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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: スリラー

『 テルマ 』 -光るところがある文学的な北欧スリラー-

Posted on 2019年7月15日 by cool-jupiter

テルマ 65点
2019年7月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エイリ・ハーボー
監督:ヨアキム・トリアー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190715211713j:plain

シネ・リーブル梅田での鑑賞機会を逸してしまった作品。近所のTSUTAYAでクーポンを使って借りる。北欧映画はやはり白を基調にすることが多く、極彩色のフルコースを立て続けに食した後に、観てみたくなることが多いと自己分析。実際に『 獣は月夜に夢を見る 』を鑑賞したのも『 SANJU サンジュ 』というインド映画、『 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 』というアニメ映画の直後だった。目の疲れに敏感な年齢になったのかな・・・

 

あらすじ

厳格なカトリックの家庭で育ったテルマ(エイリ・ハーボー)は、大学生として一人暮らしを始めた。しかし、彼女は謎のけいれん発作に苦しめられる。そんな時に、水泳中にたまたま知り合ったアンニャと恋に落ちるテルマ。自らの宗教観や倫理s観と同性愛の間でテルマは悩み苦しむ。そして、アンニャが消えてしまう。テルマの不可思議な力によって・・・

 

ポジティブ・サイド

 

* 以下、マイナーなネタばれに類する記述あり

 

北欧の映画のビジュアルにはやはり雪が欠かせない。つまり、スクリーンを彩る基調色は白になることが多い。これは何も北欧だけに限ったことではなく、寒い地域を舞台にした場合の必然なのかもしれない。アメリカのワイオミング州を舞台にした『 ウィンド・リバー 』では、白=雪は冷徹性、暴力性、無慈悲さの象徴だった。それでは本作における白とは何の象徴であるのか。それはおそらく、テルマの処女性・無垢・純潔ではないか。テルマが恋に落ちる相手のアンニャが黒人であることにも意味が込められているし、冒頭で窓に激突して死んでしまう鳥がカラスであることにもおそらく意味が込められている。テルマは厳格なカトリックの家庭で抑圧されながら育ったことで、自身の内に芽生えだ同性への恋心を神への祈りによって抑え込もうとした。カラスは創世記で描かれる大洪水後に、ノアに斥候を命じられる優秀な生き物である。「様子を見てこい」と言われる鳥が殺されることには、自分を見ないでほしいというテルマの潜在的な願望が見出せる。アンニャへの募る思いを押さえ込もうと祈りを捧げる姿は、自慰行為に罪悪感を感じながらも止められなかったアウグスティヌス(「神様、お許しください。でも、もう少しだけ・・・」)に共通するものがある。テルマが体内に蛇を取りこむビジョンは、年老いた蛇、サタンを象徴するものと考えて間違いないだろう。事実、アンニャとテルマは「イエスはサタンだ!」とふざけ合いながらも、本心を吐き出している。信仰は彼女らにとって悪徳なのである。鹿についても同様で、『 ウィッチ 』においても重要な役割を演ずる動物であるが、鹿はしばしば悪魔の化身とされる。ジョーダン・ピール監督の『 ゲット・アウト 』のトレイラーでも、鹿の骨の化け物が襲ってくるシーンがある(何故か本編にはこのシーンは無い)が、キリスト教文化圏においては鹿は必ずしも聖なる生き物ではないのである。その鹿に向ける銃口を冒頭でいきなり娘に向ける父親は、当然、神の代理、化身、象徴であり、この男をいかに文学的な意味でも、なおかつ文字通りの意味でも殺すのかが、今作のテーマである。つまりは古代ギリシャのソフォクレスの『 オイディプス王 』から連綿と続く父親殺しがテーマなのである。父を見事に“殺した”テルマの浮かべる笑みのなんと神々しく邪悪なことか。この笑みの持つ両義性をどのように解釈するかによって、鑑賞後の印象はがらりと変わるのだろう。Jovianは悪魔的な笑みと理解した。しかし、それが唯一の解というわけでもないし、製作者の意図するところでもないだろう。『 ゴールド/金塊の行方 』のマシュー・マコノヒーの笑みのように、素晴らしい作品は時にえもいわれぬ余韻を残してくれる。この映画の余韻は、しばらく残りそうである。

 

ネガティブ・サイド

病院の検査のシーンのストロボの激しい明滅。これが過剰であるように感じた。もちろん、意図しての演出だろうが、明るい部屋で見ても目がかなり疲れた。真っ暗な劇場だと、もっと目に負担がかかっただろうと推測される。

 

弟のシーンがやや不可解だ。もちろん、わずか数秒ではあるが、風呂場で乳児から目を離しては絶対に駄目だ。赤ん坊は水深3cmで数秒で溺れることができるからだ。父親も母親も、保護者であれば乳児から目を離してはいけない。テルマの力が発現する重要なシーンであるが、やや無理やり作り上げたような不自然さがあった。またこのシーンのカメラワークは『 シックス・センス 』の冒頭の台所のシーンと構図的に全く同じで、新鮮味に欠けた。ホラー映画で誰かが冷蔵庫の扉を開けて、それを閉めると、背後に誰かが立っているのと同じように、次に何が起こるか分かってしまう。このようなクリシェな作りは歓迎できない。

 

アホな男子学生も不要だった。『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』のパーティーで酔って独演会を開く男のようだった。宗教的な観念の深さと皮相性の両方を丁寧に説明しようとしてくれたのだろうが、この男はノイズだった。

 

総評

ホラーやスリラーというよりも、少女版ビルドゥングスロマンと言うべきだろう。文学的な意味での父親殺しが、そのまま神殺しと通底するものを持つのである。爽やかとは言えないが、恋に苦悩する少女の物語は日本だけでも毎年十本以上は劇場公開されている。本作のようなちょっとした変化球も、もっと紹介されていい。配給会社に期待したい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, エイリ・ハーボー, スウェーデン, スリラー, デンマーク, ノルウェー, ヒューマンドラマ, フランス, 監督:ヨアキム・トリアー, 配給会社:ギャガ・プラスLeave a Comment on 『 テルマ 』 -光るところがある文学的な北欧スリラー-

