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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 未分類

『 トップガン マーヴェリック 』 -MX4D鑑賞-

Posted on 2022年6月28日2022年12月31日 by cool-jupiter

トップガン マーヴェリック 90点
2022年6月25日 TOHOシネマズなんばにて鑑賞
出演:トム・クルーズ マイルズ・テラー
監督:ジョセフ・コジンスキー

 

『 トップガン マーヴェリック 』の感想で「なぜ4DXやMX4D上映は日本語吹き替えばかりなのか。航空業界の Lingua Franca は英語と決まっているのだが」と書いたところ、6月中旬から字幕版でも4DXやMX4Dが楽しめるようになった。言ってみるものである。

あらすじ

マーヴェリック(トム・クルーズ)は、予定されていたダークスターのテスト飛行がキャンセルされると聞いたが、クルーと共にフライトを強行し、マッハ10を達成する。処罰の対象になるかと思われたマーヴェリックだが、盟友であり提督となったアイスマンの取り計らいにより、トップガンにおいて難関ミッションに挑む若きパイロットたちの教官となる。しかし、そこにはかつての相棒グースの息子、ルースター(マイルズ・テラー)も加わっており・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭、”Danger Zone” と共に空母から艦載機がどんどん発艦していくシーンから、浮遊感を存分に味わえたし、KAWASAKIのバイクの疾走感も感じられた。マーヴェリックとひよっこ連中との模擬空戦や、trench run や popping up のトレーニングなどでも Four Dimensional な感覚を与えてくれる4DXは本作との相性が特に良かったと感じる。映画の世界ではカーアクションがお馴染みだが、あれは二次元機動。飛行機、特に戦闘機のように高速で激しく三次元機動するような映画は数少ないが、そうした作品は今後も4DXやMX4Dで公開してほしい。

 

一部でミュージックビデオを揶揄された前作『 トップガン 』であるが、本作は前作へのオマージュをふんだんに取り込んでいる。前作で二度聞かれた “Take me to bed, or lose me forever.” =「ベッドに連れて行って、そうじゃないとあなたとは永遠にお別れよ」と対を成すかのように、マーヴェリックがアイスマンに “I could lose him forever.” =ルースターを永遠に失ってしまうかもしれない、と吐露するシーンは素晴らしかった。ビーチバレーとビーチアメフトの対比は目立つが、もっとさり気ないところで前作へのオマージュを示している点が非常に好ましい。 

 

他にもハングマンがバーでルースターに突っかかっていくシーンで “I love this song!” =「この曲、最高だな!」と言い放つ時にかかっているのが “Slow Ride” で、これがそのままルースターの慎重な姿勢、さらにトレーニングでもスローペースで飛んでしまうことの伏線になっていた。

 

劇場はかなりの入りで、20代くらいのカップルが目立った。デートムービーとして重宝されているということだろう。時間とお金に余裕があれば、一度は本作を4Dで鑑賞されたし。

ネガティブ・サイド

戸田奈津子氏の字幕翻訳にはやはりいくつか疑問が残る。

 

ハングマンの言う “In this mission, a man flies like Maverick or a man doesn’t come back. No offense intended.” =「このミッションでは、マーヴェリックのように飛ぶ男じゃないと生還できない。(フェニックスを見ながら)悪気があって言ったわけじゃない」というのが本当のところ。字幕では No offense intended = 「偉そうかな」になっていた。ハングマンは、ウォーロックがマーヴェリックを紹介する前に “the best men and women …” と言ったところでもフェニックスをちらりと見て「女は一人だけなのに、women だってよ」みたいな目つきをしていた。そういったところを踏まえて、No offense intended はもっと直截的に「おっと、女性もいたっけ」のような皮肉にすべきだった。

 

ルースターの言う ”Talk to me, dad.” =「助けて、父さん」という訳もいかがなものか。もっとマーヴェリックに合わせて「やるぞ、父さん」とか思いっきり意訳して「父さんの声が聞こえた」とかでも良かったのでは?

 

総評

アースシネマズ姫路で視野270度の3面マルチプロジェクション上映を行っているが、吹き替えらしい。何故だ?航空業界の Lingua Franca は英語と相場が決まっている。尼崎市民のJovianは姫路に赴くのにやぶさかではない。劇場や配給会社の賢明なる判断を期待したい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

level the playing field

「競技場を平らにする」というのが直訳だが、実際の意味は「競争の条件が等しくなる」ということ。

YouTube has leveled the playing field for all the video creators.
ユーチューブによって、すべての動画制作者は等しい条件で勝負できるようになった。

のような使い方をする。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, S Rank, アクション, アメリカ, トム・クルーズ, ヒューマンドラマ, マイルズ・テラー, 監督:ジョセフ・コジンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズ『 トップガン マーヴェリック 』 -MX4D鑑賞- への4件のコメント

『 南極物語 』 - 南極でサバイバルする犬を活写する-

Posted on 2022年6月2日 by cool-jupiter

南極物語 75点
2022年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高倉健 渡瀬恒彦
監督:蔵原惟繕

NHKの『 歴史探偵 』で南極タロジロ物語を観て、「そういえばVHSで観たな」と思い出した。しかし覚えていたのはオーロラのシーンだけ。今回あらためて鑑賞して、なかなかのリキ作であると感じた。

 

あらすじ

国際地球観測年、日本は南極へ第一次観測隊を派遣する。その中には犬ぞりを引くための22頭の犬の姿もあった。第一次観測隊は、犬たちを南極基地に残したまま第二次観測隊と入れ替わろうとするも、天候が急激に悪化。隊は基地に入れず、犬たちは南極に取り残されてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

南極の過酷さがよく出ている。実際に多くのシーンは南極で撮影したらしい。荒ぶる海、どこまでも続く極寒の大地、凍てつく風。むき出しの自然の荒々しい力が画面越しにも伝わってくる。近年の邦画にはない、非常に角度の広い、そして奥行きの深い絵がこれでもかと映し出される。映画館の大画面なら、どれほどの迫力があっただろうか。

 

1980年代なら第一次観測隊のメンバーの多くが存命だろうから、製作者や役者隊も存分に隊員たちに取材ができたことだろう。日焼け具合に無精ひげ、伸びきった髪などが、極地までの旅路、そして極致での生活がどんなものであるのかを雄弁に物語る。説明的なセリフを挿入すりゃいいんだろ、と開き直り気味の現代の作り手は、このあたりを大いに意識すべきだろう。犬ぞりでの南極観測も自然の大スペクタクルを堪能させてくれる。凍てつく大地の乾いた空気に、ヴァンゲリスの音楽が非常にマッチしており、この絵と音楽だけで画面に文字通り釘付けになってしまう。

 

