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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: フランス

『 秘密の森の、その向こう 』 -フレンチ・ファンタジーに酔いしれる-

Posted on 2022年10月29日 by cool-jupiter

秘密の森の、その向こう 70点
2022年10月26日鑑賞 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ジョセフィーヌ・サンス ガブリエル・サンス
監督:セリーヌ・シアマ

予備知識ゼロで鑑賞。あらすじすら読まなかった。Twitter友達から勧められたからなのだが、そういう人からのお勧めは当たり率が非常に高い。

 

あらすじ

ネリー(ジョセフィーヌ・サンス)は両親に連れられ、祖母が住んでいた森の中の一軒家を片付けに来る。しかし、母は自分の母を喪失した悲しみから、家を出て行ってしまう。残されたネリーは森を散策するうちに、母と同じ名前の少女マリオン(ガブリエル・サンス)と出会い、友達になる。ネリーはマリオンの家に招かれるが・・・

ポジティブ・サイド

何とも言えない余韻を残す作品。鑑賞中に思い浮かんだのは『 思い出のマーニー 』と『 リング・ワンダリング 』の二作。時を巡る、そして自らのルーツに図らずも迫ってしまう物語である。

 

BGMはほとんどない。しかし、それが使われる際の情景の美しさとキャラクターの心象風景とのマッチング具合は素晴らしいの一言。キャラクターも少なく、さらに台詞も多くない。台詞が発されたとしても、多くの場合は何らかの比喩というか婉曲的な表現が多く、それが観る側をぐいぐいと惹きつける。フランスといえば少ない登場人物にもかかわらず読者を翻弄するミステリの良作を生み出す国だが、映画でもその技法は存分に活かされている。

 

母マリオンが姿を消した直後に現れる、母と同じ名前の少女マリオン。ネリーとマリオンの子ども同士の無邪気な交流が、いつしか魂の交感にまで昇華される。普通なら2時間はかかりそうなものだが、シアマ監督は70分でそれをやってのける。ここまで研ぎ澄まされた演出と編集は見たことがない。

 

「人はいつか死ぬ。早いか遅いかだけだ」とは『 もののけ姫 』のジコ坊の言。死ぬ時期を知ってしまうというのはシビア極まりないことだが、同時に確実に出会える人間がいるのだ、という希望にもなる。なるほど、これは男を主軸にしては作れない物語。男の自分でも心揺さぶられるのだから、女性視点ではどうなるのだろう。有休を使って一人で観に行ったことがある意味で悔やまれる佳作だ。

ネガティブ・サイド

ネリーとマリオンはなかなか見分けがつかない。双子のキャスティングというのは吉とも凶とも出るが、今作ではその中間ぐらいだろうか。

 

ネリーの父が、終盤の手前でネリーとマリオンの両方に出会うシーン。ここにマリオンを連れてこず、ネリーと父との会話だけでもう一日だけ滞在を延ばす(予定の繰り上げをやめる、が正しいか)ようにすれば、さらにファンタジー色が強まっただろうと思う。

 

総評

『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』を鑑賞した時に近いインパクトがあった。フランス映画はたまにこういう静謐な傑作を送り出してくる。『 トップガン マーヴェリック 』では疑似的な父と息子の関係作りに失敗したマーヴェリックが、ペニーとアメリアの母と娘の関係性から学ぶ姿が印象的だったが、本作はもっと直接的に母と娘の関係性に切り込んでいく。父と息子というのは『 オイディプス王 』の時代からの古典的テーマであるが、本作は母の母と、母の娘という対極的なテーマの古典になりうる力を秘めている。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

Excusez-moi

エクセキューゼ・モワという感じの発音。英語で言うところの Excuse me. で、軽めの謝罪であったり、あるいはちょっと話しかけたり、ちょっと通らせてもらったり、といった時に使える。日本語の「すいません」に相当するのだろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 アムステルダム 』
『 天間荘の三姉妹 』

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, ガブリエル・サンス, ジョセフィーヌ・サンス, ファンタジー, フランス, 監督:セリーヌ・シアマ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 秘密の森の、その向こう 』 -フレンチ・ファンタジーに酔いしれる-

『 バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー 』 -お下劣な笑いを楽しむべし-

Posted on 2022年7月28日 by cool-jupiter

バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー 75点
2022年7月24日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:フィリップ・ラショー ジュリアン・アルッティ エロディ・フォンタン
監督:フィリップ・ラショー

 

大学でコロナ激増で超多忙のため簡易レビュー。

あらすじ

売れない役者セドリック(フィリップ・ラショー)はバッドモービルに乗って宿敵ピエロと戦うという『 バッドマン 』という映画の主役の座を手にする。しかし撮影の最中、父親が入院したと聞いたセドリックはバッドモービルで病院に急行するが、その途中で事故を起こしてしまう。意識を取り戻したセドリックは、自分をスーパーヒーローだと思い込んでしまい・・・

ポジティブ・サイド

原題は Super-héros malgré lui、英語では Superhero in spite of himself = 「知らないうちにスーパーヒーロー」の意味。in spite of oneself で「我知らず」や「気付かぬうちに」という意味である。

 

『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』のフィリップ・ラショーによる主演兼監督作。MCUからDCEUまで、あらゆるヒーローのコスチューム、テーマ音楽、ガジェットをパロってパロってパロりまくっている。Jovianhは『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以降のMarvel映画は出涸らしのようだと感じているが、ここまであっけらかんとしたパロディを見せつけられると、まだまだヒーロー映画にも鉱脈はあるのだなと感じる。

 

至って真面目にスーパーヒーローであろうとするセドリックと、そのセドリックを救おうとする家族や友人の面々、そして本作のヴィランが織り成すドラマが、フランス流の容赦のないお下劣ユーモアと共にどんどん進行していく。邦画の関係者は是非ともこのテンポの良さを学んでほしい。そして、漫画や小説を忠実に映像化するのではなく、フィクションであるスーパーヒーロー映画をさらにフィクション化するというメタ的な物語の技法についても考察してほしい。

 

そうそう、本作は記憶喪失ものでもある。冒頭から中盤こそ面白いが、終盤で大コケする確率が98%というジャンルでもある。本作は2%に属する作品、つまり主人公の記憶喪失が見事に物語の結末に結びついている。主演・監督のみならず脚本にも名を連ねるフィリップ・ラショーの面目躍如たる一作である。

