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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

Posted on 2019年12月22日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月21日 東宝シネマズなんば(MX4D・3D・字幕版)にて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。けれど、おとぎ話の世界は残る。劇中のとあるキャラクターではないが、“記憶”の中に美しいイメージを残しておきたいと思う。なので二度目の鑑賞では、楽しめた点と疑問に思った点を整理したい。

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以下、マイルドなネタばれあり

 

  • 楽しめた点

『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』で、“自分にとってのスター・ウォーズとは、John Williamsの音楽とドロイド、ミレニアム・ファルコン号の三者から成るものである”と認識することができたが、その思いは今でも変わらない。様々なクリーチャーも魅力的ではあるが、やはりドロイドだなと思う。R2-D2、C-3PO、BB-8といった魅力的な面々にD-Oというマスコットが加わった。『 最後のジェダイ 』のポーグも悪くないが、やはりドロイドである。

 

また、ミレニアム・ファルコン号の活躍はもちろんのこととして、ラストの大団円でXウイングとファルコン号が対話をしていたように感じられた。

 

ファルコン「 久しぶりだな。えらいボロボロじゃねーか 」

Falcon: “Been a long time, dude. You’ve become a peace of junk.”

Xウイング「 人のことは言えないだろ、お前 」

X-Wing: “Damn you, Look what you look like.”

 

宇宙船というのも、『 スター・ウォーズ 』世界に欠かすべからざる重要なガジェットである。その宇宙船たちの発する声にも我々は耳を傾けるべきだろう。

 

『 スター・ウォーズ 』映画に皆勤しているC-3POの台詞から毒々しさが薄まって。ユーモアが強まった。あらゆるクリーチャーやドロイドとコミュニケーションを取ることが可能なこのドロイドは、グローバル化しつつある世界におけるコミュニケーションの在り方を示唆しているように思えてならない。

 

この完結作は、これまでの『 スター・ウォーズ 』の要素を随所に取りこんでいるが、基本的には『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のリメイクであると言える。

『 用心棒 』が『 荒野の用心棒 』や『 ボディガード 』になったようなものである。したがって基本的な意味で新しさはない。それをどう評価するかは人による。Jovianは普段は鵜の目鷹の目で映画を観てはいるものの、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話だと思っている。おとぎ話の中身をあーだこーだと精査してもしょうがない。楽しむのみである。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』に出てきたような、極端なまでの naysayer にはなりたくない。彼ら彼女らはシスである。J・J・エイブラムスが、今作で無理やりとも言えるストーリーのまとめ方を選んだのは、そうした人々への意趣返しなのだろう。個人的には拍手喝采を彼には送りたいと思っている。

 

レイのキスについて。賛否両論どころか否の意見が全世界的に渦巻いているが、Jovianは一度目の鑑賞では???、二度目の鑑賞では「これもありだろう」と思えるようになった。一つには、ジェダイは恋愛禁止であるということ。これは取りも直さず、ジェダイの終焉を意味している。ハン・ソロと結婚し子どもも生んだレイア・オーガナは、フォースを使うことはあっても、ジェダイとは決して名乗らなかった。もう一つには、この完結作では“Two That Are One”=「二つで一つ」がテーマにもなっている。光と闇、陰と陽(男と女)、ジェダイとシス。レイが見つめる先の二つの太陽は、かつてはルークとレイアの象徴だった。レイはジェダイの志を受け継ぎながらも、自分探し=自分のパートナー探しを夢想しているのだと考えれば、それもおとぎ話の終焉にふさわしいだろうと個人的には思う。

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  • 疑問点

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』で焼かれたはずの聖なるジェダイ・テキストが何故ファルコン号に積み込まれていたのか。その説明は、少なくとも二回見た限りではなかった。

 

同じく『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のカント・バイトでは、武器商人たちがファースト・オーダーとレジスタンス、両方に兵器・武器の類を売っていることが皮肉たっぷりに描かれた。であるならば、あれほど巨大な規模の艦隊を構成するのには、文字通り天文学的なカネが動いているはず。それを誰も察知できなかったというのか。

 

翻訳のミスのようなものも見受けられた。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』劇場版ではカイロ・レンの“The one from the village”が、「あの村の出身」という、トンデモ誤訳になっていたが、今作でも皇帝パルパティーンの

 

“I made Snoke.”

 

という台詞が

 

「 スノークは余の作り出した幻 」

 

という訳になっていた。その一つ前にレジスタンスの科学者が、闇の科学やらクローン技術(『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』への言及か)やらシスの秘術やらに触れていて、なおかつカイロ・レンがエクセゴルで死者を蘇らせようとしている、あるいは死者から生者を培養しようとしている装置(『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のルークが入れられていたような装置そっくり)を見ているにもかかわらず、幻はないだろう。だったら、『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』のルークの秘術は何だったのか。ブルーレイでは間違いなく修正されるだろうが、それでは遅い。ここで“幻”などという訳語を選定した林完治氏の罪は重い・・・は言い過ぎか。だが、一定の責任を負うことは免れないだろう。

 

ポー・ダメロンの前身が少し明らかになったが、別に眉をひそめるものでもないだろう。ハン・ソロとチューバッカの方がはるかに悪者でならず者だった。キジーミの存在は否定しないが、このサブプロットは少々ノイズ気味である。

 

MX4Dで鑑賞してみたが、水しぶきが思ったほどではなかった。もちろん、一回当たりにシートに貯蓄可能な水量や、あまりにも観客を濡らしてはクレームが出るなどの懸念もあるだろう。しかし、フォースが距離を超えて、互いに物理的に作用しあう領域まで来ているのだから、荒れ狂う海に囲まれたデス・スターの残骸上でのレイとレンのライトセーバー・バトルでは、もっと激しく水しぶきを出してほしかった。まあ、これは映画ではなく劇場への注文か。

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総評

海外のレビューサイトやプロ・アマの批評家は、本作におおむね厳しい評価を下している。だが、かつての、旧世代の『 スター・ウォーズ 』ファンも、プリクエル三部作には厳しい評価を下していたが、新世代ファンにはそのことが理解できなかった。『 スター・ウォーズ 』をどう評価するのか。それは自分の幼年期にどのように向き合うのかとも言い換えられるだろう。そうした意味では、大人になり映画批評を職業にしてしまうと、子どもの頃のような接し方が難しくなる。何度でも言うが、『 スター・ウォーズ 』はおとぎ話である。それが娯楽作品や芸術作品として高く評価されているが、本質的にはおとぎ話なのである。鑑賞においては、このことを念頭に置かれたし。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll finish what he started.

レイがルークの後を継いで、とある人物を探すミッションに出る時の言葉である。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』でカイロ・レンがベイダーのマスクに“I’ll finish what you started.”と誓っていた台詞と同じ構造である。【 what S + V =SがVするもの・こと 】である。

 

what I like =私の好きなもの

what I hate about this film =この映画で私の嫌いなもの

what they want to get =彼らが手に入れたがっているもの

what she has to fight for =彼女がそのために戦うもの

 

whatという関係代名詞は日常会話でもビジネスでもバンバン使うので、マスターすることは必須である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Second Viewing-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

Posted on 2019年12月20日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2019年12月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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『 スター・ウォーズ 』が完結してしまった。そして批評家やファンの評価は割れている。それはとても良いことだと思う。なぜなら、好きな人はとことん好きになれて、好きになれない人には決して好きになれない。これはそんな物語だからである。Jovianは、これを素晴らしいフィナーレであると感じた。少年時代に帰れた、おとぎ話の世界に戻れた。そのように感じたからである。

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あらすじ

死んだはずの銀河皇帝パルパティーンが復活した!ファースト・オーダーの最高指導者カイロ・レン(アダム・ドライバー)は、銀河の覇権を争う相手としてパルパティーンと対立。彼を追っていた。一方、レイ(デイジー・リドリー)は来る最終決戦に向けて、レイアから課された修行に励んでいた・・・

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以下、ネタばれ部分は白字

 

ポジティブ・サイド

人によってはこれら全てをネガティブに捉えるのだろうが、Jovianはポジティブに捉えた。すなわち、本作はエピソード1、2、3、4、5、6、7、8のごった煮である。なおかつ『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』や『 ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー 』の要素まで盛り込まれている。どこかで見た風景、どこかで見たキャラクター、どこかで見たプロット、どこかで見たイベント、どこかで見た光と影のコントラスト、どこかで見たカメラアングル、どこかで見たガジェット。それらがジョン・ウィリアムズの音楽と共に観る者に迫ってくる。それを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかは各人の自由である。

 

新しい要素に全く欠けるのかと言えば、さにあらず。『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』がフォースの新たな地平を開拓したように、今作もフォースのさらなる可能性を追求した。しかも、それがミディ=ファッキン=クロリアン的な要素を持ちあわせている。それを受け入れられた自分に驚いている。

 

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』に散りばめられていたユーモアの要素と『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』の恐怖の要素が適度な割合で配合されているところでも、J・J・エイブラムス監督の手腕を称賛したい。オリジナル三部作とシークエル三部作が見事に地続きになっている。『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』で、パルパティーンがルークを暗黒面に誘った時よりも、遥かに強い誘惑をレイに対して行う。愛する者を救うために負の感情にその身を任せよという誘引は、プリクエル三部作、特に『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』が放った強烈なメッセージだった。それがパワーアップして帰ってきた。しかも、確たる意味を伴っている。ずっと謎に包まれてきたレイの出自と絡めた、絶妙の演出である。

