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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2020年代

『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

Posted on 2020年10月24日2021年1月18日 by cool-jupiter
『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

シカゴ7裁判 85点
2020年10月21日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン サシャ・バロン・コーエン ジョセフ・ゴードン=レヴィット
監督:アーロン・ソーキン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201023225007j:plain
 

同僚のカナダ人とイングランド人が絶賛していた本作。“You must watch it.”と言われたからには観るしかない。Don’t get your hopes up.と自分に言い聞かせながら鑑賞した。これは年間最優秀映画候補の筆頭である。それほどのインパクトを感じた。

 

あらすじ

1968年、シカゴ。平和的な反戦抗議デモの参加者が民主党大会の会場を目指していた。だが、ふとしたきっかけで警察とデモ参加者が衝突、多数の負傷者が出る。デモの首謀者として逮捕、起訴された7人の男たちは裁判にかけられた。果たして彼らは無罪を勝ち取れるのか・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201023230736j:plain
 

ポジティブ・サイド 

2020年10月に公開(Netflixだが)されるということは、普通に考えれば映画の撮影はその約1年前。つまり、Black Lives Matter運動の発生以前。1960年代の事柄なので、構想自体は10年前に既に持っていたとしておかしくないが、それでも映画化に実際に動けるのはさらに1~2年前の2017~2018年頃だろうか。この時点でアメリカや香港のような極めて大規模な民衆主導のデモが発生するだろうということ、そしてその契機が警察などの国家権力がそれを暴力で鎮圧しようとしたことであったことを予見した映画人は『 ジョーカー 』の監督トッド・フィリップス以外にはアーロン・ソーキンぐらいだったのだろう。まさに炯眼である。

 

小難しい理屈は抜きにしても、本作は娯楽映画としても一級品である。オープニングのシークエンスからして、観客を一気に映画世界に引きずり込む。ベトナム戦争や公民権運動のことなど全く知らないという人には厳しいかとも感じたが、さにあらず。ベトナム戦争に派遣される兵士の数が「そんな馬鹿な」という勢いで増加していく。しかも、その映像がどこか明るくポップで、場面の移り変わりも小気味がいい。そしてマーティン・ルーサー・キングとロバート・ケネディの死を、どこかしらコミカルな銃撃音で片づけてしまうところで、この軽妙なテンポはさらに勢いづく。エディ・レッドメイン演じるトム・ヘイデンやサシャ・バロン・コーエン演じるアビー・ホフマンが次々にセリフをつないで、「いざ鎌倉!」とばかりにシカゴを目指していく。この10分足らずのオープニング・シークエンスだけでも何回も観たい。

 

時の政権が変わって、これまでお咎めなしだったシカゴ7ともう一人の裁判が急遽開かれる。どこかの島国の政治家夫婦を思い出させるではないか。この裁判というのが、はっきり言って出来レース。それまで接点のなかった7人を、シカゴの暴動を共謀して扇動したという、まさに「共謀罪」で吊るし上げることを目的にしているからだ。この時の判事が完全なる耄碌じじいで、軽度の認知症、人種差別主義者、弱い者いじめ、夜郎自大、傲岸不遜と、なにどうやったら人間的にこれほど欠陥のある判事になれるのかという、分かりやすすぎるヴィランである。通常、法廷ものといえば『 エミリー・ローズ 』のように、ヴィランは検察官であろう。判事が明確に敵というのは、なかなか珍しい。このホフマン判事を演じたフランク・ランジェラの卓抜した演技力のおかげで、観る側は否応なくシカゴ7の面々に感情移入してしまう。そして、国家権力の志向する正義に疑念を抱き、個々人が心に秘める正義を後押ししたくなる。それこそが本作を現代に放つ意義、監督からのメッセージである。

 

それにしても本作の検察および警察のやり口の汚さには辟易させられる。コミカルな序盤に、サスペンスフルな中盤の法廷闘争。判事の横暴だけではなく、検察の仕掛ける場外乱闘に、緊張が一気に高まっていく。それによってシカゴ7+1の代理人を務めるクンスラー弁護士の人間味と正義感が際立っている。まさに市井の弁護士という感じだが、それに対峙するエリート検察のジョセフ・ゴードン=レヴィットが、冷静冷徹ではあるが冷酷ではない、国家権力を振りかざせる立場にありながら自制心を有している。この二人が証人に対して尋問を行っていくシーンの数々は法廷ものとして見ても素晴らしい出来栄え。

 

クライマックスには心震わされた。この裁判はそもそも何を争っているのか。流血沙汰の暴動を扇動したのはデモ隊なのか警察官なのか。しかし、デモはそもそも何故組織され、行われたのか。それは、ベトナム戦争というアメリカ史における汚点(と敢えて言う)、その無益な戦傷者と戦死者のためである。国権の発動たる軍事力の行使への不信、そして国権の一角である司法への不信。アメリカ近代史の事件を描いた本作であるが、それが今日、このタイミングで公開されることの意義は大きいし、日本に住まう我々にとっても大いなる衝撃を持って迫ってくる作品である。

 

ネガティブ・サイド

シカゴ7+1であったボビー・シールの物語をサブプロットに上手く組み込めなかったのかと思う。彼の所属するブラックパンサー党への関心やその歴史的解釈や再評価への機運が、映画『 ブラックパンサー 』の公開および主演のチャドウィック・ボーズマンの急逝で高まっているからである。

 

トンデモ判事のその後の歴史的評価はまったくもって思った通りだったが、ジョセフ・ゴードン=レヴィット演じたシュルツ検察官のその後についても知りたかったと思う。

 

総評

政治サスペンスとしては『 女神の見えざる手 』と並ぶ作品で、法廷闘争劇としては『 判決、ふたつの希望 』に次ぐ大傑作である。米大統領選を前にNetflixで公開されたが、『 アイリッシュマン 』の時と同じく、こうした映画を上映してくれる劇場がある。検察官に正義感や良心はあるのか。判事に公正かつ中立的な判断力はあるのか。警察は自制心を持っているのか。本作の描く歴史を他山の石とできるかどうかが日本の分かれ目である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a contingency plan

emergency=「緊急事態」はTOEIC650点レベルの人なら8~9割は知っているだろうが、contingency=「不測の事態」となると、TOEIC800点レベルだろうか。しばしば、“Always have a contingency plan.”=「常に不測の事態に備えておけ」という警句の形で使われる。原発事故後は政府や東電が「想定外」という言葉を何とかの一つ覚えのように使っていたが、アホな政治家やインフラ事業者に対するcontingency plansを我々庶民は持てないのだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, サシャ・バロン・コーエン, サスペンス, ジョセフ・ゴードン=レヴィット, 伝記, 歴史, 監督:アーロン・ソーキン, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

『 鬼ガール!! 』 -大阪人、観るべし-

Posted on 2020年10月19日2022年9月16日 by cool-jupiter

鬼ガール!! 80点
2020年10月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:井頭愛海 板垣瑞生 上村海成 桜田ひより
監督:瀧川元気

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201019231636j:plain
 

2019年の夏ごろに関西ローカルのテレビ番組で撮影終了が報じられていたのをたまたま目にした。それ以来、ずっと気になっていた作品。映画館が『 鬼滅の刃 』を観に訪れる人でごった返す中、「鬼は鬼でも、俺は『 鬼ガール!! 』を選ぶぜッ!!」とばかりに意気揚々とチケットを購入。自分の勘は間違ってはいなかった。穴ぼこだらけのストーリーだが、それらを吹っ飛ばすパワーを本作は秘めている。

 

あらすじ

鬼と人間の間に生まれた鬼瓦ももか(井頭愛海)は、高校デビューを目論むもあえなく失敗。しかし、ひょんなことから幻と呼ばれた「桃連鎖」の脚本を見つけ、その映画製作に携わることになった・・・

