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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 山崎賢人

『 キングダム 大将軍の帰還 』 -大沢たかおの独擅場-

Posted on 2024年7月24日 by cool-jupiter

キングダム 大将軍の帰還 65点
2024年7月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 大沢たかお
監督:佐藤信介

 

『 キングダム 運命の炎 』の続編。ますますキャラ映画になってきたが、大沢たかおはついに代表作と言えるものを手にしたようである。

あらすじ

突如、自陣に現れた龐煖によって窮地に陥る飛信隊。退却するしかなくなった飛信隊だが、尾到と尾平は気絶した信(山崎賢人)を安全に逃がすために、他の部隊の面々とは異なる方向に逃げていくが・・・

ポジティブ・サイド

本作で賞賛すべきポイントはほぼ一点に絞られる。それは王騎将軍。

 

副題の「大将軍」とは大沢たかお演じる王騎将軍のこと。『 キングダム 』の初登場時からコスプレ&なりきり演技だったが、今作で大沢たかおは王騎将軍と完全にシンクロした。原作の数々の名場面と名台詞をこれでもかと繰り出してくるが、まるで第一作目や前作はあえて抑制した演技をしていたのだろうか。まるでリアルタイムで読んでいた連載漫画の王騎将軍の声がそのまま劇場内で聞こえた。こんな体験はめったにない。とにかく本作は大沢たかお=王騎将軍の大沢たかお=王騎将軍による大沢たかお=王騎将軍のための作品になっていると感じた。

 

原作に忠実ながらも「全軍、前進」を上手くアレンジするなど、ここで本シリーズが完結となってもいいようにきれいにまとめてもいる。興行成績次第だろうが、続編があっても驚きはない。

ネガティブ・サイド

BGMを使いすぎ。尾到と信の夜の語らいのシーンは原作でもかなり上位に来る名シーン。あそこはBGMなしで、ふたりの台詞だけを静謐な夜の山の中でじっくりと聞かせるべきだった。

 

あとは少し長すぎか。2時間10分に編集できなかっただろうか。

 

総評

コスプレ大会であることに変わりはないが、とにかく原作屈指の人気キャラ王騎将軍の完成度が高すぎて、それだけでチケット代の元は充分に取れていると感じる。できれば続編も観てみたいので、できるだけ多くの人に劇場鑑賞してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is your turf.

劇中の「これが貴様の土俵だ」の私訳。turfはゴルファーにはお馴染みの言葉。芝、あるいは芝地の意。転じて、比喩的に「専門領域」や「有利な地形」のような意味で用いられることもある。英検1級を目指すのなら知っておいても良い。そうでなければ覚える必要は特にない。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン 』
『 デッドプール&ウルヴァリン 』
『 大いなる不在 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アクション, 大沢たかお, 山崎賢人, 日本, 歴史, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 キングダム 大将軍の帰還 』 -大沢たかおの独擅場-

『 キングダム 運命の炎 』 -キャラ映画になってきた- 

Posted on 2023年8月5日 by cool-jupiter

キングダム 運命の炎 65点
2023年7月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 大沢たかお 杏
監督:佐藤信介

同僚の突然死やら自分自身のMRSA感染などもあり、簡易レビュー。

あらすじ

秦軍主力の韓への侵攻の隙を突いて趙が秦に侵攻。秦は大将軍・王騎(大沢たかお)を総大将に任命。その王騎から中華統一の動機を問われた秦王政(吉沢亮)は、かつての恩人・紫夏(杏)と果たした約束を語り・・・

ポジティブ・サイド

原作で最も面白い馬陽防衛戦とそこに至るまでの過程がきっちり実写化されている。山崎や吉沢、大沢たかおのキャラ再現度は相変わらず高い。飛信隊の面々もなかなか。ひょうきんだが熱情があり、そして思いやりもある。続編では・・・

趙の面々も濃い。原作ではかなり粘った馮忌をあっさりと料理したのは英断。

闇商の紫夏に杏がはまり役。漫画の実写化もここまで忠実にやると、それはそれで面白い。

ネガティブ・サイド

蒙武の見せ場が少なすぎ。

李牧の配役だけはちょっと違和感。もともとこの役者が演じるという噂はあったが、ここで実写御用達俳優を起用するのはちょっと違うのでは?龐煖を演じる役者もなんか違うような気がする。鵜堂刃衛(白字)はめちゃくちゃ似合っていたのだが。

総評

すべては続編の馬陽防衛戦の後半次第か。原作で最もドラマチックな戦いとなるが、「俺たちの戦いはこれからだ!」になるのか、それとも更なる続編製作に舵を切るのか。単純な漫画の実写化として見れば、キャラの再現度が非常に高いので、そこは評価できる。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pay it forward

人から受けた恩を別の人に返す、の意。上方芸人の世界では、師匠やベテランは弟子や後輩に気前よく芸事を教えたり、あるいは飯をおごったりする。それを次世代につなげていく伝統がある。まさに pay it forward だ。Jovianは大学時代に寮で暮らしていて、まさにそういう伝統を体験してきた。廃寮になるまで、我が第一男子寮には pay it forward の精神は生きていたのだろうか。

次に劇場鑑賞したい映画

『 イノセンツ 』
『 658km、陽子の旅 』
『 神回 』

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アクション, 吉沢亮, 大沢たかお, 山崎賢人, 日本, 杏, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 キングダム 運命の炎 』 -キャラ映画になってきた- 

