サンダーボルツ* 40点
2025年5月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:フローレンス・ピュー
監督:ジェイク・シュライアー
Friday Nightに何となく鑑賞。かなりビミョーな出来だった。
あらすじ
虚無感に苛まれるエレーナ(フローレンス・ピュー)は、CIA長官ヴァレンティーナから裏稼業に生きていた。足を洗おうと最後の仕事に向かった先で、自分と同じくヒーローではない者たち、そして記憶を失ったボブに出会う。窮地に陥った彼らは団結することを余儀なくされ・・・
ポジティブ・サイド
一応、『 キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド 』の直後の世界らしい。怪物が出現しても、それを食い止めるアベンジャーズはもういない、というところから始まるのは分かりやすい。
これまでは正義の対極にあるのは別の正義というテーマを追い求めるところもあったMCUだが、今作は一気に「この世は悪とそれ以上の悪で成り立っている」という命題に振り切った。これは潔い。『 ダークナイト 』では正義の存立のためには悪が不可欠だと喝破されたが、サノス不在、カーンが役者都合により退場となった今、悪の対極に正義を持ってくるのは難しい。なのでヴィランの集団を持ってきたことには必然性が認められる。
そのヴィランたちが単なる悪ではなく、それぞれに異なる虚無感やトラウマを抱えているのも、スーパーヒューマンではない人間らしさがある。悪人を作るのは、個人の心性ではなく環境や境遇にある。かつてのスティーブ・ロジャースも、戦争という状況に立ち上がって、キャプテン・アメリカになった。それとある意味同じことがサンダーボルツの面々にも起きていたのである。
ネガティブ・サイド
本作には二人のヴィランが存在する。一人はCIA長官のヴァレンティーナ。もう一人は、セントリー計画で生み出されたセントリー。このセントリーの強さがよく分からなかった。サイコキネシスで遠くにあるグラスを割ったと思った次のシーンでは、かつてのアベンジャーズ全員を合わせたよりも強いと称されるのは、さすがに飛躍があり過ぎ。拳の勝負でハルクに打ち勝ったサノスに比べて、全員が生身の人間よりちょっと強い程度のサンダーボルツを圧倒しても、それが脅威だとは思えない。
そもそも『 スーサイド・スクワッド 』とコンセプトが同じで、上司が小悪党の女性という点でも同じ。また『 スーサイド・スクワッド 』にはエル・ディアブロが、『 ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結 』ではキング・シャークなど、明らかに人間を超えた強さのキャラがいたが、サンダーボルツにはそうしたキャラはゼロ。この時点でセントリーを倒す方法が精神攻撃しかないことがすぐに分かる。それはそれで各キャラの深掘りというサブプロットとも結びついてはいるものの、爽快感などはまったく無し。エンタメとしては失敗だろう。
個人的にはレッド・ガーディアンがうるさすぎて辟易した。元々こういうキャラなのだろうが、単純に不快だった。中心キャラのエレーナの内面もイマイチ。一年間音沙汰のなかった父親に対して不満たらたらだが、だったらほとんど家族として過ごしてこなかった義理の姉の死になぜそれほどの虚無感を抱くのか。キャラに個性はあったが、個性があるからと言ってよいキャラであるとは限らない。
総評
本作は結局のところ、次なるヴィラン登場のためのつなぎの作品。MCU的には重要なのだろうが必須とまでは思えない。アクションシーンでも見どころと言えるのはバッキーぐらい。それも一瞬。フライドポテトとゼロのコーラを片手に金曜の夜に鑑賞した。ということは、前々からスケジュールを吟味して土曜や日曜の昼間に見に行くような作品ではないということ。MCUの大ファン以外は配信やレンタルを待つのが吉だろう。
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squeaky clean
手で触るとキュッキュッという音がするほどキレイ、という意味。セサミストリートのエルモが風呂に入って「squeaky clean になった」と言ったり、あるいはコロナ禍にやはりエルモが手洗いをのデモンストレーションをして「手が squeaky clean になった」などとも言っていた。全身が毛でふさふさのエルモがどうやってキュッキュッと音がするほどキレイになれるのか、などと問うてはいけない。
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