『 Diner ダイナー 』 -映像美は及第、演出は落第-

Posted on 2019年7月8日2020年4月11日 by cool-jupiter

Diner ダイナー 50点
2019年7月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:藤原竜也 玉城ティナ 窪田正孝 本郷奏多
監督:蜷川実花

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漫画原作で藤原竜也が出演する作品はハズレが少ないという印象を持っている。『 カイジ 』シリーズしかり、『 デスノート 』シリーズしかり、『 るろうに剣心 』シリーズしかり。それでは原作は小説で、漫画化もされている本作はどうか。かなり微妙な出来栄えである。

あらすじ

人間不信だったオオバカナコ(玉城ティナ)は、ある時、異国の色鮮やかな光景に魅了された。どうしてもそこに行きたいと願ったカナコは即日30万円というバイトに応募する。しかし、それは殺し屋のgetaway driverの仕事だった。裏社会の連中に始末されそうになったカナコは料理の腕をアピールする。すると殺し屋専門のダイナーに送り込まれ、凄腕シェフのボンベロ(藤原竜也)と出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

このDinerの内装のサイケデリックさよ。常識ではありえない設定のレストランだが、馬鹿馬鹿しいまでの工夫を施せば、それもリアリティを生み出す。壁のピンクを基調にシックに決めたカウンターとテーブル席から、カビ臭ささえ感じさせる薄暗い個室まで、このDinerは確かに狂っている。客もシェフも狂っている。そんなサイケでサイコな世界に足を踏み入れたカナコが全裸になって全身を清めるのも蓋し当然である。これは禊ぎなのである。そして眼福でもある。『 わたしに××しなさい! 』ではYシャツのボタンをはずして首元、胸元をあらわにしたが、本作ではさらなるサービスをしてくれている。この調子で頑張って欲しい。

 

まるっきりCGだったが、最も原作に忠実に再現されていたのは菊千代であろう。一家に一頭、菊千代。店一軒に一頭、菊千代。こんな犬を番犬に飼ってみたい。また窪田正孝演じるスキンも再現度は高かった。極めてまともに見えるところから、殺人鬼の本性が解き放たれる刹那の演技はさすが。『 東京喰種 トーキョーグール 』でも大学生をまったくの自然体で演じていたが、その演技力の高さを本作でも見せつけた。漫画では悪魔的、サイボーグ的な活躍を見せたキッドも、本郷奏多が好演。菊千代をボコらなかったのは動物愛護法に引っかかるからなのか。続編があるとすれば、キッドの狂気が爆発するのだろう。

 

しかし最大のハイライトは真矢ミキと土屋アンナであろう。『 ヘルタースケルター 』でも顕著だったが、訳あり女、一癖も二癖もある女、凶暴な女を狂気の極彩色で描き出すのが蜷川実花監督の手腕にして真骨頂なのだろう。クライマックスのバトルアクションは彼女の美意識が暴発したものである。ここは必見である。宝塚ファンは劇場へGo! である。

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ネガティブ・サイド

Jovianは原作小説未読で、週刊Young Jumpに連載していた漫画(良いところでWeb送りになったが・・・)を読んでいた。そのイメージで語らせてもらえるなら、藤原竜也はボンベロには似ていない。顔およびイメージの近さで言うなら、高良健吾、山田裕貴、要潤、松田翔太あたりではないだろうか。もしかすると原作小説内のボンベロの外見描写に藤原竜也にマッチするものがあるのかもしれないが、あくまで漫画ビジュアルに基づいた感想で言えば、ミスキャストに思えた。演技ではなく、あくまで外見についてである。

 

そして漫画のオオバカナコのビジュアルと玉城ティナも、何か違う。弱々しくも肝っ玉が据わっており、おぼこいながらも巨乳であるというアンバランスさが特徴だったはずだ。このイメージに当てはまる女優というと、仲里依紗、新川優愛あたり、さらに門脇麦もいけそう。いや、やはり違うか・・・。とにかくメインを張る二人のイメージがしっくりこないのである。

 

また内装や客連中の服装、コスチューム、アクセサリーの派手派手しさ、毒々しさ、色鮮やかさに対して、肝心の料理のビジュアル面での迫力が決定的に不足している。4DXやMX4Dがどれほど進化しても、味は伝えられないだろう。匂いも、火薬や油のそれならまだしも、料理となると相当に難しいのではないか。だが味については料理を堪能する役者の演技で間接的に伝えられる。映画が観客に直接に料理の旨さを伝えるには、映像と音を以ってするしかない。そのことはクライマックスでのボンベロの台詞にも表れていた。ならばこそ、ボンベロの料理シーンにもっとフォーカスした絵が欲しかった。肉の表面に焼き色や焦げ目がついていく様、肉汁の爆ぜる音、包丁が食材の形をどんどんと変えていくところ、野菜や果物、肉の芯に刃が通る音、こうした調理のシーンがあまりにも少なすぎた。ドラマの『 シメシ 』や『 深夜食堂 』、『 孤独のグルメ 』よりちょっと映像を派手目にしてみました、では不合格である。元殺し屋が命がけで作る料理のディテールを伝える絵作り、演出、それこそが求められているものなのだ。

 

最後のアクションは素晴らしい部分は素晴らしいが、クリシェな部分はクリシェである。特に、『 マトリックス 』のようなバレットタイムを今という時代に邦画でこれほどあからさまに取り入れる意味は何なのか。まさかとは思うが、真矢ミキその他のキャストのアクションに注力するあまり、主役のボンベロのアクションは途中からネタが尽きたとでも言うのか。

 

また、一部の販促物に「殺人ゲームが始まる」という惹句があったが、それは漫画もしくは原作小説の展開であって、今作にはそんなものは存在しない。看板に偽りありである。

 

