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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:東宝

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年よ、大人になれ-

Posted on 2021年6月30日 by cool-jupiter

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 75点
2021年3月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 坂本真綾
監督:鶴巻和哉 中山勝一 前田真宏
総監督:庵野秀明

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仕事が忙しすぎるのだが、週末ぐらいはなんとか時間を作れるので、公開終了前に再鑑賞。

 

あらすじ

葛城ミサト率いるヴィレはパリ市街をコア化から解放するために使徒もどきと激闘を繰り広げていた。その頃、カヲルを失って放心状態になっていたシンジ(緒方恵美)は日本の第三村で大人になったトウジやケンスケと再会して・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の使徒もどきvsヴンダーの搭載艦&マリは圧巻のスペクタクル。この部分だけでも繰り返し観たいと思わせる迫力。

 

大人になったトウジやケンスケが、壊れてしまった世界の再建に微力ながら貢献している様に、本来の大人のあるべき姿を見る思いである。子ども=性と労働から疎外された存在であるなら、大人とは性と労働に従事する存在だから。

 

シンジの立ち直りと綾波のそっくりさんやアスカとの精神的な別れを経て、父親であるゲンドウを精神的に殺すに至る過程。そして海という母の羊水の象徴から抜け出て、また別の海=マリに向かっていくという流れに再鑑賞でシンクロできた。綾波、式波、真希波の軍艦名ばかりが注目されるが、マリ=Mari=Mare=イタリア語の海の複数形だということも強調されてよいはずだ(牽強付会という自覚はある)。

 

ゲンドウとシンジの一騎打ちは初回鑑賞時と同じく笑った。再鑑賞では、精神的な意味での父親殺し以上に、あまりにも自分の欲望に素直でいるために結果として素直になれないという逆説的な自分の心の葛藤を表しているように感じられた。

 

結局のところ、シンジ=庵野秀明の自己投影だという構図が最後まで維持された。いや、『 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に 』で「現実=夢の終わり」と明言した、あの嫌な庵野がいなくなったと言うべきか。嫌な庵野というのは、現実で満たされない自分を虚構の作品の中でも満たそうとしない屈折した精神構造の持ち主という意味である。庵野も大人になったということか。mellowになったと言い換えてもいい。エヴァンゲリオンが存在しない世界というのは、もはや胎内回帰を必要としない世界ということで、男が母親離れするのは妻ができた時と相場が決まっている。マリ=安野モヨコだと巷間よく言われることだが、正にその通りなのだろう。おめでとう、碇シンジ=庵野秀明。君は自慰にふける少年を脱して、愛し愛される大人になったのだ。

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ネガティブ・サイド

サクラたちがシンジをどこまで敵視する描写がくどい。トウジからの手紙を受け取ったサクラがちょっと改心、あるいは回心するような描写が欲しかったと思う。

 

今更ケチをつけてもしょうがないが、宇多田ヒカルの歌う『 One Last Kiss 』や『 Beautiful World 』のストレートすぎる歌詞が新世紀エヴァンゲリオンの世界観に合わないように感じる。どうしようもなく。『 残酷な天使のテーゼ 』や『 魂のルフラン 』、『 心よ原始に戻れ 』が持っていた強烈な寓話性が感じられない。

 

総評

びっくりしたのが、再鑑賞時の劇場の客の入り。底を脱したとはいえコロナ禍のただ中で4割ほど入っていた。そして観客のほとんど全員がリアルタイム世代のJovianよりも若かった。20歳前後と思しき女子やナード男子4人組など、どう考えても彼ら彼女らも再鑑賞組。リアルタイム世代以外でもファンになり、完結作品を何度もしっかり見届けるファンがいることを知って、邦画(アニメだが・・・)もまだ死んでいないと思わされた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

doggo

犬のちょっと可愛らしい言い方。つまり、ワンコくんの試訳。たぶん、劇中の大部分でマリはシンジをpuppyと呼んでいるのだろうが、最後の最後だけはdoggoと呼んでいるような気がする。doggoは元々はインターネットスラングかつインターネットミームだったのだが、今では普通に会話でも使うようになった。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, アニメ, 坂本真綾, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:中山勝一, 監督:前田真宏, 監督:鶴巻和哉, 総監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:東宝, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年よ、大人になれ-

『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

Posted on 2021年4月4日 by cool-jupiter

モンスターハンター 50点
2021年4月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ トニー・ジャー
監督:ポール・W・S・アンダーソン

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実はJovianはモンハンはプレイしたことがない。しかし、モンハン製作者の方の一人と交流があるため、モンハンは応援しているフランチャイズの一つである。USJでモンハンのアトラクションにも行ったし、幸運にもコンサートに招待されたこともある。CDを買って、サインをしてもらったこともある。けれど映画は映画、ゲームはゲーム。批評は公平にせねばならぬと言い聞かせてもいる。

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あらすじ

国連軍所属のアルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は隊と共に砂漠の嵐に飲み込まれた。気が付くとそこは巨大な怪物が跋扈する異世界だった。隊員は巨大蜘蛛に殺されてしまい、アルテミス自身も窮地に陥る。しかし、そこで彼女はハンター(トニー・ジャー)と出会い・・・

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ポジティブ・サイド

ディアブロスやネルスキュラといったモンスターの迫力が素晴らしい。JovianはあまりCGそのものには感動しないのだが、大学生の頃に観た『 ロード・オブ・ザ・リング 』のバルログを心底怖いと思ったが、あの感覚に近い。『 ホビット 竜に奪われた王国 』の邪竜スマウグにも同様の感覚を抱いた。ゴジラやガメラといった怪獣は着ぐるみとの親和性高いし、『 エイリアン 』のゼノモーフなども着ぐるみであるからこその実在感があった。だが、モンハン世界は神話や伝説のファンタジー世界の方に近いのでCGでも問題はなしである。

 

ミラ・ジョヴォヴィッチとカプコンは相性が良いのかな。『 バイオハザード 』と『 バイオハザードⅡ アポカリプス 』は面白かった(シリーズ最後の2つは観ていないが)。本作でも、いわゆる戦う女性としてのアイデンティティを見事に発揮。アリス役で銃を撃ちまくる姿を思わず重ね合わせたファンは多いのではないだろうか。

 

ハンター役のトニー・ジャーはミラ・ジョヴォヴィッチを上回る存在感。ゲーム未プレイのJovianでも「あ、なんかゲームのキャラっぽい」と直感した。格闘能力や弓矢の腕前、ハントの知恵など、本当はもっとたくさんいるはずのハンターたちの属性を一手に引き受けていたように思うが、確かにそれらをすべて体現していた。タイ人ということだが、日本人でもこういう無言・無口で、しかしアクション能力は抜群みたいな役者は、ハリウッドを目指すべきだと思う。トニー・ジャーが今作で見せたパフォーマンスは日本や韓国、インドの役者がハリウッド進出を目指す際の一つの目安になるのではないか。

 

ディアブロスとの戦闘シーンは迫力満点。ゲームのドラクエやFFなど、明らかに自分よりも遥かに巨大なモンスターと戦っている時の自らの脳内イメージに近いものがあったし、ファンタジー世界に浸っているという感覚も十分に味わえた。モンハン未プレイ者としては、それなりに満足できた。

 