人間パートも熱い。救助に来てくれたアメリカ艦船の乗員に啖呵を切るのはどうかと思うが、当時の日本人あるいは映画の作り手には日本人としての誇りや矜持があったことがひしひしと伝わる。また高倉健が「それなら自分が犬を殺してくる」と宣言するシーンも史実なのだろう。普通なら「そこまで思うか?」と感じるだろうが、見渡す限り無人の氷原で、人と犬が昼夜を問わず行動を共にすれば、連帯感などという言葉では生温い紐帯が生まれても不思議ではないだろう。

 

その南極で生き抜く犬たちのドラマが渋い。ほとんど推測なのだろうが、アザラシを襲ったり、氷に閉じ込められた小魚を食べたりというのは実際に考えられそうだし、そうした絵を実際に撮ってしまう構想力に感服する。犬たちの関係性、協力、別離、再会、生存が人間の介在なしに濃密に描かれていく。オーロラのシーンは特に素晴らしい。過酷すぎる大地にほんの少しの福音を予感させている。氷の斜面を犬が滑落したり、氷海に落ちたりと、いったいどうやって撮影したのか分からないが、雪に人間の痕跡を一切残さずこれらのシーンを全て撮り切ったのには脱帽するしかない。ドッグトレーナーにも I take my hat off.

 

犬たちが雄々しく生き、そして死んでいく一方で、高倉健は大学を辞して、犬の飼い主たちへのお詫び行脚に出る。それがまた痛々しい。特にある姉妹にリキのことを詫びる高倉健が、すべてを飲み込んでただただ沈黙する場面は名シーンである(演じている姉が若き日の荻野目慶子なのだ)。また渡瀬恒彦も婚約者との仲睦まじさを見せつけるが、完全に心ここにあらず状態。魂を南極に置き忘れてきた男を好演した。南極の男たちが日本本土で世捨て人同然になってしまう。しかし、南極の大地に再び舞い戻ってタロとジロと再会することで生気を取り戻すというコントラストが最後の最後に鮮やかに際立つ。「生きる」ということの尊さに、人も犬もないということがよく分かるリキ作である。

 

ネガティブ・サイド

製作された年代が年代とはいえ、渡瀬恒彦が犬たちに本物の鞭をふるうシーンは観ていて本当に痛々しい。犬好きにはお勧めしづらい作品になってしまっている。

 

南極隊員と犬の関係者ばかりにフォーカスしすぎで、世間一般の反応についてもう少し描写があってもよかった。当時の報道によって、一般大衆からはボロクソに叩かれたらしいが、そうした世間からの容赦ないバッシングがあれば、高倉健や渡瀬恒彦らの打ちひしがれた姿がもっと印象的になったかもしれない。

 

南極の氷原を犬ぞりで駆けていくシーンのカメラの手ブレが酷い。酔いそうになった。当時の技術的限界かもしれないが、信じられないくらいブレまくるシーンがいくつかあるので、そこも鑑賞時は注意を要する。

 

総評

『 ハチ公物語 』や『 マリリンに逢いたい 』など、1980年代の邦画には犬をテーマにした良作映画があったのだなあと懐かしく感じた。またJovian世代は子どもの頃にちょうど『銀牙 -流れ星 銀-』を漫画またはテレビアニメで観ていた。なので、本作のタロやジロたちもある程度勝手に脳内で喋らせることができたりする。犬好きなら是非観よう。高倉健や渡瀬恒彦といった大御所も出ている中、こっそり佐藤浩市も出演している。今の時代には珍しくなってしまった飾らない人間の物語、そして犬たちのドラマが堪能できる。若い世代にも観てほしい。



Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sled

「そり」の意。あまりなじみのない言葉かもしれないが、ボブスレー = bobsled だと分かれば理解・記憶しやすいだろう。ちなみにそりには sleigh もあるが、こちらは sled よりも乗る位置が高いものを指す。クリスマスの定番曲『 Jingle Bells 』の Jingle bells, jingle bells, jingle all the way. Oh what fun it is to ride in a one-horse open sleigh. という歌詞からサンタクロースの乗るそりを連想されたし。ボブスレーは直接雪と接するが、サンタの座っている部分は雪とは直接は接しない。   

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 1980年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 歴史, 渡瀬恒彦, 監督:蔵原惟繕, 配給会社:日本ヘラルド映画, 配給会社:東宝, 高倉健Leave a Comment on 『 南極物語 』 - 南極でサバイバルする犬を活写する-

『 ザ・メッセージ 』 -B級SF作品-

Posted on 2022年5月20日 by cool-jupiter

ザ・メッセージ 60点
2022年5月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ベラ・ソーン リチャード・ハーモン
監督:スコット・スピア

近所のTSUTAYAで目についたので準新作をレンタル。塚口サンサン劇場で『 スターフィッシュ 』のポスターを見て「おお、DVD出てるやんけ」と勘違いして借りてしまった。『 ステータス・アップデート 』と『 ミッドナイト ・サン タイヨウのうた 』のスコット・スピア監督作品だったではないか。

 

あらすじ

シカゴで起きた事故により、世界には残存者と呼ばれる亡霊が存在するようになった。ロニー(ベラ・ソーン)は自宅の浴室の鏡に謎の残存者が「逃げろ」というメッセージを残すところを目撃する。ロニーは転校生のカーク(リチャード・ハーモン)と共に残存者の謎の解明に乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

幽霊が見えるというのはネタとしては陳腐である。アメリカ映画では『 シックス・センス 』のような傑作、邦画でも『 さんかく窓の外側は夜 』のような凡作まで、特定の誰かに幽霊が見えるという作品は枚挙にいとまがない。しかし、誰でも幽霊が見える世界というのは結構珍しいのではないか。しかもそれが自由に動き回って人間に害をなす存在ではなく、決められた動きをするだけの残像であるというアイデアはユニーク。

 

ロニーとカークの二人が、謎の残存者からのメッセージの意味を探っていく展開はなかなか引き込まれる。手詰まりと思えるところから思いがけぬ発見があり、物語がダイナミックに動いていくところもいい。特にロニーの父親の読む新聞記事のアイデアは着眼点が非常に良いと感じた。ロニーと母親との関係は物語に若干の影を落としているが、それを効果的に使った脚本の妙が後半にあり、観る側を飽きさせない。

 

生きている人間たち、そして死んでしまった人間たちのそれぞれの思いが交錯する終盤は見応えがある。真犯人に意外性がないと感じられるかもしれないが、本作はミステリーではなくファンタジー、そしてヒューマンドラマとして鑑賞するべし。

 

ネガティブ・サイド

誕生日ネタはもう少しひねりを利かせられなかったか。Jovian母は実はうるう年の2月28日生まれなので、このネタには早い段階でピンと来てしまった。ある目的のために誕生日が重要なファクターなのだが、誕生日ではなくうるう年のうるう日をファクターにする、そのことに(物語世界のルールの中で)合理的な説明をつけられれば、映画世界への没入度がもっと高まったことだろう。

