー)はうだつが上がらない仕事に従事していたが、ひょんなことから銃火器を売りものにする旧友のエフレム(ジョナ・ヒル)と共に仕事をすることになる。やがて二人はアメリカ国防総省に武器弾薬を納入する仕事に目をつけ・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200506155630j:plain
 

ポジティブ・サイド

マイルズ・テラーとジョナ・ヒルが、若く無鉄砲な若者二人組を好演している。アホかと思う面も多々あるが、特にエフレムのメンタル・タフネスと着眼点は起業を志す者なら大いに参考になるだろう。小学生の頃の昔話や与太話で定期的に盛り上がるところがガキンチョのメンタリティそのままで、子どものまま大きくなってしまったところを見事に表している。相方のデビッドの精神構造も見上げたもの。とある入札を見事に勝ち取るのだが、二位との差額を聞いて「国民の税金が節約できた」と言い切る、その言や良し。

 

『 バイス 』を事前に観ておくと、当時の(といってもたかが十数年前)のアメリカの政治的背景がよく分かる。同時に、戦争=経済活動と言い切るところもアメリカらしくてよろしい。というよりも、人類の歴史上、戦争の99%は経済的な理由で起こっている(宗教戦争に見える十字軍遠征さえ、本質的には交易の一大拠点であるコンスタンティノープルをキリスト教勢力が欲したというのが真相である)。本作は、しばしばヒューマンドラマに還元されてしまいがちな戦争の最前線ではなく、その銃後で何が起きていたのかを描く点がユニーク。『 バイス 』において、D・チェイニーは9.11の際に危機ではなく好機を見出していた。エフレムも、イラク戦争の後始末に危機ではなく商機を見出している。煎じ詰めれば、トッド・フィリップスは戦争という営為を嗤っているのだろう。『 シン・ゴジラ 』でも松尾スズキ演じるジャーナリストが「東日本の地価が暴落する一方で、西日本の地価が高騰している。面白いですな、人の世は」と語っていた。国難や有事をチャンスと捉える人間を褒めているのではない。半ば呆れている。トッド・フィリップスも本作におけるエフレムやデビッドをそのように見ている。デビッドも?と思う向きもあるだろうが、最後の最後のシーン(それが事実がどうかはどうでもよい)が意味するところを考えれば、その答えはおのずと明らかである。

 

それにしても、『 プライベート・ウォー 』でホラー的に描かれた検問シーンが、本作では見事にコメディになっている。同じイラク戦争でも、描く角度が異なれば、これほどに印象が異なるのかと考えさせられる。トッド・フィリップス監督は『 ジョーカー 』において、社会の分断と棄民政策から生まれた鬼子としてのジョーカーの誕生を描いたが、戦争という社会の異常事態からは常に何かしらの鬼子が生まれてもおかしくないのだぞ、と警告を発しているかのようにも見える。それは考え過ぎだろうか。

 

ネガティブ・サイド

どうしても『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』と比較されてしまうだろう。そして、比べるまでもなく本作の完敗である。ペニー・ストックを舌先三寸で見事に売りつけ、そこからのし上がっていく様をテンポよく描いた『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』に比べると、ジョナ・ヒル演じるエフレムの事業は目のつけどころはシャープであるものの、そこからトントン拍子にパイのかけらを美味しく頂戴していくシーンがなかった。ストーリーに説得力がなかった(実話に説得力も何もないと思うが)。

 

ジョナ・ヒル自身のパフォーマンスも『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のそれには劣る。若きアントレプレナーの事業や経営への意識の違いが、やがて関係の破綻・破局につながっていくというストーリーの見せ方は『 ソーシャル・ネットワーク 』の方が一枚も二枚も上手だった。エフレムというキャラクターが十分に肉付けされていないからだろう。ところかまわずカネで女を買いまくっているが、高校の時に女に手酷い目にあわされたというような逸話の一つにでも言及してくれれば、観る側の捉え方も少しは変わる。また、『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』におけるディカプリオが、創業の功臣メンバーの女性に非常に人間味あふれるサポートを施していた逸話があったが、エフレムに何か一つでも会社や従業員に対する想いを見せる演出が欲しかった。それがないために、最初から最後まで小悪党にしか見えなかった。

