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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: B Rank

『 フォードvsフェラーリ 』 -戦友と共に戦い抜くヒューマンドラマ-

Posted on 2020年1月12日 by cool-jupiter

フォードvsフェラーリ 75点
2020年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マット・デイモン クリスチャン・ベール
監督:ジェームズ・マンゴールド

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タイトルはやや misleading である。アメ車のフォードとイタ車のフェラーリの戦いというよりは、フォード社内のイニシアチブ争いがメインになっている。そういう意味では『 OVER DRIVE 』というよりは、『 七つの会議 』&『 下町ロケット 』的である。もちろん、カーレースは迫力満点で描写されており、アクション面でも抜かりはない。

あらすじ

フォード社はフェラーリ社を買収しようとするも失敗。フォード2世はその腹いせにフェラーリを公式レースで破ることを決意。ル・マン24優勝経験者のキャロル・シェルビー(マット・デイモン)を登用する。シェルビーはドライバー兼開発者のケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)と共に、新車の開発に邁進するが・・・

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ポジティブ・サイド

マット・デイモンが光っている。元ドライバーとしての炎がくすぶっていながら、健康上の理由でレースには出られない。カリスマ性と口舌で車のセールスマンとして成功しながらも、勝負師として完全燃焼しきれないというフラストレーションが隠せていない、そんな男を好演した。このレーサーでありながら会社員という二面性が、シェルビーというキャラクターを複雑にし、また味わい深い人物にしている。サラリーマンがロマンを感じやすく、なおかつ親近感を覚えやすいのである。

そんなシェルビーのsidekick を演じたケン・マイルズも渋い。ふと、『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーは、ケンの孫、つまりピーターの息子なのかな、などとあらぬことも考えた。スポーツカーはスポーツカーらしく乗れと顧客に言い放つのは、傲慢さからではなく、クルマへの純粋な愛着からである。そのことは、自分のクルマを“she”と呼ぶことからも明らかである。男性は自分の乗り物をしばしば愛車や愛機と呼ぶのである。だからといってケンがクルマ一辺倒の男だというわけではない。彼にはプロフェッショナリズム以上に妻と息子への愛情があり、チームへの信頼がある。開発中のクルマのパーツや性能の不満をあけすけに語るのは、それをチームが改善できると確信しているからだ。

この現場組と、フォード2世をはじめとする経営側、つまり背広組の間のイニシアチブ争いがプロットの大きな部分を占めている。フェラーリ買収の失敗はドラマの始まりであり、1966年のル・マン24時間レースは、ドラマの大きな山であるが、本筋は男たちの友情と、ある種の権力闘争である。営業と企画、支部と本社など、普通のサラリーマンが入りこめる話である。特に、現場のリーダーであるシェルビーに己を重ね合わせる一定年齢以上の会社員は多いのではないか。中間管理職として胃が痛くなるような展開が続き、ただでさえ心臓に爆弾を抱えているようなものなのに、胃にまで穴が開いてはかなわない。そんなシェルビーがル・マンのレースで、犯罪スレスレの行為で敵チームをかく乱する一方で、フォード社の獅子身中の虫とも言うべき副社長を相手に一歩も引かない対決姿勢を鮮明にする。このような男を上司にしたい、またはこのような男を同僚に持ちたい、と感じるサラリーマンは日本だけで300万人はいるのではないか。

レースシーンも迫力は十分である。特に7000rpmの世界は新幹線のぞみ以上の世界で、人馬一体ならぬ人車一体の世界である。“There’s a point at 7,000 RPMs where everything fades. The machine becomes weightless. It disappears.”というシェルビーの呟きが何度か聞こえるが、何かもが消え去った世界でケン・マイルズの脳裏に浮かんだものは何であったのか。それは劇場でご確認いただきたい。

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ネガティブ・サイド

レースシーンの結構な割合がCGである。CGの醸し出すウソ臭さは、気にする人は気にするし、気にしない人は気にしない。Jovianは気になってしまうタイプである。ちょうどグランフロント大阪のピクサー展でサーフェシングやライティングについて見学をしてきたというタイミングの良さ(悪さ?)もあったのかもしれないが。

背広組で唯一、現場の力になろうとするリー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)の存在感が皆無である。上層部へのプレゼンの失敗フェラーリの買収交渉失敗、副社長の現場介入阻止の失敗と、失敗続きである。これが史実なのだろうか。もうちょっと美化した描き方はできなかったのだろうか。

翻訳に一か所、間違いを見つけてしまった。新聞のヘッドライン“FORD LOSES BIG”が、「 フォード、巨額の損失 」と訳されていたが、これは誤りである。正しくは、「フォード、(レースで)惨敗」である。林完治氏のポカであろう。

総評

これは血沸き肉躍る傑作である。レースのスリルと迫力よりも、モノづくりに全精力を惜しみなく注ぎこむ男たちのドラマを楽しむべきである。男と男が分かり合うためには激しい言葉をぶつけあうことも必要だが、取っ組み合いの喧嘩の方が早い場合もある。我々がシェルビーとマイルズの関係に魅せられるのは、二人が子どものまま大人になっているからなのだ。男一匹で観ても良し、夫婦でもカップルでも良し、家族でそろって観るのも良しである。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’ll be damned.

「こいつは驚いた」というニュアンスの表現である。かなりインフォーマルな表現である。とにかくビックリした時に使おう。“I’ll be damned.”だけでも頻繁に使われるが、 I’ll be damned if ~ という形で使われることも多い。

I’ll be damned if he knocks out the champion.

I’ll be damned if I fail this test.

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, クリスチャン・ベール, スポーツ, ヒューマンドラマ, マット・デイモン, 伝記, 歴史, 監督:ジェームズ・マンゴールド, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 フォードvsフェラーリ 』 -戦友と共に戦い抜くヒューマンドラマ-

『 フランシス・ハ 』 -Girls Be Ambitious-

Posted on 2020年1月9日 by cool-jupiter

フランシス・ハ 75点
2020年1月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:グレタ・ガーウィグ アダム・ドライバー
監督:ノア・バームバック

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『 レディ・バード 』の監督グレタ・ガーウィグの主演作。モノクロ映画というのは観る側の想像力を掻き立てるものがある。

 

あらすじ

NYの街でモダン・ダンサーになることを夢見るフランシス(グレタ・ガーウィグ)は親友のソフィーと二人暮らし。しかし、ボーイフレンドとの同居を拒んだことから破局。その上、ソフィーは将来を見据えて転居することに。フランシスは仕方なく元カレの友人のルームメイトであるレヴ(アダム・ドライバー)の家に転がり込むが・・・

 

ポジティブ・サイド

主人公フランシスが何とも愛おしい。美人だからとかセクシーだからとかではない。彼女の人生は、実はまったく上手く行っていない。にもかかわらずフランシスはへこたれない。ウソでもホラでも何でもござれの奇妙なバイタリティで突き進んでいく。しかし、その方向も全然正しくない。こんなキャラクターが主人公なのに、なぜこれほどフランシスを応援したくなってしまうのか。

 

一つには彼女の目指すものがモダン・ダンサーであるということ。Jovianは職業柄、TOEFL iBTというテスト対策を教えることが多い。そこでは、しばしばアメリカ史が扱われるが、その傾向はほとんど常に“時代の転換点”である。モダン・ダンスはバレエの枠を破壊することから生まれた。フランシスは、サクラメントの片田舎出身の自分という枠を、ニューヨークで華々しく踊る自分という像でもって壊そうとしている。ダンスとは自己表現の極まった形である。ところが、これが上手く行かない。いつまで経ってもフランシスは実習生(apprentice)のままである。自分というものをさらけ出しているにもかかわらず、それが認められない。なんとも現代的ではないか。

 