総評

かなり評価が難しい作品である。おそらく絶賛する人と困惑する人に分かれるのではなかろうか。もしくは悪くは無いが、決して傑作ではないという評価に落ち着くのだろう。ただし、結構なビッグネームが出演していながらもあっさりとぶち殺されたり、宝塚女優が脳みそイッてる演技を見せてくれたりするので、芸術作品ではなく、純粋な娯楽作品を観に行く姿勢で臨めばよいだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アクション, スリラー, 日本, 玉城ティナ, 監督:蜷川実花, 藤原竜也, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 Diner ダイナー 』 -映像美は及第、演出は落第-

『 真実の行方 』 -若き日のエドワード・ノートンに刮目せよ-

Posted on 2019年7月5日 by cool-jupiter

真実の行方 70点
2019年7月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:リチャード・ギア エドワード・ノートン フランシス・マクドーマンド
監督:グレゴリー・ホブリット

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映画でも小説でも、多重人格ものは定期的に生産される。一人の人間が複数のパーソナリティを持つというのだから、そこから生まれるドラマの可能性が無限大である。しかし、多重人格ものは同時に、それが詐術である可能性を常に孕む。多重人格が本当なのか演技なのかの境目を行き来する作品といえばカトリーヌ・アルレーの小説『 呪われた女 』や邦画『 39 刑法第三十九条 』などがある。本作はと言えば・・・

 

あらすじ

カトリック教会で大司教が殺害された。容疑者としてアーロン(エドワード・ノートン)が逮捕され、マーティン(リチャード・ギア)が弁護を請け負うことになる。その過程でマーティンは徐々にアーロンとは別に真犯人が存在するのではないかと考え始め・・・

 

ポジティブ・サイド

『 アメリア 永遠の翼 』や『 プリティ・ウーマン 』ではやり手のビジネスマンを、『 ジャッカル 』では元IRAの闘士を演じ、今作ではBlood Sucking Lawyerを演じるリチャード・ギアは、日本で言えば世代的には大杉漣か。そのリチャード・ギアが嫌な弁護士からプロフェッショナリズム溢れる弁護士に変わっていく瞬間、そこが本作の見所である。

 

しかし、それ以上に観るべきは若きエドワード・ノートンであろう。栴檀は双葉より芳し。演技派俳優は若い頃から演技派なのである。そしてこの演技という言葉の深みを本作は教えてくれる。

 

題材としては『 フロム・イーブル 〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜 』、『 スポットライト 世紀のスクープ 』などを先取りしたものである。多重人格というものを本格的に世に知らしめたのは、おそらくデイヴ・ペルザーの『 “It”と呼ばれた子 』なのだろうが、本作はこの書籍の出版社にも先立っている。Jovianは確か親父が借りてきたVHSを一緒に観たと記憶しているが、教会の暗部というものに触れて、当時宗教学を専攻していた学生として、何とも言えない気分になったことをうっすらと覚えている。

 

本作の肝は事件の真相であるが、これには本当に驚かされた。2000年代から世界中が多重人格をコンテンツとして消費し始めるが、本作の残したインパクトは実に大きい。カトリーヌ・アルレーの『 わらの女 』やアガサ・クリスティーの『 アクロイド殺し 』、江戸川乱歩の『 陰獣 』が読者に与えたインパクト、そして脳裏に残していく微妙な余韻に通じるものがある。古い映画と侮るなかれ、名優エドワード・ノートンの原点にして傑作である。

 

ネガティブ・サイド

少しペーシングに難がある。なぜこのようないたいけな少年があのような凶行に走ったのかについての背景調査にもう少し踏み込んでもよかった。

 

ローラ・リニーのキャラクターがあまりに多くの属性を付与されたことで、かえって浮いてしまっていたように見えた。検事というのは人を有罪にしてナンボの商売で、法廷ものドラマでもイライラさせられるキャラクターが量産されてきているし、日本でも『 検察側の罪人 』などで見せつけられたように、人間を有罪にすることに血道を上げている。それはそういう生き物だからとギリギリで納得できる。だが、マーティンの元恋人という属性は今作では邪魔だった。『 シン・ゴジラ 』でも長谷川博己と石原さとみを元恋人関係にする案があったらしいが、没になったと聞いている。それで良いのである。余計なぜい肉はいらない。

 

よくよく見聞きすれば、アーロンの発言には矛盾があるという指摘も各所のユーザーレビューにある。なるほどと思わされた。本当に鵜の目鷹の目で映画を観る人は、本作の結末にしらけてしまう可能性は大いにある。

 

総評

これは非常に頭脳的な映画である。多重人格ものに新たな地平を切り開いた作品と言っても過言ではない。もちろん、その後に陸続と生み出されてきた作品群を消化した者の目から見れば不足もあるだろう。しかし、多重人格もののツイストとして、本作は忘れられてはならない一本である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, B Rank, アメリカ, エドワード・ノートン, サスペンス, スリラー, フランシス・マクドーマンド, リチャード・ギア, 監督:グレゴリー・ホブリット, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 真実の行方 』 -若き日のエドワード・ノートンに刮目せよ-

『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』 -多重人格ものの実験的作品-

Posted on 2019年6月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

ジョナサン -ふたつの顔の男- 60点
2019年6月25日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート スキ・ウォーターハウス パトリシア・クラークソン
監督:ビル・オリバー

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多重人格ものには豊かな歴史がある。小説そして映画にもなった『 ジキル博士とハイド氏 』から、M・ナイト・シャマランの『 スプリット 』、日本の小説ではJovianだけが面白い面白いと評価している月森聖巳の『 願い事 』などが挙げられる。本作もありきたりのDIDものかと思わせておいて、ちょっとした趣向が凝らされていた。

 

あらすじ

建築事務所にパートタイマーとして務めるジョナサン(アンセル・エルゴート)には、もう一つの人格、ジョンが宿っていた。彼らは午前7時~午後7時、午後7時~午前7時をそれぞれ分け合って生活していた。互いの時間に経験した事柄をビデオ録画することで周囲にDID(Dissociative Identity Disorder)であることを知られずに生活していた二人だったが、いつしかジョナサンはジョンの行動にちょっとした疑問を抱くようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

