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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ヒューマンドラマ

『 うぉっしゅ 』 -認知症との向き合い方-

Posted on 2025年5月6日 by cool-jupiter

うぉっしゅ 65点
2025年5月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:中尾有伽 研ナオコ
監督:岡﨑育之介

 

『 異端者の家 』を観るはずが、レイトショーがやっておらず、急遽こちらのチケットを購入。意外にしっかりした作りだった。

あらすじ

ソープで働く加那(中尾有伽)は、母の突然の入院治療のため、遠方の祖母、紀江(研ナオコ)の介護を一週間だけ引き受けることになる。しかし紀江は認知症のため加那のことを覚えておらず、毎回初対面のように振る舞う。そうして昼は介護、夜はソープという加那の奇妙な生活が始まって・・・

ポジティブ・サイド

めちゃくちゃ久しぶりに研ナオコを見た気がする。おそらく10年ぶりぐらいか?ナチュラルに老人になっていて、自分自身が年を取ったと実感する。そして研ナオコ演じる紀江の認知症は母方の祖母の認知症とそっくり。祖母も90過ぎてからは会うたびに「誰?どこから来た?仕事は?」と聞いてきたっけか。最初は少なからずショックを受けたが、おふくろからとある話を聞いて納得した。そしてその話とほとんど同じことを劇中でとある人物が語ってくれた。

 

本作で真に迫っていたのは紀江だけではない。他のキャラクター、特に隣家のおばさんと風俗店のボーイは際立っていると感じた。他にもホストに入れ込むソープ嬢仲間や、ソープ業界から足を洗おうという仲間も印象的だった。ああいう業界の人間関係はドライに見えてウェット、ウェットに見えてドライだと想像するが、現実もきっとそうなのだろう。

 

介護の場面でも、入浴介助のシーンだけ生き生きする加那には説得力があったし、介護のあれこれを動画で学ぶのも『 アマチュア 』と同じく現代っぽさを感じさせた。特に薬を飲むことを拒否する高齢者というのは、看護の現場でもあるあるだった。

 

加那がソープ嬢として客に忘れられること、そして孫として祖母に忘れられることの痛みを受け入れる転機は生々しかったし、それだけに説得力があった。会いに来るのを待つというのと、こちらから会いに行くということの違いをこれだけ鮮明に打ち出した作品は、ロマンスものですら珍しいと思う。

 

認知症は認知機能の衰えであって、感情は残るとされている。徘徊老人という言葉は数十年前からあるが、彼ら彼女らがどこに向かっているのかを追究しようとした作品としても本作はユニーク。昔の研ナオコを知っているオールドファンからすれば、一瞬だけだが非常に気分がアゲなショットも用意されている。

 

職業に貴賎なし。スティーブ・ジョブズの言葉を借りれば、Love what you do となるだろうか。自分を肯定できれば、相手も肯定できるのだ。

 

ネガティブ・サイド

ベッドで上半身を持ち上げてからの端座位への移行が、ぶっちゃけ下手くそだった。腕力を使ってはダメ、きゃしゃな女性なら尚更。最初にうまく行かず、そこでプロの指導動画を観る、のような流れであれば自然だった。ちなみに実践的には、自分から遠い方の相手の肩を抱いて少し自分側に引いてやり、その反動で相手を少し押す。そこで生まれた遠心力を使って、相手の尻を起点にサッと回してやるのがコツである。

 

名取さんのご高説は興味深かったものの、介護業が長かったのなら、家族が一番というのは必ずしも現実ではないと分かるはず。たとえば『 博士と彼女のセオリー 』などからも明らかだし、実際にそうだからこそ直接の家族でなくとも介護の貢献が認められた者にも相続権が認められる特別寄与制度も整備された。家族論には色々あるし、それは大いに語られるべきだが、本作のそれは少し的外れに感じられた。

 

総評

ソープと介護という一見して共通点がなさそうなものを見事に結び付けた珍品。だからといって程度が低い作品ではない。サブキャラのサブプロットも無理のない範囲で掘り下げられているし、それが主人公キャラに深みを与えている。セクシーなシーンはあっても、エロいシーンはないので、高校生、大学生のカップルでも鑑賞に支障なし。親が上手に説明できるならという条件付きで、ファミリーで鑑賞するのもありだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Nice to meet you.

はじめまして、の意。初対面の相手には、まずはこれを言おう。SlackやZoomで話したことはあっても、直接に合うのは初めてという場合は、Nice to meet you in person. や Nice to meet you face to face. のように言おう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 異端者の家 』
『 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は 』
『 ゴーストキラー 』

 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, コメディ, ヒューマンドラマ, 中尾有伽, 日本, 監督:岡崎育之介, 研ナオコ, 配給会社:ナカチカピクチャーズLeave a Comment on 『 うぉっしゅ 』 -認知症との向き合い方-

『 銀幕の友 』 -朋あり遠方より来る、亦た楽しからずや-

Posted on 2025年2月23日2025年2月23日 by cool-jupiter

銀幕の友 50点
2025年2月22日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:チョウ・シュン ワン・イーボー
監督:チャン・ダーレイ

 

妻が「短編は配信されないので劇場で観たい」というのでチケット購入。

あらすじ

1990年、北京でのアジア競技大会が終わった頃、チョウ(チョウ・シュン)は中国のとある街の工場労働者向けの映画のチケットを配布していた。そこに旅から帰ってきたというリーが友人を訪ねてきて・・・

 

ポジティブ・サイド

北京に集結したアジア各国の代表たちと今度は広島で会おうと誓う歌が、中国各地に散った同胞および同朋との出会いとパラレルになっている。

 

何気ない街の日常を静かに見つめるという点では男女が逆だが『 パターソン 』に似ていると感じた。非日常から日常に回帰する時、同郷の友の訪問を受ける。何気ない営為がとても尊く、愛おしく感じられる瞬間でもある。

 

皆が一つの目的でそこに集い、一つの体験を同時に共有できるという意味で、映画館は同好の士との出会いの場と言える。実際に『 熱烈 』を通じて劇場で意気投合したマダムたちもいたのである。

 

ネガティブ・サイド

24分で1300円は高い。テアトルさん、一律1000円でも良かったのでは?