もう一つには、彼女の年齢もあるのだろう。27歳というと、一昔前の日本なら所帯を持ち始めることを期待される年齢だろう。それはアメリカでも同じようである。だが、モラトリアム期間が長くなった現代、27歳は本当ならまだまだ自分の可能性を模索することに多くの時間を費やしてよい年齢にも思える。一方で、親友のソフィーが結婚に向けて動き出したように、人生の形をある程度定めることを考え始めなくてはならないのも事実である。このあたりが『 ブリジット・ジョーンズの日記 』と共通するところで、それゆえに男性よりも女性の支持や共感を得るポイントだろう。この、若いけれどもそれほど若くない、というジレンマをブリジットとは違う切り口で描いたところに本作の価値がある。

 

さらに、彼女の出身地と、実際に暮らしている場所のギャップもある。『 レディ・バード 』でも描かれていたが、サクラメントは極めて保守的な土地だ。ニューヨークとは全く異なる世界とも言えるだろう。だが、サクラメントで家族や地元の人々と過ごすクリスマスの何と充実していて、なおかつ何と寒々しいことか。濃密な交流が行われているにもかかわらず、フランシスは溶け込めない。充実した人間関係とは、親交のある人間の数ではなく、親交の深さで測られるべきなのだ。そして、非モテ=undatableとのレッテルを貼られた自分が、本当に必要としているものが何であったのかに気がつく。保守的な土地から先進的な土地に出てきた自分の考えが保守的になっていたことに、フランシスは気付く。哲学者M・ハイデガーの言う「気遣い」、日本語で言うところの「有難み」である。自分探しとは、畢竟、自分と世界との関わり方を規定するということなのだ。

 

モノクロ映画ゆえに色の表現が乏しいが、それゆえに想像力が刺激される。実際に、フランシスが腕から出血しているところはよく見えないし、実家のまな板の色が赤であることも伝わらない。しかし、バームバックの狙いはそこではない。フランシスの行く先々では、様々な人々の会話や交流が生まれるのだが、それらが必ずしも描かれない。夏合宿の寮の管理人として、廊下でうずくまって泣く少女とのシーンが好例である。大人と子どもの鮮やかな対比が描かれ、フランシス自身が自分の姿に気付く・・・というシーンは描かれない。だが、それで良いのである。世阿弥の言う「秘すれば花なり」である。想像力を刺激する。それだけで、それは素晴らしい芸術である。

 

フランシス・ハの「ハ」は、おそらく間投詞だろう。英語圏でも、よく使われる音声である。Jovianは大昔、ナムコの『 エースコンバット 』シリーズにハマっていた。その一つ、『 エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー 』でWingmanのピクシーというキャラは鉄器を撃墜すると“Ha!”と叫んでいた。またディスク表面のタイトル表記も、このことを裏付けているように思う。我々が文字を大きく書くのは、それを大きな声で読んで欲しい時である。以上より、フランシスは最後の最後にフランシスに成長した。そのことに、自ら感嘆の声を上げていると考えられる。何とも素敵な演出ではないか。

 

ネガティブ・サイド

アダム・ドライバーの出番が少ない。まあ、それはしょうがない。彼が本格的に売れる前の作品なのだから。

 

二番目のルームメイトとなるベンジーがいい奴すぎる。こんな素敵な男性がいるのだろうか。Jovianは大学の四年間を男子寮で暮らしていたから分かる。こんなに良い男はめったにいない。ベンジーに一瞬でもグラリと来ないフランシスはどうかしている。一瞬の気の迷いのようなものでもよい。ベンジーとフランシスの間にロマンティックな空気が流れる瞬間があればよかったのだが。

 

最後の最後は『 オズの魔法使 』のように、一瞬だけカラーに転じても良かったかもしれないと、少しだけ思う。

 

総評

女の友情が基軸となっているが、男でも同じである。自分が何者であるのか、または何者になるのか、そのことに悩み苦しむのが若さである。奇しくも同じテーマは同じくバームバック監督の『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』でも繰り返されている。回り道に見えても、振り返ってみれば、それが最適なルートだった。人生とは往々にしてそういうものである。日本ではアラサー前後の男女がデモグラフィックである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pass up

見逃す、の意味である。テレビ番組を見逃すのではなく、チャンスを見逃すの意味で使われる。劇中では“It is too good to pass up.”=「それ(そのアパート)は良過ぎて、逃す手はないの」という具合に使われていた。またジョージ・ルーカスも『 ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス 』で“It was an opportunity I could not pass up.”というように、この表現を使っていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, グレタ・ガーウィグ, ヒューマンドラマ, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:エスパース・サロウLeave a Comment on 『 フランシス・ハ 』 -Girls Be Ambitious-

『 パラサイト 半地下の家族 』 -韓国社会の分断を象徴的に描く-

Posted on 2019年12月31日2020年9月26日 by cool-jupiter

パラサイト 半地下の家族 75点
2019年12月30日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ チェ・ウシク パク・ソダム
監督:ポン・ジュノ

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半地下とは面白い構造である。『 怪しい彼女 』でも、バンド名に半地下=パン・ジハとつけられていた。韓国・ソウルは坂の街なので、半地下を持つ家、もしくは半地下に存在する家があることは珍しいことではない。しかし、本作の言う半地下の家族には、それ以上の意味がある。

 

あらすじ

半地下の家に暮らすキム一家は、家族そろって失業者。しかし長男ギウが友人の伝手で富裕家族の娘の家庭教師職を得たところから、妹ギジョンも家庭教師として、そして父も母もその一家から仕事を得るようになる。富裕家族に寄生するキム一家は、しかし、悲劇に巻き込まれて行く・・・

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ポジティブ・サイド

2019年の日本を読み解くキーワードの一つに、間違いなく「上級国民」が挙げられるだろう。その対義語はもちろん、「下級国民」である。かつての日本は一億総中流などと言われていたが、そんな時代は過ぎ去って久しい。上級国民=富裕層、特権階級だとすれば、下級国民=貧民層、社会的セーフティネットからの落伍者となろうか。トマ・ピケティの『 21世紀の資本 』を読むまでもなく、バブル崩壊以後の日本では、富める者がますます富み、中流とされた層がどんどん下層化していった。そして、『 国家が破産する日 』でも描かれていたように、韓国社会の経済的な分断は日本の20年先を行っている。つまり、日本においても本作で描かれているような上流階級と下層貧民の分断の進行、そして下層民が上層民に“寄生”して生きていくような社会の到来はほぼ確実であろう。そしてそれはジョーダン・ピールが『 アス 』で描き出そうとしたテーマ、すなわち「我々の敵は我々自身」というものと共通する。ありうべき自分と実際の自分の隔たりが大きくなる。それが、韓国でも日本でも、そしておそらく全ての先進国で進行している事態である。それを本作はコミカルに、さらにサスペンスフルに描いた。

 

キム一家は富裕な家族にうまく取り入り、元いた家政婦も追い出し、経済的な危地も脱する。それは爽快ですらある。やっていることは犯罪すれすれ、というか犯罪だが、そうでもしなければ抜け出せない負のスパイラルというものがある。自分たちが汚泥に塗れたことが、金持ちにとっては僥倖になる。これは決して比喩でも何でもなく、資本主義社会における極まった搾取の構造の一つである。これは韓国版の『 万引き家族 』ならぬ『 寄生家族 』であり、下剋上でもある。

 

ポン・ジュノ監督の要請に従ってネタばれは避けるが、中盤と終盤に素晴らしいドンデン返しが待っている。特に終盤のとあるキャラの豹変の理由を、とある感覚に求めたところは秀逸であると思う。映画は基本的に映像で見せるものであり、時に音声を聴かせるものでもある。見た目や話し方をどれだけ取り繕っても、存在そのものが放つものはごまかしようがない。それは行動や言動の否定ではなく、存在の否定である。耐えがたい屈辱である。『 ジョーカー 』、『 ボーダー 二つの世界 』に続く、虐げられた者にフォーカスした傑作外国映画がここに誕生した。