 

ブライアンは言ってみればハリポタにおけるスネイプ先生的なキャラなのだから、必要以上にホラーっぽいCG演出をする必要はなかった。それをせずにブライアンを恐怖の対象に見せるのが演出というものだろう。

 

総評

『 ザ・メッセージ 』という邦題はイマイチ。原題は I Still See You、つまり「私は今もあなたを見ている」ということ。このタイトルから受け取る印象が序盤、中盤、終盤で変わってくる。それは作りが乱暴だからではなく計算されたものだから。低予算映画のにおいがプンプン漂ってくるが、それがマイナスに作用していない。逆にアイデアで勝負する潔い作品になっている。海外レビュワーの評価はイマイチだが、Jovianはそこそこ楽しめた。梅雨時の週末のステイ・ホームのお供にちょうどよいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ground zero

爆心地の意。おそらく9.11でこの表現を知った人も多いのではないかと思う。ヒロシマやナガサキは原爆の爆心地だが、爆弾以外でも9.11のような想定外の巨大なインパクトがもたらされた場所にも使われる表現である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ファンタジー, ベラ・ソーン, リチャード・ハーモン, 監督:スコット・スピアLeave a Comment on 『 ザ・メッセージ 』 -B級SF作品-

『 バニシング 未解決事件 』 -臓器売買の闇に迫る-

Posted on 2022年5月17日2022年5月17日 by cool-jupiter

バニシング 未解決事件 65点
2022年5月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ユ・ヨンソク オルガ・キュリレンコ
監督:ドゥニ・デルクール

『 流浪の月 』を鑑賞したかったが、指定席とも言うべきシートが取れず、次点の本作をチョイス。なかなかの硬派な映画だった。

 

あらすじ

ソウルで女性の遺体が発見されるが、腐敗が進行しており、身元の割り出しに難航する。パク班長(ユ・ヨンソク)はフランスの法医学者ロネ教授(オルガ・キュリレンコ)に助力を求める。彼女が採取した指紋から、遺体は行方不明になっていた中国人女性と判明する。捜査を進めるパク班長とロネ教授は、臓器売買の謎に迫っていき・・・

ポジティブ・サイド

韓国映画と見せかけて、これは実はフランス映画。つまり少ない登場人物でも、巧みにミステリやサスペンスを盛り上げる。舞台を韓国に移しても、そうしたフランス文芸・フランス映画の特色はしっかりと維持されていた。

 

まずユ・ヨンソク演じるパク班長が従来の韓国警察の刑事のイメージを大きく覆す。韓国といえば『 ビースト 』のような汚職や暴力を厭わぬ刑事か、あるいは『 暗数殺人 』のひらすらに黙々と事件を追う刑事の印象が強いが、ドゥニ・デルクール監督はそんな刑事はお呼びでないとばかりに、全く新しい刑事像を打ち出してきた。演じるユ・ヨンソクは『 建築学概論 』の嫌な先輩役だったそうだが、本作ではそんなマイナスのオーラは一切出さず、理知的な刑事を演じきった。発音は韓国なまりだが、普通に英語は上手い。パッと聞いた感じだけなら、チェ・ウシクの英語と比べても遜色ないように感じた。姪っ子を溺愛し、手品も上手いという特徴が、中盤以降に物語の本筋にしっかりと関連してくる。

 

バディを組むことになるロネ教授ことアリスも静かに、しかし確実に法医学のプロフェッショナルとしての印象を観る側に刻み付けた。難解な専門用語を交えて流暢に講義を行い、腐敗が進んだ死体からも見事に指紋を採取する。しかし、単なる職業人としてだけではなく、パーソナルな部分にも人間味がある。序盤にパク班長との会話で不可解な受け答えをするのだが、その謎が明らかになる中盤、そしてそれに決着をつける終盤の展開には心を揺さぶられる。

 

二人がロマンチックな雰囲気になりながらも、プロフェッショナルに徹するところも潔い。特に、パク班長からのごく私的な問いにアリスが敢えてフランス語で真摯に答えるシーンは、男女というよりも人間同士の心の響き合いだった。

 

死体遺棄事件の元にある臓器売買事件の闇に迫る二人に思いがけぬ事実が立ち現われてくる。事件は一応の解決を見るが、臓器売買ネットワークは残ったまま。そして、食い物にされる中国人女性や、臓器を買い取る富裕層という格差の構図は何も解決されぬまま。それでも、パク班長とアリスの淡い別れに、今後も二人が機を見て reunite し、新たな事件に取り組む可能性を感じさせて物語は閉じていく。

 

ネガティブ・サイド

臓器売買のネットワークは、そのまま人身売買のネットワークでもあるだが、それを仕切っていると思しき韓国ヤクザの描写があまりにもしょぼい。『 ザ・バッド・ガイズ 』は荒唐無稽ではあったが、国際的な犯罪ネットワークを構想する気宇壮大な韓国ヤクザが出てきた。それぐらいの巨悪を描いても良かったのではないか。

 

臓器売買の片棒を担ぐ医師が、意外(でもないが)な主要人物とつながっていることで、アリスの心的なトラウマは解消されても、全く別の方面で救われない人物が生じてしまっている。もちろん、違法な臓器売買を阻止する=助からない命が出てくるわけで、問題はその助からない命に大して、我々が大きく感情移入してしまうことである。アリスのキャラを立てるためとはいえ、この展開は観ていて心苦しかった。

 

パク班長とアリスの別れ際も、もうちょっと余韻というか、今後の二人の再会と活躍を予感させるようなものの方が良かった。アリスが韓国に残ることを予感させるよりも、パク班長がアリスに姪っ子と時々ビデオ通話する仲になってほしいと頼む方が、劇中で「感情表現に乏しい」とされた韓国人っぽいではないか。しかし、韓国人が感情表現に乏しいというのはフランスの脚本家の手によるもの?よく共同脚本家の韓国人がそれOKしたなと思ってしまう。

 

総評

テンポが良く、サスペンスも適度に盛り上がり、思わぬ人間関係も終盤に見えてくる。韓国語、英語、フランス語、中国語が飛び交う国際色豊かな作品である。『 マスカレード・ホテル 』のような変則バディものがイマイチと感じられる向きにこそ本作を勧めたい。そうそう、日本のサラリーマンは主人公のパク班長の英語力を一つの目標にするといい。情報を得る、あるいは与える、問題を提示する、あるいは解決する、そして相手との信頼関係を築くというのは、必ずしも準ネイティブ級の語学力を必要としないことが分かるだろう。語彙を増やしたりTOEICスコアを追求するのではなく、コミュニケーション能力を磨こうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Would you be able to V?

相手に何かを依頼する丁寧な表現。普通のビジネスパーソンなら

Could you V?
Would you be able to V?
It would be great if you could V. 
I was wondering if you could V. 

