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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: サスペンス

『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

Posted on 2020年7月23日 by cool-jupiter

パッセンジャーズ 50点
2020年7月20日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:アン・ハサウェイ パトリック・ウィルソン
監督:ロドリゴ・ガルシア

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200723010128j:plain
 

飛行機墜落ものというと『 ノウイング 』(監督:アレックス・プロヤス 主演:ニコラス・ケイジ)を思い出す(冒頭だけだが)。これがけっこうな珍品で、面白くもあり、つまらなくもあった。以来、飛行機墜落ものにはあまり食指が動かくなくなった。しかし、心斎橋シネマートで『 アフターマス 』(監督:エリオット・レスター 主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)あたりから墜落ものも、ポツポツと再鑑賞し始めた。これもそのうちの一本。

 

あらすじ

飛行機墜落事故が発生。多数が死亡したが5名は生き残った。その生存者のカウンセリングを担当することになったクレア(アン・ハサウェイ)だったが、セッションを欠席した生存者が1人また1人と姿を消していく。クレアは事故の真相を何とか探ろうとするのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

アン・ハサウェイが相変わらず魅力的である。『 プラダを着た悪魔 』から『 シンクロナイズドモンスター 』まで、年齢を重ねつつも、魅力を増している。おそらく本作ぐらいが、いわゆる girl と woman のちょうど境目ぐらい(実際の役でもそうだ)で、それゆえに無垢な学生、姉との関係に悩む妹、男性と情事に耽る大人の女性などの多彩な面を見事に演じ分けている。彼女のキャリアにおけるベストではないが、間違いなく on the right side の演技である。

 

作品としては非常に分かりにくい。それは、「はは~ん、これは実はこういう話だな」ということがすぐに読めるからである。たいていの人は「これはアン・ハサウェイがセラピーをしていると見せかけて、実はセラピーを受けている側なのだ」と思うことだろう。Jovianは割とすぐにそう直感したし、映画や小説に慣れた人なら、あっさりとそう思えるだろう。それこそが本作の仕掛ける罠である。

 

「なるほど、そう来るか」

 

素直にそう感心できる twist が待っている。

 

本作の最初の展開に騙される人、あるいはそれを見破れる人は、以下のような作品に親しんでいる人だろう。以下、白字。

 

『 シックス・センス 』

『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』

『 ラスト・クリスマス 』

『 ムゲンのi 』

 

人によっては ( ゚Д゚)ハァ? となるだろうが、真相に至るまでには結構フェアに伏線が張られている。例えば寒中水泳のシーン、あるいは線路のシーン。このあたりをちょっと考えれば、誰もが何かがおかしいと感じられることだろう。それに、多くのキャラクターのふとした言動や、人間関係、他キャラとの交流のあり方もヒントになる。2000年代にもなると、ありふれた謎解きにも変化球が色々と混ざって来る。本作は、ただのシュートかと思ったらシンカーだった。そんな一品である。

 

ネガティブ・サイド

ちょっと風呂敷を広げ過ぎている。こういうのは中盤と終盤の twist のインパクトで勝負するしかない作品で、そこに至るまでがかなり間延びしているように感じられる。93分の映画だが、75分でも良かったのではないかと思えるのだ。エリックが壁を塗りたくるシーンや屋上にクレアを誘うシーンは削除できた。あるいは大幅に短縮しても、特にラストのインパクトに影響を及ぼさないだろう。

 

事故を起こした航空会社が、その自己の生存者を監視し、追跡し、拉致しているのではないかというクレアの推理は、はっきり言って迷推理である。生存者の名前は大々的に報じられるだろうし、そうした人間が本当に失踪したならば、周囲の人間が絶対に気付くし、捜索届を出したり、マスコミにも知らせたりするだろう。人間は陰謀論が大好きなのだから。一人ひとり消えていくのではなく、単にセラピーを欠席して、日常生活に帰っていった、という説明はできなかったか。

 

クレアとエリックのロマンスがどうにもこうにも陳腐である。アン・ハサウェイ演じるクレアから見たエリックが、一人の男性としての魅力に欠ける。いや、説得力に欠けると言うべきか。アン・ハサウェイから見て、危なっかしい弟のような存在、あるいは幼馴染のような友達以上恋人未満のような存在に見えないのだ。多面的なアン・ハサウェイの魅力とパトリック・ウィルソンのキャラ設定が、どこかミスマッチなのだ。

 

総評

アン・ハサウェイのファンならば観よう。こういった作品はドンデン返しを楽しむためのもので、そこに行くまでに退屈してしまうという向きにはお勧めできない。ディープな映画ファンならば、あれこれと先行作品を思い浮かべるだろうし、もっと鍛えられた映画ファンならば、この変化球が曲がり始めた瞬間に軌道を見切ってしまうかもしれない。結局、お勧めできるのはアン・ハサウェイのファンであるというライトな映画ファンになるだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

work one’s ass off

「働きまくる」の意である。もうすぐ子どもが生まれるのか?じゃあ、がむしゃらに働かないとな!=You’re going to have a baby soon? Well, someone has got to work his ass off! などのように使う。同じような表現に、laugh one’s ass off = 爆笑する、というものがある。こちらは laugh my ass off = LMAO や、rolling on the floor laughing my ass off = ROFLMAO などの略語の形でネット上で見たことがある人もいるかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, アン・ハサウェイ, サスペンス, パトリック・ウィルソン, ミステリ, 監督:ロドリゴ・ガルシア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

『 悪の偶像 』 -信じさせる者は救われるのか-

Posted on 2020年7月5日2021年1月21日 by cool-jupiter

悪の偶像 70点
2020年7月4日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:ハン・ソッキュ ソル・ギョング チョン・ウヒ
監督:イ・スジン

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『 哭声 コクソン 』に続いて、またも人間の信念や信仰、信条を揺るがすような作品である。ただし、こちらはホラーではなくポリティカル・サスペンス。しかし、韓国映画お得意のグロ描写は健在。どこまで行くのか、韓国映画界よ。

 

あらすじ

市議会議員にして時期知事の有力候補のミョンヒ(ハン・ソッキュ)の息子ヨハンが飲酒ひき逃げ事件を起こし、あろうことか死体を自宅に持ち帰ってきた。死体遺棄を隠し、ひき逃げだけでミョンヒはヨハンを自首させる。しかし、目撃者である被害者の新妻リョナ(チョン・ウヒ)の存在が判明。真相が判明することを防ぐためにミョンヒはリョナを追う。一方、被害者の父親であるジュンシク(ソル・ギョング)も、リョナが妊娠していることを知り、なんとかして彼女を見つけ出そうと奮闘するが・・・

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ポジティブ・サイド

『 母なる証明 』は問答無用の大傑作だった。韓国における母と息子の絆の強さとその闇の深さには圧倒されるものがあった。本作は、半分は『 父なる証明 』であると言ってよいだろう。議員ミョンヒのボンクラ息子、小市民ジュンシクの知的障がいを持っていた息子。特に後者の父子関係は強烈だ。冒頭のナレーションで、父が息子の射精を手伝ってやったと語られるのだ。『 母なる証明 』でも息子の立ち小便をキム・ヘジャ演じる母がじーっと凝視するという異様なシーンがあったことが思い出される。親と子の距離が異様に近いのだ。『 37セカンズ 』でも母と子のやたらと近い入浴シーンがあったが、それでも障がいを持つ子と親の距離感というものに驚かされるし、そうしたものを描き切る韓国映画の凄みよ。

 

そして“父”というワードに神を見出すことは、韓国がキリスト教国であるという背景を考えれば、それほど難しいことではない。劇中およびエンドクレジットで流れる“Agnus Dei”は神の子羊、すなわちイエス・キリストの象徴である。イエスは原罪を背負って死に、人類を救済したとされる。本作で死んだのは誰か。そしてイエスの母マリアは処女懐胎したと言われている。本作で懐胎したのは誰か。そして、それは誰の子なのか。父のイメージに挑戦し、それを壊そうとする本作は、韓国という国全体の家父長的な社会制度を糾弾していると見るのは、それほど穿った見方ではないだろう。

