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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 ファースト・マン 』 -宇宙飛行士を生還させた家族の絆-

Posted on 2019年11月28日 by cool-jupiter

ファースト・マン 60点
2019年11月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ライアン・ゴスリング クレア・フォイ ジェイソン・クラーク カイル・チャンドラー
監督:デイミアン・チャゼル

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かんとk 

劇場鑑賞しようと思い、できなかった作品は毎年いくつもある。本作もその一つ。『 アド・アストラ 』は面白さとつまらなさを同居させた作品だったが、静謐な雰囲気のSFを観たいという欲求を蘇らせてくれた。めでたくTSUTAYAで準新作になったので借りてきた。

 

あらすじ

宇宙飛行士のニール・アームストロング(ライアン・ゴスリング)は、飛行訓練に励んでいた。ソ連との宇宙開発競争に後れを取っていたアメリカは、J・F・ケネディ大統領の掛け声の下、人類初の月面着陸を目指していた。しかし、そこには家族との別離の苦悩、経済格差、そして飛行士の命を奪う事故など、問題が数多く存在しており・・・

 

ポジティブ・サイド

ライアン・ゴズリングはやはり当代随一の役者の一人であると感じる。内に秘めた感情を表には出さない。しかし、それを表出する時には、静かに、しかし激しく表出する。『 ドライブ 』で愛しのアイリーンが人妻と分かって意気消沈している時に、以前のクライアントが話しかけてきたのを静かに、しかし力強い脅し文句ではねつけるシーンがあったが、今作でもよく似たシーンがある。そこではさらに孤独感のにじみ出る強い拒絶を見せる。我々は宇宙飛行士と聞くと、肉体は壮健で頭脳は聡明、危機において心を乱さず、統率力も抜群であると思い込みがちである。いや、実際はその通りなのだろうが、そうした超人的な属性を以ってしても、アストロノートも一人の人間であるという事実は変わらない。一人の組織人であり、家庭人であり、社会の一成員であるということである。上司に報告し、同僚と競い合う。そうした意味ではサラリーマンでも共感できるところ大である。また、子どもを失うという例えようもない悲しみを胸に秘めていたり、妻と言い争いになってしまったり、子どもいる前で仕事の苛立ちを爆発させてしまったりと、これまた既婚サラリーマンあるあるを見せてくれる。そうなのだ。これはスーパーヒーローの物語ではなく、宇宙飛行士という国家的英雄の本当の姿を映し出す物語なのだ。

 

『 ブレス しあわせの呼吸 』でもダイアナを好演したクレア・フォイは、普通ではない男と結婚した女性という役がハマるタイプか。漫画『 ファントム無頼 』でも太田指令や西川など、現役パイロットとして常に死の危険と隣り合わせであることから妻に不安を与えていることが描かれていた。戦闘機パイロットでもそうなのだ。まして宇宙飛行士。そして、文字通りに前人未到の月面着陸ミッション。鬼気迫る表情で子どもたちに話すように促すクレアを見て、「母は強し」という格言の意味を再確認した。

 

ラストシーンも趣が深い。言葉はなくともニールの頭の中が、文字通り見て分かるのである。他にもアームストロングのひげの長さでさりげなく時間経過を知らせる演出なども芸が細かい。映像芸術として随所に秀逸な画が挿入されているところが光っている。

 

ネガティブ・サイド

本作はSFと見せかけた伝記映画でありヒューマンドラマである。その点だけを見れば合格点だが、月への飛行および着陸ミッションのスペクタクルが少々弱い。それが本作の眼目ではないにしろ、余りにもその部分を芸術的に描き過ぎている。冒頭の訓練飛行シーンの方がスリリングだった。もっともこれは最初からネタがばれている歴史物の宿命でもあるのだが。

 

荒涼とした月面に初めての足跡を残した時、「人類」という単語をアームストロングは使った。その人類とは、誰なのか。『 アルキメデスの大戦 』や『 風立ちぬ 』と同じく、巨額の税金が国家的なプロジェクトに注ぎ込まれる一方で、その割りを食うのは常に庶民である。黒人が貧しい暮らしを余儀なくされる一方で、白人が月に行く。そのような社会的な矛盾をも背負って月へ飛んだアームストロングが月面から地球を見た時に胸に去来した思いは何であったのか。それは観る者の想像力に委ねられている。しかし『 ドリーム 』でケヴィン・コスナーが、『 インターステラー 』ではマイケル・ケインが、それぞれにフロンティア進出の必要性を語っていたように、アメリカ人(ゴズリングはカナダ人だが)というのはフロンティア開拓を無条件に是とする傾向がある。当時の社会情勢について、アームストロング自身の口から何かが語られていたのは間違いないはずで、それを使うか、あるいは現代風にアレンジして、現代向けのメッセージとして再発信はできなかったのだろうか。このあたりがアメリカ人の楽観的過ぎる気質なのだろうか。何でもかんでもファミリー万歳はもうそろそろ卒業すべきだろう。

 

総評

SF映画ではなく歴史映画、伝記映画、そしてヒューマンドラマである。ZOZOを絶妙のタイミングでほっぽり出した無責任男の宇宙旅行計画あり、民間のスペースポートの開港が間近に迫っているとのニュースもあり、我々は再び月を目指そうとしている。その意味で、人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロングの人生を追体験することは、我々一人ひとりが来るべき未来をシミュレートすることになるのかもしれない。『 アド・アストラ 』や『 メッセンジャー 』など、思弁的なSFが作られる土壌がハリウッドにあるのであれば、誰か水見稜の小説『 マインド・イーター 』をハリウッドに売り込んでくれないだろうか。もしくは日本でアニメーション映画化してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Out of this world

 

直訳すれば、「この世界の外側へ」であるが、実際の意味は「この世のものとは思えないほど素晴らしい」である。記者たちに夫の宇宙飛行について尋ねられたジャネットが当意即妙に“Out of this world!”と答えたシーンから。ジェームズ・P・ホーガンの小説『 内なる宇宙 』でも似たような会話があった。以下、手持ちの本から引用。

“What on earth are you doing here?” Hunt had to force himself to hold a straight face until he had gone through the motions of looking up and about.

“I could say the same about you — except that ‘earth’ is hardly appropriate.”

 

これは宇宙船の中でのジーナとハントの会話である。on earthの使い方が適切ではないのではないか?とEnglishmanのハントがアメリカ人のジーナをからかっている。ホーガンの≪巨人≫三部作も、誰か映像化してくれないものだろうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, カイル・チャンドラー, クレア・フォイ, ジェイソン・クラーク, ヒューマンドラマ, ライアン・ゴズリング, 伝記, 歴史, 監督:デイミアン・チャゼル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ファースト・マン 』 -宇宙飛行士を生還させた家族の絆-

『 国家が破産する日 』 -韓流社会派サスペンスの秀作-

Posted on 2019年11月28日2020年4月20日 by cool-jupiter

国家が破産する日 75点
2019年11月24日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:キム・ヘス ユ・アイン ホ・ジュノ チョ・ウジン ヴァンサン・カッセル
監督:チェ・グクヒ

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国家が破産するとは過激なタイトルである。しかし、現実に国家が破産することはありうる。記憶に新しいところではギリシャだろうか。では、その前は?それはお隣の韓国だった。1997年当時、Jovianは高校生だったためか、韓国のデフォルトに関するニュースは記憶にない。だが、そのために余計なことを考えることなく素直に物語に入って行くことができた。

 

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あらすじ

1997年、韓国銀行の通貨政策チーム長ハン・シヒョン(キム・ヘス)は、国家破産の危機が迫っていることに気付いた。政府は国民に周知せず、極秘裏に対策を進めようとする。一方、金融コンサルタントのユン・ジョンハク(ユ・アイン)は独自にデフォルトの危機を察知、大儲けを企む。町工場の経営者ガプス(ホ・ジュノ)は大手百貨店から大口の注文を受けるも、現金決済ではなく手形決済を受け入れていた・・・