あたりを口頭あるいはメールのやりとりでは使いまわせばよい。

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, C Rank, オルガ・キュリレンコ, サスペンス, フランス, ユ・ヨンソク, 監督:ドゥニ・デルクール, 配給会社:ファインフィルムズ, 韓国Leave a Comment on 『 バニシング 未解決事件 』 -臓器売買の闇に迫る-

『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』 -ドラマの予習を前提にするな-

Posted on 2022年5月5日 by cool-jupiter

ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 45点
2022年5月4日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ベネディクト・カンバーバッチ エリザベス・オルセン ソーチー・ゴメス
監督:サム・ライミ

 

先月退職した元・同僚カナダ人と共に鑑賞。彼もJovianもイマイチだという感想で一致した。

あらすじ

異世界で魔物から少女を助けようとする夢を見たドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は、かつての恋人クリスティーンの結婚式に参列していた。しかし、その最中に夢で見た少女アメリカ(ソーチー・ゴメス)が怪物に襲われているところに遭遇する。辛くも少女を助けたストレンジは、アメリカはマルチバースから来たと知る。助力を必要とするストレンジは、自身と同じく魔法使いであるワンダ(エリザベス・オルセン)を訪ねるが・・・

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

ドクター・ストレンジのスティーブンの部分、つまり腕の立つ外科医であり、鼻持ちならない人間の部分がクローズアップされたのは良かった。スーパーヒーローは人間部分とヒーロー部分のせめぎ合いが大きなドラマになるが、それが最も面白いのはスパイダーマン、次いでアイアンマン、その次にドクター・ストレンジだと感じている(ちなみにその次はハルク)。冒頭の結婚式から一挙に魔物とのバトルになだれ込んでいくシークエンスで「ここから先は全部スーパーヒーローのパートですよ」と丁寧に教えてくれるのは配慮があってよろしい。クリスティーンと良い意味で決別できたことで、短いながらもスティーブンの成長物語にもなっていた。

 

これはネガティブと表裏一体なのだが、「え?」というキャラクターが「え?」という役者に演じられて登場する。このシーンは震えた。予告編でも散々フォーカスされていて気になっていたが、この御仁を持ってくるとは。ヒントは『 デッドプール 』。彼が時系列関連で云々言う際にマルチバースっぽい台詞を言う。その時の名前がヒントである。

 

映像は美麗を通り越して、もはや訳が分からないレベル。特に最初のマルチバース行きのシーンはポケモンショックを起こすレベルではないかと思う(一応、褒めているつもり)。魔法のグラフィックや、その他のスーパーヒーローの技のエフェクトも、通り一遍ではあるが、エキサイティングであることは疑いようがない。特に面白かったのは音符さらには楽譜が魔法になるシーン。ある攻撃の強さや衝撃度は1)視覚的に、2)効果音によって示されるが、そこに明確に音楽を乗せてきたのは新しい手法であると感じた。今後、これをマネする作品がちらほら出てくるものと思われる。

 

サム・ライミが監督ということでホラーのテイストが入っているが、良い意味でMCUっぽさを裏切っていて面白かった。MCU作品はスター・ウォーズ以上にプロデューサー連中が強固すぎる世界観を構築していて、そこからの逸脱は一切許されない=監督や脚本家の個性は不要という印象があったが、ディズニー上層部もマルチバース的な寛容の精神を持ち始めたのだろうか。

ネガティブ・サイド

予告編で散々ワンダが出てきたいたので、彼女がヴィランであることは分かる。けれども、テレビドラマの視聴を前提に映画を作るか?これはテレビドラマの劇場版映画ではないはずだが。一緒に観たカナダ人は「電車の中でドラマのrecap動画を観たから何とか意味は分かった」と言っていたが、ドラマには一切触れていないJovianには何のこっちゃ抹茶に紅茶な展開であった。

 

第一の疑問として、何故ワンダに子どもがいる?いや、別に子どもがいてもいいが、なんであんなに成長した子どもがいるの?『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』から10年以上経過したようには思えないが。劇中で「魔法で創った」と説明されるが、だったら何故にもう一度魔法で子どもを創らないのか?まあ、親からすれば子どもは唯一無二なのだろうが、それならそれで別の宇宙の自分から自分の子どもを奪うという結論に至る思考回路が謎となる。

 

第二の違和感はワンダ強すぎということ。インフィニティ・ウォーやエンドゲームでもうすうす感じていたが、ワンダが強すぎる。ワンダとキャプテン・マーベルだけでサノスを十分に倒せたのでは?『 エターナルズ 』の 面々より普通に強いだろう。他の不満点としては、せっかく出てきたファンタスティック・フォーたちがあっさりとやられたり、挙句にはあのキャラまでワンダにねじり殺されてしまう始末。うーむ・・・

 

マルチバース関連で一番よく分からないのは、どこのユニバースでもドクター・ストレンジがベネディクト・カンバーバッチであるということ。『 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 』を思い出そう。別のユニバースには別のピーター・パーカーが存在していた。なぜ本作ではカンバーバッチ版のストレンジしか出てこないのか。もちろんスパイダーマンとドクター・ストレンジを同列に扱えるわけはないが、互いにリンクしている作品同士、もう少しこのあたりの説明が必要だったと思う。またアメリカは72のユニバースを巡ったそうだが、そのいずれでもサノスは倒されていたのか?それだけ巡れば、いくつかはサノスによって生命が半滅させられたユニバースに遭遇しそうなものだが。

 

アメリカが語る他のユニバースでの鉄則その1は良いとして、その2の食べ物の部分が良く分からない。それが何か重要な展開につながるわけでもなんでもないからだ。ポストクレジットシーンその2にはつながるが、ここのユーモアは笑えないし、完全に空回りしていた。

 

魔法を使った戦いにはそれなりに満足できたが、ストレンジが華麗な体術を駆使して戦うシーンは個人的には萎えた。浮遊マントがストレンジの体を逆に操って、hand to hand combat で敵を倒す、というのならまだ理解できるのだが。

 

ポストクレジット・シーンその1では、シャーリーズ・セロンが登場。しかし、誰よ、これ?『 エターナルズ 』のラストもそうだが、もはやMCU作品はそれ自体が別作品のインフォマーシャルと化している。映画が映画を宣伝するというのは、好ましくない。もしやるなら『 ワンダーウーマン 1984 』のように、たいていの人が分かるようなキャラを持ってくるべきだ。

 

総評

ぶっちゃけた話、『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以降、スパイダーマン以外のMCUものは面白くない。ドラマその他の媒体と相互補完させたりするような商法が更に目立つからだ。MCUは元々そのような側面が強かったが、そこがさらに強引になったと感じる。一応、義務感で次作も観るつもりではいるものの、『 モービウス 』もスルーしたし、そろそろこのジャンルから降りてもいいかもしれないと個人的には感じる。映画館自体は大盛況だったので、この路線自体は成功かもしれないが、あまり積極的に勧めたいと思える出来ではなかった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Try as I might, 