 

かなりのスローペースで、物語らしい物語はない。背景情報だけは間接的に渡すので、そこから物語を自身で構築してくださいというのは、芸術映画にしても無責任すぎ。

 

もう少しパンパン(パンダの大型模型)の搬送シーンでのチョウの視線などにクローズアップしていれば、無くなっていくものへの寂しさとそれを心に刻みつけることの大切さ、そしてそれを追体験させてくれる映画という媒体の尊さのようなものを観る側に感得させやすくなったのではないかと思う。

 

総評

ワン・イーボーのファン以外にはお勧めしない。逆に言えばワン・イーボーのファンなら観る価値はあると言える。30分に満たない短編だというのに座席は4割以上は埋まっていた。パッと見た限り男性客はJovianと最前列のもう一名だけ。その一名もおそらく妻に引っ張り出されたのだろう、と推測する。同病相憐れむ、か。彼とJovianは言葉も視線も交わさなかったが、友になったのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント中国語レッスン

再見

ザイヂェンと発音する。アクセントは後半のチェン。読んで字のごとく、再び会おうの意。英語なら Good bye もしくは See you again. となる。おそらくニーハオ、シエシエに次いで知られた中国語ではないだろうか。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 メイクアガール 』
『 マルホランド・ドライブ 』
『 幻魔大戦 』

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, D Rank, チョウ・シュン, ヒューマンドラマ, ワン・イーボー, 中国, 監督:チャン・ダーレイ, 配給会社:彩プロLeave a Comment on 『 銀幕の友 』 -朋あり遠方より来る、亦た楽しからずや-

『 ちひろさん 』 -人の輪の中で孤独に生きる強さ-

Posted on 2025年2月9日 by cool-jupiter

ちひろさん 75点
2025年2月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:有村架純
監督:今泉力哉

 

劇場公開時に観られなかった作品。これも近所のTSUTAYAで借りてきた。

あらすじ

元風俗嬢のちひろ(有村架純)は港町のお弁当屋さんで働いていた。自らの前職について特に隠すこともないちひろ目当てに、弁当屋には大勢の客がやって来ていた。そんなちひろは、客だけではなく寄る辺を持たない小学生や高校生、ホームレスとも親しく交流していき・・・

 

ポジティブ・サイド

野良猫と無邪気にじゃれ合ったり、弁当屋の常連客と談笑したりと、とても無邪気なちひろさん。しかし風俗嬢としての過去も特に隠しておらず、良い意味でも悪い意味でも周囲の耳目を集めている。そんなちひろを有村架純が好演。様々なドラマを生み出していく。

 

駄々っ子の小学生や、ストーカー気質の女子高生などと奇妙な形で縁を深めつつ、思いつめた男性客や元店長との再会など、ちひろの過去も深掘りされていく。ちひろは誰に対してもオープンでフラットな人当たりを見せるが、ところどころで闇を秘めた目つきも見せる。特に母親に関する電話と、海辺の砂を掘るシーンでは心底ゾッとさせられた。この一瞬を切り取ったカメラマンの手腕よ。また名言も明示もされないが、おそらくちひろは前科者。推測できる裏のストーリーとしては『 オアシス 』のようなものだろうか。

 

表のストーリーは『 町田くんの世界 』や山本弘の小説『 詩羽のいる街 』が近い。ちひろさんを中心につながっていく人の輪。その中心にちひろさんがいる。本作がユニークなのは、ちひろさんがつなげた輪に・・・おっと、これ以上は重大なネタバレか。ただ、セックスワーカーは性サービスの提供以上にカウンセラー的な役割を担っているという面が出されていたのには首肯させられた。

 

ふと調べてみたが、日本のセックスワーカーは推計で30万人。日本の人口を1億2千万人と丸めれば、女性は6000万人。20歳から29歳の人口は約700万人。セックスワーカーの人口ボリュームにもう少し幅を持たせれば母数は約1000万人か。雑な計算だが、100人中3人は風俗産業の従事者となる。ちひろさんは身近な存在とは言わないまでも、珍しい存在ではない。人と人とが触れ合う時に大切なのは肩書きではなく人間性。頭ではわかっていても実践するのは本当に難しい。

 

ネガティブ・サイド

エンディングに少し納得がいかない。ちひろのその後を描くんはよいが、もっともっとその後、極端に言えば40代、50代になったちひろを映し出してほしかった。ちひろが本当の意味で救われるのは、孤独と共に生きられるようになることではなく、孤独と共に生きられるようになる誰かを見つける、あるいは自らの孤独をさらに受け継いでくれる誰かを見つけることであるかのように思う。

 

総評

限定された空間、限定された時間、限定された登場人物で織りなす人間ドラマが沁みる。我々はしばしば肩書で人間を判断するが、そうしたものは虚飾とは言わないまでも虚構=フィクション、作り物である。そういった一種の社会的なしがらみの外に出て生きることの難しさや尊さが本作には溢れている。『 前科者 』に次ぐ有村架純の代表作と評して良い秀作。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be afraid, night is on our side.