 

そのレイをレイアがトレーニングするというアイデアも良い。前作ではカリスマ的な指導者から、ジェダイにしてフォースの使い手であることを体現した。そして演じるキャリー・フィッシャーの死そのものまでも物語に組み込むという大胆不敵なプロットに、フィッシャーはきっと満足しているに違いない。

 

エンディングは涙なしに見ることはできない。『 スター・ウォーズ 』を愛した全ての人は、それぞれに思い入れのある風景を持っていることだろう。だが、J・J・エイブラムスとJovianはこの点で波長が完全に合っていた。『 スター・ウォーズ映画考および私的ランキング 』で、自分にとっての『 スター・ウォーズ 』の原風景を語ったが、J・J・エイブラムスも同じだったようだ。光と闇、陰と陽、ジェダイとシス、そしてスカイウォーカー家のサーガは、見事な円環と共に閉じた。

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ネガティブ・サイド

なぜ2時間22分なのだろうか。きりよく2時間30分の物語にできたはずである。もっともっと語られるべきことを、徹底的に語り、見られるべきものを見せて欲しかった。

 

パルパティーン復活の経緯が完全に不明である。『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』の最後に、ヨーダとメイス・ウィンドゥは「シスは常に師匠と弟子の二人」と語っていたが、スノークとパルパティーンの関係をこれで説明してもよかったのではないだろうか。

 

新キャラに元トルーパーが出てくるが、最終盤にランドが引き連れてくる大援軍に元トルーパーの脱走兵らがいれば、なお良かったのだが。存在していたが、編集でカットされたのだろうか。

 

カイロ・レンの物語も見事に閉じるが、母レイアとのツーショットはついに実現せず。これはブルーレイの特典映像、もしくはディレクターズ・カットに収録されるのだろうか。

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総評

“スカイウォーカーの夜明け”という副題は、実は正しかった。なるほど、そうだったのかと感じた。日は沈むが、また昇る。それこそがフォースにバランスをもたらすということなのかもしれない。様々な物語の予感を残しつつも、一つのおとぎ話が幕を下ろした。けれども、少年時代の感動は消えないし、これからも、その“記憶”は続いていく。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be afraid of who you are.

be afraid of ~ =~を恐れる、である。レイアはレイに「自分が何者であるかを恐れるな」と伝える。ヨーダは

 

“Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering.”

 

と語った。レイは恐怖に屈しなかった。be afraid of ~という表現自体はそこまで大仰なものではない。I am afraid of dogs. = 私は犬が恐いんです、のように日常会話レベルで頻出する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Here comes my childhood.-

スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

Posted on 2019年12月18日2020年1月16日 by cool-jupiter
スター・ウォーズ映画考および私的ランキング

趣旨は『 ゴジラ映画考および私的ランキング 』と同じである。だが、多くの人にとってそうであるように、『 スター・ウォーズ 』はJovianにとっては特別な物語なのである。『 サッドヒルを掘り返せ 』でJovianは『 スター・ウォーズ 』を【おとぎ話】であり【昔話】であり【童話】であると説明した。だが、文学論的に言えば、

 

1.超自然的な要素がある

2.時代や場所を特定できない

3.王族が登場する

 

といったところから、『 スター・ウォーズ 』は本質的には【おとぎ話】に分類されるのだろう。自分にとっても映画の原体験の一つであり、極端に言えば人生にも影響を及ぼした作品が、もう間もなく完結を迎える。その前に、自分の頭と心を整理しておきたい。本稿はそうした試みである。

 

『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』

 

スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 95点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

今でもよく覚えている。Jovianが初めて観た映画は、映画好きの父の影響もあり『 王様と私 』だった。そこで「エトセトラ」という言葉を覚えたが、それだけしか印象に残らなかった。次に観たのは『 オズの魔法使 』、そして次に観たのが『 スター・ウォーズ 』だった。当時はタイトルに他に何もなく、『 スター・ウォーズ 』だった。ちなみに次に観たのが『 ダリル D.A.R.Y.L. 』だった気がするが、正直なところ、『 スター・ウォーズ 』以降の映画作品については、古典ミュージカル作品以外は記憶があやふやである。

 

当時は6歳だった。その時はデス・スターへの潜入やブラスターの撃ち合い、ミレニアム・ファルコンのワープ、XウィングとTIEファイターの戦い、そしてオビワンとダース・ベイダーの電光剣(が当時のVHSの字幕だった)対決、そしてデス・スター爆破などのアクション・シーンに心を奪われて、何度も何度も観ていた。おそらく現在までにDVD、ブルーレイで20回以上は観ている。けれど中学生ぐらいだったろうか。ある時、ルークが二つの太陽の夕焼けをやるせない表情で眺め、そのBGMにジョン・ウィリアムズの“Binary Sunset”が流れるあの瞬間にルークと自分がシンクロした。兵庫県から岡山県に引っ越した頃、自分はあるべき場所におらず、なるべき自分になっていないと直感した。そんな自分も、未知なる宇宙に飛び出すことができる。まだ見ぬ冒険をすることができる。『 スター・ウォーズ 』はそんな予感を自分に与えてくれた。だからこれは誰にも当てはまらず、誰にでも当てはまる物語なのだろう。やはり、おとぎ話なのである。

 

VHSやレーザーディスクでリミテッド・エディションが販売され、当然のようにJovianの父も購入。しかし、デス・スターの爆発の様子が異なっている部分に大きな違和感を覚えたことを覚えているし、グリードーが発砲したりしたシーンでも???となった。DVDではハン・ソロの首が動いたところでギョッとしたのを覚えている。後年になって、『 スター・ウォーズ 』がおとぎ話であることに気付いたのは、これらの違和感や異物感からだった。シリーズが完結しても、おそらく最も多く見返すのは本作だろうと思う。

 

『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』

 

スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 90点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

本作で思い出すのは、ミレニアム・ファルコンがひたすらにかっこいいということ。すぐに故障するボロ船でありながら、常にピンチを脱する。本作でC-3POが「訛りがひどい」と評したことで、ファルコン号は乗物からキャラクターに正式に進化した。

 

本作ではC-3POがバラバラにされるシーンでショックを受けた。というかトラウマになった。前作でもドロイドがドロイドに痛めつけられるシーンは存在したが、何故かあまり印象に残らなかった。

 

本作で最も強く心に刻まれたのは、ファルコン号内でのハン・ソロとレイアのキスシーンである。『 ロッキー 』で、ロッキーが自宅にエイドリアンを誘って、キスをするシーンと並んで、Jovianがこれまでに観てきた中で最もロマンティックなシーンだと思っている。これも小学生ぐらいの頃は映画の中の普通のワンシーンだった。それが中学生高高校生ぐらいになってくると全く異なるシーンに見えてきた。変わったのは物語ではなく、自分だったのだろう。

 

ダース・ベイダーの言う“I am your father.”は、その後のどんな推理小説のトリックにも、どんなミステリ映画のプロットにも優る衝撃を少年時代のJovianの心に与えた。ルークが右手を斬り飛ばされ、ハン・ソロが冷凍され、ヒーロー側が惨敗して終わり・・・というエンディングは、子どもだった自分に強烈なインパクトを残した。初めて観た時は、「早くこの続きを!」という焦りで頭がいっぱいになった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』

 

スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 90点
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード
監督:ジョージ・ルーカス

 

ルークがパワーアップして、颯爽と帰ってきた。ハン・ソロも復活した。レイアも解放された。序盤の30分だけで満足した記憶がある。

 

地上と宇宙で同時進行する展開に、単身でデス・スターに乗りこむルーク。正式に反乱軍の将校になったハン・ソロとチューバッカにランド・カルリジアンらが、戦闘ではなく戦争をする。前作や前々作は、主人公側が逃げる展開がメインだったが、本作でようやく乾坤一擲の大勝負に出る。助っ人がイウォークというのも良い。惑星エンドアのローカル・クリーチャーでありながら、宇宙戦争に参戦する意気やよし。姿かたちや話す言葉が違っても分かり合える存在が宇宙にはたくさんいる。アクバー提督など、人間ではない生き物と連合する反乱軍に、アイデンティティに迷っていたJovian少年は自分を投影していたように思う。

 

多種多様な生き物を包括して組織される反乱同盟軍と一律にホワイト・トルーパー達で構成される帝国軍の対比は、現代の視点で見返してもコントラストが鮮やかだ。ジョージ・ルーカスは STAR WARS と題しながらも、決して戦争を描くことは望んでいなかったという。戦うことではなく耐えることでジェダイとしてのアナキン・スカイウォーカーを帰還させたルークは、自らの中で永遠のヒーローとなった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』

 

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 40点
出演:ユアン・マクレガー リーアム・ニーソン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

これは確か大学二年生の夏休みに劇場公開された時にすぐに観た。Jovianの母校は6月末から夏休みだったのだ。劇場で観た。そしてがっかりした。絶望したと言ってもいい。その理由の第一は、通商連合である。いきなりそんな現実世界と地続きの事象を説明されて、一気にシラケたことを覚えている。「遠い昔、はるか彼方の銀河系で」いきなりゼニカネの話。おとぎ話の世界が現実の経済の論理に侵食された瞬間であった。だが、これはまだ許せた。

