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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ホラー

『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

Posted on 2019年9月17日2020年8月29日 by cool-jupiter

プライベート・ウォー 80点
2019年9月15日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク
監督:マシュー・ハイネマン

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これはヒューマンドラマの皮をかぶったホラー映画である。劇場で鑑賞後に即座にそのように感じた。ホラー映画における恐怖は、それがあまりにも理不尽だからこそ恐怖を感じるのだ。ということは、市民と軍人の別なく殺戮行為が横行する戦地のドラマはホラーであるとしか言いようがない。もう一度言うが、これはホラー映画である。

 

あらすじ

メリー・コルビン(ロザムンド・パイク)は戦場ジャーナリスト。スリランカでは爆撃に遭い、左目を失明してしまったが、それでも彼女は戦地の取材に赴くのを止めない。PTSDに悩まされ、上司からはストップをかけられるが、それでも彼女は止まらない。そして、ついに彼女は政府軍による空爆の続くシリアのホムズに足を踏み入れる・・・

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ポジティブ・サイド

日本でも今年『 新聞記者 』が公開され、大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。その他、映画大国アメリカに目を移せば、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』など、ジャーナリストたちの気概と奮闘に焦点を当てた作品の生産において、日本よりも遥かに先を行っていることが分かる。そこに本作である。『 ダンケルク 』や『 ハクソー・リッジ 』のような“戦地”を舞台に、スーパーマンのような兵士ではなく、私生活が滅茶苦茶で規律違反の常習者であるジャーナリストが克己奮励する様には、どうしたって胸を打たれずにはいられない。

 

このメリー・コルビン記者は、常に戦場の最前線で、普通なら面会できないような人物に次々に接触する。そしてものすのは名もなき一般人の悲嘆、怨嗟、苦悩の声を届ける記事なのである。ここに見出されるべきは、平和な国からやってきたジャーナリストの仕事ぶりではなく、一切の虚飾を取り払った究極の個人として行動する一人の人間の生き様である。事実、コルビンは上司の連絡も無視するし、会社が保険に別の記者を送り込んでくるという判断に激怒するし、アメリカ軍が従軍記者に求めるルールすらも呵々と笑い飛ばす。そして信じられない勇気と大胆さ、機転によって危地を脱していく。特にイラクの砂漠のど真ん中のシーンは国や状況は全く異なるが『 ボーダーライン 』で、主人公舞台がメキシコ国境を車で超える時のような緊迫感に満ちていた。中盤以降は、迫撃砲や爆弾の着弾音がストーリーの基調音を形作って、観る者の不安と恐怖を掻き立てる。血と泥と煙と埃がスクリーンを覆い、我々はむせ返るようなにおいすら嗅ぎ取ってしまう。繰り返すが、本作はホラー映画でもあるのだ。爆撃機やミサイル発射台などは一切その姿を見せず、ただいきなり命が奪われていく。これは怪物や怪異の正体が全く分からないままに、ただただ不条理に命が奪われていくホラー映画の文法と共通するものである。

 

なぜこのような危険な場所に好き好んで赴くのか。それはコルビンの本能の為せる業なのかもしれない。漫画『 エリア88 』でもミッキーやシンは戦場での生の実感を平和の内に見出せなかった。コルビンも同じである。平和な世界では、彼女は酒に溺れてしまう。まるで常習的にDV被害に遭っている妻が、暴力夫のところに舞い戻る、または似たような暴力男と再婚するかのように、彼女は戦地に舞い戻る。ここまで来ると後天的な帰巣本能なのだろう。戦争・紛争の理不尽さを紙面で糾弾するのではなく、権力者に面と向かって指摘する。その場で逮捕拘束されて、処刑されてもおかしくないはずだ。それをコルビンはやる。彼女が伝えるのは、戦地で生きて死んでいく、何の変哲もない人々のことである。養老孟司と宮崎駿の対談本『 虫眼とアニ眼 』でも、両者は「我々は人類のことを考え過ぎている」と喝破しているが、コルビンは人類ではなく個々人を見、話し、書いた。個の強さが必要と叫ばれる現代において、彼女の生き方は模倣や追随の対象には決してならないが、大いなるインスピレーションの源泉にはなるだろう。

 

ネガティブ・サイド

同じような戦場ジャーナリストたちの描写がもう少し必要だったと思う。例えば、Jovianの先輩で戦地・紛争地取材に携わった方がおられるが、「オレ、もう花火大会行けないよ。あのヒュ~っていう音が怖いもん」と真面目な顔でおっしゃるのだ。戦地での極限的な恐怖の経験が、平和な社会の些細とも思える事柄によって呼び覚まされるのかという描写が欲しかった。が、これはクラスター爆弾事件を起こしてしまうような、極限まで平和な国に生きている者の出過ぎた要求か。

 

Wikipediaや各種英語のサイトを見回ってみたが、コルビンという無二の記者は、とんでもないモテ女にして、夜の武勇伝から、実際に戦地での英雄的行動の数々を含めて、personal anecdoteに事欠かない人物だったことは間違いないらしい。このような“事実は小説よりも奇なり”を地で行く人物像の描写がほんの少し弱かったように思う。ほんの一言二言でよいのだ。スター・ウォーズでハン・ソロがほんの少しだけ言及したケッセル・ランや、フィンが「トリリアの虐殺を知らないのか?」と言ったような、ちょっとした印象的な固有名詞を聞かせてもらえれば、あとはこちらが勝手に検索できる。そして、コルビンのレジェンドをビジュアルを以って脳内で再生できるようになるのである。

 

あとは、映画そのもののマイナスではないが、字幕で「鑑」であるべき箇所が「鏡」になっていた。翻訳者および構成担当者は注意されたし。

 

総評

何度でも書くが、本作はホラー映画である。しかし、幽霊やチェーンソーを持った殺人鬼が出てくるわけではない。何か大きな力によって意味も分からずに人が死んでいく、そのことに義憤を感じた硬骨のジャーナリストの後半生を追ったヒューマンドラマでもある。領土を取り返すには戦争をするしかない、などという痴人か愚人か狂人にしかできない発言を国会議員が堂々と行い、それでいてお咎めなしという日本の平和は確かに享受すべきで、維持していくべきものだ。しかし、その平和が失われるとはどういうことかについて我々は余りにも無自覚すぎる。メリー・コルビンという記者の生き様を、今ほどこの目に焼き付けるにふさわしい時期は無いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You bet.

