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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: コメディ

『 エクストリーム・ジョブ 』 -会心の韓流コメディ-

Posted on 2020年1月6日2020年1月6日 by cool-jupiter

エクストリーム・ジョブ 80点
2020年1月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:リュ・スンリョン チン・ソンギュ
監督:イ・ビョンホン

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イ・ビョンホンが監督だと知って、「テレビドラマ『 美しき日々 』や映画『 マグニフィセント・セブン 』の俳優イ・ビョンホンが監督デビューしたのか」と思ったら、さにあらず。同姓同名の別人だった。だが、そんなことは全く関係なく本作は面白い。

 

あらすじ

コ班長(リュ・スンリョン)は、マ刑事(チン・ソンギュ)ら個性的過ぎる面々を率いて麻薬捜査を行っていたが、成果が上がらない。後輩には先に出世され、チームも解散の危機に。そんな時に、裏社会の大物が関わる麻薬取引を捜査することになる。張り込みの為にチキン屋を買い取るが、マ刑事がとっさに考案したカルビ用のタレとフライドチキンを合わせたメニューが大ヒットしてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

『 パラサイト 半地下の家族 』のような、笑いの中にシリアスさがあり、シリアスさの中に笑いがあるような作品ではない。本作は徹頭徹尾、笑いを取りにきている。刑事が勤務中に副業にいそしむコメディとしてはハリソン・フォード主演の『 ハリウッド的殺人事件 』(このタイトルは誤訳。正しくは『 ハリウッド殺人捜査課 』か『 ハリウッド殺人課 』だろう)があるが、そちらのスラップスティック具合よりも遥かに突き出て面白い。

 

オープニングのシークエンスから笑わせてくれる。麻薬をやっているちゃちなチンピラを捕まえるために颯爽と登場・・・しないのである。それだけではなく、相手を取り逃がし、捕まえたと思ったら、またも取り逃がし・・・ 『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭のシークエンスと真逆の進行であると言えば、その間抜けっぷりが伝わるだろうか。人の見た目や街並みが日本にそっくりでも、そこは厳然たる外国。日本人のような「武士は食わねど高楊枝」とはならない。メシをおごると言われれば、コ班長は後輩にだってホイホイとついていく。チームの面々も彼に続くことは言うまでもない。鶏料理屋を始めたあたりからマ刑事とジェフンのコミック・リリーフっぷりはさらに加速していく。そしてコ班長の家庭人としての顔。泣かせると同時に笑わせてくれる。『 国家が破産する日 』の町工場のガプス負債・・・ではなく夫妻のような心暖まるベテラン夫婦でありながら、そこからも容赦のない笑いを生み出してくる。このユーモアは独身者には分かるまい。既婚者は、笑いながら、背筋がうすら寒くなること請け合いである。また愛娘とも素晴らしい関係を築いているが、娘の小さい頃の夢にも爆笑必至である。とにかく班長がこうなのだから、その班のメンバーも推して知るべしである。どいつもこいつも一級のコメディアンである。

 

こんなダメダメな連中がどうやって大捕物を成し遂げようというのか。そこには絶妙の仕掛けがある。鶏肉を揚げているだけでは、連中が来店してくれるのをひたすら待つだけになる。しかし、宅配サービスをすれば、連中のアジトにすんなりと入り込めるではないか。その時に、あれをこうして、これをああして・・・という作戦会議に、やっと真面目に仕事をするのかと思いきや、ここでもストーリーは意外な方向へ。いったいどうやって収拾をつけるのかと考え込んだが、ここまでの全ての描写や演出に意味があったのである。そう、相手が麻薬取引の大物であることも、フライドチキンの味付けがカルビ用のタレであることも、その店がデリバリーを行うことも、全ては周到に計算された必然的な設定だったのである。Jovianはこの展開に、はたと膝を打った。脚本のムン・チュンイルの何という手練手管か。

 

クライマックスのアクションシーンは圧倒的である。中盤にも部屋住みのような連中同士のバトルがあったりするが、格闘の一瞬一瞬がかなり痛そうである。つまり、それだけ迫真の演技になっている。また敵方に女格闘家がいるが、フルコン空手を本気でやったらこうなるのかという圧倒的な強さ。土屋太鳳や山本舞香もなかなかのアクションスターだと思っているが、いかんせん手足の長さが・・・ まるでキム・ヨナと浅田真央の関係のようである。技術的に大きな差は無くても、すらりと伸びた四肢の分だけキム・ヨナの方がどうしても見映えがよかった。日本でもスレンダーでありながら、ハードな格闘アクションをこなしてくれる女優の登場を期待したい。

 

ダメダメだった班のメンバーがやっと本領を発揮する。面白いことに班の面々にテコンドー使いがいない。日本やタイの国技を披露してくれる。それは本作が自国の外のマーケットを意識しているからだろう。事実、非常に流暢な日本語が聞こえてくるシーンもあるし、アメリカや中国を軽くおちょくるようなシーンもある。素晴らしいサービス精神であり、フロンティア精神である。韓国で記録的な興行収入を揚げた・・・ではなく上げたのも納得である。

 

鶴橋で焼肉も良いが、鶏料理も捨てがたい。今度、サムゲタンを食べられる店にでも繰り出すとしようか。

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ネガティブ・サイド

警察署長がムン・ジェイン大統領に似ているのは偶然なのか、何か政治的な風刺なのだろうか。その割りには大した見せ場を作れていなかった。やるならきっちり政治も笑いに昇華してほしいものである。

 

全体を通して、BGMの音量が通常の映画よりもかなり大きかったように感じた。韓国映画だとこんなものだろうか。いや、世界的なマーケットを視野に入れているのであれば、BGMの音量などもグローバル・スタンダードを意識して調節すべきであると思う。本作はかなり耳を消耗させる。

 

総評

笑いに国境はないのだと感じる。同時に、コ班長の生き様にも痺れる。家庭人としても職業人としても、一人の中年男性としても、このような人間でありたいとほんの少しだけ憧れた。夫婦で観ても良し、カップルで観ても良し。新春から大いに笑おうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クレド

「けれど」、「だけど」、「しかし」などの逆接の接続詞。韓国ドラマや韓国映画でも最頻出の言葉である。日本語の「けれど」に発音がそっくりなので覚えやすい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, コメディ, チン・ソンギュ, リュ・スンリョン, 監督:イ・ビョンホン, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 エクストリーム・ジョブ 』 -会心の韓流コメディ-

『 カツベン! 』 -リアリティの欠落した駄目コメディ-

Posted on 2019年12月23日2020年9月26日 by cool-jupiter

カツベン! 30点
2019年12月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:成田凌 黒島結菜 永瀬正敏 高良健吾
監督:周防正行

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成田凌は個人的にかなり買っている。出演作の多さとパフォーマンスの高さから、2018年の国内最優秀俳優の候補にも考えていた。本作ではどうか。素晴らしい演技だった。しかし作品としてはダメダメである。

 

あらすじ

時は大正。染谷俊太郎と栗原梅子は、活動写真館に潜り込んでは活動写真を楽しんでいた。しかし、俊太郎はキャラメルを万引きしたことで捕まってしまう。時は流れ、俊太郎(成田凌)は泥棒一味の中でニセ活動弁士になっていた。アクシデントからカネと共に足抜けを果たした俊太郎は、正道に立ち返るべく、青木館という活動写真館に住みこみで働き始めるが・・・

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ポジティブ・サイド

今年の夏、大阪でJAZZ講談を聞いた時、玉田玉秀斎氏の話芸に驚嘆した。日本には数百年にわたる噺の伝統があり、それが外来の活動写真と結びついたのは必然であったとも言える。そこに周防監督が目を付けたのには、おそらく2つの事由がある。

 