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ポジティブ・サイド

キム・ヘス演じるチーム長がひたすらにクールである。どこか『 シン・ゴジラ 』で尾頭ヒロミを演じた市川実日子を思わせる。相手が上司であろうと上級官僚であろうとIMFの専務理事であろうと、自分の信念に基づいて、言わなければならないことは言う。女性であっても男性であっても、これができる人間は多くない。こうした人物の下で、あるいはこうした人物と共に働ければ、それは果報である。

 

通貨危機を利用して一攫千金を目論むユン・ジョンハクというキャラも面白い。安定した職を文字通りに捨ててしまい、一発逆転の大勝負に出て、見事に大金を手に入れる。しかし、彼がカネと引き換えに失ったものは・・・ 経済の破滅に乗じてひと財産築く話は古今東西によくある話である。近年では『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』がまさにそうだった。『 ゴールド/金塊の行方 』も、ある意味では危機に乗じて大きく儲ける話だと言えるかもしれない。ジョンハクの生き方を見習おうとは思わないが、彼のような野望には憧れるという向きには、上の二作品を勧めたい。

 

町工場のガプスが個人的には最も刺さった。好景気に沸く国、大手の百貨店との大口取引、これで従業員にさらに仕事を提供できるし、妻も働きに出ずに済む。娘の学費の工面もできる。庶民の望みうる幸せに手が届こうかという時に、危機が襲い来る。現金決済。日本のバブル全盛時を経験した世代は、銀行からの借入金を現金で受け取り、商売上の大きな取引においても札束を詰めたスーツケースを持参していたと言う。韓国の事情は分からないが、日本ではようやくキャッシュレスが浸透しつつある。しかし、そこにはユン・ジョンハクの言う“与信”の問題が常につきまとう。日本でもキャッシュレス決済ではなく現金決済の方が安全安心だという声が大きな災害のたびに聞かれる。本作は日本にとって他山の石となるだろうか。

 

本作は『 シン・ゴジラ 』と同じく、超高速会話劇でもある。山場は二つ。パク・デヨン演じる財務次官とハン・シヒョンの丁々発止のやり取り。政府は事態を公表し、国民への被害を最小限に抑えるべしと主張するシヒョン。それをせせら笑うかのように反論を述べる次官の対立では、特にパク・デヨンの憎たらしいまでの演技が冴え渡る。もう一つの山場はIMF専務理事とのホテルの密室でのやり取り。ヴァンサン・カッセルは『 トランス 』に出ていたのを覚えている。IMFからの金融支援の条件として外資による韓国上場企業の株の保有率の上限アップや正規労働者の解雇の容易化と非正規労働者の増加などを淡々と条件として突き付けてくる理事に対し、シヒョンは理路整然と反論する。やはり『 シン・ゴジラ 』の矢口蘭堂の如く、政府上層部や国際機関に対しても毅然とした態度を崩さない。日韓ともに、このようなヒーローを生み出すということは、現実の政治や経済が上手く言っていないことの証明でもある。会話劇でスリルとサスペンスが生み出されるのは、往々にして法廷闘争ものだが、政治・経済系のドラマでもこれができるというのは新鮮な体験だった。

 

最後の最後に映し出される並木通りの摩天楼の何と寒々しいことか。まるで大阪の淀屋橋か本町のオフィス街を観るようだが、そこにあるのはバベルの塔か、それとも砂上の楼閣か。

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ネガティブ・サイド

パク・シヒョンという魅力的なキャラクターの肩書がチーム長であるが、チームとしての強さや見せ場に乏しかったように思う。序盤で各種資料を言われるよりも前に揃え、チーム長に恭しくコートを着せるメンバーたちは確かに頼もしく映ったが、彼ら彼女らの協力や水面下での働きにフォーカスするシーンがあれば尚よかった。

 

ジョンハクの豹変っぷりも理解できなことはないが、元々金融屋として働いていた男である。Jovianも昔々信販会社で働いていたので分かる。血も涙もない人間が出世するのがあの業界である。さらなる儲けの為にそこを飛び出した男に、良心の呵責などを求めるのは無い物ねだりである。ジョンハクという超絶ポジティブキャラクターは、それこそ徹頭徹尾ハゲタカとして描写した方がスカッとしたことだろう。

 

総評

日本でもこのような話を作ってもらいたい。心からそう思える良作である。ぜひ市川実香子を起用して日本版の政治経済サスペンスものを作ろう。二番煎じが何だ。山一証券の破綻を2時間で映画にすべし。監督は『 空飛ぶタイヤ 』の本木克英か、『 七つの会議 』の福澤克雄で。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

ミアネ

 

韓国語で「ごめん」の意である。『 猟奇的な彼女 』で“彼女”が山に登ったキョヌに向かって大声で名前を呼んだ後、涙声で「ミアネ」と呟くシーンのインパクトはあまりにも強烈だ。韓国語は英語よりも日本語話者の耳に馴染みやすいので学びやすい。韓国旅行に行く時は、「~~~チュセヨ」、「ケンチャナ」、「コマウォ」そして「ミアネ」だけ覚えていれば、後は度胸で何とかなる。Jovianが保証する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ヘス, サスペンス, 監督:チェ・グクヒ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 国家が破産する日 』 -韓流社会派サスペンスの秀作-

『 ゾンビランド:ダブルタップ 』 -安住の地とは土地ではない-

Posted on 2019年11月27日2020年4月20日 by cool-jupiter

ゾンビランド:ダブルタップ 70点
2019年11月24日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

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まさかまさかの『 ゾンビランド 』の続編である。リアルタイムでは10年を経ているが、ストーリー上では2~3年という感じだろうか。その中でも、ウィチタの妹のリトルロックが最も変化が大きいのは理の当然である。本作は彼女の成長を契機に始まる。

 

あらすじ

コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)、タラハシー(ウディ・ハレルソン)、ウィチタ(エマ・ストーン)、リトルロックの4人はゾンビを撃退しつつ生き抜いていた。無害なゾンビ、賢いゾンビ、気配を消すゾンビなど、新種のゾンビも誕生する中、コロンバスの独自ルールは72に増えていた。だが、思春期を過ぎたリトルロックは父親面をするタラハシーをあまり快くは思っておらず・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングシーンから笑わせてくれる。レディ・コロンビアがトーチでゾンビをぶん殴るのである。オープニングロゴに細工を施して観客を映画世界に誘うのは、これまでは20世紀フォックスの専売特許だったが、コロンビアもこの流れに乗ってくれた。歓迎したいトレンドである。

 

相変わらずゾンビをぶっ殺しまくっている。デ・パルマ・タッチのスローモーションに『 マトリックス 』のバレットタイムで描くのは、ルーベン・フライシャーが前作から変わらず採用する撮影技法で、こういうものにホッとさせられる。前作と本作がキャラクター以外の面でも地続きになっていると感じられるからである。

 

本作ではリトルロックが家出をする。いや、家といってもホワイトハウスに勝手に住みこんでいるだけなので、厳密には彼ら彼女らの家ではない。しかし、リトルロックの行動は家出以外に表現のしようはない。そのリトルロックを追うウィチタと、それを追うコロンバスとタラハシー。そこで出会う様々な人々とのドラマが本作の肝である。

 

ウィチタといい仲になったコロンバスであるが、基本的な童貞気質は変わっていない。プロポーズとは自分が盛り上がっている時に行うものではなく、相手が盛り上がっている時にするものである。そこのところを分かっていないコロンバスは、ゾンビ世界ではいっぱしのファイターかもしれないが、現実世界ではコミュ症かつ非モテとなるだろう。そこらへんの成長のなさが安心感をもたらしてくれる。