多重人格ものの歴史は長い。異なる人格同士は対立または協力関係にあるのが定石である。本作はどうか。35歳以上の世代なら漫画原作でテレビドラマ化もされた『 銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜 』を覚えておられるだろう。本作はそういう物語である。しかし、本作が最もユニークなのは、ジョナサンのもう一つの人格であるジョンの視点を観客と決して共有しないところである。それにより、観る側は否応なくジョンのビデオメッセージの裏読みをしてしまう。いや、それだけではなく、いつしか我々はビデオメッセージそのものがジョンという存在の全てであるかのような錯覚にまで陥る。これは怖いことだ。何故なら、自分という存在の半分が消えてしまったかのように感じるからだ。我々はネット上のフォーラムなど文字や画像だけでやりとりする人間にも親しみを感じる。ハンドルネームだけしか知らない人間が、ある日、突然投稿を止めただけでも不安になる。お気に入りのブログが更新されなくなっても不安になる。ジョナサンとジョンは一心同体・・・ではなく異心同体なので、片方が無事であればもう片方も無事であることが分かる。しかし、自分の身に何が起こったのか分からない。酒にしこたま酔って、道端や終点駅で目覚めた経験のある人なら、分かる感覚だろう。ジョナサンの不安を、アンセル・エルゴートは巧みに表出していた。

 

異なる人格が同じ女性と恋に落ちるというストーリーは、Jovianは映画や本で体験したことは残念ながらない。だが、これはかなりバナールなプロットではないだろうか。陳腐でありながら、しかし、その後の展開が切ない。観る者の想像力を掻き立てる見せ方、映し方は、低予算映画の常套手段である。それを室内の鏡やテーブルなど、光を反射する素材を効果的に使い、インターミッションとして暗転を用いることで、一人にして二人、一人にして不連続の存在を、映画的演出で以って描写できていた。静謐にして激しい、非常に示唆に富むエンディングには賛否両論あるかもしれないが、あれはジョンを主人格、ジョナサンを副人格とした、新たな一個人の誕生であると受け止めたい。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、すでに『 シンプル・フェイバー 』で既に使われたネタが本作にも仕込まれている。まあ、それも飛浩隆の『 象られた力 』所収の短編『 デュオ 』が先行して使っているトリックであるのだが。

 

また、ジョナサンの抱えるDIDは、医学的に存在しうるケースなのだろうか。別人格は生まれてくるものであって、生まれながらにDIDであるという点に疑問が残った。同時に、『 ミスター・ガラス 』でも感じたことだが、人格の交代をコントロールしうる装置が存在することにどうしても納得ができない。外部環境の改善やコミュニケーション、カウンセリングにより複数の人格も統合しうることを小説『 十三番目の人格 ISOLA 』およびその映画化作品『 ISOLA 多重人格少女 』は示した(小説は面白いが、映画はスルー推奨である)。パトリシア・クラークソンなら、『 スプリット 』におけるベティ・バックリーに匹敵するようなカウンセラーを演じられたはずなのに、どうしてこうなった・・・

 

総評

サスペンスフルであり、スリラーテイストもあり、SF的でありながら、ヒューマンドラマでもある。ジャンルとしては、ボーイズ・ラブが一番近いのかもしれない。『 銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜 』を楽しめたという人なら、本作もおそらく楽しめるはずだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, サスペンス, スキ・ウォーターハウス, スリラー, パトリシア・クラークソン, ラブロマンス, 監督:ビル・オリバー, 配給会社:プレシディオLeave a Comment on 『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』 -多重人格ものの実験的作品-

『 獣は月夜に夢を見る 』 -北欧スリラーの凡作-

Posted on 2019年6月23日2020年4月11日 by cool-jupiter

獣は月夜に夢を見る 35点
2019年6月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ソニア・ズー
監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー

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原題は“Nar dyrene drommer”、英語では“When Animals Dream”である。日本語にすれば、「獣が夢見る時」ぐらいであろうか。獣とは何か、獣が象徴するものは何なのか。

 

あらすじ

マリー(ソニア・ズー)は父と母と寂れた漁村で暮らす少女。母はほとんど体を動かすことができない車イス生活である。鮮魚の出荷向上に就職したマリーは、周囲からのいじめと、自身の心身に起こる奇妙な変化を経験していた・・・

 

ポジティブ・サイド

驚くほどに映画的な演出に乏しい。それが逆に心地よい。北欧の映画にそれほど詳しいわけではないが、『 THE GUILTY ギルティ 』でも顕著だったように、主人公の表情や仕草、立ち居振る舞いに注目をすることが北欧、デンマークの流儀であるようだ。これ見よがしに、取って付けたようなシネマティックな演出などは行わない。しかし、ビジュアル・ストーリーテリングの面では外さない。きっと彼の国の映画ファンの目は肥えているのだろう。

 

主演を張ったソニア・ズーは、セクシーなシーンも厭わず演じる本格派。16歳の役を演じるには少々無理があるが、彼女をキャスティングしたサスペンスやスリラー、ホラーをもう1、2本は観てみたいと思わされた。

 

ネガティブ・サイド

マリーに心身の異常が発生するのが少し早すぎるように感じた。鮮魚出荷工場でのいじめがきっかけであれば素直に納得できる。そうではない理由は何なのだろうか。

 

マリーの獣性の萌芽は、物語の割と序盤から見られるが、母親に対する非人間的な接し方の意図もなかなかに分かり辛い。ごく狭い共同体の中で、母の存在が自らの存在への負担になっていると見ることは容易い。しかし、母の介助や介護の大部分は父によってなされている。思春期真っ只中という設定のマリーの心情を慮るのは難しいが、もう少し母と娘らしい関係の描写があっても良かったのではないか。

 