一つには、映画と人々との関わりの変化である。『 アバター 』あたりから少しずつ、しかし本格的に興隆し始めた3D映像体験、IMAXやドルビーシネマといった映像や音響技術の進歩、さらに4DXやMX4Dといった視覚や聴覚以外の感覚にも訴える映画体験技術の導入と普及、さらにイヤホン360上映など、映画館や劇場という場所でしか提供できない価値が生み出されている。ケーブルテレビやネット配信など、映画と人々との距離や関わり方は過去10年で劇的に変化した。今一度、映画の原点を振り返ろう、そして日本の映画が世界的にも実は相当にユニークなものであったという歴史的事実を再確認しようという機運が、映画人たちの中で盛り上がったことは想像に難くない。

 

もう一つには、技術の進歩によって仕事を奪われることになる人間の悲哀の問題である。歴史的な事件としてのラダイト運動や、映画『 トランセンデンス 』のような科学者襲撃事件が起こる可能性は高いと思っている。AIが将棋や囲碁のプロを完全に上回り、レントゲンなどの画像の読影でも専門医を凌駕するようになった。今後10年、20年で消える職業も定期的なニュースになっている。また、RPAにより定型的な事務作業のほとんどが代替される時代も目前である。活動弁士だけではなく、映写技師や楽師といった職業がかつて存在し、映画という媒体の黎明期を支えていたという事実を顕彰することには意義がある。そこになにがしかのヒントを見出すことが、現代人にもできるはずである。

 

成田凌は2018年から2019年にかけて最も伸びた俳優の一人である。それを支える永瀬正敏や音尾琢真は(最後の最後を除いて)素晴らしい仕事をしたと思う。ポジティブな面は以上である。

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ネガティブ・サイド

本作は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』と同じく、一部の役者の演技力に頼るばかりで、プロットの面白さや細部のリアリティが突きつめられていない。非常に残念な出来である。

 

まず、関西人以外が作った、あるいは関西人以外が演じた役者の関西弁というのは、どうしてこれほど下手くそなのか。下手くそという表現が過激ならば、稚拙と言おう。大俳優の小日向文世にして「 血ぃは争えんな 」を「 地位は争えんな 」と発話してしまっている。関西弁は一文字語をしばしば伸ばして発音する。「 目 」は「 目ぇ 」、「 手 」は「 手ぇ 」、「 胃 」は「 胃ぃ 」、「 蚊 」は「 蚊ぁ 」となる。この時、抑揚はつかない。語尾に来る小文字の音程は前音のままとなるのが絶対的ルールである。関西以外の人はテレビなどで関西人の喋りに耳を傾けて頂くか、あるいは身近な関西出身者に尋ねてみて頂きたい。

 

また、最終盤で音尾琢真もやらかしている。ネタばれにならないと思うので書いてしまうが、「 手間かけやがって! 」という謎の日本語を吐く。文脈によってはこれも正しくなるだろう。たとえばお弁当箱を開けてみると、非常に凝った食事が入っていた時などは、弁当の作り手に感謝をこめて「 手間かけやがって 」と言うことはありうる。しかし、この場面は違う。正しい日本語は「 手間取らせやがって! 」か「 手間かけさせやがって! 」である。脚本段階のミスか?それとも、撮影段階に気付かなかった監督はじめスタッフのミスである。『 旅猫リポート 』でも不可思議な日本語があったが、邦画の世界にまで日本語の乱れが広がっているのだろうか。憂うべきことである。

 

大正時代の雰囲気を出そうと頑張っているのは分かるが、細部にリアリティが宿っていない。まず街が清潔すぎる。舗装されていない往来を人や自転車や大八車や自動車が行き交えば土ぼこりも舞う。しかし建物や看板がどれもこれもあまりにもきれいすぎる。作り物感がありありである。また、ネタばれにならない程度に書くが、当時の火消しや官憲がまったくの無能のように描かれているのは、いったい何なのか。現代の官憲の無能さを遠回しに揶揄する意図があるわけでもなさそうであるし、火消し=消防に周防監督はいったい何の不満があるというのか。

 

本作はコメディに分類されるべきなのだろうが、ギャグやユーモアに笑えるところが本当に少ない。タンス攻撃の応酬のいったいどこを笑えというのか。こういうのは吉本新喜劇の舞台のように、やりあう二者が同時に目に入ってこそ面白いのである。一回ごとにカットして場面転換しては面白さが激減してしまう。しかも、くどい。笑いというのは一瞬で喚起されるべきもので、何度も何度も同じことを繰り返して笑わせる手法というのは、故・島木譲二以外が使ってはいけないのである。

 

キャラクター造形もおかしい。俊太郎が活動写真の撮影に割り込むのは、子どものすることなので許せないこともない。しかし、万引きはれっきとした犯罪で、長じてから泥棒一味に加わることに違和感はない。問題は、「自分は騙されたのだ」という俊太郎の被害者意識である。『 ひとよ 』の斎藤洋介の言を借りるまでもなく、万引きは小売業の天敵である。俊太郎の幼少期の万引き常習者という背景は不要である。普通に梅子が引っ越していく。俊太郎はその後、騙されて泥棒の片棒を担がされる。どうしてこのような流れにならなかったのか。これで充分に納得できるはずだし、カネを奪って逃げたのも咄嗟のことで魔が差してしまったで説明できるはずだ。小さな頃から泥棒というのは、キャラクターの高感度を著しく下げるだけで、逆効果である。

 

クライマックスのカメラワークにも不満が残る。活動写真ではなく弁士や楽士のアップをひたすら映す意図がよくわからない。時代に翻弄された職業人たちであるが、これはドキュメンタリーや伝記ではないだろう。映すべきは彼らの仕事=彼らの遺産たる活動写真とそれを鑑賞、堪能する観衆たちとの一体感ではないのか。個々人の顔面を延々と映し出すことに芸術的な意味も娯楽的な意味も見出せない。本当に訳が分からないクライマックスである。

 

総評

『 それでもボクはやってない 』はまぐれだったのか。周防監督の手腕を疑問視せざるを得ない。成田凌のファンでなければ、チケット代と2時間をつぎ込む価値は認められない。時代の転換点に映画はどうあるべきかを考えるきっかけを与えてくれはするものの、それに対して一定の答えを出しているわけでもない。残念ながら駄作と評価せざるを得ない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let me do it.

俊太郎の言う「俺にやらせてください」の英訳である。Let は「させてやる」の意で、ビートルズの名曲“Let it be”やアナ雪主題歌“Let it go”でもお馴染みである。また『 ロケットマン 』でも“Don’t Let The Sun Go Down”が使われていた。つまり、よく使われる動詞ということである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, コメディ, 成田凌, 日本, 永瀬正敏, 監督:周防正行, 配給会社:東映, 高良健吾, 黒島結菜Leave a Comment on 『 カツベン! 』 -リアリティの欠落した駄目コメディ-

『 屍人荘の殺人(映画) 』 -原作をさらにライトに仕上げた映像作品-

Posted on 2019年12月15日2020年4月20日 by cool-jupiter

屍人荘の殺人 50点
2019年12月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:神木隆之介 浜辺美波 中村倫也
監督:木村ひさし

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『 屍人荘の殺人(小説) 』の映画化である。しかし、原作小説の忠実な映像化ではなく、一応ちょっとした変化を織り交ぜている。なので原作を読んだ人も、興味があれば映画館に足を運んでもよいだろう。それなりに面白い出来に仕上がっている。

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あらすじ

大学のミステリ愛好会の明智恭介(中村倫也)と葉村譲(神木隆之介)は、同じ大学の探偵少女・剣崎比留子(浜辺美波)の誘いで、ロックフェス研究会の夏合宿に参加することとなった。宿泊先は紫湛荘。しかし、その別荘が屍人荘に変貌。外部の人間も数人交えて閉じこもるメンバーたち。そこで密室殺人が起きてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

『 センセイ君主 』で強く感じたことだが、浜辺美波の真骨頂はコメディエンヌを演じることかもしれない。本作でも非常に理知的な探偵を演じながらも、本質的には普通のお茶目なところもある女子大生になれていた。

