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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アクション

『 バーフバリ 伝説誕生 完全版 』 -インド発アクション大作-

Posted on 2019年4月30日2020年1月28日 by cool-jupiter

バーフバリ 伝説誕生 完全版 80点
2019年4月29日 神戸国際松竹にて鑑賞
出演:プラバース ラーナー・ダッグバーティ サティヤーラージ
監督:S・S・ラージャマウリ

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大学の同級生と後輩、それに顧客も絶賛していたので、いつかレンタルで借りようと思っていた作品が、ゴールデンウィークに神戸国際松竹のインド映画祭りで大スクリーンに帰ってくる。これぞ天の配剤。松竹よ、ありがとう!

 

あらすじ

とある女性が赤ん坊と共に刺客から逃れようとしている。何とか追手を始末するも、彼女は川の流れに呑まれてしまう。流される間際に彼女はシヴァ神に祈る。この赤ん坊の命だけは救うように、と。なぜなら赤ん坊は王になるべき運命の子だから・・・。すんでのところで村人に助けられた赤ん坊は25年後、立派な青年に成長した・・・

 

ポジティブ・サイド

ラージャマウリ監督もビジュアル・ストーリーテリングを理解している映画人である。冒頭の追手から逃げる女性と赤ん坊に、観る側は「一体なんだ、これは?」と思わされるが、その説明を下手な独り言や赤ん坊への語りかけではなく、神への語りかけとするところがインドらしい。そして成長した赤ん坊がシブドゥとなり、その立派な体躯にカリスマ性、また良い意味での頑固一徹な顔の持ち主であることを台詞に頼らず描き切って見せた。物語のイントロダクションかくあるべし。

 

それにしてもインド映画の映像美よ。原生自然を映し出す時、また街並みや人々の衣装を活写する時の極彩色の使い方はインド映画の基本文法なのだろうか。序盤の大瀑布から中盤の鬱蒼とした森、さらに雪山、乾いた城と城下町、雷鳴とどろく暗夜と画面を彩る色が目まぐるしく変わっていくが、それがジェットコースター的なストーリーの展開スピードとよくマッチしている。中でも、シブドゥとアヴァンティカの出会い、アプローチ、そして初めてのまぐわいには神々しささえ感じた。

 

戦闘シーンはド迫力である。『 ダンガル きっと、つよくなる 』でも描かれていたが、インドには元々レスリング的な体術、武術の伝統が豊かなのだろう。手塚治虫の漫画『 ブッダ 』でもそんなシーンがあったように思う。また『 キングダム 』が本来描かなければならなかった大軍 vs 大軍の攻城戦、白兵戦、騎馬戦を本作はダイナミックに描く。キングダム原作で桓騎将軍が見せたような戦術を繰り出すアマレンドラ・バーフバリ、さらに王騎将軍並みの馬術で敵を次々に屠る様は、完全にゲームの『 三国無双 』または『 戦国無双 』シリーズを見ているようだった。つまり、爽快なのである。同じ神話的な英雄叙事詩の『 トロイ 』(主演:ブラッド・ピット)よりも、戦場の緊張感や臨場感、戦闘シーンのスペクタクルでは本作の方が優っている。後発なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、優れた先行作品を乗り越えられない後発作品もまた数多く存在する。本作は乗り越えた側である。

 

ネガティブ・サイド

シブドゥが怪力を発揮してシヴァ像を運ぶシーンには、もっと重要な意味を付すことができたのではないだろうか。例えば西楚の覇王・項羽は、若かりし頃に鼎を倒して、また元通りに立てたということで、一挙に江東で名前を売り、愚連隊のような連中を配下にすることで後の直参、古参の兵を得た。それと同じで、シブドゥもその豪勇とカリスマ性から若くして自分の腹心や耳目、爪牙になる者たちを得ていなければおかしいのではなかろうか。シヴァ像を運ぶシーンにシブドゥが怪力の持ち主であること以上の意味がなかったのが残念である。

 

怪力と言えば、バラーラデーヴァ王が野生の雄牛を素手で止めるシーンで二度ほど画面左下にCGIという小さな白字が表示されたのはどうにかならなかったのか。おそらく、今映っている動物はComputer Generated Imageですよというアピールだと思うが、それは『 バーフバリ 王の凱旋 完全版 』のオープニング冒頭でdisclaimerがあった。こちらでもそれをやるべきであったと思うし、画面にはできるだけノイズを入れないでもらいたい。

 

アヴァンティカとシブドゥのロマンスをもう少し追求してほしかったというのもある。先王候補のバーフバリと瓜二つ、その忘れ形見がついに現れたというだけでその威光に平伏してしまうのは理解できないこともない。ただ、シブドゥの関心がアヴァンティカから、あっさりと母デーヴァセーナに移ってしまったことで、物語の色彩と起伏がやや弱くなったように感じられてしまった。

 

総評

非常にハリウッド的でありながらも、しっかりボリウッド映画になっている。本作だけを観てしまうと、壮大な叙事詩の前篇という印象になってしまうのは否めない。リバイバル上映で鑑賞するにせよ、レンタルや配信で鑑賞するにせよ、『 バーフバリ 王の凱旋 』とセットで観るようにしたい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, インド, ファンタジー, プラバース, 監督:S・S・ラージャマウリ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 バーフバリ 伝説誕生 完全版 』 -インド発アクション大作-

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

Posted on 2019年4月28日2020年1月28日 by cool-jupiter

アベンジャーズ / エンドゲーム 80点
2019年4月27日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロバート・ダウニー・Jr. クリス・エヴァンス クリス・ヘムズワース ジョシュ・ブローリン
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ

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全宇宙の生命の半分を消し去ったサノス。半分が消えたスーパーヒーロー達。彼ら彼女らが復讐者(The Avengers)となって、サノスに戦いを挑む・・・というストーリーではない。これはアイアンマンやソー、キャプテン・アメリカがヒーローとしての生き方以外を模索し、その上でヒーローたることを決断する物語なのだ。少なくともJovianはそのように解釈した。

 

あらすじ

 サノス(ジョシュ・ブローリン)に大敗北を喫したアベンジャーズ。アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)は宇宙を漂い、地球への帰還は絶望的。キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)は何とか前に進もうとしていたが、ソー(クリス・ヘムズワース)は自暴自棄になっていて、初期アベンジャー達は打倒サノスに団結できずにいたが・・・

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  • 以下、シリーズ他作品のマイルドなネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

 『 キャプテン・マーベル 』は正にMCUの繋ぎ目であった。冒頭の20分で「第一部、完!」的な超展開が待っている。これは笑った。いや、本作の全編にわたって、特に前半はユーモアに満ちている。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』と『 ターミネーター 』という、タイムトラベルものの優れた先行作品に大いなる敬意を表しつつ、それらへのオマージュを見せつつ、新たな物語世界を創り出し、完結させた。

 

アクション面で語ることはあまりない。何故なら褒め言葉に意味など無いからである。これだけの映像を構想した監督、それを現実のものにした俳優陣や演出、大道具、小道具、衣装、CG、VFXなどを手掛けた裏方さんたち全てに御礼申し上げる。

 

