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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 青春

『 ブラック校則 』 -常識を疑え、行動せよ-

Posted on 2021年1月7日 by cool-jupiter

ブラック校則 70点
2021年1月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:モトーラ世理奈 佐藤勝利 高橋海人
監督:菅原伸太郎

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縁あって大阪や奈良の高校で英検やTOEICの対策講座を受け持たせて頂いているが、校則というのは学校によってまちまちである。象徴的なのはスマホの扱いだろう。学校に入った瞬間からスマホ禁止、朝のホームルームでスマホを没収する本作さながらの高校もあれば、休み時間は使用OKの学校、放課後になれば校内でも使用可能な学校など様々である。スマホ使用の是非はさておき、スマホを禁じる校則に納得している高校生には、Jovianはまだお目にかかったことが無い。

 

あらすじ

校門で生徒の髪型や服装のチェックに余念がない教師たちを疑問に感じていた創楽(佐藤勝利)は、希央(モトーラ世理奈)という同級生に一目惚れしてしまう。しかし、希央は栗色の髪を黒く染めるようにと指導されていた。希央には地毛証明書が出せないある事情があったのだ。不登校になった希央を救うため、創楽は親友の中弥(高橋海人)とともに、ブラック校則打破のため立ち上がるが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 風の電話 』で存在感を発揮したモトーラ世理奈が、本作でも変わらぬ存在感を見せつける。別に台詞が多かったり、大仰なアクションを演じるわけではない。その逆で、希央が何か長広舌を振るったり、キャットファイトをしたりするシーンなどは存在しない。ほとんど全編を通じて、ただ静かに場面に溶け込んでいるだけで、これほどの存在感を発揮する10代はそれほど多くないだろう。普段が能面のように無表情なため、ほんのわずかに笑っただけでとびっきりチャーミングに見える。生まれながらの美少女には決して出せない魅力が、モトーラ世理奈にはある。今後さらに数多くの作品に出演してほしいものである。

 

生真面目な創楽と脱力系の中弥のコンビも、若手ジャニーズとは思えない演技力。滝沢がトップになったことでルックスやトーク、歌やダンスよりも演技力重視になってきたのだろうか。青春ドラマにありがちな順調な滑り出し、快調に物事が進んでいくが、しかし・・・という展開にならない。最初こそ勢い良く立ち上がったものの、主役とその親友がはっきり言って優柔不断の役立たずである。これはなかなかにユニークな物語である。この主人公、本当に情けない。エアギターから虚しさのあまり叫び出し、そこをかなり年の離れた妹の口撃でコテンパンにされてしまう。クラスでもカースト上位ではなく、かといって下層でもなく、という位置づけ。本人はかなりのハンサムボーイだが、表情の暗さや立ち居振る舞いが負のオーラを醸し出している。監督の演出か、それとも本人の演技力によるものなのか。モトーラ世理奈に恋焦がれるなら、イケメン高校生ではなく、こうした等身大の高校生でないと駄目だ。そうした意味で、佐藤勝利をキャスティングした時点で本作は半分は成功している。

 

その他にもほっしゃん演じる体罰教師は、Jovianの中学にいた某教師と雰囲気や言動がそっくりで、ちょっと引いた。今でこそ暴力教師、あるいは生徒から教師に対する暴力がカメラに撮られ、すぐにネット上で拡散してしまうが、20年前、30年前は『 ぼくらの七日間戦争 』の大地康雄や倉田保昭の演じた教師、本作の手代木のような教師が実際に存在したのである。本作は現在の10代よりも、30代や40代こそがリアリズムを感じられる作品なのかもしれない。

 

校内でスマホを禁じられ、その他の校則でがんじがらめにされた生徒がどうなるのか。Jovianは落書きとその連鎖に痛く感じ入った。書かれている内容こそ違えど、これはまさに中井拓志の小説『 quarter mo@n 』そっくりではないか。生徒から何かを奪っても、彼ら彼女らはその代替を見つけるものだ。『 quarter mo@n 』はある意味で時代を先取りしすぎた作品である。1999年刊行の書籍だが、ぜひ令和の若者にも読んでもらいたい。こうしたネット黎明期の作品に面白さを感じる向きは奥泉光の『 プラトン学園 』もどうぞ。

 

ダメダメな主人公を軸に、周囲のキャラクターたちも動き出し、圧倒的なパフォーマンスの見られるクライマックスにつながっていく。あるキャラが絞り出す魂の叫びは、『 ブラインドスポッティング 』のクライマックスのラップを彷彿させた。はっきり言って荒唐無稽もいいところのご都合主義的な展開なのだが、それを吹き飛ばすほどのパワーをこのシーンから感じた。最後に訪れるカタルシスも良い。元々、創楽が立ち上がったのは何のため、誰のためだったのか。様々な伏線が最後に一つにつながり、大団円となるラストの爽快感よ。

 

Libertyとfreedomのつづりミスで英語教師のJovianは「ははーん、これはアレだな」とピンと来たが、最後の最後のメッセージもなかなかに秀逸だ。そう、これは高校生に向けられたものではない。現状を是とする思考停止を打破せよ、という作り手のメッセージなのだ。幅広い世代に観てほしいと思える邦画である。

 

ネガティブ・サイド 

ラストに至るまでのサブプロットがとにかく多いし、時間もかかる。だからこそラストの大逆転感が生まれるのだろうが、それでも途中の展開はかなりの中だるみに思える。ここで主人公側に何らかの小さな希望が見える展開、あるいは蹉跌を経験するシーンを挟むべきではなかったか。

 

成海璃子の元カレが云々という背景も不必要ではなかったか。高校という一つの閉じた小宇宙の中で、ブラック校則がどれほどヤバいルールなのかを描き出すことを通じて、「世の中全般に迎合するな、疑え、行動しろ」という激を飛ばすのが本作の狙いのはず。であるなら、ブラック校則以上にネガティブな現実は不要である。

 

手代木を封じ込めるネタが結局はミチロウと同じく、暴力動画をネタにした恐喝とは・・・ もっとなにか別のアイデアがあってしかるべきだろう。例えば、毎朝回収されるスマホを模型と入れ替えて○○を▲▲している証拠を押さえるとか、または・・・って、これ以上書くと犯罪者予備軍と思われるのでやめておく。たた、体制を打破するために出来るもっと別のことがあったのは確かである。

 

総評

公開当時に劇場鑑賞できなかったことが悔やまれる。校則を社則、教師を上司と読み替えれば、社会人目線でも楽しむ(苦しむ?)ことができるジャニタレが主演かよ、と鼻白む向きにこそお勧めしたい上質な青春ドラマに仕上がっている。モトーラ世理奈の出番こそ少ないが、ファンならば本作は必見であろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emancipation

freedomとlibertyについては劇中で振れられていたので、ここではemancipationを紹介したい。意味は「解放」であるが、その用例はほとんど「奴隷解放」である。The Emancipation Proclamation = A・リンカーンによる奴隷解放宣言である。他にも、他国の占領や政治的な影響力からの解放についても使われる。英検準1級以上、TOEFL iBT80点以上、IELTS Academicで6.0以上を目指すなら、知っておきたい語彙。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, モトーラ世理奈, 佐藤勝利, 日本, 監督:菅原伸太郎, 配給会社:松竹, 青春, 高橋海人Leave a Comment on 『 ブラック校則 』 -常識を疑え、行動せよ-

『 ソング・トゥ・ソング 』 -すべては監督と波長が合うかどうか-

Posted on 2021年1月4日 by cool-jupiter

ソング・トゥ・ソング 50点
2021年1月2日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ライアン・ゴズリング マイケル・ファスベンダー ナタリー・ポートマン ルーニー・マーラ
監督:テレンス・マリック

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『 ドント・ウォーリー 』や『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』など、通常とは趣が異なる関係の一方を演じさせれば天下一品の女優。ルーニー・マーラ目当てで鑑賞。ライアン・ゴズリングもカナダ人俳優の中ではJovianのfavorite actorだ。
 

あらすじ

シンガーソングライターのBV(ライアン・ゴズリング)は、辣腕プロデューサーのクック(マイケル・ファスベンダー)と組んで、徐々に頭角を現していく。BVはギタリストのフェイ(ルーニー・マーラ)と恋仲になるが、フェイは以前から秘かにクックと関係を持っていて・・・