 

今作ではタラハシーにも春らしいものが訪れる。プレスリーをこよなく愛する彼が、女性から“I feel my temperature rising”などと囁かれては、奮い立たないわけがないのである。そして、今作のアクションでも彼が主役を張ってくれる。中盤の似た者同士バトルと最終盤の大量ゾンビとのバトルは見応えがある。特に中盤のバトルはワンカットに見えるように巧みに編集されているが、それによってスリリングさが格段に増している。また最終バトルはまさかの諸葛孔明の八卦の陣とタラハシーのルーツを融合させた、びっくりの作戦である。

 

途中で合流してくるパッパラパー女子がアクセントとして機能しているし、この頭と股がゆるめの女子のおかげで、観客はリトルロックのことを責めるのではなく心配してしまう。ややご都合主義的ではあるが、ゾンビ世界ではこういうキャラが存在しても全く不思議ではない。

 

前作から本作にかけて、この奇妙な4人組は疑似家族を形成するわけだが、それは安住の地を求める旅でもあった。ゾンビという恐怖の存在を、絶対に相容れない他者の象徴だと思えば、なんとなく現実世界とリンクしてくるものもあるのではないだろうか。血の繋がりではなく、育んだ絆の強さ。それが人間関係の根本なのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

コロンバスのルールが増えるのはよいとして、それをしっかり順守しよう。後部座席のっチェックは基本中の基本ではないか。ジェシー・アイゼンバーグ本人もルーベン・フライシャー監督も、スタッフの誰も気付かなかったのだろうか。

 

せっかく新種のゾンビも出てきたというのに、紹介されただけで終わってしまったゾンビもいる。なんと不遇な存在であることか。そのゾンビの名前を知れば、某国の映画ファンは歯痒さを覚えるのだろうか。

 

この世界で本当にゾンビを寄せ付けない楽園を築こうとするならば、バリケードだけでは不足だろう。バリケードの内側に堀を作り、さらに跳ね橋を設置するべきだ。平和主義者のヒッピーらしいといえばらしいのかもれしれないが、よくあれで生き延びることができたなと逆の意味で感心させられた。ゾンビの進化に合わせて、人間も進化しなくてはならない。

 

総評

前作に負けず劣らずのユーモラスなゾンビ映画である。本作からいきなり鑑賞する人は少数派だろう。しっかりと前作を鑑賞した上で臨むべし。そうそう、エンドクレジットが始まっても、絶対に席を立ってはいけない。本作最大の見せ場は最後の最後にやってくるからである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’ve got to snap the f**k out of it.

『 影踏み 』でも紹介したsnap out of itが本作で使われている。リトルロックを追ってウィチタが出て行ったことにいつまでもウジウジしているコロンバスに対して、タラハシーが上の台詞を言い放つ。Fワードが入っているのはご愛敬。このFワードを正しく使えるようになれば、英語中級者でコミュニケーション上級者である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ゾンビランド:ダブルタップ 』 -安住の地とは土地ではない-

『 シャイニング 』 -サイコ・スリラーの名作-

Posted on 2019年11月20日 by cool-jupiter

シャイニング 80点
2019年11月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャック・ニコルソン シェリー・デュバル ダニー・ロイド
監督:スタンリー・キューブリック

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期せずして『 レディ・プレーヤー1 』の核心的な部分のプロットを占め、また公開間近の『 ドクター・スリープ 』のprequelである本作を復習鑑賞するなら、今でしょ!というわけでTSUTAYAで借りてきた。というか原作小説が20年も積ん読状態なのだが・・・

 

あらすじ

ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)は冬季に閉鎖される展望ホテルの管理人の職を得て、妻のウェンディ(シェリー・デュバル)、息子のダニー(ダニー・ロイド)と共にホテルにやってくる。だが、ダニーは「シャイニング」というテレパシー能力と、トニーというイマジナリー・フレンドがいた。そしてホテルでは過去に管理人が正気を失い、家族を斧で斬殺するという事件が起きていた・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングの瞬間から、目に見えない緊張が走っている。それは、仕事を得ようとするジャックの意気込みであったり、あるいはウェンディとダニーの会話であったり、あるいはダニーとトニーの鏡を挟んでの謎めいた対話であったりである。それら全てが不吉なオーラを放っている。このことは狭い室内や車内に家族三人だけというシーンと、巨大な展望ホテル内に大人数のスタッフが働き、客が宿泊しているというシーンと対比させると余計に際立って感じられる。光と影だけではなく、空間や人口密度のコントラストが映えている。

 

何気ない日常の描写の一つひとつが生きている。トランス一家にホテル全体を案内するシーンや、庭園にある迷路を散策するシーン、大広間でひとり仕事に没頭するジャックの絵などが不安を招く。特に玩具の車でホテル内を疾走するダニーの前に現れる双子は、その唐突さ、静寂さ、動きの無さ、そして動きの遅さに人外の気配を感じ取れずにはおれない。

 

そうした中で狂ってしまったジャックの演技は名優ジャック・ニコルソンの真骨頂である。『 バットマン 』におけるジョーカーは「こんな悪党、おらへんやろ」的なキャラであったが、こちらのジャックは「こういう奴はおるかもしれんな」と思わせてくれた。特に、感情の全くこもらない顔と声でダニーに「愛している」と呟くシーン、口角を上げながらも下からねめつけてくるように階段を上って、ウェンディを追い詰めるシーンは称賛に値する。そのウェンディも、余りにも大袈裟すぎる顔芸で恐怖を我々に伝えてくれる。元々大きめな目がさらに見開かれ、悲鳴を上げ続けるしかないクライマックスは、恐怖映画の一つの様式美になっている。

 

そしてダニーを演じたダニー・ロイドは『 シックス・センス 』のハーレイ・ジョエル・オスメント以上の怪演を披露する。個人的には『 エクソシスト 』のリンダ・ブレアに匹敵するパフォーマンスであると感じた。特にトニーと話す時の目つき、顔をやや傾ける仕草、そして人差し指をカクンと折り曲げる動作には、名状しがたい不気味さがある。そして、voice changerを使っているかのようなトニーの声も神経に障るような感覚をもたらす。特に“Redrum”を連呼しながら、反転した文字を書くシークエンスは鳥肌ものである。また、そうした不気味なオーラを放つ子どもが『 アス 』並みの顔芸で驚くのである。これはダイレクトに怖さが伝わる。というか、『 アス 』のこの顔はダニーから来ているのではとすら思えてしまう。

 

本作は後の時代の様々な作品に影響を及ぼした。特に狂気に囚われ、斧でドアを破壊して、不気味な笑みをのぞかせる最も有名なショットは数々の作品でオマージュとなり、パロディにもなってきた。ややマイナーな例を挙げるならば、漫画『 ジョジョの奇妙な冒険 』第三部の敵キャラであるアレッシーの「ペロロロロペペロロペロ~ン」のシーンだろう。また、狂ったジャックが酒を煽るバーのシーンはそっくりそのままSF映画『 パッセンジャー 』で再現された。時代を経てもオマージュが捧げられるのも名作の条件である。

 

その他にも、三輪車を追いかけるカメラワーク、庭園の迷路を行くウェンディとダニーを追いかけるカメラワークなど、巨大な空間にごく少数の限られた人間しか存在していないということを明示するようなショットがふんだんに使われていて、観る者に否応なくある種の予感めいたものを感じさせる。また鏡が重要なモチーフを果たすのは古今東西の映像作品のお約束であるが、その技法を徹底的に追求した最初の作品であるとの評価を本作に与えることもできるだろう。

 