 

現代は誰もがイメージに生きている時代と言える。大昔から人間はイメージを相手に押し付けてきた生き物であったが、現代はその性向がさらに強化された時代であると言える。ソーシャル・ディスタンスならぬサイコロジカル・ディスタンスとでも言おうか。心理的に自分に近い人間を応援し、心理的に自分から遠い人間を排撃しようとする。それが本作におけるテーマの一つである。イメージを駆使して他者との心的距離を縮めようとする政治家ミョンヒの、恐るべき策略が炸裂する中盤以降、物語は一気に暴力と破壊と殺人の色合いを濃くしていく。

 

自らも誘拐・監禁・暴行に手を染めるハン・ソッキュ、買春や偽装結婚など愛する家族のためなら犯罪もなんのそののソル・ギョング。彼ら名優の演技対決も見ものであるが、一番はチョン・ウヒの狂気だろう。弱い立場にありながらも彼女自身は決して弱くはない。追われ、監禁され、虐待されても、感覚を研ぎ澄ませてチャンスをうかがっている。まさに獣である。日本で渡り合えるのは安藤サクラぐらいか。顔が怖いから怖いのではない。『 パラサイト 半地下の家族 』でも強調されたある感覚を何気なく語るシーンの秘めた迫力が恐ろしいのである。繰り返しになるが、まさに獣である。弱肉強食である。

 

そして最終盤の事件。人間がいかにイメージに弱いかを物語る大事件が起きる。いや、起こされる。例えるのが非常に難しいが、敢えて言えば芸能人のスキャンダルに近いか。別に自分に被害が生じたわけでもないのに、我々はそれまでに好感を抱いていた人物を蛇蝎のごとく忌み嫌うようになることがある。まさに心理的なdistancingである。父と父との対決は、ここに来て一気に国家・国民を揺るがすレベルに到達する。そしてエンディング。原作ではどうなっているのだろうか。字幕が途中から一切表示されなくなる。当然韓国語なので、韓国語が分かる人間にしか分からない。だが、それで良いのだろう。そこに映し出されないイメージ(具体的には身体のあるパーツ)を我々は想像し、そこで語られるメッセージを我々は想像する。そしてエンディングの讃美歌、Agnus Dei。生贄としてささげられているのは誰なのか。ここでミョンヒの肩書が原発対策委員長だったことを思い出して背筋が凍る人もいるだろう。

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ネガティブ・サイド

本作のキーパーソンの一人であるリョナは『 哀しき獣 』でフォーカスされた朝鮮族の女性である。つまりは外国人である。もちろん強制送還や不法滞在というキーワードでそれは十分に理解できるが、世界をマーケットにしたい映画であるなら、もう少しキャラクターの背景を深掘りする描写が必要ではなかったか。事実、Jovian妻はストーリー展開に時々ついていけなかったようである。

 

ミョンヒの息子はどうなったのだ?事件の発端のこの男の罪状や体調が途中から皆目わからなくなってしまった。

 

ジュンシクがリョナのために用意した証明書。これが思わぬところで思わぬ人物に大ダメージを与えるが、狙っていたことなのだろうか。それとも本人が語るように「書類上のこと」に過ぎなかったのだろうか。序盤に思わぬ嫌疑を受けるジュンシクであるが、中盤にしっかりとビジュアル・ストーリーテリングを通じてredeemされる。そうした描写が欲しかった。このスッキリしない感じは少々気持ちが悪い。

 

総評

父なる証明の物語。つまり父の狂気の愛情の物語としては傑作である。また、サスペンスとしてもクライムドラマとしても、韓国映画来意容赦の無いテイストで描かれており、このジャンルでも及第点以上である。だが、本作をより面白くしているのは日本の政治状況ではないだろうか。奇しくも今日(2020年7月5日)は東京都知事選。横文字の濫用とメディア露出を駆使する、つまりはイメージ戦略第一の現職は勝てるのか。勝つとしたら、他候補にどれだけの差をつけるのか。または差がつかないのか。今秋にも衆議院解散の噂がささやかれるが、「やってる感」の演出、つまりはイメージ戦略だけの政権与党はどうなのか。結果はどう出るのか。そうしたことを頭の片隅で意識しながら鑑賞すれば、自分が迷える子羊なのか、迷わされる子羊なのかが明確になるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

idol

idol = 偶像である。つまりは憧憬の対象である。日本語で言うアイドルは往々にしてpop starと訳される。この語で感慨深く思い出されるのは2008年12月6日のボクシング、マニー・パッキャオvsオスカー・デラホーヤ戦。勝者のパッキャオが敗れたデラホーヤに“You’re still my idol.”と伝えると、デラホーヤが“No, now you are my idol.”と応えた。その様子はこの動画の40:50で視聴可能だ。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, ソル・ギョング, チョン・ウヒ, ハン・ソッキュ, 監督:イ・スジン, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 悪の偶像 』 -信じさせる者は救われるのか-

『 暗数殺人 』 -名もなき死者への鎮魂歌-

Posted on 2020年6月23日2021年2月23日 by cool-jupiter

暗数殺人 75点
2020年6月21日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:キム・ユンソク チュ・ジフン チン・ソンギュ
監督:キム・テギュン

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心斎橋シネマートで予告編を観た時から気になっていた。これはタイトルの勝利である。暗数という聞き慣れない言葉それ自体が強烈なインパクトを持って我々に迫って来る。そして本編も実に強烈なサスペンスであった。

 

あらすじ

刑事キム・ヒョンミン(キム・ユンソク)は恋人殺しの容疑をかけられたカン・テオ(チュ・ジフン)から、「全部で7人殺した」という告白を受ける。テオが死体を埋めたと供述した場所を掘ってみると確かに白骨死体が発見された。だが、テオは突如、「自分は死体を運んだだけだ」と供述を翻して・・・
 

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ポジティブ・サイド

まずはカン・テオという殺人者を演じたチュ・ジフンの迫真の演技に満腔の敬意を表したい。ADHDなのかと思わせるほどの落ち着きのなさの中に、冷酷冷徹な計算が働いている。テオという男は警察や検察がどういう論理で動き、どういう論理では動かないのかを熟知している。人を食ったような態度はその余裕の表れである。同時に、警察や刑事の個人的な心情や信条を巧みに利用する。狡知に長けたサイコパスで、「他人の命はゴキブリと同じ。けど俺の命は違う」という酒鬼薔薇聖斗のような二重倫理の持ち主である。また『 チェイサー 』の殺人鬼ヨンミンが語っていたように、血抜きに言及するところ、死体の重さを生々しく語るところに、韓国映画と邦画の決定的な差を思い知らされるようだった。銀幕の世界の殺人者をどこか神秘的な存在に描いてしまいがちな邦画と、文字通りの意味で血肉の通った人間として描く韓国映画の違いである。命が鴻毛よりも軽く、理不尽な理由であっさりと奪われる。その背景には、お定まりの悲惨な過去があり、うっかり同情させられそうになる。

 

対するキム・ユンソクの刑事役は、警察という「組織でこそ力を発揮できる組織」の一員にはとても馴染まない男である。検挙数や起訴数がそのまま手柄になり昇進に直結するとなれば、誰も暗数殺人などに興味は示さないだろう。では何故、キム・ヒョンミン刑事はテオの供述する暗数殺人に殊更に執着するのか。明確には語られないが、そこには死別した妻に対する愛情が感じられた。悪気はなく、むしろ善意から「結婚はしないのか?」と声をかけてくる同僚警察。だがヒョンミンにそのつもりはない。詳しい説明はなされないが、彼は妻を忘れていないし、忘れるつもりもない。だが、周囲は自分の妻がまるで最初から存在していなかったかのように扱う。そのギャップが刑事ヒョンミンの静かな原動力になっているかのような描写には唸らされた。最後に彼が語る刑事としての捜査の哲学は、韓国社会全体に向けたキム・テギュン監督のメッセージなのだろう。

 

