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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:ワーナー・ブラザース映画

『 るろうに剣心 』 -コスプレ映画以上、傑作映画未満-

Posted on 2021年4月9日 by cool-jupiter

るろうに剣心 60点
2021年4月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 武井咲 香川照之
監督:大友啓史

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漫画『 るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 』をジャンプ連載時にリアルタイムで読んでいた世代としては、本作が映画化された時は素直に嬉しかった。ただし初めて劇場鑑賞した時、そして今回のリバイバル上映を観ても、感想は同じ。ストーリーをもっと練ることができたはずだ。

あらすじ

明治維新から10年。東京では神谷活心流を名乗る懸隔による謎の惨殺事件が頻発していた。流浪の剣客である緋村剣心(佐藤健)は、神谷活心流の薫(武井咲)と出会い、道場に逗留することになる。一方で、実業家の武田観柳(香川照之)は阿片の密売を進めようと画策していて・・・

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ポジティブ・サイド

佐藤健が緋村剣心にそっくりである。もちろん役者の容姿だけではなく、そこにはヘアスタイリストやメイクアップアーティスト、衣装の力があることを忘れてはならない。それでも、佐藤の演技に漫画の剣心をストレートにイメージできた人は多いのではないだろうか。剣心のユニフォームと言うべき、朱色の着物を身に着けるようになるエピソードもなかなかである。『 続・夕陽のガンマン 』でブロンディが最終盤近くでポンチョを身にまとうシーンを思い起こした。もちろんアクションでも魅せる。剣心というキャラクターの魅力は、華奢で天然の入った優男が実は凄腕の剣客であるというギャップ。実際に刀を振るってのアクションは迫力満点。キャラの外見は漫画的だが、チャンバラやその他のバトルシーンは映画的だ。ワイヤーアクションをふんだんに使ってのソード・アクションは必見。観柳邸の庭で大人数の浪人相手の立ち回りでは、カメラワークの巧みさもあり、漫画的なショットの連続で神速の体術と刀裁きが光っていた。飛天御剣流のお約束的なポーズもしっかり再現されていて、ファンサービスも抜かりなし。

剣心以外でキャラの再現度が高いと感じられたのは相楽左之助。演じた青木崇高に拍手。原作ではどこかクリーンなイメージの外見だが、映画では粗野で不潔で喧嘩っ早いという属性そのままの容姿。さらに斬馬刀を振り回すという迫力あるアクションに、本物の元格闘家を相手にして徒手空拳で挑むバトルも、漫画的でどこか笑える雰囲気でありながら、痛みを感じさせるリアルなシーンに仕上がっていた。特に観柳邸の台所でのバトルは、すぐそこにあるもので相手を殴りまくっており「これは痛い」と実感できた。

鵜堂刃衛役の吉川晃司もコスプレはもちろん、アクションを相当に頑張っている。警察署への討ち入りから剣心との決闘まで、チャンバラ活劇の迫力では佐藤健に一歩も引けを取っていなかった。背車刀の実演も見事。連載時に「うおっ、なんかすげえ!」と感じた中学生の頃をおっさんになった今でも思い出せた。本職は俳優ではなかったはずだが、この多芸多才ぶりは賞賛に値する。物語序盤の敵であるため目立たないが、スーパー実力者である鵜堂刃衛をコスプレ以上の意味で体現した、本作の影の立役者である。

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ネガティブ・サイド

るろ剣という壮大な物語の導入とキャラ立てとストーリー展開を同時並行でやろうとして、見事に失敗している。るろ剣ほどのヒット漫画の映画化なのだから、第一作目ではキャラをじっくり作りこみ、キャラ同士の関係の発展に焦点を当てるか、あるいは観る側がキャラ設定をすでに十分に承知したうえで鑑賞するものと想定して、一気に物語を動かすか。そのどちらかすべきだった。

本作の弱点は明らかで、キャラの立て方が中途半端になってしまっている。相良左之助と剣心の出会いが留置所というのはいかがなものか。いや、左之助と剣心の出会いの物語を原作漫画通りやっていたら、それだけで40~50分はかかる。それは理解できる。だが、なぜ警察絡みにしてしまうのかが解せない。原作のこの段階では出てこず、かつ左之助とはまったく馬が合わない斎藤一を、プロローグ段階でバンバン出してしまっていることで、キャラの人間関係や背後関係が妙なことになっているように見える。左之助を捕縛できる警察など斎藤以外にいないが、それでは話のつじつまが色々と合わない。

その一方で観柳はコスプレではなく、香川照之の独演会、ワンマンショーになっている。他のキャラは漫画のコスプレをしているのに、一人だけオリジナルキャラクターになってしまっている。もちろん観柳は観柳なのだが、なにもかもが over the top で、インテリヤクザではなくただのヤクザになっているのだ。

斎藤一のキャラもぶれている。というよりも、斎藤の代名詞である「悪・即・斬」が一度も聞かれないので、斎藤がただの腕の立つ警察官になり下がってしまった。なぜ幕府側だった斎藤が明治政府の要人の下でその腕を振るっているのか、それは原作で執拗なほどに描写された、斎藤自身の正義感=悪・即・斬という哲学・信念に常に忠実であり続けているからに他ならない。だが、そういったキャラ立てに最も必要とされる部分がすっぽりと抜け落ちてしまっているせいで、斎藤が単なる体制側の人間に見えてしまう。

最も許せないと感じたのは弥彦の扱いだ。それまで単なるにぎやかし要員だった弥彦が、観柳邸に向かう剣心と左之助から薫と道場の警護を託されるシーンは名場面だったし、漫画『 ベルセルク 』でガッツがイシドロに殿を任せる場面は、るろ剣のここからインスパイアされたものだと勝手に解釈している。そんな弥彦が、警察、それも斎藤一のところに駆け込むか?斎藤の口から語られるべきだったのは「お前らのところのちびが来た」ではなく、「神谷道場が襲撃されたと近隣住民から通報があった。急行してみたら、子どもが奮戦むなしくやられていたが、最後まで立派だった」みたいなことでなければならなかった、絶対に!るろ剣というのは主人公が最初から超絶強いわけで、読者は「かっこいい!」とは思えても、自己同一視はできないタイプのキャラである。そういう意味で弥彦というキャラは同時期の漫画『 ダイの大冒険  』で言うところのポップのような、成長型の人間、つまり普通の読者が自己を重ね合わせやすいキャラだった。そこを読み誤った、あるいは脚本に盛り込めなかった大友啓史には猛省を促したい。

総評

コスプレ映画以上の出来であることは間違いない。しかし、脚本があまりにも粗い。ストーリーを詰め込み過ぎている。また重要キャラクターの描写にも原作軽視あるいは無視の傾向が見て取れるのが残念である。逆に言えば、単純にアクションを楽しむ分には何の問題もない。チャンバラに関して言えば、韓国英語がにもハリウッド映画にも負けていない(というか、絶対に負けてはいけないのだが)。るろ剣の実写映画の最終章の公開前に復習鑑賞するという意味では、ファンならばチケットを買うべきだろう。

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no-kill

殺さず、の意味の形容詞。英語でも no-kill trap や no-kill animal shelter などの言葉は、あちらのドキュメンタリーなどを観ていると聞こえてくる。不殺の誓いは、no-kill oathとなるだろうか。初期以外のバットマンは犯罪者を殺さないというポリシーを持っているが、それも時々 no-kill oath と言われている。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, 佐藤健, 日本, 武井咲, 監督:大友啓史, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 香川照之Leave a Comment on 『 るろうに剣心 』 -コスプレ映画以上、傑作映画未満-

『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

Posted on 2021年2月21日2021年2月26日 by cool-jupiter
『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

すばらしき世界 85点
2021年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:役所広司 仲野太賀 六角精児 北村有起哉
監督:西川美和

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『 ヤクザと家族 The Family 』に続いて、反社の人間と社会の距離感を描き出す傑作が送り届けられた。社会という大きな枠の中では、ヤクザや犯罪者というのは受け入れがたい存在だ。しかし、個人と個人の関係にフォーカスをしてくることで見えてくる世界の姿は、果たして本当にすばらしいのだろうか。本作はそうした問題提起である。

