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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2000年代

『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 』 -庵野秀明のトラウマ克服物語-

Posted on 2021年3月21日 by cool-jupiter

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 70点
2021年3月20日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 坂本真綾
監督:摩砂雪 鶴巻和哉
総監督:庵野秀明

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210321233829j:plain
 

テレビ版も並行して鑑賞しているが、エヴァンゲリオンというのはつくづく庵野秀明の自意識の世界なのだなと感じる。自分の内面を表現したい。しかしストレートにそれをやるのは気恥ずかしい。だからこそ色々な理屈で糊塗しているのかなと邪推してみたくなる。まあ、似たようなことは手塚治虫も『 火の鳥 』シリーズの猿田や『 ネオ・ファウスト 』でやっているわけで、傑出したクリエイターにはよくあることなのかもしれない。

 

あらすじ

シンジ(緒方恵美)や綾波(林原めぐみ)、アスカ(宮村優子)は使徒との戦いを継続していた。そこに新たなチルドレンとして真希波・マリ・イラストリアス(坂本真綾)もエヴァのパイロットとして加わってくる。戦いが激化していく中、最強の使徒が迫ってきており・・・

 

ポジティブ・サイド

テレビアニメ版では画質はともかく、カラフルな色使いとダイナミックなモーションが大きな特徴だった。それらがさらにパワーアップしている。特にサハクィエルの大気圏突入からの落下と、それを食い止めるエヴァ3体の共闘は本作のみならず、ヤシマ作戦と並んで、テレビアニメ版・劇場版の両方で最も印象深いシーンだ。そして、サハクィエル戦あたりからガラリと物語の様相が変わってくる。まさに「破」である。

 

ポジティブに捉えられる変化は、シンジ、レイ、アスカの物語の密度が高まったこと。フォース・チルドレンとしての鈴原トウジをアスカに置き換えたのがその最たる例だろう。三号機関連のエピソードによって、惣流と式波の二人のアスカは文字通りの意味で別物であると認識させられた。というか、「今日の日はさようなら」の使い方、ヤバすぎやろ・・・

 

エヴァンゲリオンの魅力に、パッと見では意味が分からない、考察してもやっぱり意味が分からない、というものがある。本作で一番の「破」となっているのはゼルエル戦の結末。セカンド・インパクトの謎の解明もなされぬまま、サードインパクトに突入するという超絶展開と渚カヲル登場というクリフハンガー。しかし、これが「Q」にダイレクトにつながっていない(“日の七日間”をどう見るかなのだろうが)のだから、クリフハンガーと呼べるのかどうか。いずれにせよ、最高の形で引いたことは間違いない。テレビアニメ版の、あのモヤモヤ感が蘇ってきたのは、心地よい混乱である。

 

ネガティブ・サイド

オリジナルではアスカが徐々に自身を喪失し、内面を蝕まれていく様を執拗に描写していたが、劇場版ではそこをカット。やっぱりアレか。庵野の欲望の対象が宮村から離れていったということなのか。あるいは宮村との間のあれやこれやが綺麗な思い出に昇華したか、あるいは都合よく忘却することに成功したのか。ただ、90年代のエヴァファンの多くは、シンジやアスカの内面世界の葛藤に激しく共感したことを忘れてほしくない。この部分を大きくカットしたのは、ファンサービスの面ではマイナス評価となる。

 

総評

過去作品を色々と観返すことで、なんとなく『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』で庵野が表現したかったこと、あるいは表現できるようになったことが分かってきたような気がする。

 

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

replaceable

replace = 置き換える。replaceable = 置換可能。綾波の名(迷?)セリフ、「私が死んでも代わりはいるもの」=Even if I die, I am replaceable. となるだろうか。replaceは使用範囲が極めて広いので、中級者以上なら是非とも使いこなせるようになりたい語である。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2000年代, B Rank, アニメ, 坂本真綾, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:摩砂雪, 監督:鶴巻和哉, 総監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 』 -庵野秀明のトラウマ克服物語-

『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 』 -やや詰め込み過ぎか-

Posted on 2021年3月20日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210320110130j:plainヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 70点
2021年3月15日 レンタルDVDおよびAmazon Prime Videoにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ
監督:摩砂雪 鶴巻和哉
総監督:庵野秀明

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||  』を再鑑賞する前に、過去作を復習しておくべきと思い、DVDをレンタルしたが、その後にアマプラで無料鑑賞できることにも気が付いた。まあ、近所のTSUTAYAの延命につながれば幸いである。

あらすじ

南極で大災厄セカンド・インパクトが起き、地球人口が半減した15年後の世界。14歳の少年・碇シンジ(緒方恵美)は、3年ぶりに再会した父ゲンドウが司令官を務める特務機関NERVに呼び出され、エヴァンゲリオンという兵器型人造人間に搭乗し、使徒と戦うように命じられる。拒否するシンジだが、傷ついた少女・綾波レイ(林原めぐみ)が代わりに搭乗しようとしたことから、「逃げちゃダメだ」と自分に言い聞かせ、エヴァンゲリオンに搭乗する・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210320105936j:plain

ポジティブ・サイド 

いきなり発令されている特別非常事態宣言に、初っ端から登場するサキエルとの戦闘シーンを観て、「 まんまコロナ禍の日本かつ『 シン・ゴジラ 』やな 」と思えた。いきなり巨大な怪物や道の生物が襲来してくるのは、SFやファンタジーの世界ではよくあることだが、世界の成り立ちがどうなっているのかを全く描写することなく、いきなり観る側を物語世界に取り込んでしまうのは、アニメ放映時の1995年には新鮮だった。そういえば、当時は五島勉やら川尻徹のトンデモ本(ノストラダムスの大予言=人類滅亡)が、結構読まれていた時代だったなあ、と懐かしくも感じた。なんだかんだで世の中に一定量の滅びへの予感が共有されていたこと、そして阪神大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件によって、世紀末的な空気が世間に横溢していたことも大きい。まさに今とよく似ている。庵野秀明のクリエイターとしての才能に疑う余地はないが、プロデューサーとしての才覚も大したものだなと思う。

訳の分からん使徒(英語ではAngel)との闘いではあるが、それ自体はどれも手に汗握るバトルだし、戦い方のバリエーションも豊富だし、敵の携帯や攻撃方法も多彩を極める。エンターテイメントとしても一流だと思う。Jovianにとってのエヴァンゲリオンはテレビ版の印象が強いのだが、対ラミエルのヤシマ作戦およびラミエルの反応、反撃、断末魔などは本作の方が優ると感じている。

キャラが皆、立っているのも大きい。本作に出てくる女性キャラは、おそらくほとんどすべて庵野秀明という個人の願望と欲望の投影だと思われるが、それを隠すことなくキャラの性格や属性にたたきつけている様は非常に潔い(その一方でゲンドウとシンジの対立、人類・ネルフと使徒の対立は、おそらく庵野の中の理想世界と現実世界のギャップを埋める作業、一種の箱庭療法なのではないかと感じる)。テレビ版と劇場版では細かいところが違うミサトさんであるが、Jovianは昔も今もミサトさんはミサトさんと「さん」をつけて呼んでしまう。世の男性、特にミサトさんよりも年齢が上の諸氏もそうなのではないだろうか。