 

最も腑に落ちなかったのはミディ=クロリアンである。『 スター・ウォーズ 』のファルコン号内で、オビ=ワンはフォースを銀河を結びつける力と説明した。それとミディ=ファッキン=クロリアンはどう考えても結びつかない。フォースの神秘性が失われて、一つの世界が音を立てて崩れ去っていくかのように感じた。

 

パドメ(替え玉)の衣装と化粧があまりにもけばけばしく、スター・ウォーズ世界で浮いているようにも感じたし、ジャー・ジャー・ビンクスはひたすらに気持ちが悪い。ジャー・ジャー以上に不快なのがグンガンの族長。パドメとの交渉でいちいち顔面をけいれんさせながら唾液をまき散らすことに何のartistic meritsがあるというのか。ジョージ・ルーカスがマーシアと離婚したことで暗黒面に堕ちた(正確に言えば、外部社会との接点が極めて小さくなり、クリエイティブ面で馬耳東風になってしまった)ことはよく知られているが、女性を必要以上に醜く描き、その顔面に唾を吐きかけてやりたいという欲望をそのままストレートに映像化してしまったジョージ・ルーカスは、まさにシスの暗黒卿になってしまったわけだ。そんな男の作品を評価するのは困難極まりないことである。

 

それでも若きオビ=ワンとその師クワイ=ガン・ジンとダース・モールとのライトセーバー・バトルは圧倒的なスペクタクルだった。褒められるところは、それぐらいだった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 』

 

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 65点
出演:ユアン・マクレガー ヘイデン・クリステンセン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

これは確か2002年7月3日にアメリカはロスアンゼルスで二番目に大きいと言われるモールの中のミニシアターで観た。2002年7月1日から7月7日まで親戚のところに逗留させてもらっていた。4~5割ぐらいしかリスニングできていなかったと思うが、最後のどぅーく―伯爵vsオビ=ワン&アナキンのライトセーバー・バトル、そして真打ヨーダとドゥークー伯爵のライトセーバー・デュエルのおかげで大満足で劇場を後にしたことを覚えている。

 

しかし日本に帰国後、あらためて劇場鑑賞して、「何だそりゃ?」と突っ込まざるを得なかった箇所も多数あった。ジェダイ評議会は動きが遅すぎる。“過激な交渉”で通商連合を封じ込めたパドメが過激な手段で報復されることなど予見できてしかるべきだし、護衛がひよっこのアナキン一人というのも、いかにも不自然だ。星図には何もない=そこには星が存在しない、という思考もクエスチョンマークだ。グーグル検索に引っかからない=検索対象が存在しない、とは普通は考えないだろう。誰かが情報を改竄したか隠蔽していると考えないあたり、ジェダイの騎士はかなりナイーブなようである。

 

それでもアナキンとパドメの逢瀬は美しくも健全な背徳感があり、ロマンスが盛り上がれば盛り上がるほどに悲劇の予感が強まっていく。このあたりも健全な結婚生活を送ることができていたジョージ・ルーカスが理想的な過去の心象風景を銀幕に投影したと考えられなくもない。

 

前作に続き、パドメが戦う姫を体現し、これでこそレイアの母親という印象を観る者に強く刻みつけた。青年アナキンを演じたヘイデン・クリステンセンも、ルーク・スカイウォーカーの父親というビジュアルを体現。ドロイド軍団とジェダイ軍団の大激突から、全面的な戦闘、そしてクライマックスの決闘シーンまでの流れだけならパーフェクトだが、ジャー・ジャー・ビンクスが懲りずにパルパティーンに権力移譲を発議。政治ネタをジャー・ジャーを使ってぶち込んでくるとは、ジョージ・ルーカスはどういう了見をしていたのだ?長所と短所、両方を兼ね備えた評価の難しい作品になってしまった。

 

『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』

 

スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 80点
出演:ユアン・マクレガー ヘイデン・クリステンセン ナタリー・ポートマン
監督:ジョージ・ルーカス

 

アナキンがダース・ベイダーになることは確定している。ならば、どのように暗黒面に堕ちていくのか。ルーカスはその答えを“愛”に求めた。より正確に言えば、愛を失うという恐れに求めた。素人の精神分析学的に言えば、ルーカスはマーシアの愛の喪失により、自らが暗黒卿になってしまった。そして巨万の富を築き、帝国とすら呼べる企業を作り上げてしまった。ジェダイ評議会とは、彼のような異端の映画製作者を認めようとしない既存のハリウッドの映画製作システム全体を象徴していたのだろう。

 

アナキンとドゥークー伯爵のリマッチ、オビ=ワンとグリーヴァス将軍のライトセーバー・バトルなど序盤から大チャンバラ活劇である。おとぎ話に政治的な要素は不要である。本作はとにかくバッタバッタとライトセーバーで敵も味方も斬っていくストーリーを堪能すべしである。孤高のオビ=ワンと孤独なアナキンのコントラストが映えるし、二人の“Duel of the Fate”は、映画史(邦画除く)においては屈指のチャンバラ劇に仕上がっている。同時進行するヨーダと皇帝パルパティーンのライトセーバー・バトルとフォース・バトルも見応えは十分だ。

 

本作は当時、戸田奈津子の珍妙な訳に首を傾げたのを覚えている。オビ=ワンの“So uncivilized.”が「掃除が必要だ」だったり、アナキンの“He must live!”が「お慈悲を!」だったりと、色々と映画の外側のことも覚えている。それでも、全てのバトルが決着し、最後にパドメがルークとレイアを出産、そのルークがタトゥイーンのオーウェン夫妻に引き取られていくシーンでは身震いしたことは、まるで昨日のことのように覚えている。このPrequel Trilogyは、この瞬間のためだけに存在したと言っても過言ではない。

 

『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』

 

スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 80点
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー ハリソン・フォード キャリー・フィッシャー ジョン・ボイエガ オスカー・アイザック
監督:J・J・エイブラムス

 

まさかの続編。しかも、『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』の30年後の世界。公開時、劇場で7回観た。ブルーレイを入手後に、確か5回観た。実質的に『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』をフェミニスト・セオリーに則して脱・構築し、再構築したリメイクと言っていい。それだけに、おとぎ話として雰囲気を全編にふんだんに湛えている。

 

劇場が暗転し、20世紀FOXのロゴとファンファーレはなかったものの、

 

A long time ago in a galaxy far,

               far away….

 

が表示され、画面にジョン・ウィリアムズのあのテーマ曲とともに

 

   STAR   

   WARS   

 

の文字が表示された時、一気に『 スター・ウォーズ 』の世界に引き込まれた。劇場に何度も足を運んだのは、ほとんど全部この瞬間のためだった。初期三部作を劇場でリアルタイムに鑑賞できなかった世代であるJovianは、プリクェル・トリロジー、特に『 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 』には心底がっかりさせられた。その時の落胆の気持ちを、本作は忘れさせてくれた。いや、薄めてくれたと言うべきか。いずれにせよ、傷がかなり癒されたのは間違いない。

 

本作制作および公開の報が流れた時、最初のトレーラーを観た。砂漠の背景に、『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』を想起した。そして第二弾のトレーラーの最後で、ハン・ソロがチューバッカに “Chewie, we’re home.” と呟くシーンに接して、文字通り鳥肌が立った。ハリソン・フォードの老け具合、つまり現実世界の時間の流れが、スター・ウォーズ世界の時間の流れと一致したように感じられた。あのおとぎ話の世界が延長され、拡張されたように感じられたのだ。ハン・ソロの言う ”We’re home.” とは、我々ファンの心の声を代弁したものだった。我が家に帰ってきたのは、ハン・ソロとチューバッカだけではなかった。

 

ストーリーは全くもって陳腐である。『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』の焼き直しだからである。メッセージを携えたドロイドが、砂漠を漂流。ここではないどこかへの脱出を夢想する少年・・・ではなく、今回は少女と出会い、そこから宇宙を駆ける大冒険が始まるからである。少し違うのは、オリジナルのスター・ウォーズにはオビ=ワンという師匠が存在したが、本作は伝説となったルーク・スカイウォーカーを探し求める筋書きである。それが心地好い。ルークとレイアとハン・ソロとミレニアム・ファルコン号と魅力的なドロイドたちあってこそのスター・ウォーズだからである。特にルークである。

 

本作でハン・ソロという映画史上屈指のヒーロー・キャラクターが退場してしまった。Jovianは落涙を禁じ得なかった。キャリー・フィッシャーの訃報が届いたのは、本作公開の約一年後。戦う女性の元祖が逝ってしまった。

 

それでもデイジー・リドリーとアダム・ドライバーは、伝説を見事に継承したと思う。完結する前からそう断言させてもらう。この二人の光と闇の戦いに胸踊らされないファンもいるようだが、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々である。

 

『 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 』

 

スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ 75点
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ジョン・ボイエガ オスカー・アイザック
監督:ライアン・ジョンソン

 

