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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2010年代

『 オフィシャル・シークレット 』 -公と私の関係性を鋭く問う-

Posted on 2020年8月30日2021年1月22日 by cool-jupiter

オフィシャル・シークレット 70点
2020年8月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ レイフ・ファインズ マット・スミス
監督:ギャビン・フッド

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原題は“Official Secrets”、本編中では「公務秘密」と訳されている。公文書の改竄が公然と行われ、公務員がそれを苦に自殺までしているというのに、この国(日本)は何も変わらない。だが、それは海の向こうの島国、英国でも同じらしい。10年以上前の実話に基づく本作が、日本社会の「今」をこれほど鋭く抉っているのは、日本がそれだけ英米の後追いをしている証拠なのだろう・・・

 

あらすじ

マンダリンに堪能なキャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)は、GCHQで中国関連の盗聴に従事していた。ある日、国連安保理の非常任理事国の担当者たちを盗聴するようにとの通達が部署全体に届く。正当性のない戦争を国連で正当化させるための裏工作だと感じ取ったキャサリンは、そのメールをリークすることを決断するが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200830133747j:plain
 

ポジティブ・サイド

イラク戦争そのものについては無数の映画が作られている。政治の側からCIAの闇を暴いた『 ザ・レポート 』や『 バイス 』のように国の権力構造の不正を分析するもの、『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』のように弱小メディアが国家の大嘘を暴くというものまで、アメリカがアメリカ自身を暴く作品が生み出されるようになってきた。もちろん『 ウォードッグス 』のような戦争にちゃっかり寄生する輩を面白おかしく活写する作品も作られており、イラク戦争という大義なき虐殺に関してはアメリカは徐々に正しい距離感を学びつつあるようである。本作はそうしたイラク戦争の不当性をイギリス側から見たという点が新しい。

 

それにしても本作で要所要所に挿入される2003~2004年の実際のニュース映像の生々しさよ。特に盲目的な対米従属路線を突っ走る当時の英国首相のトニー・ブレアを見ると、当時の小泉内閣総理大臣、そして現(元と言うべきか)安倍内閣総理大臣を見るようである。WMD=Weapons of Mass Destruction=大量破壊兵器を「まだ見つかっていないが存在を確信している」というブレアにも頭を抱えてしまうが、「無いものを無いと証明できなかったイラクが悪い」と平然と言ってのけた小泉純一郎を思い出して、五十歩百歩という諺を思い出した。なぜか英国の告発スキャンダルとは思えず、日本映画をイギリス風にリメイクしたのかとすら感じられるのである。

 

イギリス映画ファンならば本作の俳優陣の演技に納得することだろう。特にキーラ・ナイトレイは Career High と言ってよいほどの圧巻のパフォーマンス。表情と口調、立ち居振る舞いでキャラの心情をダイレクトに届けてきた。特に自分こそが告発者だと名乗り出るシーン、そしてクルド系トルコ人の夫とのテレビのチャンネル争いおよび熱の入った口論は途轍もなくリアルに感じられた。彼女の告発内容を記事にする記者を演じるのはマット・スミス。『 新聞記者 』のシム・ウンギョンとは全く異なるテイストのジャーナリストだが、幅広い人脈でスパイ顔負けの取材や情報収集活動を行う敏腕記者で、不正のにおいを感じ取れば、社の方針がどうであれ、とことん突き詰める行動型の記者という点ではシム・ウンギョンそっくり。もしも戦地のイラクに派遣されれば『 プライベート・ウォー 』のメリー・コルビンのような雄々しい従軍記者になるのだろう。キャサリン・ガンの無罪を主張する弁護士を演じるレイフ・ファインズも圧倒的な存在感を放つ。弁護士は社会正義の追求だけではなく、紛争の予防および調停を最も大事にすると言われるが、クライアントの要望に応えることも大きな責務だ。そこで放たれる論理のウルトラCには誰もが腰を抜かすこと請け合いである。事件に巻き込まれた時には、このような弁護士を頼りたい。

 

冒頭の裁判開始のシーンは、そのままクライマックスの法廷シーンにつながるが、ここでの検察と判事と弁護士のやりとりは余りにも予想外である。歴史的な(といって2020年からすれば十数年前だが)事実や経緯を知らない者からすれば、この裁判は類まれなる茶番であり、なおかつ壮大なドラマであると言える。この弁護士が構築した論理とそれを証明する手続きについてよくよく考えてみれば、何のことはない、この弁護士とキャサリン・ガンは根っこの部分では同じなのだ。つまり、公私の公=職業人としての使命と、私=個人としての使命が相反した時、「私」を選ぶという点だ。それはプライベートな付き合い云々ではなく、自分の心に何が正しいかを問い続ける姿勢である。重ねて言うが、英国の話なのに日本の話に見えるところが多々ある。現代人必見の一作だろう。

 

ネガティブ・サイド

キャサリン・ガンというキャラクターのバックボーンをもう少し掘り下げる描写があれば、イギリス国内的にも、イギリス国外の映画市場でも、もっと観客を呼び込めたのではないだろうか。キャサリンはアジア滞在歴が長く、特に日本の広島にいたということはもっと強調されてよかったと感じる。また、夫との馴れ初めについても、会話以上の描写があってもよかった。またブッシュやブレアのニュース映像がふんだんに使われているのだから、このキャサリン・ガンの告発事件を報じた本物の新聞記事や本物のニュース映像も見てみたかった。

 

イギリスが歴史的に盗聴で世界の強国の地位を維持してきたという説明もどこかで少しだけ欲しかった。『 イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 』で描かれたエニグマ解読器を独自開発することに成功した英国は、そのことを秘匿。ナチス・ドイツ敗戦後にエニグマを世界各国の諜報に使わせつつ、自らはちゃっかりとそれらの暗号を解読し続けるという詐欺的な行為で世界の指導的地位を固めていたという歴史的事実の延長線上に本作はあるのだ、ということをもっと明確にすべきだった。

 

キャサリン・ガンの言う「国家ではなく国民に仕えている」というセリフは印象的であるが、ドラマチックではない。ここまでストレートに表現する必要はあるのだろうか。GCHQの職員である以上に一個人なのだということを表明するセリフが望まれていたと思う。この部分だけは妙に理屈っぽく感じられ、キャサリンという感情に強く動かされるキャラクターが首尾一貫性を欠いていたように思う。

 

総評

これは傑作である。こうした一個人の奮闘が国家の、そして国際的な欺瞞を暴くという実話がこれほどリアルに物語化された例は少ない。一方で、ブッシュやブレアといった列強のトップの政治家が今も戦争責任を問われずにいるという慄然とさせられる。歴史はわずか20年足らずで風化してしまうのか。今というタイミングで本作が制作されたことそのものが大きなメッセージになっている。すなわち、己の正義を常に問い続けよ、精神は国家に完全従属させるなということである。なんと耳の痛い教訓ではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Whistleblower

『 スノーデン 』でも紹介した表現。日本ではwhistleblowerはだいたい冷や飯を食わされる羽目になるが、そうした社会風土もさすがにそろそろ変わっていかなければならないだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, サスペンス, マット・スミス, レイフ・ファインズ, 伝記, 家督:ギャビン・フッド, 歴史, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 オフィシャル・シークレット 』 -公と私の関係性を鋭く問う-

『 サスペクト 哀しき容疑者 』 -追跡者にして逃亡者-

Posted on 2020年8月27日 by cool-jupiter

サスペクト 哀しき容疑者 70点
2020年8月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ パク・ヒスン
監督:ウォン・シニョン

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コン・ユといえば『 トガニ 幼き瞳の告発 』や『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』のような、非肉体系の俳優という印象だったが、本作では『 アジョシ 』のウォンビンに対抗するかのような華麗かつ残虐なアクションにチャレンジして、ある程度の成功を収めたと言える。

 

あらすじ

脱北した元精鋭工作員のドンチョル(コン・ユ)は、愛する妻子を殺害した犯人を追って韓国で運転代行業を営んでいる。ある夜、韓国経済界の実力者でドンチョルも世話になっていたパク会長の殺害現場に居合わせたドンチョルは暗殺者を撃破。しかし、逆に殺人犯としてミン・セフン大佐(パク・ヒスン)に執拗に追われることになる・・・