ネガティブ・サイド

製作者の方が言っていた「モンハンの魅力はチームワークとコミュニケーション」がきれいさっぱり抜け落ちていた。きれいさっぱりは言い過ぎか。一応、序盤のAチームの面々にはチームワークとコミュニケーションがあった。が、それは単なる死亡フラグやろ・・・

 

タイトルが『 モンスターハンター 』、コンセプトも「モンスターを狩る」ということのはずなのに、そこが弱い。アルテミス大尉とハンターのバトルはそれなりに見どころはあるものの、はっきり言って不要なシークエンスだった。映画自体は続編のありきの作り方とはいえ、人間パート、もっと言えば人間同士のバトルのパートはもっと削って「モンスターを狩る」、「モンスターの皮や角や牙から武器防具やアイテムを作る」というモンハンならではの世界観の構築に時間とエネルギーを費やすべきだった。そしてそうした思考や行動は現代人であるアルテミスにも可能なはず。普通に考えれば、現代兵器が通用しないモンスターの皮なら実用的な防弾ベストが作れると考えるはずだし、そうすべきだった。どこからともなくアルテミスの体のサイズにぴったりの鎧が出てきたのは不可解だし、逆に鎧を着せるなら、その鎧を手に入れる過程こそしっかり描くべきだった。

 

アルテミスというキャラについても疑問に感じられる点が一つ。自分は指輪というアイテムを後生大事に持っている癖に、ハンターが祈りを捧げる人形にまったくリスペクトを払わないというのはこれ如何に。国連軍所属ということは世界のあらゆる地域の紛争に介入する可能性があるということ。つまり、異文化への理解が不可欠なはずなのだ。そうした職業軍人としての背景と行動が矛盾しているし、単純に見ていて気持ちの良いものではない。

 

一点だけ映画のプロットに関係のないネガティブを。それは序盤の字幕。”I got it!”とあるキャラが叫ぶシーンがで字幕が「分かった!」になっていたが、これは間違い。正しくは「(エンジンが)かかった!」である。

 

総評

アクション映画、ファンタジー映画として観ればそこそこの出来である。ゲーム『 モンスターハンター 』の映画化として観れば微妙だろう。モンハンのいわゆるテーマソング、あれが少しでも使われていれば、それだけで一部のファンはゲーム世界と映画世界がつながったと感じられたはず。まあ、良くも悪くもゲーム世界と映画世界は別物だと理解して鑑賞するかどうかを決める必要がある。ちなみにMOVIXあまがさきの客入りはさびしいものだった。ゲームファン世代であるべき10代~30代はほとんどおらず、どういうわけか年配の方々ばかり。公開から1週間以上が経過しているとはいえ、土曜の昼にこのありさまと言うことは、ゲームファンからそっぽを向かれた作品なのだろう。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bait

エサの意。ただし、ペットの犬や金魚にエサをやるという時のエサではなく、獲物などを呼び寄せる時に使うエサのこと。釣りを嗜む人ならベイトやルアーなどの言葉に馴染みがあるだろう。魚をベイトでルアーするわけである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, トニー・ジャー, ファンタジー, ミラ・ジョヴォヴィッチ, 監督:ポール・W・S・アンダーソン, 配給会社:東和ピクチャーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年、神話にならず-

Posted on 2021年3月11日 by cool-jupiter

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| ??点
2021年3月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 
監督:庵野秀明

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ちょっと頭が混乱している。何か大きな感動を味わったような気もするし、肝心なところは有耶無耶なまま騙されたような気もする。レビューも書けそうにない。前3作はすべて劇場で観たが、最後のQから何年経ったのか。やはり復習鑑賞無しで臨むのは無理があったか。

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以下、取り留めのないメモ

 

・トウジやケンスケ、委員長が「大人」になっていることを素直に嬉しく思えた。子ども=性と労働から解放されている者、大人=性と労働に関わる者である。

 

・第三村のパートが少し冗長か。

 

・碇ゲンドウがひたすらキモイ。これはもう昔からそうだが、ユイと再会したいと願いつつ、結局そこにあるのは胎内回帰願望。人類補完計画と大仰に銘打っても、結局はユイを抱きたい、ユイに抱かれたいという非常に幼児的な欲求でしかないように思う。

 

・綾波の笑顔は、やはり絵が粗い最初期のものが一番ステキだなと感じる。

 

・アスカ、報われない女・・・

 

・マリ、いい女。

 

・『 残酷な天使のテーゼ 』も『 魂のルフラン 』も流れなかった。:||という反復記号の意味は・・・?

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311175018j:plain元々のテレビアニメはJovianが高校生の頃に深夜放送していた。当時は“知る人ぞ知るアニメ”だったように思う。それこそクラス人数30人のうち、見ていたのは自分含め3人ぐらいしかいなかった。そこから一つの大きな潮流が生まれ、そして完結するという事象をリアルタイムに体験することができたのは僥倖だが、作品そのものを楽しめたのかどうか、それが自分でも分からない。本作で碇シンジはエヴァンゲリオンから「卒業」したわけだが、これはクリエイターとしての庵野秀明にとってプラスになるのか、マイナスになるのか。阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件で閉塞感に満ちた世界から、ある意味で逃避できる作品だったのかな。かつて庵野から「いい加減、目を覚ませ」と痛烈なメッセージをリアルに受け取った世代としては、本作が完結であると受け止めづらい。そう感じるのは碇シンジが音になってしまったからなのか、庵野秀明が大人になってしまったからなのか、自分が大人になってしまったからなのか、それとも自分が大人になり切れていないからなのか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, アニメ, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:東宝, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年、神話にならず-

『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

Posted on 2020年12月28日 by cool-jupiter
『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

映画 えんとつ町のプペル 60点
2020年12月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:窪田正孝 芦田愛菜
監督:廣田裕介

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キングコング西野がうんたらかんたらと言われているが、Jovianはクラシカルな芸人にしか知らない。テレビで観るのは大御所の漫才か吉本新喜劇ぐらいなのだ。本作はそのビジュアルとキャラクターに惹かれて鑑賞した。何の贔屓目も無しに良作と言えると思う。

 

あらすじ

常に煙に覆われたえんとつ町のゴミ集積場に流星が舞い降りた。その流星はゴミを引き寄せ、ゴミ人間(窪田正孝)に。ゴミ人間はえんとつ町でプペル(芦田愛菜)と運命的な邂逅を果たす。プペルは、かつて父が語っていた、晴れない空の向こうに星があることを信じていて・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からスタジオ4℃の絢爛豪華なアニメーションが映える。Jovianが知る最も古いスタジオ4℃の作品はゲーム『 エースコンバット04 』の紙芝居風CG劇だが、時代を経ることでこれほどに表現の幅が出てくるものなのかと素直に感心する。この映像体験は大画面でこそ体験されるべきだろう。

 

キャラクターの造形もなかなかだ。適度にデフォルメされたアニメ的な人物像、なかんずく主人公のルビッチは、庇護したいという気持ちを観る側に生じさせるだけではなく、その成長を見守りたいという気持ちにもさせてくれる。つぶらな瞳の奥底に意志の強さが垣間見えるのだ。相棒となるゴミ人間のプペルの形や声もいい。思わぬスペクタクルから始まる二人の友情に思わず胸が熱くなってしまった。というか、友達を通り越してお前らはもう戦友だろう?と感じてしまった。ルビッチとプペルの交流のすべてが実に微笑ましく、だからこそ生じる関係の亀裂とその真相が明かされるとき、我々は友情の本当の意味を知る。

