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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 21ジャンプストリート 』 -にせもの高校生のダイ・ハード潜入捜査-

Posted on 2020年10月11日 by cool-jupiter

21ジャンプストリート 65点
2020年10月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル チャニング・テイタム ブリー・ラーソン ロブ・リグル
監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー

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『 mid90s ミッドナインティーズ 』がかなりビターな味わいだったので、ジョナ・ヒルの持ち味であるユーモアを堪能すべく近所のTSUTAYAでレンタル。荒唐無稽なストーリーでありながら、上質のヒューマンドラマでもあった。

 

あらすじ

日陰で高校時代を過ごしたシュミット(ジョナ・ヒル)と学校の人気者だったジェンコ(チャニング・テイタム)は、ともに警察官になっていた。二人は「見た目が若い」という理由で、新種の麻薬がはびこっていると噂される高校に、高校生として潜入し、捜査しろとのお達しを受けて・・・

 

ポジティブ・サイド

よくもまあアホな設定を思いつくものだと思うが、何と元々はテレビドラマらしい。そのドラマが出世作となった大俳優が、チョイ役で出てくるのはそういうことか。出演者も無駄に豪華で、張り切ってB級映画を作ってやるぜという俳優陣および裏方の心の声が聞こえてきそうである。

 

冴えない青春を送ったシュミットが思わぬ形で高校という生態系に受容され適応されていく様は、ベタではあるが爽快である。一方で、日なたの青春時代を過ごしたジェンコが、空気の読めないちょっとアブナイ男かつナードとして認識されるのも痛快だ。もちろん麻薬犯罪を捜査するための警察官として高校に通っているわけだが、主役二人の今と昔の光と影のコントラストが、互いをバディとして認識するようになる流れを際立たせている。フィル・ロードとクリストファー・ミラーの二人の監督はなかなかの手練れである。

 

かといってシリアスに傾きすぎるわけでもない。ひょんなことから麻薬の売人高校生にコンタクトされたのは、シュミットとジェンコの振る舞いがあまりにもアホすぎて、「こいつらが警察なわけがない」と思ってもらえたからこそ。いったい何をやったのか。それは本編をどうぞ。彼ら自身が新種の麻薬でラリってしまうシーンは結構面白い。彼らの上司がこれを見たら、きっと頭を抱えたことだろう。

 

麻薬組織との対決はスリリングである。意外性のある人物が黒幕だったり、絶体絶命の状況からの思わぬ援軍の登場だったりと、観る側を飽きさせない。そしてクライマックスのカーチェイスとオチ。笑っていいのか悪いのか分からないが、とにかく天網恢恢疎にして漏らさず、この世に悪が栄えた試しなし。『 デンジャラス・バディ 』のようなコメディ・タッチのバディものが好きな人にお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

警察であることを隠し通すのが至上命題であるのに、銃を渡された瞬間に空き缶や空き瓶に次々と命中させていくのは、ギャグにしてもお粗末ではないか。「こいつらは絶対に警官じゃない」と確信してくれた売人を、わざわざ訝しがらせるような行動をとってどうする?そして、売人も感心している場合か。相手は下手したら警官、もしかすると銃の密売人またはギャングの可能性まであるというのに・・・

 

ジェンコが化学ナードたちから得た知識を使って終盤のカーチェイスと銃撃戦で活躍するが、他のクルマや通行人もいる街中であれをやるか?アクション最優先で、コメディ要素を忘れてしまっている。やるなら、もっと茶化した感じの銃撃戦するべきだった。

 

細かいところだが、ミランダ警告ができない警官などいるのか?初逮捕劇を台無しにしてしまう大失態で、面白いと言えば面白いのだが、これは警察をさすがに茶化し過ぎているように思う。やるなら韓国映画のように、とことん警察をカリカチュアライズすべきだろう。

 

総評

ジョナ・ヒルの本領は、やはりこうしたコミカルなストーリーでこそ発揮される。肉体派のチャニング・テイタムが、筋肉や運動神経よりも頭を使う展開は、意外性もあって悪くない。だが、テイタムはやはりそのathleticismで勝負すべきだ。続編も見てみよう。きっと上質のa rainy day DVDに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a dump

ジェンコが試験を抜け出す時に“Can I go take a dump?”と言う。意味は「ウンコに行っていいですか?」である。ダンプカー(dump car)が積み荷をドサッと降ろすところを想像すれば、take a dump が何かをドサッと降ろす行為をするのだな、と感じられるだろう。take a leak = おしっこすると合わせて覚えよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, コメディ, ジョナ・ヒル, チャニング・テイタム, ブリー・ラーソン, ロブ・リグル, 監督:クリストファー・ミラー, 監督:フィル・ロードLeave a Comment on 『 21ジャンプストリート 』 -にせもの高校生のダイ・ハード潜入捜査-

『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

Posted on 2020年10月4日2022年9月16日 by cool-jupiter
『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

フェアウェル 75点
2020年10月2日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:オークワフィナ
監督:ルル・ワン

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『 オーシャンズ8 』や『 クレイジー・リッチ! 』などで存在感を発揮したオークワフィナの主演作。設定は陳腐だが、キャラクターの造形と文化背景の描写の巧みさで、良作に仕上がっている。

 

あらすじ

ニューヨークに暮らすビリー(オークワフィナ)は、中国の祖母ナイナイが末期がんで余命3か月と知らされる。親戚一同は最後に彼女と出会うためにビリーのいとこのフェイクの結婚披露宴を画策する。告知すべきと信じるビリーだが、中国には治らない病気については本人に告げないという伝統があるため、親族は反対する。そんな中、ビリー達とナイナイの最後に過ごす数日が始まり・・・

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ポジティブ・サイド

Based on an actual lie = 本当にあった嘘に基づく、というスーパーインポーズから始まるのはなかなか珍しい。普通は、Based on a true story = 実話に基づく、である。なかなか洒落が効いている。

 

いきなり小ネタを挟むが、中国の伝統医学は我々の常識、というよりも西洋医学的な常識とは異なっている。つまり、医者は人々に健康指導をすることで報酬をもらう。なので、人々がなんらかの病気に罹患してしまうと、それは医者としての職務に失敗したとみなされ、報酬を受け取れなくなる。人々がケガや病気になって、それを治療することで謝礼を受け取る西洋的・近代的な医療とは非常に対照的である。そうした予備知識を以って本作を鑑賞すれば、単なる告知問題を超えた、一種の東西文明論により深く入り込んでいけるはずである。

 

本作のテーマは、Is it wrong to tell a lie? =「嘘をつくことは間違っているのか?」である。これはJovianも大学の西洋哲学入門か何かで議論をしたことがあるし、看護学校でも「善行の原則」や「真実の原則」やらで、やはりディベートをしたことがある。個人的な結論は、「時と場合と相手による」である。本作で親族たちがナイナイにつく嘘はセーフなのか、アウトなのか。それは個々人が劇場で確かめるべきだろう。

 

アメリカで学芸員になることを目標にしながらもなかなか夢がかなわないビリーという人物の造形がリアルだ。オークワフィナの愁いを帯びた表情が真に迫っている。移民(実際の彼女はピーター・パーカー/スパイダーマンと同じく生粋のニューヨーカーだが)として、アメリカと中国、どちらにもルーツを持ち、どちらにもルーツを持っていないという背景が、祖母ナイナイとの別離を特別に難しいものにしている。そのことが痛いほどに伝わって来る。