劇中のウォンのセリフの一部。頑張ってはみたものの、の意。ほぼ間違いなく、I couldn’t … が続く。私 = I 以外が主語になることもあるが、I が最もよく使われるように思う。

Try as I might, I couldn’t fix the printer.
頑張ってみたが、プリンターを直せなかった。

などのように使う。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, エリザベス・オルセン, ソーチー・ゴメス, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:サム・ライミ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス 』 -ドラマの予習を前提にするな-

『 ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 』 -拍子抜けの一作-

Posted on 2022年4月17日 by cool-jupiter

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ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 40点
2022年4月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン ジュード・ロウ マッツ・ミケルセン
監督:デビッド・イェーツ

 

『 エイリアン 』、『 エイリアン2 』のせいで自分が一種の面白不感症になっているのか、それとも本作が純粋につまらないのか。ひょっとしたらその両方かもしれない。

 

あらすじ

闇の魔法使い・グリンデルバルド(マッツ・ミケルセン)は人間界支配の野望を露わにした。魔法動物学者ニュート(エディ・レッドメイン)はそれを阻止すべく、マグルの親友やその他の魔法使いたちと共にチームを組む。その過程で、彼は恩師ダンブルドア(ジュード・ロウ)の秘密を知ることになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220417104921j:plain

 

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

個人的にはUKの俳優ではジェームズ・マカヴォイに次いでエディ・レッドメインが好きである。本作でも彼のチャーミングさは遺憾なく発揮されている。職業倫理を体現したかのような風貌は、まさに魔法動物学者。年上の役者が兄を演じても、エディ・レッドメインが弟を演じるなら文句はない。

 

グリンデルバルドもジョニー・デップからマッツ・ミケルセンに交代したが、こっちのほうが良い。ジョニー・デップはメイクが濃くなると名作率が高まる気がするが、グリンデルバルドの青白いメイクはいかにも中途半端だった。マッツ・ミケルセンのように素顔と表情で悪のオーラを醸し出せる役者の方がグリンデルバルドに向いている。不謹慎ながら、グリンデルバルドの演説とプーチン露大統領の思想を重ねてしまった。侵略戦争というのは、往々にしてこのような形で始まるものなのかもしれない。

 

待てば海路の日和あり。ジェイコブよ、良かったな。

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ネガティブ・サイド

まずタイトルのファンタスティック・ビースト=魔法動物の面からして弱い。エビとサソリを足して2で割ったようなヘンテコ生物は単なる comic relief だし、チレンだかキリンが真実を見抜くというのも設定としてパンチに欠ける。魔法動物のネタ切れ感が強い。

 

そもそも悪者のはずのグリンデルバルドが、正規の手続きに則って魔法省から無罪放免され、あろうことか魔法省トップの座を選挙で争うというのだから笑ってしまう。第一に、魔法の世界であるにも関わらず、マグルの世界と同じく選挙を行うということに違和感を覚える。いや、別に選挙するのは構わないが、ファンタビはハリポタ世界の延長線上というか、前日譚に当たるものではないのか?同じ世界観を共有しているのではないの?ならば選挙だ政治だ裁判だ戦争だなどという小難しい要素を抜きにして物語を紡いでほしかった。

 

そのグリンデルバルドを倒す作戦もよく理解できなかった。「相手は未来が見えるから」という理由で各々が無手勝流に動くのは作戦としてはありかもしれないが、観ている側もニュート達の行動が意味不明に映ってしまうという逆効果の方が大きいように感じた。

 

副題にある「ダンブルドアの秘密」というのも拍子抜け、かつガッカリする内容。まさかダブルドアとグリンデルバルドが『 君の名前で僕を呼んで 』のような関係だった・・・って、それが誰をハッピーにするの? bromance は否定しないが、もっと魔法世界特有の近畿に触れるような秘密はなかったのだろうか。

 

クリーデンスの出自とダンブルドアの家系図の問題も、今作でさらにこんがらかったように感じる。別に本シリーズの主人公がダンブルドアなら、別にこれで構わない。しかし、ニュートはどこにどう絡んでくるの?ニュートとティナの関係性の進展はなぜ描かれないの?鑑賞中に疑問が湧くばかりで、物語世界に入っていけなかった。

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総評

観終わってから、どこがどう面白かったのかを検討する時間が必要だった作品。一時的な面白不感症だった可能性が高いが、それがなかったとしても「面白い」と感じられたかどうか。それぐらい微妙な出来の作品である、というのが偽らざる本音である。ハリポタとの一番の違いは、ファンタビはビルドゥングスロマンになっていないところだろう。ニュートの成長物語というよりも、ニュートとティナの不器用なロマンスのイメージが強く、さらにはそのティナが本作ではほとんど登場しない。グリンデルバルドの強さもイマイチ伝わらず、シリーズとしては完全な中だるみだろう。まあ、次作も観るつもりではあるが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Keep your head on a swivel.

swivelとは「さる環」のこと。何のことやら分からんという人は画像検索のこと。Swivel がどういう動作なのか、また劇中でどうニュートやテセウスが swivel していたか思い出していただけただろうか。現実には Keep your head on a swivel. = 周囲への警戒を怠るな、という慣用表現で使われることが多い。戦争映画や戦争ゲームでは結構聞こえてくる表現だが、文脈さえ正しければ日常生活で使っても全く問題はない。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, ジュード・ロウ, ファンタジー, マッツ・ミケルセン, 監督:デビッド・イェーツ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密 』 -拍子抜けの一作-

『 エイリアン: コヴェナント 』 -一作目の不完全リメイク-

Posted on 2022年4月5日 by cool-jupiter

エイリアン: コヴェナント 50点
2022年4月1日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:マイケル・ファスベンダー キャサリン・ウォーターストーン
監督:リドリー・スコット

 

先月の残業時間が危険水域に入った。今月もやばそうなので簡易レビューを。

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あらすじ

植民船コヴェナントは航行中に事故に遭い、クルーを冬眠から目覚めさせた。夫を失ったダニエルズ(キャサリン・ウォーターストーン)らは失意に沈む。しかし、船にはとある信号が届いていた。それは近傍の居住に適した惑星から発せられていた。クルーは調査のためにその惑星に赴くが・・・

 

ポジティブ・サイド

グロいシーンが前作『 プロメテウス 』よりも増。特に最初に背中を突き破られるシーンはなかなかに disturbing で良かった。

 

ネオモーフの白さも味わい深い。エイリアン=ゼノモーフ=黒というイメージが非常に強いが、白い個体がデイビッドと奇妙な信頼関係を築きかけようとするシーンは示唆的だった。繁殖できないアンドロイドと寄生しなければ繁殖できないエイリアンには不思議なコントラストがある。