ネガティブ・サイド

お下劣、お下品なジョークが満載だが、とある子どもが〇〇されるシーンは笑えなかった。セドリックの暴走を無理やり軌道修正した形だが、もっと別の方法や演出があったのではと思う。

 

スマホのテキストメッセージのネタは、いくらなんでもその至近距離では成立しないだろうと思わされた。文字通りの意味で距離感がめちゃくちゃだった。

 

総評

粗製濫造の感のあるヒーロー映画だが、メタ的なパロディという可能性を残していた。アホな映画であることは観る前から分かっている。なので、問題はそのアホさ加減をどれくらい許容できるかによる。高校生や大学生のカップルがデートムービーにするには不適だろう。社会人、それもちょっとマンネリ気味になってきているカップルに向いていると感じる。???と感じる向きはぜひ鑑賞されたし。鑑賞後に、その意味が分かるだろう。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

égalité

エガリテと読む。意味は平等や対等である。テニスファンなら、全仏オープンの中継でデュースの時にアンパイアが「エガリテ」と言っているのを耳にしたことがあるはず。英語学習上級者なら egalitarianism =平等主義という語彙を知っているかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, エロディ・フォンタン, コメディ, ジュリアン・アルッティ, フィリップ・ラショー, フランス, ベルギー, 監督:フィリップ・ラショー, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー 』 -お下劣な笑いを楽しむべし-

『 メイド・イン・バングラデシュ 』 -Do not underestimate Bangladeshi women-

Posted on 2022年7月23日 by cool-jupiter

メイド・イン・バングラデシュ 70点
2022年7月18日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:リキタ・ナンディニ・シム
監督:ルバイヤット・ホセイン

 

簡易レビュー。

あらすじ

シム(リキタ・ナンディニ・シム)は、工場で長時間ミシン操作をする労働者だったが、あるきっかけで労働組合の結成に動き出す。仲間を集めて、組合を作り、労働環境の改善や賃金のアップを勝ち取ろうとするシムだったが・・・

ポジティブ・サイド

インドからイスラム勢力が独立して出来たパキスタンから、さらに独立して生まれたバングラデシュ。つまり、コテコテのムスリムの国であるが、本作で描かれるシムとその同僚たちが、会社の幹部の男性たちに見せる「闘う姿勢」に圧倒される。ものすごい剣幕で迫っていくバングラデシュ女性を目の当たりにして、「あれ、これって韓国映画だったっけ?」とまで思わされた。その一方で、20代の女子らしいトークも随所で聞かれる。特に、会社経営者の右腕的な存在の男性と、シムの同僚は不倫関係にあるのだが、そのことを面白おかしく揶揄するシーンの女性たちのあけすけなトークに、「なぜ邦画は男女のあれやこれやをあけっぴろげに語れないのか」と慨嘆させられた。

 

過酷な労働よりも、我々が普段から当たり前のものとして享受している労働者の権利が、実は当たり前ではないということが、ドキュメンタリー風に活写される。映画的な巧みなカメラワークやBGM、効果音、過剰な演技などは一切なく、組合の結成に奮闘するシムと、彼女の前に立ちはだかる様々な障害(同僚や夫、役人まで)、そしてその障害を一つずつ乗り越えていく様はバングラデシュだけではなく、女性の地位向上を目指すあらゆる国や地域のエールとなるだろう。

ネガティブ・サイド

シムをたきつけた女性記者は、もっと全編にわたってシムを支援すべきではなかったか。

 

シムの夫も非常に勇ましい場面があったが、何故あそこで警備員をぶん殴らなかったのか。警備員に一発お見舞いして、その上でシムの腕を強引に引いていく、というのなら納得がいったのだが。

 

総評

我々が何気なく着ている服は、新疆ウイグル自治区の強制労働の賜物だったというニュースが近年報道されたのは記憶に新しい。が、中国だけではなくバングラデシュも低賃金かつ重労働で世界に衣料品を提供していることが分かった。複雑な気分にさせられる。しかし、最後の最後にシムが機転を利かせて勝利するシーンのカタルシスは本物。Jovian妻は満足していた。本作は男性よりも女性をエンパワーするようである。

 

Jovian先生のワンポイントベンガル語レッスン

ヘー

ベンガル語で Yes = はい、の意。劇中で何度も聞こえてくるので、すぐにわかる。言語は文脈とセットで覚えよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, デンマーク, バングラデシュ, ヒューマンドラマ, フランス, ポルトガル, リキタ・ナンディニ・シム, 監督:ルバイヤット・ホセイン, 配給会社:パンドラLeave a Comment on 『 メイド・イン・バングラデシュ 』 -Do not underestimate Bangladeshi women-

『 TUBE チューブ 死の脱出 』 -評価の別れるシチュエーション・スリラー-

Posted on 2022年7月17日 by cool-jupiter

TUBE チューブ 死の脱出 50点
2022年7月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ガイア・ワイス
監督:マチュー・テュリ

近所のTSUTAYAで発見。準新作だったが、クーポンで安く借りてきた。観る前から駄作臭が漂ってきていたが、どちらかと言うと珍作だった。

 

あらすじ

あてもなく彷徨するリサ(ガイア・ワイス)は、偶然通りかかった車に乗せてもらう。しかし、運転手は殺人罪で逃亡中の男だった。急ブレーキで頭を打ったリサが目覚めると、全身に謎のスーツが着用され、左腕には光るブレスレットが装着されていた。小部屋の扉が開くと、その先は一方通行のダクトになっていた。彼女はこの空間から脱出できるのか・・・

ポジティブ・サイド

原題は フランス語で Meandre、英語なら meander = 曲がりくねる、である。『 CUBE 』の一文字違いで TUBE とは、なかなか凝った邦題である。このタイトルとDVDのジャケットだけで借りてしまった。クソ映画だと分かっていても、観なければならないクソ映画というのもある。本作はその一つである。

 

CUBEが三次元方向に展開する超構造体であったのに対して、こちらは基本的には TUBE という邦題の通り、一方通行である。その時々に左右に道は分岐するが、同方向に進み続けなければならない点は変わらない。ブレスレットによるカウントダウンとチューブ状の構造物という時間と空間の両方の面から追い立てられる演出は上手いと感じた。

 

主演のガイア・ワイスはかなりの演技巧者。序盤で見せる怯え切った表情と、中盤で見せる鬼気迫る表情のコントラストは凄い。数々のトラップや、『 CUBE 』世界に出てこないようなモンスターも登場する。かなりグロい死体描写や、観ているこちらの血圧が一瞬でガクンと下がってしまうような人体破壊描写もあったりする。オチは少々いただけないが、そこにいたるまでの謎とサスペンスを楽しめれば、それで十分だろう。

 

以下、少々ネタバレあり

 

ネガティブ・サイド

冒頭のヒッチハイク的なシーンは必要だったか?もちろん、チューブ内に何らかのお仲間を入れてやらなければならないが、別にそれはリサの〇〇でも△△でも良いわけで、ポッと出の男を無理やり配置する必要はなかったように思う。また、いきなりチューブの中から始まる方が『 CUBE 』同様に、ベタではあるが観る側を「え?え?ここはどこ?」という不安な気持ちにさせられたはず。

 

手首に刻印された謎のマークが、ちょっと misleading すぎる。 ナチュラルに左から読んでいたが、正しい読み方が右から左だったら?あるいは腕を90度真横に倒して、上から、つまり橈骨側から読むのが正しいとしたら?地球ですら、国や文化圏によって数字や文字を読み始める方向は異なるのだから、本作のような世界観を堂々と呈示する作品では、このあたりにもっとリアリティを込めてほしかった。

 

最後の最後に胎内回帰するというオチは悪くないと感じた。問題なのは、そこからさらに別のオチに飛躍したこと。ストーリーは『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』から、一気に『 ノウイング 』へと変貌する。最後の最後に投げっぱなしジャーマンスープレックスをかまされた気分である。こんな結末を用意するぐらいなら、『 海底47m 』や『 ゴーストランドの惨劇 』的なオチというか展開で良かったのではないだろうか。

 

総評

雰囲気的にはどことなく『 プラットフォーム 』に近い。訳も分からず謎の空間に投げ出されるというシチュエーション・スリラーの文法に忠実で、少ない登場人物でサスペンスを盛り上げるというフランス文学的なテイストも味わえる。問題は終盤の展開で、終わりよければ全て良し派は本作の hater となるだろう。一方で、手に汗握る展開を数十分間味わわせてくれたので十分だよ派なら、本作を楽しめるだろう。 自分の嗜好を確認の上、視聴するかどうかを決められたし。

 

Jovian先生のワンポイント仏語レッスン

un deux trois quatre

アン ドゥー トロワ カートゥルと読む。意味は、1、2、3、4である。アン・ドゥー・トロワはバレエでお馴染みだろう。4= quatre だが、これが英語の quarterとそっくりだと気付けるだろう。フランス語の meandre = 英語の meander である。余談だが、Jovianが私淑するジョー小泉は、言語を学ぶ際には、まず数字から覚えるという。海外ボクサーの世話役やマネジメントを行う際に、選手の国の言葉で「0722  0900」などど言って、ココだとその場所(ホテルのロビーなど)をジェスチャーで指す。何度か言えば、『 ああ、7月22日の9:00にここで待っていろ、と言っているのか 』と察してくれるらしい。Jovianの好きなジョー小泉のエピソードである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, ガイア・ワイス, シチュエーション・スリラー, フランス, 監督:マチュー・テュリ, 配給会社:アットエンタテインメントLeave a Comment on 『 TUBE チューブ 死の脱出 』 -評価の別れるシチュエーション・スリラー-

『 神々の山嶺 』 -登ることが生きること-

Posted on 2022年7月12日2022年7月12日 by cool-jupiter

神々の山嶺 70点
2022年7月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:堀内賢雄 大塚明夫
監督:パトリック・インバート

原作は夢枕獏の小説。実写映画『 エヴェレスト 神々の山嶺 』はコケてしまったが、本作はかなりのクオリティ。山ガールであるJovian嫁は画面にくぎ付けで、Jovianもキャラクターの生き様に大いに魅せられてしまった。

 

あらすじ

雑誌カメラマンの深町誠(堀内賢雄)は、バーで伝説の登山家マロリーのエヴェレスト登頂を捉えたとされるカメラを買わないかと持ちかけられるが、それを断ってしまう。しかしその直後、長らく姿を消していた登山家・羽生丈二(大塚明夫)が、マロリーのカメラを奪っていくところを目撃する。深町は羽生の行方を追うが・・・

ポジティブ・サイド

冒頭で出てくるジョージ・マロリーの名前にピンと来る人は少数だろうが、「なぜ山に登るのか」「そこに山があるからだ」という問答は多くの人が知っていることだろう。山に登るというのはレジャーでありながら、世界で最も危険なスポーツでもある。本作は、その登山の危険性と不可思議な魅力を二人の男を通じて描き出している。

 

「経営者は登山を趣味にすることが多い」と、とある経営者から聞いたことがある。理由は「孤独になれるから」とのことだった。なるほどなと思う。確かに登山は非常に孤独な営為だろう。だが、趣味ではなく職業、いや、生き様としての登山というものはあるのだろうか。本作はこうした問いにも一定の答えを提示している。

 

羽生丈二の不器用な生き方は、まさに登山家を思わせる。サラリーマンとして和して同ぜず、スポンサーのためではなく自分のために登るのだと公言する。バディに何かアクシデントがあった時には迷わずロープを切ると言い放つ非情さにも似たプロフェッショナリズム。しかし、若い文太郎の身に起きたアクシデントに対してはそのような真似はせず、救出のために最善を尽くそうとする。しかし・・・ こうした体験を通じて、なお山に登り続ける羽生という男の生き様、さらに山そのものが持つ妖しい魅力、いや魔力と言うべきか。そうしたものを解き明かしたいと願う深町の邂逅は実にドラマチックだ。

 

エヴェレストの過酷すぎる環境と、それに挑む羽生、その羽生の姿をカメラと自身の目に刻み付けようとする深町。ほとんど台詞らしい台詞もなく、黙々と頂きを目指す二人の男の姿は、観る側の理解や共感を拒む。明らかにカネのためでも名誉のためでもない。その試みは、死の危険に直面してこそ世を実感できるといった類のものでもない。文太郎への贖罪というだけでも説明がつかない。マロリーがエヴェレスト登頂に史上初めて成功したのかどうかという、当初のミステリーも最早意味を持たない。マロリー、羽生、深町。観る側はこれらの男たちと同化する。神々の山嶺から見える光景とは何か。是非とも味わってほしい。

ネガティブ・サイド

登山以外の部分の描写が不足していた。日本社会における、あるいは他国での登山というスポーツの人気、知名度などについてもう少し描写が欲しかった。それがあれば、野口健のような、登山家なのかタレントもどきなのか分からない山登りが生まれてしまう背景などについて想像力を働かせられたのだろうが。

 

ボルトやピトンがふんだんに使われていたが、登山の歴史=道具の発達の歴史でもある。そうした道具の使い方や、あるいは羽生がアルバイトしている店での客への解説などがあれば、登山を全く知らない人でも本作の世界に入りやすくなったのではないだろうか。

 

吹き替えの声の音量が全体的に少し大きいと感じた。声のボリュームだけを5%落とせれば、もっとナチュラルな出来になっていたはず。

 

総評

漫画『 孤高の人 』の加藤文太郎しかり、映画『 フリーソロ 』のアレックス・オノルドしかり。登山家の生き様には理解しがたいところが多い。しかし、理解する必要などないのかもしれない。頭で理解するのではなく、心で感じ取る。それだけでいいのだろう。本作は、紛れもなく観る者の心を打つ力を持っている。山に登る者、それを追いかける者、そうした者たちを睥睨する神々の山嶺の容赦のない環境。なんとも濃密なドラマである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up a bivouac

「ビバークを設営する」の意。なにかのクロスワードで 8-letter word のキーになっていて、かなり呻吟した覚えがある。set up の set が過去形で、答えが encamped だった時には「んなもん、ノンネイティブに分かるわけないやろ・・・」とガックリきた。日常英会話ではまず間違いなく使わない表現だが、クロスワード愛好家なら知っておいて損はない・・・かなあ?

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アドベンチャー, アニメ, ヒューマンドラマ, フランス, ルクセンブルク, 堀内賢雄, 大塚明夫, 監督:パトリック・インバート, 配給会社:ロングライド, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 神々の山嶺 』 -登ることが生きること-

『 PLAN 75 』 -姥捨て山は他山の石たりえるか-

Posted on 2022年6月25日 by cool-jupiter

PLAN 75 75点
2022年6月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:倍賞千恵子 磯村勇人 河合優実
監督:早川千絵

 

なんかこんな小説読んだなと思っていたが、小説『 七十歳死亡法案、可決 』と本作は全く別物だった。それでも10年前に提起された問題が、そのまま2022年に持ち越されているところが日本らしいと言えば日本らしい。

あらすじ

社会保障費増大の原因とされる高齢者が殺害される事件が頻発。満75歳から安楽死を選択できる法律、通称「プラン75」が施行された。客室清掃員の角谷ミチ(倍賞千恵子)は突然、ホテルを解雇されてしまう。仕事や、それまでの人間関係も失ってしまたミチはプラン75への申し込みを検討するが・・・

ポジティブ・サイド

冒頭でショッキングな事件が描かれる。高齢者施設に銃を持った男が侵入し、大量殺人を犯す。その後、速やかにプラン75成立までが描かれる。ここの描写に時間を使わなかったのは英断。『 図書館戦争 』で昭和から正化への移り変わりをダイジェスト的に描いていたのと同様の手法である。

 

ホテルの客室清掃員のミチを演じる倍賞千恵子が、どこまでも真に迫っている。70代後半でありながら年金暮らしではなく、日々あくせく仕事をしながら、同僚や友人を持ち、社会とつながりを保っている。しかし、同僚の一人が仕事中に倒れてしまったことから「高齢者を働かせるとは何事か」との投書があり、ミチらは解雇されてしまう。ここから日本社会の冷たさというか、早川千絵監督の描きたいものが見えてくる。社会参加の意思があり、その能力もあるにも関わらず、拒絶される。このあたり、Jovianは仕事柄、よく経験している。語学企業の教務トレーナーとして、学校・企業・官公庁でレッスンを担当する講師を採用・育成・オブザーブ・研修しているが、特に学校は65歳あるいは70歳以上の講師はNGというところが本当に多い。能力的にも体力的に、もちろん認知の面で問題ない講師でも、年齢だけで弾かれる。人間が人間ではなく数字で判断されてしまう世の中なのである。

 

そうして社会から孤立を深めていくミチとは対照的に、プラン75の受付業務に精勤するヒロム(磯村勇人)が描かれる。典型的な役人なのだが、そこに長く音信不通になっていた叔父が現れ、プラン75に申し込んでくる。ここで黙々と職務に励むヒロムと、叔父の死への旅路を自分が用意してしまうことに葛藤を覚える。このあたりの対照も非常に際立っている。なぜなら、叔父のプラン75を受け付けつつも、その一方で公園のベンチでホームレスが寝られないようにする仕切り金具をあれやこれやと試して、「ああ、これはもたれにくい」、「これなら寝られないな」と無邪気に感想を述べる。名前のない人間に対して、人はいともたやすく冷酷になれる。それは職務に忠実だからこそで、それこそまさにハンナ・アーレントが呼ぶところの「凡庸な悪」である。悪意のない悪と言ってもいい。

 

もう一人の重要人物として、フィリピンから来日したマリアの存在が挙げられる。祖国にいる病気の子どもを助けるための治療費捻出のために、教会から非常に shady な仕事を紹介される。それがプラン75で亡くなった人々の遺品処理。キリスト教の教会がそんな仕事の仲介をしているのにもビックリするが、では遺体の処理はどうなっている?という疑問が、ヒロムやミチの物語に絡んでくる。なるほどなと思わされた。脚本の妙である

 

切った爪をゴミ箱に捨てずに植木鉢=土に還すミチの姿に、命に対する彼女の考え方が静かに、しかし如実に表れている。人間だれしも年老いてしまえば「吾日暮れて途遠し」となる。しかし、そこで国家が「故に倒行して之を逆施す」となってはならない。残念ながら、日本は逆施倒行している。「年金は100年安心」と言いながら、「老後に自分で2000万円貯めろ」とも言っている。正直なところ、プラン75のような法案が日本で可決される可能性は2〜3%あるのではないかと疑ってしまう。社会派の硬質な映画が送り出されてきたなと思う。

ネガティブ・サイド

プラン75に対して「最初は反発していたけれど、孫のためならしょうがないかな」という女性の声があったが、こうした pro-Plan 75 の声をもっと紹介するべきだったと感じる。別にプラン75そのものが素晴らしいからという意味ではなく、プラン75へのニーズは潜在的に存在するという現実もあるからだ。Jovianの祖母が亡くなった数年後に、Jovian父はNHKの老老介護の番組を観ながら「おふくろは寝たきりになる前に死んでくれたなあ」と口にしたことがある。なんちゅうこと言うんや、と思いはしたものの、老老介護による共倒れという現実がそこにある以上、一個人の極めて健全な感想と受け取るしかない。そうした市井の声を劇中でもっと紹介してくれれば、個人の声も国家に届くということが逆説的に示されたのではないだろうか。

 

河合優実演じるコールセンター職員・成宮とミチが実際に出会う展開は興ざめ。必要なのはコールセンター側の人間の想像力であって、想像力を喚起するのは出会いではなく、声だけの触れ合いの方だろう。ミチとの電話のやり取りを通じて、成宮の社会を見る目、人を見る目が変化しつつある、ということを感じさせる演出こそがふさわしかったのでは?

 

総評

劇場はかなりの入りで、その多くが中年以上、あるいは高齢者だった。彼ら彼女らは本作が高齢者を虐げる物語ではないと直感的に感じ取ったのだろう。だからといって、高齢者を肯定する物語でもない。淡々と進行しながらも、物語の奥行きが広い。命についての深い考察がある。『 Arc アーク 』や『 いのちの停車場 』で慨嘆させられた映画ファンは、本作で大いに留飲を下げることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

abort

「途中でやめる」の意。プラン75はいつでも止められるということだが、この場合の止めるに当てる訳語は abort がふさわしい。stop と言ってしまうと restart してしまう可能性があるが、abort は止めてしまって、もう元には戻らない。中絶を abortion という言うわけである。  

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, カタール, ヒューマンドラマ, フィリピン, フランス, 倍賞千恵子, 日本, 河合優実, 監督:早川千絵, 磯村勇人, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオLeave a Comment on 『 PLAN 75 』 -姥捨て山は他山の石たりえるか-

『 英雄の証明 』 -人は偏見から自由になれるのか-

Posted on 2022年6月12日 by cool-jupiter

英雄の証明 75点
2022年6月11日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:アミール・ジャディディ
監督:アスガー・ファルハディ

カンヌ国際映画祭のグランプリ作品ということで注目を集めていた一作。SNSによる狂騒が偉く喧伝されていたが、もっと直接的な人間関係に注目した作品だった。

 

あらすじ

刑務所から仮出所したラヒム(アミール・ジャディディ)は、婚約者が金貨入りのバッグを拾ったことを知る。着服しようという考えも頭をよぎるが、結局は拾得物として警察に届け出る。落とし主が出てこなければ、婚約者が落とし主として名乗り出ればいいと考えて。しかし、実際に落とし主が現れたことで、ラヒムは感謝され、また刑務所幹部らもラヒムを称賛し、ラヒムはTVメディアにも出演することになるが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

主人公のラヒムは徹頭徹尾、小市民である。タイトルは英雄であるが、この男を英雄と呼ぶのは難しい。人間らしいと言えば人間らしいのだろうが、心の弱さというか未熟さというか、そういったものが冒頭からずっと見えている。だが、そのことを誰が責める気になれようか。借金が返済できず刑務所に入っているというのに、婚約者がたまたま見つけた拾得物のカバンに入っている金貨を着服しようと考えるなど言語道断!などと考えられるのは、よっぽどの聖人君子だろう。

 

出所直後にバスに乗り損ねてしまったラヒムがたまたま金貨を手に入れて、しかし気まぐれからそれを届け出て、落とし主が現れた。正直な囚人として一時のメディアの寵児となるラヒムだが、アスガー・ファルハディ監督はラヒムを一方的な悪者にはしない。物語のここまでの段階で観る側はラヒムの積み重ねてきた小さな嘘や不実の数々を知ることになる。またラヒムが負った負債は結局、債権者(意外な人物!)には返せていない。英雄的な行為があっても、結局は債務者であることに変わりはない。真人間への道を歩み始めようとするラヒムだが、色々な横槍が入ってくる。それが誰によるものなのかを物語は明示しないが、観る側はあれこれと邪推してしまう。

 

そう、邪推する。邪な推測をしてしまうのである。ラヒムの視点からすれば、元妻やその家族は自分を認めようとしない分からず屋ということになるが、彼らの視点に立てば、ラヒムは借りた金を返さない不誠実な男ということになる。ラヒムが善意で金貨を持ち主に返したかどうかは大して意味を持たない。お互いの視点はすでに固定されてしまっているからだ。ラヒムおよびその周辺の人物たちは、まさに確証バイアスに囚われている。

 

これらの人間関係の不和に加えて、序盤から中盤にかけては、金貨の持ち主である女性に擁護してもらうべくラヒムは彼女を探すが、ここで『 幻の女 』風味のミステリも味わえる。また、その過程で知り合うことになる元服役者のタクシーの運転手と吃音賞の息子との一種のロードトリップの要素も併せ持っている。地味な作風ではあるのだが、エンタメ要素を盛り込むことも忘れていない。

 

終盤には、ラヒムが起こした騒動が動画に撮られてしまう。そしてその動画が拡散される危険が迫る。ラヒムのイメージ低下を防止せんと、刑務所や支援団体はラヒムの息子による父親の擁護動画を作成しようとする。結局は多数の人間の認知に働きかけようとするばかりである。これは非常に重要なことを示唆しているように思う。ある事柄が事実であるかどうかは、客観的に決まるのではなく、極めて主観的に決まるということである。英語の fact はラテン語の facio を語源に持つ、「作られたもの」という意味の語である。ラヒムが終盤に下す決断は、事実を確定させるためではなく、自分自身の誇り、名誉のための行動だった。人は自分の見たいように現実を見てしまう、つまり人にそのように見られたいという思いから行動しがちであるが、ラヒムのたどり着いた結論はそのことに真っ向から異議を唱えるものだった。 

 

最後の最後に刑務所に帰っていくラヒム。入れ替わりで出所していく男。迎えに来てくれた女性とスムーズに出会い、スムーズにバスに乗り込んでいく。彼とラヒムの違いは何であるのか。ほんのわずかなタイミングの違い、運命の気まぐれのようなものに思いを巡らせつつ、物語は閉じていく。

ネガティブ・サイド

最も重要であるべき、金貨入りバッグをラヒムとファルコンデが拾うという発端部分にかなりの曖昧さが残る。ファルコンデがバッグを拾得する。それを警察または銀行に届け出るか考える。仮出所してくるラヒムに相談するとどんな反応をするだろうか・・・というシーンがあれば、それ以前、そして以後の二人の関係性についてもっと考察を深められただろうと思う。

 

息子の吃音症の設定は必要だったのだろうか。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』でも描かれていた通り、吃音は結構な心理的なダメージを与える。はっきりとものを言えない息子を利用する「大人たち」に対してラヒムは抵抗を見せるが、ラヒム自身が息子の気持ちを代弁する、または言葉を介さずに息子と分かり合うようなシーンがないために、終盤の展開が少々陳腐になってしまっている。

 

総評

SNSが云々という宣伝文句を見かけるが、それは終盤のごく一部で、なおかつネット上で炎上が起きて・・・といったような展開はない。少なくともそうした直接的な描写はない。日本の配給会社や代理店は何故このようなプロモーションを行うのか。それはさておき、主人公ラヒムと彼の周囲の人間の誰もかれもが非常に人間らしさに溢れている。論語に「一人に備わらんことを求むるなかれ」と言うが、過去に罪を犯したからといって、今も罪を犯しているとは限らない。完全な善人がいないように、完全な悪人などもいない。イラン特有の問題ではなく、日本にも当てはまる展開が多いと感じる。偏見なしに人を見られないというのは、現代社会というよりも人間の業の問題なのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

stutter

名詞ならば「吃音」、動詞なら「どもる」の意。英会話ではたまに

A: Come again? = もう1回言って?
B: Did I stutter? = 俺、どもったっけ?

のような皮肉っぽいやり取りをすることがある。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アミール・ジャディディ, イラン, ヒューマンドラマ, フランス, 監督:アスガー・ファルハディ, 配給会社:シンカLeave a Comment on 『 英雄の証明 』 -人は偏見から自由になれるのか-

『 バニシング 未解決事件 』 -臓器売買の闇に迫る-

Posted on 2022年5月17日2022年5月17日 by cool-jupiter

バニシング 未解決事件 65点
2022年5月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ユ・ヨンソク オルガ・キュリレンコ
監督:ドゥニ・デルクール

『 流浪の月 』を鑑賞したかったが、指定席とも言うべきシートが取れず、次点の本作をチョイス。なかなかの硬派な映画だった。

 

あらすじ

ソウルで女性の遺体が発見されるが、腐敗が進行しており、身元の割り出しに難航する。パク班長(ユ・ヨンソク)はフランスの法医学者ロネ教授(オルガ・キュリレンコ)に助力を求める。彼女が採取した指紋から、遺体は行方不明になっていた中国人女性と判明する。捜査を進めるパク班長とロネ教授は、臓器売買の謎に迫っていき・・・

ポジティブ・サイド

韓国映画と見せかけて、これは実はフランス映画。つまり少ない登場人物でも、巧みにミステリやサスペンスを盛り上げる。舞台を韓国に移しても、そうしたフランス文芸・フランス映画の特色はしっかりと維持されていた。

 

まずユ・ヨンソク演じるパク班長が従来の韓国警察の刑事のイメージを大きく覆す。韓国といえば『 ビースト 』のような汚職や暴力を厭わぬ刑事か、あるいは『 暗数殺人 』のひらすらに黙々と事件を追う刑事の印象が強いが、ドゥニ・デルクール監督はそんな刑事はお呼びでないとばかりに、全く新しい刑事像を打ち出してきた。演じるユ・ヨンソクは『 建築学概論 』の嫌な先輩役だったそうだが、本作ではそんなマイナスのオーラは一切出さず、理知的な刑事を演じきった。発音は韓国なまりだが、普通に英語は上手い。パッと聞いた感じだけなら、チェ・ウシクの英語と比べても遜色ないように感じた。姪っ子を溺愛し、手品も上手いという特徴が、中盤以降に物語の本筋にしっかりと関連してくる。

 

バディを組むことになるロネ教授ことアリスも静かに、しかし確実に法医学のプロフェッショナルとしての印象を観る側に刻み付けた。難解な専門用語を交えて流暢に講義を行い、腐敗が進んだ死体からも見事に指紋を採取する。しかし、単なる職業人としてだけではなく、パーソナルな部分にも人間味がある。序盤にパク班長との会話で不可解な受け答えをするのだが、その謎が明らかになる中盤、そしてそれに決着をつける終盤の展開には心を揺さぶられる。

 

二人がロマンチックな雰囲気になりながらも、プロフェッショナルに徹するところも潔い。特に、パク班長からのごく私的な問いにアリスが敢えてフランス語で真摯に答えるシーンは、男女というよりも人間同士の心の響き合いだった。

 

死体遺棄事件の元にある臓器売買事件の闇に迫る二人に思いがけぬ事実が立ち現われてくる。事件は一応の解決を見るが、臓器売買ネットワークは残ったまま。そして、食い物にされる中国人女性や、臓器を買い取る富裕層という格差の構図は何も解決されぬまま。それでも、パク班長とアリスの淡い別れに、今後も二人が機を見て reunite し、新たな事件に取り組む可能性を感じさせて物語は閉じていく。

 

ネガティブ・サイド

臓器売買のネットワークは、そのまま人身売買のネットワークでもあるだが、それを仕切っていると思しき韓国ヤクザの描写があまりにもしょぼい。『 ザ・バッド・ガイズ 』は荒唐無稽ではあったが、国際的な犯罪ネットワークを構想する気宇壮大な韓国ヤクザが出てきた。それぐらいの巨悪を描いても良かったのではないか。

 

臓器売買の片棒を担ぐ医師が、意外(でもないが)な主要人物とつながっていることで、アリスの心的なトラウマは解消されても、全く別の方面で救われない人物が生じてしまっている。もちろん、違法な臓器売買を阻止する=助からない命が出てくるわけで、問題はその助からない命に大して、我々が大きく感情移入してしまうことである。アリスのキャラを立てるためとはいえ、この展開は観ていて心苦しかった。

 

パク班長とアリスの別れ際も、もうちょっと余韻というか、今後の二人の再会と活躍を予感させるようなものの方が良かった。アリスが韓国に残ることを予感させるよりも、パク班長がアリスに姪っ子と時々ビデオ通話する仲になってほしいと頼む方が、劇中で「感情表現に乏しい」とされた韓国人っぽいではないか。しかし、韓国人が感情表現に乏しいというのはフランスの脚本家の手によるもの?よく共同脚本家の韓国人がそれOKしたなと思ってしまう。

 

総評

テンポが良く、サスペンスも適度に盛り上がり、思わぬ人間関係も終盤に見えてくる。韓国語、英語、フランス語、中国語が飛び交う国際色豊かな作品である。『 マスカレード・ホテル 』のような変則バディものがイマイチと感じられる向きにこそ本作を勧めたい。そうそう、日本のサラリーマンは主人公のパク班長の英語力を一つの目標にするといい。情報を得る、あるいは与える、問題を提示する、あるいは解決する、そして相手との信頼関係を築くというのは、必ずしも準ネイティブ級の語学力を必要としないことが分かるだろう。語彙を増やしたりTOEICスコアを追求するのではなく、コミュニケーション能力を磨こうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Would you be able to V?

相手に何かを依頼する丁寧な表現。普通のビジネスパーソンなら

Could you V?
Would you be able to V?
It would be great if you could V. 
I was wondering if you could V. 

あたりを口頭あるいはメールのやりとりでは使いまわせばよい。

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, C Rank, オルガ・キュリレンコ, サスペンス, フランス, ユ・ヨンソク, 監督:ドゥニ・デルクール, 配給会社:ファインフィルムズ, 韓国Leave a Comment on 『 バニシング 未解決事件 』 -臓器売買の闇に迫る-

『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

Posted on 2022年1月24日2022年1月24日 by cool-jupiter

ブラックボックス 音声分析捜査 70点
2021年1月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ピエール・ニネ ルー・ドゥ・ラージュ
監督:ヤン・ゴズラン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220124205255j:plain

音声データを頼りに捜査をする作品となると『 THE GUILTY ギルティ 』や『 ザ・コール 緊急通報指令室 』が思い出される。どちらも良作だった。ということで、本作のチケットを購入。

 

あらすじ

航空機が墜落し、乗客300名、乗員16名の全員が死亡するという大事故が起きる。回収されたブラックボックスの分析官ポロックは突如失踪。調査を引き継いだマチュー(ピエール・ニネ)はテロの可能性を指摘した。しかし、乗客の一人が妻に残した事故の最中の留守電の音声が、ブラック・ボックスの音声記録と3分の時間差があることにマチューは気付く。そして、事故の更なる調査にのめり込んでいくが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220124205308j:plain

ポジティブ・サイド

オープニング・シークエンスが非常に印象的。飛行機のコクピットから徐々にズームアウトしていき、キャビン、そして尾翼部にあるブラック・ボックスにまで一直線に引いていく絵と墜落に至る音声が聞こえてくる導入部には鳥肌が立った。

 

音声だけから状況を三次元的、四次元的に把握しようとする分析官の仕事ぶりが丁寧に導入されていたのは有難かった。Jovianも英語のリスニング問題を作ったりする際に audacity や bearaudio.com をよく使うので、あの音声データの波形をPCディスプレイ上で見て、思わずニヤリとした。 

 

主人公のマチューの神経質なところもプラスに映った。『 ちはやふる -結び- 』で周防名人が街の雑踏を極力シャットアウトしようとしていたように、マチューもその飛びぬけた聴力ゆえに、周囲に同調することが難しい。それゆえに仕事では有能だが、融通の利かない人間に映る。このことが後半以降の展開を大いにサスペンスフルにしている。マチューが実直で有能であるがゆえに、上司や同僚とはどこか距離があり、そのことがマチュー視点では彼ら全員を疑わしい存在に見せてしまう。この真相に迫っているのに、逆に遠ざかっていくような感覚に陥るというプロセスが、本作ではよく効いていた。

 

マチューとその妻ノエミや、マチューの直属の上司ポロック、その他数人だけを覚えておけば、物語の理解に支障はない。このあたりはいかにもフランスで、少ない人数でミステリとサスペンスを生み出すというフランスの小説の伝統的な技巧は映画にも活かされている。

 

真相はなかなかに現代的である。ラダイト運動の歴史を振り返るまでもなく、技術の進歩は常に人間に失業の危機感を味わわせてきた。同時に、技術の進歩は、人間が介在する余地をゼロにはできない仕事もあるのだということも我々に再確認させてきた。本作はそのことを非常に強く感じさせてくれる。

 

ネガティブ・サイド

序盤は正直なところ、眠たくなる。テロリストによる犯行が真相なわけはないのだから、その結論に至るまでのマチューの描写は、単なる導入部としか見られなかった。だいたいテロであるならば、さっさと犯行声明が出されるだろう。

 

音声分析捜査というサブタイトルのわりに、結構な量の動画分析も含まれている。別にそれを決定的なマイナスとまでは思わないが、やはりもっと音声データに焦点を当てて欲しかった。

 

職務上の機密情報がローカルドライブに置かれている描写があったが、そんなことがありうるのだろうか。IT音痴の日本の企業なら分からんでもないのだが・・・

 

真相は非常に示唆的であるが、その描写に迫真性はない。ああいう時は、以下白字まずはケーブルを抜くだろう。でなければPCを強制終了するはず。人間、パニックになればあんなものかもしれないが、やや拍子抜けする真相であった。

 