 

その祖母ナイナイの貫禄とコミカルさは、亡くなった祖母を思い起こさせた。孫の結婚式のあれこれに口を出し、家の中での食事ではあれこれと指図し、祖父の墓参りでは「いやいや、なんぼ星になったいうても、平凡な一般人の祖父ちゃんにそこまでの願い事を叶える力はないやろ」と思わせるほどの願い=親族の幸福を祈る様は、まるでうちの母が他の祖母そっくり。東北アジア人というのはそれぞれに全然違う民族のはずだが、文化的・精神風土的な根っこは同じか、極めて近いのだろう。

 

親族の結婚式を前に、親戚が一堂に会して食卓を囲む。そんなシーンの連続であるにもかかわらず、本作にはドラマがある。それはナイナイに確実に忍び寄る病魔と、そのことをほとんど感じさせないナイナイの健啖家ぶりと矍鑠とした立ち居振る舞いのギャップによるものだ。ある意味でディアスポラ=離散家族であるビリーの親族は、皆それぞれに複雑な背景を持っている。だが、共通していることは、ナイナイがいなければ彼ら彼女は誰一人としてこの世に誕生しなかったということである。言葉にできない感情。しかし、それが言葉になる時、人はこのようになるのかというスピーチのシーンには感涙してしまった。また、ビリーが母との言い争いで、祖母に寄せる思いを溢れ出させるシーンには胸がつぶれた。陳腐なドラマであるはずなのに、心が震わされる。本作は観る者の肉親の情の濃さを測るリトマス試験紙のようだ。

 

ネガティブ・サイド

一部の肉親以外のキャラの作り方が粗雑である。ナイナイの同居人の高齢男性は、最後に何か活躍するだろうと思ったが、何もなし。何だったのだ、このキャラは。

 

フェイク結婚披露宴の新婦であるアイコの扱いも酷い。確かに日本人は感情の表出がヘタであるが、感情を出さないからといって感情が無いわけではない。もう少しアイコをhumanizeするためのシーンが必要だったと思う。

 

いくつかのシーンに医学的な矛盾が見られる。まず、序盤でナイナイが受けていたのはMRI検査(音がドンドンガンガンしていた)で、大叔母さんの言う「CT検査」ではない。肺がんであれば、圧倒的にCT適応で、MRI適応ではないはずだ。このことは肺以外への転移を強く示唆している。したがって、・・・おっと、これ以上は言ってはいけないんだった。

 

総評

文化の違いはあれど、人の死、それも身近な人、血のつながりのある人との別れを悼む気持ちは普遍的なものだろう。そうした部分を直視した本作は、洋の東西や時代を問わず、広く観られるべきである。これまではチョイ役でしかなかったオークワフィナの、とてもヒューマンなところが見られる。本作は彼女の代表作にして出世作になることは間違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bid farewell to ~

「~に別れを告げる」の意。かなり格式ばった表現で、カジュアルな話し言葉ではめったに使わない。最近のニュースでは“Microsoft will officially bid farewell to its web browser Internet Explorer 11 in 2021”(マイクロソフト、2021年に自社のウェブブラウザ、インターネット・エクスプローラーに正式に別れを告げる)というものがあった。生まれたからには必ず死ぬし、出会ったものには必ず別れの時が来る。そんな御別れの表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, オークワフィナ, ヒューマンドラマ, 監督:ルル・ワン, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

『 mid90s ミッドナインティーズ 』 -私小説ならぬ私映画-

Posted on 2020年10月2日2022年9月16日 by cool-jupiter

mid90s ミッドナインティーズ 70点
2020年9月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:サニー・スリッチ キャサリン・ウォーターストン ルーカス・ヘッジズ
監督:ジョナ・ヒル

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アメリカのテレビドラマ界では80年代が花盛りである。それは80年代に幼少期~思春期を過ごした世代が、テレビ業界でイニシアチブを取れるようになってきたからだと言われている。しかし、そうこうしているうちに90年代にノスタルジーを抱く、次の世代が台頭してきた。監督・脚本・制作のジョナ・ヒルは1983年生まれ。90年代は彼にとって7歳から16歳。これは私小説ならぬ私映画なのだ。

 

あらすじ 

スティーヴィー(サニー・スリッチ)は暴力的な兄イアン(ルーカス・ヘッジズ)とシングル・マザーのダブニー(キャサリン・ウォーターストン)と暮らしていた。ふとしたことからスケボーを通じて、ルーベンやフォース・グレード、ファック・シット、そしてレイと知り合ったことで、スティーヴィーは新しい世界を知るようになり・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングからナイキのバッシュなど、90年代を彩った様々なガジェットが画面に映し出される。不思議なことに、ただそれだけのことで空気が変わる。それは予告編でもたびたび映し出された“Stay out of my fucking room, Stevie.”という兄の台詞にも触発されるからなのだろう。年の離れた兄の部屋。それは異世界のようなものだ。最も身近な大人の世界とも言える。そして、兄が使わなくなったスケボーに一人のめり込むところから、ストリートのスケボー連中に合流し、変わっていくという、思春期のビルドゥングスロマンである。

 

主演を務めたサニー・スリッチは、まるでジェイソン・クラークがそのまま子どもになったような雰囲気である。つまり、ヒールともベビーフェイスとも判別がつかない顔とでも言おうか。何色にも染まりうる危うさを秘めた面持ちをしている。そんなスティーヴィーがルーベンと知り合い、その伝でレイやファック・シットらと出会い、“サンバーン”というニックネームを奉られ、ともにストリートに繰り出してスケボーに酒、その他の乱痴気騒ぎに興じる。『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』と正反対のstreet smartな成長過程を見せていく。その何とも言えない、危うさに痛々しさよ。

 

縁あっていくつかの大学で英語の授業を担当させて頂いているが、それこそ2000年前後生まれの学生たちは、程度の差こそあれ、とても真面目で勉強熱心だし、ボランティアに精を出すし、インターンシップにも意欲的だ。Jovianの幼少~思春期は80年代から90年代にかけてだが、その頃の中学高校生の喫煙率やヤンキー率など、今日の若者からすれば眉を顰めざるを得ないだろう。日本でも米国でも、90年代は明るく荒んでいたのだ。そうした青春の光と影、そこにある緩やかで、しかし確実に存在する家族との紐帯。そう、これはある意味でアメリカ版『 はちどり 』とも見なしうる物語なのだ。親友だと思っていた相手との関係性のねじれ、自分よりも恵まれない人々の存在への気付き、兄からの暴力、家族を亡くした者の魂の慟哭・・・ スティーヴィーもまた、いつか新天地を目指して飛び立つ『 はちどり 』なのだ。だが、彼は確かに90年代半ばという地平にその存在を刻み込んだ。かけがえのない仲間と共に。

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ネガティブ・サイド

仲間内でルーベンとスティーヴィーの立ち位置、力関係が逆転する出来事がかなりのご都合主義であるように感じた。プロのボーダーを目指すレイが、ルーベンやスティーヴィーに「飛べ!」と促すだろうか。腑に落ちない。

 

またファック・シットが酒とパーティーに溺れていく過程の描写が不十分にも思えた。破滅的な性向の男であることは見た瞬間から分かる。問題は、ファック・シットの陰口を叩くのがパーティー・ガールたちだけというところだ。スケボー連中たちからも「あいつはちょっと頭ヤベー奴だぞ」のような忠告がスティーヴィーの耳に入るシーンがあれば良かったと思う。裁判所前でホームレスの男性とレイがひとしきり言葉を交わすシーンはよく練られたものだったが、その裏ではスティーヴィーが仲間の悪口を聞いて激怒する、または動揺するといったミニドラマがあっても良かったはず。

 

総評

決してハッピーな気分になれる映画ではない。懐古趣味的であるが、それを無条件に良しとするような風潮にはっきりと異議申し立てをしている作品である。だが、90年代を嫌悪しているわけでもない。青春の1ページ、それは時に痛く、時にまばゆい。そんな一瞬を見事に切り取った一作である。30代から40代なら、何かを感じ取れるのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You feel me?