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ポジティブ・サイド

大阪人の役は大阪人が演じるのが一番いい。『 君が世界のはじまり 』の松本穂香がネイティブ関西人だったように、こてこての大阪人である井頭愛海が演じるももかの大阪弁は、当たり前ではあるが見事だった。

 

冒頭で、ももかの父を演じた山口智充のこぶとりじいさんネタ、そして末成由美の「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー」、これだけで鬼の実在する世界と大阪のお笑い空間の両方に同時に入り込めた。この掴みは素晴らしい。関西人なら一発で世界観を理解できる。

 

本作は映画を作ろうとする人々についての映画である。こう表現すると上田慎一郎的に思えるが、本作監督の瀧川元気もこれが長編デビュー作。新人監督らしいストレートな欲求と、新人らしからぬ緻密な計算の両方を詰め込んでいる点も上田慎一郎的である。

 

ストーリーは単純明快。鬼であることを隠しながら、輝く青春時代を送りたいと願う女子高生の物語である。そこに友情と恋愛、そして家族愛が織り込まれている。本作で描かれる鬼とは何か。Jovianは岡山にそれなりに縁があるので、桃太郎の物語の原型をよく知っている。鬼とはつまり異人、つまり異能・異才の人であり、外国人である。興味のある向きは「吉備津彦と温羅」でググってほしい。または、「鬼ドン」に使われたオブジェを街中で探してみよう。大阪にはとあるプロ野球チームのファンが多いから、すぐにそれを見つけられるだろう。そして、そのプロ野球チームの名前、それが指す動物が何であるのか、どこから来たのか、何を象徴しているのかを考えてみよう。いやはや、何とも文化的・社会的な含蓄に富んだ作品を送り出してくるではないか。

 

高校デビューに盛大に失敗したももかだが、ふとしたことから映画部で映画を作ろうとするイケメン神宮寺にオーディションに誘われたところから、数奇な運命の糸車が回り始める。板垣瑞生演じる蒼月蓮とあれよあれよという間に映画を作る流れになるが、監督は早く映画作りを撮りたくて、我々はな役映画作りのシーンを観たくて、多少のシーンのつながりの粗さやキャラクターの深掘りなどには目をつぶって、一気に撮影の手前まで進んでいく。ももかの妹や弟の習い事や父母のバックグラウンドが映画製作に結びついていく流れも、強引ではあるが、納得できる作り。桃太郎的なノリで仲間を集めていくのは、まさに大阪ならでは。

 

終盤の展開は、まさにシネマティック。何故「桃連鎖」が幻の作品となったのか。そして現代においても、何故普通の映画祭では「実現の可能性が低い」として落選させられたのか。このあたりの謎を最後まで引っ張りながら、クライマックスで一気に爆発させる手法は、新人監督らしい一点突破だ。自らの失策もあり旬は過ぎてしまったが、まさに大阪の顔という人物が登場するのは、全国的にもかなりのインパクトだろう。映画と現実がシンクロし、鬼と人間の思いが交錯する最後の瞬間に訪れる謎の感動は、まさに筆舌に尽くしがたいものがある。

 

エンドクレジット終了後にオマケが入るので、席は最後まで立たないように。

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ネガティブ・サイド

ももかが蓮に感じていた過去のトラウマとも言うべき因縁を、あまりにもあっさり乗り越えるところが気になった。いじめ、差別、迫害。これらはした側は忘れていても、された側は覚えているものである。ももかの感性を揺さぶる、あるいは蓮というキャラクターの見方を大きく変えるような契機となる演出が欲しかった。

 

主役級の中では桜田ひよりの大阪弁がダメダメである。売り出し中の今だからこそ、もっと役作りに精進すべきだと言っておく。

 

ももかの父親と蓮の父親が同級生で、「桃連鎖」を製作しようとしていたのはいい。だが、せっかく再会と(映画作りの)再開を祝して二人で飲んでいる時に、もう少し「桃連鎖」に関するトークがあっても良かったのではないか。

 

南海電車の色・・・にツッコミは野暮というものか。海側を走る電車が、たまには山側を走っても良いではないか。

 

総評

はっきり言って、細かい粗はめちゃくちゃたくさんある作品である。だが、本作の描く青春の在り方、家族の在り方、友情の在り方、恋愛の在り方は、自分と異質な人間とどう向き合うのか、どう付き合っていくのか、またはどう戦っていくのかについて大いなる示唆を与えている。比較的稚拙なカメラワークも「高校生が自主製作映画を作っている」ように見せるための狙った演出なのだろう。マイナス面すらもプラス面に感じさせてしまう謎のパワーが本作にはある。そのパワーが何であるのかは劇場で体感してほしい。関西人、特に南大阪人は必見であろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

leave someone alone

~を一人にしておく、の意味。パパラッチに追い掛け回された故ダイアナ妃の最期の言葉が“Leave me alone.”だったと言われている。劇中でとあるキャラクターが「一人にしてくれ」と言ったと思しきシーンがあるが、誰でもそう感じてしまう瞬間というのはある。既婚男性なら妻に“Could you leave me alone for a while, please?”と言いたくなることも年に一度はあるだろう。周囲の人に構ってほしくないという時に使ってみよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, コメディ, 上村海成, 井頭愛海, 日本, 板垣瑞生, 桜田ひより, 監督:瀧川元気, 配給会社:SDPLeave a Comment on 『 鬼ガール!! 』 -大阪人、観るべし-

『 みをつくし料理帖 』 -サブプロットをもう少し整理すべし-

Posted on 2020年10月18日2022年9月16日 by cool-jupiter

みをつくし料理帖 70点
2020年10月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松本穂香 奈緒
監督:角川春樹

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『 ハルカの陶 』や『 僕の好きな女の子 』の奈緒、『 わたしは光をにぎっている 』や『 君が世界のはじまり 』の松本穂香が出演している。それだけの理由でチケット購入を決定。テレビの時代劇は10数年前に韓流に押し流されたが、銀幕の世界の時代劇はまだまだ踏みとどまっている。

 

あらすじ

享和年間。大坂の地で幼馴染として育った野江(奈緒)と澪(松本穂香)。数奇な運命に翻弄され、野江は花魁に、澪は丁稚の料理人として江戸にあった。互いがそこにいることも知らずに・・・

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ポジティブ・サイド

最初の舞台となる天神橋は、Jovianの職場の文字通り目と鼻の先である。それだけで親近感が湧いてくるのだから現金なものである。

 

本作はまず東西文化論として、話がよくよく練られている。上方は薄味、関東は濃口という特徴を上手く説明している。いまでも大阪、特に天満あたりの乾物屋や包丁研ぎには「日本の庶民の味の原点は昆布なんやで」と言い切る人が多い。Jovianもその意見に賛成である。関西と関東の文化を比較対照しながら、それらをケンカさせずに上手く融和させる澪の手腕は、現代社会に対してもなにがしかを訴えかけてくる。

 

上方と江戸の味を見事に融合させた澪がつるやを繁盛させていく様は爽快である。それまで澪の料理に辛辣だった馴染みの客たちがコロッと手のひら返しをするところは痛快ですらある。江戸っ子というのは関西人、なかんずく京都人に比べると単純ですなあ。大阪人は計算高さがあるが、それをおくびに出さない。そのあたりの澪の葛藤のようなものを、窪塚洋介演じる武士・小松原が適度にガス抜きしてやるのも一種の様式美になっていて心地よい。藤井隆演じる滝沢馬琴的な戯作家も、江戸っ子と関西人を足したようなキャラクターで、映画の空気にマッチしていた。

 

本作は松本穂香のこれまでの出演作の中でベストであろう。特に、一通の簡素な手紙ですべてを悟った澪の表情、そしてその後の剣幕は演技面でも彼女の白眉。野江との再会シーンの「コーンコン」のシャレードは、様々な人に支えられながら気丈に生きている澪が、それでも心の奥底で最も頼りにしていたのは野江だったことを何よりも雄弁に物語っていた。そしてそれは野江にしても同じ。芸妓・遊女の最高峰の太夫となっても、その心の奥底にいるのは常に天満橋の野江ちゃんである。故郷の味、そして幼少期の味が、彼女を現実の世界につなぎとめているのかと思うと、それだけで胸がつぶれそうに思えてくる。

