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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 ベイビー・ドライバー 』 -音楽+クルマ+犯罪+ロマンス=Baby Driver-

Posted on 2020年3月29日 by cool-jupiter

ベイビー・ドライバー 85点
2020年3月28日 所有Blu-rayにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート リリー・ジェームズ
監督:エドガー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200329114230j:plain
 

これは2017年の夏に梅田ブルク7で鑑賞して以来、劇場で6~7回観た。それぐらい衝撃を受けた作品だった。4DXを体験しに、わざわざ四條畷のイオンモールまで遠征したり、爆音上映を楽しむためにMOVIX京都まで出向いたのだった。心斎橋シネマートで『 幼い依頼人 』や『 娘は戦場で生まれた 』を観たかったのだが、外出自粛要請&嫁さんからのストップ。なので自宅のテレビで本作を改めて鑑賞している。

 

あらすじ

ベイビー(アンセル・エルゴート)は逃がし屋ドライバー。音楽を聴くことで運転のスキルが極限にまで高まる。数々の強盗事件の犯人を、自慢の運転スキルで逃がしてきた。しかし、ある日ダイナーでデボラ(リリー・ジェームズ)に出会ったことで、足を洗おうと決意するが・・・

 

ポジティブ・サイド

何といっても冒頭の6分間の銀行強盗からの逃走シーンが秀逸だ。The Jon Spencer Blues Explosionの“Bellbottoms”で一気にハイになったベイビーが、天才的なドライビング・テクニックでパトカーの大群を振り切り、ヘリコプターの追跡からも見事な機転で逃げ切るのは、2010年代の映画の中でも最高のオープニングの一つだろう。市街地でドリフトで疾走する様は、まさにドライバーがやりたいという願望を持っていても絶対にやれないことを代わりに実現してくれたようで、実に爽快かつ痛快である。

 

大柄で童顔なアンセル・エルゴートが“ベイビー”というのもいい。ベイビーのごとくほとんどしゃべらないこと、幼少の頃の事故のトラウマから今も抜け出せていないこと、母親(母親的な人物)を探し求めていることなど、様々な属性を持つキャラクターであるベイビーだが、まさに名は体を表す。記憶力(retention)も抜群で、テレビをザッピングしながら様々なセリフを一瞬で気暗記していく。そのセリフを再生することで他キャラと思わぬinteractionが生まれる。まさに周囲の真似っこをするという意味で“ベイビー”=赤ん坊なのだが、そのベイビーがどんどんと自分の言葉を獲得していく過程も興味深い。

 

そのベイビーを成長させるようとして本作は2つの基軸を提示する。すなわち、疑似的な父親との関係と恋人との関係である。本作に登場する疑似的な父親はケビン・スペイシーが演じるドク、ジェイミー・フォックスが演じるバッツ、ジョン・ハムが演じるバディ、そしてCJ・ジョーンズ演じるジョーである。特にCJ・ジョーンズは本当に耳が聞こえないそうで、このような役者を起用できるところにあちら側の懐の深さを感じる(日本でもようやく『 37セカンズ 』という秀作が出たが)。文学的な意味で言えば父親とは殺すべき対象であり、実際の人間の成長過程においては乗り越えるべき対象であり、またその支配や庇護から独立すべき対象である。両親のいないベイビーに対して、虐待的な父親=バッツ、趣味を同じくする父親=バディ、支配的な父親=ドク、そして世話をしなければならない父親=ジョーとの関係、そしてそれらの関係の終わりには、何とも味わい深いものがある。アクションだけではなく、このあたりのキャラクター造形、キャラクターの関係の深さと豊かさが、2017年のJovianをrepeat viewingに走らせたのだ。

 

だが、何といってもデボラとベイビーのロマンスだ。冒頭のコーヒーを買う時のロングのワンカット(実際は30回以上の撮影を経てワンカットに見えるように編集したらしい)で、ベイビーが恋に落ちる瞬間が視覚的に表現されている。このシーンは“Harlem Shuffle”の歌詞と壁や電柱の落書き、つまり音声と文字との一致ばかりに目が行きがちだが、どうかそれ以外のアートにも注目をしてほしい。Jovianは劇場で、確か4度目ぐらいの鑑賞であるオブジェの色の変化に気が付いて、感嘆の声を漏らしたのを覚えている。そのデボラとの出会いがカフェというのも良い。運命の相手とは、しばしば日常的なシーンで出会うものだからだ。一際良かったのはベイビーが実際に恋に落ちる瞬間の演出、というより恋に落ちたと確信する瞬間の演出か。わざとらしいスローモーションやズームインを全く使わず、淡々とした会話だけでそれを表現したのが逆に非常に新鮮に映った。デボラは母親的な存在ではない。が、いずれベイビーと結婚するのだろうと予感させてくれる。そのことはベイビーがダイナーで言う“Yes, I do.”というバディの質問への返答に表れている。

 

本作のBGMは、ほとんどすべて既存の歌であり楽曲である。シーンや演出に合わせて音楽が生まれたのではなく、エドガー・ライトが使いたい音楽がまずそこにあり、それに合うようなシーン演出がなされている。それが最も端的に表れているのが、中盤の“Tequila”に合わせた銃撃戦シーンと、終盤手前の“Hocus Focus”に合わせた銃撃戦シーンである。Jovianは今でもBGMと役者の演技の融合の白眉(ミュージカル作品除く)は、『 ニューヨーク東8番街の奇跡 』で、地上げ屋が車載電話でプーッ・プーッ・プ・プーッとダイヤルするシーンだと思っているが、本作の音楽とアクションのシンクロ具合は、間違いなく映画演出の最高峰である。

 

エンディングもひたすらに美しい。ジュディ・ガーランドの『 オズの魔法使 』の如く、白黒がカラーに転じる瞬間に一瞬垣間見える虹に、自分の幼少期の映画体験の原点が強烈に思い起こされた。おそらく、エドガー・ライトも同様の経験を幼少期に持ったのではないか。白黒がカラーに転じるあの瞬間に、カンザスとオズ、つまり現実と夢幻の世界の境界が溶けたのだ。それと同じく、ベイビーとデボラが再び出会い、音楽を流し、あてどないRoad Tripに出るというビジョンが現実なのか幻想なのかはもはや重要ではないのである。

 

本作では数々の名曲がフィーチャーされているが、オッサン映画ファンとしては、本作を機に若い世代にコモドアーズの“Easy”を特に堪能してほしいと思う。

 

ネガティブ・サイド

奥手であるとしか思えないベイビーがバッカナリアという高級レストランで如才なく振る舞えるのには少々違和感を覚えた。バディの台詞をコピーして、それでデボラをディナーに誘うのはいいが、そこから先がトントン拍子過ぎる。テレビをザッピングしながら、モテる男のデートでの振る舞い方のようなものを一瞬だけでも良いのでインプットするシーンがあれば良かったのだが。

 

個人的にはベイビーがピザ屋として働くシーンや、何気ないデボラとの逢瀬のシーンがもう2~3分欲しかった。BabyからBoyに、そしてBig Boyになっていく過程がもう少しだけあれば、それぞれの疑似的な父親たちとの対決や別離がもっともっとドラマチックに感じられことだろう。

 

総評

カーチェイス映画であり、アクション映画であり、クライム映画であり、歌と音楽とダンスの映画であり、アングラノワールであり、ラブロマンスであり、コメディーであり、ヒューマンドラマであり、ビルドゥングスロマンでもあり、ファンタジー映画ですらある。古い革袋に新しい酒と言うが、全てのシーンが古くて新しい。どこかで観たような映画の構図がてんこ盛りなのだが、それがまったく気に障らず、適度なオマージュとして機能している。エドガー・ライトの才気煥発、面目躍如の一作である。鬱々とした気分をぶっ飛ばしたい時にこそお勧めの逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

talk shop 

劇中ではドクが“Shop, let’s talk it.”と言う。talk shopで「仕事の話をする」という意味である。商談の場であいさつやちょっとした雑談をして、本格的に仕事の話をするときなどに使ってみよう。shopを使う表現としては他に、set up shop=開業する、事業を始める、というものがある。He set up shop as a lawyer recently. =彼は最近、弁護士として開業した、という具合に使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, アンセル・エルゴート, ラブロマンス, リリー・ジェームズ, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 ベイビー・ドライバー 』 -音楽+クルマ+犯罪+ロマンス=Baby Driver-