「(俺の言っていることが)分かるか?」の意。スラングである。下品ではないが、フォーマルでは決してない。友人や同僚相手に使うにとどめよう。Jovianの友人かつ元同僚もこの表現をしばしば使っていた。彼のYouTubeチャンネルには、外国人には日本文化や日本人がどう映るのかを知るための、なかなか興味深い動画がそろっている。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, キャサリン・ウォーターストン, サニー・スリッチ, ヒューマンドラマ, ルーカス・ヘッジズ, 監督:ジョナ・ヒル, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 mid90s ミッドナインティーズ 』 -私小説ならぬ私映画-

『 ようこそ映画音響の世界へ 』 -オーディオ・エンジニアに敬意を-

Posted on 2020年9月28日2021年1月22日 by cool-jupiter

ようこそ映画音響の世界へ 75点
2020年9月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウォルター・マーチ ベン・バート ゲイリー・ライドストローム
監督:ミッジ・コスティン

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『 すばらしき映画音楽たち 』という優れた先行作品があり、どうしてもその二番煎じであるとの印象は拭い難い。しかし、音響という仕組みや現象を映画史と共に概説してくれる本作が、映画ファンの視野を広げてくれることは間違いない。

 

あらすじ

『 スター・ウォーズ 』のベン・バート、『 地獄の黙示録 』のウォルター・マーチ、『 ジュラシック・パーク 』のゲイリー・ライドストロームら、映画音響のパイオニアたちのインタビューを軸に、映画における音響の役割とその拡大の歴史に迫っていくドキュメンタリー。

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ポジティブ・サイド

映画はキャラクターと物語と映像と音楽で成り立っている。しかし、じつはそこにもう一つ、「音響」という要素もある。我々は映画サントラを買うことはあっても、音響サントラを買うことはない。というか、売っていない。映画サントラの需要は分かりやすい。その音楽を聴けば、映画のシーンやセリフや物語そのものが脳内で再生されるからだ。邦画で最もインパクトのあるサントラと言えば伊福部昭の『 ゴジラ 』のマーチ、そして海外の映画では『 スーパーマン 』のテーマや『 ロッキー 』の“Gonna Fly Now”、『 トップガン 』の“Danger Zone”や“Take my breath away/愛は吐息のように”が思い浮かぶ。だが、このようにも考えてみてほしい。『 スター・ウォーズ 』で最も印象に残っている音は、実は音楽ではなく、ライトセイバーの唸るような音、ブラスターの発射音、TIEファイターの飛行音やビーム発射音、ミレニアム・ファルコンのジェット音やコクピット内部の機械音、そしてワープ時の音ではないだろうか。

 

本作は、音楽ではなく音響にフォーカスした稀有なドキュメンタリーである。映画史の中で音響がどのように導入され、発達していったのかを稀代のオーディオ・エンジニアらや映画監督たちとのインタビューを通じて再発見していく物語である。

 

個人的に勉強になったと感じたのは、集音技術発達前の映画の作り方。その描き方がコミカルなのだが、作っている側としては非常に悩ましい問題だったのだろう。もう一つはフォーリー・サウンドの歴史。『 羊と鋼の森 』で“4分33秒”で名高いジョン・ケージについて述べたが、ジャック・フォーリーについては全く背景知識を持っていなかった。ステレオの発明が金山の発見ならば、フォーリー・サウンドの発明は、大袈裟な言い方をすれば、新大陸を発見したようなものである。それほどのインパクトを感じたし、この分野には無限に近い鉱脈が眠っているのは間違いない。

 

映画の黎明期から2018年までの映画史が音響の面からわずか90分程度にまとめられている。発見の連続であったし、今後は映画館でエンドクレジットを眺める際の楽しみが増えた。映画ファンだけなく、広く一般の人々にも観てもらいたいと願う。

 

ネガティブ・サイド

映画史を俯瞰する圧倒的スケールの作品であるが、少し人間だけフォーカスしすぎているとも感じた。今後10年で映画音響がどのような進化を遂げるのかについての道標を示してもよかったのではないか。例えば『 シライサン 』で実施されたイヤホン360上映のような、新機軸の音響効果を体感できる映画館またはイヤホン・ヘッドセットの開発など。または、ホロフォニクス=立体音響録音技術を今後どうやって映画館に組み込んでいくのかといったことも示唆できたのではないか。

 

様々な作品が紹介されていたが、そこにアニメーションやNon-Americanの作品がなかったことは率直に言って不満である。女性や外国ルーツの女性エンジニアにフォーカスするのなら、作品にもinclusivenessが欲しかった。

 

総評

2020年はコロナ禍により世界中の映画館が存在意義を問い直された。もちろん映画館の存在意義は、圧倒的な大画面である。だが、映画館でこそ味わえる音響の世界もあるし、映画そのものを鑑賞する時に音楽だけではなく音響に我々はもっと注意を向けるべきだ。そうしたことを本作を通じて考えさせられた。今後は照明や撮影監督にスポットライトを当てた作品が、さらには映画館という施設そのものの発展史を概説するドキュメンタリーが求められる。もう誰かが作り始めているかな。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Talk about ~

「 ~について語る 」という意味が主役であるが、他にも用法がある。これは「 まさに~だ 」、「 何という~なんだ 」という意味で使われる慣用表現。作中では“Talk about innovative”と使われていた。つまり、「 なんと革新的なのか 」という意味である。

 

My client never makes eye contact with me. Talk about a lack of respect!

クライアントは俺と目を合わせないんだよ。まったくもって失礼じゃないか!

 

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, ウォルター・マーチ, ゲイリー・ライドストローム, ドキュメンタリー, ベン・バート, 監督:ミッジ・コスティン, 配給会社:アンプラグドLeave a Comment on 『 ようこそ映画音響の世界へ 』 -オーディオ・エンジニアに敬意を-

『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし-

Posted on 2020年9月20日2021年1月22日 by cool-jupiter

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

inversion

「逆行」や「反転」の意。動詞はinvert、「逆向きにする」、「反対向きにする」の意。『 トップガン 』の冒頭でマーヴェリックがソ連のミグ戦闘機に接近した方法は inverted dive だった。invertの仲間のavert=回避する、convert=転換する、なども併せて覚えておきたい。

 

総評

二回観ることを前提に作られていると言われているが、この手の構造に慣れている人なら1度の鑑賞で充分かもしれない。ただし、鵜の目鷹の目でそこかしこに挿入されるオブジェやガジェットに目を光らせる癖を持っていなければならないが。9割がた席の埋まったTOHOシネマズなんばでは終映後、劇場に明かりが灯った途端に誰もかれもが「難しかった」、「意味わからん」を連発していた。本作を鑑賞するにあたっての心得は、細部に目を光らせながらも常に全体を考えよ、終盤の展開を思い描きながら必ず序盤を思い出せ、である。楽しんでほしい。