とても印象に残った「ちひろさん」の台詞の私訳。be on one’s side = 誰々の味方である、の意。大学時代の社会学の授業で「夜とは最も身近な異界」と言った教授がいたが、至言であると思う。夜の街、夜の世界、夜の仕事など、

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 怪獣ヤロウ! 』
『 メイクアガール 』
『 Welcome Back 』

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 有村架純, 監督:今泉力哉, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 ちひろさん 』 -人の輪の中で孤独に生きる強さ-

『 港に灯がともる 』 -生きやすさを求めて-

Posted on 2025年1月21日 by cool-jupiter

港に灯がともる 80点
2025年1月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:富田望生
監督:安達もじり

 

先日、30年目を迎えた阪神淡路大震災と在日韓国人をテーマにした作品ということでチケット購入。

あらすじ

在日3世の金子灯(富田望生)は、震災と国籍に囚われ続ける父と、帰化に前向きな姉や母との間で苦悩した結果、心を病んでしまう。友人の紹介で訪れた診療所で様々な思いを吐露する人々に接することで、灯は少しずつ自分を客観視できるようになり・・・

以下、ややネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

主人公の灯は在日3世、Jovianは帰化した在日3.5世(母が2世、父が3世)なので、主人公の灯の苦悩はよくわかった。一方でJovian妻は劇場が明るくなってからの第一声が「意味わからん」だった。このコントラストよ。

 

Jovianの母方はコテコテの在日だったので、甲本雅裕演じる父の苦悩や、妻より母を優先してしまう気質がなんとなく理解できる。韓国の歴史ドラマを観る人なら、王の間に母親が来ると、王が上座を譲ったりするが、あれがまさに韓国人の気質である。その一方で、在日という”異人性”を捨てて、日本生まれ日本育ちなのだから帰化しようという父以外の家族の気持ちもよく理解できる。主人公の灯はその中間にあって、まさにアイデンティティ・クライシスを経験するところから物語は始まる。

 

父と母の別居の話や、姉の日本人との結婚、また弟は妙な動画に傾倒しつつあるなど、家族の離散の危機をもろに感じ取ってダメージを受けてしまう灯の描写が非常に具体的で切実だ。ただ『 焼肉ドラゴン 』でも描かれていたように、家族とはいずれ離散するもの。灯も最終的にはそのことを受け入れていく。そこに至るまでの数多くの事件が、彼女を弱らせ、また強くもしていく。

 

印象的だったのは診療所での別の在日の患者。彼が言い放つ「常に自分で自分に嘘をついている」という感覚は、在日でなくとも感じたことのある人はいるはず。たとえばJovianの中学時代の同級生は、両親が離婚して苗字が変わってしまったが、学校ではそのまま過ごしていた。しかし、彼が苗字を変えられない自分に対して苦悩していたことを今でもよく覚えている。

 

自身が経験することのなかった震災だが、東日本大震災やコロナ禍、そしてロシアによるウクライナ侵攻と、その結果としての難民問題など、社会問題に触れていくことで灯は成長していく。ロングのワンカットを多用し、灯の表情や立ち居振る舞いから彼女の心情を語らせたのは正解だった。というのも、本作のテーマは想像力とその欠如だからだ。少しずつ他者に思いを馳せられるようになった灯が、ついに父と対話するシーンは『 風の電話 』のクライマックスを思い起こさせた。

 

灯を演じたのは『 チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話 』で毒親に向かって「月に一万だけでいいから寄越せ」と啖呵を切った女子高生。甲本雅裕演じる父との対話シーンは、映画ではなく舞台演劇のような臨場感だった。また渡辺真起子の出演作にはハズレが少ないというジンクスは今作でも健在。ぜひ多くの人に観ていただき、困惑し、そして何かを考え始めるきっかけとしてほしい。

 

ネガティブ・サイド

帰化申請時の法務局の役人との面接をもっとリアルに作れなかったか。いや、お役人さんから「ここでの問答は絶対に秘密にしてください」と言われるのだが、そこは取材すれば語ってくれる人もそれなりにいるはず。ちなみに1990年代半ばだと、いじめ、あるいは本気度の確認なのか、平日の夕方に電話で「明日の朝に法務局に来てください」みたいな対応だったな。そして面談で尋ねられたことが「あなたは●●●を●●できますか」、「あなたは将来〇〇〇〇と◇◇◇しますか」だったな・・・ あほらし。

 

総評

兵庫県民、特に神戸の住人なら、よく知る景色がいっぱいなので、ぜひご当地映画として観てほしいと思う。Jovianも近いうちに『 リバー、流れないでよ 』以来の聖地巡礼として、丸五市場にも行ってみようと思う。街にも職場にも学校にも、なんか目に見えて外国人が増えてきたなと感じる人は本作を観て、想像しようとしてみてほしい。その想像が正しくある必要などない。求められるのは想像しようという姿勢だけである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

naturalize

「帰化する」の意。She is a naturalized citizen of the United States. = 彼女は合衆国への帰化人です、のように使う。今後十年、日本の各地で様々な『 マイスモールランド 』が現れ、その後の十年で日本への帰化者が増えることだろう。その先は・・・推して知るべし。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 アット・ザ・ベンチ 』
『 怪獣ヤロウ! 』
『 Welcome Back 』

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 富田望生, 日本, 監督:安達もじり, 配給会社:太秦Leave a Comment on 『 港に灯がともる 』 -生きやすさを求めて-

『 ごはん 』 -米作りと親子の再生-

Posted on 2024年12月4日 by cool-jupiter

ごはん 75点
2024年12月1日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:沙倉ゆうの 源八 福本清三
監督:安田淳一

 

『 侍タイムスリッパ- 』の安田淳一監督が同作の沙倉ゆうのを主演に製作した2017年の作品。近所でトークイベント付きで上映されるということでチケット購入。

あらすじ

東京で派遣社員として働くヒカリ(沙倉ゆうの)は京都の叔母から父の訃報を受ける。葬儀のために故郷へ戻ったヒカリは父が30軒分の水田を引き受けていたことを知る。父の弟子、ゲンちゃん(源八)は足を骨折しており、他の面倒を見られる者は誰もおらず・・・

ポジティブ・サイド

米作りの苦労がリアルに伝わってくる作品。同時にその苦労がゲンちゃんというシリアスなコミックリリーフによって笑いに還元され、あるいは西山老人(演じるのは福本清三!)によって労わられることでドラマとしても深みを増している。特にゲンちゃんの気取った発言はどれもこれも笑える。対照的に西山老人の語る言葉はどれも深い。特に彼が開陳する歴史観は、しばしば列伝体で歴史が語られる本邦においては非常に貴重なものである。また「○○の扱いなら任せとけ」という台詞は一種のメタ発言にもなっていたのも面白かった。