『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を-

Posted on 2022年7月22日 by cool-jupiter

キングダム2 遥かなる大地へ 55点
2022年7月17日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 豊川悦司 清野菜名
監督:佐藤信介

『 キングダム 』はなかなかの出来栄えだったが、今作はちょっと落ちるという印象。それでも随所に原作漫画らしさが爆発しており、面白さは保っている。

 

あらすじ

下僕の身から戸籍を得た信(山崎賢人)は、王宮に侵入した秦王・嬴政(吉沢亮)の暗殺者を見事に撃退する。しかし、その直後、魏が秦へ侵攻してきたとの報が入る。嬴政は迎撃のため麃公将軍(豊川悦治)を蛇甘平原に出征させる。武功を求めて歩兵に志願した信は、同郷の尾平や尾到、伍長の澤圭、謎の剣士・羌瘣(清野菜名)と伍を組むことになるが・・・

ポジティブ・サイド

副題の「遥かなる大地へ」の通り、山や王宮がメインの戦場だった前作とは一転して、ほとんどの闘いが屋外で繰り広げられる。それも大平原に山岳にと、非常にスケールが大きい。黄色の土ぼこりが一面に舞うと、山ばかりの日本の平野とは違うなと感じる。単純な演出効果は大きい。

 

アホだが確実に腕は立つ信を前作に引き続き、山崎賢人が好演。チャンバラの迫力も前作と同水準を維持している。また蛇甘平原で一気に敵陣に突っ込んでいく無謀さ、そこで雑兵を蹴散らす漫画的な迫力も映像で十分に表現できていた。大軍vs大軍の迫力を出すのは予算的にもCG技術的にも無理。しかし、本作では伍という単位にフォーカスすることで、その問題をうまく回避した。実際の歩兵部隊も伍長や什長が最小単位を率いていたし、最近の連載では描かれなくなった伍の戦いにはリアリティが感じられた。

 

同時に、原作漫画で二度にわたって絶望感を与えられた魏の戦車隊の迫力は、漫画には出せないものがあった。Jovianの持つ映画における戦車というのは『 ベン・ハー 』ぐらいなのだが、戦車隊が歩兵を蹂躙する様、その戦車隊を「策」でもって退ける様、そして信が戦車を見事に破壊するシークエンスなどは、スペクタクルそのもの。これらのシーンは是非とも大画面で堪能されたい。

 

『 キングダム 』は究極的にはキャラクター漫画であり、映画もキャラクター映画である。極端な話、将軍一人で数千人の力に匹敵するし、実際に原作でも李朴は合従戦編でそのような趣旨のことを述べていた。その意味で、今作では最初の三人(信・嬴政・河了貂)以外の、後の飛信隊の中核となるメンバーの絆を上手く描き出していた。特に原作では全く馴れ合おうとしなかった羌瘣を、原作とは少し(というか大いに)異なる方法で仲間に引き込むという脚本はよくできていた。原作者が加わっているから、どこを削るのか、何を足すのかが明確だったのだろう。

 

エンドロール後には第三作への予告編も垣間見ることができる。『 キングダム 』で予想したとおりに、馬陽防衛戦になりそうだ。まだ編集段階だろうか。2時間40分程度の長さで、飛信隊の誕生から王騎の矛を受け継ぐシーンまで、見せ場てんこ盛りで描き出してほしい。

ネガティブ・サイド

率直に言って、羌瘣、麃公、呂不韋はミスキャストだと感じた。初登場時の羌瘣は10代前半くらいのはず。清野菜名は薹が立つではないが、それこそ現在連載中の宜安の戦いぐらいの年齢に見える。探せばもっと羌瘣っぽい役者はいるはずだし、見当たらなければ、それこそオーディションすべきだろう。

 

麃公を演じた豊悦も、ビジュアルはかなり原作に忠実だったが、声と立ち居振る舞いがどうにも本能型の極みに思えなかった。「全軍、待機じゃあ!」や「ハァアア!」の声のピッチが高すぎて、どうにもイメージに合わない。また呉慶将軍との一騎打ちも、原作にあった「相手を知ろうとする」過程がすっぽり抜け落ちていて、信が目指すべき大将軍像を呈示できていなかった。

 

最後に少しだけ出てくる呂不韋も佐藤浩市では年齢が合わないし、なにより原作の呂不韋が放つ圧倒的なオーラが足りない。北村一輝や豊原功補のような役者の方が呂不韋に逢っているように感じる。あと、春秋戦国時代で最も有名な人物の一人である李斯が登場しなかったのは何故なのだろうか。

 

アクションは文句なしだが、それ以外の部分の演出の粗が多かった。魏火龍の発音がキャラごとに違ったり、あるいは羌瘣と羌象が緑穂を異なるイントネーションで発音したりと、もう少し台詞回しにも目を光らせてほしかった。

 

効果音にも改善の余地あり。羌瘣が巫舞で敵兵を屠っていく際の音が「ガギィン」だった。これは絶対に「スヒン」でなければならない。フォーリー・アーティストの尻を叩いて「スヒン」という音を生み出すべきだった。

 