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ポジティブ・サイド

ルーニー・マーラとライアン・ゴズリングに加え、マイケル・ファスベンダーとナタリー・ポートマン、そして中盤以降にはケイト・ブランシェット、さらには名のあるスターもさらに数名登場。俳優陣がとにかく豪華だ。俳優たちに加えて、イギーポップらの本物のアーティストも多数登場。彼ら彼女らがコンサートやパーティー。アメリカ各地やメキシコのリゾート地などを巡る画は、どれもこれもが美しい。まるで自分もそのイベントに参加し、旅をしているかのような気分にさせてくれる。

 

彼ら彼女をカメラに収めるはエマニュエル・ルベツキ。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』では全編ワンカットに見える絵を巧みの技で撮り切った。そのルベツキの手腕が今作でも遺憾なく発揮されている。各ショット内の人物と事物のサイズ比や色合いがシネマティックに計算されていて、まるで『 続・夕陽のガンマン 』のようにどのシーンも絵になる、というのは流石に褒めすぎか。それでも、各地の建築や街並み、自然の風景を捉えたショットの数々は目の保養にもってこいである。暗転した劇場の大画面にこそ映える絵だ。

 

アメリカでも日本と同じく、モラトリアムの期間が長くなっているのだろうか。Jovianと同世代であるBVやクックが仕事に精を出すのは当然として、確固とした恋愛観や人生観を持てていないことにどういうわけか安心させられる。ふとした出会いから恋愛面でもビジネス面でもシリアスな人間関係に発展するまでの経過描写が短く、確かに大人になると時間感覚が若い頃よりも格段に速くなるし、仕事も人間関係も深まるのも速ければ冷めるのも速い。そうした青年期以降、壮年期の観客は登場人物とシンクロしやすいだろう。事実、Jovianは最初から最後までライアン・ゴズリング演じるBVに己を重ね合わせていた。出会い、別れ、そして再会する。多くの関係を結んできた、そして多くの関係を壊してしまってきたからこそ、人間関係の本当の機微や価値が分かるようになる。人生の本当の意味や目的が見えるようになる。中年夫婦で観に行くことをお勧めしたい。

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ネガティブ・サイド 

ストーリーはあるにはあるが、とにかく薄い。まるで『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ 』と『 アリー / スター誕生 』を足して5で割ったものから、エロ成分をマイナスしたような作品。いや、一応女性のトップレスが拝めるシーンはあるにはあるが、エロティックでは全然ない(別に脱いでくれた女優さんに他意があるわけではない、念のため)。各シーンの映像美は素晴らしいが、そのシーンに深い意味が認められない。まるで『 フィフティ・シェイズ・フリード 』を観ているようだった。つまり、眠気との勝負である。正直なところ、ルーニー・マーラが小悪魔~魔性の女風の視線や表情を定期的に見せてくれなければ、多分Jovianは2~3回は寝落ちしていたように思う。マーラの魅力に感謝である。

 

タイトルが“Song to song”であるにも関わらず、肝心かなめのキャラクターの心情はナレーションで語ってしまうのはどういう了見なのか。BVがピアノの弾き語りをしながら作曲するシーンが、かろうじて彼の心情を表しているぐらいで、全編これ会話、しかもドラマを盛り上げない雑談で進むとはこれ如何に。テレンス・マリック監督におかれては、映像美にこだわるのもよろしいが、『 はじまりのうた 』や『 カセットテープ・ダイアリーズ 』を観て、音楽で語るとはどういうことかを研究して頂きたいものである。

 

会話劇としても盛り上がりに欠ける。『 TENET テネット 』のような難解極まる会話ではなく、非常にカジュアルな会話、表面的な意味しか持たない言葉のやりとりには、いささか閉口させられた。絞り出すような言葉、丁々発止のやりとりなどはほとんど存在しないので、やはりどれだけキャラクターに自分を重ね合わせられるかが肝になる。老親の介護が現実の問題として迫ってきているというのは30代40代あたりなら我が事のように感じられるだろうが、いかんせんキャラクターの多くが音楽業界でセレブ然とした生活を送っているものだから、やはりシンクロするのは難しい。

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総評

鑑賞して評価するには、かなりの文学的素養が求められると思われる。キャラクターがどれもこれも浮世離れしていて、地に足がついていない。大人の人間関係を描いてはいるが、これを見たままに消化吸収して解釈するには、かなりの映画的ボキャブラリーが必要だ。Jovianはその任に堪えない。英語のレビューをこれから渉猟しようとは思うが、それらを読んで自分の感想が変わるとも思えない。チケット購入を検討中の向きは、娯楽作品ではなく映像芸術だと思われたし。劇場ではなく美術館に赴くようなものと心得られたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take ~ back

~を後ろに持っていく、の意。take back ~ という形でも使われる。テニスや野球をする人なら「テイクバック」という言葉を聞いたことがあるはず。ボールを打つ前にラケットやバットを後ろに引く動作のこと。物体以外にも、コメントや約束を撤回する時にも使われる。

 

The politician never took back her comment regarding LGBT people.

その政治家はLGBTに関する自身のコメントを撤回しなかった。

 

のように使う。take backという句動詞には他にも多様な意味があるが、まずは「後ろに持っていく」、転じて「撤回する」を覚えておこう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ナタリー・ポートマン, マイケル・ファスベンダー, ライアン・ゴズリング, ルーニー・マーラ, 監督:テレンス・マリック, 配給会社:AMGエンタテインメント, 青春Leave a Comment on 『 ソング・トゥ・ソング 』 -すべては監督と波長が合うかどうか-

『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

Posted on 2020年12月2日2020年12月6日 by cool-jupiter
『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

佐々木、イン、マイマイン 75点
2020年11月29日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:藤原季節 細川岳 遊屋慎太郎 森優作 河合優実
監督:内山拓也

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このタイトルのインパクトは大きい。『 我が心の佐々木 』でもなく『 佐々木よ、お前を忘れない 』でもなく、『 佐々木 イン マイ マインド 』でもなく、『 佐々木、イン、マイマイン 』。なんかよく分からんが、凄いタイトルであることだけは分かる。そして中身も負けず劣らずに凄かった。

 

あらすじ

役者として芽が出ない悠二(藤原季節)は、職場で偶然、高校の同級生で親友だった多田(遊屋慎太郎)と再会する。変わっていく他人。変わっていない自分。それを意識する悠二は、佐々木(細川岳)という奇妙な親友のことも思い起こしていき・・・

 

ポジティブ・サイド

何というか、まるで自身の高校時代、そして紆余曲折あった20代をまざまざと見せつけられたように感じた。もちろん、悠二の人生とJovianの人生はまったく異なるものだが、この物語には普遍性がある。プロット自体はありふれたもの。夢を追い求めているものの、その夢に届かないまま現実に埋没していく男が、過去の輝いていた、少なくとも楽しんでいた、笑えていた時期を思い起こして、今を生きるためのエネルギーを得るというもの。読み飽きた、見飽きた物語である。では、何が本作をユニークにしているのか。

 

それはタイトルロールにある佐々木である。誰しも中学や高校、または大学の同級生に「そういえば〇〇というアホな奴がいたなあ」と思い出せることだろう。だが、本作で映し出される佐々木はただのアホではない。無邪気に笑う少年で、苦悩する男で、血肉のある人間なのだ。回想シーンでは、佐々木のアホな面ばかりが強調されるが、真に見るべきはそこではない。一昔前の言い方をするならば母親のいない欠損家庭の育ちであり、父親も家にはあまり帰ってこず、命綱はカップラーメンという高校生である。佐々木コールでスッポンポンになる姿は微笑ましいと同時に痛々しい。下の名前を呼んでくれる存在がいないのだ。

 