キャプテン・アメリカやソーについても多くを語りたいが、自分が最も打ちのめされた、そして最も素晴らしいと感じたのは、トニー・スターク/アイアンマンだった。彼が人の子として、人の親として、一人の男として、そしてスーパーヒーローとしての全ての生き方を全うできたことが、これ以上ない迫真性と説得力を以って伝わってきた。彼はある意味で常に父のハワード・スタークの影にいた。そのことは『 アベンジャーズ 』でも『 キャプテン・アメリカ / シビル・ウォー 』でも明白だった。父と息子の対話というのは、母と娘のそれとは何かが異なる。そのことを非常に大げさに描き切ったものに『 プリンセス・トヨトミ 』があったが、今作におけるトニー・スタークは、息子、父親、夫、ヒーローとしての生を成就し、全うしたと言える。彼が娘にかける母親に関する言葉、妻にかける娘に関する言葉の簡潔にして何と深いことか。世の男性諸賢は彼なりの愛情表現に見習うところが多いのではないか。彼は社長という一面はなくしても、技術者としての顔は残していた。そしてヒーローとしても。思えば全ては『 アイアンマン 』のラストの記者会見での“I am Iron Man.”から始まったのだ。滂沱の涙がこぼれた。

 

ネガティブ・サイド

前作『 アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー 』で全世界の映画ファンが最も度肝を抜かれたのは、冒頭のロキの死亡と、ハルクがサノスとガチの殴り合いで完敗を喫したことだったのではないか。であれば、本作に期待するのはインクレディブル・ハルクの捲土重来がまず一つ。しかし、どうもそれが個人的にはイマイチだった。もちろん大きな見せ場はあるのだが、『 アベンジャーズ 』で“I’m always angry.”と不敵に言い放ってからのパンチ一撃でチタウリをKOしたインパクトを超えるシーンはなかった。

 

スカーレット・ウィッチとドクター・ストレンジの共闘も予想していたが、それもなかった。ヴィジョンは復活の対象ではないのだから、誰かがそこをスポット的に埋めるだろうと予想していて、それができるのはドクター・ストレンジだけだという論理的帰結には自信を持っていたがハズレてしまった。しかし、真面目な話、ヒーローが多すぎて見せ場が分散されすぎている。というか、キャプテン・アメリカの強さのインフレと、キャプテン・マーベルの素の強さがおかしい。生身のブラック・ウィドウはお役御免(トレーラーのような、射撃を練習するシーンはあったか?)、ホークアイも基本的には走り回る役というのに、キャプテン・アメリカのこのドーピング、優遇っぷりと、キャプテン・マーベルのストーンの運搬役には不可解さすら感じた。マーベルなら楽勝でストーン使用のインパクトに耐えられたのでは?

 

個人的にもうひとつピンと来なかったのはタイムトラベル理論。ブルース・バナーによれば、時間とは、小林泰三の短編小説『 酔歩する男 』の理論のようであり、また哲学者アンリ・ベルクソンの純粋接続理論のようなものでもあるらしいが、それはエンシェント・ワンが劇中で説明したマルチバース理論(と基にした因果律と多世界解釈)と矛盾しているように感じた。最大の謎は、なぜアントマン/スコット・ラングはタイムトラベル実験で年を取ったり若返ったりしたのか。時間の流れが異なる量子世界内をトニー・スターク発明のGPSを使って、時空間上の任意の点を目指すのがタイムトラベルであれば、トラベラー自身の年齢が上下するのは理屈に合わない。いや、それ以上にキャプテン・アメリカの最後の選択。それは美しい行為なのかもしれないが、論理的に破綻している。インフィニティ・ストーンを使って現在を修正し、その上で過去にストーンを戻し、過去の世界線はそのままに、現在の世界線もそのままに、そして人々の記憶や意識はそのまま保持する、というのはギリギリで納得がいくが、それもこれも全てを吹っ飛ばすキャプテン・アメリカの選択は美しいことは間違いないが、パラドクスを生んだだけのように思えて仕方が無かった。

 

総評

これはフィナーレであると同時に、新たな始まりの物語でもある。そのことは劇中のあちこちで示唆されている。しかし、それ以上に本作はトリビュートであり、様々な先行作品へのオマージュにも満ちている。そうしたガジェットを楽しむも良し、純粋にストーリーを追うことに集中しても良し、ここから先に広がるであろう新たな世界を想像するのも良し。連休中に一度は観ておくべきであろう。

 

そうそう、ポストクレジットの映像は何もない。トイレを我慢しているという人は、エンドクレジットのシーンで席を立つのもありだろう。しかし、映像はないのだが、興味深い音が聴ける。その音の意味するところを想像したい、という向きは頑張って座り続けるべし。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, クリス・ヘムズワース, ジョシュ・ブローリン, ヒューマンドラマ, ロバート・ダウニー・Jr., 監督:アンソニー・ルッソ, 監督:ジョー・ルッソ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

『 ハンターキラー 潜航せよ 』 -派手な潜水艦アクションは期待するなかれ-

Posted on 2019年4月25日2020年1月28日 by cool-jupiter

ハンターキラー 潜航せよ 65点
2019年4月25日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジェラルド・バトラー ゲイリー・オールドマン
監督:ドノバン・マーシュ

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『 アメリカン・アサシン 』のように、ちと欠点は抱えているものの、新時代の物語と評してよい作品である。米ロ(米ソ)の対立を描くに際して、北の海の下に潜水艦が蠢いているということは漫画『 沈黙の艦隊 』で描かれていた。あの漫画のようなスーパー潜水艦を期待してはいけない。だが、米ソ冷戦から時代は着実に移り変わっているのだと思わせてくれる作品である。

 

あらすじ 

ある時、ロシア近海でアメリカの原潜が消息を絶つ。撃沈されたものと推測された。米海軍は急きょ、ジョー・グラス(ジェラルド・バトラー)艦長率いる攻撃型原潜(ハンターキラー)を派遣するが・・・

 

ポジティブ・サイド

潜水艦映画の白眉は『 U・ボート 』や『 レッド・オクトーバーを追え! 』だろう。だが本作は、これらと同列に語るべきではない。何故なら舞台は潜水艦であっても、ストーリーの照準はキャラクターであるからだ。『 U・ボート 』のような濃密な船内生活の描写は無いし、『 レッド・オクトーバーを追え! 』のような重厚な心理戦も無い。本作は、国家という枠を超えたキャラクターたちのケミストリーにその魅力が凝縮されている。ある意味、『 ロッキー4 炎の友情 』のようなものなのだ。

 

ここでいうキャラクター達とは、二人の艦長、ジェラルド・バトラー演じるジョー・グラス艦長とミカエル・ニクビスト演じるアンドロポフ艦長である。ちなみにニクビストはスウェーデン人。こんなところもドルフ・ラングレンに通じるように思える。Rest in peace. You did a fantastic job portraying a seasoned veteran skipper.

 

Back on track. 本作は、国家という枠を壊そうとする者を、国家という枠を超えて信頼し合う者たちが食い止める物語なのだ。『 アメリカン・アサシン 』は国家が執行しようとする正義の姿が、幸か不幸か個人の復讐心と一致してしまったのだが、今作はロシア国防相によるクーデターをロシア大統領の側近とアメリカ人チーム、そして上述の二人のベテラン船乗りのタッグが防ぐ。潜水艦というのは、一度潜ってしまえば定期通信以外では海中深く隠密行動するのが基本で、まさに「将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり。」手練れの軍人にして人間味溢れる男が、副長の諌めを聞かず、ただひたすらに自らの信じる道を貫き通す様は清々しい。世のサラリーマンの今後あるべき姿、すなわち会社の名前ではなく、個の器、知識、技能、信用を基に雄々しく生きている姿がグラス艦長に投影されているからか、一頃クソ映画専門俳優として定着しかけていたジェラルド・バトラーも、本作で息を吹き返したのではないか。

 