 

「もちろんだよ」、「オーケー」、「だな」のような肯定や確信の意味を伝える時、そして“Thank you”の返事をする時にさらっとこう言えるようになれば、その人は英語学習の中級者である。本作ではさらにカジュアル度の高い“No shit” という表現も使われている。こちらは「馬鹿言ってんじゃねー、当たり前だろうが」のようなニュアンスである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, イギリス, ヒューマンドラマ, ホラー, ロザムンド・パイク, 監督:マシュー・ハイネマン, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

Posted on 2019年9月10日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

ゴーストランドの惨劇 65点
2019年9月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:クリスタル・リード アナスタシア・フィリップス エミリア・ジョーンズ テイラー・ヒックソン
監督:パスカル・ロジェ

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劇場の新作予告での非常にユニークな宣伝文句に惹かれた。すなわち【2度と見たくないけど、2回観たくなる】に。また、【 姉妹が その家で再会した時 あの惨劇が再び訪れる―などという ありきたりのホラーでは終わらない 】や【 観る者を弄ぶ絶望のトリック 】という挑発的な惹句にもそそられた。結果はどうか。まあまあであった。

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あらすじ

叔母の家を相続したベス(エミリア・ジョーンズ)とヴェラ(テイラー・ヒックソン)の姉妹とその母と共に人里離れた屋敷に移り住んできた。しかし、キャンディ屋に扮した異常な二人組の侵入により、屋敷は惨劇の場に。母は娘たちを守らんと決死の抵抗を試みて・・・

 

ポジティブ・サイド

確かに凡百のホラー映画とは違う。そこに『 キャビン 』との共通点を感じる。ネタバレになりかねないので白字で書くが、本作を観て以下の作品を思い出した。

 

『 バタフライ・エフェクト 』

『 ミスター・ノーバディー 』

『 スプリット 』

『 カメラを止めるな! 』

 

残暑も厳しいし、サメかゾンビか、それとも普通のホラー映画でも観るか、のような軽いノリで鑑賞する作品ではない。かといって、骨の髄までホラー映画ファンでなければ観てはならないのかというと、そんなことはない。確かに、タイトルにある惨劇の名に恥じないキツイ描写はあるが、本作の真価はそこにあるのではない。Jovianが脚本家なら、このtwistを最後の最後に持ってきて、観客をflabbergastedな状態に放置して終わりにしてしまうことだろう。そして、それも脚本執筆段階では選択肢にあったはずだ。しかし本作の製作者たちは、ジェットコースター的な展開を選択した。真相が明かされたところからが本番なのだ。普通の90分のホラー映画文法に従えば、最初の15~30分でキャラクターと舞台を説明/描写する。30~70分で惨劇を描く。70~90分で窮地を脱してエンディングとなるだろう。だが、本作はそこをひっくり返した。惨劇の開始までが圧倒的に短く、窮地を脱するまでが最も長いのだ。それでいて90分に収めてしまうのだから、パスカル・ロジェ監督の手腕は見事である。

 

主演のエミリア・ジョーンズはまさに人形のような可愛らしさで、やはりホラー映画は美少女または美女の顔が苦痛にゆがむのを眺めて悦に入るための小道具であることを実感。そうした王道、場合によってはこの上なく陳腐な展開を、超絶技巧で圧縮してしまった本作は、近年のホラーの中でも出色の出来である。ベスの最後の意味深な台詞にもにやり。ホラー映画にこそ余韻が必要なのである。

 

ネガティブ・サイド

展開は途中までは陳腐そのものであるが、こけおどし的な手法の多用も陳腐である。つまり、ジャンプスケアが多すぎるのである。いつになったら「怖い」と「びっくりする」をホラー製作者たちは区別するようになるのか。『 来る 』や『 貞子 』が怖くないのも、作り手が怖がらせようと意識しすぎるからだ。視覚的に怖がらせるのであれば、『 エクソシスト 』の、ベッド上で、膝から上だけでドッタンバッタンするシーン、首が180度回転するシーン、仰向けのまま階段を這い降りるシーンでもう十分に怖い。そうではなく、もっと映画を観終わってからも誰かに心臓を握りしめられているような感覚を味わわせてほしいのだ。例えば『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』の意味不明なラストのテント内のシーンが、序盤の街の声を思い出すことによって、とてつもなく恐ろしいものに変貌したり、あるいは黒沢清監督の『 CURE 』のラストシーンの一見何気ない行動をとっているように見えるウェイトレスなど、考えることによって生まれてしまう恐怖感が、もっと欲しいのだ。

 

個人的に他にも気になったのは、オープニングがまるっきり『 レディ・バード 』だったこと。これもこれで、一種のホラー映画のオープニングあるあるなのだろうか。母と娘の関係を深読みしすぎてしまったようである。これは狙ったmisleadingなのだろうか。

 

総評 

ホラー映画ファンならば劇場へGoだ。美少女好きな映画ファンも劇場へGoだ。幽霊はちょっと・・・という方には朗報だ!本作はそのタイトルにもかかわらず、幽霊は出てこない!とにかく劇場にGoだ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I can’t wrap my mind around ~

 

wrap one’s head around ~ = ~を理解する、という慣用表現。

 

Once you are able to wrap your head around Blade Runner, go for 2001: A Space Odyssey.

I still can’t wrap my head around what this company is aiming to do with this project.

 

等のような使い方をする。自分でも練習してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナスタシア・フィリップス, エミリア・ジョーンズ, カナダ, クリスタル・リード, スリラー, テイラー・ヒックソン, フランス, ホラー, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

『 イット・カムズ・アット・ナイト 』 -“イット”・ムービーの拍子抜け作品-

Posted on 2019年7月16日 by cool-jupiter

イット・カムズ・アット・ナイト 40点
2019年7月15日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョエル・エドガートン
監督:トレイ・エドワード・シュルツ

スティーブン・キング原作の『 IT イット 』、『 IT イット “それ”が見えたら、終わり。 』に代表されるように、Itは元々、正体不明の存在を意味する。身近なところでは、It is a beautiful day today. や It’s really cold in this room.、It’s not that far from here to the station. などのような英文の主語It は、それ単独では意味が決定できない。必ずそれに続く何かがないと、天気なのか、気温なのか、距離なのか、正体は分からない。『 イット・フォローズ 』でもそうだったが、怪異の正体が不明であること、それが恐怖の源泉というわけで、ホラー映画のタイトルに It を持つ作品が多いのは必然なのである。それでは本作はどうか。はっきり言って微妙である。

 