エヴァンゲリオン世界の最大の魅力は碇シンジの内面の葛藤だ。エヴァンゲリオンという巨大な殻に逆説的に閉じこもるシンジという少年に、イマイチ理解ができない現実という世界から逃避する自分の姿を重ね合わせたチルドレンは多かったはず。Jovianは当時、岡山のクソ田舎に住んでいたので、リアルタイムにエヴァを語り合える仲間は2~3人しかいなかったが、アニメ放送が重なるたびに社会現象になっていたことは何となく記憶している。時代とシンクロする作品だったのだ。ステイホームという自宅という殻の中で生きることを余儀なくされる若い世代も、本作、そしてオリジナルTVアニメ版は刺さるのではないかと強く思う。

ネガティブ・サイド

シンジがエヴァに乗り、訳の分からないままに使徒と戦い、ミサトさん(何歳になってもミサトさんと敬称をつけて呼んでしまうのは何故だ?)や綾波との人間関係を育む過程の描写が少々粗い。まあ、人間関係というよりも、庵野秀明という個人の中のプエル・エテルヌス=永遠の少年=碇シンジが、同世代の女子には近づきがたく、自分よりも年上の女子には守ってもらいたいという屈折した欲望を迂遠に表現したのが『 新世紀エヴァンゲリオン 』という作品の一側面であろうと思う。であるならば、エヴァンゲリオンをヱヴァンゲリヲンとしてリビルドする際にも、そうした描写は削るのではなく維持すべきだった。シンジの家出のシーンの改変は、個人的にはいただけなかった。

総評

テレビ版の重要エピソードを巧みにつなげているだけではなく、キャラの言動や内面にも変化が見られる。それは庵野自身の変化であり、また今という世代のチルドレンへのメッセージでもあるのだろう(Jovianは、それは目的ではなく副産物であると少し疑っているが)。アニメ版を一から観る暇はないという人にお勧めであるし、シンの鑑賞前や鑑賞後に観るのも一興である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

run away

逃げる、の意。物理的に逃走する時にも、比喩的・抽象的に逃げる時にも使う。

run away from home = 家出する

run away from work = 仕事から逃げる

run away from reality = 現実逃避する

Jovianは、嫌なことがあれば10回中1回ぐらいは逃げてもいいのではないかと思っている。だから転職回数がまあまあ多いのかな。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, アニメ, 日本, 林原めぐみ, 監督:摩砂雪, 監督:鶴巻和哉, 総監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 』 -やや詰め込み過ぎか-

『 アフタースクール 』 -大人になれる者、なれない者-

Posted on 2021年3月11日 by cool-jupiter

アフタースクール 75点
2021年3月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:大泉洋 佐々木蔵之介 堺雅人
監督:内田けんじ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311160245j:plain
 

確か劇場公開当時に観た。今回レンタルしてきたのは『 騙し絵の牙 』で大泉洋に騙されないように備えたかったため。そして『 シン・エヴァンゲリオン劇場版 』にも備えたかったから。大人になるというのは、なかなかに難しい。

 

あらすじ

神野(大泉洋)は中学からの友人の木村(堺雅人)にクルマを貸すも、その木村が姿を消してしまう。そんな折、同級生の島崎を名乗る探偵(佐々木蔵之介)が神野の勤務先の中学校を尋ねてくる。木村を探しているという島崎に、神野は同行することになり・・・

 

ポジティブ・サイド

これは素晴らしいアンサンブル・キャストだ。大泉洋のどこか軽佻浮薄な印象や、佐々木蔵之介の胡散臭さ、堺雅人の外面の良い人ほど・・・感。役者がナチュラルに放つ雰囲気を映画世界に見事に取り込み、それを活かしたドンデン返しは鮮やかの一語。

 

劇場で観た時は、序盤から中盤にかけてのスローペースに少々厭いてしまったが、今回はストーリーを把握した上での鑑賞のため、伏線の再チェックの意味合いが強かった。その意味で、細かな仕込みの数々には改めて驚かされた。最も「上手いな」と感じたのは、言葉の意味が人間関係によって変わるところ。いや、人間関係というよりも、その人間が・・・おっと、これ以上はネタバレか。

 

もしもまだ未見の人がいれば、前情報は極力仕入れずに観るべし。大人の仕事を味わえることは間違いない。大人というのは「逃げ出さない」、「守り抜く」ことなのだ。

 

ネガティブ・サイド

序盤の保守政治家の演説シーンだけはあからさま過ぎたように思う。これは劇場でも再鑑賞でも感じたこと。また「悪いのは秘書」という(間接的な)図式が大昔も当時も今も通じてしまうのが少し悲しい。本作とは関係ないが。

 

後は警察の逮捕劇がちょっと強引すぎる。というか、飲酒検問は何とかなっても(多分ならない、呼気検査もしてない)、車内の私物を押収はできない。大企業の社長なら顧問弁護士をその場で呼んでもおかしくないし、実際そうされたら「違法捜査だ」と指摘されてすべて終了。日本の警察はミランダ警告もしないし、弁護士を呼ぶという権利行使も認めないという悪しき慣習を黄門様の印籠のように扱うのは個人的に頂けなかった。

 

総評

小説『 騙し絵の牙 』は未読なのだが、映画の方はおそらく似たような仕掛け、つまりキャラクター同士の騙し合いを通じて観る者を騙す、が施されているものと思われる。予習というか、準備に本作は最適だと思われる。もちろん、『 騙し絵の牙 』の鑑賞予定があってもなくても、大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人のファンなら要チェックである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

classmate

「同級生」という意味だが、読んで字のごとく「同じクラスにいる/いた者」を指す。日本語の同級生にあたる英単語はちょっと見当たらない。Schoolmateというのは学校が同じでも学年が違う場合がある。なので、同級生という日本語の持つニュアンスを出すためには、

 

They are in the same grade.

あいつら、同じ学年だよ。

We went to the same school together.

俺ら、同じ学校だったよな。

 

のようなセンテンスにするしかない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, ミステリ, 佐々木蔵之介, 堺雅人, 大泉洋, 日本, 監督:内田けんじ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 アフタースクール 』 -大人になれる者、なれない者-

『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』 -一緒に食べて友達になろう-

Posted on 2021年2月9日 by cool-jupiter

THE 焼肉 MOVIE プルコギ 50点
2021年2月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:松田龍平 山田優 井浦新
監督:グ・スーヨン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210209002043j:plain
 

『 偶然にも最悪な少年 』のグ・スーヨン監督の作品。焼肉を通じて経済活動の醜さと人間関係の尊さを面白おかしく描いている。2020年の1129(いい肉)の日にテレビ放送されていたが見逃したため、今回レンタルにて鑑賞。

 

あらすじ

兄と生き別れた韓国人孤児から成長したタツジ(松田龍平)は北九州のプルコギ食堂で伝説のじっちゃんの下で修行の日々を過ごしていた。そんな時、テレビの焼肉対決番組で破竹の連勝を続ける虎王の経営者トラオ(井浦新)から挑戦があり・・・

 

ポジティブ・サイド

本当においしい店は外観にカネなどかけない。まるで『 焼肉ドラゴン 』のようなたたずまいの店で、従業員も客も笑い合う。コロナ禍の中で見られなくなった“会食”の風景に、こちら側も笑顔になれた。