遂に巡り合えたルーク・スカイウォーカー。しかし、彼は初登場時のヨーダのような世捨て人だった・・・。ユーモアなのかギャグなのか、よく分からない雰囲気が全編を覆っている。それもライアン・ジョンソン監督なりの深い考えがあってのことだろう。ミディ=ファッキン=クロリアンのような、世界観そのものをぶち壊す概念やガジェットでない限り、Jovianは何でも歓迎したいと思っている。それがレイア姫=オーガナ将軍が宇宙空間でスーパーマン化して復活することでも、宇宙空間を超えて交信することでも何でも良い。

 

レイとレンがタッグを組んで、スノークの親衛隊と戦うシーンを劇場で初めて観た時には脳汁が出た。ベイダーがパルパティーンに叛逆して、ルークを救ったシーンを思い出したからだ。『 ジェダイの帰還 』とは、ルークではなくアナキンのことだった。今作は基本的に『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』と『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』のマッシュアップなのだから、一瞬ではあってもそのように夢想したファンは世界中で数百万人はいたはずである。

 

本作と『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』によって、超光速航法それ自体が武器になるという新しいアイデアが提起された。『 銀河英雄伝説 』以来、宇宙空間での戦闘はレーザービームを旨とすべしという不文律に、明確に反している。が、それも時代の流れだろう。

 

クライマックスでルークが夕陽を浴びて、ウォーカーの大軍と対峙するシーンは鳥肌モノである。そして最後の最後にルークが二つの太陽の夕焼けを眺めて消えていくシーンでは、不安と期待の入り混じった予感を残した。ヨーダが本作で登場したことは、何らかの布石になるはずである。

 

エンドクレジットの途中の、

 

In Loving Memory of our Princess

CARRIE FISHER

 

という文字が画面に現れ、壮大なシンフォニーに一瞬、“愛のテーマ”のメロディが挿入された瞬間、劇場で滂沱の涙が流れた。自分でも心底アホだと思うが、劇場で8回観て、8回同じタイミングで泣いた。

 

ランキング

 

1位 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望

2位 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還

3位 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲

4位 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒

5位 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐

6位 スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ

7位 スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃

8位 スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス

 

総評

『 スター・ウォーズ 』の分析や考察をすることに意味はあるだろうか。自分のアイデンティティ形成にこの物語がどれくらい関わっているのかを考えることには意味がある。しかし、このサーガが歴史や世界に与えたインパクトについては、学者や業界人、筋金入りのファンが既に微に入り細を穿って論じている。興味のある向きは『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』というドキュメンタリーを観るべし。もしくは『 ファンボーイズ 』も良いだろう。キャリー・フィッシャーに出会えるからだ。2015年、余命幾ばくもないファンが特別に『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』を劇場公開前に観ることができたというニュースがあった。そして今年、2019年にもほとんど同じニュースが報じられ、実際に『 スター・ウォーズ エピソード9/スカイウォーカーの夜明け 』を末期がん患者が観たという。粋なことである。観ずに死ねるか、という映画はなかなかない。それがこの物語のパワーである。

 

“スカイウォーカーの夜明け”は英語では“The Rise of Skywalker”である。スカイウォーカーが人名である以上、夜明けという訳語の選定には少々違和感が残る。この三部作におけるスカイウォーカーとは誰か。普通に考えればルークだが、カイロ・レンも母レイアからスカイウォーカーの血を受け継いでいる。アナキンが最後の最後にジェダイとして帰還したように、カイロ・レンも暗黒面から光に帰ってくることが予感される。それをありきたりと見るか、それとも王道と見るかは人によるだろう。またはルークがフォース・ゴーストとして“復活”することも考えられる。前作でヨーダが登場したことには何らかの意味が絶対にあるはずだ。パルパティーンが復活するからには、アナキンやオビ=ワンが復活しても良いように思える。

 

Jovianは英語教師の端くれでもあるので、自分でも色々と訳してみたくなる。

 

『 スカイウォーカーの復活 』

『 スカイウォーカーの再臨 』

『 スカイウォーカーの再誕 』

『 スカイウォーカーの再生 』

『 スカイウォーカーの目覚め 』

 

・・・・・・どれもこれもイマイチである。とりあえず、金曜の朝イチに観に行く。できれば土日にもう1~2回は劇場鑑賞したいと思っている。少年時代にもう一度戻れるのか。おとぎ話の世界に浸れるのか。完結作の公開を楽しみに待ちたい。

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『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』 -お下劣面白フランス映画-

Posted on 2019年12月16日2020年4月20日 by cool-jupiter

シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 80点
2019年12月15日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:フィリップ・ラショー エロディ・フォンタン
監督:フィリップ・ラショー

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よくよく思い返してみれば、週刊少年漫画誌で平気で「もっこり」や「君と一発やりたい」などのネタがよく掲載OKになっていたものだ。『 シティーハンター 』や『 ジャングルの王者ターちゃん 』、『 BASTARD!! -暗黒の破壊神- 』などは当時の少年たち(自分含む)に強烈なイメージを植え付けていた。そうしたかつての少年たちをデモグラフィックにした作品の中でも、本作は出色の出来である。フランス映画界、恐るべしである。

 

あらすじ

シティーハンターのリョウ(フィリップ・ラショー)は裏の世界の凄腕ガンマンとして、相棒のカオリと共に数々の依頼を請け負っていた。ある時、究極の惚れ薬である「キューピッドの香水」が奪われた。その香りを嗅いでいたカオリやその他の者たちは48時間以内に解毒剤を服用できるのか・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191216013529j:plain

 

ポジティブ・サイド

作り手の原作に対する愛とリスペクトがスクリーンから直接伝わってくる。脚本・監督・主演の全てを務めたフィリップ・ラショーは漫画『 シティーハンター 』を再解釈するのではなく、“再現”することを試みた。そして見事に成功した。フランス人がリョウやカオリを演じているのに違和感を覚えない。これはすごいことである。

 

まずオープニングからして親切だ。というのも、シティーハンターとは誰で、どんな仕事をしているのかを一切説明することなく物語が始まるからである。この作品を観に来る人を作り手が最初からスクリーニングしている。これが心地好い。たとえば『 アメイジング・スパイダーマン 』でピーターがクモに咬まれるシークエンスや『 バットマン・ビギンズ 』でブルースの両親が強盗に殺されるシークエンスなどは、正直なところ多くのファンが「ああ、このシーン要らないよね・・・みんな知ってるし」と感じていたはずである。本作は、当たり前のように『 シティーハンター 』の世界に入って行ける。招かれるのではなく、いきなりその世界に存在している。そんなオープニング・シークエンスが待っている。

 

その冒頭のアクション・シーンも、映画ではなく漫画である。『 アクアマン 』も漫画的だったが、本作は漫画そのものである。まず、モザイクの代わりにジャンプのあのカラスがそのまま使われている。何のことか分からない人は残念ながら本作の対象外だ。何のことか分かる人は、一刻も早く劇場へGo!!!である。そして本来ならば緊迫感溢れるバトルのはずが、非常にユーモラスで、それでいてサスペンスフルでありスリリングでもある。そんな人は少数派だろうと思われるが、たとえシティーハンターを全く知らないままに劇場に来た人でさえ、冒頭の10分で冴場リョウというキャラクターが理解できる。このオープニングの疾走感とユーモアは『 デッドプール 』のそれに匹敵する。

 

ストーリーの要所をアクションで語るのも良い。話の展開はシンプルそのもので、ヤバい惚れ薬を、それを濫用している男から取り戻すということである。惚れ薬が使われる一方で、リョウたちはアクションを見せてくれて、その配分が適切だ。また、非常に珍しいPOV視点の格闘シーンがあり、『 ALI アリ 』や『 クリード 炎の宿敵 』などのボクシング映画の試合シーンで使われることはあっても、その他ジャンルではあまり見ない撮影技法である。このシーンのhand to hand combatと狙撃のシーンはかなり楽しかった。

 

終盤のド派手ファイトとガンアクションも『 マトリックス 』に迫る出来である。この場面ですら容赦のないギャグが放り込まれ、シリアスな展開にもかかわらず漫画世界にいるという安心感すら漂う。そして、この原作へのリスペクト溢れる漫画世界にいるという安心感を、ぶち壊しながらも確保するという離れ業のクライマックス。漫画を映像化しているのに、これほど漫画に見えてしまうのは何故なのか。実写であるにも関わらず、まるでアニメーションのようにすら感じてしまうのは何故なのか。その絶妙な仕掛けは、ぜひ劇場で自身の目でお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

大きく不満と言えるものは二つだけ。

 

一つは、リョウの「もっこり」シーンがなかったこと。といってもベッドシーンやラブシーンというわけではなく、下半身を隆起させる一コマがなかったということ。編集でカットされたのだろうか。

 

もう一つは、原作で最高の名場面である「ガラス越しのキス」がなかったことである。話の流れやエンディング直前のとある台詞のためにも、原作そのままに再現することが難しいのは理解できる。しかし、それを何とか実現する脚本は書けなかったものか。

 

総評

『 シティーハンター 』愛に満ちた作品である。のみならず亀仙人にしか見えないおじいさんや、『 らんま1/2 』ネタ、『 キャプテン翼 』や『 聖戦士星矢 』のネタなど、ジャンプ漫画へのオマージュも多数ある。30代後半以上でこれらの漫画をリアルタイムで楽しんでいた人には、チケット代と2時間という時間の投資を惜しむ理由は何もない。事実、Jovianは行こう行こうと思いながらも、チケット予約でいつも後手に回り、嫁さんと二人並んで座れる席の確保に苦労した。そして、実際の劇場も40歳前後か、それ以上のカップルがマジョリティだった。原作ファンならば本作を見逃してはならない。