 

一方で米作りを通して見えてくる景色も確かにある。特に日本の原風景は山、森、川、海だが、そこに田園を加えてもいいかもしれない。そう思わせるほど本作は田んぼの見せる美しさを活写していた。苗代に始まり、田んぼの稲、そして稲穂と姿を変えていく中で、力強い緑から黄金の輝きまで、季節とともに変わる稲の美しさをとことん追求していた。また音にも注目(注耳?)されたい。緑の稲が風にそよぐ音、出穂した稲が風にそよぐ音も非常に心地よい。その音を聞くだけで稲の色までが目にありありと浮かぶようである。まさにサウンドスケープである。

 

コメを作るには八十八の手間をかける必要があることからコメは米と書くと小学校で習ったが、本作はそうした手間についても一つひとつ丁寧に、しかし決して説明的にならずに解説してくれる。水の出し入れのタイミングやその量、狙いなどはまさに目からうろこだった。

 

故人の仕事を通じて亡き父の想いを知るというプロットはありふれている。しかし、その仕事が農作業だというのはユニーク。そしてヒカリ自身が稲穂を見つめる目線が、そのまま父が自分に注いでいた眼差しだったと知るという筋立ても、ベタベタではあるが美しい。

以下、上映後のトークイベントや今後の展開について

 

米作りは監督自身の経験が反映されているとのこと。そして、80代の農家の後を60代がなんとか継いでいるというのが日本の現状のようで、国が何とかしないと日本の米作りは滅びる恐れがあるとのこと。NHKの『 歴史探偵 』でも米作りの回があったが、農業、就中、米作りについて真剣に考える必要があるようだ。

 

『 侍タイムスリッパ- 』や本作は、まずは年明けから配信、その後に円盤化される方向で話が進んでいるとのこと。Blu rayになったら購入しようかな。

 

実は福本清三の奥様は、旦那の出演作が観たことがないらしく、本作の剛毅朴訥な農民の姿を観て「あれが本物の福本です」と語ったとのこと。『 ラスト サムライ 』のあれが実像に近いわけではなかったのね・・・

 

劇中でヒカリが絶妙なタイミングで吹き出すシーンがあるが、沙倉さん本人に「演技ですか、アドリブですか?」と尋ねたところ、演技だったとのこと。

 

安田監督に今後の展望を尋ねてみたところ「僕はいつか『 男はつらいよ 』(実際は『  フーテンの寅さん 』と言っていた)をリブートしたい」と語ってくれた。令和の時代にあんなキャラを復活させても大丈夫か?と思ったが、寅さんは昭和の時代でも(愛すべき)迷惑キャラだったわけで、キャラの芯さえしっかりしていてスポンサーもつけば、案外うまく行くアイデアかもしれない。

ネガティブ・サイド

稲作以外にも農業といえば重労働のイメージがある。サラリーマンのように一日8時間労働で年間休日124日などと決まっているわけではないからだ。というよりも農繁期と農閑期の差が激しいと考えるべきか。いずれにせよ世の大半のサラリーマンの労働とは大きく異なる。そのあたりのギャップに戸惑い、疲労するヒカリを描くという選択はなかったか。

 

もう一つ気になったのがBGMの多用。風にそよぐ稲の姿とその音だけで十分に映画なのに、なぜかそこにBGMがかぶせられていた。監督は色々と手直しをして、足すべきシーンは足して削るべきは削ったそうだが、絵だけではなく音を削ることも考慮してほしかった。Sometimes, less is more.

総評

Jovianが大昔に引っ越した先の岡山県備前市では三十数年前、小学校低学年が学校の行事として田植えをしていた(Jovianはしなかった)。今思えば、貴重な機会を逃したのかもしれない。米作りを通じて、日本の歴史、日本の原風景を体験できるし、本作を通じて親子の精神的な和解の物語を追体験できる。あちこちで散発的に上映しているようなので、機会があれば鑑賞してみてはどうだろうか。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

straw hat

麦わら帽子の意。strawとは藁のこと。某漫画のキャラクターだったり、あるいは某歌手のマリーゴールドを思い出す人もいるだろう。Jovianも備前の祖母を思い浮かべると、麦わら帽子がセットで思い出される。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 他人は地獄だ 』
『 アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師 』
『 オン・ザ・ロード 〜不屈の男、金大中〜 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 沙倉ゆうの, 源八, 監督:安田淳一, 福本清三, 配給会社:未来映画社Leave a Comment on 『 ごはん 』 -米作りと親子の再生-

『 最後の乗客 』 -追憶と忘却-

Posted on 2024年12月2日 by cool-jupiter

最後の乗客 70点
2024年11月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:冨家ノリマサ 岩田華怜
監督:堀江貴

 

評判の良さにつられてチケット購入。

あらすじ

タクシードライバーの遠藤(冨家ノリマサ)は、深夜の街道で謎めいた女性客を拾う。その直後、路上に小さな女の子と母親の2人が飛び出してきた。事故にはならなかったものの、車が動かなくなってしまい・・・

ポジティブ・サイド

東日本大震災から10年後の設定。55分と短く、登場人物もわずか数人。劇中でもわずか一晩(回想シーン除く)しか経過しない。その限られた時間と空間で濃密なドラマが展開された。ストーリー自体はよくあるもので、Jovianは割と早い段階で「ああ、アン・ハサウェイ出演のあれと同じか」と感じ取れた。

 

ただ本作の価値はストーリーの秀逸さではなく、その陳腐さにある。親子のミスコミュニケーション、親子のすれ違い。そんなものはたいていの人間が経験する。問題は、そんな陳腐な日常が大災害で突然に崩されてしまった時、どうなるのかということ。

 