肉そのものへのフォーカスにも抜かりはない。赤肉と白肉(=いわゆるホルモン)の対比を軸に、トラオとタツジの対決につなげていくが、そこで実際に虎王によって供される肉料理もなかなかのもの。『 フードラック!食運 』が疎かにした、焼肉以外のメニューを本作はしっかりフィーチャー。さらにプルコギ食堂が出すメニューやまかない飯もかなり食欲をそそる。特に豆もやしスープは、ニンニクとわかめのスープほど焼肉料理屋ではメジャーではないが、好きな人は何より好きだという通のメニュー。さすがに在日二世のグ・スーヨン監督である。特に荏胡麻の葉っぱ(ケンニップ)のしょうゆ漬けを持ってきたところに、監督のこだわりを見た。メニューに荏胡麻の葉がある店はそんなに多くないが、実際はありふれた総菜の一種である。これに加えられた隠し味が焼肉対決でも、またタツジの兄探しにも大きな役割を果たしている。

 

プルコギ食堂でも虎王でも、調理場でさりげなく復讐種類の包丁がフレームに収められているところでニヤリ。『 フードラック!食運 』がエンドクレジットの実在の店のショットで初めて映したところを、本作は全編にさりげなく忍び込ませている。焼肉を食べるのが好きな人が作ったのが『 フードラック!食運 』。焼肉という料理そのものを好きな人が作ったのが本作だということが伺える。そのことは、肉の焼き色ではなく、肉と油が熱によって内側で爆ぜる音に耳を澄ますという描写からも明らかである。

 

俳優たちも何気に豪華だ。松田龍平の無表情さは孤児のバックグラウンドを感じさせるし、山田優も若さそのままの健康的な色気を放っている。劇中で死亡してしまった韓老人を演じた田村高廣の遺作となってしまったが、その死の演技は圧巻の一語に尽きる。『 ターミネーター2 』のディレクターズカットで、T-800のプログラムをいじくる時のシュワちゃんの静止演技をはるかに超える長尺ワンカットでまばたき一つしないという超絶的な演技を見せた。名優に合掌。

 

ネガティブ・サイド

津川雅彦をはじめとした焼肉バトルの審査員がボキャ貧もいいところだ。もっと肉の美味さを映像的に分かる形で表現しないと。特に赤身肉の美味さというのは、タンパク質=筋肉の繊維がしっとりとしていて、噛めば肉汁を出しながらすんなり噛み切れるところにある。そういった肉の特徴を、もっと擬音語や擬態語でもって語らないと。「噛むと肉汁がじゅーっと溢れて、それでお肉もサックサクで、のど越しもツルン」みたいな大仰な表現をしてほしかった。

 

タツジが納得いかない出来の肉を皿ご放り投げるシーンには、元焼肉屋ならずとも腹が立った。タツジのキャラクターを描くうえで重要な演出でもないし、「これ、処理しといて」とか「テレビのスタッフさん、食べてください」とでも言えば、横柄ではあるものの食べ物を粗末にしない人間であるというふうに描出できたはず。

 

コメディ調ではあるものの、そのトーンが一貫しない。牛を連れてきて対決をする男にひらすらセロリをかじる男。セクシーギャルを使っての客引きなど、コメディっぽいシーンはふんだんにある。一方で、暴力沙汰も結構あり、これらのシーンは笑えない。このあたりのアンバランスさが本作のトーンから一貫性を奪って、ジャンル不詳にしてしまっている。

 

最も気になったはタイトルにあるプルコギがほぼ出てこないこと。プルコギはどちらかと言うと韓国風すき焼きで、韓国風焼肉とは別物。ちなみにJovianが思い描く、そして韓国で実際に食べた韓国風焼肉とは、鉄板で焼いた豚肉・牛肉を、玉ねぎやニラやニンニクと少量のご飯と共に葉野菜でくるんで食すものを指す。せっかく北九州という韓国に非常に近い土地にフォーカスしているのだから、朝鮮半島由来の料理をもっと登場させてみても良かったのでは?

 

総評

焼肉は比較的安全な外食とされるが、まだまだ不安のある人も多いことだろう。そうした向きが観ると良いかもしれない。井浦新が、この頃はまだARATA名義である。井浦のファンならば是非見よう。もちろん、松田龍平ファンにもお勧めである。誰かと一緒に食べることが難しい今だからこそ、本作の持つ「一緒に食べて友達になろう」というメッセージが、より尊く響いてくる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grill

「(鉄板や網に乗せて)焼く」の意。日本語では「焼く」は「焼く」だが、英語では他にもburnやbake, broil, roastなど、焼き方によって様々な動詞がある。無理やり丸暗記するのではなく状況と共に、かつビジュアルイメージを持って理解することが、コロケーションの知識を深めていくことにつながる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, D Rank, コメディ, 井浦新, 山田優, 日本, 松田龍平, 監督:グ・スーヨン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』 -一緒に食べて友達になろう-

『 シャッフル 』 -サンドラ・ブロックを堪能せよ-

Posted on 2021年2月6日 by cool-jupiter

シャッフル 50点
2021年2月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サンドラ・ブロック
監督:メナン・ヤポ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210206184255j:plain


 

緊急事態宣言以後、嫁から尼崎市内から極力出るなとのお達しが出ている。本当は梅田や心斎橋に足を伸ばしたいのだが・・・。一方で映画を観る人は増えているようだ。事実、近所のTSUTAYAは明らかに客が増えている。配信ではなくレンタルというところに日本のデジタル化の遅れを実感するが、それでもVHSからDVD、Blu-rayのカバーボックスの表と裏でキービジュアルやプロットをチェックするのは楽しい。本作もタイトルとカバーのデザインだけでレンタルを決めた。

 

あらすじ

リンダ(サンドラ・ブロック)のもとに保安官が訪れ、夫のジムが交通事故で死亡したと告げる。呆然自失するリンダは翌日、出勤前にリビングでくつろぐ夫と出会う。だが、さらにその翌日、ジムは亡くなっていた。時間の流れがシャッフルされているのか。リンダはジムを救うことができるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

高畑京一郎の小説『 タイム・リープ―あしたはきのう 』を映像化すると、このような作品になるのだろう。タイムトラベルやタイムスリップは、それこそ星の数ほど小説でも映画でも使われてきたが、時間をバラバラに経験するというのは珍しい。時間の描写を逆にするのは『 メメント 』などもあり、珍しいものではなくなってきているが、本作のように時間の順序をシャッフルしてしまうというアイデアは秀逸だと思う。このことによって思わぬサスペンスが生まれている。

 

例えば娘の顔の傷。あるいは洗面所に無造作に放置された錠剤。謎が生まれるたびに、その謎がいつの時点で発生したのかを考えてしまい、引き込まれる。これが例えば『 オフロでGO!!!!! タイムマシンはジェット式 』のような普通のタイムトラベルものだと、現代と過去の違い(たとえば片方の腕の有無)から、過去に何かが起きたと分かる。問題は、時間の流れが一方通行であるため、現代につながる事件の起きる瞬間に対して主人公たちが受け身にならざるを得なかったところ。本作は逆に、待っていれば欲しい情報が得られるわけではない。次から次へと意味不明の展開が起こり、別の曜日になってみて初めて、その意味が分かる。ある意味で『 TENET テネット 』のような構成なのだ。ここが非常に新鮮で面白かった。

 