 

総評

普通に面白いブラック・コメディである。総理大臣肝入りの数百億円規模の事業の裏側で何が起こっていたのかを、本作を下敷きにあれこれ想像してみるのも興味深いだろう。同時に、夫婦の在り方の軸には正直さが、ビジネスの在り方の軸には真っ当さが必要であるという当たり前の教訓をも教えてくれるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

read between the lines

「行間を読む」の意である。これは何も読書に限ったことではない。エフレムの言う“All the money is made between the lines.”=すべてのカネは行間から生まれる、は蓋し真実である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・デ・アルマス, アメリカ, ジョナ・ヒル, ブラック・コメディ, ブラッドリー・クーパー, マイルズ・テラー, 伝記, 監督:トッド・フィリップスLeave a Comment on 『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

Posted on 2020年5月5日 by cool-jupiter

ハンナ 40点
2020年5月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン ケイト・ブランシェット
監督:ジョー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200505220556j:plain
 

近所のTSUTAYAがこのご時世にもかかわらず、いや、このご時世だからか大繁盛していて、本命(多くは準新作)がどれもこれも借りられている。たまたま目についたシアーシャの“顔”だけで借りてきた。この判断は失敗だった。

 

あらすじ

フィンランドの人里離れた森でCIA工作員だった父から語学や一般教養、そして格闘術を叩き込まれた少女ハンナ(シアーシャ・ローナン)に、ついに外の世界へ巣立つ時期がやってきた。だが、かつての父の同僚メリッサ(ケイト・ブランシェット)がハンナを執拗に追跡してきて・・・

 

ポジティブ・サイド

ハンナが各国の言語を流暢に操るシーンはとてもクールである。同時に初めて出会う人々とずれたコミュニケーションを取る様は非常に滑稽でもある。どこか『 ターミネーター 』的である。クリシェであるが、そこはまあまあ面白い。

 

年端のいかない暗殺者というのは死ぬほど量産されてきたキャラで、化粧っ気がゼロだが、そこが魅力的でもある。野生児の風味があるところがいい。アクション、特に近接格闘前に逃げるところに動物らしさが見て取れる。Fight or flightである。

 

16歳の少女らしく、開放的な世界でのアバンチュール的展開もある。ここで妙なときめきを感じたりしないところもgood。ストーリー進行を妨げていない。友人となるソフィーとのsleep-overも良いムードである。血も涙もない殺人者ではなく、かといって動物的な勘性だけに染まっているわけではない。ある意味でとても無垢な少女という印象を観る者に刻み付けてくれた。

 

10代のシアーシャを本作で堪能されたし。

 

ネガティブ・サイド

トム・ホランダーの演じる追走者一味がかなり間抜けだ。迷路状の貨物置場でチェイスしている最中に口笛を吹くか?ここでのロングのワンカットは緊迫感溢れるシークエンスだったが、ホランダーの口笛がその空気をぶち壊しにしたように感じた。他にも余裕をぶっこいておきながらエリックの逃走を許す。あるいは格闘戦で普通に負けるなど、とてもCIAエージェントたるマリッサが「裏の仕事を任せたい」と頼る相手とは思えない。見た目も間抜けで実力もイマイチ。なぜこのような設定になってしまったのか。

 

『 オールド・ボーイ 』でも感じたことだが、なぜハンナは初めて触れるパソコン、そしてインターネットを使いこなせるのか。父親から話に聞いていたとはいえ、数分で使いこなせる代物ではないはずだ。また、元CIAであるエリックの情報がネットでほいほいと簡単に手に入るのもおかしい。本物のCIA職員からすれば噴飯ものだろう。

 

マリッサの行動も意味不明なものが多い。サイレンサーを持っているなら、毎回それを使えと言いたい。なぜ街中で銃をぶっ放す時に使わないのか。そして、わざわざ仕留めた相手をよっこらせとばかりに運んだというのか。そんなことをしている暇があるのなら、ハンナというターゲットをしっかりと追いかけろと言いたい。

 

