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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: フランス

『 バニシング 未解決事件 』 -臓器売買の闇に迫る-

Posted on 2022年5月17日2022年5月17日 by cool-jupiter

バニシング 未解決事件 65点
2022年5月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ユ・ヨンソク オルガ・キュリレンコ
監督:ドゥニ・デルクール

『 流浪の月 』を鑑賞したかったが、指定席とも言うべきシートが取れず、次点の本作をチョイス。なかなかの硬派な映画だった。

 

あらすじ

ソウルで女性の遺体が発見されるが、腐敗が進行しており、身元の割り出しに難航する。パク班長(ユ・ヨンソク)はフランスの法医学者ロネ教授(オルガ・キュリレンコ)に助力を求める。彼女が採取した指紋から、遺体は行方不明になっていた中国人女性と判明する。捜査を進めるパク班長とロネ教授は、臓器売買の謎に迫っていき・・・

ポジティブ・サイド

韓国映画と見せかけて、これは実はフランス映画。つまり少ない登場人物でも、巧みにミステリやサスペンスを盛り上げる。舞台を韓国に移しても、そうしたフランス文芸・フランス映画の特色はしっかりと維持されていた。

 

まずユ・ヨンソク演じるパク班長が従来の韓国警察の刑事のイメージを大きく覆す。韓国といえば『 ビースト 』のような汚職や暴力を厭わぬ刑事か、あるいは『 暗数殺人 』のひらすらに黙々と事件を追う刑事の印象が強いが、ドゥニ・デルクール監督はそんな刑事はお呼びでないとばかりに、全く新しい刑事像を打ち出してきた。演じるユ・ヨンソクは『 建築学概論 』の嫌な先輩役だったそうだが、本作ではそんなマイナスのオーラは一切出さず、理知的な刑事を演じきった。発音は韓国なまりだが、普通に英語は上手い。パッと聞いた感じだけなら、チェ・ウシクの英語と比べても遜色ないように感じた。姪っ子を溺愛し、手品も上手いという特徴が、中盤以降に物語の本筋にしっかりと関連してくる。

 

バディを組むことになるロネ教授ことアリスも静かに、しかし確実に法医学のプロフェッショナルとしての印象を観る側に刻み付けた。難解な専門用語を交えて流暢に講義を行い、腐敗が進んだ死体からも見事に指紋を採取する。しかし、単なる職業人としてだけではなく、パーソナルな部分にも人間味がある。序盤にパク班長との会話で不可解な受け答えをするのだが、その謎が明らかになる中盤、そしてそれに決着をつける終盤の展開には心を揺さぶられる。

 

二人がロマンチックな雰囲気になりながらも、プロフェッショナルに徹するところも潔い。特に、パク班長からのごく私的な問いにアリスが敢えてフランス語で真摯に答えるシーンは、男女というよりも人間同士の心の響き合いだった。

 

死体遺棄事件の元にある臓器売買事件の闇に迫る二人に思いがけぬ事実が立ち現われてくる。事件は一応の解決を見るが、臓器売買ネットワークは残ったまま。そして、食い物にされる中国人女性や、臓器を買い取る富裕層という格差の構図は何も解決されぬまま。それでも、パク班長とアリスの淡い別れに、今後も二人が機を見て reunite し、新たな事件に取り組む可能性を感じさせて物語は閉じていく。

 

ネガティブ・サイド

臓器売買のネットワークは、そのまま人身売買のネットワークでもあるだが、それを仕切っていると思しき韓国ヤクザの描写があまりにもしょぼい。『 ザ・バッド・ガイズ 』は荒唐無稽ではあったが、国際的な犯罪ネットワークを構想する気宇壮大な韓国ヤクザが出てきた。それぐらいの巨悪を描いても良かったのではないか。

 

臓器売買の片棒を担ぐ医師が、意外(でもないが)な主要人物とつながっていることで、アリスの心的なトラウマは解消されても、全く別の方面で救われない人物が生じてしまっている。もちろん、違法な臓器売買を阻止する=助からない命が出てくるわけで、問題はその助からない命に大して、我々が大きく感情移入してしまうことである。アリスのキャラを立てるためとはいえ、この展開は観ていて心苦しかった。

 

パク班長とアリスの別れ際も、もうちょっと余韻というか、今後の二人の再会と活躍を予感させるようなものの方が良かった。アリスが韓国に残ることを予感させるよりも、パク班長がアリスに姪っ子と時々ビデオ通話する仲になってほしいと頼む方が、劇中で「感情表現に乏しい」とされた韓国人っぽいではないか。しかし、韓国人が感情表現に乏しいというのはフランスの脚本家の手によるもの?よく共同脚本家の韓国人がそれOKしたなと思ってしまう。

 

総評

テンポが良く、サスペンスも適度に盛り上がり、思わぬ人間関係も終盤に見えてくる。韓国語、英語、フランス語、中国語が飛び交う国際色豊かな作品である。『 マスカレード・ホテル 』のような変則バディものがイマイチと感じられる向きにこそ本作を勧めたい。そうそう、日本のサラリーマンは主人公のパク班長の英語力を一つの目標にするといい。情報を得る、あるいは与える、問題を提示する、あるいは解決する、そして相手との信頼関係を築くというのは、必ずしも準ネイティブ級の語学力を必要としないことが分かるだろう。語彙を増やしたりTOEICスコアを追求するのではなく、コミュニケーション能力を磨こうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Would you be able to V?

相手に何かを依頼する丁寧な表現。普通のビジネスパーソンなら

Could you V?
Would you be able to V?
It would be great if you could V. 
I was wondering if you could V. 

あたりを口頭あるいはメールのやりとりでは使いまわせばよい。

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, C Rank, オルガ・キュリレンコ, サスペンス, フランス, ユ・ヨンソク, 監督:ドゥニ・デルクール, 配給会社:ファインフィルムズ, 韓国Leave a Comment on 『 バニシング 未解決事件 』 -臓器売買の闇に迫る-

『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

Posted on 2022年1月24日2022年1月24日 by cool-jupiter

ブラックボックス 音声分析捜査 70点
2021年1月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ピエール・ニネ ルー・ドゥ・ラージュ
監督:ヤン・ゴズラン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220124205255j:plain

音声データを頼りに捜査をする作品となると『 THE GUILTY ギルティ 』や『 ザ・コール 緊急通報指令室 』が思い出される。どちらも良作だった。ということで、本作のチケットを購入。

 

あらすじ

航空機が墜落し、乗客300名、乗員16名の全員が死亡するという大事故が起きる。回収されたブラックボックスの分析官ポロックは突如失踪。調査を引き継いだマチュー(ピエール・ニネ)はテロの可能性を指摘した。しかし、乗客の一人が妻に残した事故の最中の留守電の音声が、ブラック・ボックスの音声記録と3分の時間差があることにマチューは気付く。そして、事故の更なる調査にのめり込んでいくが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220124205308j:plain

ポジティブ・サイド

オープニング・シークエンスが非常に印象的。飛行機のコクピットから徐々にズームアウトしていき、キャビン、そして尾翼部にあるブラック・ボックスにまで一直線に引いていく絵と墜落に至る音声が聞こえてくる導入部には鳥肌が立った。

 