本作のキーワードの一つに「再開発」というものがある。村落の墓地の再開発、アーバンスプロールによって無秩序になってしまった地域の再開発。そうした社会の姿勢は否定されるべきものではない。『 パラサイト 半地下の家族 』で注目されたエリアは再開発と保存の間で揺れていると報道された。開発は、それがsustainableなものである限り、許容されるべきとは思う。一方で、開発されることによってその痕跡を消し去られてしまう者も確実に存在する。

 

『 トガニ 幼き瞳の告発 』のように、韓国映画は実在の事件から着想を得るのが得意なようである。それはつまり、社会を揺るがすような事件は風化させてはならないという韓国映画人の気概の表れなのだろう。本作も同様である。少し異なるのは、大きなスポットライトを浴びた事件ではなく、そもそも日の目を見なかった事件の深淵に光を当てようという試みであることだ。これは現代日本にとっても関連が無いこととは言えない。COVID-19がどこか他人事のように扱われていた2020年2月~3月であったが、志村けんや岡江久美子といった「名前のある」人物が相次いで死亡したことで、国民全体に危機意識が急激に高まった。逆に言えば、名前のない人間が死亡しても、特に誰も気にしないということである。そして名前とは認知・認識の最たる道具である。余談だが、この「名前」というものに意識を持ちながら本作を観ると、名優キム・ユンソク演じる刑事キム・ヒョンミンにある瞬間に同化することができる。

 

認識されない。それは取りも直さず、その人間がいなくなったとしても社会が回っていくということである。だが、個人のレベルではどうか。御巣鷹山への日航機墜落事故、尼崎の福知山線脱線事故など、被害者の遺族の多くが望むのは「事故を風化させないこと」である。事件の被害者も同じだ。忘却しないこと。あなたという人間が存在したこと、その痕跡を消さないこと。それは推し進めるべきは分断ではなく連帯だという強力なメッセージであると思えてならない。

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ネガティブ・サイド

中盤にヒョンミンが失態を犯して、刑事から交番勤務の警察官に降格および左遷させられるが、ヒョンミンは気にすることなく捜査を継続する。果たしてそんなことは可能なのだろうか?交番勤務でも警察のデータベースにはアクセス可能だが、足を使った捜査は無理だろうし、何より上司に報告の義務があるだろう。それとも韓国の交番勤務の警察官は日本とはまったく違う仕組みで働けるのだろうか。エンドクレジット前の字幕で、キム・ヒョンミン(仮名)は2018年時点でも刑事として捜査継続中とされるが、こうした降格・左遷劇は脚色なのか。だとすれば少々やり過ぎである。

 

『 エクストリーム・ジョブ 』でブレイクを果たしたチン・ソンギュの活躍が少ない。コミカルな役から大悪人まで演じ分けられる遅咲きの役者だが、見せ場がいかんせん少ない。目立たないバディで終わってしまったのが残念である。

 

総評

韓国映画らしい骨太のメッセージと、娯楽映画として申し分のないサスペンスに満ちた良作である。社会の暗部から決して目をそらさないというあちらの映画人の哲学や思想信条を感じる。静のキム・ユンソクと動のチュ・ジフンの演技対決も見応えがある。映画館に足を運ぶ価値がある一作である。 

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ソンベ

先輩の意味である。先=ソン、輩=べ。『 建築学概論 』でも聞こえてきていたように思う。日本語も韓国語も結構な部分を中国語に負っていることは否めない。上下関係に厳しい韓国社会にも日本語と同じように「先輩」が存在する。階級社会の警察なら、辞めても関係は残る、または続くのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, キム・ユンソク, サスペンス, チュ・ジフン, チン・ソンギュ, 監督:キム・テギュン, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 暗数殺人 』 -名もなき死者への鎮魂歌-

『 チェイサー 』 -韓国版『 セブン 』+『 ソウ 』-

Posted on 2020年6月20日 by cool-jupiter

チェイサー 80点
2020年6月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ユンソク ハ・ジョンウ ソ・ヨンヒ
監督:ナ・ホンジン

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『 PMC ザ・バンカー 』のハ・ジョンウの出演作。鬱映画だと聞いていたが、この作品は確かに精神的にくるものがある。

 

あらすじ

元刑事のジュンホ(キム・ユンソク)はデリヘルを経営している。しかし、所属する女性二人が行方をくらます。誰かに売り飛ばされたと直感したジュンホはミジン(ソ・ヨンヒ)使って独自におとり捜査を開始。自店に他店にも記録のあるヨンミン(ハ・ジョンウ)という客をジュンホは追走して捕まえるが・・・

 

ポジティブ・サイド

2000年代の作品だが、やはりここにも『 国家が破産する日 』の傷跡が見える。刑事を辞めて、どういうわけかデリヘル経営者になっているジュンホが、最初は自社の商品を誰かに奪われていると憤慨し、行動を起こす。それが徐々に、社会的な弱者を自分が守らねばという使命感へと変わっていく。警察はあてにならない。所詮は権力者の犬である。ナ・ホンジン監督のそんな信念のようなものが物語全体を通じて聞こえてくるようである。

 

それにしても、ジュンホ演じるキム・ユンソクの妙な迫力はどこから生まれてくるのか。『 オールド・ボーイ 』でオ・デスを演じたチェ・ミンシクもそうだが、一見すると普通のオッサンが豹変する様は韓国映画の様式美なのか。『 アジョシ 』の悪役、マンソク兄のように三枚目ながら、やることはえげつない。こうしたギャップが、決してlikeableなキャラクターではないジュンホを、観ている我々がだんだんと彼のことを応援したくなる要因だ。最初の15分だけを観れば、ジュンホが主役であるとは決して思えない。むしろ、こいつが悪役・敵役なのでは?とすら思える。普通に社会のゴミで、普通に女性の敵だろうというキャラである。何故そんな男を応援したくなるのか。その絶妙な仕掛けは、ぜひ本作を観て体験してもらうしかない。アホのような肺活量と無駄に高い格闘能力も、何故か許せてしまう。なんとも不思議なキャラ造形である。

 

だが、キャラの面で言えばハ・ジョンウ演じるヨンミンの方が一枚も二枚も上手。『 殺人の追憶 』の真犯人はこんな顔だったのではないかと思わせるほど平凡な見た目ながら、その内面は鬼畜もしくは悪魔。このギャップにも震えた。それも『 羊たちの沈黙 』のハンニバル・レクター博士のような超絶知性のサイコパスではなく、『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』などのポン・ジュノ作品でも静かにフィーチャーされた知的障がい者を思わせる男で、どこまでが素なのかが全くつかめない。本当に知的に問題のあるキャラかと言うと違う。ミジン(そして、その前の二人も)を自宅に連れ込んで、あっさりと監禁してしまうまでの流れは、非常に知性溢れる犯罪行為である。けれど、警察の取り調べにあっさりと口を割ってしまうところなど、どこか幼い子どもを思わせる素直さ。これほど掴みどころのない猟奇殺人者はなかなか見当たらない。その語り口はどこか『 ユージュアル・サスペクツ 』のケビン・スペイシーを彷彿させる。実在の事件と犯人に基づいているというところに韓国社会の闇と、その闇に多くの人に目を向けてほしいという韓国映画人の気迫を感じる。

 

それにしても韓国映画のバイオレンス描写というのは、いったい何故にこれほど容赦がないのか。ミジンを殺そうと金槌で特大の釘を後頭部にぶち込もうとするシーンは、観ているだけで痛い。『 ソウ 』でとあるキャラクターが壮絶な自傷行為を行うシーンも視覚的に痛かったが、本作はもっと痛い。路上のチェイスでついにジュンホがヨンミンを捕らえ、マウント状態からアホかというぐらい殴るシーンも痛い。邦画にありがちな口から血がタラリといったメイクや演出ではない。顔が腫れる、出血する、傷跡が残る、痛みで目がチカチカする。殴られる側の痛みが観る側にまで伝染してくるかのような描写だ。

 