 

ネガティブ・サイド

富裕一家の長男の“解読作業”はどうなったのだろう。また、あれだけの金持ちがセンサーの不良と疑われるものをあれだけ長く放置するだろうか。そのあたりに上手い説明がなかったのが気になった。

 

序盤のミニョクとギウの友情はニセモノだったのか。ミニョクを裏切るにしても、もう少しギウに葛藤が欲しかった。『 ジョーカー 』のアーサー・フレックは、環境や状況によって道を踏み外さざるを得ないところに追い詰められた。もちろん本人の病気の問題もあったが、それは本人の人間性とは関係がない。ギウの人間性に疑問符がつくような描き方は、本作が目指す「社会構造の欺瞞を撃つ」というテーマを薄めてしまっている。

 

総評

お隣の韓国もなかなかに大変なようである。というか、放っておくと日本もこうなるのは火を見るよりも明らかである。家族という共同体の強固さと社会的な連帯の弱体化は比例するのか反比例するのか。貧富の格差が固定化された身分として定着してしまった時、第二の「フランス革命」が起きることすら予感させる。韓国発のこのサスペンスは、先進国にとって非常に示唆的な作品になっている。2020年、必見だろう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

スポイラー

映画の冒頭で監督から「ネタばれ厳禁」のお願い、キャストから「劇場マナー守ってね」メッセージがあったのだが、ポン・ジュノ監督は「ネタばれ」を「スポイラー」と言っていた。つまり、英語のspoilerである。韓国語にはネタばれにあたる語がないのかもしれない。そういう時には、外来語をそのまま使うのが賢いのだろう。劇中でも日本語が最低2回出てくる。一つはとあるガジェットの文字、もう一つは日本発の特定のタイプの人間を指すinternational languageである。といってもsamuraiやninjaではない。詳しくは劇場でどうぞ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, チェ・ウシク, パク・ソダム, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 パラサイト 半地下の家族 』 -韓国社会の分断を象徴的に描く-

『 殺さない彼と死なない彼女 』 -死なないでいる理由がそこにある-

Posted on 2019年12月20日2020年4月20日 by cool-jupiter

殺さない彼と死なない彼女 70点
2019年12月19日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:間宮祥太朗 桜井日奈子 恒松祐里
監督:小林啓一

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鷲田清一みたいな感想を持ってしまったが、確かに本作では、各キャラクター達が死なないでいる理由を追い求めていく。プロットにもちょっとした仕掛けもある。若者から中年まで幅広い層が劇場に足を運び、なかなかの入りだった。終盤ではかしこですすり泣きが聞こえた。この作品で泣けるのは、間違いなく若者である。そして、それは良いことだ。

 

あらすじ

留年高校生の小坂れい(間宮祥太朗)は、ふとしたことからリストカット常習者の鹿野なな(桜井日奈子)に興味を持つ。「殺すぞ」、「死ね」、そんな言葉を掛け合う二人だったが、いつしか二人の時間がとても愛おしいものになっていき・・・

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ポジティブ・サイド

原作者の世紀末は、角川文庫から出ている『 死なないでいる理由 』(著者:鷲田清一)を読んだのだろうか。それとも、人間の生と死を考察していくと、誰でもこのような思考にたどり着くものなのだろうか。哲学的に非常に深い問いの答えを、高校生たちの不器用な友情や恋愛未満といった関係を描写することで呈示しようとしている。小林啓一監督はかなりの手練れである。

 

「殺すぞ」だとか「死ね」といった過激な言葉を使ったことのない者はいないだろう。軽口のつもりで言うことがほとんどだろうし、本気で言ってしまったこともあるだろう。ただ、我々がこのような攻撃的な言辞を弄する時、ほとんどの場合は本気ではない。職場の上司や同僚がむかつく、だから「死ね」と思うことはあっても、本当に死んでほしいと心から願っているわけではない。むしろ、近しい関係だからこそ、そのような言葉を使うことができるという見方も可能である。一方で、我々はニュースで凶悪犯罪が報じられたりすると、「こんなことをする奴は死刑だ!」などと簡単に他者の死を願う。劇中でも触れられるが、遠くの人間の死、数の多過ぎる死は、我々にとって意味を成さない。「今、この瞬間にも飢えで亡くなる人がいるのです」と言われても、ピンとこない。鹿野ななは、そこに想いを馳せることができる貴重な人間である。そんな鹿野に興味を持てるれいもとても人間味にあふれた人間である。

 

本作の登場人物たちは、びっくりするほどテキストによるコミュニケーションを行わない。つまり、LINEやメールをしないのだ。「こいつら、本当に高校生か?」と思わされるが、それもまた小林監督の計算である。彼は東浩紀の『 郵便的不安たち 』を読んでいる。間違いない。携帯、さらにスマホによりコミュニケーション手段はより確実に、より強固になった。にも関わらず、我々は未読や既読スルーに悩まされるようになった。コミュニケーションが郵便的なのだ。手紙が届いたのかどうか、その不安により強く悩まされているわけだ。対面での、声によるコミュニケーションに徹底的にこだわっているのが本作の特徴である。

 

カメラワークも多くを語っている。ロングのワンカットがこれほど多用されている邦画は珍しい。特に桜井と間宮は、何かを食べているシーンばかりなので、NG → リテイクを繰り返せば、確実にカロリーオーバーだっただろう。また、キャラクターたちが一人の時は後ろから、二人の時は前から撮るというポリシーが、ほぼ全編を通じて貫かれている。一人の時は誰かを求めて前に進む。二人の時には、その後ろの道、つまり共に歩んできた時間が見える。そう言っているかのようである。

 

本作はオムニバス形式で進んでいく。きゃぴ子と地味子の女の友情、撫子と八千代の一方通行の恋が、それぞれに思わぬ形で「彼」と「彼女」の物語と関わりを持っている。人と人が関わること、その意義をこれほどまでに陳腐な手法で、これほどまでに深く、鋭くえぐり出した作品はちょっと思いつかない。2019年の邦画の中でも白眉の一つである。

 

ネガティブ・サイド

間宮祥太朗の演技に悪いところは見当たらないが、キャスティングにかなり無理がある。留年しているという設定にしても、高校生は無理がある。彼は悪い役者ではないが、本作では少々苦しかった。

 

八千代のキャラクターがイマイチだ。演じるゆうたろう自身も『 3D彼女 リアルガール 』と、何も変わっていないように見えた。また、八千代というキャラ自身が心の内に抱えているものも『 空の青さを知る人よ 』の某キャラと同じだった。どんな因果を抱えているのかと思っていたが、それならそれで自分なりに動いているということが分かる演出が欲しかった。八千代はあらゆる意味でがきんちょであった。

 

意識的か無意識になのかは不明だが、『 君の膵臓をたべたい 』と構成がそっくりである。それは長所でもあり短所でもある。しかし、本作の終盤は暗転 → 場面転換の繰り返しで少々ダレてしまう。非常に良い余韻を残すエンディングであるが、そこに行くまでに中だるみがあるのが残念である。

 

総評

『 ママレード・ボーイ 』で可もなく不可もなかった桜井日奈子が、これほどの成長を遂げているとは驚きである。可愛いだけの処女漫画的なキャラではなく、確かに息をして生きているキャラを具現化した。生きるということは、誰かと関わることであるというテーマを、近年では最も鮮烈に表現した邦画である。劇場で公開しているうちに観るべし。例え見逃しても、レンタルや配信で観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Die!