音声だけから状況を三次元的、四次元的に把握しようとする分析官の仕事ぶりが丁寧に導入されていたのは有難かった。Jovianも英語のリスニング問題を作ったりする際に audacity や bearaudio.com をよく使うので、あの音声データの波形をPCディスプレイ上で見て、思わずニヤリとした。 

 

主人公のマチューの神経質なところもプラスに映った。『 ちはやふる -結び- 』で周防名人が街の雑踏を極力シャットアウトしようとしていたように、マチューもその飛びぬけた聴力ゆえに、周囲に同調することが難しい。それゆえに仕事では有能だが、融通の利かない人間に映る。このことが後半以降の展開を大いにサスペンスフルにしている。マチューが実直で有能であるがゆえに、上司や同僚とはどこか距離があり、そのことがマチュー視点では彼ら全員を疑わしい存在に見せてしまう。この真相に迫っているのに、逆に遠ざかっていくような感覚に陥るというプロセスが、本作ではよく効いていた。

 

マチューとその妻ノエミや、マチューの直属の上司ポロック、その他数人だけを覚えておけば、物語の理解に支障はない。このあたりはいかにもフランスで、少ない人数でミステリとサスペンスを生み出すというフランスの小説の伝統的な技巧は映画にも活かされている。

 

真相はなかなかに現代的である。ラダイト運動の歴史を振り返るまでもなく、技術の進歩は常に人間に失業の危機感を味わわせてきた。同時に、技術の進歩は、人間が介在する余地をゼロにはできない仕事もあるのだということも我々に再確認させてきた。本作はそのことを非常に強く感じさせてくれる。

 

ネガティブ・サイド

序盤は正直なところ、眠たくなる。テロリストによる犯行が真相なわけはないのだから、その結論に至るまでのマチューの描写は、単なる導入部としか見られなかった。だいたいテロであるならば、さっさと犯行声明が出されるだろう。

 

音声分析捜査というサブタイトルのわりに、結構な量の動画分析も含まれている。別にそれを決定的なマイナスとまでは思わないが、やはりもっと音声データに焦点を当てて欲しかった。

 

職務上の機密情報がローカルドライブに置かれている描写があったが、そんなことがありうるのだろうか。IT音痴の日本の企業なら分からんでもないのだが・・・

 

真相は非常に示唆的であるが、その描写に迫真性はない。ああいう時は、以下白字まずはケーブルを抜くだろう。でなければPCを強制終了するはず。人間、パニックになればあんなものかもしれないが、やや拍子抜けする真相であった。

 

総評

サスペンス映画の佳作である。航空機(に限らずクルマでも電車でも何でもいい)に関連する技術と人間の関わり方に大いなる問いを投げかけている。序盤は少々もたもたした語り口という印象だが、中盤以降はジェットコースター的な上がり下がりの激しい展開を味わえる。真相はちょっと弱いが、そこに至るまでの緊張感をずっと維持するストーリーテリングは素晴らしい。平日の夜や週末が手持ち無沙汰なら、本作のチケットを購入されたし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

putain

劇中ではピュターンと発音されていた。アクセントは後ろのターン。字幕では「くそ」となっていたように思う。2021年の夏にフランスの某サッカー選手たちが日本を侮辱する文脈で使ったとされる言葉で、アホのひ〇〇きが必死に擁護して騒動になったのを覚えている人もいるだろう。使ってはいけない言葉とされるが、ドイツ語の scheisse やロシア語の blyad など、互いの母国語の卑罵語を教え合うことで友情が深まるというのも、Jovianの経験からは、一面の真実である。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ピエール・ニネ, フランス, ルー・ドゥ・ラージュ, 監督:ヤン・ゴズラン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ブラックボックス 音声分析捜査 』 -近未来への警鐘-

『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

Posted on 2021年5月9日 by cool-jupiter

ブリングリング 50点
2021年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ケイティ・チャン エマ・ワトソン イズラエル・ブルサール
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210509194932j:plain
 

時間つぶしにTSUTAYAで借りてきた。難解な哲学書を読んでいて、頭をリセットする必要がある。そうした時には、何も考えていないティーンの映画でも観るに限る。これは偏見かな。

 

あらすじ

マーク(イズラエル・ブルサール)は転校先で出会ったレベッカ(ケイティ・チャン)に誘われ、ふとしたことから空き巣と窃盗の共犯になってしまう。やがてニッキー(エマ・ワトソン)らも加わり、彼らはハリウッドのセレブたちの留守を狙って、豪邸への侵入を繰り返すようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

ティーンの日常風景が生々しい。ドロドロとした虐めや派閥争いではなく、淡々とした友情を淡々と描き出す序盤は、ドキュメンタリーのようにも感じられた。元が実話だからしょうがない。何度も侵入されては、色んなものを盗まれるパリス・ヒルトンだが、実際に自宅を撮影用に提供したというのだから、商魂たくましいと言うしかない。その豪邸の広さ、物の多さ、そして至るところから発せられる強烈なナルシシズムからは、確かにティーンならずとも惹きつけられてしまうカリスマ性を感じる。

 

戦利品のアイテムや金を使ってガキンチョどもが何をするかと言えば、お定まりのショッピングにドラッグ、そしてクラブ通い。このあたりは大人も子どももアメリカ人らしさ全開という感じがする。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオも目のくらむよう大金を稼いで、同じようなことをやっていた。これも陳腐でありながら生々しい。リアルであると感じる。

 

生々しいのは、犯行に及ぶティーンたちの無計画性。そして、今風の言葉で軽く評するなら、自己承認欲求の強さ。なぜセレブ宅への侵入と窃盗の現場で写真を撮るのか、そしてそれをSocial Mediaに上げてしまうのか。なぜ自分たちの盗みを同級生たちに自慢してしまうのか。そして、犯行現場で素手であれやこれやをべたべたと触って指紋を残すのか。帽子もかぶらず、髪の毛も落としまくっていくのか。『 アメリカン・アニマルズ 』での、凝りに凝った犯行計画を練り上げていく過程とは対照的に、本当に何も考えずに次から次へと犯行を繰り返すブリング・リングの面々には嫌悪感すら催してしまう。観る側をこのような気持ちにさせた時点で、本作は一定の成功を収めていると言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド 

『 スプリング・ブレイカーズ 』は青春への決別を映し出していたが、本作で描かれるブリングリングの連中は、マークを除いて全員アホである。反省の色が見られない。いや、反省しないだけならいいのだが、その原因を何らかの形で劇中で提示すべきだろう。ホームスクーリングや離婚した両親など、思わせぶりな描写は多いが、それは事実であって仮説の形にはなっていない。有罪が確定しているにもかかわらず、自らの将来をメディアに高らかに語ったり、事件の真相を知りたければ自分のウェブサイトを見ろと宣伝するニッキーは、どこまでも薄っぺらい。本当なら、そうしたティーンのアホな自己承認欲求をかなえる手伝いをするような映画ではなく、何が彼女たちをそこまで駆り立てたのかを考察し、そこを盛り込むべきだった。

 