 

料理のビジュアルも美しいし、長屋町や遊廓の再現度も悪くない。主役級の二人の脇を固める俳優たちが、誰も出しゃばってこないのもいい。背景知識が全くなくても、目の前のキャラクターに十分に感情移入できる。時代劇はまだ死んではいない。

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ネガティブ・サイド

細かいツッコミから始めるなら、小松原様の2度目か3度目のつるやからの退場シーン。提灯を持って帰るのを忘れておりますぞ。

 

いくら洪水後の混乱の炊き出しの場とはいえ、いきなり子どもを連れ去るごりょんさん、これでは人さらいと変わらないではないか。実際にそのように連れ去られ売り飛ばされたのが野江なのだろうが、だからこそ澪はしっかりとした人に引き受けられていったというシーンにすべきだった。おそらく小説やドラマ版に慣れ親しんだ人向けにダイジェスト的にまとめたのだろうが、映画から入った人間には、ごりょんさんも人さらいに見えてしまいかねない。幼い澪の名前や素性を尋ねるぐらいはすべきだった。

 

元々は大部の小説、そして連続テレビドラマだったものを2時間少しの映画にするのだから、ストーリーの軸をもう少し固めた方が良かった。小松原との師弟関係的な淡いロマンスなのか、源斉との地に足の着いた関係の発展なのか、それとも登龍楼との対決なのか、つるやの継承とさらなる発展なのか。澪と野江との関係は不動のメインプロットで、サブプロットをどのように組み立てるのかに、もう少し脚本および監督は神経を使ってもよかった。

 

総評

『 居眠り磐音 』は世間的な評判は散々だったが、Jovianは面白いと感じた。本作も同じで、テレビドラマ版にあまり馴染みがないので、そのぶん素直に本作を受け止めることができた。確かに粗が見えないわけではないが、江戸の庶民の暮らしぶりや故郷を遠く離れた人間の郷愁の念、なによりも一途な友情がストレートに描かれている。奇をてらった邦画が量産される中、本作のような真っ正直な作品は逆に貴重ではないか。時代劇だからと敬遠せず、多くの映画ファンに観てほしい作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

save one’s life

日本語には「命の恩人」という名詞句が存在するが、英語にはそれにあたる名詞および名詞句は無い(少なくともJovianの知る限りは)。そのように表現したい場合はシンプルにsave one’ lifeを使う。

 

あなたは命の恩人だ。

You saved my life.

 

映画やドラマでかなり頻繁に使われている表現なので、少し意識すればどんどん聞こえてくるだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 奈緒, 日本, 時代劇, 松本穂香, 監督:角川春樹, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 みをつくし料理帖 』 -サブプロットをもう少し整理すべし-

『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

Posted on 2020年10月14日2022年9月16日 by cool-jupiter

望み 75点
2020年10月11日 MOVXあまがさきにて鑑賞
出演:堤真一 石田ゆり子 岡田武史 清原果耶
監督:堤幸彦

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『 十二人の死にたい子どもたち 』でも述べたが、堤幸彦監督は良作と駄作を一定周期で生み出してくる御仁である。本作は良作である。安心してチケットを買ってほしい。

 

あらすじ

規士(岡田武史)は怪我でサッカーを辞めてから、悪い連中と付き合うようになってしまったらしい。冬休みの終わり、ふらっと家を出た規士は、そのまま家に帰ってこなくなった。そして、規士の同級生が殺害されたとのニュースが。犯人は逃走中。そして、もう一人被害者がいるとの情報も。規士は加害者なのか、それとも被害者なのか・・・

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ポジティブ・サイド

これは『 ひとよ 』に勝るとも劣らない良作である。母が殺人者だったら、そして母が殺したのが父だったら、残された家族はそれを赦せるのか、赦せないのかを『 ひとよ 』はドラマチックに描き切った。本作は、息子が殺人者なのか、それとも息子は殺害されてしまったのか、という究極のジレンマに引き裂かれる家族の姿を実にリアルに映し出した。

 

堤真一演じる父親は、息子が殺人者であってほしくはない、むしろ被害者であってほしいと願ってしまう。一方、石田ゆり子演じる母親は、息子が生きているのなら殺人犯であってくれて構わないと願っている。どちらかが正解であるとは言えない。息子が罪を犯していようがいまいが、自分の元に帰ってくれさえすればいい。そうした母親の狂気にも似た執念を我々は『 母なる証明 』に見た。石田ゆり子は世間を敵に回しても息子を愛する母親像を打ち出した点で、篠原涼子や吉田羊らの同世代から一歩抜け出したといえるかもしれない。

 

堤真一も魅せる。父親として、息子を信じているからこそ、殺人などありえない。そんなことをするわけがないし、できるはずもない。だから被害者の側だろうと考える。それは残酷と言えば残酷だが、息子を心から信頼しているとも言える。それも一つの愛情の形だろうし、そこに正誤も優劣もない。自宅前に押し掛けるマスコミに対しても真摯に対応するし、マスコミの誘導に引っかかって声を荒げてしまうのは、裏表のない人間性の表れである。

 

それにしても、本作に描かれるマスコミのウザさ加減よ。これは取りも直さず昨今の本邦のマスコミの低レベル化への痛烈かつストレートな批判だろう。報道とは面白可笑しく行うものではないし、取材とは物語を構築するために行うものではない。メディアは事実の確認(いわゆるファクト・チェック)をまず行うべきであって、都合の良い情報ばかりを提示して、視聴者を躍らせてはならないのだ。そう、一般人もある意味で同罪である。コロナ禍の最中にある今、自粛警察だとかマスク警察だとかが跋扈し、偏狭な正義感から他者を叩くことを是とする人間が増えた(というよりも可視化された、と言うべきか)。本作はそうした日本人の残念な習性を見事に先取りして映し出したと言える。他にも『 白ゆき姫殺人事件 』が描き出したSocial Mediaの中の無数の無責任な発言および発言者を、本歌取りするかの如く、より鮮やかに描き出した。我々は本来、無関係であるはずだが、そこであることないこと、好き勝手に書くことに慣れているし、そうした情報を受け取ることにも慣れ切っている。それがいかにグロテスクなことかを、監督や脚本家、原作者は糾弾している。

 

いやはや、最近の邦画では珍しいまでに人間の在り方を直截に描き出し、人間の心情をとことん抉り出した傑作である。

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ネガティブ・サイド

あまりに警察が無能すぎる。これはちょっとどうかと思う。警察をとことんコケにするのが様式美になっている韓国映画ではないのだ。普通なら、刃物の存在について父が証言しているのだから、その刃渡りや形状と遺体の刺し傷を照合する必要があるし、その刃物の購入経路や購入者についても調べるはずだ。なによりも、父親が「私が預かっている」と明言しているにせよ、その現物を確認するだろう。それに、行方不明届けを提出することに決めたのなら、規士の部屋を一通り見て回って、行き先などの手がかりも探すだろう。生活安全課の元警察官のJovian義父が本作を観てどう思うか。

 

本作のラストの余韻も少々疑問である。『 ウインド・リバー 』のように、現実を拒絶するのではなく現実を受け入れたからこその結末なのだろうが、それにしても以下白字自転車の数が3台から2台に減るのは、さすがに物分かりが良すぎでは?

