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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2020年代

『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

Posted on 2020年12月1日2021年4月18日 by cool-jupiter
『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

アンダードッグ 前編 70点
2020年11月28日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:森山未來 北村匠海 勝地涼
監督:武正晴

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ボクシングはJovianの好きなスポーツである。自分では絶対にやらないが、見ているのは楽しい。『 お勧めの映画系サイト 』で徳山昌守、ウラディミール・クリチコなどの“塩”ボクサーを好むと述べたが、もちろんスイートなボクサーも好きである。しかもタイトルがアンダードッグ、負け犬である。これは興味をそそられる。

 

あらすじ

かつての日本ランク1位、末永晃(森山未來)はタイトルマッチでの逆転負けを引きずり、咬ませ犬としてボクシングを続けていた。そんな末永はひょんなことから大村龍太(北村匠海)というデビュー前のボクサーと知り合う。また宮木瞬(勝地涼)は、大御所俳優の父の七光りで芸人をやっているが全然面白くない。そんな宮木にテレビの企画でボクサーデビューし、末永とエキシビション・マッチを行うという企画が浮上し・・・

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ポジティブ・サイド

森山未來の風貌が、まさに負け犬である。悪い意味ではない。良い意味で言っている。激闘型のボクサーはキャリアを積むにつれて“良い顔”になっていく者が多い。近年の日本のボクサーだと川嶋勝重や八重樫東の顔が当てはまる。打たれまくったおかげで顔が全体的に扁平になり、目からもパッチリさが失われてしまった。森山の顔もまさに歴戦のボクサーのそれで、ポスターの写真だけで「これはボクサー、それもアルトゥロ・ガッティのような激闘型だ!」と確信できた。まさにキャスティングの勝利である。

 

この末永が過去のトラウマに囚われている様が物語を駆動させている。ここに説得力がある。かの赤井英和は「ボクシングはピークの時の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語り、吉野弘幸も「(金山戦の時のように)もう一回はじけてみたい」と語るわけである。同じように世界のボクシング界には「メキシカンは二度引退する」という格言がある。いずれも過去の栄光を忘れられない、脳内麻薬の中毒者である。末永は違う。漫画『 はじめの一歩 』の木村と同じ、日本タイトルマッチであと一歩のところで敗れた経験を引きずっている。日本タイトルが欲しいのではない。『 あしたのジョー 』の矢吹ジョーのごとく、燃え尽きてまっ白な灰になりたいのである。後編を観ずともそれがこの男の結末であると分かる(と勝手に断言させてもらう)。

 

ボクシングシーンもなかなかの迫力。末永vs宮木のエキシビションでは、素人相手にはウィービングやスウェー、ダッキングで充分、仕留めるために距離を詰める時にはブロッキングという、まるでF・メイウェザーvs那須川天心のような展開。この脚本家と演出家(=監督)はボクシングをよく知っている。『 百円の恋 』はフロックではなかった。

 

前編で一番優遇されていたのは勝地涼。はっきり言って現代版お笑いガチンコファイトクラブなのだが、ボクシングの巧拙は問題ではない。圧倒的に不利な立場の負け犬が、それでも雄々しく立ち上がる姿が我々の胸を打つのである。邦画のホラーは貞子の呪縛に囚われているが、ボクシング映画やボクサーの物語はいまだに『 ロッキー 』の文法に従って描かれている。この差はいったい何なのか。

 

ここに北村匠海演じる新星、大村が絡んでくることになる後編が待ち遠しい。施設上がりで、妻が妊娠したことを知った時の闇を感じさせる台詞に、末永、宮木、大村の三者三様の物語が交錯し、燃え上がり、まっ白な灰へと変わっていく様を観るのが待ち遠しくてならない。

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ネガティブ・サイド

北村匠海も体を作ってきたのは分かるが、深夜のジムに潜り込んで末永相手にスパーを提案する際のアリ・シャッフルがヘタすぎる。単なるフットワーク?いや、単にシャッフルの練習不足だろう。日本のボクサーというのはそうでもないが、世界的にも歴史的にもボクサーは減らず口をたたいてナンボ。その減らず口をたたくだけの実力を証明した者が名とカネを手に入れる。北村のキレの無いステップは、将来を嘱望されるボクサーのそれではなかった。

 

末永のジムの会長の目が節穴もいいところだ。どう見てもグラスジョーになっていることが分からないのか。「ジムの経営も楽じゃないんだ」とぶつくさ言う前に、己のところのボクサーをしっかり見ろ。

 

末永の働くデリヘルの常連客である車イスの男が気になる。まさか「クララが勃った立った!」ネタの要員ではあるまいな。普通にEDで良かったのではないか。

 

総評

前編だけしか観ていないが、後編を観るのが楽しみでならない。12月5日(日)には観に行きたい。ボクシングに造詣が深くなくとも理解ができるのがボクシングの良いところである。そういう意味では『 三月のライオン 』や『 聖の青春 』、『 泣き虫しょったんの奇跡 』といった将棋映画は、何が凄いのか一般人にはよくわからないが、ボクシングは観ているだけで痛さが伝わるし、アドレナリンが出てくる。この前編は勝地涼の代表作になったと言ってよい出来栄えである。勝地ファンのみならず、普通の映画ファンにこそ観てほしい作品だ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a peek

「覗く」の意である。しばしばtake a peek at ~ という形で使われる。My wife took a peek at my LINE.のように使う。最近、ロイ・ジョーンズ・Jr.とエキシビション・マッチを行ったマイク・タイソンのピーカブースタイルはpeek-a-boo styleと書く。いないいないばあスタイル、つまり両のグローブの隙間から相手を覗き見るスタイルである。Don’t take a peek at your partner’s smartphone!

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, スポーツ, ヒューマンドラマ, ボクシング, 勝地涼, 北村匠海, 日本, 森山未來, 監督:武正晴, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 アンダードッグ 前編』 -まっ白な灰にまだなっていない-

『 真・鮫島事件 』 -ジャパネスク・ホラーの夜明けは遠い-

Posted on 2020年11月28日 by cool-jupiter
『 真・鮫島事件 』 -ジャパネスク・ホラーの夜明けは遠い-

真・鮫島事件 15点
2020年11月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:武田玲奈 小西桜子 しゅはまはるみ
監督:永江二朗

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Jovianは1998年大学入学、2002年卒業なので、携帯電話やパソコンが一般に普及していく過程を体がよく覚えている。同時に、2ちゃんねるのようなインターネット世界(梅田望夫が言うところの「あちら側」)にも結構ハマっていた。なので、鮫島事件や電車男のことはよく覚えている。なので、本作にはそれほど期待せずに、淡い郷愁の念のようなものだけを持って劇場へ向かった。甘かった。やはり単なるゴミ、低クオリティのホラー映画だった。

 

あらすじ

菜奈(武田玲奈)はコロナ禍のため、高校時代の同級生たちとオンライン飲み会を開催するが、メンバーが一人足りない。その仲間のボーイフレンドが代わりにウェブ上に現れ、仲間の死を告げる。そして自分自身も謎の死を遂げてしまう。この超常的な現象には「2ちゃんねる」で決して語られることのなかった「鮫島事件」が関わっていて・・・

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ポジティブ・サイド

ない。

 

というのはダメか。ごみ溜めにも美点を見出さねば。

 

街行く人々が皆マスクを着けており、菜奈も帰るや否や手洗いとうがい。今後の映画ではこうした「ニューノーマル」なシーンが当たり前のようにインサートされてくるのだろう。現実のパンデミックの風景を虚構の鮫島事件につなげていく役割は十分に果たせていた。

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ネガティブ・サイド

鮫島事件を超常的な呪い現象に持って行ってしまったことがまず気に入らない。百歩譲ってそこは認めたとしても、なぜ鮫島事件の呪いが発動するよりも前、菜奈の帰り道の時点で怪異が起きているのか。しかもその怪異はどれもこれも手垢のついたクリシェとも呼べなくなったジャンプ・スケアばかり。『 リング 』、『 オーディション 』、『 呪怨 』などのある意味クラッシックな作品から、近年の『 来る 』や『 貞子 』、『 犬鳴村 』、『 事故物件 怖い間取り 』まですべてに共通するようなもの。つまりはジャパネスク・ホラーはこの20年以上、進化していないとも言える。事前の情報をほとんど入れずに鑑賞に臨んだが、開始5分で「ああ、こういう物語か・・・」といきなり慨嘆させられた。だいたい登場人物の死にっぷりが怖くない。というか、殺しっぷりが怖くないと言うべきか。いつまで邦画は貞子の幻影に縛られなければならないのか。

 

鮫島事件の呪いを変に分析しようとする姿勢も気に食わない。どうせやるなら『 シライサン 』のようなスケールで分析および対処してほしかった。せっかく“呪い”をコロナウィルスのアナロジーで説明しようとしているのだから、その呪いを「変異」させようというアイデアは思いつけなかったか。まあ、それも小説の『 リング 』、『 らせん 』、『 ループ 』三部作でネタとしてはある意味では先取りされているのだが。警察に電話もつながらずネットでコンタクトできないのに、まとめサイトには接続可能というのは拍子抜けである。だったら、そこにこそアプローチすべきだろう。呪いをネット中継してしまう、鮫島事件を現代に一挙にインターネット・ミームとして増殖拡大させてしまう。それぐらいのスケールの大きなホラーを構想する力は邦画の世界にはないのか。