 

えんとつ町の秘密も(一点を除けば)なかなかに練られていると思う。子どもなら異端審問所が悪、真実を追求するルビッチやプペルが善、という二項対立的な見方をすることもできるし、10代後半以上なら善悪や正誤以上に信念を貫き通すことの尊さを感じ取ることもできる。大人であれば、陳腐ではあるが、非常にダイレクトに閉塞感の横溢する日本社会批判になっていることに気付くだろう。

 

原作の絵本は未読だが、エンタメ映画としては良いペースで物語を展開できている。100分というのはちょうどよい塩梅に感じた。年末年始にちびっ子を映画に連れていくなら、ドラえもんよりも本作を選ぶべし。

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ネガティブ・サイド 

Spectacularな映像という意味ではオリジナリティはまったくない作品である。えんとつ掃除の人夫が勢ぞろいしてアクションするのは『 メリー・ポピンズ 』で既視感ありありだし、トロッコによるスピード・アクションは『 インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 』をどうしたって彷彿させるし、終盤の船のシーンはまんま『 アポカリプト 』と『 ハウルの動く城 』である。えんとつ町そのものもゲーム『 ファイナルファンタジーVII 』の都市ミッドガルに道頓堀と東大阪の要素を付け足したようなもの(これは大阪人なら感じ取れるはず。生粋の南大阪人のJovian嫁が感じたことで手、兵庫人のJovianも同じように感じた)。

 

えんとつ町の貨幣制度は非常に興味深いが、法定通貨の交換可能性を担保(あるいは強制)しているのは一体誰なのか。異端審問所?普通に考えれば、長い年月を経過するほどに物々交換制度に移行していきそうなものだが。世界史上における戦争の99%は経済戦争であるが、貨幣を奪おうとして戦争が起こった例などほとんど存在しない。狙われるのは資源であって貨幣ではない。なかなか練られた世界観だが、ここだけは決定的な違和感を覚えた。

 

ストーリー全体も『 天空の城ラピュタ 』と『 天国から来たチャンピオン 』のごった煮。せっかく映像はcinematicに映えているのだから、もっと映像で物語るべきだ。劇中に2~3度挿入される歌もノイズに感じた。語るのではなく感じ取らせる、映像と音楽と効果音と物語でそれを行う。それが映画である。ストーリーのメッセージ部分をナレーションで伝える最終盤の展開にもやや興ざめ。これでは本当に絵本か紙芝居だ。次回作以降では廣田裕介監督のoriginalityとcreativityに期待をしたい。

 

総評

各所のレビューでは絶賛コメントが溢れているが、おそらくかなりの割合がサクラだろう。良作ではあるが傑作ではない。もちろん、面白さの基準は人それぞれだが、映画という媒体として評価されるべき点(脚本、演出、撮影etc)に触れたものが非常に少ないところが気になる。オリジナリティの無さも癖の無さ、つまり万人に受け入れられやすい作りになっていると見ることもできる。すべては相対的なのだ。今後鑑賞される諸賢は、主人公ルビッチの言うように「見ていないのにどうして分かる?」というニュートラルな姿勢で臨まれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look up

上を見る、の意。Look up at ~で、~を見上げる、と言える。Look up to ~は本来は「~を尊敬する、敬愛する」の意味だが、同じように「~を見上げる」の意味で使われることがあるのは『 ボヘミアン・ラプソディ 』の“Open your eyes, look up to the skies and see”の歌詞からも分かる。他にもlook ~ up in a dictionary = ~を辞書で調べる、という用法もある。別にa dictionaryのところはwikipediaでもdatabaseでも何でもよい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:廣田裕介, 窪田正孝, 芦田愛菜, 配給会社:吉本興業, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

Posted on 2020年12月21日 by cool-jupiter
『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

約束のネバーランド 20点
2020年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 浜辺美波 板垣李光人
監督:平川雄一朗

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私的年間ワースト候補の『 記憶屋 あなたを忘れない 』の平川雄一朗がまたしてもやらかした。原作漫画は未読(Jovian嫁は序盤だけ読んだ)だが、それでも色々とストーリーが破綻しているのは明白である。

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あらすじ

グレイス=フィールドハウス孤児院ではママ・イザベラ(北川景子)によりたくさんの子ども達が養われ、里親に引き取られる日を待っていた。ある日、里親に引き取られたコニーが忘れたぬいぐるみを届けようとエマ(浜辺美波)とノーマン(板垣李光人)は孤児院の門へと向かった。そこで彼女たちが目にしたのは、コニーの死体、人を食らう巨大な鬼、そしてママ・イザベラだった・・・

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ポジティブ・サイド

孤児院の建物および周囲の自然環境が素晴らしい。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した西洋建築だと言われても全く驚かない。また草原および森林も風光明媚の一語に尽きる。陽光とそよかぜ、そして鬱蒼とした森はまさに別天地で、現実離れした孤児院の設定に大きなリアリティを与えている。

 

浜辺美波の顔と声の演技は素晴らしい。嫁さん曰はく、「漫画と一緒」ということらしい。嫁さんの評価は措くとしても、イザベラとの探り合いで披露する「演技をしているという演技」は圧巻。20歳前後の日本の役者の中では間違いなくフロントランナーだろう。ノーマン役の板垣李光人も良かった。オリジナルの漫画を知らなくとも、原作キャラを体現していることがひしひしと伝わってきた。

 

北川景子と渡辺直美の大人キャラも怪演を披露。特に渡辺の演技は一歩間違えれば映画そのもののジャンルをホラー/ミステリ/サスペンスからコメディ方向に持って行ってしまう可能性を秘めていたが、出演する場面すべてに緊張の糸を張り巡らせていた。北川景子も慈母と鬼子母神の二面性を見事に表現していた。彼女のフィルモグラフィーに今後くわえるとすれば『 スマホを落としただけなのに  』の被害者のような役ではなく、逆にサイコなストーカー役というものを見てみたい。

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ネガティブ・サイド

 

以下、マイナーなネタバレに類する記述あり

 

演技者の中で断トツに印象に残ったのは城桧吏。好印象ではない。悪印象である。『 万引き家族 』では元々無口な役柄だったせいか悪印象は何も抱かなかったが、今作の演技はあらゆる面で稚拙の一言。はっきり言って普通の中学生が暗記した台詞を学芸会でしゃべっているのと同レベル。これが未成年でなければ、返金を要求するレベルである。普段から発声練習をしていないのだろう。表情筋の動かし方も話にならない。能面演技とはこのことである。身のこなしも鈍重で、数少ないアクションシーン(殴られるシーンや回し蹴り)でもアクションが嘘くさい。本人の意識の低さにも起因するのだろうが、それ以上に周囲のハンドラーの責任の方が大きい。本作に限って言えば、これでOKを出した平川監督に全責任がある。クソ演技・オブ・ザ・イヤーを選定するなら、城桧吏で決定である。

 