他に不足を感じたのは、マスコミ及び大衆の反応の描写。アホなティーンがある意味で同じくらいアホなセレブに経済的な痛撃を一時的にも加えたこと、そしてそれを口コミおよびSocial Mediaを通じて一時的にもセンセーションを作り出したことを、当時のニュース映像と対比する形で挿入すべきだった。そこをもう少し手厚く描写しないと、ブリングリングの連中が特別だったことになり、ごく一部の無軌道な若者、若気の無分別の物語になってしまう。そうではなく、若いうちは(老いてからでも)誰でも道を踏み外す可能性があること。そして、セレブであろうが誰であろうが、情報の取り扱い、そのリテラシーについてもっと注意を要すべしという教訓が伝わってこない。

 

エマ・ワトソンは悪い女優ではないが、特別に良い女優でもないと今作の演技から感じた。ハリポタのハーマイオニーというはまり役は、『 スター・ウォーズ 』におけるルークやハン・ソロと同じく、役者の素の顔を引き出す演出が奏功したというのが大きい。本作のエマ・ワトソンのあざとさはあまりにも意図的で、逆に演技くさくなっている。本当のエマ・ワトソンの演技を観たい向きは『 ウォールフラワー 』を鑑賞すべし。 

 

総評

ハリウッドの豪邸に入り込んで、好き勝手なことをする。そんなことが出来るんかいなと思ってしまうが、『 ビバリーヒルズ・コップ2 』でもエディ・マーフィーが同じようなことをやっていたなと思い出した。つまりは出来てしまうし、実際にそうした事件が起きた。盗みに入る方もアホだなと思うし、盗みに入られる方もアホだなと思う。『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』のシャロン・テートの教訓からセレブたちは学んでいないのかと考えさせられるが、この能天気さや鷹揚さもアメリカの特徴なのだろう。暇つぶし用、典型的な a rainy day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

for all I know

文頭または文末に使って、「多分」、「もしかしたら」という意味を加える。

For all I know, the champion could lose.

I want to be a politician. I could even become Prime Minister for all I know.

のように使う。関西人ならば語尾につける「知らんけど」とほぼ同じだと説明すれば一発で理解できるかもしれない。知らんけど。

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, イズラエル・ブルサール, エマ・ワトソン, クライムドラマ, ケイティ・チャン, ドイツ, フランス, 日本, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:アークエンタテインメント, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

『 ANNA アナ 』 -スタイリッシュなスパイアクション映画-

Posted on 2021年4月3日 by cool-jupiter

ANNA アナ 70点
2021年3月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サッシャ・ルス ルーク・エヴァンス キリアン・マーフィ ヘレン・ミレン
監督:リュック・ベッソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210403091632j:plain
 

『 ニキータ 』の昔からスタイリッシュな女性キャラクターを描き出すことにご執心のリュック・ベッソン御大の作品。劇場公開時に見逃したこともあるが、ジェシカ・チャステイン主演の『 AVA/エヴァ 』のトレーラーを観て、同工異曲の本作が気になった。ゆえに近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

1990年のソ連。不遇な環境に生きるアナ(サッシャ・ルス)は、KGBのアレクセイ(ルーク・エヴァンス)からスパイとしてスカウトされる。彼女はエージェントとして頭角を現し、数々の困難なミッションを遂行していくのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 レッド・スパロー 』の虚々実々の騙し合いの駆け引きと『 アトミック・ブロンド 』の肉弾バトルと銃撃アクションを見事に融合している。主演のサッシャ・ルスはまさに佳人薄命。ろくでもない恋人のせいでどん底の生活をしていたところを、アレクセイにスカウトされる。その時の台詞がしびれる。「5分前まで未来がなかったのに、今は5年後の心配か?」

 

KGBに属することになったその先で出会う女上司のオルガの存在感がまた抜群だ。『 グッドライアー 偽りのゲーム 』でも貫禄の演技を見せたヘレン・ミレンが、現場上がりの管理職の凄みを見せる。五体満足ではこの稼業はできないんだぞ、ということをアナにも観る側にも伝えてくる迫力は本物。

 

アクションもスタイリッシュかつ、血みどろの泥臭さ。レストランに乗り込んでの大立ち回りは『 悪女 AKUJO 』の冒頭のシークエンスを彷彿とさせた。カッコよくぶっ殺すのだが、返り血もしっかり浴びる。『 アトミック・ブロンド 』と同じく、敵をちぎっては投げるが、本人もゼェゼェハァハァ状態。闘う女性の美しさをフレームに収めてきたリュック・ベッソンが、血糊というメイクアップをふんだんに使ってきた。それだけサッシャ・ルスという素材が魅力的だったのだろう。実際にそうなのだ。ファッションモデルからコールガールまで違和感なく演じ、バイセクシャルでもある。単なるキリング・マシーンになっていないところがいい。ロシア人だとかKGBだとかは、何やら得体の知れない怖さがあるが、アナのヒューマンな部分がそうしたところをうまく中和してくれている。

 

KGBのアレクセイを演じるルーク・エヴァンスのロシア人っぽさが微妙に笑えるし、うさん臭さと軽佻浮薄さを漂わせながら目が笑っていないキリアン・マーフィも良い味を出している。男ならどこか彼らに自分を同一視してしまうのではないだろうか。男は美女に翻弄されてナンボなのだろう。

 

アナが終盤で見せる暗殺劇と脱出も手に汗握るガンアクションの連続。アクションができる女優というのは、魅力が200%増しに見える。実際にルーク・エヴァンスとキリアン・マーフィをある意味で手玉に取ってしまうのだから、魔性の女でもある。頭脳明晰、容姿端麗、それでいて凄腕のエージェント。けれどその中身は、何よりも自由と解放を希求する一人のか弱い乙女というギャップ。リュック・ベッソンの趣味が全部ぶちこまれたキャラクターの爆誕と言える。波長が合う人にとっては大傑作だろう。波長が合わない人にとっても佳作だと言えるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

過去の回想シーンが結構な頻度で挿入されてくるが、それによってストーリーテリングのテンポが悪くなっている。「3年前」の後に「半年後」みたいな構成は混乱の元だろう。もちろん、そうすることで観客を驚かせたい、キャラクターの背景を深掘りしたいという意図があるのは百も承知だが、このあたりの回想をもっとコンパクトにまとめることはできなかったのか。

 

1990年のソ連崩壊前夜、またはその数年前が舞台のはずだが、ノートパソコンが普通にバンバン登場する。いや、ノートパソコンそのものは当時も存在したガジェットだが、もっと小さかったはず。まあ、ソ連の科学の粋だと思うことにしよう。だが決定的におかしいのはメールに動画メッセージを添付して送信できるところ。これにはズッコケた。そんなもん、当時の技術や通信インフラの水準で出来るわけないやろ、と。『 真・鮫島事件 』でも思ったが、動画をカジュアルにやりとりできるようになったのはたゆまぬ技術革新のおかげで、それは2000年代後半以降のこと。時代考証はしっかりとすべし。

 

総評

普通に面白い。スパイ映画に出てくる人物というのは、『 ミッション・インポッシブル 』イーサン・ハントだとか『 007 』のジェームズ・ボンドのようなキャラ以外は、基本的にダブル・エージェントであることがお約束である。つまり、スパイ映画の文法に忠実でありながら、それ以外の部分での面白さも追求できている。本邦でも『 奥様は、取り扱い注意 』なる地雷臭が漂う作品が公開間近だが、土屋太鳳や山本舞香といったアクションができる女優を使ったスパイアクション映画を作ってほしいものだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Trouble never sends a warning.