マリーの獣性が爆発する最終盤、人間と獣の境目を象徴するシーンがあるが、普通の人間に潜む残酷さと獣に宿る愛の対比の描写が非常に弱々しく感じられた。原題にある「獣が夢見る時」というのは、もう少し神々しい、それがあまりにも大仰な表現であると言うなら、もう少し美しい情景であったはずである。

 

総評

これこそRainy Day DVDであろう。梅雨で外出する気が起きない時に、1時間半ほどの時間を潰す目的で観るべきである。本作は、人生を変えるようなインパクトはもたらさない。ありきたりなホラー、ありきたりなスリラーである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, スリラー, ソニア・ズー, デンマーク, フランス, 監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 獣は月夜に夢を見る 』 -北欧スリラーの凡作-

『 PERFECT BLUE 』 -様々なクリシェの原点となった作品-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

PERFECT BLUE 75点
2019年5月23日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:岩男潤子
監督:今敏

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恥ずかしながら、これまでこの作品のことは耳にしながら、観る機会を持っていなかった。『 プラダを着た悪魔 』と同じく、観ようと思いながら、何かが自分を押し留めていた。いつになったら自分は『 タイタニック 』を観るだろうか?そんなことも映画館から帰り道で考えてしまった。

 

あらすじ

アイドル活動をしていた霧越未麻(岩男潤子)は女優への転身を目指していた。あるテレビドラマでレイプされるシーンに体当たりで挑んだことで、女優としての評価を高め始めた。しかし、彼女の周りで奇妙な傷害事件や殺人事件までもが発生するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

驚くほどにクリシェに満ちた作品である。しかし、それは現代的な視点で観たからこそ言えることで、逆に言えば本作はどれほど後発の作品にインスピレーションを与えたか、その影響の巨大さを窺い知ることができる。

 

飯田譲治の小説『 アナザヘヴン 』のナニカの移動や運動シーンは、ここから丸パクリしたのではないかというピョーンというステップ。

 

M・ナイト・シャマランの『 スプリット 』および『 ミスター・ガラス 』のジャケットデザインのヒントはここにあったのではないかというクライマックスのワンシーン。

 

プレイステーションのやるドラゲームの『 ダブルキャスト 』も、おそらく本作から多大な影響を受けている。そのことは、劇中作のタイトルが“ダブルバインド”であることからも明らかだろう。

 

本作サウンドトラックの肝とも言える楽曲“Virtual Mima”は、プレイステーションゲームの『 エースコンバット3 エレクトロスフィア 』のサウンドトラックの無機質かつオーガニックでメタリックなサウンドにも影響を及ぼしたのではないかとも思えてならなかった。AC3自体が、かなり時代を先取りしすぎていたゲームだったが、主人公の名前もNemoとMima、何か似ているように思えないだろうか。ちなみに塚口サンサン劇場は、本作開始前に延々と“Virtual Mima”を劇場内に流し続け、観客の精神に軽い不協和音を引き起こしていた。こうした工夫は歓迎すべきなのだろう。

 

本作は、霧越未麻という人物とミマというアイドルが虚実皮膜のあわいに溶け合い、そして別れていく物語である。自分が生きている世界が何であるのか。自分という存在が確かに実在することを、誰が、または何が担保してくれるのか。女優という虚構の生を紡ぎ出すことを生業とする未麻もまた、誰かに演じられたキャラクターではないのか。何がリアルで何がフェイクなのかが分からなくなる。そんな感覚を紙上で再現してやろうと、我が兄弟子の奥泉光は意気込んで『 プラトン学園 』を執筆したのだろうか。

 

劇中でたびたび繰り返される問い、「あなた、誰なの?」に対する回答が最後の最後で語られるが、それすらも噂話好きの看護師たちへの回答なのかもしれない。どこまでも入れ子構造、二重構造を貫くその作家性は嫌いではない。

 

とにかく『 PERFECT BLUE 』が1990年代後半の様々なメディアやコンテンツに巨大な有形無形の影響を与えたことは間違いない。同時期の『 攻殻機動隊 』や『 新世紀エヴァンゲリオン 』と並ぶ古典的・記念碑的作品であることは疑いようもない。

 

ネガティブ・サイド

事件の真相探しは極めて簡単である。Jovianは最初の10~12分で犯人は分かった。時代が全く違うし、本作はそもそもミステリーではなくサイコ・サスペンス、サイコ・スリラーであることから、殺人事件の犯人や真相を追うことに主眼を置いていない。にもかかわらず、観る側に怪しいと思って欲しいキャラクターをこれ見よがしに配置するのは、少々邪魔くさく感じた。

 

また、いくらインターネット黎明期の頃の話とはいえ、自分で作っていないサイトが存在していることを未麻はもっと不審に感じて然るべきである。ファックスや電話番号にしても同じで、1980年代くらいの本には、巻末に著者の住所や電話番号が普通に乗っていたりしたのものだが、90年代だと、どうだったのだろうか。

 

総評

リアリティの面でやや弱いかなと感じるところもあるが、これはサイコ・サスペンス、サイコ・スリラーの佳作にして、ジャパニメーションの一つの到達点である。アニメに抵抗が無い、グロ描写にも抵抗が無いという向きは、時間を見つけて是非鑑賞しよう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190526012618j:plain

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, B Rank, アニメ, サスペンス, スリラー, 岩男潤子, 日本, 監督:今敏Leave a Comment on 『 PERFECT BLUE 』 -様々なクリシェの原点となった作品-

『 ザ・ミスト 』 -フランス産パニック・ムービーの珍作-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

ザ・ミスト 40点
2019年5月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ロマン・デュリス オルガ・キュリレンコ
監督:ダニエル・ロビィ

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TSUTAYAは時々、TSUTAYAだけでしかレンタルできません!的な作品を出してくる。本作もその一つ。大体において、この手の商品はただの製品であって作品ではないことが多い。が、Sometimes, I am in the mood for garbage. 駄作と分かっていて観るのも、亦悦しからずや。

 