潜水艦アクションを期待してはいけないのだが、その他のアクションはバッチリあるので、そこは期待してもよい。特に1980年代に少年時代を過ごした世代は弾幕とは薄いものであるという思い込みがあるのだが、本作はそんな固定観念を見事に打破してくれるシーンがある。手に汗握るシーンなので楽しみにしてほしい。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、本作に描かれるロシア軍人たちは、誰も彼もが少々間が抜けている。それは原作小説を映画用に大胆に書き変えた影響もあるからであろうが、それにしてもリアリティに欠ける。アンドロポフ艦長は優秀な軍人のようだが、それならば何故にアメリカ原潜にケツにぴたりと貼りつかれて気付かなかったのか。だいたい、ロシア軍には歩哨はいないのか。挟み撃ちという戦術はないのか。武器をくれと言って、銃を手渡されたキャラクターがその武器を使うシーンがほとんど無いのは何故か。

 

また撃ち殺すなら、きっちり撃ち殺す。そのために撃つべき箇所は限られている。だいたい映画で水に落ちる奴というのは死んでいないのだ。水に落ちるというのは、生死を不明にしたい時のclichéである。『 キングコング対ゴジラ 』から『 フレディVSジェイソン 』に至るまで、水に落ちる=まだ死んでいない、なのである。

 

その水関連で言えば、たった今まで寒中水泳していた男の髪の毛が濡れていないのはどういうわけか。『 ニセコイ 』か。その男たちのロシア潜入シーンは、『 ゴジラ(2014) 』や『 ミッション・インポッシブル フォールアウト 』にそっくりという有様。もっとこのあたりは練り上げることができたはずだ。潜水艦や駆逐艦のシーンばかり考えていて、こういったシーンの絵作りが疎かになっていたのだろうか。

 

おそらく編集中にカットされたのだろうが、グラス艦長とアメリカ海軍の通信シーンや、ロシア軍の捜索・索敵ミッションの一部がカットされているために、全体を通して物語を観た時に、「さっきのあれは結局どうなった?」と感じるシーンがいくつかある。こうしたところが本作の弱点として挙げられる。

 

総評

ド派手なアクションを期待してはいけない。アクションファンを唸らせるような出来ではない。しかし、新時代の軍人像を確かに描いており、そこに共感できる宮仕え人(要するにサラリーマン)なら、殊のほか楽しめるのではないか。大型連休にそこまでたくさんお金を使うことはないよ、という人は映画館で本作を鑑賞するのも選択肢かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, イギリス, ゲイリー・オールドマン, ジェラルド・バトラー, ヒューマンドラマ, 監督:ドノバン・マーシュ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ハンターキラー 潜航せよ 』 -派手な潜水艦アクションは期待するなかれ-

『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

Posted on 2019年4月21日2020年1月29日 by cool-jupiter

キングダム 75点
2019年4月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 橋本環奈 長澤まさみ 
監督:佐藤信介

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Jovianも毎週欠かさずYoung Jumpを買っては漫画『 キングダム 』を読んでいる。この映画化には心躍るのと同時に、一抹の不安もあった。大河ドラマ的なスケールでありながら、水戸黄門的なお約束チャンバラを適度に、しかしハイレベルに交えて一つのエピソードを描くとなると、それなりに手練れの監督が必要となる。『 曇天に笑う 』、『 BLEACH 』と剣戟乱舞はそれなり魅せるものの、肝心のストーリー部分で???とさせられた佐藤信介監督は、今回は及第点以上の仕事をしてくれた。

 

あらすじ

時は紀元前3世紀。場所は中国西方の大国「秦」。奴婢の信(山崎賢人)と漂(吉沢亮)は、剣の修行に励み、いつか天下の大将軍になることを夢見ていた。そんな時、漂が宮仕えに召し出される。立身出世の機と思われたが、その漂が殺されてしまう。漂の遺言の場所に駆け付けた信は、漂と瓜二つの少年、秦王嬴政と出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

 漫画の実写化において、キャラの再現性の高さは絶対にはずしてはならないポイントである。そこを微妙に外したのが『 ルパン三世 』であり、そこを絶妙に表現したのが『 銀魂 』だった。奇しくも両方とも小栗旬が主演。本作はどうか。

山崎賢人と信のシンクロ率:85%
吉沢亮と漂および政のシンクロ率:95%
橋本環奈と河了貂のシンクロ率:99%
長澤まさみと楊端和のシンクロ率:85%
大沢たかおと王騎のシンクロ率:80%
本郷奏多と成蟜のシンクロ率:90%

であった。つまり、かなり良い感じなのである。特に山崎賢人は、演技にもう少しメリハリが欲しいが、今作では脳筋的なキャラを演じ切れていた。信の魅力は一にかかってその純粋さ、ひたむきさ、そして直感的に本質を把握してしまう感性の鋭さにある。『 羊と鋼の森 』以来、「俺、かっこいいだろ?」的なキャラもこなせるようになってきた。今後の成長にも期待したいし、この信にはもう一度スクリーンで再会したいと思えた。

 

吉沢もやっと代表作たりうる役に巡り合えたのではないか。彼が出る映画はハズレ映画という私的ジンクスを払拭してくれた。原作の政のニヒルでいて、しかし熱量を内に秘めた若王を忠実に演じていた。まだまだ学ぶべきことは多いが、この調子で着実に実績を積み上げていけば高良健吾の後継者になれそうだ。

 

本作のチャンバラは『 るろうに剣心 』のそれを彷彿させる。もちろん、あちらは剣客漫画でこちらは戦争漫画なので、正式にはジャンルが異なる。しかし、『 スター・ウォーズ 』シリーズのようなファンタジー世界の殺陣ではなく、ジュラルミンの剣と剣とが響き合うお馴染みの世界での剣劇である。この剣の腕でのしあがろうとするところに歴史的なロマンがあり、なおかつそれが現代日本の社会状況とも大いに重なるところに、本作が今というタイミングで実写映画化された意義が認められる。

 

就職氷河期世代を「人生再設計第一世代」などと名称変更したところで何も変わりはしない。変えるべきは世代に付ける名前ではなく、社会の構造である。奴隷は何をやっても奴隷、奴隷の子も奴隷という『 キングダム 』世界の価値観をぶち壊してやろうという気概に満ちた信と漂の物語、過去の非を素直に認め謝罪し、それでも未来を力強く語る、そして「世界はそうあるもの」という固定観念を力でぶち壊してやろうという大望を胸に秘める政の眼差しは、現代日本への婉曲的なエールでもある。原作ファンも、そうではない人も、本作から何かを感じ取ってもらえれば幸いである。

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ネガティブ・サイド

キャラの再現度は高かったが、いくつか個人的にこれを省いてはならないだろうと感じていた要素が欠落していた。いくつか実例を挙げれば、楊端和の「一人十殺」、「一人三十殺」である。壁の「動かぬ!」も何故省いた。あれこそが壁の壁たる様式美だというのに。

 

その楊端和を演じた長澤まさみはアクションはそれほど得意ではなさそうだ。運動神経という点では土屋太鳳や杉咲花を抜擢するべきだったのだろうが、彼女らには山界の死王のオーラは出せない。それもあって、余計に楊端和のアクションシーンの貧弱さが目に付いてしまった。

 

また左慈とランカイの順番を入れ替えてしまったのは何故なのだろう。剣と剣の対決を最後に描きたかったのは分かるが、信というキャラの最大の魅力は剣力、剣腕だけではなく、その直感の鋭さなのだ。玉座にふんぞり返る成蟜に言い放つ「その化け物以外に誰もお前を体を張って守ろうとしない」という原作の台詞は、やはり省いてはいけなかった。

 