ミスチルの楽曲『 生きろ 』は悪くなかったが「遥かなる大地」という感じは全くしなかった。副題が「仲間と共に」とかなら、まだフィットしたのかもしれないが。前作同様にONE OK ROCKの荘厳なバラード曲を依頼できなかったのだろうか。

 

総評

アクション映画としても、漫画の映像化としても、それなりの水準に達している。三部作は往々にして、1から2で上がって、2から3で落ちるものだが、本シリーズは1から2で少し下がってしまった。その代わり、2から3で爆上がりすることが期待できそう。原作ファンならキャスティングや演出に対して賛否のどちらもありそうだが、観て損をすることはないはず。歩兵目線の戦争アクションを邦画も描けるようになったというのは実に感慨深い。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

turn the tables 

「テーブルを引っくり返す」というのが直訳だが、実際の意味は「形勢を逆転する」の意。劇中では渋川清彦演じる縛虎申千人将が「将軍の狙いはここから大局を覆すことだ」と言うシーンがあったが、大局を覆すというのは turn the tables が英訳としてふさわしいだろう。類似の表現に turn things around というのもある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 清野菜名, 監督:佐藤信介, 豊川悦治, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- への2件のコメント

『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』 -換骨奪胎に失敗-

Posted on 2021年7月3日 by cool-jupiter
f:id:Jovian-Cinephile1002:20210703231417j:plain

夏への扉 ーキミのいる未来へー  30点
2021年6月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 清原果耶
監督:三木孝浩

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210703231446j:plain

ロバート・A・ハインラインの古典的名作のリメイク。Jovianも高校生の時にハヤカワの文庫本で読んだ。当時はまだ1990年代。2000年はそれなりに近未来だった。

あらすじ

若き天才ロボット開発者の高倉宗一郎(山崎賢人)は、猫のピートと育ての親の娘、璃子(清原果耶)に囲まれ、幸せに暮らしていた。しかし、信頼していた共同経営者と婚約者に騙され、会社の株券および開発物すべてを奪われてしまう。挽回を試みる宗一郎は逆に元婚約者によってコールド・スリープさせられ、30年後の世界で目覚めるが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210703231505j:plain

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

清原果耶の存在感よ。あからさまに拗ねるところ、敢えて一歩引くところ、逆に一歩踏み込んでくるところ。それぞれのシーンで璃子の想いが見え隠れする。観る側に伝わるように、しかし宗一郎には伝わらないようにというバランス感覚が良い。

原作にないアンドロイドのピートというキャラも素晴らしい。アンドロイドらしく瞬きをしない演技。『 ターミネーター 』シリーズのシュワルツェネッガーのようなメカメカしい動き。なおかつ、序盤の登場時に醸し出す『 エイリアン 』のアッシュのような雰囲気も不穏だった。こんなキャラであるが、これが唯一無二のバディになっていく過程は存外に楽しめた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210703231524j:plain

ネガティブ・サイド

なにかタイムトラベルものの一番悪いところを見せつけられたように思う。特に某キャラの言う「時間は一本の線で一周回ってつながっている」的な解説は完全に余計な代物。『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』や小林泰三の短編『 酔歩する男 』のように、時間=意識と捉える方向でよかったのに、あるいは余計な説明は一切挿入すべきではなかったと思う。肝腎かなめのタイムトラベル前の部分で、オープニングで描かれたパラレルワールドという設定がぶち壊しである。

過去に戻ってのあれやこれやの裏工作、自分が二人いる場面などは『 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 』のようだったが、同作ほどの緊迫感は達成できず。というか緊迫感がゼロだった。

そのタイムトラベルの装置もデロリアンの次元転移装置とそっくり。そしてタイムトラベル先に行きつく際の描写はまんま『 ターミネーター 』のそれ。いくら原作が超有名SF作品とはいえ、その他の演出部分まで過去の有名SF映画からパクってもいいわけではない。

藤木直人演じるピートは最高のキャラだったが、ひとつだけ残念だったのはトラックを奪うために走っているシーンは『 ゴジラvsキングギドラ 』のM11そっくりでげんなりさせられてしまった。

三木孝浩監督は腕が悪い監督とは思わないが、結局のところ漫画や小説を原作にした映画しか作れない人。自分自身のイマジネーションやインスピレーションを作品にぶち込むというより、自分の中にある既存のイメージを上手く流用するのに長けた、ある意味ではルーティンで映画を作れるプロフェッショナルか。レビューするのに類似の過去作に言及する癖のあるJovianであるにもかかわらず、こういう映画製作者はどうしても高く評価できない。

総評

正直なところ、かなり微妙な出来である。ハインラインの着想を現代に蘇らせようという意図が伝わってこない。いや、時を超えて愛する人に巡り合うというのは普遍的な物語であるが、それを現代日本で敢えてリメイクする意味は?ネタが品切れ気味の邦画界の象徴的作品になってしまった。これでは今秋公開予定の『 CUBE 』についても一抹の不安を禁じ得ない。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You set me up.