 

中村倫也は顔芸で、神木隆之介も心の声でコメディを盛り上げる。特にサノスばりの指パッチンは明智恭介というキャラの切れ者ぶりと間抜けっぷりの両方を描き出す効果的な演出となった。言わずと知れた明智小五郎の明智の名前を冠しているだけあり、高等遊民の雰囲気を醸し出している。そしてワトソン役の葉村は、心の声がダダ漏れの、ある意味では非常に等身大のミステリ愛好会員であった。ミステリの世界に浸り過ぎたせいで、可愛いあの子との距離の縮め方が分からないという、『 桐島、部活やめるってよ 』で橋本愛にドギマギしていたあの姿が思い起こされた。

 

原作小説からのキャラも、映画オリジナルのキャラも、本作ではとにかくユーモアを前面に押し出している。それはやはりとある「舞台装置」とのバランスの為なのだが、それが効果的に機能している要因に、昨年公開の邦画『 カメラを止めるな! 』が挙げられる。また韓国映画の『新感染 ファイナル・エクスプレス 』や『 ゾンビランド:ダブルタップ 』など、このジャンルは常に新しいアイデアが投入されるものだ。ここでもどういうわけか、とあるプロレスラーが参戦してくる。非常に滑稽であり、恐怖でもある。その比率は9:1で、もちろん滑稽が9で恐怖が1である。そこかしこで笑えるのが本作の大いなる特徴である。

 

グロいはずの描写もレントゲン写真的に処理され、グロ耐性の無い人への配慮がされている。これはありがたい。おかげでデートムービーに使うこともできる。推理を楽しみたいという向きにも、それなりにフェアな材料提示がされている。ライトなミステリ好きにとってもそこそこ楽しめるように作られている。

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ネガティブ・サイド

原作小説もそうであったが、ハードコアなミステリファンを唸らせるような出来にはなっていない。序盤でこれ見よがしに、とある人物の不在をアピールしたり、マスターキーを濫用したりと、少々過剰サービスとも思える描写や演出が気になった。また原作にはない明智の台詞、「事件はまだ起きてはいないが、犯人は分かった」という台詞は、原作を読んだ者にとっては完全なるノイズである。原作未読者でも、すれっからしの人であれば、すぐにピンと来たことだろう。ライトなファンへの配慮かもしれないが、ハードなファンには雑音である。このあたりのバランス感覚にもう少し敏感になることが木村ひさし監督には求められる。

 

また、ギャグの面で滑っているものもあった。「迷宮太郎」はその最たるものだろう。キャラクターにしても、原作ではマニアか学者かというキャラが、映画では『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』を鑑賞しながらニヤニヤしているだけ。また、このキャラの分析によって推理が進み、またサスペンスも生まれるのだが、そうした要素をほぼ全カット。ユーモアを前面に押し出してきたのは、サスペンス路線を放棄したからだという見方も成り立つ。事実、本作の「舞台装置」に対してのキャラクター達の対策はお粗末もいいところである。

 

また映画オリジナルの要素に関しては、現実的な感覚が欠けている。一番に思うのは、「スマホの画面ロックをしないのか?」である。この映画の一番の客層あたりは、この点だけで真相はともかくも犯人を当ててしまってもおかしくない。

 

原作にあったちょっとしたお色気どぎまぎ要素をキスに置き換えているにもかかわらず、肝心のキスシーンもなし。そこは比留子に大真面目な顔で『 覚悟はいいかそこの女子。 』の小池徹平と同じで投げキッスさせれば良かったのだ。そういうサービスシーンすら思いつかなかったのか。

 

最終盤に明智と比留子が再対決。そんなアホな。原作のマイナス要素だったシリーズ化への野望が、映画本編ではかなり薄まっていたにもかかわらず、ここでそれをやるか?しかも、自分が葉村ならば、この展開で比留子についていこうとは決して思わないだろう。続編(『魔眼の匣の殺人 』)も映画化するなら、少なくとも監督は変えてもらいたい。

 

総評 

浜辺と神木の掛け合いを楽しむ作品である。推理についてはライトなファン向け、○○○要素についてもライトなファン(このジャンルにそんな層が存在するのか疑問だが)向け。結局のところ、高校生や大学生カップルが一番の客層になるだろうか。悪い作品ではない。しかし手放しで褒められる作品でもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Awesome!

劇中の「すごい!」である。ただし、Awesomeは「すごい」、「素晴らしい」といった意味以外にも、リアクションで使われることも多い。

A: Can you get this job done by the end of the day?

B: Sure. No problem.

A: Awesome.

などのようにも使える。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, コメディ, ミステリ, 中村倫也, 日本, 浜辺美波, 監督:木村ひさし, 神木隆之介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 屍人荘の殺人(映画) 』 -原作をさらにライトに仕上げた映像作品-

『 生理ちゃん 』 -男性、観るべし-

Posted on 2019年12月6日2020年9月26日 by cool-jupiter

生理ちゃん 60点
2019年12月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:二階堂ふみ 伊藤沙莉 松風理咲 豊嶋花
監督:品田俊介

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性に関する情報や議論はずいぶんとオープンになってきた。「性癖」という言葉の意味も曲解されるようになって久しいし、LGBTを公言する人々や、そうした人々にフォーカスする作品も近年とみに増えてきた。だが、そのテーマはマイノリティとしての苦悩や葛藤という精神的なものだった。全人類の半分である女性の「生理」という身体的な現象を描いた作品というのは、本邦では史上初ではないだろうか。

 

あらすじ

編集者の米田青子(二階堂ふみ)は、仕事に追われながらも、恋人との交際も順調だった。しかし彼は二年前に妻と死別し、11歳の娘、かりんを抱えていた。かりんとの距離感をなかなか把握できない青子。そんな日々の中でも月に一度の「生理ちゃん」は律義にやってきて青子にボディブローを見舞う・・・

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ポジティブ・サイド

『 存在のない子供たち 』のゼインは、初潮を迎えた妹に対して、実にテキパキと行動した。このように即座にアクションを起こせる男性は日本にどれくらい存在するだろうか。医療従事者や研修を受けた学校教諭以外で、どれだけの男性が生理のメカニズムを理解しているのだろうか。本作は無神経な男性の代表として青子の上司を描くが、これは製作陣からの日本の中高年向けの痛烈なメッセージであるように思えてならない。男というのは生来アホな生き物であるが、可愛げのあるアホか、ただの嫌味なアホかで、男の価値は上下する。前者でありたいと切に願う。

 

本作は20代半ばと思しき青子、同年代と思しき山本さん、青子の妹での17~18歳のひかる、青子の交際相手、久保の娘で11歳のかりんらが、「生理ちゃん」と向き合っていくストーリーである。

 

青子にとっての「生理」とは、仕事の邪魔をしてくる厄介な存在であり、同時に自分は母親にまだなれていないことを示すサインであり、多くの人に望まれているわけでもないのにきっちり自分の役割を果たすバリキャリの象徴でもある。

 

山本にとっての「生理」は、性交をしなかったこと、すなわち身を寄せ合い一つになれる異性の不在を告げる忌々しい存在である。彼女は真正のヲタクであり、その事実が彼女自身の殻になってしまっている。演じた伊藤沙莉は『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』では場末のクラブではじけていたが、このような陰キャも見事に演じられるのかと感心させられた。

 

ひかるにとっての「生理」は、肉体的に性行為が可能であるということの証明であり、同時にそれが来たら性交は不可であるとのサインでもある。

 

かりんにとっての「生理」=初潮は、子どもという存在からの脱却の始まりである。母親の死からわずか2年のかりんは、「私はお母さんの子どもだ!」という事実に固執する。

 

四者四様に自身の生理現象と向き合う女性たちの物語は、性=セックスもしくは好きになるタイプの人間の嗜好性・志向性と規定されがちな現代において、非常に根源的である。Jovian含めアホな男たちは、彼女らへの思いやりを決して忘れてはならない。

