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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 プラネタリウム 』 -アウトサイダーの悲哀を描いた凡作-

Posted on 2018年11月18日2019年11月22日 by cool-jupiter

プラネタリウム 30点
2018年11月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ポートマン リリー=ローズ・デップ エマニュエル・サランジェ
監督:レベッカ・ズロトブスキ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181118020552j:plain

降霊術の歴史は長い。科学の発達と共に霊の領域はどんどんと狭められていっているが、日本でも30歳以上の年齢なら、こっくりさんについて聞いたことがあるはずだし、実際にやってみた人もいるだろう。霊とは、それが無くなった肉親の霊であろうと、見も知らぬ他人の霊であろうと、常に好奇の対象である。しかし、霊とは同時に現世から疎外された者でもある。そして、疎外は生者と死者を分けるだけではなく、生者と生者の間でも起きる事象である。

 

あらすじ

ローラ(ナタリー・ポートマン)とケイト(リリー=ローズ・デップ)のアメリカ人姉妹は、パリで死者を呼び寄せる降霊術を行い、日銭を得ていた。ある時、映画会社役員のコルベン(エマニュエル・サランジェ)は二人の降霊術に感銘を受け、自分でもそれを体験したいと言いだした。二人の呼ぶ霊との交流に感激したコルベンは、姉妹の力を使って映画を撮影しようと考える。時あたかも第二次大戦前夜。異邦人にとっては忍従の時代だった・・・

 

ポジティブ・サイド

ナタリー・ポートマンの美貌とリリー=ローズ・デップの爛熳さについてはくどくどとのべつ必要性は無い。Their blossoming beauty and innocence speak for themselves. である。それ以上にエマニュエル・サランジェの存在感が際立つ。目は口ほどにものを言うというのは往々にして事実(Maybe your smile can lie, but your eyes would give you away in a second.)であるが、それを演技で表現できる役者は存外に少ないのではないか。サランジェはそれができる俳優だ。パリジャン然とした伊達男ばかりがフランスの俳優ではないということを見せつける様は、清々しくもある。本作を観る人の半分以上はナタリー・ポートマンの熱心なファンであろうが、こうした未知のタレントとの出会いがあれば、それだけで20点増しである。

 

ネガティブ・サイド

あまりにもストーリーに起伏がない。いや、姉妹の協力と成功、そこからの失敗と破局的な結末と上がり下がりはするのだが、それがあまりにも典型的というか、妹を霊媒師に設定する意味は特になかった。というか、科学の力で霊の存在を証明するというプロットは、現代人たる我々の目から見て、意義あるものではない。なぜなら科学の発展は世界の神秘の数々を解き明かしていくほどに、科学で説明できないものはストレートにそのまま信じるべし、という信念の持ち主も増加しつつあるからだ。そこまで極端な考えをしないまでも、天文学者や物理学者には無神論はほとんどいないと言われている。1930年代を舞台にすることで、科学的に霊を証明しようとする試みが逆に陳腐化してしまった感は否めない。

 

また、ビジネスの世界を描く必要もあったのだろうか。リュミエール兄弟が産み育てたフランスを舞台にするのだから、あくまで映画という文化・芸術・科学という媒体で姉妹の力と秘密に迫っていくようなプロットで良かった。ただでさえ戦争勃発前の陰鬱な時代に金勘定やら役員の追放やらを見ても感動も興奮もしない。ただ溜息が出るだけである。

 

本作は establishing shot の段階で結末が見えているとも言える。タイトルがプラネタリウムなのだから、汽車が疾走する平原の頭上に広がる無窮の星空がプラネタリウムであることが何を暗示、いや明示するのかを観る者はあまりにもあっさりと悟ってしまう。映画の基本的な文法、技法に則ったものとは言えるが、それが面白さを増すことに資するのかというと甚だ疑問であった。

 

総評

なにやら軸の定まらない映画である。その場に属すことのできないアウトサイダーの悲哀を描き出したいのは分かるが、様々な要素を盛り込もうと欲張ったせいで、何もかもが中途半端になってしまった残念な作品である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, エマニュエル・サランジェ, スリラー, ナタリー・ポートマン, フランス, ベルギー, ミステリ, リリー=ローズ・デップ, 監督:レベッカ・ズロトブスキ, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 プラネタリウム 』 -アウトサイダーの悲哀を描いた凡作-

『 マイ・プレシャス・リスト 』 -天才少女に課された宿題-

Posted on 2018年11月16日2019年11月22日 by cool-jupiter

マイ・プレシャス・リスト 60点
2018年11月11日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ベル・パウリー ガブリエル・バーン ネイサン・レイン
監督:スーザン・ジョンソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181116014725j:plain

原題は“Carrie Pilby”、すなわち主人公である少女の名前である。アメリカの映画は実在の人物であれ、架空の人物であれ、人名だけのタイトルの本や映画を結構作っている。これはお国柄の違いだろう。近年だと『 バリー・シール/アメリカをはめた男 』が当てはまる。キャリー・ピルビーは天才ではあるが、『 響  -HIBIKI- 』における響のような異能の天才ではなく、秀才が高じたような天才である。『 gifted/ギフテッド 』のメアリー(マッケナ・グレイス)ではなく、『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』のリン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)のような少女が主役である。それゆえに、凡人たる我々にも共感しやすい物語に仕上がっていると言える。

 

あらすじ

飛び級で14歳にしてハーバード大学に入学(映画.comのあらすじは間違えている)、18歳で卒業したものの、定職を持たず、ニューヨークのアパートで気ままに一人暮らしするキャリー。明晰な頭脳はしかし、社会に還元されず、彼女が唯一まともに話せる相手はカウンセラーのDr. ペトロフだけだった。ある日、キャリーはペトロフから6つの課題が書かれた紙を受け取る。その課題をこなせれば、世界の見方が変わると言われたキャリーは、課題に着手していくが・・・

 

ポジティブ・サイド 

この分野には『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』という優れた先行作品が存在する。天才でありながらも心に抱えた傷のために自分に素直に向き合えないウィル(マット・デイモン)と妻の喪失を受け止めきれないショーン(ロビン・ウィリアムズ)の生々しい交流と清々しい別離の物語で、これを超える作品を産み出すのは難しい。しかし、同じようなテーマに違う角度からアプローチすることはできる。その一つの試みが本作である。そしてそれは一定の成功を収めた。

 

まず主役を女の子に設定したこと。『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』ではスカイラーという女子が、「そんなこと言うなら、もう抱かせてあげない」とウィルを窘めながら、「男って馬鹿ね」と呆れながら安心するシーンがあるが、本作はこれと裏腹なシーンが存在する。そう、古今東西、男は馬鹿なのである。その男の馬鹿さ加減を大いなる包容力で受け入れてくれる女性こそが男の理想像なのである。では、女性目線で見た時、この男の馬鹿さ加減にはどのように対応すべきなのか。しかも、その女子の頭脳は天才的で、その天才が自分よりも賢いと認められるような男が、一皮むけばやっぱり馬鹿だった、となった時、どうすれば良いのか。本作の最大のテーマはある意味でここに尽きる。そして、そうした男の馬鹿さ加減を、あっちでもこっちでも嫌と言うほど見せつけてくれる。世の男性諸氏は居た堪れなくなるであろう。なぜなら、そこに我々が見出すのは、キャリーの天才的な頭脳というフィルターを通して見える世界ではなく、誰がどう見ても馬鹿な男の性(さが)だからである。世の男はこれを観て、大いに縮こまることであろう。そして世の女性はこれを観て、男のことを「本当に馬鹿なんだから」と生暖かい目で見守ってあげるべし。