 

ポジティブ・サイド

まずコン・ユがここまで格闘アクションをこなすのかとびっくりさせられる。『 The Witch 魔女 』の魔女ジャユンかと見紛う体術を見せたりもする。日本で言えば向井理がバリバリの格闘シーンを演じるような感じだろうか。この強烈な違和感がどんどんと消えていく序盤から中盤、そして終盤にかけての疾走感は素晴らしい。節目節目に格闘、カーチェイス、爆発、狙撃をまじえてくるので中だるみを感じることが全くない。

 

特にカーチェイスは韓国の狭く入り組んだ路地を豪快に走破し、そんな馬鹿なという超絶テクニックで階段をクルマで降りたりもする。副題にある哀しき~は『 哀しき獣 』を意識してのことだろう。あちらはタクシー運転手、こちらは運転代行業。運転が上手いのは当たり前なのだ(上手過ぎではないかと思うが・・・)。邦画では『 プラチナデータ 』が、主人公が真犯人を追いかけながら自らも追われるというプロットだったが、二ノ宮演じる科学者がなぜあれだけ運動神経がよく、なおかつ単車の運転に長けているかの説明はゼロ。2010年代前半で、すでに邦画は韓国映画に負けていたのか。クルマのバリケードをある方法で突破するシーンには笑うと同時に感心もした。現実に実行できそうだぞ、と。とにもかくにも、本作のカーチェイスシーンおよびカーアクションは必見である。

 

パク会長殺害のミステリもストーリーを引っ張る重要な要素となる。食糧難ながらも軍拡に勤しむ北朝鮮へ重要な贈り物を携えて尋ねる予定だったというパク会長は、いったい何を手土産にしていたのか。それは朝鮮半島の緊張を高める代物なのか、それとも融和の機運を高める契機になるのか。ドンチョルの逃走とセフンの追撃が単なる個人の因縁ではなく、朝鮮半島の命運をも握っていると感じさせてくれる。ベタではあるが、まさに手に汗握る展開である。

 

ドンチョルとセフンの因果が交わる時に真相が明らかになる。追う者と追われる者の間に秘かに芽生えた奇妙な連帯感も、ベタではあるが胸を熱くしてくれる。シリアス一辺倒ではなく、セフン大佐の部下が要所要所でユーモアを発揮。アクション、ミステリ、サスペンス、ユーモアを実に適度に織り交ぜた韓流アクションの快作である。

 

ネガティブ・サイド

本作の最大の欠点はオリジナリティの欠如である。北朝鮮の元スパイという要素をごっそり取り除けば、かなりの部分は『 ジェイソン・ボーン 』の焼き直しである。また、一見すると細身の優男が実は凄腕の殺人マシーンというのは『 アジョシ 』のチャ・テシクの二番煎じ。そして、断崖絶壁を訓練で登るのは『 ミッション・インポッシブル 』とトム・クルーズ/イーサン・ハント。北朝鮮と韓国の男同士のほのかで奇妙な交流は『 JSA 』が遥かに先行していて、なおかつ優っている。そもそも妻子を殺された男が復讐のために立ち上がるというプロットが古い。小説から映画まで手垢にまみれまくった題材である。どこかで観たことがある構図や人間関係が多いのが本作の残念なところである。

 

細かいところではドンチョルが妻子の仇を前にして、あっさりと逃げられてしまうところ。普通、両足を撃つか何かして逃げられない、もしくは闘いになったときにアドバンテージをとれるようにするのではないかと思うが。まして、銃を持っているという絶対的な距離のアドバンテージを自分から相手の掌の文字を読みたいからと歩いて近づくか?サスペンスフルなシーンではあるが、現実味があるとは言い難かった。

 

ドンチョルの有能さを強調するあまり、北朝鮮が現実以上の脅威に描かれていた。本当にドンチョル級の工作員を養成する機関であれば、あそこまで過酷な訓練は課さないだろう。金の卵であるが孵化する確率は3%というのは馬鹿げている。自分が総書記なら機関のトップを間違いなく更迭する。

 

総評

韓国映画お得意の北朝鮮絡みのアクションであり、ミステリであり、サスペンスであり、ヒューマンドラマである。ハリウッドから直輸入したと思しきシーンのオンパレードであるが、それが見事に韓流のテイストと融合している。またコン・ユという俳優の底力と、彼の潜在能力を余すところなく引き出す脚本、そして監督の演出力にも舌を巻いた。ハリウッドのスパイ映画、アクション映画に飽きてきたという向きにこそ、本作を強くお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

セフン大佐が何回口にしたか分からないぐらい「イーセッキ」を連発している。イー=この、セッキ=野郎。イーセッキ=この野郎である。英語だと、You bastard、日本語だと、テメーこの野郎、ぐらいだろうか。『 アウトレイジ 』の韓国語吹き替えだと100回ぐらいイーセッキと聞こえてくるような気がする。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, コン・ユ, パク・ヒスン, 監督:ウォン・シニョン, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 サスペクト 哀しき容疑者 』 -追跡者にして逃亡者-

『 きっと、またあえる 』 -インド発・寮生活の勧め-

Posted on 2020年8月26日2021年2月23日 by cool-jupiter

きっと、またあえる 80点
2020年8月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:スシャント・シン・ラージプート シュラッダー・カプール
監督:ニテーシュ・ティワーリー

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『 ダンガル きっと、つよくなる 』のニテーシュ・ティワーリー監督の最新作。タイトルが『 きっと、うまくいく 』に似ているのは、内容もちょっと似ているから。原題はヒンディーでChhichhore。意味を調べてみたところ、「軽佻浮薄な野郎ども」となるらしい。このあたりを見るに脚本も手掛けたティワーリー監督は、3 idiots = 『 きっと、うまくいく 』のことも意識していたのは間違いない。

 

あらすじ

アニは、受験に失敗した息子がマンション構想階のベランダから転落したという知らせを受け、離婚した元・妻とともに病院に駆けつける。自分を「負け犬」だと卑下する息子に生きる気力を与えるために、アニは負け犬だった自らの大学生時代の思い出を語る。そして、大学時代の親友たちを一人また一人と招き、息子に紹介していく・・・

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ポジティブ・サイド

アニの息子はICU(集中治療室)に入ったと聞いて、不謹慎にも笑ってしまった。Jovianの母校もICU(国際基督教大学)だからである。そして、Jovianは今はもう取り壊されて久しい第一男子寮の出身で、大学の四年間を帰国子女や留学生らと共に二人部屋三人部屋で暮らしていた。つまり、主人公のアニに思いっきり感情移入することができたのだ。

 

ストーリーの肝はGC=General Championshipで、球技からカバディ、そしてチェスなどの10種競技の成績を大学の各寮対抗で2か月かけて競い争うというイベント。これもJovianが現役時代に(今もあるのかな?)存在した男子寮対抗の年2回のサッカー大会(岡田杯)と年1回のラグビー大会(細木杯)と、規模こそ違えど中身はそっくり。しかも、GCでの成績が振るわないのを何とか好転させるためにアニやセクサ、マミーらの多士済々の面々が自分の大好きなものを断つ、と決断するところが面白い。なぜなら我が第一男子寮にも上記のイベントごとに「オナ禁週間」が設けられていたからだ。古き良き時代という表現は好きではないが、確かにあれは古き良き日々だった。

 

酒やたばこ、母親への電話、エロ本&AV鑑賞など、様々なものを断っていく4号寮の面々だが、主人公のアニは、後に妻になり、現在猛烈にアプローチ中のマヤ(シュラッダー・カプール)との連絡・接触を断つという荒行に出る。Jovianが一年生の時に全く同じことをやっていたSという4年生の先輩がいて、実際のサッカーの試合でも決勝点を決めていた。とにかく、大学で寮生活をしたことがある者が観れば、心に突き刺さりまくり、思い出がよみがえりまくるのだ。アホなことをやっているものだと軽蔑することなかれ。我々のオナ禁も彼らの好きなもの断ちも、相手ではなく自分に負けないという気概を涵養するためのものなのだ。それこそがアニが自殺未遂を図った息子に伝えたいメッセージなのだ。