総評

『 BLEACH 』という駄作から見事なリバウンドを佐藤監督は果たした。原作ファンとして腑に落ちないところもあるが、映画的スペクタクルは十分に達成されているし、キャラクター再現度も高い。またBGMも各シーンにかなりマッチしていた。『 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 』は残念ながら続編政策の必要性は感じないが、本作は第二弾(蛇管平原?)、第三弾(馬陽防衛戦?)まで、しっかりと製作をしてほしい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 歴史, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

『 バンブルビー 』 -本家よりも面白いスピンオフ-

Posted on 2019年3月28日2020年1月9日 by cool-jupiter

バンブルビー 65点
2019年3月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ヘイリー・スタインフェルド ジョン・シナ
監督:トラヴィス・ナイト

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本家本元は『 トランスフォーマー 』、『 トランスフォーマー リベンジ 』、『 トランスフォーマー ダークサイド・ムーン 』の3つだけ観た。観れば観るほど面白さを失っていく作りで、マイケル・ベイにはいささか失望させられた。最後の2作はスルーさせてもらっている。しかし、Jovianが推しているヘイリー・スタインフェルドが主演とあらば、観ないわけにはいかない。

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あらすじ

時は1980年代。父の死を乗り越えられない孤独な少女チャーリー(ヘイリー・スタインフェルド)は、リペアショップから黄色のビートルを譲り受ける。しかし、それはサイバトロンの戦士B-127が姿を変えたものだった。チャーリーは記憶と声を失った戦士をバンブルビーと名付けた。種を超えた友情を育む二人。しかし、そこにディセプティコン達が現れ、チャーリーとバンブルビーは否応なく戦いに巻き込まれていく・・・

ポジティブ・サイド

トランスフォーマー映画の大きな弱点の一つに、巨大ロボットたちの肉弾戦に説得力がないことだった。金属生命体同士の激突に、質量が感じられないことが個人的には一番の不満だった。スケールは全く違うが、『 シン・ゴジラ 』でJovianが最も好きなシーンの一つは、第四形態ゴジラが踏みしめた脚を上げただけで、家屋がバラバラになって空中を舞うシーン。おそらく時間にして2秒ほどだが、これでシン・ゴジラの実在性、迫真性が大いに増した。ちなみに、そうした細かな描写がほとんどなく、怪物同士が激突するだけのCGI shit festに『 パシフィック・リム 』がある。トレーラーにもあり、本編でもかなり笑えるシーンの一つとして、バンブルビーがチャーリーの家のソファに座って、それを壊してしまうシーンがある。彼のお茶目さを表すとともに、ボットの質量を表現する重要なシーンでもあった。

バンブルビーというキャラの魅力付けにもぬかりは無い。声を無くした彼が、コミュニケーション手段としての音声を手に入れるシークエンスは、非常にノスタルジックだ。カセットテープにレコードと、昭和の終わりから平成の初めの頃を思い出す。80年代のヒットチューンも満載で、一定以上の年齢層には刺さるだろう。バンブルビーがビートルの姿で疾走するエキサイティングなシーンから、非常にコミカルなシーンまであり、彼が単なる金属生命体ではなく、使命感と責任感のある戦士であり、それ以上に非常に心優しい人間味のあるキャラクターであることが如実に伝わってくる。ガレージで微妙に絶妙にノリノリになっているバンブルビー、嫌なものは嫌だと断固拒絶するバンブルビーを、我々はどうしたって愛さずにはいられない。

バンブルビーが魅力あるキャラクターに仕上がったのは、チャーリー演じるヘイリー・スタインフェルドの演技に依るところも大きい。こじらせ女子を演じさせれば右に出る者が無いないのは『 スウィート17モンスター 』で証明済みだ。そうそう、スティーヴィー・ニックスの楽曲は本作でも聞こえてくる。おそらくヘイリーのfavorite singerなのだろう。お父さんっ子であり、元高飛び込み選手であり、遊園地の売店のパートタイマーであり、メカニックの卵でもある。単に孤独な少女なのではなく、生き場をなくし、それでも生き場を求める少女が、それをオートリペアショップの古ぼけたビートルに見出す様、そしてバンブルビーの名付け親になり、ある意味での育ての親になり、無二の親友になり、戦友になっていく様はビルドゥングスロマンである。今も昔もメカやコンピュータにのめり込むのは男の子だったが、それを女の子にするだけでドラマが明るくなるし、よりカラフルになる。

ジョン・シナはプロレスラーとしては同時期のカート・アングルやJBLに遥かに劣った。しかし、演技に関してはストンコやバティスタよりも上かもしれない。ただ、軍人以外のキャラを見ないことには何とも言えないが。

シリーズ全てを知らなくとも楽しめるようになっているし、シリーズを全て追っている人ならもっと楽しめるだろう。とにかく監督がマイケル・ベイでなければ良いのである。

ネガティブ・サイド 

チャーリーの隣人の男の子役はキャラが上手く固まっていないという印象を受けた。気になる女子に話しかけたいが、うまくいかない。だがそれはタイミングが悪いのであって、彼が話しかける時を弁えていないというわけではない。一方で、自分で自分に ”You’re not a nerd, You’re not a nerd, You’re not a nerd.” と言い聞かせるところからして、設定ではオタクらしい。にも関わらず、部屋に飾ってあるポスターは『 遊星からの物体X 』。だがこれはリメイクのそれ。ナードならオリジナルの方を貼っとけと言いたい。また部屋にあった姉のものだと言っていた化粧品らしき瓶の数々は何なのだ?一瞬トランスジェンダーか何かかと思ったが、それならチャーリーが好きなことが説明しづらい。このキャラが充分に立っていないというか、属性が不明なのが気になって仕方が無かった。

不可解なシーンはチャーリー絡みでもあった。ネタばれになるので詳細は書けないが、何故そこでバンブルビーにそんなことをするのだ、というシーンが存在する。チャーリーのメカニックの卵設定はどこへ行ったのだ?

総評

シリーズを全て観ていない者の感想なので、見落としているもの、見誤っているものがあるはずである。それでも、欠点よりも長所が目立つ作品である。バンブルビーという名前が与えられる瞬間もいい。Prequel作品として見れば『 ハン・ソロ スター・ウォーズウォーズ 』よりも上質である。 もしも黄色のビートルが良いなと感じられたら、Jovianの先輩、水沢秋生の実質的デビュー小説『 ゴールデンラッキービートルの伝説 』をどうぞ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, アメリカ, ヘイリー・スタインフェルド, 監督:トラヴィス・ナイト, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 バンブルビー 』 -本家よりも面白いスピンオフ-

『 キャプテン・マーベル 』 -モンタージュ的スーパーヒーロー映画-

Posted on 2019年3月21日2020年1月9日 by cool-jupiter

キャプテン・マーベル 50点
2019年3月16日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ブリー・ラーソン サミュエル・L・ジャクソン ベン・メンデルソーン
監督:アンナ・ボーデン ライアン・フレック

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Marvel Cinematic Universeを締めくくるべき作品たるエンドゲームの直前にリリースされることには大きな意味があるはずだ。実際にそのように予感していたし、開始直後にはおそらく映画ファン全員が最敬礼せざるを得ないような映像が展開されていく。しかし、映画そのものとしてはどこか物足りなさも残った。

あらすじ

過去の記憶を思い出せないヴァース(ブリー・ラーソン)は地球ではない惑星ハラで訓練に明け暮れていた。超人工知能サプリーム・インテリジェンスにより任務を与えられたヴァースは、変身能力を持つ敵スクラルを追ううちに、地球にやって来てしまう。そこで出会ったニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)やフィル・コールソンらと共に、ヴァースは自らの真の姿に目覚めていく・・・