「死ね!」を直訳するとこうなる。実際に戦争映画では戦闘機や爆撃機のパイロットや戦車の砲撃手、狙撃兵などがしばしばこの台詞を呟いたり叫んだりする。日常で使うべきではない言葉だが、本作鑑賞後にこの言葉の意味に今一度想いを馳せてみて頂きたい。

 

また、本作に刺激を受けた、本作に考えさせられたという向きには鷲田清一の『 死なないでいる理由 』と東浩紀の『 郵便的不安たち 』をお勧めしておく。

 

 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 恒松祐里, 日本, 桜井日奈子, 監督:小林啓一, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ポニーキャニオン, 間宮祥太朗Leave a Comment on 『 殺さない彼と死なない彼女 』 -死なないでいる理由がそこにある-

『 ひとよ 』 -家族の崩壊と再生の物語-

Posted on 2019年12月13日2020年4月20日 by cool-jupiter

ひとよ 75点
2019年12月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:田中裕子 鈴木亮平 佐藤健 松岡茉優
監督:白石和彌

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『 凶悪 』や『 彼女がその名を知らない鳥たち 』、『 孤狼の血 』など、作品ごとに日常と非日常の境目(それは多くの場合、犯罪である)を描いてきた白石和彌監督であるが、今作では家族と非家族、あるいは家族と疑似家族の境目を映し出そうとしている。やっと劇場鑑賞できたが、なかなかに刺激的な作品であった。

 

あらすじ

稲村こはる(田中裕子)は、家族に暴力を振るう夫を自身のタクシーで轢き殺し、刑務所へ。残された長男の大樹(鈴木亮平)、次男の雄二(佐藤健)、長女の園子(松岡茉優)はDVから解放されたが、周囲の偏見と圧力に耐えて生きてきた。そして15年。その母が帰ってきた。子どもたちは母の受け入れに戸惑い・・・

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ポジティブ・サイド

日本の少子化の背景には、生涯未婚率の上昇がある。さらに離婚率も33%ほどもあるそうだ。つまり、家族が新しく生み出される機会そのものが減少し、なおかつ家族の崩壊(というと少しドラマチック過ぎるか)も進行中ということである。また乳幼児の虐待のニュースも定期的にメディアをにぎわせる。家族観は確実に変化しつつある。本作はその点を改めて問い直している。

 

罪を憎んで人を憎まずと言うが、このようなことわざが存在するということは、取りも直さず我々は罪を憎んで人をも憎むことが往々にしてあることを示唆している。警句が存在するのは、そうすることが望ましくとも、そうすることが難しいからである。罪を犯した人間だけではなく、その親類縁者まで攻撃するのは東北アジア、特に日本の地方に根強く残る慣習のようである。そのことは『 影踏み 』でも描かれていたし、今作でも同様である。奇しくもどちらも“北”関東。東京の人間に言わせれば、“南”東北である。

 

家族の一員の犯した罪のせいで、残された家族が被る被害は誰の責になるのか。一度そのようにして壊れた家族は再生可能なのか。そのような家族の出の者は幸せな家族を作ることができるのか。この点は『 友罪 』でも問われていた。Jovianは家族が殺人者でも、その家族の一員には新たな家庭を築く権利はあると考える。同じ轍は踏まないとの決意があることが条件になると思うが。本作では鈴木亮平演じる長男・大樹が、この問いに真正面からぶつかった。その中盤のシークエンスは、人によっては怒りに震え、人によっては悲痛の涙を流すことだろう。Jovianは大樹の言動に怒りを覚えた。Jovianの隣に座っておられたシニアの女性の方々は嗚咽を漏らしておられた。家族というものは難しい。それが呪縛になることがあるからである。

 

子どもたちの中で、しかし、最も印象に残ったのは松岡茉優の園子である。ひたすらにネガティブな兄二人とは対照的に、帰ってきた母に愛情を与える。『 “隠れビッチ”やってました。 』よりも、よほど健全なビッチになっていたが、それによりDVの父親に育てられると何故かDV男に惹かれてしまうという因果を上手く表現できていた。『 スリー・ビルボード 』のミルドレッド並みの口の悪さでありながら、そのうちに秘めた愛情への狂おしいまでの飢餓は、個人的には本作のハイライトだった。園子の胎内回帰願望が成就するシーンで、不覚にもJovianは涙した。

 

田中裕子は遂に『 二十四の瞳 』を超えたのかもしれない。TVドラマ『 おしん 』をリアルタイムで鑑賞していない世代としては、この御方はどちらかというと縁の下の力持ち的な役者だった。だが、ここにきて遂に代表作を送り出してきたと言える。まるで『 セッション 』のJ・K・シモンズのようである。酸いも甘いも噛み分けた、ではなく酸いしか噛みしめてこなかったような女性。その弱さと強さを同居させた圧倒的な存在感は、邦画もまだまだ捨てたものではないと思わせてくれた。

 

また、今作の子役たちの演技も堂に入ったものである。少女漫画の映画化に出てくるアイドル的な役者とは違い、しっかりとした演技になっている。このような子役らをしっかり育てていかないと、韓国映画やインド映画には勝てない。業界は頑張って欲しい。

 

ネガティブ・サイド

雄二の言う「飯のネタ」とは何なのだ。「飯の種」ではないのか。エロ本の記者でも、それぐらい語彙は正しく使ってほしいと思うが、小説家志望だという。それでこの誤用は戴けない。喝である。だが、直近でも『 屍人荘の殺人(小説) 』でも「断然」と「俄然」が堂々と間違えられていたりするので、日本語の乱れはいよいよ激しくなり過ぎて、もはや誤用が誤用ではなくなっているのかもしれない。憂うべきことである。

 

また、序盤にタクシーのルーフ視点でのショットがあったが、これはなかなか新鮮だった。惜しむらくは、終盤のアクションシーンでも、このようないつもと異なる視点からの撮影ではなかったことだ。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 』でも、時速100km/h超の機関車走行を、線路下から見上げるようなショットで、スピードを上手くごまかすシーンがあった。最後のシーンはおそらく時速10数キロといったところだろう。運転席や車内からの視点だと、スピードの見当が一瞬でついてしまう。別視点、別角度からの撮影はできなかったのかだろうか。やや興醒めするシーンでもあった。また、個々のタクシーと本部の無線の使い方が非常に巧みだったが、最後の韓英恵こそ、無線をちゃんと使ってほしかった。そこからでも三兄弟出撃という流れは作れたはずである。

 

総評

白石監督は、家族というものに今作はとことんこだわったようである。泣く泣く割愛させてもらったが、筒井真理子や佐々木蔵之介のキャラクターにも、現代社会の闇が宿っている。決してハッピーエンドではないが、しかし重く苦しい空気の中にも希望が見出せる作品である。今年の邦画の中ではトップテンに入るだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

And you’re a fucking part of it!

佐藤健がいう「外から見てみろ、この家族、狂ってんぞ」に対して松岡茉優が「テメーもその一人だよ!」と返す台詞の私訳である。日本語には多種多様な一人称(わたし、僕、吾輩、拙者、小生etc)や二人称(あなた、きみ、貴様etc)が存在するが、英語にはRoyaltyを除けば、IとYouしか存在しない。「テメー」という強い意味を出すには、上のようなFワードが最適解である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 佐藤健, 日本, 松岡茉優, 田中裕子, 監督:白石和彌, 配給会社:日活, 鈴木亮平Leave a Comment on 『 ひとよ 』 -家族の崩壊と再生の物語-

『 パターソン 』 -平凡な男の平凡な日々が輝く-

Posted on 2019年12月12日 by cool-jupiter

パターソン 75点
2019年12月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アダム・ドライバー ゴルシフテ・ファラハニ ネリー
監督:ジム・ジャームッシュ

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『 マリッジ・ストーリー 』が傑作だったので、アダム・ドライバー作品をさらに渉猟。こちらも良作。映画らしくない映画だが、そこが映画らしいと思えるのはエンターテイナーというよりはアーティストであるジャームッシュの持ち味か。

 

あらすじ

 

バスの運転手のパターソン(アダム・ドライバー)は愛妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)と愛犬マーヴィン(ネリー)と暮らしていた。バスの運転手と変わり映えのしない毎日を送るパターソン。しかし、彼は詩を読むことが日課だった。ある朝、ローラは双子を身ごもった夢の話を語る。その時からパターソンの目には街の様々な双子が映るようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