オチも、この手の時間改変スリラーの中では王道と言えるものだが、後味は悪くない。むしろ、Memento moriの元来の意味に近いCarpe diemという哲学を想起させる。Milfyなサンドラ・ブロックが堪能できる佳作。

 

ネガティブ・サイド

超常現象、あるいは怪奇現象を思わせる演出のすべてがノイズである。カラスの死骸のシーンでは、「あれ、これって『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』の系統のストーリーなの?」と感じてしまった。妙な演出など不要、ストレートに不可解なシャッフル現象だけを取り上げれば良い。ストーリーの根本にあるのは「何故こうなっているのか」ではなく、「この状況で何をなすべきか」なのだから。

 

ジムの出棺のシーンもめちゃくちゃ。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』でも、御棺を警察官2人で軽々と運ぶシーンがあったが、プロレスラー並みの力持ちかいな。本作は本作で、男二人で運ぼうとした棺をガタンと落としてしまい、中から首がゴロゴロゴロ、ってそんな馬鹿な。普通は簡単にでも縫い合わせる。その上で縫合部に包帯を巻くのが常道だ。ここでも場に不穏な空気を流したいという園主のためだけに、リアリティが著しく損なわれてしまっている。なんでもかんでも現実に即せと言いたいわけではない、念のため。その作品の持つ世界観と合っていないのだ。

 

世界観にマッチしない最大のノイズと感じたのは、牧師?神父?がリンダに教えを与えるシーン。信仰の本質を突いた鋭い説教だと感じたが、これを最終盤手前に持ってくるのなら、序盤のホラー的な演出はすべてが無意味である。なので、このシーンをバッサリ削るか、あるいはこけおどしシーンを全て切り落として説教のシーンを活かすかである。監督:メナン・ヤポ監督は、このあたりのバランスを見失った。二兎を追う者は一兎をも得ずである。

 

総評 

壮大な謎や陰謀の存在をにおわせるが、その謎解きも無し。けれども『 エミリー・ローズ 』のように謎を解くことに主眼があるのではなく、その謎に立ち向かう人間の姿に美点を見出すならば、なかなかの良作と言えるのではないだろうか。英語でたまにa rainy day DVD=雨の日にちょうど良いDVDと言ったりするが、時代に合わせてa stay-home day DVD=外出自粛日にちょうど良いDVDという言葉を提唱したい。本作は、a stay-home day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Tell me about it.

『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』でも紹介したフレーズ。「言われなくても分かってるさ」、「まったくその通りだ」、「よく分かるよ」という意味である。こうした表現をナチュラルに使えるようになれば、上級者の一歩手前である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, サンドラ・ブロック, スリラー, 監督:メナン・ヤポ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 シャッフル 』 -サンドラ・ブロックを堪能せよ-

『 ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 』 -古くて新しい提言書-

Posted on 2021年1月9日 by cool-jupiter

ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 75点
2021年1月5日~1月7日にかけて再読了
著者:梅田望夫
発行元:文藝春秋

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210109015154j:plain
 

コロナ禍において「新しい生活様式」なる言葉が人口に膾炙した。「ニューノーマル」とも「新常態」とも言われるが、実は目新しい概念ではない。時代の転換点において、ニューノーマルという言葉は常に使われてきた。「ニューノーマル」という言葉をいち早く紹介した本書は、給付金の申請がオンラインよりも紙の方が速く処理されるという現代日本に多大な示唆や提言を与えてくれている。

 

あらすじ

第1定理では「アントレプレナーシップ」を、第2定理では「チーム力」を、第3定理では「技術者の眼」を、第4定理では「グーグリネス」を、そして第5定理では「大人の流儀」を紹介する。働き方に悩む人、これから先のキャリアについて考える人にとってのヒントが満載である。

 

ポジティブ・サイド

著者の梅田のキャリアゆえか、彼の著書には一貫して個と組織の在り方、その関係についての考察や提言がなされている。それは本書でも同じである。ただ、梅田自身が語る言葉ではなく、梅田というフィルターがろ過したシリコンバレーの技術者や経営者の言葉であるところに本書の価値がある。Jovianは梅田に私淑しているが、同じように梅田を通じて人生やキャリアについてより深く考えるようになったという人間は多いはずだ。特に、就職氷河期世代、いわゆるロスジェネにその傾向が強い気がする(というのは、Jovianの周りがだいたいそういう世代だからだろうか)。個が組織を作り上げる、あるいは大組織の中で個が輝くという事例を本書は数多く紹介しており、若いビジネスパーソンにも壮年のビジネスパーソンにもお勧めできる内容になっている。

 

以下、いくつか気に入っている言葉を紹介する。

 

第1定理 アントレプレナーシップ

世界がどう発展するかを観察できる職につきなさい。
そうすれば、「ネクスト・ビッグ・シング」が来たときに、
それを確認できる位置にいられるはずだ。 ―――ロジャー・マクナミー

 

ここでいう「ネクスト・ビッグ・シング」とは、破壊的イノベーションを起こすサービスやプロダクトという意味だが、現在の目からするとZoomが最もこれに当てはまるだろうか。製造業であれば「何を作るか」、サービス業であれば「何をand/orどう提供するか」を常に考えるはず。教育業界にいるJovianはコロナ禍において勤め先およびクライアント大学の授業へのZoomやGoogle Meet導入に深く携わる機会があったが、その時に「誰もが教育者になれる時代が来た」と直感した。Zoomで講義を録画する、そしてYouTubeにアップする、というだけではない。自分がPC上で行っている作業の方法をオープンにすることで、一気に業務改善ができる、あるいは他者の業務改善を手助けできるようになる。また、これまでのPCのサポセンなどは電話で顧客に技術的サポートを提供していたが、今後はネットにさえつながっていれば、そしてPCにカメラとマイクが装備されていれば、困っている相手に画面共有してもらえれば、すぐさまソリューションを提示できるようになる。事実、そうなりつつある。コロナ禍で仕事が激減した、自営業を立ち上げるしかない、という人の多くが、何らかのインストラクター職を選ぶものとJovianは見ている。

 

第2定理 チーム力

世界を変えるものも、常に小さく始まる。
理想のプロジェクトチームは、会議もせず、
ランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、
ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ。―――ビル・ジョイ

 

これは本当にそうで、何も世界を変えるような大きな仕事でなくても、普通の人の普通の仕事にも当てはまるはず。Jovianの以前の会社では20人ぐらいで会議をしていて、会議=ただの報告会になっていた。決まった人が決まった順番で、いつも通りの内容(当月の売り上げや来月の見込み額など)を喋るだけ。活発な意見交換や議論などは存在しなかった。今の会社の会議も似たようなところがあるが、その代わりプロジェクトチーム単位(3~4人)になると談論風発する。日本企業における会議体の多さに辟易する人は多いはず。そうした人々に、ビル・ジョイの言は刺さることだろう。

 

第3定理 技術者の眼

技術的な転移(大変化)は、常に勝者と敗者を生む。
勝者とは、より早くその技術を導入できる企業であり、
敗者は、立ち往生し、転換をはかれず、
新たな技術をうまく使いこなせない企業だ。―――エリック・シュミット

 