『 侍タイムスリッパ- 』の冨家ノリマサがタクシー運転手にして頑固一徹の中年オヤジを好演。謎の乗客の女性は岩田華怜は陰のある演技で印象を残した。東日本大震災は「忘れない」、「風化させない」という言葉と共に語られてきたが、阪神淡路大震災(Jovianは幸いにも直接の被災者ではないが)では、あまりそのような言葉は用いられなかったと記憶している。その違いの要因の一つに前者には津波があり、後者には津波がなかったということが挙げられる。言い換えれば、前者は行方不明者多数、後者は死体の確認がしっかりできた、ということである。『 あまろっく 』で阪神大震災の描写があったが、あれはJovianがその後に尼崎や神戸の親戚や友人知人から聞いた反応と同じ。すなわち「生き残ってしまった」、「あの人は死んでしまった」という後悔の念。それが転じて「もう忘れたい」と吐露する友人にJovianは当時かける言葉を持たなかった。

 

死んだかどうか不明だが死亡したものと見做すという世界では『 風の電話 』のような伝説が生まれる。それはそれで美しい。その一方で「忘れたい」という想いを吐き出すことが許されなかった空気も当時は存在したのではないか。そうした想いに寄り添う作品が発災後十年以上を経て作られたことには大きな意味がある。作られた大きな枠組みのドラマではなく、どこのだれか分からない、しかし確実に存在する個人のドラマは平凡で陳腐であるがゆえに荒唐無稽を超えたところでリアリティを有する。

 

ネガティブ・サイド

照明や音響は残念ながら低レベルだったと言わざるを得ない。映画の画的には仕方ないが、タクシー車内だったり、大通りから外れた深夜の小さな街道だったりの不自然な明るさはもう少し何とかならなかったか。『 ちょっと思い出しただけ 』のように、そこらへんをリアルに描出できた作品もあるだけに照明担当と監督にもう少し頑張ってほしかった。まあ、自主映画に求めすぎだとは思うが。

 

舞台というか世界というか、それが何であるかを間接的に説明する台詞が発せられるが、その台詞がかなり直接的。もう少し抽象的にできたのではなかったか。

 

総評

エンタメとして面白いではなく、ドラマとして面白い。商業映画が時たま見せるカッコつけたシーンや台詞が一切ない。大震災という悲劇を感動劇の材料にせず、しかし海は常世の国にもつながっているのだと実感させるエンディングにはえも言われぬ重みを感じた。エンドロールもある意味で衝撃的。Every picture tells a story, don’t it?

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

move on

いくつかの意味がある句動詞だが、ここでは Cambridge の to accept that a situation has changed and be ready to deal with new experiences = 状況が変わったことを受け入れ、新しい経験をすることに備える、という意味を紹介したい。She’s married now. It’s time to move on. = 彼女はもう結婚してるんだ。そのことを受け止めて次へ進むんだ、のように使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ファンタジー, 冨家ノリマサ, 岩田華怜, 日本, 監督:堀江貴, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 最後の乗客 』 -追憶と忘却-

『 正体 』 -トレーラーは避けるべし-

Posted on 2024年12月1日 by cool-jupiter

正体 60点
2024年11月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:横浜流星
監督:藤井道人

 

藤井道人監督作品ということでチケット購入。

あらすじ

死刑囚の鏑木慶一(横浜流星)が脱走、警察の目をかいくぐり、仕事をしながら逃走を続けていた。逃亡先で出会う人々と交流を深めながらも正体がばれて逃げ続ける鏑木。彼にはある目的があり・・・

 

ポジティブ・サイド

そもそも逮捕・勾留されている犯罪者がそんなに簡単に逃げられるのかと思うが、Jovianは大阪の富田林署から脱出し、数十日の逃走後に山口県で捕まった男性を思い出した。なので鏑木の逃走劇およびその後の潜伏にもリアリティを感じることができた。

 

最初の潜伏先がなにわ万博の建設現場だというのも生々しい。『 BAD LANDS バッド・ランズ 』や『 さがす 』で描かれた西成区のような場所は、素性も経歴もどうでもいい日雇い労働者の供給先だからだ。我が町尼崎の南の方も昔はそうだった。

 

まるで韓国映画であるかのように警察が無能だが、その根源は松重豊演じる警視総監?または捜査一課長。推測することしかできないが、『 拳と祈り -袴田巖の生涯- 』の袴田さんもそんないい加減な采配で犯人扱いされたのではなかっただろうか。

 

追う刑事の山田孝之の芝居も抑制的でよかった。台詞ではなく表情や行動で内なる想いを表出させていたのが印象的。特に記者会見で、すぐ横にいる上司への不信感と国民に対する謝罪および協力の呼びかけをするためのプロフェッショナルの顔を両立させていたのは見ごたえあるシーンだった。

 

SNSから身バレし、しかしSNSを活用することで注目を集め世論を喚起する。まるで最近のどこぞの県知事選のようだが、終盤の立てこもりにもリアリティが認められた。

 

鏑木と交流するキャラの中では吉岡里穂演じる記者の父親役が印象に残った。以前の勤め先で京都弁護士会所属の大御所二人が痴漢に間違われた際の対応について、一人は「身元を明らかにして立ち去る」、もう一人は「その場にとどまって弁護士を呼ぶ」だった。なので弁護士が対応を誤ることもありえるし、実際にこうした描写を入れることで鏑木についた弁護士が無能だった、あるいは対応を誤ったと間接的に示す効果もあった。

 

ネガティブ・サイド

普通に考えて、逮捕から死刑の確定までが早すぎる。弁護士が超絶無能だったとしか考えられない。衣類に残る血痕の量や、実際の血液型鑑定などをすれば鏑木が犯人ではない可能性は相当に高いはず。警察および検察はどう証拠を捏造したというのか。警察は鏑木の育った施設をマークするよりも、担当弁護士の事務所および自宅をマークすべきと考えるべきではなかったか。

 

吉岡里帆と同居するようになってからの流れがやや雑だと感じられた。アラサーのバリキャリ女子が二十歳少々の若造を居候させていく中で、偶発的に、または意図的に背中のやけどの跡を見るとか、もう少し那須(で漢字は合っている?)の「正体」に関わるヒントを提示すべきだった。

 

鏑木が逃亡中に一重まぶたにするシーンがあったが、次の瞬間にはもう二重に戻っていた。いくらなんでも編集が乱暴すぎると感じた。

 

とある介護施設が重要拠点になるのだが、これも割とすぐにメディアあるいはフリーランサーが突き止めそうなものだが。実際に調査力に秀でた嫌な個人記者も出てきているのだから。

 

兎にも角にもトレーラーがほとんど全部ネタバレだった。物語上の重要なシーンや台詞の多くがすでにトレーラーにあり、重要なシーンの流れや台詞がすべて分かってしまい、正直なところかなり白けてしまうことが多かった。予告は宣伝会社・担当が作るのかな。『 六人の嘘つきな大学生 』のトレーラーも決して良くない出来栄えの上にネタバレが潜んでいた。トレーラーも藤井道人監督自身が手掛けてはどうか。

 

総評

予告編を一切観ることなく鑑賞すれば印象は全く違ったはず。決して直接的ではないが、それゆえに力強いメッセージを発するという藤井監督の演出は随所で光っている。それゆえにストーリー展開の意外性が損なわれたことが余計に残念に感じられる。トレーラーは正式には teaser trailer と言う。tease とは「焦らす」の意味。情報は小出しにしてナンボ。これから鑑賞する人は可能な限り事前情報をカットして鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on the run

逃走中である、の意。警察や敵兵から逃げている状態を指す。ちなみに潜伏中であるという場合はbe in hidingがよく使われる。英語の映画ではニュースのアナウンサーがよく使っている表現である。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 他人は地獄だ 』
『 最後の乗客 』
『 アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師 』

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ヒューマンドラマ, ミステリ, 日本, 横浜流星, 監督:藤井道人, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 正体 』 -トレーラーは避けるべし-

『 本心 』 -サブプロットを減らすべし-

Posted on 2024年11月16日 by cool-jupiter

本心 50点
2024年11月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:池松壮亮 田中裕子 三吉彩花 妻夫木聡
監督:石井裕也

 

AIとVRの組み合わせという、まさに今の仕事に近い領域のストーリーだと思い、チケット購入。

あらすじ

石川朔也(池松壮亮)は入水自殺しようとする母・秋子(田中裕子)を追って川に入ったことから昏睡状態に。一年後に目を覚ますも、母は自由死を選択していたことを知る。世界は様変わりしており、朔也はリアル・アバターとして働き始める。ある時、母のVirtual Figureを作れると知った朔也だが・・・



ポジティブ・サイド

人工知能やVR技術が徐々に一般に浸透してきている。企業がRAGを使って、顧客対応botを作ったり、あるいは自社マニュアル参照インターフェースをAIボットにすることも珍しくなくなった。すでに中国やアメリカでは、本作で描かれているようなサービスもあるという記事も目にした。原作小説は2021年に初版、ということは平野啓一郎は2018~2019年代にはかなり具体的な本作の構想を練っていたものと思われる。2018年はGPT元年と歴史家に認定されるだろうと予測されているが、平野の作家として炯眼を持っていると言わざるを得ない。

 

特にVF制作会社CEOの妻夫木の演技が際立って上手い。目線、ちょっとした表情、佇まいに底知れなさを感じさせ、まったく「本心」が見えない。『 ある男 』では抑制されていた内面が、本作では非常にうまく押し殺されているがゆえに、かえってそれに気づく。しかし、その中身までは見透かせないという絶妙なバランスの演技だったように感じた。

 

『 PLAN75 』と似たような世界観が構築されている点でも原作者の眼力が目立つ。先の衆議院選挙で国民民主党が大躍進したが、その当主の玉木雄一郎は増大する一方の医療費削減のために尊厳死を提唱していた。スキャンダルでどうなるのか分からないが、一定数の国民が自由死を望む未来はあってもおかしくない。

 

リアル・アバターという職業も、技術の過渡期には存在してもおかしくない。実際にUber Eats的なサービス供給網と、YouTubeやFacebookなどのリアル配信技術とVRさえあれば可能そう(セキュリティはひとまず考えないものとする)だし、Jovianもコロナ中に妻とZoomでタージ・マハルのツアーに参加したことがある。同時通訳の技術も上がってきた今、国内よりも海外に需要がありそうなサービスで、十分にリアリティを感じた。

ネガティブ・サイド

ストーリー周辺はリアルだったが、肝心のストーリーがリアルではなかった。というよりもリアルである必要はなかったのに、リアルにしようと詰め込んで失敗したという感じか。サブ・プロットが多すぎると感じた。

 

幼馴染みかつ工場でもリアルアバターでも同じ同僚の男はいらない。社会の格差が広がっていくにつれ、人間と人間の関係もギスギスしたものになることを訴えたいのだろうが、本物の人間以上に人間らしいVFを作る、そしてそのVFと交流することが話の本筋であるべきで、社会の変化、人間の変化はもっとさりげなく描写するだけでよかった。

 

イッフィーさんというキャラクターも不要というか蛇足だった。おそらくアバターを使って告白するという行為の不自然さを訴えたいのだろうが、それがいかに野暮であるかを朔也に直に語らせてどうするのか。そういうことは、それこそ観ている者の想像に訴えるべきだ。『 ゴジラ-1.0 』でも佐々木蔵之介が「これからの日本はお前らに任せたぜ」と言葉にしてしまっていたが、そういうことは表情で訴えるだけでいい。なんでもかんでも言葉で説明するのは文芸の手法。いくら原作が小説だからといって、映画にまで文芸の技法を持ち込む必要はない。

 

序盤の綾野剛役のVFや、それと交流する生身の人間をもう少し映し出してほしかった。特にVFが持つ死の意識は非常に示唆的で「受動意識仮説」を思わせるものだった。母が死を選んだ理由が知りたいのなら、VFが持つ死の観念を開陳してほしいと願うのは求めすぎではないだろう。

