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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 南沙良

『 この子は邪悪 』 -もっと捻りが必要-

Posted on 2022年9月6日2022年10月31日 by cool-jupiter

この子は邪悪 40点
2022年9月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:南沙良 玉木宏 桜井ユキ
監督:片岡翔

Jovianは南沙良が大好きである。広瀬すずを吹っ飛ばす女優になると思っている。なので、どんなに駄作のにおいがしてもチケットを買う。

 

あらすじ

心理内科医の窪司朗(玉木宏)は、一家で交通事故に遭い、自身は脚に障がいを、次女は顔にやけどを、妻は意識不明の重体のまま植物状態になってしまった。唯一、長女の花(南沙良)だけが無傷だったことから、花はどこか罪悪感に苛まれていた。そんな時、母が5年ぶりに目覚め、自宅に帰ってきた。しかし、花は母にどこか違和感を覚えて・・・

以下、マイナーなネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

ミステリ風味ではあるが、ミステリではない。伏線の張り方は極めてフェアというか、あっけらかんとしている。意味不明の冒頭のシーンで「何だこいつ?」と思ったその感性を大事にしてほしい。「何だこいつ?」であって「誰だこいつ?」ではないことを心に留め置くべし。

 

南沙良が言い知れぬ不安に押しつぶされそうになる少女を好演。この女優は、少女漫画の映画化作品でヒロインを演じるのではなく、常にどこか陰のあるキャラを演じてほしい。天真爛漫な10代女優は毎年陸続と現れては消えていくが、陰のある役を説得力をもって演じられる若手女優は少ない。

 

ロングのワンカットが多用されており、監督の演出上のこだわりが感じられる。また、古い木造家屋を歩く時のキィキィときしむ音が効果的だった。作った音ではなく、ナチュラルな音が観客の不安を煽る。この手法は嫌いではない。

ネガティブ・サイド

ほとんど何の事前情報も入れずに鑑賞に臨んだが、すれっからしのJovianは開始30分ほど、より正確に言うと母親が帰ってきた後、父親がとある発表をするところで話のオチまで予想できてしまった。そのポイントは、過去に類似の先行作品を映画および他メディアでたくさん経験してきたからだろう。以下、それらの作品例(白字で表示)である。

 

小説『 わが体内の殺人者 』

漫画『 多重人格探偵サイコ 』

映画『 ゲット・アウト 』

  『 シェルター 』

  『 悪魔を憐れむ歌 』

 

他にも少年ジャンプで全く同じようなオチの読み切り作品が1980年代にあった(主人公の友達の名前が風太だったような)。

 

欠点は、オチの弱さ、意外性の無さだけではない。ストーリーの核心に触れて以降は、急にカメラワークや演出が陳腐になったと感じた。明らかに『 ミッドサマー 』や『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』を意識したシーンがあったが、カメラが全然動かないし、こちらが観たいと思っている絵を映してくれない。その直後のシーンでも、登場人物たちが動かないのなんの。立ち尽くしているにしても、もっと震える、あるいは目を背けるなど、何らかの動きでキャラの心情や思考を語るべきシーンが、見事に spoil されてしまっている。前半と後半の演出上の落差がありすぎる。本当に同一人物が最初から最後まで監督したのだろうか。

 

おそらく玉木宏で女性を、なにわ男子の大西流星で女子を惹きつけようとした作品なのだろう。南沙良と桜井ユキでおっさんから青少年の層もカバー。そうしたライトなファンに各種の先行作品の優れたアイデアをごった煮にした作品を提供しよう、として作った映画にしか思えない。映画ファンをびっくり仰天させてやろうという気概に満ちた作品ではない。最初から「そこそこのヒット作」を志向している。監督は『 町田くんの世界 』の脚本などを務めており、Jovianと波長が合わないとは思わない。先行作品を敬うのはいいが、そのまま倣う必要などない。次作にとりかかる前に、商業主義的にではなくクリエイターとしての自分に向き合うべきだろう。

 

総評

主要キャストのファンなら鑑賞してもいいだろう。また、ライトな映画ファンにもお勧めできそうだ。逆に小説やら映画を相当に渉猟しているという人には勧め辛い。Jovianと同じで、一挙に結末まで予想出来てしまう人は、おそらく日本だけで数万人(その全員が本作を観るとは思えないが)はいると思われる。うーむ、誰に勧めるべきか難しい。『 NOPE / ノープ 』の監督のこれまでの作品を見て( ゚Д゚)ハァ?とならなかった人はどうぞ、と言っておこうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

hypnotize

催眠術にかける、の意。漫画『 聖闘士星矢 』世代なら、ヒュプノス=眠りの神だと知っていることだろう。似たような語に mesmerize もある。こちらの語を知りたければ、邦画ホラーの秀作『 CURE 』(主演:役所広司 監督:黒沢清)をお勧めする。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, ホラー, 南沙良, 日本, 桜井ユキ, 玉木宏, 監督:片岡翔, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオLeave a Comment on 『 この子は邪悪 』 -もっと捻りが必要-

『 女子高生に殺されたい 』 - もっと設定を研ぎ澄ませれば更に良し-

Posted on 2022年5月7日 by cool-jupiter

女子高生に殺されたい 65点
2022年5月5日 梅田ブルク7にて鑑賞

出演:田中圭 南沙良 河合優実 細田佳央太
監督:城定秀夫

タイトルだけでスルーしようとしていたが、『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良が出演していると気付いて、ギリギリでチケット購入。上映最終日であっても、劇場の入りは4割程度となかなかだった。

 

あらすじ

教師の欠員が出た二鷹高校に赴任してきた東山春人(田中圭)は、そのルックスと人当たりの良さでたちまち人気教師となる。しかし、彼には秘密があった。目をつけていた女子高生、佐々木真帆(南沙良)に殺されたいというオートアサシノフィリアの持ち主だった。春とは密かに練っていた計画を進めようとするが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

タイトルだけ読めば「どこのアホの妄想だ?」と思わされるが、中身はどうしてなかなか練られていた。シネフィル=映画好きな人、シネフィリア=映画好きということだが、オートアサシノフィリアというのは初めて聞いた。ありそうだと感じたし、実際に存在するようだ。この一見突飛な性癖(この語も、ここ10~20年で意味が変わってきたように思う)に説得力を持たせる背景にも現実味がある。田中圭は『 哀愁しんでれら 』あたりから少しずつ芸風を変え始めたようで、もう少し頑張れば中堅からもう一つ上の段階に進めるかもしれない。

 

女子校生役で目についたのは河合優実。『 サマーフィルムにのって 』や『 佐々木、イン、マイマイン 』など、作品ごとにガラリと異なる演技を見せる。今作のキャラにリアリティがあったかどうかはさておき、キャラの迫真性は十分に堪能できた。テレビドラマなどには極力出ずに、映画や舞台で腕を磨き続けてほしい役者だ。

 

南沙良の目の演技も見応えがあった。正統派の美少女キャラよりも、陰のある、あるいは闇を秘めた役を演じるのが似合う。こういう女子高生になら殺されたい。

 

最初は意味不明に思えた春人の行動の数々が中盤以降に一気に形を成していくプロセスは面白かった。高校生ものでゲップが出るくらい見飽きた学園祭をこういう風に使うのには恐れ入った。学園祭の変化球的な使い方の作品といえば恩田陸の小説『 六番目の小夜子 』と赤川次郎の小説『 死者の学園祭 』が印象に残っているが、本作も同様のインパクトを残した。

 

色鮮やかな序盤から陰影の濃くなる終盤の照明のコントラストがキャラクターたちの心情を反映している。またBGMも静謐ながら不穏な空気を醸し出すのに一役買っていた。タイトルで損をしていると思うが、普通に面白い作品。河合優実のファンなら要チェックである。

 

ネガティブ・サイド

本作の肝である「春人は一体誰に殺されたいのか?」という謎の部分がやや弱い。いじめっ子、柔道娘、予知娘、多重人格娘と取り揃えてはいるが、4択ではなく実質的には2択だった。というよりも1択か。最初から2択に絞り込むか、あるいは4択のまま観る側を惑わすような展開にもっと力を入れた方が中盤までのミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうと思う。

 

河合優実のキャラの地震予知能力は必要だったか?あの世界には緊急地震速報というものはないのだろうか。というか、予知能力と物語が何一つリンクしていなかった。この設定はそぎ落としてよかった。

 

南沙良のキャラのDIDも、もっとさり気ない演出を要所に仕込めたはず。『 39 刑法第三十九条 』などを参考にすべし。駄作だった『 プラチナデータ 』もそのあたりの伏線はしっかりと張ってあった。殺してほしい相手を南沙良の1択に絞って、ほんのちょっとした仕草や表情などを追い続けた方が物語の一貫性やフェアな伏線が生まれたはず。

 

総評

多重人格の扱いがちょっとアレだが、ストーリー自体はかなり面白い。南沙良、河合優美などの、いわゆるアイドルではなくオーディションを潜り抜けてきた若手女優たちの演技も光っているし、照明や音楽も良い仕事をしている。それらをまとめ上げる城定秀夫監督の手腕は称賛に値する。劇場で見逃してしまった人も、ぜひレンタルや配信で鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

auto

元々はギリシャ語の self に当たる語に由来している。意味は「自身」あるいは「自動」。automobile = 自分で動く = 自動車である。他にも FA = factory automation = 工場稼働の自動化だし、autobiography = 自分で書く伝記 = 自伝である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, サスペンス, 南沙良, 日本, 河合優美, 田中圭, 監督:城定秀夫, 細田佳央太, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 女子高生に殺されたい 』 - もっと設定を研ぎ澄ませれば更に良し-

『 太陽は動かない 』 -ドラマ未鑑賞でもOK-

Posted on 2021年4月17日 by cool-jupiter

太陽は動かない 60点
2021年4月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原竜也 竹内涼真 ハン・ヒョジュ 南沙良
監督:羽住英一郎

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210417130335j:plain

WOWOWドラマの映画版。コロナ禍で公開がかなり遅れたが、当初はスルー予定だった。ハン・ヒョジュと南沙良が出演していると知って、慌ててチケットを購入した。

 

あらすじ

産業機密情報を売るAN通信、そのエージェントである鷹野(藤原竜也)と田岡(竹内涼真)は、次世代エネルギーの開発の秘密をめぐってブルガリアに潜入した同僚を救出するが、心臓に埋め込まれた爆弾が容赦なく爆発。同僚は死亡した。鷹野はその任務を引き継ぎ、各国の企業やエージェントらと渡って行くことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210417130355j:plain

ポジティブ・サイド

冒頭の市原隼人救出のシークエンスは思いっきりハリウッドを意識していてよろしい。窓からど派手に侵入してからの銃撃戦と近接格闘戦から、AN通信というのはハッキングや通信傍受の集団ではなく肉体派の集団ですよ、ということが伝わってくる。藤原竜也はるろ剣でも感じたが、邦画では珍しくかなり体を動かせる役者だ。アクションシーンのワンカットの長さだけでそれを判断するのは早計だが、アクションを体に染みつかせるのは才能と練習の両方が必要だ。ドラマでキャリアを積んだ役者はセリフを覚えるのはうまいが、部隊・・・じゃなかった舞台上がりは体に動きを叩き込ませられるのが強味。藤原竜也にはそうした芯の強さを感じる。

 

心臓に爆弾を埋め込まれているという設定も、実際に医療機器で心臓に埋め込むペースメーカーというものがあるので、割と素直に受け止められる。スパイの世界では死ぬことでしか守れない情報というものもあり、だからこそ『 TENET テネット 』の主人公のように、自分から死を選ぶ姿勢が一流には求められる(別に『 TENET テネット 』の主人公は本当に死ぬわけではない、念のため)。

 

太陽光エネルギーに関する秘密を主軸に物語が進んでいくというのも、現実世界を下敷きしているので、必ずしも万人にとって分かりやすいわけではないが、納得しやすい話である。特に発電、蓄電、送電が分離していながらも独占状態でもある本邦では、この仕組みにメスが入れられつつあり、そうした背景を頭に入れて鑑賞すれば物語世界に入っていきやすくなる。世界各国に血眼になってこの技術の秘密を手に入れたいと願う者たちがいる、逆に言えば、この技術の秘密を何よりも高く買ってくれる相手に売りたいと思う者たちもいるということで、本作がヨーロッパやアジアを股にかけた国際的なスケールで展開されるのは必然なのだ。

 

ハン・ヒョジュが演じた international woman of mystery が素晴らしい。複数言語を操り、くのいち的な手練手管も備えたエージェントで、こんな相手になら騙されてみたいと思わせてくれた。脚線美を見せつけるだけではなく、韓国のお家芸であるテコンドーキックも披露してくれたのはちょっと驚き。アクションができるタイプの役者だとは認識していなかったが、なかなかやりますなあ・・・

 

鷹野という男のバックグラウンドを結構ねちっこく描いてくれているので、ドラマ未鑑賞でも劇中の彼の行動原理が理解できるし、共感もできる。”失われた家族”という裏テーマが作品全体の通奏低音になっていて、鷹野が様々な登場人物たちに複雑なエディプス・コンプレックスを抱いているのが分かる。それを一つひとつ、時には乗り越え、時には囚われしていくのが作品の序盤中盤終盤で逆説的に描かれている。どこか『 ベイビー・ドライバー 』的だと感じられるのだ。続編があれば、ドラマ鑑賞の上、観てみたいと思わせてくれる出来であると感じた。

 

ネガティブ・サイド

よくよく考えれば、爆弾を胸に埋め込むことは裏切りの抑止力になっていないのではないか。定期連絡さえ怠らなければ死ぬことはないわけで、スパイの世界では当たり前のダブルエージェントがAN通信から出てきても全く不思議ではないだろう。このあたりをうまく説明できる描写が欲しかった。

 

スパイの世界で重要な産業機密を巡った話をしているわりには、盗聴などにあまりにも無頓着すぎやしないか。特に鶴見辰吾の自宅での会話など、普通はそんなところでは絶対にやらないだろう。穿ちすぎかもしれないが、「息子の情報」をエサに奥さんに盗聴させることも難しくはないだろう。AN通信という組織でありながら、通信技術に無頓着に思えるシーンが多々あるのは遺憾である。

 

ハン・ヒョジュやピョン・ヨハンら、韓国人俳優が英語や日本語を操るのは国際的なエージェント感が出ていてよい。だが、ハン・ヒョジュの日本語が少したどたどしいかな。そう感じられるのは彼女の名前がAYAKOだから。なぜ普通の韓国人風の名前にしなかったのか。または『 ザ・バッド・ガイズ 』や『 パラサイト 半地下の家族 』みたいにジェシカとかで良かったのでは?

 

字幕にも不満が残った。字幕の出来ではなく表示方法。日本語、英語、韓国語、中国語、さらにはヒンディー(?)まで入り乱れる本作だが、英語はカッコ無し、韓国語は<~~~~>、中国語は≪~~~~≫、ヒンディーは【~~~~】のように使い分けてほしかった。そうすれば、誰がどの国の人間でどういった人物相関にあるのかがもう少しわかりやすくなっただろう。

 

後はJovianが大好きな南沙良の出番が中途半端だったかな。

 

総評

邦画には珍しい壮大なスケールの物語で、日本人キャスト以外にもそれなりのビッグネームが名を連ねているのはWOWOWの力か。警察や公安、自衛隊ではなく会社員が大活躍するという点で、サラリーマンもちょっと勇気づけられる話になっている。普通のテレビ局ではなくWOWOWが絡んでいるためか、邦画的ではなくハリウッド的な作劇になっている。回想シーンと現在のシーン、そして色々な地域を行ったり来たりするところについていければ、それなりに楽しめることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That is all there is to it.

それだけのことだ、の意味。文法的に分解して開設するのは面倒なので省略させてもらうが、用例としては

Always listen to your customer. That is all there is to it.

常に顧客に耳を傾けよ。それだけのことだ。

If you want to get promoted, get a TOEIC score of 900. That’s all there is to it. 

昇進したければTOEIC900点を取りなさい。それだけのことだ。

のように使う。ぜひ使いこなそう。 There is nothing to it!

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, ハン・ヒョジュ, 南沙良, 日本, 監督:羽住英一郎, 竹内涼真, 藤原竜也, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 太陽は動かない 』 -ドラマ未鑑賞でもOK-

『 もみの家 』 -命の輝く場所はある-

Posted on 2020年4月7日2020年9月26日 by cool-jupiter

もみの家 70点
2020年4月4日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:南沙良 緒形直人 田中美里
監督:坂本欣弘

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200407000653j:plain
 

Jovianは、『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』以来、南沙良にくびったけである。そんな彼女の主演映画を鑑賞するのは、不要不急の外出にあたるのだろうか。そんな葛藤を抱いていたが、前々から予約していた梅田の皮膚科受診を奇貨として、テアトル梅田に足を運んだ次第である。

 

あらすじ

彩花(南沙良)は不登校の女子高生。そんな彩花を何とかすべく、母親は彩花を富山県の「もみの家」に送り込む。そこは、農作業と共同生活を通じて、若者たちが少しずつ社会に居場所を見出していく手助けをする場所だった。佐藤泰利(緒形直人)と恵(田中美里)の夫妻、そして共に暮らす年の近い仲間たち、地域の大人たちに囲まれ、彩花は少しずつ自分と向き合っていき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200407000721j:plain
 

ポジティブ・サイド 

思春期というのは難しい時期である。誰しも自分自身の身体の変化に戸惑い、精神・心理的な変化に戸惑い、周囲の人間との距離感の変化にも戸惑う。自分が自分であることに違和感を覚える。誰もが経験することであるが、それを克服する方法は千差万別だろう。彩花は、大勢の人間に囲まれている方がより強く孤独を感じる少女だった。そうした経験を過去に持った大人は多いだろうし、リアルタイムでそう感じている小中高大学生も数多くいることだろう。そうした人間たちの共感を大いに得るストーリーが見事に紡がれていた。

 

主演の南沙良は、こういう路線で良いのだろう。キャピキャピの女子高生が、恥じらいながらも恐るおそる恋愛してみました、みたいなキャラクターを演じる必要はゼロだ。もしやるとするなら、『 センセイ君主 』の浜辺美波のようなコメディエンヌ像を追求してもらいたい。今回は鼻水こそ垂らさなかったものの、感情表現の豊かさは同年代の女優の追随を許さない。完全なアパシーであると確信させる序盤、他者との出会いと交流によって声から刺々しさが、表情から険が抜けていく中盤、そして思わぬ別離に動揺し、しかし強かに成長したことをしっかと伝える立ち居振る舞いは堂に入ったもの。南のハンドラーは絶対に手垢のついた役を彼女に演じさせないでほしい。

 

それにしても緒形直人と田中美里の包容力よ。『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』の萩原聖人に勝るとも劣らない。子ども達(と言うには成長しすぎているが)の喧嘩を見て、「物を投げんな」とは言っても「喧嘩をするな」とは言わない。もみの家は矯正施設ではなく、本人のありのままの姿を引き出す場所なのだということを遠回しに語る名シーンだった。田植えや稲刈りにトラクターを使わない。それは、稲という植物・食物のありのままを引き出す農法だ。野菜にしてもしかり。誰かが手塩にかけて育てた野菜は、びっくりするぐらい美味しい。彩花は自分が収穫したトマトを「味がちょっと濃いかな」と表現するが、これも上手い演出だと感じた。東京の味覚が抜けきらず、しかしオーガニックなものの味が少しわかり始めた。もみの家に少しずつ馴染み始めたことを非常に間接的に表す見事なシーンだった。

 

『 万引き家族 』や『 食べる女 』、『 風の電話 』と同じく、本作も【 日本全国を子ども食堂化しようプロジェクト 】の一環である。その役目の大きな部分を負ったおはぎ名人のハナエさんを演じた佐々木すみ江は、まさに『 となりのトトロ 』のカンタのおばあちゃんである。Rest in peace. 個人的に最も印象に残っているのは大河ドラマ『 篤姫 』での「本当は、ひいおばあちゃん」と言った時のいたずらっぽい笑顔である。こういうおばあちゃんが減ってしまって久しい。映画という、ある意味で究極のフィクションの中でこそ、このような味わい深いおばあちゃんキャラを生かし続けてほしい。切にそう願う。

 

四季の移り変わりが、そのまま彩花の変化そして成長とがシンクロしている。『 羊と鋼の森 』の外村直樹にも使われた成長ドラマの手法であるが、公開の時期が良い。桜花咲く川沿いの道を自転車で駆ける彩花の姿が、とてもリアルに感じられた。桜は散って、また花開く。命は尽きて、また生まれてくる。知らない間に我々はこの世界に産み落とされているが、我々が生きている背景には命の営みがある。子を産み育て、食べさせる。彩花が悟った人生の単純明快な真理を多くの人、特に若い世代に体験してほしい。

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ネガティブ・サイド

素晴らしい作品であるが、いくつかの弱点も目立つ。まず展開に一切のひねりがない。「ああ、このキャラは途中で退場するなあ」と感じたキャラは、やはり退場するし、「ああ、このキャラも途中でいなくなるだろうなあ」と感じたキャラも、きっちり途中でいなくなる。「ああ、このキャラは死ぬだろうな」と予感したキャラもきっちりと死んでしまう。観る側の予想を裏切る展開がないため、ドラマチックな展開がそれほどドラマチックに感じられない。予定調和的に感じられてしまうのである。

 

また説明的なセリフが多いのも気になる。変なアイドルを一切起用していないのだから、それこそ芝居と映像と音で物語ればよいところを、妙にセリフで説明してしまうシーンが目についた。特に田んぼのオッサンや、一部の緒形直人のシーンやセリフが冗長だった。彩花が地域の人たちと獅子舞を練習するシーンぐらいの演出でよいのだ。高校生や大学生をメインのデモグラフィックに想定しているのかもしれないが、丁寧に教えてあげることが必ずしも良い結果を生むわけでない。学校という、ある意味でeducateではなくdoctorinateをしている場所に馴染めなかった彩花が、もみの家という本人のありのままの姿をelicitする場所で本当の自分を少しずつ見出していく。その過程を、観る側にそれとなく悟ってもらう、感じ取ってもらう。そうした作りの方が好ましかった。

 

余韻を残すべきシーンについてもいくつか勿体ないと感じた。新緑の木々が茂る山を背景に、四方を風にそよぐ稲穂に囲まれたもみの家は、何もないように見えて、大きな優しさと温もりに包まれた場所であると感じられた。だが、そのショットがあまりにも短かった。おそらく2秒ぐらいだったろうか。このようなEstablishing Shotは7~8秒画面に映し続けてもよいはずだ。縁側で優しく「彩花は自分の成りたい自分になればいいんだよ」と優しく諭す緒形直人のシーンも、あっという間に切り替わってしまった。彩花と共に観る側も、彼女の成長していく姿に思いをはせるべき重要なシーンだったが、ここもあっという間に次の場面に切り替わってしまった。坂本欣弘監督よ、そんなに急いでどこに行こうというのか。

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総評

一言、傑作である。このような映画こそ東宝や松竹に作ってほしい。そして全国200館規模で公開してほしいのである。青春に完全燃焼、大人に頼らず同級生や同年代と一緒に駆け抜けろ的な展開の邦画は法律で禁じてもらいたい。なかなか映画館に足を運ぶのが難しい昨今であるが、DVDや配信サービスで視聴可能になったら、カジュアルな映画ファンからディープな映画ファンにまで、幅広く観てほしいと思える良作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Like what?

劇中で彩花が、富山にも東京と共通するところがる、と言われて「たとえば?」と返すシーンがある。答えは「イオン」とのことだが、浅くて深い回答である。たとえば=for exampleまたはfor instanceと自動変換する人は多いが、For example/For instanceは自分で言葉をつなげる時に使うことが多い。一方で、Like what?は相手に例を挙げるように促す表現である。この二つをナチュラルに使い分けられれば、英会話の中級者である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 南沙良, 日本, 田中美里, 監督:坂本欣弘, 緒形直人, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 もみの家 』 -命の輝く場所はある-

『 無限ファンデーション 』 -眩しく暗い青春の一ページ-

Posted on 2020年4月3日 by cool-jupiter

無限ファンデーション 60点
2020年4月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:南沙良 原菜乃華 小野花梨 西山小雨
監督:大崎章

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基本的にはTSUTAYAでは旧作か、あるいはキャンペーン割引料金の準新作しか借りないJovianであるが、劇場に行けない昨今、新作料金でDVDを借りるのもありだろう。嗚呼、南沙良・・・

 

あらすじ

内向的な女子高生・未来(南沙良)は、リサイクル工場から聞こえてくる歌声に惹かれ、不思議な少女・小雨(西山小雨)と邂逅する。学校では、未来のスケッチブックに注目したナノカ(原菜乃華)らに誘われ、演劇部に入部する。新しくできた仲間たちとの関係は、しかし、ある時から思わぬ方向へ向かい始め・・・

 

ポジティブ・サイド

全編これ即興というのは、大昔に大学の寮の先輩が出演していた芝居で見たことがある。下北沢だったか。本作には大まかなプロットが存在し、何度かリハーサルもやったらしい。それはそうだ。

 

冒頭で流れてくる西山小雨の「とべフレ」に、未来ならずとも引き込まれるだろう。あいみょん作曲かつ提供の『 さよならくちびる 』の「さよならくちびる」も良かったが、こちらの劇中歌の「とべフレ」も負けず劣らず美しい。いや、俳優ではなく歌手が歌っているだけあって、歌唱力や表現力はこちらの方が上だと言える。『 ロケットマン 』のタロン・エジャートンのように俳優が歌うことで生まれる味わいもある。一方で、本職の歌い手だから出せる味もある。西山小雨の起用は成功である。

 

少女漫画原作の映画とは異なり、青春、もっと言えば思春期の人間関係の暗い面にフォーカスする。友情とは、しばしば閉じた人間関係で、女子のそれは特にそうである。南沙良演じる未来は、いわゆる陰キャから陽キャへと脱皮する。だが、そのことがもたらす波紋の大きさは、この年代にとっては確かに受け止めづらいものだろう。主要キャストたちは、張り詰めた緊張感の中ですらも即興劇を完遂した。こうした映画撮影の技法は、もっと頻繁に採用されてもよいと思う。故・志村けんはアドリブを生み出すのも受け止めるのも名手だったということだが、役者のポテンシャルを発揮させるのも監督や脚本家、撮影監督や照明、音響の役割の一部でもあるだろう。そうした、良い意味での裏方スタッフと役者のケミストリーを最も強く感じさせたのは、やはり南沙良だった。持ち前の動物的な勘で各シーンを彩ったが、それにしてもこの若き女優の鼻水たら~りは、もはや芸術の域に達している。つくづくそう感じられる。

 

「傷つくのが怖い」というのは、なかなか吐露しづらい。しかし、そうした恐れの気持ちを持ったことのない人は圧倒的な少数派ではないだろうか。本作は、そうした人間関係の近さと遠さ、優しさと痛みの両方を思い起こさせてくれる良作である。

 

ネガティブ・サイド

ところどころでシーンのつながりが変であった。特に(悪い)印象に残ったのはスケッチブックを廊下で見せるシーン。「え、そこで切って、ここにつなげる?」という画の移り変わりがある。このあたりは即興劇の技術的な限界だろう。ただ、欲を言えば別の撮影監督ならばどうなっていただろうか、ということ。例えば『 1917 命をかけた伝令 』のロジャー・ディーキンスは絶対に無理だとしても、『 恋は雨上がりのように 』で小松菜奈の魅力を見事にフレーム内に捉え切った市橋織江なら、どのような画の切り取り方をするのだろうか。そんなことを考えてしまった。

 

また語りの力が弱かったのも気になった。特に演劇部顧問の先生にはもうちょっと頑張ってほしかった。屋上での語りは、抒情的でもなく、かといって叙事的でもなく、とにかく薄かった。陽光溢れる屋上で、ある意味で非常にダークな話を語っているのに、そこのコントラストが際立たなかった。

 

この先生自身が実に中途半端な大人であるせいで、部員同士の衝突を和らげる緩衝材になれていない。もしくは、部員間に蓄積されていたマグマの噴出量をコントロールできていなかった。大人の大人たるゆえん、子どもとの違いの一つは、妥協ができるところだ。青春模様、つまりは子どもの子どもらしさを強調させるためには、大人の大人らしさが対極に必要だった。

 

ラストショットは『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』と重複している。大崎監督は、もっと違うビジョンを構想できたはずである。

 

総評

青春映画はアホかというぐらいの勢いで陸続と生産されているが、鮮烈な青春映画というのは邦画には存外に少ない。本作はその数少ない一作である。公開中の『 もみの家 』(観に行っていいのだろうか・・・)もそうらしいが、南沙良は居場所を探し求める少女を演じさせれば天下一品である。韓国語をマスターして韓国映画に出るか、あるいは英語をマスターしてアメリカや英国の映画に進出することを考えてみてはどうか。トップレベルのサッカー選手や野球選手が海外に活躍の場を求めるのは当たり前になりつつある。映画人もそうあるべきだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You are so good at drawing, aren’t you?

「絵、超うまくない?」というセリフの私訳である。絵を描くというのはdrawやpaintという動詞で表されるが、draw = 固いもので描く、paint = 柔らかいもので描く、と理解しよう。鉛筆やペンで描けばdraw、筆やブラシ、もしくは自分の指(finger-painting)で描けばpaintである。英会話スクールのノン・ネイティブの先生の実力を確かめたければ、英検1級だとかTOEIC975点だとかではなく、上のような質問にその場でスパッと答えてくれるかどうかを目安に考えてみてほしい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 南沙良, 原菜乃華, 小野花梨, 日本, 監督:大崎章, 西山小雨, 配給会社:SPOTTED PRODUCTIONSLeave a Comment on 『 無限ファンデーション 』 -眩しく暗い青春の一ページ-

『 ココア 』 -甘味を知ってこそ苦みが際立つ-

Posted on 2020年4月1日2020年4月1日 by cool-jupiter

ココア 50点
2020年3月31日 自宅にて録画鑑賞
出演:南沙良 出口夏希 永瀬莉子
演出:阿部博行

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第30回フジテレビヤングシナリオ大賞なるものがあるらしい。それを14歳にして受賞した俊英がいる。その作品を映像化したのが本作である。Jovianお気に入りの南沙良出演ということで録画していたが、なぜ今まで観ることがなかったのか。単純に忘れていたからに他ならない。では何故思い出したのか。2020年3月4日のNHKの深夜ドラマ『 ピンぼけの家族 』を観ようとしたら録画失敗していたからである。嗚呼、南沙良・・・

 

あらすじ

家にも学校にも居場所がない灯(南沙良)、両親の不倫に苛まされている香(出口夏希)、笑顔を決して見せない志穂(永瀬莉子)の3人の女子高生。生きづらさを感じる彼女たちだが、周囲の人間とのちょっとした交わりから変化が生まれて・・・、

 

ポジティブ・サイド

どことなくビジュアルノベル『 428 〜封鎖された渋谷で〜 』なテイストが感じられるドラマである。場所が渋谷だからではなく、一見無関係に見えた登場人物たちが、実はどこかでゆるくつながっていてもおかしくないのだ、という感じが実によく似ているのである。

 

南沙良の鼻水たら~りは『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』に引き続き健在である。日本の女優の涙にくれるシーンの極北としては『 万引き家族 』の安藤サクラの落涙か、南沙良の鼻水だろう。

 

表現者としては浦上晟周が良い味を出している。演技に垣間見えるぎこちなさそれ自体もも、演技なのだろう。気になるクラスメイトの女子に猛アタックを仕掛けるところ、無理やり距離を詰めて座ろうとするところ、問答無用でほっぺにキスするところ、それらすべてがぎこちない。ゆえに、かえって迫真性が生まれている。Jovianは高校生の頃、上のような行為のいずれも実行できなかった。リア充爆発しろ渡辺大地と浦上晟周が、南沙良と永瀬莉子を上手く引き立てていると感じた。

 

ココアという飲み物がコーヒーと巧みに対比されている。コーヒーの苦さを美味しいと感じることができるかどうか。そうした羽化前の少年少女たちの物語として、それなりに見ごたえはあった。

 

ネガティブ・サイド

やはりテレビの限界なのか、照明のしょぼさやカメラアングルのバリエーションの乏しさが目立つ。特に目ざとい映画ファンであるならば、渡辺大地の頭上の枝の枯れ葉が、設定上はそれぞれ異なる夜であっても、位置と枚数が全く同じであることに気づくだろう。全く同じことが、川沿いの帰り道のシーンについても言える。大急ぎで撮影しました、ということがほとんどあらゆるシーンから伝わってくる。このあたりのリアリズムが、テレビ映画と劇場公開される映画の一番の違いの一つだろう。

 

主演の一角を担った出口夏希、永瀬莉子ともに表現力に欠ける。発声と表情は、まあ及第か。問題はちょっとした仕草やジェスチャーがあまりにも乏しいこと。敢えて酷評させてもらえれば、学芸会に毛が生えた程度のお芝居。役者を志すなら、年に150本は映画を観て、先達から吸収すべし。

 

本編と全く関係のないCMの愚痴になるが、第一生命のCMに出てくる看護師がナースキャップをつけていた。日本でいまだにナースキャップをつける看護師というのは、漫画かアダルトビデオぐらいにしか出てこないと思っていたが・・・ CM監督の全員がそうであるとは思わないが、もっと現実に対するアンテナの感度を高めてほしい。テレビドラマやテレビ映画の監督や演出家も同様である。

 

総評

CMの存在がこれほどウルサイとは。やはり民放の映画やドラマは観るものではないのかもしれない。ひたすらに内向的な少女のイメージの強い南沙良の、陽キャな面と陰キャな面の両方を楽しむ作品という位置づけにしかならない。案外、男子高校生ぐらいが楽しめる作品なのかな。ただ、女子高生の中には『 スウィート17モンスター 』みたいなのもいるので、奥手な男子諸君はよくよく勉強してから女子にアプローチをしよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Are you a virgin?

「おじさんって、童貞?」の私訳である。処女でも童貞でも、性体験のない者は性別問わず英語ではvirginである。シュワちゃんの映画『 ツインズ 』では、ダメダメ兄貴のヴィンセントが弟ジュリアス(シュワルツェネッガー)に、“Are you a virgin?”と、思わず言ってしまうシーンがある。Jovianはそこで、「ははあ、男もvirginと言うのか」と学んだことをよく覚えている。

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Posted in テレビ, 国内Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 出口夏希, 南沙良, 日本, 永瀬莉子, 演出:阿部博行Leave a Comment on 『 ココア 』 -甘味を知ってこそ苦みが際立つ-

『 居眠り磐音 』 -“陽炎の辻”前日譚、または坂崎磐音は如何にして脱藩して浪々の身になったか-

Posted on 2019年5月19日2020年10月18日 by cool-jupiter

居眠り磐音 75点
2019年5月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 芳根京子 南沙良
監督:本木克英

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山本耕史から松坂桃李へと確かにバトンは受け渡された。長谷川平蔵や水戸光圀など、役者を変えながらシリーズを存続させていく、あるいはリメイクし、あるいはリブートするというのは古今東西で用いられてきた手法である。それが奏功する場合もあれば、盛大に失敗することもある。テレビドラマから銀幕へと移ってきた本作はどうか。成功である。

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あらすじ

江戸勤番を終えた坂崎磐音(松坂桃李)とその仲間達。幼馴染であり、これからは祝言を挙げて義理の兄弟にもなろうという時に、ちょっとした行き違いから互いに斬り合うことに。親友を斬ってしまった磐音は、妻となるべき奈緒(芳根京子)の元をも去り、江戸で浪々の身になっていた。そんな時、磐音に両替屋の用心棒にならないかとの誘いがあり・・・

 

ポジティブ・サイド

まずは何をおいても、ピエール瀧の代役を務めた、というよりも取り直しによって作品の質をさらに高めてくれた(勝手にそう断言させてもらう)奥田瑛二に満腔の敬意を表したい。『 ゲティ家の身代金 』で、ケビン・スペイシーの代役を務めたクリストファー・プラマーと同じく、彼の仕事は本作の骨格をより太くしてくれた。

 

そして芳根京子と奥田瑛二が相対するシーンでの彼女の涙。喜怒哀楽は演技の基本にして究極だが、芳根がこのロングのワンカットで流す涙は、『 君の膵臓をたべたい 』で北村匠海が桜良の家で流す涙のドラマチックさに匹敵する。芳根には、今後はあまり女子高生役などは引き受けることなく、本格路線を目指してほしい。その時は、Joviam一押しの南沙良も一緒に連れて行ってあげて欲しい。

 

そして山本耕史からのバトンを見事に受け継いだ松坂桃李も称えたい。ドラマ版では柄の部分をシャキーンと持ち変えて開眼するスタイルだったのを、剣をまるで杖であるかのように扱う様が妙にシネマティックで銀幕に映えたのは、松坂の雰囲気と撮影監督の手腕であろう。また磐音が強すぎないのも良い。ドラマ版を毎回欠かさず観ていたわけではないが、昼行灯の磐音の描写は映画版の本作の方がより説得力があった。鰻を黙々と捌く手つきに職人気質がありありと感じられながら、長屋暮らしには生活感が欠けており、生活力がありそうなのに無い、しかし仕事はきっちりやるという、磐音の本質が見事に描写されていた。そんな磐音のチャンバラでも、適度に負傷するのも良い。何食わぬ顔で「浅手じゃ」と、おこんに告げるところでも、実はこの男が木刀剣術、道場剣術のみの男ではないことを間接的に告げており、心憎い演出。今、日本映画における侍ヒーローと言えば、坂崎磐音か緋村剣心だろう。

 

監督は『 空飛ぶタイヤ 』で、巨大な組織と個人との関わりについて非常に大きな示唆を残した本木克英。今作では江戸幕府や豊後藩という巨大な体制と、江戸の町人連中の中に生きる浪々の侍を活写した。会社勤めのサラリーマンが思わぬ形で同期を危地に追いやってしまい、それを苦にした本人も退職。フリーター生活を送るうちに、大企業や政府の巨大な陰謀を巡る、一般庶民の代理権力闘争に巻き込まれていくという具合に読み替えていくこともできた。それもこれも、磐音の剣の実力と、実直さ、誠実さ、勤勉さといった人間力に依るところが大きい。腕は立つが決して無敵ではなく、頭は切れるが、決して利得のみを計算することはしない。この新時代のヒーローは、社畜サラリーマンの心にかなりの確率で突き刺さるだろう。

 

ネガティブ・サイド

まずはトレーラーや予告編がよろしくない。ほとんど全部、話の筋がばれてしまっているではないか。特に奈緒を花魁にするシーンなどは、予告編には無用だろう。また、その奈緒が豊後の国家老の宍戸文六の“援助交際”の申し出を断るシーンは剣劇さならがの迫力だったが、全体を通して見ればノイズだったのかもしれない。

 

銭の妖怪と化した柄本明も凄みを見せつけるが、断末魔が間延びしすぎだ。磐音のトラウマを抉るような発言などしなくとも、観る側は人を斬るたびに磐音がトラウマを呼び起こされることなど百も承知である。受け手をもっと信頼した作りにしてもらいたい。熱演すればするほど、ストーリーテリングを壊してしまっていた。

 

また磐音と幼馴染たちの一人称が一定していないところも少し気になった。冒頭では「オレ」なのに、その後は「ワシ」になっていた。

 

総評

細かい部分に不満はあるものの、素晴らしい作品に仕上がっている。奈緒とおこんを巡る続編も観てみたいし、その時はパラレルワールドな展開を夢想したいと思う。芳根京子に奥田瑛二と来ると、どうしても『 散り椿 』を思い出されるが、侍のパトスとエートスについては本作の方が上質な描写をしている。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 南沙良, 日本, 時代劇, 松坂桃李, 監督:本木克英, 芳根京子, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 居眠り磐音 』 -“陽炎の辻”前日譚、または坂崎磐音は如何にして脱藩して浪々の身になったか-

『 幼な子われらに生まれ 』 -家族の静かな崩壊と再構築への希望の灯-

Posted on 2018年9月21日2020年2月14日 by cool-jupiter

幼な子われらに生まれ 70点
2018年9月18日 レンタルDVD鑑賞
出演:浅野忠信 田中麗奈 南沙良 宮藤官九郎 寺島しのぶ
監督:三島有紀子

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『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』で鮮烈な印象を銀幕に残した南沙良の映画デビュー作ということで近所のTSUTAYAで借りてきたが、これはなかなかの掘り出し物である。原作は重松清の同名小説だが、そちらの出版は1996年というから20年以上前である。離婚やDVが格段に増えた現在では、本作のような家族構成はさほど珍しいものではなくなった。だが、今日の日本社会の在りようを透徹した目で予見していた重松清の想像力と構想力、そんな彼の作品を現代にこそ映像化する価値があると確信した三島有紀子の炯眼を称えたい。

大企業の係長として順調に40代を送る信(浅野忠信)は子持ちのバツイチ。妻の奈苗(田中麗奈)もバツイチ子持ち。再婚同士で、奈苗の連れ子である2人の娘、薫(南沙良)と恵理子(新井美羽)とともに府中の新興住宅地に暮らしていた。元々、信には心を開かなかった薫が、早苗の妊娠を機にさらに態度を硬化。信を指して、パパではない、他人だと言い、本当の父との再会を望むようになる。が、実父の沢田(工藤官九郎)はDV男であった。だんだんと薫の扱いに手を焼き始めた信は、薫を沢田に引き合わせようとし、さらには堕胎と離婚までも望むようになる・・・

これは、特に男性サラリーマンにとって、非常に身につまされる話である。信自身の言葉を借りれば、「ツギハギ家族」の物語だからである。家族の在り方は時代や地域と共に変わっていくのが必然であるが、それでも我々は家族というものに大いなる幻想を見るし、また見出したがってもいる。こうした家族の形態を別の面から映し出した秀作に『万引き家族』がある。家族というものを機能的な面から切り取りながら、大人の情緒や心理が時に一方通行になりがちであるということを鮮やかに残酷に描き出した傑作である。本作の主題はどうか。血のつながりのある子どもと、血のつながらない子ども、両方を同時に育てられるかということだ。そして、その奥底にあるのは、家族としてのまとまりは血に依るのか、情に依るのかという命題で、さらには機能に依るのかという側面も垣間見える。

主人公の信は、上司の課長の評するところによると、

「有給を全部使う」

「休日出勤は断る」

「飲み会は一次終わりで退散する」 

「子どもを遊園地に連れていく」

「子どもをお風呂に入れてやる」

という、現代の言葉で評せば、まともに父親業に精を出す男ということになろうか。育メンという言葉は当てはまらないだろう。非常に批判を受けやすく、誤解を与えやすい概念である以上に、信は最も手間のかかる時期に二人の娘の面倒は看ていないからだ。そんな信に上司は、

「仕事に打ち込む姿を見せてやるのが子育てなんじゃないのか」

と諭すように言う。これも一つの識見であろう。特に平成も終わりになんなんとするこのご時世、どういうわけか昭和的な価値観のかなりの部分がゾンビのごとく生きており、そうした価値観は、一部の組織や共同体では連綿と受け継がれているようである。信の勤める会社はまさにそうしたところで、信はあえなく倉庫送りとなり、ピッキング業務に従事させられる。この辺りから、信の家族内の亀裂は大きくなり始める。同時に、信の前妻(寺島しのぶ)の夫が末期がんで死の間近にあることも知る。そのことを知らされる信の反応は、弱みを見せる女性に対するものとしては最低最悪の部類に入る。よく知られているように、男は基本的に論理というラベルで記憶をタグ付けし、女は基本的に感情というラベルで記憶をタグ付けしている。夫婦喧嘩でこの特徴はてきめんに現れる。女性の言い分はしばしば、「だいたいあなたはいつもそうなのよ。だから○年前のあの時も~~~」という形を取る。男性には理解できない。すでに終わった事柄で論理的につながりのある事例ではないからだ。しかし、怒りという感情が記憶のタグに書き込まれているとしたら、過去に怒りを感じたエピソードが次々に想起されてくるのは当たり前のことで、信はここを前妻に徹底的に責められる。男性視聴者は心して観るように。恐ろしいのは、こうした女性の特徴が小学校6年生の薫にも既に見られることである。「私、なんかこの家、嫌だ」という薫に、「何故だ」と問いかける信。これでは平行線をたどるのも当たり前である。その信が、最終盤では劇的な変化を遂げる場面がある。詳しくは観てもらう他ないが、年頃の娘の扱いに手を焼いているという男性は、本作から学ぶことは多いはずだ。娘や妻に話しかけるときは、論理的な答えを求めてはならないし、論理的な答えを与えてもいけない。

「妊娠中毒のリスクがあるんだって」

という奈苗の言葉に、

「妊娠しているから中毒になるんだ。堕ろせば中毒にはならない」

と信が返す一幕があるが、これなどは愚の骨頂としか思えない返答だ。どう思った?どう感じた?そうか、そう感じたのか、という寄り添いの姿勢を見せることが肝要であるのに、この時の信は限界まで追い詰められていて、そんな余裕がなかった。我々はこれを反面教師としなければならない。

ありうべき父親像については、クドカン演じるDV男が驚くべきというか、恐るべき変貌を見せる。また、信の実の娘もまた、それ以上の変貌を見せる。詳しくは書けないが、家族が家族であるためには血のつながりは決定的に重要なものではないと本作は力強く断言する。それにより初めて信は薫との和解の途に就くことができた。道は険しいが、確かにその道を歩き始めた。そこに新しい命が生まれてくる。その命を守ることで、家族は家族になれる。そんな夢とも幻想ともつかないビジョンを我々は抱くことができる。何ともいえない浮遊感のようなものが本作の特徴である。明晰夢を見せられているような感覚とでも言おうか。

本作を鑑賞する時には、ぜひカメラワークにも注目してほしい。家族間の不和が増大していくシーンではカメラオペレーターの手ぶれが加わっており、まるで我々自身がその場に傍観者として存在しているかのような感覚を味わうことができる。そうではないシーンは定点カメラ、固定カメラによる撮影が行われている。そして浅野忠信の笑顔と不安と怒りとを綯い交ぜにしたような表情を味わえるだけでも美味しいのであるが、そこに南沙良の本能的、直観的な演技も堪能できるという一粒で二度おいしい話である。物語としても、映像芸術としても、非常に秀逸な作品である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, 南沙良, 宮藤官九郎, 日本, 浅野忠信, 田中麗奈, 監督:三島有紀子, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 幼な子われらに生まれ 』 -家族の静かな崩壊と再構築への希望の灯-

『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』 -居場所を巡る闘争と逃走の青春物語 -

Posted on 2018年8月17日2019年4月30日 by cool-jupiter

志乃ちゃんは自分の名前が言えない 85点
2018年8月16日 シネ・リーブル神戸にて観賞
出演:南沙良 蒔田彩珠 萩原利久 渡辺哲
監督:湯浅弘章

これは『羊と鋼の森』に並ぶ、年間ベスト級の傑作である。このような映画が作られ、ミニシアターで公開されるということに忸怩たる思いと誇らしさの両方を抱く映画ファンは多いはずだ。一方には、マル秘面白映画を自分だけが知っているという独占感と優越感があり、他方には、なぜこのような良作が広く世に問われないのかという疑問や無念さがあるからだ。

大島志乃(南沙良)は吃音に悩み苦しむ高校一年生。クラス初日の自己紹介に備えて鏡の前でも登校途中の坂道でもぶつぶつと自分の名前を呟く。もうこの時点でただならぬ雰囲気が漂うのだが、第一のクライマックスは早くも教室内での自己紹介の時にやってくる。吃音で「お、おおっ・・・、おおおっ、おおし、しししっししし、」という感じで全くもって自分の名前を言うことができず、空気を読めない男子、菊池強(萩原利久)に馬鹿にされてしまう。もうこの時点でクラス内カーストの最下層に属してしまうことが決定するのだが、本作はそのような陰鬱な景色を直接に映し出すことはしない。他にもひょんなことから知り合うミュージシャンを目指す岡崎加代(蒔田彩珠)も、明らかにクラスに溶け込もうという努力を拒否してみせる。前述の菊池にしても、その無理やりなコミュニケーション方法が普通のそれとは異なるということを自己紹介の一瞬で描き切っている。つまり、この物語は集団に馴染めない、もっと言えば世界に居場所を確保できない者たちの物語なのだ。オープニングからタイトルバックまでのわずか数分で物語の導入を過不足なく描き切る。ナレーションが有効に作用するケースもあるし、ナレーション無しに映像と音声だけで観る側に伝えきることが難しいテーマというのは確かにある。前者である程度の成功を収めているものには『図書館戦争』や『孤狼の血』があるが、映画の本領は映像と音声にあるということを再認識させてくれたという意味で、本作には最初のシークエンスから心を掴まされ、ぐいぐいと引き込まれた。

吃音と言えば誰もが思い浮かべるのが『英国王のスピーチ』だろう。コリン・ファース一世一代の演技が堪能できる傑作である。吃音は、おそらく小学校ぐらいの頃には1~2クラスに一人ぐらいはいたのではないか。実際にJovianの周りにも2人いた。が、問題は吃音を持つ彼ら彼女らが自身をどう受け止めるか、ということなのだ。そして、吃音はリラックスして解決もしくは軽減できるものでは決してない。そういう意味で、冒頭で登場してすぐに消えていく担任の先生は非常に罪深く、それゆえに志乃の世界には二度と出てこなくなるのも当然のことだ。Jovianの身近に2人いた吃音者の一人は進学と共に別れ、もう一人の幼馴染はカラオケで吃音を克服した。このエピソードは鬱病から最近復帰した棋士・先崎学にも共通しており、彼は田中角栄に倣って浪曲で吃音を克服したようだ。

加代と知り合った志乃は、隠し持っていた強引さで加代にギターを弾き、歌うようにせがむのだが、加代の天性とも言える音痴さに失笑してしまう。加代は志乃の吃音を決して笑わなかったのに。このあたりは本当に難しいところで、青春時代だけではな青年壮年中年老年になってもつきまとう問題だ。なぜなら何が人を傷つけ、何が人を傷つけないのかは誰にもわからないからだ。それゆえに孔子は「己の欲せざる所は人に施す勿れ」と説いたのではなかったか。この後、志乃は加代のピンチに思わぬ形で介入するのだが、その時の演技は特筆大書に値する。鼻水をタラーリと垂らす渾身の演技を見せるのだ。加代はしかし、無条件に志乃を赦したりはしない。吃音を「言い訳できる逃げ場所」と指摘し、志乃の抱える問題を鋭く抉りだす。この点については後述する。

なんだかんだでバンドを組むことになった二人は、路上デビューも果たす。その時に二人に接する掃除のおっちゃん(渡辺哲)が良い味を出している。世界は基本的に自分には無関心だと若い頃には往々にして思うものだが、そんな自分を見つめてくれる視線があるということを無言のままに教えてくれるのが、このおっちゃんなのだ。『シン・ゴジラ』における片桐はいりと同等の存在感を放っていた。その小さな世界に、菊池という闖入者が舞い込んでくることでその風景は一変する、少なくとも志乃にとっては。好きな歌手やCDについて言葉を交わす加代と菊池に、自分の居場所を侵害された、もしかするとそれ以上に、自分の存在価値=バンド仲間、音楽について語り合える、高め合える仲間としての意義を傷つけられた、またはそんなものはそもそも無かったのだと思い込まされた志乃の心中は察して余りある。志乃が本当に疎外を感じているものの正体の一端がここで明らかになる。吃音は、そのものの一側面に過ぎない。ここでフリッツ・パッペンハイムの言葉を引用する。「人間が自分が当面している決断を避けようとしている場合には、人間は、ほんとうは、自分自身の自我から逃げようとしているのである。人間は逃げることのできないもの……、自分があるところのもの……から逃げようとしているわけである」(『近代人の疎外』)。

自分自身から逃げる志乃を見る我々には、THE BLUE HEARTSの『青空』が聴こえてくる。志乃はバスにも乗れないのだ。行き先ならどこでも良いわけではなく、行く先々に自分がいるのだ。そんな志乃と加代が最後に至った境地とは・・・ アメリカのテレビドラマでは80年代が花盛りだが、日本では90年代がノスタルジーの対象であるようだ。作り手側の力あるポジションがその世代に移行してきたことの表れであろう。そうした潮流の一つとして本作や『SUNNY 強い気持ち・強い愛』があるのだろう。劇中で最も歌われる歌に『あの素晴しい愛をもう一度』がある。「同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が今はもう通わない」のか。それとも「もう一度」があるのか。それはレンタルもしくはネット配信で是非とも確かめてみてほしい。

一つだけ大きな減点要素を挙げるとすれば、それはカメラワーク。自転車のとあるシークエンスに手ぶれは完全に不要だった。その他、細かい点ではあるが、砂浜に文字を書くシーンの陰鬱さと海の開放的な明るさを対照的に映し出したかったのだろうが、光の度合いが少し強すぎると感じるシーンもわずかながらあった。しかし、これら重箱の隅をつつくような粗さがしか。

主演の南沙良は、ついに広瀬すずや土屋太凰を駆逐してしまうかもしれないようなポテンシャルを感じさせる本格派である。音痴であることを見事な歌唱力で表現しきった蒔田彩珠は、その容貌も相俟って第二の門脇麦であると評したい。鼻につくほどのうざさを発揮した萩原利久は、『帝一の國』もしくは『虹色デイズ』に出演しても普通に違和感なく解け込めてしまえそうな存在感だった。今後この3人を使った映画が陸続と生まれてくることが容易に予想される。

同じ『 あの素晴らしい愛をもう一度 』を楽曲に使った邦画としては『 ラブ&ポップ 』がある。共に1996年と1998年あたりの世相を抉りながら、自分というものの最大の存在意義が、女性性と貨幣の交換にあると信じ込んでしまった女子高生(たち)の物語だ。携帯電話がまったく一般的ではなく、映画を観ようと思い立った時には新聞や雑誌の映画・劇場情報欄の細かな文字を追いかけなければならなかった時代。そんな時代を背景に生きる志乃ちゃんの物語は、きっと多くの人の胸に突き刺さるに違いない。

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 南沙良, 日本, 監督:湯浅弘章, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』 -居場所を巡る闘争と逃走の青春物語 -

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