 

ネガティブ・サイド

エンドクレジットにキップ・ソーンの名前が観られたが、科学的・物理学的に説明がつかない描写もかなり多く観られる。たとえば、序盤に主人公が銃弾を逆行させるシーン。普通に考えれば《撃った》瞬間に手に凍傷を負うはずだ。ガソリンの爆発で低体温症になる世界なのだから、銃弾が的に命中する時の衝撃=変換された熱エネルギーがすべて銃弾に返ってくるのだから。また、逆行世界では光の粒子も逆に進む、つまり常に網膜から光子が離れていっているわけで、何も見えないか、あるいは網膜剥離の時の光視症(目の前にいきなりチカチカした光が現れる。目をつぶっていてもそれが見える)のような状態になるはずだ。また、空飛ぶカモメの声がドップラー現象的に聞こえてくるが、これもおかしい。カモメの声と姿が同時に認識できていたが、実際は音がはるかに先に届いて(正確には鼓膜から音が逆反射されて)、それが音速(毎秒300m以上)で鳥の方に返っていく。なのでカモメの逆回しの鳴き声が聞こえたら、数百メートル以上離れたところに鳥が視認できなければおかしい。

 

スタルスク12の大規模戦闘シーンで敵の姿がほとんど見えないのも不満である。銃撃戦も良いが、我々が本当に観たかったのは、大人数vs大人数での時間の順行・逆行の入り乱れる近接格闘戦だった。ノーランをしても、それを撮り切れなかったのかと少し残念な気持ちである。

 

悪役であるセイターの背景にも少々興ざめした。世界が絶賛しJovianが酷評している『 ソウ 』のジグソウか、お前は。もっと魅力ある悪役が設定できていれば、主人公がもっと輝いたはず。その主人公の相棒ニールも、どうしても『 ターミネーター 』のカイル・リースと重なって見えてしまう。RoundなキャラクターとFlatなキャラクターの差が激しい。視覚効果はノーラン作品の中でも随一だが、キャラの造形は今一つであると言わざるを得ない。

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ポジティブ・サイド

本人は至って真面目でいながらも傍から見るとコミカルでユーモラスだった『 ブラック・クランズマン 』とは一転して、ジョン・デビッド・ワシントンは非常にシリアスなエージェントを好演した。アクションも緻密にして派手。序盤の時間を逆行する男との目も眩むような格闘戦と、中盤の用心棒たちとの肉弾戦からは黒ヒョウのしなやかさと力強さが感じられた。

 

ヒロイン的な位置づけのキャットも素晴らしい。『 ブレス あの波の向こうへ 』のつかみどころのない美女が、夫に虐げられながらも、凛とした美貌と母としての本能を失わない女性像をリアルに構築した。彼女の序盤のとあるセリフは終盤の展開への大いなる布石になっている。より正確に言えば、本作は序盤の展開が終盤の展開と不思議なフラクタル構造を成している。細部が全体なのである。Jovianのこの捉え方がノーラン監督の意図したものかどうかは分からないが、少なくとも的外れではないはずだ。時間の逆行・逆転現象が頻発する本作において、キャットはある意味で観客にとっての道しるべである。能動的に動いているキャットは常に順行である。『 インセプション 』ではマイケル・ケインが存在するシーンが現実だと言われているが、それと同じだと思えばよい。

 

一番の見どころは時間の逆行シーンである。トレイラーでも散々流されているが、高速道路のカーチェイスシーンや、最終盤のスタルスク12の大規模戦闘シーンは、初見殺しである。これを一度で理解できるのは天才か変人だろう。だが、予測不能、理解不能、解釈不能なシークエンスの数々を楽しむことはできる。特に、とある建造物の下部が修復、上部が爆発するシーンには痺れた。ブルース・リーではないが、まさに「考えるな、感じろ」である。そうそう、劇中でも序盤に似たようなセリフが出てくる。深く考えてはいけない。主人公が味わう混乱に素直に没入するのが初回の正しい鑑賞法だ。

 

とはいえ、鑑賞中にも「ああ、なるほど」と思わせてくれるカメラアングルが特に序盤に多くある。したがって自信のある人やノーランの作風に慣れている人であれば、初回鑑賞でもある程度は驚きと納得の両方をリアルタイムに味わえるようにフェアに作られている。

 

以下、微妙にネタバレになりかねないが、本作の構成(≠物語)の理解の助けになりそうな先行作品を紹介しておく。

 

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 星を継ぐもの 』

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 巨人たちの星 』

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 Mission to Minerva 』(2020年9月19日時点で日本語翻訳なし)

高畑京一郎の小説『 タイム・リープ あしたはきのう 』

 

特に『 星を継ぐもの 』のプロローグとエピローグ、『 巨人たちの星 』の序盤と終盤のつなぎ方は、「ノーラン監督はホーガンのこれらの作品の構成をそのままパクったのでは?」と思えるほどである。興味のある向きは読んでみるべし。

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あらすじ

男(ジョン・デビッド・ワシントン)はとあるテロ事件鎮圧後、テロリストに捕らえられ拷問を受けていた。隙を見て服毒自殺した彼は、ある組織の元で目覚める。そして、時間を逆行する弾丸を教えられる。未来で生まれた技術のようだが、いつ、誰がどうやって開発したのかは謎。それを探り、第三次世界大戦を防ぐというミッションに男は乗り出すことになり・・・

 

TENET テネット 70点
2020年9月19日 TOHOシネマズなんばにてMX4Dで鑑賞
出演:ジョン・デビッド・ワシントン ロバート・パティンソン エリザベス・デビッキ ケネス・ブラナー
監督:クリストファー・ノーラン

 

間違いなく現代の巨匠のひとりであるクリストファー・ノーラン、その最新作である。自身の初期作品『 メメント 』に、『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』を混ぜ込んだような時間逆行系の難解映画であった。

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, SF, アメリカ, エリザベス・デビッキ, ケネス・ブラナー, ジョン・デビッド・ワシントン, ロバート・パティンソン, 監督:クリストファー・ノーラン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- への15件のコメント

『 幸せへのまわり道 』 -壊れた人間の再生物語-

Posted on 2020年9月9日2021年1月22日 by cool-jupiter

幸せへのまわり道 70点
2020年9月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・ハンクス マシュー・リス
監督:マリエル・ヘラー

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タイトルだけ目にしてチケットを買った。あらすじは英語で少し読んだだけ。予備知識を一切持たずに鑑賞したが、存外に楽しむことができた。

 

あらすじ

ロイド・ボーゲル(マシュー・リス)は辛辣で知られる記者。ある時、子ども向け番組のホスト、フレッド・ロジャース(トム・ハンクス)を取材することになったロイドは、フレッドに逆にインタビューをされてしまう。そして、向き合ってこなかった父への負の感情を露わにされてしまう。だが、そこからロイドとフレッドの奇妙な縁が始まり・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の番組開始のシーンから圧巻のパフォーマンスである。スタジオのセットで踊って歌うトム・ハンクスがゆっくりと腰掛け、視聴者=映画の鑑賞者にゆっくりと語りかける。そして、厚紙細工の家の扉を開けてロイドを紹介する一連のシークエンスはインパクト絶大。あらすじをほとんど知らない状態で観たこともあって、一気に映画世界に引きずり込まれた。

 