あらすじ

ポール(ジョエル・エドガートン)は、老人を射殺し、遺体を焼いて、埋めた。彼は森の奥深くで家族を守りながら暮らしていたのだ。ガスマスクと手袋、そして銃火器で彼らは“何か”から身を守っていた。そこへウィルという男性が現れる。彼は自分にも家族がいるのだと言い・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭からミステリアスな雰囲気が漂う。同時に、観る者に考えるヒントを与えている。ガスマスクや手袋に注目すれば、細菌またはウィルスの空気感染もしくは飛沫感染が疑われる。ならば保菌者は?これは銃が有効な相手。となると小動物や虫ではなく大型の動物。普通に考えれば人間ということになる。そしてそれは十中八九、ゾンビであろう。It comes at nightというタイトルから、太陽光線の下では活動できないゾンビであることが容易に推測される。そうした設定のゾンビは、リチャード・マシスンの小説『 地球最後の男 』から現在に至るまで、数千回は使われてきた。低予算映画とは、つまりアイデア型の映画なわけで、陳腐な設定にどのような新しいアイデアがぶち込まれてきているのかが焦点になる。そうした意味で、本作の導入部はパーフェクトに近い。

 

またジョエル・エドガートンの顔芸も必見である。『 ある少年の告白 』でも、恐ろしいほど支離滅裂ながら、なぜかカリスマ的なリーダーシップを発揮する役を演じていたが、本作でもその存在感は健在。恐怖心と勇気、愛情と非情、相反する二つの心情を同居させながらサバイバルしようとする男が上手く描出できていた。

 

ネガティブ・サイド

意味深な導入部を終えると、ストーリーは一転、停滞する。It comes at night. というタイトルにも関わらず、何もやってこない。いや、色々なものが夜には出現してくる。それは思春期の少年と年上女性とのロマンスの予感であったり、夜な夜な見てしまう悪夢であったり、開けてはいけないとされる扉を開けてしまいたくなる誘惑であったりする。問題は、それらが怖くないこと、これである。恐怖の感情は、恐怖を感じる対象の正体が不明であることから生まれる。しかし、本作のキャラ、なかんずくポールの息子のトラヴィスは、恐怖の感情そのものに恐怖している。つまり、彼の恐怖の感情と見る側のこちらの恐怖の感情がシンクロしにくいのである。彼らは恐怖の対象が何であるのかある程度理解しており、その対策のための防護マスクや手袋を持っている。こちらは、恐怖の正体についてある程度の推測はできているため、いつそれが姿を現すのかを待っている。つまり、恐怖を感じるのではなく、やきもきするのである。じれったく感じるし、イライラとした気持ちにすらさせられるのである。

 

設定がよく似た作品に『 クワイエット・プレイス 』があるが、ホラー作品としてはこちらの方が王道的展開で安心できる。本作は、「(ゴジラより)怖いのは、私たち人間ね」と喝破した『 シン・ゴジラ 』の尾頭ヒロミよろしく、人間関係そのものが恐怖であることを描く、陳腐な作品である。似たようなテーマを持つ作品としては『 孤独なふりした世界で 』の方が優れているし、正体不明の何かが迫ってくる映画としては『 イット・フォローズ 』に軍配が上がる。

 

総評

真夏日に家の外に出たくない。そんな時に気軽に暇つぶしする感覚でしか観られないのではないか。人間関係の微妙な機微の描写や、ポスト・アポカリプティックでディストピアンな世界観の構築をそもそも追求していない作品だからである。ホラーというよりはシチュエーション・スリラーで、そちらのジャンルを好む向きならば鑑賞してもよいかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, シチュエーション・スリラー, ジョエル・エドガートン, ホラー, 監督:トレイ・エドワード・シュルツ, 配給会社:ギャガ・プラスLeave a Comment on 『 イット・カムズ・アット・ナイト 』 -“イット”・ムービーの拍子抜け作品-

『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

Posted on 2019年6月17日2020年4月11日 by cool-jupiter

トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 40点
2019年6月14日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ルーシー・ヘイル
監督:ジェフ・ワドロウ

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夏と言えばホラー映画またはサメ映画である。しかし、サメ映画については今年はいいかなと感じている。昨年(2018年)の『 MEG ザ・モンスター 』が収穫だったからではなく、『 アクアマン 』にレーザー光線を放つサメが登場したからである。ならばホラーである。Jovianの嫁さんが激ハマりしていたテレビドラマ『 プリティ・リトル・ライアーズ 』の主人公の一人、ルーシー・ヘイルが主演というのもレンタルの動機になった。

 

あらすじ

オリヴィア(ルーシー・ヘイル)は、親友のマーキーらと共に大学最後のバケーションとしてメキシコ旅行へ行く。そして現地で知り合ったカーターという男性と共に、皆でトゥルース・オア・デアに興じる。それは悪魔のゲームの始まりだった・・・

 

ポジティブ・サイド

日本でトゥルース・オア・デア(真実か挑戦か)を実際に行ったことがある人は、それほど多くないだろう。Jovianは一度だけ大学の寮でアメリカ人、ドイツ人、ブラジル人らと興じたことがある。独自ルールとして、真実、挑戦、いずれも拒否の場合はテキーラだったかウォッカだったかのショットを一気飲みが科されていた。若気の無分別というやつである。

 

このゲーム、そして本作の面白さも、ゲームの持つ不思議な魔力にある。我々も普段、じゃんけんやあみだくじで、そこそこ重要な事柄を決めたりしているが、そこには実は合理性は無い。あるのは、じゃんけんやあみだくじの持つ魔力=虚構性への積極的な加担である。そういえば、自分の卒論のテーマもこうだった。宗教(および諸々の社会システム)とは、その虚構性を積極的に認め、維持しようとする持続的な試みなのだ。

 

Back on track. 本作は割と早い段階で、『 ゲーム 』(主演:マイケル・ダグラス 監督:デビッド・フィンチャー)のような大掛かりな仕掛けのあるゲームではなく、『 シェルター 』(主演:ジュリアン・ムーア 監督:モンス・モーリンド ビョルン・スタイン)のようなスーパーナチュラルな存在によるものであることが分かる。恐怖は、怪異の正体が不明であることから生まれる、と『 貞子 』で述べたが、怪異の正体が人為的なものなのか、それとも超自然的なものなのかと登場人物および観客を惑わせるのは非常に効果的であり、なおかつ非常に難易度が高い。本作はそこでスリルやサスペンスを生み出すことをあっさりと放棄した。その代わり、人間の形相を極端に歪めることで観る者に怖気を奮わせる。『 不安の種 』でも使われた手法であるが、これはこれで慣れるまでは結構怖い。本格ホラーは苦手でも、ライトなホラーならイケるという向きにお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

怪異の正体が怖くない。というよりも、この手のホラー映画のパターンというのは、何故にここまで紋切り型なのか。先に挙げた『 シェルター 』もそうであるし、B級ホラーで言えば『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』、A級ホラーで言えば『 エミリー・ローズ 』がそうであるように、宗教的な観念、信仰が背景にある。なので怖い人にとっては怖い。怖くないと言う人にとっては怖くないという、両極端な反応を生み出しやすい。ホラー映画としてユニバーサルな怖さを感じさせる作品の白眉は『 エイリアン 』または『 シャイニング 』だろうか。宗教的または哲学的な観念を背景に紛れ込ませ、結局怖いのは人間なのだと感じさせるのが最も効果的なのかもしれない。