 

物語そのものの面白さもかなりのものだが、社会派としての一面も併せ持っている。過去と現在が交錯していく作品として『 サニー 永遠の仲間たち 』という傑作が思い起こされるが、この作品も韓国の血みどろの民主化運動が背景にあった。現在の繁栄は先人の流した血の上に成立しているのだというメッセージである。本作『 きっと、またあえる 』の社会的なメッセージは何か。それは、負け犬は一か所に集めろ、出来る奴も一か所に集めて、それを外部に見せろという姿勢への批判である。3号寮のライバルがスポーツ万能のアニをスカウトする時に「外国からの留学生は3号寮に集まる。だから、3号寮には特に出来の良い学生を集めるんだ」と語るが、当然アニはこの誘いを毅然と断る。経済成長と国際社会での地位向上の著しいインドへのメッセージだろう。カーストを隠すな、取り繕うなと言っているわけだ。だからといって被差別者に立ち上がれ、体制をぶっ壊せ的なメッセージを発したりはしない。倒すべきは自分の弱い心で、自分で自分に負けてはいけないのだということこそが本作の眼目だ。

 

かといってシリアスになるばかりでもない。寮生活はお下劣で非衛生的で、上下関係も緩く、友情と連帯感にあふれている。そして、GCの様々な競技で劣勢に立たされる4号寮が、アニの策略によって次々に相手を撃破していく過程は卑怯でもありながら、ぎりぎりで合法的な策略でもある。携帯電話が一般に普及していない時代だからこそ、なおかつ女子が極端に少ない工科大学だからこその謀略が炸裂するシーンは、自身の大学生活を思い起こして、笑いを押し殺すのに必死になってしまった。別に寮暮らしの経験がなくとも本作のアニとその仲間のLOSERSの奮闘には、大いに笑えるし涙も出てくることだろう。

 

それにしても『 PK 』のアヌシュカ・シャルマといい、本作のシュラッダー・カプールといい、インドの女優さんの美しさには目が眩むばかりである。

 

『 スラムドッグ$ミリオネア 』のように、エンディングのクレジットシーンの途中から壮大な歌と踊りが展開されるので、よほど膀胱が限界だという人以外は席を立ってはならない。

 

ネガティブ・サイド

ほとんど欠点が見当たらないが、二つだけ。セクサ以外のキャラが現在どのような仕事しているのかが見えてこないのが少し残念。セクサは「ムンバイは物価が高いな」と外国慣れとインドの物価上昇の両方をさりげなくアピールしていたが、こういった描写や演出が他キャラにも欲しかった。

 

もう一つ、LOSERSのTシャツを作る、あるいは着用して写真を撮るシーンが大学時代に欲しかったと思う。

 

総評

大学生時代のアニを演じたスシャント・シン・ラージプートが2020年6月14日に死亡したことが報じられた。本作は彼の遺作の一つとなる。本作のメッセージである「お前は負け犬じゃない」は、彼には届かなかったのか。冥福を祈る。三浦春馬といいラージプートといい、何故に好き好んで鬼籍に入るのか。虎は死んで皮を残すと言うが、その皮の見事さについては、誰かが細々とでも語り継いでいかなければならないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pressure

名詞なら「圧力」、動詞なら「圧力をかける」の意。しばしば、以下のような形で使う。

 

He’s getting a lot of pressure from his girlfriend to get a decent job.

彼は恋人からまともな仕事に就くようにと多大なプレッシャーを受けている。

 

My wife is always pressuring me to get a promotion and make more money.

うちの嫁さんは俺に出世してもっと金を稼げといつもプレッシャーを与えてくるんだ。

ついでに Rod Stewart の “When We Were The New Boys”も紹介しておきたい。学生時代の友情は unforgettable である。

www.youtube.com

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, インド, シュラッダー・カプール, スシャント・シン・ラージプート, 監督:ニテーシュ・ティワーリー, 配給会社:ファインフィルムズLeave a Comment on 『 きっと、またあえる 』 -インド発・寮生活の勧め-

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』 -気軽に笑える安心コメディ-

Posted on 2020年8月25日2021年1月22日 by cool-jupiter

ジェクシー! スマホを変えただけなのに 65点
2020年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アダム・ディバイン アレクサンドラ・シップ
監督:ジョン・ルーカス スコット・ムーア 

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監督および脚本は『 ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い 』のジョン・ルーカスとスコット・ムーアのコンビ。となると、大いに笑えてちょっぴり考えさせられるコメディに仕上がっているのは間違いない。日本版の副題は『 スマホを落としただけなのに 』のパロディだが、ホラー要素はないので安心して観に行ってほしい。

 

あらすじ

フィル(アダム・ディバイン)はスマホ依存症。ある時、街中で偶然にケイト(アレクサンドラ・シップ)と知り合うも、直後にアクシデントでスマホが壊れてしまう。新しいスマホを手に入れたフィルは、「あなたの生活向上を支援します」というジェクシーというAIと奇妙な共同生活を始めるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

主役のフィルはなんと『 ピッチ・パーフェクト 』と『 ピッチ・パーフェクト2 』のトレブルメーカーズの嫌味な男筆頭のバンパーを演じたアダム・ディバインではないか。ベラーズの面々は男とのある意味でとても不毛な惚れた腫れたの関係から華麗に卒業していったが、こちらは対極的にお一人様を楽しむ優雅な中年男。『 結婚できない男 』の阿部寛とは方向性がまるで違うが、フィルのような独身貴族は全世界で軽く数百万人は存在するのではないか。それほどリアルな人物の造形であり描写である。まず、職業がネット記事のライターというところが笑わせる。誰しも「○○○がオワコンである5つの理由」とか「株で成功する人が共通して持つ3つの習慣」といった、テンプレ感丸出しの記事を読んだことがあるだろう。つまり、常日頃から我々をスマホにくぎ付けにすることに血道を上げる職業人なのだ。この情けないやら有り難いやらの中間の存在のフィルに感情移入できるかどうかが大きなポイント。もしも、「何だ、つまんねー主人公だな」と感じるなら本作はスルーしよう。「なんか親近感がある」と思えれば劇場へ行こう。

 

スマホに気を取られて道を歩いていて人にぶつかってしまう。その時、ぶつかった相手ではなく自分のスマホの方を気にかけてしまうフィルに、「人の振り見て我が振り直せ」と感じる人も多いはずだ。だが人間万事塞翁が馬。これがもとでケイトに出会い、ケイトとの出会いがジェクシーとの出会いをもたらしたのだから。ケイト演じるアレクサンドラ・シップのフィルモグラフィーを見て、こちらにもびっくり。なんとあの怪作『 X-MEN:ダーク・フェニックス 』のストームではないか。だが本作ではミュータントではなくいたって普通の人間。というよりもいたって普通の女子である。笑顔がチャーミングで、それでいて野暮なフィルのデートの誘いを快諾。半年ぶりにすね毛を剃ったという女子力ゼロの発言から、小洒落た高級レストランを出て街中のバーへ。あれよあれよの夜中のサイクリング軍団への合流から、深夜の路上の情熱的で扇情的なキス。日本の少女漫画の映画化では絶対に描けないような極めてリアルな大人のデートである。そのすべてに輝きを与えているのは他ならぬケイト。正直、なぜこれで男がいないのかと訝しくなるが・・・おっと、これ以上は劇場で確かめてほしい。

 

スマホと人間の恋愛というと『 her 世界で一つの彼女 』という優れた先行作品がある。あちらは純粋なSFだったが、こちらは純粋なコメディ。そのことを象徴的に表すのが、ジェクシーとフィルのテレホンセックス。言葉で互いを高め合うのではなく、充電用ケーブルのコネクタをスマホ本体に抜き差しするという物理的なセックス。もう笑うしかない。トレイラーで散々映されているから、このぐらいはネタバレにはならないだろう。ジェクシーの魅力は何と言ってもuncontrollableなところ。電源を切ろうにも切らせてくれないし、フィルのプライバシーや口座、SNSにも易々とアクセス。生活を向上させてくれるかどうかはビミョーであるが、フィルを生き生きとさせていることは間違いない。ケイトと自分を比較して「あの女にはポケモンGOもGoogle Mapsもない」と言い放つ。それがフィルにはそれなりに堪える台詞なのだから、情けないやら身につまされるやらで、なんだかんだで笑ってしまう。