 

Jovian先生のワンポイント仏会話レッスン

Je t’aime

挿入歌で繰り返しこのセンテンスが聞こえてきた。“I love you.”の意であることはよく知られている。Je t’aime, je t’aime, je t’aime comme ca.のように聞こえたが、だとすればI love you, I love you, I love you like this.の意である。知っている言葉ならリスニングはたやすい。逆に言えば、リスニングできなければ、まだ理解できていないということ。これはおそらくどんな言語を学習していても真理だろう。

 

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『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

Posted on 2019年12月15日2019年12月19日 by cool-jupiter
『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

KESARI ケサリ 21人の勇者たち 65点
2019年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アクシャイ・クマール
監督:アヌラーグ・シン

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インド映画を鑑賞する時、たまには頭を空っぽにして『 バーフバリ 』のようなアクションを楽しんでみたいと思う。なので近所のTSUTAYAで本作をピックアウト。真面目に鑑賞してもそれなりに面白く、アクションだけに注目しても、まあまあ面白い作品であった。

 

あらすじ

1897年、英国領インドの北方、パキスタンとアフガニスタンとの国境地帯。イシャル・シン(アクシャイ・クマール)はイスラム教徒パシュトゥーン人の女性への蛮行を見逃せず、命令違反を犯してその女性を救う。そのため僻地の通信基地、サラガリ砦に左遷されてしまう。そこには通信兵21名と調理人1名のみが配属されていた。一方で、パシュトゥーン人は他部族と連合を組み、1万人規模でのインド侵攻を目論んでいて・・・

 

ポジティブ・サイド

21対10,000という荒唐無稽な史実の戦闘に目をつけたのは面白い。日本で言うならば桶狭間の戦いや立花道雪vs島津および北九州豪族連合軍、それらよりもさらに酷い数的不利での戦いである。つまり結末は見えている。後はどう料理するかである。その意味では、いくらでもドラマチックな演出を施すことができる。本作はボリウッドらしく、荒唐無稽なバトルアクションを練り上げた。

 

まず、砦に立てこもる。当たり前である。そして手当たり次第に迫り来る敵を撃つ。戦略も戦術も作戦も、この規模の数的不利では意味を成さない。撃って撃って撃ちまくるしかない。下手に小賢しい作戦を用いない分、シク教徒の矜持が素直に表れていて分かりやすい。パシュトゥーン人も、作戦らしい作戦もなく烏合の衆が、バタバタと倒れていく。アホである。痛快である。まるで『 スター・ウォーズ 』世界のトルーパーの如しである。それでも彼我の戦力差はいかんともしがたく、ついに門扉は破られる。

 

あの時代、あの地域では近接戦闘では銃器を使わないという暗黙のルールがあるのか、ここからは手持ちの獲物でのバトル・シークエンスに突入する。ここでのアクシャイ・クマール演じるイシャル・シンのアクションは、『 マトリックス 』的であり、ゲームの『 三国無双 』や『 戦国無双 』的であり、韓国映画的でもある。特に高くジャンプしてからの回転切りは韓国ドラマや韓国映画で何千何万回と見たアクションである。これについては、 

1.韓国映画がインド映画を真似ている
2.インド映画が韓国映画を真似ている
3.コレオグラファーが共通の学びの土台を持っている
4.偶然の一致である

などが考えられる。インド人の一番の留学先はやはり英国らしいが、韓国人はソウル大学以外のどこで映画や演劇を学ぶのだろうか。それともソウル大学の教授陣が英国などで学んだ背景があるのだろうか。本作を観ながら、そのような比較文化論も考えてしまった。つまりは、日本のゲームや韓国映画的なデタラメなパワーを、インド映画もやはり持っているということである。『 散り椿 』や『 居眠り磐音 』のような、正統的な剣術も悪くないが、『るろうに剣心 京都大火編 』の左之助vs安慈のようなクレイジーなバトルを邦画でもっと見てみたい。そんなふうにも思わされた。

 

イシャルの人間造形も良い。自らの信念を軍の規律よりも優先し、良き家庭人であり、良き地域人であり、厳しい上官であり、部下への思いやりも持ち合わせている。砦では仏頂面を通しているが、ユーモアを解する心もある。そして敵と味方を人道的に区別できる。つまりはヒーローなのである。これが『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』その人である。このような男になってみたい。

 

少人数で拠点に立てこもるというと、本能寺の変の際の二条城が思い出される。掘りもあって、武家御城とも称され、武器弾薬もたんまりあったであろう二条城に500人が籠城したにもかかわらず、明智勢1万数千の前に一時間で陥落させられたという史実(?)のシミュレーションを本作を通じて行ってみるのも面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

中盤から終盤にかけてのバトルシーンに比して、序盤のイシャルとパシュトゥーン人との闘いは迫力を欠いていた。冒頭の非常に説明的なナレーションと図示的な映像から、さらにインド、ロシア、英連邦なども絡んでの国際情勢と国境の云々を語って、いきなり観る側の眠気を誘うのだから、それを吹っ飛ばすだけの迫力を伴ったアクションが欲しかった。正直なところ、この冒頭のバトルでは近接での殴り合いやチャンバラにスピードやパワーが不足していた。

 

終盤のバトルでも、いくつか不自然な編集が目に付いた。最も残念だったのは背中から出血しているイシャルの格闘シーン。衣服にまだ赤い血がへばりついているショットと、土ぼこりや泥と混じり合った血が完全に乾いているショットが混在していた。デパルマ・タッチやブレット・タイムで撮影しているものだから、余計にそうしたおかしな点が目立つ。これは非常に大きな減点材料である。

 

イシャルは倒れた敵兵は敵兵ではないという慈悲の哲学に忠実であり、ジュネーブ条約の定める傷病者取り扱いの体現者でもある。その一方で、捕虜の取り扱いに関して信じられないほど非人道的な行為も行っている。これは史実なのだろうか。それとも映画オリジナルの演出なのだろうか。いずれにしろ、Jovianはこれを見て『 ハクソー・リッジ 』のデズモンドと日本兵を思い起こした。いくら戦争とはいえ、やってはいけないこともあるはずだ。これによってイシャルのヒロイズムがいくぶん弱められている。

 

21人の兵士が勲章を贈られ、顕彰されたのは当然であるが、サラガリの戦いの英語版のWikipedia記事によると、one civilian employeeがいたということである。これが料理長かどうかの記述はなかったが、デズモンド・ドス的な活躍を見せた彼にも、エンドクレジットで何らかの言及が欲しかった。

 

総評

インドという国の中だけでも複数の民族、複数の言語、複数の宗教が混在しているのに、そこに更に植民地と属国の関係と他国の他部族、他宗教勢力、さらに国境線も絡めたストーリーというのは、極東の島国の我々にはもはり理解不能である。史実や国際政治、紛争史を学ぼうなどという心構えは一切不要である。単純にボリウッドアクションを楽しむか、という気持ちで鑑賞するのが正しい態度である。これは英雄譚であって、ドキュメンタリー的な何かを期待してはいけない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Cock-a-doodle-doo.

鶏の鳴き声、コケッコッコーの英語である。ここからcookという動詞を聴きとるのは、確かに難しいことではない。Cookという動詞とバトルに無理やり関連を見出すなら、俳優のドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンのWWE(WWFと言うべきか)の“If you smell what the Rock is cooking!”を知っていれば、アメリカのオールドプロレスファンと話す時に盛り上がれるかもしれない。

 

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『 パターソン 』 -平凡な男の平凡な日々が輝く-

Posted on 2019年12月12日 by cool-jupiter

パターソン 75点
2019年12月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アダム・ドライバー ゴルシフテ・ファラハニ ネリー
監督:ジム・ジャームッシュ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191212155633j:plain
 

『 マリッジ・ストーリー 』が傑作だったので、アダム・ドライバー作品をさらに渉猟。こちらも良作。映画らしくない映画だが、そこが映画らしいと思えるのはエンターテイナーというよりはアーティストであるジャームッシュの持ち味か。

 

あらすじ

 

バスの運転手のパターソン(アダム・ドライバー)は愛妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)と愛犬マーヴィン(ネリー)と暮らしていた。バスの運転手と変わり映えのしない毎日を送るパターソン。しかし、彼は詩を読むことが日課だった。ある朝、ローラは双子を身ごもった夢の話を語る。その時からパターソンの目には街の様々な双子が映るようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

なんという平々凡々とした日々の繰り返しだろうか。それ自体は映画に限らず、様々な物語の導入部として充分に機能する。しかし、本作は最初から最後まで、ほとんどがパターソンの日常を描写するのみ。それが不思議な心地好さを生み出す。物語には事件がつきものである。そして、主人公は往々にして事件に巻き込まれるか、主人公の持つ背景がその事故の遠因になっているものだ。そうした映画的、物語的文法は本作には存在しない。まるで自分の日常であるかのように、彼の仕事ぶりや家庭人としての姿にリアリティが感じられる。パターソンという男の平穏無事な日常、そこにあるちょっとしたアクセントを存分に観察して堪能してほしい。

 