なんという平々凡々とした日々の繰り返しだろうか。それ自体は映画に限らず、様々な物語の導入部として充分に機能する。しかし、本作は最初から最後まで、ほとんどがパターソンの日常を描写するのみ。それが不思議な心地好さを生み出す。物語には事件がつきものである。そして、主人公は往々にして事件に巻き込まれるか、主人公の持つ背景がその事故の遠因になっているものだ。そうした映画的、物語的文法は本作には存在しない。まるで自分の日常であるかのように、彼の仕事ぶりや家庭人としての姿にリアリティが感じられる。パターソンという男の平穏無事な日常、そこにあるちょっとしたアクセントを存分に観察して堪能してほしい。

 

それにしてもアダム・ドライバーという男は稀有な存在である。大柄できわめて個性的な顔立ちをしていながらも、どんな役にもハマる。『 スター・ウォーズ 』でのカイロ・レンも良いし、『 ブラック・クランズマン 』での警察官役もクールにこなし、『 もしも君に恋したら。 』の悪友役も魅力的だった。本作でも、仕事をきっちりこなし、近所のバーで毎晩一杯やり、バーテンダーや常連客とちょっとした会話をし、妻を抱いて眠り、妻を抱きながら目覚め、白河夜船の妻にキスをする、そんな至って普通の男をこれ以上ないリアリティで演じた。まるで特徴のない男にすら思えるが、さにあらず。彼には詩人としての顔がある。Jovianには詩の何たるかを語る能力が不足しているので、例を二つ引きたい。漫画『 蒼天航路 』で夏侯惇が「こういう日にゃ詩才のないのが腹立たしくなる」とぼやくと、曹操が「続けろ、もう少しで詩になる」と促す。つまりはそういうことである。もう一つの例は詩人ジェームズ・ライトの“It goes without saying that a fine short poem can have the resonance and depth of an entire novel.”という言葉である。「洗練された短い詩一篇には小説一冊分の響きと深みが宿りうるということは言うまでもない」のである。パターソンが書きつける詩の言葉の一つひとつが、変わり映えしない日常の中のアクセントなのである。

 

妻ローラを演じたゴルシフテ・ファラハニもとても愛らしい雰囲気を醸し出している。手作りカップケーキがマーケットで売れたことで大喜びし、その臨時収入で夫とディナーをして白黒映画を観に行く。子どものいない夫婦であれば、特に珍しい光景ではない。しかし、そうした外出を心から喜び、楽しみ、夫に感謝し、人生を謳歌する様を見て、我々アホな男連中は「愛」という感情、そして「結婚」という因習の重みと意義を知るのである。『 ファウスト 』の「時よ止まれ、お前は美しい」ではないが、一つひとつの瞬間に有りがたみを感じられれば、それは素晴らしい人生であり、人間関係なのだ。フーテンの寅さんの言葉を借りれば、「なんて言うかなあ、ほら・・・、はあ、生まれきてよかったなって思うことが、なんべんかあるじゃない。ねえ、そのために人間、生きてんじゃないのか?」である。そうした心構えを実践し、こちらもそうした気分にさせてくれるローラは、妻の鑑である。

 

だが何と言っても、本作を最も輝かせているのはマーヴィンを演じたブルドッグのネリーである。TVドラマ『 まだ結婚できない男 』のタツオには悪いが、演技者としては月とすっぽんである。もちろん、ネリーが月でタツオがすっぽんである。それほど、この犬の演技は本作ではずば抜けている。終盤になって大事件を引き起こしてくれるが、そこに至るまでにも数々の名演技を披露する。特にイスの上から「何だ、テメー、この野郎」的にパターソンを見つめる様は、目の演技としては『 ジョーカー 』のJ・フェニックスに次ぐものであると感じた。

 

終盤、唐突に日本人が登場する。彼とパターソンが交わす言葉、彼がパターソンに贈るものの意味を考えてみよう。パターソンの生活は、一歩間違えればスティーブン・キングが『 ドリームキャッチャー 』で言うところの“SSDD, same shit, different day(日は変わっても同じクソ)”なのである。そうした日々が輝くのは何故か。それは彼が詩人だからである。なんと清々しい物語であることか!!!

 

ネガティブ・サイド

双子以外にも、カップケーキやギターなど、愛妻ローラの言葉を媒介に、パターソンが世界を観察する目を変えていく描写が欲しかったと思うのは贅沢だろうか。それは描かれなかった二週目、三週目の物語だろうか。

 

後は、パターソンがあまりにも普通の男過ぎて、映画に彩り、色が足りなかった。別の女性に話しかけてみたいという欲求があるのなら、それを試してみればよかったのだ。その上で、妻との会話や触れあいでしか得られない満足感や充足感があるのだということを、ほんのちょっと、本当に些細な出来事を通して描くことはできなかったか。しかし、このあたりの塩梅は実に難しい。それをひとつのイベントにしてしまうと物語世界全体のトーンが崩れる。かといって、そうした要素を極限まで排してしまうと観客が眠気を催す。だが、トライをしてみて欲しかったと思うのである。パターソンは、全ての平凡な男の象徴なのだから。

 

総評

アダム・ドライバーという役者のキャリア的には『 マリッジ・ストーリー 』と鮮やかなコントラストを成している作品である。どちらも傑作である。しかし、雨の日の室内デートでの鑑賞にはおそらく耐えられない。既婚で子どもなしという夫婦で鑑賞してみてほしい。いや、むしろTHE虎舞竜の『 ロード 』をカラオケで歌って、一人たそがれるようなオッサンにこそ観て欲しいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Speak of the devil.

「噂をすれば影」の意である。バーのとあるシーンで、女性が呟く一言である。ちなみに中国語では「说曹操,曹操就到」、「曹操の噂をすれば、曹操がやって来る」と言うようである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, ゴルシフテ・ファラハニ, ヒューマンドラマ, 監督:ジム・ジャームッシュ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 パターソン 』 -平凡な男の平凡な日々が輝く-

『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

Posted on 2019年12月7日2020年4月20日 by cool-jupiter

ラスト・クリスマス 70点
2019年12月7日 東宝シネマズなんばにて感想
出演:エミリア・クラーク ヘンリー・ゴールディング ミシェル・ヨー エマ・トンプソン
監督:ポール・フェイグ

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英国には偉大なシンガーを生み出す土壌がある。『 イエスタデイ 』のビートルズ、なかんずくジョン・レノン、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のフレディ・マーキュリー、『 ロケットマン 』のエルトン・ジョン、そして現代ではサム・スミス。本作はワム!、特にジョージ・マイケルの楽曲で彩られている。上に挙げた歌い手に共通するのは、愛を求めて彷徨ったということだろうか。永遠の名曲“Last Christmas”にインスパイアされた本作も、大きな愛を歌っている。

 

あらすじ

ユーゴスラビアからの移民であるケイト(エミリア・クラーク)は、“サンタ”(ミシェル・ヨー)の経営するクリスマスショップで働きながら、歌手としてデビューすることを夢見て、オーディション参加を繰り返していた。家族と疎遠であるケイトは、友人宅などを泊まり回るも、トラブルばかりで行き先をなくしてしまう。そんな時、店先に現れた不思議な青年(ヘンリー・ゴールディング)と知り合って・・・

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ポジティブ・サイド

名曲“Last Christmas”に新たな解釈を施したエマ・トンプソンに満腔の敬意を表したい。失恋からの立ち直りの歌をこうも鮮やかに再解釈するのかと唸らされた。何をどう解説してもネタばれの恐れがあるので、敢えて類似の作品を挙げるだけに留める。

 

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』

『 イソップの思うツボ 』

『 思い出のマーニー 』

『 勝手にふるえてろ 』

 

