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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『ワンダー 君は太陽』 -人の見た目が変えられないなら、人を見る目を変えるべし-

Posted on 2018年6月17日2020年2月13日 by cool-jupiter

ワンダー 君は太陽 75点

2018年6月16日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:ジェイコブ・トレンブレイ ジュリア・ロバーツ オーウェン・ウィルソン
監督:スティーブン・チョボウスキー

*一部ネタバレあり

これは傑作である。何が本作を傑作たらしめるのか。それは主人公オギー(ジェイコブ・トレンブレイ)が自分自身の力で何かを成し遂げる様子を逐一カメラに収めているからではなく、むしろオギーの周囲の人間が知らず知らずのうちにオギーの影響を受けているということを観客に非常に分かりやすい形でプレゼンテーションしてくれているからだ。またオギー自身も、決して子どもに似つかわしくない明晰すぎる頭脳やタフすぎる精神力を備えているわけでもない。言わば、ちょっと特殊な顔を数々の手術で治してきただけの普通の男の子なのだ。オギーを見ることは、ある意味で自分自身の暗い心と向き合うことでもある。誰もが何かしらの罪悪感や劣等感に苛まされているものだが、もしもそれがほんのちょっとのきっかけで取り除かれるのであれば、人は人にもっと優しくなれるかもしれない。どうせ自分は背が低いから、どうせ自分は太っているから、どうせ自分は二重瞼じゃないから、どうせ自分は・・・ と自分にマイナスの符号ばかりつけるということを、我々はしがちである。しかし、ほんの少し見方を変えれば、ほんの少し接し方を変えれば、ほんの少し勇気を振り絞れば、何かが大きく変わるかもしれない。そんな気にさせてくれる作品である。

もちろん、オギーの学校生活は初めはとても辛いものだ。誰もがオギーを「疫病神」扱いする。しかし、そんな中でも手を差し伸べてくれる子どもはいるし、オギーにはその手を握り返すだけの勇気があった。またテストで困っているクラスメイトに、こっそり自分の答案用紙を見せてやるなどの優しさや茶目っ気もある。他校の年上の生徒に友達が殴られたのに対して敢然と立ち向かう姿勢すら見せる。しかし、考えてみれば、こうしたことは全て普通のことであると言える。これがドラマチックであるのは、オギーが特別な少年だからではなく、オギーを特別な少年であると思い込んでいる我々の側にその原因があることが明らかになってくる。そのことを本作はある種の群像劇の形で教えてくれる。

この映画は、オギーの父ネート(オーウェン・ウィルソン)、母イザベル(ジュリア・ロバーツ)、姉ヴィアや愛犬のデイジー、その他にも姉の友人やボーイフレンド、オギーのクラスメイトや友人、教師、校長先生らの目を通じて、オギーの周囲の人間ドラマを構成していく。特に姉ヴィアが経験する親友との突然の断絶と新しい出会いは、『 レディ・バード 』でも似たようなテーマが扱われていたように、普遍的な事象であると言える。それが特殊な色彩と帯びて見えるとするなら、やはりそれは観る側の目にフィルターが掛かっているからなのかもしれない。そのことを暗示するのがオギーが友達のジャック・ウィル(ノア・ジュプ)と組んで発表する理科研究プロジェクトであると思う。

その他、個人的にツボだったのは、スター・ウォーズからチューバッカとダース・シディアスが参戦していること。このぐらいの年齢の子になると、旧三部作と新三部作を分け隔てなく愛でられるということは『 ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス 』でも触れられていたが、時代は確実に進んでいるようである。それでも学校のとあるイジメのシーンでオギーを指して悪ガキのジュリアンが”Darth Hideous”と呼ぶところなどは、前述のジャック・ウィルの子どもらしさとはまた別の子どもらしさを見せられ、ぞっとしてしまった。このクソガキを巡ってはさらに一悶着あり、彼の良心と両親にも見せ場が与えられる。そこで、この世は陽の光と虹だけで出来ているわけじゃないんだ、というロッキー・バルボアの言葉を言葉を思い出す人もいるだろう。また劇中で『オズの魔法使い』が一瞬出てくるのだが、この作品でも虹は重要なモチーフになっている。それをオギーとジャック・ウィルはあっさり観ないという選択をするのだが、ここからもオギーと皆の物語は、魔法ではなく皆の知恵や勇気によって紡がれているものだということが暗示されているようだった。

再度繰り返すが、本作の素晴らしさは、オギーその人ではなく、彼の生きる世界の明るさと暗さ、その両方に我々が魅せられるからだ。愛犬デイジーとの別れや、そのことに独り寂しく涙する父などの姿なくして、オギーの成長はなかったし、物語世界の豊饒さは生まれなかったのではないだろうか。人は変わることができる、それは『スリー・ビルボード』のテーマでもあったが、そのことは本作にも通低している。映画ファンであってもなくても、見て損は無い傑作である。

それにしても主演のジェイコブ・トレンブレイはアダム・ドライバーそっくりだし、親友役のノア・ジュプはトーマス・ブロディ=サングスターに良く似ている。将来に期待が持てそうな子役たちである。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, オーウェン・ウィルソン, ジェイコブ・トレンブレイ, ジュリア・ロバーツ, ヒューマンドラマ, 監督:スティーブン・チョボウスキー, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『ワンダー 君は太陽』 -人の見た目が変えられないなら、人を見る目を変えるべし-

『プールサイド・デイズ』 -少年に向き合う大人の男-

Posted on 2018年6月17日2020年1月10日 by cool-jupiter

プールサイド・デイズ 65点

2016年にWOWOWで録画観賞
出演:スティーブ・カレル トニ・コレット リーアム・ジェームス サム・ロックウェル
監督:ナット・ファクソン ジム・ラッシュ

初っ端からスティーブ・カレルに左フックを一発喰らったような気分にさせられる。母親の恋人に「お前は10点満点で3点だ」などと言われて、夏のバカンスを楽しめる子どもがどこにいるものか。こんな嫌味な役をやらせると何故かハマるのは往々にしてコメディアン。『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』における品川佑もそんな感じだった。

14歳のダンカンは、母親(トニ・コレット)とそのボーイフレンドのトレントと共に夏を過ごすべく海辺のリゾート地に車で移動していた。そんなダンカンの居場所は車の最後尾の座席とも言えないような空間。現代の“The Way, Way Back”はここを指すようだ。もちろん居心地が悪いのは車の中だけではない。別荘ではトレントの連れ子が派手系のギャルでダンカンとは明らかに違う”人種”なのだ。畢竟、ダンカンはそんないたたまれない場所には長くは留まれない。自転車に乗ってウォーター・パークへ逃避するのだが、そこでパークの従業員のオーウェン(サム・ロックウェル)と出会う。

アメリカではよく、子どもを育てるには Positive Male Figure が必要だ、などと言われる。実際に、父親のいない家庭では、娘が早期に妊娠することが多いとするデータもあるようだ。日本でも昔は欠損家庭(恐ろしい響きだ)、今では父子家庭や母子家庭と呼称されるが、やはり父、あるいは父に相当する人物の不在は子の成長に影響を及ぼすことは想像に難くない。ただし、父は父だから父なのではなく、父親であることの勤めを果たすからこそ父になりうるということを我々は決して忘れてはならない。そのことは『 万引き家族 』におけるリリー・フランキーが逆説的に証明してくれた。その役割を果たしてくれるのは、今作ではサム・ロックウェルなのである。

14歳というのは不思議な年齢で、まさに子どもと大人の中間地点と言える。第二次性徴が終わっている頃とはいえ、肉体的な成熟はまだまだ先だし、精神的な成熟はもっともっと先だ。そうした自らの変化に誰もが戸惑う時期で、女子はだいたい母親から一通りのレクチャーを受けるものだが、男子に対してしっかりと向き合う大人の男というのは、今はどれほどいるのだろうか。というよりも、昔から日本にはこのような意味での「父親」はあまり存在しなかったのではないかと思う。だからこそ一頃、『父性の復権』なる文庫が飛ぶように売れていたのではないか。

話が逸れた。プールに逃げ場を見出したダンカンは、オーウェンにアルバイトに誘われる。別荘に居場所がないダンカンには断る理由は無い。かくしてダンカンの一夏の成長物語が始まる。本作の素晴らしいところは、オーウェンというキャラがダンカンを対等の男として扱うところであり、大人のあれやこれや(たとえば恋愛や仕事振り)についても隠さないところである。それはつまり、大人に成りきれていない男子を体現しているとも言える。威厳や威圧で関係を構築しようとするトレントと、仲間意識で関係を構築するオーウェンのどちらが「父親役」としてふさわしいのかは言うまでもない。ダンカンも一夏の恋を経験し、オーウェンも同僚のケイトリンと真剣交際に至る一方で、トレントは別荘の目と鼻の先で浮気・・・ 当たり前のように一悶着があり、そしていよいよ夏も終わり、別離の時へ。

最後の最後でトレントに立ちはだかるオーウェンは、間違いなく父親像を体現していた。人生には Positive Male Figure と Negative Male Figure の両方が存在するが、オーウェンは間違いなく前者であった(ちなみに後者でいっぱいの映画の代表例はエドガー・ライト監督の『 ベイビー・ドライバー 』)。それにしても幸薄い母親役と言えば『 シックス・センス 』の時からトニ・コレット、その一方で殺人者からレイシストの暴力警察官役までこなすサム・ロックウェルが共演するというのは、それだけでなかなかに味わい深いものがあった。夏に観賞するにはぴったりであるし、ファミリーもしくは父子で堪能するのも良いだろう。素晴らしい作品である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, 監督:ジム・ラッシュ, 監督:ナット・ファクソン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『プールサイド・デイズ』 -少年に向き合う大人の男-

『月に囚われた男』 -月という二面性の表象-

Posted on 2018年6月15日2020年2月13日 by cool-jupiter

月に囚われた男 65点

2018年3月10日 レンタルDVDにて観賞
出演:サム・ロックウェル ケビン・スペイシー
監督:ダンカン・ジョーンズ

この5年だけでも、人類の月に関する知識やイメージはどんどんと再構成されていっている。月の空洞、月の発光現象、月の誕生にまつわる仮説(ジャイアントインパクト説が書き換えられる日もそう遠くなさそうだ)、極地の氷の存在・・・ 月は最も身近な天体にして、いまだにその正体がよく分かっていない地球の兄弟姉妹、もしくは子どもなのだ。しかし、月に関して確実に分かっていることもいくつかある。大きさや質量、その組成などだ。非常に興味深い事実、または常識として、月は常に地球に同じ麺を向けている。自転と公転の周期が一致しているとも言えるが、とにかく地球から月の裏側が決して見えない。月には隠れた領域がある。つまり、月は二面性の象徴である。これが本作のテーマであろうと思う。

サム・ロックウェル演じる3年契約の派遣労働者サム・ベルは月面基地に住みながら、黙々と資源採掘と地球への輸送業務に従事していた。相棒は人工知能のガーティ(声はケビン・スペイシー)。ところがある日、事故に遭い、気がつくと自分と瓜二つの男が基地内にいる。あいつは俺なのか・・・?

 この謎そのものはそれほど長く引っ張られるわけではない。恩田陸の小説『月の裏側』みたいな精神的・心理的なホラー展開も無いので、そちら方面に耐性の無い方でも楽しむことができる。ただ、何を以ってホラーと呼ぶべきか、その定義は曖昧模糊としていることは認めなければならないが・・・

月というある意味では究極の極限環境に独り。そこに現れた異物が自分だったら?人は人と分かり合えなかったり、傷つけあったり、それでも良好な関係へと改善させていったりということができるが、相手が自分なら?自己と非自己の境目はどこにあるのだろうか。主に西洋哲学が二千年に亘って発し続けてきた問いである。目に見えているもの、感覚が捉えられるものの向こう側の領域、それを《超越》と哲学では呼ぶが、この映画はまさに超越の領域がどんどんと顕わになってくるその過程に真髄がある。見えなかったものが見えてくる。それこそまさに「月」の《表象》だからだ。

そこに人工知能のガーティの存在である。今年で製作50周年記念の『2001年宇宙の旅』を思い浮かべずとも、我々は人工知能が決して協力的な存在ではないことを知っている。しかし、この映画のガーティは、ケビン・スペイシーの非常に抑えた Voice acting の効果もあり、非常にユニークな、もっと言えば親しみを感じる、融通が利くキャラクターとして、卓越した存在感を発揮する。我々が知覚できない人工知能の奥底の領域でどのような演算が働いたのか、ガーティの言動に我々は人間らしさを見出す。月面に存在する機械の人間らしさと、地球でのうのうと暮らしている生身の非人間性。その鮮やかな対比は、二人のサム・ベルの対立と協力よりも、圧倒的に衝撃的に個人的には感じられた。

この映画の欠点というか、創作品全般に言えることだが、もっと受け手を信用してほしい。エンディングのあのナレーションなどは完全に不必要、蛇足だ。哲学的な思考を促す作品だからといって、その観賞者が必ずしも浮世離れしているわけではない。そこだけが少し残念な、SFの佳作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SF, イギリス, ケビン・スペイシー, サム・ロックウェル, 監督:ダンカン・ジョーンズ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『月に囚われた男』 -月という二面性の表象-

スリー・ビルボード ー予想外の展開と胸を打つエンディングー

Posted on 2018年6月14日2020年2月13日 by cool-jupiter

スリー・ビルボード 85点

2018年2月3日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:フランシス・マクドーマンド ウッディ・ハレルソン サム・ロックウェル ルーカス・ヘッジズ
監督:マーティン・マクドナー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180614225012j:plain

妻と一緒にこの映画を劇場で観たのだが、すでに結婚していて良かったと思えた。なぜならこの映画の放つ強力なメッセージの一つは、”人は人を傷つける”だからだ(ちなみに、独身時に観て、「独身で良かった」と思えたのは『ゴーン・ガール』だった)。しかし、本作が観る者の心に強烈に焼き付けてくるものは”人は変われる”、”人は人を赦せる”ということでもある。

原題は“Three Billboards Outside Ebbing, MIssouri”である。ミズーリ州にはエビングという地名は無いようだが、マーティン・マクダナー監督が意図したのは、架空の空間を創り上げることで、そこが現実にはどういう場所なのかをより強く浮かび上がらせることだったのだろう。この系列の事件で最も有名なのはトレイボン・マーティン射殺事件であろう。映画で例を挙げるなら『 フルートベール駅で 』(主演はマイケル・B・ジョーダン)や『 デトロイト 』か。『 私はあなたのニグロではない 』でも、横暴という言葉では描写しきれない暴力警官への恐怖が語られたが、それこそがアメリカ市民の紛れもない本音なのだろう。

エビングの片田舎のミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、娘をレイプされ、殺されてしまった母親である。夫とは離婚済みで、あちらは若い女と付き合っている。警察は捜査はしつつも、犯人逮捕に至る気配は無い。業を煮やしたミルドレッドは大枚をはたいて町はずれに3つの巨大立て看板(ビルボード)を出す。そこには警察のウィロビー署長を詰る言葉が書かれていた。これによって、警察や地元住民とミルドレッドとの間に溝が生まれてしまう。現代でこそ、各種のデジタルデバイスやICT技術の発達で情報へのアクセスは、田舎でも都会でもそれほどの違いなく行えるようになった。しかし、一度でも日本の田舎(それも日本昔話級の)に住んだことがある者であれば、そこは公共性が高く、閉鎖性が低い都市とは全く異なるコスモロジーが支配する土地であることを認識できるだろう。このエビングという町も同じである。全くの偶然だが、この映画を劇場で観た時、すぐ前の座席にアメリカ人夫婦(アクセントから判断)と思しき2人が座って鑑賞していた。物語の序盤から、登場人物たちがとんでもない言葉遣いをすることに苦笑したり、絶句したりしていた。そして第二幕に差し掛かろうかという時に、2人して退席してしまった。もしも英語に堪能な知人、もしくは英語のネイティブスピーカーの友人がいれば、ぜひ一緒にこの映画を観てほしい。恐ろしいほどの汚い言葉が飛び交う。これはアメリカに特有の話でもなく、日本の片田舎でも同じだ。Jovian自身の経験からも言える。田舎における情報の伝播速度、そして容赦の無い言葉遣い、それはすなわち秩序に対する異物排除の論理の強さの表れでもある。もちろん、そこで観る者が予想するのは、対立の解消と融和である。しかし登場人物の行動や心情、物語の展開が、あまりにも現実離れというか、映画製作、物語製作の文法からかけ離れている本作では、先を読んでやろうなどと意気込むことに意味はない。その最も良い(悪いとも言える、それは人による)例はウッディ・ハレルソン演じるウィロビー署長とミルドレッドが公園のぶらんこで二人きりで話すシーンだ。ここで署長は自身がすい臓がんで余命幾ばくもないことをミルドレッドに告げる。普通なら署長に何らかの同情を示すだろう。しかしミルドレッドは「あんたの病気のことは分かっていてビルボードを出した」と言ってのける。いくら娘を亡くしてしまったからといっても、この態度はないだろうと観る者は思うが、ミルドレッドの暴走はこれだけにとどまらない。トレイラーでも見られるが、火炎瓶で警察署を燃やすところまで行ってしまうのだ。

もちろん、ビルボードの出現をきっかけに警察や地元住民とミルドレッドの間に、軋轢が生じる。そこではサム・ロックウェル演じる人種差別主義者が服を着て歩いているかのような無茶苦茶な警察官ディクソンもいる。ある事件をきっかけにそのディクソンがビルボード管理会社の社員ら(白人)にしこたま暴行を加えていく。このシークエンスは『 バードマン 』ばりのワン・ロングショットで映されており、その迫力と結末も相俟って、恐るべき仕上がりになっている。このようにエビングの町で、秩序が混沌としていく中で、ミルドレッドの家族の秘密というか背景も明らかになって来る。Jovianは以前に父にも母にも言われたことがある、「祖父ちゃんや祖母ちゃんには必ずあいさつしとくんやぞ」と。いつ突然会えなくなるか分からないからだ、と今は理解している。ミルドレッドが娘を亡くしてしまう直前に持った会話は、確かに悔やんでも悔やみきれない類のものだ。しかし、だからと言って色々な人の好意を無下にしたり、警察署を燃やすことの理由にはならない。観る者がミルドレッドに共感することができないまま、しかし、物語はこれまた予想外の方向に火事を、ではなく舵を切っていく。これは書き間違いではない。ちなみにこの火事を引き起こすキャラクターの一人は、『 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー 』では鍛治になっていた。

もうここまでの展開で、頭がストーリーを処理していくのにも一苦労するのが、ここからさらに予想外の展開へ進んでいく。それが何であるのかは実際に体感するしかないが、人は人を傷つけはするが、人は人を赦すこともできるのだと強く確信させてくれる。CHAGE & ASKAのYAH YAH YAHを何故か無性に歌いたいという気持ちで映画館を後にすることになった。『 女神の見えざる手 』を上回るような予想外の展開。スローン女史が近年の映画キャラクターで最も輝く女性であるとするなら、本作のミルドレッドは最も深い闇を抱えたキャラでありながら、もっとも包容力のある女性でもある。このような作品との出会いは、人生を豊かにしてくれる。フランシス・マクドーマンドとサム・ロックウェルのオスカー受賞もむべなるかな。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, イギリス, ウッディ・ハレルソン, サム・ロックウェル, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, 監督:マーティン・マクドナー, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on スリー・ビルボード ー予想外の展開と胸を打つエンディングー

女神の見えざる手

Posted on 2018年6月8日2020年2月13日 by cool-jupiter

女神の見えざる手 85点

2017年10月22日 大阪ステーションシネマおよびブルーレイにて観賞
出演:ジェシカ・チャステイン マーク・ストロング クリスティーン・バランスキー
監督:ジョン・マッデン

ロビイスト映画の、これは白眉である。『 シン・ゴジラ 』並みのポリティカル・サスペンスであり、『ア・フュー・グッドメン』のようなスリラーでもある。銃メーカーがロビイング活動を請け負う会社に、女性が銃に対しても抱くイメージを変えてほしいと依頼するところから物語は始まる。銃を持つことで手に入れられる安心、強い母親のイメージ、それらを前面に押し出してほしいという依頼をしかし、ジェシカ・チャステイン演じるエリザベス・スローンは一笑に付す。ここから彼女は所属する大手ロビー会社を退社。マーク・ストロング率いる小さなロビー会社に移籍し、銃規制法案に働きかけていく。

冒頭に、“Lobbying is about foresight. About anticipating your opponent’s moves and devising counter measures. The winner plots one step ahead of the opposition. And plays her trump card just after they play theirs. It’s about making sure you surprise them. And they don’t surprise you.”という独白がある(実際には聴聞会のリハーサルだが)。この台詞の意味をよくよく噛みしめて今後の物語展開を見守って欲しい。予想してほしいではなく、見守って欲しいと願うのは、エリザベスの孤高の強さと弱さをその目に焼き付けてほしいからだ。話の展開を予想して、当たった外れたと一喜一憂することにさほどの意味は無い。少なくともこの映画に関しては。なぜなら、このストーリーの先が読める人は、余程のすれっからしか、さもなければロビイストだからだ。

それにしても、このエリザベス・スローンというキャラクターは異色である。2016~2017年にかけては、特に女性の女性性を大きく覆すような映画が多数公開されてきた(最も分かりやすい例は『ワンダーウーマン』と『ドリーム』か)ように感じるが、その中でも最も輝いているのは、おそらくこの Miss Sloane であろう。敵も味方も欺き、睡眠時間も削り、ストレス解消と言えば男娼を買うことで、勝つためなら法律違反も厭わないその姿勢は、観る者に問いかける。「あなたはここまでやりますか?」と。同時に、「ここまでやって勝った先に、いったい何があるのか?」という問いも必然的に発生する。彼女が求めたのは勝利なのか、それとも自己満足だったのか、それとも安息だったのか。ラストシーンで、彼女の目線の先にある者/物はいったい誰/何であったのか。

それにしてもジェシカ・チャステインという稀代の女優はここに来て、一気に花開いた感がある。『 ゼロ・ダーク・サーティ 』や『 モリーズ・ゲーム 』でも同工異曲のキャラを演じきったが、『 ヘルプ 心がつなぐストーリー 』では少し抜けたようでいて芯に強さのあるキャラも演じた。『 スノーホワイト 氷の王国 』のような微妙な作品に出演したこともあるが、作品のそのものの完成度の低さが、彼女自身の演技力や存在感を棄損したことは一度もない。希有な女優であると言える。何でもかんでもアメリカ様の後追いをする島国の、政治に危機意識を持つ人、キャリアに対して妥協を許したくない人にはぜひ観てほしい逸品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, サスペンス, ジェシカ・チャステイン, フランス, 監督:ジョン・マッデン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 女神の見えざる手

サンキュー・スモーキング

Posted on 2018年6月6日2020年1月10日 by cool-jupiter

サンキュー・スモーキング 50点

2018年6月4日 レンタルDVDで鑑賞
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:アーロン・エッカート ウィリアム・H・メイシー J・K・シモンズ ロバート・デュバル

ロビイスト映画と言えばジェシカ・チャステイン主演の『 女神の見えざる手 』とケビン・スペイシー主演の『ロビイストの陰謀』が思い浮かぶが、本作はそれらのシリアスでダークなトーンの作品とは一線を画すコメディである。タイトルが全てを物語っている(ちなみに原題は ”Thank you for smoking”)。

タバコPR会社のスポークスマンのニック(アーロン・エッカート)は、得意の話術でタバコ規制論者や嫌煙家を文字通り煙に巻いていくのが仕事である。冒頭、過度の喫煙が原因と思われる年少のがん患者も出演するテレビの討論番組で「タバコ会社は顧客に長生きして、煙草を吸い続けてほしいと思っている。その方が儲かるからだ。一方で嫌煙・反煙団体はこの少年に死んでほしいと思っている。そうなれば、彼らの予算が上がるからだ。恥を知るがいい」と、いけしゃあしゃあと言ってのける。屁理屈であることは直感で理解できても、この理屈を正面から論破するのは難しい。何故なら真実を含んでいるからだ。一事が万事この調子で、ニックはすいすいと仕事をこなしていく。一人息子との議論でも、ロビイストらしい屁理屈を並べ立て、議論を煙に巻いていく。

しかし、あるところで事件が。その事件の詳細については、書くべきではないだろうし、書いてもあまり面白いものではない。陰惨な事件というわけでもなく、コメディタッチの事件であると言えるが、その一方でアメリカらしい、というかアメリカの嫌な面、決して真似をすべきではない面を反映する事件でもある。極端な実例を挙げれば、プロライフ(人工中絶を認めない、胎児の命こそ至高という考え方)とプロチョイス(人工中絶を認める、女性の選択権こそが至上という考え方)を巡る論争が、中絶を手掛けるクリニックの爆破事件という形でピークを迎えてしまったことがある。法治国家で言論や思想の自由が認められていても、それらの自由を極端な形で行使することには一定のリスクが付きまとうというのがアメリカ社会の恐ろしいところ。しかし、それだけ自らの信じる思想に忠実であるという意味では、日本にもほんの少しその芯の強さを分けてほしいと思わないでもない。

ニックの好敵手の上院議員を演じるウィリアム・H・メイシーはまさに名バイプレイヤーである。大杉蓮的なポジションをがっちりと掴んでいる。くれぐれも心臓発作などで急逝しないでほしい。映画の面白さは脇役や悪役で決まるものだから。

この映画のテーマは決して煙草の是非を問うものではない。また何故仕事をするのかというものでもない(劇中で「99%の人は住宅ローンを払うため」と繰り返される)。常識を疑い、自分の頭で考え、自分の決断を信じることが簡単に見えて実は難しいということをあっけらかんと語っているのだ。批判的思考(クリティカル・シンキング)のヒントを求める大学生や、子どもが大人の一歩手前にまで成長してきた親が何らかの示唆を求めて観てみると、意外に楽しめるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, J・K・シモンズ, アーロン・エッカート, アメリカ, ブラック・コメディ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on サンキュー・スモーキング

ランペイジ 巨獣大乱闘

Posted on 2018年6月5日2020年2月13日 by cool-jupiter

ランペイジ 巨獣大乱闘 45点

2018年6月3日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:ドウェイン・ジョンソン
監督:ブラッド・ペイトン

巨大化が止まらない、という触れ込みだったが、しっかり止まる。というか、生物が巨大化していく理由を冒頭に説明しようとしたことで、かなり無理がある話になってしまったように思う。観る前は「まさかこの巨大化の仕組みをキングコングに応用して、2020年のゴジラとの対決につなげるのか?」とも勘繰ったが、同じワーナー・ブラザーズ配給映画だけに期待していいのかもしれない。本編にそれをにおわせる描写は皆無だったけれど・・・

宇宙ステーションでの謎の実験結果が事故で地球に落ちてくる。その落下先の動物研究所では霊長類学者のドウェイン・ジョンソンがアルビノのゴリラと固い信頼関係を結んでいるのだが、ゴリラのジョージが謎の症状に苦しめられ、(どういうわけか)巨大化し始める。さらに巨大化したワニや狼も出現。その巨大化を研究していた企業のトップたちは巨獣たちを怪獣を(どういうわけか)シカゴにおびき寄せる。

この映画を楽しむ上で必要なのは、(どういうわけか)の部分に納得できるかどうかではなく、(どういうわけか)の部分を華麗に無視できるかどうかではなかろうか。細かい点に突っ込めば、シカゴから怪音波を発して、それで巨獣たちをおびき寄せるのだが、なぜそんな音波が存在するのか、またシカゴから音波を発した瞬間にワイオミング州の狼が反応したりするのはいかなるメカニズムによってなのか。音波は秒速約300メートルなので、1000キロメートル以上離れていれば1時間はかかるはずなのに、瞬時に反応していたように見えたのは何故なのか。最強対地攻撃機A-10の30ミリ砲ですらびくともしない生物などゴジラ以外に存在してもよいのか。とにかくツッコミどころを探し始めるときりが無くなる。

というわけで、細かい設定やその他もろもろはこの際、頭から追い出そう。このような単純明快なストーリーを楽しむためには、それが一番だ。大乱闘ではゴリラはさすがに霊長類、ワニはやはり爬虫類という、頭の良さの違いが分かるのも良かった。単なるCG大迫力バトルを楽しむためにも、最低限のマナーや見せ方は必要だ。このあたりのルールが保たれていたのは重畳であった。

こうした、ある意味で突き抜けたお馬鹿映画を楽しむためには、頭を空っぽにするか、よほどストレスを吐き出したい、スカッとした気分になりたい向きでないと難しいだろう。観る人、および観るタイミングを選ぶ映画であると言える。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ドウェイン・ジョンソン, 監督:ブラッド・ペイトン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on ランペイジ 巨獣大乱闘

レディ・バード

Posted on 2018年6月4日2020年1月10日 by cool-jupiter

レディ・バード 80点 

2018年6月3日 東宝シネマズ梅田にて観賞
主演:シアーシャ・ローナン ローリー・メトカーフ
監督:グレタ・ガーウィグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180604001904j:plain

青春の一時期を鮮やかに切り取った作品だ。というか、切り取るという表現がこれほどハマる作品も珍しい。なぜなら、次から次へとシーンが流れて行き、「えっ、さっきの話はどうなった?」のような、ある意味でも唐突とも言える展開が怒涛のように押し寄せる。とある演劇の先生の突然のフェードアウトや、ボーイフレンドとのあるべき修羅場シーンなどを予想しても、それらが全く描写されないのだ。なるほど、厳格なカトリック・スクールに抑圧される少女を描く話でも、少女から大人の女への成長物語というわけでもない。これは母親と娘の物語なのだ。

冒頭の車中のシーン、二人して『 怒りの葡萄 』の朗読テープを聞き、感涙するのだが、その直後に激しい言い争いへと発展、シアーシャ・ローナン演じるレディ・バード(本名クリスティン)は、走っている車から飛び降りて骨折してしまう。若気の無分別というか、生まれ育ったサクラメントを飛び出して、大学は文化のあるニューヨークに行きたい、というのは日本の地方在住の高校生にも共通する心情(東京の私立大学は定員抑制や、定員以上の入学者を取ると補助金減額などの処置で苦しんでいるようだが)。車から飛び出してしまうのも、狭い家族という人間関係から解放されたいことのアナロジーになっている。自分のことを執拗に「レディ・バード」と呼んで欲しがることなどは、その最たるものだろう。子どもなのにレディ扱いを求め、人間なのに鳥のように飛べると信じたがっている。可愛いと思うべきか、厄介な年頃だと思うべきか。まあ実際のLady Birdというのはテントウムシを指すわけだが。親の心、子知らずという言葉が思い浮かぶ。だからといって全く理解し合えない母娘というわけでもない。料理で揉めたかと思えば、一緒に買い物にも行くし、性体験の時期についてアドバイスを求めたりもする。「ディテールをしっかりと見ていけば、この世に普通の人間はいない」と喝破したのはイッセー尾形だったが、レディ・バードの在り方、振る舞いは、全ての子ども以上大人未満、思春期前後の人間に見られる普遍的な要素を凝縮したものなのだ。

厳格なスクール・コードへの挑戦、生命倫理、道徳への反抗、異性への興味と接近、友情と対立、嘘と真実、地元や家族との別離、新しい環境への順応、価値観の破壊と新たな価値観・世界観への目覚めなど、あらゆる人間が、おそらくは青春時代に経験する、言わば通過儀礼、イニシエーションの物語なのだ。その軸にあるのは友情や異性や家族ですらなく、母親なのだ。この映画では、一瞬一瞬に対して驚くべきほどのバックストーリーがあるのにも関わらず、それらが描写されることは全くと言っていいほど無い。一例として、兄のミゲルの存在がある。マイケルではなくミゲル。そして顔つきも明らかにヒスパニック系。そしてガールフレンドと同居。そこそこ良い大学を卒業したにもかかわらず、スーパーでレジ打ちのバイト。一体この兄は家族の中でどういう立場なのか。しかし、これらのバックグラウンドは一切スクリーンには映し出されない。こうした構成になっていることを物語の早い段階で飲み込んでおかないと、ストーリーテリングの面で置いてけぼりを喰らうこと必定である。しかし、それさえ覚悟しておけば、豊饒な物語の流れに身を任せるだけで、青春の追体験から親としての苦悩の再認識まで可能な、観る者の心に必ず何かを残す名作に出会うことができる。個人的には車の運転シーンが特に印象深かった。Jovianとレディ・バードが全く同じ物の見方をしていたからだ。このように、物語のどこかで必ず何かを呼び起こしてくれる力を持った作品で、中学生以上にお勧めをしたい。特に、母と娘のペアで観れば面白いのではないか。

主演のシアーシャ・ローナンはウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』で初めて観たが、『ブルックリン』、本作と、着実に演技者としてのキャリアを積み重ねていっており、今後が本当に楽しみだ。『 君の名前で僕を呼んで 』のティモシー・シャラメは、本作ではガラリと役風を変えてきた。『ちはやふる』シリーズの新田真剣佑も『 OVER DRIVE 』で穏やかキャラから凶暴キャラに変身して見せたが、渡辺謙、真田広之に続いてハリウッドに行って、シャラメと共演してくれないかな。その時は監督はグレタ・ガーウィグで、『犬ケ島』のテイストで男と男の奇妙な友情みたいなテーマで。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, シアーシャ・ローナン, ヒューマンドラマ, 監督:グレタ・ガーウィグ, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on レディ・バード

デッドプール

Posted on 2018年6月3日2020年2月13日 by cool-jupiter

デッドプール 80点

2016年6月 東宝シネマズ梅田 109シネマズHAT神戸その他およびブルーレイにて鑑賞
主演:ライアン・レイノルズ
監督:ティム・ミラー

のっけからブッ飛ばされる映画である。アメコミでキャラクターの存在自体は聞いたことはあったし、X-MEN映画でもウルヴァリンと激闘を演じていたので、予備知識ゼロではなかった。それでも劇場で観た時の衝撃は忘れられないものがあった。

何よりも第4の壁の超え方に、あまりにも遠慮が無い。Jovianが初めて第4の壁を経験したのは映画『ネバーエンディング・ストーリー』だったが、この物語にはそれこそしっかりとした Build-Up があった。日本でも古畑任三郎が視聴者に語りかけてきたり、近年だと『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でディカプリオが観客に話しかけてきたが、デッドプールの節操の無さには文字通り度肝を抜かれる思いがした。なぜならストーリーと一切関係の無いことで話しかけてきたからだ。

そうして観客をポカーンとさせておいたまま、カーチェイスアクションとバトルシーンに雪崩れ込んでいく。CG全開のファイトとはいえ、グロシーンの連発にR指定映画であることを思い出す。DCやマーベルには決してできない演出が炸裂する。そこから一気に回想シーンへ。ここでようやく人心地ついた観客は、じっくりとラブ・ストーリーが醸成・・・されるシーンを楽しめるわけではない。なぜなら、やはりこれはR指定映画。いきなりのベッドインから、あれよあれよの時間の経過、そして残酷な運命の瞬間と、傭兵ウェイド・ウィルソンがミュータントに変貌する瞬間までが一気にジェット・コースターのように展開される。 

Jovianのお気に入りのシーンは、T・J・ミラーとのコントそのものの掛け合い。男の淡い友情がさらりと描かれる名シーンであると感じている。“To you, Mr. Pool. Deadpool. That sounds like a fuckin’ franchise.という台詞には、紛れもなくシリーズ化への希望が込められた映画で、ミラーも実はここで密かに第4の壁を壊していた、ということを『デッドプール2』を観たうえで本作を見返すと、そう思えてくるのだ。

アメコミ映画では割と珍しく本格的な刀アクションを見せてくれ、誰もがやりたくて、しかしできなかった首切断からのサッカーボールをキックを実現してくれたりと、とにかくR指定映画作りを役者もスタッフも満喫していた様子がうかがえる。

またクレイジーと言えるほどの小ネタが投入されており(それは続編も継承した路線)、初見では笑えなくとも、その他のメジャー作品(アメコミに限らない)を観るたびに、何らかのオマージュを見つけることができるかもしれない。逆に、熱心なアメコミファン、映画ファンであれば、3分に1回は笑える、あるいは感心させられる映画であるとも言える。

これまで数人のカナダ人にライアン・レイノルズについて尋ねてみたことがあるが、「カナダでライアンと言えば、レイノルズじゃなくてゴズリングだぞ」、「悪い役者ではないが、出演作のほとんどがゴミ(garbage)だ」、「誰だ、そいつは?」など散々な評価であった。だが本作によって遂にライアン・レイノルズは代表作を得たと言ってもよいだろう。

今作を際立たせている要素にBGMがある。特にヒロインのヴァネッサとの関係性の構築は、ほとんど全てベッド上で行われるが、ニール・セダカの“Calendar Girl”があまりにもハマっている。またデッドプールの大ピンチシーンで流れてくるChicagoの“You’re the inspiration”のディスト―ションは、まんまプールのダメージと精神状態を表現する素晴らしい演出。エンディングで流れるWham!の“Careless Whisper”は、今になって聞き返すと寂しさがしみじみと込み上げてくる。

とにかく傑作である。頭を空っぽにして楽しんでも良いし、あらゆるカメオや小ネタを見逃すまいと鵜の目鷹の目で観賞してもよい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, ライアン・レイノルズ, 監督:ティム・ミラー, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on デッドプール

デッドプール2

Posted on 2018年5月31日2020年1月10日 by cool-jupiter

デッドプール2 75点

2018年5月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
主演:ライアン・レイノルズ ジョシュ・ブローリン
監督:デビッド・リーチ

 

* ネタバレ部分は白字

『アトミック・ブロンド』という、ありえなさそうで、おそらく実際はあったのだろう極限状況で、実際にありそうな、つまり主人公が次から次に雑魚敵を屠っていくのではなく、一人また一人と苦労しながら倒していく、そんなファイト・シーン、アクション・シークエンスを撮り切ったデビッド・リーチがすったもんだの末にデッドプールの続編を撮影するとなると、確かに一抹の不安はあった。しかしそれは杞憂であった。

前作の『デッドプール』でこれでもかと取り入れられていた Fourth Wall Break 、いわゆる第四の壁破りは今作では鳴りを潜めていた。が、その理由を我々はエンディングで知る。デッドプールは破ってはいけないものを次々に破っていく。それは因果律であったり業界のお約束でもあったりする。エンドクレジットのシーンでは絶対に席を立ってはいけない。

前作ではラブ・ストーリーであることを悪党を串刺しにしながら高らかに宣言していたが、今作でもやはり悪党をぶちのめしながらファミリー・フィルムであることを宣言する。前作でウェイドとヴァネッサが、どれだけ自分が家族に恵まれてこなかったかを競う場面が印象的だったが、今作はその家族の意味を追求しようというわけか。その思惑はしかし、良い意味で裏切られる。

冒頭のアクション・シーンでは前作の冒頭およびクライマックス並みのグロシーンがあるので、耐性が無い人は注意されたい。ただし本当に注意しなければならないのは、冒頭のクレジットシーンである。前作では笑える人には笑える、笑えない人にはさっぱり笑えないクレジットシーンから物語が始まったが、今作は観客を混乱の只中に叩き込む。なぜ、なぜ、なぜ・・・ 

コミックに詳しくない、あるいはトレイラーをじっくり観てきた人ほど、ある意味で裏切られる展開が待っている。だが、デッドプールが何故その選択肢を選んだのかについて理解できないという場合には、今作が家族映画であるということを思い出してほしい。家族を構成するものは何か。夫婦だけでは普通は家族とは言わないのだ。実際に英語で “I have a family of four.” と言うと、「自分には子どもが4人います」という意味になる。ウェイド・ウィルソンにとっての家族の意味を考えることが非常に重要である。

アクション面では期待を裏切らない。元々、『ジョン・ウィック』シリーズの制作に関わっていたリーチ監督だけに、アクション・シークエンスには常に驚きと興奮がある。冒頭の刀を使ったアクションシーンは『キル・ビル』を、ケーブルとのバトルシーンは『ターミネーター2』を、第3幕のCGバトルは『インクレディブル・ハルク』を思わせる(実際にその直前のシーンで、あるキャラがアボミネーションという言葉を口にする)。にも関わらず既視感に捉われるわけではないというのが監督としての力量を物語っている。パクリとオマージュの境界線がここにある。もちろん、『 レディ・プレーヤー1 』ほどではないが、今回も前作に続いて小ネタが満載である。DCのスーパーマンに言及するのは朝飯前で、ジョージ・マイケル、アカデミー賞選考委員、さらにはカナダという国までディスっていくのは痛快である。更なる続編は、黒澤明作品にインスパイアされているとの情報もあるので、単なるネタだけではなくシネマトグラフィーの面からも大いに期待できそうだ。前作からのキャラも再登場し、さらにはX-MENシリーズについてもある程度知っておかなければならないというハードルはあるが、それを差し引いても満足できる出来だ。

最後に本作を観る際に、ある意味で最も重要なアドバイスを。ビルの壁に注意をしてほしい。そう、『 ベイビー・ドライバー 』で冒頭、ベイビーがコーヒーを買うシーンを観る時の、あるいはそれ以上の集中力で、ビルの壁に注意を払って欲しい。以上である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ジョシュ・ブローリン, ライアン・レイノルズ, 監督:デビッド・リーチ, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on デッドプール2

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