『 セトウツミ 』の川べりでのしゃべりのように、家でゲームをし、球にバッティングセンターに行く4人組。親友であることは間違いない。だが、上京する者あり、地元に残って就職する者あり、地元に残って就職しない者もありと、いつの間にか離散してしまっている。このあたりの描写が中年には結構きつい。身につまされる思いがする。あの友情はどこに行ってしまったのか。出会えば幼馴染のように一気に昔の関係に戻れるが、一方がスーツで既婚、もう一方がヨレヨレの私服でバイト暮らしでは、その関係性も昔のままのようにはなかなか行かない。そうした友情の在り方を本作は一面では問うている。その反面、そうした友情を愚直に、無邪気に、馬鹿正直なまでに大切にし、ずっと心の中で維持し続けてくれる友人もいる。それが佐々木なのだ。佐々木とは、我々中年が本当ならば保っているべき友への感謝、信頼、期待などの気持ちの代弁者であり体現者なのだ。

 

佐々木という豪快で繊細な男を演じ切った細川岳のパフォーマンスは見事の一語に尽きる。親友、そして事実上の喪主とも言える女性と巡り合えたことは僥倖だったし、そのことを我が事のように嬉しく感じられた。芝居で芽が出ない悠二も、自分の生き方と「役者」としての生き様が交錯するラストも万感胸に迫るものがある。10代20代よりも30代40代50代にこそ突き刺さる、青春映画の傑作の誕生である。

 

ネガティブ・サイド

悠二と同棲している元カノの存在が微妙にノイズであると感じた。夢の中身を「今日はどんな世界だった」と尋ねるのも奇異だ。別れた女と同棲しているのなら、そんなロマンティックな会話は慎めよと思うが、どうやらそれがルーティンらしい。だったらフラれた後にも、しっかりと口説き続けろと悠二には言いたい。

 

村上虹郎に「僕はあなたの芝居が好きだ」と評された悠二の芝居の独特なところや印象的なところ、佐々木にも「お前は続けなきゃだめだ」と言われた演技力が、回想シーンでは一度も描かれなかったのは残念である。

 

総評

佐々木には実在のモデルがいるということには驚かないが、これが長編デビュー作という内山監督のポテンシャルには驚く。次作以降へも期待が高まる。傑作を作るのに有名キャストや有名監督は必ずしも必要だとは限らないという好個の一例である。仕事にくたびれた中年サラリーマンよ、疲れているかもしれないが劇場へ行こう。その労力以上のエネルギーを本作から受け取ることができる。保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chant

日本語で言うところの「コール」である。「佐々木コールやれよ!」というのは、“Do the Sasaki chant!”または“Break out the Sasaki chant!”となり、「イチローコールは忘れられない」というのも“The Ichiro chant is unforgettable.”となる。応援などで言うcall=コールは典型的なジャパングリッシュなので注意のこと。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 森優作, 河合優実, 監督:内山拓也, 細川岳, 藤原季節, 遊屋慎太郎, 配給会社:パルコ, 青春Leave a Comment on 『 佐々木、イン、マイマイン 』 -He lives in you-

『 ビューティフルドリーマー 』 -「映画を作る映画」の佳作-

Posted on 2020年11月13日2022年9月19日 by cool-jupiter

ビューティフルドリーマー 65点
2020年11月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:小川沙良
監督:本広克行

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ビューティフルドリーマーと聞けば、多くの人は「ゆめじよ~り~、かえりて~」を思い浮かべるだろう。ある程度の年齢以上の映画ファンであれば『 うる星やつら 』の映画を思い出すかもしれない。Jovianは「変なタイトルだけれど、シネ・リーブル梅田でやっているからには通好みなんだろう」と、オフィシャルサイトもトレイラーも観ずに劇場に足を向けた。

 

あらすじ

サラ(小川沙良)はふとしたことから、映研の部室の片隅で「夢みる人」という映画の台本とフィルムを見つける。さっそく鑑賞してみるが、映画は未完成だった。サラは「自分たちで完成させよう」と思い立つが、それは映研OB曰はく「撮影すると何かおかしなことが起きてしまう」という台本だった。果たしてサラたち映研の面々は「夢みる人」を完成させることができるのか・・・

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ポジティブ・サイド

『 鬼ガール!! 』と同じく、映画を作る人々に焦点を当てた映画である。これはJovianの好物ジャンルなのだ。映画作りとは一つの世界を作り上げることだ。その過程を映画の中で映し出すというメタ構造が面白くないはずがないではないか。

 

大学が舞台で、グダグダした時間が流れているのが心地よい。高校生の恋愛ものは「ああ、俺にもこんな青春があったなあ」とは思えなくなってきたが、大学の良い意味でのぬるい空気は今でも体が覚えているし、なによりも大学生相手に授業をする日々を送っている。映研の部室に流れる『 げんしけん 』的な空気が心地よくないわけがないではないか、

 

そう、本作の一番の見どころは大学という人生最大のモラトリアム期間に好きなことに没頭する若者たちの姿を活写しているところにある。そこに製作者の『 うる星やつら 』愛があり、オマージュがある。ある意味でとてもぬるい空気を醸し出す映画で、終盤に訪れるカタルシスを堪能するのではなく、そこに至る過程に参画している気分を味わうものである。なので、結末には少々拍子抜けするかもしれない。しかし、主演を務めた小川沙良のある台詞と表情に大いに救われるのは事実である。ルックスを意識的に新垣結衣に寄せていると思われるが、自身が俳優兼映画監督であるためか、劇中でも監督としてのリアリティを大いに発揮した。特に台詞への演出やカメラアングルの指定などは、映画作りの舞台裏がそのまま垣間見えて、非常に面白い。

 

『 うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』の鑑賞歴がない人でも、青春ものとして鑑賞してほしい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201113154723j:plain
 

ネガティブ・サイド

映研の各キャラクターをもう少し掘り下げられなかっただろうか。ひょんなことから映画作りに乗り出すことになるが、誰がカメラで誰がプロデューサーで、などがあまりにもトントン拍子に決まっていくのは少々乱暴ではなかったか。単なるシネフィルの集まりではなく、実は映画作りのスキルも持っていたという描写が、もう少し丁寧に描かれていてほしかった。カメラマンが、16mmフィルムと映写機を手早くセットアップしてみたり、大堂小道具係が手先の器用さを普段から発揮していたりと、そうしたシーンや台詞が必要だったと思う。

 

色々とやらかす羽目になるメンバーのシネフィルぶりが中途半端である。映画のタイトルを次から次へと口に出すだけではなく、もっと小ネタやトリビアを披露してナンボだろうと思う。

 

クラウドファンディングの途中経過はもう一度ぐらい観る必要があるだろう。募集して終わりではなく、製品やサービスの良さ、それがもたらすリターンを常に感じさせないとダメだ。

 

またせっかくの学園祭なのだから、他の部や同好会、サークルとの連携も模索すべきではなかったか。買い過ぎたお菓子やら何やらを他サークルと物々交換したり、あるいは撮影への協力を呼びかけるための呼び水にしたりできるはずだし、そうしてこそプロデューサーというものだろう。とある小道具の制作に映像研の面々が一肌脱ぐ(比喩的な意味で)わけだが、そこで手芸部や模型同好会などが手助けをしてくれた、というような展開なら、もっとカタルシスを生み出せただろう。

 

総評

『 映像研には手を出すな! 』が個人的にはイマイチだったが、本作で I somewhat felt redeemed. 年をとってくると高校生の物語にはついていけず、大学生ぐらいでないと色々な意味できつくなってくるが、その意味では本作は当たり。また本作が意図しているターゲットも30代後半以上、そして20歳前後の大学生であろう。是非そうした世代に観てほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be preposterous!