危険は決して警告を送ってこない、の意。字幕は忘れたが、このセリフは耳に残った。You can never check too many times because trouble never sends a warning.だと感じる繁忙期の今日この頃である。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アメリカ, キリアン・マーフィ, サッシャ・ルス, フランス, ヘレン・ミレン, ルーク・エヴァンス, 監督:リュック・ベッソン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ANNA アナ 』 -スタイリッシュなスパイアクション映画-

『 私は確信する 』 -人間が裁かれるということ-

Posted on 2021年2月23日2021年2月26日 by cool-jupiter

私は確信する 75点
2021年2月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マリナ・フィオス オリビエ・グルメ ローラン・リュカ
監督:アントワーヌ・ランボー

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予告編の段階では何の変哲もなさそうな法廷サスペンスものに見えたが、元々2018年に公開の映画だと知って、興味が湧いてきた。1年ぐらいのラグは外国産映画では珍しくないが、2年以上となると、配給会社が「今こそ日本で公開すべき」と判断したと考えられるからだ。そしてその判断は正しかったと思う。

 

あらすじ

スザンヌ・ヴィギエが突如として蒸発したことから、大学教授の夫ジャック(ローラン・リュカ)は妻殺害の容疑者としてメディアにセンセーショナルに報じられてしまう。ジャックの娘に自分の息子の家庭教師をしてもらっているノラ(マリナ・フィオス)は、敏腕弁護士のモレッティ(オリビエ・グルメ)に弁護を依頼する。ノラはモレッティから、200時間超に及ぶジャックの通話記録の文字起こしを頼まれたことから、独自に事件の真相に迫らんとして・・・

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ポジティブ・サイド

寡聞にしてヴィギエ事件については知らなかったが、本作は冒頭部分に文字でヴィギエ事件の概要を説明してくれる。そして、裁判のどの段階から物語が始まるのかを明確にしてくれる。そのため、予備知識が無い状態でもまっすぐと物語世界に入っていくことができる。

 

冒頭で度肝を抜かれてしまうのは、妻スザンヌの遺体も見つかっていないのに、夫ジャックが殺人罪で実際に起訴されてしまったということ。もちろん第一審は無罪だ。だが検察は何を血迷ったのか、判決を不服として控訴。今から2週間の間に集中的に審理が行われるというところから映画はスタートする。妻が失踪し、夫に疑惑がかけられるというのはデイビッド・フィンチャーの『 ゴーン・ガール 』的だし、無数の音声から真相に迫っていこうという試みは『 THE GUILTY ギルティ 』に通じるものがある。つまりは、よくある話でありながらも真相に迫っていくアプローチが独特なのだ。ここに、主人公ノラ自身がシングルマザーであること、難しい年頃の息子を抱えていること、そしてモレッティ弁護士に大目玉を食らう原因となる或る背景などもあり、裁判の行方とノラ自身の生活の両方の間を、観客はジェットコースター的に行き来することになる。

 

私生活を犠牲にしてまで追いかけるヴィギエ事件の真相を、ノラはある証言の食い違いの中に見出す。我々は「これが決定打になるのか?」と色めき立つ。しかし、そこにこそ陥穽がある。確たる証拠もないままに誰それが真犯人であると断定することは、そのまま確たる証拠もなく殺人罪で起訴されてしまったジャック・ヴィギエをもう一人生み出すことにつながるだけである。Jovianはかつて受講生だった京都弁護士会の大御所のお一人に、「弁護士の仕事はクライアントの利益を守ること」だと教わった。真実を求めることは弁護士の仕事の第一ではないのだ。モレッティのノラに対する、時に辛辣に過ぎる態度は、そのままモレッティのプロフェッショナリズムを表している。

 

クライマックスのモレッティ弁護士の長広舌は、圧倒的な迫力でもって観る側に迫ってくる。彼の姿をカメラは傍聴席のあちこちから静かに捉え続ける。「裁判の当事者ではない者たちよ、この声を聞け」と監督が言っているわけだ。観ている側も、まるで傍聴席に座っているかのような感覚になってくる。『 ファーストラヴ 』の堤幸彦監督は本作をこそ手本にしてほしい。やはりこのようなシーンではBGMはノイズである。評決が告げられる場面にも、劇的な演出はない。なぜなら劇的な要素はないから。それがアントワーヌ・ランボー監督の意図であろう。推定無罪という近代社会の原則がいとも簡単にないがしろにされてしまう時代や社会を見事に撃った作品に仕上がっている。

 

ネガティブ・サイド

ノラがヴィギエ事件の真相究明にのめりこむ経緯が明確ではない。中盤にその一部が明かされるが、モレッティがそのことを指してノラを「嘘つき」呼ばわりするのはいかがなものか。ノラは嘘をついたわけではなく、ある重要な情報をしゃべらなかっただけだ。弁護士なら黙秘の重みにもう少し配慮すべきではないか。

 

途中でノラが不慮の交通事故に遭うシーンがあるのだが、これは必要だったか?まるで『 セッション 』でマイルズ・テラーが交通事故に遭った場面と瓜二つだった。しかも不必要に怖い。その割にはノラのダメージは大して深くないという謎演出。サスペンスを生み出したいなら、もっと別のやり方があったのでは?

 

恐ろしく眼付きの悪い警視に何らかの報い、と言うと大げさだが、マスコミに押し寄せられて、浴びせかけられる質問に答えられずしどろもどろ・・・といったような何かしらのネガティブな結果をその身に受けるべきだったように思う。登場時間はほんの数分ながら、これほど鼻持ちならないキャラクターは近年観たことが無い(役者にとっては、これは誉め言葉だろう)。

 

総評

我々はなにか事件があるとすぐに「こんな奴は懲役10年だ!」、「死刑だ!」などと過激に反応してしまう。推定無罪という原則をすぐに忘れてしまう。三浦弘行の将棋ソフトの不正使用疑惑に対して、将棋界や世間が三浦を猛バッシングする中、羽生善治が「疑わしきは罰せず」だと発言したとされる点は特筆大書に値する。これとは反対に、日本の司法のごく最近の残念な例として“菊池事件の再審拒否”が挙げられるだろう。興味のある向きは是非ググられたい。日本の検察も、フランス検察に負けず劣らずの腐り具合であることが分かるだろう。このような時代と社会に生きる我々にとって、本作は人が人を裁くということの難しさについて多大なる示唆を与える傑作である。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

bonsoir

ボンソワールと発音され、意味は「こんばんは」となる。Bon = good、Soir = eveningである。語学学習において暗記は避けては通れないが、力づくで暗記するのではなく、必ずその語や句や表現が使われた文脈とセットで理解して、記憶すること。そうすれば、Bonsoirの翻訳字幕が「どうも」であっても、驚くにはあたらないはずだ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, オリビエ・グルメ, サスペンス, フランス, ベルギー, マリナ・フィオス, ローラン・リュカ, 監督:アントワーヌ・ランボー, 配給会社:セテラ・インターナショナルLeave a Comment on 『 私は確信する 』 -人間が裁かれるということ-