説明不要なまでに明快だ。関西の某大学は2020年の春学期にオンラインでリアルタイムに授業を提供する仕組みを作り切れず、ほとんどの科目でGoogle Classroomもしくは大学ポータルサイト上で課題を課して締め切りを伝えて終わり、という暴挙に出た。そして、秋学期にオンライン授業を始めたが、教員や職員に研修が行き届いておらず、頓挫。学生や保護者からクレームの嵐だと聞く。近いうちに関西にも緊急事態宣言が発令されそうだが、そんなことに関係なく、今年度の出願者数は激減していることだろう。これは何も某大学だけのことではない。政府がいくら「テレワークの推進を!」と叫んでも、それができない会社がマジョリティなのだ。上のエリック・シュミットの言葉の「企業」を「国家」に入れ替えれば、極東の島国の姿が見えてきはしまいか。

 

第4定理 グーグリネス

「ニューノーマル」時代における成功とは、タイムマネジメントに尽きる。
この時代における通貨は、時間なのである。―――ロジャー・マクナミー

 

Jovianは本書を初めて読んだ時に、この言葉に大いにインスパイアされた。実際の文脈では「仕事のうちで自分がどこにこだわるべきかを明確にして、そこに時間とエネルギーを投下せよ」という意味なのだが、コロナ禍の今になって読み返せば、さらにその重みを増している。オンライン授業の際、「もっとも通信環境が貧弱な学生に配慮するように」というお達しが文科省からあった。そのため、ほとんどすべての大学では90分授業を60分オンライン、30分オフラインとなった。Jovianの会社は大学に非常勤講師を派遣しているが、講師たちからは「これじゃあ、教科書が全部カバーできない」という悲鳴が聞かれた。重要なのはタイムマネジメント、必要なところ、学生に身に着けてほしいと心底から思う部分の指導に集中してほしい、と誠心誠意に伝えた。それが上手く行ったかどうかは分からないが、今のところクライアント大学からは授業関連のクレームは出ていない。

 

第5定理 大人の流儀

自分がやらない限り世に起こらないことを私はやる。―――ビル・ジョイ

 

なんとも気宇壮大な言である。だが、現実味がある。Googleの圧倒的な成功と普及によって、世の中の情報はかなり整理され、組織化されてきた。極端な言い方をすれば、Google検索に引っかからない情報は存在していないも同然、という世界観が浸透しつつあるとも言える。つまり、事業を始めるにあたってのブルー・オーシャンが見つけやすくなったとも考えられるのだ。Jovianも万が一だが、今の勤め先がコロナ禍で立ちいかなくなったり、最悪潰れてしまった時には、マイナーな英語の資格検定対策専門のオンライン塾でも立ち上げようかと考えている。そうしたスクールというのは、日本ではびっくりするぐらい少ないのである。

 

以上、各章を簡単に紹介したが、いかがだっただろうか。飲食業界、不動産業界、製薬業界など、あらゆる分野の職業人にとってヒントになる言葉、勇気を与えてくれる言葉が見つかると確信できる良書である。

 

ネガティブ・サイド

全体的にオプティミズムに溢れている。それこそ『 シリコンバレー精神 』なのだろうが、日本人、もしくは日本的カルチャーに染まった会社・企業・組織というものは楽天主義ではなかなか動かない。どちらかというと「〇〇〇しないと会社が潰れますよ」、「△△△を持っていないと市場から見放されますよ」というネガティブなメッセージがないと腰を上げない経営者や決裁権者の方が多い。成功者の理念や哲学、言葉を紹介するだけではなく、事業の失敗者の反省の言なども取り入れていれば、よりバランスの良い本になったと思う。もっとも本書のP60~63で述べられているように、シリコンバレーの投資家は全ての投資先から回収していくのではなく、大きく成長した、またさらに将来性の見込める企業から一気に投下資本を回収する仕組みを作っているので、そうした意味での「事業失敗者」は見つけられなかったのかもしれない。ただ、梅田自身が『 ウェブ進化論 』で紹介したことのある、かつての勤務先の社内ベンチャーの失敗の話などを盛り込むこともできたのではないか。

 

第3定理「技術者の眼」の章で紹介されている言葉が、アップル関連の人物の言葉に偏り過ぎている。また、「技術者の眼」というよりも「技術者の目」を紹介する章になっていると感じられる。P142~143の渡辺誠一郎氏の逸話のようなエピソードはまさに「技術者の眼」という感じだが、その他の言葉は「技術者の目」から見た社会や世界、未来という感じが強い。梅田自身はコンサルタントでエンジニアでもプログラマーでもないせいか、この第3章だけは、やや全体から浮いた印象を受ける。

 

総評

本書はウェブ時代における「ニューノーマル」を始めとした様々な概念や言葉を体系的にまとめたもので、コロナ禍においてデジタル・トランスフォーメーションが進みつつある日本で、再読の価値が高まっていると言える。2008年刊行の書籍が2021年においても大きな意味を持つことに日本社会の停滞を感じるが、「個の強さ」を常に強調してきた梅田望夫によって厳選された言葉の数々は、現代日本のビジネスパーソンや学生にとって大きな指針となることは間違いないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

The only way to do great work is to love what you do.

本書(文庫版)のP283にあるスティーブ・ジョブズの言葉。数々のジョブズの名言の中でもとくに有名な、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチの一部。“love what you do”の部分は、日本でも多くの英語人が様々に翻訳してきた。ちなみにJovianは「自分の仕事を心底好きになる」と訳して、当時の勤め先の教材にも盛り込んだ。What you do = 普段からしていること ≒ 仕事、となる。ちなみにWhat do you do? =「職業は何ですか?」という紋切り型の説明がしばしばなされるが、これは間違い。正しくは、「今は何をしているのですか?」である。小学生の時の同級生と20年ぶりにばったり出会った時のことを想像してみてほしい。「うわー、久しぶり!今、何やってるの?」と尋ねることだろう。この「今、何やってるの?」こそ、“What do you do?”である。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, B Rank, 日本, 発行元:文藝春秋, 著者:梅田望夫Leave a Comment on 『 ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 』 -古くて新しい提言書-

『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

Posted on 2020年12月4日 by cool-jupiter

ミッドナイト・イン・パリ 70点
2020年12月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール レア・セドゥー
監督:ウッディ・アレン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201204011659j:plain
 

近所のTSUTAYAで秋の夜長フェア的にリコメンドされていた作品。今はもう秋ではなく冬だろうと思ったが、久しぶりにウッディ・アレンでも鑑賞して天高く馬肥ゆる秋の夜長の気分だけでも味わおうと思った次第である。

 

あらすじ

脚本家のギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)とその両親と共にパリに旅行に来ていた。深夜のパリで偶然に乗り込むことになったクルマは、なんとギルを1920年代のパリに連れて行き、多くの歴史上の作家や芸術家と交流することに。それ以来、ギルは夜な夜なパリの街に繰り出しては、不思議な時間旅行に出かけて・・・

 

ポジティブ・サイド

画面に映し出されるパリのあれやこれやが精彩を放っている。パリではなく巴里と表記してみたい。そんな風情にあふれている。パリに暮らしている人間の視点ではなく、パリに憧れる人間の視点である。『 プラダを着た悪魔 』でも描かれたが、アメリカ人もフランスに憧れ抱くのだ。

 

ギルが夜ごとに体験する1920年代の華やかなりしパリの街と歴史的な文化人との交流は、見ているだけでエキサイティングだ。その一方で、昼の現実世界で見て回る芸術作品は物の鑑賞になってしまっている。そして、ギルとイネズの共通の友人であるポールがクソつまらない蘊蓄を喋ること喋ること。どこかで見たような奴だなと思ったら、なんのことはない、自分である。現実のJovianも時々こうなっている。人の振り見て我が振り直せ。