ロイドとその妻アンドレア、そして最近になって生まれた赤ん坊と、ロイドは家庭もキャリアも順調だったが、気鋭のジャーナリストがどういうわけか子ども番組のホストを取材するようになるまでの流れもスピーディーだが、荒っぽくはない。順調に見えるロイドも、辛辣な人物評が芳しくない評価を生んでいる。人にきつくあたる人間は往々にして何らかの心の闇を抱えている。そのことを観る側に予感させつつ、フレッドとロイドの邂逅をある意味でとてもまわりくどく、なおかつ直截的に描くヘラー監督。これはなかなかの手練れである。

 

トム・ハンクスの卓越した演技力というか、ソフトな物腰にソフトな語り口で、しかし透徹した視力と言おうか、一気に目の前の人間の本質を鋭く見抜く眼光炯々たる様には圧倒される。インタビューするロイドを遮り、一気に核心を突く質問を発するところには、ヒューマンドラマとは思えないサスペンスがあった。ここから思いがけない友情めいた関係がスタートするのだが、この最悪の出会いから何がどう芽生えるのか。袖振り合うも多生の縁というが、その絶妙な仕掛け、人との出会いを特別に大事にするフレッドの秘密を知りたい人はぜひ観よう。

 

本作のテーマの一つは、怒りの感情のコントロール、それとの付き合い方である。息子が父を憎むというのはよくある話で、男は誰でも程度の差こそあれ、エディプス・コンプレックスの罹患者であり、(文学的な意味での)父殺しを企図しているものだ(父親と腕相撲して勝ったり、父親のクルマを「代わりに運転してくれ」と頼まれたりetc)。父親を許すとができないロイドに、フレッドがレストランで提案するルーティンのシーンは圧倒的な臨場感である。スクリーンのこちら側の我々にも参加しろと言っているのだ。そしてこれこそがヘラー監督の発したいメッセージでもあったのだろう。

 

聖人のごときフレッド・ロジャースが最後に見せる人間味(いや、音と言うべきか)も味わい深い。一人に備わらんことを求むるなかれ。怒りを遷さず、過ちを弐びせず。アメリカ人の物語であるが、東洋人の我々の心にも十分に響く名作である。

 

ネガティブ・サイド 

ロイドと父の和解がやや唐突過ぎるように感じた。姉の結婚式(毎夏の恒例行事らしいが)で息子が父をぶん殴るという事件を起こす割には、父を許すのが早すぎる。もちろん、ミスター・ロジャースのカリスマ性もあるのだろうが、ロイドは小市民の代表選手なのだ。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』で松下奈緒が安田顕を一喝したようなシーンがもう一つ二つ欲しかった。

 

ミスター・ロジャースはアメリカでは知名度抜群とのことだが、ロイド自身の幼少~青年期を振り返るシーン、あるいはレストラン以外でロイドが自身の過去を回想し、そこでのロジャースの言葉に思いを致すようなシーンは撮らなかったのだろうか。撮ったものの編集でカットされたのだろうか。フレッドとロイドの私的な交流に重きを置いている割には深みがなかったのは、上述のようなシーンが欠けていたからだろう。

 

本作はシーンとシーンのつなぎ目にジオラマの街並みが挿入される。ユニークな試みだと思うが、なにか前後のシーンまでが作り物のように感じられた。これは映画媒体のformを評価ではなく個人的な好き嫌いか。

 

総評

予備知識なしで観るのが正解だろう。というか、日本で事前のリサーチなしにミスター・ロジャースを知っているというのは相当のアメリカ通か、帰国子女あるいは現地赴任帰りだろう。けれど心配無用。事前の知識は一切不要。あまりにも典型的な父と息子の確執と和解の物語であるが、そこには思いのほか豊かな奥行きがある。そして彼らの物語がいつしか我が事のように感じられてくる。家族や友人と鑑賞してもよいが、おそらくこれは一人で観るべき映画である。その方がきっとより真価を味わえるから。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

a four-letter word

 

劇中では“Fame is a four-letter word.”というように使われていた。「有名(ゆうめい)というのは4文字言葉に過ぎない」という意味だが、この表現はしばしばsh*tやda*nやcr*pやh*llなどの卑罵語を指すことが多い。このあたりのスラングとされる表現を社会的に正しい文脈で使えることができれば、英会話スクールは卒業である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, トム・ハンクス, ヒューマンドラマ, マシュー・リス, 伝記, 監督:マリエル・ヘラー, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 幸せへのまわり道 』 -壊れた人間の再生物語-

『 オフィシャル・シークレット 』 -公と私の関係性を鋭く問う-

Posted on 2020年8月30日2021年1月22日 by cool-jupiter

オフィシャル・シークレット 70点
2020年8月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ レイフ・ファインズ マット・スミス
監督:ギャビン・フッド

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原題は“Official Secrets”、本編中では「公務秘密」と訳されている。公文書の改竄が公然と行われ、公務員がそれを苦に自殺までしているというのに、この国(日本)は何も変わらない。だが、それは海の向こうの島国、英国でも同じらしい。10年以上前の実話に基づく本作が、日本社会の「今」をこれほど鋭く抉っているのは、日本がそれだけ英米の後追いをしている証拠なのだろう・・・

 

あらすじ

マンダリンに堪能なキャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)は、GCHQで中国関連の盗聴に従事していた。ある日、国連安保理の非常任理事国の担当者たちを盗聴するようにとの通達が部署全体に届く。正当性のない戦争を国連で正当化させるための裏工作だと感じ取ったキャサリンは、そのメールをリークすることを決断するが・・・

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ポジティブ・サイド

イラク戦争そのものについては無数の映画が作られている。政治の側からCIAの闇を暴いた『 ザ・レポート 』や『 バイス 』のように国の権力構造の不正を分析するもの、『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』のように弱小メディアが国家の大嘘を暴くというものまで、アメリカがアメリカ自身を暴く作品が生み出されるようになってきた。もちろん『 ウォードッグス 』のような戦争にちゃっかり寄生する輩を面白おかしく活写する作品も作られており、イラク戦争という大義なき虐殺に関してはアメリカは徐々に正しい距離感を学びつつあるようである。本作はそうしたイラク戦争の不当性をイギリス側から見たという点が新しい。

 

それにしても本作で要所要所に挿入される2003~2004年の実際のニュース映像の生々しさよ。特に盲目的な対米従属路線を突っ走る当時の英国首相のトニー・ブレアを見ると、当時の小泉内閣総理大臣、そして現(元と言うべきか)安倍内閣総理大臣を見るようである。WMD=Weapons of Mass Destruction=大量破壊兵器を「まだ見つかっていないが存在を確信している」というブレアにも頭を抱えてしまうが、「無いものを無いと証明できなかったイラクが悪い」と平然と言ってのけた小泉純一郎を思い出して、五十歩百歩という諺を思い出した。なぜか英国の告発スキャンダルとは思えず、日本映画をイギリス風にリメイクしたのかとすら感じられるのである。

 