ネガティブ・サイド

シャイニングという能力が何であるのかが今一つはっきりしない。それに終盤にさっそうと再登場してくれるハロラン料理長も、なぜ大声を出して呼び掛けるのか。もちろん、シャイニングでコミュニケーションが取れないからこそ声を出しているわけだが、237号室で何かあったと考えないのか。あまりにも無防備で、あまりにも呆気ない死に様であった。

 

全体的にカメラワークが光るのだが、26:09の時点で、小屋の窓に撮影車両が写ってしまっている。DVDにする時に消せなかったのだろうか。完璧主義者スタンリー・キューブリックにしても、こんなことが起こってしまうのか。

 

ジャックが狂気に侵されていく過程の描写が弱い。劇中ではネイティブ・アメリカンの墓地が云々と説明していたが、それでは普段のスタッフや宿泊客が無事であることの理由にはならない。ホテルそのものが邪悪を孕んでいるということを暗示させるようなシーンや演出が序盤で二つ三つ欲しかった。“All work and no play makes Jack a dull boy.”を一心不乱にタイピングし続けるシーンが数秒だけでもあれば尚よかったはずだ

 

総評

悪霊や超自然的な存在は恐怖の源泉である。しかし、本当に怖いのは人間だろう。しかも、「本当に実在するかもしれないアブナイ人間」が一番怖いように思う。自分もそうなってしまうかもしれないという不安が振り払えないからである。トランス一家の面々の素晴らしい演技、迷路状のホテル内部と敷地内の庭園、この世ならざる双子の娘たちの不気味さ。数学てな計算によって最も恐ろしいホラー映画とされたことには個人的には疑問符がつくが、サイコ・スリラーの名作であることは疑いようもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grab a bite

 

直訳すれば、「ひと噛みを手で掴む」である。転じて、「軽く食べる」という意味である。マクドナルドのハンバーガーなどを思い浮かべればいい。手にとって、パクっとひと噛みする、あのイメージである。「一口じゃ、食べられねーぞ」という突っ込みは無用である。「一杯行くか」と言って、一杯だけで済む酒飲みはいない。英語でもgo for a drinkといって、酒の一杯で済ませる人はいない。Grab a biteも同じである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, アメリカ, サスペンス, ジャック・ニコルソン, スリラー, ホラー, 監督:スタンリー・キューブリック, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 シャイニング 』 -サイコ・スリラーの名作-

『 盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 』 -インド発のサスペンスフル・ブラックコメディ-

Posted on 2019年11月18日2020年4月20日 by cool-jupiter

盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 75点
2019年11月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アーユシュマーン・クラーナー タブー ラーディカー・アープテー
監督:シュリラーム・ラガバン

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Jovianはインド映画にはまりつつある。そこで『 マッキー 』と『 ロボット2.0 』ではなく、こちらに賭けた。その勘は当たっていたように思う。これも相当なエンターテインメント性を備えた作品である。

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あらすじ

アーカッシュ(アーユシュマーン・クラーナー)は盲目を装ったピアニスト。偶然に知り合ったソフィ(ラーディカー・アープテー)の店でピアノ演奏をしていたところ、スター俳優のプラモードに結婚記念日に妻にサプライズ演奏をしてほしいと依頼される。しかし、アーカッシュがそこで見たものは、プラモードの妻シミー(タブー)と間男、そしてプラモードの死体だった・・・

 

ポジティブ・サイド

まず音楽と歌が良い。『 イエスタデイ 』と同じく、主人公が歌って楽器を演奏するのだが、歌唱も演奏のクオリティも同じくらい高い。もちろん、演奏はプロのそれの差し替えだが、インド映画の魅力の一つは歌と踊りで、本作には踊りの要素がほとんどない。代わりに、序盤の歌はかなりのりやすいポップなもので、アーカッシュとソフィの関係の芽生えを素直に応援したい気持ちにさせてくれる、これが中盤および終盤のtwistに作用してくる。脚本家は手練手管を心得ている。

 

アーカッシュの嘘がばれる瞬間がいつになるのかについてもサスペンスが持続する。もちろん、プロット上、それがばれるのは時間の問題なわけで、問題は「いつ」と「どのように」である。「いつ」に関しては良いタイミング、「どのように」に関してはまあまあ納得できるレベルである。序盤の絶対にウソがばれてはいけないタイミングで、とあるスキットを挿入することで、アーカッシュの暴走暴発を予感させてくれる。嘘を暴こうとする側と嘘をばらしてしまう側という、二重のサスペンスを生み出している。のみならず、そのことが途轍もないブラックユーモアにもつながっている。悪人同士の息詰まる駆け引きに手に汗握ることができる。

 

映画の世界では警察は必ずしも信用できないというのは最早お約束であるが、インド映画でもそのことは踏襲されている。本作を面白くしているのは、その他の人々も同様に信用できないことだ。そうした悪人だらけの世界においても、シミーの狡賢さと悪辣さは群を抜いている。まさに「憎まれっ子、世に憚る」である。“Ill weeds grow fast.”である。悪人同士の対決は、ここまでやるかと思わせてくれるところにまでエスカレートする。収集がつかないだろうという地点に達した時、思いもかけぬデウス・エクス・マキナが現れる。なるほど、ここでこう来たかと思わせてくれる。この脚本家は良い意味で滅茶苦茶である。このタイミングなら、この荒唐無稽さも受け入れられる気がしてくるのである。

 

様々な事柄に説明を与えつつも、物語は極めて鮮やかに不鮮明なエンディングを迎える。あのシーンは意図的なのか、それとも“事故”なのか。まるで『 ゴールド/金塊の行方 』のラストのマシュー・マコノヒーの笑顔のような怪しげな両義性を持っている。この余韻はなかなかに味わい深い。

 

エンディングのクレジットでも席を立たないように。数々の映画のピアノ演奏シーンを一挙に鑑賞させてくれる。これは監督からのほんのちょっとした心付けであろう。じっくりと堪能しようではないか。

 

ネガティブ・サイド

子どもの無邪気さは時に残酷さになる。が、それが純粋な無邪気さなら良いが、金欲しさゆえの行為であることには正直なところ、虫唾が走った。登場する主要な大人キャラクターはほとんど皆が悪人なのだから、子どもぐらいは子どもらしく描いて欲しかった。

 

インド映画は始まるまでの提供会社や配給会社の紹介が延々と続くのが常であるが、本作ではそれが殊更に長かったように感じた。『 バーフバリ 伝説誕生 』のそれよりも遥かに長く感じた。これは如何ともしがたいのだろうか。

 

ウサギのCGが今一つであった。『 空海 KU-KAI 美しき王妃の謎 』の化け猫と同程度のクオリティだった。『 バーフバリ 伝説誕生 』の牛ぐらいのリアリティを目指すべきであった。

 

総評

盲目をテーマにした作品としては『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』には劣るものの、『 ブラインド 』や『 見えない目撃者 』とは甲乙つけがたいほどの面白さである。ぜひ劇場で鑑賞しよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

By accident.

