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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

Posted on 2021年10月10日 by cool-jupiter

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 85点
2021年10月7日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:田中敦子 大塚明夫 山寺宏一
監督:押井守

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緊急事態宣言の解除は喜ぶべきことだが、明らかにノーマスクの人間や、あごマスクで飛沫を飛ばす人間も増えた。映画館好きとしては、以前のような人手の少なさや間隔を空けての崎瀬販売が望ましかったが、そうも言ってはいられない。ならば人が少ない時間帯を狙って、本作をピックアウト。

 

あらすじ

近未来。全身を義体化した公安9課の少佐こと草薙素子(田中敦子)はサイバー犯罪や国際テロと日々戦い続けていた。ある時、国際指名手配されている謎のハッカー「人形使い」が日本に現われ、草薙素子は相棒のバトーやトグサらと共に捜査に乗り出すが・・・

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ポジティブ・サイド

新劇場版の『 攻殻機動隊 』はビジュアルからして「うーむ・・・」だったし、スカーレット・ジョハンソン主演の『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』は原作および本作にあった哲学的命題を完全無視していて、これまた「うーむ・・・」だった。そこで初代アニメーションの本作である。確か公開当時リアルタイムでは鑑賞できず、WOWOWで放送されたのを家族で観たんだったか。その後、大学の寮でもジブリアニメ研究にやってきたスコットランド人と一緒に観た。

 

3度目の鑑賞で最初に強く印象に残ったのは、バトーが素子に向ける視線。いや、視線を逸らすところと言うべきか。冒頭で素子がいきなり服を脱ぎ捨てるところからして面食らうが、その直後に素子の全身が義体であることを散々に見せつけられる。にもかかわらず、バトーは素子の裸から思わず目をそらす。確か高校生および大学生のJovianも、いたたまれなさを覚えたように記憶している。すぐそばに家族や友人がいたということもあるだろう、けれど、今の目で見て思ったのは「なぜバトーは全身サイボーグの素子の裸を観ることに羞恥心あるいは罪悪感を抱くのか?」ということである。

 

これは難しい問いである。一つにはバトーは生身の女性の裸に反応したわけではなく、女体という「記号」に反応したと考えられる。もう一つには、素子が恥じらわなかったということも挙げられる。素子の側が「見るな」という素振りを見せたり、あるいは言葉を口にしていれば、「でもそれって義体じゃねーか」という反論が可能になる。つまり、居心地の悪さを感じるのは自分ではなく素子の側となる。人間が人間であるためにはどこまでの義体化が許容されるのか。漫画『 火の鳥 復活編 』からの変わらぬテーマである。人間と機械の境目はどこにあるのか。生命と非生命の境界はどこなのか。全編にわたって、そのことが静かに、しかし雄弁に問われている。

 

生命哲学=命とは何かという問いは20世紀初頭から盛んに問われてきていたが、1990年代前半の時点で、インターネット=膨大な情報の海という世界観の呈示ができたのは、士郎正宗や押井守の先見性だと評価できる。若い世代には意味不明だろうが、Windows95以前の世界、PCで何をするにもコマンド入力が求められた時代だったのだ(その時代性は指を義体化させ、超高速でキーボードをたたくキャラクター達に見て取れる)。直接には描かれることはないが、ネット世界の豊饒さと現実世界の汚穢が見事なコントラストになっている。『 ブレード・ランナー 』と同じく、きらびやかな摩天楼と打ち捨てられた下流社会という世界観の呈示も原作者らの先見性として評価できるだろう。

 

本作が投げかけたもう一つの重要な問いは「記憶」である。自己同一性は「意識」ではなく「記憶」にあるということを、本作はそのテクノロジーがまだ本格的に萌芽していない段階で見抜いていた。現に人格転移ネタはフィクションの世界では古今東西でお馴染みであるが、1990年代においては西澤保彦の小説『 人格転移の殺人 』でもゲーム『 アナザー・マインド 』でも、移植・移動の対象は意識であって記憶ではなかった。だが、記憶こそが人格の根本であり、それを外部に移動させられるということが人類史上の一大転換点だったという2003年の林譲治の小説『 記憶汚染 』まで待たなければならなかった。ここにも本作の恐るべき先見性がある。

 

原作漫画において「結婚」と表現された、素子と人形使いの出会いと対話であるが、生命の本質を鋭く抉っている。『 マトリックス レボリューションズ 』でエージェント・スミスが喝破する”The purpose of life is to end.” = 「生命の目的とは終わることだ」という考えは、間違いなく本作から来ている。ウォシャウスキー兄弟(当時)も、本作の同作への影響を認めている。サイバーパンクであり、ディストピアであり、期待と不安に満ちた未来へのまなざしがそこにある。劇中およびエンディングで流れる『 謡 』のように、総てが揺れ動き、それでいて確固たる強さが感じられる作品。日本アニメ史の金字塔の一つであることは間違いない。

 

ネガティブ・サイド

都市の光と影の部分にフォーカスしていたが、地方や外国はどうなっているのだろう。特に序盤で新興の独裁国へのODAの話をしていたが、そこにもっと電脳や義体の要素を交えてくれていれば、これが全世界的な未来の姿であるという世界観がより強化されたものと思う。

 

「感度が良い」とされる9課の自動ドアであるが、いったい何に感応していたのだろうか。赤外線ではないだろうし、重量でもない。だとすればいったい何に?

 

総評

4K上映とはいえ、元がCGではなく手描きであるが故の線の太さや粗さは隠しようがない。しかし、面白さとは映像美とイコールではない。ごく少数の登場人物と実質ひとつの事件だけで、広大無辺な情報と電脳、そして義体化の先の世界にダイブさせてくれる本作こそ、クールジャパンの代名詞であろう。クールジャパンとは博物館のプロデュースではなく、ユニークさのプロデュースである。『 花束みたいな恋をした 』で神とまで称された押井守の才能が遺憾なく発揮された記念碑的作品。ハードSFは苦手だという人以外は、絶対に観るべし。ハードSFは苦手な人は、2029年に観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a ghost from the past

ゴーストというのは亡霊以外にも様々な意味がある。a ghost from the past というのは、しばしば「過去の亡霊」と訳され、忌まわしい過去を呼び起こす存在が今また目の前に現れた、という時に使われることが多い。ただ必ずしもネガティブな意味ばかりではなく、単に長年であっていなかった知人に久しぶりに会ったという時に、相手を指して a ghost from the past と言うこともできる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, SF, アニメ, 大塚明夫, 山寺宏一, 日本, 田中敦子, 監督:押井守, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

『 CUBE 』 -シチュエーション・スリラーの極北-

Posted on 2021年10月5日2021年10月5日 by cool-jupiter

CUBE 80点
2021年10月3日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:モーリス・ディーン・ウィント ニコール・デ・ボア アンドリュー・ミラー
監督:ビンチェンゾ・ナタリ

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Jovian嫁は本作を観たことがないというので、自宅で鑑賞。コロナ収束の兆しは喜ぶべきだが、映画館およびその周辺での無節操な輩が明らかに増加しているため、逆に映画館通いがしにくくなった。Give me a goddamn break…

 

あらすじ

男は目覚めると謎の立方体の中にいた。周りの部屋の人間も合わせて男女6人だが、なぜ、どのようにして立方体に閉じ込められたのか皆目見当がつかない。そんな中、アッティカの鳥の異名を持つ脱獄王が先導するが、彼はある部屋に仕掛けられた死のトラップにかかって命を落としてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭いきなり男が死亡する。しかもただの死に方ではなく、鋼線が格子状に張り巡らされたトラップによって一息で人間サイコロステーキにされてしまう。Jovian嫁は「うげ」という言葉を発したが、Jovianも大学生の時にレンタルビデオで借りてきて鑑賞したときに同じような声を発したと記憶している。それほど強烈なシーンで、タイトルにもなっているキューブという立方体の危険さが観る側に一発で伝わってくる。この人間サイコロステーキは映画『 バイオハザード 』でもレーザーの形で登場している。悪く言えばパクリ、上品に言い換えればオマージュだろう。

 

サイコロステーキのシーンという顔に酸のシーンといい、低予算映画ながらどこにカネと手間をかけるべきか、よく分かっている。グロとバイオレンスは忌避されるテーマであるが、そうであるがゆえにそのジャンルの熱心な愛好家というものが存在する。ビンチェンゾ・ナタリ監督はそのことをよく理解している。

 

キャストが無名なのもいい。次に誰が死ぬか分からないからだ。また役者としての知名度や格付けなどを演じる側も観る側も気にする必要がないし、監督も演出を好きなようになれるだろう。『 ディープ・ブルー 』のサミュエル・L・ジャクソンや『 ザ・ハント 』のエマ・ロバーツのような例もあるが、低予算映画は売れていない俳優を起用して、そこから逆にスターを生み出すべきだ。日本でも『 カメラを止めるな! 』という超低予算映画から濱津隆之やどんぐりといった役者が売れるようになった。役者>ストーリーという構図に陥りがちな邦画は、このようなアイデア一発で勝負する映画から学んでほしい。

 

グロとバイオレンスを序盤で強烈に見せつけるが、本作が優れているのは、そうした視覚的な恐怖の演出の軸を、キャラクターの変容へと変えていくところ。特に警察官クエンティンが、法執行官としての意志と責任を忘れ、暴力に物を言わせるように変貌していくのは正にホラーである。怪物の誕生である。精神科医のハロウェイや大学生のレブン、謎の男ワースなどが織りなす奇妙なチームワークと対立の構図は、ミステリでおなじみの吹雪の山荘や絶海の孤島の屋敷に閉じ込められた哀れなモブキャラたちのそれ。ここでの疑心暗鬼の様相は、『 遊星からの物体X 』にも共通するサスペンスがある。

 

数学を武器にしてキューブの謎に迫る過程、その数学が誤っていたと分かった時の絶望、そこに現われる意外な救世主など、最後の最後まで息をつかせぬハラハラドキドキ展開で突っ走る。Jovian嫁は「これって『 インシテミル 』にそっくりやな」という感想を述べたが、エンタメとしては本作が圧勝であろう。日本版リメイクの公開前に多くの方々に復習鑑賞してほしいと思う。

 

ネガティブ・サイド

キューブの中で動く部屋が存在するわけだが、それを可能にするためには立方体の中にかなりの隙間が必要である。クエンティンらのパーティーはかなりあちこちキューブ内を巡っているが、早い段階で「動く部屋」の通り道を発見できなかったのは少し考えづらい。

 

レブンが一の位が2や5の3桁の数字を数秒考えて「素数じゃない」というシーンは、やはり何度見ても奇妙だ。2以外の偶数は絶対に素数ではないし、一の位が5の二桁以上の数字は必ず5の倍数で、すなわち素数ではありえない。

 

デカルト座標も、「動く部屋」には割り振れないだろうし、「動く部屋」の通路=何もない空間や、「動く部屋」を通すために動かされる部屋にも割り振れないだろう。数学はネタに使えばキャラが一気にスマートに見えるが、そこで失敗すると一気にキャラが陳腐化してしまうという諸刃の剣である。

 

総評

観るのは3度目だが、やはりこれは傑作である。謎の密室状の構造に閉じ込められ、理不尽なストーリーが展開するというジャンルを確立し、その影響は公開から20年以上が過ぎた2020年代でも健在。『 プラットフォーム 』などは一例だろう。本作が気に入ったという人は『 CUBE 2 』は華麗にスルーして、『 CUBE ZERO 』を鑑賞しよう。クオリティは落ちるものの、思いがけない連環の物語になっていることにアッと驚くことだろう。日本版のリメイクには正直なところ不安9、期待1であるが、是非ともJovianの予想を裏切ってほしいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s face it.

直訳すれば「それに直面しよう」となるが、少し意訳すれば「そのことを直視しよう」となる。なにか都合が悪いが、それでも真実であるということを述べる前に言う。 Let’s face it. He is a good man, but he’s a bad sales rep. = 「現実を見よう。彼は良い人だが、営業マンとしてはダメだ」のように使う。  

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, アンドリュー・ミラー, カナダ, シチュエーション・スリラー, ニコール・デ・ボア, モーリス・ディーン・ウィント, 監督:ビンチェンゾ・ナタリ, 配給会社:クロックワークス, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 CUBE 』 -シチュエーション・スリラーの極北-

『 護られなかった者たちへ 』 -人と人とのつながりの在り方を問う-

Posted on 2021年10月3日 by cool-jupiter

護られなかった者たちへ 75点
2021年10月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 阿部寛 清原果耶 倍賞美津子
監督:瀬々敬久

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『 糸 』や『 友罪 』のように、社会問題とエンタメの両立を常に志向する瀬々敬久監督の作品に阿部寛と佐藤健、そして清原果耶が出演するということでチケット購入。

 

あらすじ

宮城県仙台市若葉区で、役所の生活支援課職員を対象にした連続殺人事件が複数発生。県警捜査一課の変わり者と呼ばれる笘篠(阿部寛)は、捜査の過程で利根(佐藤健)という男にたどり着く。そして利根の過去には、震災発生当時、避難所で知り合った老女と少女がいたことが分かり・・・

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ポジティブ・サイド

始まりからして非常に暗く、重苦しい。それもそうだ。あの大震災からわずか10年半しか経過していないのだ。震災および津波が日本にもたらしたものとして、地域共同体への物理的なダメージと人間への心理的・精神的なダメージの両方がある。本作は前者が後者にいかにつながっていってしまったかを、敢えて説明せず、しかし着実にストーリーの形で見せていく。

 

冒頭、果てしなく薄暗いスクリーンの中の世界であるが、倍賞美津子演じる遠島けいさんというおばあちゃんの温もりに救われる。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』でも発揮された倍賞美津子の母性溢れる包容力は健在である。母親を失くしてしまった少女かんちゃんと、そもそも母親を知らない利根の、奇妙な連帯が本作の見どころ。3人が素うどんをすするシーンは、我々が忘れつつある、あるいは忘れてしまった家族の在り方だろう。

 

震災の地に帰ってきた刑務所上がりの利根。殺人事件の発生。犯人を追う笘篠ら、宮城県警。これらをつなぐ要素として社会福祉、なかんずく生活保護制度がある。そして、その制度の運用についての闇が明らかにされる。ただ勘違いしてはいけないのは、生活保護の不正受給というのは確かに問題だが、おおよそこの社会の制度で悪用されていないものなどない。求人サイト経由できた有望そうな人材に面接の場で「今日このままハローワークに行って、そこから再応募してほしい。すぐに内定を出すから」と伝える中小企業などいっぱいあるのだ。

 

生活保護を「恥ずかしい」と感じてしまう。ここに日本人的な精神の病根がある。不正に受給するのが恥ずかしいことなのであって、正当に受給することに恥を覚える必要などない。それでも生活保護を指して恥だと感じてしまうのは何故か。恥とは要するに他者からの視線である。他者にとって自分は生きている価値がないのではないかという懐疑が恥の感覚につながっている。震災によって多くのものを失ってしまった人間が、それでも生きていていいのだろうかという問いかけを発している。それに応える者が少数だが存在する。本作はそうした物語である。

 

佐藤健と阿部寛の険のある表情対決は、2021年の邦画の中でも屈指の演技合戦。NHKの朝ドラ(Jovianは一切観ていないのだが)のヒロインの座をつかんだ清原果耶も、芯の強さを備えた演技で男性陣に一歩も引けを取らない。BGMがかなり少な目、あるいは抑え目で、派手なカメラワークもない。しかし、それゆえに役者の演技が観る側をどんどんと引き込んでくれる。人は人に狼な世の中であるが、人は人に寄り添うこともできる。『 すばらしき世界 』と同種のメッセージを本作は力強く発している。

 

あまりプロットやキャラクターに触れると興ざめになってしまうので、最後に鑑賞上の注意を一つ。本作はミステリ仕立てであるが、ミステリそのものではないと言っておく。役所の生活支援課の職員が、拉致監禁され、脱水症状からの餓死に追い込まれるという殺人事件が本作の胆である。未鑑賞の人にアドバイスしておきたいのは、事件が胆なのであって、フーダニットやハウダニットに神経を集中させるべからず。本作をミステリ映画、推理ものだと分類してしまうと、話が一挙に陳腐化してしまいかねない。すれっからしのミステリファンは、片目をつぶって鑑賞すべし。

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ネガティブ・サイド

とある措置期の備品の使い方が気になった。いつ、誰が、どれくらいの時間それを使用したかという履歴がばっちり残るはず。そこの組織内で誰もそれの用途や使用時間について注意を払わなかったのだろうか。

 

利根の持つ性質というか特徴が説明されるが、それが強く発露する場面がなかった。また、エンディングは万感胸に迫るものがあったが、それでも利根の持つこのトラウマ(と言っていいだろう)を刺激する場面に見えて仕方がなかった。原作もああなのだろうか。

 

総評

東日本大震災後の人間関係を描くドラマとしては『 風の電話 』に次ぐものであると感じた。コロナ禍という100年に一度のパンデミックによって我々の生活は一変した。そのような時代、そのような世界で、人間はどう生きるべきなのか。政治や行政はどうあるべきなのか。エンターテインメント要素と社会はメッセージを両立させた傑作と言えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on welfare

生活保護を受けている、の意。アメリカ合衆国では大きな選挙のたびに共和党支持者(Republican)、民主党支持者(Democrat)、その他(Independent)に別れて激論が繰り広げられるが、その際の共和党支持者が”I’m Republican Because We Can’t All Be On Welfare.”という文言を載せたTシャツが、もう10年以上トレンドになっている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 佐藤健, 倍賞美津子, 日本, 清原果耶, 監督:瀬々敬久, 配給会社:松竹, 阿部寛Leave a Comment on 『 護られなかった者たちへ 』 -人と人とのつながりの在り方を問う-

『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

Posted on 2021年9月30日 by cool-jupiter

空白 75点
2021年9月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:古田新太 松坂桃李
監督:吉田恵輔