 

『 ジョーズ 』や『 オペラ座の怪人 』をパロったBGMが使われたり、ファミコン・ソフトの【 アトランチスの謎 】や【 いっき 】に、アラフォーのJovian夫婦は映画館の片隅で盛り上がってしまった。自分と同世代の人間たちがクリエイティブな世界でも主導権を握るようになってきたのかと、エンパワーされたように感じた。

 

ネガティブ・サイド

『 空の青さを知る人よ 』でも、姉妹の物語が描かれたが、年齢の離れた姉はしばしば妹にとっては母親代わりとなる。青子を25歳と見積もれば、高3の受験生であるひかるとの年齢差は7~8歳。妹の様々なライフステージで青子が母親代わりに positive female figure の役割を果たしてきたはずではないか。かりんとの適切な距離を探るのに難儀するのは当然としても、そのことをまったくの初めての事柄のように捉えている姿には少々違和感を覚えた。

 

本作には生理ちゃんだけではなく、その他のゆるキャラも登場する。性欲くんはまだしも、童貞くんとは何なのだ?処女ちゃんがいないにも関わらず童貞くんが存在する世界というのは、バランスに欠けるのではないか。また、ひかるのボーイフレンドについて回る「性欲くん」があまりにもおとなし過ぎる。10代の男子の性欲など、ほとんど動物のそれと同じである。製作陣はほとんど全員男性のはずだが、なぜこのような大人しい描写に落ち着いてしまったのか、あるいは妥協してしまったのか。また、このボーイフレンドの「性欲くん」が呟く一つひとつのエロ単語が、あまりにも笑えない。いや、それらを単体で聞く分には充分に面白いのだが、この物語の中では不協和音である。ガールフレンドの部屋にいるなら「ブラチラ」、「パンチラ」、「うなじ」といったようなワードを呟きそうだが、実際の「性欲くん」のつぶやきはエロ動画につけられていそうなタグばかり。女性の女性性(=妊娠と出産が可能な生命体であること)をテーマにした作品なのに、女性の性的な部分だけを取り出して呟くような「性欲くん」のノイズであるように感じられた。製作した男性陣が、自身の男性性に向き合えていない証拠である。

 

また青子と父との会話のシーンにも不満が残る。高校生の愛娘が、部屋に男を招き入れているというのに、この父親はそのことを従容として受け入れているかのようだ。不器用な男であることは分かるが、無関心または鈍感である必要はない。ひかるのボーイフレンドに対して、複雑な感情を抱いているシーン、または青子の交際相手に関心を持つシーンが描けていないことで、男女のコントラストがぼやけてしまっている。本作には「夫」という属性が出てこない。それは「妻」が不在だからである。生理とは、母親への予感である。だからこそ、「父」という属性をもう一段上の鮮烈さで描く必要があったと思えてならない。そこが残念である。

 

総評 

『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』は、インド社会の慣習や因習の打破を願った傑作であったが、女性の身体的な苦痛やストレス、また生理によって否応なく思い知らされる生殖機能までは描いていなかった。本作はそこを描いた。本作は中国や台湾でも配給されるとのこと。日本人の男性が原作を描き、日本人男性がそれを脚本化し、日本人男性がその映画化を監督し、その作品が海外でも公開されることの意義は大きい。東京オリンピック開催を前にコンビニからグラビア表紙の雑誌を撤去するらしいが、多くの国の人間が日本人のそうした「性癖」をすでに知っている。だからこそ、日本人男性像が変わりつつあることをアピールできる本作のような作品を、当の日本人、特に男性諸氏に強くサポートしてもらいたいと思うのである。生理バッジも試験的に導入され始めている。時代の変化に敏感になるとともに、最も身近なパートナーたちに敏感になろうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m late.

文脈が無ければ「遅刻している」の意味だが、貴君のガールフレンドが突然このように言ってきたら、それは「(生理が)遅れてるの」の意である。生理とは、受精卵を受けとめるためのふわふわのじゅうたんを体外に排出する現象である。つまり生理が遅れているということは、胎内に受精卵が存在しているかもしれないということである。世の男性諸君、特に10代、20代に告ぐ。近所の病院の性教育セミナーやパパママ教室に、一度は足を運ぶべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, 二階堂ふみ, 伊藤沙莉, 日本, 松風理咲, 監督:品田俊介, 豊嶋花, 配給会社:よしもとクリエイティブ・エージェンシーLeave a Comment on 『 生理ちゃん 』 -男性、観るべし-

『 ゾンビランド:ダブルタップ 』 -安住の地とは土地ではない-

Posted on 2019年11月27日2020年4月20日 by cool-jupiter

ゾンビランド:ダブルタップ 70点
2019年11月24日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

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まさかまさかの『 ゾンビランド 』の続編である。リアルタイムでは10年を経ているが、ストーリー上では2~3年という感じだろうか。その中でも、ウィチタの妹のリトルロックが最も変化が大きいのは理の当然である。本作は彼女の成長を契機に始まる。

 

あらすじ

コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)、タラハシー(ウディ・ハレルソン)、ウィチタ(エマ・ストーン)、リトルロックの4人はゾンビを撃退しつつ生き抜いていた。無害なゾンビ、賢いゾンビ、気配を消すゾンビなど、新種のゾンビも誕生する中、コロンバスの独自ルールは72に増えていた。だが、思春期を過ぎたリトルロックは父親面をするタラハシーをあまり快くは思っておらず・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングシーンから笑わせてくれる。レディ・コロンビアがトーチでゾンビをぶん殴るのである。オープニングロゴに細工を施して観客を映画世界に誘うのは、これまでは20世紀フォックスの専売特許だったが、コロンビアもこの流れに乗ってくれた。歓迎したいトレンドである。

 

相変わらずゾンビをぶっ殺しまくっている。デ・パルマ・タッチのスローモーションに『 マトリックス 』のバレットタイムで描くのは、ルーベン・フライシャーが前作から変わらず採用する撮影技法で、こういうものにホッとさせられる。前作と本作がキャラクター以外の面でも地続きになっていると感じられるからである。

 

本作ではリトルロックが家出をする。いや、家といってもホワイトハウスに勝手に住みこんでいるだけなので、厳密には彼ら彼女らの家ではない。しかし、リトルロックの行動は家出以外に表現のしようはない。そのリトルロックを追うウィチタと、それを追うコロンバスとタラハシー。そこで出会う様々な人々とのドラマが本作の肝である。

 

ウィチタといい仲になったコロンバスであるが、基本的な童貞気質は変わっていない。プロポーズとは自分が盛り上がっている時に行うものではなく、相手が盛り上がっている時にするものである。そこのところを分かっていないコロンバスは、ゾンビ世界ではいっぱしのファイターかもしれないが、現実世界ではコミュ症かつ非モテとなるだろう。そこらへんの成長のなさが安心感をもたらしてくれる。

 

今作ではタラハシーにも春らしいものが訪れる。プレスリーをこよなく愛する彼が、女性から“I feel my temperature rising”などと囁かれては、奮い立たないわけがないのである。そして、今作のアクションでも彼が主役を張ってくれる。中盤の似た者同士バトルと最終盤の大量ゾンビとのバトルは見応えがある。特に中盤のバトルはワンカットに見えるように巧みに編集されているが、それによってスリリングさが格段に増している。また最終バトルはまさかの諸葛孔明の八卦の陣とタラハシーのルーツを融合させた、びっくりの作戦である。

 

途中で合流してくるパッパラパー女子がアクセントとして機能しているし、この頭と股がゆるめの女子のおかげで、観客はリトルロックのことを責めるのではなく心配してしまう。ややご都合主義的ではあるが、ゾンビ世界ではこういうキャラが存在しても全く不思議ではない。

 

前作から本作にかけて、この奇妙な4人組は疑似家族を形成するわけだが、それは安住の地を求める旅でもあった。ゾンビという恐怖の存在を、絶対に相容れない他者の象徴だと思えば、なんとなく現実世界とリンクしてくるものもあるのではないだろうか。血の繋がりではなく、育んだ絆の強さ。それが人間関係の根本なのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