 

ソフィがアーカッシュとの出会いを説明する時の台詞である。「偶然に」、「偶発的に」という意味であるが、文字通りに解釈すれば「事故により」となる。この副詞句を一語にしたaccidentallyもそれなりに使う語なので覚えておいて損はない。“Dammit, I accidentally deleted a very important email!”などのように使える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アーユシュマーン・クラーナー, インド, サスペンス, タブー, ラーディカー・アープテー, 監督:シュリラーム・ラガバン, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 盲目のメロディ インド式殺人狂想曲 』 -インド発のサスペンスフル・ブラックコメディ-

『 ボーダー 二つの世界 』 -北欧ダーク・ファンタジーの傑作-

Posted on 2019年11月16日2020年4月20日 by cool-jupiter

ボーダー 二つの世界 80点
2019年11月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エバ・メランデル エーロ・ミロノフ
監督:アリ・アッバシ

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Jovianはライトな映画ファンではないが、シリアスな映画ファンとまでは言えない。何故なら、アメリカ映画かぶれだからである。もちろんインド映画も観るし、韓国映画やフランス映画も観る。近年ではレバノン映画にも興味が湧いてきている。しかし、北欧(と一括りにすることの愚は承知しているが)の映画には、あまり積極的に関心を払ってこなかった。その認識は今後改めようと思う。友人に北欧映画好きがいるが、自分もやっと北欧の映画の良さが分かってきた気がする。

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あらすじ

特異な容貌の税関職員ティーナ(エバ・メランデル)は、人間の感情を嗅ぎ分けることができる。ある日、港に自分と同じような容貌の人物ヴォーレ(エーロ・ミロノフ)と邂逅する。それ以来、ティーナは自らのアイデンティティを見つめるようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

これは大人の映画である。R-18指定なのだから、アダルトな展開があるんでしょ?と思わせて、実は違う。映画の演出やメッセージが大人向けということである。かといって、その大人というのは年齢で区切れるようなものでもない。ごく簡単に言えば、映像や音からメッセージを汲み取れることができるかどうかが、大人と子どもの境目であると言えるだろう。

 

ティーナの職務への精勤ぶり、自身の特異な能力の活かし方、周囲の人間との近くも遠くもない距離、同居しているローランドとの近くて遠い距離、認知症を患いつつある父親との距離感、森に棲む野生動物との近しさ、そして自分と同じ特異な容貌のヴォーレとの関係が、説明的な台詞がほとんどないままにスクリーンに映し出されていく。この心地好さよ。役者の演技、監督の意とする演出が高次元で融合したからこその成果。素晴らしい。

 

ティーナおよびヴォーレの関係は、最初は警戒から始まり、それがある時に狂おしいまでの激情に身を任せた、まさに言葉そのままの意味での獣のような交わりに至る。このシーンは、とてつもなくグロテスクでエロティックだ。『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』の冒頭でエル・ファニングがキノコを採取していたが、本作でもティーナがキノコを採集する場面がある。なるほど、これは心憎い演出であり、前振りである。

 

ティーナとヴォーレが二人、裸で森の中を駆け巡るシーンにはえもいわれぬ爽快感がある。本当の自分、そして自分の理解者、そして自分を排除しようとする人間もおらず、自分を優しく包み込んでくれる土壌や木々に囲まれていることの幸せを全身で表現していることが分かる。木々の間を縫って駆けて行く名シーンと言えば、『 七人の侍 』の三船敏郎だろう。ティーナとヴォーレが裸で無邪気に走る様に、何故か世界のミフネが思い起こされた。

 

ティーナのアイデンティティとヴォーレの秘密が交錯する時、世界は引き裂かれる。ボーダーラインがそこに引かれる。このダーク・ファンタジーが意味するものは、単なる人類批判、文明批判にとどまらない。異質な存在を受け入れることの難しさと、それを実行する一つの方法を提示する本作は、『 マレフィセント2 』のラストシーンに通じるものがある。二つの王国が融和するには、王子と王女の結婚が必要である。もっと言えば、王子と王女が子を持つことが求められるだろう。もしくは『 亜人 』を思い浮かべてもよい。迫害する側と迫害される側、その立場は逆転するのか、しないのか。最初のショットと最後のショットのコントラストが、実に複雑な余韻を観る者に残す。人間は寄生虫なのか。生きるとはどういうことなのか。現代的な問いと普遍的な問いを高次元で融合させた傑作映画に仕上がっている。

 

ネガティブ・サイド

ヴォーレとティーナのピロートークだけが物語から浮いている。ここだけが、説明的な台詞のオンパレードで興醒めしてしまった。語るのではなく、見せる。それによって、観客に想像させることが、この監督にはできるはずなのだ。重要なところだけ変に丁寧に説明するのではなく、全体のトーンを保つことを考えてもらいたかった。

 

ローランドの飼っている犬がティーナに吠えるシーンを、もっと丁寧に作っても良かった。大きな声で吠えまくる犬が、ティーナと同じフレームに決して入らないのは、最初は許せても、最後には違和感を覚えるほどになった。動物に演技指導をするのは難しいが、そうした絵作りにもトライをしてほしかったと思う。最初のキツネのシーンも同様である。

 

総評 

何とも形容しがたい作品である。爽快感がある一方で、疲労感や嫌悪感も残してくれるからである。ただし、そうした二律背反するような感想を抱かせる作品はなべて傑作である。優れた作品は、語り=discourseを刺激する。何かを語りたくなる映画の今年のナンバーワンは『 ジョーカー 』だろうが、ナンバーツーは本作ではあるまいか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why should it be like that?

 

ヴォーレがティーナに語る「誰が決めた?」という台詞の私訳である。いや、正確には『 グーグル ネット覇者の真実: 追われる立場から追う立場へ 』で、グーグル創業者のペイジとブリンの二人の口癖が「誰が決めたんだ?」であるという記述がある。そして、その原書“IN THE PLEX”によると、「誰が決めたんだ?」は“Why should it be like that?”だったのである。逐語訳も大切だが、意訳はもっと大切である。まずはプロの真似から始めよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, エール・ミロノフ, エバ・メランデル, スウェーデン, デンマーク, ファンタジー, 監督:アリ・アッバシ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ボーダー 二つの世界 』 -北欧ダーク・ファンタジーの傑作-

『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』 -結末が要改善の恐怖映画-

Posted on 2019年11月15日 by cool-jupiter

ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 60点
2019年11月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーティン・フリーマン アンディ・ナイマン
監督:ジェレミー・ダイソン アンディ・ナイマン

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シネ・リーブル梅田でタイミングが合わず見逃してしまった作品。海外のレビューでは結構評判がよかったので、TSUTAYAで借りてきた。ジャンプスケアばかりのアメリカのホラー映画とは異なり、人間の心の分け入っていくところが英国流か。

 

あらすじ

心理学者のグッドマン(アンデイ・ナイマン)はインチキ霊能者の嘘やイカサマを暴いてきた。だがある時、彼の憧れの存在であり、疾走していたキャメロン博士よりコンタクトを受ける。曰く、「この3つのケースは説明が付けられない」と。グッドマンは3人それぞれのインタビューに向かうが、彼はそこで不可思議な体験をすることになり・・・

 

ポジティブ・サイド

久しぶりにまともな副題が付されている。“英国幽霊奇談”とはなかなかに洒落ている。もっともこうでもしないと『 A GHOST STORY ゴースト・ストーリー 』と区別がつけにくくなるという事情もあるのだろうが。

 

大きな音や視覚的に不穏な表現を使うことで怖がらせよう、いや、驚かせようとするシーンが少ない。これは良いことである。恐怖とは受動的に感じさせられるものと、能動的に感じてしまうものとがある。本作が追求しようとしているのは後者である。これは一体なんなのか。何が起きたのか。どのように起きたのか。何物がそれを引き起こしたのか。何故それが引き起こされたのか。こうした次々に湧いてくる問いに、答えを示唆するものもあれば、完全に受け手の想像力に委ねてくるものもある。その塩梅がちょうどよい。そして、その塩梅の良さがそのまま結末への伏線になっている。ジェレミー・ダイソンとアンディ・ナイマンの二人はかなりの手練れである。

 

「脳は見たいものを見る」というのは、定期的に話題になる。Jovianがよく覚えているのはこの画像である。コロッと騙された覚えのある男性諸氏も多かろう。本作の投げかけるテーマは、この画像のようだと思ってよい。見えないものは見えないし、見えたとしてもそんなものは子供騙しだと退ける。人間の心理とは斯くのごとしである。これを言ってのけるのが心理学者であるというところが味わい深い。また、心理学に造詣の深い向きならば「行為者-観察者バイアス」を念頭に本作を鑑賞するとよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