総評

サスペンス映画の佳作である。航空機(に限らずクルマでも電車でも何でもいい)に関連する技術と人間の関わり方に大いなる問いを投げかけている。序盤は少々もたもたした語り口という印象だが、中盤以降はジェットコースター的な上がり下がりの激しい展開を味わえる。真相はちょっと弱いが、そこに至るまでの緊張感をずっと維持するストーリーテリングは素晴らしい。平日の夜や週末が手持ち無沙汰なら、本作のチケットを購入されたし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

putain

劇中ではピュターンと発音されていた。アクセントは後ろのターン。字幕では「くそ」となっていたように思う。2021年の夏にフランスの某サッカー選手たちが日本を侮辱する文脈で使ったとされる言葉で、アホのひ〇〇きが必死に擁護して騒動になったのを覚えている人もいるだろう。使ってはいけない言葉とされるが、ドイツ語の scheisse やロシア語の blyad など、互いの母国語の卑罵語を教え合うことで友情が深まるというのも、Jovianの経験からは、一面の真実である。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ピエール・ニネ, フランス, ルー・ドゥ・ラージュ, 監督:ヤン・ゴズラン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

Posted on 2021年5月9日 by cool-jupiter

ブリングリング 50点
2021年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ケイティ・チャン エマ・ワトソン イズラエル・ブルサール
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210509194932j:plain
 

時間つぶしにTSUTAYAで借りてきた。難解な哲学書を読んでいて、頭をリセットする必要がある。そうした時には、何も考えていないティーンの映画でも観るに限る。これは偏見かな。

 

あらすじ

マーク(イズラエル・ブルサール)は転校先で出会ったレベッカ(ケイティ・チャン)に誘われ、ふとしたことから空き巣と窃盗の共犯になってしまう。やがてニッキー(エマ・ワトソン)らも加わり、彼らはハリウッドのセレブたちの留守を狙って、豪邸への侵入を繰り返すようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

ティーンの日常風景が生々しい。ドロドロとした虐めや派閥争いではなく、淡々とした友情を淡々と描き出す序盤は、ドキュメンタリーのようにも感じられた。元が実話だからしょうがない。何度も侵入されては、色んなものを盗まれるパリス・ヒルトンだが、実際に自宅を撮影用に提供したというのだから、商魂たくましいと言うしかない。その豪邸の広さ、物の多さ、そして至るところから発せられる強烈なナルシシズムからは、確かにティーンならずとも惹きつけられてしまうカリスマ性を感じる。

 

戦利品のアイテムや金を使ってガキンチョどもが何をするかと言えば、お定まりのショッピングにドラッグ、そしてクラブ通い。このあたりは大人も子どももアメリカ人らしさ全開という感じがする。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオも目のくらむよう大金を稼いで、同じようなことをやっていた。これも陳腐でありながら生々しい。リアルであると感じる。

 

生々しいのは、犯行に及ぶティーンたちの無計画性。そして、今風の言葉で軽く評するなら、自己承認欲求の強さ。なぜセレブ宅への侵入と窃盗の現場で写真を撮るのか、そしてそれをSocial Mediaに上げてしまうのか。なぜ自分たちの盗みを同級生たちに自慢してしまうのか。そして、犯行現場で素手であれやこれやをべたべたと触って指紋を残すのか。帽子もかぶらず、髪の毛も落としまくっていくのか。『 アメリカン・アニマルズ 』での、凝りに凝った犯行計画を練り上げていく過程とは対照的に、本当に何も考えずに次から次へと犯行を繰り返すブリング・リングの面々には嫌悪感すら催してしまう。観る側をこのような気持ちにさせた時点で、本作は一定の成功を収めていると言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド 

『 スプリング・ブレイカーズ 』は青春への決別を映し出していたが、本作で描かれるブリングリングの連中は、マークを除いて全員アホである。反省の色が見られない。いや、反省しないだけならいいのだが、その原因を何らかの形で劇中で提示すべきだろう。ホームスクーリングや離婚した両親など、思わせぶりな描写は多いが、それは事実であって仮説の形にはなっていない。有罪が確定しているにもかかわらず、自らの将来をメディアに高らかに語ったり、事件の真相を知りたければ自分のウェブサイトを見ろと宣伝するニッキーは、どこまでも薄っぺらい。本当なら、そうしたティーンのアホな自己承認欲求をかなえる手伝いをするような映画ではなく、何が彼女たちをそこまで駆り立てたのかを考察し、そこを盛り込むべきだった。

 

他に不足を感じたのは、マスコミ及び大衆の反応の描写。アホなティーンがある意味で同じくらいアホなセレブに経済的な痛撃を一時的にも加えたこと、そしてそれを口コミおよびSocial Mediaを通じて一時的にもセンセーションを作り出したことを、当時のニュース映像と対比する形で挿入すべきだった。そこをもう少し手厚く描写しないと、ブリングリングの連中が特別だったことになり、ごく一部の無軌道な若者、若気の無分別の物語になってしまう。そうではなく、若いうちは(老いてからでも)誰でも道を踏み外す可能性があること。そして、セレブであろうが誰であろうが、情報の取り扱い、そのリテラシーについてもっと注意を要すべしという教訓が伝わってこない。

 

エマ・ワトソンは悪い女優ではないが、特別に良い女優でもないと今作の演技から感じた。ハリポタのハーマイオニーというはまり役は、『 スター・ウォーズ 』におけるルークやハン・ソロと同じく、役者の素の顔を引き出す演出が奏功したというのが大きい。本作のエマ・ワトソンのあざとさはあまりにも意図的で、逆に演技くさくなっている。本当のエマ・ワトソンの演技を観たい向きは『 ウォールフラワー 』を鑑賞すべし。 

 

総評

ハリウッドの豪邸に入り込んで、好き勝手なことをする。そんなことが出来るんかいなと思ってしまうが、『 ビバリーヒルズ・コップ2 』でもエディ・マーフィーが同じようなことをやっていたなと思い出した。つまりは出来てしまうし、実際にそうした事件が起きた。盗みに入る方もアホだなと思うし、盗みに入られる方もアホだなと思う。『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』のシャロン・テートの教訓からセレブたちは学んでいないのかと考えさせられるが、この能天気さや鷹揚さもアメリカの特徴なのだろう。暇つぶし用、典型的な a rainy day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

for all I know

文頭または文末に使って、「多分」、「もしかしたら」という意味を加える。

For all I know, the champion could lose.

I want to be a politician. I could even become Prime Minister for all I know.

のように使う。関西人ならば語尾につける「知らんけど」とほぼ同じだと説明すれば一発で理解できるかもしれない。知らんけど。

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, イズラエル・ブルサール, エマ・ワトソン, クライムドラマ, ケイティ・チャン, ドイツ, フランス, 日本, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:アークエンタテインメント, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

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