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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 キューブ:ホワイト 』 -見つけても借りるな、借りても観るな-

Posted on 2019年12月2日 by cool-jupiter

キューブ:ホワイト 15点
2019年12月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ショーナ・マクドナルド オデッド・フェール
監督:ポール・ラシッド

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『 パズル 』と同じく、TSUTAYAでタイトルとカバーボックスだけを観て借りる。I was in the mood for garbage. しかし、原題が White Chamber と知ったのは鑑賞後であった。

 

あらすじ

女(ショーナ・マクドナルド)は目が覚めると白い立方体の密室に閉じ込められていた。誰が、何のために?やがて彼女には拷問が加えられる。情報を知らせろと外部からの声は言うが、彼女はその答えに心当たりがなく・・・

 

ポジティブ・サイド

さらりと薬物と戦争の関係に触れているが、これは重要な指摘でもある。軍事や政治、さらには科学までも、密室で行ってはならないという批判が込められているのだろう。

 

後は、この手のシチュエーション・スリラーにしては珍しく、中の人間が結構入れ替わる。外部から内部の密室(的な空間)へ入っていくプロットで近年それなりに面白かったのは『 メイズ・ランナー 』だった。このプロットだけはちょっと斬新だと感じた。

 

また、何を意図しているのか不明だが、催淫剤を使ったり、カニバリズムに走らせる薬剤も登場する。そこらへんのオリジナリティだけは買いたい。

 

ネガティブ・サイド

まずオープニングからして『 Vフォー・ヴェンデッタ 』の二番煎じである。ディストピアを描くのは構わないが、そうした社会状況をもっと適切に描写すべきだし、密室内外の人間関係にもそのことを暗示的にせよ明示的にせよ反映させるべきだ。

 

そもそも重要人物であるザカリアンをクルド人だと言っているが、これはアルメニアの名前だろう。何故そんなことが分かるのか。それはJovianがヴィック・ダルチニヤンやアルツール・アブラハムなどのアルメニアン・ファイターをこよなく愛していた時期があり、アルメニアについてあれこれリサーチしたことがあるからだ。この一点だけを取り上げても、これを作ったブリティッシュの製作陣の意識の程度が分かろうというものだ。

 

総評

『 CUBE 』は文句なしに傑作だった。つられて観た『 CUBE2 』や『 CUBE ZERO 』は珍品だった。勢いで借りた『 キューブ■RED 』は、古畑任三郎のとある数学ネタと同工異曲で、存外に楽しめた。しかし本作は正真正銘の駄作である。見つけても借りない。借りても観ない。これを肝に命じられたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Answer me.

 

「(俺の質問に)答えろ」の意である。日本の学習者が共通して犯す間違いに“Answer to me.”というものがある。動詞の意味に対して、「何を?誰を?」と思えば他動詞、そうでなければ自動詞と解釈するのが自然だが、中には例外がいくつもある。Answerもその一つで、“Answer me.”という形ごと覚えてしまうべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, F Rank, イギリス, オデッド・フェール, シチュエーション・スリラー, ショーナ・マクドナルド, 監督:ポール・ラシッドLeave a Comment on 『 キューブ:ホワイト 』 -見つけても借りるな、借りても観るな-

『 マリッジ・ストーリー 』 -既婚者、観るべし-

Posted on 2019年12月2日 by cool-jupiter

マリッジ・ストーリー 75点
2019年11月30日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アダム・ドライバー スカーレット・ジョハンソン ローラ・ダーン
監督:ノア・バームバック

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シネ・リーブル梅田でいつぞやにパンフレットとポスターを見て、面白そうだと直感した。それからトレーラーも観ず、他サイトのレビューも読まず、公式サイトにも行かずに、完全に予備知識なしの状態で劇場鑑賞した。予想と全く違ったが、なかなかに面白い作品だった。

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あらすじ

女優のニコール(スカーレット・ジョハンソン)と舞台監督のチャーリー(アダム・ドライバー)の夫婦は、離婚を協議中だった。しかし、ふとしたことから互いに弁護士を立てて争うことになり、胸の奥底にあった思いが噴出してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

スカーレット・ジョハンソンにしてもアダム・ドライバーにしても、オーラが隠しようのない領域にいる。そんな二人を凡百の夫婦にするのではなく、女優と舞台監督に設定したのが奏功している。両者とも、自己を表現することを生業にしているからである。芝居がかった台詞や仕草も、この設定のおかげでナチュラルなものに映る。実際に、ニコールとローラ・ダーン演じる弁護士のはじめての会話は、相当に芝居がかっている。ほぼ定点観測カメラでロングのワンカットを取り切ったが、この場面は映画というよりも舞台演劇のようだった。

 

アダム・ドライバーも魅せる。几帳面に家事をこなす子煩悩の父親でありながら、いかにもアメリカ的な封建的・家父長的な面も持っている。併せ、妻の母親とも友達のような関係を作ることができるナイスガイでもある。これができる男は強い。素直に心からそう思う。終盤の夫婦喧嘩は売り言葉に買い言葉で罵り合いがどんどんとエスカレート。最後には思わず心にもないことを叫んでしまい、後悔の念に打ちひしがれ、崩れ落ちて行く。密室に男女二人が寄り添い合う様は、夫婦という関係の一筋縄ではいかない難しさがよくよく表れていた。

 

子はかすがいと言うが、子は庇護者の顔色をよく観察している者でもある。同僚のアメリカ人は子どもを一年間アメリカの祖父母に預ける形で留学させたが、子どもはアメリカ滞在中は父母の不満を漏らして祖父母の庇護を巧みに得、日本に帰ってからは祖父母の不満を述べて以前よりも手厚い庇護を得ているという。我々はしばしば子どもを純粋無垢な存在だと認識している。純粋の部分は否定しないが、無垢という点に関しては検討が必要だろう。映画や文学においてもそれは同じである。

 

本作はアメリカの地域性の違い、そのコントラストを映し出してもいる。日本で言えば関東と関西だろうか。寒くて住居も小さく生活圏が比較的狭くなりがちなニューヨーク。温暖で、住宅が広く、どこへ行くにも車が必需品なロサンゼルス。それはまるで男と女の生物学的な差異を象徴しているかのようでもある。

 

知り合いの弁護士の方が常々おっしゃるのは、弁護士を立てる前に当事者で徹底的に話し合うべき、もしくは協議の前に弁護士の助言を仰ぐべき、ということである。もちろん商売でそう言っている面もあるだろうが、本作のようなドラマを観ると、これは真正の忠告であることがよく分かる。いったん離婚の手続きを弁護士に委ねてしまえば、お互いの減点材料の探り合いと責め合いになってしまう。弁護士の仕事は紛争の解決であるが、紛争の予防も仕事の柱である。弁護士の全てが『 ジュラシック・パーク 』に出てくるblood-sucking lawyerではないと信じているが、弁護士は誰も彼もがある程度は人の生き血をすすって金儲けをしている面は否定できない。離婚に際しての財産分与のあれこれを活写している点は実に参考になる。

 

結婚というのは難しい。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でも阿部寛が結婚にまつわる各種の名言を引用するエピソードが最近あったが、本ブログ的には『 ゾンビランド:ダブルタップ 』のウィチタの台詞、「結婚したカップルがすることは一つ、離婚することよ!」を引くべきなのだろう。そのとおりになってしまったチャーリーとニコールの夫婦を、それでも応援したいという気持ちにさせてくれる本作は、既婚者にこそぜひ観て欲しいと思える仕上がりである。