 

ネガティブ・サイド

キャリーの天才性の描き方が少し弱い。文学作品をいくつか暗唱したぐらいで、もっともっとキャリーの天才性を描き出してくれないことには、物語中盤の大きな山場が盛り上がらない。赤川次郎が何らかのエッセイか、自作のあとがきで「小説や文学で描かれている恋愛はたくさん読んできたが、現実の自分の恋愛も全く同じように始まって、全く同じように終わっていった」と述べていたが、キャリーにもこうした背景が必要だったように思う。極端に頭でっかちな女子が、自分のキャパシティを超えるような事態に遭遇した時にどうするのか、そうした時にこそ頭脳をフル回転させて局面の打開を試みるも上手く行かず・・・という展開を期待したくなったのは、やはり自分が馬鹿な男で、天才女子に嫉妬というか潜在的な恐れを抱いているからなのだろうか。

 

他に弱点として挙げられるのは、キャリーが初めてする仕事や、初めて持つ学校以外の場での人間関係の描写が極端に少ないということである。キャリーの課題は、コミュニケーション力の欠如ではなく、むしろ過剰なコミュニケーション力だからだ。トレーラーにもあったが、カフェでイスを貸して欲しいだけの男性客に「私を口説こうとしても・・・/ Before you move into your moves …」などと言ってしまうあたり、コミュニケーションが下手なのは、能力の欠如ではなく過剰であるのは明らかだ。だからこそ、キャリーの成長とは、キャリーが世界に受容されることではなく、キャリーが世界を受容することなのだ。そしてそれは、冒頭のカウンセリングでマシンガンの如く喋り倒して、ペトロフの言うことなど聞くつもりはないのだという姿から、友人たちに普通に話し、普通に話しかけられるようになる姿に変わっていくことで表現されてしかるべきだったと思うのである。

 

総評 

日本とアメリカを始めとした西洋世界では、幸せの概念が異なる。HappinessはHappenと語源を同じくするのである。ハッピーとは、自分の力でなにがしかのコトを起こす力を持つことを言うのだ。そう考えれば、メーテルリンクの『 青い鳥 』(The Blue Bird)というチルチルとミチルのアドベンチャー物語が、日本では『 幸せの青い鳥 』と訳されたというのは名訳と言うべきであろう。本作も、欠点は抱えながらも、幸せを追求する少女の物語として鑑賞に耐えうる作品に仕上がっている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, ペル・パウリー, 監督:スーザン・ジョンソン, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 マイ・プレシャス・リスト 』 -天才少女に課された宿題-

『 ヴェノム 』 -独創性を産み出せなかったダークヒーロー-

Posted on 2018年11月12日2019年11月22日 by cool-jupiter

ヴェノム 45点
2018年11月8日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:トム・ハーディ ミシェル・ウィリアムズ リズ・アーメッド
監督:ルーベン・フライシャー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181112010211j:plain

『 スパイダーマン3 』でかなり唐突に現れ、かなりアッサリと倒されてしまったヴェノムのスタンド・アローン映画である。その人気の高さから『クローバーフィールド/HAKAISHA 』は、ヴェノム誕生の前日譚なのではないかとの揣摩臆測も呼んだ、ヴィラン(?)・・・というか、悪役生物である。MCU(Marvel Cinematic Universe)において特異な位置を占めるスパイダーマン、そのスパイダーマンの一番の宿敵ヴェノムをフィーチャーするのだから、期待が高まらないはずはない。が、本作は正直なところ、かなり微妙な出来である。本国アメリカではかなり酷評されているため、ポイント鑑賞でチケット代を節約させてもらった。

 

あらすじ

エディ(トム・ハーディ)は持ち前の正義感、行動力、そして舌鋒の鋭さで社会問題に鋭く切り込む売れっ子ジャーナリストだった。しかし、恋人にして弁護士のアン(ミシェル・ウィリアムス)のEメールを盗み見たことから、天才科学者のドレイク(リズ・アーメッド)率いるライフ財団に「人体実験で死者も出しているのではないか」と切り込んでいく。それをきっかけにアンとは破局、仕事でもクビを宣告されるが、財団からの内部通報者の協力を得て取材を続けるうちに、自身も謎の宇宙生物シンビオートに寄生されてしまう・・・

 

ポジティブ・サイド

トム・ハーディが硬骨のジャーナリスト役がハマっているし、寄生され始めた段階でのクレイジーな行動の数々を、コメディとシリアスタッチの境界線上を行くような絶妙のバランス感覚で演じている。エディという役を、序盤に関しては巧みに表現できていた。

 

悪役のリズ・アーメッドも良い味を出している。無表情のまま、サラリと冷酷極まりないことを口にしたり、いきなり声の調子を変えて恫喝してくるところなどは、インテリやくざを思わせる。マッド・サイエンティストの代表例とも言える死の天使ヨーゼフ・メンゲレよろしく、自らの信ずる道のためならば、人命など鴻毛の軽きに等しいと考えるタイプの科学者で、非常に分かりやすい悪玉である。見ただけで、「なるほど、コイツが倒すべき敵なのだな」と素直に予感させてくれる存在感に I’ll take my hat off.

 

残念なのは、その他の要素(監督、脚本、撮影)にはあまり感銘を受けられなかったところ。もしもヴェノムをフルCGではなく、一部でもよいのでオーガニックな手段で表現できていれば、各キャラクターにもっと血肉が通ったであろうに・・・

 

ネガティブ・サイド

まず言えることは、かなり多くの日本の映画ファンが『 寄生獣 』を思い浮かべただろうということ。特にヴェノムが右腕の先っぽから顔を出すシーンは、ミギーへのオマージュのように思えてならなかった。同時にまさしくそのシーンのヴェノムは『 エイリアン 』のゼノモーフの頭の形も模しており、これもオマージュと捉えるべきであろう。何らかのエイリアンを描くとき、H・R・ギーガーおよびリドリー・スコットの影響から完全に逃れることは難しいのである。問題はオマージュではなく、その先にあるべきはずの独創性がなかったことである。

 

まず冒頭の探査機の地球帰還シーンからして『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』のオープニング・シークエンスと丸かぶりしているし、寄生生命体のシンビオートの寄生前の状態は『 ライフ 』のカルビンをかぶっている。またアクションシーンの山場の一つである、バイクで車の追跡を振り切ろうとするシーンはバットマンを想起させる。とにかくやたらとパッチワーク的な作りになっていて、ヴェノムという魅力的であるはずのキャラクターがどうにも陳腐に映ってしまう。

 