秋元才加の放つ「世迷言もいい加減にせい!」の私訳、と言いながらも、これはJ.P.ホーガンの『 巨人たちの星 』でダンチェッカー教授の言う“Don’t be preposterous!”をそのまま拝借してきたもの。Jovianの大学の大先輩である池央耿は「馬鹿も休み休み言いたまえ!」と訳していた。Preposterous=前が後ろになっている、というのが原義である。こんな単語を知っていればそれだけで英検1級だろうし、“Don’t be preposterous!”と仕事またはプライベートでパッと口に出せれば、英検マイナス1級で、TOEIC SWで500点だろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 小川沙良, 日本, 監督:本広克行, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズ, 青春Leave a Comment on 『 ビューティフルドリーマー 』 -「映画を作る映画」の佳作-

『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

Posted on 2020年11月11日2022年9月19日 by cool-jupiter

ジオラマボーイ・パノラマガール 40点
2020年11月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田杏奈 鈴木仁 森田望智
監督:瀬田なつき

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『 リバーズ・エッジ 』の原作者・岡崎京子の作品を瀬田なつきが脚本および監督として映画化。岡崎京子の作品にそれほど親しんできたわけではないが、それでも本作は原作の読み込み不足あるいは瀬田監督自身の自分のカラーの出し過ぎであることは分かる。主題が読み取れないのだ。

 

あらすじ

渋谷ハルコ(山田杏奈)はある夜、倒れている神奈川ケンイチ(鈴木仁)に一目惚れしてしまう。これは世界の運命をも変えてしまう恋に違いないと舞い上がるハルコ。しかし、ケンイチはマユミ(森田望智)というオトナの女性に強く惹かれており・・・

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ポジティブ・サイド

『 わたしに××しなさい! 』や『 小さな恋のうた 』で確かな存在感を示してきた山田杏奈が主演だと、テアトル梅田のパンフレットで知った。ならば、あらすじも不要だし、トレイラーも劇場で目に入ってきたもの以外はシャットアウト。その上で鑑賞した。山田杏奈のありふれた女子高生としての存在感には説得力があるし、恋に恋をするという乙女チックな顔も上手く描出できていた。

 

ラストの手前、早朝の街をトボトボと歩く際の「つまらない男とつまらないセックスをしてしまった」という顔の演技は素晴らしかった。10代でこれだけ細やかな顔面の演技ができる役者は珍しいと思われる。瀬田監督が山田からこの顔を引き出すことができたのなら、それは自身の体験談をよくよく彼女に言い聞かせたのだろう(と下世話な邪推をしてみる)。10代俳優の中ではフロントランナーであることは間違いない。

 

謎めいた女性ナオミを演じた森田望智も独特の存在感を発揮した。最初はチョイ役なのかと思ったが、物語が進むにつれて「ああ、こういう話なのか」とすんなりと納得できた。それはナオミの放つ妖艶な雰囲気によるところが大で、童顔かつ幼児体形なハルコ(あくまで比較の上である)とのコントラストが大いに際立っていた。それは容姿だけではなく、異性との向き合い方、恋愛観やセックス観にも当てはまり、10代同士のピュアな恋物語の予感を良い意味でも悪い意味でも叩き壊している。『 影踏み 』の中村ゆりのような30代に成長していってほしいものである。

 

無秩序な東京の街の片隅で秘かに繰り広げられる人間模様だけは、それなりにしっかり描けていたのではないか。

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ネガティブ・サイド

なんでこんなにキャラクターがどいつこいつも、文字通りにクルクルと回るのか。舞台劇のノリなのか。特定キャラクターだけの動きであれば、そのキャラの特徴なのかなとも感じられるが、誰もかれもがクルクル回るのは不自然以外のなにものでもない。

 

一体全体、いつの時代にフォーカスしているのか。全体的に初期平成臭が漂う。小沢健二の“ラブリー”とは古すぎる。おそらく「いつか誰かと完全な恋に落ちる」ということを強調したいのだろうが、今どきの女子高生が小沢健二を歌うだろうか?やっているゲームも最新作であるが、ストⅡ。それもコンソール型。一方で、インスタグラムやタピオカも同時に存在している。様々な点で時代とガジェットにずれを感じてしまうのである。

 

神奈川ケンイチというキャラクターの思考や行動の原理も謎だ。いきなり高校を辞めるのは、まあ、そういう衝動に駆られることもあるだろうと一応の納得はできるが、男性教師にキスをすることに何らかの意味があるのか?「だって17歳なんですから」というケンイチの台詞は何も説明していない。ここからゲイへの道を歩んでいく、あるいは『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』のようにクィアの世界に旅立っていくというのなら、全く違和感はない。しかし、まず最初にやることがスケボー、そしてナンパ。ここでもノリが平成である。90年代&スケボーなら『 mid90s ミッドナインティーズ 』で十分に満たされた。

 

ハルコというキャラの見せ方も古い。一目惚れを表現するのに、雷鳴の効果音というのはどうなのだろうか。しかも音だけ。そうした演出が全編で満遍なく使われているというのならそれも構わない。それが本作のテーマにマッチする作劇術だと監督が判断したのだろうから。しかし、その後にそんな演出は皆無。どうせ一か所だけ馬鹿馬鹿しいのなら『 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 』のような落雷演出でもすればよかったのではないか。それに友達2人と一緒に常に3人組というのも冗長だ。実際に一人はクラブの後にフェードアウト。だったら最初から親友は一人でいい。Jovian嫁も「親友2人おって、片方は誕生日パーティーに呼んで、もう片方は呼ばへんなんかありえへん」と全く納得していなかった。

 

もっとも意味が分からないのは「知的生命体がいるとされる小惑星の接近」である。成海璃子のキャラが自分たち家族の写真を眺めるハルコに「それね、今となっては貴重でしょ」という思わせぶりな台詞や、ケンイチが学校を辞めたのと同じノリで自殺してしまう学生のニュースなど、何か一筋縄ではいかない世界観が暗示されるが、それがすべて無秩序に拡大する東京のスプロール現象にかき消されている。この世界観も90年代まんまだが、オリジナルを尊重するにせよ自身の解釈を盛り込むにせよ、やるならもっと上手にやるべきだろう。ケンイチの部屋のポスターが『 2001年宇宙の旅 』とはこれいかに。だったら『 E.T. 』、『 未知との遭遇 』、『 遊星からの物体X 』、『 妖星ゴラス 』、『 ブロブ/宇宙からの不明物体 』、『 アルマゲドン 』など、宇宙から何かが地球に接近しつつあることを暗示する映画のポスターを貼るべきではないのか。

 

最初から最後まで、一貫して世界観についていけないし、一部のキャラクターの行動原理が理解できない。端的に言って映画化失敗であろう。

 

総評

映像もストーリーもキャラクターも中途半端である。おそらく瀬田監督自身、原作を十分に消化しきれていないのではないか。しかし、発展途上の才能たちの演技に魅力を感じたり、あるいは岡崎ワールドの造詣が深い人であれば、本作を十二分に堪能することができるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Are you having fun?

成海璃子がクラブで山田杏奈に言う「楽しんでる?」という台詞。Have fun. = じゃあね、楽しんできてね、という使い方も併せてマスターしておきたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, ラブロマンス, 山田杏奈, 日本, 森田望智, 監督:瀬田なつき, 配給会社:イオンエンターテイメント, 鈴木仁, 青春Leave a Comment on 『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

Posted on 2020年8月31日2022年9月15日 by cool-jupiter

青くて痛くて脆い 50点
2020年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 杉咲花 岡山天音 松本穂香
監督:狩山俊輔

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『 君の膵臓をたべたい 』は良作だったが、同作のイメージをぶっ壊すと宣言して書いたとされる本作も、まばゆく輝く女の子に憧憬を抱く男の物語という点では目新しいものではなかった。おそらく、高校生や大学生が観れば異なる感想になるのだろうが、おっさんには刺さらなかった。

 

あらすじ

田端楓(吉沢亮)は他人を傷つけたくない、他人に傷つけられたくないという大学一年生。そんな楓が、世界から暴力・貧困・差別をなくそうと願う秋好寿乃(杉咲花)に出会い、彼女に引っ張られ、秘密結社サークル「モアイ」を立ち上げるが・・・

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ポジティブ・サイド

まさにタイトル通りの男、青臭くて、言動が痛くて、そのくせハートだけは妙に脆いという、誰にとっても思い当たるところのあるキャラクターを吉沢が見事に怪演した。他人に関心がないというのは自意識過剰の裏返しで、他人にどうこう思われるぐらいなら、他人から距離を取ってしまえという思考もまた自意識過剰の裏返しである。おっさんになって自らの過去を振り返れば、「ああ、自分にもそんな時期があったな」と一笑に付すことができるが、10代後半、あるいは20歳前後のまだ何者にもなれていない若者の中には本作の楓に魂を持っていかれるほどの影響を受ける者がいてもおかしくない。それほど吉沢の演技は際立っている。人間の心の非常にダークな部分を隠すことなくさらけ出しているからだ。特に、他人とのつながりを「間に合わせ」と表現するところでは唸らされた。ちょっと愚痴を聞いてほしい相手、ちょっと一緒に酒を飲んでほしい相手、一晩だけ一緒に過ごしてほしい相手(という相手は本編には出ないが)等々の間に合わせ的な人間関係は極めて一般的だが、子どもにはそうではない。それこそ、一瞬一瞬の人間関係が宝石のような価値を持っている。そうした輝きに背を向ける楓というキャラクターの屈折っぷり=闇の深さは、近年の漫画や小説の映画化作品の中でも突出している。