 

本作の弱点として、色々な人の死に方にバリエーションがないのである。どこかで見た死に方ばかりで、正直なところ退屈してしまった。中には『 催眠 』(主演:菅野美穂 監督:落合正幸)そっくりなシーンもあった。まさかパクっているとは思わないが、もうちょっとオリジナリティを追求しなければならない。

 

またゲームの中身も弱い。独自ルールは別に構わないのだが、挑戦の内容が酷い。何が酷いかと言えば、「○○を銃で撃ち殺せ」のようなダイレクトな指示である。我々のハラハラドキドキは、真実を語ることによってどのような人間関係が露わになってくるのか、挑戦を無事に成し遂げられるのかどうか、というところから来るのであって、直接的に害を及ぼそうとしてくるものにはハラハラドキドキはしないのである。

 

結末も容易に読める。というか、始まり方からして『 シンプル・フェイバー 』そっくりなのである。『 貞子 』こそ、こうあるべきだったのだが。

 

総評

中学生~大学生ぐらいまでであれば、それなりに楽しめるのではないか。特に高校生~大学生ぐらいまでのカップルなら、休日に鑑賞して楽しめるかもしれない。逆に年齢がそれよりも上、または映画経験、特にホラー映画経験がそれなりに豊富な人には、ややお勧めしづらい。PLLのファンなら、アリアを応援するつもりでレンタルするのも一つの選択肢かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ホラー, ルーシー・ヘイル, 監督:ジェフ・ワドロウ, 配給会社:ユニバーサル・ピクチャーズLeave a Comment on 『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

貞子 10点
2019年5月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:池田エライザ
監督:中田秀夫

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鈴木光司作品に高校生の頃から親しんできたJovianにとっては『 リング 』シリーズ、さらに“貞子”は時を超えて心に残るサムシングなのである、とは言わないまでも、それなりに思い入れのある作品そしてキャラクターなのだ。しかし、どこで間違ってしまったのか・・・。このような超絶的な駄作を見せられては、二の句が継げないではないか。

 

あらすじ

心理カウンセラーの秋川茉優(池田エライザ)は、YouTuberとなった弟の和真が霊能者が死んだという団地の火災後で動画の撮影後に行方不明になったと知らされる。時を同じくして、その団地の火災のあった部屋に住んでいたと思われる少女が保護され、茉優の務める病院に入院。その時から、奇怪な現象が起こり始め・・・

 

ポジティブ・サイド

池田エライザの絶叫が、そこそこ響いたかなというぐらい。後は佐藤仁美と久々に再会したというぐらいかな。

 

そうそう、貞子はすでに一般レベルで消費できるコンテンツとして確立されているので、出し惜しみをする必要はない。ホラー映画は往々にして恐怖の源の登場シーンを後ろに持って行こうとする傾向があるが、今作は割とすぐに貞子を登場させてくれる。そこは褒めても良いだろう。

 

ネガティブ・サイド

まず「撮ったら呪われる」というコンセプトが非常につまらない。つまらないという言葉が辛辣に過ぎるなら、面白くないと言おう。いや、はっきり言って怖くないのである。いくらYouTuberという職業が認知されつつある現代でも、映像作品を作る人間と言うのは圧倒的にマイノリティである。つまり、呪いの対象になりうる可能性が圧倒的に低い。つまり、恐怖感を与えにくい設定になってしまっている。動画を観たら呪われる、なら分かる。誰も彼もがスマホやPCで動画を観る今、流れ弾的に呪いの動画を観てしまうことはありうる。凝った演出ができるならば、そちらの方が遥かに観客に恐怖を与えられる。劇場で映画鑑賞後に我々が真っ先にすることは何か。スマホの電源を入れることである。撮ったら死ぬ、ではなく、観たら/見たら死ぬ、の路線で行くべきだった。今さら言っても詮無いことだが・・・

 

肝心の貞子もひどい。特に、テレビ画面からのっそりと抜け出てくるシーンは『 リング 』を撮った中田秀夫監督のオリジナルアイデアで、小説版に優る点である。しかし、その後が良くない。思わず劇場内で失笑してしまうところだった。爬虫類は、無機質な目やチロチロとした舌の動き、静から動に一瞬にして切り替わる動きを見せることで、観る者を時々驚かせるが、貞子にトカゲか何かのような匍匐前進をさせて、それで観る者に恐怖感を与えられると一体誰が考えたのだ?この瞬間をもって本作はホラー映画からギャグ映画に一挙に転換してしまった。

 

謎の少女も意味が分からない。貞子の依り代か何かと思わせながら、どうもそうではないようだ。しかしそれ以上に、老婆や老人を曰くありげなガジェットとして配置するのはやめてもらいたい。手垢のついたクリシェ以外の何物でもない。ギャグとホラーの境界線上を敢えて進もうとする作品なら『 来る 』が先行している。二番煎じは不要である。

 

ホラー映画における恐怖とは、怪異の原理が不明であることから産生されるのである。しかし、本作で不明なのは貞子の行動原理よりも登場人物の行動原理の方だ。YouTuberとして身を立てたいというのは別に構わない。しかし、事件現場に立ち入って動画を撮るのは何故なのだ?いや、ただの動画を撮るならまだいい。自分の顔や声を一切出さないようにして、そうした動画をネット上にこっそりアップするというのなら、まだ理解できる。しかし、警察や消防が封鎖している事件現場に白昼堂々と忍び込み、顔出し動画をネットに上げる意味がさっぱり分からない。即、逮捕されて終了ではないか。起訴されるかどうかは分からないが、YouTubeの運営側にアカBANされるのは火を見るより明らかだ。本当に大学生なのか。

 

訳が分からないのは、塚本高史演じるWebマーケターもである。「動画は削除されてますけど、探せばいくらでも出てきますよ」ちゃうやろ。その場で検索して、見せたれよ。その上でエライザのために一肌脱いだらんかいな。そして、貞子と対決してあっけなく、しかし華々しく死んでいかなあかんやろ。何を呑気に生き延びてんねん。しかも、岩を動かそうとする時に、重力とてこの原理を全く無視してて、大いに笑わせてもらったわ。とことん何の役にも立たんキャラやったな。

 

と冷静さを失って関西弁になってしまうほど、酷い出来の映画なのであった。

 

総評

一言、つまらない。

これから鑑賞を予定している諸氏におかれては、チケット代と2時間をドブに捨てる覚悟で臨んで頂きたい。貞子は今後、『 富江 』シリーズのように、売り出し中の美少女の登竜門的作品になってしまうのだろうか。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, F Rank, ホラー, 日本, 池田エライザ, 監督:中田秀夫, 配給会社:KADOKAWA『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- への4件のコメント

『 パズル 』 -シチュエーション・スリラーの駄作-

Posted on 2019年2月26日2019年12月23日 by cool-jupiter

パズル 20点
2019年2月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーシエン・ドワイヤー  マット・デラピーナ
監督:プレストン・デフランシス

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TSUTAYAで何故か新作料金で借りてしまった。カバー、そしてあらすじだけでゴミ作品と分かったが、Sometimes I’m in the mood for garbage.