イギリス映画ファンならば本作の俳優陣の演技に納得することだろう。特にキーラ・ナイトレイは Career High と言ってよいほどの圧巻のパフォーマンス。表情と口調、立ち居振る舞いでキャラの心情をダイレクトに届けてきた。特に自分こそが告発者だと名乗り出るシーン、そしてクルド系トルコ人の夫とのテレビのチャンネル争いおよび熱の入った口論は途轍もなくリアルに感じられた。彼女の告発内容を記事にする記者を演じるのはマット・スミス。『 新聞記者 』のシム・ウンギョンとは全く異なるテイストのジャーナリストだが、幅広い人脈でスパイ顔負けの取材や情報収集活動を行う敏腕記者で、不正のにおいを感じ取れば、社の方針がどうであれ、とことん突き詰める行動型の記者という点ではシム・ウンギョンそっくり。もしも戦地のイラクに派遣されれば『 プライベート・ウォー 』のメリー・コルビンのような雄々しい従軍記者になるのだろう。キャサリン・ガンの無罪を主張する弁護士を演じるレイフ・ファインズも圧倒的な存在感を放つ。弁護士は社会正義の追求だけではなく、紛争の予防および調停を最も大事にすると言われるが、クライアントの要望に応えることも大きな責務だ。そこで放たれる論理のウルトラCには誰もが腰を抜かすこと請け合いである。事件に巻き込まれた時には、このような弁護士を頼りたい。

 

冒頭の裁判開始のシーンは、そのままクライマックスの法廷シーンにつながるが、ここでの検察と判事と弁護士のやりとりは余りにも予想外である。歴史的な(といって2020年からすれば十数年前だが)事実や経緯を知らない者からすれば、この裁判は類まれなる茶番であり、なおかつ壮大なドラマであると言える。この弁護士が構築した論理とそれを証明する手続きについてよくよく考えてみれば、何のことはない、この弁護士とキャサリン・ガンは根っこの部分では同じなのだ。つまり、公私の公=職業人としての使命と、私=個人としての使命が相反した時、「私」を選ぶという点だ。それはプライベートな付き合い云々ではなく、自分の心に何が正しいかを問い続ける姿勢である。重ねて言うが、英国の話なのに日本の話に見えるところが多々ある。現代人必見の一作だろう。

 

ネガティブ・サイド

キャサリン・ガンというキャラクターのバックボーンをもう少し掘り下げる描写があれば、イギリス国内的にも、イギリス国外の映画市場でも、もっと観客を呼び込めたのではないだろうか。キャサリンはアジア滞在歴が長く、特に日本の広島にいたということはもっと強調されてよかったと感じる。また、夫との馴れ初めについても、会話以上の描写があってもよかった。またブッシュやブレアのニュース映像がふんだんに使われているのだから、このキャサリン・ガンの告発事件を報じた本物の新聞記事や本物のニュース映像も見てみたかった。

 

イギリスが歴史的に盗聴で世界の強国の地位を維持してきたという説明もどこかで少しだけ欲しかった。『 イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 』で描かれたエニグマ解読器を独自開発することに成功した英国は、そのことを秘匿。ナチス・ドイツ敗戦後にエニグマを世界各国の諜報に使わせつつ、自らはちゃっかりとそれらの暗号を解読し続けるという詐欺的な行為で世界の指導的地位を固めていたという歴史的事実の延長線上に本作はあるのだ、ということをもっと明確にすべきだった。

 

キャサリン・ガンの言う「国家ではなく国民に仕えている」というセリフは印象的であるが、ドラマチックではない。ここまでストレートに表現する必要はあるのだろうか。GCHQの職員である以上に一個人なのだということを表明するセリフが望まれていたと思う。この部分だけは妙に理屈っぽく感じられ、キャサリンという感情に強く動かされるキャラクターが首尾一貫性を欠いていたように思う。

 

総評

これは傑作である。こうした一個人の奮闘が国家の、そして国際的な欺瞞を暴くという実話がこれほどリアルに物語化された例は少ない。一方で、ブッシュやブレアといった列強のトップの政治家が今も戦争責任を問われずにいるという慄然とさせられる。歴史はわずか20年足らずで風化してしまうのか。今というタイミングで本作が制作されたことそのものが大きなメッセージになっている。すなわち、己の正義を常に問い続けよ、精神は国家に完全従属させるなということである。なんと耳の痛い教訓ではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Whistleblower

『 スノーデン 』でも紹介した表現。日本ではwhistleblowerはだいたい冷や飯を食わされる羽目になるが、そうした社会風土もさすがにそろそろ変わっていかなければならないだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, サスペンス, マット・スミス, レイフ・ファインズ, 伝記, 家督:ギャビン・フッド, 歴史, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 オフィシャル・シークレット 』 -公と私の関係性を鋭く問う-

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』 -気軽に笑える安心コメディ-

Posted on 2020年8月25日2021年1月22日 by cool-jupiter

ジェクシー! スマホを変えただけなのに 65点
2020年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アダム・ディバイン アレクサンドラ・シップ
監督:ジョン・ルーカス スコット・ムーア 

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監督および脚本は『 ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い 』のジョン・ルーカスとスコット・ムーアのコンビ。となると、大いに笑えてちょっぴり考えさせられるコメディに仕上がっているのは間違いない。日本版の副題は『 スマホを落としただけなのに 』のパロディだが、ホラー要素はないので安心して観に行ってほしい。

 

あらすじ

フィル(アダム・ディバイン)はスマホ依存症。ある時、街中で偶然にケイト(アレクサンドラ・シップ)と知り合うも、直後にアクシデントでスマホが壊れてしまう。新しいスマホを手に入れたフィルは、「あなたの生活向上を支援します」というジェクシーというAIと奇妙な共同生活を始めるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

主役のフィルはなんと『 ピッチ・パーフェクト 』と『 ピッチ・パーフェクト2 』のトレブルメーカーズの嫌味な男筆頭のバンパーを演じたアダム・ディバインではないか。ベラーズの面々は男とのある意味でとても不毛な惚れた腫れたの関係から華麗に卒業していったが、こちらは対極的にお一人様を楽しむ優雅な中年男。『 結婚できない男 』の阿部寛とは方向性がまるで違うが、フィルのような独身貴族は全世界で軽く数百万人は存在するのではないか。それほどリアルな人物の造形であり描写である。まず、職業がネット記事のライターというところが笑わせる。誰しも「○○○がオワコンである5つの理由」とか「株で成功する人が共通して持つ3つの習慣」といった、テンプレ感丸出しの記事を読んだことがあるだろう。つまり、常日頃から我々をスマホにくぎ付けにすることに血道を上げる職業人なのだ。この情けないやら有り難いやらの中間の存在のフィルに感情移入できるかどうかが大きなポイント。もしも、「何だ、つまんねー主人公だな」と感じるなら本作はスルーしよう。「なんか親近感がある」と思えれば劇場へ行こう。

 

スマホに気を取られて道を歩いていて人にぶつかってしまう。その時、ぶつかった相手ではなく自分のスマホの方を気にかけてしまうフィルに、「人の振り見て我が振り直せ」と感じる人も多いはずだ。だが人間万事塞翁が馬。これがもとでケイトに出会い、ケイトとの出会いがジェクシーとの出会いをもたらしたのだから。ケイト演じるアレクサンドラ・シップのフィルモグラフィーを見て、こちらにもびっくり。なんとあの怪作『 X-MEN:ダーク・フェニックス 』のストームではないか。だが本作ではミュータントではなくいたって普通の人間。というよりもいたって普通の女子である。笑顔がチャーミングで、それでいて野暮なフィルのデートの誘いを快諾。半年ぶりにすね毛を剃ったという女子力ゼロの発言から、小洒落た高級レストランを出て街中のバーへ。あれよあれよの夜中のサイクリング軍団への合流から、深夜の路上の情熱的で扇情的なキス。日本の少女漫画の映画化では絶対に描けないような極めてリアルな大人のデートである。そのすべてに輝きを与えているのは他ならぬケイト。正直、なぜこれで男がいないのかと訝しくなるが・・・おっと、これ以上は劇場で確かめてほしい。