鬱映画とは聞いていたが、エンディングも救いがない。まさしく韓国版『 セブン 』である。奇しくもこれもケビン・スペイシーか。猟奇殺人者やシリアル・キラーの恐ろしいところは、殺人行為そのもの以上に、何が彼ら彼女らを殺人に駆り立てるのかが不明なところにある。弁護士との接見シーンでヨンミンが性的に不能だから、その腹いせに女性を殺したのだという説が開陳される。単純で分かりやすい説明だ。だが、ヨンミンの甥っ子の負った頭の大怪我はいったい何なのか。ヨンミンが女刑事の“性”を揶揄するシーンは何を意味するのか。宗教的なシンボルを半地下の部屋の壁に描きたくったのは、いったいどういう衝動に突き動かされたからなのか。ヨンミンという殺人鬼の内面に迫ることなく閉じる物語は、我々に圧倒的な無力感と敗北感を味わわせる。だが、その先に一縷の望みもある。社会の底辺に生きる者同士の連帯を予感させて、物語が終わるからだ。後味の悪さ9、光の予感1である。それでも光は差しこんでくると信じたいではないか。

 

ネガティブ・サイド

ギル先輩とその仲間たちとジュンホの絡みが欲しかった。何の説明も示唆もないままに、「またお前が何かやりやがったのか!」という態度は、下手をすると偏見や差別になりかねない。もちろん偏見や差別に対する糾弾の意味合いも本作には込められている。けれど、偏見・差別は関係性が全く存在しない相手との間に発生する傾向のあるものだ。彼らの態度は、悪を許すまじというある意味で度を超えた正義感の持ち主であるジュンホという人間へのまなざしではなく、デリヘル経営者という社会のはみ出し者への視線に感じられた。

 

ジュンホの部下であるチンピラは最後はどこに行った?素晴らしく良い顔の俳優である。この男の活躍をもっと堪能したかったのだが。

 

クライマックスの展開の引っ張り方が少々強引かつ冗長だった。検事から12時間以内に証拠を出せと言われて、タイムリミットが設定されているうちはよいが、それを過ぎてしまった後の流れとテンションが中盤から後半のそれに比べて、やや落ちた。

 

総評

傑作と評して良いのかどうかわからないが、それでも最後までハラハラドキドキを持続させる良作である。グロ描写や暴力描写が多めなので観る人を選ぶ作品だが、社会矛盾を穿つメッセージ性と、社会的弱者を救うのはまた別の社会的弱者という希望とも絶望とも取れる内容は、これまた観る人を選ぶ。サスペンスの面だけ見れば、迷うことなく傑作である。この緊張感はちょっと他の作品では得られない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アニ

日本語では「いいや」ぐらいの軽い否定語。アニアニ=いやいや、も韓国映画ではちらほら聞こえてくるような気がする。外国語学習のコツの一つに「はい」、「いいえ」と1~10の数字をまずは覚えろ、という教えがある(ボクシングジャーナリスト・マッチメーカー・解説者のジョー小泉)。なかなか機会は訪れないだろうが、韓国旅行や韓国出張の際に土産物屋であれこれ売りつけられそうになったら「アニアニ」と言ってやんわりと断ろう。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2000年代, A Rank, キム・ユンソク, サスペンス, スリラー, ソ・ヨンヒ, ハ・ジョンウ, 監督:ナ・ホンジン, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 チェイサー 』 -韓国版『 セブン 』+『 ソウ 』-

『 ルース・エドガー 』 -多面的な上質サスペンス-

Posted on 2020年6月10日2022年3月7日 by cool-jupiter

ルース・エドガー 70点
2020年6月7日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ケルビン・ハリソン・Jr ナオミ・ワッツ オクタビア・スペンサー
監督:ジュリアス・オナー

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“Black Lives Matter”の抗議運動は止まりそうもない。もちろん、良い意味で止まってほしいと切に願う。『 ハリエット 』で描かれた「地下鉄道」が黒人と白人の両方によって運営されていたように、差別する側が廃止する運動を起こさないことには、問題は解決しない。そしてかの国の白人大統領は市民に銃口を向けることを厭わぬ姿勢を鮮明に打ち出している。そんな中、アメリカからまたも秀作が送り出されてきた。

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あらすじ

ルース(ケルビン・ハリソン・Jr)は裕福な白人家庭に養子として育った優等生。だが、高校教師のハリエット・ウィルソン(オクタビア・スペンサー)はルースの書いたあるレポートをきっかけに彼の心の闇を嗅ぎつけて・・・

 

ポジティブ・サイド

物語の振り子があっちこっちにすごい勢いで振れていく。白人vs黒人というような紋切り型の対立軸はここにはない。あるのはできる黒人と落ちこぼれの黒人の対立軸、白人とアジア系の対立軸、血のつながった家族と養子縁組をした家族、とにかくそこかしこに火種・・・と言っては大げさだが、人間関係を緊張させる要素が潜んでいる。そうした人間関係の中心に位置するのがルースであり、彼の言動は学校や家庭といった水面に良い意味でも悪い意味でも常に波紋を呼ぶ。この見せ方は上手い。巧みである。日本の少女漫画を映画化した作品でも、完璧超人な男子キャラが学校の外ではトラブルや心の闇を抱えていることが多い。だが本作のルースは、その闇の深さや濃さを容易に周囲の家族や教師に悟らせない。いや、映画を観る者すらもある意味では彼に翻弄される。いったいルースは善量なのか、それとも悪辣なのか。彼が善だとすれば、様々な対立軸の総てにおいて善なのか。そうした観る側の疑問がそのまま劇中でサスペンスを盛り上げる。

 

見た瞬間に分かることだが、主人公ルースは黒人、両親は白人。ああ、養子なのか、ということがすぐに察せられるが、interracial marriageやinterracial relationshipsという言葉が存在するように、人種と人種の間には越えがたい壁、埋めがたい溝がある。そして戦争・紛争の絶えない地域で幼少期を過ごしたルースが、アメリカという“一見すると平和な国”に順応するのはたやすくなかったであろうことも容易に想像がつく。Jovianは両親に「子育てに見返りなんかないで。親からしたら、子どもが一人で歩いたり、言葉をしゃべったりしただけで満足や」と言われたことがある。このあたりが血のつながりと養子の差、違いなのかと少しだけ思う。無償の愛を注ぐ母エイミーと父ピーターが、実子ではないルースに対して疑念を生じさせていく過程には、胸が締め付けられるような悲しみと、怒りの感情が呼び起こされるような身勝手さの両方がある。両親、特に母エイミーの視点からルースの行動を見ると、思い通りにならない我が子への苛立ちの気持ちが、血がつながっていないからこそ増幅される、だからこそエイミーはそれを必死で抑え込もうとする、という二重の苦悩が見えてくる。いやはや、なんとも疲れる映画体験である。

 

だが最も我々を披露させるのはオクタビア・スペンサー演じるハリエットである。彼女自身、黒人として様々な経験を経て教師という職業に身を捧げている。同じ教育に携わる者としてJovianはハリエットの善意が理解できる。黒人にはそもそもチャンスがあまり巡ってこない。だからこそ、そのチャンスを確実につかめそうなルースをさらに引き上げるために、劣等生の黒人生徒を排除した。ハリエットはそれを善意で行っている。Jovianは映画を鑑賞しながら、岡村隆史の「コロナ後の風俗を楽しみにしよう」という旨の発言、そしてその発言の擁護者たちを思い起こしていた。「岡村は女性を貶めたのではなく、一部の人間を励まそうとしていた」という論理である。ちょっと待て。善意に基づいた言動なら、その結果が苦痛をもたらしても正当化されるというのか?これではまるで戦前の大東亜共栄圏建設のスローガンと同じではないか。そしてこのようなエクストリームな論理がある程度幅を利かせているところに、戦後75年にして、日本がいまだに“戦争”を総括できないという貧弱な歴史観しか持たないことを間接的に証明している。

 

Back to track. 教師たるハリエットの誤りは明白である。だがそのハリエットが、自身だけではなく身内に苛まれていることを、とてつもなくショッキングな方法で我々は見せつけられる。ハリエットの教育方法は本当に誤りなのか、ハリエットが一部の生徒に厳しく接することは彼女の罪なのか、と我々は自問せざるを得なくなる。

 