「俺をはめたな」、「俺をだましたな」の意。序盤早々に一杯食わされる宗一郎があまりにも不憫であるが、人生は順風満帆にはいかないもの。こんなセリフは自分では使いたくないが、映画やドラマでは割と頻繁に聞こえてくる表現である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, SF, 山崎賢人, 日本, 清原果耶, 監督:三木孝浩, 配給会社:アニプレックス, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』 -換骨奪胎に失敗-

『 ヲタクに恋は難しい 』 -過去10年で最低レベルの作品-

Posted on 2020年2月9日2020年9月27日 by cool-jupiter

ヲタクに恋は難しい 10点
2020年2月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:高畑充希 山崎賢人
監督:福田雄一

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200209214131j:plain
 

うーむ、日本版『 ラ・ラ・ランド 』だと喧伝されていたので、ミュージカル好きとして観に行ったが、これは酷過ぎる。過去10年でも最低レベル。『 シグナル100  』も酷かったが、2020年の国内クソ映画オブ・ザ・イヤーはこちらで決まりである。

 

あらすじ

桃瀬成海(高畑充希)は転職先で幼なじみの二藤宏嵩(山崎賢人)に再会する。成海は前の勤め先で恋人に腐女子であることがばれてしまい、逃げるように転職してきたのだった。そんな時、ゲーヲタであることを隠さない宏嵩に「俺という選択肢はないのか?」と問われた成海は、宏嵩と付き合うことにするのだが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200209214239j:plain
 

ポジティブ・サイド

高畑充希は、かなり歌唱力がある。

 

山崎賢人は、まあ並みより少しマシ程度の歌唱力である。

 

佐藤二朗のオープニングのプレゼンは、つまらないか面白いかの二択で言えば、まあ面白いのではないだろうか。

 

賀来賢人の顔芸は、おそらく本職の声優ドルヲタを怒らせる一歩手前のギリギリの線を見切ったユーモアがあったように思う。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200209214311j:plain
 

ネガティブ・サイド

まず、福田監督は何の意図があってミュージカル形式にしたのか。歌や踊りというのは、自己表現の極まった形なのである。言葉にできないサムシングを歌や踊りで表現するのである。ヲタクであるという自分の本性を隠したくてたまらない成海が、その心情を歌や踊りで表現するという営為の矛盾についてどう思うのか。『 キャッツ 』にはいろいろと不満を抱いたが、それでも天上世界に昇り、再生を果たしたいというジェリクル・キャッツの想いは歌と踊りから溢れ出ていた。本作にはそれがない。例えば『 モテキ 』の森山未來の喜びのダンス、あるいは『 愛がなんだ 』の岸井ゆきのが口ずさむ魂からのラップ、もしくは『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』のトランスジェンダーのユリシーズの苦悩、そうした言葉にするのが難しいサムシングが、本作では歌と踊りの形で表出されていない。ミュージカルであることに必然性を一切感じないのである。

 

それだけならまだマシなのだが、『 オペラ座の怪人 』をパロったシーンでは久しぶりに映画を観て頭に来た。劇中でもイケメンと評される宏嵩がクリスティーンの位置に置かれるだと?火傷で爛れた顔を持つファントムを、某キャラが仮面をかぶって演じるだと?「彼女の趣味ごと彼女を愛せ!」と主張する菜々緒(もう某キャラをばらしてしまったが別にいいだろう・・・)が、それを言うか?イケメンだけれど内面が醜男である宏嵩と、醜男だけれど内面が純粋すぎるファントムを対比させたつもりなのだろうが、ファントムに本当に足りなかったのは外見上のルックスではなく自分への自信と他者への信頼である。だからこそクリスティーンを必死に口説くのではなく、催眠術を使うのであるし、男と女ではなく、師匠と弟子という関係で迫ろうとするのである。ファントムに欠けているのは対人能力、コミュニケーション能力であり、それは一世代も二世代も前のヲタク像である。福田監督の意識の根底にあるのは、非常に古いヲタク像であり、ヲタクという種族が迫害されている時代のイメージなのではないか。ストーリーは2018年のことのようだが、本作で描写されるヲタクはゼロ年代、いや90年代のそれである。ムチャクチャもいいところである。

 

大解釈に就職し、恋人もおり、趣味も充実し、その趣味を存分に表現できる場を持ち、その感動を分かち合える仲間がいる成海が、「リア充援護」などという言葉を使う。それは欺瞞である。リア充というのは成海のような人間を指す言葉である。もはやオッサンであるJovianの肌感覚でしかないが、2015年以降のヲタクには栗本薫のヲタクの定義、すなわち「人間よりも非人間に親しみを持つ」という定義は当てはまらない。20年前にコスプレしていれば準犯罪者か犯罪者予備軍のように見られていたが、今ではハロウィーンに代表されるように、コスプレも一つの文化となった。同じことが他の多くのヲタク趣味にも当てはまる。なぜ2020年、令和にもなって『 電車男 』の時代のヲタク像を見せられなければならないのか(『 電車男 』が悪いと言っているわけではない、念のため。電車男の時代は、オタクは日陰者で迫害される側だったと強調しているに過ぎない)。

 

時代錯誤はこれだけではない。成海は趣味の異なる宏嵩相手にもATフィールドを張っていたが、これなどは90年代のヲタクの心のバリアの象徴である。当時のヲタクは、それぞれの分野ごとに異民族であり、異なる離島に暮らして平和共存していた。だからこそ、出会ってしまうと分かり合うことができず激しい対立を引き起こしてしまっていた。だが、ゼロ年代以降、特にインターネットの発達とともにそうした不毛な争いは(少なくともリアル世界では)減少していった。これは歴史的な事実である。そして、雑多なオタク趣味が確立すると同時に、オーバーラップする領域はボーダーレス化していった。これも歴史的事実である。離島に橋がかかったのである。そして、そうした離島同士の付き合いが現実の付き合いに発展していくのが今という時代である。Twitterを見よ。定期的に#カプ婚が報告されてくるではないか。