この結末は賛否両論を呼んだことだろう。Jovianは否である。それは恐怖の余韻をぬぐい去ってしまうからではなく、恐怖の根源が説明できてしまうからである。ネタばれになるので何も書くことができないが、この結末は「脳は見たいものを見る」ということの恐ろしさを伝えるものではない。いや、伝えてくれてはいるものの、この手の結末は小説などで散々使いまわされてきた。ここをもう一捻りするか、あるいは結末部分の3分間をデリーとすることも考慮するべきだったように思う。

 

3つのケースの怪異の描き方にも改善の余地がある。特に2人目のケースでは、「木」はパートは無用である。というよりも、これで恐怖感を煽るとするならば島田荘司の小説『 暗闇坂の人喰いの木 』以上のおどろおどろしさを演出する必要がある。このあたりに英国の幽霊譚の限界があるように感じた。もちろん、比較文化論的な意味であって、絶対的にそうであるというわけではない。Jovian一個人の感想である。

 

総評

もっと面白く作れたのではないかと思えてしまうのは文化の違いだろうか。ただし、ジェームズ・ワンの手掛ける虚仮脅し満載のギャグと紙一重のホラー映画とは異なり、人間の心理の単純さと複雑さ、そこを探索しようとしたことには一定の意義が認められるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Certainly not.

 

「生き物を殺したことはあるか?」と問われたグッドマン教授の返答である。“No.”の一言ではぶっきらぼうである(口調や表情にもよるが)。“Certainly not.”というのは、かなり丁重な表現である。類似の表現をフォーマルからカジュアルに並べると

 

Certainly not. > Definitely not. > Absolutely not.

 

となる。これは肯定形にしても、つまりnotを取り除いても同じである。ビジネス・シチュエーションで顧客や上席に返事をするときは“Certainly.”や“Certainly not.”を使うようにすべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アンディ・ナイマン, イギリス, ホラー, マーティン・フリーマン, 監督:アンディ・ナイマン, 監督:ジェレミー・ダイソン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』 -結末が要改善の恐怖映画-

『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』 -瞬間を切り取る芸術家の苦悩-

Posted on 2019年11月14日2020年4月20日 by cool-jupiter

永遠の門 ゴッホの見た未来 70点
2019年11月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウィレム・デフォー オスカー・アイザック ルパート・フレンド マッツ・ミケルセン
監督:ジュリアン・シュナーベル

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『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックがアカデミー賞主演男優賞を受賞したのは記憶に新しいが、その時のノミニーの一人がウィレム・デフォーだった。ゴッホに関しては「キモイ絵を描く画家」という認識しかなかったが、本作を観て自分の直感の正しさと、自分の芸術感の皮相さの両方を感じたい次第である。

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あらすじ

売れない画家のゴッホ(ウィレム・デフォー)は、ゴーギャン(オスカー・アイザック)という知己を得て、「南に行け」との助言を得る。南仏アルルで創作活動に励むも、周囲には彼の作品は理解されず・・・

 

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ポジティブ・サイド

Jovianをはじめ、芸術に関して特に詳しくない一般人からすれば、ゴッホといえば「ひまわり」と「自画像」だろう。『 コズミックフロント☆NEXT 』を熱心に視聴する天文ファンなら「星月夜」も挙げられるだろう。その程度のライトな芸術の知識しか持たない者にとっては芸術学概論、絵画概論的な役割を果たしてくれるだろう。景色や人物の最も美しい瞬間を、巧みで素早い筆使いでキャンバスに再現していくことは、確かに一瞬を永遠に置き換えていく作業のように感じられた。

 

今作のカメラワークは独特である。しばしばゴッホ自身の目線で風景や動物、人物を捉え、また自身の足元をも捉える。そしてその視線は常に空へと向けられる。『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』や『 君の名は。 』ではないが、ゴッホがブルーアワーや黄昏時、逢魔が時のような短時間だけしか存在できない時間と空間の体験を切に追い求めていたことがよく分かる。

 

ゴッホの自然観や審美眼が独特、別の言い方をすれば異端的であったことが、彼が美術館を訪れるシーンでよく分かる。我々は芸術を、中学校の美術や高校の世界史的に捉える傾向がある。すなわち、この時代のこの地域の画家の筆致にはこのような特色があり、あの時代のあの地域の画家の筆致にはあのような特徴がある、という分類整理された見方をしがちである。ゴッホは芸術をカテゴライズすることなく、自らの信念によって規定した。それが彼の見た未来、すなわち現代だろう。個々人がそれぞれに美しい、あるいは表現したいと信じるものを表現していくことが現代の芸術であるならば、「あいちトリエンナーレ2019」の騒動を見る限りでは、日本の芸術は危機に立っている。

 

広い草原にある時は佇み、ある時は寝ころぶゴッホは、とても孤独である。その孤独が彼の創作を手助けしている。一方で彼は弟のテオ以外に頼れる人間がいない。ゴーギャンとは知己ではあっても知音にはなれなかった。現代風に言うならば「コミュ障」であるゴッホの創作への没頭と充実した人間関係の渇望のコントラストは悲しいほどに鮮やかである。そして、マッツ・ミケルセンによる言葉そのままの意味での“説教”は、信念と信念の静かなぶつかり合いである。生き辛さを感じた時には、マッツ・ミケルセンを思い起こそう。ほんの少しだけそう思えた。

 

ゴッホとほぼ同時代人に生の哲学者ニーチェがいるが、彼の「永劫回帰」理論は、ともすれば虚無主義に陥る諸刃の剣である。それを乗り越えられるのが「超人」であり、あるいは絵画や彫刻といった芸術なのだろう。ゴッホはシェイクスピアを愛読していたようだが、それならばゲーテを読んでいたとしても何の不思議もない。彼も『 ファウスト 』に触発され、「時よ止まれ。お前は美しい」というメッセージを絵画という形で我々に発してくれたのだろう。

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ネガティブ・サイド

劇中でとある女性が「誰も彼もが根っこを描いて/書いて(?)」と口にするシーンがあるが、これは何だったのだろう。J・P・サルトルの『 嘔吐 』を思い浮かべたが、時代が異なる。かぶらない。なんだったのだろうか。説明が欲しかった。

 

ゴッホが冒頭のモノローグで望むものが手に入らない、手に入れられないというシーンが欲しかったと思う。ゴッホは芸術の観点からは永遠を見つめ、思想の面ではある意味で未来を、つまり現代を見つめていたわけで、サルトルの言う「地獄とは他人のことである」という思想、そして栗山薫の言う「我々がそれでも求めるものは他者」という思想の、その両方を体現する者としての姿をもっと見せて欲しかった。

 

ゴッホの晩年以外の描写もあれば、introductoryな映画としての機能も果たせただろうと思う。おそらくゴッホおよび芸術全般に詳しくない人間には理解が及ばず、ゴッホおよび芸術全般に造詣が深い人間には物足りない作りになっている。そのあたりのバランス感覚をジュリアン・シュナーベル監督には追求して欲しかった。

 

総評

芸術的な映画である。分かりやすい映画的なスペクタクルは存在しないが、光と闇が混淆する一瞬を切り取り、キャンバス上に再現しようとする芸術家の苦悩は確かに伝わってくる。また人間関係に悩む人に対して、何らかのインスピレーションを与えてくれることもあるだろう。ゴッホのように生きるか、あるいは彼を反面教師にしても良い。デート・ムービーには向かないが、じっくりと一人で映画を鑑賞したいという向きにはお勧めできる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Leave me alone.