コロンバスのルールが増えるのはよいとして、それをしっかり順守しよう。後部座席のっチェックは基本中の基本ではないか。ジェシー・アイゼンバーグ本人もルーベン・フライシャー監督も、スタッフの誰も気付かなかったのだろうか。

 

せっかく新種のゾンビも出てきたというのに、紹介されただけで終わってしまったゾンビもいる。なんと不遇な存在であることか。そのゾンビの名前を知れば、某国の映画ファンは歯痒さを覚えるのだろうか。

 

この世界で本当にゾンビを寄せ付けない楽園を築こうとするならば、バリケードだけでは不足だろう。バリケードの内側に堀を作り、さらに跳ね橋を設置するべきだ。平和主義者のヒッピーらしいといえばらしいのかもれしれないが、よくあれで生き延びることができたなと逆の意味で感心させられた。ゾンビの進化に合わせて、人間も進化しなくてはならない。

 

総評

前作に負けず劣らずのユーモラスなゾンビ映画である。本作からいきなり鑑賞する人は少数派だろう。しっかりと前作を鑑賞した上で臨むべし。そうそう、エンドクレジットが始まっても、絶対に席を立ってはいけない。本作最大の見せ場は最後の最後にやってくるからである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’ve got to snap the f**k out of it.

『 影踏み 』でも紹介したsnap out of itが本作で使われている。リトルロックを追ってウィチタが出て行ったことにいつまでもウジウジしているコロンバスに対して、タラハシーが上の台詞を言い放つ。Fワードが入っているのはご愛敬。このFワードを正しく使えるようになれば、英語中級者でコミュニケーション上級者である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ゾンビランド:ダブルタップ 』 -安住の地とは土地ではない-

『 決算!忠臣蔵 』 -忠臣蔵をよく知らない人向けのコメディ-

Posted on 2019年11月24日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 決算!忠臣蔵 』 -忠臣蔵をよく知らない人向けのコメディ-

決算!忠臣蔵 65点
2019年11月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:堤真一 岡村隆史
監督:中村義洋

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Jovianの出身地、兵庫県は一体感に欠ける地域である。元々、但馬・丹波・播磨・摂津・淡路の五カ国がくっついて生まれた県なので、当然と言えば当然である。神戸は別格としても、全国的に知られているものとして姫路市の姫路城、西宮市の甲子園、宝塚市の宝塚歌劇団、明石市のタコと鯛と子午線、淡路島の玉ねぎ、丹波の黒豆、城崎の温泉などが挙げられる。これらに負けず劣らずの知名度を誇るのが赤穂の塩、そして赤穂浪士たちである。大河ドラマや二時間ドラマとして数限りなく生産されてきた赤穂浪士たちを、ゼニカネの面から描き直す。これは非常にユニークな試みである。

 

あらすじ

赤穂藩主の浅野内匠頭は江戸城にて吉良上野介に刀傷を負わせた咎で、幕府に切腹を申しつけられ、お家断絶、知行召し上げとなった。喧嘩両成敗の原則を無視した幕府に、大石内蔵助(堤真一)ら赤穂浪人たちはお家再興か、仇討ちかで揺れる。しかし、勘定方の矢頭長介(岡村隆史)らの計算では、経済的な余力はとてもなく・・・

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ポジティブ・サイド

今という時代に出るべくして出た作品である。経済格差の拡大がいかんともしがたく、社会の大部分に閉塞感が蔓延している時世に、一服の清涼剤になっている作品である。赤穂の志士たちは、いわゆる「無敵の人」との共通点が多い。しかし、彼らを討ち入りに駆り立てたものは本質的には武士のプライドである。「君に忠」という精神である。自身の尊厳が傷つけられた代償を、自分よりも弱い人間や無関係な人間に求める傾向の強い「無敵の人」とはそこが異なる。

 

またサラリーマンの悲哀とも重なる描写が多い。前線の営業部隊は「もっとこっちにカネ回せよ、こっちは体を張って仕事をしてるんだ」と言い、後方の管理運営部門は「後先考えず湯水のようにカネ使ってんじゃねー、てめーらの足りねー脳みそをこっちが補ってるんだ」と言っている。現実にそこまでギスギスした会社は少ないだろう。だが、程度の差こそあれ、似たような対立の構図はどこの会社や組織にも見られるだろう。番方と役方、どちらの側に肩入れして観ても楽しめる。

 

限られた予算がどんどんと吹っ飛び、徐々に人=コストに見えてくるのは滑稽であり、虚しくもあり、悲しくもある。大石内蔵助に共感することで、経営者の視点をシミュレートできると言ってもいい。雇用者にとっても被用者にとってもリストラは苦しいものである。しかし、赤穂浪士たちはすでに幕府によってリストラされた存在。そうした者たちがさらにリストラをされるということの悲哀を、本作はユーモアたっぷりに描き出す。不謹慎にも笑ってしまった。

 

終盤の評定(ひょうじょう)は、集団心理の危うさを端的に示している。当初7000億円とされていた某国のオリンピック開催費用は、いつの間にやら3兆円とも4兆円とも囁かれるまでになっている。何故このような馬鹿げた事態が起きてしまうのか、その舞台裏では赤穂の浪人たちのような盛り上がり優先の空気があったからではないか。随所で現代をユーモラスに批評する時代劇コメディの佳作に仕上がっている。

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ネガティブ・サイド

残念ながら忠臣蔵のストーリーをある程度知っている人ならば、オチというか経費削減のための逆転ネタに驚きが感じられない。例えば、大坂夏の陣の真田幸村およびその部隊が赤備えであったことはよく知られている。同じように赤穂浪士たちの討ち入りの装束についても知識があれば、大逆転のアイデアのインパクトが弱まってしまう。

 

部屋住みの子どもたちが堀部安兵衛に駆け寄るシーンがあるが、この時の子どもたちが露骨にカメラを避けるように動いていた。目の前に何も障害物が無い場所で、いきなりひょいっと脇に動いていく動きは不自然極まりない。編集で何とかならなかったのだろうか。

 

冒頭で阿部サダヲが登場しているせいか、後半の大石内蔵助の遊廓通いが『 舞妓Haaaan!!! 』に見えてしまった。実際、和装の舞妓をバックハグするシーンは、同作にそっくりの構図が見られた。オマージュのつもりかもしれないが、オリジナリティの欠如に見えた。

 

討ち入りに直接は関わらない赤穂浪士の数が多く、キャラクター間の人間関係や上下関係を把握するのに少し苦労する。また、序盤以降はコメディのほとんどを大石内蔵助の関西弁と顔芸に頼っており、その他キャストが輝きを放てていない。

 

エンドクレジットのシーンで絵巻などでもよいので、見事に吉良を討ち取ったことを伝える画が欲しかった。本作が最もエンターテインできる観客は、赤穂事件を名前ぐらいしか知らないというライトな層なのだから、その結末までしっかりと伝える義務があると思う。

 

 

総評

財務面から赤穂事件を再構築するのは文句なしに面白い試みである。そして実際に本作は面白い。サラリーマンであれ、経営者であれ、それぞれの視点で楽しめることだろう。ただし、時代劇や歴史そのものに詳しい映画ファンを唸らせる作りにはなっていない。本格的な赤穂事件の前日譚を期待しているような人はその点をよくよく注意されたし。案外と高校生や大学生カップルのデートムービーに適しているかもしれない。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why should I let them kick sand in our faces?

 

大石内蔵助の言う「何でここまでコケされなアカンねん」という台詞の私訳である。UsingEnglish.comに秀逸な説明があったので引用する。

 

sand kicked in your face means to be insulted by someone or something you are powerless to fight back against.