頭脳明晰な年長の子ども達とママ・イザベラとの頭脳戦・神経戦が見どころとなるはずであるが、そこにサスペンスが全く生まれない。3人で密談するにしても、ハウス内の扉も閉まっていない部屋で、秘密にしておくべき事項をあんなに大きな声で堂々と話すのは何故なのか。「壁に耳あり障子に目あり」という諺を教えてやりたい。だったら屋外で、というのもおかしい。ママ・イザベラは発信機を探知する装置を常に携帯しているわけで、誰がどこにどれくらいの時間集まっているのかは、探ろうと思えば簡単に探れるわけで、密談をするにしても、その時間や場所や方法をもっと吟味しなければならないはずだ。例えば3人の間でしか通用しないジャーゴンや暗号を交えて話す、手紙や交換日記のような形式でコミュニケーションするなど、ママの目をかいくぐろうとする努力をすべきではなかったか。ミエルヴァなる人物が送ってきてくれた本から、いったい何を読み取ったというのか。もちろん、この部分をある程度は納得させてくれる展開にはなるのだが、そこまでが遅すぎるし、途中の展開にはイライラさせられる。

 

シスター・クローネの扱いにも不満である。渡辺直美演じるこのキャラおよび他キャラとの絡みはもっと深掘りができたはず。途中で退場してしまうのが原作通りのプロットであるならば仕方がない。だが、彼女がエマやノーマンやレイに見せつけた心理戦の駆け引き、その手練手管がエマにもノーマンにも伝わっていない。その後に見事にママを出し抜くのはストーリー上の当然の帰結として、そこに至るまでの過程には必然性も妥当性もなかった。本当にこいつらは頭脳明晰なのか。仮に鬼のテリトリーを脱出して人間の世界に入れたとしても、これでは人間に騙されて別のプラントにさっさと収容されて終わりだろう。

 

最後の脱出劇も無茶苦茶もいいところだ。あるアイテムを使うこともそうだが、それ以上に、カメラアングルが変わった次の瞬間にロープの片側がありえない地点に固定されていることには失笑を禁じ得なかった。そんな技術と身体能力があるのなら、それこそ回りくどく迂回などせず、正攻法で谷を降りて崖を昇れば済むではないか。

 

建築や自然が素晴らしかった反面、小道具のしょぼさや不自然さにはがっかりである。特にこれ見よがしに出てくる大部の書籍は、どれもただの箱にしか見えなかったし、実際にただの箱だろう。開けられるページは常に最初のページのみ。手に持った時の重みの感じやページ部分がたわむ感じが一切なかった。外界とほぼ完全に隔絶されたハウスに、ボールペンや便せんといった消耗品がたくさん存在するところも不自然だし、食料も誰がどこでどのように調達しているのだ?原作には説明描写があるのだろうが、映画版でそれを省く理由はどこにもない。世界の在り方をエマたちと共に観客も知っていく過程にこそ面白さが生まれるのだから、この世界観を成立させるためのあれやこれやの小道具大道具はないがしろにしてはならないのである(大道具は頑張っていたと評価できる)。

 

劇中ではずっと“脱獄”と言われているが、別に監禁や留置をされているわけではないだろう。正しくは脱走または脱出と言うべきだが、これについても何も説明がなかった。全編を通じて、正しい日本語が使われておらず違和感を覚えまくった。

 

アメリカのヤングアダルトノベルの映画化『 メイズ・ランナー 』の劣化品で、実写化失敗の『 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN 』と並ぶ邦画の珍品の誕生である。

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総評

予備知識がほぼゼロの状態で観に行ったが、映画を通して原作の良いところと悪いところが結構見えたような気がする。おそらく原作漫画ファンでこの映画化を喜ぶのは10代の低年齢層だろう。そうした層をエンターテインしようとしたのなら、平川監督の意図は理解できるし、実写化成功と評しても良い。だが、上で指摘したような欠点の多くを改善することで、10代の若い層が本作を楽しめなくなるか?ならないと勝手に断言する。そうした意味では、平川監督は流れ作業的に映画を作った、原作ファン以外のファン層を開拓する努力を怠ったことになる。2021年も邦画の世界は小説や漫画の映画化に血道を上げ続けるのだろうが、それをするなら一定以上の気概と技術を持って欲しいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

edible

食用の、食べられる、の意。一応辞書には載っているが、eatableとはまず言わない。同じようにdrinkableもほとんど使われない。飲用可能はpotableと言う。portableとしっかり判別すること。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, アドベンチャー, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 板垣李光人, 浜辺美波, 監督:平川雄一朗, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 約束のネバーランド 』 -漫画実写化の珍品-

『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

Posted on 2020年11月2日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

罪の声 75点
2020年10月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:星野源 小栗旬
監督:土井裕泰

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Jovianは1979年生まれなので、本作で言うギンガ・萬堂事件のモチーフとなったグリコ・森永事件はリアルタイムではあまり覚えていない。しかし、1980~1990年代、三億円事件と並んで雑誌やテレビで頻繁に特集されていたので、事件がどういったものであったかはよく覚えている。ミステリと人間ドラマの要素をほどよくブレンドさせて、2時間20分ほどの長丁場をよくもたせている。

 

あらすじ

テーラーとして慎ましく生きていた曽根俊也(星野源)は、35年前の叔父のカセットテープに吹き込まれた自分の声が、ギンガ萬堂事件に使用されていたことを知ってしまう。同じ頃、大日新聞の記者、阿久津(小栗旬)は平静という時代の終幕に際して、昭和最大の未解決事件であるギンガ萬堂事件の再取材に動き出していた・・・

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ポジティブ・サイド

『 殺人の追憶 』と同じく、全国を震撼させた未解決事件に焦点を当てた作品。ただ、こちらはリアルタイムで事件を捜査する過程を追うのではなく、事件から35年後、二つの異なる視点から事件を再構築していこうという試み。その意味では『 JFK 』に近いとも言える。

 

苦悩しながらも独自に事件を追う曽根と、事件を再取材する阿久津が、一つの流れに合流していくまでがとても緻密に丁寧に描かれていることに好感が持てる。35年経ったからこそ口を開く関係者がいるというのも首肯できる。『 22年目の告白 -私が殺人犯です- 』ではないが、過去の未解決事件の真相というものは常に魅力的である。『 JFK 』の如く、過去の関係者たちから独自の証言を引き出していく過程は非常にスリリングである。証言者Aから証言者Bの存在が浮かび上がり、証言者Bの提示するアイテムから証言者Cの存在が浮かび上がっていく。その糸を、曽根は当事者として、阿久津は新聞記者として、丹念に手繰り寄せる手法に説得力がある。事件によって傷ついた人々への共感や理解が感じ取れるからである。

 

曽根と阿久津が合流してからの取材は変則のバディ・ムービー。曽根は仲間、一種の共犯者的存在を阿久津に見出す一方で、そのことが人生を奪われた「罪の声」のもう一人の主とのコントラストをより残酷に際立たせている。このことが、曽根が疑問に感じ、阿久津が答えを出せなかった、「真実を明らかにする意義」につながっている。真実によって不利益を被る人間もいれば、真実によって救済される人間もいるのだ。そのジレンマを冗長なセリフではなく細やかな表情や情景の描写で描き切ったのは見事である。

 

犯人および真犯人の背景や因果も納得できる。意外性と同時に真実味もあり、時代の移り変わりに際して、時代に取り残された者の末路が見せつけられる。それに理解を示すこともできるし、怒りを抱くこともできる。人間の業の深さを知るとともに、人間の懐の深さも示される。結末は、これ以外に無いというほど締まっている。

 