 

あらすじ

アレックス(マーシエン・ドワイヤー)は恋人のネイサン(マット・デラピーナ)と共に切り裂きキャンプ(Slasher Sleepout)という野外キャンプ、お化け屋敷、脱出ゲームを組み合わせたようなイベントに参加する。集まったのは個性的な男女6名。イベントをこなしていく彼らは、しかし、メンバーの一人が殺されてしまったことで混乱に陥る。アレックスとネイサンは果たして生き延びられるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

原題は“Ruin me”である。「私を壊して」とでも訳すのだろうか、しかし、素直に訳してしまうと、おそらく誰も手に取らないタイトルであろうし、上述したような Slasher Sleepout というのは非常に訳しにくい言葉である。『 切り裂きキャンプの悪夢 』などと、エルム街をパロったようなタイトルをつけてもダメであろう。様々な要素を一気に表す言葉として「パズル」はギリギリセーフの邦題であると評価したい。

 

そうそう、謎解きシーンでは「面白いな」と感じるシーンが一か所あった。英語と日本語の最大の違いの一つは、前者は文字と音が必ずしも一致しないことで、後者は文字と音が見事に一致するということである。この英語の特徴を活かした謎解きがあって、個人的には膝を打った。

 

ネガティブ・サイド

まず、DVDカバーのようなモンスター的なキャラは出てこない。看板に偽りありだ。普通にslasherと聞けば、『 13日の金曜日 』のジェイソンのようなモンスターか、『 ハロウィーン 』のマイク・マイヤーズ、または『 悪魔のいけにえ 』のレザーフェイスのような殺人鬼を想像するが、本作に出てくるslasherは実に小物だ。別にそれはいい。だが、このようなカバーで釣るのは犯罪的ではないか。

 

本作はマイケル・ダグラス主演の『 ゲーム 』とブライアン・デ・パルマ監督の『 キャリー 』を無造作に組み合わせて、そこかしこにシチュエーション・スリラーの要素を散りばめた、『 キャビン 』になろうとしてなれなかった粗悪品である。特に夜の森のシーンは、めちゃくちゃ暗いシーンと不必要なまでに明るいシーンが混在し、観る者の目を惑わす。勘弁してくれ。

 

キャラの変貌ぶりについても、本来はホラー映画ではない『 シンクロナイズドモンスター 』のジェイソン・サダイキスの方が遥かに怖かった。さらに一部の芸能リポーターが騒いだ有安杏果関連のニュースを事前にチェックして本作を見れば、更にしらけること請け合いである。

 

総評

見つけたら借りるな、借りても観るな。それが本作への評価である。しかし、今をときめく監督や、撮影監督、脚本家や役者連中も、メジャー作品を手掛けることができるようになるまでは、このようなクソ作品で腕を磨いてきたのだ。もしもあなたが、完成されたボクサーよりも未完の粗削りなボクサーの方が好きだ、という香川照之のような熱病的思考法の持ち主ならば、どうしても他にすることが無いという時にだけ観るのもありかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, ホラー, マーシエン・ドワイヤー, マット・デラピーナ, 監督:プレストン・デフランシスLeave a Comment on 『 パズル 』 -シチュエーション・スリラーの駄作-

『 パーソナル・ショッパー 』 -霊に取り憑き、取り憑かれた霊媒師-

Posted on 2018年12月25日2019年12月6日 by cool-jupiter

パーソナル・ショッパー 60点
2018年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリステン・スチュワート
監督:オリビエ・アサイヤス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181225235530j:plain

Personal Shopper

近年の映画界は“幽霊”というものを少しシリアスに捉え始めたのだろうか。『 ルームロンダリング 』や『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』などの佳作が見られたが、その静かなブームの火付け役は本作だったのかもしれない。

 

あらすじ

モウリーン(クリステン・スチュワート)は、急死した兄と生前に約束をしていた。どちらか死んだ者が、生きている側にサインを送ると。彼らは霊媒師なのだ。兄からのサインを待ちながら、パーソナル・ショッパーとして有名モデルのファッション関連の買い物を代行する仕事に明け暮れるモウリーンの携帯に、ある時、不可思議なメッセージが届き始める・・・

 

ポジティブ・サイド

これは単なる幽霊の物語でもなければ、ホラー映画でもない。もちろん幽霊は登場するのだが、それはある種のガジェットとしてしか機能しない。兄の突然の死、フラストレーションの募る仕事、希薄な人間関係。こうした一連のストレスと謎のショートメッセージがモウリーンが自らに課した禁忌の扉を少しずつ開放していく。それは華やかな衣装に身を包むことであったり、性欲に身を任せたりであったりと様々だ。霊というのは不思議なもので、自分に関係のある者(例えばご先祖様など)の霊については我々はその実在を信じやすい。一方で、自分と関係の無い人間の霊の存在は、客観的にはともかく、主観的に信じようとする人はまず存在しない。つまり、モウリーンが劇中で見せる不可解ともいえる行動の数々は、彼女が彼女でない何者かになっていることを強く示唆する。そうでなければ、誰が兄の霊が見ているかもしれないと感じている中で自慰に耽るだろうか。『 ルームロンダリング 』は自分とは無関係な人間の霊を成仏させていきながらも、その行為の原点は肉親であった。『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』は、妻への思慕の念から不思議な時間の円環を巡る幽霊の物語であった。誤解を恐れず言い切ってしまえば、霊とは自分の半身( significant other )なのだ。普通は逆である。霊とは、この世に未練を残したまま死んだ者の残滓、と理解されている。しかし、本作はさらに一歩踏み込んで、自分を形作る非常に重要な部分でありながら、決して自分自身ではない者、それが霊という存在に仮託されているのではないかと提唱する。生きた人間には悩みは尽きないが、霊にもジレンマやコミュニケーション不全というものがあるのだ。

 

ネガティブ・サイド

非常に難解な構成である。もちろん、物語のこの部分はあれの比喩だな、とか、このXとあのYは見事な相似形になっているな、ということであれば割と分かり易い。しかし、これほどヒントの少ない映画というのも珍しいのではないか。なにしろ、ラストシーンまで到達しても、「ああ、あのシーンが伏線だったのか」と思えることが皆無なのだから。もちろん、受け取り手側の無知および無力もあろうが、カンヌ映画祭で絶賛とブーイングの両方を浴びたというのもむべなるかなである。