それにしてもアダム・ドライバーという男は稀有な存在である。大柄できわめて個性的な顔立ちをしていながらも、どんな役にもハマる。『 スター・ウォーズ 』でのカイロ・レンも良いし、『 ブラック・クランズマン 』での警察官役もクールにこなし、『 もしも君に恋したら。 』の悪友役も魅力的だった。本作でも、仕事をきっちりこなし、近所のバーで毎晩一杯やり、バーテンダーや常連客とちょっとした会話をし、妻を抱いて眠り、妻を抱きながら目覚め、白河夜船の妻にキスをする、そんな至って普通の男をこれ以上ないリアリティで演じた。まるで特徴のない男にすら思えるが、さにあらず。彼には詩人としての顔がある。Jovianには詩の何たるかを語る能力が不足しているので、例を二つ引きたい。漫画『 蒼天航路 』で夏侯惇が「こういう日にゃ詩才のないのが腹立たしくなる」とぼやくと、曹操が「続けろ、もう少しで詩になる」と促す。つまりはそういうことである。もう一つの例は詩人ジェームズ・ライトの“It goes without saying that a fine short poem can have the resonance and depth of an entire novel.”という言葉である。「洗練された短い詩一篇には小説一冊分の響きと深みが宿りうるということは言うまでもない」のである。パターソンが書きつける詩の言葉の一つひとつが、変わり映えしない日常の中のアクセントなのである。

 

妻ローラを演じたゴルシフテ・ファラハニもとても愛らしい雰囲気を醸し出している。手作りカップケーキがマーケットで売れたことで大喜びし、その臨時収入で夫とディナーをして白黒映画を観に行く。子どものいない夫婦であれば、特に珍しい光景ではない。しかし、そうした外出を心から喜び、楽しみ、夫に感謝し、人生を謳歌する様を見て、我々アホな男連中は「愛」という感情、そして「結婚」という因習の重みと意義を知るのである。『 ファウスト 』の「時よ止まれ、お前は美しい」ではないが、一つひとつの瞬間に有りがたみを感じられれば、それは素晴らしい人生であり、人間関係なのだ。フーテンの寅さんの言葉を借りれば、「なんて言うかなあ、ほら・・・、はあ、生まれきてよかったなって思うことが、なんべんかあるじゃない。ねえ、そのために人間、生きてんじゃないのか?」である。そうした心構えを実践し、こちらもそうした気分にさせてくれるローラは、妻の鑑である。

 

だが何と言っても、本作を最も輝かせているのはマーヴィンを演じたブルドッグのネリーである。TVドラマ『 まだ結婚できない男 』のタツオには悪いが、演技者としては月とすっぽんである。もちろん、ネリーが月でタツオがすっぽんである。それほど、この犬の演技は本作ではずば抜けている。終盤になって大事件を引き起こしてくれるが、そこに至るまでにも数々の名演技を披露する。特にイスの上から「何だ、テメー、この野郎」的にパターソンを見つめる様は、目の演技としては『 ジョーカー 』のJ・フェニックスに次ぐものであると感じた。

 

終盤、唐突に日本人が登場する。彼とパターソンが交わす言葉、彼がパターソンに贈るものの意味を考えてみよう。パターソンの生活は、一歩間違えればスティーブン・キングが『 ドリームキャッチャー 』で言うところの“SSDD, same shit, different day(日は変わっても同じクソ)”なのである。そうした日々が輝くのは何故か。それは彼が詩人だからである。なんと清々しい物語であることか!!!

 

ネガティブ・サイド

双子以外にも、カップケーキやギターなど、愛妻ローラの言葉を媒介に、パターソンが世界を観察する目を変えていく描写が欲しかったと思うのは贅沢だろうか。それは描かれなかった二週目、三週目の物語だろうか。

 

後は、パターソンがあまりにも普通の男過ぎて、映画に彩り、色が足りなかった。別の女性に話しかけてみたいという欲求があるのなら、それを試してみればよかったのだ。その上で、妻との会話や触れあいでしか得られない満足感や充足感があるのだということを、ほんのちょっと、本当に些細な出来事を通して描くことはできなかったか。しかし、このあたりの塩梅は実に難しい。それをひとつのイベントにしてしまうと物語世界全体のトーンが崩れる。かといって、そうした要素を極限まで排してしまうと観客が眠気を催す。だが、トライをしてみて欲しかったと思うのである。パターソンは、全ての平凡な男の象徴なのだから。

 

総評

アダム・ドライバーという役者のキャリア的には『 マリッジ・ストーリー 』と鮮やかなコントラストを成している作品である。どちらも傑作である。しかし、雨の日の室内デートでの鑑賞にはおそらく耐えられない。既婚で子どもなしという夫婦で鑑賞してみてほしい。いや、むしろTHE虎舞竜の『 ロード 』をカラオケで歌って、一人たそがれるようなオッサンにこそ観て欲しいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Speak of the devil.

「噂をすれば影」の意である。バーのとあるシーンで、女性が呟く一言である。ちなみに中国語では「说曹操,曹操就到」、「曹操の噂をすれば、曹操がやって来る」と言うようである。

 

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『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

Posted on 2019年12月7日2020年4月20日 by cool-jupiter

ラスト・クリスマス 70点
2019年12月7日 東宝シネマズなんばにて感想
出演:エミリア・クラーク ヘンリー・ゴールディング ミシェル・ヨー エマ・トンプソン
監督:ポール・フェイグ

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英国には偉大なシンガーを生み出す土壌がある。『 イエスタデイ 』のビートルズ、なかんずくジョン・レノン、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のフレディ・マーキュリー、『 ロケットマン 』のエルトン・ジョン、そして現代ではサム・スミス。本作はワム!、特にジョージ・マイケルの楽曲で彩られている。上に挙げた歌い手に共通するのは、愛を求めて彷徨ったということだろうか。永遠の名曲“Last Christmas”にインスパイアされた本作も、大きな愛を歌っている。

 

あらすじ

ユーゴスラビアからの移民であるケイト(エミリア・クラーク)は、“サンタ”(ミシェル・ヨー)の経営するクリスマスショップで働きながら、歌手としてデビューすることを夢見て、オーディション参加を繰り返していた。家族と疎遠であるケイトは、友人宅などを泊まり回るも、トラブルばかりで行き先をなくしてしまう。そんな時、店先に現れた不思議な青年(ヘンリー・ゴールディング)と知り合って・・・

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ポジティブ・サイド

名曲“Last Christmas”に新たな解釈を施したエマ・トンプソンに満腔の敬意を表したい。失恋からの立ち直りの歌をこうも鮮やかに再解釈するのかと唸らされた。何をどう解説してもネタばれの恐れがあるので、敢えて類似の作品を挙げるだけに留める。

 

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』

『 イソップの思うツボ 』

『 思い出のマーニー 』

『 勝手にふるえてろ 』

 

パッと思いつくのは、これらだろうか。作品タイトルだけでネタばれになりかねないので、シネフィルな方々におかれては、鑑賞前に上の白字部分を読むのは自己責任でお願いしたい。

 

『 シンプル・フェイバー 』でもヘンリー・ゴールディングを起用したポール・フェイグ監督だが、そのヘンリー・ゴールディングは『 クレイジー・リッチ! 』に続いてアジアのレジェンド女優ミシェル・ヨーと共演。アジア人がメインキャストを占めて、舞台がロンドン、製作国はアメリカというところに、時代の変化を感じざるを得ない。また、主人公がユーゴスラビア移民であること、国際化・多様化が極度に進むロンドンを舞台にしていることにも大きな意味がある。そしてJovianが冒頭でF・マーキュリーやE・ジョンやS・スミスに言及したことにも意味がある。ミシェル・ヨーというマダムがメインキャストを張ることにも意味があるのである。生きるとは、助け合うことであるということを本作は高らかに宣言する。

 

エミリア・クラークは『 ターミネーター:新起動 ジェニシス 』ではウブ、『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』ではウブから百戦錬磨に、本作では逆に百戦錬磨からウブに戻って行く感じがして、非常に健康的な魅力を物語中盤からふりまくようになった。特にスケートリンクでのシーンは『 ロッキー 』でのロッキーとエイドリアンの語らいを彷彿とさせた。

 

小説『 クリスマス・キャロル 』では、スクルージは悔い改め、クリスマスは孤独に過ごすものではなく、家族と過ごすものだと気付いた。本作ではケイトも同じことに気付く。そう、これは家族の物語だったのだ。ケイトが見つけ出した家族とは誰か?それは劇場で確認して欲しい。クライマックスに楽曲と共にもたらされるカタルシスは『 リンダ リンダ リンダ 』のそれに匹敵する。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーが本当の意味で始まるまでに、かなりの時間を要する。また、ケイトのあまりのダメ人間っぷりは、何らかの精神的な疾患もしくは障がいをも疑わせるレベルである。もしくは『 女神の見えざる手 』のスローン女史のような、セックス依存症一歩手前なのかとも考えた。終盤になってこのあたりの事情が明かされるのだが、これは少々アンフェアというか、非常に分かりづらかった。青春の真っただ中を空爆されるユーゴスラビアで恋を知らずに生きてきた反動で、bitchになってしまったのかと思ったが、そういうわけでもない。このへんの見せ方とストーリー上の秘密を、もう少し上手い具合に組み合わせるべきだった。