そのハンナとマリッサの対決シーンも腑に落ちない。フィンランドの雪原および森林をホームに育ったハンナが、なぜ待ち伏せて狙い撃ちする戦術を選択しなかったのか。せっかくの決め台詞が、やはり間抜けに聞こえてしまう。全く同じ構図の絵作りをしている作品に『 ウインド・リバー 』がある。完成度はそちらの圧勝である。

 

字幕が余計なことをしている。どの部分とは言わないが、ケイト・ブランシェットの台詞とだけ指摘しておく。

 

総評

凡百のアクション映画である。10代のシアーシャ・ローナンが見られるということぐらいしか特徴がない。だが、シアーシャのファンならば観ておく価値はある。大女優や大俳優の多くも、クソ映画に出演して腕を磨いたのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

gross

GNP = Gross National Productのgrossだが、日常会話では圧倒的に「キモイ」の意味で使われる。同義語はcreepyやobnoxiousである。劇中では、朝ごはんとして皮剥ぎのウサギを調達してきたハンナに、ソフィーが一言“That’s gross.”=「キモイよ」と言い放つ。服でも食べ物でも容姿でも言動でも、なんでもgrossと言うことで不快感や嫌悪感を表明することができる。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ケイト・ブランシェット, シアーシャ・ローナン, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

Posted on 2020年5月5日2020年5月5日 by cool-jupiter

her 世界でひとつの彼女 70点
2020年5月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス スカーレット・ジョハンソン ルーニー・マーラ
監督:スパイク・ジョーンズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200505180420j:plain
 

人との物理的な接触を減らせと言われて久しい。実際にJovianも減らそうと試みている。一方でオンライン飲み会など、新しい形の関係が模索されている。そこで本作を思い出した。ハンズフリーでスマホで誰かと話す人々を街中で見かけるのは最早当たり前である。だが、その通話の相手が人間でなくなる時代は、案外すぐそこまで来ているのではないだろうか

 

あらすじ

手紙の代書屋セオドア(ホアキン・フェニックス)は妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と離婚協議中。そんな時、サマンサと自身を名付けた新型OSとの対話に、セオドアは少しずつ没入していくようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

少し進んだ都市、少し進んだ建築、少し進んだゲーム、少し進んだPC。時代や場所を敢えて特定しないことで、そうした現実の少し先にあるかもしれない世界がリアルに感じられる。そう、リアルが本作のテーマである。特に人間の感情のリアル。リアルであるということは、事実である、本当であるということ必ずしもイコールではない。いや、事実という言葉も、定義が難しい。事実であるかどうかは、実体があるかどうか、と言い換えるべきかもしれない。

 

非人間との関係、その行き着く先の一つであるセックスはますますリアルになりつつある。『 ブレードランナー2049 』をある意味で先取りした本作は、あらゆるものがセックス・オブジェクトになりうる時代を非常に力強く予感させてくれる。テレフォン・セックスの極まった形と言おうか、セオドアとサマンサのセックスは実に感応的である。官能的ではなく、感応的なのである。

 

セオドアの仕事が手紙の代書屋というところがいい。口下手な男だが文章を物すのは上手い。極端なのだ。コミュニケーションの様態は4つ分類される。すなわち、

1)Real Time – Real Space (例 会話)

2)Real Time – Not Real Space (例 電話)

3)Not Real Time – Real Space (例 伝言メモ)

4)Not Real Time – Not Real Space (例 手紙)

である。セオドアの仕事はもっぱら3)か4)に分類される。すなわち、リアルタイム(同時)のコミュニケーションには長けていないのだ。そんな彼が、サマンサとの会話にだんだんと没入していく過程が心地よくもあり、また少しうすら寒くも感じる。科学技術が進歩した世界では物質的に我々は満たされている。その一方で、リアルなコミュニケーションを喪失しつつあることも事実である。我々が真に求めているのは、他者との交流によって得られる満足感や安心感であり、他者とはその媒体に過ぎないのではないかと疑念が生まれてくる。そうした心理的な動きを、セオドア演じるホアキン・フェニックスは持ち前の表現力で我々にしっかりと感じさせてくれる。

 