パッと思いつくのは、これらだろうか。作品タイトルだけでネタばれになりかねないので、シネフィルな方々におかれては、鑑賞前に上の白字部分を読むのは自己責任でお願いしたい。

 

『 シンプル・フェイバー 』でもヘンリー・ゴールディングを起用したポール・フェイグ監督だが、そのヘンリー・ゴールディングは『 クレイジー・リッチ! 』に続いてアジアのレジェンド女優ミシェル・ヨーと共演。アジア人がメインキャストを占めて、舞台がロンドン、製作国はアメリカというところに、時代の変化を感じざるを得ない。また、主人公がユーゴスラビア移民であること、国際化・多様化が極度に進むロンドンを舞台にしていることにも大きな意味がある。そしてJovianが冒頭でF・マーキュリーやE・ジョンやS・スミスに言及したことにも意味がある。ミシェル・ヨーというマダムがメインキャストを張ることにも意味があるのである。生きるとは、助け合うことであるということを本作は高らかに宣言する。

 

エミリア・クラークは『 ターミネーター:新起動 ジェニシス 』ではウブ、『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』ではウブから百戦錬磨に、本作では逆に百戦錬磨からウブに戻って行く感じがして、非常に健康的な魅力を物語中盤からふりまくようになった。特にスケートリンクでのシーンは『 ロッキー 』でのロッキーとエイドリアンの語らいを彷彿とさせた。

 

小説『 クリスマス・キャロル 』では、スクルージは悔い改め、クリスマスは孤独に過ごすものではなく、家族と過ごすものだと気付いた。本作ではケイトも同じことに気付く。そう、これは家族の物語だったのだ。ケイトが見つけ出した家族とは誰か?それは劇場で確認して欲しい。クライマックスに楽曲と共にもたらされるカタルシスは『 リンダ リンダ リンダ 』のそれに匹敵する。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーが本当の意味で始まるまでに、かなりの時間を要する。また、ケイトのあまりのダメ人間っぷりは、何らかの精神的な疾患もしくは障がいをも疑わせるレベルである。もしくは『 女神の見えざる手 』のスローン女史のような、セックス依存症一歩手前なのかとも考えた。終盤になってこのあたりの事情が明かされるのだが、これは少々アンフェアというか、非常に分かりづらかった。青春の真っただ中を空爆されるユーゴスラビアで恋を知らずに生きてきた反動で、bitchになってしまったのかと思ったが、そういうわけでもない。このへんの見せ方とストーリー上の秘密を、もう少し上手い具合に組み合わせるべきだった。

 

ビミョーにネタばれになるが、“Last Christmas”を一曲まるごと、どこかの場面で歌う、もしくは流してほしかった。『 ロケットマン 』でも“Your Song”がフルで流れることがなかったように、少々フラストレーションがたまる構成である。また、ワム!というよりは、ジョージ・マイケルにフォーカスした楽曲の選定になっているので、ワム!のファンは少々物足りなく感じるかもしれない。

 

総評

ジョージ・マイケルのファンにもワム!のファンにも観て欲しい。彼らのファンではない方々にも観てもらいたい。聖歌ではないクリスマス・ソングとしては、おそらくビング・クロスビーの “White Christmas” に並ぶ知名度の“Last Christmas”を聴いたことがないという人は、日本でも超少数派だろう。ジョージ・マイケルが泉下の人となって3年。この偉大なアーティストへのR.I.P.の念も込めて、是非多くの人にこの物語を味わってほしい。

そうそう、本作をきっかけにユーゴスラビアに興味を持った向きには、米澤穂信の小説『 さよなら妖精 』をお勧めしておく。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エマ・トンプソン, エミリア・クラーク, ヘンリー・ゴールディング, ミシェル・ヨー, ラブロマンス, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

『 マリッジ・ストーリー 』 -既婚者、観るべし-

Posted on 2019年12月2日 by cool-jupiter

マリッジ・ストーリー 75点
2019年11月30日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アダム・ドライバー スカーレット・ジョハンソン ローラ・ダーン
監督:ノア・バームバック

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シネ・リーブル梅田でいつぞやにパンフレットとポスターを見て、面白そうだと直感した。それからトレーラーも観ず、他サイトのレビューも読まず、公式サイトにも行かずに、完全に予備知識なしの状態で劇場鑑賞した。予想と全く違ったが、なかなかに面白い作品だった。

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あらすじ

女優のニコール(スカーレット・ジョハンソン)と舞台監督のチャーリー(アダム・ドライバー)の夫婦は、離婚を協議中だった。しかし、ふとしたことから互いに弁護士を立てて争うことになり、胸の奥底にあった思いが噴出してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

スカーレット・ジョハンソンにしてもアダム・ドライバーにしても、オーラが隠しようのない領域にいる。そんな二人を凡百の夫婦にするのではなく、女優と舞台監督に設定したのが奏功している。両者とも、自己を表現することを生業にしているからである。芝居がかった台詞や仕草も、この設定のおかげでナチュラルなものに映る。実際に、ニコールとローラ・ダーン演じる弁護士のはじめての会話は、相当に芝居がかっている。ほぼ定点観測カメラでロングのワンカットを取り切ったが、この場面は映画というよりも舞台演劇のようだった。

 

アダム・ドライバーも魅せる。几帳面に家事をこなす子煩悩の父親でありながら、いかにもアメリカ的な封建的・家父長的な面も持っている。併せ、妻の母親とも友達のような関係を作ることができるナイスガイでもある。これができる男は強い。素直に心からそう思う。終盤の夫婦喧嘩は売り言葉に買い言葉で罵り合いがどんどんとエスカレート。最後には思わず心にもないことを叫んでしまい、後悔の念に打ちひしがれ、崩れ落ちて行く。密室に男女二人が寄り添い合う様は、夫婦という関係の一筋縄ではいかない難しさがよくよく表れていた。

 

子はかすがいと言うが、子は庇護者の顔色をよく観察している者でもある。同僚のアメリカ人は子どもを一年間アメリカの祖父母に預ける形で留学させたが、子どもはアメリカ滞在中は父母の不満を漏らして祖父母の庇護を巧みに得、日本に帰ってからは祖父母の不満を述べて以前よりも手厚い庇護を得ているという。我々はしばしば子どもを純粋無垢な存在だと認識している。純粋の部分は否定しないが、無垢という点に関しては検討が必要だろう。映画や文学においてもそれは同じである。

 

本作はアメリカの地域性の違い、そのコントラストを映し出してもいる。日本で言えば関東と関西だろうか。寒くて住居も小さく生活圏が比較的狭くなりがちなニューヨーク。温暖で、住宅が広く、どこへ行くにも車が必需品なロサンゼルス。それはまるで男と女の生物学的な差異を象徴しているかのようでもある。

 

知り合いの弁護士の方が常々おっしゃるのは、弁護士を立てる前に当事者で徹底的に話し合うべき、もしくは協議の前に弁護士の助言を仰ぐべき、ということである。もちろん商売でそう言っている面もあるだろうが、本作のようなドラマを観ると、これは真正の忠告であることがよく分かる。いったん離婚の手続きを弁護士に委ねてしまえば、お互いの減点材料の探り合いと責め合いになってしまう。弁護士の仕事は紛争の解決であるが、紛争の予防も仕事の柱である。弁護士の全てが『 ジュラシック・パーク 』に出てくるblood-sucking lawyerではないと信じているが、弁護士は誰も彼もがある程度は人の生き血をすすって金儲けをしている面は否定できない。離婚に際しての財産分与のあれこれを活写している点は実に参考になる。

 

結婚というのは難しい。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でも阿部寛が結婚にまつわる各種の名言を引用するエピソードが最近あったが、本ブログ的には『 ゾンビランド:ダブルタップ 』のウィチタの台詞、「結婚したカップルがすることは一つ、離婚することよ!」を引くべきなのだろう。そのとおりになってしまったチャーリーとニコールの夫婦を、それでも応援したいという気持ちにさせてくれる本作は、既婚者にこそぜひ観て欲しいと思える仕上がりである。