 

また、一種の叙述トリックが仕掛けられているところも野心的だ。なにがどういうトリックなのかには言及できないが、これはなかなかに気の利いた演出である。

 

モアイを潰そうと画策する過程で悪友役の岡山天音も好演。一匹狼の楓に共感してモアイに潜入するも、ミイラ取りがミイラになるの諺通りにモアイにオルグされる様はまあまあ見応えがあった。そのモアイの幽霊部員役の松本穂香が物語を地味に、しかし確実に盛り上げる。無防備に見えて隙が無く、難攻不落に見えて落ちる時はあっさりと陥落。しかし、男の掌の上で踊ることは決してなく、逆に男を手玉に取る悪女の雰囲気すらも醸し出す。『 君が世界のはじまり 』と比較すれば、その演技の幅の広さは同世代(20代前半)では頭一つ抜けている。テンさんこと清水博也も味わい深い。『 愚行録 』や『 屍人荘の殺人 』に出てきそうな大学生と見せかけて・・・というキャラクターである。人は見かけによらない、あるいは人を見かけで判断してはならないという好個の一例である。

 

こうした、一癖ある面々と田端楓と秋好寿乃の織り成す物語は、現役の大学生にこそ堪能してもらいたいと思う。

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ネガティブ・サイド

編集の粗がひどく目立つシーンが多い。秘密結社「モアイ」のイメージ図をバックにした楓と寿乃のスナップショットで、寿乃はオーバーオールを着ているのに出来上がった写真はスエットだけ?になっていなかったか。また、楓目線で寿乃と向き合うショットでも、寿乃の目の角度がおかしい。二人は相当に身長差があり、いくら楓が猫背といっても、向き合って、あごを引いて笑っている寿乃の目がまっすぐ前を見つめるのはありえない。

 

モアイのとあるメンバーが行っている不正行為を内部告発することに葛藤するというのも、傍から見れば滑稽千万である。(老害と化した)ダウンタウンの松本人志が「(東出昌大の)不倫を暴いた週刊誌の記者はどんな気持ちなのか?」という疑問を発していたが、悪事(不倫が悪かどうか、悪だとしてどのような性質で、どの程度の悪なのか、それは措いておく)を暴くことに良心の呵責を感じるとすれば、その悪事が自分にとって近しい人によってなされた時、あるいは告発によって自分の近しい人がダメージを受ける時ぐらいだろう。そういう意味では、自らモアイと寿乃から距離を置いた楓は、距離こそあるものの、つながりを維持しているに等しい。やり方を間違えているのだ。本当にリベンジをしたいのなら、モアイよりも大きい、あるいは秀でた組織を作る、あるいは組織に拠らず個として強く生きていけるように精進することだ。

 

こうした見方はいい年こいたオッサンのものであることは自覚している。寿乃が作ったモアイの目指すところは究極的にはニーチェの言う「超人」であり、サルトルの言う「アンガージュマン」である。なりたい自分になった、作りたい世界を作ったという結果ではなく、その過程そのものに意味があると考える。自分が主体的に動くのと同様に、他者も自分と同じような主体であるのだと認識するところから始まるのだ。本作も2時間かけて楓がそのことを自覚する過程を描いていると受け取れなくもないが、その描写があまりにも稚拙である。創始者や共同創始者が弾き飛ばされるストーリーなど星の数ほど存在する(『 スティーブ・ジョブズ 』など)。本作はどちらかというと、【社会運動はどうやって起こすか】における最初のフォロワーとしての楓にフォーカスできなかったがために、その後の展開すべてが陳腐に見えてしまった。理屈っぽく映画を観てしまう向きには、お勧めできる作りになっていない。

 

総評

良い点、悪い点、それぞれに目立つ。ある一点やある方向には思いっきり振り切れているという印象だが、その一方でディテールには粗が目立つ。あまり深く考えず、若気の無分別の物語に身を任せれば、邦画ではなかなかお目にかかれない一種の暴走型青春サスペンスとして楽しめるのではないだろうか。『 キングダム 』のイケメン吉沢ではなく、『 リバーズ・エッジ 』のような、ちょっと頭がおかしいキャラを演じる吉沢を観たいというファンにこそお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make a difference

変化を生み出す、の意。往々にして「良い変化を生む」の意味で使われる。同質性を重んじる日本語とは異なり、英語圏では他との違い=良いことだという概念がある。これは頭で理解するよりも肌で実感すべきことなのだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 吉沢亮, 岡山天音, 日本, 杉咲花, 松本穂香, 監督:狩山俊輔, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』 -学生、観るべし-

Posted on 2020年8月23日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 75点
2020年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ビーニー・フェルドスタイン ケイトリン・デバー
監督:オリヴィア・ワイルド

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原題は booksmart 。通常は book smart と離して表記すると思われる。意味はwell-readと同じ、つまり「本をたくさん読んでいて賢い」ということ。しばしば、street smart = 実地に色々と経験してきた、との対比される。ちなみにボクシング業界ではたまに ring smart という表現も使われる。意味は推測の通り「リング上で経験を積んでいて巧妙」ということである。

 

あらすじ

高校の生徒会長モリー(ビーニー・フェルドスタイン)とその親友エイミー(ケイトリン・デバー)は成績優秀。モリーは名門大学への進学が決まっており、エイミーも海外に進学する。だが、同級生たちも名門への進学や大手への就職が決まっていると知ったモリーは、勉強ばかりの高校生活を後悔・卒業前日の夜に盛大に羽目をはずそうと、エイミーと共にパーティー会場を目指そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

プロット自体は陳腐である。どこかイケてない女子が、パーっとはじけようとするという点では『 エイス・グレード 世界いちばんクールな私へ 』に通じる。だが、あちらは中学生で、こちらは高校生。畢竟、下ネタも解禁される。というよりも、下ネタのオンパレードである(それはちょっと言い過ぎか)。パンダのリンリンへのあいさつには笑いを禁じ得なかったし、その他のシーンでも映画館のあちこちから笑い声が漏れていた。本当はこのご時世飛沫を飛ばすような行為はご法度なのだが、そんな意識すら薄れてしまうほど、本作のユーモアには容赦がない。パーティーで意中の相手といい雰囲気になった時の予習に、スマホにイヤホンをしてポルノ動画を食い入るように見つめていると、いきなりそれがBluetooth接続されて大音量で車内に響くというのも現代的だ。似たような失敗を家庭や学校、職場でやらかしたという人がいても全くおかしくない。下ネタだけではない笑いもいっぱいあるので、そこは安心してほしい。そして、セックス未遂シーンもあるので期待してほしい。

 

ニックというスクールカーストの頂点にいる男の主催するパーティーへ向かうはずが、あちらこちらと寄り道させられる、その過程も楽しい。神出鬼没のジジと実は良い奴ジャレッド、同族嫌悪的だが自分たちの写し鏡でもあるジョージとアランの演劇コンビなど、モリーとエイミーの高校の多士済々ぶりが際立つ。目的のニックの叔母宅にたどり着けない二人が、SNSの画像からあれこれと推理していくのは『 Search サーチ 』的で楽しいし、配車サービスだけではなく、図々しくもピザのデリバリー車に便乗しようとするところも微笑ましい(良い子は真似をしないように)。

 

なんとか目的地にたどり着いた二人。場慣れしていないため舞い上がってしまうが、なんとか上手く馴染めそう。それぞれが意中の相手にアプローチしていく様子には、こちらも素直に応援をしたいという気持ちにさせられる。だが好事魔多し・・・

 