 

かのダイアナ妃の最後の言葉ともされる。「一人にしてくれ」の意である。プライバシーが必要な時も必要であるが、この台詞を吐けるということは、その人の周りには誰かがいるのだということの証明でもある。『 タクシードライバー 』のトラヴィスの“Are you talking to me?”とは、ある意味で対極の台詞なのかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, ウイレム・デフォー, オスカー・アイザック, フランス, マッツ・ミケルセン, ルパート・フレンド, 伝記, 監督:ジュリアン・シュナーベル, 配給会社:ギャガ, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』 -瞬間を切り取る芸術家の苦悩-

『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

Posted on 2019年11月13日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

ターミネーター ニュー・フェイト 50点
2019年11月9日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:リンダ・ハミルトン アーノルド・シュワルツェネッガー マッケンジー・デイビス ガブリエル・ルナ
監督:ティム・ミラー

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T2の正統的な続編であると散々喧伝されてきた。Jovianは『 ターミネーター 』を親父の持っていたVHSで小5ぐらいに観た。『 ターミネーター2 』は小6の夏休み明けに家族で劇場で観た。両作とも文句なしに傑作だった。では本作はどうか。Twitter界隈や多くの海外レビューにある通り、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』そっくりであった。

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あらすじ

審判の日は回避された・・・はずだった。しかし、メキシコに暮らすダニー(ナタリア・レイエス)の元にターミネーターREV-9(ガブリエル・ルナ)が未来から襲来。また、それを阻止すべく強化人間のグレース(マッケンジー・デイビス)も未来からやってくる。さらに追い詰められた彼女らの元に、サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)が姿を現し・・・

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ポジティブ・サイド

20世紀FOXがまたやってくれた。『 ターミネーター2 』のサラの狂気溢れる語りが、製作・配給・提供会社らのロゴを交えたオープニングシーンと混ざり合い、何とも不思議な感覚を生み出している。『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』、『 アリータ バトル・エンジェル 』など、オープニングから物語世界へとシームレスに移行していく試みは歓迎したい。ディズニーのやり方に思うところが無いわけではないが、『 スター・ウォーズ 』の世界観を壊さないオープニングや、20世紀FOXのオープニングの工夫を尊重してくれていることは素直にありがたい。

 

冒頭の若いサラとジョン、シュワちゃん演じるターミネーターのシーンは、最初はT2本編からの削除シーンをあれこれといじくったのかと思ったが、体は別の役者、顔だけCGで貼り付けたという。まるでT4のようであるが、これはこれでありだろう。全ての映画で『 ジェミニマン 』的な手法を取り入れては、カネがいくらあっても足りない。

 

今作はアクション開始までの時間が短い。あれよあれよとREV-9の襲撃とグレースの護衛ミッションが始まる。そのアクションはT3以上である。ボディの一部を刃物状に変化させるのは新型ターミネーターのお約束になりつつあるが、そのターミネーターとのチャンバラ的にやり合う序盤と終盤のシークエンスは手に汗握ること請け合いである。またクレーンに吊るされたT-800がビルに叩きつけられのとは違い、グレースは強化人間である。つまり、傷=ダメージである。そのことがアクションシーンに更なるサスペンスを生み出すことに成功している。

 

そして何と言ってもリンダ・ハミルトン、そしてアーノルド・シュワルツェネッガーとの再会には感慨深いものがあった。それはまるで『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』でハン・ソロが“Chewie, we’re home.”と呟く瞬間であったり、もしくはキャリー・フィッシャーの登場に合わせての“Prince Theme”の流れる瞬間であったり、ルークの登場シーで流れる“The Force Suite”だったり、あるいは『 クリード 炎の宿敵 』のトレーラーがDragoというネーム入りのガウンを見せた瞬間、もしくは『 ブレードランナー2049 』でデッカードが登場した瞬間のような、ノスタルジックな気持ちにさせてくれた。特にリンダ・ハミルトンは、戦う姫のプリンセス・レイア、戦う航海士リプリーと並んで、戦う母親像を本作でさらに solidity したと言える。そしてマッケンジー・デイビスの華麗なる変身の何と見事であることか。『 タリーと私の秘密の時間 』でも素晴らしい余韻を残してくれたが、今作では女戦士として見ごたえあるアクションを披露してくれた。

 

全体的には、ノスタルジーに浸るには良い作品に仕上がっていると言えるだろう。

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ネガティブ・サイド

まず、製作総指揮のジェームズ・キャメロンは何をやっているのか。あまりにも過去の作品からのアイデアの流用が多すぎる。と同時に、シリーズの原点を見失ってしまっているようにも感じられる。

 

まずターミネーターという悪役にしても味方にしても味のあるキャラクターの最大の恐怖であり魅力は、文字通り「鉄の意志」で任務を遂行しようとする姿勢にある。T2のターミネーターにあった融通の利かなさ、それは例えばジョンに「片足を上げろ」と言われて、いつまでも上げ続けるところや、「人間を殺さない」という誓いを立てた次の瞬間に発砲し、慌てふためくジョンに「死なないよ(He’ll live.)」と事もなげに言い放つところが、ターミネーターの見た目は人間でも中身はロボットという事実をこの上なく物語っていた。そうしたキャラが涙の意味を理解し、従容としてthumbs-upをしながら溶鉱炉に沈んでいくからこそ、感動が生まれたのではないか。本作はそうしたT-800の魅力の半分を奪い取ってしまっている。メカメカしかった動きをすることなく、犬がなつくT-800には激しい違和感を覚えた。スカイネットが自我に目覚めるならば、T-800が自我に目覚めてもおかしくはない。理屈の上ではそうだが、あまりにも現代的なメッセージを無理やり詰め込んだようにしか思えなかった。そもそもこのT-800ネタもT3から来ている。

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いや、冒頭の工場でのバトルからその後のカーチェイスまで、T1、T2、T3で観たアングルやショットのオンパレードである。オリジナルな要素があまりにも少ない。そもそもREV-9というターミネーター・モデルにしても、T3のクリスタナ・ローケンと『 ターミネーター:新起動/ジェニシス 』でのMRIとターミネーターの構図が元ネタであることは想像に難くない。というか、ここまで過去作のモチーフを取り入れるのなら、なぜ味方キャラのいずれかに変身・擬態しないのか。ジェネシスですでにやった?ここまで二番煎じを恥じる必要はないだろう。そもそもジェニシスでも一番盛り上がったのは若アーノルドと老アーノルドの激突だった。ここまで過去作へのオマージュを散りばめるのなら、徹底してやるべきだった。REV-9へのトドメもT3のネタをほぼそのまま流用していたので、尚更にそう感じる。

 

ストーリー上の齟齬も散見される。ダニーとグレースに「あんたらは現代を知らない」と一喝しておきながら、ドローンや衛星を考慮に入れないサラ・コナーに喝!『 デスノート Light up the NEW world 』ではないが、細心の注意を払うのならばサングラスにマスクぐらい着用しろと言いたい。それに、二体に分裂するターミネーターの片方にバズーカを一発命中させたぐらいで余裕かまして“I’ll be back.”はないだろう。呑気すぎるし、あまりにも緊張感に欠ける。この決め台詞はもっと別の場面に取っておくべきだった。

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強化人間グレースに弱点を設定する意味もない。設定するならば梅原克文の小説『 二重螺旋の悪魔 』の神経超電導化のような超反射神経、超運動神経、超回復力で、エネルギー効率が超絶悪い=すぐに水分および栄養分不足に陥るぐらいでよかったのではないか。せっかくの女性版カイル・リースなのだから、人間の人間的な部分、ターミネーターと根本的に異なる部分を前面に押し出すべきだっただろう。中途半端な改造強化人間にしてしまったせいで、T4のマーカス・ライトが反転したようなキャラになってしまった。