 

スマホと人間の恋愛というと『 her 世界で一つの彼女 』という優れた先行作品がある。あちらは純粋なSFだったが、こちらは純粋なコメディ。そのことを象徴的に表すのが、ジェクシーとフィルのテレホンセックス。言葉で互いを高め合うのではなく、充電用ケーブルのコネクタをスマホ本体に抜き差しするという物理的なセックス。もう笑うしかない。トレイラーで散々映されているから、このぐらいはネタバレにはならないだろう。ジェクシーの魅力は何と言ってもuncontrollableなところ。電源を切ろうにも切らせてくれないし、フィルのプライバシーや口座、SNSにも易々とアクセス。生活を向上させてくれるかどうかはビミョーであるが、フィルを生き生きとさせていることは間違いない。ケイトと自分を比較して「あの女にはポケモンGOもGoogle Mapsもない」と言い放つ。それがフィルにはそれなりに堪える台詞なのだから、情けないやら身につまされるやらで、なんだかんだで笑ってしまう。

 

ストーリーは完全に予定調和で、ランタイムも90分を切るというコンパクトな作りである。脇を固めるキャラも人間味があるし、マイケル・ペーニャは『 アントマン 』並みのマシンガントークで相変わらず笑わせてくれるし、フィルの生活はスマホを片時も手放せない現代人なら、思わず理解してしまったり共感してしまうシーンのオンパレードである。何も考えずに80分笑って、時々はスマホから離れて友人や恋人、家族と語らおう。そんな気にさせてくれるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

スマホショップの老婆は必要だったか。いや、必要だったのは分かるが、何らかのキーパーソンであると見せかけて、これでは・・・。『 ステータス・アップデート 』の不思議なアプリ入りのスマホのように、特定の人物からしか手に入らない特別なスマホとAIという設定の方が良かったのではないか。フィルのようなスマホのヘビーユーザーなら、ジェクシーのことを「なんかヤバいぞ」と感じた瞬間にその場でググるはずだし、新しくできた友人たちにジェクシーというAIを知っているかと尋ねることもできたはずだ。ジェクシー搭載のスマホがありふれたものなのか、それとも希少なのか。そこがはっきりしない点が釈然としなかった。

 

主人公のフィルがジャーナリスト志望という点もストーリーとは密接にリンクしていなかった。ジェクシーに振り回される自分を題材に、【 スマホに振り回されないための10の心得 】みたいな記事を書いてバズる、あるいはマイケル・ペーニャ演じる上司にしこたま怒られる、という展開があっても良かったように思う。そうした経験が肥やしになってこそ、ラストが光り輝くのだろう。

 

細かい点ではあるが、土砂降りの雨のシーンとその後の会社のシーンがつながっていなかた。フィルはびしょ濡れ、オフィスの大きな窓からは陽光が燦々、というのは邦画でもちらほら見られるミスだ。

 

総評

本作は様々な層を楽しませるだろう。高校生以上のカップルや夫婦で楽しんでも良し。もちろん優雅な独身貴族も歓迎だ。そして、あなたがトム・クルーズの大ファンだというなら、本作は決して見逃してはならない。Jovianは何が何でも字幕派だが、本作に関しては日本語吹き替えにも興味がある。誰か吹き替え版の感想を詳細にどこかに書いてくれないかな。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

think outside the box

『 サラブレッド 』でも紹介したフレーズ。マイケル・ペーニャ演じるボスが会議中に言う台詞。意味は「既存の枠組みにとらわれずに考える」である。ビジネスパーソンなら知っておきたいし、実践もしたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ディバイン, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, コメディ, 監督:ジョン・ルーカス, 監督:スコット・ムーア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』 -気軽に笑える安心コメディ-

『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』 -学生、観るべし-

Posted on 2020年8月23日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 75点
2020年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ビーニー・フェルドスタイン ケイトリン・デバー
監督:オリヴィア・ワイルド

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原題は booksmart 。通常は book smart と離して表記すると思われる。意味はwell-readと同じ、つまり「本をたくさん読んでいて賢い」ということ。しばしば、street smart = 実地に色々と経験してきた、との対比される。ちなみにボクシング業界ではたまに ring smart という表現も使われる。意味は推測の通り「リング上で経験を積んでいて巧妙」ということである。

 

あらすじ

高校の生徒会長モリー(ビーニー・フェルドスタイン)とその親友エイミー(ケイトリン・デバー)は成績優秀。モリーは名門大学への進学が決まっており、エイミーも海外に進学する。だが、同級生たちも名門への進学や大手への就職が決まっていると知ったモリーは、勉強ばかりの高校生活を後悔・卒業前日の夜に盛大に羽目をはずそうと、エイミーと共にパーティー会場を目指そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

プロット自体は陳腐である。どこかイケてない女子が、パーっとはじけようとするという点では『 エイス・グレード 世界いちばんクールな私へ 』に通じる。だが、あちらは中学生で、こちらは高校生。畢竟、下ネタも解禁される。というよりも、下ネタのオンパレードである(それはちょっと言い過ぎか)。パンダのリンリンへのあいさつには笑いを禁じ得なかったし、その他のシーンでも映画館のあちこちから笑い声が漏れていた。本当はこのご時世飛沫を飛ばすような行為はご法度なのだが、そんな意識すら薄れてしまうほど、本作のユーモアには容赦がない。パーティーで意中の相手といい雰囲気になった時の予習に、スマホにイヤホンをしてポルノ動画を食い入るように見つめていると、いきなりそれがBluetooth接続されて大音量で車内に響くというのも現代的だ。似たような失敗を家庭や学校、職場でやらかしたという人がいても全くおかしくない。下ネタだけではない笑いもいっぱいあるので、そこは安心してほしい。そして、セックス未遂シーンもあるので期待してほしい。

 

ニックというスクールカーストの頂点にいる男の主催するパーティーへ向かうはずが、あちらこちらと寄り道させられる、その過程も楽しい。神出鬼没のジジと実は良い奴ジャレッド、同族嫌悪的だが自分たちの写し鏡でもあるジョージとアランの演劇コンビなど、モリーとエイミーの高校の多士済々ぶりが際立つ。目的のニックの叔母宅にたどり着けない二人が、SNSの画像からあれこれと推理していくのは『 Search サーチ 』的で楽しいし、配車サービスだけではなく、図々しくもピザのデリバリー車に便乗しようとするところも微笑ましい(良い子は真似をしないように)。

 

なんとか目的地にたどり着いた二人。場慣れしていないため舞い上がってしまうが、なんとか上手く馴染めそう。それぞれが意中の相手にアプローチしていく様子には、こちらも素直に応援をしたいという気持ちにさせられる。だが好事魔多し・・・

 

主役の一人のビーニー・フェルドスタイン、どこかで観た顔だと思ったら『 レディ・バード 』のシアーシャ・ローナンの親友か。さらにリサーチをしたら(つまり英語Wikipedia記事を読んだ)、なんとジョナ・ヒルの妹。確かに顔はそっくりだ。

 