主役の一人のビーニー・フェルドスタイン、どこかで観た顔だと思ったら『 レディ・バード 』のシアーシャ・ローナンの親友か。さらにリサーチをしたら(つまり英語Wikipedia記事を読んだ)、なんとジョナ・ヒルの妹。確かに顔はそっくりだ。

 

様々な高校生の青春模様をわずか一日半に凝縮してしまったのはお見事。終盤の展開をどうまとめるかという難題にも、キャラの特長とフェアな伏線と見事に対処。恋と友情は別もの。だからこそ大ゲンカもできるし仲直りもできる。世界は大きく広がるけれど、それで二人の距離まで広がってしまうわけではない。近年の青春映画としては突出した面白さを誇る快作である。

 

ネガティブ・サイド

字幕にローザ・パークスが出てこないのは何故だ?ルールを破った偉人としていの一番に言及されているのに。同性愛者同士の語らいやまぐわい、黒人美女の担任に言い寄るメキシコ系の生徒まで描写されているのに、ローザ・パークス(『 ハリエット 』のハリエット・タブマンと並んで、20ドル札の文字通りの顔となる候補者だった)が字幕に出てこないというのは翻訳担当者あるい配給会社の字幕校正・編集担当の不始末だと指摘しておきたい。

 

ポルノ大音量事件は大いに笑ったが、Bluetoothでクルマ側からスマホに接続するにはペアリングが必要なはず。劇中のようにスイッチを押した瞬間に同期完了というのはありえない。笑いの瞬間最大風速を狙ったが故の単純ミスだろう。

 

劇中でほとんど時計が出てこないのは賢明だと感じたが、いったいこの卒業前夜の夜の長さはどうなっているのか。ロサンゼルスの6月の日没は20:00頃。モリーがエイミー両親に「エイミーは私の家に泊まる」と言って連れ出した時には外はすでに真っ暗。パーティー会場入りは一体何時だったのだろうか?劇中の時間の経過を推測するに23:00過ぎ?パーティー会場入りまでがドタバタしすぎではなかったか。

 

総評

『 スウィート17モンスター 』と並んで、日本の中学高校生あたりに是非とも観てほしい作品である。エイミーとモリーは当たり前のようにスマホユーザーであるが、二人の会話は徹頭徹尾、対面の口頭である。もちろん世界的パンデミックで#StayHomeが推奨されているが、それでも本作は夏休みの内に劇場で観賞してほしいと思う。多くの児童、生徒、学生が「自分たちの学校生活って何なんだろう?」という疑問を抱いてるに違いないが、その疑問に対する一つの答え(必ずしも模範的な回答ではないが)が本作にはある。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What’s shaking?

校長先生がエイミーとモリーに出会った瞬間にかけた言葉。“What’s up?”や“What’s going on?”と同じで、「よう」や「調子どう?」という意味である。かなりカジュアルな表現なので、友人相手だけに使うこと。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ケイトリン・デバー, ビーニー・フェルドスタイン, 監督:オリヴィア・ワイルド, 配給会社:ロングライド, 青春Leave a Comment on 『 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー 』 -学生、観るべし-

『 思い、思われ、ふり、ふられ 』 -撮影と展開が雑過ぎる-

Posted on 2020年8月18日2021年1月22日 by cool-jupiter

思い、思われ、ふり、ふられ 45点
2020年8月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:浜辺美波 北村匠海 福本莉子 赤楚衛二
監督:三木孝浩

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映画ファンなら「この監督の作品は観ることに決めている」、「この役者が出ているなら観ようかな」と感じる対象がいるものと思う。Jovianは浜辺美波のファンであり、彼女の出演作は一応チェックすることに決めているし、本作でも及第の演技を見せた。だが、邦画の弱点というか、漫画や小説の映像化(≠映画化)の限界をも思い知らされた気もする。

 

あらすじ

朱里(浜辺美波)と理央(北村匠海)は高校生。親同士の再婚によって姉弟になったが、理央は朱里への思いを胸に秘めていた。同じマンションに暮らす朱里の親友の由奈(福本莉子)やカズ(赤楚衛二)を含めた4人の恋模様が交差していき・・・

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ポジティブ・サイド

浜辺美波の顔芸は今作でも健在である。『 センセイ君主 』のような笑いを取りに行く顔芸ではなく、表情で心情を伝える演技だ。目は口程に物を言うという諺通りである。

 

浜辺よりもっとそれが顕著だったのは、気弱な由奈を演じた福本莉子だったように思う。明らかに胸の内を隠す、あるいは取り繕うための過剰な表情、「演技をしているという演技」をしていた浜辺とは対照的に、恋に臆病で、それでも恋に真剣な少女を好演。演技をしているのだけれども、それを感じさせない演技力。特に雨宿りの最中に理央に告白するシーンは、序盤ながらも本作のハイライトとなった。

 

血はつながっていないが兄弟姉妹である、それゆえに好きでも告白できない関係、というのは駄作『 ママレード・ボーイ 』でも描かれたが、本作はそこに親友や同級生を混ぜてきた。これによって各キャラクターの story arc の密度が減少するというデメリットは生まれたものの、邦画では絶対に描けない禁断の恋愛関係の手前のあれやこれやな時間つぶし的エピソードが挿入されずにすんだというメリットもある。

 

本作は漫画原作には珍しく、主要キャラが堂々と将来の夢を語る。誰々とこのままずっと一緒に幸せに生きていきたい・・・的な安易なエンディングにならないところには好感を持てる。特に通訳になりたいという朱里と映画関係の仕事をしたいというカズの二人は、素直に応援してやりたいという気持ちになれた。特にカズは、単なる映画好きではなく、映画が現実からの一時的な逃避先であるということが効果的に描写されていたので、余計に「頑張れ」と思えた。

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ネガティブ・サイド

端的に言って、エピソードを詰め込み過ぎである。これは漫画原作の方が全般に言えることだが、もう夏祭りとか文化祭とか部活風景とか授業風景とか教室での昼食風景とか登下校風景には飽き飽きである。そうしたシーンを見せられることに飽きたのではなく、そうしたシーンのカメラワークやコマ割り、時間配分などにウンザリなのである。映画が2時間だとすれば、最初の山場は30分あたりに持ってきて、最後の山場は1時間50分、主人公とヒロインが見つめ合う、あるいは抱擁を交わすシーンで主題歌を大音量で挿入とか、漫画の実写化の公式が存在するかのようで、本作もその例に当てはまるところが多い。というよりも三木孝浩監督こそ、そうした定番の構成を作り上げることに多大な貢献をした先般の一人とも言うべきで、多分もう彼は知恵を振り絞って映画を作っていない。少なくとも漫画の実写化についてはそう言える。ほとんどすべてのシーンに既視感を覚える人は多いだろう。

 

細かなディテールも破綻しているシーンが多い。一番「何じゃこりゃ?」と頭を抱えたのは、朱里とカズが夜の帰り道で高台に寄り道するシーン。二人の10~20メートル後ろを歩いていたスーツの男性が、ズームアウトした視点に切り替わった瞬間に影も形もなく消えていた。映画作りとは編集の痕跡を消す作業なのだ。誰も気付かなかったのか。気付いていたけれど、時間の節約のためにもうワンテイク撮ることを断念したのか。いずれにしろめちゃくちゃなシーンであった。

 

その他の季節の移り変わりの描写も乱暴だ。「寒い」と言いながら吐く息は全く白くない。だったら手袋したり、あるいは両手をこすり合わせたりなど、ちょっとした小道具や演技で観る者に寒さを伝える工夫はできるはず。それをしないのは監督の怠慢だろう。通学路や校庭の木々は青々していたり枯れていたりというシーンが混在しているのも編集のミス、または怠慢だ。

 

また劇場の予告編で散々流れていたトレイラーのLINEメッセージは何だったのか。「既読にならない」ということに理央は思い悩んでいたのではなかったのか。トレイラーでは朱里は思いっきり既読にしている。劇場で当該シーンを観た時、「???」となってしまった。誰がトレイラーを作っていて、誰が編集担当なのか?

 

ストーリー展開上の演出や小道具大道具も雑である。まず朱里と理央の家に生活感がなさすぎる。中年カップルの結婚は普通にあることとして、年頃の娘と息子が暮らす家で、風呂場のドアに何らかのサインぐらい用意しないのか?それこそ「父 使用中」とか「朱里 使用中」とか、朱里の母のあわてふためき具合を見れば、そうした小道具ぐらいあってしかるべきだろうと感じる。

 

一番よく理解できないのはカズと理央の距離感。「マッドマックス」「の、どれ?」という具合に初対面から意気投合できるのに、その後のビミョーな距離が腑に落ちない。特に学校の下駄箱で同級生が理央と朱里を茶化すシーンに介入するのは男らしいが、だったら何故同じ迫力と剣幕で理央に迫らないのか。倫理の二重基準があると言われても仕方がないだろう

 

総評

首を傾げざるを得ないシーンやストーリー展開が多い。主要キャラを4人にしたいのなら、もっと密度の濃い映画にすべきである。手垢のついたエピソードを、これまた手垢のついた撮影方法と編集で料理してはいけない。そうするぐらいなら、ばっさりとカットしていい。ストーリーはどうでもいい。若い売れっ子の役者たちを観たいという向きにはお勧めできるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

interpret

「通訳する」の意味だが、一般的には「解釈する」で知られているだろう。通訳者=interpreter、翻訳者=translatorである。有名な通訳者のエピソードに以下のようなものがある。ある日本人のスピーカーが日本語でダジャレを言った。通訳者は「今、この人は冗談を言いました。なので皆さん、笑ってくださると嬉しいです」と当意即妙に“通訳”を行い、結果として聴衆から笑いを引き出し、スピーカーからは更なる信頼を得た。InterpreterとTranslatorの違いが、少しお分かり頂けただろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, 北村匠海, 日本, 浜辺美波, 監督:三木孝浩, 福本莉子, 赤楚衛二, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 思い、思われ、ふり、ふられ 』 -撮影と展開が雑過ぎる-

『 はちどり 』 -小さな鳥も大きく羽ばたく-

Posted on 2020年8月10日2021年2月23日 by cool-jupiter

はちどり 80点
2020年8月8日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:パク・ジフ キム・セビョク
監督:キム・ボラ

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映画貧乏日記のcinemaking氏が激賞していた作品。キム・ボラ監督の長編デビュー作品。韓国の監督というのは往々にして自分で脚本も書くが、いつの間にか小説や漫画の映像化に汲汲茫々とするばかりとなった邦画の世界も、もっと見習ってほしい。

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あらすじ

14歳のウニ(パク・ジフ)は集合団地で暮らしている。父や兄は抑圧的で母や姉も自分にはあまり構ってくれない。そして学校でも、それほど友人に恵まれているわけでもないし、教師も非常に強権的。けれども、ウニは別の学校の友だちやボーイフレンドと、それなりに楽しい日々を過ごしていた。そして、通っている漢文塾でミステリアスな女性教師ヨンジ(キム・セビョク)と出会って・・・

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ポジティブ・サイド 

『 サニー 永遠の仲間たち 』の描いていた暗い世相を反映した1980年代を抜けて、『 国家が破産する日 』のプロローグで映し出されていた1990年代の高度経済成長時代のただ中の韓国の物語である。大きく成長してく国家や社会に、思春期という肉体的にも精神的にも大きく変わっていく時期の少女が重ね合わせられている・・・わけではない。逆に、そのような世界の大きなうねりに乗り出す前、家族や家、学校といった小さな環境の中で必死に羽ばたこうとするはちどりの姿がそこにある。

 

当然そのはちどりとは、主人公のウニである。冒頭のシーンからふるっている。買い物から帰ったウニが団地の902号室の呼び鈴を鳴らすが、誰も反応しない。不安になったウニが何度も何度も呼び鈴を鳴らすが、それでも在宅しているはずの母は一切反応しない。ヒステリックに叫ぶウニ。だが、次の瞬間、ウニは階段を上る。そして1002号室の呼び鈴を鳴らす。即座に母が出てきて「もっと良いネギはなかったの?」と言う。集合団地というどこもかしこも同じに見える環境に暮らすごく普通の少女が、そのうちに激情を秘めているという象徴的なオープニングである。

 

ウニは極めて抑圧的な環境で生きている。父に怒鳴られ、兄に殴られ、母にはあまり構ってもらえず、姉とは没交渉である。ウニの数少ない心の安定剤であるボーイフレンドとの仲は、しかし、かなり順調で、楽しくない学校生活のさなかにも、彼からの「愛してる」というポケベルのメッセージに心を弾ませる。学校は違うが塾は一緒という友人もいる。共犯者的な存在と言ってもいい。このような一方では充実したウニの世界も、次から次へと破綻していき、それがどうしようもなく観る側の心を揺さぶる。印象的だったのはウニの親友の少女。ある日、白いマスクを着用してきたのを見て、ウニも我々も「あれ?」と思う。もちろん風邪ではない。風邪なら塾を休めばよい。つまり、家にいられず、しかしマスクをつけなくてはならない事態があったということだ。ここで我々はキム・ボラ監督に想像力を試されていると言っていい。痛々しい真相が明かされるシーンは、遠景からのショットでありながら、ウニと親友の二人だけの会話を静かに映し出すというもの。世界はそこに存在するが、ウニたちだけの世界もまた、そこに存在するのだと感じられる不思議な余韻のあるシーンだった。そうか、はちどりはウニだけではなかったのか、とも感じられた。

 

大きな転機となるヨンジ先生との出会いも印象的だ。特に禅語の「相識満天下 知心能幾人」に、Jovianも唸らされた。そうか、世界とは森羅万象、そこにあるもの、目に入るものだけではないのか。人間関係とは往々にして相貌を認識できるだけの関係に留まるものなのか、と不惑にして考えさせられた。ウニが自分の世界の小ささと、そこから先に広がる大きな世界、さらにその世界で生きることの難しさと尊さの両方を感得するシーンであり、人生の師に巡り合うシーンでもあった。

 

それにしてもヨンジ先生を演じたキム・セビョク、最初に見た感じでは『 テルマエ・ロマエ 』で言うところの平たい顔族の女性代表かな、みたいな失礼な印象を抱いていたが、物語が進むにつれ、どんどんと魅力的な顔立ちに思えてくるから不思議なものである。特に、彼女が一曲アカペラで歌うシーン(と書くと、酒場でマッコリでも飲んで上機嫌で歌うように思えるかもしれないが、そうではない)では、その切々とした歌唱と凛とした表情、そして歌詞の伝える意味が、ウニの心に、そして観る側である我々の心にもストンと入ってきた。「トボトボ歩く」ことが、これほどリアルな哀切の情を表すとは。キム・ボラ監督の演出力にしてキム・セビョクの演技力の為せる業か。

 

思春期、そして青春の入り口を描きながらも本作は血と死の予感も漂わせている。ゾッとさせられたのは、ウニの呼び声に反応しない母親。鼓膜が一時的に破れていたのだろうか。その相手は夫なのか。壊れるべきに思える夫婦関係だが、そこでくっついたり離れたりを繰り返してきたのか。まるでウニの青春、ウニの人間関係のようではないか。ウニの叔父さんの決して語られることのない story arc やウニの担任の語る「一日一日、死に近づいていくのだ」という台詞。兄からの暴力。親友の受ける、それ以上の暴力。そして、終盤の悲劇。様々な事象が絡まり合い、ウニだけではなくウニの父やウニの兄も涙を流す。不器用な男たちが心の鎧を脱ぎ捨てる瞬間で、ウニはその時、父や兄の心の一端を知る。知心可二人というわけだ。はちどりは、その小さな姿からは想像をできないほどの超長距離を移動する渡り鳥である。英語のタイトルは“House of Hummingbird”。はちどりの大いなる旅立ちを予感させつつ、帰るべき場所をしっかりと示すエンディングは、多くの人の心に静かな、しかしとても力強いさざ波を立てることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ほとんどないのだが二点だけ。

 

一つは、ある重要人物の母親が嗚咽するシーン。ウニが親友ジスクと語らうシーンで「私が死んだら、あの人たち泣くかな?」に対する答えがそこにあった。この母親の泣きのシーンをもっと長く、もっと深くカメラに収めるべき=ウニに体感させるではなかったか。