問題はアクション関連のシークエンスだけではない。天才であるはずのドレイクが宇宙探査や外宇宙への移住を目指すのはよい。が、その手段が宇宙生命体との共生???シンビオートが寄生によって地球という好気性の環境に適応するというのなら、人類が何らかの系外惑星なり系外衛星に住むとなった時、真っ先に考えるべきは寄生ではないのだろうか。共生(synbiosis)は基本的に長い時間を経た上で構築される進化論的帰結である一方、寄生は常に一方通行の片利的な関係として起こりうるからだ。これがカイチュウやサナダムシならまだ救いがあるが、脳や神経系に巣食う生物となると洒落にならない。だが、現実的に宇宙に生存できる可能性を求めるとなると、人類が寄生する側にまわるほうがリアリティがあると思うのだが・・・

 

本作の最大の弱点というか欠点は、ヴェノムの回心のプロセスが不透明であることだ。エディに備わっている人並み外れた正義感であるとか、アンへの一途な想いの強さであるとか、相手の社会的地位で態度を変えない公平性であるとか、シンビオートがエディから受ける有形無形の影響をもっと鮮烈に描くべきだった。異色のダークヒーローにして一心同体バディ(buddy ○ body ×)の誕生が、単に寄生してみたら相性が良かった的に描くのは、はっきり言って手抜きではないか。このあたりを追求しないことには、単なるB級SFアクションの一派生作品にしかならない。

 

総評

これから観に行くつもりの方には、MUC有数の人気ヴィランを鑑賞しに行く!という強い気持ちを持たないように注意喚起をしたい。ちょっと暇とカネがあるので『 スーサイド・スクワッド 』の亜種でも観に行ってみるか、ぐらいの気持ちで臨むのが正しい。ただし、『 恋は雨上がりのように 』のあきらのような『 寄生獣 』の熱心なファンであるならば、時間を作って、お近くの劇場へGoである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, トム・ハーディ, ミシェル・ウィリアムズ, リズ・アーメッド, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ヴェノム 』 -独創性を産み出せなかったダークヒーロー-

『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』 -学校という社会の縮図を舞台に繰り広げられる案外まじめなコメディ-

Posted on 2018年11月8日2020年1月3日 by cool-jupiter

THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 60点
2018年11月5日 レンタルDVD鑑賞
出演:メイ・ホイットマン ベラ・ソーン ロビー・アメル アリソン・ジャネイ
監督:アリ・サンデル

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181108235651j:plain

近所のTSUTAYAで『 アラサー女子の恋愛事情 』の隣にあったので、カバー裏のあらすじを読むこともなく、タイトルだけで借りてきた。THE DUFFとは何ぞや?なにやらダメ系女子の匂いがするが・・・という好奇心だけでレンタルを決断するに十分なインパクトのタイトルである。

 

あらすじ

ビアンカ(メイ・ホイットマン)とジェスとキャシーは仲良し3人組。しかし、親戚のイケメン・フットボーラーのウェスリー(ロビー・アメル)から「お前はDUFF(=Designated Ugly Fat Friend=)だ」と言われ、大ショック。親友とは一方的に絶交し、さらにはスクール・カースト頂点のマディソン(ベラ・ソーン)に目をつけられてしまう。しかし、ふとしたきっかけからウェスリーに化学を教えるのと交換条件に、どうすればイケてる女子になれるのかコーチングしてもらうことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

まず、アラサーにして女子高生役を演じきったメイ・ホイットマンに最大級の敬意を表したい。『 JUNO ジュノ 』にしてもそうだが、アメリカの学園ドラマ、もしくはティーン映画は、必ずしも美少女というものをフィーチャーしない。日本とは対照的だ。アメリカで尊ばれる女子は、チアのキャプテンを務めて、フットボール部のQBと付き合うような典型的なイケてる系の女子と、自らの意思と能力で道を切り拓いてく self-starter に大別されるようだ。前者の典型がマディソンで、後者の典型がビアンカというわけである。ホイットマンの年齢と見た目のギャップがなければ、逆に本作のビアンカという nerdy にして slutty であるというキャラは成立しなかったかもしれない。それほど彼女の演技は光っている。というか、異彩を放っている。

 

異彩と言えば、『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』の主演を張ったベラ・ソーンの腐れ外道っぷりも見逃せない。フレネミーという言葉では生ぬるい、目があっただけで敵であると認識する/されるような関係を学校のあちこちで築いている。本当に同じ役者かと思うぐらいで、若い似合わず演技力の幅を感じさせる。しかし、演技の幅と言えば、日本にも浜辺美波がいる。

 

逆に、母親役をやらせればこの人の右に出る者なし、というアリソン・ジャネイはその安定した存在感を発揮する。離婚受容プロセスの5段階セミナーには笑うしかない。母と娘の底抜けに明るく、それでいて陰のある会話劇に、日本では失われて久しい親子の対話を見るようだ。

 

本作は cyber bullying =ネットいじめの怖さを面白おかしく描き出す。ストーリー上では、かなりご都合主義的な力技で解決してしまうが、現実ではこうはならない。2015年に全世界的にバズったDover Police DashCam Confessional (Shake it Off)という動画を観て、今も覚えているという人も多いだろう。これはかなり好意的に受け止められた面白動画だが、実際にティーンが同じようなことをしている映像がネット世界にアップされてしまえば、もうどうしようもない。そうした意味では、本作を教育目的に観ることもできるのである。予定調和的な世界であるが、だからこそ安心して楽しめるロマンティック・コメディである。

 

ネガティブ・サイド

人と人との距離感は、人によって異なる。しかし、本作はかなり強烈なDUFF脱却トレーニングを課してくる。自分が同じポジションにいたとして、こんなことができるだろうかと思わされる描写もあった。なにより見知らぬ他人に迷惑をかけることになる。荒療治と言えばそれまでだが、ホラー映画好きのナード女子という設定がもう一つ活かされないのは残念である。

 

また、ウェスリーのキャラクターがあまりにも爽やかで、それでいてかなりの下衆でもある。人によっては、途中で見るのを辞めてしまうかもしれない。特にクライマックスのホームカミングでの行動は、下手をすると一生残るトラウマを与えかねない鬼畜の所業である。もちろん、「それで良い!」という声も上がって然るべきだし、「さすがにやり過ぎだろう」という声も聞こえてきそうだ。ちなみにJovianは後者である。

 

総評

目線をどこに置くかで本作の評価はかなり割れるというか、異なるだろう。学園ドラマとして見るなら凡作になるのかもしれないが、ダイバーシティを重んじ、なおかつ軽んじるアメリカ社会の縮図を本作に見出すのなら、居場所を見出せないマイノリティにも、チャンスはあるというメッセージであるとも解釈できる。日本で鑑賞される際にはそこまで考える必要はないだろうが、ネットいじめの怖さやスクール・カーストの問題点などを抉る物語でもある。中高生を子に持つ親が子どもと一緒に鑑賞してみるのも存外に楽しいかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アリソン・ジャネイ, コメディ, ベラ・ソーン, メイ・ホイットマン, ロマンス, 監督:アリ・サンデルLeave a Comment on 『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』 -学校という社会の縮図を舞台に繰り広げられる案外まじめなコメディ-