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ネガティブ・サイド

ローラ・ダーン演じる弁護士のテンションが高すぎないだろうか。聖母マリアについて語るシーンは良いとしても、その他のシーンでの彼女のテンションの高さが、映画のトーンとマッチしていないように感じられた。チャーリー側が最初に接触したレイ・リオッタ演じる弁護士が典型的なblood-sucking lawyerだった。そのテンションに合わせるなら、その男の登場シーンが来てからでよかった。大女優と大監督の采配にケチをつけても詮無いことだが。

 

息子のヘンリーが失読症気味であること、その息子の読解の訓練に甲斐甲斐しく付き添うチャーリーの姿が争点にならないのは何故なのか。弁護士はもっとチャーリーのプラスの点を見るべきだ。

 

そのアダム・ドライバーは思わぬ歌唱力を披露してくれるが、日本語の歌詞が一部間違っている。字幕翻訳には字数制限という大きな制約があるのは承知しているが、二番以降の歌詞が命令形になっていることには、それなりの意味がある。そこを訳出できていなかったのは翻訳家の大きな減点材料となる。英語リスニングに自信のある人は、耳を澄ませて歌詞と字幕の意味を比較してみよう。

 

総評

結婚生活の負の側面が噴出するが、『 ゴーン・ガール 』と違って、結婚生活の闇の面は出てこない。そうした意味では、未婚者にも本当はお勧めすべきなのかもしれない。結婚の終わりは関係の終わりではなく関係の変化である。日本も離婚率が3割に達しているが、それはこの男女の関係の因習を新しく捉え直す時代に入ってきた、あるいはそうした世代が増加してきたことの証左だろう。であるならば、高校生や大学生あたりも室内デート・ムービーとして鑑賞してもいいのかもしれない。つまりは万人向きの良作ということである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put ~ away

 

~を片づける、の意である。

 

散らかってるおもちゃを片付けなさい = Put the toys away.

本を片付けなさい = Put your books away.

服を片付けなさい = Put the clothes away.

 

ただし、部屋を片付けるや、机を片付ける(机そのものではなく、机の上の物を片付ける)場合には、異なる表現になる。Word for wordではなく、状況に応じて言葉や表現の意味を理解するように努めるべし。成人の学習者なら尚更である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ヒューマンドラマ, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 マリッジ・ストーリー 』 -既婚者、観るべし-

『 ドクター・スリープ 』 -S・キングの世界へようこそ-

Posted on 2019年12月1日2020年4月20日 by cool-jupiter

ドクター・スリープ 75点
2019年11月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ユアン・マクレガー カイリー・カラン レベッカ・ファーガソン  ダニー・ロイド
監督:マイク・フラナガン

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『 シャイニング 』の続編である。いきなり本作から観る人は少数派だろうが、もし可能なら『 ダーク・タワー 』や『 IT イット 』シリーズも事前に鑑賞されたし。というのも本作は『 シャイニング 』のその後の物語であり、スティーブン・キングの創造世界の一端でもあるからである。

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あらすじ

母との死別後、展望ホテルの悪夢から逃れるために酒に溺れていたダニー(ユアン・マクレガー)。 “シャイニング”を始め、様々な力を持つアブラ(カイリー・カラン)という少女。その力を狙うローズ・ザ・ハット(レベッカ・ファーガソン)ら人外の者たち。“シャイニング”で通じあったダニーとアブラは、戦いに身を投じていく・・・

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ポジティブ・サイド 

『 プーと大人になった僕 』では、Jovianの同僚のイングランド人に「あれはクリストファー・ロビンじゃない」と酷評されてしまったユアン・マクレガーだが、今回は実に良い仕事をしたと言えるし、ビジュアル面でもダニー・トランス(ダニー・ロイド)の成長した姿であると充分に受け入れられる。『 シャイニング 』で怯える母をまさしく狂演したシェリー・デュバル、子役の演技としては最高峰のものを見せたダニー・ロイド、シャイニングをダニーに教えたハロランさん(スキャットマン・クローザース)と容貌も話し方も瓜二つのキャストを使って、前作のエンディング後を序盤に描いたことで、本作と前作が地続きの世界であるということに充分な説得力が生まれた。

 

レベッカ・ファーガソンも人外の化生を率いるローズ・ザ・ハットを巧みに演じていた。アメリカやカナダはとにかく子どもの誘拐が頻発する(その犯人の多くは親だったりする)国で、テレビを観ていると、結構な頻度でアンバーアラートが出る。そうしたことは『 白い沈黙 』(監督:アトム・エゴヤン 主演:ライアン・レイノルズ)や『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』などの作品からもよく分かる。同時に天才を発見することにも長けた国である。そのことは『 ドリーム 』や『 ギフテッド 』などから分かる。S・キングは児童の不可解な蒸発に対して、真結族という答えを用意した。そこに説得力があるのが、原作者キングの手腕である。我々の生きる世界は、様々に数多く存在する世界の一つに過ぎないことは彼の他の作品からも明らかである。そうしたキングの世界観をマイク・フラナガン監督は巧みに再現した。例えば、日本人が本作を観れば、「狐憑きも、もしかして“シャイニング”の一種なのか」と感じるだろう。

 

本作に特徴的なのは、“シャイニング”という能力がより広がった、あるいは深まったところだろう。そして、それを体現したアブラの活躍が印象的だ。前作(映画版)ではダニーは(そしてトニーも)それほど活躍できなかったが、今作のダニー、そしてアブラはかなり強い。前作がホラーにしてスリラーなら、本作はサスペンスにしてサイキック・バトル・アクションである。特にハロランさんがダニーに授ける技や、アブラがローズに仕掛ける罠は、『 NIGHT HEAD 劇場版 』のマインドコントロール・バトルよりも興奮した。クライマックスは『 貞子vs伽椰子 』的なのだが、キャラクターにキャラクターをぶつけるのではなく、キャラクターを場所=展望ホテルに呼び込むというところが良い。これがダニーが新たに身につけたシャイニングとの相似形を成しているからである。

 

『 アップグレード 』のようなトリッキーなカメラワークあり、ユアン・マクレガーがオビ・ワン・ケノービに見えてしまう瞬間ありと、ストーリー以外の部分でも楽しめる要素が多い。ホラー映画というよりも、超能力バトルものなので、前作の狂気が受け入れられなかったという向きにも今作はお勧めできる。

 

ネガティブ・サイド

せっかくよく似た役者を探してきたというのに、肝心かなめの“あのお方”が全く本人に似ていない。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』のオールデン・エアエンライクもハリソン・フォードにはあまり似ていなかったが、今作のあの人も負けず劣らず前作のあの人に似ていない。これは致命的ではないか。『 キャプテン・マーベル 』的な方法で解決できなかったのだろうか。それでは予算オーバーになってしまったのだろうか。『 ジェミニマン 』的な買い得決方法ではなく、『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』のタルキン提督的な解決も無理だったのだろうか。

 

まさかキング御大が平野耕太の『 HELLSING 』を読んでいるとは思えないが、ダンの“シャイニング”がちょっとアーカード的すぎないだろうか。同時に、人外の化生どもの死に方があまりにも呆気なさすぎるのではないか。それこそ『 HELLSING 』ではないが、銃弾一つひとつに異常なこだわりを持てとは言わない。それでも、ダニーとアブラが念を込めただとか、この森には強い正の霊気があるだとか、何かあってしかるべきだった。

 

また、とあるシーンでアブラが携帯をポイ捨てするのだが、あの状況で「カチャ」という音はしないはずだ。実際に試したことはないし、試したくもないが、「ここは○○○という設定で撮影しているのだ」ということを感じさせてはいけない、絶対に。

 

【全ての謎が明らかになる!】などと煽っていたが、トニーは結局現われなかった。この謎のイマジナリー・フレンドは二作品通じて結局は謎のままである。思わせぶりにトニーの出現を示唆する台詞もありながら、この展開ではトニーが浮かばれない。

 

総評

一部に、うーむ・・・と眉をひそめざるを得ないシーンや演出もあるものの、エンターテインメント性は前作よりも上である。シャイニングの静謐な雰囲気と狂気の芸術性の完成度は否定できないが、本作のように娯楽度を高めることも重要である。キューブリックの路線を敢えて踏襲しなかったフラナガン監督の決断は評価されるべきである。S・キングのファンなら必見。ホラーやファンタジーのライトなファンであっても、『 シャイニング 』を鑑賞して臨めば、世界の広さや深さに触れることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

That was then and this is now.