最終盤のルースの行動によって、我々は彼の本当の姿はこうだったのか!と、これまたショッキングな方法で見せつけられる。だが、ラストのラストで彼が取る行動、そして見せる表情には『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』のように自分から逃げようとしているかのようである。だが、彼が逃げようとしている自分とは誰か?善良な優等生ルースなのか、それとも狡知に長けた怪物なのか。その解釈は観る者に委ねられているのだろう。

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ネガティブ・サイド

D-runnerの正体が明かされない。かなり高い確率でデショーンなのだろうと思われるが、もう少しD-runnerがいったい誰なのかを示唆してくれる描写が欲しかったところ。この文字面だけでは drug-runnerに思えてしまい、かなり剣呑である。そういう効果を狙ってのことだろうが。

 

ステファニー・キムというキャラクターは素晴らしかったし、演じた役者も見事の一語に尽きる。だが、彼女にこそルース並みの演出を求めるべきではなかったか。本作は視点によって、また対立軸のこちらかあちらかで善と悪がころころと入れ替わる。そのことにキャラクターだけではなく観る側も振り回される。だが、ステファニー・キムのようなキャラクターこそ、劇中登場人物は振り回されるが、観ている我々は「ははーん、こいつは本当はこうだな」と思わせる、あるいはその逆で、登場人物たちは一切振り回されないが、観ているこちらはステファニーの本性、立ち位置について考えが千々に乱れてまとめようにもまとめられない、そんな工夫や演出があってしかるべきだったと思う。

 

本作は珍しく校長が無能である。いや、『 ワンダー 君は太陽 』や『 ミーン・ガールズ 』でも分かるように、アメリカの校長というのは有能、または威厳の持ち主でないと務まらない。なぜこの人物がこの学校で校長をやっているのか、そこが腑に落ちなかった。

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総評

秀逸なサスペンスである。現代アメリカ社会の問題がこの一本に凝縮されている。こうした作品を鑑賞することは、現代日本人にとって決して無駄なことではない。日本の小学校では両親の片方が日本人、もう片方がフィリピン人、ブラジル人、イラン人という生徒が増加傾向にある。そのこと自体の是々非々は問わない。しかし確実に言えることは、いずれそうしたinterracialな出自の子たちの中から超優等生が生まれてくる、ということである。日本の学校、そして社会・国家はそうした子をどう受容するのか。本作は一種の教材であり、未来のシミュレーションでもある。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

keep ~ in the loop

常に~を情報共有の輪に入れておく、のような意味である。作中では母エイミーが息子ルースに「私たち、最近keep each other in the loopができてなかったでしょ」と言っていた。日常生活で使っても良いが、どちらかというとビジネスの場で使うことが多いように思う。単にin the loopという形でも使われることが多い。実際にJovianの職場でもイングランド人が“Why am I not in the loop?”と立腹する事案が先日発生した。同僚や家族、友人とはkeep each other in the loopを心がけようではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, オクタビア・スペンサー, ケルビン・ハリソン・Jr., サスペンス, ナオミ・ワッツ, 監督:ジュリアス・オナー, 配給会社:キノフィルムズ, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ルース・エドガー 』 -多面的な上質サスペンス-

『 悪魔の倫理学 』 -Demons live inside us-

Posted on 2020年5月3日2020年5月3日 by cool-jupiter

悪魔の倫理学 60点
2020年5月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ジェフン ムン・ソリ
監督:パク・ミョンラン

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近所のTSUTAYAで『 悪魔を見た 』が借りられていたので、すぐそばにあった本作をチョイス。これはこれでなかなかの出来栄えだった。韓国人は内面と外面が演技に直結しているのがいい。

 

あらすじ

女子大生のジナが死んだ。殺害されたのだ。それにより、ジナと不倫関係にあった大学教授、ジナの生活を盗聴することに喜びを感じる警察官の隣人、そしてジナに多額の借金を押し付けるヤクザ者、それぞれの悪魔的な内面が露わになっていき・・・

 

ポジティブ・サイド

どいつもこいつも、清々しいまでに嫌な奴らである。『 アウトレイジ 』の【 全員悪人 】ならぬ【 全員嫌な奴 】である。そうした連中を見ていても、腹立たしい気分にならない。これは凄いことである。大学教授や警察官は往々にして嫌味ったらしい人種であるが、嫌味ったらしさ全開でいることが、時に同情的に、時に滑稽に映る。そのすべてがサスペンスフルな終盤につながっていく。

 

印象的なのは高利貸しの男。長広舌からの女性への暴言および暴力、そして「 我怒る、ゆえに我あり 」という哲学者デカルトのパロディ。「ラテン語では・・・」のくだりが途中で終わってしまったので、第二外国語で古典ラテン語を学んだJovian先生が補足する。“Irascor ergo sum”= I get angry, therefore, I am. 韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

警察官で盗聴魔の男も魅せる。日本でリメイクするなら、この役は伊藤淳史で決まりだろう。警察官でありながらも盗聴という犯罪行為にのめりこむ。その背徳的な快楽に抗えない、非常に情けない様を見事に体現した。こういう色々なものを内に秘める、溜め込むタイプほど、爆発すると怖いものである。そして実際に爆発した。これも韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

大学教授のオッサンもキャラが立っている。中年のプロフェッサーが若々しい女子大生と関係を持つというのはこれ以上ないクリシェであるが、本作でこの教授を際立たせているのは、妻の存在とその関係性であろう。不倫した夫に、「プロポーズの時の言葉を思い出せるか?」と問うのは、古今東西のクリシェである。ドラマの『 スウィート・ホーム 』でも、布施博がしどろもどろになりながらも、何とか山口智子に正解を伝えたシーンを当時10代半ばの純粋純情純朴だったJovian少年は緊張感をもって眺めていた。「浮気はしたらあかんな。もし浮気しても、初心を忘れたらあかんな」と思ったものである。この大学教授のプロポーズの言葉は、多くの男から喝采と共感を集めることであろう。彼こそ、男の中の男である。男はよく頭と性器それぞれに脳があるなどと言われるが、蓋し真実であろう。世の男性諸氏は、この大学教授に共感するか、それとも反感するかを、よくよく分析されたい。それにより自分の心根が見えてくる。教授という非常なるインテリ人種が、下半身に支配されているという事実に、我々はほくそ笑むと同時に心胆寒からしめられるのである。

 

だが、『 悪魔の倫理学 』という邦題の“悪魔”が指す存在は別にいる。ボワロー&ナルスジャックの小説『 悪魔のような女 』を例に挙げるまでもなく、「悪魔のよう」という形容詞はしばしば女性に使われる。小悪魔的、という語は好個の一例だろう。日本語でも、我々はしばしば「鬼嫁」とか「鬼婆」とか、鬼という言葉を女性につけるではないか。既婚女性を「鬼女」と略すのもむべなるかな。男というのはアホな生き物であり、女性というのは悪魔的にしたたかな生き物である。これまた韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

ネガティブ・サイド

盗聴という隠微な趣味を描写するのに、もう少し別の演出方法があったのにと思う。ジナの寝室からの嬌声を聞くことにこの上ない喜びを見出すのに、ジナの声をダイレクトにオーディエンスに聞かせるのではなく、イヤホンからほんのわずかにその声が漏れ聞こえる。そして、その声に恍惚とした表情で聞き入るイ・ジェフンを映し出せなかったか。『 建築学概論 』でも、なかなか意中の女子とお近づきになることができなかった男子大学生的に、あるいは『 アンダー・ユア・ベッド 』的な、触れたくても触れられない、あるいはそもそも触れなくても満たされてしまう。そんな屈折した性癖を、もっと効果的に演出することができたはずだ。もっと言えば、盗撮は必要なかった。やるとすればどちらかだけで良い。

 

誰もかれもがキャラが立っているのは本作のポジティブであるが、キャラが立ちすぎているせいでストーリーがなかなか前進しないところも少々気になった。キャラを映すことが、ストーリーの発展とイコールにならないところはマイナスである。

 

とある血の海のシーンは決定的にダメだ。カメラが映り込んでしまっている。一部の例外的な映画を除いて、カメラの存在を観る側に意識させた時点で負け、失敗作なのである。ましてや、カメラをうっすらレベルではなく、これほどはっきりくっきりと映してしまったというのは、本作の製作・編集上の大失敗である。

 

総評

こういう作品は、だいたいにおいて言葉と言葉のぶつかり合いで男たちは自分の思いの丈、思慕の念の深さを競い合うものだが、韓国映画はそんな生ぬるいやり方は好まない。きわめてフィジカルなやり取りにまで行き着く。クライマックスの、文字通りの意味でのタマの取り合いは非常にエキサイティングだ。そしてそれ以上に、エンディングのシークエンスは、我々善良かつ小心な男性を震わせる。途中の展開がもたつくが、a rainy day DVDとして鑑賞するのが良いだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I think, therefore I am.