大阪の街が随所に映し出されるのも、地元民にとっては楽しい。1980年代の事件でありながら、今でも迫真性を伴って観る側に迫ってくるからだ。堂島や心斎橋周辺の景色に馴染みがある人は、本作をそうした視点から楽しめることだろう。

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ネガティブ・サイド

35年という時間に隔てられた過去と現在を行き来する物語であるが、序盤に出てくるラジカセがもうダメである。35年前のアイテムが、まるで昨日使ったものであるかのように、埃一つかぶっておらず、テープに吹き込まれた音声も経年によって変化していないこともポイント減である。そんな馬鹿な・・・ 製作陣の誰一人として、10年ぶり20年ぶりにカセットテープを再生してみたいという経験の持ち主はいなかったのだろうか。

 

株価操作説は説得力がない。『 マネー・ショート 』や『 国家が破産する日 』のように、国家的な動乱や危機であれば、反動も期待できる。しかし、事件が未解決である期間が長くなればなるほど、企業倒産のリスクは高まり、株が紙切れとなるリスクも同時に高まる。実際にリアルタイムで模倣犯が多数発生していたわけで、株価が底値を打つタイミングを読んだり、空売りを仕掛けるタイミングを読んだりするのは、著しく困難だったはずだ。だからこそ、「思ったより儲けが出なかった」もだろうが、それらの模倣犯の中に本当に予告も何もなく菓子に毒を混入する輩がいて被害者が出ていたならば、株価も企業価値もすべてが吹っ飛ぶではないか。また、事件の真相と犯人が明らかにされても、「中央」にまで取材が及ばなければ、画竜点睛を欠くと言わざるを得ない。

 

メディアの役割を問い直すシーンはあるが、警察の役割を問い直すシーンも欲しかった。犯行グループに警察くずれがいることの是非を、架空の現役警察官キャラクターに語らせることはできなかったかと少々残念に思う。

 

総評

終盤のカタルシスにもう一押しが足りないが、それでも本作は十分に面白いと評することができるだろう。一つの謎が解かれるたびに新たな謎が生まれていく過程は、ミステリとしても上質で、実在した歴史的な背景から人間の業を説明するところにヒューマンドラマとしての重厚さを味わえる。小栗旬は少々奇矯なキャラを演じることが多かったが、今回は押さえた演技を優先することで、言葉ではなく行動で語るジャーナリスト像を深掘りできていたし、星野源は市井の小市民ながら職業人として、父として、夫として、息子としての側面全てを出し切った。『 鬼滅の刃 』で劇場に足を運んでくれるようになったライトな映画ファンには、本作にも注目をしてほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fox-eyed

「キツネ目」の意味の形容詞。何らかの語にハイフンで分詞をくっつけることで、日本語お得意の複合形容詞を英語でも作ることができる。

 

翼を持ったペガサス=Winged Pegasus
一つ目小僧=One-Eyed Child
三足烏=Three-Footed Crow
三頭竜=Three-headed Dragon
八岐大蛇=Nine-headed Dragon

 

など、色々とかっこいい表現が可能になる。そういえばFFⅦのセフィロスのテーマ音楽も“One-Winged Angel”(発音注意 ウィングド× ウィンギード〇)だった。こうした複合語を違和感なく消化できれば、立派な英語中級者である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ミステリ, 小栗旬, 日本, 星野源, 監督:土井裕泰, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

『 糸 』 -壮大なファンタジーだが、残念ながら二番煎じ-

Posted on 2020年9月1日2021年1月22日 by cool-jupiter

糸 60点
2020年8月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉 小松菜奈
監督:瀬々敬久

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傑作と凡作と駄作の全てをコンスタントに放ってくる瀬々敬久監督の最新作。本作は、可もあり不可もある中庸の作品か。

 

あらすじ

漣(菅田将暉)と葵(小松菜奈)は北海道の美瑛で出会ったが、様々な事情から引き離されてしまう。北海道で生きる漣と、東京、沖縄、シンガポールと流れていく葵。二人の運命の糸は果たして交わるのか・・・

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ポジティブ・サイド

小松菜奈が何とも良いオーラを醸し出している。『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』とは違い、年月の移り変わりとともに確実に年齢を重ねているということを観る側に実感させてくれた。もちろんメイクアップアーティストや衣装の力も大きいことは言うまでもない。子役の子の顔との連続性も感じられた。ほくろが印象的な小松だが、それ以外にも髪型やあごの形など、非常にうまく少女時代と成人時代を結び付けたと思う。

 

『 ディストラクション・ベイビーズ 』でも感じたことだが、小松菜奈はケバイ衣装がよく似合う。同時に『 沈黙 -サイレンス- 』で必死に英語(なぜポルトガル語ではなかったのか?)でお上に訴える少女役で見せたような、また『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』で演じたような苦難に耐える役もまたよく似合う。小松菜奈のファンであれば本作はmust watchだろう。

 

本作は平成13年から令和元年までの間の漣と葵の二人の人生を描くという壮大な絵巻である。中学生にして駆け落ちを試みるも失敗。その後、成田凌演じる幼馴染の結婚(相手が葵の友だち)式のために初めて訪れた東京で、葵と8年ぶりの再会を果たすというのは、ベタではあるがリアルだ。その後の二人の運命も数奇としか言いようがない。縦の糸として、つまり北海道の美瑛から動かずに生きることを決意する漣と、横の糸として、つまり各地を転々として葵が、それぞれに出会いと別れを経験し、自らの人生を切り拓いていく様は、その片方だけにフィーチャーしても一本の映画が作れそうなほど濃密である。『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』にインスパイアされたかのような展開には不覚にも涙したし、『 洗骨 』のようなまったりゆったりした沖縄の時間の流れ方には(一瞬だけ)和んだ。

 

シンガポールで成功を掴んだかに見えた葵が、ここでも打ちのめされることになる展開はさすがにこれは現代版『 おしん 』なのか?とも思えたが、ここで小松がとあるカネに手を付け、さらにとあるものを食べながら涙するシーンが極めて印象的だ。『 さよならくちびる 』でも、カレーを食べながら思わず涙してしまうというシーンがあったが、小松菜奈は単純な涙だけではない、シーン全体で心情を表現できる女優に成長しつつあるようだ。

 

様々な紆余曲折を経て、それぞれの人生を歩んでいく漣と葵。運命の糸というのは、果たして存在するのか。存在するとして、その糸と糸が結ばれることはあるのか。劇中で何度か流れる『 糸 』だけではなく、成田凌が熱唱する『 ファイト 』も実に味わい深い。時は令和二年。平成という時代を振り返るには好適の映画である。

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ネガティブ・サイド

スケールは確かに壮大であるが、肝心のストーリーが『 弥生、三月 君を愛した30年 』とかなり重複している、というかはっきり言って二番煎じ見える。特に、幼馴染同士が結ばれることなく、互い違いに絶妙にすれ違っていく様は『 弥生、三月 君を愛した30年 』が先取りしている。そして何よりも成田凌の起用。彼は悪い役者では全くないが、それでも何故にこのようなキャスティングになるのか、首をひねる人は多いだろう。製作者が『 弥生~ 』を意識していなかったはずがないではないか。

 