『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

Posted on 2020年3月17日2020年9月26日 by cool-jupiter

殺人の追憶 80点
2020年3月15日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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シネマート心斎橋がポン・ジュノ特集を再開してくれたおかげで、本作を劇場鑑賞することができた。ポン・ジュノは異才・異能の持ち主である。人間の内面をこれほど透徹した目で見つめられるのは、映画監督というよりも哲学者、芸術家気質だからではないだろうか。

 

あらすじ

時は1986年、場所はソウルのはずれの田舎町。同じ手口による女性の連続殺人事件が起こる。捜査を担当するパク刑事(ソン・ガンホ)は、ソウル市内から派遣されてきたソ・テユン刑事と対立しながらも捜査を進めていく。だが、それでも殺人事件は起こり続け・・・

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ポジティブ・サイド

韓国映画のごく大雑把な特徴は、描写のリアリティとエネルギーである。特に暴力に関しては、全く逃げることなく容赦のない演出を繰り出してくる。ただ単にバイオレンスを映し出しているわけではない。一方が他方に無条件に暴力をふるうことができるのは、そこに力の不均衡があるからである。それは例えば警察という国家権力の後ろ盾を持った組織に属していることであったり、あるいは相手が知的障がい者であったりするからである。ポン・ジュノが本作(そして彼の作品に通底するテーマとして)を通じて描き出し批判するのは、暴力の発生を触媒する理不尽な社会的および心理的なメカニズムである。

 

そのことはソン・ガンホ演じるパク刑事とソ・テユン刑事のほとんどと言っていいほど噛み合わないコンビネーションによって表現されている。根拠がまったくないにも関わらず観相術の達人を自称するパク刑事は、初対面のソ・テユン刑事に勘違いからドロップキックを浴びせ、しこたまパンチも食らわせた。つまりは人を見る目もなく、人の話も聞かないダメ警察官である。一方でソ・テユン刑事は冷静沈着かつ理知的で、「書類は嘘をつかない」を信条に、科学的に、理性的に捜査を進めていく。模範的な刑事と言えよう。だが、ある時点から、この二人の属性のバランスが逆転していく。どんどんと冷静になっていくパク刑事、どんどんと理性を失い暴力に走り出すソン刑事という具合に。その過程が、お互いの捜査の進捗によって可視化されている点が非常にユニークだ。特にパク刑事は「犯人には陰毛が生えていない」という仮説に基づいて、銭湯をはしごする様は滑稽である。だが本人はいたって真面目なのだ。同時に、老若男女に丁寧に聞き込みをし、ほんのわずかな手がかりも逃さず、着実に事件の真相に迫っていくソ刑事は、まっとうな捜査を進めていくほどに暴力への衝動に抗えなくなっていく。この対比が実によく描けている。暴力を食い止めるために暴力が必要なのか。暴力を食い止めるためには非暴力をもってせねばならないのか。ポン・ジュノが投げかける問いに答えは出せない。

 

本作は映画の技法の面でも粋を凝らしている。特に冒頭、現場保全をしようと大声で周囲に注意しまくるパク刑事のロングのワンカットや、スナックでの口論から所長の嘔吐までのワンカットが印象的だ。また、犯人と思しき男との路地裏の追跡劇、そして犬の遠吠えまでのサスペンスあふれるシークエンスは岩代太郎の音楽の力も大きい。犯行がしばしば灯火管制の夜に行われるというのも興味深い。町の暗さに感化されて、人間の内面の闇が暴れだすのか、それとも人が住居にこもるのをチャンスとばかりに犯行に走るのか。

 

ミステリ作品としても秀逸。日本語とも共通する韓国語のとある言語的特性を巧みに使った伏線は見事(Jovian嫁は即座に見破っていたようだが・・・)。被疑者の身体的な特徴と犯行に使われた道具との間の矛盾を的確に指摘するソ刑事の味がいい。また、とある条件のそろった日に殺人を重ねるというのは映画『 ミュージアム 』の元ネタになったのではないかとも感じた。

 

最後の最後にソン・ガンホが見せる表情。すべてはこれに尽きる。後悔に驚愕、そして疑惑と確信を両立させる渾身の顔面の演技である。これによって我々はパク刑事やソ刑事の経験した内面の変化、すなわち暴力衝動が劇中のキャラクターたちだけのものではなく、自身の内面に潜む闇として確かに存在するものであるという真実を突きつけられるのである。このような形で第四の壁を突き破って来るとは、ポン・ジュノというのはつくづく稀有なクリエイターである。

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ネガティブ・サイド

ソ刑事が寝落ちしてしまうシーン、そしてその後に車のエンジンがかからずに、被疑者を乗せたバスを追跡できなかったというシーンが、かなりご都合主義的に見えた。交代制で見張っている言われていたし、刑事は基本的に単独行動はしないものだ。車のエンジンがかからないというのも、それ以前になんらかのそうした前振りとなる描写が必要だった。

 

犯行のパターンが解析できたところで、なぜラジオ局に働きかけないのか。特定の手紙を受け取ったら警察に連絡するように言えるはずだ。Jovianが警察署長あるいは担当の刑事なら絶対にそうする。頭脳明晰なソ・テユンの考えがそこに至らなかったというのは少々信じがたい。

 

最後に、チョ刑事の足はどうなった?

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』以上、『 母なる証明 』に並ぶ大傑作である。重ねてシネマート心斎橋に感謝。劇場支配人の鑑賞眼の鋭さと商売人として機を見るに敏なところ、その両方のおかげで本作を大スクリーンで鑑賞できた。このレベルの邦画は、黒澤明とは言わないまでも小津安二郎まで遡らなくてはならないのではないか。邦画は10年前の時点で既に韓国映画に抜かれていたようである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チョンマリヤ?

「本当か?」の意である。これも劇中で何度も出てくるので、把握しやすい。チョンマル=本当、となるようだ。関西弁の「ホンマ」と音がそっくりである。ヤというのは中国語・漢文で言うところの「也」だろう。これをつけて語尾をrising toneにすれば疑問文の出来上がりである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, ヒューマンドラマ, ミステリ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:シネカノン, 韓国Leave a Comment on 『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

『 スウィング・キッズ 』 -Your memory never fades away-

Posted on 2020年2月24日2020年9月27日 by cool-jupiter

スウィング・キッズ 80点
2020年2月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:D・O ジャレッド・グライムス
監督:カン・ヒョンチョル

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シネ・リーブル梅田ではたびたび予告編が流れていて、気になっていた作品。タップダンスは兵庫県立芸術文化センターで一度、live performanceを見たことがある。『 サニー 永遠の仲間たち 』の監督がダンスをどう料理してくるのか興味津々だったが、『 ダンス ウィズ ミー 』の矢口史靖監督は本作を観て、『 スウィングガールズ 』の頃に立ち返るべきであろう。

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あらすじ

1951年、米中二大国の代理戦争の場となった南北朝鮮戦争時、韓国の捕虜収容所の米国人所長は、対外的イメージアップおよび北朝鮮人の思想軟化と懐柔のために、タップダンスのチームを下士官のジャクソン(ジャレッド・グライムス)に作らせる。人民共和国軍の英雄の弟ロ・ギス(D・O)らは衝突しながらも練習を積み重ねていくが・・・

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ポジティブ・サイド

ジャクソンが一人で踊るタップダンスに見入ってしまったロ・ギスが、それから目にするもの耳にするもの全てがタップダンスのリズムで捉えられてしまうようになってしまうシークエンスが素晴らしく良かった。歌や踊りというのは、往々にして言葉で表現することが難しい感情や衝動の発露である。有り余ったエネルギーをタップダンスに注ぎ込むようになるロ・ギスだが、そこに至るまでの内面の葛藤および外部からの視線が良いバランスで描けている。変顔で踊れる喜びを表現するシーン、そして屋外での練習を何事もなかったかのように誤魔化すシーンは白眉である。

 

そのタップダンスのシーンも圧倒的である。特にダンサー兼教官役のジャクソンには、俳優ではなく本職のタップダンサーを起用。これは正しい判断だろう。『 はじまりのうた 』でも歌手役にMaroon 5のアダム・レヴィーンを起用したが、俳優に歌わせるよりも歌手に演技させた方が良いことも多い。ジャクソンのタップダンスが圧倒的にハイクオリティであるため、それに応戦する、何とかして食らいつこうとするロ・ギスの奮闘がさらに際立つ。チームの他のメンバーも踊れるデブに伝統舞踊の男、4か国語を操る女子パンネなど多士済々。特に、最後の女子は何かと話題の唐田えりかにどこか似ている。唐田も本格的に韓国語+ダンスを習得して、韓国芸能界でサバイバルをしてみてはどうか。あちらで5~10年戦って、大谷亮平のように凱旋帰国すればよい。また語学学習者、特に英語学習者はパンネのしゃべりを参考にされたい。KISSの法則、すなわちKeep it simple and shortである。一定以上の長さの外国語を話すときには、直訳はご法度である。正確に話すのではなく、通じるように話すことを心掛けたし。