 

本作が最も意味が分からないのは、そうした離島と離島の架け橋を渡る行為、すなわちゲーヲタを声優アイドルヲタ、もしくはBLやギャルゲーのヲタ趣味を理解するために宏嵩が手を出すアイテムやイベントが、ことごとく的外れであることだ。それは自分の好きな分野以外のことにはとことん疎いという従来のヲタクの性質だけでは説明がつかないほどである。対する成海もキャラに一貫性がない。下着の色をそこまで気にする女性なら、あのシチュエーションで見送りにすら来ない宏嵩は、恋愛相手としてもセックス・フレンドとしても対象外だろう。ヲタク趣味を隠さないで済むという気楽な相手なら、下着の色など本来どうでもいいはずである。主役二人のヲタクとしての性質が、時代の面でも、人物の面でも、一貫性をとにかく欠いているのである。

 

観ていて、ひらすら疲れた。何度寝てやろうかと思ったことか。恋をするのは難しいというのは、自分がヲタクだからではない。自分で自分を好きになれないから、他人を好きになれないだけだ。様々なジャンルのヲタクを一括りにして「ヲタクはキモイから無理」と切って捨てる成海という人間のこの考え方は、まさに差別主義者のそれである。原作は知らないが、この映画は全編が壮大な茶番劇である。『 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 』よりも馬鹿にされた気分である。かつてのゲームヲタク、SFヲタク、現役のボクシングヲタク(見るだけ)、映画ヲタク、ミステリヲタクであるJovianは本作によって大いに気分を害された。

 

総評

上映中にあちらこちらで「クスクス」という笑いが漏れていたが、声の主たちは皆、若々しく聞こえた。きっと若い世代にはちょっと変な人たちがネットスラングをリアルに使ったりするフシギな物語に映ったのだろう。だが、90年代やゼロ年代のヲタク文化を少しでも知っている人間なら、本作はとうてい許容できるものではないだろう。結局、福田監督はヲタクに対して何のリスペクトも抱いていないからである。それは人間模様を映し出す映画監督としては、あまりにも基本的素養に欠けているということである。元々、作る作品のほとんどが賛否両論を呼ぶ御仁であるが、今作はシリアスな映画ファンからは9割以上の酷評を得るのではないか。それほど酷い作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

So, sue me.

映画に出てくるセリフではないが、「だから俺を訴えろよ」という意味の言葉である。往々にして開き直って言われることが多い。2000年前後、アメリカの掲示板などではしょちゅう、“I’m an otaku, so sue me,”(俺はヲタクだけど、それが何か悪いのか?)と書き込まれていて、「アメリカという国は、何か違う空気が流れているなあ」と感心したことを今でもよく覚えている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, コメディ, 山崎賢人, 日本, 監督:福田雄一, 配給会社:東宝, 高畑充希Leave a Comment on 『 ヲタクに恋は難しい 』 -過去10年で最低レベルの作品-

『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

Posted on 2019年8月29日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

二ノ国 10点
2019年8月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山崎賢人 新田真剣佑 永野芽郁 宮野真守
監督:百瀬義行

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190829143027j:plain

 

実験的作品を観た後は、脳みそをノーマルな状態に戻したくなる。つまり、普通の作品を観たくなる。というわけで、いかにもジャパニメーションな本作のチケットを購入。これが大失敗だった。まさかこのような超絶駄作だとはゆめにも思わなかった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190829143053j:plain 

あらすじ

ユウ(山崎賢人)は車イスに乗る頭脳明晰な高校生。ハル(新田真剣佑)は運動神経抜群のバスケ部エース。二人は親友だった。そして、ハルには恋人のコトナ(永野芽郁)がいた。そしてユウも密かにコトナに想いを寄せていた。ある時、コトナが謎の男に刺される。ユウとハルはコトナを救おうと奔走するが、その時、二人は謎の異世界、「二ノ国」に飛んでしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

ない。

 

というのは流石に酷い。ジークフリード・キルヒアイスを見習い、ゴミ溜めにも美点を見出す努力をすべきだろう。敢えて挙げれば久石譲の音楽ぐらいだろうか。戦慄、じゃなかった、旋律の美しさを感じる瞬間は幾度かあった。

 

ネガティブ・サイド

はっきり言って永野芽郁は声優の才能がない。余りにも声の演技が下手すぎる。抑揚もつけられず強弱もつけられず、声にメリハリもなく、感情も乗せられず、端的に言って素人である。はっきりいってギャラをもらってよい仕事ではないし、これで観客からチケット代をもらおうというのも、面の皮が厚過ぎる。そもそも監督は何をどうディレクションしていたのだ?