 

ストーリーは完全に予定調和で、ランタイムも90分を切るというコンパクトな作りである。脇を固めるキャラも人間味があるし、マイケル・ペーニャは『 アントマン 』並みのマシンガントークで相変わらず笑わせてくれるし、フィルの生活はスマホを片時も手放せない現代人なら、思わず理解してしまったり共感してしまうシーンのオンパレードである。何も考えずに80分笑って、時々はスマホから離れて友人や恋人、家族と語らおう。そんな気にさせてくれるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

スマホショップの老婆は必要だったか。いや、必要だったのは分かるが、何らかのキーパーソンであると見せかけて、これでは・・・。『 ステータス・アップデート 』の不思議なアプリ入りのスマホのように、特定の人物からしか手に入らない特別なスマホとAIという設定の方が良かったのではないか。フィルのようなスマホのヘビーユーザーなら、ジェクシーのことを「なんかヤバいぞ」と感じた瞬間にその場でググるはずだし、新しくできた友人たちにジェクシーというAIを知っているかと尋ねることもできたはずだ。ジェクシー搭載のスマホがありふれたものなのか、それとも希少なのか。そこがはっきりしない点が釈然としなかった。

 

主人公のフィルがジャーナリスト志望という点もストーリーとは密接にリンクしていなかった。ジェクシーに振り回される自分を題材に、【 スマホに振り回されないための10の心得 】みたいな記事を書いてバズる、あるいはマイケル・ペーニャ演じる上司にしこたま怒られる、という展開があっても良かったように思う。そうした経験が肥やしになってこそ、ラストが光り輝くのだろう。

 

細かい点ではあるが、土砂降りの雨のシーンとその後の会社のシーンがつながっていなかた。フィルはびしょ濡れ、オフィスの大きな窓からは陽光が燦々、というのは邦画でもちらほら見られるミスだ。

 

総評

本作は様々な層を楽しませるだろう。高校生以上のカップルや夫婦で楽しんでも良し。もちろん優雅な独身貴族も歓迎だ。そして、あなたがトム・クルーズの大ファンだというなら、本作は決して見逃してはならない。Jovianは何が何でも字幕派だが、本作に関しては日本語吹き替えにも興味がある。誰か吹き替え版の感想を詳細にどこかに書いてくれないかな。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

think outside the box

『 サラブレッド 』でも紹介したフレーズ。マイケル・ペーニャ演じるボスが会議中に言う台詞。意味は「既存の枠組みにとらわれずに考える」である。ビジネスパーソンなら知っておきたいし、実践もしたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ディバイン, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, コメディ, 監督:ジョン・ルーカス, 監督:スコット・ムーア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』 -気軽に笑える安心コメディ-

『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』 -学生、観るべし-

Posted on 2020年8月23日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 75点
2020年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ビーニー・フェルドスタイン ケイトリン・デバー
監督:オリヴィア・ワイルド

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原題は booksmart 。通常は book smart と離して表記すると思われる。意味はwell-readと同じ、つまり「本をたくさん読んでいて賢い」ということ。しばしば、street smart = 実地に色々と経験してきた、との対比される。ちなみにボクシング業界ではたまに ring smart という表現も使われる。意味は推測の通り「リング上で経験を積んでいて巧妙」ということである。

 

あらすじ

高校の生徒会長モリー(ビーニー・フェルドスタイン)とその親友エイミー(ケイトリン・デバー)は成績優秀。モリーは名門大学への進学が決まっており、エイミーも海外に進学する。だが、同級生たちも名門への進学や大手への就職が決まっていると知ったモリーは、勉強ばかりの高校生活を後悔・卒業前日の夜に盛大に羽目をはずそうと、エイミーと共にパーティー会場を目指そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

プロット自体は陳腐である。どこかイケてない女子が、パーっとはじけようとするという点では『 エイス・グレード 世界いちばんクールな私へ 』に通じる。だが、あちらは中学生で、こちらは高校生。畢竟、下ネタも解禁される。というよりも、下ネタのオンパレードである(それはちょっと言い過ぎか)。パンダのリンリンへのあいさつには笑いを禁じ得なかったし、その他のシーンでも映画館のあちこちから笑い声が漏れていた。本当はこのご時世飛沫を飛ばすような行為はご法度なのだが、そんな意識すら薄れてしまうほど、本作のユーモアには容赦がない。パーティーで意中の相手といい雰囲気になった時の予習に、スマホにイヤホンをしてポルノ動画を食い入るように見つめていると、いきなりそれがBluetooth接続されて大音量で車内に響くというのも現代的だ。似たような失敗を家庭や学校、職場でやらかしたという人がいても全くおかしくない。下ネタだけではない笑いもいっぱいあるので、そこは安心してほしい。そして、セックス未遂シーンもあるので期待してほしい。

 

ニックというスクールカーストの頂点にいる男の主催するパーティーへ向かうはずが、あちらこちらと寄り道させられる、その過程も楽しい。神出鬼没のジジと実は良い奴ジャレッド、同族嫌悪的だが自分たちの写し鏡でもあるジョージとアランの演劇コンビなど、モリーとエイミーの高校の多士済々ぶりが際立つ。目的のニックの叔母宅にたどり着けない二人が、SNSの画像からあれこれと推理していくのは『 Search サーチ 』的で楽しいし、配車サービスだけではなく、図々しくもピザのデリバリー車に便乗しようとするところも微笑ましい(良い子は真似をしないように)。

 

なんとか目的地にたどり着いた二人。場慣れしていないため舞い上がってしまうが、なんとか上手く馴染めそう。それぞれが意中の相手にアプローチしていく様子には、こちらも素直に応援をしたいという気持ちにさせられる。だが好事魔多し・・・

 

主役の一人のビーニー・フェルドスタイン、どこかで観た顔だと思ったら『 レディ・バード 』のシアーシャ・ローナンの親友か。さらにリサーチをしたら(つまり英語Wikipedia記事を読んだ)、なんとジョナ・ヒルの妹。確かに顔はそっくりだ。

 

様々な高校生の青春模様をわずか一日半に凝縮してしまったのはお見事。終盤の展開をどうまとめるかという難題にも、キャラの特長とフェアな伏線と見事に対処。恋と友情は別もの。だからこそ大ゲンカもできるし仲直りもできる。世界は大きく広がるけれど、それで二人の距離まで広がってしまうわけではない。近年の青春映画としては突出した面白さを誇る快作である。

 

ネガティブ・サイド

字幕にローザ・パークスが出てこないのは何故だ?ルールを破った偉人としていの一番に言及されているのに。同性愛者同士の語らいやまぐわい、黒人美女の担任に言い寄るメキシコ系の生徒まで描写されているのに、ローザ・パークス(『 ハリエット 』のハリエット・タブマンと並んで、20ドル札の文字通りの顔となる候補者だった)が字幕に出てこないというのは翻訳担当者あるい配給会社の字幕校正・編集担当の不始末だと指摘しておきたい。

 

ポルノ大音量事件は大いに笑ったが、Bluetoothでクルマ側からスマホに接続するにはペアリングが必要なはず。劇中のようにスイッチを押した瞬間に同期完了というのはありえない。笑いの瞬間最大風速を狙ったが故の単純ミスだろう。

 

劇中でほとんど時計が出てこないのは賢明だと感じたが、いったいこの卒業前夜の夜の長さはどうなっているのか。ロサンゼルスの6月の日没は20:00頃。モリーがエイミー両親に「エイミーは私の家に泊まる」と言って連れ出した時には外はすでに真っ暗。パーティー会場入りは一体何時だったのだろうか?劇中の時間の経過を推測するに23:00過ぎ?パーティー会場入りまでがドタバタしすぎではなかったか。

 

総評

『 スウィート17モンスター 』と並んで、日本の中学高校生あたりに是非とも観てほしい作品である。エイミーとモリーは当たり前のようにスマホユーザーであるが、二人の会話は徹頭徹尾、対面の口頭である。もちろん世界的パンデミックで#StayHomeが推奨されているが、それでも本作は夏休みの内に劇場で観賞してほしいと思う。多くの児童、生徒、学生が「自分たちの学校生活って何なんだろう?」という疑問を抱いてるに違いないが、その疑問に対する一つの答え(必ずしも模範的な回答ではないが)が本作にはある。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What’s shaking?