中世フランスの哲学者デカルトの思想の根幹、「我思うゆえに我あり」である。ラテン語ではCogito ergo sum. である。I ~, therefore I am. はパロディ化するのに適したテンプレートである。自分で

I eat, therefore I am.

I work, therefore I am.

I study, therefore I am.

などと自分バージョンの格言を作ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イ・ジェフン, サスペンス, ムン・ソリ, 監督:パク・ミョンラン, 韓国Leave a Comment on 『 悪魔の倫理学 』 -Demons live inside us-

『 エンドレス 繰り返される悪夢 』 -韓流タイム・ループの佳作-

Posted on 2020年4月13日2020年9月20日 by cool-jupiter

エンドレス 繰り返される悪夢 65点
2020年4月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ミョンミン ピョン・ヨハン チョ・ウニョン
監督:チョ・ソンホ

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COVID-19の感染爆発の重大局面(というかすでに爆発してるでしょ・・・)により映画館はどこも休業。仕方がない。家のテレビでDVDやAmazon Prime Videoを観るしかないのである。家ではどうしても他に気を取られることがある。なので、軽めのシチュエーション・スリラーでも観るか、と本作を借りてきた。

 

あらすじ

外国帰りの心臓血管外科医のジュニョン(キム・ミョンミン)は娘との待ち合わせ場所に急いでいた。しかし、娘は交通事故により死亡。次の瞬間、ジュニョンはソウル到着前の機上の人に戻っていた。再び、娘の元に向かうジュニョンだが、やはり娘は死んでしまう。ループするたびに何とか手を尽くすがジュニョンはどうしても娘を助けられない。だが、そこのもう一人ループしている男、ミンチョル(ピョン・ヨハン)も加わり・・・

 

ポジティブ・サイド 

タイムループものは、タイムトラベルものや記憶喪失ものと並んで、出だしの面白さが保証されているジャンルである。ただし、話のオチをつけるのが難しい。その意味では、本作はかなり健闘している。『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』と同じような展開、つまりだんだんと主人公がタイムループ現象を理解し、理詰めで少しずつ状況を打開していく流れは、説得力がある。

 

序盤のジュニョンの試行錯誤が、観る側が「ここで、こうしてみたら?」というアイデアとかなり一致するのは非常に心地いい。観ていてストレスになるようなアホな行動をジュニョンがとらないのもポイントが高い。成功しないと分かっていても、ジュニョンを応援したくなるのだ。チョ・ソンホ監督、なかなかの手練れである。

 

謎解き要素だけではなく、適度なアクションやカーチェイスもあり、単純に画面を眺めているだけでもそこそこ楽しめる。またネタバレを極力避けて書くが、本作を動かしていく三人の男たちの熱演は、相当数の男性の共感を得ることだろう。ある者は父親として、ある者は夫として、またある者は高い倫理観を備えたプロフェッショナルとして、彼らの物語を見つめるだろう。ヒューマンドラマとしても、一定の水準に達している。

 

ネガティブ・サイド

タイムループ現象に関して論理的な説明を求める向きには不適な作品である。例えば小林泰三の短編『 酔歩する男 』を読んで、「ふざけるな!」と憤慨するようなSFファンは決して本作を観るべきではない。

 

また一部のキャラクターが常軌を逸した行動をとり続けるが、そうした行動の過激さに眉をひそめるような向きにもお勧めはできない。というか、エクストリームさが特色の韓国映画全般に当てはまることだが、大袈裟な事柄を「大袈裟すぎる」として、現実的・理性的な描写を求めるのはお門違いである。

 

結構なゴア(血みどろ)の描写もあるので、耐性のない人は注意のこと。

 

総評

凡百のタイムループものかと思いきや、意外な掘り出し物である。『 殺人の告白 』からアクションシーンを極力減らして日本風に料理した『 22年目の告白 -私が殺人犯です- 』ように、邦画界にはぜひ本作のリメイクにトライしてほしい。その時は『 ブラインド 』を見事に換骨奪胎して『 見えない目撃者 』を作り上げた森純一監督にメガホンを託したい。コロナで引きこもるなら、本作をウォッチ・リストに加えられたし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ネガ

韓国語で「私が」「僕が」の意味である。韓流ドラマや韓国映画でしょっちゅう聞こえてくるのでご存じの方も多いことだろう。「ネガ+動詞」のパターンを身に着ければ、動詞のボキャブラリーを増やすだけで表現力も増す。語学学習の王道は、一定のパターンに一つずつ習熟していくことである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, キム・ミョンミン, サスペンス, スリラー, チョ・ウニョン, ピョン・ヨハン, ミステリ, 監督:チョ・ソンホ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 エンドレス 繰り返される悪夢 』 -韓流タイム・ループの佳作-

『 トガニ 幼き瞳の告発 』 -精神的に削られる傑作-

Posted on 2020年4月11日 by cool-jupiter

トガニ 幼き瞳の告発 80点
2020年4月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ チョン・ユミ
監督:ファン・ドンヒョク

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心斎橋シネマートに行くことができないので、近所のTSUTAYAでずっと気になっていた作品をレンタル。傑作であったが、鑑賞には精神的なスタミナが必要である。2時間の作品を全て観るのに、三日を要してしまった。

 

あらすじ

恩師の紹介で地方の聴覚障がい者学校に赴任した美術教師カン・イノ(コン・ユ)は、そこで校長や教諭による生徒への性的虐待や暴行が行われていることを知る。人権センターの活動家ユジン(チョン・ユミ)と共に、彼らを告発するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 岸和田少年愚連隊 』ならば笑い飛ばせるような教師から生徒への暴力も、聴覚障がい者への平手打ち連発やストンピングというのは笑えない。最初こそ憤りを感じたものの、だんだんとそれが恐怖に代わり、最後には吐き気になった。2時間5分の映画なのに、開始35分の時点で、もう観る側の精神はズタボロである。容赦のない体罰、いや暴力、虐待の嵐が吹き荒れている。そんなシーンの直後に挿入される無邪気な天使の笑顔。この落差は何なのだ。ここから勧善懲悪物語が本格的にスタートするのだという予想はしかし、見事に裏切られる。開始54分ちょうどで、ホラー映画的な展開に。初日はここで観るのをいったんストップしてしまった。近所のTSUTAYAで色々と借りてきたのはよいが、観る順番を間違えたようである。

 

それでもカン先生やユジンの尽力もあり、悪徳教師らを一気に逮捕。裁判に持ち込んだまではいいが、ここでも精神を削られる展開が。『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』のオープニングで、車イスの軍人に「起立して右手を上げて宣誓しなさい」と軍事法廷の裁判官が述べ、瞬時に己の愚を悟り、謝罪するシーンがある。対照的に、本作の裁判長(野間口徹によく似ている)は聴覚障がいの傍聴人らに口頭で注意をし、「手話通訳をつけてほしい」と叫ぶユジンを容赦なく退廷させる。公正公平な裁判制度とは何なのか、慨嘆させられる。そして、見た目だけではすぐに分からない障がいの持ち主に対する配慮のあるべき姿についても考えさせられる。『 37セカンズ 』という良作が邦画の世界でも生み出されるようになってきた。今こそ『 レインツリーの国 』のようなファンタジー・ロマンスではなく、聴覚障がい者による骨太の人間ドラマの制作が待ち望まれる。

 