平成と言えば阪神大震災に東日本大震災だが、実際のニュース映像を使うのはどうなのだろう。特に後者の津波のニュース映像。『 オフィシャル・シークレット 』でも強く感じたが、当時のニュース映像というのはタイムマシンのようなもので、取り扱いには要注意だ。作中の二階堂ふみではないが、大阪生まれ大阪育ちのJovianの嫁さんですら、津波の映像には今でもショックを受けるのだ。

 

細かい粗が随所で目立つ作品でもある。渾身の役作りをした榮倉奈々に対して、菅田将暉のひょろひょろ具合は何なのか。彼も悪い役者ではないが、今回は役作りにそこまで時間をかけられなかったのか。チーズ作りというのは重労働だろう。何百何千リットルもの牛乳を搾り、運び、発酵・凝固させ、チーズの原型を運び出すという過程のごく一部だけしか画面には映し出されなかったが、毎日毎日それだけの労働をしていれば腕や肩、そして胸板は相当に筋肉質になるはずだ。菅田は同世代の役者ではフロントランナーの一人であるが、今作の役作り(≠演技)は残念ながら落第。演技は及第である。

 

小松菜奈は残念ながら英語がヘタになってしまった。それは別によい。ただ、言ってもいないことをしゃべらせてはならない。山本美月がこれまた稚拙な英語で“Japan can no longer relay on domestic consumption(demands?)”とインタビューに答えていたが、まずrelay onではなくrely onである。発音が全然違う。また、この文章を素直に訳しても、字幕に出てきた「内需主導」などという訳は出てこない。

 

エンディングで流れる楽曲『 糸 』はオリジナルであるべきだと強く感じた。縦の糸はあなた=漣であるはずが、ヴォーカルが男性になってしまったことでそこが狂ってしまった。それによりエンディングの余韻が壊れてしまったように感じた。うーむ・・・

 

総評

漫画や小説を映像化するのも良いが、邦画はもっとオリジナル作品を生み出すべきである。オリジナルとは完全に独創的という意味ではない。何らかのモチーフを全く新規に再解釈することから生み出された作品も、オリジナル作品と呼べるはずだ。その意味で、本作はオリジナルと言える。B’zの『 Pleasure’91 〜人生の快楽〜』の“僕”と“あいつ”の物語を再解釈する脚本家や監督が現れるのを期待したい。本作に続く邦画の制作と公開を待ちたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chauffeur

ショウファー、と読む。アクセントは、ショウファーの位置にある。シンガポールの高杉真宙がこれであった。「運転手」の意味だが、driverとは違い、結構なステータスのお抱え運転手を意味する。『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーはダイナーでデボラと出会ったときに“Oh, like a chauffeur?”と言われていたし、『 パラサイト 半地下の家族 』のソン・ガンホはdriverではなくchauffeurである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ラブロマンス, 小松菜奈, 日本, 監督:瀬々敬久, 菅田将暉, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 糸 』 -壮大なファンタジーだが、残念ながら二番煎じ-

『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

Posted on 2020年8月31日2022年9月15日 by cool-jupiter

青くて痛くて脆い 50点
2020年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 杉咲花 岡山天音 松本穂香
監督:狩山俊輔

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『 君の膵臓をたべたい 』は良作だったが、同作のイメージをぶっ壊すと宣言して書いたとされる本作も、まばゆく輝く女の子に憧憬を抱く男の物語という点では目新しいものではなかった。おそらく、高校生や大学生が観れば異なる感想になるのだろうが、おっさんには刺さらなかった。

 

あらすじ

田端楓(吉沢亮)は他人を傷つけたくない、他人に傷つけられたくないという大学一年生。そんな楓が、世界から暴力・貧困・差別をなくそうと願う秋好寿乃(杉咲花)に出会い、彼女に引っ張られ、秘密結社サークル「モアイ」を立ち上げるが・・・

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ポジティブ・サイド

まさにタイトル通りの男、青臭くて、言動が痛くて、そのくせハートだけは妙に脆いという、誰にとっても思い当たるところのあるキャラクターを吉沢が見事に怪演した。他人に関心がないというのは自意識過剰の裏返しで、他人にどうこう思われるぐらいなら、他人から距離を取ってしまえという思考もまた自意識過剰の裏返しである。おっさんになって自らの過去を振り返れば、「ああ、自分にもそんな時期があったな」と一笑に付すことができるが、10代後半、あるいは20歳前後のまだ何者にもなれていない若者の中には本作の楓に魂を持っていかれるほどの影響を受ける者がいてもおかしくない。それほど吉沢の演技は際立っている。人間の心の非常にダークな部分を隠すことなくさらけ出しているからだ。特に、他人とのつながりを「間に合わせ」と表現するところでは唸らされた。ちょっと愚痴を聞いてほしい相手、ちょっと一緒に酒を飲んでほしい相手、一晩だけ一緒に過ごしてほしい相手(という相手は本編には出ないが)等々の間に合わせ的な人間関係は極めて一般的だが、子どもにはそうではない。それこそ、一瞬一瞬の人間関係が宝石のような価値を持っている。そうした輝きに背を向ける楓というキャラクターの屈折っぷり=闇の深さは、近年の漫画や小説の映画化作品の中でも突出している。

 

また、一種の叙述トリックが仕掛けられているところも野心的だ。なにがどういうトリックなのかには言及できないが、これはなかなかに気の利いた演出である。

 

モアイを潰そうと画策する過程で悪友役の岡山天音も好演。一匹狼の楓に共感してモアイに潜入するも、ミイラ取りがミイラになるの諺通りにモアイにオルグされる様はまあまあ見応えがあった。そのモアイの幽霊部員役の松本穂香が物語を地味に、しかし確実に盛り上げる。無防備に見えて隙が無く、難攻不落に見えて落ちる時はあっさりと陥落。しかし、男の掌の上で踊ることは決してなく、逆に男を手玉に取る悪女の雰囲気すらも醸し出す。『 君が世界のはじまり 』と比較すれば、その演技の幅の広さは同世代(20代前半)では頭一つ抜けている。テンさんこと清水博也も味わい深い。『 愚行録 』や『 屍人荘の殺人 』に出てきそうな大学生と見せかけて・・・というキャラクターである。人は見かけによらない、あるいは人を見かけで判断してはならないという好個の一例である。

 

こうした、一癖ある面々と田端楓と秋好寿乃の織り成す物語は、現役の大学生にこそ堪能してもらいたいと思う。

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ネガティブ・サイド

編集の粗がひどく目立つシーンが多い。秘密結社「モアイ」のイメージ図をバックにした楓と寿乃のスナップショットで、寿乃はオーバーオールを着ているのに出来上がった写真はスエットだけ?になっていなかったか。また、楓目線で寿乃と向き合うショットでも、寿乃の目の角度がおかしい。二人は相当に身長差があり、いくら楓が猫背といっても、向き合って、あごを引いて笑っている寿乃の目がまっすぐ前を見つめるのはありえない。

 

モアイのとあるメンバーが行っている不正行為を内部告発することに葛藤するというのも、傍から見れば滑稽千万である。(老害と化した)ダウンタウンの松本人志が「(東出昌大の)不倫を暴いた週刊誌の記者はどんな気持ちなのか?」という疑問を発していたが、悪事(不倫が悪かどうか、悪だとしてどのような性質で、どの程度の悪なのか、それは措いておく)を暴くことに良心の呵責を感じるとすれば、その悪事が自分にとって近しい人によってなされた時、あるいは告発によって自分の近しい人がダメージを受ける時ぐらいだろう。そういう意味では、自らモアイと寿乃から距離を置いた楓は、距離こそあるものの、つながりを維持しているに等しい。やり方を間違えているのだ。本当にリベンジをしたいのなら、モアイよりも大きい、あるいは秀でた組織を作る、あるいは組織に拠らず個として強く生きていけるように精進することだ。