 

もう一つは、エンディングそのもの。『 スリー・ビルボード 』と同じで、あと30秒欲しかったと思う。

 

総評

ポン・ジュノ監督がアカデミー賞監督賞を授与された時に、マーティン・スコセッシの“The most personal is the most creative”=「最も個人的な事柄が最も創造的な事柄である」という格言を引用したことが話題になった。キム・ボラ監督は、まさに自身の最もパーソナルな少女時代の経験を基にこの物語を創造したのだろう。極めて個人的な心象風景であるが、それはあらゆる少年少女、そしてかつて少年少女だった大人の心にも激しく突き刺さるという、非常にストレートなビルドゥングスロマンの傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チング

『 友へ チング 』という作品もある通り、友、友人、親友の意味。調べてみると同級生や同い年にのみ使うらしい。長幼の序を重んじる韓国らしい表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, キム・セビョク, パク・ジフ, ヒューマンドラマ, 監督:キム・ボラ, 配給会社:アニモプロデュース, 青春, 韓国Leave a Comment on 『 はちどり 』 -小さな鳥も大きく羽ばたく-

『 君が世界のはじまり 』 -鮮烈な青春の一ページ-

Posted on 2020年8月2日2021年1月22日 by cool-jupiter

君が世界のはじまり 65点
2020年8月1日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:松本穂香 中田青渚 片山友希 
監督:ふくだももこ

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『 わたしは光をにぎっている 』の松本穂香の主演と聞いて食指が動いた。舞台は大阪。主要キャストは関西人で固められている。コロナの第二波で映画館が再びシャットダウンされる前に観ようとテアトル梅田へ出向く。

 

あらすじ

縁(松本穂香)は優等生。親友の琴子(中田青渚)は恋多き女。父への苛立ちから学校とショッピングモールにしか居場所がない純(片山友希)。それぞれが心の奥底に秘める鬱屈と同じ学校の男子への恋心が芽生える時、互いの関係が徐々に変化していき・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭から不穏なスタートである。父親を殺害したと見られる高校生が警察によって連行されていくシーンから始まる。その高校生の顔は見えない。なるほど。この高校生が誰であるのかを予想しながら鑑賞せよ、ということか。Jovianは「こいつだろう」と変化球的に予想して見事に外した。これから観る人も、このシーンを常に頭の片隅に置きながら鑑賞してみよう。

 

本作の舞台は大阪とはいっても、いわゆるキタやミナミが舞台ではないし、北摂のハイソな住宅地でもない。南海もしくは近鉄の支線のやや先っぽの方であろう。なんとなく雰囲気的に貝塚や富田林のように思えた。それとももう少し先の方だろうか。『 岸和田少年愚連隊 』ではお好み焼き屋のばあさんから「早うここから出て行きさらせ」と罵倒されたチュンバと利一だったが、出て行こうにも行けるのが地元のショッピングセンターぐらいしかないという閉塞感が通奏低音として全編を貫いていた。同時に、そのショッピングセンターが間もなく閉店するということに、自分たちの小さな世界が一つの終わりを迎えるということを高校生たちが感じ取る。代り映えしない退屈な日常がショッピングモールに仮託されているわけだ。

 

 

『 ここは退屈迎えに来て 』で描かれた幹線道路沿いに延々と続く代わり映えのしない店や施設の繰り返しと同じく、BELL MALLというショッピングモールが代わり映えしない世界の象徴になっている。それをぶち壊す一つの契機が、純が検索する「気が狂いそう」というフレーズである。そう、THE BLUE HEARTSの『 人にやさしく 』だ。2019年になっても甲本ヒロトの歌詞と歌唱に救われる若者がいることに、何故か心が震わされた。THE BLUE HEARTSの楽曲はクライマックス近くでも本作を彩る重要な要素になっている。そこは本作のハイライトリールでもある。

 

モール以外にもう一つの重要なモチーフとして現れるのが、タンクである。中身は水か、コンクリートか、何だから分からない。まるで、それを見つめる縁と業平の胸の内のようである。そのタンクの向こうに夕焼けが広がるシーンの美しさに、我あらず、日暮れて道遠しなどと感じてしまった。青春映画の夕焼けにこのような感慨を抱くことは稀である。

 

本作の見どころは、各キャラクターの青春との向き合い方である。琴子は業平に一目惚れし、セックスだけの関係から「真剣交際」の道を模索する。それを母親(江口のりこ)は「あの子もようやく初恋か」と感慨深げに見守る。東京から引っ越してきた伊尾(金子大地)は、純との衝動的な、刹那的な肉体関係のその先に踏み出せない。伊尾の抱える闇もなかなかに暗く、深い。普通に被虐待児なのではないかと思う。そして家庭でも学校でも優等生であるはずの縁も、心の内を見透かされることの羞恥に耐えられずメルトダウンを起こす。どれもこれも鮮烈な青春の1ページだ。

 

主演の松本穂香は闇の中でもきらりと光る目の力と、フェロモンを放たずに魅力をアピールするという子どもと大人の中間、少女と女性の中間的な存在を見事に体現した。親友の琴子役の中田青渚はビッチでありながらも乙女チックに変身しようとする、これまた難しい役どころを熱演。父と距離と母の不在に思い悩む純役の片山友希は、闇を抱える少年に一歩も引かずに向き合う「人にやさしい」を体当たりで実現した。

 

全員が関西人なので、しゃべりもノイズに聞こえない。本当はこういう映画こそミニシアターではなく、TOHOシネマズあたりでやってほしいのだけれど。邦画の青春映画としてはかなりの力作である。

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ネガティブ・サイド

主要な女子3人と男子3人の関係が途中まであまりにも希薄すぎる。BELL MALLで実は同時刻に違う場所にいたのだという描写がもっとたくさん欲しかった。それと同時に、モール内に同じ制服を着て、同じように時間を潰す高校生たちを映してほしかった。彼ら彼女らが、時に屈託なく、時に深刻な表情でモールで過ごす様が映し出されていれば、主要な6人だけではなく、その地域の高校生たちが抱える閉塞感や刹那的な享楽・歓楽への傾倒をもっと印象付けることができた。そうすることで殺人事件の犯人像にもっと説得力を持たせられたのにと思う。

 

琴子はしばしば買い食いするが、それがお好み焼きだったりたこ焼きだったりするが、もっとマニアック(?)かつディープに串カツやらイカ焼きやらカスうどんやらを食べさせることはできなかったか。一般的な映画ファンが思い浮かべるだろう大阪は道頓堀やら通天閣あたりだろうが、舞台はもっと南あるいは南東の方、ある意味でモールぐらいしか拠点がない没個性な町である。だからこそ、ちょっとした食べ物ぐらいは個性的なものを採用してほしかった。縁の家での晩餐についても同じことが言える。粉もんをオカズにご飯を食べるのは、らしいと言えばらしいのだが、そうした大阪大阪した描写は本作のメッセージとは相反するところがある。

 

後は縁、純、業平の父親像をもう少しだけ深掘りしてほしかった。特に縁の父親の放屁のシークエンスはもう少し追求できただろうにと思う。あれで笑える家庭、あれを受け入れられる業平という角度から、逆に業平とその父親の関係をもっと推測させることもできただろうにと、そこは少し残念だった。

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総評

青春時代の閉塞感というのは誰にでもある。それは環境の変化であったり、自身の肉体的精神的変化だったり、あるいは人間関係の変化であったりである。そうした青春の暗い側面と、暗いからこそ光を放つ一瞬を本作は活写している。大学一年生あたりは入学式もなくオリエンテーションもなく登校することなく、オンライン授業と課題とバイトの毎日で気が滅入っている。そうした大学生たちにこそ観てほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drive someone nuts

「誰かの気を狂わせる」、「頭をおかしくさせる」の意味。This is driving me nuts. や Both my boss and my client always drive me nuts. のように使う。THE BLUE HEARTSの『 人にやさしく 』の歌い出しが耳に聞こえたら、このフレーズに変換しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 中田青渚, 日本, 松本穂香, 片山友希, 監督:ふくだももこ, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 青春Leave a Comment on 『 君が世界のはじまり 』 -鮮烈な青春の一ページ-

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