 

自分ではない誰かになろうとする。それは普遍的なテーマであるが、霊の力を借りて、あるいは例の存在にかこつけて描くべきテーマだったのだろうかとの疑問は残る。これほど訳が分からず色々と考えさせられたのは久しぶりでもある。『 2001年宇宙の旅 』とまで言わないが、『 ノクターナル・アニマルズ 』に並ぶ、混乱系の映画である。それも心地よい混乱ではない。眩暈、吐き気がするような混乱で、この感覚を心地よいと思う向きと不快に思う向きの両方が存在するはずだ。Jovianは残念ながら前者である。

 

総評

映画は基本的には、映像、監督、演技の三要素で採点すべきだ。本作はその三要素ではすべて平均以上のものを持っているが、必ずしも万人向けではない。カンヌですら意見が絶賛と酷評に分かれたと言うのだから、カジュアルな映画ファンの胃袋には少々重いかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, クリステン・スチュワート, サスペンス, フランス, ホラー, ミステリ, 監督:オリビエ・アサイヤス, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 パーソナル・ショッパー 』 -霊に取り憑き、取り憑かれた霊媒師-

『 来る 』 -新たなジャパネスク・ホラーの珍品誕生-

Posted on 2018年12月19日2019年11月30日 by cool-jupiter

来る 35点
2018年12月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岡田准一 黒木華 小松菜奈 松たか子 妻夫木聡 柴田理恵
監督:中島哲也

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181219015907j:plain

原作は小説『 ぼぎわんが、来る 』で、こちらはまあまあ面白い。『 リング 』の貞子より怖いと評す向きもあったが、恐怖を感じる度合いは人それぞれであろう。しかし、小説、そして映画としての怖さと面白さは『 リング 』の圧勝である。本作は映画化に際して原作の持つメッセージをかなり削ぎ落としてしまっている。そのことが残念ながら裏目に出た、残念な映画化作品である。

 

あらすじ

田原秀樹(妻夫木聡)は妻、香奈(黒木華)と幸せな結婚生活を送っていた。そして香奈が妊娠。秀樹は理想的な父親となるべく努力を始めるが、周囲では怪異が起こり始める。不安を覚えた秀樹は友人の伝手からジャーナリストの野崎(岡田准一)を紹介してもらい、そこから霊感の強い真琴(小松菜奈)を紹介してもらうも、事態は好転せず・・・

 

ポジティブ・サイド

本作の最大の見どころは2つ。1つは小松菜奈の露出である。美脚やへそを遠慮なく披露し、入浴シーンのおまけつき。『 恋は雨上がりのように 』でも、艶のある表情、そして姿態・・・ではなく肢体を見せてくれたが、有村架純の次にラブシーンを解禁してくれるのは、小松で決まりか。

 

もう1つは、黒木華のベッドシーン。これまでもいくつかラブシーンはあったが、今回は一味違う。といっても露出具合とかそういう話ではない。女性性ではなく、動物性を感じさせるような演技。理性ではなく本能の赴くままに抱き合う様はよりいっそう官能的だった。

 

と手放しで褒められるのはここまで。もちろん、妻夫木聡の高レベルで安定した演技力や、そのキャラクターに知らず自身を重ね合わせて見ることで慄然とさせられる男性映画ファンは多かろう。しかし、それが映画の面白さにつながっているかというとそうではない。それが惜しい。そうそう、柴田理恵も良い味を出している。はっきり言ってギャグとホラーの境目を頻繁に行ったり来たりする本作の中で最も象徴的なキャラにして、最も振れ幅が大きいキャラを演じ切ったのはお見事。彼女のシリアス演技だけで笑いながら震えてしまった。

 

ネガティブ・サイド

まず、原作の三部作構成および語り手=人称=視点の変更というアイデアを中途半端に取り込んだのが、そもそも間違いだった。取り入れるなら全て取り入れる。映画的に翻案するなら、すべて映画文法に従わせる。そのどちらかのポリシーを選んで、貫くべきであった。同じように、視点があちこちに移動する小説を原作とする映画に『 白ゆき姫殺人事件 』がある。こちらは原作のテイストを維持しながらも、Twitterのツイートを終盤に一挙に爆発させるという手法を取ることで、映画的なカタルシスを倍増させることに成功した。このように、何か新しいアイデアがあるのでなければ、原作にとことん忠実になるか、もしくは原作をとことん映画的に料理してしまうべきだ。中途半端は良くない。この批評は原作既読者ならばお分かり頂けよう。

 

秀樹のパートは妻夫木聡の卓越した演技力もあり、一見して理想的な夫そして父に透けて見える厭らしさ、あざとさ、狡猾さ、弱さ、狡さなどの負の要素が観る者に特にショックを与える。それは妻役を演じた黒木華にしても同じで、口角をゆっくりを上げながらニヤリと笑うその顔に震え上がった男性諸氏は多かっただろうと推測する。しかし、こうした裏のあるキャラたちが物語の序盤にあまりにも生き生きと描かれるためか、主役であるはずの岡田准一演じる野崎のキャラが全く立たない。もちろん、彼には彼なりのストーリー・アークがあるのだが、そのインパクトが非常に弱い。男が水子の霊に苛まされるというのは新しいと言えば新しいが、その恐怖をもっと効果的に描く方法はあったはずだ。例えば、あり得たはずの美しい家庭、そして家族のビジョンをほんの十数秒で良いので映すだけでも、その喪失感と絶望感、後悔、苦悩などが描けたのではなかったか。あるいは撮影はしたものの、尺や演出の関係でカットしてしまったのか。観客が対象に対して感じる恐怖というのは、観客がキャラと一体化してこそ効果的に感じられる。ある意味で世捨て人になってしまっている野崎ではなく、平凡な、しかしありふれた幸せを享受する野崎を想像させてこその恐怖ではなかろうか。

 

クライマックスはほとんどカオスである。壮大なセットを組み、日本中から除霊の腕っこきを集めるのだが、ギャグと見まがうシーンとシリアスな描写とが入り混じるのには、苦笑を禁じ得なかった。優れた原作小説を調理する方法が分からない中島監督が、自身の混乱と嗜好の分裂をそのまま映像で表現したのかと考えさせられるぐらい、統一感に欠けるクライマックスが展開される。これを怖いと思う人は、恐怖の閾値があまりにも低い。全体を通じてペースが悪く、ぼぎわんという怪異の存在に対する恐怖を登場人物たちが描き切れていない。そのため、それを見物する我々観客に恐怖がなかなか伝わらない。ホラー映画なのに、さっぱり怖くないのだ。これは致命的であろう。