 

こうした見方はいい年こいたオッサンのものであることは自覚している。寿乃が作ったモアイの目指すところは究極的にはニーチェの言う「超人」であり、サルトルの言う「アンガージュマン」である。なりたい自分になった、作りたい世界を作ったという結果ではなく、その過程そのものに意味があると考える。自分が主体的に動くのと同様に、他者も自分と同じような主体であるのだと認識するところから始まるのだ。本作も2時間かけて楓がそのことを自覚する過程を描いていると受け取れなくもないが、その描写があまりにも稚拙である。創始者や共同創始者が弾き飛ばされるストーリーなど星の数ほど存在する(『 スティーブ・ジョブズ 』など)。本作はどちらかというと、【社会運動はどうやって起こすか】における最初のフォロワーとしての楓にフォーカスできなかったがために、その後の展開すべてが陳腐に見えてしまった。理屈っぽく映画を観てしまう向きには、お勧めできる作りになっていない。

 

総評

良い点、悪い点、それぞれに目立つ。ある一点やある方向には思いっきり振り切れているという印象だが、その一方でディテールには粗が目立つ。あまり深く考えず、若気の無分別の物語に身を任せれば、邦画ではなかなかお目にかかれない一種の暴走型青春サスペンスとして楽しめるのではないだろうか。『 キングダム 』のイケメン吉沢ではなく、『 リバーズ・エッジ 』のような、ちょっと頭がおかしいキャラを演じる吉沢を観たいというファンにこそお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make a difference

変化を生み出す、の意。往々にして「良い変化を生む」の意味で使われる。同質性を重んじる日本語とは異なり、英語圏では他との違い=良いことだという概念がある。これは頭で理解するよりも肌で実感すべきことなのだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 吉沢亮, 岡山天音, 日本, 杉咲花, 松本穂香, 監督:狩山俊輔, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

『 思い、思われ、ふり、ふられ 』 -撮影と展開が雑過ぎる-

Posted on 2020年8月18日2021年1月22日 by cool-jupiter

思い、思われ、ふり、ふられ 45点
2020年8月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:浜辺美波 北村匠海 福本莉子 赤楚衛二
監督:三木孝浩

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映画ファンなら「この監督の作品は観ることに決めている」、「この役者が出ているなら観ようかな」と感じる対象がいるものと思う。Jovianは浜辺美波のファンであり、彼女の出演作は一応チェックすることに決めているし、本作でも及第の演技を見せた。だが、邦画の弱点というか、漫画や小説の映像化(≠映画化)の限界をも思い知らされた気もする。

 

あらすじ

朱里(浜辺美波)と理央(北村匠海)は高校生。親同士の再婚によって姉弟になったが、理央は朱里への思いを胸に秘めていた。同じマンションに暮らす朱里の親友の由奈(福本莉子)やカズ(赤楚衛二)を含めた4人の恋模様が交差していき・・・

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ポジティブ・サイド

浜辺美波の顔芸は今作でも健在である。『 センセイ君主 』のような笑いを取りに行く顔芸ではなく、表情で心情を伝える演技だ。目は口程に物を言うという諺通りである。

 

浜辺よりもっとそれが顕著だったのは、気弱な由奈を演じた福本莉子だったように思う。明らかに胸の内を隠す、あるいは取り繕うための過剰な表情、「演技をしているという演技」をしていた浜辺とは対照的に、恋に臆病で、それでも恋に真剣な少女を好演。演技をしているのだけれども、それを感じさせない演技力。特に雨宿りの最中に理央に告白するシーンは、序盤ながらも本作のハイライトとなった。

 

血はつながっていないが兄弟姉妹である、それゆえに好きでも告白できない関係、というのは駄作『 ママレード・ボーイ 』でも描かれたが、本作はそこに親友や同級生を混ぜてきた。これによって各キャラクターの story arc の密度が減少するというデメリットは生まれたものの、邦画では絶対に描けない禁断の恋愛関係の手前のあれやこれやな時間つぶし的エピソードが挿入されずにすんだというメリットもある。

 

本作は漫画原作には珍しく、主要キャラが堂々と将来の夢を語る。誰々とこのままずっと一緒に幸せに生きていきたい・・・的な安易なエンディングにならないところには好感を持てる。特に通訳になりたいという朱里と映画関係の仕事をしたいというカズの二人は、素直に応援してやりたいという気持ちになれた。特にカズは、単なる映画好きではなく、映画が現実からの一時的な逃避先であるということが効果的に描写されていたので、余計に「頑張れ」と思えた。

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ネガティブ・サイド

端的に言って、エピソードを詰め込み過ぎである。これは漫画原作の方が全般に言えることだが、もう夏祭りとか文化祭とか部活風景とか授業風景とか教室での昼食風景とか登下校風景には飽き飽きである。そうしたシーンを見せられることに飽きたのではなく、そうしたシーンのカメラワークやコマ割り、時間配分などにウンザリなのである。映画が2時間だとすれば、最初の山場は30分あたりに持ってきて、最後の山場は1時間50分、主人公とヒロインが見つめ合う、あるいは抱擁を交わすシーンで主題歌を大音量で挿入とか、漫画の実写化の公式が存在するかのようで、本作もその例に当てはまるところが多い。というよりも三木孝浩監督こそ、そうした定番の構成を作り上げることに多大な貢献をした先般の一人とも言うべきで、多分もう彼は知恵を振り絞って映画を作っていない。少なくとも漫画の実写化についてはそう言える。ほとんどすべてのシーンに既視感を覚える人は多いだろう。

 

細かなディテールも破綻しているシーンが多い。一番「何じゃこりゃ?」と頭を抱えたのは、朱里とカズが夜の帰り道で高台に寄り道するシーン。二人の10~20メートル後ろを歩いていたスーツの男性が、ズームアウトした視点に切り替わった瞬間に影も形もなく消えていた。映画作りとは編集の痕跡を消す作業なのだ。誰も気付かなかったのか。気付いていたけれど、時間の節約のためにもうワンテイク撮ることを断念したのか。いずれにしろめちゃくちゃなシーンであった。

 

その他の季節の移り変わりの描写も乱暴だ。「寒い」と言いながら吐く息は全く白くない。だったら手袋したり、あるいは両手をこすり合わせたりなど、ちょっとした小道具や演技で観る者に寒さを伝える工夫はできるはず。それをしないのは監督の怠慢だろう。通学路や校庭の木々は青々していたり枯れていたりというシーンが混在しているのも編集のミス、または怠慢だ。

 

また劇場の予告編で散々流れていたトレイラーのLINEメッセージは何だったのか。「既読にならない」ということに理央は思い悩んでいたのではなかったのか。トレイラーでは朱里は思いっきり既読にしている。劇場で当該シーンを観た時、「???」となってしまった。誰がトレイラーを作っていて、誰が編集担当なのか?