あらすじ

マチュー(ロマン・デュリス)とアナ(オルガ・キュリレンコ)には、免疫疾患のため、金魚鉢的なコンテナに隔離された娘がいた。ある時、パリが地震に見舞われ、地下から謎の霧が噴出。それを吸った人々は倒れていく。娘は無事だが、機械のバッテリーがもたない。愛娘を助けるべく、マチューとアナは霧と対峙するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ゲティ家の身代金 』のチンクアンタを熱演したロマン・デュリスが本作でも額に汗して、子どもを守ろうとする。火事場の馬鹿力ならぬ霧場の馬鹿力で、一般人では少々無理目なアクションを易々とこなしていく・・・というような安易な展開を見せないところが良かった。リミッターが外れれば、ひょっとしたらこれぐらいなら出来るかもしれないと思わせてくれた。

 

また、金魚鉢に閉じ込められた娘が同病相哀れむように同じ疾患を抱える他の者と通信していることに意味があることも評価できる。単なるパニック・ムービー、もしくはディザスター・ムービーの場合、多くの場合は自然 vs 文明、地球 vs 人間 といったような単純、単調なテーマがモチーフになっている。謎の霧の正体は何か?いつ、どこで、どのように発生したのか?そんなことは追及しない。このあたりがハリウッド映画とフランス映画の違いなのだろう。小説にしろ、映画にしろ、人間関係を広げ過ぎず、なおかつそこにエスプリを織り交ぜてくるのがフランス流で、フランス料理のフルコースとフランス産の映画、小説は全く趣が異なる。アメリカ映画で胃もたれをおこした時には、フランス映画で中和するのも一つの手かもしれない。

 

ネガティブ・サイド

パニック・ムービー、スリラー映画とはいえ、キャラクター達の行動原理がよく分からない。いや、子どものために必死になっているということは分かる。しかし、合理的とはとても言えない行動の数々を選択するのは何故なのか。単にサスペンスフルなシーンを演出したいがためにしか見えなかった。娘のための防護服が破損していても代用品はある。例えば、『 MEG ザ・モンスター 』でも一瞬映っていたアクアボールなどは、いくらパリが海から遠いとはいえ、冷静に考えればどこかしらで調達はできるアイテムだ。変に街をかけずり回るよりも、知識と知恵をフルに活用するような展開をもっと織り交ぜられたはずだ。

 

母親の行動も、美しいと見る向きもあれば、???となる向きも多かろう。Jovianは後者である。必要なのは電池であって伝者ではない。これも無用なドラマを無理やり仕立てるというプロットありきで、人間を描くことには失敗していたように思う。

 

字幕で父親が軍隊に、「自己免疫疾患の娘がいる」と言っていたが、これは誤訳ではないだろうか。自己免疫疾患は自分の免疫系が、細菌やウィルスではなく、自分の細胞を排除の対象として攻撃してしまう疾患だからだ。もちろん、隔離に意味が無いとは言わないが、それなら娘に必要なのは免疫抑制剤なのでは?と思えてしまった。フランス語に堪能な方がおられれば、是非お確かめ頂きたい。ただし、名作傑作と言える類の映画でないことだけはご承知いただきたい。

 

総評

それなりに捻りの効いたオチもあるが、それもオリジナルというわけではない。これなら、小松左京の小説およびその映像化作品の『 首都消失 』(YouTubeで視聴可能)を鑑賞し、返す刀でハヤカワSF文庫の『 アトムの子ら 』を読んだ方が面白いだろう。あれ、微妙にネタばれしてしまったかな?どちらも相当に古い作品なので、お目こぼしいただきたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, オルガ・キュリレンコ, カナダ, スリラー, フランス, ロマン・デュリス, 監督:ダニエル・ロビィ, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 ザ・ミスト 』 -フランス産パニック・ムービーの珍作-

『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

映画 賭ケグルイ55点
2019年5月3日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:浜辺美波 高杉真宙 池田エライザ
監督:英勉

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元は漫画、そしてテレビドラマ化された作品が満を持して銀幕に登場。これが意味するところは、よほど原作およびドラマが面白いということか。Jovianが南沙良と並んで最も買っている若手女優の浜辺美波が主演とあらば、観ないという選択肢は存在しない。

 

あらすじ

 

舞台はギャンブルの強さで学園内の序列が決まる百花王学園。そこに転校してきた蛇喰夢子(浜辺美波)は、学園の頂点に君臨する生徒会長、桃喰綺羅莉(池田エライザ)とのギャンブル勝負を渇望していた。しかし、学園にはギャンブルを拒絶する集団「ヴィレッジ」も台頭しつつあった。夢子とヴィレッジ、両方を一挙に叩き潰そうと画策する生徒会は、「生徒代表指名選挙」を開催する。夢子は鈴井涼太(高杉真宙)を相棒に参戦するが・・・

 

ポジティブ・サイド

前向きなヒロイン像から少女漫画の定型を外れるヒロイン像、それらの加えてギャンブルにエクスタシーを感じるヒロイン像を浜辺美波は開拓した。これはファンとして大いに歓迎したい。天然で、それでいてシニカルで、ユーモラスでもあり、賢しらさを隠さない狡猾さを、その口調や佇まいで悟らせない。そんな複雑なキャラをしっかりと演じた浜辺をまずは称えようではないか。

 

歩火樹絵里を演じた福原遥の演技力にも舌を巻いた。彼女はテレビや映画よりも、舞台上で演じる方が映えるのではないか。カリスマ性すら感じさせる演技で、今後も多方面での活躍を期待できるだろう。今作のような世界観の作品やキャラクターばかりを演じると、藤原竜也のように chew up the scene の役者になってしまう恐れがあるので、彼女のハンドラー達には注意をしてもらいたいものである。ちなみにJovianは藤原竜也を高く買っていることをを申し添えておく。

 

その他には小野寺晃良、中村ゆりか、秋田汐梨らも印象に残った。この世代の若手俳優は、一頃のサッカー日本代表とは異なり、人材難ではなさそうだと思えた。それが一番の収穫だったと言えるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