 

総評

はっきり言ってキャスティングの無駄遣い。脚本段階のミスで、大物の俳優らが出てくるのが遅すぎるし、原作にあった“視点の変更”というアイデアも、視覚言語たる映画にうまく換骨奪胎できなかった点が、兎にも角にも悔やまれる。キャスティングに魅力を感じる人ほど、観終わった後に徒労感を抱くだろう。同工異曲の満足感=ホラーを求めるなら『 不安の種 』のオチョナンさんの方がお勧めである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ホラー, 妻夫木聡, 小松菜奈, 岡田准一, 日本, 松たか子, 監督:中島哲也, 配給会社:東宝, 黒木華Leave a Comment on 『 来る 』 -新たなジャパネスク・ホラーの珍品誕生-

『 ヘレディタリー/継承 』 -ホラーではなくスーパーナチュラル・スリラーに分類すべき-

Posted on 2018年12月14日2019年11月30日 by cool-jupiter

ヘレディタリー/継承 50点
2018年12月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トニ・コレット アレックス・ウルフ ミリー・シャピロ アン・ダウド ガブリエル・バーン
監督:アリ・アスター

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181214032146j:plain

 

heredityという言葉がある。遺伝という意味で、よりなじみ深い英単語ならinheritが挙げられるだろう。ityがつくことで、性質や状態を意味する。身近な例としては、abilityやunity、facilityがある。これにさらに、aryをつけると、場所や範囲、領域を意味するようになる。好個の一例がdictionaryだろう。dictについては、predictやcontradictから類推は容易だ。原題も”Hereditary”であることから、誰かが何かを受け継いでいることを指すのは一目瞭然なのだが、誰かとは誰か、何かとは何であるのかを理解するのは一筋縄ではいかなかった。

 

あらすじ

その一家は祖母を亡くした。その娘のアニー(トニ・コレット)は母には複雑な感情を抱いていながらも、仕事のミニチュア・ハウス作りに没頭する。息子のピーター(アレックス・ウルフ)と娘のチャーリー(ミリー・シャピロ)も日常に回帰しようとするが、名状しがたい異様な空気を一家は振り払うことができず、ある夜、悲劇が発生してしまう・・・

 

ポジティブ・サイド

非常に珍しい Establishing Shot から始まる映画である。ミニチュアのドールハウスを映したかと思えば、その部屋の一つにどんどんズームインしていく。それがピーターの寝室とぴたりと重なるところで、父がピーターを実際に起こしに来る。のっけから唸らされた。今からあなたが観るのは、全て誰かが組み立てた話なのですよ、とあけっぴろげに語られたような気がしたからだ。そして、実際にその通りなのである。

 

何と言ってもチャーリーを演じたミリー・シャピロに拍手を送りたい。強面のジェイソン・クラークをそのまま性転換させ幼児化させたようで、メイクの力もあるだろうが、尋常ならざる雰囲気を見た目だけで醸し出している。天才肌のグレイス・マッケナとは一味違う、一種異様な空気を纏うことができる子役だ。『 エクソシスト 』のリンダ・ブレアのようなキャリアを歩まないことを切に願う。

 

アメリカのメジャーな映画の母親役はトニ・コレットかアリソン・ジャネイとでも決まっているのだろうか。ほんの少し前まで、邦画のきれいなおばあちゃんは吉永小百合、ちょっとエキセントリックなおばあちゃんは樹木希林だったように。本作では主演だけではなく製作総指揮も務めたとのことだが、おそらく鏡の前で相当に顔の筋肉を動かしてから撮影に臨んだに違いない。恐怖の演出のための表情が、コメディ一歩手前にまで到達してしまっている。トニ・コレットでなければギャグになってしまうところを、その存在感と卓抜した演技力で見事に場面を締め付けている。

 

顔芸ではピーターも負けてはいない。特に運転席のシーンでは、観ているこちらも冷や汗をかくというか、脂汗をかくというか、バックミラーを見て後ろを確認すると、そこには!という演出は、おそらく『 ジュラシック・パーク 』で一気にスパークし、今やクリシェと化したが、今作はバックミラーを覗きこみたくても覗きこめないという演出で観る者の不安と恐怖を掻き立てた。残念なのは、恐怖の描写ではこのシーンがピークだったことか。

 

ネガティブ・サイド

ホラーとは何か、については実に興味深い議論がある。Cinemassacreの二人(James RolfeとMike Matei)による Is it horror? という動画がある。議論の冒頭で“Horror is something that’s always changing and adapting to the state of the world”=「ホラーは常に変化して、世界の状態に適応していくもの」という指摘がなされるが、これは正しい。そして、その議論を援用するならば、ホラーの定義は地域によって異なってもよいはずだ。極めて日本的なバックグラウンドを持つ人が、この映画から感じ取る恐怖とは、視覚的な恐怖や聴覚的な恐怖であったり、家族の崩壊の恐怖であったりで、宗教的・哲学的な意味での恐怖を感じ取る人がいたとすれば、相当に鋭い感受性か、もしくは類まれな知識と教養の持ち主と思われる。この映画から後者の意味での恐怖を受けるとすれば、それは西洋文明に相当明るい人のはずだ。Jovianは平均よりも上の知識をその方面に有していると自負しているが、正直なところ、家族の崩壊以上の意味を感じ取ることは難しかった。最後の最後の場面で諸々の伏線、前振りが回収されていく様は見事であったが、それはホラーといよりもサスペンスやスリラーであるように感じられた。

 

ホラー=恐怖とは、理不尽なもの、理屈が通じない状況から生まれるものだろう。しかし、本作の悲劇の始まりは、チャーリーがある行動を取ったから、という実に他愛のないものだった。隠す意味もないのだが、その行動とは「ケーキを食べる」である。もう、これだけでホラーの要素が薄まってしまうだろう。もちろん、その後の悲劇は本当に悲劇としか言いようがないのだが、その過程で観る者が感じるのはサスペンスであってホラーではない。これは西洋人であろうと東洋人であろうと同じだと考えられる。

 

本作は『 ローズマリーの赤ちゃん 』になろうとして、しかし『 タロス・ザ・マミー/呪いの封印 』になってしまった、と言えば通じるだろうか。誰がどう見ても怖い作品を作ろうとして、謎解き要素が強めの作品が出来上がったという感じである。同工異曲でもっと怖い作品を観たいという人は、『 ウィッチ 』を観よう。色々と腑に落ちた点をしっかりと頭に叩き込んでもう一度劇場に向かえば異なる感想を持つ可能性は高いが、残念ながらその予定はない。

 