 

顔面に砂を蹴り込まれる=誰か、もしくは何かに、反撃する力を持っていないとして侮辱されること、の意である。この表現は『 ボヘミアン・ラプソディ 』でも歌われた“We are the champions”の歌詞にも出てくる。英語学習の上級者ならば知っておいても損はない慣用表現である。

おまけ

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矢頭長介の墓

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大阪市内の淨祐寺

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, 堤真一, 岡村隆史, 日本, 時代劇, 監督:中村義洋, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 決算!忠臣蔵 』 -忠臣蔵をよく知らない人向けのコメディ-

『 スペシャルアクターズ 』 -予想通りで予想以上の面白さ-

Posted on 2019年10月25日2020年9月26日 by cool-jupiter

スペシャルアクターズ 65点

2019年10月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:大澤数人
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』で華々しくメジャーな舞台に登場し、『 イソップの思うツボ 』で評判をガクンと落とした上田慎一郎監督であるが、本作は標準以上に出来に仕上がったと言える。前作は、監督三人態勢が祟っていたのだろうか。

 

あらすじ

大野和人(大澤数人)は売れない役者。極度に緊張すると失神するという症状に悩まされていて、アルバイトで何とか食い扶持を稼いでいる。ある時、数年ぶりに弟の宏紀と再会した。弟は「スペシャルアクターズ」という、芝居でトラブルを解決するという会社に所属しているという。和人もなりゆきでスペシャルアクターズに所属するが、そこに「旅館をカルト宗教団体から守って欲しい」という依頼が入り・・・

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ポジティブ・サイド

上田慎一郎の持ち味はドンデン返しである。それがこの監督がキャリアをかけて追い求めていくものなのだろう。例えば、是枝裕和監督は家族とは何かを問い続けているし、宮崎駿は「子どもはいかに生きるべきか」を描き続けている。そうした頑迷固陋と言えるほどのポリシーを持つ映画人がいてもよい。実際に本作は、まあまあ楽しめた。

 

どこらへんがどうドンデン返しなのか。よく似た作品にデヴィッド・フィンチャー監督の『 ゲーム 』が挙げられる。もしくは邦画の『 ピンクとグレー 』も少し似ている。つまり、ドンデン返しが来るぞ来るぞと期待しながら観て、その上でそれなりに驚かされたということである。詳しくは劇場で鑑賞して頂くのが一番である。

 

役者は皆、無名である。だからこそこちらも先入観を抱かずに、フレッシュな視線で鑑賞できる。主人公を演じた大澤数人は、大根役者を演じるという、ある意味では非常にチャレンジングな仕事を見事に務めた。芝居がかった喋りではなく、実際に職場などにいればイライラさせられるかもしれないトロい語り口とモッサリした動きは、まさに本作の主人公そのものであった。

 

本作の面白さの肝は、芝居で何でも解決する会社、すなわち「スペシャルアクターズ」が、カルト教団「ムスビル」を撃退する展開である。つまり、騙してくる奴をお芝居で騙し返すわけである。そこにサスペンスとドラマが生まれている。しかし、息詰まるようなサスペンスではない。どこかB級チックで、ユーモラスなサスペンスである。このあたりはイソップではなく、カメ止めのテイストである。上田監督も原点回帰を果たしつつあるようである。数人の弟、スペシャルアクターズの幹部の面々、旅館の若女将、ムスビルの幹部たちが織り成す面白おかしく、それでいてシリアスなプロットを是非劇場で堪能いただきたい。

 

ネガティブ・サイド

血しぶきが弱いなと感じた。もっとカメ止めのゾンビのように、ブフォーッ!!という感じで血反吐を吐かなければだめだ。ただし、NGが出た時にできるだけ素早く撮り直しができるように、あのような演出にしたのだろうなとは理解できる。だが、クライマックスの超展開はカメ止め並みのワンテイクが観てみたかった。または和人視点のPOVでも面白かったかもしれない。我々が上田慎一郎に求めるのは無難な映画ではなく、実験的な映画なのである。カメ止めも手法や演出が新しかったのではなく、それらを意表を突く形で繋ぎ合わせたところに面白さがあった。もっと上田監督はもっと自分のクリエイティビティに忠実になるべきだ。

 

また裏教典の中身が拍子抜けであった。てっきり、薬物による催眠誘導や各都道府県で賄賂の効く警察や政治家のリストなのかと思っていたが・・・ この程度で「ヤバいもん」というのは誇大広告であろう。

 

あとはもう少しのリアリティが必要だろうか。現代人は何をするにしても、まずはPCやスマホで対象を検索する。カルト教団のムスビルを検索するのであれば、その他も検索対象になってしかるべきだろう。もちろん、逆SEOの跡もうかがえたが、やはりそこは2ページ目以降にすべきだったのではないか。

 

総評

カメ止めの切れ味が蘇ったわけではない。それはおそらく無理な注文である。だが本作は平均以上の面白さを感じた。上田慎一郎はOne Hit Wonder = 一発屋ではないことを証明したと言えるだろう。『 イソップの思うツボ 』にがっかりした向きも、本作にならある程度は満足させてもらえるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This company pays you by the day.

 

金銭的に困窮している数人がスペシャルアクターズに入ることを決心した言葉「ここ、給料、とっぱらいだよ」の英訳例。「とっぱらい」=その日払いということで、pay by the dayとなる。韻を踏んでいるので覚えやすいだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, 大澤数人, 日本, 監督:上田慎一郎, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 スペシャルアクターズ 』 -予想通りで予想以上の面白さ-

『 記憶にございません! 』 -毒は少なめの政治コメディ-

Posted on 2019年10月2日2020年8月29日 by cool-jupiter

記憶にございません! 70点
2019年9月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:中井貴一 ディーン・フジオカ 吉田羊 石田ゆり子
監督:三谷幸喜

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「そのようなことは、えー、わたくしの記憶にはですね、えー、全くございません」 小学校高学年ぐらいだったJovianは徐々にテレビのニュースを見るようになったが、このような答弁をするオッサン連中を見て、記憶力が悪くても政治家になれるのか、と無邪気に感じたことを今でも覚えている。そんないたいけな少年だったJovianも今ではすれっからしになってしまった。だからこそ、本作を楽しめるのだとも言える。

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あらすじ

2.3%という史上最低の支持率を叩き出してしまった黒田啓介(中井貴一)は、演説中に一般人に投げられた石が頭に命中してしまい、小さな頃の記憶以外を失ってしまった。人望も人徳もなく、記憶までなくしてしまった黒田は、秘書官らのサポートの元、記憶喪失を隠しながら公務を行うのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

この撮影の仕方は通常の映画撮影のそれではない。舞台演劇を映画化するような際に用いられる撮影技法がふんだんに使用されている。たとえば『 オペラ座の怪人 』の舞台の映画化などが好例である。光と影のコントラストを鮮やかに映し出したり、遠景と近影を使い分けたりといったことは、ほとんどしない。その代わり、ロングのショットで忠実にキャラクターの仕草や表情を映し出す。物語の冒頭や締めにドラマ『 ER 』的なキャラクターの入れ替わり立ち替わりショットを入れることはよくある。『 恋は雨上がりのように 』で、あきらのバイト先でそのようなショットが使われたし、ドラマ(および映画)の『 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 』のエンドクレジットのシーンはまんまERのパクリである。しかし、全編これ、ロングのショットでキャラクターの近影を映し続けるというのは、邦画ではかなり斬新なアプローチである。それゆえに中井貴一の表情の演技が抜群の輝きを放っている。I take my hat off to撮影担当の山本秀夫氏。

 

キャラクター同士の掛け合いも適度な笑いを喚起する。特に黒田総理が自身の家に帰ってきたシーンや家族との団らんになっていない団らんシーンは、プッと吹き出さずにはいられないおかしさがある。小池栄子のコミック・リリーフも効果的に各シーンを和ませ、吉田洋と中井貴一の“現場”から放たれる期待感と失望感は、漫画的な面白さだけではなく「本当にこういう現実があるのかも?」というリアリティを有していた。実際に山尾志桜里議員を思い起こした観客も多いだろう。ちなみに不倫はある種の普遍性を有した文化であることは『 ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 』からも分かる。