 

「それは過去で、これは今だ」の意である。アナ雪(今もって未視聴である)のTheme Songに“The past is in the past.”という歌詞がある。『 インビクタス/負けざる者たち 』でもM・フリーマン演じるネルソン・マンデラが“What is verby is verby. The past is the past.”と言っていた。過去は過去、というだけではなく、過去は過去で今は今だ、と言いたい時に上の台詞を思い浮かべてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, カイリー・カラン, ファンタジー, ホラー, ユアン・マクレガー, レベッカ・ファーガソン, 監督:マイク・フラナガン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・スリープ 』 -S・キングの世界へようこそ-

『 国家が破産する日 』 -韓流社会派サスペンスの秀作-

Posted on 2019年11月28日2020年4月20日 by cool-jupiter

国家が破産する日 75点
2019年11月24日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:キム・ヘス ユ・アイン ホ・ジュノ チョ・ウジン ヴァンサン・カッセル
監督:チェ・グクヒ

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国家が破産するとは過激なタイトルである。しかし、現実に国家が破産することはありうる。記憶に新しいところではギリシャだろうか。では、その前は?それはお隣の韓国だった。1997年当時、Jovianは高校生だったためか、韓国のデフォルトに関するニュースは記憶にない。だが、そのために余計なことを考えることなく素直に物語に入って行くことができた。

 

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あらすじ

1997年、韓国銀行の通貨政策チーム長ハン・シヒョン(キム・ヘス)は、国家破産の危機が迫っていることに気付いた。政府は国民に周知せず、極秘裏に対策を進めようとする。一方、金融コンサルタントのユン・ジョンハク(ユ・アイン)は独自にデフォルトの危機を察知、大儲けを企む。町工場の経営者ガプス(ホ・ジュノ)は大手百貨店から大口の注文を受けるも、現金決済ではなく手形決済を受け入れていた・・・

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ポジティブ・サイド

キム・ヘス演じるチーム長がひたすらにクールである。どこか『 シン・ゴジラ 』で尾頭ヒロミを演じた市川実日子を思わせる。相手が上司であろうと上級官僚であろうとIMFの専務理事であろうと、自分の信念に基づいて、言わなければならないことは言う。女性であっても男性であっても、これができる人間は多くない。こうした人物の下で、あるいはこうした人物と共に働ければ、それは果報である。

 

通貨危機を利用して一攫千金を目論むユン・ジョンハクというキャラも面白い。安定した職を文字通りに捨ててしまい、一発逆転の大勝負に出て、見事に大金を手に入れる。しかし、彼がカネと引き換えに失ったものは・・・ 経済の破滅に乗じてひと財産築く話は古今東西によくある話である。近年では『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』がまさにそうだった。『 ゴールド/金塊の行方 』も、ある意味では危機に乗じて大きく儲ける話だと言えるかもしれない。ジョンハクの生き方を見習おうとは思わないが、彼のような野望には憧れるという向きには、上の二作品を勧めたい。

 

町工場のガプスが個人的には最も刺さった。好景気に沸く国、大手の百貨店との大口取引、これで従業員にさらに仕事を提供できるし、妻も働きに出ずに済む。娘の学費の工面もできる。庶民の望みうる幸せに手が届こうかという時に、危機が襲い来る。現金決済。日本のバブル全盛時を経験した世代は、銀行からの借入金を現金で受け取り、商売上の大きな取引においても札束を詰めたスーツケースを持参していたと言う。韓国の事情は分からないが、日本ではようやくキャッシュレスが浸透しつつある。しかし、そこにはユン・ジョンハクの言う“与信”の問題が常につきまとう。日本でもキャッシュレス決済ではなく現金決済の方が安全安心だという声が大きな災害のたびに聞かれる。本作は日本にとって他山の石となるだろうか。

 

本作は『 シン・ゴジラ 』と同じく、超高速会話劇でもある。山場は二つ。パク・デヨン演じる財務次官とハン・シヒョンの丁々発止のやり取り。政府は事態を公表し、国民への被害を最小限に抑えるべしと主張するシヒョン。それをせせら笑うかのように反論を述べる次官の対立では、特にパク・デヨンの憎たらしいまでの演技が冴え渡る。もう一つの山場はIMF専務理事とのホテルの密室でのやり取り。ヴァンサン・カッセルは『 トランス 』に出ていたのを覚えている。IMFからの金融支援の条件として外資による韓国上場企業の株の保有率の上限アップや正規労働者の解雇の容易化と非正規労働者の増加などを淡々と条件として突き付けてくる理事に対し、シヒョンは理路整然と反論する。やはり『 シン・ゴジラ 』の矢口蘭堂の如く、政府上層部や国際機関に対しても毅然とした態度を崩さない。日韓ともに、このようなヒーローを生み出すということは、現実の政治や経済が上手く言っていないことの証明でもある。会話劇でスリルとサスペンスが生み出されるのは、往々にして法廷闘争ものだが、政治・経済系のドラマでもこれができるというのは新鮮な体験だった。

 

最後の最後に映し出される並木通りの摩天楼の何と寒々しいことか。まるで大阪の淀屋橋か本町のオフィス街を観るようだが、そこにあるのはバベルの塔か、それとも砂上の楼閣か。

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ネガティブ・サイド

パク・シヒョンという魅力的なキャラクターの肩書がチーム長であるが、チームとしての強さや見せ場に乏しかったように思う。序盤で各種資料を言われるよりも前に揃え、チーム長に恭しくコートを着せるメンバーたちは確かに頼もしく映ったが、彼ら彼女らの協力や水面下での働きにフォーカスするシーンがあれば尚よかった。

 

ジョンハクの豹変っぷりも理解できなことはないが、元々金融屋として働いていた男である。Jovianも昔々信販会社で働いていたので分かる。血も涙もない人間が出世するのがあの業界である。さらなる儲けの為にそこを飛び出した男に、良心の呵責などを求めるのは無い物ねだりである。ジョンハクという超絶ポジティブキャラクターは、それこそ徹頭徹尾ハゲタカとして描写した方がスカッとしたことだろう。

 

総評

日本でもこのような話を作ってもらいたい。心からそう思える良作である。ぜひ市川実香子を起用して日本版の政治経済サスペンスものを作ろう。二番煎じが何だ。山一証券の破綻を2時間で映画にすべし。監督は『 空飛ぶタイヤ 』の本木克英か、『 七つの会議 』の福澤克雄で。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

ミアネ

 

韓国語で「ごめん」の意である。『 猟奇的な彼女 』で“彼女”が山に登ったキョヌに向かって大声で名前を呼んだ後、涙声で「ミアネ」と呟くシーンのインパクトはあまりにも強烈だ。韓国語は英語よりも日本語話者の耳に馴染みやすいので学びやすい。韓国旅行に行く時は、「~~~チュセヨ」、「ケンチャナ」、「コマウォ」そして「ミアネ」だけ覚えていれば、後は度胸で何とかなる。Jovianが保証する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ヘス, サスペンス, 監督:チェ・グクヒ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 国家が破産する日 』 -韓流社会派サスペンスの秀作-

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