個人的な嗜好の問題も多分にあるのだろうが、先行作品の世界観の構築の点で『 カイジ 人生逆転ゲーム 』に劣り、勝負の駆け引きや頭脳性の描き方において『 ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ 』に劣る。ライアーゲームやカイジは原作を読んでいて、こちらに関しては原作漫画、テレビドラマ、いずれも鑑賞していないので、このあたりの評価に偏りが生じているのは承知している。

 

浜辺美波は良い仕事をしたが、クライマックスのシーンを販促物に載せる必要は一切ない。究極のドヤ顔を、上映前に見せまくってどうする。それをするのであれば、プロローグの夢子の紹介シーン全てで賭け狂っている時の必殺の顔として観る側に認知させておくべきだった。こういうのは出し惜しみしておくべきだと切に思う。

 

肝心のギャンブルについても突っ込みどころが満載である。票争奪じゃんけん勝負を先手必勝とあるキャラクターコンビは結論付けたが、これはおかしい。普通に考えれば、1/3の確率で敗北する勝負に先手必勝などあり得ない。まずは自分の手札を秘密にし、素早く勝負が発生する場に行き、誰がどの手を有しているかを観察しなければならない。1/3の確率であいこが発生するのだから、その勝負を見届けてから動く方が合理的だ。というか、自分から真っ先に手札をばらしに行くというのは、どうなのだろうか。誰か他の者に獲物をさらわれるのがオチだと思うのだが。

 

トランプの1~7+ジョーカーを使うデュアルクラッシュ・ポーカーにも突っ込みたい。これも普通に考えれば、チームで相談し、第1ターンは2人そろって最弱の1を出して、相手チームの手札を削りにかかるのではないだろうか。というか、チームで相談することなく、つまりバッティングをいつ起こすのか、もしくは起こさないようにするのかを相談しないなどということは、ゲームの性質上、ありえないし、考えられない。このあたりが本作がライアーゲームに及ばないと感じる一番の理由である。

 

森川葵の生脚は眼福であるが、池田エライザは何故、生脚ではないのか。そして、ああいう座り方をする以上は『 氷の微笑 』の審問シーン的なサービスショットを盛り込んでくれても良いではないか。オッサン映画ファン100人に訊けば100人が賛同してくれるだろう。

 

全体的には、賭けに狂っている高校生達というよりは、ゲームを楽しんでいる若者達という印象の方が強い。そこがディレクションの一番の問題点であろう。

 

総評

浜辺の新たな一面を切り拓いた作品と言えるが、その他のキャストに関してはどうだろうか。以前にも評したが、英勉監督は『 貞子3D 』および『 貞子3D2 』という超絶クソ作品を世に送り出した。一方で、『 あさひなぐ 』のような佳作を作る力もある。今作では若手俳優たちの演技力に救われた感があるが、監督としてはかなり伸び悩んでいるのかもしれない。劇場に行く際には、ドラマもしくは漫画である程度の予習が必要かもしれない。また、続編政策にかなり色気を見せたエンドクレジットを作っているが、その時には英監督以外を起用することも選択肢に入れるべきであろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190504004547j:plain

Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, スリラー, 日本, 池田エライザ, 浜辺美波, 監督:英勉, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 映画 賭ケグルイ 』 -続編ありきの序章-

『 リピーテッド 』 -フランスの映画・小説の技法を盛り込んだ作品-

Posted on 2018年12月4日2019年11月23日 by cool-jupiter

リピーテッド 50点
2018年11月28日 レンタルDVD鑑賞
出演:ニコール・キッドマン コリン・ファース マーク・ストロング
監督:ローワン・ジョフィ

 

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少ない登場人物でサスペンスを生み出すのがフランス流だが、本作はイギリス・フランス・スウェーデンの合作とのこと。納得の仕上がりである。カトリーヌ・アルレーが現代によみがえったら、きっとこんな小説を書くのだろう。

あらすじ

クリスティーン(ニコール・キッドマン)が目を覚ますと、ベッドには見知らぬ男が。彼(コリン・ファース)はベンと名乗り、自分は夫であると言う。クリスティーンは事故により、一日しか記憶を保持できないのだ。一方、ナッシュ医師(マーク・ストロング)からの電話でビデオカメラの録画を観るように促された彼女は、過去の自分からの語りかけに次第に混乱させられていく。信じるべきはベンなのか、それともナッシュなのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずキャスティングだけで本作は一定の成功を収めている。早い話が、ベンとナッシュ、どちらが怪しいのだ、というのがクリスティーンの疑惑であり、観る者の関心である。英国の誇るコリン・ファースが果たして悪役なのか、それとも強面でありながら、結構良い人ばかりを演じるマーク・ストロングが悪役なのか。物語が始まって、すぐに我々は引き込まれる。

 

物語は二転三転し、ある日はナッシュを疑ったかと思えば、次の日にはベンを疑う。クリスティーンが一日の終わりに撮り溜めていくビデオはどんどんと積み重なっていく。それがある閾値に達しつつある時、クリスティーンの記憶の鍵も外れ始める。この演出は陳腐ながら見事である。記憶喪失ものは往々にして、完璧なタイミングで完璧な記憶を取り戻すからだ。ご都合主義の極みである。本作は安易なご都合主義は取らないし、人間の記憶の確かさと曖昧さの両方を、非常に説得力ある方法で描き出す。その点で凡百の記憶喪失ものとは一線を画している。

 

ネガティブ・サイド

いくつか不可解というか、設定が生かされない点もあった。クリスティーンは毎朝20代に戻るわけだが、そのことを強く示唆するようなシーンが必要だった。それが無いために、終盤で真実の一端が明かされるシーンの迫力が減じてしまっていた。また、二人の男性以外に出てくる重要人物のもたらす情報が、クリスティーンの記憶を刺激しないというのは、やや腑に落ちなかった。

 