 

永田町や官邸内の権力闘争、ジャーナリズムと権力の関係、政治と庶民の関係など、かつてないほどに政治に対する期待が高まっている中で、肝心の政治がそれにほとんど答えられていない。そんな中で、一種の清涼剤的な役割を本作が果たしていることが現在の快調な興行収入につながっているのかもしれない。事実、法人税を少し上げれば消費税を下げられるのではないかという黒田の無邪気な疑問は、まさにれいわ新撰組の主張そのものである。こうした現実へのうっ憤を、本作はある程度晴らしてくれるのである。

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ネガティブ・サイド

英語で ”all persons fictitious” disclaimer と呼ばれる注意事項がある。日本語では「この物語はフィクションで登場する人物・団体・出来事等は架空であり実在のものとは関係ありません」というアレである。本作は開始早々に「この物語はフィクションで登場する人物・団体・出来事等は架空ですが、類似のものがあるとすれば、それはたまたまです」と宣言する。こちらは期待に胸を躍らせて『 新聞記者 』のパロディもしくはコメディのような現政権批判が見られるのかと期待したが、不発だった。念のために言っておくが、Jovianは自民党が嫌いなわけではなく、権力全般が嫌いなのである。特に権力を正しく使わない人間が嫌いである。

 

Back on track. 「総理の奥さんになれば、何でもできるんですねえ」という黒田の台詞は、当然のことながらアッキード事件を指しているわけだが、三谷幸喜はもっともっと現実の政治を面白おかしくパロディにできるはずだし、そうすべきだった。K2プロジェクトというのも、正直なところ期待外れ。もっと国立競技場だとか、五輪絡みのアホな建設プロジェクトをパロって、現実を鋭く抉りながらも、笑いに昇華できたはずだ。

 

全体的に役者は良い芝居をしているが、一部、ディーン・フジオカの台詞はアフレコになっていた?唇の動きと発せられる言葉が一致しないように見えるシーンが序盤にあった。確かにロングのショットを多用していて、ひとつNGがあれば最初から全てやり直しという、非常に難しい撮影現場であったと思うが、もしもアフレコするのであれば、もっとリップシンクに厳密になってもらいたいと思う。『 空飛ぶタイヤ 』でフジオカを指して、スーツ以外の衣装はまだ着こなせないと評したが、逆に言えばスーツは着こなせているのだ。

 

総評

中学生にはちょっとアレな描写もあるが、高校生ぐらいからならOKだろう。政治とは何か。誰のために政治が行われるのか。もちろん、気に入らない政治家に石を投げつけるのは論外であるが、大して毒でも刃でもない言葉を浴びせるだけで警察に排除されてしまうのが昨今の日本なのである。政治ネタを笑うと共に、政治に対する意識をもう一度高めるためにも、本作を見て大いに笑い、そして政治に対する目を厳しく持とうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t recall.

 

ドナルド・トランプ米大統領の選挙戦でロシア側と接触したとされる人物が、この台詞を連発したことは記憶に新しい。rememberという動詞を使いたくなってしまうが、覚えているものをそのまま思い出せるならremember、頑張って頭の中をあれこれ探って思い起こす時にはrecallを使うべし。車に欠陥が見つかればリコールされる、というアナロジーで理解しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, ディーン・フジオカ, 中井貴一, 吉田羊, 日本, 監督:三谷幸喜, 石田ゆり子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 記憶にございません! 』 -毒は少なめの政治コメディ-

『 ピクセル 』 -レトロゲーマーのノスタルジー映画 -

Posted on 2019年9月29日 by cool-jupiter

ピクセル 65点
2019年9月23日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:アダム・サンドラー ミシェル・モナハン ピーター・ディンクレイジ
監督:クリス・コロンバス

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カーラ・デルヴィーニュとアシュリー・ベンソンの交際1年のニュースに、彼の国の自由さを感じた。Pretty Little Liarsの主要キャストのその後を追いかけようと、『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』に続いて、トローヤン・ベリサリオの『 マーターズ 』を探しているも、クソ映画との評判のせいか見つからず。ならば、劇場で観たこちらを最鑑賞。

 

あらすじ 

サム(アダム・サンドラー)はゲームの天才少年だった。長じてもゲームに興じ、妻に逃げられた冴えない中年のサムは、ある時、ホワイトハウスに召集される。かつて宇宙に送られたメッセージに含まれたゲーム映像が宣戦布告と受け取られ、宇宙人がゲームの形式で地球を攻撃してきたのだ。サムたちはこの危機をクリアできるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

ドンキーコングやパックマンが隆盛を極めた時期とJovianが小学生になる、つまりゲームをプレーできるようになる時期は微妙にずれていた。が、ここに登場するゲームはどれもこれも懐かしいものばかりである。特にスペースインベーダーは親父と銭湯に行った時に、よくプレーさせてもらったし、百円玉を山と積んだオッサンのプレーを傍で眺めていたこともある。古き良き時代という言葉は好きではないが、ノスタルジックな気持ちにさせてくる映画であることは間違いない。特にアラフォーには刺さる作品であろう。

 

本作は子どもであり続けることと大人になることの両方が追求される、ユニークな作品でもある。主人公のサムは子どもの頃から大好きだったゲームに大人になっても興じているが、彼は世界大会の決勝で敗れたことが、抜けない棘のように心に刺さったままなのだ。その棘が抜ける瞬間こそが作品にとってもサムというキャラクターの成長にとってもハイライトなのである。一個人の内面の変化が世界の危機を救う(または引き起こす)というのは、『 新世紀エヴァンゲリオン 』に象徴されるように、オタクの好物テーマなのである。そのことをクリス・コロンバス監督はよく理解している。オタクの好きなレトロゲームをふんだんに使い、リアルに再現しているから面白いのではない。オタクが苦手とする心の成長をドラマチックに描いているから面白いのである。

 

だからといって、オタクの生態を美化しているわけでもない。特にサムの友人ラドローによる米軍精鋭への pep talk の脱線ぶりはたくまざるユーモアを生み出している。『 ハクソー・リッジ 』ではヴィンス・ヴォーンが恐ろしくも面白おかしい鬼軍曹を好演したが、あちらは毒の効いたユーモア。こちらはコミュ障の哀れさとみじめさが笑える形で爆発する。笑ってはいけないはずなのに、笑ってしまう。

 

もちろん、ロマンスもあるので安心してほしい。ピーター・ディンクレイジの趣味はちょっと理解できないが、ラドローの趣味は理解できる。もちろん、逆の意見もあるだろう。大切なことは、「愛」の形の多様性を認めることだ。そんな教訓も得られるエンタメ作品である。

 

ネガティブ・サイド

地球人は、やはり宇宙人による侵略を受けないと一つにまとまることができない生物なのだろうか。これは『 インディペンデンス・デイ 』以来、いやそれ以前から、ずっと立てられ続け、そして答えを出せていない問いである。ID4から幾星霜、我々の間の分断は進むばかりである。日陰者たちが活躍する物語には胸がスカッとするものの、現実の人間社会の問題は何一つ解決しないという寂しさも残る。最後に残るハイブリッドは素晴らしいと思うが、アダム・サンドラーとミシェル・モナハンのロマンスも描いて欲しかったと思う。

 

街中にピクセルが放たれた時こそ、米軍兵士が活躍する場で、そこにスペクタクルがあるべきだったと思う。なぜなら、屈強なソルジャーたちを大活躍させながらも、やっぱり最後はアーケイダーズでないと手に負えないという流れが欲しかったからだ。イギリスの対センチピードでそうなったが、あれはゲームのルールを軍人が理解できていなかったからで、ルール関係なしの市街戦なら、米軍兵士の独壇場だったはず。そこで彼らを大活躍させ、しかし、最後はやはりレトロゲームでないと決着がつけられない、という流れの方がもっとノレたと思うのだが。

 

総評

二度目の鑑賞だが、フツーに面白い。ただし、あくまでフツーの面白さであって、それ以上ではないので注意。今の若い世代では何のことやら分からない描写もあるだろう。個人的には、中学生ぐらいの頃だったか、『 スーパーマリオクラブ 』で日米のマリオカートのチャンピオン同士のマッチレースで、全米王者(子ども)が日本王者(子ども)を圧倒したのを思い出した。ゲームでもやはりアメリカは王国なのである。だからといって日本のゲーマーが劣るわけではない。かつてゲーマーだった少年少女であれば、レンタルや配信で一度はチェックされたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Did I do good?