 

ストーリー以外の部分でもツッコミどころ満載である。やたらとデカい音を出すエレベーターが、5階で扉が閉まる時にだけ音を出さないのはどういうわけか。重要なアイテムと見せかけたフルートはいったい何だったのか。事件の核心とされる出来事を〇〇したというが、当時の技術レベルではそれは不可能。というか、それが真相なら「語ることができない」事件にはならない。武田玲奈の兄もバイクに乗るならヘルメットをかぶりなさい。その廃墟も到着したのは夜中であるにも関わらず、窓の外が明るいシーンと真っ暗のシーンが混在。勘弁してくれ。撮っている最中、または編集の最中に誰も何も気づかなかったというのか。柏が出てきてEOMに触れられないというのは、いったいどういう了見なのか。

 

Jovianが脚本家なら、超常現象は一切採用しない。「鮫島事件」がインターネット・ミームと化す過程に介在したであろう「不特定多数」の人間が、実はごく少数の人間だけで構成されていた、または高度に発達したAIの仕業だった。その目的は鮫島事件の真相を求めて近づいてきたもののIDまたは情報を全て奪い取り、別人に成り代わる、あるいは人工知能搭載ロボットが人間社会に溶け込んでいいく・・・という筋立てにするだろう。まあ、これも『 アナイアレイション 全滅領域 』や『 エクス・マキナ 』の焼き直しやなと自分でも思うんやけどね。

 

総評

はっきり言って見どころは何一つない。これをわざわざ劇場鑑賞するのは熱心な武田玲奈ファンぐらいだろうが、そうしたファンに対して何らのサービスもない(しゅはまはるみが谷間を拝ませてくれるが)。レンタルまたは配信を待つのが吉である。武田のファンでなければ観る価値なし。これに時間とカネを使うなら、オンラインリアル脱出ゲーム×お化け屋敷「呪い鏡の家からの脱出」の方が投資効率は遥かに高そうだ。ちなみにJovianはポイント鑑賞。製作者側の懐に一銭も与えることがなく満足している。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get a job

 

「就職する」の意。ただし日本語で就職というと正社員になったということとほぼ同義だが、これはどんな形であれ仕事を手に入れれば使える表現。

 

get a job in 業界・土地

get a job in IT=IT業界に就職する

get a job in Kobe=神戸で就職する

 

get a job with 会社・組織

get a job with NTT=NTTに就職する

get a job with a small restaurant=小さなレストランで仕事を得る

 

と前置詞以降までをセットで覚えよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, しゅはまはるみ, ホラー, 小西桜子, 日本, 武田玲奈, 監督:永江二朗, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 真・鮫島事件 』 -ジャパネスク・ホラーの夜明けは遠い-

『 ウルフウォーカー 』 -「人は狼に狼」を改めよ-

Posted on 2020年11月27日 by cool-jupiter
『 ウルフウォーカー 』 -「人は狼に狼」を改めよ-

ウルフウォーカー 80点
2020年11月22日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:オナー・ニーフシー エヴァ・ウィテカー
監督:トム・ムーア ロス・スチュアート

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『 ブレッドウィナー 』は劇場鑑賞できなかったが、テアトル梅田で観たトレイラーはずっと気になっていた。同じ絵柄の本作はタイミングも合い、チケットを購入。なんとも幻想的な世界に瞬時に引き込まれてしまった。

 

あらすじ

1650年、アイルランドのキルケニー。イングランドから父と共にやって来た少女ロビン(オナー・ニーフシー)はハンターになることを夢見ていた。ある出来事をきっかけにロビンは「ウルフウォーカー」であるメーブ(エヴァ・ウィテカー)と出会い、自身も「ウルフウォーカー」となって・・・

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ポジティブ・サイド

まるで絵本のような絵が逆に新鮮でリアリティがある。森の風景では様々な事物の太い枠線と細い枠線が使い分けられ、さらに細かい色の濃淡が、まるで手描きされた絵の具のように鮮やかなグラデーションを成していた。これがアイルランドのアニメーションの実力なのか。冒頭の鹿が、デザインから動きまで『 もののけ姫 』のシシ神そっくりである。造形上のオマージュであることは疑いようがなく、さらにストーリー上のオマージュにもなっているのだろう。実際に狼≒山犬、サン≒メーブという見方も成り立たないことはない。これは森とそこに住まう動物と、人間との闘いの物語であり、人間の人間性を考察する試みでもある。

 

北ヨーロッパは古くから狼と縁があるのだろうか。『 獣は月夜に夢を見る 』も狼人間の物語だった。本作はおとぎ話のようでいて違う。時期は1650年で、場所もアイルランドのキルケニーだと特定されている。おとぎ話は『 スター・ウォーズ 』のように、Once upon a time in a land (galaxy) far, far away … 時期も場所も特定しないことが鉄則である。敢えて本作を寓話風に仕立てた意図は何か。 それは自然と調和できない現代人への警告だろう。『 もののけ姫 』と似ているところが多いが、決定的に違うのは共存や共生を志向しないところである。これはこれで一つの答えになっていると感じた。

 

ウルフウォーカーとなったロビンの感覚の描写が面白い。『 ブラインド 』や『 見えない目撃者 』が視覚障がい者の音による外界認識をビジュアル化してくれたが、本作はさらに匂いや振動もビジュアル化してくれている。なかなかに面白い試みで、確かに人間など足元にも及ばない鋭敏な嗅覚や聴覚、触覚を持つ狼らしさが出ていた良かった。ウルフウォーカーとなってしまったロビンが、人間が持っていた獣性に気付くシーンは子ども向けではない。ありきたりな展開と言えばそれまでだが、少女の身でありながらハンターになることを目指してきたロビンにはショッキングだったことだろう。人間とは生物学的な人間=humanを指すのではなく、humane=人間らしさを持った者を指す。人間らしさとは何か。それは想像力だ。他者になる力だ。苦しんでいる者の苦しみをその身で引き受けられる者、喜んでいる者がいれば一緒になって喜べる者だ。ウルフウォーカーの「寝ている間は狼になる」という特質は、人間の持つ想像力が最大限に発揮された状態を暗喩しているのだと思えてならない。

 

『 ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 』で描かれたように、狼も大自然の一部で、調和を保つための欠くべからざるピースなのである。事実、本作の狼も自分から人間は襲わない。自分たちの領域に侵入してくる人間を襲うだけである。これはおそらくアイルランドに攻め込んでくるローマ人やらイングランド人を人間に投影しているのだろう。狼=アイルランドは実は無抵抗で、人間=外国が一方的に侵略してくる。結果として難民が発生しているのだ、という見方も本作を通じて可能である。本来は相容れないと思われた人間と狼の中間的存在であるウルフウォーカーこそが、実は最も自由で平和的な主体である。本作はそのように受け取ることも可能である。子どもから大人まで、幅広い層をエンターテインする傑作である。

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ネガティブ・サイド 

ロビンの相棒である鳥の名前がマーリンというのは、アーサー王に仕えた魔術師マーリンを思わせる。このネーミングはどちらかというと護国卿の側近向けではなかったか。

 

ロビンの父、グッドフェローが罠を仕掛けるシーンも不可解である。本当に狼を捉えるのに躍起になっている護国卿から、鶏肉や牛肉の塊をもらってくるべきではないのか。その上で、そんな罠に引っかからない、人間のにおいのついた肉などは食べない狼がこの森には生息している、という神秘性につなげてほしかった。

 

総評

日本のアニメも売れてはいるが、テンプレに従って作ったミュージック・プロモーション・ビデオの大長編版のような路線(例『 君の名は。 』など。『 鬼滅の刃 』も?)に近年は走り過ぎであると感じる。アニメが日本のお家芸であるとするなら、そこで展開されるべき物語はもっと日本的であるべきだ。このままではアニメーションの分野でも他国に追い抜かれる日は遠くない。海の向こうから来た大傑作に、本邦の落日を見る思いである。人は人に狼=Homo homini lupus estと喝破したのは本作のストーリーと同時代のイングランド人哲学者トマス・ホッブズ。人は狼に狼、 Homo lupo lupus estではなく、人は人に人、Homo homini homo estを志向したいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Get a move on

このフレーズでB’zの“BREAK THROUGH”のサビを思い浮かべる人は、かなり初期からのB’zファンだろう。意味は「急げ」、「さっさと動け」である。“C’mon, people. We’re getting off at 5:30. Get a move on.”=「さあ、みんな。5時には(仕事を)上がるぞ、急げ」のように使う。B’zファンならずとも知っておきたいフレーズ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アイルランド, アニメ, エヴァ・ウィテカー, オナー・ニーフシー, ファンタジー, ルクセンブルク, 監督:トム・ムーア, 監督:ロス・スチュアート, 配給会社:チャイルド・フィルムLeave a Comment on 『 ウルフウォーカー 』 -「人は狼に狼」を改めよ-

『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

Posted on 2020年11月25日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

泣く子はいねぇが 75点
2020年11月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:仲野太賀 吉岡里帆 柳葉敏郎 余貴美子
監督:佐藤快磨

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20代後半ではフロントランナーの仲野大賀、そして『 見えない目撃者 』で大いに株を上げた吉岡里帆。舞台は地方で、モチーフがなまはげ。これは観るしかないだろうとチケットを買った。鑑賞後は「何か凄いものを観た・・・」と感じた。何がどう凄いかを言語化するのは難しいが、以下でそれにトライしてみる。

 

あらすじ

たすく(仲野太賀)とことね(吉岡里帆)は女児のなぎが生まれたばかり。「酒も飲まずにすぐに帰ってくる」と約束したたすくは、しかし、泥酔して全裸で街中を走っていくところをテレビカメラに映されてしまう。ことねに愛想をつかされ、逃げるように秋田から東京へ逃げたたすくだが、やはりことねと娘のなぎのために生きたいと思い、秋田へと返ってくる・・・

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ポジティブ・サイド

邦画は往々にして東京もしくはその周辺で物語が展開するが、これは地方、それも秋田の男鹿という本当に狭い範囲にフォーカスしている。『 小さな恋のうた 』、『 ハルカの陶 』や本作のように、地方を舞台にした映画がその地方でなければ描けない物語を見せてくるのは本当にありがたい。もちろん東京都の対比もある。劇中にたすくの悪友が繰り返し言う「東京に無いものがこっちにはある」という台詞がそれを表している。それは恵みの海であり、ゆっくりと流れる時間である。そうした地域の人間関係は都市部のそれよりも暖かく、そして厳しいものである。

 

仲野大賀の演技がキレッキレである。過剰に演じているのではなく、自然に演じているが、それが恐ろしくハマっている。冒頭で出生届を出しに役所に来るが、時間外窓口で居眠りしているおっさんに大きな声で呼びかけることもできないという小物っぷりに、「こいつ、大丈夫かな?」と思わされるが、全然大丈夫ではなかった。妙なタイミングで出る薄ら笑い、話している相手となかなか合わない目線、自分を棚に上げての他人(友人)の論評など、ダメな男の特徴をこれでもかと備えている。最悪なのは、酒を飲まずに早く帰ってくるという妻との約束をあっさりと反故にするところ。こんなブログを読んでいる10代20代の健全な男子がどれだけいるのかは知らないが、諸君らに言っておく。女子との約束は破ってはならない。1度2度ならお目こぼしをもらえるかもしれないが、それは許してもらっているのではない。彼女らは怒りを静かに貯金しているのである。もちろん金利は単利ではなく複利計算だ。その怒りの貯蓄が一定額を超えると、もうダメである。たすくは若さゆえにそのことを分かっていない。それが中年のJovianには非常にもどかしい。何故か。たすくに過去の自分を思い起こすからだ。この男は自分が怒らせて逃してしまった女に償えるのか、縒りを戻せるのか。たすくの物語の行く末に強く関心を抱いてしまう。

 

結局たすくはことねに見限られてしまい、自らの大失態により地元にも居場所をなくし、東京へ逃げることになる。そこでもどこか周囲に溶け込めないたすく。フットサル仲間の女子をなりゆきで一晩部屋に泊めて、その女子にあけすけに誘惑されて「自分には子どもがいる!」と叫んで拒絶する。なんと情けない男なのか。それを機に、別れた妻と成長したであろう娘に会いたいという気持ちから帰郷するが、そこでもなかなか地元に溶け込めない。結局、悪友と共に shady business に精を出すのだが、そんなカネを誰が喜んでくれるのか。このあたりの思考がたすくが大人になれていないことの証拠である。夜の街で接待を伴う飲食店で働くことねとそのパートナーのことを知って、「あんなところで働かせる奴にことねを渡したくない」って、それはお前が原因だー!!!!と、Jovianがたすくの兄ならば鉄拳でもって分からせてやったことだろう。ことほどさようにたすくは未熟なのである。

 

そのたすくがどのように自分の人生に向き合っていくのか。物語の大きな岐路に、海辺に停めたクルマの中でのことねとの対話がある。いや、対話というよりは演説、決意表明といった方がいいか。『 きばいやんせ!私 』でも、仲野太賀は夏帆を相手にクルマの中で“仕事の価値とはどれだけ真剣に打ち込めるか”だと熱弁を振るっていた。そのシーンを彷彿させる渾身の芝居を披露する。大声を張り上げるわけではなく、淡々と、しかし力強く、自らの生きる決意、働いていく熱意をことねに切々と訴えかけていく。それに対することねの返答は・・・ 観る側はここで、「たすく、やっとひとつ成長できたな・・・」と複雑な心境になる。また、とある行事の場でのたすくの涙もポイントが高い。父親というのはなるものではない。母親は無意識に自分の子どもを産むことはまずないが、父親は場合によっては子どもに父親だと認識されないと父親になれない。同時に自分も子どもを認識しないと父親になれない。アホだな、たすく。そんなことも分からんのか。と、子どものいないJovianが思ってしまうわけだが、それほどにこのシーンのたすくの涙は観る者の胸を打つ。

 

この芝居を受けて立つ吉岡里帆も見事の一語に尽きる。この女優は「かわいい」だとか「スタイルがいい」だとか「濡れ場を演じられる」などの点で評価すべきではない。『 見えない目撃者 』のように、追い詰められた状況でこそ真価を発揮する。怒って金切り声を上げる演技なら、そこらの中学生にでも出来る。しかし、不信、怒り、疲労、悲しみ、安堵などの様々な感情がないまぜになったところを、大袈裟なアクションや発話ではなく、その表情やたたずまいで表現できることこそがこの女優の強みである。彼女のハンドラーは、くれぐれも少女漫画や恋愛小説の映画化作品のヒロインに彼女を推さないようにして頂きたいものである。

 

母親、兄、悪友に良い意味でも悪い意味でも支えられるたすくの物語は、大みそかの夜で閉じる。この結末は途中ですぐに思い浮かぶ。たすくは少しは成長できたものの、まだまだ未熟なままである。キャッチフレーズの如く、カネもないし、仕事もない。自分に自信もない。だから愛する娘に会わせる顔もない。『 シラノ恋愛操作団 』のテウンのようにはなれたものの、愛娘への思慕はいかんともしがたい。「会うのはこれが最後」と言ったことねの言葉を振り切り、過去の自分の過ちに向き合い、たすくは乾坤一擲の勝負に出る。たすくの魂の咆哮を聞け。柳葉敏郎が言うように「なまはげは人生の意味や家族の絆を考えさせてくれる存在」なのだ。たすくは父親にはなれない。しかし、なまはげにはなれる。娘の記憶と人生に残るためにたすくが選んだ方法に、どうしたって胸を締め付けられずにはいられない。

 

「泣く子はいねぇがーーー!!!」

 

Jovianは少し泣いてしまった。

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ネガティブ・サイド

たすくが男鹿にいられなくなった理由には説得力がある。ただテレビカメラが映すか?ちらっと一瞬だけカメラの前を横切ったのは仕方がないにしても、かなり長い間、たすくの尻を映し続けたのは、はっきり言ってプロカメラマンにあるまじきミスだと感じた。

 

たすくとことねの歴史は色々とほのめかされるだけで終わるが、この二人が結構な幼馴染で色々なドラマを紡いできたことは想像に難くない。であれば、なぜことねは大晦日の男衆に、あるいは世話役である柳葉敏郎に電話なり何なりをして、「たすくに飲ませないでほしい、早めに帰らせてほしい」と伝えなかったのか。たすくのダメ男加減はことねが一番わかっているはずではないか。そうしたことねの根回しも虚しく、たすくは酒で大失敗してしまう。その方がストーリー展開をもっと明快に分かりやすくできたように思う。

 

総評

観る者を幸せにしてくれる作品かと言われれば、決してそうではない。けれども不器用な男の不器用なりのビルドゥングスロマンに、多くの男性が勇気づけられるのは間違いない。コロナ禍で閉塞感が漂っているが、年末に向けて出来るだけ多くの人、特に若い男性に本作を鑑賞して何かを感じ取ってほしいと願う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Any crybabies around?

YouTubeのこの動画で「泣く子はいねぇが」=Any crybabies around? だと学んだ。厳密には頭に Are there をつけるのだが、決まり文句にそこまで杓子定規になることはないだろう。Any movie buffs around? 映画マニアはいねぇが?

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 仲野太賀, 余貴美子, 吉岡里帆, 日本, 柳葉敏郎, 監督:佐藤快磨, 配給会社:スターサンズ, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 泣く子はいねぇが 』 -未熟な男どもに捧ぐ-

『 フード・ラック!食運 』 -焼肉愛〇 映画愛△~×-

Posted on 2020年11月22日 by cool-jupiter

フード・ラック!食運 50点
2020年11月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:EXILE NAOTO 土屋太鳳 りょう 石黒賢 松尾諭
監督:寺門ジモン

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『 ハルカの陶 』で書いてしまったが、Jovianの実家は焼肉屋であった。自分でも店に短期だが関わったことがあるし、家族で焼肉研究をしていた時期もある。今年の4~5月、さらにその後にも続く飲食業界の惨状を焼肉業界は1996年のO-157、そして2001年の狂牛病ですでに経験していた。だからこそ今も存続している、あるいは新規にこの業界にチャレンジしてきた店には個人的には満腔の敬意を表している。ちなみに監督の寺門ジモンは顔も名前も知らなかったし、今も知らない。嫁さんから「ダチョウ俱楽部やん!」と言われたが、ダチョウ倶楽部というのも名前しか知らない。浮世離れと言わば言え。

 

あらすじ

類まれな食運を持つ良人(EXCILE NAOTO)は、新庄(石黒賢)の依頼で竹中静香(土屋太鳳)と組んで、本当においしい焼肉屋だけを取り上げたグルメサイトを立ち上げることに協力する。静香と二人であちこちの名店を訪れていく良人は、やがて自らの実家、「根岸苑」と母・安江の味の秘密にも迫っていくことになる・・・

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ポジティブ・サイド

焼肉愛が画面を通じて伝わってくる。なんでもかんでも炭火を良しとする向きがあるが、劇中で良人の指摘する通り、炭火はムラがある。本当に炭火に特化した焼肉を提供するなら、タンもカルビもロースもホルモン系もすべて切り方や厚みを変えなければならない。本作はガス焼きの店ばかりが登場し、そのいずれもが薄切り肉に特化している。この一貫性は見事である。

 

また焼肉という料理の特性もしっかりと捉えた議論ができている点も素晴らしい。焼肉というのは一部のお好み焼きや鍋料理と並んで、最後の調理部分を客が担う料理である。だからこそ、店は客と信頼関係を結んでいて、場合によっては一見さんお断りも可能になるとJovianは解釈している(そういう意味では寿司屋の一見さんお断りは意味がちょっとわからない)。良人が焼き方にとことん真剣にこだわる姿勢は元焼肉屋として非常に好ましいものとして映った。

 

良人というキャラが食のライターとして葛藤するところも良い。自分の書いたものが正しく解釈されず、店を苦境に追いやってしまう。それはとても恐ろしいことだ。実際にそうした影響力を持つ個人というのは存在するし、ごく最近でもとある前科者のIT実業家が餃子店の経営を窮地に追いやった。Jovianも映画の出来をコテンパンに酷評することがあるが、それによってダメージを受けている人がいるのかもしれないと感じた(ただし、自分はクソ作品にも美点を見出す努力を忘れていないつもりである)。良人のまっとうな人間としての感覚が、彼の人間ドラマの部分、すなわち母親との関係性や食への向き合い方にリアリティを与えている。

 

相棒となる竹中静香というキャラも悪くない。はっきり言って仕事ぶりはちょっとアレだが、その分、良人の母親への接し方に素の人間性がよく出ていたように思う。余命いくばくもない人間には元気に接するぐらいでいい。息子のパートナーとなるかもしれないと母親に予感させるような女性は、妙にへりくだるよりも堂々としているぐらいがいい。土屋太鳳も年齢的に演じる役柄の転換点を迎えているが、女子高生役ではなく新卒社会人役をまずは違和感なくこなせていた。そして安江役のりょうの若作りと病床での痩せ具合。首筋にしわが大きく見えていたのは、特殊メイクではなく本当に減量した結果なのだろうと思わせてくれた。本作はある意味で一から十まで安江の幻影を追うストーリーである。様々な焼肉職人らと時代や地域を超えて協業してきた安江とその夫のストーリーは描かれることはないものの、その立ち居振る舞いと存在感でキャラクターの重厚性を表現したのは見事の一語に尽きる。

 

焼肉を提供する側の努力や工夫をさりげなく見せているところも好感度が高い。エンドクレジットで一瞬映る厨房には包丁がパッと見で10本ほどあった。Jovianの実家は8本。回らない寿司屋だと1~4本ぐらいが多い気がする。焼肉屋は実は日本で一番包丁を使い分けているところなのだ。また熟成肉を解体するシーンが見られるところもポイントが高い。なぜそれが熟成肉だと分かるのか。店で解体しているからだ。つまり、〇月×日から□月△日まで冷蔵庫で寝かせておいたということが証明できる。今はどうか知らないが、20年ほど前は「熟成肉でござい」と言って売ってくる業者もいたのである(しかも港のマイナス60度とかの倉庫で半年眠っていたような肉)。上等かつ良心的な焼肉屋の舞台裏を大スクリーンで見せるところに寺門ジモンの肉愛が感じられる。エンドクレジットというのが心肉い、いや心憎いではないか。

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ネガティブ・サイド

寺門ジモンに焼肉愛があることは分かったが、映画愛はそれほどでもないのだろう。愛とは愛情だけではなく造詣や、新境地を切り拓いてやろうというフロンティア・スピリットは感じ取れなかった。たとえば「焼肉が最高の演技をしたらどうなる?」とトレイラーは散々煽ってくれたが、果たして肉に熱が加えられていく様をこれまでにない角度で撮影できたか?その音をこれまでにないクオリティで録音できたか?全くダメだった。肉の焼ける様を鉄板や網の裏側から映す、あるいは俯瞰視点からズームインして秒単位で経時的に肉の表面の焼き色がどう変化していくかを捉える“通”の目線など、新規の実験的なカメラワークはまったくなかった。音響にしても同じで、肉が焦げ、脂がはじける音に究極的にフォーカスしたか。一切していない。既存の映画の調理シーンとなんら変わることのないアプローチで、これで「焼肉が最高の演技をした」ところを捉えたとはとても言えない。肉好き、肉通ではあっても映画好き、映画通の作劇術ではない。

 

ストーリーにも説得力がない。本物の店だけを掲載するサイトを作るというが、そんなものの需要がいったいどこにあるのか。Jovianは食べログを盲信してはいないが、集合知というものに対しては楽観的な見方をしている。ごく少数の人間が意見や情報を世に発信するというのはインターネット以前のマスメディア的な権威のやり方そのものであり、敢えて時代に逆行するやり方を採用するからには、既存の集合知(たとえば食べログ)の弱点を修正する、あるいは補完するという意義が必要である。だが結局やっているのは古山というもう一人の権威者との対決で、だったら食べログなどの設定は一切無視して世の中の権威と称される人間に挑戦していく筋立てにするか、食べログには乗らない上質なお店を丹念に救い上げていく筋立てするか、そのどちらかで良かった。安江と良人の関係性を描いていくのなら前者だけにフォーカスすればよく、やたらと「食べログが~、食べログで~」というのは単なるノイズになってしまった。

 

また良人が食運を持っているという設定がまったくもって活かされていない。独特の感覚で上手い店を発掘するという才能も、結局は冒頭の一軒だけ。あとはすべて静香に連れられて行く食べログで星が云々の店がメイン。せっかくの食運という魅力的な属性設定が台無しの脚本である。また静香も正攻法の取材をするのか覆面取材をするのかがはっきりしない。このあたり、脚本を通読した時に誰も何も思わなかったのだろうか。

 

全体的に肉にばかり目が行ってしまい、焼肉屋のその他の工夫を救い上げられていない。冒頭で古山と鉢合わせする店は無煙ロースターがあったにもかかわらず、もくもくと煙が上がっていて、「これは煙とにおいに関するうんちくが聞けそうだ」と期待したが何もなし。その他の無煙ロースターを敢えて使わない店で「いよいよ何か語ってくれるか?」という店でも何もなし。それやったら最初の店は煙の演出いらんやろ・・・結局のところ、牧場の直売契約や仲買業者との付き合いができるかどうかで手に入れられる肉の味は大きく左右される。であるならば焼肉屋で本当に見るべきところはタレや各種調味料であったり、キムチやスープ類などのサイドメニューである。そのあたりをもう少し物語に組み込むべきだったと思う。

 

ひとつ気になったのが和牛と米国産輸入牛の違いを良人が古山と議論していた場面。「お、禁断の和牛と国産牛の違いに触れるのか?」と期待したが、それは無し。興味のある方は「和牛 国産牛 違い」でググられたし。日本の食肉業界および行政の闇が垣間見えることだろう。

 

余談だが、Jovianの実家の店のタレは醤油ベースの至ってノーマルなものだったが、隠し味にピーナッツを炒ったものを粉末にして混ぜていた。同じくキムチも至ってノーマルだったが、味付けのために殻をむいたエビを電子レンジで15~20分加熱してパリパリにしたものをゴマすり器で粉末状にしたものを一緒に漬け込んでいた。良い機会なのでここに記録を残しておく。

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総評

肉通には面白い作品かもしれないが、では映画通を唸らせるか?というとはなはだ疑問である。お笑い芸人が映画監督をやってみましたという作品なら『 洗骨 』の方が優っている。こうして考えてみると北野武というのは相当に特異な才能の持ち主なのだなとあらためて思わされる。焼肉好きなら劇場へ行こう。映像美やドラマを求めるなら、スルー可である。

 

Jovian先生のお勧め焼肉屋 

岡山県岡山市の焼肉韓国料理 『 南大門 』

肉も内蔵も鮮度抜群。ユッケやナマセンも超美味だった。岡山の親戚、ホテルOZやホテルmesaのオーナー御用達の名店。もう7~8年行っていないが、食べログによるとまだまだ頑張っているようだ。

 

大阪府大阪市の『 万両 』(南森町店)

某法律事務所の専従経営者の方のお勧め。グルメリポートをやる芸能人やアナウンサーは極度のボキャ貧で「美味し~、やわらか~い」ぐらいしか言えないが、それは主に「脂」の味と触感。ここは「肉」の味と触感を重視している。肉の繊維質まで味わえる、王道でありながら数少ない焼肉屋。

 

大阪府大阪市の和匠肉料理 『 松屋 』(阪急うめだ本店)

文の里の商店街のポスターの文句「いいものを安くできるわけないやろ!」の精神を発揮して、「いいものやから高いに決まってるやろ!」で商売している。肉の柔らかさと噛み応えの両方を堪能させてくれる稀有な店。Jovianは夫婦の誕生日や結婚記念日に行く。それぐらい値段が高く、しかしプレミアム感のあるお店。機会があればぜひ来店されたし。ちなみに『 松屋 』はJovianの大学の後輩の弟が現社長だったりする。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, EXILE NAOTO, ヒューマンドラマ, りょう, 土屋太鳳, 日本, 松尾諭, 監督:寺門ジモン, 石黒賢, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 フード・ラック!食運 』 -焼肉愛〇 映画愛△~×-

『 ホテルローヤル 』 -細部の描写に難あり-

Posted on 2020年11月20日2022年9月19日 by cool-jupiter

ホテルローヤル 40点
2020年11月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:波瑠 安田顕 松山ケンイチ
監督:武正晴

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武正晴監督は、基本的に可もなく不可もない作品を量産する御仁であるが、時に『 百円の恋 』のような年間最優秀作品レベルの映画を時折送り出してくる。本作はどうか。やはり可もなく不可もない出来栄えであった。

 

あらすじ

雅代(波瑠)は大学受験に不合格したことから、家業のラブホテル経営を手伝うことに。しかし、頼みの母が不倫相手と出て行ってしまい、父と二人でホテルを切り盛りすることに。雅代はホテルで働く従業員や、ホテルの客の人生の様々な一面に触れていくことになり・・・

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ポジティブ・サイド

役者陣はいずれも頑張っている。安田顕のオーナーっぷりは堂に入ったものだし、出番こそ少ないものの夏川結衣は milfy なオーラを発していた。余貴美子が呆然自失とした表情で歌う様は、とてもサブプロットとは思えない迫力があった。

 

ラブホテルに来るお客もユニークだ。特に中年夫婦の風呂場での語らいとまぐわいには大いに説得力を感じた。Jovianはとある受講生だった産婦人科の先生に「妊娠は通常ではないけれど正常で、決して異常ではない」と教わったことがある。これを少々言い換えさせてもらえれば、「セックスは日常ではないけれど正常で、決して異常ではない」となるだろうか。若者の恋愛やセックスよりも、中年夫婦のセックスの方が見ていて癒される。これはむずがゆくも新しい発見であった。

 

波瑠は『 弥生、三月 君を愛した30年 』と同じく、高校生から大人までを演じ切った。常にアンニュイなオーラを醸し出しながら、優しさもありならが激情も秘めていた。父親に対してのみ気持ちを言葉にして発するが、それ以外は基本的に表情や立ち居振る舞いで表現しているところが好ましく映った。ラスト近くで服を脱ぐ所作もGood。長回しのワンカットだったが、カメラの距離やアングルを完璧に把握して、“期待させる”シーンを生み出していた。

 

踏切で過去と現在が交錯する演出も面白かった。性とは生であり正なのかもしれないと、ほんの少しだけ感じた。

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ネガティブ・サイド

ラブホのバックヤードにリアリティが感じられない。Jovianには岡山県でラブホをいくつか経営している親戚がいる(岡山県でこの映画のタイトルっぽいホテルを見かけたら、ぜひご利用いただきたい)。なので、親戚を尋ねた時に2度ほど舞台裏をのぞかせてもらったことがある。まず、声などは絶対にバックヤードまで漏れ聞こえてこない(隣の部屋の声が聞こえることはあるが)し、もし構造上それが可能であるならばただちに是正されているはずだ。親戚に言わせると年に1回ぐらい警察がやってきて、ホテルの隅から隅まで見て回るのだ。おそらく仕事をしているふりなのだろうが、行政指導、下手をすれば営業許可の取り消しを食らいかねない建造物の欠陥を何年も何十年も放置するか?信じがたいことだ。

 

またオバちゃん連中の仕事がベッドメーキングばかりで、ラブホの仕事で一番大変とされる泡風呂の後始末については何も描かれなかった。観客のかなりの数がラブホユーザーの生態に興味があると同時に、ラブホを経営・運営する人間に興味があって劇場に足を運んだはず。そうしたラブホを支える仕事人たちのプロフェッショナリズムが映し出されなかったのは残念である。

 

火災報知機のシークエンスは場面のつなぎがおかしかった。廊下に客が溢れ出してきたのに、雅代が携帯で通話し始めると全員がパッと消えた。編集の時点で奇妙さに気が付かなかったのだろうか。

 

メインキャストは頑張っていたが、一部の俳優はミスキャストであるように感じた。特に伊藤沙莉の女子高生役は無理があるし、キャバ嬢の真似事も妙に似合っているせいで、逆にシラケてしまった。というか、武監督は何をどう演出してリアルなキャバ嬢を伊藤に演じさせたのだろう。馬鹿な女子高生が馬鹿なことをやっているという絵を撮りたければ、リアルにキャバ嬢を演じさせる必要はないだろう。上手な演技ではなく下手な演技を指導することも時には必要である。

 

その伊藤沙莉とホテルにやってくる岡山天音の演技・演出面はもう一つ。嘔吐したなら最後に「ペッ」とやりなさいよ。そして口ぐらい拭いなさい。すぐ目の前にトイレットペーパーがあるのだから、それを使えばいいのに、何をダラダラとセリフをしゃべっているのか。仮に酔っぱらって吐いたという経験がなくとも、それぐらいの演技はできるだろう。それとも武監督の手抜きだろうか。

 

雅代が最後にボソッと呟く「あまりに久しぶりなので忘れてしまいました」という台詞も引っかかった。ご無沙汰なのは良いとして、では最後の経験はいつ、どこで?少なくともそれを感じ取らせるようなシーンは必要だったと思う。八百屋の同級生の言う同窓会がそれにあたるのかもしれないが、だったら同窓会で酒を飲んでため息をつく雅代のシーンを挟んでおけば、観る側が脳内で保管できる。手間がかかるのは百も承知だが、そうしたちょっとしたひと手間が作品のクオリティを高めるのである。

 

総評

コメディかと期待して劇場に行くと面食らうだろう。様々なヒューマンドラマが展開されるが、ちょっと非日常感が強めで、そこを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかは観る人による。ただし、細部のリアリティについては神経が行き届いているとは言えないし、物語が放つメッセージも極めて不明瞭である。波瑠のファンなら鑑賞しても損はないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I no longer have a home to return to.

伊藤沙莉演じる女子高生の言う「もう帰る家がない」という台詞の私訳。a home to return toで一種のセットフレーズである。どういうわけか a home to go back to だとか a home to get back to という言い方はほとんどしないし、a home to return to という表現も、おそらく九分九厘は否定形で使われる。a moment of glory を求めてのone night stand の結果、“I no longer have a home to return to.”となる人間が一定数生まれるのも人の世の常であろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 日本, 松山ケンイチ, 波瑠, 監督:武正晴, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ホテルローヤル 』 -細部の描写に難あり-

『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

Posted on 2020年11月18日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

さくら 30点
2020年11月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北村匠海 小松菜奈 吉沢亮 永瀬正敏 寺島しのぶ
監督:矢崎仁

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変なおじさんの永瀬正敏と安定した演技力の寺島しのぶ、そしてJovianの推しの一人である吉沢亮と小松菜奈。そして『 うつくしい人 』、『 炎上する君 』の西加奈子の作品ときた。それが、どうしてこうなってしまったのか・・・

 

あらすじ

大学入学のために上京していた長谷川薫(北村匠海)は久しぶりに大阪の実家に帰ってきた。あこがれだった兄、一(吉沢亮)の死により家を出た父が、年末に家に帰ってくるという。薫はまた、屈託のない愛犬のさくらにも会いたかった。家族が離散する前の幸せな長谷川家を薫や妹の美貴(小松菜奈)は思い出していく・・・

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ポジティブ・サイド

まずは中学生から高校生(進学していないが)の年代を演じた小松菜奈に賞賛を。しまりのない表情から、逆にころころと自在に変化する表情までを披露し、まさに箸が転んでもおかしい年頃の娘を好演した。露出度がかなり高めの服装であっても色香を感じさせないのは、お見逸れしましたとしか言いようがない。

 

次いで寺島しのぶ。冒頭で性行為について幼い美貴にも分かる言葉で優しく丁寧に語る様は、そのまま各家庭で実践できそうに感じた。一が家にガールフレンドを連れてきたときには、昭和や平成の初めころにいっぱいいた大阪のおばちゃんの風情を存分に醸し出していた。

 

ストーリーの見どころは何と言っても長男の一。美貴が昭和59年生まれだと一瞬映っていたので、一はまさにJovianの同世代。服装も今の目で見れば全然ファッショナブルではないが、それが逆に時代の空気を濃厚に感じさせてくれた。部屋にイチローのポスターを貼ってあるのもいい。また、携帯が一般的ではなかった頃、手紙や家の電話で恋人とのもどかしいコミュニケーションを堪能できた世代には、一の映し出されなかった恋愛のあれやこれやがつぶさに想像できた。家で誰かがインターネットを見ていると、家の電話が不通になるという光景が繰り広げられる映画が、そろそろ制作されてくるのだろう。

 

閑話休題。一の死、そこに至るまでの物語は非常に痛々しく重い。そこに社会的マイノリティであるLGBTのサブプロットを絡ませる演出はなかなかに心憎い。ネタバレになるので詳しくは書けないが、自分はノーマルでありマジョリティであると思っていても、それは必ずしも永続的なものではない。何かの拍子にそうではなくなることは大いにありうる。そうした時にすがれるものがあるかどうか。人によっては宗教であったり、あるいは家族であったりするのだろう。家族の在り方が多様化する今、本作のような悲劇的かつ喜劇的な一家の物語は一種のケーススタディとなりうるように感じた。

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ネガティブ・サイド

まず第一に言っておかなければならないこととして、誰もかれもが大阪弁がヘタすぎる。寺島しのぶでもこうなのか。『 君が世界のはじまり 』の松本穂香、『 鬼ガール!! 』の井頭愛海、『 セトウツミ 』の菅田将暉や中条あやみのような関西弁ネイティブを使ってほしい。もしくは話の舞台を北関東あたりに移してほしい。別に大阪である必要は全くないではないか。

 

タイトルロールであるさくらの扱いが雑である。というよりも、特にストーリーの主題になっていない。壊れてしまいそうな家族の紐帯としてのさくらは一切描かれていないし、楽しい時も苦しい時も、さくらがいたからこそ長谷川家の一人ひとりが踏ん張れたんだという描写も特にない。なにかもっと『 戦火の馬 』のように、色々と見えないところでドラマを生んでいたという場面が一切画面に映らないので、さくらという犬が長谷川家のかけがえのない一員であるように見えない。むしろ、残飯処理係なのかと思えてしまうような描写があり、矢崎仁監督の手腕を疑ってしまう。

 

長男の一の背中を見て育った薫と美貴、という設定も何やら薄っぺらい。一とその恋人の矢嶋さんの関係の変化に、薫は愛というものの力を知った・・・ようには見えなかった。というのも、肝心要の矢嶋さんの描写が極めて一面的だからだ。変わっていく矢嶋さんや変わっていく一の描写があまりにも弱い。一が料理を手伝うようになっただとか、洗濯物を丁寧にたたむようになっただとか、そんなことでよいのだ。そうしたシーンが全くないのに、薫に「いつか二人は結婚するんだろうなと思った」と独白させても説得力はゼロだ。

 

その薫の独白も量が多いし、説明的すぎる。心象風景を言葉にするのならまだしも、話の前後関係をくだくだしく説明する必要はない。映画ならば映像や音楽、音響などを駆使してそれを行うべきで、原作が小説だからといって小説の技法をそのまま映画に持ってきてよいわけではない。そもそも説明が説明になっていないナレーションまである。一例は「初めの遅れてやって来た反抗期」だ。いや、それ反抗期ちゃうやろ、と映画館でフツーに突っ込ませてもらった。北村は歌手でもあるため声に透明感やしなやかさがあるが、何故か台詞をしゃべらせると情感を伴っているように聞こえない。『 私はあなたのニグロではない 』のサミュエル・L・ジャクソンや『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマンのように、ナレーションだけで聞く側の心を落ち着かせたり、興奮させたり、ざわめかせたり、悲しませたり、といった声の表現力を目指すべきだ。あと、韓国映画(『 息もできない 』がいい)を観て暴力シーンを勉強すべきだろう。

 

トレイラーで“奇跡が起きる”とされた夜の長谷川家の移動ルートも地味に謎だ。劇中で一瞬チラッと大阪府枚方市あたりが住所であるように見えたが、枚方から国道2号は結構な距離がある。また、高速道路上から左手に初日の出を見ていたが、2号線沿線に南北に走る高速道路など存在しない。それとも2号線をひたすら西進して舞鶴若狭自動車道まで行ったというのか?とても信じられない。大阪弁の下手さからも感じたが、場所を関東に再設定すべきだった。

 

ネタバレになるため、中盤以降のストーリーについてはものさずにおくが、とにかく映画的な描写がとにかくうすっぺらく、またリアリティに欠ける。これはおそらく原作の原文からして間違っているのだろうが、「悪送球を仕掛けてきた」という文章の何とも気持ちの悪い響きよ。送球の主体は投手ではなく野手だし、送球は仕掛けるものでもない。野球で仕掛けるものといえばバントやヒット・エンド・ラン、盗塁などだ。「悪送球を打てない」という文章の不自然さに西加奈子もその編集も校正担当も、そして本作の脚本担当も誰一人として気が付かなかったというのか。そんな馬鹿な・・・

 

総評

家族という大きくて小さな枠組みが壊れていく、しかし完全に壊れたりはしない。そうしたメッセージは残念ながら非常に不完全な形でしか伝わってこなかった。家族の死、家族の離散、家族の再生というテーマなら『 焼肉ドラゴン 』の方が遥かに面白い。出演者のファン、あるいは原作のファン向けの作品ではあっても、映画ファン向けに仕上がっているとは言い難い作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pop one’s cherry

「さくらんぼをはじけさせる」という意味ではない。これは「処女・童貞を喪失する」の意味である。一と薫の部屋での会話の私訳。ただ性的な意味意外に使うこともある。

 

I popped my skiing cherry.

初めてスキーに行った。

 

Now that I’m twenty, I will pop my drinking cherry today.

二十歳になったから、今日は初めてお酒を飲むんだ。

 

のような使い方もできる。この表現を使えたら・・・というよりもそういう話をできる人間関係を作れたら、外国語でのコミュニケーション能力は上級であると言える。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 北村匠海, 吉沢亮, 寺島しのぶ, 小松菜奈, 日本, 永瀬正敏, 監督:矢崎仁, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

Posted on 2020年11月14日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 5点
2020年11月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 綾野剛
監督:深川栄洋

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なんとなく『 マスカレードホテル 』との共通点を思わせる。豪華キャストがバディになって、犯行予告をしてくる犯人を追うというところが特にそう思わせる。タイトルも意味深だ。普通なら『 ドクター・デスのBLACK FILE 』とか『 ドクター・デスの殺人カルテ 』で良さそうなところを何故“遺産”とするのか。『 ソウ 』のジグソウみたいな奴なのかという懸念もあったが、ミステリかつサスペンスは好物ジャンルということもあり、近所の劇場へと出向いた。

 

あらすじ

連続不審死を捜査していた警視庁最強コンビの犬養(綾野剛)と高千穂(北川景子)は、「ドクター・デス」と呼ばれる安楽死を請け負う医師の存在にたどり着く。しかし必死の捜査の最中、犬養の娘がドクター・デスに安楽死を依頼してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

北川景子と綾野剛がそれなりに熱演している。またドクター・デス役の俳優も頑張っている。

 

偶然だろうが、1~2週間ほど前にニュージーランドで“安楽死”を合法とする法案が可決されたというニュースがあった。医療が発達した現代、本作は死の意義をあらためて問い直す契機にだけはなったと言える。

 

そうそう、販促物で『 マスカレードホテル 』と同じ愚を犯さなかった点は評価せねばなるまい。

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ネガティブ・サイド

長文注意。以下、ビミョーにネタバレに触れるので未見の方はスルーを推奨する。

 

警視庁最強コンビって、アホかいな。警視庁の刑事連中というのは韓国映画の警察よりも遥かに無能な人間の集まりなのか。とにかく捜査の段取りが悪すぎるし、リアリティも何もない。ちなみにすれっからしのJovianは開始5分でドクター・デスの正体が分かってしまった。

 

オープニングのEstablishing Shotから何かを間違えている。あれ、俺は『 犬鳴村 』を観に来たわけではないのだが・・・と思われた。この時点で嫌な予感が漂った。

 

不審死した人間の家族(小学生だが)から警察に通報があったとして、いきなり刑事が出向くか?しかも捜査一課の“最強コンビ”が?だいたい、死亡時刻が昼の11:30、通報がその日の夜だとすれば、当日は仮通夜、翌日に通夜、その翌日に葬式だとして警察登場に2日半のタイムラグがある。遅すぎるやろ・・・。それに普通は所轄の警察官が出向くべき、なぜに一課の刑事が動員されるのか。さらにいきなり司法解剖するためか、棺桶を火葬場から持っていくのだが、令状ぐらい見せんかいな・・・。公権力を振り回せる人間が横柄に振る舞うこと、さらに後述するが綾野剛演じる犬養の人間性が最悪なところが、本作が本来なら投げかけることができていたはずの社会的なメッセージを非常に底浅いものにしてしまっている。

 

捜査の突っ込みどころはまだまだ続く。周辺の聞き込みもいいが、せっかくの防犯カメラ映像なんやから、それをとことん追いなさいよ。周辺の防犯カメラの映像を総ざらいしなさいよ。その上で聞き込みの範囲を指定しなさいよ。石黒賢演じる班長的存在の指示が昭和の刑事長レベルで止まっている。また防犯カメラの映像と家族の証言から、家に来た人間は医師と看護師の二人だと分かった。よし、似顔絵は医師の方だけ作ろう、って、アホかーーーーーーーー!!!典型的な認知バイアスで、それこそ警察官、特に捜査一課の刑事ともなれば絶対に陥ってはならない思考の陥穽にものの見事にハマっている。その看護師もこのご時世にご丁寧にナースキャップをかぶって敢えて目立とうとしている。『 ココア 』でも突っ込んだところだが、ナースキャップは日本でも世界でもほぼ廃止されている。嘘だと思われるなら「看護師」でグーグル画像検索をすべし。ほとんどのナースは最早キャップをつけていないし、つけているとすればめちゃくちゃ古い画像か、就職・転職系のサイトか、またはアダルトサイトであろう。

 

閑話休題。本編の刑事たちの無能っぷりは留まるところを知らない。序盤で小学生に追いつけない綾野剛にも失笑したが、60歳以上の河川敷ぐらしのホームレスと駆けっこをして追いつけない20代の若い刑事には文字通り頭を抱えた。火葬場の時と同じく、横柄に「任意同行」させればよいだけだ。ここらでいっちょ北川景子の見せ場でも作っとくか、ぐらいにしか監督は思っていなかったのだろうが間違っている。犬養刑事も無能の極み。ドクター・デスからのせっかくの着信をなぜ逆探知しない?しかもチャンスは2回あったではないか。それに闇サイト云々もサイバー部隊を動員して追いかけなさいよ。警察にも『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の刑事みたいなのがいるはずだ。バックドアを使えとまでは言わないが、ITを駆使した捜査も同時並行で行わないのはリアリティがない。リアリティがないのは意味なく挿入される居酒屋のシーンも同じ。人があれだけたくさんいる場所で刑事が事件の話をするか?警察の食事会または飲み会は個室が原則ではないのか?個室でないにしても、テレビドラマ『 相棒 』の飲み屋のような客が自分たちしかいないとすぐにわかるこじんまりとした店を選ぶべきではないのか?原作の小説もこうなのか?それとも映画化に際して改悪されているのか?

 

『 ビバリーヒルズ・コップ2 』の時代から、靴に付着していたであろう土の成分を調べるのは捜査の常道だが、逆にそうした然るべき捜査をした時に矛盾が大きくなるのが本作の弱点だ。ドクター・デスに安楽死を依頼した5つの家族の玄関から共通の土の成分が検出されたと言うが、そんな馬鹿な話があるものか。関係者の証言によるとドクター・デスは月に1~2回の犯行に及び、警察が把握しているのは5件、全体ではおそらく35件とされている。警察が把握している5件が連続して行われた犯行だとしても、最初の家族から5番目の家族までは最短でおそらく2か月半、長ければ5か月の間が空くことになる。1件目と35件目の間隔ならば、最短でも1年半。その間にどの家庭も玄関先を一切掃除することがなかったのか。にわかには信じがたい。

 

さらに終盤、携帯の通話音声を詳細に解析、小さな救急車のサイレンの音が入っていたのをキャッチ。これは事態が動くか?と期待させて、「特定できるか?」「それはちょっと・・・」って、アホかーーーーーーーー!!!そら日本中の救急車の出動を全部把握するとなると人手も時間もかかる大仕事だろうが、まずは東京都だけでも調べろよ。〇月〇日何時何分という非常に確度の高い情報があるのだから、消防および救急患者を受け入れている病院に片っ端から当たれよ。アホなのか手抜きなのか無能なのか。おそらく全部だろう。

 

本作は安楽死に関する問題提起をした点だけは認められる。しかし、安楽死を望む人間およびその周辺の描写がクソ薄っぺらいため、議論の深めようがないのだ。綾野剛演じる犬養刑事の人間性が腐っているところがまずダメだ。負けそうになったオセロの盤をひっくり返したのは、「アクシデントか?」と思ったが、複数回それをやっているという確信犯。それだけならまだ許せたかもしれないが、愛娘に「お父さん、サボり?」と言われて「仕事の方がサボってるんだ」と返事する無神経さ。そこは「お父さんが暇だということは世の中は平和なんだ」と返すところだろう。仕事の方がサボっているという言い方は、事件が起こってほしいと願っているように聞こえる。また、警察という国家権力を振り回せる人間が私人性を突かれると弱いというのは事実であり、だからこそ時に一個人が警察をほんろう出来たりもするわけである。だが、本作ではその私人性の描写も弱い上に、その描写が家庭人としてダメダメであるところを強調するだけという始末。では公権力をフルに活用しているかというと、上述のようにアホな捜査を繰り返すだけ。そんな奴らに「安楽死は殺人だ」と言われても問題提起にならない。国家がこれは罪であると決めたことだからダメだと言われても、その国家権力がここまで無能だと「安楽死もありではないのか?」という意見に傾いてしまう人間が絶対に一定数出てくるはずだ。もう一つ、Jovianが犬養刑事を私人性について白々しいと感じたのは、娘に対して作ったお弁当。レシピ通りに作って美味しいわけはないだろう。原作者も監督も『 聖の青春 』を100回読めよ。腎臓病食が美味しいわけはないだろう。Jovianもその昔、ボランティアの付き添いでレトルト腎臓病食を食べたことがあるが、何の味もなかった。これを1日3回、10年も20年も続けるのかと思うとしみじみと寂しくなってくる。それが病人の食事だ。そうした愛娘やその他のドクター・デスに依頼した患者たちが絶対に感じていたであろう葛藤や懊悩を一切映すことなく「安楽死はただの殺人」と無能な国家権力の持ち主に言われても、受け取り手としてはシラケるばかりで問題提起とは受け取れない。決して。

 

他にも、窓やドアから入る自然光とは全然別の角度からの光があまりにも多く使われていて、不自然極まりないシーンも多数ある。スクリーンの外側に映画の世界ではなく撮影スタッフの存在を感じさせれば、それは興行映画として失敗作である。本作は話のも酷いものだが、映画製作の技法もお粗末の一言である。

 

総評

観てはならない、チケットを買ってはならない。『 事故物件 怖い間取り 』と肩を並べる世紀の駄作で、年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼に躍り出た。Jovianは嫁さんと共に出向き、嫁の耳元で犯人を呟いて不興を買ったが、鑑賞後、嫁は不承不承にJovianの意見に同意した。つまり、本作は2020年屈指の駄作である、と。もう一度言う。観てはならない、チケットを買ってはならない。Don’t say you’ve never been warned. 警告は発した。後は諸賢の自己責任である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to cleanse my palate and forget about this film as quickly as possible.

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 監督:深川栄洋, 綾野剛, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

『 ビューティフルドリーマー 』 -「映画を作る映画」の佳作-

Posted on 2020年11月13日2022年9月19日 by cool-jupiter

ビューティフルドリーマー 65点
2020年11月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:小川沙良
監督:本広克行

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201113154639j:plain
 

ビューティフルドリーマーと聞けば、多くの人は「ゆめじよ~り~、かえりて~」を思い浮かべるだろう。ある程度の年齢以上の映画ファンであれば『 うる星やつら 』の映画を思い出すかもしれない。Jovianは「変なタイトルだけれど、シネ・リーブル梅田でやっているからには通好みなんだろう」と、オフィシャルサイトもトレイラーも観ずに劇場に足を向けた。

 

あらすじ

サラ(小川沙良)はふとしたことから、映研の部室の片隅で「夢みる人」という映画の台本とフィルムを見つける。さっそく鑑賞してみるが、映画は未完成だった。サラは「自分たちで完成させよう」と思い立つが、それは映研OB曰はく「撮影すると何かおかしなことが起きてしまう」という台本だった。果たしてサラたち映研の面々は「夢みる人」を完成させることができるのか・・・

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ポジティブ・サイド

『 鬼ガール!! 』と同じく、映画を作る人々に焦点を当てた映画である。これはJovianの好物ジャンルなのだ。映画作りとは一つの世界を作り上げることだ。その過程を映画の中で映し出すというメタ構造が面白くないはずがないではないか。

 

大学が舞台で、グダグダした時間が流れているのが心地よい。高校生の恋愛ものは「ああ、俺にもこんな青春があったなあ」とは思えなくなってきたが、大学の良い意味でのぬるい空気は今でも体が覚えているし、なによりも大学生相手に授業をする日々を送っている。映研の部室に流れる『 げんしけん 』的な空気が心地よくないわけがないではないか、

 

そう、本作の一番の見どころは大学という人生最大のモラトリアム期間に好きなことに没頭する若者たちの姿を活写しているところにある。そこに製作者の『 うる星やつら 』愛があり、オマージュがある。ある意味でとてもぬるい空気を醸し出す映画で、終盤に訪れるカタルシスを堪能するのではなく、そこに至る過程に参画している気分を味わうものである。なので、結末には少々拍子抜けするかもしれない。しかし、主演を務めた小川沙良のある台詞と表情に大いに救われるのは事実である。ルックスを意識的に新垣結衣に寄せていると思われるが、自身が俳優兼映画監督であるためか、劇中でも監督としてのリアリティを大いに発揮した。特に台詞への演出やカメラアングルの指定などは、映画作りの舞台裏がそのまま垣間見えて、非常に面白い。

 

『 うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』の鑑賞歴がない人でも、青春ものとして鑑賞してほしい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201113154723j:plain
 

ネガティブ・サイド

映研の各キャラクターをもう少し掘り下げられなかっただろうか。ひょんなことから映画作りに乗り出すことになるが、誰がカメラで誰がプロデューサーで、などがあまりにもトントン拍子に決まっていくのは少々乱暴ではなかったか。単なるシネフィルの集まりではなく、実は映画作りのスキルも持っていたという描写が、もう少し丁寧に描かれていてほしかった。カメラマンが、16mmフィルムと映写機を手早くセットアップしてみたり、大堂小道具係が手先の器用さを普段から発揮していたりと、そうしたシーンや台詞が必要だったと思う。

 

色々とやらかす羽目になるメンバーのシネフィルぶりが中途半端である。映画のタイトルを次から次へと口に出すだけではなく、もっと小ネタやトリビアを披露してナンボだろうと思う。

 

クラウドファンディングの途中経過はもう一度ぐらい観る必要があるだろう。募集して終わりではなく、製品やサービスの良さ、それがもたらすリターンを常に感じさせないとダメだ。

 

またせっかくの学園祭なのだから、他の部や同好会、サークルとの連携も模索すべきではなかったか。買い過ぎたお菓子やら何やらを他サークルと物々交換したり、あるいは撮影への協力を呼びかけるための呼び水にしたりできるはずだし、そうしてこそプロデューサーというものだろう。とある小道具の制作に映像研の面々が一肌脱ぐ(比喩的な意味で)わけだが、そこで手芸部や模型同好会などが手助けをしてくれた、というような展開なら、もっとカタルシスを生み出せただろう。

 

総評

『 映像研には手を出すな! 』が個人的にはイマイチだったが、本作で I somewhat felt redeemed. 年をとってくると高校生の物語にはついていけず、大学生ぐらいでないと色々な意味できつくなってくるが、その意味では本作は当たり。また本作が意図しているターゲットも30代後半以上、そして20歳前後の大学生であろう。是非そうした世代に観てほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be preposterous!

秋元才加の放つ「世迷言もいい加減にせい!」の私訳、と言いながらも、これはJ.P.ホーガンの『 巨人たちの星 』でダンチェッカー教授の言う“Don’t be preposterous!”をそのまま拝借してきたもの。Jovianの大学の大先輩である池央耿は「馬鹿も休み休み言いたまえ!」と訳していた。Preposterous=前が後ろになっている、というのが原義である。こんな単語を知っていればそれだけで英検1級だろうし、“Don’t be preposterous!”と仕事またはプライベートでパッと口に出せれば、英検マイナス1級で、TOEIC SWで500点だろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 小川沙良, 日本, 監督:本広克行, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズ, 青春Leave a Comment on 『 ビューティフルドリーマー 』 -「映画を作る映画」の佳作-

『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

Posted on 2020年11月11日2022年9月19日 by cool-jupiter

ジオラマボーイ・パノラマガール 40点
2020年11月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田杏奈 鈴木仁 森田望智
監督:瀬田なつき

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『 リバーズ・エッジ 』の原作者・岡崎京子の作品を瀬田なつきが脚本および監督として映画化。岡崎京子の作品にそれほど親しんできたわけではないが、それでも本作は原作の読み込み不足あるいは瀬田監督自身の自分のカラーの出し過ぎであることは分かる。主題が読み取れないのだ。

 

あらすじ

渋谷ハルコ(山田杏奈)はある夜、倒れている神奈川ケンイチ(鈴木仁)に一目惚れしてしまう。これは世界の運命をも変えてしまう恋に違いないと舞い上がるハルコ。しかし、ケンイチはマユミ(森田望智)というオトナの女性に強く惹かれており・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201111221216j:plain
 

ポジティブ・サイド

『 わたしに××しなさい! 』や『 小さな恋のうた 』で確かな存在感を示してきた山田杏奈が主演だと、テアトル梅田のパンフレットで知った。ならば、あらすじも不要だし、トレイラーも劇場で目に入ってきたもの以外はシャットアウト。その上で鑑賞した。山田杏奈のありふれた女子高生としての存在感には説得力があるし、恋に恋をするという乙女チックな顔も上手く描出できていた。

 

ラストの手前、早朝の街をトボトボと歩く際の「つまらない男とつまらないセックスをしてしまった」という顔の演技は素晴らしかった。10代でこれだけ細やかな顔面の演技ができる役者は珍しいと思われる。瀬田監督が山田からこの顔を引き出すことができたのなら、それは自身の体験談をよくよく彼女に言い聞かせたのだろう(と下世話な邪推をしてみる)。10代俳優の中ではフロントランナーであることは間違いない。

 

謎めいた女性ナオミを演じた森田望智も独特の存在感を発揮した。最初はチョイ役なのかと思ったが、物語が進むにつれて「ああ、こういう話なのか」とすんなりと納得できた。それはナオミの放つ妖艶な雰囲気によるところが大で、童顔かつ幼児体形なハルコ(あくまで比較の上である)とのコントラストが大いに際立っていた。それは容姿だけではなく、異性との向き合い方、恋愛観やセックス観にも当てはまり、10代同士のピュアな恋物語の予感を良い意味でも悪い意味でも叩き壊している。『 影踏み 』の中村ゆりのような30代に成長していってほしいものである。

 

無秩序な東京の街の片隅で秘かに繰り広げられる人間模様だけは、それなりにしっかり描けていたのではないか。

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ネガティブ・サイド

なんでこんなにキャラクターがどいつこいつも、文字通りにクルクルと回るのか。舞台劇のノリなのか。特定キャラクターだけの動きであれば、そのキャラの特徴なのかなとも感じられるが、誰もかれもがクルクル回るのは不自然以外のなにものでもない。

 

一体全体、いつの時代にフォーカスしているのか。全体的に初期平成臭が漂う。小沢健二の“ラブリー”とは古すぎる。おそらく「いつか誰かと完全な恋に落ちる」ということを強調したいのだろうが、今どきの女子高生が小沢健二を歌うだろうか?やっているゲームも最新作であるが、ストⅡ。それもコンソール型。一方で、インスタグラムやタピオカも同時に存在している。様々な点で時代とガジェットにずれを感じてしまうのである。

 

神奈川ケンイチというキャラクターの思考や行動の原理も謎だ。いきなり高校を辞めるのは、まあ、そういう衝動に駆られることもあるだろうと一応の納得はできるが、男性教師にキスをすることに何らかの意味があるのか?「だって17歳なんですから」というケンイチの台詞は何も説明していない。ここからゲイへの道を歩んでいく、あるいは『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』のようにクィアの世界に旅立っていくというのなら、全く違和感はない。しかし、まず最初にやることがスケボー、そしてナンパ。ここでもノリが平成である。90年代&スケボーなら『 mid90s ミッドナインティーズ 』で十分に満たされた。

 

ハルコというキャラの見せ方も古い。一目惚れを表現するのに、雷鳴の効果音というのはどうなのだろうか。しかも音だけ。そうした演出が全編で満遍なく使われているというのならそれも構わない。それが本作のテーマにマッチする作劇術だと監督が判断したのだろうから。しかし、その後にそんな演出は皆無。どうせ一か所だけ馬鹿馬鹿しいのなら『 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 』のような落雷演出でもすればよかったのではないか。それに友達2人と一緒に常に3人組というのも冗長だ。実際に一人はクラブの後にフェードアウト。だったら最初から親友は一人でいい。Jovian嫁も「親友2人おって、片方は誕生日パーティーに呼んで、もう片方は呼ばへんなんかありえへん」と全く納得していなかった。

 

もっとも意味が分からないのは「知的生命体がいるとされる小惑星の接近」である。成海璃子のキャラが自分たち家族の写真を眺めるハルコに「それね、今となっては貴重でしょ」という思わせぶりな台詞や、ケンイチが学校を辞めたのと同じノリで自殺してしまう学生のニュースなど、何か一筋縄ではいかない世界観が暗示されるが、それがすべて無秩序に拡大する東京のスプロール現象にかき消されている。この世界観も90年代まんまだが、オリジナルを尊重するにせよ自身の解釈を盛り込むにせよ、やるならもっと上手にやるべきだろう。ケンイチの部屋のポスターが『 2001年宇宙の旅 』とはこれいかに。だったら『 E.T. 』、『 未知との遭遇 』、『 遊星からの物体X 』、『 妖星ゴラス 』、『 ブロブ/宇宙からの不明物体 』、『 アルマゲドン 』など、宇宙から何かが地球に接近しつつあることを暗示する映画のポスターを貼るべきではないのか。

 

最初から最後まで、一貫して世界観についていけないし、一部のキャラクターの行動原理が理解できない。端的に言って映画化失敗であろう。

 

総評

映像もストーリーもキャラクターも中途半端である。おそらく瀬田監督自身、原作を十分に消化しきれていないのではないか。しかし、発展途上の才能たちの演技に魅力を感じたり、あるいは岡崎ワールドの造詣が深い人であれば、本作を十二分に堪能することができるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Are you having fun?

成海璃子がクラブで山田杏奈に言う「楽しんでる?」という台詞。Have fun. = じゃあね、楽しんできてね、という使い方も併せてマスターしておきたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, ラブロマンス, 山田杏奈, 日本, 森田望智, 監督:瀬田なつき, 配給会社:イオンエンターテイメント, 鈴木仁, 青春Leave a Comment on 『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

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