 

ラストの俯瞰のショットも芸がない。監督自身の作風なのかもしれないが『 人魚の眠る家 』と瓜二つではないか。このような家族がこの世界にはきっとたくさんあるのだと言いたいようだが、ワンパターンなショットは頂けない。

 

総評

多少の弱点はあるものの、2020年の邦画では、まず白眉である。俳優陣の演技も堂に入っているし、音楽も情感をかき立てる。なによりも現代社会を撃つメッセージを強烈に放っている。我々自身をこの家族に置き換えて観ることもできるし、この家族を取り巻く関係者として観ることも、そして無責任な傍観者として観ることも可能である。いずれの見方であっても、本作はとても深く力強い印象を残すことだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

common sense

「常識」の意。しばしばhave common sense = 常識がある、use common sense = 常識を働かせる、という具合に使う。日本語の常識には「当たり前の知識」という意味があるが、こちらは「当たり前の感覚」というニュアンスである。劇中でとあるキャラクターが言う「常識ってもんをわきまえろ!」を試訳するなら、“Don’t you have any common sense?”(お前には常識がないのか?)になるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, 堤真一, 岡田武史, 日本, 清原果耶, 監督:堤幸彦, 石田ゆり子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

『 映像研には手を出すな! 』 -キャラ作りや演出が中途半端-

Posted on 2020年10月7日2022年9月16日 by cool-jupiter
『 映像研には手を出すな! 』 -キャラ作りや演出が中途半端-

映像研には手を出すな! 40点
2020年10月3日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:齋藤飛鳥 山下美月 梅澤美波 小西桜子 桜田ひより 福本莉子 浜辺美波
監督:英勉

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旬な女優と人気アイドルを集めて作りました的なにおいがプンプンする作品。そういう映画は嫌いではないが、キャスティングが逆だろうと思う。すなわち、主役に役者、端役にアイドルにすべきだ。このあたりに邦画界の構造的な弱点が見え隠れしている。

 

あらすじ

浅草みどり(齋藤飛鳥)、水崎ツバメ(山下美月)、金森さやか(梅澤美波)の個性あふれる3人は、芝浜高校で“最強の世界”を描き出すべく映像研を設立する。しかし、大・生徒会は有象無象の部活や同好会の乱立を快く思っておらず、部活動統廃合令を出してきた。果たして映像研は無事に活動をできるのか・・・

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ポジティブ・サイド

映画作りをする人々を題材にする映画というのはJovianの好みである。近年の邦画でも『 カメラを止めるな! 』という傑作が生まれた。英監督過去作『 トリガール 』は微妙な恋愛要素を入れたことでストーリーの密度や純度が低下してしまったが、本作の主役3人は男にわき目もふらず“最強の世界”を目指すところが小気味よくて、共感もしやすい。恋愛のあれやこれやで空回りする青春もあるにはあるだろうが、大多数の人間は友人や仲間との部活や遊びも同じくらい、時には恋愛以上に大切にしているものだ。

 

CG技術の向上と廉価化も本作は上手く取り入れている。アニメのラフ画をそのまま空間上に描き出し、皆が推敲を重ね、完成形に仕上げていく作業は、まさに現代的なアニメ作りを映像で巧みに表現できていた。今後は邦画も背景や大道具や小道具をCGで描くことが増えていくはず。そうした中、目の前には存在しないものを前に演技する力が、役者には今後ますます求められていく。そうした時代の端緒を描いているとも言えそうだ。

 

アホな部活や同好会が百花繚乱状態の学校だなと序盤で思わせてくれるが、それらを巧みに盛り込んだ終盤の展開は、お約束ではあるがカタルシスがある。『 賭けグルイ 』では有象無象の生徒は食われる存在に過ぎなかったが、本作はモブ連中がドンデン返しの立役者になっていた。これこそ王道的展開というものである。

 

ネガティブ・サイド

キャスティングが奇異に思える。原作を知らないJovianでも「なんか違うぞ?」と感じた。主演に浜辺美波を据えることができていれば、もっとコミカルでユーモラスな「浅草みどり」像を打ち出せていたに違いない。もしくは売り出し中の桜田ひよりもハマりそう。水崎ツバメを演じた山下美月と金森さやかを演じた梅澤美波の配役も逆であると感じた。役者の両親を持ち、読モでもあるサラブレッドには、長身かつ端正な顔立ちの梅澤の方が水先ツバメというキャラにマッチしているように思えた。

 

映画のあちらこちらにどこかで見たようなセットやガジェット、ロケーションが出てくる。

『 暗黒少女 』や『 東京喰種 トーキョーグール 』、『 翔んで埼玉 』や『 賭けグルイ 』など。もちろん、ほとんどすべてのシーンでオリジナルのロケ地を選定していると思われるが、構図の切り取り方がどれもこれも平凡、もっと言えば陳腐に見える。『 水曜日が消えた 』の図書館が『 図書館戦争 』と同じでカメラワークもそっくりだったことにウンザリしたが、作品を作る時に作り手、ことに監督は常にオリジナリティを追求してほしい。それはストーリーだったり、役者に求める演出だったり、カメラワークだったりと様々にあるが、どれでもいいのだ、クリシェで満足してはならない。

 

ストーリー展開にも粗が目立つ。なぜ大・生徒会にあれだけ激しく抵抗する映像研が、文化祭に出展するために他の部活や同好会を潰す必要があるのか。生徒会に反発しながら、やっていることが生徒会と同じになっているではないか。敏腕プロデューサーたる金森氏の面目が、これでは丸つぶれである。

 

ロボ研と手を組む展開は悪くないが、そのロボ研の連中が完全に単なるコミックリリーフ、いや、それ以下の扱い。巨大ロボの存在意義をロマンだと語るその言や良し。ならば、なぜ巨大ロボの戦い方や戦闘時のポーズや武器その他についても熱く語らないのか。そのあたり原作者とは話さなかったのか。もしくは英勉監督の中にはロマンがないのか。巨大ロボットとは、少年の自我の象徴である、怪獣とは、外部世界の理不尽さの象徴である。少年がそうしたものと戦うためには大人にならなければならないが、それはできない。だから巨大ロボに頼るのだ。英監督の心の中に、そうした観念はないのか。巨大ロボットのロマンとは何かについて真摯に向き合った形跡が見られない。

 

最後に、せっかく作ったアニメが映し出されないのは何故なのか。PCのEnterを押下した瞬間に、なぜか点灯していた講堂の照明まで消えたが、どういうことなのだ?執拗なまでに繰り返された爆発音の音響が本番で一切鳴り響かなかったのは何故なのだ?映像研の作品を観客が見られないというこのモヤモヤをどう我々は晴らせばよいのだ?

 

他にも気象研究部だとかピュー子だとか、本当に必要だったのだろうかと疑問になる。

 

色々な要素をとことん納得いくまで追求することなく、とりあえずテキトーにまとめてみました。そんな感じの作りに見えてしまい、残念である。

 

総評 

英監督は2010年以降、普通の映画監督とは思えない多作多産っぷり。だが、それが劇作術の向上の為せる業というよりも、漫画原作の映画化作業テンプレのようなものを手に入れてしまったからに思えてならない。まあまあ面白いけれど、突き抜けた面白さにはならないのだ。この手の「クリエイターを主人公にした物語」ならば、『 バクマン。 』の大根仁監督の方が手腕は優っているように思う。原作ファンにならお勧めできると思われる。Jovianの横の方に座っていた女子高生?女子大生?みたいなペアが、終始クスクスケラケラしていたから。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Creators …

金森の言う「クリエイターって奴らは」の私訳。こういう表現は十把一絡げにして複数形で表す『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』で、ハン・ソロの言葉を無下にするレイアを見たC-3POが一言、“Princesses …”=「お姫様という人種は・・・」と慨嘆していた。職場などで「まったく中年オヤジは・・・」と思ったら“Middle aged men …”、「管理職って奴らは・・・」と感じたら“Managers …”と複数形にして心の中でつぶやこう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, 小西桜子, 山下美月, 日本, 桜田ひより, 梅澤美波, 浜辺美波, 監督:英勉, 福本莉子, 配給会社:東宝映像事業部, 齋藤飛鳥Leave a Comment on 『 映像研には手を出すな! 』 -キャラ作りや演出が中途半端-

『 mid90s ミッドナインティーズ 』 -私小説ならぬ私映画-

Posted on 2020年10月2日2022年9月16日 by cool-jupiter

mid90s ミッドナインティーズ 70点
2020年9月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:サニー・スリッチ キャサリン・ウォーターストン ルーカス・ヘッジズ
監督:ジョナ・ヒル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201002022349j:plain
 

アメリカのテレビドラマ界では80年代が花盛りである。それは80年代に幼少期~思春期を過ごした世代が、テレビ業界でイニシアチブを取れるようになってきたからだと言われている。しかし、そうこうしているうちに90年代にノスタルジーを抱く、次の世代が台頭してきた。監督・脚本・制作のジョナ・ヒルは1983年生まれ。90年代は彼にとって7歳から16歳。これは私小説ならぬ私映画なのだ。

 

あらすじ 

スティーヴィー(サニー・スリッチ)は暴力的な兄イアン(ルーカス・ヘッジズ)とシングル・マザーのダブニー(キャサリン・ウォーターストン)と暮らしていた。ふとしたことからスケボーを通じて、ルーベンやフォース・グレード、ファック・シット、そしてレイと知り合ったことで、スティーヴィーは新しい世界を知るようになり・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングからナイキのバッシュなど、90年代を彩った様々なガジェットが画面に映し出される。不思議なことに、ただそれだけのことで空気が変わる。それは予告編でもたびたび映し出された“Stay out of my fucking room, Stevie.”という兄の台詞にも触発されるからなのだろう。年の離れた兄の部屋。それは異世界のようなものだ。最も身近な大人の世界とも言える。そして、兄が使わなくなったスケボーに一人のめり込むところから、ストリートのスケボー連中に合流し、変わっていくという、思春期のビルドゥングスロマンである。

 

主演を務めたサニー・スリッチは、まるでジェイソン・クラークがそのまま子どもになったような雰囲気である。つまり、ヒールともベビーフェイスとも判別がつかない顔とでも言おうか。何色にも染まりうる危うさを秘めた面持ちをしている。そんなスティーヴィーがルーベンと知り合い、その伝でレイやファック・シットらと出会い、“サンバーン”というニックネームを奉られ、ともにストリートに繰り出してスケボーに酒、その他の乱痴気騒ぎに興じる。『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』と正反対のstreet smartな成長過程を見せていく。その何とも言えない、危うさに痛々しさよ。

 

縁あっていくつかの大学で英語の授業を担当させて頂いているが、それこそ2000年前後生まれの学生たちは、程度の差こそあれ、とても真面目で勉強熱心だし、ボランティアに精を出すし、インターンシップにも意欲的だ。Jovianの幼少~思春期は80年代から90年代にかけてだが、その頃の中学高校生の喫煙率やヤンキー率など、今日の若者からすれば眉を顰めざるを得ないだろう。日本でも米国でも、90年代は明るく荒んでいたのだ。そうした青春の光と影、そこにある緩やかで、しかし確実に存在する家族との紐帯。そう、これはある意味でアメリカ版『 はちどり 』とも見なしうる物語なのだ。親友だと思っていた相手との関係性のねじれ、自分よりも恵まれない人々の存在への気付き、兄からの暴力、家族を亡くした者の魂の慟哭・・・ スティーヴィーもまた、いつか新天地を目指して飛び立つ『 はちどり 』なのだ。だが、彼は確かに90年代半ばという地平にその存在を刻み込んだ。かけがえのない仲間と共に。

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ネガティブ・サイド

仲間内でルーベンとスティーヴィーの立ち位置、力関係が逆転する出来事がかなりのご都合主義であるように感じた。プロのボーダーを目指すレイが、ルーベンやスティーヴィーに「飛べ!」と促すだろうか。腑に落ちない。

 

またファック・シットが酒とパーティーに溺れていく過程の描写が不十分にも思えた。破滅的な性向の男であることは見た瞬間から分かる。問題は、ファック・シットの陰口を叩くのがパーティー・ガールたちだけというところだ。スケボー連中たちからも「あいつはちょっと頭ヤベー奴だぞ」のような忠告がスティーヴィーの耳に入るシーンがあれば良かったと思う。裁判所前でホームレスの男性とレイがひとしきり言葉を交わすシーンはよく練られたものだったが、その裏ではスティーヴィーが仲間の悪口を聞いて激怒する、または動揺するといったミニドラマがあっても良かったはず。

 

総評

決してハッピーな気分になれる映画ではない。懐古趣味的であるが、それを無条件に良しとするような風潮にはっきりと異議申し立てをしている作品である。だが、90年代を嫌悪しているわけでもない。青春の1ページ、それは時に痛く、時にまばゆい。そんな一瞬を見事に切り取った一作である。30代から40代なら、何かを感じ取れるのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You feel me?

「(俺の言っていることが)分かるか?」の意。スラングである。下品ではないが、フォーマルでは決してない。友人や同僚相手に使うにとどめよう。Jovianの友人かつ元同僚もこの表現をしばしば使っていた。彼のYouTubeチャンネルには、外国人には日本文化や日本人がどう映るのかを知るための、なかなか興味深い動画がそろっている。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, キャサリン・ウォーターストン, サニー・スリッチ, ヒューマンドラマ, ルーカス・ヘッジズ, 監督:ジョナ・ヒル, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 mid90s ミッドナインティーズ 』 -私小説ならぬ私映画-

『 ようこそ映画音響の世界へ 』 -オーディオ・エンジニアに敬意を-

Posted on 2020年9月28日2021年1月22日 by cool-jupiter

ようこそ映画音響の世界へ 75点
2020年9月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウォルター・マーチ ベン・バート ゲイリー・ライドストローム
監督:ミッジ・コスティン

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『 すばらしき映画音楽たち 』という優れた先行作品があり、どうしてもその二番煎じであるとの印象は拭い難い。しかし、音響という仕組みや現象を映画史と共に概説してくれる本作が、映画ファンの視野を広げてくれることは間違いない。

 

あらすじ

『 スター・ウォーズ 』のベン・バート、『 地獄の黙示録 』のウォルター・マーチ、『 ジュラシック・パーク 』のゲイリー・ライドストロームら、映画音響のパイオニアたちのインタビューを軸に、映画における音響の役割とその拡大の歴史に迫っていくドキュメンタリー。

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ポジティブ・サイド

映画はキャラクターと物語と映像と音楽で成り立っている。しかし、じつはそこにもう一つ、「音響」という要素もある。我々は映画サントラを買うことはあっても、音響サントラを買うことはない。というか、売っていない。映画サントラの需要は分かりやすい。その音楽を聴けば、映画のシーンやセリフや物語そのものが脳内で再生されるからだ。邦画で最もインパクトのあるサントラと言えば伊福部昭の『 ゴジラ 』のマーチ、そして海外の映画では『 スーパーマン 』のテーマや『 ロッキー 』の“Gonna Fly Now”、『 トップガン 』の“Danger Zone”や“Take my breath away/愛は吐息のように”が思い浮かぶ。だが、このようにも考えてみてほしい。『 スター・ウォーズ 』で最も印象に残っている音は、実は音楽ではなく、ライトセイバーの唸るような音、ブラスターの発射音、TIEファイターの飛行音やビーム発射音、ミレニアム・ファルコンのジェット音やコクピット内部の機械音、そしてワープ時の音ではないだろうか。

 

本作は、音楽ではなく音響にフォーカスした稀有なドキュメンタリーである。映画史の中で音響がどのように導入され、発達していったのかを稀代のオーディオ・エンジニアらや映画監督たちとのインタビューを通じて再発見していく物語である。

 

個人的に勉強になったと感じたのは、集音技術発達前の映画の作り方。その描き方がコミカルなのだが、作っている側としては非常に悩ましい問題だったのだろう。もう一つはフォーリー・サウンドの歴史。『 羊と鋼の森 』で“4分33秒”で名高いジョン・ケージについて述べたが、ジャック・フォーリーについては全く背景知識を持っていなかった。ステレオの発明が金山の発見ならば、フォーリー・サウンドの発明は、大袈裟な言い方をすれば、新大陸を発見したようなものである。それほどのインパクトを感じたし、この分野には無限に近い鉱脈が眠っているのは間違いない。

 

映画の黎明期から2018年までの映画史が音響の面からわずか90分程度にまとめられている。発見の連続であったし、今後は映画館でエンドクレジットを眺める際の楽しみが増えた。映画ファンだけなく、広く一般の人々にも観てもらいたいと願う。

 

ネガティブ・サイド

映画史を俯瞰する圧倒的スケールの作品であるが、少し人間だけフォーカスしすぎているとも感じた。今後10年で映画音響がどのような進化を遂げるのかについての道標を示してもよかったのではないか。例えば『 シライサン 』で実施されたイヤホン360上映のような、新機軸の音響効果を体感できる映画館またはイヤホン・ヘッドセットの開発など。または、ホロフォニクス=立体音響録音技術を今後どうやって映画館に組み込んでいくのかといったことも示唆できたのではないか。

 

様々な作品が紹介されていたが、そこにアニメーションやNon-Americanの作品がなかったことは率直に言って不満である。女性や外国ルーツの女性エンジニアにフォーカスするのなら、作品にもinclusivenessが欲しかった。

 

総評

2020年はコロナ禍により世界中の映画館が存在意義を問い直された。もちろん映画館の存在意義は、圧倒的な大画面である。だが、映画館でこそ味わえる音響の世界もあるし、映画そのものを鑑賞する時に音楽だけではなく音響に我々はもっと注意を向けるべきだ。そうしたことを本作を通じて考えさせられた。今後は照明や撮影監督にスポットライトを当てた作品が、さらには映画館という施設そのものの発展史を概説するドキュメンタリーが求められる。もう誰かが作り始めているかな。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Talk about ~

「 ~について語る 」という意味が主役であるが、他にも用法がある。これは「 まさに~だ 」、「 何という~なんだ 」という意味で使われる慣用表現。作中では“Talk about innovative”と使われていた。つまり、「 なんと革新的なのか 」という意味である。

 

My client never makes eye contact with me. Talk about a lack of respect!

クライアントは俺と目を合わせないんだよ。まったくもって失礼じゃないか!

 

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, ウォルター・マーチ, ゲイリー・ライドストローム, ドキュメンタリー, ベン・バート, 監督:ミッジ・コスティン, 配給会社:アンプラグドLeave a Comment on 『 ようこそ映画音響の世界へ 』 -オーディオ・エンジニアに敬意を-

『 Daughters(ドーターズ) 』 -アート系映像+日常系ドラマ-

Posted on 2020年9月25日2021年1月22日 by cool-jupiter
『 Daughters(ドーターズ) 』 -アート系映像+日常系ドラマ-

Daughters(ドーターズ) 65点
2020年9月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:三吉彩花 阿部純子
監督:津田肇

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200925003143j:plain
 

予告編を2~3度観ただけで観賞。『 孤狼の血 』で魔性の女とも純な乙女とも判断つかない不思議な美女を演じた阿部純子が出演している。シネ・リーブル梅田で『 ソローキンの見た桜 』を見逃してしまったが、本作は劇場に観に行くことができた。

 

あらすじ

小春(三吉彩花)と彩乃(阿部純子)は仕事もプライベートも充実したルームシェア生活を送っていた。しかし、彩乃が突然の妊娠を告白。二人の生活や関係が少しずつ変化し始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングからなかなか奮っている。薄暗い室内で三吉演じる小春と阿部演じる彩乃が取り留めのない会話を繰り広げる。この映画は二人だけの閉じた世界がテーマなのだと伝わるEstablishing Shotになっていた。これにより、物語がどう展開しようとも、主軸は二人の関係性であるということを見失わずに済む。

 

仕事にプライベートにと充実した生活を送る二人。『 チワワちゃん 』のようなぶっ飛んだ青春ではないが、充実した20代、充実した社会人生活の一つの在り方を映し出していた。だが、ある日、彩乃の妊娠が判明。そのことを綾乃に告げられた小春は狼狽する。それはそうだ。相手の男も不明。実家が近いわけでもない。仕事も辞めない。これでどうやって赤ん坊を育てるというのか。

 

本作は時代の空気をよく反映していると言える。日本社会の離婚率は今や3割。10組に3組は離婚するのだ。結婚観および離婚観は大いに変化したと言えるだろう。一方で、婚外嫡出子の割合は2%前後。良い意味でも悪い意味でも、日本では子育ては夫婦で(あるいは親や親族、地域の助けを借りて)行わなければ難しいということも分かる。綾乃と小春の関係性にも当然のごとく、変化が訪れる。その変化を特に小春がどのように受容していくかが本作の見せ場である。

 

上手いなと思わされるのは、小春や綾乃の様々な人間関係を決して完全には見せない、あるいは説明しないことである。たとえば小春の親の存在が言及されるが、どこに住んでいるのかは分からない。また綾乃が実家を訪れるシーンがあるが、父親と祖母は出てきても祖父や母親は出てこない。母親に何があったのかも決して語られない。子どもが出来たということは父親が確実に存在するわけで、その父親が誰であるのかは画面上にはっきりと映し出される(だからといって濃厚なラブシーンが描写されるわけではないので、スケベ映画ファンは期待しないように)。だが、男女の関係が発展することもないし、小春が負けじと男を作るわけでもない。これにサブプロットとして発展していきそうな要素がそぎ落とされ、あくまでも小春と彩乃の関係性が物語の主軸であり続ける。

 

そうした二人の女性の関係性が色鮮やかに、時にdruggyとも言える色彩豊かな映像で描写される。そして季節が進んでいくごとに自然豊かな情景を挟んで、新たな局面を迎えていく。この一連の様式美が心地よい。津田肇は映像作家らしい画作りで、光と影のコントラストや、赤や青といった原色を大胆に画面いっぱいに繰り広げる。それが若さの発露であり、また人間の情念の暗さを表している。そうしたいかにも“東京”らしい色彩が、沖縄の海と空と土地で中和される終盤の展開もなかなかに味わい深い。

 

小春と彩乃の同居生活の変化、その行き先。それがどうなるのかは誰にも分からない。しかし、彼女らの選択を尊重したい、ひとまずは見守ってやりたい。そのように感じる人は多いのではないのだろうか。

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ネガティブ・サイド

中目黒に住んで、夜な夜な酒を飲んで、ファッションにも力を入れて、よくカネが続くものだなと悪い意味で感心する。試しに「中目黒 家賃 2LDK」でググってみたが、20万円を切る賃貸物件はほとんど見当たらない。つまり、小春も彩乃も月に12~13万円を家賃に使っていて、なおかつガス水道光熱費にスマホ代、洋服代に食費、それに遊興費まで出している?いったい、彼女らの年収はいくらなのだ?ちょっと現実味が薄すぎる。

 

女性の自立を見守る。女性が選択する権利を持つ。そうした主張が感じられるが、一方で女性に関する固定観念を助長するようなシーンもあった。特に気になったのが、大塚寧々演じる産婦人科医と赤ちゃん教室の講師役の看護師?だか助産師?である。赤ちゃんはお母さんに抱かれるのが好き?諸説あるが、いわゆる抱き癖のある赤ちゃんというのは、体の小さな母親から生まれてくるというデータがある。つまり、相対的に小さな子宮内にいるために体を丸めてしまう、そしてその姿勢を心地よいものと認識する。結果、生まれてからも体を縮める=抱っこされた時の体の形や姿勢が落ち着くということになる。これは科学的エビデンスのある説である。女性の自立や生き方の多様化を描きながら、ところどころに旧態依然とした女性観が出てくるのは頂けない。

 

産休を取った彩乃が職場から自宅に帰って来るシーンの歩き方がお腹がかなり膨らんだ妊婦としては不自然。もっと背中を反らせてガニ股で歩かないと迫真性が出せない。歩き方にこだわる妊婦もいるにはいるが、少なくともお腹に布を詰めただけの演技にしか見えなかった。阿部純子も津田肇も、もっと勉強が必要である。

 

総評

少々ご都合主義が目立つし、映画全体が伝えたいメッセージと映画の場面ごとに伝えようとするメッセージに齟齬があることもある。彩乃の上司による説教臭い説明的なセリフもノイズであるように感じた。だが、歪な家族の形を真正面から描き切ったというのは非常に現代的であるし、『 万引き家族 』以来、邦画は少しずつ変わっていったように思う。その新しい潮流の邦画作品として、本作には一見の価値がある。気分が向けば劇場で鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

child rearing

「子育て」の意。Parentingとも言うが、子育ては必ずしも親によってなされる必要はない。したがって、子育ての訳語には「子」が含まれていればよい、という意見もある。Jovianもこの説に賛成である。育メンなどという訳の分からない言葉が一時期だけもてはやされた日本社会であるが、この調子では出生率の増はまだまだ望めそうにないか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 三吉彩花, 日本, 監督:津田肇, 配給会社:Atemo, 配給会社:イオンエンターテイメント, 阿部純子Leave a Comment on 『 Daughters(ドーターズ) 』 -アート系映像+日常系ドラマ-

『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』 -韓国社会の闇と、そこに差し込む一条の光-

Posted on 2020年9月21日2021年2月23日 by cool-jupiter

ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 75点
2020年9月20日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:イ・ヨンエ ユ・ジェミョン
監督:キム・スンウ

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『 人数の町 』の序盤、日本社会の闇を表す統計が次々に表示されて、我々は日本社会の闇の部分をファンタジー形式で見せつけられた。一方で本作は韓国社会の闇の部分をリアリズムを以って描き出してきた。はっきり言って滅茶苦茶もいいところなのだが、その荒唐無稽なストーリーを最後まで緊迫感あふれる展開でまとめたのは見事としか言いようがない。

 

あらすじ

看護師のジョンヨン(イ・ヨンエ)は6年前に7歳の息子が行方不明になってしまった。以来、夫と共に息子を探し回っていたが、ある時、夫が交通事故で死亡してしまう。憔悴するジョンヨンの元に息子ユンスに似た子どもを釣り場で見たとの情報が寄せられる。その子は息子ユンスなのか、そしてジョンヨンはユンスを救い出せるのか・・・

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ポジティブ・サイド

恐ろしいまでに救いがないストーリーである。韓国は善人1、悪人9か、それ以上に悪人だらけの社会なのかと思わされてしまう。日本の出生率も超低水準でほぼ横ばいだが、お隣の韓国では何と1.0を割っている。日本も子どもに優しくない社会だとしばしば指摘されるが、あちらは輪をかけて酷いらしい。子どもを救い出す話でありながら、子どものいたずらで序盤早々にジョンヨンの夫は死亡してしまう。最初は『 アジョシ 』のマンソン兄弟率いる犯罪集団からの誘導メールかと思ったが、これが子どものいたずらということで、観る側は一気にやり場のない感情に襲われる。そして、その感情の矛先を向ける相手を求めてしまう。何と残酷で、しかし効果的な導入部であることか。脚本も書いたキム・スンウ監督はこれが長編商業映画のデビュー作というから驚きである。全編に不吉で不穏な空気が充満し、どのような事件が起きてもおかしくないという、ただならぬ雰囲気がどこまでも持続する。早くもナ・ホンジン2世が現れたのか。

 

そのような中で孤軍奮闘するイ・ヨンエの気高さと必死さ、慈しみと憎しみを同居させた圧倒的な存在感と演技力は、『 親切なクムジャさん 』から14年ものブランクがあったとは到底思えない。親が我が子に対して持つ執念とも言うべき愛情を全身で体現してくれた。『 母なる証明 』のキム・ヘジャ、『 悪の偶像 』のソル・ギョングに次ぐ、狂気にも近い親の情念を感じ取ることができる。オープニングで泥だらけの浜辺を呆然自失して力なく歩く姿に、いったい彼女の身に何が起きたのかと思わされ、後は一気の展開に引き込まれるのみ。

 

ラストで彼女が見せる表情の複雑さは筆舌に尽くしがたいものがある。同じ感想を抱いてしまうが、『 MOTHER マザー 』の長澤まさみ、『 人魚の眠る家 』の篠原涼子、『 ハナレイ・ベイ 』の吉田羊に、このような表情を見せてほしかったのだ。感情を表情に表すのは容易い。そして、感情を観る側に伝えるのは役者の仕事の第一である。だが、役者が観る側に感情を想起させるような表情を見せるというのは、似て非なることだろう。『 殺人の追憶 』のラストのソン・ガンホの表情にも通じるが、イ・ヨンエのその表情の中に宿る感情が歓喜なのか落胆なのか。そのどちらとも受け取れるし、どちらとも決めかねる。要は、あなたは希望を見出せますか?と我々が問われているのである。

 

このイ・ヨンエを取り巻くのが、ほとんど全員悪人である。なんと親族までが味方ではないのだ。現場となるマンソン釣り場のファミリーも曲者ぞろい。常識人に見えた男も、一皮むけば身勝手な前科者に過ぎない。そして児童を身体的にも精神的にも性的にも虐待しているとしか思えない不気味な肥満男に、母親面して子どもに苛烈に接する女性たち。このような絶対的なアウェーでジョンヨンが対峙するホン警長は、なんと『 エンドレス 繰り返される悪夢 』のタクシー運転手カンシクではないか。韓国の警察というのは汚職警官か、さもなくば無能警官しかいないのかと映画を観るたびに思うが、ユ・ジェミョンは汚職警察官にして性根まで腐った人間を怪演した。ギャグになる一歩手前のテンションの高さでジョンヨンを追跡するホン警長は、まさにホラー映画的である。そして、このモンスターの死に様も凄絶の一語。海とは母であり、母とは海なのだ。

 

徹頭徹尾、救いのない物語であるが、人生にはどこかで光明が差し込んでくるもの。だからこそ決してあきらめてはいけないのだというメッセージは確かに伝わって来る。親ならずとも大人であれば、本作のメッセージの重みは理解できるはずだ。

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ネガティブ・サイド

序盤に顔見せ程度にしか出てこないスンヒョン君とは何だったのか。もちろん、自分自身も親に捨てられ、養子として大きくなったバックグラウンドを持つという点は大きな意味を持っているし、物語の行く末を暗示もしている。だが、ジョンヨンの危機に駆けつけることもないし、エンディングで再登場するわけでもない。もっとこのキャラを有効活用する方法はあったはずである(ホン警長に立ち向かって激闘の末に殺される、または釣り場のファミリーに嬲り殺しにされるetc)。同じことは義理の弟夫婦にも言える。

 

ホン警長の部下であり警察官としての良心を持った警察官もいるが、この男もタレコミだけしてお役御免。そんな馬鹿な・・・ やはりマンソク釣り場に駆けつけて、警察官としての職務を果たして華々しく殉職すべきだった。

 

ユンスには様々な身体的特徴があり、その一つに副爪があるのだが、これが遺伝性なのか、それとも爪の手入れが悪いため、あるいは靴の問題など後天的にそうなったのかの説明や描写がなかった。遺伝性であれば遺伝する。後天的なものであれば、靴や爪切りの方法を変えれば治る可能性がある。父親か、または母親ジョンヨンの足の小指の爪に関する何らかのショット、または台詞が必要だったのではないだろうか。

 

総評

社会の闇の部分、そして人間の闇の部分をこれでもかと見せつけられる。観終わった頃には、観客の精神はズタボロである。それはサスペンスが持続したからではない。自分の心の中に、マンソン釣り場のファミリーのような考え方や感じ方が宿っていることを思い知らされるからである。だが、そんな人間社会であっても希望は捨ててはいけない。明けない夜はない。ほんのわずかではあるが、しかし確実にそう感じさせてくる。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ミアネ

「ごめんね」の意味。『 国家が破産する日 』でも紹介した表現。ていねいな言い方ではミアナンミダ=ごめんなさい、となる。英語でもThank you. と Sorry / Excuse me. を適宜に使えれば何とかなるように、韓国語でもコマウォ=「ありがとう」とミアネ=「ごめんね」で何とかコミュニケーションは取れるはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イ・ヨンエ, サスペンス, ユ・ジェミョン, 監督:キム・スンウ, 配給会社:ザジフィルムズ, 配給会社:マクザム, 韓国Leave a Comment on 『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』 -韓国社会の闇と、そこに差し込む一条の光-

『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし-

Posted on 2020年9月20日2021年1月22日 by cool-jupiter

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

inversion

「逆行」や「反転」の意。動詞はinvert、「逆向きにする」、「反対向きにする」の意。『 トップガン 』の冒頭でマーヴェリックがソ連のミグ戦闘機に接近した方法は inverted dive だった。invertの仲間のavert=回避する、convert=転換する、なども併せて覚えておきたい。

 

総評

二回観ることを前提に作られていると言われているが、この手の構造に慣れている人なら1度の鑑賞で充分かもしれない。ただし、鵜の目鷹の目でそこかしこに挿入されるオブジェやガジェットに目を光らせる癖を持っていなければならないが。9割がた席の埋まったTOHOシネマズなんばでは終映後、劇場に明かりが灯った途端に誰もかれもが「難しかった」、「意味わからん」を連発していた。本作を鑑賞するにあたっての心得は、細部に目を光らせながらも常に全体を考えよ、終盤の展開を思い描きながら必ず序盤を思い出せ、である。楽しんでほしい。

 

ネガティブ・サイド

エンドクレジットにキップ・ソーンの名前が観られたが、科学的・物理学的に説明がつかない描写もかなり多く観られる。たとえば、序盤に主人公が銃弾を逆行させるシーン。普通に考えれば《撃った》瞬間に手に凍傷を負うはずだ。ガソリンの爆発で低体温症になる世界なのだから、銃弾が的に命中する時の衝撃=変換された熱エネルギーがすべて銃弾に返ってくるのだから。また、逆行世界では光の粒子も逆に進む、つまり常に網膜から光子が離れていっているわけで、何も見えないか、あるいは網膜剥離の時の光視症(目の前にいきなりチカチカした光が現れる。目をつぶっていてもそれが見える)のような状態になるはずだ。また、空飛ぶカモメの声がドップラー現象的に聞こえてくるが、これもおかしい。カモメの声と姿が同時に認識できていたが、実際は音がはるかに先に届いて(正確には鼓膜から音が逆反射されて)、それが音速(毎秒300m以上)で鳥の方に返っていく。なのでカモメの逆回しの鳴き声が聞こえたら、数百メートル以上離れたところに鳥が視認できなければおかしい。

 

スタルスク12の大規模戦闘シーンで敵の姿がほとんど見えないのも不満である。銃撃戦も良いが、我々が本当に観たかったのは、大人数vs大人数での時間の順行・逆行の入り乱れる近接格闘戦だった。ノーランをしても、それを撮り切れなかったのかと少し残念な気持ちである。

 

悪役であるセイターの背景にも少々興ざめした。世界が絶賛しJovianが酷評している『 ソウ 』のジグソウか、お前は。もっと魅力ある悪役が設定できていれば、主人公がもっと輝いたはず。その主人公の相棒ニールも、どうしても『 ターミネーター 』のカイル・リースと重なって見えてしまう。RoundなキャラクターとFlatなキャラクターの差が激しい。視覚効果はノーラン作品の中でも随一だが、キャラの造形は今一つであると言わざるを得ない。

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ポジティブ・サイド

本人は至って真面目でいながらも傍から見るとコミカルでユーモラスだった『 ブラック・クランズマン 』とは一転して、ジョン・デビッド・ワシントンは非常にシリアスなエージェントを好演した。アクションも緻密にして派手。序盤の時間を逆行する男との目も眩むような格闘戦と、中盤の用心棒たちとの肉弾戦からは黒ヒョウのしなやかさと力強さが感じられた。

 

ヒロイン的な位置づけのキャットも素晴らしい。『 ブレス あの波の向こうへ 』のつかみどころのない美女が、夫に虐げられながらも、凛とした美貌と母としての本能を失わない女性像をリアルに構築した。彼女の序盤のとあるセリフは終盤の展開への大いなる布石になっている。より正確に言えば、本作は序盤の展開が終盤の展開と不思議なフラクタル構造を成している。細部が全体なのである。Jovianのこの捉え方がノーラン監督の意図したものかどうかは分からないが、少なくとも的外れではないはずだ。時間の逆行・逆転現象が頻発する本作において、キャットはある意味で観客にとっての道しるべである。能動的に動いているキャットは常に順行である。『 インセプション 』ではマイケル・ケインが存在するシーンが現実だと言われているが、それと同じだと思えばよい。

 

一番の見どころは時間の逆行シーンである。トレイラーでも散々流されているが、高速道路のカーチェイスシーンや、最終盤のスタルスク12の大規模戦闘シーンは、初見殺しである。これを一度で理解できるのは天才か変人だろう。だが、予測不能、理解不能、解釈不能なシークエンスの数々を楽しむことはできる。特に、とある建造物の下部が修復、上部が爆発するシーンには痺れた。ブルース・リーではないが、まさに「考えるな、感じろ」である。そうそう、劇中でも序盤に似たようなセリフが出てくる。深く考えてはいけない。主人公が味わう混乱に素直に没入するのが初回の正しい鑑賞法だ。

 

とはいえ、鑑賞中にも「ああ、なるほど」と思わせてくれるカメラアングルが特に序盤に多くある。したがって自信のある人やノーランの作風に慣れている人であれば、初回鑑賞でもある程度は驚きと納得の両方をリアルタイムに味わえるようにフェアに作られている。

 

以下、微妙にネタバレになりかねないが、本作の構成(≠物語)の理解の助けになりそうな先行作品を紹介しておく。

 

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 星を継ぐもの 』

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 巨人たちの星 』

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 Mission to Minerva 』(2020年9月19日時点で日本語翻訳なし)

高畑京一郎の小説『 タイム・リープ あしたはきのう 』

 

特に『 星を継ぐもの 』のプロローグとエピローグ、『 巨人たちの星 』の序盤と終盤のつなぎ方は、「ノーラン監督はホーガンのこれらの作品の構成をそのままパクったのでは?」と思えるほどである。興味のある向きは読んでみるべし。

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あらすじ

男(ジョン・デビッド・ワシントン)はとあるテロ事件鎮圧後、テロリストに捕らえられ拷問を受けていた。隙を見て服毒自殺した彼は、ある組織の元で目覚める。そして、時間を逆行する弾丸を教えられる。未来で生まれた技術のようだが、いつ、誰がどうやって開発したのかは謎。それを探り、第三次世界大戦を防ぐというミッションに男は乗り出すことになり・・・

 

TENET テネット 70点
2020年9月19日 TOHOシネマズなんばにてMX4Dで鑑賞
出演:ジョン・デビッド・ワシントン ロバート・パティンソン エリザベス・デビッキ ケネス・ブラナー
監督:クリストファー・ノーラン

 

間違いなく現代の巨匠のひとりであるクリストファー・ノーラン、その最新作である。自身の初期作品『 メメント 』に、『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』を混ぜ込んだような時間逆行系の難解映画であった。

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, SF, アメリカ, エリザベス・デビッキ, ケネス・ブラナー, ジョン・デビッド・ワシントン, ロバート・パティンソン, 監督:クリストファー・ノーラン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- への15件のコメント

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