 

個人的に最も見たかったのは、VF同士が相手をVFだと認識しないままにコミュニケーションするシーンと、それを生身の人間が目撃した際に感じるだろうグロテスクさ、あるいはそれがVFだと気付けないことに対するグロテスクさを体験してみたかったが・・・

 

総評

結論、親の心子知らず。触れ合えない対象に答えを求めるのではなく、触れ合える相手を求めようという、ありきたりな教訓ドラマだった。ヒューマンドラマは畢竟、人間とは何か、人間とはどうあるべきかを追究する試みで、テーマ自体はどれも陳腐。すべては見せ方なのだ。本作はその意味で見せ方がとにかく稚拙だ。石井監督の「語りたい」欲求が強く出過ぎた作品と言える。まあ、それも結局は波長が合うかどうかだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

avatar

今でこそアバターは普通の言葉になったが、映画『 アバター 』の頃は意味を知っている人はほとんどいなかったと記憶している。本来は「化身」という意味でヒンドゥー教や仏教の概念。劇中でVirtual Figure(架空人形)とされたものがAction Figure(可動人形)との対比になっていると思えば、リアル・アバターという用語にもリアリティが感じられる。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ヴェノム:ザ・ラスト・ダンス 』
『 オアシス 』
『 シングル・イン・ソウル 』

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 三吉彩花, 妻夫木聡, 日本, 池松壮亮, 田中裕子, 監督:石井裕也, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオLeave a Comment on 『 本心 』 -サブプロットを減らすべし-

『 つぎとまります 』 -新人バス運転手の成長物語-

Posted on 2024年11月10日 by cool-jupiter

つぎとまります 50点
2024年11月9日 シアターセブンにて鑑賞
出演:秋田汐梨
監督:片岡れいこ

 

『 惡の華 』、『 リゾートバイト 』で準主役だった秋田汐梨が、京都を舞台にした映画の主役を張るということでチケット購入。

あらすじ

保津川美南(秋田汐梨)は、日本一のバス運転士になるという夢を実現させるため、かつての地元、京都・亀岡のバス会社に就職する。教習と失敗を通じて徐々に成長していく美南は、ある時、自分が運転士を目指すきっかけになった運転士と再会するが・・・

 

ポジティブ・サイド

パイロットが呼気検査に引っかかってフライトが延期というニュースは数年に一回あるように思う。一方でバス運転手の呼気検査というのは新鮮だった。えらい大事になるようで、公共交通機関で働くということのプロフェッショナリズムが垣間見られた。

 

路線沿線の過疎化、それに伴う赤字化などの問題も、軽くではあるが触れられていたところも良かった。亀岡という京都市のすぐ隣でもそうした事態が進行中であるということは、地方の中核都市のすぐ近隣も同様ということ。バス運転士の給料カット、バス路線廃止、さらに万博用のバス運行のためだけに交野市のバス路線を廃止した維新の会を勝たせた大阪府民は、本作を観て何かを感じ取ってほしい。

 

それは半分冗談として、ビルドゥングスロマンとしては標準的な出来に仕上がっている。教習担当、同僚、上司、友人、常連客と登場人物も多士済々。大型車両をセンチメートル単位で操るシーンもあり、匠の技を見せてくれる。大昔、東京の三鷹市や小金井市に住んでいた頃は小田急バスに時々乗っていたが、今にして思えば、よくあんな図体の車両をあんな細い道路だらけの住宅地で右折左折を軽々行っていたバスドライバーたちはプロだったのだなあと思い起こされた。『 パターソン 』をもう一度観てみようかな。

 

『 しあわせのマスカット 』でも重要なモチーフになった西日本豪雨は本作でも取り上げられた。鉄道網が充実しているところに住んでいると気が付かないが、ちょっと田舎に行けば電車は基本的に一路線だけ。そこが寸断されてしまえば高校生やサラリーマンはお手上げ。バスの運転士もエッセンシャル・ワーカーなのだと気付きを与えてくれるストーリーには、日本中のバス運転士が喝采を送るのではないか。

 

オカルト的な展開も、割とまっとうに着地する。変に恋愛要素を入れずにビルドゥングスロマンに徹したのも好判断。

 

ネガティブ・サイド

バス運転手のプロフェッショナリズムは感じられたが、具体的な技術論がほとんどなかった。唯一あったのが、ある信号から次の信号までゆっくり走ればちょうど青のタイミングになるというものぐらい。これとて、道路事情や信号の時間調整次第ですぐに覆ってしまう。たとえばミラーの角度の調整だとか、西日があたる時間帯の姿勢の取り方だとか、そういったものが欲しかった。「周りをよく見てしっかり判断」とか、実際には何も言っていないに等しい。

 

新人というか、若い世代、あるいは女性という面で美南が役に立つという場面も必要だった。たとえば現金ではなくキャッシュレスで運賃を支払おうとして手間取る高齢者にてきぱきと対応するとか、あるいはバス利用する高校生たちのちょっとした変化に気づいてあげられるとか、そうした適性や成長過程を見せていれば、上司に直訴するシーンにもう少し説得力や迫真性が生まれていたかもしれない。

 

越境バスを描くのもいいが、もっと域内交通の足としての側面を強調してほしかった。バスは基本的には近距離移動の足なのだから。たとえば京都パープルサンガの試合前、試合後の観客の移動は大部分はJRおよびマイカーが担うだろうが、地域の小中学校生やサッカー少年少女を招待する場合にはバスが使われることが多いだろう。そうした地域密着型バスとしての側面をもっと強調すれば、亀岡のご当地ムービーとしての完成度を高められたと思う。

 

総評

明智光秀ファンのJovianにとって亀岡と福知山は、ある意味で非常になじみのある場所。そこを舞台に、バス運転手という誰もがなじみのある職業でありながら、その実態があまり知られていない存在に光を当てようという企画は買い。惜しむらくはストーリーにリアリティがない、演技が大袈裟、地元アピール不足だったことか。京都、大阪の人間なら応援の意味も込めて鑑賞するのもありだろう。本当は40点だが、秋田汐梨が可愛かった&亀岡が舞台ということで10点おまけしておく。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Does this bus go to … ?