 

酷いのは山崎賢人や新田真剣佑も同罪だ。ただただ五十歩百歩というだけだ。もちろん永野が百歩で山崎と新田が五十歩という意味だ。

 

作画も序盤は終わっている。ユウが帰宅した後に自室に入るシーン。あれは実際に車イスの人間がドアを開ける動作を観察した結果なのか。どう考えても遠近法が崩れている。機会あれば車イスに乗ってドアノブを回して押してみてほしい。といっても、本作を二回観ようとするのは、鍛えられたクソ映画愛好家だけだろうが。また、中盤のあるシーンでは緊迫したシークエンスがあるのだが、どう考えても光の速さで車に車いすを積み込んだとしか思えない。車イスが完全にオーパーツになっている。勘弁してくれ。車イスによって、ハル&コトナとユウの間に微妙な距離があることは受け入れられるが、その他のシーンでの車イスの扱いが酷い。この監督が車イスを単なるガジェットにしか考えていないことがよく理解できた。

 

そもそもキャラクターの思考や行動原理からして意味不明で理解不能だ。なぜコトナは不審者に追われていると感じた時に自宅や親、または110番通報をしなかった?なぜ大通りに出なかった?そして何故にハルはわき腹を刃物で刺されたコトナを見るなり、ユウに向かって「お前、何やってんだ?」と叫ぶのか。そこは「何があったんだ?」または「誰がやったんだ?」だろう。頭がおかしいのか。そして、何故にハルはコトナを抱き抱え、走り去るのか。救急車を呼ぶという知恵がないのか。

 

それにしても二ノ国という設定自体にオリジナリティも捻りも無さ過ぎる。『 あした世界が終わるとしても 』や『 バケモノの子 』、『 DESTINY 鎌倉ものがたり』、『 バースデー・ワンダーランド 』のごった煮で、最初に入った酒場は、ファイナルファンタジーの酒場の音楽かと錯覚するような典型的なTavern Musicが流れ、『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』のカンティーナと『 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 』の酒場兼宿屋を足したような場所。さらにそこでしゃしゃり出てくる動物キャラも面白みゼロ。せいぜい終盤の引き立て役かと思ったら、それも無し。

 

そして二ノ国はこれだけに飽き足らず、これでもかと既視感たっぷりのガジェットを繰り出してくる。船が飛び立ったシーンは「『 ハウルの動く城 』か、おい!」と劇場で我あらず声に出してしまったし、ハルの纏う鎧はどこからどう見ても漫画『 ベルセルク 』の狂戦士の甲冑のパクリで、グランディオンなる聖剣はゲーム『 クロノトリガー 』のグランドリオンと余りにも名前が似すぎている。黒幕はご丁寧にも『 GODZILLA 星を喰う者 』のメトフィエスに顔も風貌もそっくり。なんでやねん。もうちょっと捻らんかい。で、顔がデビルマンのそっくりさんって・・・ そして最後の最後も『 スターゲート 』と『 ジョン・カーター 』でフィニッシュ!って、捻らんかい!!

 

序盤にユウを頭脳派として描きながら、いきなり肉体派に華麗なる変身を遂げたり、ハルはハルで事象を正確に把握できない脳タリンちゃん。なぜコトナのわき腹に刃物が突きたてられたことで、アーシャ姫のわき腹に呪いの剣が突き立てられているのか。その因果関係は、確かにあの時点では分からない。だが、アーシャ姫の呪いを解いたことでコトナが回復したことから相関関係を読み取れないのは何故なのか。Aがダメージを負うとA´もダメージを負う。Aが回復するとA´も回復する。なるほど、A´を殺せば、Aが助かる!!って、何をどうやったらそんな思考のサーカスが展開できるのか。

 

ラストシーンも醜い。ハルとコトナ、お前らが無意識に車イスのユウに対して差別の心を抱いていたのがよく分かった。何故この場所を選んだ?何故あのような台詞を言わせた?百瀬義行という男の思考や感性に対して吐き気に近い嫌悪感を催している。

 

古今東西の映画のモンタージュで彩られたパッチワーク世界にアホ過ぎるキャラクターたち、そして返金を要望したくなるほどのヴォイス・アクティング。ここにきて年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼に躍り出てきた。いや、2010年代で最低の映画と評しても良いかもしれない。それほどのクソ映画である。

 

総評

チケットを買ってはならない。時間とカネの無駄になるだけである。漫画喫茶でこっそり一休みしようかという外回り営業マンがタダ券を持っているのであれば、真っ暗な劇場で耳栓をして二時間眠るのならば良いのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to forget about this film as quickly as possible.

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, F Rank, アニメ, ファンタジー, 宮野真守, 山崎賢人, 新田真剣佑, 日本, 永野芽郁, 監督:百瀬義行, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 二ノ国 』 -年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼-

『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

Posted on 2019年4月21日2020年1月29日 by cool-jupiter

キングダム 75点
2019年4月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 橋本環奈 長澤まさみ 
監督:佐藤信介

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Jovianも毎週欠かさずYoung Jumpを買っては漫画『 キングダム 』を読んでいる。この映画化には心躍るのと同時に、一抹の不安もあった。大河ドラマ的なスケールでありながら、水戸黄門的なお約束チャンバラを適度に、しかしハイレベルに交えて一つのエピソードを描くとなると、それなりに手練れの監督が必要となる。『 曇天に笑う 』、『 BLEACH 』と剣戟乱舞はそれなり魅せるものの、肝心のストーリー部分で???とさせられた佐藤信介監督は、今回は及第点以上の仕事をしてくれた。

 