『 華氏119 』 -アポなし突撃は控え目だが、現実を抉る鋭さは健在-

Posted on 2018年11月7日2019年11月21日 by cool-jupiter

華氏119 75点
2018年11月4日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ドナルド・トランプ
監督:マイケル・ムーア

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181107101301j:plain

マイケル・ムーアと言えば、アメリカ随一の社会派映画監督。その視線は、アメリカ社会の内包する問題を常に捉え、それを独自の映像世界に落とし込むことで、アメリカのみならず全世界に警鐘と啓蒙の映画を送り込んできた。それでは今作はどうか。アポなし突撃は控え目だったが、中間選挙目前というこのタイミングでリリースしてくることで、全米の有権者に揺さぶりをかけてきた。果たしてその効果のほどは・・・

 

あらすじ

時は2016年、全世界がアメリカの大統領選に注目しながらも、どこか楽観的な雰囲気が漂っていた。まさかトランプの勝利はあるまい。そう誰もが思っていた時に、トランプ大統領は誕生した。その深層にはアメリカの民主主義および社会が内包する矛盾や対立構造が深く根を張っていた。アメリカ随一の社会派映画監督のマイケル・ムーアがトランプ大統領誕生と、そこに潜む社会問題を独自の視点と手法であぶり出していく。

 

ポジティブ・サイド

ムーアの眼差しは、ドナルド・トランプ大統領個人の資質に向けられるのではなく、そうした大統領を生み出してしまったアメリカ社会、アメリカの有権者、アメリカの政治制度に向けられる。なぜ独裁的傾向を持つ個人を支持する層が存在するのか。なぜメディアに真摯に答えない個人が大衆の支持を集めたのか。なぜ権力を持つ者が、その権力をさらに強固にしてしまおうという試みに歯止めがかけらないのか。ムーアの問題意識は明確だ。個々人の意識や意見が正しく集約されない仕組みに彼は大いに不満を抱いているというわけである。そうしたアメリカ社会の抱える矛盾が一挙に噴出した証明として、彼はトランプ大統領出現を読み解く。

 

実際に、トランプ大統領誕生の報に触れた時の世の反応を覚えている諸賢も多いと思われる。わずか二年前のことなのだ。2020年、アメリカにおいて女性の参政権獲得の100周年を祝って、第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンには20ドル札の表面からは退場を願い、代わって奴隷解放および女性の社会的地位向上の旗手、ハリエット・タブマンに登場願う年に大統領職にあるのは、誰もがヒラリー・クリントンであると半ば盲目的に信じていた。いや、信じたがっていた。そのヒラリーを奉る民主党も、およそ民主主義国家とは思えぬ方法でサンダースを締め出していたという疑惑を、本作はまず追求する。

 

ムーアの視点はミシガン州のフリントという町の水道水問題にも向けられる。州知事がビジネスマンであり、州の政治も会社を経営するように行うと、まるでリー・クアンユーであるかのように宣言、その政治手腕を振るったところ、執政は失政となった。また教師のストライキ、銃乱射事件の多発を受けての高校生の草の根運動など、ムーアはアメリカ社会に強い憤りを感じつつも、問題の解決に動いていってくれるであろう次代の芽に希望を見出している。

 

本作をアメリカ社会の問題と思うなかれ。かの国を蝕む社会構造の矛盾は、そのまま東洋の某島国にも当てはまる。美辞麗句が蔓延るのは、独裁政権誕生の前触れとは、蓋し炯眼であろう。「美しい国」というのは“Make America great again”というキャッチ・コピーと比喩的な意味では大差はないのだ。2018年、日本では『 万引き家族 』の是枝監督が、賞賛と批判の両方を受けた。多様な意見の存在は、民主主義社会では歓迎すべきことである。しかし、日本に内在する最大の問題は、アメリカのそれと同じく、右か左か、0か1か、全か無か、という意識の二極化だ。政治に関して言えば、自民党かそれ以外か。これはアメリカの政治が、民主党か共和党かのほぼ二者択一になってしまっているのと構造的に同じである。

 

社会の矛盾とは、社会を構成する個人に矛盾が生じていることを意味する。労働者階級に属する人々の中に一定数のトランプ支持者が存在する。そのトランプは、富裕層を相手に商売をし、ブルーカラーやレッドネックを見下すような男であるにもかかわらず。日本も同様である。富裕層や大企業を厚く遇しながら、庶民や中小企業から搾り取る現政権を支持するのは、なぜか社会の下層民に多い(とされる)。いや、日本はもしかするともっと救いが無いのかもしれない。ムーアは本作の水道水問題で、オバマの化けの皮を剥いでしまったが、日本では西日本豪雨の被災地を視察すらせず酒盛りに興じていた為政者連中が今も権力の中枢に鎮座している。

 

本作は、個々人の問題意識≒希望にフォーカスしつつも、その限界点にも着目する。希望を抱くだけでは意味がない。行動こそがいま最も求められているものだ。本作はそれを高らかに宣言する。健全なる社会の健全なる構成員であれかしと願う者は絶対に観るべし。

 

ネガティブ・サイド

トランプを過去のトンデモ権力者とダブらせる演出があるが、これは失敗であろう。トランプ政権に限らず、極右的、排外的性向を持つ政権の登場をアナロジーで理解するべきではない。それをしてしまうと、≪歴史は繰り返す≫。目の前で展開する事象を、すでにあったこととして捉えてしまうような見方をさせてしまいかねない演出は個人的に評価しない。

 

高校生らの運動を力強く支持する姿勢を見せるのは構わないが、自分たちの世代が残してしまった負の遺産、自分たちの世代が広げてしまった断絶などについての反省がもっと見られても良かった。Jovianの元同僚にはシカゴ出身のアメリカ人がいるが、彼が日本に来た理由(というよりもアメリカを去った理由)は、誰もかれもが銃を持っている、ということだった。日本でもこの1~2年で、修学旅行の行き先としてアメリカは除外されるようになってきた。ドローン・ウォーの批判も結構だが、銃乱射事件が起きると銃が売れるというには、あの忌まわしき米ソの冷戦時代、核実験や核開発の報の旅に核軍備を増強したというのと、現代のアメリカ社における銃の増加は奇妙な相似を為す。ムーアの世代こそが冷戦を総括し、反省しなければならないはずだが、そうした≪歴史は繰り返す≫ということに対する危機感の薄さが、やはりどうしても気になってしまった。

 

総評

いくつか気になる点はあるものの、日本にも通じる問題が数多くフォーカスされる。ある意味で非常にアメリカらしいアメリカ映画である。現代アメリカの世相を読み解く重要な示唆が得られるので、大人だけではなく受験を控えた高校生や浪人生にもお勧めできる。小論文やエッセイのネタを本作から拾ってきてもよいだろう。また、ムーアの視点や思考回路は「現実を多層に見る」際のヒントになるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ドキュメンタリー, ドナルド・トランプ, 監督:マイケル・ムーア, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 華氏119 』 -アポなし突撃は控え目だが、現実を抉る鋭さは健在-