『 バクラウ 地図から消された村 』 -僻地の村を侮るなかれ-

Posted on 2020年12月19日 by cool-jupiter
『 バクラウ 地図から消された村 』 -僻地の村を侮るなかれ-

バクラウ 地図から消された村 65点
2020年12月13日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:バルバラ・コーレン ソニア・ブラガ ウド・キア
監督:クレベール・メンドンサ・フィリオ ジュリアノ・ドネルス

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カンヌで『 パラサイト 半地下の家族 』とカンヌで各種の賞を争った作品。なるほど、寓話的であり社会批判であり、エンタメでもある。ただし、物語のトーンとペーシングに難があるか。

 

あらすじ

祖母が亡くなったことからテレサ(バルバラ・コーレン)は故郷の村、バクラウに戻ってきた。しかし、その後、不可解な事象が発生する。村がインターネットから消え、給水車のタンクには発砲されて穴が開いていた。また、村はずれの牧場から馬が大量に脱走、牧場主たちは惨殺されていた。さらに、ある村人は、空飛ぶ円盤に追跡された。バクラウに何が起こっているのか・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の宇宙空間からゆっくりと南米、ブラジルへとカメラ映像がズームインしていく様は、非常に不穏で不吉な感覚をもたらしてくれた。とても小さな領域で起こる事柄を俯瞰する視点を持て、という Establishing Shot である。

 

豊かな自然の中を走る給水車が、道路わきの棺桶を次々に轢いて破壊していく様は異様なである。人が死んだことを明示している一方で、そんなことは俺の知ったことじゃないよと言わんばかりのドライバーにも剣呑な雰囲気を感じ取らざるを得ない。これまで見事な Establishing Shot だった。

 

近代人にとって村という共同体は、もはや異世界なのだろう。小説の『 八つ墓村 』も『 龍臥亭事件 』も村を舞台にしているし、映画では『 ミッドサマー 』や『 哭声 コクソン 』、さらに『 光る眼 』(原題はVillage of the Damned)もそうだ。こうした村へやって来る闖入者は往々にして招かれざる客である。それがバイクに乗って現れるのだから、『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』を思い起こした人も多いだろう。

 

物語中盤でバクラウを襲う怪異の正体が明らかになった時、我々はこれが現代社会の縮図の物語なのだということを知る。ポスターその他の販促物が壮大にネタバレしているが、血で血を洗う闘争が本作の本質ではない・・・と思う。正直なところ、解釈が非常に難しい。が、ひとつだけ言えるのは、地元の人間の言うことには耳を傾けておくべきだということ。コロンブスの大航海時代以上に、現代世界は広がっている。なぜなら旅することができる領域が格段に広くなり、また知るべき事柄も格段に増えているからだ。これ以上は言わぬが花だろう。と書いてきて、ふと思った。これは世界ではなく、宇宙レベルで考えても、同じことが言えるのではないか、と。

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ネガティブ・サイド

主人公が誰であるのかが分かりにくい。結局はバクラウという村落共同体そのものが主人公となるのだろうが、そのことが明らかになるまでがとにかく長い。『 エイリアン 』のように、序盤はクルー全体が主人公なのだと思わせておいて、突如リプリーが覚醒し、リーダーシップを発揮し始めたようなシークエンスを、テレサを使って撮れなかったのか。

 

“地図から消された村”という副題は必要だったか。『 犬鳴村 』じゃないんだから。ネットから消したとしても、市販の地図や書籍からは消せないし、昔あった「はてなマップ」のようなサービスがブラジルにあれば、誰かがバクラウの存在を地図上に復活させてしまうだろう。この副題は無い方がよかった。

 

『 サウナのあるところ 』以来の男性器丸見えはOKとして、そのじいさんの活躍がイマイチである。いや、活躍はしているんだけれど、このじいさんに求められているのはそういうことじゃないでしょ。『 夕陽のガンマン 』のラストのようなスケールで襲撃者たちの死体を運ばないとダメでしょ。

 

子どもが殺されるシーンは胸が痛む。だが、水も電気も手に入らず、近隣で大量殺人も起きているのに、真夜中に子ども達を無邪気に外で遊ばせておく大人がいるか?普通に徘徊老人が殺された、ではダメなのか。その方がテレサの祖母の死に続いて、バクラウの長老がまた死んでしまった、バクラウという共同体を何としても維持していこう、という機運も盛り上がると思うが。

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総評

正直に告白すると、前半の40分のうち、おそらく7~8分は寝てしまった。それぐらい盛り上がりに欠ける立ち上がりである。そこさえ乗り越えてしまえば、訳の分からない異様な雰囲気の高まりに、you’re in for a ride. 本当は怖いメルヒェンのように感じるも良し、格差社会における一種の下克上と受け取るも良し。インドや韓国も似たような映画を作れそうだ。日本でもインディーズ系の野心的な作家が日本流に翻案した作品を作れそう。自己流解釈を楽しめる人向きの映画である。

 

Jovian先生のワンポイントポルトガル語レッスン

Obrigado

「ありがとう」の意。多くの人が聞いたことぐらいはあるはずだ。劇中の前半でもかなりの頻度で使われている。いろんな国の映画を観ていて思うのは、日本は謝ってばかりで、感謝することを忘れつつあるのかな、ということだ。それは少し悲しい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, ウド・キア, サスペンス, ソニア・ブラガ, バルバラ・コーレン, ブラジル, フランス, 監督:クレベール・メンドンサ・フィリオ, 監督:ジュリアノ・ドネルス, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 バクラウ 地図から消された村 』 -僻地の村を侮るなかれ-

『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』 -軽妙洒脱なフレンチ・コメディ-

Posted on 2020年11月17日 by cool-jupiter

シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 75点
2020年11月14日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:トマ・ソリベレ
監督:アレクシス・ミシャリク

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『 シラノ恋愛操作団 』という佳作があったが、戯曲『 シラノ・ド・ベルジュラック 』はいつの時代、どの地域でも、男性の共感を得るだろう。その戯曲の舞台化の舞台裏を映画にしたのが本作である。

 

あらすじ

エドモン・ロスタン(トマ・ソリベレ)に大物俳優クランの主演舞台の脚本を書く仕事が舞い込んできた。だが決まっているのは「シラノ・ド・ベルジュラック」というタイトルだけ。そんな中、エドモンは親友レオの恋の相手とレオの代わりに文通することに。そのことに触発されたエドモンは次第に脚本の執筆にも興が乗っていくが・・・

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ポジティブ・サイド

『 コレット 』と同じくベル・エポック華やかなりし時代である。舞台となったパリの街並みが美しい。街並みだけでなく、家屋や劇場の調度品も、その細部に至るまでが絢爛なフランス文化を表している。まさにスクリーンを通じてタイムトラベルした気分を味わえる。

 

主役のエドモンを演じたトマ・ソリベレがコメディアンとして良い味を出している。特に、周囲の事物をヒントにしてコクランの指定する文体で物語の内容を即興で諳んじていく様は、そのテンポの軽やかさと文章の美しさや雄渾さ、そしてユーモアと相まって、非常にエンタメ色あふれるシークエンスになっている。

 

同じく、親友のレオに成り代わって即興でジャンヌと言葉を交わし合うシーンでもエドモンが才気煥発、女心はこうやって掴めというお手本のように言葉を紡いでいく。このあたりはイタリア人の領域だと勝手に思っていたが、フランス人男性の詩想もどうしてなかなか優れているではないか。

 