それにしても、暴力シーンにせよレイプシーンにせよ、子ども相手にここまでやるのかと心配になってくる。『 PERFECT BLUE 』の暴行凌辱シーンの撮影では、男優が未麻を気遣うシーンが見られたが、韓国の子役たちのメンタルケアは万全なのだろうか。まあ、万全だからこうして公開されているのだろうが、『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』が言うところの【そこまでやるか、韓国。ついていけるか、日本】である。少女が無理やり手籠めにされるだけではなく、男性が少年を“愛でる”シーンは、凡百のホラーよりもよほど恐ろしいシーンである。観ていて本当に胸が締め付けられるような苦しさを感じる。特にミンス役の子の泣きと嗚咽の演技には魂を持っているかれそうになった。障がいを持つ子どもの演技としては『 ギルバート・グレイプ 』におけるレオナルド・ディカプリオに並ぶと感じた。子役だけではなく大人も見せる。特にユン・ジャエ先生、怖すぎである。日本で同じレベルの狂気の演技にトライしてほしいのは市川実日子か。時にgoing overboardな韓国俳優の演技であるが、本作ではその過剰なまでの演技が物言えぬ子どもらとのコントラストを特に際立たせた。

 

クライマックスの法廷からエンディングまでは『 黒い司法 0%からの奇跡 』的な展開を期待させてくれる。そして我々は地獄に突き落とされるような気分を味わう。このような気持ちになったのは、カトリーヌ・アルレーの小説『 わらの女 』や江戸川乱歩の小説『 陰獣 』を読んで以来・・・というのは大袈裟かもしれない。だが、この報われないエンディングこそが、公開当時の韓国社会を突き動かす原動力となったのだろう。『 殺人の追憶 』もそうだが、優れた映画というのは商業的・芸術的な媒体には留まらないものなのである。

 

ネガティブ・サイド

主人公の動きがとろい。もたもたしすぎである。ネチネチと小言を言う母親との絡みも中途半端であるように思う。カン先生の父性を描写するために、敢えて父性の欠如を描くのは悪いアイデアではない。ただ、子どもを病弱にする必要はなかった。言葉はアレだが、カン先生の子どもは健常な健康優良児に設定すればよかった。

 

またカン先生の恩師の教授に、もっと善人っぽい顔の人をキャスティングできなかったのか。普通っぽい人であるせいで、恩師からのプレッシャーがカン先生にそれほど強く重くのしかからないように見えてしまった。

 

総評

社会性と娯楽性(良い意味でも悪い意味でも)を兼ね備えたコリアン・ムービーの傑作である。この映画の公開を機に、事件の再捜査と法整備がなされ、再審理も行われたという。現実の事件が映画となり、映画が現実に影響を及ぼす。韓国社会における映画がどういったものであるのかを垣間見ることもできる。作品としては、非常に素晴らしい出来であるが、repeat viewingをしたいとは一切思わない。それほど精神的にキツイ映画である。鑑賞前後にメンタルを整える準備をされたし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

ペゴパ

「おなか減った」の意である。語尾を上げて、ペゴパ?(⤴)とすれば疑問文にもなる。韓国旅行(2021年以降か)で地元の食堂などに入った時に使ってみようではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, コン・ユ, サスペンス, チョン・ユミ, 監督:ファン・ドンヒョク, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 トガニ 幼き瞳の告発 』 -精神的に削られる傑作-

『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

Posted on 2020年3月17日2020年9月26日 by cool-jupiter

殺人の追憶 80点
2020年3月15日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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シネマート心斎橋がポン・ジュノ特集を再開してくれたおかげで、本作を劇場鑑賞することができた。ポン・ジュノは異才・異能の持ち主である。人間の内面をこれほど透徹した目で見つめられるのは、映画監督というよりも哲学者、芸術家気質だからではないだろうか。

 

あらすじ

時は1986年、場所はソウルのはずれの田舎町。同じ手口による女性の連続殺人事件が起こる。捜査を担当するパク刑事(ソン・ガンホ)は、ソウル市内から派遣されてきたソ・テユン刑事と対立しながらも捜査を進めていく。だが、それでも殺人事件は起こり続け・・・

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ポジティブ・サイド

韓国映画のごく大雑把な特徴は、描写のリアリティとエネルギーである。特に暴力に関しては、全く逃げることなく容赦のない演出を繰り出してくる。ただ単にバイオレンスを映し出しているわけではない。一方が他方に無条件に暴力をふるうことができるのは、そこに力の不均衡があるからである。それは例えば警察という国家権力の後ろ盾を持った組織に属していることであったり、あるいは相手が知的障がい者であったりするからである。ポン・ジュノが本作(そして彼の作品に通底するテーマとして)を通じて描き出し批判するのは、暴力の発生を触媒する理不尽な社会的および心理的なメカニズムである。

 

そのことはソン・ガンホ演じるパク刑事とソ・テユン刑事のほとんどと言っていいほど噛み合わないコンビネーションによって表現されている。根拠がまったくないにも関わらず観相術の達人を自称するパク刑事は、初対面のソ・テユン刑事に勘違いからドロップキックを浴びせ、しこたまパンチも食らわせた。つまりは人を見る目もなく、人の話も聞かないダメ警察官である。一方でソ・テユン刑事は冷静沈着かつ理知的で、「書類は嘘をつかない」を信条に、科学的に、理性的に捜査を進めていく。模範的な刑事と言えよう。だが、ある時点から、この二人の属性のバランスが逆転していく。どんどんと冷静になっていくパク刑事、どんどんと理性を失い暴力に走り出すソン刑事という具合に。その過程が、お互いの捜査の進捗によって可視化されている点が非常にユニークだ。特にパク刑事は「犯人には陰毛が生えていない」という仮説に基づいて、銭湯をはしごする様は滑稽である。だが本人はいたって真面目なのだ。同時に、老若男女に丁寧に聞き込みをし、ほんのわずかな手がかりも逃さず、着実に事件の真相に迫っていくソ刑事は、まっとうな捜査を進めていくほどに暴力への衝動に抗えなくなっていく。この対比が実によく描けている。暴力を食い止めるために暴力が必要なのか。暴力を食い止めるためには非暴力をもってせねばならないのか。ポン・ジュノが投げかける問いに答えは出せない。

 

本作は映画の技法の面でも粋を凝らしている。特に冒頭、現場保全をしようと大声で周囲に注意しまくるパク刑事のロングのワンカットや、スナックでの口論から所長の嘔吐までのワンカットが印象的だ。また、犯人と思しき男との路地裏の追跡劇、そして犬の遠吠えまでのサスペンスあふれるシークエンスは岩代太郎の音楽の力も大きい。犯行がしばしば灯火管制の夜に行われるというのも興味深い。町の暗さに感化されて、人間の内面の闇が暴れだすのか、それとも人が住居にこもるのをチャンスとばかりに犯行に走るのか。

 

ミステリ作品としても秀逸。日本語とも共通する韓国語のとある言語的特性を巧みに使った伏線は見事(Jovian嫁は即座に見破っていたようだが・・・)。被疑者の身体的な特徴と犯行に使われた道具との間の矛盾を的確に指摘するソ刑事の味がいい。また、とある条件のそろった日に殺人を重ねるというのは映画『 ミュージアム 』の元ネタになったのではないかとも感じた。

 

最後の最後にソン・ガンホが見せる表情。すべてはこれに尽きる。後悔に驚愕、そして疑惑と確信を両立させる渾身の顔面の演技である。これによって我々はパク刑事やソ刑事の経験した内面の変化、すなわち暴力衝動が劇中のキャラクターたちだけのものではなく、自身の内面に潜む闇として確かに存在するものであるという真実を突きつけられるのである。このような形で第四の壁を突き破って来るとは、ポン・ジュノというのはつくづく稀有なクリエイターである。

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ネガティブ・サイド

ソ刑事が寝落ちしてしまうシーン、そしてその後に車のエンジンがかからずに、被疑者を乗せたバスを追跡できなかったというシーンが、かなりご都合主義的に見えた。交代制で見張っている言われていたし、刑事は基本的に単独行動はしないものだ。車のエンジンがかからないというのも、それ以前になんらかのそうした前振りとなる描写が必要だった。

 

犯行のパターンが解析できたところで、なぜラジオ局に働きかけないのか。特定の手紙を受け取ったら警察に連絡するように言えるはずだ。Jovianが警察署長あるいは担当の刑事なら絶対にそうする。頭脳明晰なソ・テユンの考えがそこに至らなかったというのは少々信じがたい。

 

最後に、チョ刑事の足はどうなった?