 

「俺は上手くやったかな?」 goodは基本的に形容詞なので、文法的には少々おかしい。しかしそんな事を気にしていては、外国語の運用能力など身につかない。言語学習は基本的にネイティブスピーカーの真似をすることである。これと同じような台詞は『 ベイビー・ドライバー 』でも聞こえる。ジョン・ハムがアンセル・エルゴートに“You did good, kid.”と言う台詞がそれである。機会を見て、一度使えば身に着く簡単フレーズだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・サンドラー, アメリカ, コメディ, ピーター・ディンクレイジ, ミシェル・モナハン, 監督:クリス・コロンバス, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ピクセル 』 -レトロゲーマーのノスタルジー映画 -

『 怪しい彼女 』 -Youth is Short, Walk on Girl!-

Posted on 2019年9月23日 by cool-jupiter

怪しい彼女 75点
2019年9月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シム・ウンギョン
監督:ファン・ドンヒョク

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森見登美彦の小説およびそのアニメ映画化作品の『 命短し歩けよ乙女 』は傑作だった。そして英題は“The night is short, Walk on girl”である。若さもまた短い。知らぬ間に失っているものだ。そして一度失えば二度と手には入らない。だが、もし若返ることができれば?The Fountain of Youthを求めるの古今東西の共通テーマである。老人が若返る映画はブラピ主演の傑作『 ベンジャミン・バトン 数奇な人生 』からライアン・レイノルズ主演の駄作『 セルフレス/覚醒した記憶 』まで数多い。韓流のお手並みはいかに?

 

あらすじ

70代の意地悪ばあさんオ・マルスンは、ある時、青春写真館で写真を撮ってもらう。するとどういうわけか20歳の若さに逆戻り。新生オ・マルスン=オ・ドゥリ(シム・ウンギョン)として新たな人生を歩み出す。そして、彼女の家族や周囲の人間に様々な影響を及ぼして・・・

 

ポジティブ・サイド

なんといってもシム・ウンギョンの熱演、これである。老マルスンを演じたナ・ムニは大阪は鶴橋か、東京なら新大久保または上野にしぶとく生息していそうなサバイバル系パワフルばあちゃんだが、シムは彼女の表情や話し方、仕草、体の使い方などを相当に研究した跡が伺える。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』のオールデン・エアエンライクは本作を観て反省するように。もちろん、メイクさんや衣装さんの力が大きかったのは言うまでもない。

 

若さを取り戻せたら、我々は何をするだろうか。ある者は勉強に打ち込むかもしれないし、スポーツに打ち込む者もいるだろう。恋愛にうつつを抜かす者もいれば、旅をして見聞を広める者もいるだろう。共通していることは、やれなかったこと、やり残したことをやってみたいという想いがそこにあるということだ。一個人の過去の苦労話だけではなく、韓国社会の暗部にも光を当てた点が本作の貢献だろう。現に『 主戦場 』でも、韓国の授業的価値観に支配された社会、伝統主義、教条主義的家父長制がミキ・デザキの批判の対象になっていた。だが、これはなにも韓国だけの暗部ではない。『 あなたの名前を呼べたなら 』ではインド社会における未亡人の生き辛さが直接・間接に描かれていたし、『 マイ・ブックショップ 』では英国の事情が、『 今日も嫌がらせ弁当 』では未亡人と男やもめのしんどい生活が(コミカルに)描かれていた。(ただ、日本の場合はどうなのだろうか。女やもめに花が咲く、男やめもに蛆が湧くと今でも言うように、日本において伝統的とされる価値観は戦後、せいぜい遡っても明治大正あたりが起源になるものが相当に多いのではないだろうか。夫婦ではなく女男(めおと)と昔は女性を前に呼称していたわけだから。日本の伝統の闇は浅くて深そうである)。

 

Back on track. マルスンは若かりし頃の夢を追うわけだが、逆に言えば年齢を理由に夢をあきらめる必要などないという高齢者へのエールにもなっているわけだ。さらに推し進めて言えば、年齢を理由に夢をあきらめてはならないという強迫的・脅迫的なメッセージを発している。年齢を重ねるとは、それだけ死に近づくということだ。ハイデガーならずとも、現存在は死にコミットしている。死ぬまでに何をすべきかである。本作は我々にそのことをあらためて考えるきっかけを与えてくれる。

 

もうひとつ、本作が単純に若さを謳歌すること、若さを賛美すること以上に高齢者へのエールとなっている点がある。それはパク氏の存在である。グループホームなどの施設で高齢者同士の恋愛が美しく花開いたり、あるいはとんでもないトラブルになったりすることはよくあるらしいが、このパク氏は一方的な思慕の念を70代になるまで抱き続けた、ある意味で男の中の男である。『 アンダー・ユア・ベッド 』や『 宮本から君へ 』を楽しみにしているJovianからすれば、無限のリスペクトを捧げたいほどの男である。パク氏の愛情に幸あれ。ファン・ドンヒョク監督も同じように感じていたようで、パク氏には素敵なプレゼントが贈られる。楽しみに待ってほしい。

 

本作はラブコメとしても秀逸で、外見はうら若き女子、中身はクソババアというキャラクターが自分の孫に夭折した自分の夫を重ね合わせるシーンが白眉である。ロマンティックでありながらコメディックなのだ。この監督はコメディを手掛けるの初めてらしいが、なかなかの手腕を持っている。今後にも期待。

 

ネガティブ・サイド

音楽のシーンにもう一つ迫力と臨場感が欲しかった。もちろん、音楽映画ではないのは承知しているが、老人ホームのカラオケで老マルスンのライバル的女性がセクシーな歌いっぷりを見せてくれたのだから、若マルスンも負けじと色っぽい歌い方をしてほしかった。年老いた心もときめくのだから、それを体で表現しても良かったように思う。

 

若返りの効果が失われるきっかけの見せ方は良かったが、それによって結末が見えてしまう。不治の病、交通事故、実は血のつながった親子または兄妹というのは韓流ドラマや韓国映画のお約束であるが、さすがにそろそろ別の路線を模索する時期に来ているのではないだろうか。

 

総評

高齢化においては世界ナンバーワンの日本である。老いてますます盛んという言葉があるし、ビューティフルエージング協会も活発に活動している。老いるというのは生理現象であって、そこにネガティブな要素を本来は見出すべきではないのだろう。姥捨て山はおとぎ話であって、しかもハッピーエンディングである。不器用な生き方が祟って、家族に捨てられそうになった老人が、若さを得、そして家族と最終的に和解するという、とてもシリアスなコメディである。日本版リメイクもチェックしようと思うし、ハリウッドリメイクも楽しみである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Did you sleep with him?

 

「アイツと寝たのか?」の意である。日本語でも英語でも、寝るという営みは、生理現象と共に男女の行為を指す意味でも使われている。それは韓国語でも同じだろう。“I want to sleep with you.”や“I don’t want to sleep without you.”と言えるようになれば、英会話スクールは卒業である。こうした言葉をスッと口に出せる関係を作れるほどに、コミュニケーションが取れているということだから。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, シム・ウンギョン, 監督:ファン・ドンヒョク, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 怪しい彼女 』 -Youth is Short, Walk on Girl!-

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