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あらすじ

殺人犯として13年の服役を終えた三上(役所広司)は、弁護士らの助けを得て、東京で自立を目指していた。だが、元殺人犯で元暴力団員の三上に、行政は支援を渋る。そんな時、三上を使ってドキュメンタリー番組を作ろうと津乃田(仲野太賀)たちが三上に接近してきて・・・

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ポジティブ・サイド

役所広司の円熟味を極めた演技が光る。三上という元暴力団員を見事に体現して見せた。直情径行を絵に描いたような男で、出所後も自分の意に沿わないことには声を荒げ、暴力にも訴えることにも抵抗が無い。そんな社会の粗大ごみ的な男であるが、よくよく見れば反社の人間というよりも、自分の価値観にとことん忠実な任侠の男。夜中にアパートで騒ぐ若者の元締め(元暴力団員)相手に律義に仁義を切ってからケンカをおっぱじめようというシーンには笑った。そう、三上という男は世の中に害をなしてやろうという思いなどなく、自分の正義感、そして自分の居場所を与えてくれる者たちに忠実なだけなのだ。その原因を三上の生い立ちに求めているが、そのドラマに非常に説得力がある。だからこそ、三上という人間の生き様に不可思議な魅力がある。

 

『 関ケ原 』で岡田准一、『 孤狼の血 』で松坂桃李相手に格の違いを見せつけてきた役所広司だが、今度は仲野太賀をクラッシュ・・・していない。むしろ自分の高みに昇ってこいと引き上げてやったかのように映った。奇しくも三上を追い、並んで歩くことになる津乃田のビルドゥングスロマンにもなっているのだ。二人の男が裸で汗と涙を流し合う場面(と書くと「何のこっちゃ?」と思われるだろうが)は、近年の邦画ではトップクラスの涙腺崩壊シーンである。

 

その他、脇を固める役者たちも出色のパフォーマンス。ついこの前にヤクザの若頭を演じていた北村有起哉が、三上の自立を支援するソーシャルワーカーを好演。はじめは行政の職員として石頭丸出しの対応だったのが、徐々に三上に親身に寄り添っていくようになる様は観る側の胸を打つ。また、近所のスーパーの店長を演じた六角精児も、三上の万引きを疑ったところから、三上が父親の郷里の隣町出身ということから熱心な支持者に転向していく。袖振り合うも多生の縁との言葉通り、ほんのちょっとした関係が深い縁になりうる。そうした現代社会が忘れていきつつある価値観を本作は強く印象付けてくる。

 

『 ミセス・ノイズィ 』でも描かれていたように、事実と真実はしばしば異なるものだ。三上がついに職を得て、働き始めた場所でも、三上の義憤に火をつけるような出来事が勃発する。しかし、三上は自制する。そのことによって悩み苦しむ。しかし、そこで思わぬ言葉を聞かされるシーンが象徴的だ。暴力男に正義があり、暴力を振るわれる弱者に非があるとしたら・・・そして弱者(それはしばしば障がい者や前科者、元反社の人間だ)の側に、社会の大多数の人間は寄り添ってはくれないのだ。しかし、ほんのわずかでも自分を理解してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分を支援してくれる人がいたら・・・ほんのわずかでも自分のために涙を流してくれる人がいたら・・・そんな世界を見出すことができれば、それは充分に「すばらしき世界」ではないのだろうか。西川美和監督の問題意識と柔らかで、それでいて厳しい視線が感じられる傑作である。

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ネガティブ・サイド

三上が母親を探し求めるサブプロットに決着をつけてやってほしかった。福岡でソープ嬢と母親を語らうのも「らしい」と言えば「らしい」が、やはり施設でサッカー後に泣き崩れるシーンが少々弱かった。地面に崩れ落ちるよりも、過去の自分の分身かもしれない目の前の子を力強く抱きしめてほしかったと思う。

 

あとは長澤まさみの出番か。三上と、三上を取り巻く人々の輪を見て、これはテレビ屋の関わってよい領分ではないと感得するシーンが欲しかったと思う。

 

最後の雨のシーンは正直、しょぼかった。『 パラサイト 半地下の家族 』のようなクオリティまでは求めないが、いかにも画面の外からシャワーを降らせてます、みたいな雨はやめてほしい。

 

総評

これは年間ベスト級の作品である。西川美和監督の渾身の一作である。これまで観よう観ようと思いながら先延ばしにしていた『 ゆれる 』や『 永い言い訳 』も、2021年中に鑑賞せねばと感じた。時代によって変わる個人と個人の距離感、そして個人と社会の距離感を秀逸な人間ドラマの形で活写した傑作。ぜひ多くの人に鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

hypertension

ハイパーテンションと書いてあるが、精神状態が極度に高揚しているわけではない。これは「高血圧」の意。 I have hypertension. =「自分、高血圧持ちでして」のような形で使う。high blood pressureの方が遥かに分かりやすいが、実際の使用頻度はほぼ五分五分であると感じる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 仲野太賀, 六角精児, 北村有起哉, 役所広司, 感得:西川美和, 日本, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 すばらしき世界 』 -生きづらさは世界にあるのか、自分にあるのか-

『 ワンダーウーマン 1984 』 -前作よりも少々パワーダウン-

Posted on 2020年12月20日 by cool-jupiter

ワンダーウーマン 1984 70点
2020年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ガル・ガドット クリス・パイン クリステン・ウィグ ペドロ・パスカル
監督:パティ・ジェンキンス

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前作『 ワンダーウーマン 』は傑作だった。微妙な出来だった『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』や『 ジャスティス・リーグ 』でも、ワンダーウーマンの登場シーンは良かった。期待を高めすぎるのは禁物だと分かっていながらも、やはり期待して劇場へ向かった。裏切られたとまでは感じないが、前作の方が面白さはあった。

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あらすじ

スミソニアン博物館で働くダイアナ(ガル・ガドット)は、願いを叶えてくれるという謎めいた石の存在を知る。ダイアナがその石に願うと、本当にスティーブ(クリス・パイン)が復活した。再会を喜ぶ二人だったが、実業家のマックス・ロード(ペドロ・パスカル)とダイアナの同僚バーバラ(クリステン・ウィグ)も石に願いを行っていて・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングからのセミッシラでのアマゾネスたちの競技大会が奮っている。元々は2020年の夏前の公開予定だったので、これは東京五輪を意識していたのだろう。Jovianの勤務先は東京五輪2020のオフィシャルサポーターではあるが、個人的には日本での五輪開催はもう諦めている。そうした意味で、幼少期のダイアナが大人たちとアスレチックを競うシークエンスには I felt redeemed. 青い空と青い海、そして豊かな緑の中を駆け抜けるアマゾネスたちの姿はそれだけで非常にシネマティックだった。

 

ヴィランの設定も悪くない。神が作った石というのも説得力がある。前作のオープニングは、いきなり神々の話だったし。前作が神殺しであれば、本作は人間の弱さにフォーカスしている。マックス・ロードは悪になろうとして悪になったわけではないし、バーバラも最初から悪を志向したわけではない。強さを求めることそのものを悪とは決して言えない。問題は、力を正しく使えるかどうか。そのことは冒頭のオリンピック的シークエンスで明示されている。単純な善と悪の物語に割り切ってしまわないところに好感が持てるし、本来スーパーヒーローとはそういうものだった。ウルトラマンは街を破壊しながら人間を守ることに疑問を持った少年少女は多いだろうし、『 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 』や『 バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』はまさにヒーローによる戦いが一般の人間に災厄をもたらしている点を鋭く突いていた。本作はテーマ的にそれらの先行作品の一歩先に進んだとも言える。

 

スティーブとダイアナの交流も微笑ましい。前作でダイアナが浮世離れしたファッション・センスを見せつけたが、今作ではスティーブがオールド・ファッション感覚を披露する。第一次大戦から60年以上を経て1984年に蘇ったスティーブがエスカレーターや地下鉄に驚き、自室にあるチープなファースト・フードに大興奮する様はひたすらにチャーミングだ。ありふれたものに幸福を感じられるのも愛する人がそこにいるからだという、ある意味で非常に陳腐な、しかしどこまでも真実である命題が、マックス・ロードが人々の願いを叶える代償として、力を奪っていくことと対比になっている。マックスの最後の選択は、だからこそ説得力があった。

 