 

ビミョーにネタばれになるが、“Last Christmas”を一曲まるごと、どこかの場面で歌う、もしくは流してほしかった。『 ロケットマン 』でも“Your Song”がフルで流れることがなかったように、少々フラストレーションがたまる構成である。また、ワム!というよりは、ジョージ・マイケルにフォーカスした楽曲の選定になっているので、ワム!のファンは少々物足りなく感じるかもしれない。

 

総評

ジョージ・マイケルのファンにもワム!のファンにも観て欲しい。彼らのファンではない方々にも観てもらいたい。聖歌ではないクリスマス・ソングとしては、おそらくビング・クロスビーの “White Christmas” に並ぶ知名度の“Last Christmas”を聴いたことがないという人は、日本でも超少数派だろう。ジョージ・マイケルが泉下の人となって3年。この偉大なアーティストへのR.I.P.の念も込めて、是非多くの人にこの物語を味わってほしい。

そうそう、本作をきっかけにユーゴスラビアに興味を持った向きには、米澤穂信の小説『 さよなら妖精 』をお勧めしておく。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エマ・トンプソン, エミリア・クラーク, ヘンリー・ゴールディング, ミシェル・ヨー, ラブロマンス, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

『 マーターズ 』 -監禁拷問の果てにあるものは-

Posted on 2019年12月5日2019年12月5日 by cool-jupiter

マーターズ 65点
2019年12月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:モルジャーナ・アラウィ ミレーヌ・ジャンパノワ
監督:パスカル・ロジェ 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191205171653j:plain

『 ゴーストランドの惨劇 』のパスカル・ロジェ監督の作品で、『 マーターズ 』の方が先発作品である。前々から「やばい映画だ」、「すごい映画だ」とは聞いていた。ホラーは嫌いではないが、拷問ジャンルは好きではない。まして『 ソウ 』の twist を一発で見破ったJovianなのだから、たいした捻りでもないだろうと高を括っていた。それは間違いだった。

 

あらすじ

 

傷だらけの少女リュシーは路上で保護された。彼女は廃墟に監禁され、拷問と虐待を受けていた。施設に預けられたリュシーはPTSDに悩まされながらも、アンナ・アサウェイの介護によって回復していく。しかし15年後、リュシーは自分を監禁していた者たちを見つけてしまう。復讐心に駆られた彼女は、銃を手に取り、アンナと共に彼らの家に踏み込んでいく。しかし、それは更なる悲劇と惨劇の始まりで・・・

 

ポジティブ・サイド

 

血が ドバッ とか ピュー と出るのは別に構わない。そういうのは小さい頃に『 13日の金曜日 』で充分に堪能した。本作は、いたいけな女子がこれでもかと痛めつけられる描写に目を背けたくなる。それだけなら、凡百のホラー映画だろう。本作が際立っているのは、リュシーを痛めつける者が、ビジュアル的かつ精神的に、とてもおぞましい存在であると言うこと。恐怖を感じさせる極意は『 はじまりのうた 』でキーラ・ナイトレイがヘイリー・スタインフェルドに諭したこと、すなわち「肌を見せてはいけない。衣服の下がどうなっているのかを男たちに想像させなければならない」という点に尽きる。その意味では、リュシーにとっての恐怖を、観る側にとっての恐怖と同一視させることに成功している本作は、それだけでも稀有な作品と評すことができる。

 

ところがストーリーはここから思わぬ展開を見せる。まさかの主役交代である。リュシーのパートナーのアンナが、かつてリュシーが経験したおぞましい苦痛の数々を味わうことになる。それは『 デッドプール 』でウェイド・ウィルソンがミュータント変身のために受けた拷問よりも、遥かにフィジカル的に残忍である。特に最終盤は『 羊たちの沈黙 』の行き過ぎたバージョンである。あまりにもおぞましい。デッドプールなら笑えるが、相手は女性である。ここまで彼女に拷問と虐待と苦痛とストレスを与える意味は何か。それがタイトルの『 マーターズ 』の意である。以下、ネタばれになる部分は白字で。

 

本作は映画『 ソウ 』、『 羊たちの沈黙 』にダンテの『 神曲 』と野崎まどの小説『 know 』を組み合わせたものである。アンナがクライマックスに観るビジョンをその目で確かめたら、ぜひこの画像を見てみてほしい。パスカル・ロジェ監督が上に挙げた古典作品をモチーフにしていることは間違いなさそうである。その上で、ラストの一連のシークエンスの意味をよくよく考えてみて欲しい。なぜ念入りに化粧をするのか。なぜ側頭部を撃つのではなく銃口を加えて後頭部を破壊するのか。なぜ「疑い続けなさい」と言い残すのか。いかようにも解釈可能だが、黒沢清の『 CURE 』の和尚の言葉「ありと見ればあり、なしと見ればなし」なのだろう。

 

ネガティブ・サイド

吐き気を催すほどの拷問が繰り広げられるが、後半にアンナをとことん痛ぶる場面は編集の粗が出たか。大柄な男がアンナに拳を振り下ろすシーンとアンナがフロアに叩きつけられるシーンが繋がっていないように感じられたし、アンナ自身も痛みの声と表情は見せても、痛みを体で伝えてはいなかった。WWEのジョバーの仕事を見て、痛いふりをすることと、痛みを観客に分かるように大げさに伝えることは、似て非なるものであると学ぶべし。

 

マドモアゼルが少し喋り過ぎである。いや喋るのは構わないが、明らかに観客に語りかけている。『 ミスター・ガラス 』でもサラ・ポールソン演じる精神分析医がイライジャ・プリンスの説明をご丁寧に観客に説明して白けさせてくれたが、このあたりの語りにも改善の余地がある。

 

後は重箱の隅をつつくようなものである。尿の色が薄い、食べさせられているものや置かれている状況からして量が多いなどの医学的なケチもつけられるし、あのような身体的ダメージを受けて生きていられるはずがない。感染症にかかって、即死亡であろう。もっと言えば、アンナは監禁されていた女性を見つけた時点で警察にすぐに通報すべきだった。だが、かの家の電話は何番にダイヤルしようと全てマドモアゼルの息のかかったところに繋がる・・・などの設定にしておけば、より絶望感が生まれたのではないだろうか。

 

総評

暴力的な描写に耐性が無いのであれば観てはならない。ただのホラーではない。スーパーナチュラルなホラーは大好物だぜ、という向きにもお勧めはできない。『 悪魔のいけにえ 』やそのリメイク『 テキサス・チェーンソー 』を堪能したような向きにこそお勧めしたい。リメイク版の『 フラットライナーズ 』や『 ラザロ・エフェクト 』的なテーマに興味のある向きは、片目をつぶりながら観るべし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語会話レッスン

Mademoiselle

カタカナでは「マドモアゼル」、または「マドモワゼル」だろうか。「嬢」、「さん」に当たる表現である。未婚ではこちら、既婚ではマダムとなる。テニスファンならば、全仏オープンのアンパイアの声に耳を傾けてみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, カナダ, フランス, ホラー, ミレーヌ・ジャンパノワ, モルジャーナ・アラウィ, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:iae, 配給会社:キングレコードLeave a Comment on 『 マーターズ 』 -監禁拷問の果てにあるものは-

『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

Posted on 2019年12月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

アイリッシュマン 65点
2019年12月1日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ロバート・デ・ニーロ アル・パチーノ ジョー・ペシ
監督:マーティン・スコセッシ

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『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』がQ・タランティーノの心の原風景を映画化したものだとすれば、本作はM・スコセッシの心の原風景を映画化したものなのではないか。これが観終わって一番に感じたことである。

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あらすじ

時は第二次大戦後の1950年代。マフィアの台頭と抗争の華やかなりし時代。フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)はマフィアのラッセル・“ルース”・バッファリーの下でヒットマンとして働いていた。彼は頭角を現し、全米トラック組合「チームスター」のトップであるジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の知音となるが、それは更なる暴力稼業の始まりで・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191204014859j:plain

 

ポジティブ・サイド

この映画を私的に表現するなら、(『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』+『 ゴッドファーザー 』+『 ゴッドファーザー PART II 』+『 ゴッドファーザー PART III 』+『 グッドフェローズ 』+『 アウトレイジ 』)÷(『 JFK 』+『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』)だろうか。つまり、懐かしさの中に悪辣さ、悪辣さの中にある懐かしさ、そこに真実を追い求めようとするストーリーであるように感じられたのである。

 

『 ジョーカー 』でも健在をアピールしたロバート・デ・ニーロが、意気軒高、老いて益々盛んな様を銀幕に刻み付けた。タクシー・ドライバー・・・じゃなかった、トラック・ドライバーが何の因果かマフィアの暴力のお先棒を担ぐようになるまでの経緯を、煤けた空の元で重厚に描かれる。一昔前には日本でもデコトラがちらほらと生き残っていたが、確かに『 トラック野郎 』には荒くれ者が多いようである。ただし、“アイリッシュマン”のフランク・シーランには戦争のバックグラウンドがある。戦争であれ抗争であれ、先に撃った奴が有利であることを、この男はよくよく知っている。いったい何人を殺すのかというぐらいに劇中でも殺しまくるが、フランクの狙撃は全てが近距離、それもほとんどゼロ距離で行われる。これは相手の懐に完全に入り込み、確実に命中させ、なおかつ反撃を食らわないという確信がなければできないことである。フランクが殺しの方法論や哲学を語るシーンはないが、それでもヒットマンとしての確立された自己があるということが如実に伝わってくる。稼業が何であれ、仕事人ならばこのようなプロフェッショナルでありたい、そう思わせるだけの迫力がある。ロバート・デ・ニーロ、健在である。