 

昼間の現実と夜の過去世界。ヘミングウェイやサルバドール・ダリがカリカチュアライズされる一歩手前で生命を与えられているのがウッディ・アレンらしいところ。個人的にはT・S・エリオットの登場シーンに痺れた。幻想的な雰囲気の中、ギルがある人物に重要なヒントを与えたり、あるいは現実の世界の小説の描写に心臓が止まるほどの衝撃を受けたりと、徐々に虚実皮膜の間がぼやけてくる感覚にゾクゾクさせられる。同時に、現在ではなく過去に囚われることの愚かしさや恐ろしさも感じられ始める。といっても極度の不安や恐怖がもたらされるわけではない。今そこにある現実から逃避することは誰にでもあるが、その「誰にでもあること」を客観視した時、本当に大切なことが見えてくる。ゲーテは『 ファウスト 』をして「時よ止まれ、お前は美しい」と言わせたが、ウッディ・アレンは「時よ流れよ、お前は美しい」と言うのかもしれない。

 

秋の夜長にはちょうど良い作品。本質的には『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』と同じで、主人公はウッディ・アレン自身の欲望・願望の投影だろう。歴史に名を刻んだ文化人と交流し、魔性の女と恋に落ち、婚約者と別れて、しかし現地で偶然に出会った女性と恋の予感を漂わせる。これがアレンの願望でなければ何なのか。多くの男性はアレンと己を重ねることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ヘミングウェイの言う「真実の愛は死を少しだけ遠ざける」という哲学の開陳には眉をひそめざるを得なかった。Jovianは東洋人であるからして仏教が説くところの愛別離苦の方がしっくりくる。愛しているからこそ永遠の別れ=死が怖くなる、って聖帝サウザーか・・・

 

フィアンセのイネズのキャラが少々うるさすぎた。もちろん、ウッディ・アレンその人が嫌いなタイプを具体化したキャラクターに仕上がっているわけだが、それが行き過ぎているように感じた。ラスト近くでギルと破局する前に、とんでもない逆ギレをしてくれるが、そこは最後に「こう言えば満足?」ぐらいの台詞を最後につけてほしかった。色々な経験を積んできたギルはこれに動じなかったが、普通の男ならば精神の平衡を保つことができないほどの痛撃を心に食らったはずである。

 

総評

巴里に行ってみたくなる映画である。パリではなく巴里。Jovianの嫁さんはその昔、ルーブル美術館の女性職員に「英語を喋るな、フランス語で喋れ」と言われたことを今も憤慨している。いつかヨーロッパを旅行できるようになったら、嫁さんのリベンジを果たすためにも、そして深夜の巴里をぶらつくためにも、フランスに行ってみたい。そして『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のエドモン・ロスタンと幻想の世界で語らってみたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

come out of left field

野球由来の慣用表現。外野の左翼からやって来る=突然に予期しないことがやって来る、の意。しばしば、

This might be coming out of left field, but …

こんなことを言うと唐突かもしれないけれど・・・

のような形で使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, オーウェン・ウィルソン, スペイン, マリオン・コティヤール, ラブコメディ, ラブロマンス, レア・セドゥー, レイチェル・マクアダムス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

『 グエムル-漢江の怪物- 』 -怪物を生み育てたのは誰か-

Posted on 2020年11月21日 by cool-jupiter

グエムル-漢江の怪物- 75点
2020年11月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ソン・ガンホ ペ・ドゥナ ピョン・ヒボン パク・ヘイル オ・ダルス
監督:ポン・ジュノ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201121231529j:plain
 

『 ゴジラ 』がそうであるように、怪獣は戦争や災害、あるいは人間の業の象徴である。本作を通じてポン・ジュノは何を描こうとしたのか。英語タイトルが“The Host”であるところから、『 パラサイト 半地下の家族 』の対になる作品であることは間違いない。

 

あらすじ

在韓米軍基地は毒薬を漢江に垂れ流していた。その数年後、突如として漢江から巨大なオタマジャクシのような怪物が出現し、人間を襲っていく。怪物に娘ヒョンソをさらわれたカンドゥ(ソン・ガンホ)は家族総出でヒョンソを救出しようとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 パラサイト 半地下の家族 』が韓国人家族と韓国人家族(と韓国人家族)の寄生関係を描いたものであるとすれば、本作の英語タイトルが指し示す“宿主”とは何か。それは歪な韓国社会そのものだろう。歪とはどういうことか。それは宗主国たるアメリカの軍部に言われれば、自らの国土を猛毒で汚染することもいとわない国家の体質だ。いわば、このグエムルは韓国社会の鬼子なのだ。

 

本作は怪獣映画にしては珍しく、怪獣の登場を引っ張らない。開始10分も経たないうちに怪獣が姿を現す。そして人々を襲っていく。ゴジラ級のサイズではなく、マイクロバス程度の大きさの怪獣が白昼堂々と全身を晒して人間を食べていく様は爽快ですらある。凡百の作り手ならば、グエムルの初登場は夜、それも酔っぱらって、ひとり夜風にあたろうと川べりにやってきた者を尻尾でヒュンと引き寄せて終わり、のような焦らす構成にするはず。ポン・ジュノ監督はそれをせず、怪獣の見せ場をいきなり序盤に持ってきた。そうして怪獣の社会に与えるインパクトを最大限に観客に見せつけ、そこから怪獣に対処していく韓国政府や米軍、そして娘を奪われた家族の動きに視線をフォーカスしていく。『 GODZILLA ゴジラ 』のサブプロットになりそうだった「怪獣出現によって離散してしまった(主人公とは赤の他人の)親と子の物語」を、『 エイリアン2 』でリプリーがニュートを救出せんとする勢いで展開される家族の奮闘物語は、日本の怪獣映画ジャンルではあまり見られなかったものだろう。怪獣が暴れていなくても、カンドゥの家族が当局や軍を向こうに回して奮戦して、緊張感が途絶えない。

 

ダメ男であるソン・ガンホが娘のために立ち上がり、一度はあきらめかけた家族が、それでもヒョンソ救出のために一致団結して、韓国の当局や米軍をも相手に回して、堂々とグエムルに立ち向かっていく描写は、リアリスティックとは言えないが、非常に力強く上質なファミリードラマになっている。ぺ・ドゥナがアーチェリー選手というのもいい。映画の世界では『 ロード・オブ・ザ・リング 』のレゴラス、『 ハンガー・ゲーム 』のジェニファー・ローレンスに次ぐ射手で、スマートに標的を素早く射抜くのではなく、泥まみれになって必中のタイミングを待つタイプである。終盤の一撃はひたすらにかっこいい。

 

本作の背景には『 サニー 永遠の仲間たち 』で描かれたような、軍事政権に圧迫されていた民衆の蜂起の歴史がある。グエムルは鬼子であって奇形生物であり、その原因は米軍が作ったとなると、どうやってもベトナムを想起しないわけにはいかない。『 息もできない 』で描かれたように、戦争は人間の心を壊すのである。本作は、家族の再生物語でもあるのだ。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』にも通じる、というか受け継がれたエンディングがそこにある。邦画の世界が『 朝が来る 』で提示したテーマを、韓国は10年以上前に先取りしていたようである。さらにCOVID-19やMERS以前でありながら、マスク姿の市民のパニックを正確に描き出してもいる。ポン・ジュノの慧眼、恐るべし。