 

話が『 ターミネーター 』的な世界観で駆動されているが、それはそれで現代の感覚が反映されていて、納得できないものでもない。

 

全体的に『 エイリアン 』を彷彿させるシーンや構図が多かったのも好印象。

 

エンジニア ⇒ 人類 ⇒ アンドロイド ⇒ エイリアン ⇒ エンジニア という奇妙な連環はどこか『 ガニメデの優しい巨人 』的だが、リドリー・スコットの世界観あるいは人間観がよく現れているとも言える。『 ブレードランナー 』で人間とレプリカントの違いを追究せんとしたスコット翁は、本作によってエイリアン=異質なる者とは異星生物ではなく「被造者」による「被造者」であるという仮説を打ち出した。AIのシンギュラリティが現実に視界に入った現代、創造者と被造者の関係が可変的であるというのは、独特かつ説得力ある視座であると評価してよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

どんな偶然が起きれば、ニュートリノ・バーストに遭遇するというのか。そして、たまたまニュートリノ・バーストに遭遇した場所のすぐ近くで、ジョン・デンバーの『 カントリー・ロード 』を受信するなどといったことがあるものか。普通に考えれば、行うべきは通信であって着陸探査ではない。前作に引き続き、宇宙船のクルーがアホすぎる。

 

そのクルーも、やはり呼吸可能というだけで宇宙服もヘルメットも着用しないという非常識っぷり。前作に引き続き、同じ愚を犯している。特にコロナが終息せず、マスクをはずすことが今でもためらわれる今という時代の視点からすると、未知の惑星でこれほど無防備な宇宙飛行士というのは、アホにしか見えない。エイリアンは第一義的には寄生生物(しかも宇宙最悪レベル)なのだから、通常の生物の生体防御を巧みにかいくぐる様を描くべきだった。人間がアホなので寄生に成功しました、ではなく、人間も対策を打っていましたがエイリアンはもっと上手でした、という展開こそが必要だった。

 

エンジニアもエンジニアでアホすぎる。理由があって生物兵器の実験場惑星で冬眠していた同朋が数万年ぶりに母星に帰ってくるというのは、確かに種族総出で出迎えるべき一大イベントだろう。J・P・ホーガンの『 巨人たちの星 』でも似たような描写はあった。しかし、この世界の知的生命体というのは通信を行わないのだろうか。人類がアホなのは創造者譲りなのか。

 

最後の最後に、セックスしたら死ぬというホラー映画のクリシェを持ってくるのも気に入らない。何故にわざわざ自分から三流ホラー路線に入っていくのか理解できない。

 

総評

かなり微妙な出来と言わざるを得ない。『 プロメテウス 』よりもエンタメ色が強まった分、様々なクリシェが生じてしまい、逆に展開が読みやすくなってしまっている。というか、マイケル・ファスベンダーではなく、もっとマイナーな役者でないと、この twist は生きないだろう。三作目もあるらしいが、スコット翁にどのようなビジョンが見えているのか、少々不安でならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

covenant

ぶっちゃけJovianも本作を飛行機で観るまでは知らなかった語。しかし、旅先のカナダのバンクーバーの街中で Covenant House を見かけて、「お、コヴェナントや」と思い、その場でググったことを今でも覚えている。Covenant House = 家などに居場所がない人の避難所である。英検1級を目指すのであれば知っておいて良いと思うが、そうでなければ無視してよい。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アクション, アメリカ, キャサリン・ウォーターストーン, マイケル・ファスベンダー, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 エイリアン: コヴェナント 』 -一作目の不完全リメイク-

『 カオス・ウォーキング 』 -ジュブナイル小説の映像化-

Posted on 2021年11月18日 by cool-jupiter

カオス・ウォーキング 50点
2021年11月13日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:トム・ホランド デイジー・リドリー マッツ・ミケルセン
監督:ダグ・リーマン

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マット・デイモンの『 ボーン 』シリーズや、『 バリー・シール アメリカをはめた男 』や『 ザ・ウォール 』など、骨太な物語とエンタメ性を両立させる監督。しかし、今作はビミョーな出来栄えであった。

 

あらすじ

西暦2257年。女はおらず、男は思考が「ノイズ」として具現化されてしまうニューワールド。そこでは何故か女性が存在しない。地球からの植民第二波の宇宙船が事故に遭い、不時着したことで、トッド(トム・ホランド)は女性のヴァイオラ(デイジー・リドリー)と出会う。母船と連絡を取れる場所へたどり着くため、トッドとヴァイオラは旅立つが、その過程で二人は星の秘密に迫ることになり・・・

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ポジティブ・サイド

『 メイズ・ランナー 』を面白いと思える人なら、本作も面白いと感じられるだろう。謎の環境。男しかいない世界。そこに現われた1人の少女。それによって動き出す運命。本作も、時代や場所こそ違えど、大きな枠では典型的なジュブナイル小説の映画化である。

思考が具現化されてしまうというのは面白いアイデア。女性がいない世界、あるいは男性がいない世界というのはSFやファンタジーでは使い古された設定ではあるが、「ノイズ」と組み合わせることで、非常にユニークなボーイ・ミーツ・ガールに仕上がった。男という生き物は『 君が君で君だ 』を観るまでもなく、隙あらば妄想するものである。それが筒抜けになることの恐怖と滑稽さよ。

 

ありふれた世界観にユニークな現象を一つ持ち込んだ一点突破型のストーリーを、トム・ホランド、デイジー・リドリー、マッツ・ミケルセンのスターが牽引することで魅力的なものにしている。彼らのファンならば鑑賞されたし。

 

ネガティブ・サイド

悪い意味でも『 メイズ・ランナー 』そっくりである。肝腎の「ノイズ」の謎の根源には1ミリたりとも迫らない。元々、三部作の小説の第一部だけというのも『 メイズ・ランナー 』と同じ。あちらは小説を読んだのだが、テレパシー設定が映画ではバッサリとカットされていた。それが映像化の際にはプラスに作用していたが、本作はおそらく小説から映画にする際に、取り除いてはいけない要素を取り除いてしまっている。女性がいない世界、文字も存在しない世界で、なぜキスを夢想できるのか。

 

同じく、冒頭でいきなり牧師だか神父だかにトッドが折檻されてしまうが、ニューワールドにおける宗教観、あるいは世界観がイマイチ不明である。「ノイズがあれば文字はいらない」というのは、ジュブナイル小説としてはありかもしれないが、SFとしてはなしだと感じた。それでどうやって農業を営むのか。あるいは、共同体の生産力と生産物を分配するのか。

 

最大の弱点は、エイリアンの存在。第一部の引きとして、先住エイリアンのスパクルが大挙して登場、敵、それとも味方?という場面がなかった。あわよくば二部、三部に続けられたらいいな、というのは映画製作の attitude としていかがなものか。「この世界に観客を引きずり込んでやるんだ」という強い気概は今作からは感じなかった。