記憶喪失とタイムトラベルもしくはタイム・パラドクスは、序盤の面白さを生み出すことにおいては数あるジャンルの中でもトップクラスであろう。それは間違いない。問題は着地なのだ。サスペンスフルな展開でせっかくここまで引っ張ったのだから、最後までそのトーンを維持して欲しかった。ファイトシーンなどは無用であった。

 

総評

名作かと言われれば否だが、駄作と言うほどでもない。雨の日のレンタルにちょうど良いだろうか。ニコール・キッドマン、コリン・ファース、マーク・ストロングのファンなら、押さえておいて損は無いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イギリス, コリン・ファース, サスペンス, スウェーデン, スリラー, ニコール・キッドマン, フランス, マーク・ストロング, ミステリ, 監督:ローワン・ジョフィ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 リピーテッド 』 -フランスの映画・小説の技法を盛り込んだ作品-

『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』 -新発想で描く幽霊のパトスとエートス-

Posted on 2018年11月23日2019年11月23日 by cool-jupiter

A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 75点
2018年11月18日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ケイシー・アフレック ルーニー・マーラ
監督:デビッド・ロウリー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181123010828j:plain

どんな文化にも、太陽と月に関する神話、そして幽霊に関する物語が存在するものである。そして太陽、月、幽霊の中で最も多彩に解釈されるのは幽霊ではないだろうか。小説や映画の世界では、幽霊は往々にして悲哀または恐怖をもたらすものとして描かれてきた。本作はそこを転換させ、幽霊のパトス、そこから生まれるエートスを描く。視点が人間→幽霊ではなく、幽霊→人間なのである。これは全く新しい視点からの物語であると言える。

 

あらすじ

ある若い夫婦が郊外の一軒家に暮らしていた。誰もいないはずのところで物が落ちたりするなどの不可解なこともあるが、二人は平和に暮らしていた。ある時、夫が死んでしまった。悲嘆に暮れる妻。しかし、夫は遺体安置所のベッドからシーツをかぶった姿のまま起き上がり、歩いて妻の待つ家へと帰る。幽霊となった男の不思議な旅が始まる・・・

 

ポジティブ・サイド

本作のプロットについて説明するのは非常に難しい。ほんのちょっとしたことが重大なネタばれになりかねないからである。幽霊となった男が、妻を見守る話・・・というわけではない。それは話の一側面であって、テーマではない。ある意味で、映画製作者は観る者をかなりの程度まで信用しているとも言える。何と言っても『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』でアカデミー主演男優賞を受賞したケイシー・アフレックに、真っ白のシーツをかぶせて、目と鼻の部分にだけ穴を開けた幽霊を演じさせるのである。『 るろうに剣心 京都大火編 』と『 るろうに剣心 伝説の最期編 』で藤原竜也が顔面に包帯をぐるぐる巻きにした際の演技も素晴らしかった。顔が一切見えないというのは、表現をする上で翼を半分もがれたようなものだが、あれにはまだ音声とアクションという片翼が残されていた。本作のケイシー・アフレックは、全身を白いシーツで覆う、小さな子どもが考え付いたようなゴースト像でほぼ全編を通して登場する。台詞もない。過激なアクションもない。それでいて幽霊の感じる執着、困惑、怒りなどのパトスを見事なまでに我々に伝えてくる。歩き方であったり、振り返り方であったり、ほんのちょっとした指先の動きであったりで、これほどまでに内面の心理を描き出せるものなのかと驚嘆させられる。この幽霊の動きや仕草は、大学の映画サークルや同好会のシリアスなメンバー(特に役者志望や劇団員)は必見であろう。

 

今作はできれば英語字幕で鑑賞することをお勧めしたい。というのも、ある時点では言語が英語ではなくスペイン語に切り替わるからだ。といっても字幕などは一切出ない。スペイン語が分からない人には、画面上で何が起こっているのかを把握するのが全くもってお手上げ・・・とはならないのである。ビジュアルストーリーテリングの極致とも言うべきで、幽霊とスペイン語ファミリーの存在のコントラストが、何よりも雄弁に一連のシーンを語ってくれるのである。このシーンもまた、映画製作を志す者にとっては必見であろう。

 

本作はここから、予想外の展開を見せる。というよりも観る側の想像力を裏切る、または試すかのような展開と言うべきかもしれない。ここで幽霊の生前の職業を思い起こすべきだろう。彼は音楽家だったのだ。作曲し、歌い、レコーディングもする、コンポーザーにしてシンガーにしてオーディオ・エンジニアでもあったわけだ。音楽が瞬間ではなく全体で成り立っていることは、アンリ・ベルクソンの時間=意識の持続という説を援用せずとも理解できる。時間は直線でも等間隔でもない。メロディがありリフレインがあるのだ。これ以上は、劇場で本作を鑑賞して考察をしていただきたいと思う。

 

ネガティブ・サイド

パーティーで酔ってべらべらと喋る男は果たして必要だったのだろうか。あまりにも説明的で、観ている最中は「ほうほう、なるほど」と思えたが、観終わってしばらくしてからは印象が変わった。このシーンはノイズである。

 

もうひとつ弱点を挙げるとするなら、序盤の妻の食事シーンだろうか、おそらく4分ほど固定カメラでロングのワンカットを映すシーンがあるが、ここは2分程度に抑えられなかったのだろうか。典型的な悲嘆のシーンで、物語の進行上ではずせないことは理解できるが、Jovianの嫁さんや左隣の人などは、ここで寝てしまっていた。惜しいかな、序盤でもっと多くの人を引き付けることさえできていればと思う。

 

総評

細部に突っ込むべきところや、説明されないままの箇所も残る。そうしたモヤモヤを許容できなければ、観るべきではないのだろう。しかし、この幽霊を通じて世界を追体験すれば、「生」の意味に新たな発見があるであろう。死および死以後に関しての新たな仮説が提示されたわけで、文学ではなく映画がこれを行ってくれたことに意義を認めたい。非常に野心的な傑作映画である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ケイシー・アフレック, スリラー, ルーニー・マーラ, 監督:デビッド・ロウリー, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』 -新発想で描く幽霊のパトスとエートス-

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