 

あとはシュワちゃんがたんまり溜め込んだ武器の使いどころがない。T2で、サイバー・ダイン社の爆破時にT-800が警官隊をサラが収集していた武器の圧倒的な火力で蹴散らしたようなシークエンスを期待したが、それも無し。このシリーズの様式美として、圧倒的な火力の放出があるのだが、それが不十分だった。アクションは足りていた。火力が足りなかった。

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総評

期待にしっかりと答えてくれている面とそうでない面が両極端に綺麗に分かれている。ド派手なアクションを期待する向きにとっては最高の作品だろう。だが、これは凡百のアクション映画ではない。ターミネーターなのだ。シリーズの定跡や様式美を受け継ぐことは当然のこととして、T1やT2を超えてやろうという気概こそが求められていたはずだ。結果としてそれが成し遂げられなくても構わない。そのチャレンジ精神は観る者に伝わる。だが、本作はティム・ミラー監督とジェームズ・キャメロンのケミストリーが、良くない結果につながっているように感じられる。

 

Jovian先生のワンポイントスペイン語レッスン

Vamos.

スペイン語で頻繁に用いられる言葉。英語にすると“Come on.”であったり、“Let’s go.”だったりする不思議な表現である。リーガ・エスパニョーラ、あるいはメキシコのボクシングを観戦するという人ならば、馴染みの深い言葉だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アーノルド・シュワルツェネッガー, アクション, アメリカ, ガブリエル・ルナ, マッケンジー・デイビス, リンダ・ハミルトン, 監督:ティム・ミラー, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

『 マイレージ、マイライフ 』 -大人、そして男というややこしい生き物-

Posted on 2019年11月11日 by cool-jupiter

マイレージ、マイライフ 65点
2019年11月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー ベラ・ファーミガ アナ・ケンドリック J・K・シモンズ
監督:ジェイソン・ライトマン

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何度も劇場に足を運んでいると、それだけたくさんの予告編を自動的に観ることになる。その中でも、最近は特に『 マチネの終わりに 』が気になるようになってきた。言ってみればオッサンとオバサンの恋愛模様なのだが、なにやら重そうだ。それならそれを中和するためにも、事前にあっさり軽く、しかもそれなりにシリアスさもある作品を鑑賞しておくかと本作をピックアウトした。

 

あらすじ

ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)は解雇通告の代理人。クライアント企業に依頼され、全米を飛行機で飛び回りながら、従業員にクビを言い渡していく。彼の夢は1000万マイルを貯めること。ある時、ライアンは空港でアレックス(ベラ・ファーミガ)と知り合い、割り切った体だけの関係を始める。一方、彼の勤め先ではナタリー(アナ・ケンドリック)が非対面式の解雇通告の方法を立案していて・・・

 

ポジティブ・サイド

日本では退職代行の会社が人気を博し、その一方でその業務には法律的にあやふやな面もあることが指摘されている。従業員が会社を辞めるというのは、一大イベントであることは間違いない。逆を言えば、会社が従業員を辞めさせるのも、一大イベントであるわけである。そして、退職代行業が成立するのなら、解雇通告代行業があってもおかしくない。2009年製作の本作であるが、日本の退職代行サービスの創業者は本作にインスピレーションを得た可能性が微粒子レベルで存在している?

 

主演のジョージ・クルーニーが、粛々と人々の首切りをしていくのはプロの仕事ぶりであると同時に、非人間的にも映る。お気楽な独身男で、世俗の歓楽を健全に享受し、身を滅ぼすような真似はせず、自らの仕事に誇りを持って、空を自分のホームであると思っている。まるでジョージ・クルーニーがジョージ・クルーニーを演じているようだ。彼の代表作はテレビドラマの『 ER緊急救命室 』と映画『 オーシャンズ11 』だが、本作でもその存在感は健在である。冷酷非情な仕事ではあるが、対面で解雇を伝えることには「尊厳(dignity)がある」と主張するプロフェッショナリズム、男女の関係の機微を論じずに切って捨てるクールさ、そして切って捨ててきたものを振り返って、自分がこれまでに手に入れたもの、そして手に入れ損なったものに気がつく人間味の全てを、クルーニーは体現している。

 

その相手役であるベラ・ファーミガも実に魅力的である。milfyという形容詞が相応しい(気になる人だけ意味を調べてみよう)。「私は後くされのない女よ(I’m the woman you don’t have to worry about.)」とは、非常に強烈なメッセージだ。未知のセックスへの好奇心だけで始まった関係に狂わされることもなく、かといって生理的な欲求を淡々と処理しているだけという無味乾燥さもない。駆け引きはしないが、その代わりに拘束もしない。一言で言えば大人のオンナである。女ではなくオンナと書いたが、その意味は作品をご覧いただければ分かるだろう。

 

アナ・ケンドリックも小娘役を好演した。20代で仕事と結婚したとのたまう輩は、男女の別を問わず、恋愛で手痛い失敗をしたと言っているようなものである。そして、恋愛関係および職務に甘美な幻想を抱く傾向があるものなのである。ジョージ・クルーニーの生き様に自らの来し方行く末を見出し、「あなたってサイテーね!(You’re an asshole!)」と言ってのけるのは痛快である。大人になろうと足掻く子どもが、子どものままでいる大人に説教するシーンには、独特の爽快感がある。いい年こいて、こういうシーンを有り難がるのは、Jovian自身が子どものままでいる大人だからだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ジョージ・クルーニーによる空の旅の手ほどき場面は興味深かったが、仕事の多くを機上の人として過ごす人ならではの考察や分析、ルーティンなどをもっともっと見てみたかった。特にアジア人に対する考察は面白かった。アメリカ人も「足元を見るのだな」と感じたが、こういうユニークな視点をライアン・ビンガムという男からもう少し引き出すことは不可能ではなかったはずだ。

 

ライアンの家族についても、もう少し掘り下げた描写が欲しかった。あるいは、編集でカットされたのか。姉に「あなたは存在していなかった」と言われるのは、その頃から機上の人ならぬ孤高の人だったからか。それにしては、高校ではバスケをしていて、ポイントガードだったと言う。わがままなシューティングガードだったというのなら、もう少し納得がいくのだが。

 

あとはJ・K・シモンズの出番が少ない。この男との面談が、クライマックスのpep talkの内容が鮮やかなコントラストを形成するのだが、ここはシモンズにもっと語らせるべきだった。いや、シモンズからライアン・ビンガムに問いかけるような形が望ましかった。そうすることで、一方的に人を切るだけの、さらに恋愛においても感情よりもテクニックを優先させる人でなしが、人間味に、そして人生の意味に目覚める契機をよりドラマティックに演出できたのではないかと思う。

 

総評

ジェイソン・ライトマン監督には基本的に外れが無い。特に『 サンキュー・スモーキング 』や『 JUNO ジュノ 』、『 タリーと私の秘密の時間』など、男の賢しらな一面、つまりアホな面を切り取ることに長けている。世の男性諸賢はライトマン作品を鑑賞して、人のふり見て我がふり直せを実感することができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Up in the air.

 

原題はup in the airであるが、これは「飛行機に乗って空にいる」という意味と「(予定や計画が)宙ぶらりん状態である」のダブル・ミーニングである。ライアン・ビンガムというキャラクターを名状するのに、これ以上にふさわしい表現はなかなか見つからない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, J・K・シモンズ, アナ・ケンドリック, アメリカ, ジョージ・クルーニー, ヒューマンドラマ, ベラ・ファーミガ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:パラマウントLeave a Comment on 『 マイレージ、マイライフ 』 -大人、そして男というややこしい生き物-

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