 

総評

SFになりきれていない。文明や世界観を描き切れていない。熱心なSFファンには訴えるものがないだろう。男女二人の長変則的ロードムービーかつ逃避行ものとして見れば、それなりの出来栄え。若者向けデートムービーというのが最も無難な評価だろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

martyr 

「殉教者」の意。『 マーターズ 』はこの語の複数形である。英検1級やTOEFL iBT100点以上を目指すなら知っておきたい。コロナ前からも存在していたが、コロナ禍によって「健康のためなら死んでもいい」、「薬やワクチンはすべて毒」という考え方がますます可視化されるようになってきた。こうした考えの人間たちは、ある意味で殉教者と呼んで差し支えないと思うのだが、どうだろう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, トム・ホランド, マッツ・ミケルセン, 監督:ダグ・リーマン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 カオス・ウォーキング 』 -ジュブナイル小説の映像化-

Review for Cube, the JP remake

Posted on 2021年10月28日 by cool-jupiter

Twitterで「レビューを英語にしてくれ」と頼まれたので、それも一興かと思い、英語で再掲載する。世界のマーケットがこの映画を無視してくれることを祈って、英語で記事をアップさせてもらう。

 

Positives

The man who died at the onset of the film was just fine. In the original, the way the first man was cut into steak-like strips made us viewers feel that we were in for something extraordinary. And that was true. I for one remembered a couple of movies about yakiniku, a Korean BBQ style meal. I actually suggested to my wife after the movie that we go for a Korean BBW, but she didn’t take me up on my offer, which was also just fine. 

 

Negatives

Warning! Spoilers ahead!

 I don’t know what to say, really. I just couldn’t get at what this movie was trying to get across. All this movie did was blot out all the positives that the original Cube had and add a bunch of unnecessary background noises to it, typical negatives that average bad Japanese movies tend to have. There were even scenes where the trailers and the movie didn’t match each other. Plus, the background information for all the characters never got told or even taken advantage of in the story, whereas in the original movie, each character and his/her job and background whatsoever actually linked well and worked well. It is just beyond me why the heck the writer and the director decided that the characters and their background didn’t need to complement each other at all.   

 

There were many more gripes that I had. I really didn’t like how each cell changed its color in accordance with Masaki Okada’s character’s emotions. What was great about the original film was that the colors of each Cube cell actually represented the stability and instability of the characters’ emotions.  The circumstances affected the people, and not vice versa. However, this JP remake did the opposite by changing the color of the wall of each cell in accordance with a certain character’s feeling, which I wasn’t a huge fan of. The Cube does affect people’s emotions and behavior, which is fine and understandable. But the people inside the Cube affecting the Cube is entirely unacceptable.  

 

Some death traps were far from satisfactory. There were some cells whose traps never became operational until a certain character raged. This is reprehensible because, again, what was great about the original Cube movie was that when traps worked, they worked. It was nearly impossible for anyone to escape any traps. Here in this remake, the characters actually survived some traps. What the hell? 

 

What this remake did wrong was the use of background music. The director dared to decide to use music in the sound trap scene. What the hell? Why do you want to use background music when you are watching the characters trying to make no noise at all to stay alive? What the heck is wrong with the director?

 

I also didn’t like the way a certain character died. What’s the point of using super slow motion when a character dies? What makes Cube an awesome film is that when someone dies, they just die. A character dying a hero’s death just doesn’t belong in a Cube movie. In comparison, what I really liked about the movie The Hunt was that Emma Roberts died instantly. There was nothing dramatic about her death. That’s how you want to make a situation thriller. There is no telling who will die next. That is how you build up suspense. If someone’s death is too heroic, then it is a sign that the other characters will not die for the time being. That really is a killjoy.

 

A couple of actors really got on my nerves, especially Masaki Okada and Kotaro Yoshida. All they did was just shout and shout and shout. It was evidently clear that the filmmaker intended to show that the old generation was literally tramping on the younger generations, but was this the best way? I doubt it. They should have acted out, not talked their heads off. Generational conflict sure is a major issue in present-day Japan, but explaining it in detail with words is so jarring and annoying. Also, the filmmaker never seem to have aimed for the global market with this remake, which I didn’t like, because the original Cube has had a worldwide fanbase and more than 20 years have passed since it came out. If someone decided to go for a remake, then that someone must have had a very unique, novel idea. There was nothing notable in this movie at all. So, did this movie at least have some Japanese style to it? No, not even in a bad way. This movie didn’t depict the characters with extreme politeness and spitefulness peculiar to Japanese people. If it did, then it would at least be a Japanese thriller. This is no different from thrillers that come out every summer by the hundred. 

 

The protagonist, played by Masaki Suda, didn’t need to have such a background. Why were we forced to see some weird flashback scenes which we already saw in Himitsu – Top Secret, another very poorly written, poorly acted film? Also, this remake had a couple of elements from Cube 2: Hypercube. Why would you do that when remaking Cube, not Cube 2? 

 

The mysterious female character, played by Anne, didn’t do it for the film. If I was the director, I would have had her character break the fourth wall and talk to the audiences in the darkened theater directly, not to another group of people trapped in the Cube cell. How do you feel, now that you are living in a society where you will never recover from even a single failure? Are you comfortable with the fact that should you deviate once, you will never get back on track? I’m not sure what difference it could have made to have my version of the ending sequence, but I’m pretty sure that no matter what you did to this remake, it would only be better, because the film had already hit the lowest point, so the only way it could go is up. 

 

The theme song, composed and performed by Gen Hoshino, was simply disgusting. Did he even see this film? Did he get to see the implications of the story? Or, did he ever see the original Cube? The music, tempo, rhythm, lyrics, everything about this song was horrendously bad and completely out of place. How would you feel if you heard Danny Elfman’s Batman theme song during the end credits of, say, The Shawshank Redemption? That’s how weird the theme song was in this horrible movie.

 

Wrap-up

Just don’t see this. Please don’t see this. Whatever you do, don’t see this. I really want you to spend your time and money wisely, because by watching this movie in a theater, I wasted 2 hours of my very precious time. Phew, I didn’t give them any money because I got a free ticket. Just stay away from this garbage. When I left the theater, I was really relieved to get some fresh air, because I literally felt as if I accidentally stepped on a smelly dog turd.

 

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『 CUBE 一度入ったら、最後 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2021年10月25日 by cool-jupiter

CUBE 一度入ったら、最後 10点
2021年10月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉
監督:清水康彦

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低予算シチュエーション・スリラーの金字塔『 CUBE 』の日本版リメイク。というよりも世界初のリメイク。類似の作品は当時から今まで陸続と生み出されてきたが、今というタイミングで日本がリメイクするからには、相当凝ったアイデアがひねりだされたのだろうと好意的に解釈して劇場へ。

あらすじ

後藤(菅田将暉)は、目が覚めると謎の部屋の中にいた。そこでは自分と同じように、訳も分からずこの場所に連れてこられた人間たちがいた。彼らは脱出を試みるが、部屋によっては致死的なトラップが仕掛けられいる。果たして生きて脱出できるのか・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の男の死に様は、まあ及第点か。原作ではいきなりサイコロステーキにされていて、その衝撃とおぞましさゆえに、我々は一気にキューブという謎の領域のとりこになった。今作の冒頭シーンを見てJovianは不謹慎にも『 フード・ラック!食運 』や『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』を思い起こしてしまった。鑑賞後に妻を焼肉に誘ったが、変な目で見られてしまった。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

何というか、何がしたいのかさっぱり分からない作品。随所に原作の良さを消して、邦画のダメなところが前面に出てしまっている。予告編で語られていた職業年齢が、本編ではほとんど触れられない。原作では職業・肩書とキャラのキューブ内で果たすべき役割がかなりの程度リンクしていたが、こちらのリメイクはその設定を完全無視。なぜか喋らない中学生も、深い設定などなく単なる人見知りって、脚本家はアホなんかな。

岡田将生の内面を表現するのに部屋の色をその都度変えるのも、観る側を馬鹿にしている。オリジナルでは人間関係のいざこざは赤い部屋で起きていて、それがゆえにカザンは青の部屋を好んでいた。人間を状況や背景に合わせるべきなのに、背景や状況を人間に合わせている。「こうすべれば分かりやすいでしょ?」とでも言いたいのだろうが、キューブの魅力の多くは、その意味不明さ、理解不能性から来ている。同時に、いかに人間が状況によってその行動や思考を変えられてしまうかの象徴でもある。そこを敢えて分かりやすくするというのは、ありがた迷惑というやつであるし、キューブという構造の本質を見誤っている。

死のトラップについても大いに不満が残る。特定の人間の感情に反応してトラップが発動したり、発動しなかったというのは、もはや単なるご都合主義にしか見えない。原作の面白さの一つに、素数を含む数字の部屋は罠(だが、実際は素因数の種類が1つなら罠)という、人間の感情を露わにしていくキューブという領域で、理性と論理が大いなる武器として働く、そしてそれが大きな落とし穴になっているということが挙げられる。こうすれば大丈夫だけれど、一歩間違えれば死ぬ。その緊張感があったればこそ、原作のクエンティンは絶対に音や声を出してはいけない部屋の場面で、カザンに対してマジ切れした。トラップを辛くも逃れることはあっても、場合によってはトラップが発動しないなどということは絶対にあってはならないのである。ついでに言うと、音を立ててはいけない部屋でBGMを流すとか、監督はアホなんかな。

他にも気になったのはキャラの死にざま。特に斎藤工。体のその部位に大ダメージを受けたとて、その瞬間に吐血などありえない。それを必要以上にスローモーションかつ顔面アップにする必要性もない。死ぬときは淡々と死んでいく。それが『 CUBE 』の良さであり、低予算ホラーや低予算シチュエーション・スリラーの様式美なのだ。そうすることによって、次に誰が死ぬか分からないという緊張感が生まれるわけだ。『 ザ・ハント 』のエマ・ロバーツがヨーイドンで、しかも何の特別な演出もなく死んだことで、観る側は「一体全体これから何がどうなるのだ?」というスリルとサスペンスを味わえるわけで、キャラの死に特別な演出を施してしまうと、「ああ、ここからはしばらく誰も死なないのね」と、逆に中だるみを作ってしまう、

岡田将生と吉田鋼太郎もギャーギャーうるさいだけ。最初は60代は20~30代を踏みつけて生きているということに内心で激しい憤りを描いているキャラなのかと思うシーンがあったが、それを全部事細かに言葉にしてどうする。世代間格差は確かに日本的なテーマであるが、『 CUBE 』という世界的なネームバリューのある作品のリメイクを、世界ではなく日本に問おうというスケールの小ささが気に入らない。もしそれをやりたいのなら、それこそ日本的な陰湿さや、慇懃丁寧さの中に垣間見える悪意のようなものを際立たせるべきで、単に極限状況に置かれたキャラが発狂してワーキャー言うだけでは、凡百のシチュエーション・

スリラーと何も変わり映えしない。

菅田将暉のキャラに変なバックグラウンドを持たせる必然性も無し。なんでここで超絶駄作『 秘密 THE TOP SECRET 』的な映像を見せられねばならんのか。さらにこれは『 CUBE 』のリメイクのはずが、なぜか『 キューブ2 』の要素まで入り込んでいるではないか。

杏のキャラクターが最後に問いかける対象が見えてしまってはダメだ。ここまで徹底的に日本という特有のマーケット向けに作ったからには、最後の最後に語りかける相手は劇場鑑賞者、あるいは配信やディスクメディアの視聴者であるべきだ。つまりは第四の壁を突破するべきだった。それならこのような中途半端なメッセージにも意味は見いだせる。日本という小さく狭い箱庭に閉じ込められた八方ふさがりなあなたたち。一度の失敗ですべてがダメになる理不尽な社会。皆で協力して生き延びられますか?これなら分かる。しかし、最後の最後の絵では、鑑賞者は当事者ではなくあくまで観測者。これではキューブという領域に観る者を誘いこめない。なぜこんな引きにしたのか、不思議でならない。

星野源の主題歌がローカリゼーションに拍車をかける。誰の要望でこんなテイストの楽曲に?原作観たか?あるいは本作すら観たか?あるいはコンセプト聞いたか?清水監督は観終わった観客にどういう感情を抱いてほしいのか?あるいは、観客のどういった情動を引き出したいのか?星野源は悪いアーティストではないと思うが、エンディング曲は完全に out of place だった。

総評

残念ながらリメイク失敗である。分かってはいたけれども大惨事に仕上がってしまった。少なくともJovianが期待する水準ではなかったし、真新しいアイデアもなかった。『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』のように、各国に特有のアイデアを持ち込める原作ではないし、かといってローカルな社会事情を反映させるには『 ザ・ハント 』のような過激なグロ描写による露骨な格差描写もなかった。総てが中途半端以下。直近で鑑賞した『 ビースト 』や『 殺人鬼から逃げる夜 』が世界のマーケットを意識して作られているのに対し、完全に内向きなオーディエンスしか意識できない邦画という残酷なコントラストが際立ってしまった。原作を知らないなら、鑑賞もありだろう。だが、その場合、極力割引やポイントで鑑賞すべし。Jovianはポイントでタダチケをゲットした。こんな映画に興収を上げさせてはならない。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget this steaming load of bullshit ASAP.

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, F Rank, シチュエーション・スリラー, 監督:清水康彦, 菅田将暉, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 CUBE 一度入ったら、最後 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

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