校長先生がエイミーとモリーに出会った瞬間にかけた言葉。“What’s up?”や“What’s going on?”と同じで、「よう」や「調子どう?」という意味である。かなりカジュアルな表現なので、友人相手だけに使うこと。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ケイトリン・デバー, ビーニー・フェルドスタイン, 監督:オリヴィア・ワイルド, 配給会社:ロングライド, 青春Leave a Comment on 『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』 -学生、観るべし-

『 海辺の映画館 キネマの玉手箱 』 -観客、傍観者になることなかれ-

Posted on 2020年8月19日2021年1月22日 by cool-jupiter

海辺の映画館 キネマの玉手箱 70点
2020年8月18日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:厚木拓郎 細山田隆人 細田善彦 吉田玲
監督:大林宣彦

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大林監督と言えば、赤川次郎の小説の映画化、そして『 ねらわれた学園 』(てやんでい、という表現は本作で初めて触れた気がする)や『 時をかける少女 』などの青春タイムトラベル小説の映画化というイメージ。惜しくも遺作になってしまった本作にも、やはりタイムトラベル要素が組み込まれている。R.I.P to Nobuhiko Ōbayashi.

 

あらすじ

広島県尾道市の海辺の映画館「瀬戸内キネマ」が閉館にあたって、日本の戦争映画をオールナイト上映することになった。それを観に来ていた毬男(厚木拓郎)、鳳介(細山田隆人)、茂(細田善彦)は、突如劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、銀幕の世界へと入り込んでしまい・・・

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ポジティブ・サイド

物語世界に入ってしまう作品というのは、外国産だと『 はてしない物語 』や『 ジュマンジ 』、やや古いところでは『 ラスト・アクション・ヒーロー 』などが思い浮かぶ。邦画では『 今夜、ロマンス劇場で 』のように銀幕から出てくる系はあっても、逆は少ない。その意味では本作には希少価値がある。玉手箱とは、一種のタイムマシーンの謂いであろう。

 

全編戦争映画で、太平洋戦争だけではなく戊辰戦争や日中戦争までもが描かれている。これだけでも大林宣彦監督が、司馬遼太郎的な中途半端に自身に都合の良い歴史観を持っていないことが分かる。日本の歴史において明治や大正が最高で、昭和中期だけが歴史の鬼子なのだという司馬史観は、小説家の空想ではあっても、確固たる世界観や歴史観としては成立しない。「歴史はどこを見ても常に戦争前夜である」と言ったのはE・H・カーだったっけか。戦争などというものは、その悲惨さを知らなければ回避しようと努力などできないと思う。

 

本作は、厚木拓郎演じる毬男が吉田玲演じる希子を様々な時代で過酷な境遇や戦禍から救い出そうと奮闘する様を軸に進んでいく。異なる映画、すなわち異なる時代の異なる場所、異なる人物として巡り合う希子たちを三馬鹿が救い出そうと必死に頑張る姿は、大林流の独特かつ前衛的なタッチの映像により、とてもコミカルに見える。だが、それこそが監督の意図する仕掛けである。笑いは、自分と対象との距離が一定以上にある時に生まれる(コメディアンと自分がそっくりだったら笑えないだろう)。つまり、毬男たちの姿を笑うことで歴史上の戦争と現代の観客の距離感が演出されているわけだ。しかし、時にユーモラスなそのタッチも時代を経るごとに、つまり太平洋戦争に近付くほどにダークでシリアスなトーンを増してくる。監督の故郷である広島に原爆が落とされる前夜に至っては、絶望的なムードさえ漂う。せっかく何とか脱出させることができたと思った希子も、結局は広島に帰ってきてしまうのだ。この歴史の距離感がどんどんと近くなってくるにつれて、笑えなくなってくる感覚。時間を巡る不思議な物語の描き方の点で『 弥生、三月 君を愛した30年 』の3.11に通じるものがある。だが、地震は天災でも原爆は人災である。避けられたはずなのに避けられなかった。そこで生きて、そこで死んだ人たちがいた。その人たちの生死に何らかの形で自分が時を超えて関わることができたという、この不思議な映画体験こそが大林監督が次世代に伝えたい、残したいものなのだろう。

 

幸いにも日本は平和ボケと言われて久しい。それはなんだかんだで戦争、そして悲惨すぎる敗北を知っている世代が政治の世界に長老として存在していたからだ。今の政治家を見よ。自分の頭では何も考えられない甘やかされたボンボンだらけである。こういう連中は人の痛みに鈍感なので、権力を握ると弱い者いじめに走る。消費税増税が好例だ。大林監督のメッセージは単純である。傍観者になるな。テレビでもPCのモニターでもいい。その先にある世界(政治や経済や娯楽や文化や芸術)を想像せよ、体感せよ、そして行動せよということだ。

 

ネガティブ・サイド

3時間の作品だが、2時間40分程度に仕上げられなかったのかな。この酷暑の折、映画館に出向くまでに結構な量の汗をかいてしまい、どうしても鑑賞中に水分補給が必須になる。現に途中、何人もトイレ休憩に立ったし、中にはそのまま戻ってこない観客もいた(これは大林作品以外でも時折見られる現象ではあるが)。途中にギャグのようなIntermissionを挿入しているが、本当にそこで5分程度のIntermissionをとっても良かったように思う。夏の映画館で2時間30分超は膀胱的にはかなりしんどい。

 

文字をスクリーンにスーパーインポーズさせるのは別に良いのだが、その背景色が最初から最後までカラフルだったのは、個人的にはあまりピンとこなかった。『 オズの魔法使 』のように、モノトーンの映画はモノトーン、近代以降はカラー、というように区別してもよかったのではないか。

 

以下、かなりどうでもよいこと。和姦と強姦の両方が描かれるが、PGレーティングはどうなっているのだろうか。特に沖縄戦時の笹野高史演じる軍人が山崎絋菜を犯すシーンはアウトだろうと思う。そして、成海璃子は『 無伴奏 』の時と同じく、乳首は完全防備。なんだかなあ・・・

 

総評

年に数回しか映画に行かないという人々には、なかなかお勧めしづらい。けれども、宮崎駿が正真正銘の引退作に『 君たちはどう生きるか 』というメッセージを発しようとしているのと同様、戦争を知っている世代からのメッセージには耳を傾けるべきと思う。映画ファンであれば、大林監督の反戦への思いと次世代への希望を体感してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

troupe

桜隊=The Sakura Troupeの「隊」である。発音は troop と同じ。語源も同じとされる。『 スター・ウォーズ 』のストーム・トゥルーパーや珍作かつ傑作『 スターシップ・トゥルーパーズ 』はtroopにerがついたものである。Troupeの意味としては、『 ロケットマン 』でもフィーチャーされた名曲“Your Song”の歌詞にある、a travelling showであると理解しよう。この語を普通に知っていれば英検準1級以上の語彙力である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ファンタジー, 厚木拓郎, 吉田玲, 日本, 歴史, 監督:大林宣彦, 細山田隆人, 細田善彦, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 海辺の映画館 キネマの玉手箱 』 -観客、傍観者になることなかれ-

『 オズ はじまりの戦い 』 -及第点の前日譚-

Posted on 2020年8月17日2020年8月17日 by cool-jupiter

オズ はじまりの戦い 60点
2020年8月15日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジェームズ・フランコ ミラ・クニス レイチェル・ワイズ ミシェル・ウィリアムズ
監督:サム・ライミ