本作にはちょっとしたどんでん返しがある。まるで小説『 幼年期の終り 』の逆バージョンである。これはかなり秀逸なラストであると感じた。「本人が実在性を認めるならばそれはリアルなのではないか」というのが本作の問題提起であり、「失って初めて実在性を認められるものもあるのではないか」というのがラストの余韻である。いや、違うか。RealとNot Realの境界を揺らがせると同時に強固にもする本作は、一通りではない解釈が可能な近未来SFの良作である。

 

ネガティブ・サイド

セオドアが就寝前に出会い系チャットを使うシーンは、もっと違う形の方がよかった。奇妙な設定に性的に興奮する女性とのコミュニケーションで萎えてしまうというのではなく、普通の女性との普通のコミュニケーションにどうしても満ち足りた気分になれないという、どこか欠けた男という設定の方がよかった。現実の女性が気持ち悪いからOSのサマンサに恋をするというわけではないが、皮相的にそう見えてしまうのはマイナスである。

 

最後のオチに至る過程が少々アンフェアである。Jovianは二度目の鑑賞なので、あれこれとバックグラウンドに注目しながら鑑賞したが、背景の人間たちが背景だった。詳しくはネタバレになるので言えないが、ちょっとした場面の背景にセオドアと全く同じことをやっている人間がチラッとでも映っていれば、良作を超えて傑作になれたかもしれない。

 

総評

本作と同工異曲に感じられるのが、ゲーム『 エースコンバット3 エレクトロスフィア』や『 メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ 』であろうか。時系列的には逆か。もしくはJ・P・ホーガンの小説『 ガニメデの優しい巨人 』や『 巨人たちの星 』のゾラックが可愛くて仕方がない、というSFファンならば、本作はかなり楽しめるはず。一般人向けとはとても言い難い作品であるが、刺さる人にはとことん刺さる作品のはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call it a night

call it a dayという形でもよく使われる。「それ(=状況)を夜(一日)と呼ぶ」が直訳で、意訳すれば「これで一日をおしまいにする」ということになる。call it a career=引退する、という表現を使うアスリートやパフォーマーも時々見かける。英語学習の初級者から中級者の間なら、知っておくべき表現である。

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, ロマンス, 監督:スパイク・ジョーンズ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

『 聖女 Mad Sister 』 -韓流アトミック黒髪の爆誕-

Posted on 2020年5月4日 by cool-jupiter

聖女 Mad Sister 65点
2020年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・シヨン パク・セワン
監督:イム・ギョンテク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200504230112j:plain
 

『 THE WITCH 魔女 』や『 悪女 AKUJO 』に続く、韓流・戦うヒロイン(?)の系譜に連なる一作というTSUTAYAの触れ込みに惹かれた。またプロットも韓国映画ではずれが極めて少ない復讐もの。ということで借りてみた。

 

あらすじ

過剰防衛による服役を終えた警備員のイネ(イ・シヨン)は、軽度の知的障がいを持つ妹ウネ(パク・セワン)のもとへ帰ってくる。再会を喜ぶ二人。しかしウネは学校でいじめの対象になっており、美人局的な仕事をさせられていた。ヤクザ者の手に落ちたウネを取り戻すべく、イネは動き出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

いきなり『 ミッドサマー 』の「顔面破壊」を彷彿させるオープニングである。否が応にも惨劇への期待・・・ではなく予感が高まる。そして、その予感は正しかった。韓国映画の特徴は容赦のないバイオレンス描写にあるが、本作でもそれは健在。というか、『 THE WITCH 魔女 』や『 悪女 AKUJO 』のような斬新なアトラクション的カメラワークよりも、オーディエンスに劇中キャラクターが感じる痛みを伝えることにフォーカスしたカメラワークと演出が非常に多い。たいていの人はドアに指を挟んだ経験があるだろうグロ描写は極まるとコメディになるが、本作は視覚的に気持ち悪いということ感覚的に痛いということの差をよく理解した者によって作られている。

 