劇中で一瞬英語も使われていた。「このバスは・・・に行きますか?」の意味だが、こういう場合は未来形ではなく現在形を使う。英語の現在形は、現在の状態だけではなく、性質や習慣性を表す時にも使われる。Will this bus go to … ? だと「このバスは・・・に行く予定(予定は未定であって決定ではない)ですか?」のようなニュアンスとなり不自然。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ヴェノム:ザ・ラスト・ダンス 』
『 オアシス 』
『 本心 』

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 監督:片岡れいこ, 秋田汐梨, 配給会社:パンドラLeave a Comment on 『 つぎとまります 』 -新人バス運転手の成長物語-

『 花嫁はどこへ? 』 -新たなインドの女性像を模索する-

Posted on 2024年10月13日2024年10月13日 by cool-jupiter

花嫁はどこへ? 80点
2024年10月11日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ニターンシー・ゴーエル プラティバー・ランター スパルシュ・シュリーワースタウ ラビ・キシャン
監督:キラン・ラオ

 

妻が「アーミル・カーンがプロデュースしていて面白そう」というのでチケット購入。確かに非常に面白かった。

あらすじ

新郎のディーパク(スパルシュ・シュリーワースタウ)は新婦のプール(ニターンシー・ゴーエル)を自分の村まで連れて帰る途中、似たようなサリーで顔をベールで覆った別の花嫁ジャヤ(プラティバー・ランター)を連れ帰ってしまう。一方、全く見知らぬ駅で降りたプールは変わった人々との出会いに戸惑いながらも、何とか自立を目指して・・・

ポジティブ・サイド

新郎が新婦を取り違えるか?と疑問に思うが、それが大いにありうるのがインド。事前にほとんど、あるいは一切会わず、似たような背格好の女性が同じような衣装、同じようなベールを身に着けていたら、確かに間違えても仕方がない。

 

そうして取り違えられた花嫁二人が正しい旦那のところに帰る・・・のではない。特にディーパクに着いてきてしまったジャヤは行動がとにかく不審。もしやロマンス詐欺?しかしインドでは女性の方が結婚に際して持参金を準備するという。それにしてもジャヤの行動は何なのだ?と観る側に強く疑念を抱かせる。そして警察でも身分を偽る。ますます怪しい。

 

その一方で、途方に暮れるばかりのもう一人の花嫁のプール。妙な出会いから宿と職場を得るが、花嫁修業はしていても世事には疎い。そんな彼女に温かく、しかし厳しく接するマンジュおばさんが、その仕事っぷりや人生哲学の面で味わい深い演技を見せる。生きる力を発揮しつつあるプールだが、夫の村の名前も言えず、実家に帰るのも恥にあたると、こちらも警察の助力を得るには至らず。ジャヤにも困ったものだが、プールもなかなかの箱入り娘。

 

正体不明なままのジャヤを捜査するマノハル警部補を演じるラビ・キシャンが怪演を見せる、いや魅せる。韓国映画の警察は無能だが、インド映画の警察は横暴である。まるで昭和中頃の腐った日本の警察か?と思わせて・・・おっと、これ以上は無粋というもの。

 

ディーパクがとにかく純粋無垢で、ジャヤの婚約者との対比で、そのピュアさが更に際立つ。花嫁を取り違えた時に、相手が人違いだと主張しなかったなどと一切非難せず、ただ自分の不注意を恥じ入り、プールの無事を祈る姿勢が美しかった。そんなディーパクの優しさの裏でコソコソと動いていたジャヤが、ディーパクの一家の家業である農業だったり、あるいは料理だったり、あるいは人間関係だったりに少しずつ変化をもたらしていく。

 

最後に訪れる大団円のカタルシスは『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』に匹敵する。女性の生き方のアップデートが叫ばれて久しいが、それを芸術作品ではなく、ここまで鮮やかなエンタメ作品として提示してくるのは驚き。『 RRR 』のラストでビームがラーマにお願いしたもの。それを女性がどう享受するのか。その課題は今も続いているのだろうが、しかし確実に改善されているのだろう。

 

ネガティブ・サイド

花嫁修業を修めただけのプールが、本当の意味で自活する道へ踏み出す大事なシーンで、「パコラを作ってくれ」と依頼されたシーンで、なぜかサモサを作り始めるのは何故だ?

 

ディーパクのじいさんはギャグ扱いだろうが、牛の方はもう少し面白く深掘りできなかっただろうか。たとえばばあちゃんと牛が会話らしきものを交わすとか(半分冗談だが)。

 

総評

大スターを前面に押し出さず、むしろ若手ばかりを主役級に据えて本作を製作したこと、それ自体が一つのメッセージなのだろう。既存の権威に頼らず、あるいはそれに囚われず、新しい映画製作の在り方を追求していこうというアーミル・カーンとキラン・ラオ監督の意気込みが、そのまま次代のインドを担う若者たちへのエールなのだ。ダンスシーンはないが、確かにこれも一級のインド映画である。

 

Jovian先生のワンポイントヒンディーレッスン

パコラ

アルファベットでは pakora と表記する。揚げ物の意。インド料理やカレーショップでは鶏の唐揚げであることがほとんどだが、実際は油で揚げる料理全般を指すようだ。Jovianも月に1~2度は梅田の某カレーショップに行くが、パコラを3ピース頼むのが定番になっている。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ぼくのお日さま 』
『 ジョーカー:フォリ ア ドゥ 』
『 若き見知らぬ者たち 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, インド, スパルシュ・シュリーワースタウ, ニターンシー・ゴーエル, ヒューマンドラマ, プラティバー・ランター, ラビ・キシャン, 監督:キラン・ラオ, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 花嫁はどこへ? 』 -新たなインドの女性像を模索する-

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