『 search サーチ 』 -新境地を切り拓いた新世代の映画誕生-

Posted on 2018年11月4日2019年12月21日 by cool-jupiter

search サーチ 80点
2018年11月3日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジョン・チョウ デブラ・メッシング ミシェル・ラー
監督:アニーシュ・チャガンティ

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原題は ”Searching”。離陸と飛行は大成功、きれいに着陸するはずが墜落炎上した感のある『 アンフレンデッド 』と傑作サスペンス『 ゴーン・ガール 』を見事に換骨奪胎した傑作が誕生した。まさに時代の要請する作品というか、テレビドラマの『 リゾーリ&アイルズ ヒロインたちの捜査線 』や『 CSI:科学捜査班 』でPCをカタカタカタッと操作するだけで様々な情報を引き出してくるのを見て、そこまで鮮やかに何でもかんでも分かるのか?と疑問に思った向きはきっと多くいるに違いない。そんな疑問を持ったことがある人は是非とも本作を見よう。コンピュータ・リテラシー、インターネット・リテラシーの何たるかを知ることもできるし、人間の抱える様々な業を垣間見ることもできる。

 

あらすじ

デビッド・キム(ジョン・チョウ)とパメラは娘、マーゴット(ミシェル・ラー)を儲ける。彼女の成長と家族の歩みを都度PCに保存するという几帳面な幸せ家族だった。しかし、パメラが病死。父はそれでも気丈に娘の成長を記録し、父親業に邁進する。しかしある日、マーゴットと連絡が取れなくなる。杳として居場所が知れない娘を探すために、デビッドは警察の捜査・捜索と並行して、各種Socian Mediaなどのネット世界に飛び込んでいく。だが、そこで知ったのは、娘のまったく知らない一面で・・・

 

ポジティブ・サイド 

『 アンフレンデッド 』はチャット画面オンリーで進行したが、本作はそれをさらに押し広げて、ネットの世界全体を映し出していく。といっても、我々が見るのは電子がケーブル内を駆け巡るようなイメージではなく、もっぱらPCのディスプレー上に映し出されるブラウザや各種サイト、マウスやアイコンなどである。これは現代人に刺さる。PCやスマホの利便性が非常に高い世界、梅田望夫の言葉を借りれば「ネットのあちら側」に「もう一つの地球」が存在するような世界を、本作は確かに描き出した。これは新時代のアートというよりも同時代のアート、コンテンポラリー・アート(contemporary art)と見なされるべきだろう。しかし、全編これPC操作画面とはあまりにも大胆だ。それがハマるのだから面白いし、恐ろしい。

 

何と言っても、テキストによるやりとりの臨場感。我々もLINEやMessengerのようなアプリを日々使ってコミュニケーションを取っているが、文字を打っては消し、少し書き直したり、あるいは全て消してメッセージ自体を送らなかったりということが時々あるはずだ。頭を冷やすためだったり、相手を思いやってのことだったりと、我々の心の中は文字で表される部分もあれば、その文字の打ち方や書き方、あるいは文字にしようとして文字にならない部分にも現れる。本作はその部分をこれでもかと追求する。決して安易にキャラクターに独り言を喋らせて、観客にていねいに説明しようとしたりはしない。これが実に心地よい。

 

主人公デビッドを演じたジョン・チョウの卓越した存在感と演技力も称賛に値する。IT企業に勤める(というか在宅ワークか)やり手で、PCやネット上の各種ツールを巧みに使いこなす様は、シリコン・バレーで働く中年オヤジの能力の高さを証明し、我々を驚かし続ける。これが次世代の働き方なのか、と。であると同時に、娘と不器用な方法でしか向き合うことしかできない父親という人種の普遍的な悲哀も内包していた。後者の表現力を持つ役者は日本にも沢山いるが、前者を違和感なく表現しきれる役者は40代以上ではなかなか思いつかない。ましてやその両方を一人でこなせる役者となると・・・ まさにハマり役にしてジョン・チョウのキャリア・ハイのパフォーマンスであろう。

 

展開のスピードとダイナミックさ、伏線とその回収、極めてデジタルなBGM、アメリカ社会の俯瞰と縮図、人間愛と人間の醜さ、それら全てがぶちこまれていながら2時間以内に収めてしまう卓越した脚本と監督と編集の術。M・ナイト・シャマランに続く、インド系アメリカ人の素晴らしい作り手が現れた。

 

 

ネガティブ・サイド

敢えて弱点を上げるならば、あまりにデジタル・ヘビーなところ。PCやネットに世界にどっぷりと浸かっている人間でなければ、そもそも意味が分からないという場面も多い。というか、ほとんど全部だ。たとえばJovianの同世代なら、半分程度は間違いなく本作を楽しめるだろうが、Jovianの両親世代となると、どうだろうか。『 クレイジー・リッチ! 』の冒頭で、モブが各種アプリで一挙に情報を通信、共有していたシーンが何のことやら分からなかった、という声も聞いたことがある。

 

敢えてもう一つ注文をつけるとするなら、それはエンディングのクレジットシーンだろうか。『 ピッチ・パーフェクト ラスト・ステージ 』は冒頭の配給会社のロゴのシーンから、アカペラ・モード全開で、一気に物語世界に入って行けた。同じく、最近は上映が終わり、劇場が明るくなると、人々は真っ先にスマホの電源をONにする。そこまで見越して、クレジット・シーンをPC画面上のあれやこれやと関連した構成、たとえば『 バクマン。』が漫画の単行本の背表紙を効果的に用いたような、そんなクレジットが見られれば、映画世界と現実世界がシームレスに結ばれたかのような感覚を我々は味わえただろう。しかし、それは無い物ねだりというものだろうか。

 

総評

一言、傑作である。今年、というか今月中に絶対に劇場で観るべき一本である。今後、こうしたスタイルの映画が陸続と生産されると予想される。『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』がPOVに火をつけたように、本作もPC画面上で繰り広げられるドラマというジャンルに火をつけた元祖として、評価されるだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, サスペンス, ジョン・チョウ, ミステリ, 監督:アニーシュ・チャガンティ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 search サーチ 』 -新境地を切り拓いた新世代の映画誕生-

『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』 -考えるな、感じろ-

Posted on 2018年11月1日2019年11月21日 by cool-jupiter

ピッチ・パーフェクト ラスト・ステージ 65点
2018年10月28日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:アナ・ケンドリック レベル・ウィルソン ヘイリー・スタインフェルド ブリタニー・スノウ アンナ・キャンプ ジョン・リスゴー ジョン・マイケル・ヒギンズ
監督:トリッシュ・シー

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181101022001j:plain

女子高生がそのまま女子大生になり、女子寮でワイワイギャーギャーと騒ぐノリの本シリーズも遂に卒業、完結編。前二作で発展を見せたベラーズの主要な面々とトレブルメーカーズやその周辺の男子らとの関係を、本作は開始3分で切って捨てるかのごとく説明してしまう。なるほど、ベラーズの面々が思い悩む対象はもはや男ではないというわけだ。さて、では本作で彼女らは何から卒業するのだろうか。