総評

おそらく評価が真っ二つに分かれる作品である。恐ろしさを感じる人は感じるだろうし、スリルやサスペンス、またはミステリー要素を感じ取る人も相当数いると思われる。ホラーというものは常に現実に即しながら、必ず現実をはみ出た部分を持っている。どの方向にどの程度はみ出るかによって、どのような人にどの程度の恐怖感を催させるかが決定されるわけだ。そうした意味では、観る人を選ぶ作品である。もしもトニ・コレットのファンならば、即、劇場へGO!! である。イヤミス好きという人にもお勧めできる。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, トニ・コレット, ホラー, 監督:アリ・アスター, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ヘレディタリー/継承 』 -ホラーではなくスーパーナチュラル・スリラーに分類すべき-

『ジュラシック・パーク』 -科学の功罪を鋭く抉る古典的SFホラーの金字塔-

Posted on 2018年9月28日2019年8月22日 by cool-jupiter

ジュラシック・パーク 80点

2018年9月24日 レンタルDVD鑑賞
出演:サム・ニール ローラ・ダーン ジェフ・ゴールドブラム サミュエル・L・ジャクソン リチャード・アッテンボロー B・D・ウォ
監督:スティーブン・スピルバーグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180928014135j:plain

ふと気になって近所のTSUTAYAで借りてきてしまった。確か劇場初公開時に岡山市の映画館で観たんだったか。1990年代半ばの映画館は、誰かが入口ドアを開けるたびに光が思いっきり入り込んでくるように出来ていた。まだまだ劇場というものの設計思想が日本では遅れていた時代だった。それでも座席予約や入れ替え制なども中途半端で、極端な話、入場券一枚で一日中映画三昧が可能なところもあった。良きにつけ悪しきにつけ、おおらかな時代だった。バイオテクノロジーやコンピュータテクノロジーが、ブレイクスルーを果たした時代でもあった。もちろん、2018年という時代に生きる者の目からすると、技術的にも設計思想にも古さが見てとれるが、この『ジュラシック・パーク』が古典とされるのは、それが生まれた背景となる時代と激しく切り結んだからだ。

大富豪のジョン・ハモンド(リチャード・アッテンボロー)は、琥珀に閉じ込められたジュラ紀の蚊の体内に保存された恐竜の血液からDNAを採取、復元。恐竜たちを現代に蘇らせ、一大テーマパークを作る構想を練っていた。そのテーマパークを見てもらい、構想に意見をもらうため、古生物学者のグラント博士(サム・ニール)、植物学者のサトラー博士(ローラ・ダーン)、カオス理論を専門とする数学者のマルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)を招聘する。一方で、ジュラシック・パーク内部には、恐竜の杯を高く売り飛ばそうとするネドリーもいた。様々な思惑が入り乱れる中、島には嵐が迫る・・・

まず過去の作品を評価するに際して、映像の古さには目を瞑らなくてはならない。現代の目で過去作品を断じることはあまりすべきではない。それでも本作に関しては、初めて劇場で観た時に魂消るような気持ちになったことは忘れようもない経験だった。巨大な生物が大画面に現れたからではなく、このような巨大な生物が現実の世界に存在してもおかしくないのだ、と思わされるようなリアリティがあったからだ。単に巨大な生き物が画面に現れて暴れるというのなら、ゴジラでも何でもありだ。ゴジラには怪獣としてのリアリティ=その時代において怪獣性に仮託される別の事象・現象があるのだが。時にそれは原子力に代表されるような科学技術の恐ろしさ、戦争という災厄、公害、宇宙からの侵略者、超大国の軍事力でもあった。

Back to the topic. 恐竜を復元、再生するリアリティに何と言っても生物学の長足の進歩があった。1990年代の生物学の歴史は、素人の立場ながら乱暴にまとめさせてもらうと、分子生物学と脳科学の発達の歴史だった。前者の分子生物学は、そのまま遺伝学と言い換えても良いかもしれない。その分野の最新の知見を、コンピュータ技術などと組み合わせることで、現実感が生まれたわけだ。これは過去数年の間に『エクス・マキナ』などに見られるような人工知能、そしてロボットの主題にした映画が陸続と生まれつつあることの相似形である。歴史は繰り返すのだ。ちなみにこの分野では『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)が白眉であると思う。スカーレット・ジョハンソン主演で実写映画化されたのも、偶然ではなく満を持してというところだろう。結果は、まずまずの出来に終わってしまったが。

Back on track. 映画の面白さを語る時、どこに着目するかは観る人による。ある人は演出に魅せられるだろうし、ある人は映像美を堪能するだろうし、またある人は役者の演技に注目するだろう。しかし、ある作品が名作、さらに古典たりえるか否かは、その作品が持つテーマが普遍性を有するかどうかにかかっている。『ジュラシック・パーク』のテーマは、イアン・マルコムがランチのシーンですべて語り尽くしている。「あんたらは他人の功績に乗っかかって、その技術を応用するが、その責任はとらない。その科学技術を追求することができるかどうかだけ考えて、追求すべきかどうかを考えもしない」と厳しく批判する。ゲノム編集技術を倫理的に議論し尽くせているとは言い難い状況で研究や実験をどんどん進める無邪気な科学者たちに聞かせてやりたい台詞である。絶滅の危機に瀕するコンドルを例に挙げ、自らを正当化しようとするハモンドにも「森林伐採やダムの建設で恐竜は滅んだのではない。自然が絶滅を選んだんだ」と理路整然と反論する。科学と倫理のバランスはいつの時代においても重要なテーマである。漫画『ブラック・ジャック』の本間先生の名言「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」という声が、本作鑑賞中に聞こえてきた。“Life finds a way.”と”We spared no expense”という二つの象徴的な台詞の意味についても、よくよく考えねばならない時代に生きている我々が、繰り返し鑑賞するに足る映画である。本作を観ることで、『ジュラシック・ワールド』シリーズが『ジュラシック・パーク』に多大な影響を受けていることが分かる。構図があまりにも似すぎているものがそこかしこに散見されるからだ。小説家の道尾秀介は『貘の檻』で横溝正史の『八つ墓村』から無意識レベルでの影響を受け、意図せずにオマージュ作品を書いてしまったということを機会あるごとに語っているJ・J・エイブラムスも『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』で直観的な演出を即興で多数盛り込んだことで、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のオマージュを創り出した。名作とは、頭ではなく心に残るものらしい。記憶ではなく、無意識の領域に刻みつけられるものが名作の特徴であるとするならば、『ジュラシック・パーク』は文句なしに名作である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, SF, アメリカ, サム・ニール, ジェフ・ゴールドブラム, ホラー, ローラ・ダーン, 監督:スティーブン・スピルバーグ, 配給会社:ユニバーサル・ピクチャーズLeave a Comment on 『ジュラシック・パーク』 -科学の功罪を鋭く抉る古典的SFホラーの金字塔-

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