現実世界でのエドモンの影武者的な活躍が、エドモンの手掛ける舞台劇に投影されていくところにメタ的な面白さがあり、さらにその過程を映画にしているところがメタメタ的である。エドモンが実際に生きた時代と地域を歴史に忠実に再現してみせる大道具や小道具、衣装やメイクアップアーティストの仕事のおかげで、シラノが先なのかエドモンが先なのかという、ある意味でメタメタメタな構造をも備えた物語になっている。

 

さらに劇中の現実世界=エドモンが代理文通を行っていることが、エドモンの家庭の不和を呼びかねない事態にもなり、コメディなのにシリアス、シリアスなのにコメディという不条理なおかしみが生まれている。そう、エドモンがコクランの無茶ぶりに必死に答えるのも、エドモンがレオの恋慕をアシストするのも、エドモンが妻にあらぬ疑いをかけられるのも、すべては不条理なおかしみを生むためなのだ。

 

主人公たるシラノも、レオナルド・ダ・ヴィンチを思い起こさせる万能の天才でありながら、その醜い鼻のためにコンプレックスを抱くという不条理に見舞われている。しかし、それこそが本作のテーマなのだ。本作に登場する人物は、皆どこかしらに足りないものを抱え、それを埋めるために奔走している。それが劇を作り上げるという情熱に昇華されていくことで、とてつもないエネルギーが生まれている。

 

テレビドラマの『 ER緊急救命室 』で多用されたカメラワークを存分に採用。劇場内の人物をじっくりを追い、ズームインしズームアウトし、周囲を回り、そして他の人物にフォーカスを移していく。まさに舞台上の群像劇を目で追うかのようで、実に楽しい。随所でクスクスと笑わせて、ラストにほろりとさせられて、エンドロールでほうほうと唸らされる。そんなフランス発の歴史コメディの良作である。

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ネガティブ・サイド

マリアをあそこまで文字通りに奈落の底に突き落とす必要があったのだろうか。この瞬間だけは正直なところ笑えなかった。

 

またジャンヌをめぐってエドモンとレオの仲がギクシャクしてしまう瞬間が訪れるが、元はと言えばその元凶はレオその人の発した何気ない一言ではないか。不条理がテーマの本作とは言え、ここだけは得心しがたかった。ここで懊悩すべきはエドモンではなくレオその人ではないのだろうか。

 

リュミエール兄弟の映画発明と同時期なのだから、もっと「活動写真」の黎明期の熱を描写してほしかったと思う。その上で、舞台の持つ可能性や映画との差異をもっと強調する演出を全編に施して欲しかった。コロナ禍において、映画は映画館で観るものから、自宅のテレビやポータブルなデバイスで観るものに変わりゆく可能性がある。古い芸術の表現形態が新しい技術に取って代わられようとする中での物語という面を強調すれば、もっと現代の映画人や映画ファンに勇気やサジェスチョンを与えられる作品になったはずだ(こんなパンデミックなど誰にも予想はできなかったので、完全に無いものねだりの要望であはあるのだが)。

 

総評

戯曲『 シラノ・ド・ベルジュラック 』のあらすじはある程度知っておくべし。それだけで鑑賞OKである。ハリウッド的な計算ずくで作られた映画でもなく、韓国的な情け容赦ないドラマでもない、とてもフランスらしい豪華絢爛にして軽妙洒脱な一作である。エンドクレジットでも席を立たないように。フランスで、そして世界で最もたくさん演じられた劇であるということを実感させてくれるエンドロールで、『 ファヒム パリが見た奇跡 』のジェラール・ドパルデューの雄姿も見られる。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

Non merci

英語にすれば、“No, thank you.”、つまり「いえいえ、結構です」の意である。Oui merci = Yes, thank you.もセットで覚えておけば、フランス旅行中に役立つだろう。別に言葉が通じなくても、相手のちょっとしたサービスや気遣いに対して、簡単な言葉で返していくことも実際にはよくあることだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, トマ・ソリベレ, フランス, ベルギー, 歴史, 監督:アレクシス・ミシャリク, 配給会社:キノフィルムズ, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』 -軽妙洒脱なフレンチ・コメディ-

『 ファヒム パリが見た奇跡 』 -日本のありうべき未来が見える-

Posted on 2020年8月16日 by cool-jupiter
『 ファヒム パリが見た奇跡 』 -日本のありうべき未来が見える-

ファヒム パリが見た奇跡 75点
2020年8月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アサド・アーメッド ジェラール・ドパルデュー
監督:ピエール=フランソワ・マンタン=ラバル

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Jovianはチェスの基本的なルールしか知らない。指したことは3~4回だけである。チェスの映画は『 完全なるチェックメイト 』ぐらいしか観ていないし、それに関連して『 完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯 』を読んだぐらいである。フィッシャー=小池重明以上の人格破綻者、と言えば、そこそこディープな将棋ファンには伝わるだろう。それぐらいのチェスの世界の知識でも本作は楽しめるし、むしろチェスの知識がない方が人間ドラマに集中できるかもしれない。

 

あらすじ

ファヒム(アサド・アーメッド)はバングラデシュの天才チェス少年。チェスのグランドマスターに会うという名目で、父に連れられてフランスのパリにやってきた。ファヒムはチェスのクラブに通い、チェスを学び、フランス語を覚え、同世代の子らと友情を育み、シルヴァン(ジェラール・ドパルデュー)とも奇妙な師弟関係を結んでいく。しかし、ファヒムの父の不法滞在が明らかになり、国外退去が時間の問題となってしまい・・・

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ポジティブ・サイド

ファヒムを演じたアサド・アーメッドの演技力に鳥肌が立った。『 存在のない子供たち 』の主人公ゼインや『 アジョシ 』のキム・セロンに並ぶ存在感。緊迫した政治状況にあるバングラデシュで屈託なく生きる子どもが、母との別離、外国での暮らし、友情、師弟関係、親子関係、そしてチェスを通じて成長していく様には純粋に胸を打たれた。印象的だったのは、チェスの対局時に一手指すごとに相手を射抜くような目を見せること。将棋の対局では盤上から視線をそらさない者と対戦相手に視線を向ける者の両方がいるが、チェスのでも同様らしい。その目に宿る力強さには名状しがたいものがあった。目は口程に物を言うものである。

 

ファヒムを取り巻く同世代のチェス仲間たちも良い味を出している。特にファヒムにフランス語のスラングを教え込む男の子には、『 IT イット “それ”が見えたら、終わり。 』のリッチー・トージアと共通するものを感じた。下品なスラングを教える/教わるというのは、友情を育む一つの有効な方法である。Jovianも大学の寮で“Hold on a minute, playa.”だとか“Sup, pimp?”などの、今では絶対に使えないようなアレやコレな表現を教えてもらったことを懐かしく思い出した。また、ファヒムが難民センターの子らと意思疎通をしていくシーンでは、ジェスチャーの有効性と文脈理解の重要性の両方が示されている。外国語学習者は、言葉だけではなくもっと“コミュニケーション方法”を学ぶべきだとの自説の意を強くした次第である。

 

Back on track. 本作はファヒムの文学的な意味での「父殺し」の物語でもある。チェスや将棋というのは、だいたい子どもは父親から教わるものだろう。そして、最初はどうやったって経験者には敵わない。だが、長じるにつれて上達し、子どもはだいたい父親を負かすものだ。本作でもファヒムは実の父親をチェスで負かし、そして精神的な父親であるジェラールのトラウマを、彼の代理として打ち消す。単純にチェスの勝ち負けだけでその過程が描かれるのではなく、ファヒムの内面の葛藤や対戦相手との関係、そしてジェラール自身の過去が投影されていることが、本作のクライマックスを大いに盛り上げている。

 

ネガティブ・サイド 

ファヒムの父親の描き方が少々乱暴であるように感じた。バングラデシュでは消防士という非常に堅い仕事に就きながら、フランスではまったくの愚鈍な足手まといになってしまっていた。それは別に構わない。ただ、文化や風俗習慣の違いを素直に受け入れられないのは良いとしても、なにか見せ場の一つや二つは用意できなかったか。たとえば難民センターの消火器の置き場所をもっと適切なところに変更するとか、プロフェッショナルでありながらもその能力を発揮する場や時がない、という描き方もできたはず。そうしたシーンがないため、この父親が善人ではあるが無能であるというふうに映ってしまう。移民が無能なのではなく、環境がそうさせるのだというメッセージを発するべきだったのではないだろうか。

 

難民センターで知り合ったサッカー少年たちのその後はどうなったのだろう。ファヒム親子の土壇場の大逆転劇は確かに感動的であるが、ひとつ間違えれば「フランスは才能ある移民だけしか歓迎しない」というメッセージにもなりうる。今日、政情が不安定という国の多くは、その原因が現在の国連常任理事国のかつての帝国主義的政策に端を発するのだから、フランスは責任ある国家として世界の融和を目指すという立場を表明すべきだったと感じる。

 

総評

色々とフランス社会の描かれ方に不満もあるが、本作は紛れもない良作である。こういうドラマを見せられると、ボビー・フィッシャーを拘留したのは職務に忠実だったと言えるが、精神的に相当ダメージを与えるような処遇をしたとされる日本の出入国管理局について、あらためて考えさせられる。本作はフランス映画として観るよりも、明日の日本社会を描いた作品として観るべきである。『 ルース・エドガー 』のレビューでも述べたが、日本にもファヒムのような天才児が出現または到来する、あるいは将棋界に藤井聡太並みの外国人棋士が生まれても全く不思議はないのである。そうした一種の未来シミュレーションとして本作を鑑賞することも可能である。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語レッスン

parfait

英語で言えば“Perfect”、日本語で言えば「完璧」である。ただ、日本語でもそうだが、完璧でなくてもバンバン使う表現である。カナダ人が好んで使う表現だという印象を持っている。実際にカナダに旅行に行った時、どこのウェイターもウェイトレスも、注文を言い終わると“Perfect!”を連発していた。フランス旅行の際に、ホテルやレストランの従業員に一声かける時に使えるかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アサド・アーメッド, ジェラール・ドパルデュー, ヒューマンドラマ, フランス, 伝記, 監督:ピエール=フランソワ・マンタン=ラバル, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ファヒム パリが見た奇跡 』 -日本のありうべき未来が見える-

『 アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい 』 -不器用なラブレター-

Posted on 2020年7月24日 by cool-jupiter

アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい 65点
2020年7月23日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アンナ・カリーナ
監督:デニス・ベリー

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『 気狂いピエロ 』などの代表作を持ち、2019年12月に亡くなったアンナ・カリーナのドキュメンタリー。カリーナは4度結婚しているが、その最後の夫であるデニス・ベリー監督が本作を撮影・制作。なんとも不器用なラブレターになっている。

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あらすじ

第二次大戦の最中、デンマークの母子家庭にアンネ・カリン・ベイヤーは生まれた。チャップリンの無声映画を観て、ミュージカルに魅了され、女優になることを夢見た少女は、17歳にしてフランスのパリに移住。デザイナーのココ・シャネルからアンナ・カリーナへ改名するようにアドバイスされ、そして映画監督のジャン=リュック・ゴダールと出会い、彼女は花開いていく・・・

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ポジティブ・サイド

アンナ・カリーナという女優の生い立ち、そして当時の社会状況しっかりとカバーしているところが素晴らしい。父の不在、そして母の再婚相手の父親との折り合いの悪さ。アンナの人生の前半に、positive male figureがいなかったことは明白である。監督のデニス・ベリーは黙して語らないが、自分だけがアンナにとってのpositive male figureだったとの自負があるのだろう。また、戦争や軍国主義が娯楽や文化、芸術に対して抑圧的に働くことは『 ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 』でも述べた。アンナ・カリーナは一個人ではあるが、その一個人を通じて歴史を語ることも可能なのだ。

 

10代のアンナの石けんのCM動画やポスターが明らかにするのは、彼女のまばゆいばかりの魅力である。決して絶世の美女だとか、スタイル抜群のセックス・シンボルというわけではない。彼女の一番の特徴である、その大きな目。その瞳に見つめられると、自分という人間の虚飾がすべて見透かされそうな気持になる。アンナ・カリーナに惹かれているということを隠せなくなる。だからこそゴダールは率直に彼女を口説き、誘った。こうした女性にあれやこれやの恋愛の手練手管は無用の長物である。

 

カリーナのフィルモグラフィーや歌手としてのキャリア、小説家としてのキャリアも描き出しており、実に興味深い。特にフランス初の長編映画の主役兼監督がアンナ・カリーナであるというのは非常に興味深い。グレタ・ガーウィグといった女優兼監督という存在の、彼女は嚆矢だったのである。時代で言えば『 ドリーム 』で描かれた人間コンピュータのキャサリン・G・ジョンソンの頃である。劇中で彼女は「アーティスト」と形容されるが、至言だろう。

 

往時のカリーナの歌唱シーンやダンスシーンは美しい。白黒映画には白黒映画の良さがあり、またデジタル撮影ではないフォルム映像には、写真やLPレコードと同じく、歴史性が感じられる。彼女はキャリアの後半に活躍の場をアメリカに移すが、そこでも巨大なレガシーを残している。Q・タランティーノは、そうした影響を受けた一人である。彼女は日本にも歌手としてやって来ていた。コンサートに『 気狂いピエロ 』のマリアンヌと同じ衣装を着てきた日本のファンもいたそうだ。スターやアイドルという言葉で語られるクリエイターやアーティスト、俳優は多いが、アイコンと呼べる人間はごく少数だ。アンナ・カリーナは、間違いなくアイコンである。

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ネガティブ・サイド

アンナ・カリーナの幼少期に焦点を当てていながら、彼女の後半生や晩年がそれほど丹念に描かれていない。別に容色が衰えた、作品数が少ない、シネマティックではない。そうした理由でデニス・ベリー監督がこのような構成にしたのであれば、それは失敗ではなかろうか。彼女のような、激動の人生を送ってきた人間ほど、現代人に届けるべきメッセージがあるはずだ。たとえば移民の問題、たとえば女性の社会進出の問題。彼女の語る言葉を金科玉条のごとく扱う必要はない。ただ、歴史の証人にして稀有なアーティストの一意見として、記録に残されるべきはないだろうか。

 

収められているのがカリーナ自身の肉声と、業界人の声だけである。アンナ・カリーナというアイコンが、一般庶民に与えた影響、そのインパクトの大きさや深さを語る当時の一般人の肉声が聞いてみたかった。

 

終わりがあまりにも唐突である。元々は劇場公開を想定していたのではなく、テレビの1時間番組枠か何かにきっちりハマるように作られていたのだろうか。これほどの知り切れトンボ感は近年なかなか味わえない。余韻が残らないのだ。もうちょっと何とかならなかったのか。アンナに最後まで歌わせてやって欲しかった。

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総評

アンナ・カリーナという人間を名前だけでも知っていれば、観る価値はあるだろう。単なる過去のフランスの名女優という切り取り方ではなく、しっかりした歴史の遠近法の中で捉えられているドキュメンタリーで、ちょっと風変わりなラブレターでもある。デートムービーには向かないかもしれないが、Jovianが鑑賞した回はオールド夫婦がかなり多かった。オールド映画ファンは是非とも劇場鑑賞しよう。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語会話レッスン

cinéma

英語でもフランス語でも、シネマは「シネマ」である、フランスは近代映画発祥の地で、発明者はリュミエール兄弟。cinémaは元々古代ギリシャ語のkínēma=キネマ=動き、から来ている。テレキネシス=念動力などと言うが、テレ=遠い(telephone, telescope, televisionからも分かるだろう)、キネシス=運動である。映画の歴史というのはTOEFL iBTのリーディングやリスニングでしばしば取り上げられる重要トピックの一つ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アンナ・カリーナ, ドキュメンタリー, フランス, 伝記, 監督:デニス・ベリー, 配給会社:オンリー・ハーツLeave a Comment on 『 アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい 』 -不器用なラブレター-

『 気狂いピエロ 』 -古典的な男女の刹那の物語-

Posted on 2020年6月7日 by cool-jupiter

気狂いピエロ 70点
2020年6月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャン=ポール・ベルモンド アンナ・カリーナ
監督:ジャン=リュック・ゴダール

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相も変わらず近所のTSUTAYAは『 ジョーカー 』推しのようである。ひねくれ者のJovianは、ならばと『 パズル 戦慄のゲーム 』を借りて失敗した。というわけで今回は間違いのないようにゴダール作品をチョイス。

 

あらすじ

フェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)は結婚生活に飽いていた。そんな時にかつての恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)と出会い、一夜を共にした。だが、翌朝の部屋には謎の男の死体が。そして、その部屋にまた別の男が訪ねてくる。二人は男を始末し、あてのない逃避行に出るが・・・

 

ポジティブ・サイド

とにかくマリアンヌを演じたアンナ・カリーナの魅力的である。Jovianは英会話講師として延べ数百人以上教えてきた中で、最も美人だった女性と髪型と輪郭、なによりも目がよく似ているのである。まさにfem fatalだな、と感じる。男というのは美女に破滅させられてナンボなのかもしれない。それは古今東西に普遍の真理なのかもしれない。

 

逃げていく先々で小さな犯罪を繰り返していくフェルディナンとマリアンヌの姿に、どうしたってハッピーエンドなどはありえない。ならば破滅が訪れるまでに、精一杯に生を謳歌するまで。詩想に欠けた思想の持ち主であるフェルディナンは、とにかく衒学的な言葉ばかりを呟く。対照的にマリアンヌの紡ぎ出す言葉は豊かな感情に彩られていて、運動的であり行動的なものだ。つまり、ゴダールが映し出そうとしたのは、この二人のキャラクターの対比ではなく、男性性と女性性の対比でもあったのだろう。現にフェルディナンは「時が止まってほしい」などどファウストのようなセリフを吐くロマンティストだし、相方のマリアンヌはセンチメンタルでミステリアスでセクシーだ。そして、この物語の主題はマリアンヌに属することは、序盤に登場するサミュエル・フラー監督の言葉、すなわち「 映画=エモーション 」からも明らかだ。

 

本作は物語というよりも芸術作品の性格の方が強いと感じる。フェルディナンとマリアンヌがアパルトマンの最上階で繰り広げる殺人劇と逃走のワンカットは芸術的である。またガソリンスタンドでの疑似ボクシングシーンや、別のガソリンスタンドで車を盗み出すシーンには舞台演劇的な面白おかしさがある。なによりマリアンヌが自らの掌の運命線の短さを面白おかしく嘆きながら歌い、海辺の木々の間を縫うようにフェルディナンと走り抜けていき、語り合い歌い合うシークエンスには、陽気な絶望感がある。マリアンヌは執拗にフェルディナンをピエロ呼ばわりするが、これは非常に象徴的なことだ。『 ジョーカー 』のキャッチフレーズ、“Put on a happy face.”を引用するまでもなく、ピエロの顔は笑っていても、頭は非常に冷静に笑いを狙っているか、もしくは心が怒りや悲しみに支配されているものだからである。そう考えれば、見ようによってはアホな結末にも、それなりに納得がいくものである。物語ではなく場面場面のドラマを楽しむように鑑賞するのが良いのだろう。

 

ネガティブ・サイド

南仏のビーチでアメリカ人観光客を相手にベトナム戦争を茶化して小金を稼ぐシーンは、フランス流の、というよりもゴダール流の反米・反ベトナム戦争宣言なのだろうが、もっと間接的な描写はできなかったのだろうか。『 サッドヒルを掘り返せ 』(最近、Blu-rayを買った)でセルジオ・レオーネは「主義主張を宣言する映画ではなく、人々の語りを促進するような映画を作りたい」という旨を語っていた。Jovianは別に映画人でも何でもないが、レオーネの意見に与する者である。

 

また、この時のベトナム人女性の化粧や衣装が、VCに川上貞奴を足して2で割ったようなものに映った。貞奴をご存じない方は伝説の踊り手ロイ・フラーを描いた『 ザ・ダンサー 』を鑑賞されたい。

 

全体的にロングのワンカットのシーンは印象的だが、フェルディナンが風呂場で水責めされるシーンだけはちゃちいと感じた。それこそ息ができないというところまで追い込んでも良かったはず。線路に座り込ませたり、結構高いところからジャンプさせたりという演出をしているのだから、水責めシーンにもっと注力できたはずだ。

 

総評

なにやら『 太陽がいっぱい 』と『 ファム・ファタール 』と『 テルマ&ルイーズ 』と『 俺たちに明日はない 』のごった煮を観たよう気分である。ということは、それだけ古典的なキャラクター造形や物語構成になっているわけで、見ようによっては新しいとも古いとも言える。ただ一つだけ確かなのは、去年の暮れに亡くなったアンナ・カリーナと再会するのであれば、本作はそのベストな一作だろうということだ。

 

Jovian先生のワンポイント仏語レッスン

À la recherche du temps perdu

In search of lost time = 失われた時を求めて、の意。言わずと知れたマルセル・プルーストの大部の労作、『 失われた時を求めて 』である。Temps=Timeである。これがtempoにそっくりだということが分かれば、temporaryやcontemporaryといった語の意味を把握しやくなるだろう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 1960年代, B Rank, アンナ・カリーナ, ジャン=ポール・ベルモンド, ヒューマンドラマ, フランス, 監督:ジャン=リュック・ゴダール, 配給会社:オンリー・ハーツLeave a Comment on 『 気狂いピエロ 』 -古典的な男女の刹那の物語-

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