 

ネガティブ・サイド

結末がちょっと・・・ 韓国の家族観には感動させられることもあるが、困惑させられることもある。本作はその両方を味わわせてくれるが、感動3:困惑7の割合である。

 

グエムルを倒すための最終兵器もやや???である。グエムルに効いて、人間相手には効いたり、効かなかったりする。もちろん米軍への皮肉なのであろうが、気象条件によっては使用できない兵器というのはいかがなものか。いっそのこと、漢江に対グエムルの物質を大量に放流するぐらいのエクストリームな展開にしてもよかったのではないかと思う。

 

最後に米軍サイドの人間にもなんらかの勧善懲悪的な展開があってほしかった・・・ これは大人の事情で難しいか。

 

総評

シンプルに面白い一作。コロナ禍の今だからこそ再鑑賞する意味や機運が高まっていると言えそう。怪物グエムルのCGっぽさに2000年代を感じさせるが、その他の家族ドラマの部分には普遍性が感じられるし、国家や社会の怪物(およびウィルス)への反応には先見性が感じられる。年末年始は里帰りせずstay homeの予定であるという向きは、本作をwatch listに入れておかれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be broad-minded

『 罪の声 』で三頭竜=Three-headed Dragonなど、分詞の形容詞的用法の例を紹介させてもらった続きである。序盤の米軍科学者が“The Han River is a broad river. Let’s be broad-minded.”=漢江は広い川だ。我々も広い心を持とう(そして汚染物質を川に流そう)と言うシーンがある。narrow-minded=偏狭な、狭量な、心の狭い、とセットで覚えよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, オ・ダルス, ソン・ガンホ, パク・ヘイル, ヒューマンドラマ, ピョン・ヒボン, ペ・ドゥナ, 怪獣映画, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:角川ヘラルド映画, 韓国Leave a Comment on 『 グエムル-漢江の怪物- 』 -怪物を生み育てたのは誰か-

『 息もできない 』 -暴力の連鎖は止められるのか-

Posted on 2020年11月7日 by cool-jupiter

息もできない 80点
2020年11月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヤン・イクチュン キム・コッピ チョン・マンシク
監督:ヤン・イクチュン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201107173131j:plain
 

インディーズの名作として名高い本作。保守的な日本の家族観、風変わりな日本の家族観、新時代の日本の家族観を提示する作品を立て続けに観たので、外国が提示する「家族像」を消化してみたいと思い、レンタル。前評判通りに、暴力的な面白さを持った作品であった。

 

あらすじ 

借金の取り立て人のサンフン(ヤン・イクチュン)は女子高生ヨニ(キム・コッピ)と最悪の形で出会う。だが、二人はいつしか惹かれ合い始める。お互いが家族、特に父に問題を抱えていたからだ。ヨニとの交流からサンフンは借金取り稼業から足を洗おうと考え始めるが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演かつ監督のヤン・イクチュンがサンフンというキャラクターを完璧な形で描出したことに満腔の敬意を表したい。目つきから歩き方、平手打ちの食らわせ方からストンピングまで、まさにチンピラとしか言えない。そして、路上ですれちがっただけのヨニにつばを吐きかけ、あまつさえ頭部にパンチさえお見舞いする。真正のDV体質としか思えない。事実、サンフンは暴力に憑りつかれている。暴力を能動的、自発的に振るっているのではなく、何かに突き動かされて暴力を振るっている。その何かが劇中で徐々に明らかにされると共に、サンフンも徐々に変わり始めていく。そのきっかけがヨニである。

 

『 君が君で君だ 』のソンでも薄幸の女性を演じたが、本作では薄幸でありながらも勝ち気で強気な女子高生を100点満点で演じ切った。はっきり言って『 サニー 永遠の仲間たち 』のミン・ヒョリンや『 建築学概論 』のスジのような、息を吞むような美人ではないのだが、だんだんと惹きつけられると言うか、どんどんと魅力的に見えてくるから不思議である。最近の映画だと、『 はちどり 』のキム・セビョクにも同じことを感じた。

 

この二人が出会い、徐々に惹かれ合っていく過程に言葉は要らない。屋台で飲み食いし、ちょっとしたウィンドウショッピングをして、街を練り歩くだけでいい。それまで色彩などほとんど感じられなかったサンフンの世界が、急に色づき始める。画面にはほとんど他者はおらず、サンフンの世界では他者とは殴る対象だったはずが、普通の人たちの普通の営みで画面が覆いつくされる。それだけでサンフンとヨニの距離が縮まったということの説得力は十分である。

 

ヨニは言葉使いも粗く、服装も地味なのだが、そうした自分と共通する外面にサンフンの荒れ果てた心が癒されるわけではない。ヨニの健気さや屈託のなさがそうするわけでもない。サンフンは自分が憎いのだ。憎むべき父親と同じことを繰り返してしまっている自分が憎くてたまらない。自分が好きではないから、本当は可愛がってやりたいと思っている甥っ子や気にかけている姉に対して素直になれない。だからこそ、自分に対してどこまでも素直に接してくるヨニの存在が突き刺さるのだ。そうしたサンフンの心情が手に取るように分かるのである。主演のヤン・イクチュンは脚本・監督を務めているため、キャラを誰よりも巧みに表現することは当然とはいえ、これほど固い殻に覆われた心の内を、言葉ではなく表情や動作、ちょっとした所作で表現するのは見事である。ヨニに膝枕をしてもらうシーンは、動物が腹を見せる=降伏の意思表示にも見えた。同病相憐れむ二人のシーンはあまりにも王道すぎて反則ではないか。

 

ストーリーも期待に応えてくれる展開と予想を裏切ってくれる展開が入り混じっていて良い。ヨニの弟ヨンジェとサンフンが同じ事務所で働き始めることで生じる不穏な空気。そこで同時に生じる淡い期待。少し先への展開を読ませやすくすることで敢えて読ませにくくしているところも印象深い。

 

また高利貸し事務所のマンシク社長という存在のおかげで、ストーリー全体が裏社会のそれに引っ張られず、社会の一隅の現実であるという領域に留まっていることも大きい。自分の生活世界のどこかでこんな物語が起きている、または起きてもおかしくないと感じられるからである。

 

エンディングのシークエンスは文字通りに「息もできない」もの。ヨニの目にした光景は、ヨニにある心象風景をもたらした。ヨニの心情がヨニ自身によって語られることはなく、物語は閉じていく。それを想像せよ!ということが本作のメッセージなのだろう。暴力とは受け継がれるものなのか。人は暴力に引き寄せられるのか。暴力に憑りつかれた者は暴力からは逃れられないのか。観る者の心に何かを沈殿させることは間違いない作品である。

 

ネガティブ・サイド

一つだけ不満を述べさせてもらえるなら、サンフンの過去を回想するシーンのいくつかをもっと短く、もっと断片的にできなかったかということだろうか。サンフンの過去を詳細に描写する必要はない。それこそヨニが母を思い出すシーンぐらいでよかった。ほんのちょっとした記憶しかもはや残っていない、それでも自分はその過去、体験に突き動かされてしまっているという描写の方が、暴力の原体験の根深さを逆に想像しやすくなるのではないだろうか。