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ネガティブ・サイド

ローラ・ダーン演じる弁護士のテンションが高すぎないだろうか。聖母マリアについて語るシーンは良いとしても、その他のシーンでの彼女のテンションの高さが、映画のトーンとマッチしていないように感じられた。チャーリー側が最初に接触したレイ・リオッタ演じる弁護士が典型的なblood-sucking lawyerだった。そのテンションに合わせるなら、その男の登場シーンが来てからでよかった。大女優と大監督の采配にケチをつけても詮無いことだが。

 

息子のヘンリーが失読症気味であること、その息子の読解の訓練に甲斐甲斐しく付き添うチャーリーの姿が争点にならないのは何故なのか。弁護士はもっとチャーリーのプラスの点を見るべきだ。

 

そのアダム・ドライバーは思わぬ歌唱力を披露してくれるが、日本語の歌詞が一部間違っている。字幕翻訳には字数制限という大きな制約があるのは承知しているが、二番以降の歌詞が命令形になっていることには、それなりの意味がある。そこを訳出できていなかったのは翻訳家の大きな減点材料となる。英語リスニングに自信のある人は、耳を澄ませて歌詞と字幕の意味を比較してみよう。

 

総評

結婚生活の負の側面が噴出するが、『 ゴーン・ガール 』と違って、結婚生活の闇の面は出てこない。そうした意味では、未婚者にも本当はお勧めすべきなのかもしれない。結婚の終わりは関係の終わりではなく関係の変化である。日本も離婚率が3割に達しているが、それはこの男女の関係の因習を新しく捉え直す時代に入ってきた、あるいはそうした世代が増加してきたことの証左だろう。であるならば、高校生や大学生あたりも室内デート・ムービーとして鑑賞してもいいのかもしれない。つまりは万人向きの良作ということである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put ~ away

 

~を片づける、の意である。

 

散らかってるおもちゃを片付けなさい = Put the toys away.

本を片付けなさい = Put your books away.

服を片付けなさい = Put the clothes away.

 

ただし、部屋を片付けるや、机を片付ける(机そのものではなく、机の上の物を片付ける)場合には、異なる表現になる。Word for wordではなく、状況に応じて言葉や表現の意味を理解するように努めるべし。成人の学習者なら尚更である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ヒューマンドラマ, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 マリッジ・ストーリー 』 -既婚者、観るべし-

『 ドクター・スリープ 』 -S・キングの世界へようこそ-

Posted on 2019年12月1日2020年4月20日 by cool-jupiter

ドクター・スリープ 75点
2019年11月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ユアン・マクレガー カイリー・カラン レベッカ・ファーガソン  ダニー・ロイド
監督:マイク・フラナガン

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『 シャイニング 』の続編である。いきなり本作から観る人は少数派だろうが、もし可能なら『 ダーク・タワー 』や『 IT イット 』シリーズも事前に鑑賞されたし。というのも本作は『 シャイニング 』のその後の物語であり、スティーブン・キングの創造世界の一端でもあるからである。

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あらすじ

母との死別後、展望ホテルの悪夢から逃れるために酒に溺れていたダニー(ユアン・マクレガー)。 “シャイニング”を始め、様々な力を持つアブラ(カイリー・カラン)という少女。その力を狙うローズ・ザ・ハット(レベッカ・ファーガソン)ら人外の者たち。“シャイニング”で通じあったダニーとアブラは、戦いに身を投じていく・・・

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ポジティブ・サイド 

『 プーと大人になった僕 』では、Jovianの同僚のイングランド人に「あれはクリストファー・ロビンじゃない」と酷評されてしまったユアン・マクレガーだが、今回は実に良い仕事をしたと言えるし、ビジュアル面でもダニー・トランス(ダニー・ロイド)の成長した姿であると充分に受け入れられる。『 シャイニング 』で怯える母をまさしく狂演したシェリー・デュバル、子役の演技としては最高峰のものを見せたダニー・ロイド、シャイニングをダニーに教えたハロランさん(スキャットマン・クローザース)と容貌も話し方も瓜二つのキャストを使って、前作のエンディング後を序盤に描いたことで、本作と前作が地続きの世界であるということに充分な説得力が生まれた。

 

レベッカ・ファーガソンも人外の化生を率いるローズ・ザ・ハットを巧みに演じていた。アメリカやカナダはとにかく子どもの誘拐が頻発する(その犯人の多くは親だったりする)国で、テレビを観ていると、結構な頻度でアンバーアラートが出る。そうしたことは『 白い沈黙 』(監督:アトム・エゴヤン 主演:ライアン・レイノルズ)や『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』などの作品からもよく分かる。同時に天才を発見することにも長けた国である。そのことは『 ドリーム 』や『 ギフテッド 』などから分かる。S・キングは児童の不可解な蒸発に対して、真結族という答えを用意した。そこに説得力があるのが、原作者キングの手腕である。我々の生きる世界は、様々に数多く存在する世界の一つに過ぎないことは彼の他の作品からも明らかである。そうしたキングの世界観をマイク・フラナガン監督は巧みに再現した。例えば、日本人が本作を観れば、「狐憑きも、もしかして“シャイニング”の一種なのか」と感じるだろう。

 

本作に特徴的なのは、“シャイニング”という能力がより広がった、あるいは深まったところだろう。そして、それを体現したアブラの活躍が印象的だ。前作(映画版)ではダニーは(そしてトニーも)それほど活躍できなかったが、今作のダニー、そしてアブラはかなり強い。前作がホラーにしてスリラーなら、本作はサスペンスにしてサイキック・バトル・アクションである。特にハロランさんがダニーに授ける技や、アブラがローズに仕掛ける罠は、『 NIGHT HEAD 劇場版 』のマインドコントロール・バトルよりも興奮した。クライマックスは『 貞子vs伽椰子 』的なのだが、キャラクターにキャラクターをぶつけるのではなく、キャラクターを場所=展望ホテルに呼び込むというところが良い。これがダニーが新たに身につけたシャイニングとの相似形を成しているからである。

 

『 アップグレード 』のようなトリッキーなカメラワークあり、ユアン・マクレガーがオビ・ワン・ケノービに見えてしまう瞬間ありと、ストーリー以外の部分でも楽しめる要素が多い。ホラー映画というよりも、超能力バトルものなので、前作の狂気が受け入れられなかったという向きにも今作はお勧めできる。

 

ネガティブ・サイド

せっかくよく似た役者を探してきたというのに、肝心かなめの“あのお方”が全く本人に似ていない。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』のオールデン・エアエンライクもハリソン・フォードにはあまり似ていなかったが、今作のあの人も負けず劣らず前作のあの人に似ていない。これは致命的ではないか。『 キャプテン・マーベル 』的な方法で解決できなかったのだろうか。それでは予算オーバーになってしまったのだろうか。『 ジェミニマン 』的な買い得決方法ではなく、『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』のタルキン提督的な解決も無理だったのだろうか。

 

まさかキング御大が平野耕太の『 HELLSING 』を読んでいるとは思えないが、ダンの“シャイニング”がちょっとアーカード的すぎないだろうか。同時に、人外の化生どもの死に方があまりにも呆気なさすぎるのではないか。それこそ『 HELLSING 』ではないが、銃弾一つひとつに異常なこだわりを持てとは言わない。それでも、ダニーとアブラが念を込めただとか、この森には強い正の霊気があるだとか、何かあってしかるべきだった。

 

また、とあるシーンでアブラが携帯をポイ捨てするのだが、あの状況で「カチャ」という音はしないはずだ。実際に試したことはないし、試したくもないが、「ここは○○○という設定で撮影しているのだ」ということを感じさせてはいけない、絶対に。

 

【全ての謎が明らかになる!】などと煽っていたが、トニーは結局現われなかった。この謎のイマジナリー・フレンドは二作品通じて結局は謎のままである。思わせぶりにトニーの出現を示唆する台詞もありながら、この展開ではトニーが浮かばれない。

 

総評

一部に、うーむ・・・と眉をひそめざるを得ないシーンや演出もあるものの、エンターテインメント性は前作よりも上である。シャイニングの静謐な雰囲気と狂気の芸術性の完成度は否定できないが、本作のように娯楽度を高めることも重要である。キューブリックの路線を敢えて踏襲しなかったフラナガン監督の決断は評価されるべきである。S・キングのファンなら必見。ホラーやファンタジーのライトなファンであっても、『 シャイニング 』を鑑賞して臨めば、世界の広さや深さに触れることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

That was then and this is now.

 

「それは過去で、これは今だ」の意である。アナ雪(今もって未視聴である)のTheme Songに“The past is in the past.”という歌詞がある。『 インビクタス/負けざる者たち 』でもM・フリーマン演じるネルソン・マンデラが“What is verby is verby. The past is the past.”と言っていた。過去は過去、というだけではなく、過去は過去で今は今だ、と言いたい時に上の台詞を思い浮かべてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, カイリー・カラン, ファンタジー, ホラー, ユアン・マクレガー, レベッカ・ファーガソン, 監督:マイク・フラナガン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・スリープ 』 -S・キングの世界へようこそ-

『 ブライトバーン 恐怖の拡散者 』 -全てがこけおどしのクソホラー映画-

Posted on 2019年11月29日2020年4月20日 by cool-jupiter

ブライトバーン 恐怖の拡散者 20点
2019年11月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エリザベス・バンクス デビッド・デンマン ジャクソン・A・ダン
監督:デビッド・ヤロベスキー

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『 地獄少女 』がホラーとは言えないビミョーな出来だったので、ホラー成分を求めて本作へ。やはり季節外れのホラーは観るものではないと思わされた。何という駄作。

 

あらすじ

ブライトバーンに暮らすトーリ(エリザベス・バンクス)とカイル(デビッド・デンマン)の夫婦はなかなか子どもを授からなかった。そんな時、天空から飛来した何かが自宅近くに落下。その後、二人はブランドンを名付けた赤ん坊を育て始めた。12年後、少年に成長したブランドンは、自分が普通の人間ではないと気付き始めて・・・

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ポジティブ・サイド

それほどメジャーではない俳優でも、演技面ではしっかりしているのがハリウッド映画の長所か。エリザベス・バンクスもデビッド・デンマンも、過去の出演作を鑑賞したことがあるが、正直なところ記憶には残っていない。それでも本作を観て感じるのは、迫真の演技をしているということ。例えば『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』はレオ様とブラピでなければヒットしなかっただろうが、『 クワイエット・プレイス 』はエミリー・ブラントやジョン・クラシンスキーでなくとも、『 孤独なふりした世界で 』もエル・ファニングやピーター・ディンクレイジでなくとも、それなりの結果を残せた作品であったと感じる。役者の演技力で言うなら、オリンピックの100メートル走のランナーのようなものか。世界トップとその他のランナーの差は0.1~0.5秒差。超高額なギャラを要求するような大御所を起用せずとも、アイデアと演出で勝負する時代が来つつある。里親二人の熱演から、そのようなことをつらつらと考えた。

 

主演のジャクソン・A・ダンも悪くなかった。ジェイソン・クラーク的というアレだが、元々の容貌が正義の味方というよりもダークサイドを内に秘めた感じがしていて本作にはマッチしている。『 アンブレイカブル 』では見事に子役をこなし、『 ミスター・ガラス 』では頼もしく成長した姿を披露したスペンサー・トリート・クラークを彷彿とさせる。彼のハンドラー達は彼をしっかりと名脇役に育てて欲しい。

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ネガティブ・サイド

オリジナリティの欠如も甚だしい。ここまで様々なネタををあちこちの映画からパクってくるとは、監督・脚本家・プロデューサーの連中は一体何を考えていたのだろうか。

 

まず始まりからして『 IT イット 』である。リメイク版ではなくテレビ映画版である。干した洗濯物をかき分けて進む画は他作品でも色々と見られるが、それを本作で取り上げる意義は何か。プロットも『 スーパーマン 』のパクリである。オマージュではない。パクリである。もしくは漫画『 ドラゴンボール 』で、孫悟空がじっちゃんに育てられず、サイヤ人として成長していれば・・・というプロットの焼き直しでもある。

 

異能の力を持つ子に親が銃口を向けてしまう画は『 テルマ 』が既に見せてくれているし、キャンプに行った先で子どもがいなくなるというのも『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』で既に見た。

 

他にも『 クロニクル 』の空飛ぶシーンそっくりの構図あり、『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』でキングギドラがゴジラに加えた攻撃方法と全く同じことをブランドンがやったりと、全編これ、過去作品のモンタージュで出来ているかのようだ。

 

もちろん、ホラー映画のクリシェもふんだんに取り入れられている。カメラが片方にパンして、もう一方に戻ってくると、そこには!!という手垢まみれの手法をこれでもかとばかりに全編にわたって使いまくる。もちろん、不快感を誘う低音の音楽がジャンプ・スケアのタイミングをしっかりと教えてくれるので、感じるのは恐怖ではなくビックリだけ。子どものノートを見た親が、そのダークな中身に衝撃を受けるというのは『 ビューティフル・ボーイ 』が先行している。目から光線というのもスーパーマンそのままだが、光る眼で恐怖を演出するのは、ジョン・ウィンダムの小説を映画化した『 光る眼 』のクライマックスで体験済み。無数の子どもたちが無言のまま一斉に目から白い光を放って、人間の形ではなくなっていくあのシーンの方が遥かに恐怖感を味わわせてくれた。

 

本作にサスペンスがないのは、ブランドンが葛藤を経験しないからである。なぜ自分に注目してくれるクラスの可愛い女子に怪我を負わせるのか。力の使い方や使いどころを間違ってしまったわけではない。ただの思い込みに過ぎない。自分がちょっとでも気に入らない者は無条件に傷つけるというのなら、いじめっ子的なクラスメイトが無事なのは何故なのか。ブランドンの何もかもがこけおどしで、恐怖の演出もクリシェばかり。図々しくも続編も視野に入れているようだ。こんな映画を作って、あるいは観て、誰が得するというのだろうか。

 

総評

観てはならない。チケットを買ってはいけない。レビューだけ見て満足すべし。もしも高い評価を与えているレビュワーがいれば、目が節穴か、依頼されて書いていると思っていい。それぐらい酷い駄作である。2019年はホラーの凶作年だったか。面白かったのは『 アス 』ぐらい。2020年の『 シライサン 』と『 犬鳴村 』に期待するとしよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s have some fun.

 

日本語にすれば「楽しもうじゃないか」という意味である。いざ子作りしようというカイルとトーリの会話中の台詞である。だからといってロマンチックな、あるいはセクシャルな文脈だけで使う表現ではない。普通にパーティーに出席したり、スポーツやゲームに参加したり、あるいはライバルや強敵との戦いに臨むなどにも使うことができる表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, エリザベス・バンクス, ジャクソン・A・ダン, デビッド・デンマン, ホラー, 監督:デビッド・ヤロベスキー, 配給会社:Rakuten Distribution, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ブライトバーン 恐怖の拡散者 』 -全てがこけおどしのクソホラー映画-

『 ファースト・マン 』 -宇宙飛行士を生還させた家族の絆-

Posted on 2019年11月28日 by cool-jupiter

ファースト・マン 60点
2019年11月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ライアン・ゴスリング クレア・フォイ ジェイソン・クラーク カイル・チャンドラー
監督:デイミアン・チャゼル

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かんとk 

劇場鑑賞しようと思い、できなかった作品は毎年いくつもある。本作もその一つ。『 アド・アストラ 』は面白さとつまらなさを同居させた作品だったが、静謐な雰囲気のSFを観たいという欲求を蘇らせてくれた。めでたくTSUTAYAで準新作になったので借りてきた。

 

あらすじ

宇宙飛行士のニール・アームストロング(ライアン・ゴスリング)は、飛行訓練に励んでいた。ソ連との宇宙開発競争に後れを取っていたアメリカは、J・F・ケネディ大統領の掛け声の下、人類初の月面着陸を目指していた。しかし、そこには家族との別離の苦悩、経済格差、そして飛行士の命を奪う事故など、問題が数多く存在しており・・・

 

ポジティブ・サイド

ライアン・ゴズリングはやはり当代随一の役者の一人であると感じる。内に秘めた感情を表には出さない。しかし、それを表出する時には、静かに、しかし激しく表出する。『 ドライブ 』で愛しのアイリーンが人妻と分かって意気消沈している時に、以前のクライアントが話しかけてきたのを静かに、しかし力強い脅し文句ではねつけるシーンがあったが、今作でもよく似たシーンがある。そこではさらに孤独感のにじみ出る強い拒絶を見せる。我々は宇宙飛行士と聞くと、肉体は壮健で頭脳は聡明、危機において心を乱さず、統率力も抜群であると思い込みがちである。いや、実際はその通りなのだろうが、そうした超人的な属性を以ってしても、アストロノートも一人の人間であるという事実は変わらない。一人の組織人であり、家庭人であり、社会の一成員であるということである。上司に報告し、同僚と競い合う。そうした意味ではサラリーマンでも共感できるところ大である。また、子どもを失うという例えようもない悲しみを胸に秘めていたり、妻と言い争いになってしまったり、子どもいる前で仕事の苛立ちを爆発させてしまったりと、これまた既婚サラリーマンあるあるを見せてくれる。そうなのだ。これはスーパーヒーローの物語ではなく、宇宙飛行士という国家的英雄の本当の姿を映し出す物語なのだ。

 

『 ブレス しあわせの呼吸 』でもダイアナを好演したクレア・フォイは、普通ではない男と結婚した女性という役がハマるタイプか。漫画『 ファントム無頼 』でも太田指令や西川など、現役パイロットとして常に死の危険と隣り合わせであることから妻に不安を与えていることが描かれていた。戦闘機パイロットでもそうなのだ。まして宇宙飛行士。そして、文字通りに前人未到の月面着陸ミッション。鬼気迫る表情で子どもたちに話すように促すクレアを見て、「母は強し」という格言の意味を再確認した。

 

ラストシーンも趣が深い。言葉はなくともニールの頭の中が、文字通り見て分かるのである。他にもアームストロングのひげの長さでさりげなく時間経過を知らせる演出なども芸が細かい。映像芸術として随所に秀逸な画が挿入されているところが光っている。

 

ネガティブ・サイド

本作はSFと見せかけた伝記映画でありヒューマンドラマである。その点だけを見れば合格点だが、月への飛行および着陸ミッションのスペクタクルが少々弱い。それが本作の眼目ではないにしろ、余りにもその部分を芸術的に描き過ぎている。冒頭の訓練飛行シーンの方がスリリングだった。もっともこれは最初からネタがばれている歴史物の宿命でもあるのだが。

 

荒涼とした月面に初めての足跡を残した時、「人類」という単語をアームストロングは使った。その人類とは、誰なのか。『 アルキメデスの大戦 』や『 風立ちぬ 』と同じく、巨額の税金が国家的なプロジェクトに注ぎ込まれる一方で、その割りを食うのは常に庶民である。黒人が貧しい暮らしを余儀なくされる一方で、白人が月に行く。そのような社会的な矛盾をも背負って月へ飛んだアームストロングが月面から地球を見た時に胸に去来した思いは何であったのか。それは観る者の想像力に委ねられている。しかし『 ドリーム 』でケヴィン・コスナーが、『 インターステラー 』ではマイケル・ケインが、それぞれにフロンティア進出の必要性を語っていたように、アメリカ人(ゴズリングはカナダ人だが)というのはフロンティア開拓を無条件に是とする傾向がある。当時の社会情勢について、アームストロング自身の口から何かが語られていたのは間違いないはずで、それを使うか、あるいは現代風にアレンジして、現代向けのメッセージとして再発信はできなかったのだろうか。このあたりがアメリカ人の楽観的過ぎる気質なのだろうか。何でもかんでもファミリー万歳はもうそろそろ卒業すべきだろう。

 

総評

SF映画ではなく歴史映画、伝記映画、そしてヒューマンドラマである。ZOZOを絶妙のタイミングでほっぽり出した無責任男の宇宙旅行計画あり、民間のスペースポートの開港が間近に迫っているとのニュースもあり、我々は再び月を目指そうとしている。その意味で、人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロングの人生を追体験することは、我々一人ひとりが来るべき未来をシミュレートすることになるのかもしれない。『 アド・アストラ 』や『 メッセンジャー 』など、思弁的なSFが作られる土壌がハリウッドにあるのであれば、誰か水見稜の小説『 マインド・イーター 』をハリウッドに売り込んでくれないだろうか。もしくは日本でアニメーション映画化してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Out of this world

 

直訳すれば、「この世界の外側へ」であるが、実際の意味は「この世のものとは思えないほど素晴らしい」である。記者たちに夫の宇宙飛行について尋ねられたジャネットが当意即妙に“Out of this world!”と答えたシーンから。ジェームズ・P・ホーガンの小説『 内なる宇宙 』でも似たような会話があった。以下、手持ちの本から引用。

“What on earth are you doing here?” Hunt had to force himself to hold a straight face until he had gone through the motions of looking up and about.

“I could say the same about you — except that ‘earth’ is hardly appropriate.”

 

これは宇宙船の中でのジーナとハントの会話である。on earthの使い方が適切ではないのではないか?とEnglishmanのハントがアメリカ人のジーナをからかっている。ホーガンの≪巨人≫三部作も、誰か映像化してくれないものだろうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, カイル・チャンドラー, クレア・フォイ, ジェイソン・クラーク, ヒューマンドラマ, ライアン・ゴズリング, 伝記, 歴史, 監督:デイミアン・チャゼル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ファースト・マン 』 -宇宙飛行士を生還させた家族の絆-

『 国家が破産する日 』 -韓流社会派サスペンスの秀作-

Posted on 2019年11月28日2020年4月20日 by cool-jupiter

国家が破産する日 75点
2019年11月24日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:キム・ヘス ユ・アイン ホ・ジュノ チョ・ウジン ヴァンサン・カッセル
監督:チェ・グクヒ

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国家が破産するとは過激なタイトルである。しかし、現実に国家が破産することはありうる。記憶に新しいところではギリシャだろうか。では、その前は?それはお隣の韓国だった。1997年当時、Jovianは高校生だったためか、韓国のデフォルトに関するニュースは記憶にない。だが、そのために余計なことを考えることなく素直に物語に入って行くことができた。

 

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あらすじ

1997年、韓国銀行の通貨政策チーム長ハン・シヒョン(キム・ヘス)は、国家破産の危機が迫っていることに気付いた。政府は国民に周知せず、極秘裏に対策を進めようとする。一方、金融コンサルタントのユン・ジョンハク(ユ・アイン)は独自にデフォルトの危機を察知、大儲けを企む。町工場の経営者ガプス(ホ・ジュノ)は大手百貨店から大口の注文を受けるも、現金決済ではなく手形決済を受け入れていた・・・

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ポジティブ・サイド

キム・ヘス演じるチーム長がひたすらにクールである。どこか『 シン・ゴジラ 』で尾頭ヒロミを演じた市川実日子を思わせる。相手が上司であろうと上級官僚であろうとIMFの専務理事であろうと、自分の信念に基づいて、言わなければならないことは言う。女性であっても男性であっても、これができる人間は多くない。こうした人物の下で、あるいはこうした人物と共に働ければ、それは果報である。

 

通貨危機を利用して一攫千金を目論むユン・ジョンハクというキャラも面白い。安定した職を文字通りに捨ててしまい、一発逆転の大勝負に出て、見事に大金を手に入れる。しかし、彼がカネと引き換えに失ったものは・・・ 経済の破滅に乗じてひと財産築く話は古今東西によくある話である。近年では『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』がまさにそうだった。『 ゴールド/金塊の行方 』も、ある意味では危機に乗じて大きく儲ける話だと言えるかもしれない。ジョンハクの生き方を見習おうとは思わないが、彼のような野望には憧れるという向きには、上の二作品を勧めたい。

 

町工場のガプスが個人的には最も刺さった。好景気に沸く国、大手の百貨店との大口取引、これで従業員にさらに仕事を提供できるし、妻も働きに出ずに済む。娘の学費の工面もできる。庶民の望みうる幸せに手が届こうかという時に、危機が襲い来る。現金決済。日本のバブル全盛時を経験した世代は、銀行からの借入金を現金で受け取り、商売上の大きな取引においても札束を詰めたスーツケースを持参していたと言う。韓国の事情は分からないが、日本ではようやくキャッシュレスが浸透しつつある。しかし、そこにはユン・ジョンハクの言う“与信”の問題が常につきまとう。日本でもキャッシュレス決済ではなく現金決済の方が安全安心だという声が大きな災害のたびに聞かれる。本作は日本にとって他山の石となるだろうか。

 

本作は『 シン・ゴジラ 』と同じく、超高速会話劇でもある。山場は二つ。パク・デヨン演じる財務次官とハン・シヒョンの丁々発止のやり取り。政府は事態を公表し、国民への被害を最小限に抑えるべしと主張するシヒョン。それをせせら笑うかのように反論を述べる次官の対立では、特にパク・デヨンの憎たらしいまでの演技が冴え渡る。もう一つの山場はIMF専務理事とのホテルの密室でのやり取り。ヴァンサン・カッセルは『 トランス 』に出ていたのを覚えている。IMFからの金融支援の条件として外資による韓国上場企業の株の保有率の上限アップや正規労働者の解雇の容易化と非正規労働者の増加などを淡々と条件として突き付けてくる理事に対し、シヒョンは理路整然と反論する。やはり『 シン・ゴジラ 』の矢口蘭堂の如く、政府上層部や国際機関に対しても毅然とした態度を崩さない。日韓ともに、このようなヒーローを生み出すということは、現実の政治や経済が上手く言っていないことの証明でもある。会話劇でスリルとサスペンスが生み出されるのは、往々にして法廷闘争ものだが、政治・経済系のドラマでもこれができるというのは新鮮な体験だった。

 

最後の最後に映し出される並木通りの摩天楼の何と寒々しいことか。まるで大阪の淀屋橋か本町のオフィス街を観るようだが、そこにあるのはバベルの塔か、それとも砂上の楼閣か。

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ネガティブ・サイド

パク・シヒョンという魅力的なキャラクターの肩書がチーム長であるが、チームとしての強さや見せ場に乏しかったように思う。序盤で各種資料を言われるよりも前に揃え、チーム長に恭しくコートを着せるメンバーたちは確かに頼もしく映ったが、彼ら彼女らの協力や水面下での働きにフォーカスするシーンがあれば尚よかった。

 

ジョンハクの豹変っぷりも理解できなことはないが、元々金融屋として働いていた男である。Jovianも昔々信販会社で働いていたので分かる。血も涙もない人間が出世するのがあの業界である。さらなる儲けの為にそこを飛び出した男に、良心の呵責などを求めるのは無い物ねだりである。ジョンハクという超絶ポジティブキャラクターは、それこそ徹頭徹尾ハゲタカとして描写した方がスカッとしたことだろう。

 

総評

日本でもこのような話を作ってもらいたい。心からそう思える良作である。ぜひ市川実香子を起用して日本版の政治経済サスペンスものを作ろう。二番煎じが何だ。山一証券の破綻を2時間で映画にすべし。監督は『 空飛ぶタイヤ 』の本木克英か、『 七つの会議 』の福澤克雄で。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

ミアネ

 

韓国語で「ごめん」の意である。『 猟奇的な彼女 』で“彼女”が山に登ったキョヌに向かって大声で名前を呼んだ後、涙声で「ミアネ」と呟くシーンのインパクトはあまりにも強烈だ。韓国語は英語よりも日本語話者の耳に馴染みやすいので学びやすい。韓国旅行に行く時は、「~~~チュセヨ」、「ケンチャナ」、「コマウォ」そして「ミアネ」だけ覚えていれば、後は度胸で何とかなる。Jovianが保証する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ヘス, サスペンス, 監督:チェ・グクヒ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 国家が破産する日 』 -韓流社会派サスペンスの秀作-

『 ゾンビランド:ダブルタップ 』 -安住の地とは土地ではない-

Posted on 2019年11月27日2020年4月20日 by cool-jupiter

ゾンビランド:ダブルタップ 70点
2019年11月24日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

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まさかまさかの『 ゾンビランド 』の続編である。リアルタイムでは10年を経ているが、ストーリー上では2~3年という感じだろうか。その中でも、ウィチタの妹のリトルロックが最も変化が大きいのは理の当然である。本作は彼女の成長を契機に始まる。

 

あらすじ

コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)、タラハシー(ウディ・ハレルソン)、ウィチタ(エマ・ストーン)、リトルロックの4人はゾンビを撃退しつつ生き抜いていた。無害なゾンビ、賢いゾンビ、気配を消すゾンビなど、新種のゾンビも誕生する中、コロンバスの独自ルールは72に増えていた。だが、思春期を過ぎたリトルロックは父親面をするタラハシーをあまり快くは思っておらず・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングシーンから笑わせてくれる。レディ・コロンビアがトーチでゾンビをぶん殴るのである。オープニングロゴに細工を施して観客を映画世界に誘うのは、これまでは20世紀フォックスの専売特許だったが、コロンビアもこの流れに乗ってくれた。歓迎したいトレンドである。

 

相変わらずゾンビをぶっ殺しまくっている。デ・パルマ・タッチのスローモーションに『 マトリックス 』のバレットタイムで描くのは、ルーベン・フライシャーが前作から変わらず採用する撮影技法で、こういうものにホッとさせられる。前作と本作がキャラクター以外の面でも地続きになっていると感じられるからである。

 

本作ではリトルロックが家出をする。いや、家といってもホワイトハウスに勝手に住みこんでいるだけなので、厳密には彼ら彼女らの家ではない。しかし、リトルロックの行動は家出以外に表現のしようはない。そのリトルロックを追うウィチタと、それを追うコロンバスとタラハシー。そこで出会う様々な人々とのドラマが本作の肝である。

 

ウィチタといい仲になったコロンバスであるが、基本的な童貞気質は変わっていない。プロポーズとは自分が盛り上がっている時に行うものではなく、相手が盛り上がっている時にするものである。そこのところを分かっていないコロンバスは、ゾンビ世界ではいっぱしのファイターかもしれないが、現実世界ではコミュ症かつ非モテとなるだろう。そこらへんの成長のなさが安心感をもたらしてくれる。

 

今作ではタラハシーにも春らしいものが訪れる。プレスリーをこよなく愛する彼が、女性から“I feel my temperature rising”などと囁かれては、奮い立たないわけがないのである。そして、今作のアクションでも彼が主役を張ってくれる。中盤の似た者同士バトルと最終盤の大量ゾンビとのバトルは見応えがある。特に中盤のバトルはワンカットに見えるように巧みに編集されているが、それによってスリリングさが格段に増している。また最終バトルはまさかの諸葛孔明の八卦の陣とタラハシーのルーツを融合させた、びっくりの作戦である。

 

途中で合流してくるパッパラパー女子がアクセントとして機能しているし、この頭と股がゆるめの女子のおかげで、観客はリトルロックのことを責めるのではなく心配してしまう。ややご都合主義的ではあるが、ゾンビ世界ではこういうキャラが存在しても全く不思議ではない。

 

前作から本作にかけて、この奇妙な4人組は疑似家族を形成するわけだが、それは安住の地を求める旅でもあった。ゾンビという恐怖の存在を、絶対に相容れない他者の象徴だと思えば、なんとなく現実世界とリンクしてくるものもあるのではないだろうか。血の繋がりではなく、育んだ絆の強さ。それが人間関係の根本なのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

コロンバスのルールが増えるのはよいとして、それをしっかり順守しよう。後部座席のっチェックは基本中の基本ではないか。ジェシー・アイゼンバーグ本人もルーベン・フライシャー監督も、スタッフの誰も気付かなかったのだろうか。

 

せっかく新種のゾンビも出てきたというのに、紹介されただけで終わってしまったゾンビもいる。なんと不遇な存在であることか。そのゾンビの名前を知れば、某国の映画ファンは歯痒さを覚えるのだろうか。

 

この世界で本当にゾンビを寄せ付けない楽園を築こうとするならば、バリケードだけでは不足だろう。バリケードの内側に堀を作り、さらに跳ね橋を設置するべきだ。平和主義者のヒッピーらしいといえばらしいのかもれしれないが、よくあれで生き延びることができたなと逆の意味で感心させられた。ゾンビの進化に合わせて、人間も進化しなくてはならない。

 

総評

前作に負けず劣らずのユーモラスなゾンビ映画である。本作からいきなり鑑賞する人は少数派だろう。しっかりと前作を鑑賞した上で臨むべし。そうそう、エンドクレジットが始まっても、絶対に席を立ってはいけない。本作最大の見せ場は最後の最後にやってくるからである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’ve got to snap the f**k out of it.

『 影踏み 』でも紹介したsnap out of itが本作で使われている。リトルロックを追ってウィチタが出て行ったことにいつまでもウジウジしているコロンバスに対して、タラハシーが上の台詞を言い放つ。Fワードが入っているのはご愛敬。このFワードを正しく使えるようになれば、英語中級者でコミュニケーション上級者である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ゾンビランド:ダブルタップ 』 -安住の地とは土地ではない-

『 決算!忠臣蔵 』 -忠臣蔵をよく知らない人向けのコメディ-

Posted on 2019年11月24日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 決算!忠臣蔵 』 -忠臣蔵をよく知らない人向けのコメディ-

決算!忠臣蔵 65点
2019年11月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:堤真一 岡村隆史
監督:中村義洋

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Jovianの出身地、兵庫県は一体感に欠ける地域である。元々、但馬・丹波・播磨・摂津・淡路の五カ国がくっついて生まれた県なので、当然と言えば当然である。神戸は別格としても、全国的に知られているものとして姫路市の姫路城、西宮市の甲子園、宝塚市の宝塚歌劇団、明石市のタコと鯛と子午線、淡路島の玉ねぎ、丹波の黒豆、城崎の温泉などが挙げられる。これらに負けず劣らずの知名度を誇るのが赤穂の塩、そして赤穂浪士たちである。大河ドラマや二時間ドラマとして数限りなく生産されてきた赤穂浪士たちを、ゼニカネの面から描き直す。これは非常にユニークな試みである。

 

あらすじ

赤穂藩主の浅野内匠頭は江戸城にて吉良上野介に刀傷を負わせた咎で、幕府に切腹を申しつけられ、お家断絶、知行召し上げとなった。喧嘩両成敗の原則を無視した幕府に、大石内蔵助(堤真一)ら赤穂浪人たちはお家再興か、仇討ちかで揺れる。しかし、勘定方の矢頭長介(岡村隆史)らの計算では、経済的な余力はとてもなく・・・

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ポジティブ・サイド

今という時代に出るべくして出た作品である。経済格差の拡大がいかんともしがたく、社会の大部分に閉塞感が蔓延している時世に、一服の清涼剤になっている作品である。赤穂の志士たちは、いわゆる「無敵の人」との共通点が多い。しかし、彼らを討ち入りに駆り立てたものは本質的には武士のプライドである。「君に忠」という精神である。自身の尊厳が傷つけられた代償を、自分よりも弱い人間や無関係な人間に求める傾向の強い「無敵の人」とはそこが異なる。

 

またサラリーマンの悲哀とも重なる描写が多い。前線の営業部隊は「もっとこっちにカネ回せよ、こっちは体を張って仕事をしてるんだ」と言い、後方の管理運営部門は「後先考えず湯水のようにカネ使ってんじゃねー、てめーらの足りねー脳みそをこっちが補ってるんだ」と言っている。現実にそこまでギスギスした会社は少ないだろう。だが、程度の差こそあれ、似たような対立の構図はどこの会社や組織にも見られるだろう。番方と役方、どちらの側に肩入れして観ても楽しめる。

 

限られた予算がどんどんと吹っ飛び、徐々に人=コストに見えてくるのは滑稽であり、虚しくもあり、悲しくもある。大石内蔵助に共感することで、経営者の視点をシミュレートできると言ってもいい。雇用者にとっても被用者にとってもリストラは苦しいものである。しかし、赤穂浪士たちはすでに幕府によってリストラされた存在。そうした者たちがさらにリストラをされるということの悲哀を、本作はユーモアたっぷりに描き出す。不謹慎にも笑ってしまった。

 

終盤の評定(ひょうじょう)は、集団心理の危うさを端的に示している。当初7000億円とされていた某国のオリンピック開催費用は、いつの間にやら3兆円とも4兆円とも囁かれるまでになっている。何故このような馬鹿げた事態が起きてしまうのか、その舞台裏では赤穂の浪人たちのような盛り上がり優先の空気があったからではないか。随所で現代をユーモラスに批評する時代劇コメディの佳作に仕上がっている。

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ネガティブ・サイド

残念ながら忠臣蔵のストーリーをある程度知っている人ならば、オチというか経費削減のための逆転ネタに驚きが感じられない。例えば、大坂夏の陣の真田幸村およびその部隊が赤備えであったことはよく知られている。同じように赤穂浪士たちの討ち入りの装束についても知識があれば、大逆転のアイデアのインパクトが弱まってしまう。

 

部屋住みの子どもたちが堀部安兵衛に駆け寄るシーンがあるが、この時の子どもたちが露骨にカメラを避けるように動いていた。目の前に何も障害物が無い場所で、いきなりひょいっと脇に動いていく動きは不自然極まりない。編集で何とかならなかったのだろうか。

 

冒頭で阿部サダヲが登場しているせいか、後半の大石内蔵助の遊廓通いが『 舞妓Haaaan!!! 』に見えてしまった。実際、和装の舞妓をバックハグするシーンは、同作にそっくりの構図が見られた。オマージュのつもりかもしれないが、オリジナリティの欠如に見えた。

 

討ち入りに直接は関わらない赤穂浪士の数が多く、キャラクター間の人間関係や上下関係を把握するのに少し苦労する。また、序盤以降はコメディのほとんどを大石内蔵助の関西弁と顔芸に頼っており、その他キャストが輝きを放てていない。

 

エンドクレジットのシーンで絵巻などでもよいので、見事に吉良を討ち取ったことを伝える画が欲しかった。本作が最もエンターテインできる観客は、赤穂事件を名前ぐらいしか知らないというライトな層なのだから、その結末までしっかりと伝える義務があると思う。

 

 

総評

財務面から赤穂事件を再構築するのは文句なしに面白い試みである。そして実際に本作は面白い。サラリーマンであれ、経営者であれ、それぞれの視点で楽しめることだろう。ただし、時代劇や歴史そのものに詳しい映画ファンを唸らせる作りにはなっていない。本格的な赤穂事件の前日譚を期待しているような人はその点をよくよく注意されたし。案外と高校生や大学生カップルのデートムービーに適しているかもしれない。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why should I let them kick sand in our faces?

 

大石内蔵助の言う「何でここまでコケされなアカンねん」という台詞の私訳である。UsingEnglish.comに秀逸な説明があったので引用する。

 

sand kicked in your face means to be insulted by someone or something you are powerless to fight back against.

 

顔面に砂を蹴り込まれる=誰か、もしくは何かに、反撃する力を持っていないとして侮辱されること、の意である。この表現は『 ボヘミアン・ラプソディ 』でも歌われた“We are the champions”の歌詞にも出てくる。英語学習の上級者ならば知っておいても損はない慣用表現である。

おまけ

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矢頭長介の墓

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大阪市内の淨祐寺

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, 堤真一, 岡村隆史, 日本, 時代劇, 監督:中村義洋, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 決算!忠臣蔵 』 -忠臣蔵をよく知らない人向けのコメディ-

『 わたしは光をにぎっている 』 -東京の一隅に居場所を見出す少女の物語-

Posted on 2019年11月24日2020年4月20日 by cool-jupiter

わたしは光をにぎっている 65点
2019年11月23日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:松本穂香 渡辺大知 光石研
監督:中川龍太郎

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高校生ぐらいの頃は、本屋に行っては背表紙のタイトルだけ見てミステリやサスペンス小説を買っては読んでいた。本作は久々に、タイトルだけで鑑賞を決めた作品である。あらすじやキャストなど、事前の情報は極力仕入れずに鑑賞した。その甲斐もあってか、思いのほか楽しむことができた。

 

あらすじ

両親を早くに亡くした宮川澪(松本穂香)は、民宿を営む祖母に育てられた。だが祖母の入院により、その民宿も閉業。父の古い友人である三沢京介(光石研)の元に身を寄せる。スーパーでバイトを始めた澪だったが、長続きしなかった。澪はやがて京介の営む銭湯・伸光湯を手伝うようになる。その界隈では映像作家の緒方銀次(渡辺大知)らとの出会いもあり、澪は少しずつ世界との関わりを学んでいく・・・

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ポジティブ・サイド

現代日本の閉塞感、それにより生じる息苦しさ、もっと言えば生き辛さを克服していく過程の切り取った作品である。舞台が東京の下町の銭湯に設定されている点がよい。Jovianの出身地の兵庫県尼崎市は、昔に比べて数は相当に減ったものの、それでも昔ながらの銭湯が結構残っている。そこには独自の人間関係や生活のリズムといった、ユニークな生態系が存在している。Jovianは月に1~2回ぐらい銭湯に行くので、本作の世界にスッと入って行くことができた。

 

無口な少女である澪が東京の洗礼を浴びるシーンは少し痛々しい。東京では、人間関係が役割によって規定されている。店員は客の声を聞くものである。ただ、無防備に近い状態の人間がサンドバッグにされてよい道理はないし、正社員だからといってアルバイトと話す時に目を合わせなくてよいということもない。とにかく上京してすぐの澪は居場所のない無力な存在なのである。これによって観客は澪を応援したくなってしまう。これで澪を「どんくさい奴だな」と思ってしまう人は『 翔んで埼玉 』を観て、東京の富や権力が何によってもたらされ、維持されているのかを、再確認した方がよい。

 

伸光湯に居場所を見出していく澪と、その澪に仕事の在り方を見せる京介の疑似的な親子関係は清々しい。自身も口数の少ない京介である。浴場の掃除の仕方をあれこれと口で教えたりはしない。まず自分がやってみる。それを澪にやらせていく。頭を下げるべきところでは頭を下げ、しかし、それによって澪を叱責したりはしない。炉にもくもくと木を放り込んでいく姿は一つのプロフェッショナリズムの極まった形だろう。『 羊と鋼の森 』でもやや偏屈な調律師を演じた光石研は、いぶし銀の代名詞である。

 

渡辺大知のキャラも良い味を出している。伸光湯は平成どころか昭和の風情を残した貴重な銭湯である。その界隈も古き良き時代の名残を我々に伝えてくれるものである。そうしたものを映像という形で残そうという試みは、中川龍太郎監督自身の意識の表れなのだろう。

 

監督のこだわりはカメラワークにも表れている。普通の映画と比べて、ロング・ショットが多用されている。一つには、澪の孤独を視覚的に分かりやすく示すためであり、一つには、澪のパーソナル・スペースに徐々に他人が入ってこれるようになってきたことを示すためである。番台をしている澪を窓の外から映すシーンでは、東京の片隅で確かにこのような形で存在し、生活している人間がいるのだということを印象付けた。カメラワークも冴える作品である。

 

ネガティブ・サイド

澪の入浴シーンまでロング・ショットで撮影するとは、中川監督に喝!・・・というのは、もちろん冗談である。

 

冗談はさておき、スーパー銭湯でも昔ながらの銭湯でも、「脱衣所でスマホ・携帯を使用しないでください」という注意書きが貼られる時代である。同性の裸を見たいという男性も存在するし、女性が盗撮した動画を男性側に提供することもありうるのである。嫌な時代である。だからこそ、脱衣所や浴場そのものも映し出すことにトライすべきではなかったか。伸光湯は澪の居場所となるだけではなく、地域の人々の憩いの場であったり、認知症が進んだ老人の行き先であったりするわけである。そうした下町人情を映し出す必要もあったと思う。『 テルマエ・ロマエ 』という優れた先行作品もある。『 サウナのあるところ 』というモザイクすらかけなかった作品もあるのである。

 

エンディングは味わい深い。ただ、『 スリー・ビルボード 』のように、その一瞬先を見たいというこちらの欲求を満たしてくれるものではなかった。セルフ・ネグレクト気味の京介の目に映る成長した澪の姿。例えばそれは笑顔であったり、快活な声であったり、あるいはテキパキとした仕事ぶりであったり、何でもよいのだ。「そこは観る人の想像力に委ねます」という中川監督の意図も分かる。だが、「過去の名言を語る男に未来はない」ように、我々はその先を見たいのである。

 

総評

格差が定着した感のある日本である。しかし、日々を精いっぱい生きることが無意味なわけでは決してない。澪や京介の不器用な生き方は、むしろ好ましくすら映る。銭湯要素がやや少なめなのが残念だが、社会的なメッセージと人間ドラマを両立させた邦画の佳作である。スルーしてきた『 湯を沸かすほどの熱い愛 』を観てみたいという気分になった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Use your imagination.

 

京介の「想像力を働かせろよ」という台詞の私訳である。~を働かせる=let ~ workなどと公式にあてはめてはいけない。英語を使うコツは、簡単な動詞を駆使することである。「常識で考えろ」というのも、”Use common sense.”と言うのだと覚えておこう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 光石研, 日本, 松本穂香, 渡辺大知, 監督:中川龍太郎, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 わたしは光をにぎっている 』 -東京の一隅に居場所を見出す少女の物語-

『 地獄少女 』 -いっぺん、観てみる?-

Posted on 2019年11月21日2020年9月26日 by cool-jupiter

地獄少女 25点
2019年11月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:玉城ティナ 森七菜 仁村紗和
監督:白石晃士

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隙間時間が生まれたので映画館へ。そんな暇があれば仕事をすべきなのだろうが、たまには羽を伸ばすことも必要である。季節外れのホラー映画に特に期待はしていなかったが、やはりダメ作品であった。しかし、暇つぶしとちょっとした目の保養になったので良しとすべきなのだろう。

 

あらすじ

誰かに強い恨みを抱いて午前0時にネットで「地獄通信」にアクセスすれば、憎い相手を地獄送りにできるという都市伝説が出回っていた。そんな時に、美保(森七菜)は南條遥(仁村紗和)と知り合う。しかし、遥が歌手の魔鬼のバックコーラスになった時から、美保は遥から引き離されてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

『 天気の子 』の陽菜のvoice actingを務めた森七菜も、それなりに眼福。大人と子どもの中間的な存在をよくよく体現していた。

 

先行するアニメもドラマも一切観たことが無いが、玉城ティナは地獄少女の閻魔あいというキャラクターをよくよく理解しているなと感じた。劇中で昔懐かしの童謡を歌う玉城ティナの声(本人の声?)は実に美しい。わらべ歌のサウンドスケープは夕焼けである。そして夕焼けは『 君の名は。 』で言うところの誰そ彼時の入り口に通じている。閻魔あいの登場シーンは、毎回それなりに凝っていた。エキゾチックな顔立ちの美少女が和服を着ると、それだけで絵になる。

 

玉城ティナよりもエキゾチックに感じられたのは仁村紗和。暴力上等で暴力常套の謎めいた美少女役がはまっていた。高校生役はかなり無理がありそうだが、大学生ならまだまだ全然通じる。超絶駄作だった足立梨花主演の『 アヤメくんののんびり肉食日誌 』をリメイクするなら、仁村紗和で是非どうぞ。

 

まあ、白石監督という人は、個性的な顔立ちの美少女を集めて、わーわーキャーキャーな映画を作りたい人なのかな。そうした妙なポリシーは嫌いではない。

 

ネガティブ・サイド

これって一応、ホラーやんな?なんで開始1分で笑いを取りにくるんや?おもろい顔の禿げちゃびん爺さんがいきなりブレイクダンスを始めて、思わず劇場で

 

( ゚∀゚))、;’.・ブハッ!!

 

ってなってもうたわ。一応ホラー映画観にきたのに、コメディかギャグを見せつけるのは勘弁してや。看板に偽りありやで。ハイソな尼崎市民のJovianが、思わず大阪の天下茶屋のおっちゃんみたいな喋りになってもうてるやないか。

 

冗談はここまでにして、『 不能犯 』の宇相吹正の視線と同じく、出来そこないの万華鏡をCGで再現したかのようなエフェクトは何とかならんのか。CGを否定しているのではない。それを用いて効果的な視覚効果を生み出せていないことを批判しているのである。異界に通じる、または異界に送り込む視覚効果において『 2001年宇宙の旅 』のスターゲート・シークエンスを乗り越えるようなアプローチを、ほんの少しでも構想したか。観る者の心胆を寒からしめる地獄送りエフェクトを考案したか。そうした努力が残念ながら見られない。色使いにおいても蜷川実花監督のビジュアル感覚の方が優っている。

 

魔鬼というキャラクターにもオリジナリティが感じられない。映画化もされた漫画『 日々ロック 』のMAREがもう少しいろいろ拗らせた感じのキャラにしか見えない。ただ、MDMA所持で沢尻エリカ逮捕のニュースは、もしかすると本作のパブリシティに少しは貢献してくれるかもしれない。

 

本作品では様々な人物が様々な動機から地獄通信にアクセスし、憎い相手を地獄に送っていくが、その動機をどうしても理解しがたい人物がいる。なぜ死体があがったわけでもない行方不明の段階で、その人間の死亡を確信するのか。なぜ、あの段階で地獄通信にアクセスできるだけの「強い憎しみ」を持てるのか。

 

そして肝心かなめの地獄のイメージも今一つである。おいおい、『 ザ・フライ 』かというシーンあり、タイトルを思い出せないが、ネクロノミコンがうんたらかんたらのC級ホラー映画そっくりのシーンありと、オリジナル作品の割にオリジナル要素が不足している。また本作は人間が描けていない。クラスメイトに不満のある美保、母親と確執のある遥をはじめ、ライターの工藤もそうであるが、人間関係に鬱屈したものを抱えている人間の苦悩の描写が弱い。特に工藤に至っては、母親の遺影を飾っている部屋の中で、堂々と女子高生の美保に「一発やらせろ」と迫る。泉下の人となった母も、これでは草葉の陰で泣いている。世界が腐って見えるのは、その人間の世界観と人間観が腐っているからである。そのことは、やはり玉城ティナ出演の『 惡の華 』が既に明らかにしている。またそうした世界の悪意から逃避先が音楽であることも『 リリイ・シュシュのすべて 』の焼き直しである。人間描写とオリジナリティ不足。これでは高い評価は与えられない。

 

総評

ジャンル不明の珍作である。『 来る 』よりも、更にもう一段つまらない。個性的な顔立ちの美少女達を大画面で鑑賞したいという向きにしかお勧めできない。心されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How about you die?

 

How about S + V? という表現は、受験英語に出てくるのだろうか?出て来ないのならば、それは日本の英語教育の夜明けがまだ来ていないことを意味する・・・というのはさすがに大袈裟すぎるか。How about if S + V? という形はTOEICに時々出てくるので、学生よりもビジネスパーソンの方が、この表現には馴染みが深いだろう。「いっぺん」という二音節にHow aboutを、「死んでみる」の二音節にyou die?を乗せて発声すれば、あなたも閻魔あいの気分を味わえるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ホラー, 仁村紗和, 日本, 森七菜, 玉城ティナ, 監督:白石晃士, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 地獄少女 』 -いっぺん、観てみる?-

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