アクションも見応え充分。特にエジプトの道路のバトル・シーンは迫力満点。ダイアナがパワーダウンして、ダメージを負うところも緊張感を高めている。チーターと化す前のバーバラとの格闘シーンも手に汗握るもの。バーバラがダイアナと同等の力を持っていて、ダイアナがパワーダウンしているからだ。強すぎるヒーローが戦ってもハラハラドキドキが生まれにくいが、本作はプロットと論理的に絡めて、戦闘シーンの緊張感を高めるのに成功している。

 

エンドクレジットの幕間に続編を予感させるような、予感させないようなスキットが挿入されている。ここで登場する人物に興味がある人は「リンダ・カーター」でググるべし。

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ネガティブ・サイド

ワンダーウーマンのイメージを映画ファンに決定づけたのは、やはり盾と剣だと思われる。そのいずれもが本作でフィーチャーされなかったのは残念だった。

 

前作も『 スーパーマン 』のオマージュに満ちていたが、本作でもそれを繰り返すのはちょっと芸がない。愛する人との生活を手に入れるためにスーパーパワーを失い、自分の使命のためにもう一度スーパーパワーを手に入れるというのは、まんま『 スーパーマンII 冒険篇 』のプロットではないか(ロイス・レーンは死なないけど)。また、ダイアナが空中で右腕を前に突き出して左腕を引いて一気に加速して滑空していくシーンにもスーパーマンのシルエットが見えてくる。ここまで来ると興ざめする。

 

黄金のアーマーを身にまとったダイアナのチーターとの戦闘シーンも暗い。『 アクアマン 』以来、DC映画も“暗さ”から抜け出したと思ったが、ここでも戦闘シーンが暗すぎる。黄金のアーマーがまったく画面上で映えない。前作のように、夜でも爆発の炎に囲まれて十分にライトアップされているという環境を作り出せなかったのだろうか。

 

細かい点だが、エジプトからワシントンD.C.にダイアナとスティーブはどうやって帰ってきたのだ?

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総評

前作『 ワンダーウーマン 』と同レベルのクオリティを期待してはいけない。しかし、キャラクターの造形と成長は素晴らしい。スーパーマンと言えばクリストファー・リーブ、アイアンマンと言えばロバート・ダウニー・Jr.、というのと同じレベルで、ガル・ガドットはワンダーウーマンというキャラクターのイメージを不動のものにしたと言えるだろう。三作目があるのかどうかは現時点では未知数のようだが、ぜひ剣と盾で大暴れする姿を見てみたい。それもDCEUではなく、スタンドアローンで。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

renounce

辞書を引けば「捨てる」、「放棄する」、「断念する」などと出ているが、こういうものは文脈で理解したい。個人的に最もよく目にして耳にする使い方は、“renounce the belt/championship”=ベルト・王座を返上する、というもの。いったん手に入れたものを元の場所に返す、というのがコアの意味となる。そのことは本作からでも十分に理解できるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アドベンチャー, アメリカ, ガル・ガドット, クリス・パイン, クリステン・ウィグ, ペドロ・パスカル, 監督:パティ・ジェンキンス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ワンダーウーマン 1984 』 -前作よりも少々パワーダウン-

『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

Posted on 2020年11月14日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 5点
2020年11月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 綾野剛
監督:深川栄洋

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なんとなく『 マスカレードホテル 』との共通点を思わせる。豪華キャストがバディになって、犯行予告をしてくる犯人を追うというところが特にそう思わせる。タイトルも意味深だ。普通なら『 ドクター・デスのBLACK FILE 』とか『 ドクター・デスの殺人カルテ 』で良さそうなところを何故“遺産”とするのか。『 ソウ 』のジグソウみたいな奴なのかという懸念もあったが、ミステリかつサスペンスは好物ジャンルということもあり、近所の劇場へと出向いた。

 

あらすじ

連続不審死を捜査していた警視庁最強コンビの犬養(綾野剛)と高千穂(北川景子)は、「ドクター・デス」と呼ばれる安楽死を請け負う医師の存在にたどり着く。しかし必死の捜査の最中、犬養の娘がドクター・デスに安楽死を依頼してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

北川景子と綾野剛がそれなりに熱演している。またドクター・デス役の俳優も頑張っている。

 

偶然だろうが、1~2週間ほど前にニュージーランドで“安楽死”を合法とする法案が可決されたというニュースがあった。医療が発達した現代、本作は死の意義をあらためて問い直す契機にだけはなったと言える。

 

そうそう、販促物で『 マスカレードホテル 』と同じ愚を犯さなかった点は評価せねばなるまい。

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ネガティブ・サイド

長文注意。以下、ビミョーにネタバレに触れるので未見の方はスルーを推奨する。

 

警視庁最強コンビって、アホかいな。警視庁の刑事連中というのは韓国映画の警察よりも遥かに無能な人間の集まりなのか。とにかく捜査の段取りが悪すぎるし、リアリティも何もない。ちなみにすれっからしのJovianは開始5分でドクター・デスの正体が分かってしまった。

 

オープニングのEstablishing Shotから何かを間違えている。あれ、俺は『 犬鳴村 』を観に来たわけではないのだが・・・と思われた。この時点で嫌な予感が漂った。

 

不審死した人間の家族(小学生だが)から警察に通報があったとして、いきなり刑事が出向くか?しかも捜査一課の“最強コンビ”が?だいたい、死亡時刻が昼の11:30、通報がその日の夜だとすれば、当日は仮通夜、翌日に通夜、その翌日に葬式だとして警察登場に2日半のタイムラグがある。遅すぎるやろ・・・。それに普通は所轄の警察官が出向くべき、なぜに一課の刑事が動員されるのか。さらにいきなり司法解剖するためか、棺桶を火葬場から持っていくのだが、令状ぐらい見せんかいな・・・。公権力を振り回せる人間が横柄に振る舞うこと、さらに後述するが綾野剛演じる犬養の人間性が最悪なところが、本作が本来なら投げかけることができていたはずの社会的なメッセージを非常に底浅いものにしてしまっている。

 

捜査の突っ込みどころはまだまだ続く。周辺の聞き込みもいいが、せっかくの防犯カメラ映像なんやから、それをとことん追いなさいよ。周辺の防犯カメラの映像を総ざらいしなさいよ。その上で聞き込みの範囲を指定しなさいよ。石黒賢演じる班長的存在の指示が昭和の刑事長レベルで止まっている。また防犯カメラの映像と家族の証言から、家に来た人間は医師と看護師の二人だと分かった。よし、似顔絵は医師の方だけ作ろう、って、アホかーーーーーーーー!!!典型的な認知バイアスで、それこそ警察官、特に捜査一課の刑事ともなれば絶対に陥ってはならない思考の陥穽にものの見事にハマっている。その看護師もこのご時世にご丁寧にナースキャップをかぶって敢えて目立とうとしている。『 ココア 』でも突っ込んだところだが、ナースキャップは日本でも世界でもほぼ廃止されている。嘘だと思われるなら「看護師」でグーグル画像検索をすべし。ほとんどのナースは最早キャップをつけていないし、つけているとすればめちゃくちゃ古い画像か、就職・転職系のサイトか、またはアダルトサイトであろう。

 

閑話休題。本編の刑事たちの無能っぷりは留まるところを知らない。序盤で小学生に追いつけない綾野剛にも失笑したが、60歳以上の河川敷ぐらしのホームレスと駆けっこをして追いつけない20代の若い刑事には文字通り頭を抱えた。火葬場の時と同じく、横柄に「任意同行」させればよいだけだ。ここらでいっちょ北川景子の見せ場でも作っとくか、ぐらいにしか監督は思っていなかったのだろうが間違っている。犬養刑事も無能の極み。ドクター・デスからのせっかくの着信をなぜ逆探知しない?しかもチャンスは2回あったではないか。それに闇サイト云々もサイバー部隊を動員して追いかけなさいよ。警察にも『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の刑事みたいなのがいるはずだ。バックドアを使えとまでは言わないが、ITを駆使した捜査も同時並行で行わないのはリアリティがない。リアリティがないのは意味なく挿入される居酒屋のシーンも同じ。人があれだけたくさんいる場所で刑事が事件の話をするか?警察の食事会または飲み会は個室が原則ではないのか?個室でないにしても、テレビドラマ『 相棒 』の飲み屋のような客が自分たちしかいないとすぐにわかるこじんまりとした店を選ぶべきではないのか?原作の小説もこうなのか?それとも映画化に際して改悪されているのか?