男を踏みつけるという一種のメタファー的な行為は『 ワンダーウーマン 』でも取り入れられていた(鐘楼のスナイパーのシーン)が、本作の聖女もやっぱり男を踏みつける。なぜに赤いワンピースとハイヒールで大立ち回りを演じるのかと疑問に思うが、中盤のとある踏み付けシーンの痛みを倍加させるためである。終盤には『 アトミック・ブロンド 』のシャーリーズ・セロンばりにハイヒールを武器に転化。お約束の攻撃だが、これも痛い。主演のイ・シヨンは元ボクサーというよりも元総合格闘家、いや、それ以上の何かだ。パンチのみならずキック(膝蹴り含む)に関節技まで織り交ぜて、ナイフ、スタンガン、銃と武器の扱いにも長けている。警備員ではなく、どう考えても『 アジョシ 』同様に韓国軍の特殊部隊上がりとしか思えない。ノースタントでこなしたという数々のアクションは必見。特に中盤の対ヤクザの車内バトルは、一瞬で車の中から外に移動するカメラワークとロングのワンカット構成で見ごたえは抜群、見ているこちらの痛覚もばっちり刺激される。

 

その聖女に引けを取らないのは妹ウネを演じたパク・セワン。韓国映画は『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』のように障がい者を重要な役に配置することが多い。それは取りも直さず、障がい者への接し方について伝えたいメッセージがあるということだ。ウネの受ける暴力と性的な虐待は正視に堪えない。『 トガニ オサキナ瞳の告発 』同様に、精神的にかなり削られる描写が多い(尺はそれほど長くないが)。だからこそ、聖女の過剰とも思える暴走が観る側に勧善懲悪的なアクションとしての説得力を抱かせる。このコントラストのつけ方は恐ろしいほどに鮮やかだ。『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の白石麻衣が「体を張った」だの「体当たりの演技」だのとちやほやされるうちは、日本の10代20代の女優は韓国の同年代女優たちには勝てない。

 

日本はテレビドラマ『 聖者の行進 』以降、障がい者への容赦のない暴力やレイプを真正面から映し出す作品はあまり作られてこなかった。あったとしても『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』や『 レインツリーの国 』など、どこかromanticというよりもfantasticalな作風の映画ばかりである(『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』は実話ベースなのでちょっと違う)。『 37セカンズ 』のダークな一面をもっと映し出すような作品は、日本でも作れるはずだし、そのような作品を作らねばならないという意識の作り手もいるはずだ。リメイクするか、日本オリジナルのマッド・シスターを生み出してほしい。

 

ネガティブ・サイド

イネは服役帰りという設定だが、このあたりが説得力に欠ける。なぜイネは起訴され、有罪判決を受け、刑務所に行かざるを得なかったのか。事の顛末は中盤に明らかになるが、これで執行猶予がつかない韓国司法に喝!イネの過失はほとんどないだろう。もっとアクシデント、あるいはイネのミスの要素が多くないと、イネの服役に説得力がない。

 

バトルシーンのクオリティが終盤に近付くにつれ低下していくようにも感じた。『 悪女 AKUJO 』は序盤、中盤、終盤ともに隙のない上質のアクションを放り込んできたが、最終盤の大乱闘の迫力が序盤、中盤のそれを上回らなかった。角材という割と身近にある(少なくとも銃や刃物よりは)ものを使ったのはグッドアイデア。問題は、それを使っての驚くべきバトルシーンの演出の不足である。そうだ、いつの間に左拳にバンデージを巻いたのだろうか?

 

総評

韓国映画界からは“バーズ・オブ・プレイ”に参加できそうなタフな女性ヒーローが陸続と生み出されている。そのことが韓国映画特有のバイオレンスや容赦のない愛憎劇の要素をいささかも減じていない。日本でリメイクにトライしてほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オンニ

女性が年上の姉妹あるいは女性を呼ぶときの呼称、つまりは「お姉さん」である。血縁の有無に関係なくこのように呼ぶところは日本語との共通点である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, イ・シヨン, パク・セワン, 監督:イム・ギョンテク, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズ., 韓国Leave a Comment on 『 聖女 Mad Sister 』 -韓流アトミック黒髪の爆誕-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~ 』 -劇場再鑑賞-
  • 『 爆弾 』 -佐藤二朗のベストアクト-
  • 『 さよならはスローボールで 』 -これは一種の同窓会の終わり-
  • 『 恋に至る病 』-近年まれにみる駄作-
  • 聖地巡礼 『 港に灯がともる 』

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年11月
  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme