Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: エル・ファニング

『 名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 』 -答えは風の中にある-

Posted on 2025年3月16日2025年3月16日 by cool-jupiter

名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 70点
2025年3月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ティモシー・シャラメ エドワード・ノートン エル・ファニング モニカ・バルバロ
監督:ジェームズ・マンゴールド

妻が見たいというのでチケット購入。ボブ・ディランに関する知識はあまりなかったが、それでも興味深く鑑賞できた。

あらすじ

ウディ・ガスリーに傾倒する青年のボブ(ティモシー・シャラメ)は、彼が入院している病院を尋ねる。そこでガスリーとその親友、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)に一曲を披露したボブはその才能を見込まれ、ピートの自宅に誘われて・・・

ポジティブ・サイド

ティモシー・シャラメ、意外に歌が上手い。かつ、しゃべり方も田舎から出てきた朴訥な青年が無理して背伸びして喋っています感ありあり。おそらく実際のボブ・ディランがそうだったのだろう。他にもエドワード・ノートンやモニカ・バルバロなど、以外と言っては失礼かもしれないが、歌唱力の高さに驚かされた。

今でこそ才能が誰かに発見される、あるいは才能自身が自らを発信するのは難しくないが、1960年代は話が別。カフェやバーでのライブや、教会のイベントなどでコツコツと地道に活動していくしかない。そうした時代を見つめるのも興味深かった。

ディランが成功を掴んでいく中、シルヴィと付き合いながらもジョーンと二股関係になっていくのは見ていて気持ちのいいものではなかったが、これは史実なのだろう。また、割と高尚なメッセージを直截的な歌詞に乗せて歌い上げるディランだが、同じミュージシャンのジョーンを抱いた直後にも曲作りに精を出す様は、仕事人としてはリスペクトするが、男としてはまったくもってダメダメ。

ところが、もう一人のボブとの偶然の出会いの際に漏らしたディランの本音によって、そうしたハチャメチャなディランの像が一変して見えてくる。ディランの出現と活躍によってフォークが完全に復権を果たそうとすることに多大な期待をかけるピート・シーガーや、JFK暗殺やキューバ危機の中にあっても自らの信念に忠実に勉学と行動に邁進するシルヴィ。そうした人々の期待に応えようとしない、いや敢えて応えない男の美学を見たような気がした。鬱屈とした時代はもう終わったんだと歌って喝采を浴びた男が、前時代の音楽に回帰せよと言われても、それは素直に従えないだろう。太宰治や坂口安吾がフォークを歌えば、日本のボブ・ディランと呼ばれたように思う(この二人の方がディランよりも前だが)。

余談だが、フォークソング=社会批判という構図は現代にも受け継がれていると感じた。第一次トランプ政権の際にバズったサイモンとガーファンクルのThe Sounds of Silence のパロディ、 Confounds the Science や、『 僕らの世界が交わるまで 』のジギーが理知的で政治活動にも熱心な女子とのうまく行かない距離の取り方を、政治的メッセージと共にフォークソングに乗せるというシーンもあった。フォークもジャズと同じで、死にそうで死なない音楽ジャンルなのだろう。

ネガティブ・サイド

1960年代の街並みをCGで作って合成するのはいいが、もう少し丁寧な仕事が求められる。道に立っている女性の髪が風にそよいでいるのに、その真横を歩くシルヴィの髪がまったく動いていないというシーンにはギョッとさせられた。

ディランの作詞作曲のシーンは興味深かったが、その背景にもう少し踏み込んでほしかった。現実世界のどういった事象に心を動かされ、それをどう言葉やメロディにしていくのか。たとえば食事シーンで何かひらめく、街中の看板やポスター、フライヤーなどに一瞬目を奪われる、のようなシーンが欲しかった(本人にそういった逸話がないのかもしれないが)。

シルヴィやピート・シーガー、ジョーン・バエズとは異なり、ジョニー・キャッシュとディランのつながりの描写が弱いと感じた。当時としては手紙は重要なコミュニケーション・ツールだったはずで、その手紙の文言をもっと観る側に刺さる形で呈示する方法はなかったか。

総評

コロナ前にノーベル文学賞を受賞したことが話題になったボブ・ディラン。授賞式を欠席したというのも、彼をよく知るファンからすれば当然なのかもしれない。Jovianは中学生ぐらいだったか、B’zのBlowin’を聴いている時に、親父に「ボブ・ディランの真似か?」みたいに言われて、ビルボード年鑑のようなものを読んで、ボブ・ディランの名前を知ったんだったっけ。ハマることはなかったけれど。時代の変わり目を象徴するような歌い手だったことは如実に伝わってきた。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

turn down ~

いくつかの意味があるが、劇中では「~の音量を下げる」という意味で使われていた。ただし、実際は結構何にでも使える表現。たとえば照明を弱めるなら、turn down the lightと言えるし、コンロの火を弱めるならturn down the fireもしくはturn down the flameとも言える。逆の表現はもちろんturn up ~である。

次に劇場鑑賞したい映画

『 プロジェクト・サイレンス 』
『 ロングレッグズ 』
『 ゆきてかへらぬ 』

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エドワード・ノートン, エル・ファニング, ティモシー・シャラメ, モニカ・バルバロ, 伝記, 監督:ジェームズ・マンゴールド, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 』 -答えは風の中にある-

『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』 -Happy in the rain-

Posted on 2020年7月12日2021年1月21日 by cool-jupiter

レイニーデイ・イン・ニューヨーク 70点
2020年7月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ティモシー・シャラメ エル・ファニング セレーナ・ゴメス
監督:ウッディ・アレン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200712134926j:plain
 

ウッディ・アレン監督作の『 教授のおかしな妄想殺人 』や『 カフェ・ソサエティ 』がMOVIXあまがさきでリバイバル上映されていた。残念ながら再鑑賞のタイミングが合わなかったが、この巨匠はおかしな人間模様をスタイリッシュな絵で切り取らせると右に出る者がいない。本作はそんなアレンの特徴がよく出た秀作である。

 

あらすじ

ギャツビー(ティモシー・シャラメ)はポーカーで得た大金でガールフレンドのアシュリー(エル・ファニング)と自身の地元ニューヨークで最高の週末を過ごそうと考えていた。アシュリーも有名映画監督へのインタビューをニューヨークで行えるチャンスを手にしていた。二人は意気揚々とニューヨークに向かうが、ほんのちょっとしたことから思わぬすれ違いが生じてしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200712135010j:plain
 

ポジティブ・サイド

オープニングからスクリーンを彩る鮮やかな背景やオブジェ、ガジェットや衣装に目を奪われる。シャラメのナレーションで田舎と形容されるヤードレー大学のキャンパス。そのオーガニックな木々や芝生や、あるいは道路の向こうに広大に広がる田園風景が、ニューヨークの象徴でもあるイエローキャブによって一挙に別種の色彩を帯びる。人工的で、なおかつ美しい色彩だ。街並みのみならずホテルやレストラン、その調度品などに至るまで色調が完璧に計算されており、その映像美だけでも、自分が日本からニューヨークに移動し方のように感じさせられる。匠の技である。

 

映画の形式(フォーム)の面でのユニークさは映像美だけに留まらない。これは超高速会話劇でもある。かといって『 シン・ゴジラ 』のように、ナード的なキャラクターが高速でまくしたてるのではなく、教養豊かなギャツビーとその周囲のキャラクターが織り成すユーモアと毒とトゲのある会話である。Jovianの妻はギャツビーを鼻持ちならない奴と見たようであるが、Jovian自身は首尾一貫してこのキャラクターに共感することができた。スノッブでも衒学的でもなく、本当に言語のセンスに長けた博識な若者に映った。自分でも時々感じるが、教養というのはひけらかすものではなく、勝手ににじみ出るものであるべきだ。反省しよう。ギャツビーみたいな良い男を目指そう。そうそう、本作におけるギャツビーの独白、心の声は『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマンに近い味わい深さがある。よくよく耳を澄まされたし。また『 マリッジ・ストーリー 』でアダム・ドライバーが予想外の歌唱力を披露してくれたように、シャラメも本作でピアノ弾き語りを披露する。そちらの歌も必聴である。

 

ヒロインのエル・ファニングも味わい深い。はっきり言ってお馬鹿さんなのだが、そこが可愛らしく愛おしい。彼女を徐々に巻き込んでいく騒動は、彼女自身の魅力に端を発している。もっと言えば、ウッディ・アレン自身がエル・ファニングに愛されたい、敬服されたい、称賛されたいという欲望を持っているからこそ生まれたストーリーなのだろう。本作に登場する数々の中年のおやじキャラは全てアレンの分身なのではないかと疑いたくなる。エル・ファニング(というよりもアシュリー)のどこがそれほど魅力的なのか。一つには、目だと思う。目は口程に物を言うものだが、そのまっすぐな瞳に射抜かれれば、たいていの男はイチコロだろう。それほど今作におけるファニングの目、そして笑顔は魅力的であり説得力がある。ジャーナリスト志望ということは、まだジャーナリストではないわけで、彼女は単なる学生であり、子どもである。実際に作中でも15歳の少女扱いされるシーンがあるが、まだ何物でもない魅力的な女子に向き合うことで、男は、たとえば年齢や職業や肩書や社会的地位といった一種の虚飾から自由になれる。ただの男になれるわけだ。このエル・ファニング演じるアシュリーの魅力に、ぜひ魅了されたし。

 

惹かれ合いながらも何故かすれ違ってしまう恋人同士。雨のニューヨークに感じる旅情。映像美と音楽。これはウッディ・アレンの快作である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200712135040j:plain
 

ネガティブ・サイド

セレーナ・ゴメスは悪い役者ではないが、作品世界にはまっていなかった。なんだかちんちくりんに見えるのだ。いっそのことゴメスとファニングの逆にキャスティングしてみたら?それもそれでセレーナが爺殺しの魅力を発揮したかもしれない。

 

ギャツビーの兄のフィアンセの笑い方が、兄に結婚を躊躇させるほどのものだったか?確かに奇妙な笑いであるが、これは本作のテーマである“価値観の違い”というよりは、生理的な、あるいは生得的な好悪の問題だろう。もっとスプーンやフォークの使い方が~とか、音楽や映画の趣味が~とか、そういった設定にはできなかったのだろうか。

 

少しだけ気になったのは、ギャツビーの母が“アシュリー”を見抜くシーン。母が夫に「何か変じゃない?」と語りかけるシーンは不要だったし、その筋の道の人間にしか分からない、ほんのちょっとした所作や仕草のようなものを一瞬だけで良いので見せてくれていたら、非常に説得力あるシークエンスになったはずなのだが。

 

総評

約1時間30分とは思えないほど濃密な映画である。まさに梅雨空の続く今にふさわしい映画であると言える。夫婦で鑑賞すれば、すれ違いのあれやこれやを笑い飛ばせることもできる。ただし、デートムービーにはならないかもしれない。都会人の男と田舎出身の女子、というくくりは乱暴すぎるかもしれない。だが、ガールフレンドと一緒に本作を鑑賞しようともくろむ男子諸君には、映画の中身をよくよくリサーチされたしとアドバイスしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Time flies.

「光陰矢の如し」の意味だが、もっと単純に「時間が過ぎるのは早いもの」ぐらいでよい。仕事に集中していて、気が付いたら定時。飲み会ではしゃぎすぎて、気が付いたら終電間近。そんな時に“Time flies.”と呟いてみようではないか。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エル・ファニング, セレーナ・ゴメス, ティモシー・シャラメ, ラブコメディ, ラブロマンス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』 -Happy in the rain-

『 パーティで女の子に話しかけるには 』 -変則的かつ王道なボーイ・ミーツ・ガール-

Posted on 2020年5月1日 by cool-jupiter

パーティで女の子に話しかけるには 70点
2020年4月29日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング アレックス・シャープ ニコール・キッドマン
監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200501001004j:plain
 

ウィルスといえば本作も忘れてはならない。コロナもウィルス。『 貞子 』もある意味ウィルス(意味が分からない人は小説『 リング 』を読むべし)。そして本作もある意味でウィルスの物語である。

 

あらすじ

 

時は1977年、場所はロンドン。高校生のエン(アレックス・シャープ)は、ひょんなことからザン(エル・ファニング)という少女と出会う。意気投合する二人。エンはたちまちザンに恋するが、ザンは実は宇宙人で・・・

 

ポジティブ・サイド

原作はニール・ゲイマン。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』で創作について印象的なコメントを発していた小説家で、オンラインのcreative writing講座の広告で最近はよく見かける。

 

なんとも不思議なボーイ・ミーツ・ガールである。異星人に恋をするストーリーは、それこそ『 火星のプリンセス 』(『 ジョン・カーター 』として映画化されている)の昔(1910年代)から存在する。本作がユニークなのは、パンクという反体制・反社会・反規範のイデオロギーを個性の尊重=individualityと対比させた点にある。このことが喜劇にも悲劇にもなっている。

 

喜劇だなと感じられるのは、パンクについて語ることで意気投合するエンとザン。寒空の下で、ボロボロの木造部屋で、パンクについて語らう。まったくロマンチックではない。漫画『 CUFFS ~傷だらけの地図~ 』で、主人公とヒロインが夜空の下でB級アクション映画についてこんこんと語り合うシークエンスがあったが、ロマンチックさのかけらもないシーンこそロマンチックに見えるものである。キス、あるいはセックスをする直前が最も盛り上がるという一昔前の少女漫画的な描写になっていないところもいい。なにしろ、エンはザンに吐しゃ物をぶっかけられるからである。ザンはある意味で英国版『 猟奇的な彼女 』なのである。このように、エンという何者にもなれていない少年が、ザンと知り合って男に脱皮していく過程には、実にほほえましいものがある。だが、そのほほえましさが胸に刺さるシーンも見逃せない。決められたルールに反逆すること、それがパンク・ロックの精神であるが、母親に反発し、逃げた父親を今でも尊敬するエンに、ザンの何気ない一言が突き刺さるシーンは強烈である。少年はこのように大人になっていく。精神的な意味での父親殺しこそ、西洋文学の一大テーマなのである。

 

悲劇だなと感じられるのは、タイムリミット。恋とは障害があればあるほど激しく燃え上がるものだが、48時間という時間の制約はいかんともしがたい。『 はじまりのうた 』や『 ベイビー・ドライバー  』でも用いられた、一つのイヤホンやヘッドセットを二人でシェアするという演出は本作でも健在。実際にDVDのジャケットにも使われている。これがすべてだろう。 限られた時間では、時に言葉は無力である。B’zの『 Calling 』の歌詞にある通り“言葉よりはやく分かり合える”のが、音楽を通じて時に可能になる。こうした直感的な交信とでも言うべき現象は古典映画『 未知との遭遇 』から小説『 鳥類学者のファンタジア 』まで、古今東西に共通のようである。こんなに深く分かり合えるのに、交わることができない。何と切ないことであろうか。もう一つの悲劇的要素はザンの種族のある習性。ニール・ゲイマンは冨樫義博の漫画『 レベルE 』を読んでいたのかと勘ぐってしまう。現実的に考えれば、大人は子どもを食い物にするなというメッセージなのだろうが。

 

エル・ファニングは安定の演技力と存在感で不思議ちゃんを好演。本作でのパンクでロックなインプロビゼーションは『 ティーンスピリット 』の歌唱シーンを全て吹っ飛ばすような迫力とエモーションに満ち満ちている。また、川面を行くカモの群れがちょうど良いタイミングで現れガーガー鳴いているのを指して“What are they saying?”と言ったのはアドリブっぽく感じられた。もしも本当にアドリブなら大したもの。計算ずくのショットなら、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の会心の絵作りだろう。ザンの放つ「あなたのウイルスになりたい」との一節が、今という時期だからこそ、いっそう強烈に響いてくる。恋愛経験のない、あるいは好きな人と付き合った経験のない男女は、本作のラストにエンの親友のヴィックがくれるアドバイスにしっかりと耳を傾けよう。『 ハナレイ・ベイ 』のサチのアドバイスと双璧を成す金言である。

 

ネガティブ・サイド

随所にどこかで見た何かが満載である。PTステラを最初に目にした瞬間、『 怪獣総進撃 』のキラアク星人または『 三大怪獣 地球最大の決戦 』の金星人の女王様かと思った。ゴジラはグローバル・アイコンなので、ミッチェル監督が観ていたとしても何の不思議もないが、もうちょっと捻るというか、工夫が欲しかった。あとは『 アンダー・ザ・スキン 』的な演出かな。これも気になった。ストーリーをシュールなSFにしたいのか、ボーイにとってのガールとは、別の星からやって来たエイリアンのようなものという実感を絵にしたかったのかが、少々分かりにくかった。

 

難点のもう一つは、ニコール・キッドマンとエル・ファニングの英語か。これでバリバリのロンドナーで御座い、というのは無理がある。頑張って似せようとしているのは分かるが、『 ブレス しあわせの呼吸 』のアンドリュー・ガーフィールドにも及んでいない。アメリカ・イギリス合作だが、イギリス単独資本で作るべきだった。その方がリアリティも生まれたし、何よりも本作の横軸であるエンとザンの恋愛関係と対照をなす縦軸、つまり様々な親子関係に、もう一本の線が通ったと思うのだ。そこが惜しい。

 

総評

 

普通に面白い。パンクの何たるかをよくわからなくても、「そいつはロックだな」、「そんなのはロックじゃねえ!」みたいなノリが分かれば十分である。性別云々を言うのは野暮だしpolitically correctでもない。しかし、本作はぜひ中学生・高校生あたりの男子に観てほしい。女の子ってのは別の生き物に思える時があるが、それは本当にそうだからだ。話しかける時はプレイボーイぶらなくていい。王子様である必要もない。日本映画界が安易に量産する漫画原作の恋愛映画だけではなく、こういう映画も時々は観てほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Rise up

Jovianの属する業界にも、ちょっと前にやってきた会社の名前である(スペルは違うが)。「立ち上がれ」の意味であるが、get upやstand upと何が違うのか。get up = 寝ている状態から起き上がる、stand up = 座っている状態から立ち上がる、である。rise up の意味する「立ち上がる」は“立ち上がれ、立ち上がれ、立ち上がれ、ガンダム”ということである。意味が分からないという人は、周りの40歳以上の男性に尋ねてみよう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, アレックス・シャープ, イギリス, エル・ファニング, ニコール・キッドマン, ロマンス, 監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 パーティで女の子に話しかけるには 』 -変則的かつ王道なボーイ・ミーツ・ガール-

『 ガルヴェストン 』 -逃避行ものの佳作-

Posted on 2020年2月29日 by cool-jupiter

ガルヴェストン 60点
2020年2月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング ベン・フォスター リリ・ラインハート
監督:メラニー・ロラン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200219222019j:plain
 

シネ・リーブル梅田で見逃した作品。あの怪作『 複製された男 』にメインキャストとして出演していたメラニー・ロランの監督作ということは後で知った。これは観るしかない。

 

あらすじ

裏社会の男ロイ(ベン・フォスター) は肺を病んでいた。医師の説明もまともに聞かず病院を去ったロイは、組織のボスに命じられるまま仕事先に向かう。だが彼はそこで襲撃を受ける。組織はロイを始末しようとしたのだ。相手を撃ち殺したロイは、その場に居合わせた若い娼婦のロッキー(エル・ファニング)を連れ、逃亡の旅に出るが・・・

 

ポジティブ・サイド

ベン・フォスターがベテランの貫禄を見せれば、エル・ファニングも新鋭以上の存在として重厚な演技を見せる。水着などはただのサービスに過ぎない。酒場での酒の飲み方、たばこの吸い方に咥え方、歩き方に笑い方、すべてに slutty な雰囲気をまとっていた。『 ウォールフラワー 』のエマ・ワトソンも悪くなかったが、彼女はどうしてもハーマイオニーのイメージから脱却できないところがある。エル・ファニングは『 マレフィセント2 』でも、充実の初夜を過ごしたという表情を見せていた。つまりは演技派なのだ。

 

だが、ファニング以上に印象に残ったのは、テキサス州ガルヴェストンの安モーテルを経営するナンシー・コヴィントンを演じたC・K・マクファーランドである。このオバちゃんの放つ存在感よ。『 影踏み 』の安宿のお上もそれなりに裏街道の人間という風情があったが、比較にならない。地下世界の殺し屋や素性不明の娼婦相手に初対面で上下関係を植え付け、それでいて包容力も見せつける。BiographyをIMDbでチェックしたが、映画やテレビドラマのチョイ役として息長く活躍している女優のようである。このオバちゃんの圧倒的なオーラを体感するだけでも本作を観る価値はあるだろう。

 

物語はテキサスの陽光や海のきらめきを活写しつつも、ストーリーはダークな領域に向かっていく。不惑のロイと19歳のロッキーの間に小さな女の子が入ってくることで、物語が陳腐なロマンスに堕してしまうことを防いでいるし、この子の存在がエンディングに驚きと彩りを与えている。どこかアメリカン・ニューシネマを思わせる作りである。エル・ファニングの新境地・・・とまでは言わないが、新しい一面に触れられるだろう。

 

ネガティブ・サイド

アメリカン・ニューシネマを思わせるというのは、アメリカン・ニューシネマではないからそう言えるわけである。ロイという殺し稼業の男の運命が、途中で見えてしまうのが本作の弱点である。これ見よがしにロイにタバコを吸わせるのは逆効果だった。

 

逃避行にあまり緊張感がないのが残念である。『 ベイビー・ドライバー 』のように、明らかに警察に追われているという単純なスリルやサスペンスがないし、ロイの属していた組織やそのボスの怖さもあまり伝わってこない。ロイの犯した殺人がテレビのニュースで報じられるシーンというのは、それまでのロイのプロフェッショナルな姿勢や警戒心がただの杞憂だったように感じられるのである。逃亡劇が面白いのは、『 逃亡者 』のリチャード・キンブルのように逃げる者が肉体的に強者ではなかったり、あるいは漫画『 カムイ伝 』の抜け忍びカムイのように逃げる側が実力者であったりする場合である。ロイは弱くもなく、さりとて強くもなくという感じである。超凄腕であるが、病気のために弱っている・・・という描き方をすれば、また異なる緊張感を生み出せたのではないだろうか。

 

中盤にロッキーが客を取るシーン(明確に描写はされないが)では、どこで手に入れてきたのか、whoreのコスチュームをゲットしてくる。どこで買ってきたのか。なぜ買ってきたのか。いつ買ってきたのか。このあたりの展開や描写にリアリティを著しく欠いていた。

 

終盤の展開と描写が、どことなく『 ベイビー・ドライバー 』と重複する。ガン・アクションやカーアクションは、正直言って拍子抜けするレベルである。このあたりにもう少し力を入れれば、芸術度は上がらなくても娯楽性は上がっただろう。劇場で鑑賞すれば、ポップコーンがもうちょっとは進んだに違いない。

 

総評

傑作ではないが、駄作でもない。COVID-19が本格的に流行し始め、不要不急の集まりや外出は控えよとの政府のお達しも出ている。手持無沙汰の終末に、レンタルや配信で自宅で気軽に鑑賞するのに向いている作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Just so you know

「一応言っておくけど」、「念のために言わせてもらうが」のような意味合いである。Jovianが感銘を受けたNancy Covingtonが“I’m friends with lots of cops, just so you know.”とロイに不敵に言い放つシーンは迫力満点である。自分で使えずとも、こうしたすべての単語は知っていても、それらが組み合わさると字面にはない意味になる表現というのは、知っておいて損はない。『 女神の見えざる手 』でも聞かれた。英語好きな人にはこちらの動画(02:38~)を勧めたい。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, エル・ファニング, ヒューマンドラマ, ベン・フォスター, リリ・ラインハート, 監督:メラニー・ロラン, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ガルヴェストン 』 -逃避行ものの佳作-

『 ティーンスピリット 』 -ドラマも音楽も盛り上がらない-

Posted on 2020年1月14日 by cool-jupiter

ティーンスピリット 20点
2020年1月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エル・ファニング
監督:マックス・ミンゲラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200114011641j:plain

 

Jovianはエル・ファニングのファンである。しかし、それでも言わなければならない。これは駄作である。完全なる失敗作である。2020年は始まったばかりだが、海外クソ映画オブ・ザ・イヤー候補の最右翼であると言える。

 

あらすじ

ヴァイオレット(エル・ファニング)は英国に暮らす、歌手を夢見るポーランド系移民。ある時、“ティーンスピリット”の予選が地元で開催されることを知ったヴァイオレットは、オーディションに申し込みを行う・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200114011703j:plain
 

ポジティブ・サイド

オープニング直後にエル・ファニングが歌う“I was a fool”という歌は雰囲気があった。ストーリーの向かうところを暗示するEstablishing ShotならぬEstablishing Songだった。

 

またクライマックスの“Good Time”からのファニングの独唱そして熱唱は、『 ソラニン 』よりも上、『 リンダ リンダ リンダ 』に並ぶカタルシスをもたらしてくれた。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200114011724j:plain

 

ネガティブ・サイド 

Jovianが古い人間なのだろうか。今世紀の歌手の歌の数々にあまり魅了されなかった。『 アリー / スター誕生 』でも同じことを感じたが、音楽映画であるにもかかわらず、無条件に入っていける、ノセテくれる楽曲があまりにも少ないのは致命的である。そういう意味では『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』、『 イエスタデイ 』は秀逸だった。

 

また、このタイトルからは何をどうやってもNirvanaの“Smells Like Teen Spirit”を想起せずにはいられない。しかし、映画全体を通じてカート・コバーンのような「叛逆」や「打破」といった荒ぶるパワーは感じられなかった。もっと言えば、アイデンティティに悩む10代特有のドラマがない。敬虔なカトリックであるヴァイオレットの母親とヴァイオレット自身の距離感の描写が不足しているし、学校で特別に影が薄い存在として描かれているわけでもない。家庭や学校でヴァイオレットが疎外を感じる描写や演出があまりなく、ヴァイオレットが馬の世話と音楽に逃避することへの説得力が生まれていない。その馬が買われていく時にも、取り乱しはするものの、鬱になるでもなく、さりとて音楽の力で立ち直るでもない。オープニングで、ブルーアワーの牧草地で馬を世話しながらiPodの音楽に耽溺する様はいったい何だったのだろうか。

 

ヴラドというキャラクターの構築も中途半端だ。呼吸法のレクチャーには、亀の甲より年の功といった趣が感じられたが、それだけ。元プロのオペラ歌手として、精神論以外のアドバイスを送ることはできなかったのか。大手レーベルとの駆け引きでも、クロアチアで培った経験や業界の裏事情通であるところなどを披露し、ナイーブでいたいけなヴァイオレットを金の亡者の大人たちから守るのかと期待させて、それもなし。唯一褒められるのは、甘やかされてダメになりそうなクソガキをぶっ飛ばしたところだけ。

 

ヴァイオレットの成功があまりにトントン拍子で、彼女自身が抱えていた問題の描写も弱いことから、サクセス・ストーリーがサクセス・ストーリーに見えない。同じく音楽にフォーカスしていた『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』、『 イエスタデイ 』は、成功を掴めば掴むほどに、自身の抱える心の闇がより深まっていくことがはっきりと描写されていた。だからこそ、最後のステージでカタルシスが爆発した。ヴァイオレットは違う。元々抱えていたアイデンティティの問題や学校や家庭での疎外もいつの間にやら解消、というかそんなものは最初からなかったかのようである。

 

これにより、ヴァイオレットが自らの人生に欠いているpositive male figureとしてヴラドを受け入れるようになる、というプロットが空回りしている。ネックレスの件も同じである。実の父親を心のどこかで求めていながら、しかし、父親代わりの人物を実の父以上に慕うようになるという下地が描かれていない。ヴラドが母親に花束を贈っただけでは説得力など生まれない。それともお互いにポーランドとクロアチアからの移民で、同病相哀れむということなのだろうか。母子家庭であるヴァイオレットの家族と、ヴラドと自身の娘の関係の描写がとにかく薄くて浅くて弱い。この出来で、ヒューマンドラマで盛り上げれと言われても無理である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200114011747j:plain

 

総評

エル・ファニングの熱烈ファン以外にはお勧めできない。というよりも、エル・ファニングの熱烈ファンにすらお勧めしづらい。単に彼女の体の線が露わになるタンクトップで髪を振り乱して踊り狂うところを見たいというファンぐらいしか堪能できない作品である。脚本および監督のマックス・ミンゲラの力量不足は明らかである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I get that a lot.

「よくそう言われる」の意味である。ヴラドに年齢を尋ねられ、ヴァイオレットは21歳だとサバを読む。そこでヴラドに「もっと若く見えるぞ」と言われ、“I get that a lot.”と返した。このthatは、

“Let’s go for a drink after work.”

“That sounds awesome.”

のように、一つ前の事柄全般を受ける代名詞のthatである。それをしょっちゅうgetする=「よくそう言われる」となる。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, アメリカ, イギリス, エル・ファニング, 監督:マックス・ミンゲラ, 配給会社:KADOKAWA, 音楽Leave a Comment on 『 ティーンスピリット 』 -ドラマも音楽も盛り上がらない-

『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

Posted on 2019年10月30日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

マレフィセント2 45点
2019年10月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンジェリーナ・ジョリー エル・ファニング ミシェル・ファイファー
監督:ヨアヒム・ローニング

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191030020033j:plain

 

『 マレフィセント 』は非常に時代に即した映画だった。異種の間で愛が育まれるのかという問いは、現代においてその重みを増すばかりだからだ。古いおとぎ話を再解釈する意義は確かにそこにあった。だが、続編たる本作はどうか。現代的なメッセージも盛り込まれてはいるものの、ご都合主義的なストーリーの粗が目立つ。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191030020052j:plain

あらすじ

ムーアの王女オーロラ(エル・ファニング)は、アルステッドの王子フィリップから求婚され、受諾する。アルステッド王妃のイングリス(ミシェル・ファイファー)はオーロラと彼女の保護者的存在であるマレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)を晩餐会に招待するが・・・

ポジティブ・サイド

CGは美麗の一語に尽きる。もちろんCGっぽさは何をどうやっても隠せないのだが、ムーアの民の活き活きとした暮らしぶりや、終盤のバトルシーンのグラフィックは実にハイレベルである。日本の白組あたりは、予算ではなく別の分野で勝負してほしい。ディズニーと物量勝負をしたら負ける。絶対に。

 

アンジェリーナ・ジョリーの代表作は『 60セカンズ 』と『 トゥームレイダー 』だと思っているが、代名詞的な作品は『 マレフィセント 』と本作『 マレフィセント2 』だろう。特にララ・クロフトはアリシア・ヴァイキャンダーという後継者が出現してしまった。しかし、マレフィセントの後継者はおそらく出ないだろう。ハリソン・フォードが「自分が死ねば、インディアナ・ジョーンズというキャラクターも死ぬ」と公言しているが、それと同じくらいにジョリーはマレフィセントにハマっているし、キマっている。まばたきをせず、抑揚を小さく、しかし腹の底に響いてきそうな迫力を持って話すマレフィセントという魔女は、特殊メイクではなくジョリーの演技力で生み出されているということがよく分かる。

 

エル・ファニングも可憐で、しかし芯の強いオーロラ姫を過不足なく体現しているが、本作で彼女以上の存在感を放ったのはミシェル・ファイファー演じるイングリス王妃である。権謀術数に長け、確かな戦術眼と軍の指揮能力も持ち、そして王妃と母親という仮面をかぶることができるというスーパーウーマンである。40年後のエル・ファニングも、きっとこのような大女優に成長するのだろう。各世代を代表する女優3名の共演は、非常に見応えのあるものだった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191030020142j:plain
 

ネガティブ・サイド

晩餐会でジョン王が倒れるシーンのオーロラ姫に喝!!!何故にそこでマレフィセントを疑うのか。前作の感動的な展開は一体何だったのか。今作の冒頭で、屈託なくムーアの民と語らい、触れ合うオーロラ姫の姿を見て、我々は彼女がマレフィセントをはじめ、異形の者たちとも全く問題なく心を通い合わせることができる人間に成長したことを確認した。それが、婚約者に招かれた晩餐会でこのように豹変してしまうとは・・・ 言葉を失ってしまう。

 

マレフィセントにも喝!!!なぜ陰謀に倒れたジョン王に何でもいいから魔法で手を尽くさなかったのか。人間の話が字面通りにしか通じない、レトリックを解さないマレフィセントならば、自分に疑惑がかかっているという空気を読まずに、何らかの措置を講ずるのではないか。前作からのキャラが、強引なストーリー展開のためにぶれまくってしまっているのが残念でならない。

 

マレフィセントの種族が登場するのもご都合主義でしかない。終盤のバトルシーンをよりspectacularなものにすることが第一の目的にしか見えない。前作で種を超えた愛の成就を語っただから、今さら同種を持ち出す必要はない。語るとすれば、それは我が子の愛を成就させるために、我が子を手放すという愛の形だろう。

 

終盤のバトルシーンも迫力はあるが、説得力はない。闇の妖精たちには、斥候を放つという概念は無いのか。いや、「よろしい、ならば戦争だ」「戦争だ!」と意気込むからには、戦いの概念を有していることは間違いない。というよりも、人間に地下世界に追いやられたのも、戦闘に敗れたからだろう。なぜ自分よりも強い相手と戦おうという時に、正面突破を図ろうとするのか。それも、高射砲的な兵器で画面を彩りたかった脚本家や監督のご都合主義である。

 

マレフィセントの大変身も既視感ありありである。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のラドンを既に観た映画ファンには物足りないと感じられたはずである。そして、その後の戦闘の終結シーンもご都合主義の極みである。戦争や抑圧がどのような負の感情を生み出すのかは、韓国が日本に、ベトナムが中国に、イラクがアメリカに抱いている感情を慮れば理解できる。異形のマイノリティとも手を取り合うことができる、というアメリカの新しいイデオロギーをスクリーンに映し出したいのであれば、もっと説得力のある脚本が必要である。ヒューマンドラマだった前作に対して、本作はアクション作品になってしまっている。

 

総評

非常に評価の難しい作品である。エル・ファニングが出演しているだけで5~15点は加点してしまうJovianをもってしても、45点が限界である。とにかく物語にリアリティがない。おとぎ話には普遍的な真実の一端が含まれていなければならないが、それも無し。製作者側としては現代的な寓話にしたいのだろうが、それならば前作を子供向けに、本作を大人向けに作るべきだった。これではあべこべである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

One can never be too careful.

 

アルステッド女王の台詞で、確か字幕は「油断大敵よ」だった。直訳すれば、「人はどれほど注意しても注意しすぎることはできない」だが、そんな冗長な日本語よりも油断大敵という四字熟語の切れ味を買おうではないか。英語の学習者であるという方は、是非以下の英文を訳されたい。それによって貴方の勤務先がホワイト企業か、それともブラック企業かが判別できるだろう。

You can never work too hard.

You can’t work too hard.

前者は「どれだけ一生懸命に働いても、一生懸命すぎることはない」=「もっともっと一生懸命に働け」ということで、このように訳した貴方はずばりブラック企業勤めだろう。後者は前者と同じ意味だが、文脈によっては「あまりにも一生懸命に働いてはいけない」という禁止命令になる。このあたりの意味の判別が瞬時にできれば、英語学習の中級者である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, アンジェリーナ・ジョリー, エル・ファニング, ファンタジー, ミシェル・ファイファー, 監督:ヨアヒム・ローニング, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

『 メアリーの総て 』 -時代に翻弄され、時代を乗り越えた作家-

Posted on 2019年10月30日 by cool-jupiter

メアリーの総て 65点
2019年10月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング ダグラス・ブース ベル・パウリー
監督:ハイファ・アル=マンスール

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191030013843j:plain

 

フランケンシュタインの怪物の影響は現代まで連綿と続いている。日本では漫画『 ドラゴンボール 』の人造人間8号などは好個の一例だろう。けれども、そのキャラクターと物語を生み出した作家メアリー・シェリーについてはそれほど知られていない。だが、今という時代に彼女の映画が作られたことには必然性があったのだ。

 

あらすじ

19世紀のロンドン。書店の娘メアリー(エル・ファニング)は物書きになることを夢見て、様々な本を渉猟していた。ある日、妻子のあるパーシー(ダグラス・ブース)と恋に落ちたメアリーは、彼と駆け落ちする。それは、彼女の波乱万丈の人生の始まりだった・・・

 

ポジティブ・サイド

現代物でも歴史物でも、ロンドンという都市には陰鬱な雰囲気がある。それは本作でも巧みに表現されている。街の空気が重苦しく感じられ、母親などから仕事を手伝うようにプレッシャーをかけられても、メアリーは快活さを失わない。彼女は自身の内に響く言葉を解き放つことを恐れない。『 未来を花束にして 』の二世代前の時代、女性が自分らしく生きることは想像を絶するほどに困難だったと思われる。だからこそ、メアリーのキャラクターが立つし、観る者はメアリーを応援したくなる。エル・ファニングは少女と女性の中間のような存在を好演してくれた。ラブシーンもちょこっとあるので、スケベ映画ファンはほんの少しだけ期待してよい。

 

異形の、しかし心優しい怪物を構想し、執筆する背景になにがあったのか。メアリーは16歳という若さで情熱に身を任せ、妻子ある男と駆け落ちしたが、そんなものは誰がどう見ても幸せにはつながらない。現代の目で見てもそうだし、家族や当時の人々もそう思っていたことだろう。弱冠18歳にして「フランケンシュタインの怪物」を生み出した彼女は、そのエンディングに関して、パーシーからアドバイスを得る。しかし、それを採用しない。なぜなら、それこそが彼女の心だから。なぜなら、その作品が彼女の子どもだから。ボリス・カーロフ主演の『 フランケンシュタイン 』で、怪物が少女と湖畔で遊び、語らうシーン、そして怪物が武器を手にした村人たちに追われるシーンが思い起こされた。少女が誰を象徴しているのか、村人たちが誰を象徴しているのかに、しばし思いを巡らせてみるのも一興だろう。

 

美とは何か。創作とは何か。メアリー・シェリーの10代を通じて、色々なものが見えてくるし、考えさせられもする。

 

脇を固めるダグラス・ブースは見事なクズ男を演じた。パーティーで詩文を恭しく詠んでは、先進的な思想をひけらかして女性を引っかけていくという典型的なプレイボーイで、加えて生活力や金銭管理能力にも劣る。そんなすきに慣れそうにないキャラクターを見事に好演。日本でいえば、一頃の藤原竜也だろうか。『 マイ・プレシャス・リスト 』でタイトル・ロールのキャリー・ピルビーを演じたベル・パウリーも印象的。「詩人に気に入られる女性はあなただけじゃない」とメアリーに言ってのけるシーンに、女性という生き物のプライドを垣間見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーのペーシングに難がある。メアリーという女性がいかにしてフランケンシュタインの怪物を構想し、執筆したのかという場面までなかなかたどり着かない。監督や脚本家に、「メアリーという人間を掘り下げて描き出したい」という願望が強すぎたように思う。その割には、彼女が赤ん坊を早くに亡くしてしまったことの負い目が、それ程強調されていなかった。怪物は二重の意味でメアリーの子ども(血を分けた我が子が復活した姿と創作物)なのであるから、子に先立たれた親の悲嘆について、もう少し詳細な描写や演出が欲しかった。

 

メアリーとポリドリ医師の距離感というか、この二人がもっと熱心に生や死について語らう場面があってもよかったはず。当時の英国の死生観や科学観をもう少し丁寧に劇中で描けていれば、メアリーが創作のためにどのようなインスピレーションを得たのかを我々としては想像しやすくなる。

 

総評

近代ホラーおよびSF文学史に興味がある向きならば必見だろう。現代は過去の様々な作品が脱・構築され、フェミニスト・セオリーが適用され、再生産されている時代である。女性作家としてはジェーン・オースティンと並ぶ、まさに元祖である。彼女のbiopicを見ずして、現代の映画製作のコンテクストは語れない・・・は、さすがに言い過ぎか。エル・ファニングのファンならば鑑賞必須である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak ill of ~

 

~の悪口を言う、~を悪しざまに言うの意である。序盤でメアリーが「私の母を悪く言わないで」というシーンがある。反対の意味の表現として、speak highly of ~がある。~を褒める、の意である。こちらも序盤にパーシーがメアリーの家にやって来る時に使われていた。TOEICにはまず出てこないが、英検やTOEFLには偶に出てくるかもしれない。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, イギリス, エル・ファニング, ルクセンブルク, 監督:ハイファ・アル=マンスール, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 メアリーの総て 』 -時代に翻弄され、時代を乗り越えた作家-

『 アバウト・レイ 16歳の決断 』 -Being born into the wrong body-

Posted on 2019年8月1日2020年5月23日 by cool-jupiter

アバウト・レイ 16歳の決断 70点
2019年7月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング ナオミ・ワッツ スーザン・サランドン
監督:ゲイビー・デラル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190801204627j:plain

LGBTは、おそらく人類誕生の昔から存在していた。“生産性が低い”とどこかの島国のアホな政治家が主張する彼ら彼女らが、歴史を通じて存在してきたのは何故か。それには諸説ある。日本でも、江戸川乱歩の傑作長編『 孤島の鬼 』などは歴史に敵に新しい方で、安土桃山時代の織田信長や、室町初期の足利義満、またはそれ以上にまで遡る歴史がある。近年、LGBTをテーマにした作品が数多く生産されている。メジャーなものでは『 ボヘミアン・ラプソディ 』、マイナーなものでは『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』など。本作は諸事情あって公開が延期されるなどした作品であるが、それもまた時代であり世相であろう。

 

あらすじ

レイ(エル・ファニング)はトランスジェンダー。生物学的には女性だが、精神的には男性、そして肉体的にも男性として生きたいと強く願っている。しかし、未成年のレイがホルモン療法を受けるには、両親の同意が必要。母マギー(ナオミ・ワッツ)は悩んだ末に、レイをサポートすることを決断する。そのために、レイの父、自らの元夫の協力と理解を得ようとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

エル・ファニングが好演している。おそらく、この撮影前であれば、肉体的な成熟具合が不十分であるため、男性的な肉体を欲するようになる動機が弱くなる。これよりも後のタイミングで撮影するとなると、完全に女性になってしまい、中性さが失われる。つまり、決断の遅さが目立ってしまい、観る側の共感を得ることが困難になる。公開が遅れたことは残念であるが。それゆえに『 孤独なふりした世界で 』との距離感、つまり中性性と女性性の差が際立つ。つまり、ベストタイミングでの撮影だったわけである。とても年頃の女の子とは思えない、大股開きでの座り方。男子との取っ組み合いのけんかの後に、気になる女子に「女を殴るなんて、あいつらサイテー」と言われた時の複雑な表情。胸の膨らみをサラシで隠し、ダボダボの服で身体の曲線を目立たなくさせ、生理が止まると医者に説明を受けた時には心底嬉しそうに笑う。エル・ファニングのキャリア屈指のパフォーマンスではないだろうか。But as for her career, the best is yet to come!

 

女三世代で暮らす中には緊張が走る瞬間や女性特有の人間関係、B’zの『 恋心 ~KOI-GOKORO~ 』が言うところの「女の連帯感」を感じさせる場面もある。祖母ちゃんが立派なゲイで、彼女とパートナーの間には、家族といえども入り込めない空気が存在するのである。だが、そこに冷たさはない。自分の信じる道、生きると決めた道を行く姿勢を見せることが、レイの生き方をexemplifyすることになるからだ。三世代それぞれに異なる女性像を描くことで、単なる家族の物語以上の意味が付与されている。

 

それにしてもナオミ・ワッツの脆さと強さ、健気さと不完全さを同居させる演技はどうだ。日本では篠原涼子、アメリカではジュリア・ロバーツらがタフな母親を演じ、好評を博しているが、それもこれもナオミ・ワッツのようなactressがバランスをとってくれているからだろう。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーの一番の肝である、父親からホルモン療法の同意書を得るというミッションをこれ見よがしに引き延ばすのはよろしくない。すれっからしの映画ファンならずとも。この筋道は簡単に読めてしまう。

 

レイが地域や学校で苦悩する姿の描写が足りなかった。例えば、ゲイならばパートナーを見つけることができれば、それが自身の幸福にも相手の幸福にもつながる。しかし、トランスジェンダーというのは、自分自身の身体と精神が折り合えないところに辛さがある。パートナーを見つけることが問題解決になるわけではない。自分が自分を見るように、他人が自分を見れくれない。だからこそ、自分の身体を変えて、新しいコミュニティで新しい生活を始めたいという、レイの切なる気持ちを見る側が素直に共感できるような描写がもっと欲しかったと思う。

 

総評

ライトではなく、しかし、シリアスになりすぎないLGBTの物語、そして家族の別離と再生の物語である。日本で誰かリメイクしてくれないだろうか。こういったストーリーは現代日本にこそ求められているはずだ。その時は行定勲監督で製作してもらいたい。日本映画界でも出来るはずだし、やるべきだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エル・ファニング, スーザン・サランドン, ナオミ・ワッツ, ヒューマンドラマ, 監督:ゲイビー・デラル, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 アバウト・レイ 16歳の決断 』 -Being born into the wrong body-

『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

Posted on 2019年5月13日 by cool-jupiter

The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 50点
2019年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニコール・キッドマン キルステン・ダンスト エル・ファニング
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190513003135j:plain

The Beguiledとは、魅了された者の意味である。同時に、騙された者という意味にも解釈可能である。無理やり日本語にするなら、「 落とされた者 」にでもなるだろうか。誰が誰に騙されたのか、誰が誰に魅了されたのか。これは何とも心憎いタイトルである。

 

あらすじ

南北戦争中のアメリカは南部のミシシッピの女子寄宿学園に、傷ついた北軍兵士が舞い込んでくる。園長のマーサ(ニコール・キッドマン)や教師のエドウィナ(キルステン・ダンスト)、年長のアリシア(エル・ファニング)らは、兵士マクバニー(コリン・ファレル)を介抱するうちに、精神的な変化を自覚するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

立ち上がりから非常に静かな映画である。音響的な意味でも静かであるし、台詞も特に多いわけではない。またドラマチックな展開になるまでにそれなりの時を要する。しかし、白を基調にしたドレスに身を包んだ婦女が、薄暗い屋敷兼校舎の中を楚々と動く様は色々な想像を掻き立てる。女の園というと、韓国の歴史宮廷ドラマの『 宮廷女官チャングムの誓い 』や『 トンイ 』が思い出されるが、これらのようなドロドロの暗闘や露骨な権力闘争などではなく、逆にこれらのドラマではほとんど触れられることの無かった、邦題で付された“欲望への目覚め”が大いに予感される。ソフィア・コッポラ監督の美意識というか、作家性なのだろう。これは心憎い。そしてこの監督の作家性は非常に露骨な形で終盤に爆発する。亀とキノコが重要なガジェットとして用いられることに笑わずにはいられようか。ここでは男性諸賢に大いに笑って頂きたいと思う。と同時に、冒頭からさりげなく小道具を仕込んでいる脚本にも拍手である。