あらすじ

時は紀元前3世紀。場所は中国西方の大国「秦」。奴婢の信(山崎賢人)と漂(吉沢亮)は、剣の修行に励み、いつか天下の大将軍になることを夢見ていた。そんな時、漂が宮仕えに召し出される。立身出世の機と思われたが、その漂が殺されてしまう。漂の遺言の場所に駆け付けた信は、漂と瓜二つの少年、秦王嬴政と出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

 漫画の実写化において、キャラの再現性の高さは絶対にはずしてはならないポイントである。そこを微妙に外したのが『 ルパン三世 』であり、そこを絶妙に表現したのが『 銀魂 』だった。奇しくも両方とも小栗旬が主演。本作はどうか。

山崎賢人と信のシンクロ率:85%
吉沢亮と漂および政のシンクロ率:95%
橋本環奈と河了貂のシンクロ率:99%
長澤まさみと楊端和のシンクロ率:85%
大沢たかおと王騎のシンクロ率:80%
本郷奏多と成蟜のシンクロ率:90%

であった。つまり、かなり良い感じなのである。特に山崎賢人は、演技にもう少しメリハリが欲しいが、今作では脳筋的なキャラを演じ切れていた。信の魅力は一にかかってその純粋さ、ひたむきさ、そして直感的に本質を把握してしまう感性の鋭さにある。『 羊と鋼の森 』以来、「俺、かっこいいだろ?」的なキャラもこなせるようになってきた。今後の成長にも期待したいし、この信にはもう一度スクリーンで再会したいと思えた。

 

吉沢もやっと代表作たりうる役に巡り合えたのではないか。彼が出る映画はハズレ映画という私的ジンクスを払拭してくれた。原作の政のニヒルでいて、しかし熱量を内に秘めた若王を忠実に演じていた。まだまだ学ぶべきことは多いが、この調子で着実に実績を積み上げていけば高良健吾の後継者になれそうだ。

 

本作のチャンバラは『 るろうに剣心 』のそれを彷彿させる。もちろん、あちらは剣客漫画でこちらは戦争漫画なので、正式にはジャンルが異なる。しかし、『 スター・ウォーズ 』シリーズのようなファンタジー世界の殺陣ではなく、ジュラルミンの剣と剣とが響き合うお馴染みの世界での剣劇である。この剣の腕でのしあがろうとするところに歴史的なロマンがあり、なおかつそれが現代日本の社会状況とも大いに重なるところに、本作が今というタイミングで実写映画化された意義が認められる。

 

就職氷河期世代を「人生再設計第一世代」などと名称変更したところで何も変わりはしない。変えるべきは世代に付ける名前ではなく、社会の構造である。奴隷は何をやっても奴隷、奴隷の子も奴隷という『 キングダム 』世界の価値観をぶち壊してやろうという気概に満ちた信と漂の物語、過去の非を素直に認め謝罪し、それでも未来を力強く語る、そして「世界はそうあるもの」という固定観念を力でぶち壊してやろうという大望を胸に秘める政の眼差しは、現代日本への婉曲的なエールでもある。原作ファンも、そうではない人も、本作から何かを感じ取ってもらえれば幸いである。

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ネガティブ・サイド

キャラの再現度は高かったが、いくつか個人的にこれを省いてはならないだろうと感じていた要素が欠落していた。いくつか実例を挙げれば、楊端和の「一人十殺」、「一人三十殺」である。壁の「動かぬ!」も何故省いた。あれこそが壁の壁たる様式美だというのに。

 

その楊端和を演じた長澤まさみはアクションはそれほど得意ではなさそうだ。運動神経という点では土屋太鳳や杉咲花を抜擢するべきだったのだろうが、彼女らには山界の死王のオーラは出せない。それもあって、余計に楊端和のアクションシーンの貧弱さが目に付いてしまった。

 

また左慈とランカイの順番を入れ替えてしまったのは何故なのだろう。剣と剣の対決を最後に描きたかったのは分かるが、信というキャラの最大の魅力は剣力、剣腕だけではなく、その直感の鋭さなのだ。玉座にふんぞり返る成蟜に言い放つ「その化け物以外に誰もお前を体を張って守ろうとしない」という原作の台詞は、やはり省いてはいけなかった。

 

総評

『 BLEACH 』という駄作から見事なリバウンドを佐藤監督は果たした。原作ファンとして腑に落ちないところもあるが、映画的スペクタクルは十分に達成されているし、キャラクター再現度も高い。またBGMも各シーンにかなりマッチしていた。『 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 』は残念ながら続編政策の必要性は感じないが、本作は第二弾(蛇管平原?)、第三弾(馬陽防衛戦?)まで、しっかりと製作をしてほしい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 歴史, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

羊と鋼の森

Posted on 2018年6月10日2020年2月13日 by cool-jupiter

羊と鋼の森 85点

2018年6月9日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:山崎賢人 三浦友和 鈴木亮平 上白石萌音 上白石萌歌
監督:橋本光二郎

漫画、それも特に少女漫画の映画化に際しての御用達俳優としての地位を一頃確立してしまっていた山崎賢人が遂に殻を破った。間違いなく山崎のこれまでのキャリアにおけるベストである。そして2018年はまだ半分を消化していないにもかかわらず、Jovianは本作を年間最高の邦画として推したいと思う。

雪が降りしきる北海道の学校で、何とか食べていける職業につければと漠然と考える山崎賢人演じる外村直樹は三浦友和演じる調律師と出会い、その仕事振りに魂を揺さぶられるほどの衝撃を受け、同じ道を志すために東京の調律学校を2年かけて卒業し、地元の街の楽器店に就職する。そこで、鈴木亮平演じる先輩調律師やピアノに励む上白石姉妹らとの厳しくも美しい関係を通じて成長をしていく。

これだけだと典型的なビルドゥングスロマンなのだが、何よりも小説という文字媒体で音楽、そしてピアノの調律を描いていたものを、さらに映像化しようというのだ。眩暈がしそうな労苦だ。

マリー・シェーファーというカナダ人作曲家が提唱した「サウンドスケープ」という概念がある。音の風景、音風景、音景などと訳されることが多い。音という要素が景色として理解される瞬間というのは、誰もが一度は経験したことがあると思う。本作ではピアノの音をしばしば森の風景に翻訳する。それが主人公の外村のバックグラウンドに密接に関わっているからだ。音が人間の感覚に与える豊饒な影響については『すばらしき映画音楽たち』に詳しいので、興味を抱かれる向きは是非DVDなどで観賞を。本作はクライマックスの手前でジョン・ケージの”4分33秒”を彷彿させるシーンがあり、音楽方面に造詣が深い観客をも深く満足させる力を持っている。

それだけではなく、この映画はビジュアルストーリーテリングのお手本、教材にも成りうる作品であるとも評価できる。冒頭から、陰鬱とも言える暗いシーンが続く。それは語りのトーンの暗さではなく、視覚的な暗さでもある。その中でも、窓だけが一際明るく、その向こうに雪や新緑、光などのナチュラルな風景の広がりを感じさせ、外の世界とこちらの世界の接点としてのガジェットとして効果的に機能している。また登場人物の顔にも不自然、不必要とも言える照明が当たらず、服装も地味もしくは単色に抑えられ、否が応にもピアノの黒鍵と白鍵のコントラストを観る者に想起させる。それゆえに音の先に広がる豊饒な風景の色彩が一層の迫力と臨場感、説得力を以って我々に迫って来るのだ。

この映画はお仕事ムービーでもある。アニメ・ゴジラは世界の世界性を問いかけてきたが、ハイデガー哲学のもう一つの柱は道具である。道具的存在と道具の道具性。道具的連関。世界は道具でつながり、道具は素材から作られ、素材は自然から生まれる。劇中で外村が言う、「この道なら世界に出ていけると思う」という世界は、国際社会ではなく、生活世界、あるいはマルクスの言う【歴史】そのものだ。主人公の外村が自分に対しての自信の無さと、それは間違いであるということを厳しく優しく諭す鈴木亮平のキャラクター。仕事に自信を持ち始めた時、仕事に慣れ始めた時の陥穽。視覚や触覚の動員。コミュニケーションの大切さと、それを重視し過ぎてはいけないという教訓。感覚の言語化。調律という職業、職務を通じてこれらが描かれていくのだが、それは調律師に限ったことではなく、仕事や人間関係などのあらゆる面において応用されうる、また基本でもある事柄がさりげなく、それでいて大胆に開陳される。職業人も、そして中高生や大学生にこそ観てほしいと切に願う。

それにしても山崎は橋本監督と相性が良いのだろうか。繊細かつ些細な演技をこの監督の作品では見せることができるのに、なぜ他の作品では判で押したような紋切り型のキャラクターになってしまうのだろうか。やはり監督の演出のセンスとこだわりなのか。たとえば同監督の『 orange オレンジ 』はそれほどの良作ではないが(失礼!)、随所にリアリティある演出が観られた。一例として、土屋太鳳の独白とも言える語りかけに無言を貫くシーンで、山崎の喉が良いタイミングで動くのだ。心理学に詳しい人なら、観念運動について知っているだろう。人間の思考はしばしば筋肉の動きに連動するが、それが最も顕著に表れる身体部位は喉なのである。同じく、刺激(光に限らない)に対する脳の反応として最もよく現れる運動の一つが瞬きである。本作では山崎の瞬きが実に効果的に映し出されており、これは橋本監督の知識、教養の広さと深さ、そして演出へのプロフェッショナリズムを山崎に叩き込んでいることの証明に思えてならない。三浦や鈴木が演技を通じて山崎を導いたように。

観終った時、主人公の名前が外村直樹であることと道具的存在者の意味について、余裕のある方は考えてみてほしい。宮下奈都という作家の哲学的識見の広さと深さ、そして橋本光二郎という監督の表現力の大きさに、畏敬の念を抱くはずだ。そして久石譲の作るピアノの旋律に、「懐かしさ」を感じてほしい。それは明るく、静かに、澄んでいるから。音楽という空気の振動でしかないものが、いかにして芸術足り得るのか。それを生みだす道具としての楽器が、どれほど複雑玄妙に作られ、維持されているのか。物質としてのピアノと芸術としての音楽をつなぐ存在として立ち現れる調律師に、あなたは自分と世界の関わりを観るに違いない。これは、文句なしの大傑作である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 山崎賢人, 日本, 監督:橋本光二郎, 配給会社:東宝Leave a Comment on 羊と鋼の森

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