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邦画が不得意とする人間の心の闇、暴走のようなものを描く作品ということで、期待してチケットを購入。なかなかの作品であると感じた。

 

あらすじ

女子中学生の花音は万引を店長の青柳(松坂桃李)に見つかってしまう。逃げる花音だが、道路に飛び出したところで事故に遭い、死んでしまう。花音が万引きなどするわけがない信じる父・充(古田新太)は、深層を明らかにすべく、青柳を激しく追及していき・・・

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ポジティブ・サイド

何の変哲もない街の何の変哲もない人間たちに、恐るべきドラマが待っていた。トレイラーで散々交通事故のシーンが流れていくが、あれは実は露払い。その後のシーンと、その結果を渾身の演技で説明・描写する古田新太が光る。

 

この物語で特に強く感銘を受けたのは、善人もおらず、さらには悪人もいないところ。いるのは、それぞれに弱さや欠点を抱えた人間。例えば松坂桃李演じる青柳は、父の死に際にパチンコに興じていて、死に瀕していた父に「電話するなら俺じゃなくて119番だろ」的なことを言い放つ。もちろん、心からそう思っているわけではない。しかし、いくらかは本音だろうし、Jovianもそう思う。古田新太演じるモンスター親父の充は、粗野な性格が災いして、妻には去られ、娘とは没交渉。他にも花音の学校の、人間の弱さや醜さをそのまま体現したような校長や男性教師など、善良な人間というものが見当たらない。それがドラマを非常に生々しくしている。

 

一方、一人だけ異彩を放つ寺島しのぶ演じるスーパーのパートのおばちゃんは、これこそ善意のモンスターで、仕事熱心でボランティア活動にも精を出す。窮地にあるスーパーの危機に、非番の日でもビラ配り。ここまで大げさではなくとも、誰しもこのようなおせっかい好き、世話焼き大好きな人間に出会ったことがあるだろう。そしてこう思ったはずだ、「うざい奴だな」と。まさに『 図書館戦争 』で岡田准一が言う「正論は正しい。しかし正論を武器にするのは正しくない」を地で行くキャラである。寺島しのぶは欠点や弱さを持つ小市民でいっぱいの本作の中で、一人だけで善悪スペクトルの対極を体現し、物語全体のバランスを保っているのはさすがである。

 

本作はメディアの報道についても問題提起をしているところが異色である。ニュースは報じられるだけではなく、作ることもできる。そしてニュースバリューは善良な人間よりも悪人の方が生み出しやすい。『 私は確信する 』や『 ミセス・ノイズィ 』は、メディアがいかに人物像を歪めてしまうのかを描いた作品であるが、本作もそうした社会的なメッセージを放っている。

 

追い詰める充と追い詰められる青柳。二人の関係はどこまでも歪だが、二人が花音の死を悼んでいるということに変わりはない。心に生まれた空白は埋めようにも埋められない。しかし、埋めようと努力することはできる。または埋めるためのピースを探し求めることはできる。それは新しい命かもしれないし、故人の遺品かもしれない。『 スリー・ビルボード 』とまではいかずとも、人は人を赦せるし、人は変わることもできるだと思わせてくれる。間違いなく良作であろう。

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ネガティブ・サイド

花音の死に関わった人物の一人がとんでもないことになるが、その母親の言葉に多大なる違和感を覚えた。謝罪根性とでも言うのだろうか、「悪いのはこちらでございます」的な態度は潔くありながらも、本作の世界観には合わない。小市民だらけの世界に一人だけ聖人君子がいるというのはどうなのか。

 

藤原季節演じるキャラがどうにも中途半端だった。充を腕のいい漁師だが偏屈な職人気質の船乗りで、人付き合いが苦手なタイプであると描きたいのだろうが、これだと人付き合いが苦手というよりも、単なるコミュ障中年である。海では仕事ができる男、狙った獲物は逃がさない頑固一徹タイプの人間だと描写できれば、青柳店長を執拗に追いかける様にも、分かる人にだけ分かる人間味が感じられだろうに。

 

総評

邦画もやればできるじゃないかとという感じである。一方で、トレイラーの作り方に課題を感じた。これから鑑賞される方は、あまり販促物や予告編を観ずに、なるべくまっさらな状態で鑑賞されたし。世の中というものは安易に白と黒に分けられないものだが、善悪や正邪の彼岸にこそ人間らしさがあるのだということを物語る、最近の邦画とは思えない力作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

do the right thing

「正しいことをする」の意。do what is right という表現もよく使われるが、こちらは少々抽象的。親が子に「正しいことをしなさい」とアドバイスするような時には do the right thing と言う。ただし、自分で自分の行いを the right thing だと盲目的に信じるようになっては棄権である。 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, 古田新太, 日本, 松坂桃李, 監督:吉田恵輔, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

『 スリー・ビルボード 』 -再鑑賞-

Posted on 2021年9月28日 by cool-jupiter

スリー・ビルボード 85点
2021年9月24日 dTVにて鑑賞
出演:フランシス・マクドーマンド ウッディ・ハレルソン サム・ロックウェル ルーカス・ヘッジズ
監督:マーティン・マクドナー

 

3年前ぶりの再鑑賞。前回のレビューはこちら。『 空白 』のテーマが”赦し”であると予告編でバラされてしまい、また妻がdTVの無料お試し登録をしたところ本作が available だったので、再鑑賞とあいなった。

 

あらすじ

娘を陰惨な事件でなくしたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は地元の警察署長ウィロビー(ウッディ・ハレルソン)を責める内容の巨大ビルボードを街はずれに掲出した。やがてビルボードを巡り、ミルドレッドや街の人々、警察との対立が深まっていき・・・

 

ポジティブ・サイド

物語の始まりから終わりまで、一貫して unpredictable である。劇場鑑賞中に「こう来たら、次はこう・・・じゃないんかーい」と一人でノリ突っ込みをしていたことを思い出した。定石をとことん外してくるのが本作なのだが、そこに説得力がある。それは、一にも二にもフランシス・マクドーマンドの鬼気迫る演技。娘をなくした母親というだけでなく、苦悩する親、後悔する親というものを、恐ろしいほどのリアリティで体現している。

 

ウッディ・ハレルソン演じるウィロビー署長、横暴差別警察官を演じるサム・ロックウェル、ミルドレッドの窮地を救うピーター・ディンクレイジなど、とにかく悪人面だが、その内には人間性が宿っている。そして男が持つとされている包容力ではなく、弱い心や傷つく心を持っている。このあたりの、いわゆる人間の二面性を、ミルドレッドと彼女を取り巻く男たちとで比較対照してみると、人間の素のようなものが現われてくる。言葉の正しい意味でヒューマンドラマである。

 

ネガティブ・サイド

エンディングの余韻が少し弱い。もう少しだけミルドレッドとディクソンの間の会話というか空気を感じさせてほしかった。人は変われるし、人は人を赦すことができる。そうした本作のテーマをもう少しだけ映像とキャラクターのたたずまいで語って欲しかった。

 

総評

大傑作である。観ながら、ストーリーの非常に細かいところまで自分が覚えていることにびっくりしたが、それ以上に数々の伏線やセリフの妙、また役者たちの繊細かつ豪快な演技、それを捉える匠のカメラワークに唸らされた。日本の片田舎を舞台にリメイクできそうだが、これだけの人間ドラマを手がけられそうな監督がどれだけいるか。『 デイアンドナイト 』のテイストでドラマを再構築できるなら、藤井道人監督にお願いしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put up 

直訳すれば「置いてup状態にする」ということである。劇中では put up the billboards という形で何度か使われていた。put up のコロケーションとしては、put up an umbrella = 「傘をさす」や put up a tent = 「テントを建てる」などがある。英検準1級、TOEIC730点以上なら知っておきたい(TOEICにはまず出ないが)。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, ルーカス・ヘッジズ, 監督:マーティン・マクドナー, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 スリー・ビルボード 』 -再鑑賞-

『 プラットフォーム 』 -救世主は生まれるのか-

Posted on 2021年9月26日 by cool-jupiter

プラットフォーム 70点
2021年9月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イバン・マサゲ ソリオン・エギレオル
監督:ガルダー・ガステル=ウルティア

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梅田ブルク7での公開時に見逃した作品。現実逃避のお供にTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

ゴレン(イバン・マサゲ)が目を覚ますと、謎の老人トリマガシ(ソリオン・エギレオル)と共に謎の部屋にいた。そこは48階層で、部屋の中央には巨大な穴があった。その穴を通じて台座が下りてきて、食事が与えられる。食事は上の階層の人間の食べ残しだった。一定期間ごとに眠らされ、ランダムに別の階層に移動させられるというこの場所で、ゴレンは果たして生き延びられるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

あきれるほどに直接的なメッセージに嗤ってしまう。これはつまりトリクルダウン理論を可視化したものである。上層は豪勢な食事を好きなだけ食べ、下層に行くほどそのおこぼれにあずかるしかないというのは、まさに現代世界の経済の縮図である。世界は残酷な場所であるという現実が、ゴレンの視点を通じて観る側に一発で伝わる。

 

2030年に起きるとされる食糧問題を考えるまでもなく、このコロナ禍において、必要な支援が必要なところに届かないという事実を我々はこれでもかと突きつけられた。マスクの買占め、ワクチンの偏在、自宅療養という名をつけられた医療資源の不平等な分配など、世界は上層と中層と下層に分かれているという身もふたもない現実があらわになった。ついでに言えばオリンピックもだろう。アホのように弁当を注文して、それがボランティアにも行き渡らず、生活困窮者にも行き渡らず、ひっそりと廃棄される。日本はある意味、本作の描くプラットフォームすら存在しない社会の位相にあると言える。

 

「人は人に狼」=Homo homini lupus と言うが、本作は本当に狼になってしまう。各階層をめぐって次々と相手を殺していく者もいるし、食べるものがないなら、普段食べないものを食べればいいという展開もある。以下、白字。

『 羊たちの沈黙 』
『 ハンニバル 』
『 タイタス・アンドロニカス 』
『 ソイレント・グリーン 』

こうした系列の映画である。他にも『 悪魔を見た 』のように脱糞シーンが収められている。そちら方面の嗜好の持ち主も満足できるだろう。ことほどさようにショッキングなシーンが満載である。

 

持てる者と持たざる者の対比以外にも、本作はあからさまにキリスト教的な概念を随所に挿入してくる。ワインとパンを体内に取り入れることの意味は『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』を観るまでもなく明らかであるし、333階層×2人=666人というのは「ヨハネの黙示録」の獣の数字として知られている。リンゴと言えばアップル、アップルと言えばPC、ニュートン、知恵の実というのはシリコンバレーのジョークだが、リンゴを食べて自分が本当になすべきことを悟るという展開には笑ってしまった。Jovianは宗教学専攻だったのだ。

 

コロナ禍で世界中の中産階級とされる層が、大きな経済的ダメージを受けた。一方で、世界の富の大部分を独占する層は、さらにその資産を増やしたとされる。そんな不条理な現実世界を下敷きに本作を鑑賞されたし。

 

ネガティブ・サイド

モザイク不要。アダルトビデオではないのだ。人間に対する残酷描写、ゴア描写は映さないのに、それが人間以外になるとOKになるというのは何故なのか。

 

いくら文明から隔絶された空間とはいえ、あそこまで行儀悪く食事をするだろうか?いや、コロナの脅威がアジアと欧米で異なる理由に食事マナーが挙げられることも多いが、あんな手づかみで食べまくっていたら、服がめちゃくちゃ汚れるだろうと。洗濯機があるわけでもない環境で、トリマガシたちの服が割と清潔を保っていたところが不自然に感じられた。

 

総評

カルト映画『 キューブ 』同様、シチュエーション・スリラーの醍醐味が凝縮された作品。トマ・ピケティの経済理論をさらに補強するかのような現実世界の事実を別の角度から見つめ直したかのような世界。人間の弱さと尊さを、流血&グロ描写で見せてくれる。心臓の弱い人やそっち方面に耐性がない人は観るべからず。逆にそっち方面は全然平気だという映画ファンにが自身を持ってお勧めができる。

 

Jovian先生のワンポイントスペイン語レッスン

obvio

英語でいうところの obvious、つまり「明らか」の意。劇中で何度も何度も使われるので、とても印象に残った。英語の idiot が idiota だったり、やはり英語とスペイン語は言語間距離が短い。というよりも、スペイン語はJovianが勉強していたラテン語の直系の子孫で、英語はさらにその親戚であると言った方が歴史的、言語学的には正しいか。  

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イバン・マサゲ, シチュエーション・スリラー, スペイン, ソリオン・エギレオル, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 プラットフォーム 』 -救世主は生まれるのか-

『 死体が消えた夜 』 -もう少し演出に工夫を-

Posted on 2021年9月25日2021年9月25日 by cool-jupiter

死体が消えた夜 60点
2021年9月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ガンウ キム・サンギョン キム・ヒエ
監督:イ・チャンヒ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210925191841j:plain

大学が開講したことの目まぐるしさから一時の逃避を求めてTSUTAYAへ。

あらすじ

大学教授のジンハン(キム・ガンウ)は教え子の学生と不倫、彼女は妊娠した。ジンハンは開発中の新薬で妻を殺害し、彼女は病死とされた。しかし、ジンハンの元に「遺体が消えた」との連絡が入る。誰かが妻の遺体を運び出したのか、それとも妻は死んでいなかったのか・・・

 

ポジティブ・サイド

ミステリなのか、それともオカルトなのか、ということをはっきりさせないことで、これは一体なんなのかと観る側を疑心暗鬼にさせる。なかなかに良い雰囲気。

 

妻を見事に片づけたことに安堵しているジンハンから色々と事情聴取をする刑事ジュンシクが型破りだ。署の駐車場に車を停めるのに、車の後部をぶつける事故を起こしたり、上梓である署長の携帯番号を「クソ署長」で登録していたりと、なかなかに型破り。

 

タイトルが『 死体が消えた夜 』なので、この取調室の一夜をスーパーナチュラル・スリラーっぽい要素を交えてネットリと描き出すのかと思ったら、さにあらず。ストーリーは思わぬ方向へ進み、最後にはすべてのピースがパズルのごとくピタリとはまった。韓国映画らしいエンタメ要素と社会的メッセージの両方が備わった佳作である。

 

ネガティブ・サイド

電話のシーンは不要である。こうした場合、通話先の相手の様子は見せる必要はない。ミスリードしたいのだろうが、それなら声だけでよかったのではないか。

 

色々な工夫が凝らされていはいるものの「そんなもん、どこで手に入れた?」というアイテムや、「その場しのぎにはなっても、長くは通用しないだろう」という手がバンバン使われている。急速展開と役者の演技でギリギリもたせているものの、論理的にはかなり破綻したストーリーと言わざるを得ない。

 

総評

韓国映画らしい社会の上層と下層の対比が映える。弱点も多い作品だが、長所がそれらを上回る。イ・チャンヒ監督はラブコメの『 あなたの彼女 』を2019年に公開しており、この時点では無名の監督。それでも無名監督らしい「俺はこういうストーリーを描きたいんだ」の一点突破で成立している作品である。ホラーは無理、オカルトなら何とか、ミステリやサスペンスなら全然大丈夫、という人は本作をどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ソンセンニム

「先生」の意。先生=センセイは、確かにソンセンという音に近い。ニムの意味は『 悪人伝 』でも触れたが、韓国はとにかく目上には様をつける。先生様や社長様、会長様など、とにかく相手を敬うときには様=ニムなのである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, キム・ガンウ, キム・サンギョン, キム・ヒエ, スリラー, 監督:イ・チャンヒ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 死体が消えた夜 』 -もう少し演出に工夫を-

『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

Posted on 2021年9月24日2021年9月24日 by cool-jupiter

ひるね姫 知らないワタシの物語 50点 
2021年9月20日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:高畑充希
監督:神山健治

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210924001931j:plain

『 ハルカの陶 』や『 しあわせのマスカット 』と同じく、岡山を舞台にした映画ということで近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

東京オリンピックの年。森川ココネ(高畑充希)はいつも昼寝の時に同じ夢を見ていた。ある日、自動車整備工である父親が突然、逮捕され、東京へ連行されてしまう。幼馴染のモリオと共に父を救おうとするココネは、いつも自分が見る夢に父と亡き母の秘密が隠されていることを知り・・・

 

ポジティブ・サイド

眠りの先に広がるファンタジー世界というのは、それこそジャック・フィニィの昔から存在する。近年の邦画でも『 君の名は。 』などに見られるように古典的な設定だ。そこに本作はタブレットを使った魔法という、何とも摩訶不思議な設定を持ってきた。アーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」をそのまま適用しているわけで、これはこれで古くて新しく、非常に面白いと感じた。

 

絵柄も適度にデフォルメされていながら、媚びたようなアニメ的造形になっていないくてよろしい。妙に甘ったるいロマンス要素を極力排除したことで、家族のドラマとして成立している。

 

ココネというキャラが基本アホなのだが、それが時にユーモアを、時にスリルとサスペンスを生み出している。妙に頭が冴えたキャラよりは、こちらの方がよい。頭の良いキャラを設定してしまうと、行動に不合理さがなくなり、思わぬ展開を生み出しにくい。ココネが等身大の高校生キャラであることが、要所要所でストーリーを前に進める原動力になっている。

 

悪役が身震いするような悪ではなく、どこまでも小悪党であるのも良い。中学生ぐらいでは理解が難しいであろう経営哲学の違い、そのぶつかり合いが描かれるが、本作の悪役を本格派にしてしまうと「それも正しい」と感じてしまうナイーブな少年少女が絶対に一定数は出る。そうさせないで、しかし明確に悪は悪であると印象付けるキャラ設定の妙が光っている。

 

夢と現実のつながりの謎も、伏線自体は結構フェアに張られている。このあたりに『 君の名は。』の影響があるとみる向きもいるかもしれないが、これはパクリでもなくオマージュでもなく、オリジナル要素であると前向きに受け取りたい。

 

ネガティブ・サイド

ファンタジーでありながら、時間によってどうしても陳腐化してしまう科学の力にもフォーカスしているせいで、古典的な傑作にはなりえない。しかも、東京オリンピックというタイムリーなようなタイムリーでないようなイベントに関連させてしまったせいで、10年後に鑑賞する人からすれば「なんだこれ?」という物語になってしまっている。もっとプロ野球の優勝チームのパレードとか、力士の横綱昇進パレードのようなイベントにはできなかったのだろうかと思ってしまう。特に、現実の東京オリンピックの舞台で「事故」が実際に起こってしまったので、なおさらである。

 

岡山で鬼とくれば桃太郎であるが、イヌ、サル、キジはどこだ?また鬼が攻めてくるのにも違和感。鬼相手に攻め込んでは負け、攻め込んでは負けしながら、最後に勝つ方が桃太郎的では?

 

やっぱり岡山弁が下手。まあ、方言が上手い邦画というのは少ないし、アニメに至ってはもっとだろう。それでも、敢えて東京あるいはその周辺の、いわゆる標準語エリアから遠く離れた地域を舞台にするからには、もう少しその地域にリスペクトが欲しい。

 

全編通じてどこかで観た作品のパッチワーク的である。『 ゴジラvsコング 』のアレだったり、『 ぼくらの 』だったり、『 ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』のバギーやら、とにかく指摘し始めるときりがない。オリジナル要素も強いが、過去の様々な作品の影響があまりにも濃厚に見えすぎるのも考えものである。

 

総評

評価が難しい作品。また、アニメでありながらも低年齢向けではない。ファンタジーでありながら、時間で風化する要素が強すぎる。しかし、根本のテーマである家族は鉄板で、ろくでなしの父の愛、死んでしまった母の愛というのは、陳腐でありながらも確かに観る者の胸を打つ力を持っている。高校生以上なら、そこそこ楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a nap

「昼寝をする」の意。他にも get a nap や have a nap も使う。単に nap だけを動詞として使ってもよい。最も一般的なのは、やはり take a nap だろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高畑充希Leave a Comment on 『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

『 レミニセンス 』 -トレイラーに偽りあり-

Posted on 2021年9月23日 by cool-jupiter

レミニセンス 45点
2021年9月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ヒュー・ジャックマン レベッカ・ファーガソン
監督:リサ・ジョイ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210923172935j:plain

大学の後期開講で多忙を極めるので簡潔なレビューを。

 

あらすじ

温暖化で都市は水没。戦争で人心は荒廃。人々は美しかった過去に囚われた。ニック・バニスター(ヒュー・ジャックマン)は、人々に過去の記憶を再現させる装置を使った生業をしていた。そこに謎めいた女性メイ(レベッカ・ファーガソン)が失くしものを探したいという依頼で舞い込んできた。やがてニックはメイと恋仲になるが、メイはある日、忽然と消えてしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210923172948j:plain

ポジティブ・サイド

冒頭からの水没した都市の遠景から徐々にズームインしていく中、ヒュー・ジャックマンの語るナレーションにはしびれた。人々が絶望し、何かに救いを求めざるを得ない世界は十全に創り出されていた。土地持ち=資本家と、その下で生きる大多数の一般庶民という構図は、今後ますます顕著になっていくのかもしれない。

 

BGMも良い。金属質な音と液体的な音が効果的に背景に使われ、世界観を増強する。サントラの中でもレベッカ・ファーガソンが歌う ”Where or when” は初めて聞いたが、素晴らしい楽曲であると感じた。

 

消えたメイを追慕して装置に入り浸るニック、そして全く異なる事件の容疑者の記憶の中に偶然に見つかったメイを追ううちに、予期せぬ人物や思わぬ展開が目まぐるしく入り乱れる展開は、エンターテインメント性は抜群である。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210923173004j:plain

ネガティブ・サイド

ネタに新鮮味がない。ウィリアム・アイリッシュの小説『 幻の女 』以来の消えた女を追うというテーマに、『 秘密 THE TOP SECRET 』と『 インセプション 』と『 アンダー・ユア・ベッド 』の要素を足したように見える。

 

肝腎かなめの記憶再生の装置の仕組みも謎であるし、何よりも記憶が立体ホログラム再生されるのが腑に落ちない。一応、ヒュー・ジャックマンがレベッカ・ファーガソン相手にそれらしく説明するシーンがあるもの、この説明で「なるほど」と納得できる人間がどれだけいるのだろうか。たいしたネタバレではないので書いてしまうが、「ファーストキスを思い浮かべろ」と言われて、その時の記憶が3Dで俯瞰的に、あるいはやや離れたところから広角レンズで捉えたもののように脳内で再生される人がどれだけいるというのか。せっかく映像と音によって構築された世界観が、この時点でガラガラと音を立てて崩れ落ちた。Jovianはそのように感じた。

 

映画の本筋とは関係ないが、日本版のトレーラーや各種販促物のあらすじは一体全体何なのか。よくもこれだけ間違った情報を流布できるものだと感心させられてしまう。ニックは記憶潜入捜査官ではないし、トレーラーや色々な紹介サイトで触れられている記憶世界の3つのルールもストーリーにほとんど絡んではこない。公正取引委員会に訴えることもできるほどの酷さである。

 

総評

映像と音楽・音響は素晴らしい。ケチのつけようがない。しかし展開に全く意外性がない。どこかで観たり読んだりした物語のパッチワークである。ライトな映画ファンにはお勧めできるが、ディープな映画ファンには勧め辛い作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

serve in the military

軍役に就く、の意。service = サービスであるが、これには戦務や戦役の意味もある。日本で使うことはまずない表現だが、戦争映画や歴史ドキュメンタリーではよく使われる表現なので、中級以上の学習者なら知っておいてよいだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, SF, アメリカ, ヒュー・ジャックマン, レベッカ・ファーガソン, 監督:リサ・ジョイ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 レミニセンス 』 -トレイラーに偽りあり-

『 マスカレード・ナイト 』 ー人間模様の描写が弱い-

Posted on 2021年9月19日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210919182748j:plain

 

マスカレード・ナイト 45点
2021年9月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞 
出演:木村拓哉 長澤まさみ 
監督:鈴木雅之

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210919182729j:plain

大学後期の開講ラッシュで仕事が多忙を極めているが、なんとか映画館通いは継続させたい。そこでお気軽に犯人当てでもするかと思い、本作をチョイス。犯人は2択まで絞って、なんとか的中させた。

 

あらすじ

都内アパート暮らしの女性殺人事件を捜査する警察の元に匿名ファックスが届く。その事件の犯人が、大みそかに仮面舞踏会を主催するホテル・コルテシア東京に現れるというのだ。警視庁捜査一課の刑事の新田(木村拓哉)は捜査のため再びフロント係としてホテルに潜入し、腕利きコンシェルジュの山岸尚美(長澤まさみ)と共に事件の解決に乗り出すが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210919182809j:plain

ポジティブ・サイド

前作『 マスカレードホテル 』に引き続き、豪華キャストをよく揃えたものだと思う。木村拓哉と長澤まさみを当て書きしたかのようにハマっていたが、今作でも他人をどこまでも疑う刑事と他人をどこまでも信じるホテルマンの対比が映える。

 

ホテルのフロントロビーのプロダクションデザインも、やはり見事の一語に尽きる。前作のスタートは拍子抜けするようなホテル外観のCGから始まったが、マスカレード=仮面舞踏会をタイトルに持つ本作は、そんな Establishing Shot は持ってこない。

 

冒頭の殺人事件から、怪しい客が次から次にやって来るシークエンスは確かに引き込まれる力を持っている。そこへ、他人のかぶる仮面を引っぺがしたい新田と他人のかぶる仮面を守りたい山岸のぶつかりあい=漫才的な掛け合いは、ワンパターンではあるが面白い。

 

冒頭の殺人事件の犯人、その密告者、そして犯人と密告者の関係が複雑に絡まりう展開は観る者をぐいぐいと引き込んでくる。謎解き要素を別にすれば、デートムービーにもなりうるだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210919182837j:plain

ネガティブ・サイド

これはミステリに対してどれだけ慣れているかによるが、おそらく密告者が誰であるかは、分かる人はかなり早い段階で分かったのではないか。ズバリこの人物だと指摘できないまでも、こんな「属性」の人物あろうと見当はつく。これから観る人は、映画製作者(小説の作者も)は、新田や山岸を騙そうとしているのはなく、我々を騙そう、ミスリードしてやろうと思っていることを忘れるべからず。同時に、我々に対して結構フェアに伏線を呈示してくれてもいる。だが、今回の新田のファックスの文言への指摘は、あからさまにミスリードすぎるだろう。もう少し見せ方に工夫が必要だった。

 

犯人候補=ホテル客なのだが、ここの見せ方もあからさますぎた。「さあ、この人物は怪しいですよ」という人間を何度も何度も出し入れするが、さすがにここまでやるとすれっからしならずとも犯人候補からは外すだろう。このキャラをもっと怪しく見せる小道具として、とある隠語になっていない隠語(以下白字、Love Affair、情事、不倫、頭文字を取ればLA)をもっと効果的に使えたはずだ。

 

別の犯人候補について言えば、小日向文世が語る捜査情報とあからさまに食い違う情報が呈示された瞬間(以下白字、夫の死亡時期)に「こいつだ!」と思えたが、新田がその矛盾に反応できなかったのは無理がある。また、この犯人候補同士のとあるインタラクションをコンシェルジュである山岸がお膳立てせざるを得ない場面があるが、この展開にはおそらく全世界のホテルマンが頭を抱えることだろう。無理が通れば道理が引っ込むという極めて日本的な悪弊の顔が見える。もちろん、最後には痛快な肘鉄を食らわせるわけだが、この切羽詰まったタイミングでこんな展開を持ってくるか?この無茶苦茶な展開のおかげで「やっぱりあいつが犯人だ」と確信した。もっと純粋に推理をさせてほしかった・・・

 

ホテルのバックヤードに設置された警察の捜査本部は無能の集まり。「なんとしても犯人を見つけろ」の一点張りで、捜査の方向性も論理的な指揮も何もない。元警察官のJovianの義理の父親が見たら、どう感じることか。また、犯人の犯行動機も前作の極めてパーソナルなものから、巨大な相手に対する憎悪になっているが、そんなもんのどこに説得力があるのか。警察の権威を失墜させたいなら、衆人環視の中での犯行を止められなかったという汚名を着せるのではなく、誰も注目していない事件には警察は本腰を入れないということをもっと効果的に満天下に知らせるべきだろう。気宇壮大な犯行動機だが、ここまでくると小説ではなく漫画に思える。

 

総評

ミステリ小説の映画化というよりも、割と上質な2時間ドラマ、テレビ映画、またはドラマの劇場版だと捉えるべきだろう。長澤まさみはキャリアウーマンや母親役として芸域を開拓していくだろう。キムタクはおそらくキムタクのままか。おそらく第三弾も制作されるだろうが、その時はもっともっと純粋ミステリに徹してほしいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

the 

冠詞は英文法の中で最も難しいと思っている。ちなみに難しさランク2位は単数・複数の使い分け、3位は前置詞である(あくまで私見)。時々、ホテル名には the をつけるべしと解説する書籍やサイトを見るが、厳密には正しくない。 

ホテル~には the はつかない

~ホテルには the がつく

というのが正しい解説。例を挙げると

〇 The Cortesia Hotel

✖ Cortesia Hotel

〇 Hotel Cortesia

✖  The Hotel Cortesisa

となる。英検1級、TOEFL iBT90点、IELTS7.0を目指す人なら正しく理解しておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 日本, 木村拓哉, 監督:鈴木雅之, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 マスカレード・ナイト 』 ー人間模様の描写が弱い-

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