 

『 ビバリーヒルズ・コップ2 』の時代から、靴に付着していたであろう土の成分を調べるのは捜査の常道だが、逆にそうした然るべき捜査をした時に矛盾が大きくなるのが本作の弱点だ。ドクター・デスに安楽死を依頼した5つの家族の玄関から共通の土の成分が検出されたと言うが、そんな馬鹿な話があるものか。関係者の証言によるとドクター・デスは月に1~2回の犯行に及び、警察が把握しているのは5件、全体ではおそらく35件とされている。警察が把握している5件が連続して行われた犯行だとしても、最初の家族から5番目の家族までは最短でおそらく2か月半、長ければ5か月の間が空くことになる。1件目と35件目の間隔ならば、最短でも1年半。その間にどの家庭も玄関先を一切掃除することがなかったのか。にわかには信じがたい。

 

さらに終盤、携帯の通話音声を詳細に解析、小さな救急車のサイレンの音が入っていたのをキャッチ。これは事態が動くか?と期待させて、「特定できるか?」「それはちょっと・・・」って、アホかーーーーーーーー!!!そら日本中の救急車の出動を全部把握するとなると人手も時間もかかる大仕事だろうが、まずは東京都だけでも調べろよ。〇月〇日何時何分という非常に確度の高い情報があるのだから、消防および救急患者を受け入れている病院に片っ端から当たれよ。アホなのか手抜きなのか無能なのか。おそらく全部だろう。

 

本作は安楽死に関する問題提起をした点だけは認められる。しかし、安楽死を望む人間およびその周辺の描写がクソ薄っぺらいため、議論の深めようがないのだ。綾野剛演じる犬養刑事の人間性が腐っているところがまずダメだ。負けそうになったオセロの盤をひっくり返したのは、「アクシデントか?」と思ったが、複数回それをやっているという確信犯。それだけならまだ許せたかもしれないが、愛娘に「お父さん、サボり?」と言われて「仕事の方がサボってるんだ」と返事する無神経さ。そこは「お父さんが暇だということは世の中は平和なんだ」と返すところだろう。仕事の方がサボっているという言い方は、事件が起こってほしいと願っているように聞こえる。また、警察という国家権力を振り回せる人間が私人性を突かれると弱いというのは事実であり、だからこそ時に一個人が警察をほんろう出来たりもするわけである。だが、本作ではその私人性の描写も弱い上に、その描写が家庭人としてダメダメであるところを強調するだけという始末。では公権力をフルに活用しているかというと、上述のようにアホな捜査を繰り返すだけ。そんな奴らに「安楽死は殺人だ」と言われても問題提起にならない。国家がこれは罪であると決めたことだからダメだと言われても、その国家権力がここまで無能だと「安楽死もありではないのか?」という意見に傾いてしまう人間が絶対に一定数出てくるはずだ。もう一つ、Jovianが犬養刑事を私人性について白々しいと感じたのは、娘に対して作ったお弁当。レシピ通りに作って美味しいわけはないだろう。原作者も監督も『 聖の青春 』を100回読めよ。腎臓病食が美味しいわけはないだろう。Jovianもその昔、ボランティアの付き添いでレトルト腎臓病食を食べたことがあるが、何の味もなかった。これを1日3回、10年も20年も続けるのかと思うとしみじみと寂しくなってくる。それが病人の食事だ。そうした愛娘やその他のドクター・デスに依頼した患者たちが絶対に感じていたであろう葛藤や懊悩を一切映すことなく「安楽死はただの殺人」と無能な国家権力の持ち主に言われても、受け取り手としてはシラケるばかりで問題提起とは受け取れない。決して。

 

他にも、窓やドアから入る自然光とは全然別の角度からの光があまりにも多く使われていて、不自然極まりないシーンも多数ある。スクリーンの外側に映画の世界ではなく撮影スタッフの存在を感じさせれば、それは興行映画として失敗作である。本作は話のも酷いものだが、映画製作の技法もお粗末の一言である。

 

総評

観てはならない、チケットを買ってはならない。『 事故物件 怖い間取り 』と肩を並べる世紀の駄作で、年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼に躍り出た。Jovianは嫁さんと共に出向き、嫁の耳元で犯人を呟いて不興を買ったが、鑑賞後、嫁は不承不承にJovianの意見に同意した。つまり、本作は2020年屈指の駄作である、と。もう一度言う。観てはならない、チケットを買ってはならない。Don’t say you’ve never been warned. 警告は発した。後は諸賢の自己責任である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to cleanse my palate and forget about this film as quickly as possible.

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 監督:深川栄洋, 綾野剛, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし-

Posted on 2020年9月20日2021年1月22日 by cool-jupiter

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

inversion

「逆行」や「反転」の意。動詞はinvert、「逆向きにする」、「反対向きにする」の意。『 トップガン 』の冒頭でマーヴェリックがソ連のミグ戦闘機に接近した方法は inverted dive だった。invertの仲間のavert=回避する、convert=転換する、なども併せて覚えておきたい。

 

総評

二回観ることを前提に作られていると言われているが、この手の構造に慣れている人なら1度の鑑賞で充分かもしれない。ただし、鵜の目鷹の目でそこかしこに挿入されるオブジェやガジェットに目を光らせる癖を持っていなければならないが。9割がた席の埋まったTOHOシネマズなんばでは終映後、劇場に明かりが灯った途端に誰もかれもが「難しかった」、「意味わからん」を連発していた。本作を鑑賞するにあたっての心得は、細部に目を光らせながらも常に全体を考えよ、終盤の展開を思い描きながら必ず序盤を思い出せ、である。楽しんでほしい。

 

ネガティブ・サイド

エンドクレジットにキップ・ソーンの名前が観られたが、科学的・物理学的に説明がつかない描写もかなり多く観られる。たとえば、序盤に主人公が銃弾を逆行させるシーン。普通に考えれば《撃った》瞬間に手に凍傷を負うはずだ。ガソリンの爆発で低体温症になる世界なのだから、銃弾が的に命中する時の衝撃=変換された熱エネルギーがすべて銃弾に返ってくるのだから。また、逆行世界では光の粒子も逆に進む、つまり常に網膜から光子が離れていっているわけで、何も見えないか、あるいは網膜剥離の時の光視症(目の前にいきなりチカチカした光が現れる。目をつぶっていてもそれが見える)のような状態になるはずだ。また、空飛ぶカモメの声がドップラー現象的に聞こえてくるが、これもおかしい。カモメの声と姿が同時に認識できていたが、実際は音がはるかに先に届いて(正確には鼓膜から音が逆反射されて)、それが音速(毎秒300m以上)で鳥の方に返っていく。なのでカモメの逆回しの鳴き声が聞こえたら、数百メートル以上離れたところに鳥が視認できなければおかしい。

 

スタルスク12の大規模戦闘シーンで敵の姿がほとんど見えないのも不満である。銃撃戦も良いが、我々が本当に観たかったのは、大人数vs大人数での時間の順行・逆行の入り乱れる近接格闘戦だった。ノーランをしても、それを撮り切れなかったのかと少し残念な気持ちである。

 

悪役であるセイターの背景にも少々興ざめした。世界が絶賛しJovianが酷評している『 ソウ 』のジグソウか、お前は。もっと魅力ある悪役が設定できていれば、主人公がもっと輝いたはず。その主人公の相棒ニールも、どうしても『 ターミネーター 』のカイル・リースと重なって見えてしまう。RoundなキャラクターとFlatなキャラクターの差が激しい。視覚効果はノーラン作品の中でも随一だが、キャラの造形は今一つであると言わざるを得ない。

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ポジティブ・サイド

本人は至って真面目でいながらも傍から見るとコミカルでユーモラスだった『 ブラック・クランズマン 』とは一転して、ジョン・デビッド・ワシントンは非常にシリアスなエージェントを好演した。アクションも緻密にして派手。序盤の時間を逆行する男との目も眩むような格闘戦と、中盤の用心棒たちとの肉弾戦からは黒ヒョウのしなやかさと力強さが感じられた。

 

