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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 弥生、三月 君を愛した30年 』 -表現〇、内容×-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

弥生、三月 君を愛した30年 45点
2020年3月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:波瑠 成田凌 杉咲花
監督:遊川和彦

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一つの物語の中でキャラクターの成長や老いを描く作品は星の数ほどある。だが、本作は三月の一日から三十一日の1日を経るごとに、1年(何年か飛ばすところもあるが)が経過していく。この見せ方と構成は非常にユニークである。

 

あらすじ

山田太郎(成田凌)と結城弥生(波瑠)は、心の奥底では惹かれ合いながらも、親友のサクラ(杉咲花)の病気、そして死によって、いつしか別々の人生を歩むことになった。互いに結婚や別離を経験しながらも、二人はいつしか引き寄せられて・・・

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ポジティブ・サイド

専門家は映画を評価する際には Form と Content の面から行う。Formとは本で言うならば、装丁であり、文字のサイズやフォントであり、テキストのレイアウトであると言える。一方でContentは物語の中身そのものである。一般に映画や本の面白さは、コンテンツで決まる。だが、時にFormそれだけで桁違いの面白さやユニークさを生み出す作品が現れることがある。クリストファー・ノーラン監督の『 メメント 』が好個の一例である。本作の、一日経つごとに一年が過ぎていくという見せ方は非常に面白い。

 

高校生から50歳手前までを同一の役者で描く試みもユニークだ。『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』でも、小松菜奈が大学生から35歳ぐらいまでを演じていた。本作はその幅をはるかに上回っており、ある意味で大河ドラマ並みである。こういった大胆な試みにもっともっと邦画も取り組んでもらいたい。たとえその作品が大ヒットはしなくても、たとえばメイクアップアーティストやヘアドレッサーの技、照明の調節や光の当て方といった裏方スタッフの技術は確実に蓄積され、向上していくことだろう。その先に、第二第三のカズ・ヒロを生む土壌ができていく。突然変異を待ってはならない。豊かな才能の種を発見し、開花させなければならない。

 

本作では光と影の使い方も印象に残った。明るい背景では明るい場面と心情、薄暗い場面ではどこか沈みがちな心情、黄昏時の西日には関係の終わりが暗示されていたり、あるいは西日で満たされた病室を去る人物が完全に黒いシルエットとして映しだすことで、キャラクターの内面の闇、虚無感を表すなど、随所に工夫が目立った。なんでもかんでも光あふれる演出を施す作品が邦画には特に多い(『 君は月夜に光り輝く 』などはダメな一例だ)。真っ暗な映画館で見るからこそ光を強くしたいと思うのは理解できる。だが、真っ暗な映画館だからこそ光と影のコントラストも映えるのである。

 

今作はいまのところ波瑠のベスト・パフォーマンスになるのかな。笑顔よりも仏頂面の方が絵になる女性も一定数いる。波瑠はそんな一人だろう。『 コーヒーが冷めないうちに 』では、神経質な女性役だったが、どちらかというと感情表現を抑えた役柄の方が似合っている。ドラマや映画なら社長秘書や医師がマッチしそう。クール・ビューティー路線ではなく、満島ひかりや南果歩のような実力派路線を目指してほしい。

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ネガティブ・サイド

フォームには感銘を受けたが、コンテンツ=内容には少々興ざめした。ストーリーのほとんどはトレイラーで分かってしまう。なぜにあのような予告編を作ってしまうのか。様々なシーンの演出やメッセージも、古今東西の映画で使い古されてきたものばかり。あらゆるシーンでデジャヴを感じたと言うと大げさに聞こえるかもしれないが、本作がオリジナリティに欠けるのは確かである。

 

まずもって病気で死んでいく高校生の名前が「サクラ」という時点で『 君の膵臓をたべたい 』の桜良ともろにかぶっている。そして、満開の桜に過ぎ去った幾星霜とかつての友の姿を見出すのも『 君の膵臓をたべたい 』の二番煎じである。

 

また、ラストの教室のシーンは『 傷だらけの悪魔 』と『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のクライマックスをそれぞれ足して10で割ったような迫力のなさ。というか震災をプロットに組み込むのはまだしも、放射能関連のイジメを絡める必要はあるか?いや、それをやるなら『 風の電話 』並みに取り組んでもらいたい。

 

サクラの好きだったという歌が作中の随所で重要な役割を果たすが、最後のデュエットは必要だったか。それに最後の最後のスキットも必要だろうか。日が昇り、そして沈んでいく。時は流れ、また物語が繰り返す。普遍的な事象であり、それゆえに既に陳腐化したテーマである。現に近年でも『 ライオンキング 』が再制作され、“Circle of Life”が熱唱されている。敢えて邦画がそれを繰り返す必要はない。

 

細部のリアリティに関しても改善の余地を認める。特にサクラの墓や、そこに佇立する桜の木が30年にわたって変化なしに見えるのはいかがなものか。サンタか、あるいは弥生が墓をきれいにしているという描写が一瞬でもあれば、まだ納得できたのだが。

 

電車のドアが閉まる瞬間に抱きよせる、あるいは飛び出るという描写もクリシェ以外の何物でもない。ボールを追いかけて車道に飛び出る子どもというのも、いい加減見飽きた。新しい形の表現を模索することにエネルギーの大半を費やしたのかもしれないが、中身にもほんの少しでいいから新奇さを求めてほしかった。

 

サンタの息子の歩の台詞にもおかしいところがあった。「おばさんに、『 ボールを蹴れ! 』って叱られた」と回想していたが、そんなシーンはなかった。あるいは撮影段階ではあったにせよ、編集作業の段階で誰もこの矛盾に気が付かなかったのだろうか。細部の詰めが甘いという印象ばかりが残った。

 

総評

このような新しい表現の形態は歓迎されるべきである。一方で、中身がほとんどすべてどこかで見た構図や展開のパッチワークである。評価が非常に難しい。ただ、固定電話が携帯電話に代わっていく時代の流れは面白い。40~50歳ぐらいの世代の人は本作の時間の流れに違和感なく入っていけるだろうし、若い世代は逆に古い世代のもどかしい恋愛模様を客観的に見て楽しめるのではないだろうか。ストーリーは陳腐だが、だからこそ万人に受け入れられやすいとも考えられる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s not meet anymore.

「もう会わないようにしよう」の私訳。~しよう = Let’s ~。~しないようにしよう = Let’s not ~ である。Let’s not V. というのは実際によく使う表現なので、積極的に使っていきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ラブロマンス, 成田凌, 日本, 杉咲花, 波瑠, 監督:遊川和彦, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 弥生、三月 君を愛した30年 』 -表現〇、内容×-

『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』 -Be Yourself-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 65点
2020年3月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:マーゴット・ロビー ユアン・マクレガー
監督:キャシー・ヤン

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『 スーサイド・スクワッド 』で唯一(と言っていいだろう)輝きを放ったハーレイ・クインが、ついにピンとなった。マーゴット・ロビーは『 ワンダーウーマン 』のガル・ガドットに勝るとも劣らないはまり役を手に入れたと言えるだろう。

 

あらすじ

ジョーカーと破局したことを、思い出の化学プラントを爆破することで吹っ切ったハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)。ゴッサムの悪人たちは今こそ復讐の好機とばかりにハーレイに襲い掛かって来る。そんな時、ブラックマスクの異名を持つローマン・シオニス(ユアン・マクレガー)の手下からダイヤを盗んだ少女をハーレイは成り行きで救うことになり・・・

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ポジティブ・サイド

女性が男性をぶっ飛ばす様が痛快というたぐいのストーリーは近年とくに量産傾向にあり、本作も例外ではない。しかし、それが本作の主題というわけではない。ハーレイ・クインが独立不羈の奇人・狂人・極悪人に成長していくのがストーリーの眼目だ。

 

面白いと感じたのは主に二つ。一つは、ハーレイ・クインの人間性。当たり前だが、ハーレイは生身の人間で、人間であれば『 風の電話 』の三浦友和の言うように、「食べて出して」を繰り返さねばならない。極上エッグサンドにかぶりつこうとするハーレイに、我々は彼女も人間であるという事実を思い知らされる。DCUEだけではなくMCUでも同じで、『 アベンジャーズ 』のエンドクレジット後にも、スーパーヒーロー連中がケバブを黙々と食べていた。「スーパーヒーローも腹が減るのか」と妙に印象に残った。また、へべれけになって嘔吐したり、失恋の痛手から涙したりと、序盤で描かれるハーレイは市井に普通に生きる人間と何ら変わるところがない。親近感が湧いてくるのである。ヒーローの人間性を巧妙に突いた例としては『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』のレックス・ルーサーJr.(スーパーマンの母マーサの誘拐)や『 スパイダーマン 』シリーズのピーター・パーカーが正義のヒーローでいることとMJやグウェン・ステイシーらのガールフレンドとの間で引き裂かれることなどがお馴染みだ。だが、悪人の人間性をここまで鮮やかに描いた作品は記憶にない(未見の作品にいっぱいあるのかもしれないが)。『 スーサイド・スクワッド 』のデッドショットは人間性や人間味というよりは、ただの良き父親だったが、今作のハーレイは血肉を持った一人の人間になっている。

 

二つ目は、アクションである。スーパーパワーを持たないハーレイは銃にバット、そして自らの肉体を武器に戦う。一番の見どころは中盤と終盤の hand to hand combat である。Jovianは『 ブラックパンサー 』の異例とも言える規模のヒットの要因は、他のスーパーヒーロー連中が実はそこまでやらない肉弾戦を前面に押し出していたからではないかと勝手に分析している。ブルース・リーへの壮大なオマージュである『 マトリックス 』もそうだった。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 』でも、一番面白かったのはバットマンが素手で雑魚敵をバッタバッタと倒していくシーンだった。WWEのディーバのごときマニューバーで留置場の男たちを蹴散らすハーレイは、単純に見ていて楽しくなる。また終盤の遊園地のアトラクションの中での女性軍のバトルは、多様な足場や背景もあり、 eye candy だった。ガン・アクションやレーザービームが飛び交うバトルも悪くないが、プロレス風ロイヤル・ランブルはそれ以上に楽しい。

 

ロマンスや友情は人間にとってこの上なく大切なものである。だが同じくらい大切なことは、自分が自分らしくあることではないだろうか。ハーレイが一人の人間としてたくましく雄々しく一歩を踏み出していく様は、老若男女を問わず多くの人を勇気づけることだろう。

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ネガティブ・サイド

序盤の展開がかなりもたもたしている。化学プラントをタンクローリーで吹っ飛ばすところまでがスローで、そこから一気にテンポを加速させていくかと思いきや、またもスローダウン。序盤の展開の遅さには少々眠気を催された。

 

ヴィランであるはずのローマン・シオニスが怖くない。ゴッサムでジョーカーやバットマンと渡り合えるような器の持ち主に見えない。異名の元であるブラックマスクをかぶっても何がどうなるわけでもない。ベイン(『 ダークナイト 』シリーズの方)がよほど迫力も貫禄もあった。完全にユアン・マクレガーの使い方を間違えている。

 

ハーレイのペットであるハイエナのブルースも、特に活躍しない。『 野性の呼び声 』のバックとまでは言わないが、それなりの見せ場はあるだろうと思ったが、全くなし。せいぜいゴッサムのチンピラの恨みの原因の一部になったぐらい。完全にこけおどしの設定である。これなら金魚とかヘッジホッグといった、もっと乙女チックなペットで良かったのではないか。

 

エンドクレジットの最後にハーレイのちょっとしたトークがあるが、映像はなく声だけ。『 デッドプール 』的なスキットにはできなかったのか。続編作る気満々のようだが、『 バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生 』が暗殺者ウィルソンを出してきたように、何らかのライバルの存在を示唆してほしかった。あるいはデッドプールがケーブルの登場を予告したように、バディでもよい。バットマンの情報は要らない。バットウーマンやキャットウーマン、またはポイズン・アイビーの情報が欲しいのだ。

 

総評

Bird of Prey結成がストーリーの本筋に絡んでこないのだが、それでも女性軍団が立場を超えて結束し、拳で男どもをなぎ倒していくのは爽快である。悪vs悪などと考えず、自分らしさとは何かを追求しようとする人間たちの物語として見ること。何が善で何が悪かなど誰にも分からない。確かなことは、自分が自分の生き方に満足しているかどうか。そのことを素直に前面に押し出してくるハーレイは、その行為の過激さは別にして、多くの人の手本になることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I dare you

通常、命令形に続けて“I dare you”と言うことで「やってみろよ」的な意味になる。作中ではハーレイが“Call me a softie, I fucking dare ya.”=「私を弱虫だって呼んでみなさいよ、コノヤロー」と言っていた。英語学習中級者なら、このCyanide & Happinessの意味が分かるはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, アメリカ, マーゴット・ロビー, ユアン・マクレガー, 監督:キャシー・ヤン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』 -Be Yourself-

『 一度死んでみた 』 -バランスが少々悪いコメディ-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

一度死んでみた 55点
2020年3月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:広瀬すず 吉沢亮 堤真一
監督:浜崎慎治

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『 一度死んでみた 』の映画化作品。映画化されても、原作の持っている構造的な欠点は何一つ解消されていない。だが、映像化には成功したと言えるだろう。なぜなら、キャラクターが血肉を得て、背景が色鮮やかに再現されたからだ。

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あらすじ

野畑七瀬(広瀬すず)は製薬会社社長の野畑計(堤真一)が大嫌い。そんな父が死んだ。「一度死んで二日後に蘇る薬」を飲んだからだ。開発中の若返りの薬を巡る競合他社からのスパイを炙り出すためだったが、復活を前に計は荼毘に付されることに。七瀬は、存在感の希薄な社員、松岡(吉沢亮)と共に計を救おうと奔走するが・・・

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ポジティブ・サイド

原作ではスッカスカだった様々な事物の描写が見事に映像化された。これは素晴らしい。特に「デスデスデス」のメタル『 一度死んでみた 』は、劇場では予告編の前の時間にかなり流されていて、その再現度(というか説得力)の高さにびっくりした。本編でもフルで見られるので是非とも堪能してほしい。『 サヨナラまでの30分 』のライブよりも、こちらの告別式・・・ではなくミサの方が、個人的には楽しめた。他にも「ま・さ・に」や、藤井さんの不思議なたたずまいや、ドラムソロと山手線駅名歌唱、さらに「ここよー!」など、ぼんやりとしたイメージでしか把握できていなかったディテールがリアリティのある映像になっていた。このあたりは浜崎慎治監督の手腕によるものと認められる。CMというのは見た目一発で視聴者に色々なものを伝えなくてはならない。そのあたりの手練手管は見事だった。

 

全編を93分にまとめたのも見事。変に細部に凝ることなく、原作の持ち味であるテンポの良さをそのまま映像化する際に保ったのは好判断であった。タイムリミットのある物語というのは、どこかで緩急をつけることで終盤のリミット近くのサスペンスを盛り上げるのが定石。本作はその部分をクリスマスイブのお通夜を情感たっぷりに、ロマンティックな予感を漂わせつつ、しかしコメディ路線にのっとって描いた。つまりはファミリーや中高生カップルでも安心して観られる作りになっているということである。アップダウンにメリハリがあるので、体感では75分ぐらいの上映時間に感じられた。ジェットコースター的な展開の映画としては、なかなかにハイレベルな作品である。

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ネガティブ・サイド

テンポの良さとは対照的に、物語全体のトーンは全くもって一貫性を有していない。大部分はスラップスティック・コメディなのだが、一部にシリアスなドラマあり、一部にロマンスありと、ところどころで監督が変わったのかと思うぐらいに変調する。最も違和感を覚えたシークエンスは、葬儀場(?)を確保するまでのコメディ調と、そこからのライブ・・・ではなくミサだった。“水平リーベ僕の船”も悪くないのだが、原作に逆らってでも“一度死んでみた”と順番を入れ替えてもよかった。「デスデスデスデス!」で一気にミサを盛り上げ、このエモーショナルなバラードを後ろに持ってきた方が終盤の流れに調和するし、しんみりとしたムードの中、これ幸いとばかりに悪人たちが棺桶を運ぶ絵の卑劣さと間抜けさが際立ったはずだ。

 

広瀬すずのハイキックについても・・・浜崎監督はまだまだ分かっていない。見せてはダメなのだ。いや、見えてはいないが、演出が実に中途半端だ。『 ダンス ウィズ ミー 』の三吉彩花のように照れることなく恥じることなく見せてしまうか、あるいは『 はじまりのうた 』のキーラ・ナイトレイの教えのごとく、見る者に想像をさせねばならない。

 

これでもかと原作小説に忠実だったのに、何故に最後の最後で小説の描写と異なる画を撮ってしまったのか。本作のメッセージの一つは「言葉にしないと分からない」だったのではないか。最後の最後のシーンが全体のトーンを壊してしまった。終わりよければすべて良しなのだが、終わり悪ければすべて悪しである。

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総評

コンテンツの面では十分に面白い。フォームの面では改善の余地がある。ただ、ひねくれた映画マニアでもないかぎり、フォームなどは気にするべきではないし、気にしてもしょうがない。料理がそれなりに美味しければ、食器が多少おかしくても許容すべきだろう。そのことで過度の料理人を責めても意味はあまりない。逆に言えば、長編映画初監督にしてこれだけディテールを再現する力があるのだから、浜崎慎治というオールド・ルーキーには期待できるのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You stink.

「くーさーい!」の英訳である。年頃の娘にこう言われる男親の悲哀はいかばかりか。なお、同様の台詞は『 トップガン 』でマーヴェリックがスライダーに言い放っていた。ちなみに国際的に活躍する公認会計士の方から「“These numbers stink.”とは時々言いますね」と聞いたことがある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, 吉沢亮, 堤真一, 広瀬すず, 日本, 監督:浜崎慎治, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 一度死んでみた 』 -バランスが少々悪いコメディ-

『 建築学概論 』 -初恋は実らない-

Posted on 2020年3月18日 by cool-jupiter

建築学概論 75点
2020年3月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オム・テウン ハン・ガイン イ・ジェフン ペ・スジ
監督:イ・ヨンジュ

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あらすじ

設計事務所に勤めるスンミン(オム・テウン)のもとに、大学時代の初恋の相手、ソヨン(ハン・ガイン)が訪ねてきた。家を建ててほしいというのだ。スンミンは大学時代のソヨンとの出会い、そして恋に落ちていく過程を徐々に思い出していき・・・

 

ポジティブ・サイド

初恋が実る人というのは、いったいどれくらいいるのだろうか。おそらく数パーセントではないだろうか。それぐらい、初恋というのは実らない。この言葉が一種の格言になるのは、それだけ多くの人の実体験に裏付けられているからに他ならない。本作は、その初恋の甘さ、そして酸っぱさ、さらには苦みも思い起こさせてくれる秀作である。

 

邦画の世界は、右を向いても左を向いても高校生のラブストーリーだらけだが、実際に我々が共感しやすいのは大学生のラブストーリーの方である。アルバイトができるのである程度のカネを持っているし、学年にもよるが酒を飲める。夜のクラブで踊り明かすこともできるし、なんならホテルに泊まる(性交目的ではなく)こともできるというのは『 猟奇的な彼女 』が映し出してくれた。大学生の恋愛の方が realistic なのである。日本の、特に少女コミックを原作とする邦画は、総じてファンタジーであり、おとぎ話である。

 

本作は、というか韓国映画というのは女性を必ずしも神格化=romanticizeしない。本作のヒロインのソヨン(大学生パート)はと言えば、「クロヤロー」、「ちくしょう」、「ムカつく」といった卑罵語を使って我々を戦慄させる。まるでゲーム『 ファイナルファンタジーX-2 』でユウナが「ムカつき」と言った時のような衝撃である。ソユンほどの美少女がこれほど口汚く何かを罵るのも韓国映画のパワーだろう。女性に変な幻想を抱かせない。これも重要な教育的役割と言えるかもしれない。さらに凄いのは、とある夜のバス停のシーンだろう。ごく最近、『 犬鳴村 』の冒頭で似たようなシーンがあったが、とにかく落差の激しさが全然違う。ある意味で『 猟奇的な彼女 』の電車内での嘔吐シーンを超えるインパクトをピュアなハートを持った男性に与えてくる。もちろん、ソヨンはがさつなだけの女性ではない。韓国風の指切りげんまんのシーンは、そんじょそこらの邦画のラブストーリーを一発で吹っ飛ばしてしまうほどの破壊力を秘めている。ペ・スジがとにかく可愛すぎるのである。

 

それにしても韓国の俳優の表現力の豊かさよ。「俺はソヨンの幸せだけを祈るよ」と本心とは異なるセリフを吐くときのイ・ジェフンの遠くを見る目の虚ろさ、さらに「僕の目の前から-」という言葉を絞り出したときの目の力は、ジャ〇ーズ事務所のアイドルには出せない表現力だ。街中で怒鳴り合うおばちゃんたちを背景に、ひたすら静の演技を貫く若手俳優。奥が深い。唐田えりかも日本に居場所がないのなら、韓国でオーディションを受けまくればいいのだ。

 

ネガティブ・サイド

ぺ・スジとハン・ガインが似ていない。オム・テウンとイ・ジェフンも顔かたちは全く似ていないが、動いている時、しゃべっている時、表情がある時はびっくりするぐらいに似ている。おそらく『 君の膵臓をたべたい 』の小栗旬と北村匠海のように表情や歩き方などを合わせたのだろう。同じような努力がぺ・スジとハン・ガインの間でなされなかった、あるいはなされてはいたが不十分だったというのは減点材料である。過去と現在を行き来する見せ方においては、キャラクターの同一性・一貫性というものが重要なのである。

 

ある事象を目撃し、聞き耳も立ててしまったスンミンがソヨンに別れを告げるシーンは素晴らしかった。であるならば、スンミンがその事象を起こした人物に一発お見舞いする、あるいは軽蔑の眼差しを向けるでも無視するでもなんでもいい。なんらかのアクションを起こしてほしかった。自分が恋焦がれる女性が、自分以外の男と談笑しているのを見るだけで胸が張り裂けそうになったという男性は、現代日本にも一千万人単位で存在するはずである。そして男、特に童貞は『 君が君で君だ 』の尾崎豊のごとく、きわめてたくましい妄想力の持ち主である。スンミンが現実に行動を起こせないまでも、メガネの先輩に対してなんらかの“恨”の情を抱いてくれれば、観る側はもっとスンミンに感情移入ができたのだが。

 

総評

これこそ日本でリメイクすべきである。過去と現在を行き来する展開といえば『 君の膵臓をたべたい 』が思い起こされる。月川翔監督および月川組のスタッフで是非ともリメイクをしてほしい。『 見えない目撃者 』という成功事例もある。今こそ、韓国映画を解剖し、再構築し、そのエッセンスを吸収する時である。やろうぜ、日本映画界!

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ガンベイ

カタカナで見ると何のことか分からないが、映像を字幕つきで見るとすぐにわかる。すなわち「乾杯」である。それに対して「(ガ)ッチャン」と返すのも、なかなか洒落ていて面白いではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ジェフン, オム・テウン, ハン・ガイン, ぺ・スジ, ロマンス, 監督:イ・ヨンジュ, 配給会社:アットエンタテインメント, 韓国Leave a Comment on 『 建築学概論 』 -初恋は実らない-

『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

Posted on 2020年3月17日2020年9月26日 by cool-jupiter

殺人の追憶 80点
2020年3月15日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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シネマート心斎橋がポン・ジュノ特集を再開してくれたおかげで、本作を劇場鑑賞することができた。ポン・ジュノは異才・異能の持ち主である。人間の内面をこれほど透徹した目で見つめられるのは、映画監督というよりも哲学者、芸術家気質だからではないだろうか。

 

あらすじ

時は1986年、場所はソウルのはずれの田舎町。同じ手口による女性の連続殺人事件が起こる。捜査を担当するパク刑事(ソン・ガンホ)は、ソウル市内から派遣されてきたソ・テユン刑事と対立しながらも捜査を進めていく。だが、それでも殺人事件は起こり続け・・・

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ポジティブ・サイド

韓国映画のごく大雑把な特徴は、描写のリアリティとエネルギーである。特に暴力に関しては、全く逃げることなく容赦のない演出を繰り出してくる。ただ単にバイオレンスを映し出しているわけではない。一方が他方に無条件に暴力をふるうことができるのは、そこに力の不均衡があるからである。それは例えば警察という国家権力の後ろ盾を持った組織に属していることであったり、あるいは相手が知的障がい者であったりするからである。ポン・ジュノが本作(そして彼の作品に通底するテーマとして)を通じて描き出し批判するのは、暴力の発生を触媒する理不尽な社会的および心理的なメカニズムである。

 

そのことはソン・ガンホ演じるパク刑事とソ・テユン刑事のほとんどと言っていいほど噛み合わないコンビネーションによって表現されている。根拠がまったくないにも関わらず観相術の達人を自称するパク刑事は、初対面のソ・テユン刑事に勘違いからドロップキックを浴びせ、しこたまパンチも食らわせた。つまりは人を見る目もなく、人の話も聞かないダメ警察官である。一方でソ・テユン刑事は冷静沈着かつ理知的で、「書類は嘘をつかない」を信条に、科学的に、理性的に捜査を進めていく。模範的な刑事と言えよう。だが、ある時点から、この二人の属性のバランスが逆転していく。どんどんと冷静になっていくパク刑事、どんどんと理性を失い暴力に走り出すソン刑事という具合に。その過程が、お互いの捜査の進捗によって可視化されている点が非常にユニークだ。特にパク刑事は「犯人には陰毛が生えていない」という仮説に基づいて、銭湯をはしごする様は滑稽である。だが本人はいたって真面目なのだ。同時に、老若男女に丁寧に聞き込みをし、ほんのわずかな手がかりも逃さず、着実に事件の真相に迫っていくソ刑事は、まっとうな捜査を進めていくほどに暴力への衝動に抗えなくなっていく。この対比が実によく描けている。暴力を食い止めるために暴力が必要なのか。暴力を食い止めるためには非暴力をもってせねばならないのか。ポン・ジュノが投げかける問いに答えは出せない。

 

本作は映画の技法の面でも粋を凝らしている。特に冒頭、現場保全をしようと大声で周囲に注意しまくるパク刑事のロングのワンカットや、スナックでの口論から所長の嘔吐までのワンカットが印象的だ。また、犯人と思しき男との路地裏の追跡劇、そして犬の遠吠えまでのサスペンスあふれるシークエンスは岩代太郎の音楽の力も大きい。犯行がしばしば灯火管制の夜に行われるというのも興味深い。町の暗さに感化されて、人間の内面の闇が暴れだすのか、それとも人が住居にこもるのをチャンスとばかりに犯行に走るのか。

 

ミステリ作品としても秀逸。日本語とも共通する韓国語のとある言語的特性を巧みに使った伏線は見事(Jovian嫁は即座に見破っていたようだが・・・)。被疑者の身体的な特徴と犯行に使われた道具との間の矛盾を的確に指摘するソ刑事の味がいい。また、とある条件のそろった日に殺人を重ねるというのは映画『 ミュージアム 』の元ネタになったのではないかとも感じた。

 

最後の最後にソン・ガンホが見せる表情。すべてはこれに尽きる。後悔に驚愕、そして疑惑と確信を両立させる渾身の顔面の演技である。これによって我々はパク刑事やソ刑事の経験した内面の変化、すなわち暴力衝動が劇中のキャラクターたちだけのものではなく、自身の内面に潜む闇として確かに存在するものであるという真実を突きつけられるのである。このような形で第四の壁を突き破って来るとは、ポン・ジュノというのはつくづく稀有なクリエイターである。

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ネガティブ・サイド

ソ刑事が寝落ちしてしまうシーン、そしてその後に車のエンジンがかからずに、被疑者を乗せたバスを追跡できなかったというシーンが、かなりご都合主義的に見えた。交代制で見張っている言われていたし、刑事は基本的に単独行動はしないものだ。車のエンジンがかからないというのも、それ以前になんらかのそうした前振りとなる描写が必要だった。

 

犯行のパターンが解析できたところで、なぜラジオ局に働きかけないのか。特定の手紙を受け取ったら警察に連絡するように言えるはずだ。Jovianが警察署長あるいは担当の刑事なら絶対にそうする。頭脳明晰なソ・テユンの考えがそこに至らなかったというのは少々信じがたい。

 

最後に、チョ刑事の足はどうなった?

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』以上、『 母なる証明 』に並ぶ大傑作である。重ねてシネマート心斎橋に感謝。劇場支配人の鑑賞眼の鋭さと商売人として機を見るに敏なところ、その両方のおかげで本作を大スクリーンで鑑賞できた。このレベルの邦画は、黒澤明とは言わないまでも小津安二郎まで遡らなくてはならないのではないか。邦画は10年前の時点で既に韓国映画に抜かれていたようである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チョンマリヤ?

「本当か?」の意である。これも劇中で何度も出てくるので、把握しやすい。チョンマル=本当、となるようだ。関西弁の「ホンマ」と音がそっくりである。ヤというのは中国語・漢文で言うところの「也」だろう。これをつけて語尾をrising toneにすれば疑問文の出来上がりである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, ヒューマンドラマ, ミステリ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:シネカノン, 韓国Leave a Comment on 『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

『 Red 』 -マジックアワーにぶっ飛ばす-

Posted on 2020年3月16日2020年9月26日 by cool-jupiter

Red 65点
2020年3月14日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:夏帆 妻夫木聡
監督:三島有紀子

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『 幼な子われらに生まれ 』の三島有紀子が監督した。それだけでチケットを購入する価値はある。『 ロマンスドール 』と同じく、梅田ブルク7で鑑賞したが、COVID-19もなんのそのなシネフィルが集まっていた。公開から3週間でも客の入りは6~7割。ほとんどが女性。世相を反映しているのか、それとも女性の内面に響くものが本作にあるのか。おそらくその両方だろう。

 

あらすじ

村主塔子(夏帆)は商社勤めの夫と年長クラスの娘を持つ専業主婦。何不自由ない生活ではあったが、しかし、結婚や母親業にどこか満足できていなかった。ある日、娘が小学校に上がるというタイミングで建築事務所に就職した。そこで10年ぶりに鞍田(妻夫木聡)と再会し・・・

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ポジティブ・サイド

シェークスピアの言葉、「弱き者よ、汝の名は女なり」を思い起こさせる内容である。だからといって、女性が全面的にか弱く、男性の庇護なくば生きていけない存在であると言っているわけではない。逆に、女性を弱くさせる社会的・心理的なシステムというものが強固に存在していることを時に遠回しに、時にダイレクトに批判している。

 

あくまで日本においてのことだが、女性というのは年齢と共に自身のアイデンティティの構成要素を奪われて、新たな属性を半ば強制的に付与される存在であると考えられる。最初は○○ちゃん、○○さんと自分の名前で呼ばれていたのが、結婚と同時に姓を変えざるを得ないことがほとんどである。そして子どもを産むと、次には〇〇ちゃん、〇〇君のお母さんという具合に、個人名ではなく関係性で呼ばれてしまう。これは、家族内や子どもを含むグループ内では、自分の人称を一番小さな子どもに合わせるという日本語の特性も関わっているため、一概には女性差別とは言えないかもしれない(自分の子どもと話すときに、「俺は・・・」、「私は・・・」ではなく「お父さんは・・・」、「ママは・・・」となるのは外国語に見られない日本語の特徴である)。だが、差別的でないからといって、疎外を感じないというわけではない。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』では、志乃ちゃんは肉体的にも心理的にも成熟していなかったために自分自身から逃げきれなかったが、本作の塔子は自分に張り付けられた属性を脱ぎ去ってしまう。セックスシーンはオマケのようなもので、ハイライトは“脱ぐ”という行為が象徴しているものである。フィクションの世界では、裸の死体が見つかって、身元の特定が困難とされたりする。アイデンティティの多くは、身にまとっているものなのだ。

 

塔子は決して肉欲に溺れているわけではない。自分が自分らしくあることができる居場所を確保しようともがいている。それは生存の一環でもある。人間の本能に、闘争・逃走反応というものがある。危険を感じた時に、戦うか逃げるか、どちらかの反応を示すということである。塔子は逃げるばかりではなかった。しかし、戦うには相手があまりにも巨大で強大だった。塔子が旅先である女性と共に煙草を一服するシーンでかけられる「女って大変だね」という言葉に、すべてが集約されているように感じる。女を、「おんな」あるいは「オンナ」とも表記できそうに感じたシーンである。ということは、我々は普段から女性にそれだけの属性やラベルを押し付けているということでもある。このシーンでは思わず自分の頭をコツンした。「愚昧な者よ、汝の名は男なり」である。

 

エンディングは非常に美しい。タイトルの Red の意味はここに集約されているのではないか。『 真っ赤な星 』の虚無的で、それでいて力強いエンディングに通じるものがあった。

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ネガティブ・サイド

話題になっていた濡れ場は、『 ナラタージュ 』以上ではあったが、『 ロマンスドール 』並み、『 火口のふたり 』未満であった。もちろん、エロスが主題なのではなく、社会的な制度(結婚制度や親子関係etc)に縛られた個人の解放が主題なのだとは承知している。けれどもベッドシーンがどこか中途半端に見えてくるのは何故なのだろうか。別に夏帆が乳首を見せないからとか、そういう露出の問題ではない。蒼井優だって見せてくれない。たぶん、“脱ぐ”という行為に主体性が感じられないからだろう。一度目のセックスシーンでは妻夫木が夏帆を脱がせた。違う。夏帆が自分から脱いでナンボのはずだ。そうでないと、ストーリーの主題と不倫・不貞行為が一致しない。二度目では、もう最初から脱いでいた。うーん、何だろうか、この「それじゃない」感は・・・

 

行為中のカメラアングルにも改善の要ありと認む。夏帆の表情にばかりズームアップするのではなく、天井や部屋の壁からのアングルがあっても良かった。または『 アンダー・ユア・ベッド 』のように、ベッドの軋みと嬌声を強調するアングルも面白かったのではないか。鞍田の部屋は色々な本来あるべき虚飾が削ぎ落された空間なのだから、そこで男と女になってまぐわう二人を遠景で映し出すことで、社会的な衣装をもはやまとっていない二人という構図を強調することができたと見る。

 

塔子が仕事に復帰する流れも、少々唐突に映った。『 “隠れビッチ”やってました 』のひろみもそうだったが、デザイナーならデザイナーのバックグラウンドを持っているということを暗示するシーンを序盤に入れてほしかった。キッチンのレイアウトについて一瞬だけでも考え込むようなシーンがあれば、「仕事に戻りたい」という塔子の欲求をもっと素直に受け止められるのだが。

 

総評

なんか女性の考察やらベッドシーンの文句ばかり書いてしまったが、映画的な意味での見どころは随所にある。最も印象に残るのは余貴美子と塔子の対話シーンだろう。老若男女問わず、塔子の母のセリフには痺れるはずである。エンディングは賛否が分かれるだろう。Jovianは賛、嫁さんは否であった。夫婦で鑑賞すれば、互いの人生観や結婚観を語り合うきっかけにできる作品かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

not ~ a bit

「全く~ない」の英語表現といえば not ~ at all が定番だが、not ~ a bit もかなり頻繁に使われる。鞍田が塔子に言う「君は少しも変わってないな」を英語にすれば“You haven’t changed a bit.”となるだろう。同窓会などで使ってみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ラブロマンス, 夏帆, 妻夫木聡, 日本, 監督:三島有紀子, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 Red 』 -マジックアワーにぶっ飛ばす-

『 エスケープ・ルーム 』 -現代的シチュエーション・スリラー-

Posted on 2020年3月15日2020年9月26日 by cool-jupiter

エスケープ・ルーム 55点
2020年3月14日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:テイラー・ラッセル
監督:アダム・ロビテル

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2016年だったか、JovianはMOVIXあまがさきでリアル脱出ゲーム「ある映画館からの脱出」にトライしたことがある。結果は、本の半分くらいまでしか進められなかった。あと1時間半あれば、もしかしたら全部解けた・・・かもしれない。そういうわけで、ある意味でリベンジを期して本作に臨んだが、頭脳系というよりはアクションとサスペンスの風味が強めだった。

 

あらすじ

このエスケープ・ルームを最初に攻略した者には賞金1万ドル。各地から集まってきたゾーイ(テイラー・ラッセル)ら6人は、シカゴのビルの一室でゲーム開始を待っていた。だが、部屋のドアノブが外れたのを合図に脱出ゲームがいきなり開始された。この脱出ゲーム、エンターテイメントというにはあまりにもシリアスで過酷なもので・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からただなぬら雰囲気である。足を怪我していると思しき男が、上階から天井を突き破って落下してきた。そしてドアに取り付けられた暗号鍵のヒントを探す。だが、そうする間にも部屋はみるみると縮まっていき、調度品を押しつぶしていく・・・

 

まるでスペインの怪作『 キューブ■RED 』(ちなみにこれは『 キューブ:ホワイト 』と同じで、いわゆる『 CUBE 』の名を模しただけの作品である)のクライマックスにそっくりである。色々な部屋に恐ろしい趣向が凝らしてあるというのは、まさに『 CUBE 』の精神を受け継いでいる。

 

一つ一つの部屋も、しっかりと作りこまれている。このあたりも『 CUBE 』的である。また、一見して建物の中とは思えない部屋も存在する。扉が開くごとに異世界に放り込まれる感覚は、『 キラー・メイズ 』を格段にシリアスにしたようにも感じられた。『 ジュマンジ 』はゲームのキャラになる話だが、こちらはリアル脱出ゲーム。どこかコミカルな前者と違い、全編に緊張感・緊迫感があふれている。

 

集められてきた面々にも「ある要素」が仕込まれており、そのことが物語の早い段階でフェアな形で暗示されている。このあたりは巧みな構成であると感じた。また、彼ら彼女らは集められてきたわけであるが、では集めた側はどうなっているのか。このあたりは米澤穂信の小説および映画化もされた『 インシテミル 』の経済格差社会バージョン。我々が昔、TBSのスポーツエンタメ番組『 SASUKE 』を見ているようなものか。構造は『 インシテミル 』と似ていても、観る側がスーパーリッチ(その姿は当然見えない)であるというところは現代的であると感じた。

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ネガティブ・サイド

キャラクターがほとんど全員立っていない。優等生で内気な少女やゲームヲタクの少年などはその最たる例だろう。死んでいく順番も手に取るように分かってしまう。このあたりにもう少し意外性を期待したかった。

 

ゲームの主催者がビルから一切合切の痕跡を残さず去ってしまうのも、相当に無理がある。現実にゲーム参加者ではない者の死体、それも銃殺されたものがある以上、本腰を入れて捜査せざるを得ないはずだ。なので、捜査は行われるも一切進展せず。警察はあてにならない。という流れの方が説得力があったと思われる。

 

また用意されていた各参加者の死亡新聞記事も、つじつま合わせとしては少々苦しい。特にゲーオタ少年などはほぼ100%、ネット上で活発に発言し、行動するナードだろう。「これから最難関の脱出ゲームに行ってきます!」のようなブログ記事やオンラインメッセージ、メールや友人知人への吹聴などがあったに決まっている。そういったもの全てを消し去る、あるいは歪曲するのは、不可能に思える。

 

総評

続編作る気満々で、実際に早々に続編制作をも決まったらしいが、どうなることやら。こういう作品は単体では面白いが、シリーズ化されてしまうと途端に陳腐になってしまう。それは『 CUBE 』や『 ソウ 』の証明するところである(特にJovianは開始10~15分で『 ソウ 』の仕込みを見破ったから猶更そう感じる)。あまり深く考えず、遊園地のアトラクション的なノリで鑑賞するのが正解かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

work

劇中で何度か“It didn’t work.”というセリフが使われたが、「働く」という意味ではない。「上手くいく」という意味である。“It didn’t work.”は「(入力したパスコードが)ダメだった」ということである。日常生活でも

“Your advice worked.”

“This medicine will work.”

などという具合に使ってみるべし。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, シチュエーション・スリラー, テイラー・ラッセル, 監督:アダム・ロビテル, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 エスケープ・ルーム 』 -現代的シチュエーション・スリラー-

『 バハールの涙 』 -女、命、自由の時代を求めて-

Posted on 2020年3月14日 by cool-jupiter

バハールの涙 70点
2020年3月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ゴルシフテ・ファラハニ エマニュエル・ベルコ
監督:エバ・ユッソン

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『 パターソン 』でパターソンの愛妻ローラを演じたゴルシフテ・ファラハニの主演映画。英語、フランス語、ペルシャ語にクルド語まで解すとは、いったいどんな才媛なのだ。本作では一転、武器を取り、女性部隊を率いる勇猛な女性役。日本からこういう女優が出てこないのは何故なのだ?

 

あらすじ

バハール(ゴルシフテ・ファラハニ)はある日、ISの襲撃を受け、夫は殺され、息子は連れ去られ、自らと妹も拉致され、凌辱された。なんとか脱出したバハールは、女性部隊「太陽の女たち」を結成する。彼女たちを取材するジャーナリストのマチルド(エマニュエル・ベルコ)も、徐々にバハールの信頼を得ていく・・・

 

ポジティブ・サイド

ゴルシフテ・ファラハニの憂いを帯びた表情が何とも言えず良い。閉ざされ冷え切った心の奥底には、しかし、マグマが煮えたぎっている。そんな相反するような属性を併せ持つキャラクターをしっかりと体現した。バハールという女性は架空の存在のようであるが、その存在感は群を抜いている。小説や映画にありがちな、一見すると小市民だが、実は特殊部隊上がりだったとか、幼少から格闘技や暗殺術を叩き込まれていたといったような、ある意味でお定まりの背景を持っていないことが、逆にリアリティを高めている。平塚らいてうは「元始、女性は太陽だった」という言葉を残した。太陽は光と熱の塊であるが、表面よりも内部の方に圧倒的なエネルギーを蓄えている。植物にその無限のエネルギーを分け与え、我々動物はそのおこぼれに頂戴している。バハールをはじめとした「太陽の女性たち」が歌う「女、命、自由の時代」の歌には、名状しがたい力が溢れている。彼女らの歌う「女 命 自由の時代」というのは、それこそ「男 死 束縛の歴史」が続いてきたことへの痛烈な批判である。これを中東だけの事象であると思い込むことなかれ。ほんの1世紀前の極東の島国は、アジア中に死と破壊をもたらす戦争への道を、男だけの論理の世界で突き進んでいったのである。バハールが常に虚無的な表情で銃を手に持っているのは、それだけ目の前の現実に抑圧されているからに他ならない。我々も妻や母が虚無的な表情になっていないか、少しは気を配ろうではないか。

対照的に、エマニュエル・ベルコ演じるマチルドは、明らかに『 プライベート・ウォー 』のメリー・コルビンだろう。ホムスで逝ったコルビンの意思を受け継ぐかのように、マチルドはホムスの爆撃で片目を失明し、それ以来眼帯を巻いている。そのマチルドも、ジャーナリストとしての報道の使命を果たすことや真実を追求するために記者をしているわけではない。コルビンと同じく、市井の名もなき人々との出会いを羅針盤に、彼女は戦地を取材している。「我々は世界のことを考えすぎている」と養老孟司は喝破したが、本当は生身の人間に思いを馳せるべきなのだ。空爆があったとか、災害があった、疫病が流行したというニュースに触れる時、その地域にリアルタイムで生きる人々を想像する力を育むべきなのだ。彼女が自らを突き動かす行動原理を語る時、我々はバハールとマチルドが同志であることを知る。「女は弱し、されど母は強し」とはよく言ったものである。

 

本作は赤と黒が入り混じった光の使い方が印象的である。人間の内部のドロドロとした感情と、「太陽の女たち」を取り巻く現実のダークさ、不透明さを象徴しているかのようである。どこか『 エイリアン2 』を思わせる光の使い方である。

 

良いところなのかどうかは微妙だが、本作を鑑賞するにあたって、中東情勢やイスラム国の台頭、クルド人の歴史などを詳しく知っている必要はない。バハール、そしてコルビン・・・ではなくマチルドという個人の生き様に注目すべし。

 

ネガティブ・サイド

アクションやヒューマンドラマの演出がやや弱い。ストーリーそのものが充分にドラマチックであるからだろうか。ペルシャ絨毯の上に女性たちがどっかと腰を下ろして、各自銃の手入れに余念のない様子は印象的だった。いかにも非日常、緊急事態である。このような何気ない描写の中に感じる違和感=非常時、異常事態のただ中、というものをもっと使ってほしかったと思う。

 

後は石頭の男性司令官を、もうちょっと柔軟に描けなかっただろうか。あれでは融通さに欠けるただの無能、しかも下手をすればへっぴり腰のオッサンにしかならない。女性・母というもののしたたかさを描くために、男性をことさらアホに描く必要はない。男は元来、アホである。だからこそISを作ったり、そこに参加したりするわけである。

 

総評

一言、良作である。派手なドンパチはないが、それでも戦闘の緊迫感は伝わってくるし、なによりもバハールとコルビンの生き様がこの上なく inspirational である。戦争、紛争のニュースに接する時、我々は「あー、なんかやってるな」ぐらいにしか感じないが、それでもそこには生きた人間、死んでいく人間が存在することをこのような映画を通してあらためて知らされた。戦地のスーパーマンではなく、人間として強さの純度を高めた個人の物語であり、非常に現代的な作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You name it.

序盤の英語とフランス語とクルド語が入り混じっている場面で使われていた。意味は「その他にも色々ある」のような漢字である。実際の使い方についてはこの動画を見てもらえるとよく分かるだろう。こういった何気ない表現を会話やスピーチ、プレゼンの中で自然に使えれば英会話の中級者である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, エマニュエル・ベルコ, ゴルシフテ・ファラハニ, ジョージア, スイス, ヒューマンドラマ, フランス, ベルギー, 監督:エバ・ユッソン, 配給会社:コムストック・グループ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 バハールの涙 』 -女、命、自由の時代を求めて-

『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』 -完全にネタ切れ-

Posted on 2020年3月10日2020年9月26日 by cool-jupiter

スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 40点
2020年3月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:千葉雄大 成田凌 白石麻衣
監督:中田秀夫

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前作『 スマホを落としただけなのに 』の続編。前作はスマホという文明の利器の闇を描いたという点では意欲的な作品だったが、本作はただのハッキング+シリアル・キラーもの。それも先行する作品のおいしいところばかりを頂戴して、ダメな料理を作ってしまった。

 

あらすじ

刑事の加賀谷(千葉雄大)が天才ハッカーにしてシリアル・キラーの浦野(成田凌)を逮捕して数か月後。浦野が死体を埋めていた山中から新たな死体が発見される。浦野は加賀谷に「それはカリスマ的なブラック・ハッカー、Mの仕業ですよ」と語る。時を同じくして、加賀谷の恋人である美乃里(白石麻衣)に魔の手が忍び寄っていく・・・

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ポジティブ・サイド

千葉雄大が前作に引き続き好演。闇を秘めたキャラであると見ていたが、それなりに納得のいくバックグラウンドを持っていた。こういうところでも、日本は律義にアメリカに20年遅れている。しかし、こうしたことがリアルに感じられるのも現代ならではである。最近、自動相談所が小学生女児を親の元に帰してしまったことで悲劇が起きたが、こうしたことは実は全国津々浦々で起こってきたのではないか、そして見過ごされてきたのではないか。そうした我々の疑念が、加賀谷という刑事の背景に逆に説得力を持たせている。

 

白石麻衣、サービスショットをありがとう。

 

役者陣では、成田凌の怪演に尽きる。まあ、ハンニバル・レクターもどき、もといハンニバル・レクター的アドバイザーを体現しようとしているのは十分に伝わってきた。犯罪を楽しむ、いわゆる愉快犯ではなく、社会的な規範にそもそも収まらない異常者のオーラは前作に引き続き健在だった。千葉と成田(というと地名みたいだが)のファンならば、劇場鑑賞もありだろう。

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ネガティブ・サイド

何というか、ありとあらゆる先行作品を渉猟しまくり、あれやこれやの要素をパッチワークのようにつなぎ合わせたかのような作品という印象を受けた。『 羊たちの沈黙 』のハンニバル・レクターとスターリング捜査官の関係、『 トップガン 』のマーヴェリックの入隊理由、『 ハリー・ポッターと賢者の石 』のスネイプ先生など、さらには高畑京一郎の小説『 クリス・クロス 混沌の魔王 』および『 タイム・リープ あしたはきのう 』の「あとがきがわりに」に登場する江崎新一など、メインキャストの二人、千葉と成田を評すにはクリシェ以外の言葉がなかなか見当たらない。千葉は童顔とのギャップで、成田は持ち前の演技力でなんとかこれらの手あかのつきまくった設定を抑え込もうとしたが、残念ながら成功しなかった。作品全体を通じて感じたのは、スリルでもサスペンスでもなく退屈さである。

 

凶悪な犯罪者が野に放たれたままであるという可能性が高い。そいつを捕まえんと警察も全身全霊で奮闘するが及ばない。獄中の天才犯罪者の力をやむなく借りるしかないのか・・・ こうした描写があればストーリーに説得力も生まれる。だが、本作における警察はアホと無能の集団である。しかも、そうした設定に意味はない。単に観る側にネットやスマホの技術的な解説や悪用方法を説明したいからだけにすぎない。この室長(?)キャラはただただ不愉快だった。無能でアホという点では、浦野の監視についた脳筋的ギャンブル男もどうかしている。浦野の食事に嫌がらせをするから不快なのではない。相手が大量殺人鬼であると分かっていながら油断をするからだ。というよりも、PCを使うのに支障がない程度に、浦野は両手両足は拘束されてしかるべきではないのか。ハンニバル・レクター博士並みというのは大げさだが、それぐらい警戒しなければならない相手のはずである。だいたい、なぜ監視が一人だけなのだ?現実の警察(富田林署除く)がこれを見たら、きっと頭を抱えることだろう(と一市民として信じている)。

 

浦野がMを追う手練手管はそれなりに興味深いものだったが、ブログ解説はいかがなものか。いや、ブログの中身ではなく、ブログ記事執筆者としての加賀谷の写真をいつどうやって撮影したのか。シリアスな事件の捜査中に、笑顔でPCに向かう写真を撮ったというのか。考えづらいことだ。それとも合成・生成なのか。また【 Mに告ぐ 】というメッセージをクリックさせるという罠にはめまいがした。そんなもの、M本人がクリックするわけないだろう。ダークウェブに潜み、あらゆるネット犯罪に精通するカリスマ的ブラックハッカーが聞いて呆れる。そもそも、こいつが怪しいですよというキャラクターをこれ見よがしに登場させるものだから、すれっからしの映画ファンやミステリファンならずとも、Mを名乗る者の正体は容易に分かってしまう。こういうのはもう、スネイプ先生に端を発するお定まりのキャラである。

 

他にも珍妙な日本語も目立った。脳筋ギャンブラーによる、ラーにアクセントを置く“ミラーリング”や、「とりあえずメール送った相手に注意勧告してください」(そこは注意喚起だろう・・・)など。撮影中、最悪でも編集中に誰も気付かないのだろうか?こんなやつらがサイバー犯罪を取り締まっているようでは、邦画の中での日本の夜明けは遠いと慨嘆させられる。

 

後はリアリティか。獄中生活が長い浦野が、毛根まで銀髪というのはどういうことなのか。最近の留置場は髪染めもOKなのだろうか。普通に黒髪でいいだろうに。

 

総評

ミステリやサスペンスものの小説や映画に馴染みがない人ならば、前作と併せて楽しめるのだろうか。ストーリーの根幹の部分は悪くないのだ。ネット社会、PC社会の闇というのは今後広がっていくのは間違いない。だが、そこに至るまでの過程に説得力がない。『 羊たちの沈黙 』とはそこが最大の違いである。続編作る気満々のようだが、原作者、脚本家、監督の三者で相当にプロットを練りこまないことには、さらなる駄作になることは目に見えている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

the most safest

劇中のダークウェブ侵入前にブラウザに上の表現を使った文章が現れていた。the most safestは、もちろん文法的には誤りである。the safestか、またはthe most safeとすべきだろう(後者のような形はどんどん受け入れられつつある eg. the most sharp, the most clearなど)。受援英語で the most 形・副 estと書けば間違いなく×を食らうが、実際にポロっとネイティブが使うことも多い表現である。Jovianの体感だと、the most awesomestという二重最上級が最もよく使われているように思う。受験や大学のエッセイ、ビジネスの場では使わないこと!

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, スリラー, ミステリ, 千葉雄大, 成田凌, 日本, 白石麻衣, 監督:中田秀夫, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』 -完全にネタ切れ-

『 仮面病棟 』 -面白さは小説 > 映画-

Posted on 2020年3月10日2020年9月26日 by cool-jupiter
『 仮面病棟 』 -面白さは小説 > 映画-

仮面病棟 45点
2020年3月8日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:坂口健太郎 永野芽郁
監督:木村ひさし

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小説『 仮面病棟 』の映画化である。小説=活字であれば上手く誤魔化せていた部分の粗が映像では目立ったという印象。さらに、映画化に際して加えたちょっとした改変が、リアリティを損なってしまっているシーンもある。脚本には原作者の知念実希人の名もあったが、彼が関与できたのはどの程度なのだろうか。

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あらすじ

速水(坂口健太郎)は、先輩医師の代打で急遽、当直医のバイトを引き受ける。だが、出向いた病院にピエロの仮面をかぶった銃を持つコンビニ強盗が押し入って、負傷した若い女性を治療しろと強要してきた。女性・川崎ひとみ(永野芽郁)をなんとか治療した速水だったが、ピエロは病院を立ち去らない。事態を打開しようとする速水だが、院長も看護師も病院そのものも、どこか不審な点ばかりでで・・・

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  • 以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

本作はミステリ風味の脱出系シチュエーション・スリラーに分類されるのだろうか。病院まるごとを一種の密室にして、そこに『 エスケープ・ルーム 』(近く観たい)と『 パニック・ルーム 』の要素を混ぜてきた。ミステリ要素がサスペンスを呼び、サスペンス要素がミステリを盛り上げる。原作小説の持っている面白さを損なうことなく映像化した点は、間違いなく加点対象である。

 

大根役者だと思っていた坂口健太郎が、いつの間にか普通の役者になっている。『 人魚の眠る家 』では、まだ少しぎこちなさがあったが、本作ではピエロに怯えながらも知力と胆力で堂々と渡り合う若い医師を見事に演じきった。坂口よ、3年間みっちり英語を勉強して英語圏の映画に出ることを目標にしてみないか?その気になったら、Jovianが学習プランを立てて、コーチングして、時々実際のレッスンも提供しようではないか。

 

Back on track. 小説にあった病院の秘密を、映画化に際してはさらにパワーアップ。社会的なメッセージを放り込んできた。小説の出版は2014年12月。当時と今とで、日本の何が異なったのか。一つには、経済格差がさらに進んだこと。一億総中流というのはもはや幻想にすぎない。ごく一部の富裕層(それを上級国民と言い換えても良いのかもしれない)と、マジョリティである中の下クラスの庶民、そして貧困層が固定化されつつあるのが日本のみならず、いわゆる先進国に共通する現象である。そうした中、若さや命をカネで買おうとする者が現れるのは、理の当然と言える。

 

松竹系の劇場だけだろうか。最近、頻繁にドナーカードのCMが予告編前に流れるが、なかなかに意味深で趣がある。『 AI崩壊 』も、AIが命の選別をしてしまうというプロットだったが、命の価値についての問題提起をフィクション、そしてエンターテインメントの形で行ったことには一定の意義を認めたい。

 

ネガティブ・サイド

銃創がいくらなんでも不自然すぎる。というか、服の上をほぼ真横から撃たれたというのに、服は一切損傷しておらず、腹に傷を負わせるとは、いったいどんな擦過射創なのだ。『 JFK 』で言及された“魔法の銃弾”なのか。

 

小説のレビューで期待交じりに書いた「映画化に際して、永野芽郁の下着姿が拝めるかもしれない」という部分は実現せず。なんじゃそりゃ・・・

 

もしもJovianが速水と同じ状況になったら、病院にあるカネを全てピエロに渡し、全員が二階に上がったところで階段の鉄格子を鎖と鍵で封印してもらい、なおかつピエロに一回のエレベーターにソファを突っ込んで(『 十二人の死にたい子どもたち 』

の仕掛けの一つ)、扉を閉められなくなる=他の階から一階に移動できなくなるようにするということを提案する(その上で院長が5階のエレベーターに同じ細工を施せばいい)。金目当てなら、乗ってくるだろう。この提案を飲まないのなら、それは目的がカネ以外にあるということになる。だが、普通に考えれば、互いが互いを隔離できる上のような提案が生まれなかったというのは、やや不自然にも感じられた。

 

セリフのつながりがおかしいところがある。ずばり、トレーラーの「あいつだけじゃない」の部分である。坂口演じる速水は、小説版では即座にピエロの仲間、もしくはピエロが二人いる可能性に思考を巡らせるが、映画の速水はさにあらず。なにやら頓珍漢な応答をする。あの状況で「あいつ」と言われて、それが誰を指すのか分からないというのは無理がある。説得力ゼロである。

 

ズバリ書いてしまうが、上のセリフを言う看護師もおかしい。普通は院長に言うだろう。もしくは速水に言うべきだ。なぜ永野に耳打ちするのか。いや、普段から羊しかいない牧場に、ふらりと狼がやってきたら絶対に警戒するだろう。ましてや女、それも同性。さらに勘が鋭い(はずの)看護師。一発で気が付かないとおかしい。活字では誤魔化せるだろうが、映像では無理だ。粗が目立ちすぎである。

 

警察の対応も間抜けの一言である。普通は監禁された人間の安否をまずは確認する。それはいい。だが次に確認すべきは位置だろう。犯人および人質が1階なら「はい」、2階なら「いえ」、3階なら「ええと、まあ」などと符丁を使ってやり取りすべきだ。元警察官のJovianの義父がこれを観たら、頭を抱えることだろう。また、SITも機動力が無さすぎるし、突入前に病院の間取りを確認したのかどうか怪しい挙動をする者もいる。なぜ特殊事件捜査係をことさらに無能に描くのか。

 

無能なのはマスコミも同じである。『 ホテル・ムンバイ 』でも米メディアがリアルタイムで軍の突入を報じたことで、ホテル内部のテロリストが一般人を殺傷するというシーンがあったが、同じことをここでも繰り返している。アホなリポーターがリアルタイムで警察の突入の様子をテレビで報じている。ご丁寧に、警察の配置なども丸見えの絶好のポジションを映している。マスコミは警察の味方なのか、ピエロの味方なのか。2020年1月に島根で立てこもり事件があったが、その時もマスコミは建物は遠くからだけ映し、警察官などは映り込まないように配慮していた。木村ひさし監督よ、リアリティというものを学んでくれ・・・

 

またラスト近くの絵が非常にシュールである。どうやって手術台に乗せたのだろうか。というか、一般人がオペ室に入れてしまうのは何故なのか。病院のセキュリティが緩すぎる。

 

記者会見での魂の叫びもシュールである。現実にこんなやつはいないだろうということ。そして、原作にあったロマンス要素を取っ払い、代わりに婚約者を交通事故で死なせてしまったという背景を速水にくっつけたのは悪いアイデアではなかった。だが、この映画版の背景と上述の叫び声が必ずしもリンクしない。原作通りに、患者に惚れる医師で良かった。その上で「生きてくれ!」と叫ぶのなら、まあ分からんでもない。医者が私的に告発するというのは、ダイヤモンド・プリンセス号に乗りこんだドクター岩田がやってくれた。そのおかげで、記者会見のくだりだけはそれなりに説得力があった。

 

総評

端的に言って、映画化失敗である。映画単独で観ればそれなりに面白いのかもしれないが、原作のスパッとした切れ味がなくなり、冗長性ばかりが目立つ作りになってしまった。1時間30分~1時間40分にまとめることもできたはずだ。原作を読んだ人なら、劇場鑑賞する意味はない。キャストに惹かれる、あるいは予告編に何かを感じたという人は劇場にどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

clown around

『 仮面病棟(小説) 』でも紹介したが、clown around=(道化師のごとく)ふざけた真似をする、の意である。トレーらーにもある「ふざけるな」というセリフはいかようにも訳しうるが、せっかくピエロが出ているのだから、それに絡めた訳をしてみた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, シチュエーション・スリラー, ミステリ, 坂口健太郎, 日本, 永野芽郁, 監督:木村ひさし, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 仮面病棟 』 -面白さは小説 > 映画-

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