ポジティブ・サイド

『 アベンジャーズ 』世界だけではなく、『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー 』の世界とも密接につながっている。Marvel Cinematic Universeのファンならば、映画のそこかしこに様々なガジェットが仕込まれていることに思わずニヤリとさせられること請け合いである。現実世界とのリンクで言えば、ヴァースが地球に落ちてくるのは、今は亡きvideo rental store界の覇者、Blockbusterなのである。Netflixの出現によって僅か一年ほどで潰されてしまった悲劇の巨大チェーンで、日本ではTSUTAYAが全く同じような苦境にあると言える。最も古いヒーローでありながら、最も新しいヒーローなのでもあるということを象徴するようなシークエンスである。

閑話休題。本作で最もMCUファンが喜ぶのは、若きニック・フューリーよりも、エージェント・コー○ソ○なのではあるまいか。Jovianは近年では、トレーラーやパンフ、公式サイトなどはほとんど見ずに映画館に乗り込むことにしているので、彼の登場を示唆する情報もあったのかもしれないが、これは嬉しい不意打ちであった。

また、本作においてもデジタル・ディエイジング技術のポテンシャルが大いに発揮された。サミュエル・L・ジャクソンが若返った。『 パルプ・フィクション 』の頃よりも若い。これは凄い。この技術が更なるブレイクスルーを経れば、『 ブレードランナー2049 』のレイチェルをもっとリアルに、さらにもっと低予算で生み出せるのだろうか。映画の新たな可能性の地平を切り拓くこの技術の更なる革新に期待をしたい。

ネガティブ・サイド

本作の戦闘シーンはド迫力である。しかし、残念なことに、そこに真新しさは無かった。これは痛い。本作を見れば、『 ターミネーター 』、『 スーパーマン 』、『 X-MEN 』、『 バットマン 』、『 インディペンデンス・デイ 』、『 マトリックス 』、『 スター・ウォーズ 』、『 プレデター 』、『 ブレードランナー 』、『 ステルス 』、『 トップガン 』、『 メン・イン・ブラック 』などの構図やシーンをどうしても思い浮かべずにはいられない。いや、それだけなら『 アクアマン 』におけるアクションシーンも似たようなものである。だが、本作には漫画的な面白さ、つまりはコミカルさが非常に乏しい。『 アクアマン 』では、これまで世界の誰もやらなかった(少なくともJovianの知る限りでは)ビームを発射するサメという糞アイデアが実現されたし、タコが八本脚でドラムを叩きまくるという漫画そのものでしかないシーンも盛り込まれた。こうしったシーンには我々は笑うしかない。苦笑ではない。爆笑するのである。

しこうして、本作が担うべきコミカルさはどこにあったのか。何故こんなところで『 寄生獣 』を見せられねばならんのか。ギャグが合う合わないは普遍性ではなく、個人の個別性に依るものだが、これは面白くない。GoGのロケットにインスパイアされたのかもしれないが、もっとリアリティを出してほしい。

記憶喪失ものというのも、そろそろジャンルとして限界に近付いているのではなかろうか。『 トータル・リコール 』以来、我々は失われた記憶が戻った時、世界の意味が反転するという経験を厭というほど映画世界で体験してきた。ここにも、もっと別のアイデアや味付けが必要だったはずだ。『 アクアマン 』が「あいの子」という現代的、グローバル的な意味でのメッセージを持っていたのに対し、本作は普通に陳腐で凡庸なアクションヒーロー映画という枠をブチ壊すことはできなかった。『 アベンジャーズ/エンドゲーム 』への導入以上の意味が薄かった。それが悔やまれるところである。


もう一つ、ニック・フューリーの眼帯の謎も解き明かされるが、これも拍子抜けするような事情である。漫画『 ろくでなしBLUES 』の武藤のそれとほとんど同じである。まさかそんなものをパクったりはしていないだろうが、このやっつけ仕事ぶりには落胆させられた。 

総評

弱点も多いが、単なるアクション映画として見ればエンターテインメント大作にして一大スペクタクルである。MCUファンなら間違いなく観ねばならない。ただし、MCU映画のつなぎ目的な意味以上が見出しにくい映画でもある。コアな映画ファンは劇場に行くに当たっては、「ドンパチ派手派手アクション映画でも観に行くか」という割り切りが必要であろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, サミュエル・L・ジャクソン, ブリー・ラーソン, 監督:アンナ・ボーデン, 監督:ライアン・フレック, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 キャプテン・マーベル 』 -モンタージュ的スーパーヒーロー映画-

『 アリータ バトル・エンジェル 』 -2Dでも3D的ビジュアル効果!-

Posted on 2019年2月27日2019年12月23日 by cool-jupiter

アリータ バトル・エンジェル 80点
2019年2月23日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ローサ・サラザール クリストフ・ワルツ マハーシャラ・アリ エド・スクレイン
監督:ロバート・ロドリゲス

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日本のSF漫画でスクリーン映えするだろうものは、『 AKIRA 』、『 BLAME! 』、『 攻殻機動隊 』だと思っていた。皆、映像化された。そこへ満を持して『 銃夢 』である。日本の漫画界最後の戦闘美少女である。期待せずにいらりょうか。Don’t get your hopes up because that’ll spoil a movie! そんなことは分かっていても、やはり期待する。そして、その期待は裏切られなかった。

あらすじ

時は26世紀。火星連邦共和国との“没落戦争”が終結して300年。唯一残った空中都市ザレムと、その直下のアイアンタウン。ある日、Dr.イド(クリストフ・ワルツ)がザレムから落とされるスクラップを漁っていたところ、脳と心臓がまだ生きているサイボーグの頭と胴体を見つけてしまう。新たなボディを与えられた“彼女”は記憶を失っていたが、アリータを名付けられ、徐々にアイアンタウンに馴染んでいく。しかし、ある時、殺人事件が発生し、さらにイドの様子に不審なところがあり・・・

 

ポジティブ・サイド

ガリィではなくアリータだが、いきなりアリータでも良いだろう。ファイナルファンタジーⅥのティナも、英語版ではTerraになっていた。そして、ここでも20th Century Foxのロゴがオープニングから一気に映画の世界に我々を引きずり込んでくれる。ゆめゆめ見過ごすことなきよう。こうした『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』から続く、ロゴいじりは是非とも続けて欲しいトレンドである。

 

本編について何よりも驚かされたのが、2Dで鑑賞したにもかかわらず、3Dを見たかのような印象が強く残ったことである。また、トレイラーの段階では、アリータの目の異様な大きさに、いわゆる「不気味の谷」現象を感じていたが、本編が進むにつれ、アリータに不自然さを感じなくなり、ある時点からは可愛らしいとさえ感じるようになった。製作指揮のジェームズ・キャメロンは、『 エイリアン2 』や『 ターミネーター 』シリーズ、そして『 アバター 』など、人と人なるざる者との関係を描かせれば天下一である。その彼の芸術的な感性と、マチェーテ映画を手掛けてきたオタク監督(と見なして差し支えないだろう)のロバート・ロドリゲスの感性が見事にマッチして生み出されたアリータは、モーション・キャプチャ-とアニメと実写の幸福なマリアージュである。

 

それにしても最近の技術の進歩は凄まじい。『 アントマン&ワスプ 』におけるマイケル・ダグラスやミシェル・ファイファー、『 アクアマン 』におけるウィレム・デフォーなど、デジタル・ディエイジング技術の進化とその応用が著しい。ターミネーターの新作でもシュワちゃんおよびリンダ・ハミルトンが若返るのだろうか。しかし、モーション・キャプチャ-によるフルCGキャラクターというのは、『 シン・ゴジラ 』のゴジラ、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』および『 スター・ウォーズ/最後のジェダイ 』のマズ・カナタがいるが、これらは人間ではなくクリーチャー。そして、アリータは人間ではないがクリーチャーではない。サイボーグである。そこに最先端CGを施すことで、これほど「生きた」キャラクターが生み出されるということに感動すら覚えた。『 ゴースト・イン・ザ・シェル  』の草薙素子がスカーレット・ジョハンソンによって演じられたことが一部(主に日本国外)で典型的なホワイトウォッシュだとして問題視されたが、5年後には少佐がこの技術を使って再登場してくるかもしれない。それほどのポテンシャルを、アリータというキャラのCGの美麗さとリアルさから感じた。

 

戦闘シーンおよびモーターボールのシーンは圧倒的な迫力と説得力である。しかし、それよりも光るのはアリータが、いわゆる戦闘美少女として覚醒する前に、アイアンタウンでオレンジを食べるところであろうか。これは『 ワンダーウーマン 』がアイスクリームの美味しさに感動し、『 アクアマン 』でメラが花をむしゃむしゃとやったように、これだけでアリータの可愛らしさを描き切ってしまった。人が萌え(死語なのだろうか?)を感じるのは、そこにギャップがあるからなのだ。続編も期待できそうだ。いや、絶対に製作されねばならない。

 

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ネガティブ・サイド

ヒューゴがアリータを300年前の没落戦争の遺物であることを知った明確な描写は無かったはず。にもかかわらず、何故そのことをナチュラルに知っているかのような流れになっていたのだろう。ちょっとした編集ミスなのか?それとも何か見落とすか聞き逃すかしたのだろうか(そんなことはない筈だが・・・)。

 

人間が機械の身体を持つことに抵抗を感じない世界というのは、『 銀河鉄道999 』を読んできた我々には分かる。しかし、2019年という今の時代、AIが社会の様々な場面で実用化されつつあり、またロボティックスも長足の進歩を遂げつつあるこの時代と、アリータの時代をつなぐ描写がほんの少しで良いので欲しかった。

 

総評

近いうちに、3DまたはIMAXでもう一度鑑賞したい。MX4Dや4DXも、吹替えではなく字幕なら、是非トライしてみたい。『 シドニアの騎士 』の映画化も見えてきたかと、映画を観終わって、感想よりも次の鑑賞や更なる別作品の映画化を夢想するなど、これほど浮き浮きしたのは久しぶりである。早くこのバトル・エンジェルと再会したい!

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, SF, アクション, アメリカ, エド・スクレイン, クリストフ・ワルツ, マハーシャラ・アリ, ローラ・サラザール, 監督:ロバート・ロドリゲス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 アリータ バトル・エンジェル 』 -2Dでも3D的ビジュアル効果!-

『 アクアマン 』 -暗くないDCヒーロー爆誕!-

Posted on 2019年2月17日2019年3月21日 by cool-jupiter

アクアマン 75点
2019年2月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジェイソン・モモア ニコール・キッドマン アンバー・ハード ウィレム・デフォー
監督:ジェームズ・ワン

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DCユニバースの顔と言えばバットマンにスーパーマンだった。バットマンは、怪人リドラーとかMr.フリーズのあまりのインパクトに目が曇らされそうになるが、基本的にはゴッサムの街もバットマン/ブルース・ウェインの心の在り様も非常に暗いものだった。スーパーマンにしても、クリストファー・リーヴverのものも、シリーズが進むにつれてトーンは暗くなっていった。ワンダーウーマンにしても同じで、パラダイス島を出てからは、やはり暗い。そこにアクアマンがやってきた!暗くないDCヒーロー!これを我々は待ち望んでいたのではなかったか。

あらすじ

灯台守と海底人の王女の間に生まれたアーサー・カリー。彼はそのスーパーヒーローとしての力を使って、海で悪事を働く者たちを成敗していた。しかし、海底人たちが地上世界の支配を目論み、侵攻を始めようとしていた。地上と海底の二つの世界の戦争を止められるのは、両方の世界の人間の血を引くアーサーしかいない!アーサーは真の海底人の王となって、戦争を止められるのか・・・

ポジティブ・サイド

本作は完全に漫画である。元々がアメコミなのだから当然と言えば当然だが、漫画の「漫」の字には

①みだりに。とりとめがない。「散漫」「放漫」
②そぞろに。なんとなく。「漫然」「漫遊」
③ひろい。「漫漫」「爛漫(ランマン)」
④みなぎる。一面に広がる。「瀰漫(ビマン)」
⑤こっけいな。「漫画」「漫才」

 (漢字ペディアhttps://www.kanjipedia.jp/kanji/0006588000より)

以上のような意味がある。本作は驚くべきことに上の全ての特徴を備えている。一部はネガティブ・サイドに回るべきなのだろうが、話にとりとめがなかったり、フォーカスが合っていなかったり、スケールがとにかく大きかったり、パワーが漲っていたり、容赦のないギャグを放り込んできたりもする。それは漫画的な面白さなのだ。長期連載漫画などは、しばしばサブプロットが大きくなってしまったり、または伏線の回収を忘れてい(るように見え)たりすることがある。それが短ければ1時間半、長くても2時間半の映画の世界でも起こるということに、良い意味でも驚かされた。

まず、プロットからして漫画というか、原作者は和月伸宏なのかと見紛うほどに間テクスト性に溢れている。先行テクストとして挙げられる、または考えられるのは『 インディ・ジョーンズ 』シリーズ、『 ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』、『 エイリアン2 』、『 スター・ウォーズ 』シリーズ、『 ワンダーウーマン 』、『 バトルシップ 』、『 タイタンの戦い 』、『 ジュピター 』、『 センター・オブ・ジ・アース 』、『 キングコング 髑髏島の巨神 』、『 宇宙戦争 』、『 パーフェクト・ストーム 』、『 トランスポーター 』シリーズ、『 トランスフォーマー 』シリーズ、『 マトリックス 』シリーズ、『スーパーマン リターンズ 』などであろうか。こうした仕掛けをオリジナリティの無さと見るのは容易い。しかし、独創性を追求するあまり、意味が分からないものを作ってしまうのは、映画だけではなく、例えば料理の世界でもよくあることだろう。それならば、すでに味が分かっているもので、フルコースを作った方が賢明であるとの論理も成り立つ。ジェームズ・ワンはそのように考えたようだ。

まず冒頭の潜水艦のシーンからして、同じDCの先輩、スーパーマンの『 スーパーマン リターンズ 』の飛行機のシーンと構図としては全く同じである。さらに名前が示す通り、アーサー王物語を現代風に、そしてギリシャ神話風に換骨奪胎している。また魔術師マーリンにあたる役をウィレム・デフォーに割り振るという大胆な采配。カラゼンという海の化け物は名前もビジュアルもまんまクラーケン(ハリーハウゼンが粘土で作ったものではなくCGの方)。こんなのは序の口で、とにかくどこかで見たり聞いたりしたことのある物語要素がてんこもりなのだ。しかし、それが面白さを損なわない。逆に一定水準以上の面白さを担保しているのだから興味深い。

ユーモアの面でも魅せる。ワンダーウーマンことダイアナはアイスクリームの美味しさにほっぺたが落ちそうになった。今作のヒロインのグィネヴィア・・・ではなくメラは、地上の花に関心を示す。ここでのアーサーの反応は面白い。地上人としてはどうかと思うが、地上と海底、両方の世界に属す人間としての「らしい」リアクションを見せてくれる。笑ってよいシーンだが、笑いとは自分と対象の間に距離があることから生じる反応だ。これこそが、ある意味では本作のテーマであるとも言える。

劇中でアーサーはしばしばHalf-breedなる言葉で表現される。「あいの子」とでも訳すべきだろうか。純血主義を否定はしないが、純血を保つことを教条化してしまうと、現実の世界の変化に対応できなくなる。まるでどこかの島国の現状のようである。いわゆるハーフ、もしくはミックスというべきか、混血児はしばしば異能を示す。大坂なおみ然り。アクアマンはこれまでにいそうでいなかった、人間と人間でない者を親に持つ半人間のスーパーヒーローなのだ。まさに今という時代に現れるべくして現れたヒーローと言える。

また彼の母アトランナを演じるニコール・キッドマンについては【 73 Questions With Nicole Kidman 】というYouTube動画を先に観ておくことで、より深みを見出せるようになる。特に母親であることについて最も素晴らしいこと、最も難しいことについての彼女の答えを意識してみれば、本作の見方が少し深まるはずだ。

水中のシーンでは三次元的カメラワークが冴える。ある意味、宇宙と同じ無重力的空間でのチェイスやバトルをこれほど漫画的に映し出してくるとは思っていなかった。4DXまたはMX4Dでも観てみたいと純粋に思わせてくれる。とにかく色々なものがジェットコースター的なのである。

ネガティブ・サイド 

カラゼンがトライデントを守り続けること1000年とはどういうことなのだ。アトランティスが沈んだのは11000年以上前のはずだ。また、アーサーの年齢はどうも20歳らしいが、ジェイソン・モモアに20歳役はかなり苦しい。ここらへんの数字の齟齬がどうしても気になってしまった。

あとは兵隊サメか。ハリウッド映画に出てくるサメが何をしても、もう我々は感覚がマヒしているというか、驚くはずがないと思っていたが、こんなサメを出してしまうとは・・・ 夏の風物詩の糞サメ映画に燃料を与えてしまったのか、それとも貴重な糞アイデアを奪い取ってしまったことになるのか。その答えは今年の夏以降に分かるだろう。おそらく後者だと思うのだが。

総評

ジェームズ・ワンってホラー映画作ってるんでしょ?という認識の人は What a pleasant surprise! となるだろう。とにかくヒーローがアドベンチャーしてアクションしてSFしてロマンスする映画だと思って観るべし。ファミリーで観に行ってもいいし、付き合い始めて日が浅いカップルのデートムービー、または気になる女子をデートに誘う口実にも使いやすい健全な娯楽映画でもある。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, ジェイソン・モモア, 監督:ジェームズ・ワン, 配給会社:ワーナー・ブラザーズ映画Leave a Comment on 『 アクアマン 』 -暗くないDCヒーロー爆誕!-

『 ボーダーライン ソルジャーズ・デイ 』 -受け継がれていくシカリオの系譜-

Posted on 2018年11月21日2019年11月23日 by cool-jupiter

ボーダーライン・ソルジャーズ・デイ 65点
2018年11月18日 大阪ステーション占め間にて鑑賞
出演:ベニシオ・デル・トロ ジョシュ・ブローリン イザベラ・モナー
監督:ステファノ・ソッリマ

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脚本家のテイラー・シェリダンは、常に境界(ボーダー)や周辺(マージン)に問題意識を抱いている。そのことは『 ウィンド・リバー 』や前作『 ボーダーライン 』でもお馴染みである。それでは、今作は何と何の境界にフォーカスし、何の周辺に意識を向けているというのか。その一つが正義の概念であることは間違いないが、暗殺者の持つ人間性と非人間性の境界もテーマであることは疑いようがない。

 

あらすじ

アメリカ国内で数人が大型店舗で同時に自爆するというテロ事件が発生。CIA特別捜査官マット(ジョシュ・ブローリン)は、犯人たちがメキシコ経由でやってきたという情報をキャッチ。メキシコ国内の麻薬カルテルの大ボスの娘を誘拐し、それを密入国斡旋カルテルの仕業に見せかけ、両者の衝突と弱体化を画策する。その計画実行のために、家族を麻薬カルテルに殺された暗殺者にして旧知のアレハンドロ(ベニシオ・デル・トロ)と再び手を組むマットだったが・・・

 

ポジティブ・サイド

暗殺者アレハンドロの新たな一面。これは賛否両論が生まれるだろうが、Jovianはポジティブに捉えたい。家族を殺されたことは前作『 ボーダーライン 』で触れられていたが、その娘の持っていた特徴、さらにそれに対処する為にアレハンドロが持っていた技能。これがアレハンドロに人間味を与えている。その時、血も涙も捨てたはずだったアレハンドロの胸に去来した思いは何だったのか。父であることを思い返したのだろうか。とあるシーンで孤高の暗殺者らしからぬ狼狽を見せるのだが、我々はそれを見て大いに困惑する。しかし、家族の元に旅立っても良いはずのシカリオが新たに生きる意味や目的を見出したとすれば、それは何であるのか。それを見届けなくてはならないと思わせるエンディングが待っている。

 

捜査官のマットも渋い。というか、崇高なる目的の達成のためなら人権はゴミ、人命はクソのように扱う男が、言葉もなく打ちひしがれるシーンには少し胸が痛んだ。自らの正義の正統性を証明しようとすることもなく、政府の職員でありながら政権批判を平気で繰り広げる男も camaraderie を感じるのだ。人と人とのつながりの強さの源は血なのだろうか。それは同じ血を分け合うことで生じるものなのだろうか。それとも同じ場所で同じように血を流すからこそ生まれるものなのだろうか。前作とは打って変わって、主要キャラクターの人間性を深堀りしようとしたところに面白さがある。そこを期待しないファンも一定数いるのは間違いないだろうが。

 

本作は、アメリカの追求しようとする正義の基盤を根底から揺るがすような展開を見せる。といっても、実はたいしたことではなく、冒頭でテロを犯した者たちはホーム・グロウンのテロリストだったということだ。そんなことは世界中のだれでもが知っている。没落の途にある先進国では、国民が国籍だけを根拠に自らを正義、そうでないものを悪と決め付ける傾向が見られるようだ。フランス然り、アメリカ然り、極東の島国然り。アレハンドロやマットの思想や行動には、国というものに縛られない強さがある。アレハンドロはコロンビア人だし、マットはアメリカ人ながらアメリカ政府の命令には素直に従わない。国と国を隔てる国境線が正義の境界を象徴していた前作から、自らの属する国や集団を超越したところに個の存立を見出し、行動していくマットやアレハンドロの人間力は、見習いたいとは決して思わないが、尊敬に値する。

 

父親としての側面を強く打ち出したアレハンドロは、おそらく次回作では更なる人間性を発露させるのだろう。それが凶暴で非情で、しかし、激しい愛情に裏打ちされらものになるであろうことは想像に難くない。テイラー・シェリダンの脚本に大いに期待をしたい。

 

ネガティブ・サイド

前作の絵作りと音楽があまりにも良かったせいか、場外オームランの後に普通のホームランを見てしまうと、物足りなくなってしまうようなものか。市街地でありながらメキシコの暗部というか、無秩序を内包した街の光景と、物々しさと恐怖感を与えてくる破壊的なBGMの幸せな結婚関係は、今作では解消されてしまった。In memory of Jóhann Jóhannsson。白い粉のoverdoseとは・・・

 

照りつける太陽、かつてアステカと呼ばれた大地、地平線。美しい絵ではあるが、どこか主題に合わない。赤外線暗視スコープ映像を用いることで、人間を非常に無機質なものとして描き出した前作のような手法も用いられず。このあたりは監督のテイストの問題でもあるので、それを減点対象にするべきでもないのだろう。

 

本作の最大の弱点は、ストーリー中盤でのとあるツイストにあるのだが、その展開が少し弱い。ここでそう来るか、と思わせるタメがあまりにも作為的で、観ている側としては容易に「おかしい、何かがあるに違いない」と身構えてしまう。スパイ映画の構造をそのまま拝借してきたようで、芸が無かった。

 

本作が全体的にややサスペンス不足になるのは、一重にカルテル同士の対立・抗争に重みが無いからだ。麻薬カルテルの恐ろしさは前作で知った。しかし、密入国ビジネスの斡旋カルテルはどのような力=金を持ち、どれだけの警察を飼いならし、どれだけの重火器を所有しているというのか。そのあたりは数分でよいので描いてくれていれば、ボスの娘の誘拐劇にもっとスリルが生まれたであろうに。

 

総評

前作ほどの衝撃は残念ながら無い。それでも意外な展開あり、序盤の前振りが終盤に向けて華麗に収束する展開あり、またイザベラ・モナーという若きタレントとの邂逅ありと、観て損はないような出来に仕上がっている。正義と悪、秩序と混沌、人間と獣性、様々な対立を映し出しながらも、それら対立の境界が模糊になっていく。しかし、マットやアレハンドロ、その他の魅力的なキャラクターらが紡ぎ出せるであろう更なるドラマに今後も期待ができそうである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, アメリカ, サスペンス, ジョシュ・ブローリン, ベニシオ・デル・トロ, 監督:ステファノ・ソッリマ, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ボーダーライン ソルジャーズ・デイ 』 -受け継がれていくシカリオの系譜-

『 ヴェノム 』 -独創性を産み出せなかったダークヒーロー-

Posted on 2018年11月12日2019年11月22日 by cool-jupiter

ヴェノム 45点
2018年11月8日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:トム・ハーディ ミシェル・ウィリアムズ リズ・アーメッド
監督:ルーベン・フライシャー

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『 スパイダーマン3 』でかなり唐突に現れ、かなりアッサリと倒されてしまったヴェノムのスタンド・アローン映画である。その人気の高さから『クローバーフィールド/HAKAISHA 』は、ヴェノム誕生の前日譚なのではないかとの揣摩臆測も呼んだ、ヴィラン(?)・・・というか、悪役生物である。MCU(Marvel Cinematic Universe)において特異な位置を占めるスパイダーマン、そのスパイダーマンの一番の宿敵ヴェノムをフィーチャーするのだから、期待が高まらないはずはない。が、本作は正直なところ、かなり微妙な出来である。本国アメリカではかなり酷評されているため、ポイント鑑賞でチケット代を節約させてもらった。

 

あらすじ

エディ(トム・ハーディ)は持ち前の正義感、行動力、そして舌鋒の鋭さで社会問題に鋭く切り込む売れっ子ジャーナリストだった。しかし、恋人にして弁護士のアン(ミシェル・ウィリアムス)のEメールを盗み見たことから、天才科学者のドレイク(リズ・アーメッド)率いるライフ財団に「人体実験で死者も出しているのではないか」と切り込んでいく。それをきっかけにアンとは破局、仕事でもクビを宣告されるが、財団からの内部通報者の協力を得て取材を続けるうちに、自身も謎の宇宙生物シンビオートに寄生されてしまう・・・

 

ポジティブ・サイド

トム・ハーディが硬骨のジャーナリスト役がハマっているし、寄生され始めた段階でのクレイジーな行動の数々を、コメディとシリアスタッチの境界線上を行くような絶妙のバランス感覚で演じている。エディという役を、序盤に関しては巧みに表現できていた。

 

悪役のリズ・アーメッドも良い味を出している。無表情のまま、サラリと冷酷極まりないことを口にしたり、いきなり声の調子を変えて恫喝してくるところなどは、インテリやくざを思わせる。マッド・サイエンティストの代表例とも言える死の天使ヨーゼフ・メンゲレよろしく、自らの信ずる道のためならば、人命など鴻毛の軽きに等しいと考えるタイプの科学者で、非常に分かりやすい悪玉である。見ただけで、「なるほど、コイツが倒すべき敵なのだな」と素直に予感させてくれる存在感に I’ll take my hat off.

 

残念なのは、その他の要素(監督、脚本、撮影)にはあまり感銘を受けられなかったところ。もしもヴェノムをフルCGではなく、一部でもよいのでオーガニックな手段で表現できていれば、各キャラクターにもっと血肉が通ったであろうに・・・

 

ネガティブ・サイド

まず言えることは、かなり多くの日本の映画ファンが『 寄生獣 』を思い浮かべただろうということ。特にヴェノムが右腕の先っぽから顔を出すシーンは、ミギーへのオマージュのように思えてならなかった。同時にまさしくそのシーンのヴェノムは『 エイリアン 』のゼノモーフの頭の形も模しており、これもオマージュと捉えるべきであろう。何らかのエイリアンを描くとき、H・R・ギーガーおよびリドリー・スコットの影響から完全に逃れることは難しいのである。問題はオマージュではなく、その先にあるべきはずの独創性がなかったことである。

 

まず冒頭の探査機の地球帰還シーンからして『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』のオープニング・シークエンスと丸かぶりしているし、寄生生命体のシンビオートの寄生前の状態は『 ライフ 』のカルビンをかぶっている。またアクションシーンの山場の一つである、バイクで車の追跡を振り切ろうとするシーンはバットマンを想起させる。とにかくやたらとパッチワーク的な作りになっていて、ヴェノムという魅力的であるはずのキャラクターがどうにも陳腐に映ってしまう。

 

問題はアクション関連のシークエンスだけではない。天才であるはずのドレイクが宇宙探査や外宇宙への移住を目指すのはよい。が、その手段が宇宙生命体との共生???シンビオートが寄生によって地球という好気性の環境に適応するというのなら、人類が何らかの系外惑星なり系外衛星に住むとなった時、真っ先に考えるべきは寄生ではないのだろうか。共生(synbiosis)は基本的に長い時間を経た上で構築される進化論的帰結である一方、寄生は常に一方通行の片利的な関係として起こりうるからだ。これがカイチュウやサナダムシならまだ救いがあるが、脳や神経系に巣食う生物となると洒落にならない。だが、現実的に宇宙に生存できる可能性を求めるとなると、人類が寄生する側にまわるほうがリアリティがあると思うのだが・・・

 

本作の最大の弱点というか欠点は、ヴェノムの回心のプロセスが不透明であることだ。エディに備わっている人並み外れた正義感であるとか、アンへの一途な想いの強さであるとか、相手の社会的地位で態度を変えない公平性であるとか、シンビオートがエディから受ける有形無形の影響をもっと鮮烈に描くべきだった。異色のダークヒーローにして一心同体バディ(buddy ○ body ×)の誕生が、単に寄生してみたら相性が良かった的に描くのは、はっきり言って手抜きではないか。このあたりを追求しないことには、単なるB級SFアクションの一派生作品にしかならない。

 

総評

これから観に行くつもりの方には、MUC有数の人気ヴィランを鑑賞しに行く!という強い気持ちを持たないように注意喚起をしたい。ちょっと暇とカネがあるので『 スーサイド・スクワッド 』の亜種でも観に行ってみるか、ぐらいの気持ちで臨むのが正しい。ただし、『 恋は雨上がりのように 』のあきらのような『 寄生獣 』の熱心なファンであるならば、時間を作って、お近くの劇場へGoである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, トム・ハーディ, ミシェル・ウィリアムズ, リズ・アーメッド, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ヴェノム 』 -独創性を産み出せなかったダークヒーロー-

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