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』以上、『 母なる証明 』に並ぶ大傑作である。重ねてシネマート心斎橋に感謝。劇場支配人の鑑賞眼の鋭さと商売人として機を見るに敏なところ、その両方のおかげで本作を大スクリーンで鑑賞できた。このレベルの邦画は、黒澤明とは言わないまでも小津安二郎まで遡らなくてはならないのではないか。邦画は10年前の時点で既に韓国映画に抜かれていたようである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チョンマリヤ?

「本当か?」の意である。これも劇中で何度も出てくるので、把握しやすい。チョンマル=本当、となるようだ。関西弁の「ホンマ」と音がそっくりである。ヤというのは中国語・漢文で言うところの「也」だろう。これをつけて語尾をrising toneにすれば疑問文の出来上がりである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, ヒューマンドラマ, ミステリ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:シネカノン, 韓国Leave a Comment on 『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』 -完全にネタ切れ-

Posted on 2020年3月10日2020年9月26日 by cool-jupiter

スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 40点
2020年3月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:千葉雄大 成田凌 白石麻衣
監督:中田秀夫

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前作『 スマホを落としただけなのに 』の続編。前作はスマホという文明の利器の闇を描いたという点では意欲的な作品だったが、本作はただのハッキング+シリアル・キラーもの。それも先行する作品のおいしいところばかりを頂戴して、ダメな料理を作ってしまった。

 

あらすじ

刑事の加賀谷(千葉雄大)が天才ハッカーにしてシリアル・キラーの浦野(成田凌)を逮捕して数か月後。浦野が死体を埋めていた山中から新たな死体が発見される。浦野は加賀谷に「それはカリスマ的なブラック・ハッカー、Mの仕業ですよ」と語る。時を同じくして、加賀谷の恋人である美乃里(白石麻衣)に魔の手が忍び寄っていく・・・

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ポジティブ・サイド

千葉雄大が前作に引き続き好演。闇を秘めたキャラであると見ていたが、それなりに納得のいくバックグラウンドを持っていた。こういうところでも、日本は律義にアメリカに20年遅れている。しかし、こうしたことがリアルに感じられるのも現代ならではである。最近、自動相談所が小学生女児を親の元に帰してしまったことで悲劇が起きたが、こうしたことは実は全国津々浦々で起こってきたのではないか、そして見過ごされてきたのではないか。そうした我々の疑念が、加賀谷という刑事の背景に逆に説得力を持たせている。

 

白石麻衣、サービスショットをありがとう。

 

役者陣では、成田凌の怪演に尽きる。まあ、ハンニバル・レクターもどき、もといハンニバル・レクター的アドバイザーを体現しようとしているのは十分に伝わってきた。犯罪を楽しむ、いわゆる愉快犯ではなく、社会的な規範にそもそも収まらない異常者のオーラは前作に引き続き健在だった。千葉と成田(というと地名みたいだが)のファンならば、劇場鑑賞もありだろう。

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ネガティブ・サイド

何というか、ありとあらゆる先行作品を渉猟しまくり、あれやこれやの要素をパッチワークのようにつなぎ合わせたかのような作品という印象を受けた。『 羊たちの沈黙 』のハンニバル・レクターとスターリング捜査官の関係、『 トップガン 』のマーヴェリックの入隊理由、『 ハリー・ポッターと賢者の石 』のスネイプ先生など、さらには高畑京一郎の小説『 クリス・クロス 混沌の魔王 』および『 タイム・リープ あしたはきのう 』の「あとがきがわりに」に登場する江崎新一など、メインキャストの二人、千葉と成田を評すにはクリシェ以外の言葉がなかなか見当たらない。千葉は童顔とのギャップで、成田は持ち前の演技力でなんとかこれらの手あかのつきまくった設定を抑え込もうとしたが、残念ながら成功しなかった。作品全体を通じて感じたのは、スリルでもサスペンスでもなく退屈さである。

 

凶悪な犯罪者が野に放たれたままであるという可能性が高い。そいつを捕まえんと警察も全身全霊で奮闘するが及ばない。獄中の天才犯罪者の力をやむなく借りるしかないのか・・・ こうした描写があればストーリーに説得力も生まれる。だが、本作における警察はアホと無能の集団である。しかも、そうした設定に意味はない。単に観る側にネットやスマホの技術的な解説や悪用方法を説明したいからだけにすぎない。この室長(?)キャラはただただ不愉快だった。無能でアホという点では、浦野の監視についた脳筋的ギャンブル男もどうかしている。浦野の食事に嫌がらせをするから不快なのではない。相手が大量殺人鬼であると分かっていながら油断をするからだ。というよりも、PCを使うのに支障がない程度に、浦野は両手両足は拘束されてしかるべきではないのか。ハンニバル・レクター博士並みというのは大げさだが、それぐらい警戒しなければならない相手のはずである。だいたい、なぜ監視が一人だけなのだ?現実の警察(富田林署除く)がこれを見たら、きっと頭を抱えることだろう(と一市民として信じている)。

 

浦野がMを追う手練手管はそれなりに興味深いものだったが、ブログ解説はいかがなものか。いや、ブログの中身ではなく、ブログ記事執筆者としての加賀谷の写真をいつどうやって撮影したのか。シリアスな事件の捜査中に、笑顔でPCに向かう写真を撮ったというのか。考えづらいことだ。それとも合成・生成なのか。また【 Mに告ぐ 】というメッセージをクリックさせるという罠にはめまいがした。そんなもの、M本人がクリックするわけないだろう。ダークウェブに潜み、あらゆるネット犯罪に精通するカリスマ的ブラックハッカーが聞いて呆れる。そもそも、こいつが怪しいですよというキャラクターをこれ見よがしに登場させるものだから、すれっからしの映画ファンやミステリファンならずとも、Mを名乗る者の正体は容易に分かってしまう。こういうのはもう、スネイプ先生に端を発するお定まりのキャラである。

 

他にも珍妙な日本語も目立った。脳筋ギャンブラーによる、ラーにアクセントを置く“ミラーリング”や、「とりあえずメール送った相手に注意勧告してください」(そこは注意喚起だろう・・・)など。撮影中、最悪でも編集中に誰も気付かないのだろうか?こんなやつらがサイバー犯罪を取り締まっているようでは、邦画の中での日本の夜明けは遠いと慨嘆させられる。

 

後はリアリティか。獄中生活が長い浦野が、毛根まで銀髪というのはどういうことなのか。最近の留置場は髪染めもOKなのだろうか。普通に黒髪でいいだろうに。

 

総評

ミステリやサスペンスものの小説や映画に馴染みがない人ならば、前作と併せて楽しめるのだろうか。ストーリーの根幹の部分は悪くないのだ。ネット社会、PC社会の闇というのは今後広がっていくのは間違いない。だが、そこに至るまでの過程に説得力がない。『 羊たちの沈黙 』とはそこが最大の違いである。続編作る気満々のようだが、原作者、脚本家、監督の三者で相当にプロットを練りこまないことには、さらなる駄作になることは目に見えている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

the most safest

劇中のダークウェブ侵入前にブラウザに上の表現を使った文章が現れていた。the most safestは、もちろん文法的には誤りである。the safestか、またはthe most safeとすべきだろう(後者のような形はどんどん受け入れられつつある eg. the most sharp, the most clearなど)。受援英語で the most 形・副 estと書けば間違いなく×を食らうが、実際にポロっとネイティブが使うことも多い表現である。Jovianの体感だと、the most awesomestという二重最上級が最もよく使われているように思う。受験や大学のエッセイ、ビジネスの場では使わないこと!

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, スリラー, ミステリ, 千葉雄大, 成田凌, 日本, 白石麻衣, 監督:中田秀夫, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』 -完全にネタ切れ-

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