 

総評

まさに「息もできない」物語である。劇中で展開される暴力は、『 マーターズ 』で見せつけられる“目的のある暴力”ではなく、無意味で衝動的な暴力である。そのことが観る者の心を抉る。憎むべき暴力を愛する家族に向けてしまう、そしてその暴力性が子に引き継がれる。この連鎖が思いがけない形で連鎖してしまうところに本作の悲劇性があり、それが本作を衝撃的な作品に押し上げている。悲恋の物語としても純愛の物語としても王道作品にして一級品である。『 血と骨 』を見事に映像化した北野武に本作をリメイクしてほしいという夢想を抱いてしまう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

シバル

主人公サンフンが劇中で使いまくる卑罵語。意味は英語でf**cぐらいの意味らしい。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオがFワードを連発していたのと同じようなインパクトを感じる。英語であれ韓国語であれ、ネイティブスピーカーの真似は効果的な学習方法であるが、状況や文脈を無視した安易な真似はご法度である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, キム・コッピ, チョン・マンシク, ヤン・イクチュン, ラブロマンス, 監督:ヤン・イクチュン, 配給会社:ビターズ・エンド, 韓国Leave a Comment on 『 息もできない 』 -暴力の連鎖は止められるのか-

『 親切なクムジャさん 』 -イ・ヨンエの復讐劇に戦慄せよ-

Posted on 2020年9月19日 by cool-jupiter

親切なクムジャさん 70点
2020年9月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ヨンエ チェ・ミンシク オ・ダルス
監督:パク・チャヌク

 

Jovianの教えている大学の女子大生たちが『 愛の不時着 』に夢中になっている。だが彼女らは知らないだろう。自分たちが生まれた頃、あるいは直後ぐらいに放送された『 冬のソナタ 』や『 宮廷女官チャングムの誓い 』は、自分たちの親世代を熱狂させていたことを。特に前者のペ・ヨンジュンはマダムを、後者のイ・ヨンエはオッサンの心を鷲掴みにしていた。当時20代だったJovianもイ・ヨンエの虜になったものだ。そのイ・ヨンエの新作が間もなく公開される。復讐・・・ではなく復習のために本作をレンタル。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200919112941j:plain
 

あらすじ

誘拐と殺人の罪で服役するクムジャ(イ・ヨンエ)だったが、彼女は無実だった。13年の刑務所暮らしの中で囚人仲間に数々の親切を施すクムジャだったが、それはシャバに出た時に真犯人に復讐するための仲間作りのためだった。そして彼女の復讐劇が幕を開ける・・・

 

ポジティブ・サイド

どうしてもチャングムのイメージが強いが、あのドラマでも少女の天真爛漫さ、放逐されて途方に暮れる表情、医女となる決意を固めた顔、王や長年相思相愛だった文官とのロマンスで見せる艶のある顔など、イ・ヨンエの演技力の幅はすでに証明されていた。しかし、『 オールド・ボーイ 』のパク・チャヌク監督は、そんなイ・ヨンエの内からダークサイドを引きずり出した。復讐を果たさんとするクムジャの怒りと悲しみに満ちた苦悶の表情は、アカデミー賞級ではないか。『 MOTHER マザー 』のラストでは長澤まさみにこのような表情を見せてほしかったのだ。鬼子母神がいるとすれば、それはイ・ヨンエのような表情を見せる狂乱の母であろう。また、ホラー映画かと見紛うほどの顔面崩壊劇を見せており、美貌も何もかも吹っ飛ばしている。『 ディストラクション・ベイビーズ 』の柳楽優弥のボコボコの顔をイ・ヨンエが再現したと言ったら、その衝撃と恐怖が伝わるだろうか。とにかく本作はイ・ヨンエの表情だけでご飯が3杯はいけるのである。

 

脇を固める復讐仲間も味わい深い。刑務所と言えば『 ショーシャンクの空に 』や『 ブラッド・スローン 』のように、良くも悪くも濃密な人間関係が生まれるところである。中には殺人者だったいるわけで、そうした者たちとの交流と友情は、単なる友人関係を超えて戦友の域にあるのだろう。パク・チャヌク演じる教師に復讐するために、そこまでやるかと思う仕込みがある。普通に考えれば成立しないプロットだが、刑務所あがりならありえるかもしれないと思わせるパワーがあった。『 ショーシャンクの空に 』のアンディとレッドの抱擁がどんな男女のロマンスよりもセクシーかつ崇高に見えたように、特別な人間関係は刑務所で生まれるのかもしれない。

 

復讐のために生きる。その姿は時に神々しいまでに美しいが、復讐を果たした時にその輝きがどうなるのかは誰にも分からないだろう。『 アジョシ 』でも、ソミが殺されたと思い込んでいたテシクは、組織に復讐を果たした後、自らの頭を銃で撃とうとした。復讐は生きる理由になるが、逆に言えば死ぬ理由にもなる。親切なクムジャさんが最後に見せる表情とは何か。そして我々はその表情を見られるのか。その答えは是非、自分の目でお確かめを。

 

ネガティブ・サイド

凄惨な暴力シーンもあるが、『 オールド・ボーイ 』が凄すぎたこともあり、今一つ衝撃的には感じなかった。SBホークスの柳田みたいだ。超弾丸軌道の特大ホームランをコンスタントにかっ飛ばすせいで、普通にスタンドに入るだけのホームランでは客は満足しない。

 

クムジャの有罪を確信しきれない刑事が少々無能すぎやしないか。『 暗数殺人 』のように、大人絡みの事件なら、事件が表面化せず、結果的に暗数犯罪になってしまうこともあるだろうが、子どもばかりを狙う誘拐犯という線で捜査をしていけば、チェ・ミンシクには割とすぐにたどり着けたのではないか。

 

また復讐の女神としてのイ・ヨンエが終盤で少々ぶれる。刑務所仲間は良いとしても、その他のキャラクターにも登場してもらうのは、物語的にはノイズになっていた。いっそのことキム・ヘジャとは一味違った『 母なる証明 』を追求してほしかったと思う。協力者はいても、ミッションの最も肝の部分は自分が達成するのだという気概が弱かったように感じた。

 

総評

韓国映画お得意の復讐物語としては標準以上の面白さ。イ・ヨンエの演技力の幅を存分に堪能することができる。日本でもバイオレンス物はそれなりに作られているが、血の臭いが漂ってくるもの、見ているこちらまで痛みを感じてしまうもの、キャラクターの放つ瘴気に精神を摩耗させられるものとなると、韓国映画には残念ながら敵わない。『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』が待ち遠しくなるし、イ・ヨンエの銀幕への復帰が、ウォンビンに良い刺激を与えてくれるのでは、との期待も生まれる。

 

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クロニカ

だから、の意。『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』でも紹介した表現。慣れてくれば、「クロニカ、オーケー(OK)」とか「クロニカ、カジャ」のように、すでに知っている表現を組み合わせて使ってみるのもよいだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, イ・ヨンエ, オ・ダルス, スリラー, チェ・ミンシク, 監督:パク・チャヌク, 配給会社:東芝エンタテインメント, 韓国Leave a Comment on 『 親切なクムジャさん 』 -イ・ヨンエの復讐劇に戦慄せよ-

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