 

あらすじ

バーデン大学の名門アカペラ部ベラーズ。世界大会で優勝を成し遂げ、アカペラに注いだ青春も終わりを告げた。メンバーそれぞれが社会の荒波に乗り出していったが、ある者は父親不明の子を宿し、ある者は会社を辞め、ある者は失業中で、と皆が皆、順風満帆というわけではなかった。 そんな折に元ベラーズの面々にエミリー(ヘイリー・スタインフェルド)からリユニオンの招待状が届く。ベッカ(アナ・ケンドリック)やエイミー(レベル・ウィルソン)らは勇んで駆けつけるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

こうしたシリーズ物の常として、過去のキャラとの再会は絶対に不可欠の要素である。ゲロ吐きオーブリ-やステイシーらもしっかりと登場してくれる。もちろん例の審査員二人組もいるので安心してほしい。ステイシーに至っては、妊娠中だ。時の流れだけではなくキャラクターたちの年齢の積み重ね、状況や人間関係の変化、それでも変わらないアカペラへの情熱やベラーズへの愛着が、開始10分で全て描かれる。『 ジュラッシク・ワールド 』が不評だったのは、懐かしのグラント博士やマルコム博士を登場させなかったことが一因だ。一方で、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』は過去作の振り返りやファンサービス要素をてんこ盛りにしてしまったところが一部のファンの不興を買った。本作は、そのあたりをかなり良い塩梅にまとめていると言える。何よりもシリーズ恒例だった、ステージ・パフォーマンス中の粗相がないのだ。アホな女子大生物語では最早ないのですよ、と製作者がファンにメッセージを送っているのである。

 

一方で、しっかりと笑うべきシーンも用意してくれている。何よりも笑ってしまったのが、ジョン・リスゴーがChicagoの“素直になれなくて”のあの一節を熱唱するところ。『 マンマ・ミーア! 』でピアース・ブロスナンが歌うS.O.Sを上回る惨劇である。周りが皆、本職ではないとはいえ、それなりに歌唱力のあるメンツ揃いだから、なおさらその酷さが光り輝く。

 

本作は色々な意味で、父親というpositive male figureたるべき存在がフォーカスされる。家父長制的な面を家庭内に色濃く残すアメリカ社会に女性として出ていく面々がいる中で、ある者は戦い、抗い、ある者は素直に愛情を打ち明ける。家族の在り方を社会の在り方に重ね合わせているわけだ。のみならず、ベラーズというファミリーの物語にも一つの終止符が打たれるわけだが、そこには『 焼肉ドラゴン 』に見られた家族像と共通するものが確かにあった。少しだけだが、ほろりとさせられた。

 

ネガティブ・サイド

監督がころころ変わるシリーズなので仕方がないのかもしれないが、アフレコの多用はいかがなものか。シリーズで一番アガるのは、やはりリフ・オフ対決で、本作でも漏れなくリフ・オフはある。しかしながら、そこでアフレコをあからさまに用いてしまうと対決の臨場感が薄れてしまう。ここはどうしてもマイナスの評価をつけざるを得ない。

 

またコンテストが米軍基地慰問ツアーというのは、あまりにも能天気すぎやしないか。今作の大きな肝は、体は大きくなっても頭や心はどこか子どものままのベラーズの面々が、精神的な成長と成熟を果たすことだったはずだ。米軍のためにエンターテインメントを提供するというのはWWEなどもやってきたことで、それ自体は別に構わない。しかし本作のテーマに沿っているかと言われれば疑問である。キャラ設定の都合でこうなりましたという感が拭えない。一方で、メンバーが巻き込まれるアクシデントの解決には米軍は動かない。もう少し何か、ストーリーにリアリティというか深みというか、一貫性が欲しかった。

 

総評

前二作(『 ピッチ・パーフェクト 』、『 ピッチ・パーフェクト2 』)を鑑賞していないと何のことやら分からないシーンや人間関係もあるが、本作からいきなり見始めても、なんとなく楽しむ分には問題ないだろう。できればレンタルやネット配信で復習してから劇場へ行ってもらいたいが、何かの間違いでチケットが手に入った、友人知人に誘われたという人は、臆することなく行ってみよう。

 

ところで、本作鑑賞前にグッズ売り場を覗いていたら、とある観客が売り場の係員に本作を指して「これってどういう映画なんですか?」と尋ねていた。その答えが奮っていた。『いやあ、僕も観たわけじゃないんですが、たしかオペラの話だったような・・・』いやいや、アカペラとオペラは全くの別物やで?と無関係ながら突っ込みを入れられなかった自分に今も悔いが残っている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, ヒューマンドラマ, ヘイリー・スタインフェルド, 監督:トリッシュ・シー, 配給会社:シンカ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』 -考えるな、感じろ-

『 エンジェル、見えない恋人 』 -ねっとりした男性視点を堪能できる作品-

Posted on 2018年10月31日2019年11月20日 by cool-jupiter

エンジェル、見えない恋人 60点
2018年10月27日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エリナ・レーベンソン フルール・ジフリエ マヤ・ドリー ハンナ・ブードロー
監督:ハリー・クレフェン

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フランス小説、特にミステリが一時期は好きだった。アメリカ産の小説は、人物紹介欄にたいてい15~20人の記載があるものだが、フランス産ミステリは少人数、5~8人ぐらいで、非常に読みやすい。なおかつ、ミステリなのか超常的なスリラーなのか見分けがつかないような作品を送り出す作家も多い。カトリーヌ・アルレーが好個の一例である。そんなフレンチ・テイストの興味深い作品(ベルギー産)が生み出された。原題は“Mon Ange”、My Angelの意である。

 

あらすじ

あるマジシャン夫婦がステージで消失マジックを行っていたのだが、夫の方が本当に消えてしまった・・・ その後、身籠っていた妻(エリナ・レーベンソン)は「目に見えない透明な男児」を出産し、Mon Angeと名付け、密かに育てる。エンジェルはすぐそばの家の盲目の少女マドレーヌ(ハンナ・ブードロー、マヤ・ドリー、フルール・ジフリエ)と友達になり、共に成長する。片方は目が見えず、片方は姿が見えない。それゆえに惹かれ合う二人。しかし、マドレーヌが目の手術を受けるために家を離れることに、そしてエンジェルの母とも別離の時が迫っていた・・・

 

ポジティブ・サイド

盲目の少女もしくは女性が、異形の、または異相の男を愛するというのは、古今東西で特に珍しいプロットではない。この系統の変化球では漫画『 HUNTER×HUNTER 』のコムギとメルエムが最近では記憶に新しい。しかし、片方が盲目、もう片方が透明というのは記憶にないし、少しググってみてもそれらしきプロットは見当たらなかった。これはアイデアの勝利であろう。透明人間というアイデアそれ自体はH・G・ウェルズの時代から存在するが、それをロマンティックに描き、なおかつ一定の成功を収めたところに本作の貢献がある。

 