 

アル・パチーノ演じるジミー・ホッファも素晴らしい。チラッと名前を聞いたことがあるぐらいの人物だったが、そのカリスマ的な演説力と行動力、クレイジーなまでの権力欲、律儀にもほどがある連帯意識、破滅に向かっていたとしか思えない自意識は、『 スカーフェイス 』や『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』での演技に並ぶものと評したい。本人は怒り狂っているのだが、その様が意図せざるユーモアになっているシーンもいくつかある。「どのトニーだ?」の問いかけには、笑ってしまうこと請け合いである。

 

ルースを演じたジョー・ペシには、日本でいえば國村隼的な迫力がある。好々爺に見えて恐い。こんな爺さんがボソッと何かを呟いたら、忖度の一つや二つ、誰でもしてしまいそうだ。小柄な俳優が暗黒街の大物を演じることで、無言の圧力や不気味なオーラといった名状しがたい雰囲気が醸し出されている。彼の味方にせよ敵にせよ、関わりのある人間のほとんどがまともな死に方をしていない。そんな彼自身がまともな死を迎えられたのかどうか。観る者の想像に委ねられている部分もあるが、“Ill weeds grow fast.”とは、このような事柄を指すのだろうか。

 

本作は家族のストーリーでもある。より正確に言えば、親子のストーリーである。父が娘に寄せる愛情、そして娘が父に向ける軽蔑の眼差しの物語である。ヒットマンとして数々の殺しを請け負い、様々な犯罪をほう助してきた男も、その内側には人並みの愛情を持っている。アメリカ犯罪史の生き証人でもあるフランクは関係者の全てが鬼籍に入っても沈黙を保ち続けた。しかし、自らの愛情を隠すことはできなかった。何と悲しい男であることか。誰かが自分を訪ねてくるという希望にすがるフランクの姿を、人間らしさの表れと見るか、それとも哀れで孤独な末路と見るか。それはNetflixで確かめるか、もしくはレンタルできるまで待ってから確かめて欲しい。

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ネガティブ・サイド

アメリカ史についてある程度の知識がないと、何のことやら理解が難しい場面が多い。そういう意味でも冒頭に挙げたマフィア、ギャング系の映画のいくつかは鑑賞しておくことが望ましいのかもしれない。マフィア間の抗争や他グループとの抗争、国家権力との闘争など、彼らが現代に残した影響は計り知れない。ボクシングでは、ギブアップの意思表示のためには本来ならタオルは投入しない。それは大昔のことである。正しくは、セコンドがリングサイドに立ってタオルを振るのである。これは、まさにこの映画の描く時代に、自分の側のボクサー(それはギャンブルの対象でもある)がピンチに陥った時に、観客席からタオルを投げ込んで一次的に試合をストップさせてしまう不届き者が後を絶たなかったからである。こうしたチンピラ行為は、今では連邦法で取り締まられる。つまり、FBIに逮捕されてしまう。マフィアやギャング連中の何たるかを、劇中でもう少し詳しく描いて欲しかった。この映画を鑑賞するのはデ・ニーロやパチーノのファンがマジョリティかもしれないが、全員が全員、こうした歴史的背景に詳しいわけではない筈である。実際にJovianも前半はところどころがちんぷんかんぷんであった。

 

その前半のパチーノやデ・ニーロにはデジタル・ディエイジングが施されているが、これが気持ち悪いことこの上ない。『 キャプテン・マーベル 』のサミュエル・L・ジャクソンは普通に受け入れられたが、本作は無理である。特にアル・パチーノが不気味で仕方がなかった。『 アリータ バトル・エンジェル 』のアリータはだんだんと可愛らしく見えてきたが、今作の前半のパチーノは人間が機械的な仮面をかぶって演技をしているように見えて、とにかく気持ちが悪かった。これは何なのだろうか。

 

あとはとにかく長い。漫画『 クロス 』でもハリウッドのプロデューサーであるジャック・ザインバーグが「間にほどよく休憩をはさんだ3時間超の映画を作りたい」と言っていたが、インド映画のようなIntermissionをはさむことはできないのだろうか。それともNetflix映画にはそのような配慮は無用なのだろうか。長さは措くとしても、ペーシングに難がある。ジミー・ホッファが退場してからが異様に長く感じられる。ここからはアクションらしいアクションやサスペンスがなくなり、どちらかというとフランクの内省が焦点になるからだが、このパートだけでも10分は削れたのではないか。もしくは、もう少しメリハリのある作りにできたのではないか。自宅で適度に自分のペースで観ることができるように計算して作られたのかもしれないが、映画の基本は照明にしろ音響にしろ長さにしろ、劇場鑑賞を旨とすべしだと思いたい。

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総評

Netflix映画で、期間限定でミニシアターで公開されている。『 アナイアレイション 全滅領域 』もそうだった。Jovianはこちらはレンタルで観た。今秋、どこの映画館も一律に値上げを行ったが、年間50本を映画館で観るとするなら5000円、100本観れば10000円である。ボディブローのように財布には効いてくるかもしれない。本作を劇場鑑賞して、Netflixなどの配信サービス加入を真剣に考え始めている。アナログ人間のJovianにそう思わせてくれるだけの力のある作品であることは疑いようもない。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That does it.

「 ひどすぎるぞ! 」、「 我慢ならん 」のような意味である。『 デッドプール 』でも、コロッサスに気を取られていたデッドプールがフランシスを逃がしてしまった時に、この台詞を叫んでいた。さあ、仕事や学校で気に食わないこと、理不尽なことがあった時には、心の中で“That does it!”と叫ぼうではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アル・パチーノ, サスペンス, ジョー・ペシ, ロバート・デ・ニーロ, 伝記, 歴史, 監督:マーティン・スコセッシ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

『 キューブ:ホワイト 』 -見つけても借りるな、借りても観るな-

Posted on 2019年12月2日 by cool-jupiter

キューブ:ホワイト 15点
2019年12月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ショーナ・マクドナルド オデッド・フェール
監督:ポール・ラシッド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191202124650j:plain

 

『 パズル 』と同じく、TSUTAYAでタイトルとカバーボックスだけを観て借りる。I was in the mood for garbage. しかし、原題が White Chamber と知ったのは鑑賞後であった。

 

あらすじ

女(ショーナ・マクドナルド)は目が覚めると白い立方体の密室に閉じ込められていた。誰が、何のために?やがて彼女には拷問が加えられる。情報を知らせろと外部からの声は言うが、彼女はその答えに心当たりがなく・・・

 

ポジティブ・サイド

さらりと薬物と戦争の関係に触れているが、これは重要な指摘でもある。軍事や政治、さらには科学までも、密室で行ってはならないという批判が込められているのだろう。

 

後は、この手のシチュエーション・スリラーにしては珍しく、中の人間が結構入れ替わる。外部から内部の密室(的な空間)へ入っていくプロットで近年それなりに面白かったのは『 メイズ・ランナー 』だった。このプロットだけはちょっと斬新だと感じた。

 

また、何を意図しているのか不明だが、催淫剤を使ったり、カニバリズムに走らせる薬剤も登場する。そこらへんのオリジナリティだけは買いたい。

 

ネガティブ・サイド

まずオープニングからして『 Vフォー・ヴェンデッタ 』の二番煎じである。ディストピアを描くのは構わないが、そうした社会状況をもっと適切に描写すべきだし、密室内外の人間関係にもそのことを暗示的にせよ明示的にせよ反映させるべきだ。

 

そもそも重要人物であるザカリアンをクルド人だと言っているが、これはアルメニアの名前だろう。何故そんなことが分かるのか。それはJovianがヴィック・ダルチニヤンやアルツール・アブラハムなどのアルメニアン・ファイターをこよなく愛していた時期があり、アルメニアについてあれこれリサーチしたことがあるからだ。この一点だけを取り上げても、これを作ったブリティッシュの製作陣の意識の程度が分かろうというものだ。

 

総評

『 CUBE 』は文句なしに傑作だった。つられて観た『 CUBE2 』や『 CUBE ZERO 』は珍品だった。勢いで借りた『 キューブ■RED 』は、古畑任三郎のとある数学ネタと同工異曲で、存外に楽しめた。しかし本作は正真正銘の駄作である。見つけても借りない。借りても観ない。これを肝に命じられたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Answer me.

 

「(俺の質問に)答えろ」の意である。日本の学習者が共通して犯す間違いに“Answer to me.”というものがある。動詞の意味に対して、「何を?誰を?」と思えば他動詞、そうでなければ自動詞と解釈するのが自然だが、中には例外がいくつもある。Answerもその一つで、“Answer me.”という形ごと覚えてしまうべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, F Rank, イギリス, オデッド・フェール, シチュエーション・スリラー, ショーナ・マクドナルド, 監督:ポール・ラシッドLeave a Comment on 『 キューブ:ホワイト 』 -見つけても借りるな、借りても観るな-

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