 

ストーリー展開上の演出や小道具大道具も雑である。まず朱里と理央の家に生活感がなさすぎる。中年カップルの結婚は普通にあることとして、年頃の娘と息子が暮らす家で、風呂場のドアに何らかのサインぐらい用意しないのか?それこそ「父 使用中」とか「朱里 使用中」とか、朱里の母のあわてふためき具合を見れば、そうした小道具ぐらいあってしかるべきだろうと感じる。

 

一番よく理解できないのはカズと理央の距離感。「マッドマックス」「の、どれ?」という具合に初対面から意気投合できるのに、その後のビミョーな距離が腑に落ちない。特に学校の下駄箱で同級生が理央と朱里を茶化すシーンに介入するのは男らしいが、だったら何故同じ迫力と剣幕で理央に迫らないのか。倫理の二重基準があると言われても仕方がないだろう

 

総評

首を傾げざるを得ないシーンやストーリー展開が多い。主要キャラを4人にしたいのなら、もっと密度の濃い映画にすべきである。手垢のついたエピソードを、これまた手垢のついた撮影方法と編集で料理してはいけない。そうするぐらいなら、ばっさりとカットしていい。ストーリーはどうでもいい。若い売れっ子の役者たちを観たいという向きにはお勧めできるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

interpret

「通訳する」の意味だが、一般的には「解釈する」で知られているだろう。通訳者=interpreter、翻訳者=translatorである。有名な通訳者のエピソードに以下のようなものがある。ある日本人のスピーカーが日本語でダジャレを言った。通訳者は「今、この人は冗談を言いました。なので皆さん、笑ってくださると嬉しいです」と当意即妙に“通訳”を行い、結果として聴衆から笑いを引き出し、スピーカーからは更なる信頼を得た。InterpreterとTranslatorの違いが、少しお分かり頂けただろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, 北村匠海, 日本, 浜辺美波, 監督:三木孝浩, 福本莉子, 赤楚衛二, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 思い、思われ、ふり、ふられ 』 -撮影と展開が雑過ぎる-

『 千と千尋の神隠し 』 -大人向けかつ子ども向けファンタジー-

Posted on 2020年8月14日 by cool-jupiter

千と千尋の神隠し 70点
2020年8月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:柊瑠美 入野自由
監督:宮崎駿

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大学生4年生と夏休みに劇場で観た。それ以来の再鑑賞。それなりに発見できるものはあったが、『 風の谷のナウシカ 』や『 もののけ姫 』には及ばないという印象。

 

あらすじ

千尋(柊瑠美)は家族で引っ越しする途中、不思議なテーマパーク跡地のようなところに迷い込むが、そこは八百万の神々を癒す油屋だった。油屋の主である魔女・湯婆婆によって両親を豚に変えられてしまった千尋は、謎の少年・ハク(入野自由)の助力の元、油屋で働くことになって・・・

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ポジティブ・サイド

過剰なまでの色彩と、八百万の神々と言うにふさわしい多種多様なクリーチャーたち。トンネルを抜けた先にある、日本でありながら日本でないような歓楽街は、すぐそこにある異世界の存在をありありと感じさせる。ハクの言う「もうすぐ夜になってしまう」というのは、昼の町と夜の町は、全く異なる世界であることを如実に示している。「夜とは観念的な異界である」と喝破したのは山口昌夫だったか。神話的な幻想世界でありながら、公衆浴場を中心に物語が展開するので、観る側は現実離れした感覚と同時に現実的な感覚の両方を味わうことができる。

 

「子どもとは性と労働から疎外された存在」としばしば定義されるが、油屋で働くことになる千尋=千は、まさに子どもから大人に向けての階段を一歩上ったわけである。ナウシカやキキやシータ、サンの系譜のビジュアルではないが、千尋の目の描き分けには唸らされた。序盤のクルマの中の死んだ魚のような目と、最後の最後に湯婆婆に「それがお前の答えか!」と凄まれた時の自信に満ちた目の違いは、注目に値する。「男子三日会わざれば刮目して見よ」ならぬ「女子三日会わざれば刮目して見よ」である。青少年よりも、小中学生が感情移入しやすいキャラクターで、宮崎駿が常々口にする「子どものための映画」に仕上がっていると同時に、大人が観ても色々と発見ができる作品になっている。

 

『 ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない 』が映画化されたのは2009年。以降、2010年代になって油屋=ホワイト企業、湯婆婆=経営者の鑑という見方が広まったが、それは確かに正しいと感じられた。湯場場の「お客様とて許せぬ!」からのかめはめ波は、日本アニメ史に残るべき、いや残すべき名シーンである。

 

カオナシという存在も興味深い。大学生当時はよく理解できない存在だったが、不惑にして思うのは、これは他人と適切な距離や関係を構築できない不器用な人間のパロディであるということである。他人の口を借りてしか話すことができず、カネの力で他者を侍らせるが、その営為の虚しさを逆に誰よりも雄弁に語ることになる存在である。官僚の用意した文章を読むしか能がない亡国・・・もとい某国の総理大臣のようにも思えるし、あるいはSNSやインターネット掲示板などでしかまともに騒げない自称インフルエンサーのようにも思える。カオナシという名前通りに、どんな顔を思い浮かべるかは観る者に委ねられているのだろう。

 

人間と神々、そして人間と魔女、人間と人間ではない者の交流が豊かに描かれ、そしてガール・ミーツ・ボーイ物語としても成立している。上々のエンターテインメントであると言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ハクの声優があまりにも稚拙すぎる。というか、『 もののけ姫 』の石田ゆり子にも感じたことだが、これが宮崎駿のこだわりの結果であれば受け入れるべきなのだろうが、それにしても入野自由の voice acting はダメダメである。

 

油屋を訪れる八百万の神々があまりにもアニメチックである。もっと百鬼夜行絵巻や歌川国芳の浮世絵に出てくるような妖怪を描けなかったのだろうか。初回もそうだったし、19年ぶりに再鑑賞して感じたのは、デカいひよこの集団がキモチワルイということである。このあたりは個人の美意識の問題なのだろうが、ひよこなのに大きいとか、赤ん坊なのにボンが巨大であるというところが、生理的に受け入れづらいのである。

 

『 メアリと魔女の花 』は、本作から多大以上の影響を受けているが、ハクと千が夜空を駆けるシーンはどう見ても『 日本昔ばなし 』の龍とそれにまたがったでんでん太鼓を持った童子のパロディだとしか思えない。白竜という神秘的な存在と自立しつつある少女が天翔ける構図としてはドラマチックさにもオリジナリティにも欠けていた。

 

総評

年月を経て再鑑賞してみて、少し評価が上がった作品である。この夏、大人たちは『 風の谷のナウシカ 』や『 もののけ姫 』だけではなく、本作も子どもたちに見せてやらねばなるまい。それが大人に課せられた、特別な夏の宿題であろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be afraid.

ハクの言う「怖がるな」である。ナウシカも「怖くない」が口癖だったし、『 となりのトトロ 』のお風呂のシーンなど、怖いという感情をいかに克服するかが宮崎駿アニメの一つの裏テーマであるようだ。 be afraid of ~ = ~が怖い、は割とよく使う/使われる表現なので、英語学習者なら絶対にマスターしておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, B Rank, アニメ, ファンタジー, 入野自由, 日本, 柊瑠美, 監督:宮崎駿, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 千と千尋の神隠し 』 -大人向けかつ子ども向けファンタジー-

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