まず、ヒロインのマドレーヌの幼少時代を演じたハンナ・ブードローと少女時代を演じたマヤ・ドリーが素晴らしい。盲目は人生最大の悲劇と言う人すらいるが、そのことが陰のあるキャラクターを生み出すのではなく、逆にエンジェルをエンパワーするようなエネルギーのあるキャラクターを生んでいる。実際にかくれんぼではマドレーヌは常にエンジェルを見つけてしまう。これがどれほどエンジェルの心に安心感を与えたことか。また、そうしたキャラクターの心情をむやみにナレーションにしてしまわないところもポイント高し。この監督は、観客を信頼している。その意気や良し。しかし、本作で最大の存在感を放つのは、エンジェルの母親である。ベルギーにも菩薩様がいるとすれば、このような女性(×じょせい× ○にょしょう)であろう。母性と辞書で引けば、挿絵はこの人だろうなと思わせるほどの説得力ある演技を披露してくれた。拍手である。

 

『 君の名前で僕を呼んで 』と同じく、人工的なBGMがほとんどなく、オーガニックな音や生活に根差した基調音で静かに満たされたシークエンスの連続は、主役二人の存在感を逆に大きく際立たせた。『 スターウォーズ/最後のジェダイ 』や『 君の名は 』のように全編が一種のミュージックビデオという作品もあるが、今作のような心地よい静謐さと適度な生活感をもたらすBGMも非常に良いものである。

 

ネガティブ・サイド

本作はPG12なのだが、実際はR15+ではなかろうか。エンジェルとマドレーヌのまぐわいは、確かに透明ならそうなるだろうなという部分をねっとりと描写する。だが、そこには美しさはあっても新しさは無い。こうした描写はインディ系、もしくは実験的なマイナー映画が既にやりつくした感がある。違いは前者は consensual で、後者は non-consensual だということ。

 

それと、観客への信頼の度が過ぎるというか、全編ほとんどがエンジェル目線で進むため、男性視点としては説得力を持つが、女性目線で見た時はどうなるのだろうか。エンジェルの顔や体は想像もしくは妄想で補ってくださいというのは、さすがに甘えすぎのような気もするが。『 何者 』では「どんな作品でもアイデア段階では傑作なんだ」という趣旨の台詞があったが、確かに顔が見えなければどんな男もイケメンの可能性は残る。しかし同時にオペラ座の怪人の可能性もあるわけだが。

 

エンジェルの父親は結局どこへ消えたのかという疑問や、エンジェルの存在が数年にも亘って施設に露見することがなかったのは何故かという疑問には、答えは一切呈示されない。その他、透明人間ものにおいてはクリシェと化した要素も一切が排除され、ややリアリティに欠ける世界観が構築されてしまっているのが残念なところである。

 

総評

デートムービーにちょうど良いだろう。しかし、高校生カップルには微妙かもしれない。大学生でもどうだろうか。逆に、付き合う前の仲の良い男女で鑑賞すべきかもしれない。エンジェルとマドレーヌの関係が友達から恋人へと発展し、難しい局面を乗り越え、思いっきりポジティブな解決策をひねり出して見事な円環を形作る過程を見るのは、カップルよりも友達向きである。20代独身サラリーマンは、違う部署のちょっと気になるあのコを誘ってみてはどうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, エリナ・レーベンソン, ハンナ・ブードロー, フルール・ジフリエ, ベルギー, マヤ・ドリー, ラブロマンス, 監督:ハリー・クレフェン, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 エンジェル、見えない恋人 』 -ねっとりした男性視点を堪能できる作品-

『 ムーンプリンセス 秘密の館とまぼろしの白馬 』 -可もなく不可もないファンタジー-

Posted on 2018年10月25日2019年11月3日 by cool-jupiter

ムーンプリンセス 秘密の館とまぼろしの白馬 50点
2018年10月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダコタ・ブルー・リチャーズ ヨアン・グリフィズ ティム・カリー
監督:ガボア・クスポ

 

近所のTSUTAYAで、“J・K・ローリングのお気に入り”という触れこみに惹かれてレンタル。あまり期待はしていなかったが、王道というか正直というか、素直に100分ほどの時間が流れた。当たりではないが、外れと断じるほどでもないという印象。

 

あらすじ

父をがギャンブルで借金をこさえたまま死亡してしまったため、マリア(ダコタ・ブルー・リチャーズ)はロンドンから遠く離れたムーンエーカーの領主ベンジャミン・メリウェザー(ヨアン・グリフィズ)に引き取られることとなる。父の残した本と養育係ヘリオトロープだけを共にムーンエーカーへ向かうも、ド・ノワール族に襲われたり、不思議な幻を見たりと、マリアの身の回りに不可解な出来事が頻発する。それは、ムーンプリンセスの伝説とその呪いが原因で、その呪いを解くためのタイムリミットはすぐそこまで迫っていたのだった・・・

 

ポジティブ・サイド

マリアを演じたダコタ・ブルー・リチャーズは、ロシアのフィギュア・スケーターのようと言おうか、妖精のような妖しい魅力を放っていた。彼女を見るだけでもオッサン映画ファンは癒されるのではないか。

 

そして『 ファンタスティック・フォー 』シリーズのミスター・ファンタスティックでお馴染みの好漢ヨアン・グリフィズの嫌な男の演技。これが以外にハマる。しかし、どういうわけか物語が進むにつれて、嫌さが薄れ、可哀そうな男に見えてくるから不思議だ。本作では存分にウェールズ訛りで話しているので、余計に生き生きと聞こえる。それが気難しい領主役に味わいを与えている。

 

副題にある、秘密の館の秘密の大部分を司るファンタジーには非常にありがちなキャラが、実に重厚な存在感を発揮する。こういう重々しくも、軽いノリのキャラクターを演じきれるキャラクターは、ミゼットを除外するにしても、日本にはなかなか見当たらない。子のキャラだけで、ファンタジー要素の半分以上を体現したと言っても過言ではない。

 

ネガティブ・サイド

マリアに付き添うミス・ヘリオトロープが事あるごとに burp = げっぷをするのには何か意味があったのだろうか。『 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 』(アニメ版)の「いい女を見るとうんこしたくなる」並みにどうでもいいネタだ。

 

また、ティム・カリーの存在感がイマイチなのは、やはり IT = イットのピエロ役の影響が強すぎるからか。ティム・カリーとジョニー・デップは、素顔またはメイクが薄い役をやると外れになる率が高い気がする。『 シザーハンズ 』、『 パイレーツ・オブ・カリビアン 』は当たりで、他は・・・『 ダークシャドウ 』など例外もあるが、『 トランセンデンス 』は酷い出来だった。

 

閑話休題。キャストで最も残念なのは初代のムーン・プリンセス。ちと大根過ぎやしないか?特にムーンエーカー谷に呪いがかけられる大事な場面での長広舌はあまりに硬すぎるし、棒読み過ぎる。

 

また、ややネタばれ気味だが、副題にもあるまぼろしの白馬は特に重要な役割を果たすことはない。まあ、原題は ” The Secret of Moonacre” =「ムーンエーカー峡谷の秘密」なので、これはちと説明過剰である。

 