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『 オズの魔法使 』の前日譚。オズがいかにして大魔法使いとして、エメラルド・シティーに君臨するようになったのかを描いている。色々と不満な点もあるが、前日譚としては及第点である。

 

あらすじ

「偉大なる男」になることを夢見るカンザスの手品師オズ(ジェームズ・フランコ)は、気球事竜巻に飛ばされてオズの国へとたどり着く。そこではオズという名の魔法使いの到来が予言されていた。大魔法使いだと勘違いされたオズは、東の魔女エヴァノラ(ミラ・クニス)に、邪悪な魔女を倒してほしいと頼まれてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

あちらこちらに『 オズの魔法使 』へのオマージュが見られる。カンザスはモノトーン、オズの国はカラーというのもそうであるし、カンザスにいる人物、たとえばオズの助手の男性が、オズでは従者の猿になり、車イスの少女が、脚の壊れた陶器の少女になるところもそうだ。ブリキ男やかかし、ライオンにもつながる伏線もある。サム・ライミ監督によるこうしたリスペクト溢れる演出を歓迎したい。

 

ジェームズ・フランコは『 スプリング・ブレイカーズ 』でも感じたことだが、ダメ男や詐欺師を演じることで本領を発揮できるのではないか。はっきり言って序盤から中盤にかけてのオズは全くいけ好かない男なのであるが、それが徐々に変わっていき、なおかつダメさ加減も適度に残す終盤のオズは、なかなか演じられる役者はいないだろう。

 

ミラ・クニスも西の魔女を怪演。口角の上げ下げや眉間にしわをキープする顔面の演技がマーガレット・ハミルトンへのリスペクトであることは明らか。細長い顔のハミルトンと丸っこい顔をクニスでは、そもそもミスキャストだったのではないかと思うが、それを乗り越える熱演を見せる。あのキンキン響く笑い声にも、ノスタルジアを感じた。

 

終盤のオズと西の悪い魔女セオドラとの対決シーンは一大スペクタクルである。オリジナル作品へのリスペクトと、20世紀初頭という時代背景、そして映画という媒体のすべてを一つにまとめた圧巻のクライマックスである。江戸川乱歩が『 魔人ゴング 』で描いた空中に浮かぶ巨大な顔と笑い声というのは、きっとこういうものなのだろう。大乱歩は英語にも堪能だったので、原作の児童文学を読んで、魔人ゴングを構想したのではないかとすら思えた。この巨大な映像と音響に圧倒される魔女や民衆の姿は、そのまま映画という技術に圧倒的な感動を覚えた20世紀前半の人類の姿であり、映画ファンの原型=archetypeなのではあるまいか。

 

全編通じて『 オズの魔法使 』へのオマージュとリスペクトが溢れる作品である。

 

ネガティブ・サイド

細かい部分の粗が目立つ作品である。竜巻の中で気球のゴンドラには鋭利な破片が次々と突き刺さる。だが、オズの国の川に不時着したゴンドラには水が一切浸水しない。また、川の妖精にしこたま噛みつかれたオズのズボンに、ほつれ一つないのは何故なのか。CG処理による弊害が如実に出ている。

 

そのCGの濫用が随所で目立つ。グリンダのシャボン玉はまだ許せる。だが、遠景ならともかく、1~2メートル先の背景すらCGで描いてしまうのはどうなのか。オズの国が実在するのか、それともすべてはドロシーが頭を打った拍子に見た夢なのか。これは今でも議論になるところである。Jovianは夢派であるが、だからといってオズの国の実在は否定しない。エジプトに行ったことがない人間でも、伝聞を基にエジプトの夢を見ることは可能だからだ。本作はオズの国を実在するものとして描いている。であるならば、もっとオーガニックに、オズの国をあれやこれやを実際に手で触れることができるものとして描いて欲しかった。『 シンデレラ 』や『 美女と野獣 』と違い、カンザスやオズという固有名詞で土地を描くからには、その土地の実在性や迫真性をしっかりと担保せねばならないと思う。そして、その手段はCGであるべきではない。クライマックスこそ、ある意味ではCGの先駆的な表現形態であり、そこに至るまでにふんだんにCGを使ってしまうのは逆効果であると感じる。

 

総評

ミュージカルの『 ウィキッド 』とは一味違う解釈で西の悪い魔女の誕生を描いている点が、賛否の分かれるところかもしれない。だが、本作の解釈と描写もそれなりに納得ができるものであるし、終盤のカタルシスも悪くない。レンタルや配信で視聴する前に『 オズの魔法使 』の事前・復習鑑賞は忘れずに。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

(all) rolled into one

センテンスの最後にくっつけて、「すべてが一つにまとまった物/人である」という意味になる。使い方は以下のようになる。

 

He is a lawyer and an entrepreneur rolled into one.

彼は弁護士かつ起業家でもある人物だ。

 

She is a singer, a composer and an actress all rolled into one.

彼女は歌手、作曲家、そして女優をも兼ね備えた人物だ。

 

Learning a foreign language is a pastime, an education, an investment, and an adventure all rolled into one.

外国語を学ぶことは、気晴らし、教育、投資、冒険のすべてが一つになったことである。

 

列挙する事柄が3つ以上になったら、allをつけるようにしよう。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ジェームズ・フランコ, ファンタジー, ミシェル・ウィリアムズ, ミラ・クニス, レイチェル・ワイズ, 監督:サム・ライミ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 オズ はじまりの戦い 』 -及第点の前日譚-

『 ファヒム パリが見た奇跡 』 -日本のありうべき未来が見える-

Posted on 2020年8月16日 by cool-jupiter
『 ファヒム パリが見た奇跡 』 -日本のありうべき未来が見える-

ファヒム パリが見た奇跡 75点
2020年8月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アサド・アーメッド ジェラール・ドパルデュー
監督:ピエール=フランソワ・マンタン=ラバル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200816132211j:plain
 

Jovianはチェスの基本的なルールしか知らない。指したことは3~4回だけである。チェスの映画は『 完全なるチェックメイト 』ぐらいしか観ていないし、それに関連して『 完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯 』を読んだぐらいである。フィッシャー=小池重明以上の人格破綻者、と言えば、そこそこディープな将棋ファンには伝わるだろう。それぐらいのチェスの世界の知識でも本作は楽しめるし、むしろチェスの知識がない方が人間ドラマに集中できるかもしれない。

 

あらすじ

ファヒム(アサド・アーメッド)はバングラデシュの天才チェス少年。チェスのグランドマスターに会うという名目で、父に連れられてフランスのパリにやってきた。ファヒムはチェスのクラブに通い、チェスを学び、フランス語を覚え、同世代の子らと友情を育み、シルヴァン(ジェラール・ドパルデュー)とも奇妙な師弟関係を結んでいく。しかし、ファヒムの父の不法滞在が明らかになり、国外退去が時間の問題となってしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200816132232j:plain
 

ポジティブ・サイド

ファヒムを演じたアサド・アーメッドの演技力に鳥肌が立った。『 存在のない子供たち 』の主人公ゼインや『 アジョシ 』のキム・セロンに並ぶ存在感。緊迫した政治状況にあるバングラデシュで屈託なく生きる子どもが、母との別離、外国での暮らし、友情、師弟関係、親子関係、そしてチェスを通じて成長していく様には純粋に胸を打たれた。印象的だったのは、チェスの対局時に一手指すごとに相手を射抜くような目を見せること。将棋の対局では盤上から視線をそらさない者と対戦相手に視線を向ける者の両方がいるが、チェスのでも同様らしい。その目に宿る力強さには名状しがたいものがあった。目は口程に物を言うものである。

 

ファヒムを取り巻く同世代のチェス仲間たちも良い味を出している。特にファヒムにフランス語のスラングを教え込む男の子には、『 IT イット “それ”が見えたら、終わり。 』のリッチー・トージアと共通するものを感じた。下品なスラングを教える/教わるというのは、友情を育む一つの有効な方法である。Jovianも大学の寮で“Hold on a minute, playa.”だとか“Sup, pimp?”などの、今では絶対に使えないようなアレやコレな表現を教えてもらったことを懐かしく思い出した。また、ファヒムが難民センターの子らと意思疎通をしていくシーンでは、ジェスチャーの有効性と文脈理解の重要性の両方が示されている。外国語学習者は、言葉だけではなくもっと“コミュニケーション方法”を学ぶべきだとの自説の意を強くした次第である。

 

Back on track. 本作はファヒムの文学的な意味での「父殺し」の物語でもある。チェスや将棋というのは、だいたい子どもは父親から教わるものだろう。そして、最初はどうやったって経験者には敵わない。だが、長じるにつれて上達し、子どもはだいたい父親を負かすものだ。本作でもファヒムは実の父親をチェスで負かし、そして精神的な父親であるジェラールのトラウマを、彼の代理として打ち消す。単純にチェスの勝ち負けだけでその過程が描かれるのではなく、ファヒムの内面の葛藤や対戦相手との関係、そしてジェラール自身の過去が投影されていることが、本作のクライマックスを大いに盛り上げている。

 

ネガティブ・サイド 

ファヒムの父親の描き方が少々乱暴であるように感じた。バングラデシュでは消防士という非常に堅い仕事に就きながら、フランスではまったくの愚鈍な足手まといになってしまっていた。それは別に構わない。ただ、文化や風俗習慣の違いを素直に受け入れられないのは良いとしても、なにか見せ場の一つや二つは用意できなかったか。たとえば難民センターの消火器の置き場所をもっと適切なところに変更するとか、プロフェッショナルでありながらもその能力を発揮する場や時がない、という描き方もできたはず。そうしたシーンがないため、この父親が善人ではあるが無能であるというふうに映ってしまう。移民が無能なのではなく、環境がそうさせるのだというメッセージを発するべきだったのではないだろうか。

 

難民センターで知り合ったサッカー少年たちのその後はどうなったのだろう。ファヒム親子の土壇場の大逆転劇は確かに感動的であるが、ひとつ間違えれば「フランスは才能ある移民だけしか歓迎しない」というメッセージにもなりうる。今日、政情が不安定という国の多くは、その原因が現在の国連常任理事国のかつての帝国主義的政策に端を発するのだから、フランスは責任ある国家として世界の融和を目指すという立場を表明すべきだったと感じる。

 

総評

色々とフランス社会の描かれ方に不満もあるが、本作は紛れもない良作である。こういうドラマを見せられると、ボビー・フィッシャーを拘留したのは職務に忠実だったと言えるが、精神的に相当ダメージを与えるような処遇をしたとされる日本の出入国管理局について、あらためて考えさせられる。本作はフランス映画として観るよりも、明日の日本社会を描いた作品として観るべきである。『 ルース・エドガー 』のレビューでも述べたが、日本にもファヒムのような天才児が出現または到来する、あるいは将棋界に藤井聡太並みの外国人棋士が生まれても全く不思議はないのである。そうした一種の未来シミュレーションとして本作を鑑賞することも可能である。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

parfait

英語で言えば“Perfect”、日本語で言えば「完璧」である。ただ、日本語でもそうだが、完璧でなくてもバンバン使う表現である。カナダ人が好んで使う表現だという印象を持っている。実際にカナダに旅行に行った時、どこのウェイターもウェイトレスも、注文を言い終わると“Perfect!”を連発していた。フランス旅行の際に、ホテルやレストランの従業員に一声かける時に使えるかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アサド・アーメッド, ジェラール・ドパルデュー, ヒューマンドラマ, フランス, 伝記, 監督:ピエール=フランソワ・マンタン=ラバル, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ファヒム パリが見た奇跡 』 -日本のありうべき未来が見える-

『 ディック・ロングはなぜ死んだのか 』 -ジャンル不特定の尻すぼみ作品-

Posted on 2020年8月15日2021年1月22日 by cool-jupiter

ディック・ロングはなぜ死んだのか 40点
2020年8月13日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:マイケル・アボット・Jr. バージニア・ニューコム アンドレ・ハイランド
監督:ダニエル・シャイナート

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“A24 presents”と聞くだけで食指が動く、という映画ファンは一定数いるだろう。Jovianもその一人。だが、正直なところ、本作はハズレである。監督のダニエル・シャイナートは『 スイス・アーミー・マン 』ではダニエル・クワンと組んでいたことが奏功していたが、ソロでは作劇のバランスを保つことに苦労するタイプなのだろうか。

 

あらすじ

ジーク(マイケル・アボット・Jr.)とアール(アンドレ・ハイランド)とディック(ダニエル・シャイナート)は、夜な夜なバカ騒ぎしていた。しかし、ある時、ディックがアクシデントにより重傷を負った。ジークとアールはディックを病院前に置いていく。発見されたディックは、しかし、治療の甲斐なく死亡。なぜディックは死んだのか?ジークとアールは、ディックの死因をひた隠しにするが・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングのクレジットシーンから笑わせてくれる。マリファナを吸ってハイになったアホな男どもが、愚かな乱痴気騒ぎに興じるのだが、この時の花火のシーンをよくよく脳裏に刻まれたい。意味のないショットではなく、実は深い意味が込められたショットだからだ。

 

また主人公のジークとその娘の間の細かなやりとりについても目と耳をフル活用して、注意を払ってほしい。ディック・ロングの死の真相についてのヒントがそこにある。

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ネガティブ・サイド

トレイラーからは本作のジャンルはコメディであるとの印象を受けたが、実際はそうではなかった。実際はサスペンス風味が強めなミステリで、かつ少々シリアスなヒューマンドラマだった。それ自体は構わない。ジャンルが特定されない、あるいは劇中で次々にジャンルを変えていく映画というのはたくさん存在する。問題はどのジャンルに分類しても、本作はたいして面白くないということだ。

 

コメディ要素は無きに等しい。ディックの死につながる様々な証拠を隠滅しようとジークとアールは奔走するが、そこにスラップスティックさが感じられない。最後の最後に、アホとしか言いようがない行動に出るのだが、そこに至るまでの罪証隠滅の流れに一切笑えるところがないので、最大の見せ場で笑っていいのか、呆れていいのかが分からなくなるのである。

 

サスペンスもイマイチだ。手柄を立てようと意気込む若手と、老成して、どこか達観した感のある女性保安官のコンビがジークとアールの包囲網をじわじわと縮めていくが、そのことがサスペンスを生み出さない。口裏を合わせたり、物事の辻褄を合わせていても、蟻の一穴天下の破れとなる。問題は、いつ、どこで、どのように論理が破綻するかなのだが、そのシーンにもハラハラドキドキがない。ジークの挙動不審が笑えないレベルに達しているからだ。論理の欠陥を突くのは、相手が自信満々の時でないと面白さが半減する。

 

ミステリ、つまりディックの死の真相も盛り上がらない。レイ・ラッセルの小説『 インキュバス 』のような驚きの真相を期待してはいけない。いや、もっと言えば、これは『 モルグ街の殺人 』の変化球ではないか。または漫画『 ゴールデンカムイ 』の、とあるエピソードを思い浮かべてもよい。細かな伏線から、薄々そうだろうなとは感じていたが、やはりそうだった。意外と言えば意外だが、予想通りと言えば予想通りである。男が女房にひた隠しにしようとすることはなにか。そのあたりを考えてみれば、本作はそれなりに面白い。ただし、真相に関する驚きは確実に減じるだろう。

 

総評

極力、トレイラーを観ずに本編を鑑賞することをお勧めする。また、一部の映画情報系サイトやレビューサイトのあらすじ(殺人犯の存在が小さな田舎町を恐怖と混乱のるつぼに変えて・・・)は間違っている。そんな描写は一切存在しない。これはファミリードラマ、それも夫婦のドラマとして観るのが、おそらく最も正しい。That’s how you do this film justice. それでもストーリーのあちらこちらにノイズが混じっているように感じられるだろう。デートムービーには絶対に向かない。年季の入った夫婦以外はカップルで鑑賞する作品ではない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The shit hits the fan

劇中では“The S has hit the fan”とshitが頭文字だけで表現されていた。直訳すれば、「糞が扇風機にぶつかる」である。結果として、糞が飛び散るわけで、意味は「収集困難な事態になる」である。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』でも、アル・パチーノが

“When the shit hits fan, some guys run and some guys stay.”

大変な事態になった時、逃げる奴もいれば、その場にとどまる奴もいる

と、長広舌を振るってチャーリーを弁護していた。勤め先やクライアント先でまずい状況が発生したら、“The shit has hit the fan …”と心の中でつぶやこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, アンドレ・ハイランド, バージニア・ニューコム, ブラック・コメディ, マイケル・アボット・Jr., 監督:ダニエル・シャイナート, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ディック・ロングはなぜ死んだのか 』 -ジャンル不特定の尻すぼみ作品-

『 はちどり 』 -小さな鳥も大きく羽ばたく-

Posted on 2020年8月10日2021年2月23日 by cool-jupiter

はちどり 80点
2020年8月8日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:パク・ジフ キム・セビョク
監督:キム・ボラ

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映画貧乏日記のcinemaking氏が激賞していた作品。キム・ボラ監督の長編デビュー作品。韓国の監督というのは往々にして自分で脚本も書くが、いつの間にか小説や漫画の映像化に汲汲茫々とするばかりとなった邦画の世界も、もっと見習ってほしい。

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あらすじ

14歳のウニ(パク・ジフ)は集合団地で暮らしている。父や兄は抑圧的で母や姉も自分にはあまり構ってくれない。そして学校でも、それほど友人に恵まれているわけでもないし、教師も非常に強権的。けれども、ウニは別の学校の友だちやボーイフレンドと、それなりに楽しい日々を過ごしていた。そして、通っている漢文塾でミステリアスな女性教師ヨンジ(キム・セビョク)と出会って・・・

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ポジティブ・サイド 

『 サニー 永遠の仲間たち 』の描いていた暗い世相を反映した1980年代を抜けて、『 国家が破産する日 』のプロローグで映し出されていた1990年代の高度経済成長時代のただ中の韓国の物語である。大きく成長してく国家や社会に、思春期という肉体的にも精神的にも大きく変わっていく時期の少女が重ね合わせられている・・・わけではない。逆に、そのような世界の大きなうねりに乗り出す前、家族や家、学校といった小さな環境の中で必死に羽ばたこうとするはちどりの姿がそこにある。

 

当然そのはちどりとは、主人公のウニである。冒頭のシーンからふるっている。買い物から帰ったウニが団地の902号室の呼び鈴を鳴らすが、誰も反応しない。不安になったウニが何度も何度も呼び鈴を鳴らすが、それでも在宅しているはずの母は一切反応しない。ヒステリックに叫ぶウニ。だが、次の瞬間、ウニは階段を上る。そして1002号室の呼び鈴を鳴らす。即座に母が出てきて「もっと良いネギはなかったの?」と言う。集合団地というどこもかしこも同じに見える環境に暮らすごく普通の少女が、そのうちに激情を秘めているという象徴的なオープニングである。

 

ウニは極めて抑圧的な環境で生きている。父に怒鳴られ、兄に殴られ、母にはあまり構ってもらえず、姉とは没交渉である。ウニの数少ない心の安定剤であるボーイフレンドとの仲は、しかし、かなり順調で、楽しくない学校生活のさなかにも、彼からの「愛してる」というポケベルのメッセージに心を弾ませる。学校は違うが塾は一緒という友人もいる。共犯者的な存在と言ってもいい。このような一方では充実したウニの世界も、次から次へと破綻していき、それがどうしようもなく観る側の心を揺さぶる。印象的だったのはウニの親友の少女。ある日、白いマスクを着用してきたのを見て、ウニも我々も「あれ?」と思う。もちろん風邪ではない。風邪なら塾を休めばよい。つまり、家にいられず、しかしマスクをつけなくてはならない事態があったということだ。ここで我々はキム・ボラ監督に想像力を試されていると言っていい。痛々しい真相が明かされるシーンは、遠景からのショットでありながら、ウニと親友の二人だけの会話を静かに映し出すというもの。世界はそこに存在するが、ウニたちだけの世界もまた、そこに存在するのだと感じられる不思議な余韻のあるシーンだった。そうか、はちどりはウニだけではなかったのか、とも感じられた。

 

大きな転機となるヨンジ先生との出会いも印象的だ。特に禅語の「相識満天下 知心能幾人」に、Jovianも唸らされた。そうか、世界とは森羅万象、そこにあるもの、目に入るものだけではないのか。人間関係とは往々にして相貌を認識できるだけの関係に留まるものなのか、と不惑にして考えさせられた。ウニが自分の世界の小ささと、そこから先に広がる大きな世界、さらにその世界で生きることの難しさと尊さの両方を感得するシーンであり、人生の師に巡り合うシーンでもあった。

 

それにしてもヨンジ先生を演じたキム・セビョク、最初に見た感じでは『 テルマエ・ロマエ 』で言うところの平たい顔族の女性代表かな、みたいな失礼な印象を抱いていたが、物語が進むにつれ、どんどんと魅力的な顔立ちに思えてくるから不思議なものである。特に、彼女が一曲アカペラで歌うシーン(と書くと、酒場でマッコリでも飲んで上機嫌で歌うように思えるかもしれないが、そうではない)では、その切々とした歌唱と凛とした表情、そして歌詞の伝える意味が、ウニの心に、そして観る側である我々の心にもストンと入ってきた。「トボトボ歩く」ことが、これほどリアルな哀切の情を表すとは。キム・ボラ監督の演出力にしてキム・セビョクの演技力の為せる業か。

 

思春期、そして青春の入り口を描きながらも本作は血と死の予感も漂わせている。ゾッとさせられたのは、ウニの呼び声に反応しない母親。鼓膜が一時的に破れていたのだろうか。その相手は夫なのか。壊れるべきに思える夫婦関係だが、そこでくっついたり離れたりを繰り返してきたのか。まるでウニの青春、ウニの人間関係のようではないか。ウニの叔父さんの決して語られることのない story arc やウニの担任の語る「一日一日、死に近づいていくのだ」という台詞。兄からの暴力。親友の受ける、それ以上の暴力。そして、終盤の悲劇。様々な事象が絡まり合い、ウニだけではなくウニの父やウニの兄も涙を流す。不器用な男たちが心の鎧を脱ぎ捨てる瞬間で、ウニはその時、父や兄の心の一端を知る。知心可二人というわけだ。はちどりは、その小さな姿からは想像をできないほどの超長距離を移動する渡り鳥である。英語のタイトルは“House of Hummingbird”。はちどりの大いなる旅立ちを予感させつつ、帰るべき場所をしっかりと示すエンディングは、多くの人の心に静かな、しかしとても力強いさざ波を立てることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ほとんどないのだが二点だけ。

 

一つは、ある重要人物の母親が嗚咽するシーン。ウニが親友ジスクと語らうシーンで「私が死んだら、あの人たち泣くかな?」に対する答えがそこにあった。この母親の泣きのシーンをもっと長く、もっと深くカメラに収めるべき=ウニに体感させるではなかったか。

 

もう一つは、エンディングそのもの。『 スリー・ビルボード 』と同じで、あと30秒欲しかったと思う。

 

総評

ポン・ジュノ監督がアカデミー賞監督賞を授与された時に、マーティン・スコセッシの“The most personal is the most creative”=「最も個人的な事柄が最も創造的な事柄である」という格言を引用したことが話題になった。キム・ボラ監督は、まさに自身の最もパーソナルな少女時代の経験を基にこの物語を創造したのだろう。極めて個人的な心象風景であるが、それはあらゆる少年少女、そしてかつて少年少女だった大人の心にも激しく突き刺さるという、非常にストレートなビルドゥングスロマンの傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チング

『 友へ チング 』という作品もある通り、友、友人、親友の意味。調べてみると同級生や同い年にのみ使うらしい。長幼の序を重んじる韓国らしい表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, キム・セビョク, パク・ジフ, ヒューマンドラマ, 監督:キム・ボラ, 配給会社:アニモプロデュース, 青春, 韓国Leave a Comment on 『 はちどり 』 -小さな鳥も大きく羽ばたく-

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