ヒロイン的な位置づけのキャットも素晴らしい。『 ブレス あの波の向こうへ 』のつかみどころのない美女が、夫に虐げられながらも、凛とした美貌と母としての本能を失わない女性像をリアルに構築した。彼女の序盤のとあるセリフは終盤の展開への大いなる布石になっている。より正確に言えば、本作は序盤の展開が終盤の展開と不思議なフラクタル構造を成している。細部が全体なのである。Jovianのこの捉え方がノーラン監督の意図したものかどうかは分からないが、少なくとも的外れではないはずだ。時間の逆行・逆転現象が頻発する本作において、キャットはある意味で観客にとっての道しるべである。能動的に動いているキャットは常に順行である。『 インセプション 』ではマイケル・ケインが存在するシーンが現実だと言われているが、それと同じだと思えばよい。

 

一番の見どころは時間の逆行シーンである。トレイラーでも散々流されているが、高速道路のカーチェイスシーンや、最終盤のスタルスク12の大規模戦闘シーンは、初見殺しである。これを一度で理解できるのは天才か変人だろう。だが、予測不能、理解不能、解釈不能なシークエンスの数々を楽しむことはできる。特に、とある建造物の下部が修復、上部が爆発するシーンには痺れた。ブルース・リーではないが、まさに「考えるな、感じろ」である。そうそう、劇中でも序盤に似たようなセリフが出てくる。深く考えてはいけない。主人公が味わう混乱に素直に没入するのが初回の正しい鑑賞法だ。

 

とはいえ、鑑賞中にも「ああ、なるほど」と思わせてくれるカメラアングルが特に序盤に多くある。したがって自信のある人やノーランの作風に慣れている人であれば、初回鑑賞でもある程度は驚きと納得の両方をリアルタイムに味わえるようにフェアに作られている。

 

以下、微妙にネタバレになりかねないが、本作の構成(≠物語)の理解の助けになりそうな先行作品を紹介しておく。

 

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 星を継ぐもの 』

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 巨人たちの星 』

ジェームズ・P・ホーガンの小説『 Mission to Minerva 』(2020年9月19日時点で日本語翻訳なし)

高畑京一郎の小説『 タイム・リープ あしたはきのう 』

 

特に『 星を継ぐもの 』のプロローグとエピローグ、『 巨人たちの星 』の序盤と終盤のつなぎ方は、「ノーラン監督はホーガンのこれらの作品の構成をそのままパクったのでは?」と思えるほどである。興味のある向きは読んでみるべし。

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あらすじ

男(ジョン・デビッド・ワシントン)はとあるテロ事件鎮圧後、テロリストに捕らえられ拷問を受けていた。隙を見て服毒自殺した彼は、ある組織の元で目覚める。そして、時間を逆行する弾丸を教えられる。未来で生まれた技術のようだが、いつ、誰がどうやって開発したのかは謎。それを探り、第三次世界大戦を防ぐというミッションに男は乗り出すことになり・・・

 

TENET テネット 70点
2020年9月19日 TOHOシネマズなんばにてMX4Dで鑑賞
出演:ジョン・デビッド・ワシントン ロバート・パティンソン エリザベス・デビッキ ケネス・ブラナー
監督:クリストファー・ノーラン

 

間違いなく現代の巨匠のひとりであるクリストファー・ノーラン、その最新作である。自身の初期作品『 メメント 』に、『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』を混ぜ込んだような時間逆行系の難解映画であった。

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, SF, アメリカ, エリザベス・デビッキ, ケネス・ブラナー, ジョン・デビッド・ワシントン, ロバート・パティンソン, 監督:クリストファー・ノーラン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画『 TENET テネット 』 -細かい矛盾には目をつぶるべし- への15件のコメント

『 かいじゅうたちのいるところ 』 -ファミリー向けファンタジーの佳作-

Posted on 2020年7月8日 by cool-jupiter

かいじゅうたちのいるところ 65点
2020年7月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マックス・レコーズ
監督:スパイク・ジョーンズ

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シカゴ在住の友人からキッズへの英語レッスン教材として勧められたのが、『 グリンチ 』と『 かいじゅうたちのいるところ 』だった。『 ブラッド・スローン 』をMOVIXあまがさきで公開していたのと同時期に『 アイム・ノット・シリアルキラー 』という珍作ホラーも公開されていた。その主人公のマックス・レコーズの子ども時代の作品。これも何かの縁ということでDVDをレンタル。

 

あらすじ

空想好きのマックス(マックス・レコーズ)は、どこか家族にも周囲の人間にも上手く馴染めない。母親とのちょっとした行き違いから大ゲンカになってしまったマックスは家を飛び出し、そのまま船に乗って大海原へ飛び出した。そして「かいじゅうたちのいるところ」にたどり着いたのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

疎外感を感じる子どもが主人公のファンタジーと言えば、まずは『 ネバーエンディング・ストーリー 』が思い浮かぶ。近年の作品では『 バーバラと心の巨人 』が思い出される。古典的な作品では、やはり『 オズの魔法使 』は外せない。また、子どもが空想の友人と遊ぶ作品では『 ジョジョ・ラビット 』の面白さが突出している。空想世界を題材にしたファンタジーの面白さは、現実世界がどのようにそこに反映されているのかで決まると言ってよい。その意味で、本作は及第点以上である。

 

まず、着ぐるみを採用したのが大きい。表情は後からCG処理したのだろうが、これによって「かいじゅうたち」の存在感、実在感が確実に増している。2020年時点ではCGだけならば『 ライオンキング 』や『 野性の呼び声 』からも分かるように、本物と見分けがつかないレベルに達している(もちろんカネと時間が必要だが)。しかし着ぐるみには重みや手触りがある。他の生き物や事物と触れ合うことができる。もしも本作の「かいじゅうたち」がフルCGだったなら、最終盤のとあるキャラとマックスの究極の触れ合いが、逆にちゃちなものに感じられただろう。これは一種の胎内回帰願望の表れで、冒頭の雪のトンネルでも強く示唆されていたことである。非常に分かりやすくシンボルを配置しているが、これは子どもでもなんとなく理解できるだろう。我々は皆、何故か小さい頃、押し入れだったり、屋根裏だったりと、暗く狭いところに惹かれていた時期があったはずである。本作は辛い現実を空想世界に投影することで、その空想世界すらも辛い場所にしてしまうストーリーであるが、そこには救いがある。庇護がある。また子ども自身の成長もある。予定調和的であるが、最後の最後には安心するし納得できるのである。

 

様々な悩みであったりストレスを抱える「かいじゅうたち」は、マックスの現実世界での人間関係・人間模様の投影である。そして、そこにはマックス自身の影も存在する。キャロルという「かいじゅう」はマックスの負の部分を体現したキャラクターである。疎外されていると感じていたマックスは、キャロルを通じて、自分が疎外されていたのではなく、悩みを抱えているのは自分だけだという錯覚に陥っていたことに気付く。簡単すぎず、かといって難しすぎない見せ方は、まさにファミリー向けである。

 

ネガティブ・サイド

一部のかいじゅうの行動にドン引きさせられる。木に穴をあけるのは、それが仕事とあらばしょうがないが、いたいけなフクロウを投石で撃墜して、「この子たちは、これが嬉しいんだ」と言い放つのには正直引いた。また、マックスに負けず劣らずの強情っぱりのかいじゅうが、「フクロウと一緒に寝られるか」というのにも違和感。そもそもフクロウは夜行性ではなかったか。

 

また、かいじゅうたちの理解に苦しむ言動がマックスを蝕む過程もやや唐突だ。子ども向けであるならば、もっとこの王国の愉快なところ、楽しいところを強調する描写が欲しかった。それこそ原作には存在せず、だからこそ映画というビジュアルな媒体で存分に表現すべきものだろう。

 

エンディングにも少々不満である。マックスが求めていたのは家族との触れ合い、お互いを認め合うことだった。そこに姉の姿が見られなかったのは個人的には納得がいかなかった。

 

総評

良作である。色々と???なところもあるが、絵本の世界をビジュアルの面でもストーリーの面でも、ここまで大きく膨らませて、なおかつ綺麗に着地させるのはスパイク・ジョーンズ監督の手腕だろう。COVID-19が静かに再拡大の様相を見せている今、映画館に行かないという選択をする映画ファン、特に家族持ちにお勧めをしたい作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Knock it off

「やめろ」、「うるさい」、「いい加減にしろ」、「そこらへんにしとけ」のような意味である。職場であまりにも雑談が過ぎる、あるいは声のボリュームが大きすぎる人がいたら、心の中でこのように唱えてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, ファンタジー, マックス・レコーズ, 監督:スパイク・ジョーンズ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 かいじゅうたちのいるところ 』 -ファミリー向けファンタジーの佳作-

『 アウトブレイク 』 -アメリカの本音が詰まったウィルス・パニック映画-

Posted on 2020年5月31日 by cool-jupiter

アウトブレイク 70点
2020年5月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダスティン・ホフマン ケビン・スペイシー モーガン・フリーマン
監督:ウォルフガング・ペーターゼン

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これは確か高校3年生ぐらいの時にWOWOWだかレンタルVHSだかで家族そろって観た記憶がある。エボラ出血熱のニュースがその2~3年前にあり、人食いバクテリアなる言葉が人口に膾炙するようになった時代だったように思う。本作もまたCOVID-19禍によって再評価が進む作品の一つだろう。

 

あらすじ

サム(ダスティン・ホフマン)はアフリカで未知のウィルスが猛威を振るうの目の当たりにして、アメリカ本土も警戒の要ありと認めた。だが軍の上層部や政府は動かない。そうしている間にも、シーダー・クリークという田舎町で突如謎の感染症によって人々が死に始める。サムはこの苦境に立ち向かえるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

単純に未知の病原体が現れて人類を恐怖と混乱のただ中に放り込む・・・というだけのストーリーではない。そこには職業人と家庭人の両立をできなかった男の悲哀があり、軍という自制が必要な組織体の自制の無さという問題があり、なおかつ自然と人間の適切な距離の問題がある。さらに過剰とも思えるほどのヘリコプター・アクションもあり、よくこれだけのストーリーを2時間に凝縮したなと、脚本家と監督、そして編集の手腕に感心させられる。

 

25年前の映画だが、現代にも通じる点としてウィルスが変異する点が挙げられる。COVID-19もアジア株とヨーロッパ株の2種に大別できるとされているが、実際は何十にも何百にも枝分かれしているとされる。小説および映画化もされた『 パラサイト・イブ 』では「ミトコンドリアは人間の10倍の頻度で変異する、つまり人間の10倍のスピードで進化する」とされていた。微生物を人間がどうこうしようというのが、そもそもおこがましいことなのかもしれない。ましてや兵器にしてやろうなどと。そうしたことも本作から学べるのだ。

 

ダスティン・ホフマンの名探偵も斯くやの快刀乱麻を断つがごとしの推理や論理展開の速さは必見。そして「自分を抜きにしてアメリカの防疫を語るな!」というプライドとプロフェッショナリズム。日本にこれほど熱く有能な科学者や官僚はいるのだろうかと思われてしまう。モーガン・フリーマンやドナルド・サザーランドのいかにもアメリカ軍人らしい冷徹さも、そのコントラストが際立っている。その裏には少数を切り捨てることで絶対的多数を守ろうと決断する者たちの姿が見えるからだ。シーダー・クリークを爆撃し、ウィルスおよび感染者を文字通りに一掃しようと立案する大統領補佐官らしき男の官僚連中への「この顔を刻み付けろ!一生思い出す顔だ!」という怒声は、果たしてダイヤモンド・プリンセス号を見捨てた(としか思えない)日本政府の中でも聞かれたのだろうか。フィクションと現実を比較しても詮無いことだが、現実がフィクションに侵食されている今こそ、現実を鋭く批判検証せずに、いつするというのか。

 

アクションも熱い。現代ならおそらく95%はCGで描いてしまうであろうヘリコプターのチェイスと曲芸飛行を、おそらく9割は実物、1割は模型(ハンマーヘッドターンはさすがに模型だろう)だと思われるが、それでもこのヘリコプターアクションのシークエンスは90年代の作品では『 ターミネーター2 』のそれに次ぐクオリティであると感じた。相当な腕っこきパイロットを連れてきたのだろうな。

 

ネガティブ・サイド

ヘリコプターの燃費が良すぎる。通常巡航速度以上の飛行をずっと続けて、なおかつ戦闘機動も織り交ぜ、なおかつ巡航速度を超大幅に下回る飛行を行いつつも、給油なしで飛び続けるあのヘリコは一体全体何であるのか。またAWACSがついていながら軍用ヘリをロストするというのも頂けない。カーナビがついているのに迷子になった、あるいは暗視スコープをつけているのに暗闇でこけてしまった、そういうレベルの盛大なミスである。さすがにちょっとご都合主義が過ぎやしないか。

 

ケビン・スペイシーの感染シークエンスが不可解だ。あの一瞬でウィルスを吸い込んでしまうだろうか。あれでは、防護服周辺に来た人間全員に感染してもおかしくないではないか。その後のラボの人間が誰も発病していないところを見ると、防護服に穴が開いた瞬間に感染というのも大げさすぎる演出だと感じた。

 

土壇場での血清培養も、シーダー・クリークのような地方の片田舎でどのように行ったのだろうか。厳密な温度管理や滅菌処理など、かなり大掛かりな施設が必要となるはずだが、「いいぞ、もっとドンドン作れ!」とはこれいかに。

 

総評

色々と不可解な面もあるが、ヒューマンドラマの要素とSFの要素、そして家族愛や友情の要素に、『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』が前面に出しきれなかった人間vs自然のような視点までも包含した、ジャンル横断的な傑作である。願わくば、『 Search サーチ 』のような様式、すなわち全編これ顕微鏡下の映像だけで送る最近・ウィルスのパニック・スリラーも観てみたい。映画関係者よ、作るなら今だ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m on it.

itは大抵の場合、何らかの仕事やミッションを指す。「自分がそれを担当します」、「今取り組んでいるところです」のような意味で、日常会話というよりは、どちらかというと職場でよく使われる表現。実際にJovianの職場でも、

 

X: “We need to make a guideline for this.”「ガイドラインが必要だな」

Y: “I’m on it.”「私が作成します」

 

のようなやりとりはまあまあの頻度で聞こえてくる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, B Rank, アメリカ, ケビン・スペイシー, スリラー, ダスティン・ホフマン, モーガン・フリーマン, 監督:ウォルフガング・ペーターゼン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 アウトブレイク 』 -アメリカの本音が詰まったウィルス・パニック映画-

『 書道ガールズ!! わたしたちの甲子園 』 -もっと書道そのものにフォーカスを-

Posted on 2020年5月29日 by cool-jupiter

書道ガールズ!! わたしたちの甲子園 45点
2020年5月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:成海璃子 山下リオ 高畑充希 小島藤子 桜庭ななみ 金子ノブアキ
監督:猪股隆一

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これもTSUTAYAでふと目についた作品。今年は春も夏も甲子園大会が中止ということで、別の甲子園でも観てみるかとの潜在意識があったのだろうと勝手に自己分析。

 

あらすじ

書道部部長の里子(成海璃子)は、書道とは静かに己自身と向き合うことだと信じている。それが原因で、部員らとの折り合いはあまりよくなかった。そこに新任教員の池澤(金子ノブアキ)が部の顧問となった。部員たちは新たに活動をしていけるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

金子ノブアキが良い味を出している。やる気のない教師でありながら、実際は心に熾火を保っている。そうしたフィクションの世界によくいる大人というクリシェな役割を、これ以上ないほどにコテコテに演じてくれた。それによって、少々演技の面でおぼつかない少女たちが年齢相応の幼さと、青春真っただ中の女子高生としのリアリティを帯びることになった。助演として素晴らしい仕事を果たしたと思う。

 

主演の成海璃子よりも山下リオの方が印象に残った。部活よりもバイトに精を出し、母親を安心させるために退学し、就職しようとする。Jovianのようなおっさんはこの手の話に弱い。青春のキラキラとした輝きも良い。だが青春の謳歌を妨げられた者が、山あり谷ありで仲間の元に帰っていくストーリーは、ベタだがもっと良い。

 

クライマックスの書道甲子園はなかなかの見ごたえである。特にトップバッターの風林火山は、その書の彩りと雄渾さ、そして『 日日是好日 』で鮮やかに映し出された瀧直下三千丈の掛け軸のごとく、視覚的に意味を伝える作りになっていて素晴らしい。書道は己と向き合う手段であり、自己表現の手段だが、他者の鑑賞を必要とする芸術媒体でもある。その意味で、地味なイメージのある書道をとてもカラフルに、華やかに描き出した本作は、単に美少女キャストを集めて作った青春映画以上の価値を有している。

 

ネガティブ・サイド

主人公の里子の因果が、どれもこれもノイズに感じられるのは何故なのだろうか。父親との確執、新任教師の池澤へのほのかな恋慕の情、心許せる友だからこその対立など、青春映画にありがちな属性が、どういうわけか邪魔に感じられる。一つには金子ノブアキと対比した時の存在感の違いか。もう一つには、ミスキャストもあるのかな、成海のような童顔でスリムで、それでいてグラマーな女子が書道をしていることの違和感が最後までぬぐえなかった。『 あさひなぐ 』の西野七瀬の眼鏡っ子というのは作りこみ過ぎているように思えるが、最高のキャスティングであったように思う。

 

ほとんど全員のキャストに言えることだが、愛媛弁がヘタすぎる。Jovianは岡山の某高校卒業生だが、そこでは兵庫や広島、鳥取に香川や愛媛の学生も寮に暮らしながら勉学に勤しんでいた。なので愛媛弁がどんなものかは体が知っている。はっきり言って女子部員全員、方言の練習が圧倒的に足りない。もしくは方言の持つ力、インパクトを過小評価している。昭和の任侠映画の広島弁や、近年なら『 ちはやふる 』の福井弁や『 ハルカの陶 』の岡山弁を聞くとよい。究極的にはアニメ『 じゃりン子チエ 』のチエをの声を演じた中山千夏(準関西弁ネイティブだが)の演技を聞いてもらいたい。方言を使いこなすことで、実際にその言葉を使う人間に、どれだけ親近感が湧くことか。もちろん役者としてはまだまだ半人前な小娘たちを使っていることは分かるが、猪股監督にはもっと成海や桜庭らを追い込んで欲しかったと思う。

 

地元商店街でのパフォーマンスの失敗もどうかと思う。いや、失敗というよりも地元民の反応があまりにも冷たすぎやしないか。都会のように、隣人すらも誰だかよく分からないという土地ではなく、良い意味でも悪い意味でも人間関係が濃密な地域である。あの程度の粗相で、せっかくのイベントに集まった群衆が散開してしまうだろうか。このあたりの人情の薄さは、多少のフィクションを交えて美化してしまっても良かった。

 

総評 

悪い作品ではないが、傑作かと言われると否である。メインキャストは総じて演技力な足りないし、また書道という極めて精神性の高い営為を独特の視点で切り取ったとも言い難い。これまたrainy day DVDであろう。もちろん、美少女キャストに満足できるのなら、その限りではないが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

uninspiring

金子ノブアキが成海の書を見て一言、「つまらない」と評した。それの私訳である。日立のInspire the nextやホンダの車種のインスパイアをご存じの方も多いだろう。インスピレーションというのは日本語にもなっているが、その派生語である。un + 現在・過去分詞をマスターできれば、英語の表現力が一段上がることだろう。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, 小島藤子, 山下リオ, 成海璃子, 日本, 桜庭ななみ, 監督:猪俣隆一, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 金子ノブアキ, 青春, 高畑充希Leave a Comment on 『 書道ガールズ!! わたしたちの甲子園 』 -もっと書道そのものにフォーカスを-

『 42 世界を変えた男 』 -Take him out to the ballgame-

Posted on 2020年5月19日 by cool-jupiter

42 世界を変えた男 60点
2020年5月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チャドウィック・ボーズマン ハリソン・フォード
監督:ブライアン・ヘルゲランド

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MLBも日本プロ野球も開幕が遅れている。球春未だ来たらず。ならば野球映画を観る。大学生の頃に観たトミー・リー・ジョーンズ主演の『 タイ・カップ 』もなかなかに刺激的だったが、second viewingならこちらにすべきかと思い直した。

 

あらすじ

第二次大戦後の1947年、ブルックリン・ドジャースGMのブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、ニグロ・リーグのスターの一人、ジャッキー・ロンビンソン(チャドウィック・ボーズマン)を史上初の黒人選手としてMLBに招き入れる。そしてロビンソンは、差別や偏見にプレーで対抗していく・・・

 

ポジティブ・サイド

JovianがMLBのことを知ったのは中学生ぐらい、青島健太がやっていたBSスポーツニュースを通じてだったか。マイケル・ジョーダンがバスケを引退、野球に転向というニュースにびっくりしたのを覚えている。その翌年ぐらいか、野茂英雄が海を渡ったのは。その頃から日本でも本格的にメジャーリーグが認知され始め、イチローと新庄のメジャー行きで完全にMLBが身近なものになったと感じられるようになった。個人的には大学生の頃に読んだパンチョ伊東の『 野球は言葉のスポーツ 』で、メジャーの歴史の広さと深さに初めて触れたと感じた。ニグロ・リーグの消滅(人によっては発展的解消とも呼ぶが)を、MLBへの人材流出が続く日本にも重ね合わせた名著だった。

 

本作は差別と融和の構造を鮮やかに描き出している。当時の野球人たちのロビンソンへの反応と同じくらいに、一般人であるファンの差別が恐ろしい。純粋無垢に見える野球少年が、差別思想に凝り固まった大人たちの圧力に屈して罵りの言葉を吐き出す様はグロテスクである。本作はそうした目をそむけたくなる、耳をふさぎたくなるようなシーンを真正面から描く。そうすることで、差別する者の醜さを炙り出す。これは怖い。自分にも何らかの意味での差別思想がないとは言い切れない。そうした時に、ロビンソンを口汚く罵るフィリーズのチャップマン監督を思い出そうではないか。こんな人間になってはおしまいである。

 

本作ではハリソン・フォードが光っている。基本的にフォードは(トム・クルーズや木村拓哉と同じく)誰を演じてもハリソン・フォードになってしまう。だが、本作では実在したブランチ・リッキーの模倣に徹した。それが奏功した。Jovianは東出昌大は当代きっての大根役者だと断じるが、『 聖の青春 』の羽生善治の物真似は素晴らしかった(というか、東出に演技をさせなかった監督の手腕なわけだが)。ブランチ・リッキーの表情、声、話し方、立ち居振る舞い、思想信条を研究して、役をものにしたというよりも、まさに物真似をした。フォードのファンならば必見の出来に仕上がっている。

 

主役を張ったチャドウィック・ボーズマンも好演・はっきり言って顔立ちはロビンソン本人には似ていないのだが、苦悩を内に秘めて、しかしフィールドでそれを決して表に出さない。かといって、ほぼ同時代人であるジョー・ディマジオのようなcool-headedなプレーヤーでもない。投手を挑発し、観客をエキサイトさせる一流アスリートである様を体現している。

 

ネガティブ・サイド

肝心かなめの野球シーンに迫力がない。本作は伝記であり、ヒューマンドラマであるが、スポーツ映画ではなかった。残念ながら野球をしている時のボーズマンは、最もロビンソンから離れた存在に見えてしまった。『 フィールド・オブ・ドリームス 』のシューレス・ジョー・ジャクソンが何故か右利きにされていたが、レイ・リオッタのスイングには力強さとキレがあった。『タイ・カップ 』のトミー・リー・ジョーンズの走塁と殺人スライディングにはスピードと躍動感(と殺気)があった。残念ながら、チャドウィック・ボーズマンのスイングにはパワーが欠けているし、走塁にはスピードがない。守備にしても『 マネーボール 』のクリス・プラットの方が(一塁手としては)遥かに様になっている。

 

史実として、リッキーはニグロ・リーグの最優秀選手を連れてきたわけではない。折れない心の持ち主をpick outしたとされている。だが、パンチョ伊東らの著書やその他の研究によると、当時のジャッキー・ロビンソンはニグロ・リーグ全体で上から3~4番手という、トップ中のトップだったことは間違いないようである。であるならば、当時の白人が持っていなかった異質なスピード、異質なパワーというものを、もう少しはっきりとした形で描き出すべきだったと思う。

 

また野球そのものの描写もめちゃくちゃである。いくら何でも一塁から離れてリードを取り過ぎだし、絶妙のタイミングの牽制球で、帰塁のタイミングも遅いのにセーフになったりしている。また、劇中でビーンボールや頭部直撃デッドボールも描かれるが、それらの投球が『 メジャーリーグ 』のチャーリー・シーンの荒れ球よりも速い。というか、佐々木朗希のストレートよりも速く見えるビーンボールもあるなど、野球に対する愛情もしくは造詣、または競技経験のある者が作ったとは思えないCGピッチングには、正直なところかなり呆れてしまった。

 

総評 

ジャッキー・ロビンソンと聞いて「誰?」となる人も若い世代には多いだろう。それは仕方がない。オリックス時代のイチローを全く知らない世代の野球ファンもいるのだ。そのイチローがMLB1年目に新人王(とMVP!)を獲得した時に「日本のプロ野球で実績充分な者をMLBは新人扱いするのか?」とMLB内外で論争が沸き起こった。その当時に下された結論は「ニグロ・リーグのトップスターだったジャッキー・ロビンソンもMLBでは新人で、それゆえに新人王を獲得した」というものだった。イチローの偉業の向こうにロビンソンがいる。差別に屈しなかった男の物語には食指が動かない向きも、イチローの先達の物語になら興味を抱くのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

as you see fit

「あなたの好きなように」、「あなたが適切だと思えば」の意。

 

Make changes as you see fit.  好きなように変更を加えてくれ。

Raise your hand and ask questions as you see fit.  挙手をして好きなように質問したまえ。

 

職場で使うとちょっとかっこいい。ぜひ機会を見つけて口に出してみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, チャドウィック・ボーズマン, ハリソン・フォード, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ブライアン・ヘルゲランド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 42 世界を変えた男 』 -Take him out to the ballgame-

『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』 -Be Yourself-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 65点
2020年3月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マーゴット・ロビー ユアン・マクレガー
監督:キャシー・ヤン

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『 スーサイド・スクワッド 』で唯一(と言っていいだろう)輝きを放ったハーレイ・クインが、ついにピンとなった。マーゴット・ロビーは『 ワンダーウーマン 』のガル・ガドットに勝るとも劣らないはまり役を手に入れたと言えるだろう。

 

あらすじ

ジョーカーと破局したことを、思い出の化学プラントを爆破することで吹っ切ったハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)。ゴッサムの悪人たちは今こそ復讐の好機とばかりにハーレイに襲い掛かって来る。そんな時、ブラックマスクの異名を持つローマン・シオニス(ユアン・マクレガー)の手下からダイヤを盗んだ少女をハーレイは成り行きで救うことになり・・・

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ポジティブ・サイド

女性が男性をぶっ飛ばす様が痛快というたぐいのストーリーは近年とくに量産傾向にあり、本作も例外ではない。しかし、それが本作の主題というわけではない。ハーレイ・クインが独立不羈の奇人・狂人・極悪人に成長していくのがストーリーの眼目だ。

 

面白いと感じたのは主に二つ。一つは、ハーレイ・クインの人間性。当たり前だが、ハーレイは生身の人間で、人間であれば『 風の電話 』の三浦友和の言うように、「食べて出して」を繰り返さねばならない。極上エッグサンドにかぶりつこうとするハーレイに、我々は彼女も人間であるという事実を思い知らされる。DCUEだけではなくMCUでも同じで、『 アベンジャーズ 』のエンドクレジット後にも、スーパーヒーロー連中がケバブを黙々と食べていた。「スーパーヒーローも腹が減るのか」と妙に印象に残った。また、へべれけになって嘔吐したり、失恋の痛手から涙したりと、序盤で描かれるハーレイは市井に普通に生きる人間と何ら変わるところがない。親近感が湧いてくるのである。ヒーローの人間性を巧妙に突いた例としては『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』のレックス・ルーサーJr.(スーパーマンの母マーサの誘拐)や『 スパイダーマン 』シリーズのピーター・パーカーが正義のヒーローでいることとMJやグウェン・ステイシーらのガールフレンドとの間で引き裂かれることなどがお馴染みだ。だが、悪人の人間性をここまで鮮やかに描いた作品は記憶にない(未見の作品にいっぱいあるのかもしれないが)。『 スーサイド・スクワッド 』のデッドショットは人間性や人間味というよりは、ただの良き父親だったが、今作のハーレイは血肉を持った一人の人間になっている。

 

二つ目は、アクションである。スーパーパワーを持たないハーレイは銃にバット、そして自らの肉体を武器に戦う。一番の見どころは中盤と終盤の hand to hand combat である。Jovianは『 ブラックパンサー 』の異例とも言える規模のヒットの要因は、他のスーパーヒーロー連中が実はそこまでやらない肉弾戦を前面に押し出していたからではないかと勝手に分析している。ブルース・リーへの壮大なオマージュである『 マトリックス 』もそうだった。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』でも、一番面白かったのはバットマンが素手で雑魚敵をバッタバッタと倒していくシーンだった。WWEのディーバのごときマニューバーで留置場の男たちを蹴散らすハーレイは、単純に見ていて楽しくなる。また終盤の遊園地のアトラクションの中での女性軍のバトルは、多様な足場や背景もあり、 eye candy だった。ガン・アクションやレーザービームが飛び交うバトルも悪くないが、プロレス風ロイヤル・ランブルはそれ以上に楽しい。

 

ロマンスや友情は人間にとってこの上なく大切なものである。だが同じくらい大切なことは、自分が自分らしくあることではないだろうか。ハーレイが一人の人間としてたくましく雄々しく一歩を踏み出していく様は、老若男女を問わず多くの人を勇気づけることだろう。

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ネガティブ・サイド

序盤の展開がかなりもたもたしている。化学プラントをタンクローリーで吹っ飛ばすところまでがスローで、そこから一気にテンポを加速させていくかと思いきや、またもスローダウン。序盤の展開の遅さには少々眠気を催された。

 

ヴィランであるはずのローマン・シオニスが怖くない。ゴッサムでジョーカーやバットマンと渡り合えるような器の持ち主に見えない。異名の元であるブラックマスクをかぶっても何がどうなるわけでもない。ベイン(『 ダークナイト 』シリーズの方)がよほど迫力も貫禄もあった。完全にユアン・マクレガーの使い方を間違えている。

 

ハーレイのペットであるハイエナのブルースも、特に活躍しない。『 野性の呼び声 』のバックとまでは言わないが、それなりの見せ場はあるだろうと思ったが、全くなし。せいぜいゴッサムのチンピラの恨みの原因の一部になったぐらい。完全にこけおどしの設定である。これなら金魚とかヘッジホッグといった、もっと乙女チックなペットで良かったのではないか。

 

エンドクレジットの最後にハーレイのちょっとしたトークがあるが、映像はなく声だけ。『 デッドプール 』的なスキットにはできなかったのか。続編作る気満々のようだが、『 バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生 』が暗殺者ウィルソンを出してきたように、何らかのライバルの存在を示唆してほしかった。あるいはデッドプールがケーブルの登場を予告したように、バディでもよい。バットマンの情報は要らない。バットウーマンやキャットウーマン、またはポイズン・アイビーの情報が欲しいのだ。

 

総評

Bird of Prey結成がストーリーの本筋に絡んでこないのだが、それでも女性軍団が立場を超えて結束し、拳で男どもをなぎ倒していくのは爽快である。悪vs悪などと考えず、自分らしさとは何かを追求しようとする人間たちの物語として見ること。何が善で何が悪かなど誰にも分からない。確かなことは、自分が自分の生き方に満足しているかどうか。そのことを素直に前面に押し出してくるハーレイは、その行為の過激さは別にして、多くの人の手本になることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I dare you

通常、命令形に続けて“I dare you”と言うことで「やってみろよ」的な意味になる。作中ではハーレイが“Call me a softie, I fucking dare ya.”=「私を弱虫だって呼んでみなさいよ、コノヤロー」と言っていた。英語学習中級者なら、このCyanide & Happinessの意味が分かるはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, アメリカ, マーゴット・ロビー, ユアン・マクレガー, 監督:キャシー・ヤン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』 -Be Yourself-

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