 

Back on track. 前半はとにかく陽気にダンス・ダンス・ダンスである。米兵と北朝鮮捕虜の間のいざこざすらもダンスバトルで解決(?)したりする。だが本作の監督はカン・ヒョンチョルである。輝かしい瞬間の背後にはどす黒い社会的背景が存在することを骨の髄まで知っている、そしてそれを表現することを恐れない映画人である。米国、特に収容所所長がタップダンスチームの結成とその成功に血道を上げるのと同様に、北朝鮮捕虜たちも策謀をもって暗躍し始める。ダンスという芸術で理解し合える異国人たちも、政治体制やイデオロギーによって簡単に引き裂かれる。逆に言えば、政治的・思想的な差異は言葉では乗り越えられないということでもあり、政治的・思想的なイデオロギーは言葉でもって強化されるということでもある。序盤でもロ・ギスの戦友的なポジションの男が米兵相手にびっくりするような流暢さで卑罵語を繰り出し、中盤以降では戦争で片腕と片足をなくした男が恐るべき無表情で息つく間もなく共産主義への傾倒と自由主義・資本主義への憎悪を語る。その迫力に、時は戦時、場は捕虜収容所であるという容赦のない現実を思い知らされる。正気では戦争などできはしない。そうした戦争の狂気にあてられた人民共和国軍闘士の暗躍とクリスマスの公演会、その両方が頂点に達するクライマックスのカタルシスとカオスに、観る者は呼吸を忘れる。このクライマックスの衝撃は、2020年はまだ2か月しか経過していないが、年間トップクラスだろう。

 

朝鮮戦争という同じ民族同士の殺し合い最中、異国人同士がタップダンスで語らい、争い、相互理解を果たしたというフィクションがこれほどのリアリティをもって迫ってくるのは何故か。分断と融和が同時進行する世界に対しての、本作は一つのメッセージである。

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ネガティブ・サイド

CGの使い方に不満が残る。民族舞踊男が帽子に長い白帯をつけて舞うシーンは、できればCG処理せずにオーガニックに見せてほしかった。やろうと思えばできたはずだし、それこそ役者ではなく本物の民族舞踊の踊り手にそこだけ踊ってもらうという選択肢もあったのではないか。

 

同じくロ・ギスのコサックダンスのシーンも滑稽に映った。あれほどスピーディーに両足をばたつかせることができるなら、ジャクソンとのタップダンスバトルでも圧勝できたのではないかと思わされてしまった。前半のコミカルなトーンとは合っていたが、ストーリー全体を通してみた時には違和感の方が強く感じられた。

 

所長からサムシクへのクリスマスプレゼントもやや奇異に映った。サムシクに男の子がいる、あるいはサムシクが野球好きという描写が一切ないままにグローブとボールを渡されても、観る側の心にそれほど響かない。所長が意外にも人間味のある男であることは伝わったし、サムシクが鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしたのもよかった。だが、このシーンにはもうちょっと事前の説明が不可欠だったように思う。

 

総評

これまた韓国映画の傑作である。鑑賞前に『 サニー 永遠の仲間たち 』を観ておけば、カン・ヒョンチョル監督の問題意識や美意識がより深く見えてくるだろう。朝鮮戦争の歴史に通暁しておくことが望ましいが、必須ではない。異国人同士が言葉以外の方法でコミュニケーションを取ることの難しさと易しさ、その両方を描いているのだということが分かれば、本作のメッセージを受け取ることはできる。邦画がこの域に達するのは、もう無理なのだろうか。そう思わされてしまうほどの完成度である。劇場鑑賞を強くお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ミアナムニダ

『 国家が破産する日 』でミアネ=ごめん、を紹介したが、このミアナムニダは「申し訳ない」というような意味である。韓国旅行で万が一粗相をやらかしてしまったら、上のように言ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, D・O, ジャレッド・グライムス, ヒューマンドラマ, 歴史, 監督:カン・ヒョンチョル, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 スウィング・キッズ 』 -Your memory never fades away-

『 1917 命をかけた伝令 』 -アカデミー賞級の傑作-

Posted on 2020年2月23日2020年9月27日 by cool-jupiter

1917 命をかけた伝令 80点
2020年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジョージ・マッケイ ディーン=チャールズ・チャップマン
監督:サム・メンデス

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アカデミー賞レースでは惜しくも『 パラサイト 半地下の家族 』に敗れたが、芸術性や社会性ではなく娯楽性で言えば、こちらの勝ちであると感じた。全編ワンカットは『 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』や『 ある優しき殺人者の記録 』、『 ウトヤ島、7月22日 』(近く観たい)が、一部ワンカットは『 カメラを止めるな! 』などが行っている。だが、本作はワンカットにロジャー・ディーキンスとトーマス・ニューマンまで加えてきたのである。

 

あらすじ

時は1917年4月。イギリスのブレイク上等兵(ディーン=チャールズ・チャップマン)とスコフィールド上等兵(ジョージ・マッケイ)は、エリンモア将軍より伝令となるよう指令を受ける。二人は戦地を潜り抜け、伝令を伝え、1600人の将兵の命を救えるのか・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianは劇場で映画を観る時は、ほとんど毎回何らかの飲み物を買ってから行く。しっかりトイレを済ませておけば、少しはのども乾く。そうでなくとも唇やのどを単に少しだけ潤したいと思える瞬間もある。だいたい2時間の映画を観れば、500mlの飲み物の7~8割がたは飲み干している。だが、本作に関しては一口も飲むことなく映画が終わってしまった。エンディングクレジットが終わり、劇場が明るくなって、初めて一口目を飲んだ。それほど引き込まれていた。

 

本作の良さは、ワンカット編集にあるのではない。実際には、スクリーンが暗転するシーンが2回ほどある。ワンカットなのか、ワンカットでないのかはall but minor detailsである。素晴らしいのは、観る者に息をもつかせぬ工夫の数々である。ブレイクがマッケイを選び、将軍から伝令を届けるように言われ、すぐに出発することになるまでが、体感で5分程度。戦争映画にありがちな同僚の兵士とのいざこざや馬鹿話などは一切なし。塹壕の中、無数の兵士とすれ違い、あるいはかきわけながらも進むブレイクとスコフィールドを、トーマス・ニューマンの音楽が包み込む。この時に感じられる緊張感は、『 ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男 』におけるチャーチルの執務室および会議室のBGMから生み出される緊張感と同質のものだった。本作では、心を癒してくれるような音は最後の最後近くになるまで聞こえてこない。極端な話、サントラだけを聞いても映像が目に浮かんでくるほど、音と映像がマッチしていた。『 シン・ゴジラ 』における“Persecution of the masses (1172)”や“Black Angels (Fob_10_1211)”を思い浮かべて頂ければ、この感覚が伝わるものと思う。

 

また数々のカメラアングルとズームイン、ズームアウトのタイミングの精妙さにも驚かされる。名手ロジャー・ディーキンスであるのだから当然だとも言えるが、いくつかのシーンでは純粋に撮影方法が見当もつかないものがあった。特にブレイクとスコフィールドが有刺鉄線網を抜けるところ、泥地を踏破するところは必見である。個人的に最も称賛をしたいのは、ブレイクとスコフィールドがドイツ軍撤退後の塹壕に潜入するシーンである。ここでの光と影の使い方には文字通りに息をのんだ。光と影だけでこれほどのサスペンスを生み出した映画は、近年では『 ブレードランナー2049 』ぐらいだろうか。奇しくもそちらもロジャー・ディーキンスである。

 

ブレイクとスコフィールドの顔にも注目してほしい。特にブレイクの見る見るうちに血の気が引いていく顔、そして序盤ではヘタレにすら見えたスコフィールドが最終盤では戦士の顔に変化しているところにぜひ気付いてほしい。コリン・ファースやマーク・ストロング、ベネディクト・カンバーバッチらを惜しむことなくチョイ役に留めたことが大成功している。とにかく歩き、走り、戦い、逃げて、叫ぶ。非常に原始的であるが、だからこそ人間の本能に訴えてくるようなパワーのある作品である。第一次世界大戦の英国軍にも簗田政綱のような人物がいたのである。こうした集団に埋没した個を掘り起こすことができるのが、その国の強みなのだろう。

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ネガティブ・サイド

スコフィールドとスナイパーの撃ち合いは、緊迫感はあったものの、リアリティはなかった。鐘楼の上のスナイパーとの撃ち合いは『 ワンダーウーマン 』でも見た(撃ち合ってはいなかったが・・・)し、現実的に考えてupper groundは先に標的を見つけた鐘楼のドイツ軍スナイパーにあるはずだし、そもそもあれほど連発で的を外すスナイパーなどいないだろう。

 

またデヴォンジャー連隊の下士官や将校の連中があまりにも石頭なのは史実だったのだろうか。将軍からの伝令だと言っても、まともに取り合おうとしないのは説得力がなかった。これも史実だと言われてしまえばそれまでなのだが・・・ 確かに「将在外,君命有所不受」と『 孫子の兵法 』にあるが、第一次大戦の頃にもそんな現場の将校がいたのだろうか。それでは戦争に勝てないように感じるが・・・ 史実を脚色するのは良いが、あまりにもドラマチックにしてしまうのには個人的には反対である。

 

総評

『 ハクソー・リッジ 』や『 ダンケルク 』に匹敵する傑作である。20世紀までの戦争映画は、超人的な個人あるいは少人数のチームが絶望的な戦局をひっくり返すものが主流だったが、21世紀の戦争映画は普通の個人が全力で自分のミッションを遂行しようとする姿を描くのが主流になっているように感じる。ワンカット編集や撮影技術、音楽以上に注目すべきは、戦争そして人間の切り取り方が極めて現代的であるという点であるように思う。本作は傑作である。必見である。

 

Jovian先生のワンポイント仏語会話レッスン

Je ne sais pas.

英語にすれば I don’t know. である。「知らない」の意である。フランスに旅行に行くのであれば、Je ne sais pasにプラス、Oui, Non, S’il vous plaitの3つと、Bon jour, Bon soir, Bonne nuitのあいさつ、それにAu revoirを知っておけば、後は気合と笑顔でなんとかなるだろう。フランスに行ったことがないJovianだが、それは保証する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アクション, アメリカ, イギリス, ジョージ・マッケイ, ディーン=チャールズ・チャップマン, 伝記, 歴史, 監督:サム・メンデス, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 1917 命をかけた伝令 』 -アカデミー賞級の傑作-

『 37セカンズ 』 -鮮やかなビルドゥングスロマン-

Posted on 2020年2月11日 by cool-jupiter

37セカンズ 80点
2020年2月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佳山明 神野三鈴 大東駿介 渡辺真起子 板谷由夏
監督:HIKARI

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日本に格差が根付いて久しい。その一方で、コンビニの店員さんがノン・ジャパニーズでいっぱいになったり、あるいはあちこちの中規模駅にエレベーターが設置され、車イスの乗客を見ることが日常的になったりと、日本社会は確実に包括的な方向にも向かっている。そうした中、障がい者に焦点を当てた映画に、また一つ傑作が生まれた。

 

あらすじ

23歳の貴田ユマ(佳山明)は脳性まひのため、手足の運動が思うようにならない。しかし、絵を描く才能に恵まれていたユマは、売れっ子漫画家のアシスタント(実際はゴーストライター)をして生計を立てていた。そんなユマを母(神野三鈴)は過保護に育てていた。自立を求めるユマはアダルト誌に原稿を持ち込むが「性体験がないとリアルな作品は描けない」と言われてしまう。夜の歓楽街、風俗街に入り込んだユマは、そこで舞(渡辺真起子)や俊哉(大東駿介)らと知り合い、新しい世界を知るようになる・・・

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ポジティブ・サイド

車イス、あるいは重度の障がい者が主人公や主要キャストの映画となると、

『 ドント・ウォーリー 』
『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』
『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』
『 ブレス しあわせの呼吸 』
『 最強のふたり 』
『 パーフェクト・レボリューション 』
『 博士と彼女のセオリー 』 

などがパッと思い浮かぶ(一部、クソ作品が混じっているが思いついた順に列挙しているだけなので気にしないでほしい)。それぞれにテーマがあり味わい深い作品であるが、この『 37セカンズ 』が特に優れている点は二つある。一つには、主演を務めた佳山明の演技と、それを引き出した監督の力量。もう一つには、障がい者ということそのものをテーマの主軸にしていないことである。

 

演技のバックグラウンドのない主役を、経験豊富な役者たちがカバーすることで生まれる一体感というのは確かにある。毎回ではないが、時々素晴らしいケミストリーを起こす。最近では『 町田くんの世界 』の主役二人にそれを感じたし、『 風の電話 』からも感じ取れた。それでは本作の主役である佳山明が実力ある脇役に支えられながら、町田君やハル以上に輝くのは何故なのか。彼女自身が脳性まひを患った本当の身体障がい者であるということが指摘できる。それにより演技が演技に見えないのである。というか、演技なのに演技ではないのである。映画というのは一部のジャンルや作風を除けば虚構の芸術である。『 ボヘミアン・ラプソディ 』は伝記映画であったが、現役の歌手にフレディを演じさせるという選択肢も、制作前には検討されたはずである。役者に歌わせるよりも、歌手に演技させた方が良いという場合もある(ちなみに、これで大失敗したのが『 タイヨウのうた 』)。実力ある俳優に障がい者を演じてもらうよりも、障がい者が物語世界に降臨した方が説得力がある。これはそうした作品であり、さらにそれを成功させている。冒頭の入浴介助のシーンでは佳山も神野もヌードを披露してくれる。Jovianはこれで一気に本作をドキュメンタリー映画であると受け止めてしまった。すべてが計算ずくで作られたドラマではなく、現実を忠実に映し取った作品であると感じたのだ。このような導入でリアリティを生み出すとは、HIKARI監督は手練手管を心得ている。障がい者が障がい者を演じるのは演技と言えるのかと思う人もいるかもしれない。だが、こう考えてみてはどうだろう。邦画お得意の実写青春映画で美少女が美少女を演じることはどうなのか。イケメンがイケメンを演じるでもいい。橋本環奈が不細工な女子高生という設定や、松坂桃李が醜男という設定に納得できる人がいるだろうか。本作での佳山のキャスティングにケチをつける人は、一度自分の思考を整理されたし。それがすなわち差別であるとまでは言わないが、障がい者を特別視している自分がいることに気づくことだろう。

 

本作で佳山が特に光っているのは、人懐っこい笑顔を見せる時である。上で書いたことと少々矛盾して聞こえるかもしれないが、人が人を魅力的に思うのは見目麗しさ以上に、笑顔であると思われる。ユマの笑顔を見よ。これほどチャーミングな笑顔が邦画の世界でどれほど映し出されてきただろうか。そう思えてくるほどに、ユマの笑顔には魅力がある。人間関係の基本にして究極がそこにある。目の前の人を笑顔にすること。それに必要なのは、介護の知識やスキル、ポリコレ意識ではなく、対等な人間関係を結ぶということなのだろう。

 

本作は障がいそのものをテーマとはしていない。障がい者であるユマが恋愛やセックスに興味を持つのは年齢的にも肉体的にも自然なことである。似たようなところでは『 聖の青春 』の村山聖が挙げられる。もしくは『 覚悟はいいかそこの女子。 』の恋愛未経験イケメン男子を思い起こしてもいいだろう。恋愛やセックスは健常者だと障がい者、イケメンだとかブサメンだとかは関係ない、普遍的なテーマなのである。本作のユマがユニークなのは恋愛やセックスへの興味以上に、自分の仕事の幅を広げたい、あるいは深みを増したい、自立をしたいという強い想いに駆られている点である。恋愛やセックスそれ自体がゴールになっていることが多い日本の多くのエンタメ作品とは、そこが決定的に異なっている。『 娼年 』をカネで買ってスムーズに初セックス・・・とならない。このあたりから物語が一気に加速していく。舞や俊哉と共に生き生きと過ごすユマに、我々は逆説的に教わる。すなわち、恋愛やセックスはそれ自体が単独で成立するイベントではなく、濃密なコミュニケーションや人間関係の一側面である、と。そして、ユマに対等に接してくれるのは夜の街のポン引きだったり、クィアな方々であったり、ゲイバーの店員と思しき人々だったりする。社会のはみ出し者、日陰者とされているような人々なのだ。だが、彼ら彼女らの交流の模様がスクリーンを鮮やかに彩るのを見れば、「障がいも個性の一つ」という少々行き過ぎた考えにも頷けるような気がしてくる。ユマが不意に宇宙人を夢想するのは、宇宙人から見れば、地球人はすべて地球人という同じカテゴリに分類されるからだろう。そこにはもはや人間関係の上下や思考の左右の違いはない。本作は障がい者ではなく人間を映し出している、言葉そのままの意味でのヒューマンドラマなのだ。

 

ユマの自立への旅は思わぬ方面にまで飛んでいくことになるが、そこはぜひ劇場で鑑賞を。彼女が家に帰って来るシーンでの母親の落涙は、完璧に計算された証明とカメラアングル、そして演技によって成立している。ここには作為を感じたが、その美しさに観る者の胸はいっぱいになることだろう。

 

映画的な文法に忠実に従って、すなわち映像で物語を語らせる場面が多いのも良い。未見の方は、ユマが這ってシャワーを浴びに行くシーンで、彼女の両足に土踏まずが全くないことを見逃さないようにしよう。そのうえで、母親が見つめるとあるアイテムが何なのかをじっくり考えるようにしよう。その先には非常に上質な人間ドラマが待っている。

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ネガティブ・サイド

大東駿介演じる介護士はいったい何者なのだ?片言ではあるが、英語や、その他外国語を操れるのは何故だ?組織に属する介護士ではなく、フリーランス・自営業的に介護サービスを提供しているのか?いや、それでは自分が風邪を引いただけで代わりを見つけることもできず、顧客に迷惑をかけるだけだ。この男はいったい・・・

 

またユマがパスポートをしっかりと持っているのは何故だ。所有しているだけなら構わないが、あのタイミングで持っていることは不可解極まりない。運転免許証以外の身分証明書。ということなら普通に障がい者手帳で間に合うはずである。終盤入り口の超展開には少々納得がいかなかった。

 

アダルト誌編集長を演じた板谷由夏の「セックスをしたことがないとリアルな作品を描けない」というのは一理あるが、別にセックス経験がなくとも面白い作品は描けるはずだ。「人を殺したことがないのに、面白い殺人事件は書けないだろう」などと言う編集者がいたら「頭がおかしいのか?」と思うだろう。

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総評

エンドクレジットになぜか我が町・尼崎の尼崎市立身体障害者福祉センターが出てきてびっくりした。何か縁があったのだろう。分断をキーワードにする映画が続々と生産されるなか、“包括”や“包含”をテーマにする作品も同じくらい作られていいはずだ。本作を観れば、世界が目指すべきは分断ではなく包括であることは自ずから明らかである。とにかく、できるだけ多くの老若男女に観てもらいたいと思える傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get laid

セックスする、の意である。直訳のhave sex でも良いが、日常会話ではget laidをよく使う気がする。面白いことに、この表現では相手を表現することは滅多にない。他に同様の意味の表現としては

have sex with somebody

sleep with somebody

make love to somebody

hook up with somebody

などがある。こういう表現が実地に使えるようになれば、英会話スクールは卒業してよい。

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, 佳山明, 大東駿介, 日本, 板谷由夏, 渡辺真起子, 監督:HIKARI, 神野三鈴, 配給会社:エレファントハウスLeave a Comment on 『 37セカンズ 』 -鮮やかなビルドゥングスロマン-

『 風の電話 』 -身を寄せ合い生きることの尊さと美しさ-

Posted on 2020年1月30日 by cool-jupiter

風の電話 85点
2020年1月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:モトーラ世理奈 三浦友和 西島秀俊 西田敏行
監督:諏訪敦彦

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地震大国の日本であるが、それでも阪神淡路大震災と東日本大震災による打撃は群を抜いている。そして、あまりにも多くの犠牲者が出たことで、我々は被害を個々の人間ではなく、単なる数字として捉えてしまう。阪神大震災を間接的にではあるが経験したJovianでさえ、東日本大震災がもたらした悲劇については想像が及ばなかった。これはそうしたドラマである。

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あらすじ 

3.11によって父と母と弟が行方不明になってしまったハル(モトーラ世理奈)は、広島の叔母の家で暮らしていた。そんな叔母が倒れてしまった。また独りになってしまうかもしれないという不安から、ハルは家族と別れることになった地、岩手を目指して旅に出る。そして、道中で様々な人々と触れ合って・・・

 

ポジティブ・サイド

ワンカットがとにかく長い。が、それが気持ちよい。BGMも最小限に抑えられている。ジャンルとしてはヒューマンドラマ、ロードトリップになるのだろうが、まるでドキュメンタリー映画のようである。プロットは全く異なるが、『 存在のない子供たち 』のようである。ゼインは子どもとは思えない逞しさやしたたかさを備えていたが、ハルの時間はある意味では8年間ずっと止まったままである。子どものままなのである。誰かの庇護がなければ生きていけない存在。しかし、その庇護を与えてくれる人間が存在しない。そんな中途半端な状態で、ハルは死んではいないが、生きてもいない。17歳という子どもではないが大人でもないという中途半端な存在。そんなハルが、ロードトリップを経て、守られる側から守る側になる。目指す先に着いた後、さらなる目的地を見つけるというストーリーには、我にもなく涙を流していた。

 

三浦友和演じる公平は言う、「生きてるからには、食べて、出して、食べて、出して、しないとな」と。その言葉の通りに、本作の登場人物たちは常に皆、何かを食べている。まるで『 食べる女 』のようである。そのレビューで「失われて久しい、皆で卓を囲んでご飯を味わうという体験の歪さと新鮮さを『 万引き家族 』は我々に見せつけた」と指摘したが、本作はそうした描写からさらに一歩踏み込んだ。すなわち、孤食の解消である。詳しくは鑑賞してもらうべきだが、常に誰かが何かを食べている本作で、ハルが一人で食物を消費するシーンは剣呑である。そのことがすぐに伝わってくる。本作は、非常に逆説的にではあるが、【 日本全国を子ども食堂化しようプロジェクト 】のキャンペーンの一環であり、プロモーションビデオなのである。

 

広島の叔母の家でも、三浦友和の家でも、名もなき姉弟が連れて行ってくれた場末の食堂でも、西田敏行の家でも、Happy Kebabでも、トルコ人家族の家(ここは家の様子はほとんど映らないが)でも、どこもかしこも『 万引き家族 』的な物で溢れかえった家ばかりである。そこに小奇麗さは一切ない。比較的経済的に余裕のある家庭の子ども達が集まり、肝心の貧困層や孤食を余儀なくされる子ども達が来てくれないと嘆く子ども食堂の運営者の方々は本作を参考にされたい。さっぱりとしていてお洒落で明るい空間などを演出しても、ターゲットにしている子どもたちは入りづらいだけである。他人同士が身をぎゅうぎゅうに寄せ合い、カップ麺にお湯を注いだり、大人が缶ビールを開けたりするぐらいがちょうど良い・・・かどうかは分からないが、そうした雰囲気に救われる子どもはきっと数多くいるはずである。本作が映し出すのは、徹頭徹尾、社会的な弱者たちの連帯なのである。美しく頼もしいのは空間ではなく、人なのである。

 

不勉強にして“風の電話”の存在を本作鑑賞まで知らなかった。これは一種の自己内対話を促す装置である。『 ウインド・リバー 』で語られた、「子どもの死を受け入れろ。そうすれば、心の中でその子の笑顔が見られる」という悟りにも似た感覚を励起させる。死者と通話できるということは、その電話ボックスに入った時点で、相手の死を受け入れているということだ。これは辛く、悲しい。しかし、そうしなければ前に進めないことも事実である。本当に苦しいのは、家族や友人知人の遺体を見つけた人ではなく、彼彼女らが行方不明なままの人たちだろう。ハルが行う“風の電話”での通話は『 ラストレター 』における自己内対話と相通するものがある。この通話のシーンは万感胸に迫るものがある。観る者はハルの悲しみに同調し、あるいはハルの勇気に感動することだろう。

 

認知症の老婆、高齢の妊婦、家族が崩壊した中年男性、何もなくなってしまった故郷で死ぬと決めた老夫婦、家族の死に責任を感じる男たちが、意識的にも無意識にでもハルに生命力を分け与えていく姿に、観る側も大きな力を与えられたように感じられる。それらを受け止め、与える側へと成長していくハルの姿は究極のビルドゥングスロマンである。そんなハルを見事に体現したモトーラ世理奈は、2020年国内最優秀俳優に1月末にして内定した。

 

西田敏行が劇中で語る『 警察日記 』はモノクロ映画である。それが映し出した美しい福島の山や川とは何であったのか。諏訪監督の答えは明快である。西島秀俊演じる森尾とハルが、ハルの実家跡を訪ね、そして去るシーンの得も言われぬ美しさがその答えである。“美”とは風景の中に存在する客観的な実体ではない。人と人とが純粋な気持ちで触れ合い、響き合う姿の中に存在するきわめて主観的なものであることを、ここで我々は知るのである。このシーンの美しさに、Jovianは打ちのめされた。

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ネガティブ・サイド

2時間30分の長編である。そのことは別に構わない。セリフの少なさに比して、本作に込められている情報やメッセージは圧倒的に多いからである。ただ、これだけの尺を取るからには、ハルの旅先での数々の経験を、その次のシークエンスに生かしてほしかったと思う。例えば、三浦友和からもらった果物をかじるシーンや、トルコ人の同世代の女子の「看護師になろうかな」という想いを受けて、車窓から病院や看護学校に目が留まる、などの演出があればパーフェクトだった。

 

あとは、最初に倒れた広島の叔母さん、もしくは入院先の病院に電話なり何なりをハルがするシーンが一瞬でもあれば、いや、電話したと分かるような素振りか何かが最終盤にあればとも感じた。しかし、これは下手をすると余韻を壊すかな。ドラマの演出と編集のせめぎ合いになるか。

 

総評

2020年が始まって1か月も過ぎていないが、本作は年間ベスト候補である。モトーラ世理奈が邦画界から数々の賞を受け取る姿が早くも目に浮かぶ。また貧困問題や格差社会、移民問題までも含む、様々な問題提起もなされている。エンターテインメント作品かと言われれば否であるが、芸術作品であるかと問われれば間違いなく芸術作品である。観る者をかなり選ぶだろうが、脚本、演技、演出、撮影のどれを撮っても一級品である。是非とも劇場鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m back.

帰ってきたよ、というハルの心の叫びである。come backやget backを過去形や完了形で使ってしまうと受験英語となる。かのマイケル・ジョーダンが野球からバスケに帰ってきたときの記者会見の第一声も“I’m back.”だった。状況的に“I’m home.”とも言えそうだが、家が破壊されている状況では使いにくい表現かもしれないと感じた。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, モトーラ世理奈, 日本, 監督:諏訪敦彦, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 風の電話 』 -身を寄せ合い生きることの尊さと美しさ-

『 ウォーリー 』 -ロボットたちの織り成す美しいロマンス-

Posted on 2020年1月22日 by cool-jupiter

ウォーリー 85点
2020年1月21日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ベン・バート
監督:アンドリュー・スタントン

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Jovianはアニメーション映画をそれほど好まない。アニメ映画は、それなりに鑑賞する。アニメーション=映像を主眼にする。アニメ=ストーリーテリングを主眼にする。手塚治虫にならって、そのように区別したい。その意味では、本作はアニメーションとアニメ、両方の分野における極北である。まさに炉火純青である。

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あらすじ

人類が宇宙に旅立った後の荒涼とした地球で、ロボットのウォーリー(ベン・バート)はゴミ収集に明け暮れていた。唯一の友だちはゴキブリのハル。だが、ある日、空から宇宙船がやってきて、探査ロボット、イヴを置いていった。イヴに一目惚れしたウォーリーは、何とかイヴとコミュニケーションを取ろうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

ピクサー作品はLA行きの機内で観た『 モンスターズ・インク 』が個人的にさほどでもなかったので、以来長きにわたって敬遠していた。しかし、先日訪れたピクサー展の内容をつぶさに見て、その技術の粋に感銘を受けた。そして、ストーリーが最も面白そうな本作を借りてきた。その判断は間違いではなかったと思う。これは文句なしの傑作である。

 

オープニングから数十分、セリフが全くない。これだけで名作の予感がする。『 続・夕陽のガンマン 』もそうだった。テレビドラマではないのだから、映画は映像でもって物語を語らしめるべきである。『 グリンチ(2018) 』のアニメーションも美麗だったが、ピクサーはその一段上を行っている。その技術の高さについては、関西在住の方は大阪梅田のグランフロントでピクサー展を行っているので、そちらに行かれたし。このクオリティのCG画像が2008年のものだとすると、現在のピクサーの技術水準はどのあたりにあるのだろうか。それとも、時間とカネと人手をかければ、どこの組織や会社でも、この画のレベルに到達できるのだろうか。

 

それにしてもウォーリーというキャラクターの可愛らしさよ。それは外見から来るものではない。人によっては見方は様々だろうが、パッと見ではウォーリーは可愛らしくは見えない。しかし、誰もいない世界で一人せっせとゴミを収集し続ける様に、観る側もどうしても孤独感を共有してしまう。そしてその孤独さは、人間だけではなくロボットすらも蝕むものであることを思い知る。『 孤独なふりした世界で 』でピーター・ディングレイジの演じたデルという男の broken な様はウォーリーにインスピレーションを得たのではないかとも感じられた。孤独に適応した者ほど、他者とのつながりを断ち切りにくいのだ。

 

このウォーリーはR2-D2やディズニー映画『 ブラックホール 』のV.I.N.CENT.やB.O.B.の系譜に連なるロボットである。つまり、初見では可愛くは見えないのだが、徐々に愛着が湧いてくるタイプである。その造形は『 ニューヨーク東8番街の奇跡 』的であるとも言える。ウォーリーが長く孤独なゴミ収集生活から、文化的な品々を選り分け、大切に保管していることに、Humanity=ヒューマニティー=人間性と、Humanities=ヒューマニティーズ=人文学の両方の芽生えが見て取れる。一方で、地上のみならず軌道上までゴミだらけにしていく人類=Humanityとは、いったい何であるのか。そして、宇宙船アクシオム号で怠惰に生きる人類に、人間性はあるのか。その人間性が欠落したかに見える人類の産物であるイヴに、どうやって人間性が芽生えるのか。その過程が素晴らしく美しい。邦画『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』のとある脚色部分は、本作に着想を得たのではないか。

 

融通の利かないロボットたちと、故障扱いされたロボットたちのスラップスティックな対立、そして『 2001年宇宙の旅 』的な人間vs人工知能という対立、それらをすべて内包する形で花開くウォーリーとイヴの物語は、2000年代最高峰のものの一つだろう。

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ネガティブ・サイド

ストーリーにオリジナリティが少々欠けている。未来そして宇宙の世界の人間像は、漫画『 銀河鉄道999 』のとあるエピソードの丸パクリ(まあ、偶然の一致・・・というか、誰でも考え付く陳腐な未来像)である。

 

『 エリジウム 』や『 オブリビオン 』、『 インターステラー 』、『 パッセンジャー 』といった作品の下敷き的な描写もあるが、そもそも荒涼とした地球、そして宇宙に新天地を求める人類といったテーマ自体が手垢のついたものになっている。ウォーリーの孤独と人類の業をもう少し新たな次元で関連付けることはできなかっただろうか。

 

また、映像はめちゃくちゃ美しいが、これは小学校低学年の子どもを引き付けられるのだろうか。Jovian自身の経験や、甥っ子たちの観察からすると、子どもを引き付けるのは絵だけではなく声もである。その声が序盤はほとんど聞こえない、つまり本当に小さな子どもなら序盤で寝落ちしてしまう恐れなしとしないところが弱点である。

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総評

愛嬌のあるロボットの物語というのは、元来は日本のお家芸だったはずである。アメリカでロボットと言えば『 アイ、ロボット 』のように反乱するのがお約束。『 ターミネーター 』も元々は殺戮マシーンだった。だが、本作で紡がれるウォーリーとイヴの物語は、CG映像よりも美しい。中学生以上であれば、何かを感じ取れるに違いない。もちろん大人が楽しむことも十二分に可能な大傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

rogue

凶暴な、荒くれの、面倒な、のような意味である。劇中でウォーリーとイヴが“Caution, rogue robots”としてアクシオム艦内で指名手配される。人間に危害を加えかねないロボットにつき注意というわけだ。『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』や『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』など、メジャーな映画のタイトルにも含まれている語。ドナルド・トランプ米大統領が北朝鮮を指して「ならず者国家」と言った時にも’Rogue Nation’という表現を使っていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, SF, アニメ, アメリカ, ベン・バート, ロマンス, 監督:アンドリュー・スタントン, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ウォーリー 』 -ロボットたちの織り成す美しいロマンス-

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fifth Viewing-

Posted on 2020年1月16日2020年4月20日 by cool-jupiter

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 85点
2020年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:デイジー・リドリー アダム・ドライバー
監督:J・J・エイブラムス

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色々とニュースやレビューやインタビュー内容や考察に接しているうちに、また観たくなってしまった。なので5度目の鑑賞へ。もっと時間とカネを有効活用せねばとは思うが、引き寄せられてしまうのだから仕様がない。

 

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』で、BB-8はどうやって崖を越えたのかという疑問を呈したが、よく見ると越えていなかった。一度向こう側へジャンプしたレイを、こちら側でずっと待っていたのを確認できた。やはり何事もよく目を凝らして見なければならない。

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今回は主にベン・ソロを鑑賞。確かに人差し指を立てて「黙れ」の意思を相手に伝えるのは、『 スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲 』のハン・ソロっぽかった。またブラスターのノー・ルック射撃も、『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のハン・ソロへのオマージュなのだろう。

 

日本語のレビュー・感想でも英語のレビュー・感想でも、多くの人が共通して不満、または不可解に思っているのは、最後の最後にやってくる援軍。クレイトの戦いでの呼び掛けに応じなったのに、今回は何故だ?ということのようだ。素直に考えれば、自分のミニ脅威が迫っていることが分かったからだろう。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のスター・キラーも相当にヤバい代物だったが、今作のスター・デストロイヤーは本当に星を破壊してしまう。それが何百隻、何千隻と建造されて、出撃の時を待っていると聞かされれば、普通は「はあ?」だろう。だが、惑星キジーミが実際に破壊されたとの報は銀河を駆け巡ったことだろう。そうなると、明日は我が身。座して死を待つよりは、義勇軍として立ち上がり、乾坤一擲の勝負に出る。そのように考える者は何千、何万、何十万人と存在するはずだ。

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レイとベン(≠レン)のキスに異議を唱える人も多い。別にええやんけ・・・と思う。本編ではカイロ・レンの台詞としては出てこなかったが、トレイラーにあった

レイ “People keep telling me they know me. No one does.”

レン “But I do”

というやりとりが全てだろう。アダム・ドライバーも出演していた『 フランシス・ハ 』で、フランシスが自身の恋愛観を開陳するが、それは以下のようなものだ。

 

I want this one moment. It’s – it’s what I want in a relationship…which might explain why I am single now. Ha, ha. It’s, uh – It’s kind of hard lo – it’s that thing when you’re with someone…and you love them and they know it…and they love you and you know it…but it’s a party…and you’re both talking to other people…and you’re laughing and shining…and you look across the room…and catch each other’s eyes…but – but not because you’re possessive…or it’s precisely sexual…but because…that is your person in this life. And ifs funny and sad, but only because…this life will end, and it’s this secret world…that exists right there…in public, unnoticed, that no one else knows about.It’s sort of like how they say that other dimensions exist…all around us, but we don’t have

the ability to perceive them. That’s – That’s what I want out of a relationship. Or just life, I guess. Love.

 

Read more: https://www.springfieldspringfield.co.uk/movie_script.php?movie=frances-ha

 

かいつまんで言うと、「皆がいる公共の場で、それでも誰にも気付かれることなく、他の人々には知覚できないが確かに実在する別次元で目と目を合わせることができるような関係」をフランシスは「愛」と定義し、そうした関係を人生で手に入れたいと願っている。これはまさにレイとレンの関係そっくりである。文字通り、別次元で語らい戦う二人なのである。キスぐらい大目に見てやろうではないか。

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コリン・トレヴォロウの手によるEP9のスクリプトがYouTube経由でRedditにリークされたというニュースが入った。このバージョンではランド・カルリジアンが密輸業者の勢力を糾合する役割を担うとされていたらしい。2019年12月29日の『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のレビューで

 

>マズやランド、チューバッカがその人脈を活かして地下勢力や非合法勢力を糾合し、

>それに民間人も呼応した。そのような筋書きは構想できなかったのだろうか。

 

という疑問を呈したが、トレヴォロウと似たようなことを考え付いた自分を褒めてやりたいと思う。

 

何か新しいニュースや考察が出てきたら、また劇場で鑑賞したいと思う。5回観たので、普通の『 スター・ウォーズ 』ファンの義理は果たしたと思いたい。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

up and running

元気である、正常である、順調である、などの意味で、人やモノ、システムなどを対象に使われる。しばしば

have / get + O + up and running

という形で使われる。ポーがミレニアム・ファルコン号の修理が完了したかどうか尋ねる際に“Did you get it up and running?”のように言っていた(台詞はうろ覚え)。ビジネス英語では、まあまあよく使われるので知っておいて損はないだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, SF, アクション, アダム・ドライバー, アドベンチャー, アメリカ, デイジー・リドリー, ファンタジー, 監督:J・J・エイブラムス, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』 -Fifth Viewing-

『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』 -愚直で朴訥な男の伝記-

Posted on 2020年1月8日2020年1月8日 by cool-jupiter

シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 80点
2020年1月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ジャック・ガンブラン レティシア・カスタ
監督:ニルス・タベルニエ

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嫁さんが観たいと言ったのでチケットを買ったが、これが大当たり。本作は珠玉の biopic である。フェルディナン・シュヴァルは、フランス語辞書の「愚直」、「朴訥」といった語の説明用の挿絵に使われるような男だということが、本作を通じて実感を持って感じることができた。

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あらすじ

郵便配達人のF・シュヴァルは妻に先立たれ、息子も里子に出すことになってしまった。悲しみを押し殺し、黙々と職務に打ち込むシュヴァルは、未亡人のフィロメーヌと知り合い、再婚する。そしてアリスという娘を授かる。ある日、大きな石につまずき、山肌を滑落してしまったシュヴァルは、その石を掘り返し持ち帰った。それ以来、シュヴァルは石やセメントで自分の空想の中にある宮殿を作り始めて・・・

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ポジティブ・サイド

なんという壮大な物語なのだろうか。物語の舞台となるのはフランスの片田舎だが、劇中で流れる時間の長さ、そしてシュヴァルという男の人生に降りかかってくる試練の数々に、男泣きを禁じ得ない。

 

全編をほとんど実物の「理想宮」とその周辺地域を使って撮影されているという。そのためか、空や山々といった景観は、確かに19世紀末から20世紀初頭であるように感じられた。『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』でも感じたが、フランス南西部には素朴な自然が今でも残っているようである。日本には今でも各地に日本昔話級の田舎が残っているが、そうした場所を舞台にした素朴な物語がもっと生産されてほしいと心から願う。決して『 青夏 君に恋した30日 』のような物語を作ってはならない。もうすぐ大阪で公開予定の『 ハルカの陶 』には期待している。Jovianは岡山県備前市に縁があったのである。日本であれ、フランスであれ、自然豊かな地方には人工物がない。言い換えれば、曲線や色彩に満ちている。シュヴァルが建築や地質学の教育を受けた背景がないにも関わらず、巨大な宮殿を建造することができたのは、自然の造形から知らず知らず学んでいたからではないか。ちょうど『 風立ちぬ 』で堀越二郎が魚の骨の湾曲具合からインスピレーションを得たように。

 

ジャック・ガンブランは見事な演技で『 SANJU サンジュ 』のランビール・カプール以上に一人の男の“人生”を描き切った。言葉ではなく行動の男であるシュヴァルは、時にコミュニケーション障がい者に見えてしまう。しかし、意思疎通に多少の問題があるからと言って木石であるとは限らない。喜怒哀楽の表現がないからといって、喜怒哀楽を感じないわけではないのだ。そんな男が全身で悲しみを表現する様には胸を打たれた。そんな男が愛を伝えられなかったことを悔やむシーンには胸が潰れた。

 

このような朴念仁と出会い、愛し合い、添い遂げた女性をレティシア・カスタは好演した。シュヴァルがこねたパン生地をひょいとつまみ食いするフィロメーヌに愛おしさを感じない男がいるだろうか。さらに妊娠が分かった時の、体を横向きにしたシルエットとその時の誇らしげで嬉しそうな表情は、『 ふたりの女王 メアリーとエリザベス 』で、エリザベス女王が衣服をたくしあげて、自分の膨らんだお腹のシルエットを何とも言えない表情で眺めていたシーンと残酷なコントラストになっている。フランス映画の女性=脱ぐ、という誤った観念を抱いていたが、本作によって「さすがは芸術の国、フランスである」との思いを取り戻した。

 

終盤に写真を取るシーンがあるが、そのシーンでは秒間のコマ数を大幅に減らして、カクカクの動きを実現。20世紀初頭の雰囲気を生み出していた。

 

『 ショーシャンクの空に 』のアンディのような忍耐力と、『 マーウェン 』のマークの構想力と想像力を備えた、フランス版『 鉄道員(ぽっぽや) 』の伝記物語である。拝金主義に塗れた現代の職業人は、このシュヴァルという男の生きざまに思わず襟を正してしまうことだろう。伝記映画の傑作である。

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ネガティブ・サイド

妻フィロメーヌの老け具合が今一つである。シュヴァルのメイクアップには力を入れているのに、妻フィロメーヌのメイクアップに力を入れないのは何故なのか。もちろん、あの時代のあの地域の女性が化粧をしていたと思えない。だが、年齢相応に見せるためのメイクは化粧ではない。フィロメーヌに加齢メイクが施されていないことで、劇中でシュヴァルがばかりが年齢を重ねているように思えるシーンがあり、そこは不満だった。

 

映画そのものへのケチではないが、副題の【ある郵便配達員の夢】という部分は必要だろうか。シュヴァルが理想宮の建造に費やした時間の多くで、すでにシュヴァルは郵便配達員を引退していたはず。この副題は、まるで韓国ドラマ『 宮廷女官チャングムの誓い 』のようである。チャングムは女官時代より医女時代の方が遥かに長かった。本作もシンプルに『 シュヴァルの理想宮 』で良かったのでは?

 

総評

フランス産の小説は10~20代の頃に少し読んでいた。フランス産の映画、またはフランスやフランス人についての映画も今後はもっと観てみたいと感じるようになった。『 コレット 』のような、華々しい都を舞台にした話ではないが、片田舎の愚鈍で愚直な男の人生もこの上なくドラマチックになりうると証明してくれる作品である。フランス映画はヌードがお約束、というJovianの蒙昧と偏見を本作は打破してくれた。あらゆる世代にお勧めできる感動的な作品である。

 

Jovian先生のワンポイント仏語レッスン

Au revoir

無理やり発音をカタカナ化すれば「オルヴォワール」か。フランス語で「さようなら」の意である。冒頭の埋葬のシーンで牧師だか神父だかが「お別れを言いましょう」と言った時に聞こえてきた。フランスに旅行した時、あるいはフランス人と話す時に使ってみようではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, ジャック・ガンブラン, ヒューマンドラマ, フランス, レティシア・カスタ, 伝記, 監督:ニルス・タベルニエ, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』 -愚直で朴訥な男の伝記-

『 エクストリーム・ジョブ 』 -会心の韓流コメディ-

Posted on 2020年1月6日2020年1月6日 by cool-jupiter

エクストリーム・ジョブ 80点
2020年1月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:リュ・スンリョン チン・ソンギュ
監督:イ・ビョンホン

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イ・ビョンホンが監督だと知って、「テレビドラマ『 美しき日々 』や映画『 マグニフィセント・セブン 』の俳優イ・ビョンホンが監督デビューしたのか」と思ったら、さにあらず。同姓同名の別人だった。だが、そんなことは全く関係なく本作は面白い。

 

あらすじ

コ班長(リュ・スンリョン)は、マ刑事(チン・ソンギュ)ら個性的過ぎる面々を率いて麻薬捜査を行っていたが、成果が上がらない。後輩には先に出世され、チームも解散の危機に。そんな時に、裏社会の大物が関わる麻薬取引を捜査することになる。張り込みの為にチキン屋を買い取るが、マ刑事がとっさに考案したカルビ用のタレとフライドチキンを合わせたメニューが大ヒットしてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

『 パラサイト 半地下の家族 』のような、笑いの中にシリアスさがあり、シリアスさの中に笑いがあるような作品ではない。本作は徹頭徹尾、笑いを取りにきている。刑事が勤務中に副業にいそしむコメディとしてはハリソン・フォード主演の『 ハリウッド的殺人事件 』(このタイトルは誤訳。正しくは『 ハリウッド殺人捜査課 』か『 ハリウッド殺人課 』だろう)があるが、そちらのスラップスティック具合よりも遥かに突き出て面白い。

 

オープニングのシークエンスから笑わせてくれる。麻薬をやっているちゃちなチンピラを捕まえるために颯爽と登場・・・しないのである。それだけではなく、相手を取り逃がし、捕まえたと思ったら、またも取り逃がし・・・ 『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭のシークエンスと真逆の進行であると言えば、その間抜けっぷりが伝わるだろうか。人の見た目や街並みが日本にそっくりでも、そこは厳然たる外国。日本人のような「武士は食わねど高楊枝」とはならない。メシをおごると言われれば、コ班長は後輩にだってホイホイとついていく。チームの面々も彼に続くことは言うまでもない。鶏料理屋を始めたあたりからマ刑事とジェフンのコミック・リリーフっぷりはさらに加速していく。そしてコ班長の家庭人としての顔。泣かせると同時に笑わせてくれる。『 国家が破産する日 』の町工場のガプス負債・・・ではなく夫妻のような心暖まるベテラン夫婦でありながら、そこからも容赦のない笑いを生み出してくる。このユーモアは独身者には分かるまい。既婚者は、笑いながら、背筋がうすら寒くなること請け合いである。また愛娘とも素晴らしい関係を築いているが、娘の小さい頃の夢にも爆笑必至である。とにかく班長がこうなのだから、その班のメンバーも推して知るべしである。どいつもこいつも一級のコメディアンである。

 

こんなダメダメな連中がどうやって大捕物を成し遂げようというのか。そこには絶妙の仕掛けがある。鶏肉を揚げているだけでは、連中が来店してくれるのをひたすら待つだけになる。しかし、宅配サービスをすれば、連中のアジトにすんなりと入り込めるではないか。その時に、あれをこうして、これをああして・・・という作戦会議に、やっと真面目に仕事をするのかと思いきや、ここでもストーリーは意外な方向へ。いったいどうやって収拾をつけるのかと考え込んだが、ここまでの全ての描写や演出に意味があったのである。そう、相手が麻薬取引の大物であることも、フライドチキンの味付けがカルビ用のタレであることも、その店がデリバリーを行うことも、全ては周到に計算された必然的な設定だったのである。Jovianはこの展開に、はたと膝を打った。脚本のムン・チュンイルの何という手練手管か。

 

クライマックスのアクションシーンは圧倒的である。中盤にも部屋住みのような連中同士のバトルがあったりするが、格闘の一瞬一瞬がかなり痛そうである。つまり、それだけ迫真の演技になっている。また敵方に女格闘家がいるが、フルコン空手を本気でやったらこうなるのかという圧倒的な強さ。土屋太鳳や山本舞香もなかなかのアクションスターだと思っているが、いかんせん手足の長さが・・・ まるでキム・ヨナと浅田真央の関係のようである。技術的に大きな差は無くても、すらりと伸びた四肢の分だけキム・ヨナの方がどうしても見映えがよかった。日本でもスレンダーでありながら、ハードな格闘アクションをこなしてくれる女優の登場を期待したい。

 

ダメダメだった班のメンバーがやっと本領を発揮する。面白いことに班の面々にテコンドー使いがいない。日本やタイの国技を披露してくれる。それは本作が自国の外のマーケットを意識しているからだろう。事実、非常に流暢な日本語が聞こえてくるシーンもあるし、アメリカや中国を軽くおちょくるようなシーンもある。素晴らしいサービス精神であり、フロンティア精神である。韓国で記録的な興行収入を揚げた・・・ではなく上げたのも納得である。

 

鶴橋で焼肉も良いが、鶏料理も捨てがたい。今度、サムゲタンを食べられる店にでも繰り出すとしようか。

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ネガティブ・サイド

警察署長がムン・ジェイン大統領に似ているのは偶然なのか、何か政治的な風刺なのだろうか。その割りには大した見せ場を作れていなかった。やるならきっちり政治も笑いに昇華してほしいものである。

 

全体を通して、BGMの音量が通常の映画よりもかなり大きかったように感じた。韓国映画だとこんなものだろうか。いや、世界的なマーケットを視野に入れているのであれば、BGMの音量などもグローバル・スタンダードを意識して調節すべきであると思う。本作はかなり耳を消耗させる。

 

総評

笑いに国境はないのだと感じる。同時に、コ班長の生き様にも痺れる。家庭人としても職業人としても、一人の中年男性としても、このような人間でありたいとほんの少しだけ憧れた。夫婦で観ても良し、カップルで観ても良し。新春から大いに笑おうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クレド

「けれど」、「だけど」、「しかし」などの逆接の接続詞。韓国ドラマや韓国映画でも最頻出の言葉である。日本語の「けれど」に発音がそっくりなので覚えやすい。

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