様々な高校生の青春模様をわずか一日半に凝縮してしまったのはお見事。終盤の展開をどうまとめるかという難題にも、キャラの特長とフェアな伏線と見事に対処。恋と友情は別もの。だからこそ大ゲンカもできるし仲直りもできる。世界は大きく広がるけれど、それで二人の距離まで広がってしまうわけではない。近年の青春映画としては突出した面白さを誇る快作である。

 

ネガティブ・サイド

字幕にローザ・パークスが出てこないのは何故だ?ルールを破った偉人としていの一番に言及されているのに。同性愛者同士の語らいやまぐわい、黒人美女の担任に言い寄るメキシコ系の生徒まで描写されているのに、ローザ・パークス(『 ハリエット 』のハリエット・タブマンと並んで、20ドル札の文字通りの顔となる候補者だった)が字幕に出てこないというのは翻訳担当者あるい配給会社の字幕校正・編集担当の不始末だと指摘しておきたい。

 

ポルノ大音量事件は大いに笑ったが、Bluetoothでクルマ側からスマホに接続するにはペアリングが必要なはず。劇中のようにスイッチを押した瞬間に同期完了というのはありえない。笑いの瞬間最大風速を狙ったが故の単純ミスだろう。

 

劇中でほとんど時計が出てこないのは賢明だと感じたが、いったいこの卒業前夜の夜の長さはどうなっているのか。ロサンゼルスの6月の日没は20:00頃。モリーがエイミー両親に「エイミーは私の家に泊まる」と言って連れ出した時には外はすでに真っ暗。パーティー会場入りは一体何時だったのだろうか?劇中の時間の経過を推測するに23:00過ぎ?パーティー会場入りまでがドタバタしすぎではなかったか。

 

総評

『 スウィート17モンスター 』と並んで、日本の中学高校生あたりに是非とも観てほしい作品である。エイミーとモリーは当たり前のようにスマホユーザーであるが、二人の会話は徹頭徹尾、対面の口頭である。もちろん世界的パンデミックで#StayHomeが推奨されているが、それでも本作は夏休みの内に劇場で観賞してほしいと思う。多くの児童、生徒、学生が「自分たちの学校生活って何なんだろう?」という疑問を抱いてるに違いないが、その疑問に対する一つの答え(必ずしも模範的な回答ではないが)が本作にはある。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What’s shaking?

校長先生がエイミーとモリーに出会った瞬間にかけた言葉。“What’s up?”や“What’s going on?”と同じで、「よう」や「調子どう?」という意味である。かなりカジュアルな表現なので、友人相手だけに使うこと。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ケイトリン・デバー, ビーニー・フェルドスタイン, 監督:オリヴィア・ワイルド, 配給会社:ロングライド, 青春Leave a Comment on 『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』 -学生、観るべし-

『 12モンキーズ 』 -ウィルス&タイムトラベルものの名作-

Posted on 2020年8月23日2021年1月12日 by cool-jupiter

12モンキーズ 80点
2020年8月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ブルース・ウィリス マデリーン・ストウ ブラッド・ピット クリストファー・プラマー
監督:テリー・ギリアム

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アホな政治家は「コロナは高温多湿に弱い」と言っていたが、日本は完全に第二波のただ中のようである。こういう時こそ過去のウィルス系の映画を観返すべきだと思う。手洗いは完全に市民に定着したようだが、我々は今こそ本作中でもブラピによって言及されるセンメルワイス医師の功績を再認識しようではないか。

 

あらすじ

2035年、人類はウィルスにより大多数が死滅。生き残った者も地下深くで生活し、地上には動物たちが闊歩している。

 

ポジティブ・サイド

ブルース・ウィリスが良い感じ。『 オールド・ボーイ 』のチェ・ミンシクが生きたタコを貪り食ったが、ブルース・ウィリスも蜘蛛をむしゃむちゃ。シャワーでは尻の割れ目を披露。そして第一次大戦のフランス軍の塹壕では一瞬だが逸物も披露。シリアスな話のはずが、どこかユーモラスだ。そこにクスリ漬けにされたウィリスと、正気ではあるが現代人の目からは狂人に見えるウィリスという二面性。序盤の時間軸とストーリーの虚実が定まらないこの感じが、いかにもテリー・ギリアムのテイスト。

 

ブラピの狂いっぷりもなかなかの見どころ。科学の進歩をテロで食い止めようとする輩は『 トランセンデンス 』などに見られるようにスマートに狂った輩が多い。そうした意味では本作のブラピのストレートな狂いっぷり(こちらも負けじと尻の割れ目を披露)は、文字通りの意味で世紀末的である。ブラピが最も面白いのは、最後の最後に実行する社会擾乱罪だろうか。なるほど、これはなかなか愉快なテロ行為で、なおかつ2020年代の現在でもリアリティがある。ブラピが最も不気味なのは、精神病棟でテレビの録画について滔々と解説するシーンだろうか。大昔に観た時には何も感じなかったが、20年以上ぶりに観返して、背筋がゾッとした。デイヴィッド・ピープルズとジャネット・ピープルズの二人の脚本家は天才ではあるまいか。ウィリスが目にする数々の動物のビジョンや他のデジャヴにも感心させられたが、このテレビ録画のシーンの気味の悪さと意味の深さには唸らされた。

 

ストーリーは軽妙にして重厚、単純にして複雑である。ウィリスもブラピも、人類を救うべく行動しているという点では同じである。重い使命である。そして、地下生活に順応してしまったウィリスの地上生活への憧憬と音楽などの世俗的な娯楽の享受が、とても大きな意味を持っている。人類のため、ではなく、自分のためにと行動するウィリスが次第次第に正気を失っていく様は痛々しい。12モンキーズという謎の軍団の探求のミステリーとサスペンスでぐいぐいと観る者を引き込んでいく。普通に鑑賞してもあっという間の2時間10分であり、再鑑賞すればさらに引き込まれる2時間10分である。

 

ネガティブ・サイド

ウィリスを途中から甲斐甲斐しく支えることになるキャサリンが、割と安易にロマンチックな関係に陥ってしまうのは何故なのか。この手のプロフェッショナルが、患者やクライアントに恋愛感情を抱くのはご法度であり、自身の気持ちをコントロールする術もある程度は体得しているはずだ。そうした人物が、相手が未来人とはいえ、いや未来人だからこそ、適切な距離を保てないというのは腑に落ちなかった。

 

ウィリスのキャラクターが最後まで混乱しっぱなしというのも気にかかった。並外れた記憶力の良さを買われた割には、肝心なところを思い出せないというのはご都合主義的だと感じた。

 

総評

幾重にも張り巡らされた伏線を見返すのも楽しいし、現今のコロナ禍と重ね合わせて人間考察してみるのもよいだろう。まだ観たことがないという若い映画ファンは、配信やレンタルで要チェックである。『 マトリックス 』や『 マイノリティ・リポート 』のようなテイストの作品を好む向きであれば、ぜひ鑑賞されたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ventilation

「換気」の意。今やいかに rooms with good ventilation / well-ventilated= 風通しの良い部屋を確保するかが、どこのオフィスや学校でも喫緊の課題になっている。知っておくべき語と言えるだろう。ちなみに緊張状態やストレスから起こるとされる「過呼吸」は hyper ventilation と言う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, SF, アメリカ, クリストファー・プラマー, ブラッド・ピット, ブルース・ウィリス, マデリーン・ストウ, 監督:テリー・ギリアム, 配給会社:松竹富士Leave a Comment on 『 12モンキーズ 』 -ウィルス&タイムトラベルものの名作-

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  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

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