総評

大人が真剣に鑑賞するには厳しい部分もあるものの、『 くるみ割り人形と秘密の王国 』に出演しているマッケンジー・フォイ以上にインパクトのあるダコタ・ブルー・リチャーズとの出会いだけでもレンタルの価値はある。ライトなファンタジーを楽しみたい向きならば、鑑賞しても時間の無駄になることはないだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, イギリス, ダコタ・ブルー・リチャーズ, ティム・カリー, ファンタジー, ヨアン・グリフィズ, 監督:ガボア・クスポLeave a Comment on 『 ムーンプリンセス 秘密の館とまぼろしの白馬 』 -可もなく不可もないファンタジー-

『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』 -ハリウッドへの痛烈な皮肉映画-

Posted on 2018年10月21日2019年11月3日 by cool-jupiter

アンダー・ザ・シルバーレイク 65点
2018年10月21日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド
監督:デビッド・ロバート・ミッチェル

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181022025940j:plain

『 イット・フォローズ 』の監督の最新作。前作は、正体不明の何者か、というか何者かは分かっている=姿は完全に見えている者が、ゆっくりと歩いてついてくるという異色ホラー。特にイットがドアをノックするシーンは、笑いながらも怖気を奮ってしまった。あのシュールさをもう一度味わためなら1800円は惜しくない。だが、しかし、本作を真に鑑賞したと言えるようになるには1800円では足りないようだ。

 

あらすじ

サム(アンドリュー・ガーフィールド)は30歳過ぎても働かず、LAの街で自堕落に過ごしていた。上半身裸で過ごす同じコンドミニアムに住む中年女性を覗いたり、女優を夢見てオーディションを受けまくっているセックスフレンドがいたり、レトロゲーム機で共に遊ぶナーディな男友達がいたりと、家賃は滞納しながらも、それなりに何とかやっていた。ある日、ミステリアスな美女サラと良い雰囲気になりながらもベッドインできず、翌日にもう一度来てと言われたので尋ねてみたら、部屋はもぬけの殻。しかし、怪しい女がサラの部屋から何かを回収していった。その女を尾行するうち、サムはLAの街のアンダーグラウンドな領域に徐々に近づいていく・・・

 

ポジティブ・サイド

数多くの映画を想起させる作品である。『 マルホランド・ドライブ 』のように、ある意味で脳髄に損傷を与えかねない映画である。普通のサスペンスやスリラー、またはミステリだと思って劇場に行くと、予想や期待を裏切られることは必定である。しかし、それが良い。何もかもを説明してほしいと思うのは、あまりにもおこがましいのではないか。本作には、LAの街やハリウッドで功成り名遂げた人物は隠されたメッセージを発していて、それを受け取ることができるのはスーパーリッチな一部の人だけであるという、サムの妄想的な考えを通じて、観客に訴えかけてくる。すなわち、「この映画には秘密のメッセージが仕込まれているのですよ」ということだ。

 

我々はとんでもない量の小ネタを見せつけられる。とても書き切れるものではないが、おそらく誰もが初見でピンと来るのは、サムの手がネチャネチャと糸を引くシーンであろう。何をどうしたってスパイダーマンを思い出す。ニヤリとすべきなのだろう。小ネタというか直接ネタというか、ある映画を語るに際して別の映画にも言及しなくてはならなくなるという点では『 レディ・プレーヤー1 』的であると言える。劇中ではアルフレッド・ヒッチコックがfeature されるシーンがある。さらにサムの部屋には『 サイコ 』のポスターが貼ってあるのだ。彼の頭の中には一体何が詰まっているのだ、と思わされても仕方がない言動がどんどんと繰り出され、もはや彼の妄想なのか、全ては現実世界の偶然なのか、虚実が定かならぬ領域にまでストーリーが進んだところで、臨界点を迎え・・・ないのである!まるでジョニー・デップの『 ナインスゲート 』のエンディングを思わせる城に入っていくシーンには鳥肌が立った。

 

まだ本作を観ていないという人は、サムが自室でセックスしているシーンをしっかりと見ておくべし。見るのは彼の尻ではなく、壁に貼ってあるポスターである。万が一、それが何であるのか、もしくは誰であるのか分からないということであれば、このYouTube動画を見てみよう。それでも知らないというのなら、とにかく自分の中でカリスマと思える人物をしっかり思い描いて鑑賞に臨むようにしてほしい。

 

物語はここから一挙に漫画的領域にまで到達する。それは『 ゲット・アウト 』的な領域に到達するという意味でもあり、ノストラダムス予言のトンデモ研究者・川尻徹的な手法で暗号解読をする現代版geekであるとも言える(ちなみにnerdとは、『 X-ファイル 』のスピンオフ『ローン・ガンメン』3人組のような連中を指す)。普通に考えればサムはクレイジーであるとしか言いようがないのだが、途中では実際に人が死ぬ。しかし、それすらもサムの妄想であるかもしれないと思わせる仕掛けが施されている。サムのマスターベーションにも注目だ。

 

お前の言っていることはサッパリ意味が分からんし、何故こんな卑猥なレビューを読まされねばならんのだと思われる向きもあるだろう。しかし、冒頭で述べたように本作は一回こっきりの鑑賞では意味不明な箇所が多すぎる。それが魅力にも磁力にもなっている。吸い寄せられるように映画館に向かってしまう自分が想像できて怖いのだ。不思議な魅力が詰まった映画なのだ。

 

ネガティブ・サイド

LAが舞台だと聞いて胸を躍らせるような人、特に『 ラ・ラ・ランド 』に感動した人などは、本作には辟易させられることは間違いない。『 ノクターナル・アニマルズ 』や『 ドニー・ダーコ 』、あるいは『 ブレードランナー 』のように複数回見てようやく意味が分かる、もしくは見れば見るほどに発見があるというタイプは、DVDやブルーレイが手に入るようになるまで、非常に悶々とした気持ちにさせられる。おそらくカジュアルな映画ファンが10人いれば、そのうちの9人が一回鑑賞で満腹になるのではないだろうか。また、ハードコアな映画ファンが10人いても、そのうちの6人は一回で満腹になってしまうのではなかろうか。自分としては日本語と英語の両方でリサーチの上、何度でも観てみたいが、そうするとチケット代と時間が問題になる。そこを減点して良いものかどうか迷うが、『 ラ・ラ・ランド 』と同点になる程度には楽しめた。これは褒めているのだろうか・・・

 

総評

主人公サムの『 アイム・ノット・シリアルキラー 』的な行動が許容できる人、もしくはとんでもないシネフィルなら、本作を絶賛できるだろう。あるいは糞味噌に酷評できるかもしれない。案外、純愛ジャンルが好きだ、という人が最も本作を堪能できるのかもしれない。一人で鑑賞して、帰り道にリサーチをしたりレビューを渉猟するも良し、連れを誘って鑑賞し、帰りに喫茶店であーだこーだと解釈をぶつけ合うのも良いだろう。面白さは人によって異なるだろうが、手応えの重さがずっしりとあることだけは請け合える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アンドリュー・ガーフィールド, スリラー, 監督:デビッド・ロバート・ミッチェル, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』 -ハリウッドへの痛烈な皮肉映画-

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