 

女性陣ではキルステン・ダンストが特に良かった。うら若き乙女には出せない色気を出していた。というか、色気を出さないようにしようとすること自体が色気になっているという、非常に重層的な演技を見せてくれた。妖艶さとはまた違った妖しさがあり、無垢な(しかし悪女の素質にも恵まれた)スパイダーマンのメリー・ジェーン・ワトソンの成長した姿の一つの可能性の結実を見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

原作の男性視点バージョンを未見のため何とも言いかねるが、マクバニー伍長の魅力がもう一つ伝わらなかった。確かにナイスガイではあるが、兵士としての力強さや泥臭さには欠けていた。早い話、同じ男性として、男性ホルモンがたくさん出ているような男には見えなかった。少なくとも中盤までは。女性目線で見ると異なるのだろうが、あいにくと嫁さんは未鑑賞・・・

 

Jovian期待の星の一人、エル・ファニングの見せ場が足りなかった。濡れ場ではない。見せ場である。繰り返すが、濡れ場ではない。見せ場である。濡れ場だけが見せ場ではない。期待した自分が悪いのだ。濡れ場だけが見せ場ではない。スケベ心を抱いて本作を鑑賞しようという向きは、決して過度な期待を抱くべからず。

 

総評

初回鑑賞中に痛恨の寝落ちをしたために、あらためて見直した作品である。盛り上がるところでは恐ろしいぐらいに展開が盛り上がる。だが、そうではないところでは至って静かな、噴火前の火山がゆっくりじっくりとマグマを溜めこむような趣がある。そこを楽しめるかどうか、ソフィア・コッポラ監督の美意識と波長が合うかどうかで評価ががらりと変わる作品だと言えよう。

 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エル・ファニング, キルステン・ダンスト, サスペンス, ニコール・キッドマン, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

『 孤独なふりした世界で 』 -やや竜頭蛇尾なディストピアもの-

Posted on 2019年4月15日2020年2月2日 by cool-jupiter

孤独なふりした世界で 55点
2019年4月11日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ピーター・ディンクレイジ エル・ファニング
監督:リード・モラーノ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190415014149j:plain

人類滅亡ものはフィクションの世界ではそれこそ星の数ほど生産されてきた。しかし、近年ではディストピア後の世界をどう生きるかに焦点が当てられているように思う。本作もそうした潮流に乗った作品である。

あらすじ

人類が死滅した世界で、一人黙々と生きるデル(ピーター・ディンクレイジ)。彼は空き家を片付け、死体を穴に埋め、生活に使えるものを回収して、生きていた。しかし、ある時、グレース(エル・ファニング)という女性がデルの街にやってくる。人間嫌いのデルは、グレースとの共同生活を始めるが・・・

ポジティブ・サイド

ビジュアル・ストーリーテリングに徹している作品である。何かが起きて人類の大半が死滅してしまったことが示唆されるが、それが何であったのかは決して明かされない。しかし、それを推測するヒントというか材料は、スクリーンの端々に散りばめられている。それは時に映像であったり、事物であったり、人間の死骸であったり、動物の存在と不在であったりする。魚釣りはできる。人間の死骸はネズミやカラスに食い荒らされてはいない。小鳥の囀りが聞こえる。犬が登場する。建物などが破壊されたわけではない。イスに座ったまま死んだ人もいる。さあ、こうした描写から何が人類滅亡の原因になったのかを考えてみようではないか。

『 クワイエット・プレイス 』や『 死の谷間 』と同じく、本作も具体的に何が起きたのかを決して安易にキャラに喋らせたりはしない。そこのところに好感が持てる。デルというキャラが図書館を根城にしているのも象徴的である。書物を読むという行為は極めて能動的であるが、書物の方から我々に話しかけてくることは決してない。それが映画であっても音楽であっても同じで、デルは能動的に働きかけることができる対象には能動的でいられるが、自分が受動的にならざるをえない対象、それは往々にして他者なのであるが、それに対しては極めて脆弱もしくは攻撃的になる。死体を無造作に引きずり、月曜日の朝のゴミ出しの如くポイッと穴に捨てていく様は、異様である。

こうした、ある意味では極まったmisanthropeであるデルはグレースとの出会いと生活によってどう変わっていくのか。または変わらないのか。このあたりの説明描写も巧みである。映像と役者の演技にそれを語らしめるからだ。本作は中盤までは、それなりに面白い。そこから先を楽しめるかどうかは、おそらく鑑賞者の経験値に依るだろう。SF、特にディストピアものを数多く消化した人ならば、やや拍子抜けさせられるだろう。しかし、こうしたジャンルへの造詣が深くないという人であれば、ある程度は混乱させられつつも、楽しめるはずだ。

ネガティブ・サイド

中盤以降は、残念ながらどこかで観たり聞いたり読んだりしたストーリーのパッチワークである。詳しくはネタばれになるので書かないが、グレースに『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』を思わせるネタを仕込むのはどうなのだろう。人類の大半が死滅してしまった原因の一つとして考えられないでもないが、そこを微妙な加減でぼやかしているからこそ、前半が際立つのだ。そのテンションやトーンは後半でも維持すべきだった。また日本の漫画で映画化もされた『 ドラゴンヘッド 』にもそっくりという展開も、個人的には買えない。

本作のその他の弱点としては、サウンドトラックが本編ストーリーとケンカしているということが挙げられる。また、デルの住む世界の静謐さを際立たせたい意図が込められているのだろうが、サウンドのボリュームが不意・不必要に大きいと感じられるシーンも多数存在する。このあたりも減点材料である。

総評

弱点を抱えてはいるものの、導入部から中盤までは引き締まっている。台詞の少なさに辟易してしまう人には向かないが、映像そのものや役者の演技からストーリーを読み取れる人なら、本作の前半は必見である。日本にもピーター・ディンクレイジのような渋い役者が必要だ。本作のエンディングについて、より深く考察してみたいという向きには、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『 不死の人 』をお勧めしておきたい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190415014212j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, エル・ファニング, ピーター・ディンクレイジ, 監督:リード・モラーノ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 孤独なふりした世界で 』 -やや竜頭蛇尾なディストピアもの-

最近の投稿

  • 『 28日後… 』 -復習再鑑賞-
  • 『 異端者の家 』 -異色の宗教問答スリラー-
  • 『 うぉっしゅ 』 -認知症との向き合い方-
  • 『 RRR 』 -劇場再鑑賞-
  • 『 RRR:ビハインド&ビヨンド 』 -すべてはビジョンを持てるかどうか-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme