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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

ゴジラ映画考および私的ランキング

Posted on 2019年5月29日2019年5月30日 by cool-jupiter

Jovianは小学1年生から高校3年生まで、『 ゴジラ 』映画シリーズと『 少年探偵団 』シリーズに耽溺していた。もちろんゴジラ愛や江戸川乱歩愛は今も変わらずに続いているが、流石に少年の頃のようなときめきは最早ない。しかし、今でも折に触れては観返し、あるいは読み返す。それがゴジラと少年探偵団である。Jovianの青春の二本柱の片方のゴジラ映画も何と34作品を数えるまでになった。もちろん、過激なゴジラファンは1998年のマシュー・ブロデリックverを今でも認めないらしいが、それも含めて、今一度ゴジラとは何かを、これまでのゴジラ映画に順位付けすることで考えてみたい。ゴジラ映画はアニメを除けば、どれも最低2回は観た。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』公開前に、今一度自分の頭を整理してみたいと思う。

 

34位 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年) 25点

私的には、これがワースト・ゴジラ映画である。いじめられっ子の一郎が夢の中でミニラと会話することで勇気づけられるというプロットは悪くない。だが、ミニラがガバラに立ち向かっていけるのは、後ろにゴジラが控えているからで、そこが一郎とは違う。肝心のゴジラの戦闘シーンも過去作の流用で、なおかつ本編プロットに誘拐犯まで絡んできて訳が分からない。なぜ一郎がここまで虐げられなければならないのか。誘拐犯といじめっ子、両方に立ち向かえというのは無理がある。ゴジラは常に時代の問題と切り結ぶ形で現れてくる怪獣だが、本作はそうしたメッセージも弱く、怪獣バトルシーンも全く盛り上がらない。非常に残念な作品である。

 

 

33位 怪獣総進撃(1968年) 40点  

Jovianだけではなく多くの人が、キングギドラのことを「実は弱い」と思っているのではないか。キングギドラというゴジラ世界(のみならず怪獣世界 ex. モスラ世界など)における最も魅力的な敵キャラが、最もあっけなく退治されてしまうのが本作である。怪獣勢ぞろいのバトルは楽しいが、もう少しギドラという神々しいまでの敵キャラモンスターを輝かせてくれてもよいのではないだろうか。

 

 

32位 怪獣大戦争(1965年) 40点

これは非常に上質なエンターテインメント作品である。シェーが恐ろしく印象的であるが、ストーリーははっきり言って意味不明に近い。ラドンとゴジラを惑星間移送できるテクノロジーがあるのなら、ギドラぐらい何とかなるだろう。宇宙人と地球人のロマンスも、もう少し美しく描写する方法は模索できなかったのだろうか。

 

 

31位 GODZILLA(1998年) 40点

1998年のアメリカ版ゴジラである。ゴジラではなくジラと呼ぶべきかもしれないが、これもまたゴジラの一つの形だろう。最大の不満は劇場公開前にあれだけ「ゴジラがニューヨークで大暴れ!」と煽っておきながら、実際にニューヨークの街を一番ぶち壊したのは米軍だったところ。ゴジラの体温が低く、熱探知型の誘導弾が外れてしまうというのは、アイデアとしては斬新で面白い。しかし、ゴジラというのはミサイルやら爆弾やらを雨あられの如く食らってもケロッとしていなければならない。ミサイル数発で絶命してしまっては本当のゴジラではない。

 

 

30位 ゴジラ対メガロ(1973年) 40点 

海底王国というところにロマンを感じないわけではないが、地上人の核実験に抗議する為にメガロを送り込んだら、核実験の申し子にして被害者のゴジラと鉢合わせというのは、何の皮肉なのだろうか。助っ人にガイガンを呼ぶのは Good idea だが、Jovianは何度観てもジェットジャガーが好きになれなかった。あの顔とエンディングの訳の分からない電波ソングが、どうにも苦手なのである。

 

 

29位 GODZILLA 怪獣惑星(2017年) 45点

アニメゴジラの記念すべき第一作。実験精神に満ちた作品であることは高く評価したい。

しかし、知恵を尽くしたとはいえ、通常兵器だけでゴジラを倒してどうする。劇場鑑賞中に釈然としない思いを抱いたことをよく覚えている。

 

 

28位 ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年) 50点

これも怪獣大乱闘劇で本来はJovianの好みにぴったり合致するのだが、クライマックスの展開が『 モスラ対ゴジラ 』の二番煎じになってしまっている。ミレニアム・シリーズの中では珍しく、『 ゴジラ(1954) 』の直接の続編ではなく、『 ゴジラ×メカゴジラ 』の続編となっている。ならば新しい世界線に踏み出せば良いのだが、ここでもオリジナル・ゴジラに回帰すべく、メカゴジラ機龍の骨を海に返してしまう。さすがにこの頃になると、「次の展開を観たい」ファンと、「次の展開を思いつけない」東宝の図式が固まってしまっていた。

 

 

27位 ゴジラ×メカゴジラ(2002年) 50点 

メカゴジラの暴走&東京破壊シーンは大スペクタクルである。しかし、メカゴジラによる破壊のオンパレードは既に見たし、『 ゴジラvsメカゴジラ 』のメカゴジラの方が確実にゴジラにダメージを与えていた印象がある。こちらのメカゴジラはその基盤にメカキングギドラを採用したのが失敗だったのかもしれない。平成ゴジラは、常に昭和ゴジラの影に付き纏われていたという印象が強く残る。

 

 

26位 GODZILLA 星を喰う者(2018年) 50点

アニメゴジラの第三作。とにかくギドラが動かない。予算が無いのは仕方がないが、それならそれで時間の流れを乱すような描写、物理法則を捻じ曲げるような描写をするべきだろう。非常に良い素材を個性派料理人に調理させたところ、好みがはっきり分かれる味に仕上がった。そんな印象である。

 

 

25位 GODZILLA ゴジラ(2014年) 55点

記念すべきアメリカ版ゴジラのリブート、というかオリジナルを尊重しながらもアメリカ版として新たに生まれ変わったゴジラの物語である。非常に野心的な作品であったが、人間パートのドラマがイマイチ盛り上がらないところ、そして怪獣同士のバトルが今まさに始まろうとしている瞬間に次のシーンに切り替わるというイライラさせられる展開、そしてクライマックスのバトルが暗過ぎて劇場では何が起きているのかよく分からないという致命的な欠陥あり。DVDやブルーレイで明度調整をすれば見やすくなるが、劇場で見えにくければ、それは失敗作である。誠に惜しいと言わざるを得ない。

 

 

24位 ゴジラの逆襲(1955年) 55点

確かアンギラスやゴジラを数万年前の恐竜の変異したものと、劇中で説明していた。時代が時代とはいえ、めちゃくちゃな科学的知識である。クライマックスの飛行機の連続爆撃シーンは素晴らしいシークエンスに仕上がっているが、第一作の『 ゴジラ 』にあった空襲から逃げ惑う人々のメタファーは、本作には存在しなかった。

 

 

23位 メカゴジラの逆襲(1975年) 60点

モスラ以外に強風でゴジラを押さえ込めるのはチタノザウルスだけだろう。また、ゴジラに噛みついて、ブン回して、その巨体を空に向かって投げ飛ばすという離れ業を演じた。メカゴジラも、首をもぎ取られても動くという、ある意味でホラー映画的展開を見せてくれた。とにかく色々な意味で子ども心に強烈なインパクトを残してくれた作品。海に去っていくゴジラのイメージを決定づけたのは、おそらく本作ではないだろうか。

 

 

22位 ゴジラvsメカゴジラ(1993年) 65点

ゴジラの生物としての側面、すなわち子孫を残すところと、メカゴジラの非生物としての側面、すなわち攻撃だけに特化したところが、見事に激突する。ゴジラに電気を逆流させる能力や、あるいはラドンの助太刀がなければ、メカゴジラの完勝だったのではないか。実際にこのメカゴジラはラドンを一捻りした。そこでゴジラの敗北を阻止する要因になったのがベビーの存在であるところが奥深い。生命の神秘の一つの到達点としての怪獣と、科学技術の粋としてのメカゴジラの対比が映える。

 

 

21位 ゴジラ対メカゴジラ(1974年) 65点

こちらのメカゴジラも恐ろしいインパクトを残した。というよりもこちらが本家である。アンギラスを一蹴したり、石油コンビナートをド派手に爆発炎上させたり、本物のゴジラを徳俵まで追い詰めたりと、印象的な活躍を見せた。キングシーサーがアホみたいに長い歌を聞かせないと目覚めないところ、なおかつ目覚めてからもメカゴジラに歯が立たないところが減点対象か。

 

 

20位 GODZILLA 決戦機動増殖都市(2018年) 65点

アニメゴジラの第二作。頼れる存在であり、邪悪な存在でもあったメカゴジラを、全く違う角度から捉え直した。ナノメタルを材料としたシティ(というか基地)全体がメカゴジラという新解釈は、確かに面白い。メカゴジラは敵でもあり味方でもあり、味方である時も勝手に暴走したりする面が見られたが、今作はそのような敵味方の境目を超越したかのようなメカゴジラが見られる。メカゴジラは善悪の彼岸に存在するのである。

 

 

19位 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年) 65点

ガイガンがとにかく Cool なのである。悪役の雰囲気をぷんぷん漂わせているからである。ガイガンがキングギドラと共に地球の空をくるくる旋回するシーンは小学生の時に観て、ものすごく興奮したことを今でもはっきり覚えている。侵略的な怪獣から、ゴジラが地球を守るという伝統的なプロットは本作から始まったのではなかったか。プロレス的タッグチームマッチは見応え抜群である。

 

 

18位 ゴジラvsモスラ(1992年) 65点

フィリピン沖の海底火山に沈んだゴジラがマグマの流れに乗って富士山の火口から登場するというエクストリームにも程がある超展開。「奴は我々の常識が通じる相手じゃないんだ」という台詞が、これまでの、そして今後のゴジラの超耐久力を見事に説明してくれている。一発で幼虫から成長に変身するバトラや、その成虫バトラの観覧車アタックなどが特に印象的。

 

 

17位 ゴジラ2000 ミレニアム(1999年) 65点

宇宙人そして2000年問題をも絡めた作品である。ゴジラをあっさりと退けてしまう不気味な宇宙船、そして阿部寛が主導する対ゴジラ兵器、民間人によるゴジラ観測と、エンターテインメント要素が詰まっている。佐野史郎の言う、「ゴジラ、お前は何者なんだ?」という問いは多くのゴジラファンの胸に響いていることであろう。

 

 

16位 ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年) 65点

ラドン世界のメガギラスがゴジラ世界に移籍してきて大活躍するのが非常に印象的。また、数多あるゴジラ世界の超兵器の中でも群を抜いたテクノロジーであるディメンジョン・タイドには、「本当にゴジラを消滅させてしまうのか?」という期待感と不安感があった。ゴジラのフライング・ボディ・プレスが炸裂する怪獣プロレス劇と、シン・ゴジラさながらのポリティカル・サスペンス要素を両立させた佳作。

 

 

15位 キングコング対ゴジラ(1962年) 70点

確か小学1年か2年の頃に、母方の祖母の家の白黒テレビで見た覚えがある。祖母の家にはカラーテレビと白黒テレビがあったが、子どもは白黒を観るように言われていたんだったか。長じてからも何度か見たが、テレビ屋が視聴率至上主義であることは時代を通じての普遍の真理のようである。ゴジラとキングコングのプロレスバトルの中でも、パペットゴジラの飛び膝蹴りが特に印象的だ。

 

 

14位 ゴジラ(1984年) 70点

冷戦時代の社会の空気を色濃く反映した作品。ゴジラが原子力発電所を襲撃し、恍惚とした表情で放射能を吸収するシーンがショッキングである。また、ソ連が核ミサイルを本当に発射したり、それが超上空で本当に爆発してしまうなど、怪獣映画の中でもかなりエクストリームな展開を見せる。人類の科学の粋である超兵器スーパーXと、火山という地球最大の自然エネルギーの組み合わせでゴジラに対抗しようという、非常に日本らしい哲学を反映させた作品でもある。

 

 

13位 ゴジラvsビオランテ(1989年) 70点

沢口靖子の棒読み大根演技が印象的。マッドサイエンティストをテーマにした作品は数多く生産されてきたが、人間、植物、怪獣(ゴジラ)の細胞をミックスしてしまおうというクレイジーなアイデアは一体全体誰が思いついたのだろうか。言ってしまえばリトル・ショップ・オブ・ホラーズ vs ゴジラなのだが、芦ノ湖に屹立するビオランテの神々しさと禍々しさを同時に宿した造形、そして地響きを上げながらゴジラに襲いかかり、ゴジラの腕を貫通するほどの破壊力を見せる触手の一撃などは、多くのゴジラファンに衝撃を与えたことは間違いない。

 

 

12位 ゴジラvsキングギドラ(1991年) 70点

経済大国日本が、未来において超経済大国となるという、笑えないプロット。しかし、ゴジラの起源をゴジラザウルスに求め、さらに兵器でも超兵器でもなく、タイムトラベルという全く異なるアプローチによってゴジラに対処しようとしたところが強く印象に残っている。日本を叩けるのはゴジラだけ、そのゴジラを叩けるのはキングギドラだけ、そのキングギドラを叩けるのはパワーアップしたゴジラだけ、そのパワーアップしたゴジラを叩けるのはメカキングギドラだけ、という具合に怪獣バトルの規模が際限なくレベルアップしていくことに、10代の頃とても興奮したのを覚えている。本作はキングギドラの起源を人間に求めているところがユニーク。同時に、ゴジラザウルスがゴジラになり、かつて旧日本兵であった土屋嘉男が至近距離でゴジラから熱戦を浴びて爆散するシーンは、劇場鑑賞したJovianの心にトラウマ級のインパクトを残した。

 

 

11位 ゴジラvsスペースゴジラ(1994年) 70点

柄本明と中尾彬、二人の「あきら」が渋い。MOGERAの強さがイマイチ伝わらないが、スペースゴジラの圧倒的なパワーと存在感を、人類とゴジラが共闘することで打ち破るカタルシスは、他では味わえない。三枝未希にハートを奪われた男子中高生はかなり多かったのではないかと思われる。

 

 

10位 モスラ対ゴジラ(1964年) 70点

モスラという人間に崇め奉られ、人間のために戦うという、怪獣界では異端の存在モスラがゴジラに挑む。はっきり言って勝負になるはずがないのだが、鱗粉や突風を駆使して互角の勝負になってしまうのだから面白い。また、成虫がゴジラに敗れると、幼虫が二匹がかりでゴジラに襲いかかり撃退してしまうところは、レンタルのVHSを見ながら文字通りに手に汗を握った。幼虫モスラの噛みつき攻撃もゴジラに確実にダメージを与えており、人類の通常兵器による攻撃はものともしないゴジラも、怪獣の攻撃にはダメージを受けてしまうという設定は、本作で確定したのかもしれない。

 

 

9位 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年) 70点

『 エイリアン4 』のニューボーンの原形は、本作のミニラなのではないかと密かに疑っている。ミニラをいたぶるカマキラスを圧倒的なパワーで蹴散らしていくゴジラと、そのゴジラに一撃を食らわせるクモンガのバトルは、昭和ゴジラの中でもなかなかのハイレベル。しかし、本作はゴジラの子育てシーンが何と言ってもハイライト・リールである。げんこつを振るおうとするゴジラに、尻尾縄跳びするミニラを半ば呆れたように見つめるゴジラ。クライマックスで寄り添うように、抱き合うように、雪に埋もれていく二匹に、我々の心はじんわりと温かくなるのである。ゴジラの新たな一面を追求した味わい深い一作。

 

 

8位 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年) 70点

人間パートと怪獣パートの配分バランスが良い。というよりも、元々の企画がキングコングだったためか、美女に興味を示す、雷でパワーアップなど、ゴジラらしからぬ特性を示す。怪獣をコントロールする人間の愚かしさが、あっさりその怪獣に殺されてしまうところによく表れている。核兵器の開発にしてもそうだが、人間の業は時代を問わず深いもののようだ。そこにモスラを参加させることで物語全体のトーンが上手い具合に中和されている。世間の評判はいま一つのようだが、Jovianのお気に入り作品の一つ。

 

 

7位 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年) 75点

ゴジラとラドンが喋った。衝撃である。いや、喋るだけではない。『 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン 』でも、ゴジラとアンギラスが吹き出しで会話をしていた。問題は、その言葉の意味するところである。子ども心にゴジラの「人間はいつも俺たちを苛めている」という言葉にショックを受けたことは今でもよく覚えている。この言葉は幼いJovianに二重の意味で衝撃を与えた。一つには、怪獣>>>人間という強さの序列の感覚が破壊されてしまったこと。もう一つには、ゴジラという怪獣が人間らしい感性の持ち主であったということだ。ゴジラは時代と切り結ぶ存在、様々な意味を未分化なままに内包する象徴的な存在であったが、本作で人間らしさをも獲得した。賛否がはっきり分かれるであろう作品であるが、Jovianは賛である。そうそう、ラドンがキングギドラを体当たりで撃墜するシーンは、数ある怪獣映画のアクションシーンの中でも白眉である。

 

 

6位 ゴジラ FINAL WARS(2004年) 80点

人間パート=バトル、怪獣パート=バトル。もう全てがバトルで、哲学やメッセージ性などをお構いなしの娯楽120%作品。ケイン・コスギにドン・フライをキャスティングしているところから、演技で見せる意図はゼロであることは明らか。全ては演出である。ゴジラが過去作に登場した怪獣をちぎっては投げ、ちぎっては投げしていく疾走感と爽快感は30作を超えるシリーズ作品の中でも間違いなくトップクラス。

 

 

5位 ゴジラvsデストロイア(1995年) 80点

オープニングのタイトルシーンが物語を全て語っている。バーニング・ゴジラの暴威と最強デストロイアの激突、そこに参戦する人間勢力の三つ巴大合戦はまさに世紀末的な様相を呈している。「これで、我々の来年の予算はゼロだな。来年があればの話だが」の名セリフを淡々と吐く黒木特佐がひたすらに渋い。進化する生物の強かさ、核の恐怖、人間と怪獣の共闘など、シリーズの醍醐味の全てが詰まっている。ゴジラの終わりと始まりを同時に描く、記念碑的傑作。

 

 

4位 ゴジラ対ヘドラ(1971年) 80点

個人的に最も好きな作品。レンタルビデオで初めて視聴した時、人間が白骨に変わる瞬間、さらにはゴジラの片目を潰し、片腕を溶かすというゴジラ史上最大級のダメージをゴジラに与えたことにショックを受けた少年少女は多かったに違いない。Jovianもその一人だった。また一千万人単位で人が死ぬという、天変地異を超えるダメージを列島にもたらしたヘドラが、単なる公害の象徴にとどまらないところもポイント高し。なぜ猫は助かり、人間は死んだのか。ヘドラの歌の「か~えせ~」が英語版では“Save the Earth”になっているところが興味深い。ヘドラは宇宙からやってきた侵略怪獣ではなく、地球が呼び寄せた救世主だったとの解釈も成り立つわけである。怪獣バトルあり、人間の参戦あり、哲学的なメッセージの発信ありと、個人的に大満足の一作。

 

 

3位 ゴジラ(1954年) 85点

言わずと知れたオリジナル。白黒でありながらも、そのリアリティに圧倒される。小学生たちが歌う鎮魂歌、「もうすぐお父さんに会えるよ」と言いながら、従容として死んでいく母と娘、ゴジラの襲来に逃げ惑う人々に姿に、何をどうやっても戦争の災禍に思いを馳せずにはいられない。当たり前だ。戦争終結から10年と経たないうちに、戦争をその身で知る人々によって作られたのが本作なのだ。10分ほどだろうか、ゴジラがただひたすらに東京の街や建物を破壊していく様に、理不尽な暴威への怒りや無念が湧いてくるが、一方で山根博士は「なぜ皆、生物としてのゴジラを理解しようとしないんだ」と呟く。マッドサイエンティストの言にして、真っ当な科学者としての言でもあろう。怪獣は基本的には災害や戦争の象徴だが、生存本能に従う巨大な生物であるという視点が第一作の段階で見られることに驚かされる。『 ジョーズ 』は駆除の対象になるが、鮫に尋ねれば「俺はただ生きているだけだ」と言うことだろう。怪獣を戦争のメタファーであると同時に、畏怖すべき動物という極めて日本的な視点をも内包している。オキシジェン・デストロイヤーという、ある意味で核兵器以上の威力を持つ武器を持つこと、それを使うことへの逡巡も非常に日本的である。白黒映画と侮るなかれ。邦画の到達点の一つである。

 

 

2位 シン・ゴジラ(2016年) 90点

社会現象にもなった一作。Jovianも劇場で7回観た。近く8回目を観に行く予定である。これまでに散々繰り返されてきた第一作の続編という作りではなく、全く新しいゴジラ誕生の物語という点がまず目を引く。そのうえで、『 ゴジラ(1984) 』と同じく、上質なポリティカル・サスペンスに仕上がっている。本作の特徴として、ゴジラの質感、存在感、迫真性を生み出すために、様々なショットを駆使していることが挙げられる。例えば、鎌倉さんゴジラが家屋をパッカーンと蹴り上げるシーン、悠然と大地を闊歩するゴジラを車から見上げるシーン、そして逃げ惑う人々の遠景に小さく、しかし確実に接近してくるゴジラが確認できるシーンなど、まさに「神は細部に宿る」ことを実感させてくれる。自衛隊の火力を総結集させたかのようなリアルな描写を中盤に持ってくることで、最終盤のトンデモ作戦を受け入れられるようになっている。これも緻密な計算の賜物。新ゴジラ、真ゴジラ、神ゴジラ、進ゴジラ(松尾諭)、芯ゴジラ(石原さとみ)などと様々に解釈されているが、Jovianは震ゴジラおよび侵ゴジラという漢字をあてたい。問答無用の大傑作である。

 

 

1位 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年) 90点

シリーズ全作品を通じて、唯一の白目オンリーのゴジラ。ゴジラの目には、愛らしいもの、恐ろしいもの、こちらの理解を拒む爬虫類的なものなど様々なものがあったが、この白目のゴジラが最も不気味な存在であるように思う。今作はゴジラを非常に複雑な悪の権化として描く。というのも、先の戦争で亡くなった旧日本兵の霊魂がゴジラに乗り移っているからだという、非常に屈折した説を採用しているからだ。ゴジラは戦争のメタファーとして描かれることが多かったが、英霊のメタファーであるとの解釈は本作が最初にして最後であろう。自衛隊を蹴散らし、護国聖獣を一体ずつ撃破していくゴジラの圧倒的なまでの破壊の化身としての姿は、メメント・モリ、死を忘るるなかれとの教訓を観る者に思い起こさせる。日本がアジア諸国で振るった猛威と暴威が、そのままゴジラの姿で現代日本に蘇ってくることは、取りも直さず靖国の英霊を無条件に賛美する政治家連中への痛烈な批判に他ならない。そう思えてならない。本作は、お仕事ムービーでもある。各人が各様に各々の仕事をこなしていく姿を描き出す。ある者は虚構を報じ、ある者は虚飾を虚飾で糊塗する。しかし、ある者は真実を伝えんとし、ある者は命を捨てて使命を完遂せんとする。それこそがゴジラを複雑な悪の権化と評する所以である。ゴジラは破壊の限りを尽くす悪逆無道の怪物であるが、ゴジラはゴジラとしての使命を果たそうとしているに過ぎないのかもしれない。護国の聖獣も、無辜の日本国民を殺しながらも、ゴジラを撃退せんとして戦う。単純に善と悪の戦いと人間の理屈で割り切れない怪獣同士の戦いを本作は強烈なインパクトとメッセージで以って描出する。異論は多々あろうが、Jovianはゴジラ映画の私的ナンバーワンとして、本作を強く推したい。

 

Posted in 国内, 映画, 海外Tagged アメリカ, ゴジラ, 怪獣映画, 日本, 配給会社:東宝Leave a Comment on ゴジラ映画考および私的ランキング

『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

Posted on 2019年5月23日 by cool-jupiter

アメリア 永遠の翼 65点
2019年5月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヒラリー・スワンク リチャード・ギア ユアン・マクレガー
監督:ミーラー・ナーイル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190523123812j:plain

Jovianは時々、英語のテストであるTOEFLを教えるが、過去問や問題集に決まって出てくる人物が何名かいる。おそらく女性で最もフォーカスされているのは、20ドル札に載ることが決まっていて、映画『 Harriet 』が2019年11月1日にアメリカで公開予定のハリエット・タブマンと、(アメリカでの)女性パイロットの先駆けであり、2018年に機体および遺体の一部が発見されたとされるアメリア・エアハートである。本作はそのアメリアの伝記映画である。

 

あらすじ

1937年、飛行家のアメリア・エアハートは世界一周を達成すべく飛び立った。二度と着陸することなく、彼女は消息を絶った。彼女の人生とは、いかなるものだったのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずビジュアル面でのアメリア・エアハートの再現度合いが素晴らしい。ヒラリー・スワンク以外に誰が彼女を演じられようか。メイクアップ・アーティストの助けがあれば、サム・ロックウェルもジョージ・W・ブッシュを、クリスチャン・ベールもディック・チェイニーを演じられることは『 バイス 』でも証明された。しかし、本当に求められるのは、外見ではなく内面からにじみ出てくるものを再現することで、その意味でもヒラリー・スワンク以外に適任はいなかっただろう。溢れる自信、しかしその心の奥底にある満たされなさ、結婚という因習に囚われない自由な精神、その一方で誰かをひたむきに愛する心も忘れない。このアメリアの、いわば二重性を帯びた性格や行動が、夫となるパットナム(リチャード・ギア)との関係とクライマックスの対話で最もドラマチックな盛り上がりを見せる。Jovianの先輩には自衛隊の輸送機パイロットをしていた方がいるが、その奥様はいつもその仕事を辞めてもらいたがっていた。航空業界では「空を飛ぶのが危険なのではない。墜落するのが危険なのだ」と言われるらしいが、そんなことは一般人からすればどうでもいいことだ。しかしアメリアのような飛行家にとっては、空を飛ぶこと=生きること、パットナムのような実業家にとっては彼女を支援すること=生きることだった。この二人の愛の形がすれ違う様には、哀愁とそれゆえの普通の夫婦にはあり得ない深い愛情が感じられる。趣もプロットも媒体も異なるが、先へ進もうとする女とそれを追いかけてサポートする男という構図に興味のある向きは、小川一水の小説『 第六大陸 』をどうぞ。

 

Jovianは1995年にアメリカ旅行をした時、グランド・キャニオン上空をセスナ機で遊覧飛行したことがある。その時のパイロットは、おそらく40歳前後の女性だったことをよく覚えている。彼女も、アメリアの遺児で後継者だったのだろう。そんなことを、本作を観て、ふと思い出した。

 

ネガティブ・サイド

劇中で何度かチャールズ・リンドバーグが言及されるが、彼が妻アンと共にがソビエトで受けた衝撃、すなわち女性パイロットがごろごろいて、彼女たちは男性並みにガンガン空を飛んでいた、という描写はさすがに入れられなかったか。興味のある方は、アン・モロー・リンドバーグを調べて頂きたい。

 

飛行シーンのいくつかがあまりにも露骨に合成およびCGである。空を飛ぶ飛行機の描写こそが本作の映像美の肝になるところなのだから、このあたりをもっと追求して欲しかった。『 ダンケルク 』の最終盤でも燃料切れのプロペラ機がまっすぐに滑空するシーンがあったが、あれよりも酷い合成だと言ったら、お分かりいただけるだろうか。

 

不謹慎かもしれないが、劇中で飛行機がトラブルを起こす、もしくは墜落するような描写が極めて少ない。航空機は最も安全な乗り物であることは知られているが、その一方で最も悲惨な事故を起こす乗り物でもあり、また最も捕捉が難しい乗り物でもある。航空機に関するあれやこれや、計器類の多さ、それらを読み解く難しさ、天測の重要性と困難さ、機体バランスを保つための工夫(メモ用紙のやり取りなどは好例である)の数々などを、もっと描写してくれていれば、アメリアの悲劇的な最後にもっとサスペンスとドラマ性が生まれたものと思う。

 

総評 

2017年は大型旅客機の墜落事故が世界でゼロだったことが話題になった。一方で、同じ年にはオスプレイなる機が度々事故を起こしていた。空を飛ぶということの素晴らしさと怖さを我々はもう一度、知るべきなのだろう。奇しくも昨年2018年に、アメリア・エアハートの遺骨が発見されたとの報がもたらされた。本作製作からちょうど10年。あらためて再評価がされても良い作品なのではないだろうか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, ヒラリー・スワンク, ユアン・マクレガー, リチャード・ギア, 伝記, 監督:ミーラー・ナーイル, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

Posted on 2019年5月22日2020年2月8日 by cool-jupiter

アメリカン・アニマルズ 50点
2019年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エバン・ピーターズ バリー・コーガン ブレイク・ジェナー ジャレッド・アブラハムソン
監督:バート・レイトン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190522013508j:plain

シネ・リーブル梅田で始めたチラシを手にした時、これは面白そうだと予感した。しかし、Hype can ruin your experience. 『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』の水準を期待すると拍子抜けさせられる。本作の見せ場は、罪を犯した本人たちの回想録的なドキュメンタリーを含むところであって、本編の犯行のレベルの高さではない。

 

あらすじ

ウォーレン(エバン・ピーターズ)とスペンサー(バリー・コーガン)は、大学に進学したものの、キャンパスライフに馴染めずにいた。ある時、ウォーレンは大学の図書館に18世紀に書かれた稀覯本があるのを知り、それらを盗み出す計画を立てることに・・・

 

ポジティブ・サイド

犯罪にも色々ある。警察や法律家に言わせれば違うのだろうが、立ち小便は犯罪、少なくとも重犯罪ではないだろうし、盗んだバイクで走り出すのも若気の無分別で済ませてもらえるかもしれない。しかし、チャールズ・ダーウィン直筆の書物を盗み出して、闇マーケットで売り払い、大金を儲けてやろうというのは、どう考えても重犯罪だ。それを敢えてやろうというのだから、その意気やよし。存分にやってくれ。事実は小説よりも奇なりと言うが、大馬鹿と馬鹿と馬鹿と小利口者が計画をあれこれと練っていくシーンはそれなりに楽しい。また、役者たちの演技シーンと本人たちへのインタビューシーンが交互に切り替わるタイミングが絶妙で、重要文化財窃盗を決意する過程、そして何故それを実行に移してしまったのかという心情が赤裸々に語られるのがありがたかった。Jovianはビジュアル・ストーリーテリングを重要視するが、複雑な入れ子構造の映画も好きなのである(『 メメント 』みたいな晦渋過ぎるのは勘弁だが)。

 

本作は、アメリカの片田舎のアホな大学生がアホなノリでアホなことをやらかしてしまったという意味だけで観るべきではないだろう。内輪の仲間だけでシェアするつもりだったバイト先での愚行・・・というのとも少し違う。話を超大げさに拡大して受け取るならば、大日本帝国が第二次世界大戦に揚々と参戦していったのと同じような思考の過程、行動様式、組織構造を見出すこともできるのではないか。事前の調査不足もさることながら、これで上手く行く筈がないと誰もが思いながら、なかなかそれを言い出せない。それをようやく言い出せても、声がでかい奴に押し切られる。まるでどこかの島国のかつての軍上層部とそっくりではないか。そして、このアニマルズが服役を経ても、芯の部分では藩政をしていないのではないかと思わせるところに本作の妙味がある。あの窃盗事件の真実とは何か。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、事実ではなく真実を追求しているということを鑑賞中は念頭に置かれたし。

 

ネガティブ・サイド

『 オーシャンズ11 』や『 オーシャンズ8 』、『 ジーサンズ はじめての強盗 』のような華麗にして緻密な組織犯罪を期待するとガッカリするだろう。というよりも、計画のあらゆる部分に無理があり過ぎる。アホな扮装をした中年ジジイ4人組が図書館に入ってくれば、何をどうやっても注目を集めてしまうし、よしんばそれで学生たちの目を欺けたとしても、逆にそれだけ強い印象を残してしまえば、警察がしらみつぶしに在校生のアリバイを調べていけば、捜査線上に自分たちが浮上してくるということに気付かないのか。神風など、そうそう吹くものではないのだ。

 

再現ドラマパートと本人たちへのインタビューによるドキュメンタリーパートを混在させるのは、非常に面白い野心的な構成だが、本編ドラマでもっと凝ったカメラワークが欲しかった。なぜ自分たちは満たされないのか。なぜ自分たちは特別になれないのか。自分たちと特別な人間の境目は何か。逆に、自分たちは凡百の人間ではない、あいつらとは違うんだ、という中二病全開思考を表すようなショットが欲しかった。キャンパスの芝生に寝そべって、他愛もないおしゃべりに興じる大学生たち、といった平凡な、しかし色鮮やかなショットが効果的にちりばめられていれば、アニマルズのダメさ加減や哀れさがもっと際立ったであろう。

 

総評

高く評価できる部分と、そうではない部分が混在する作品であり、評価は難しい。しかし、鑑賞後のJovianの第一感は「何じゃ、こりゃ?」だった。シネ・リーブル梅田推しの作品でも時々ハズレはあるのである。しかし、単なる物語の再構築以上に、危険な思考の陥穽、まとめ役あるいは諌め役の欠如したチームの末路など、教訓を引き出すには良い作品であるとも感じられるようになった。マニア中のマニアであれば、『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』と比べてどっちが f**k という言葉をより多く使ったか調べてみるのも一興かもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, エバン・ピーターズ, クライムドラマ, ドキュメンタリー, バリー・コーガン, 監督:バート・レイトン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

コレット 70点
2019年5月19日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ
監督:ウォッシュ・ウエストモアランド

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『https://jovianreviews.com/2018/09/05/movie-review-tully/ タリーと私の秘密の時間 』で描かれた男という生き物の生活能力の低さと、『 天才作家の妻 40年目の真実 』で晒された男という生き物の病的に肥大化しやすいエゴが、本作によってまたも満天下に晒されてしまった。Jovianが鑑賞した劇場でも、お客さんの7割5分は女性であった。男は本能的、直観的に本作を避けているのだろうか。

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あらすじ

 

自然豊かな地方で育ったガブリエル・コレット(キーラ・ナイトレイ)は、物書きのウィリーとの結婚により、花の都パリに移り住む。ウィリーはコレットの文才を見抜き、彼女に「クローディーヌ」シリーズを代筆させる。しかし、浪費家な夫と才能豊かな妻は徐々にすれ違い・・・

 

ポジティブ・サイド

フランスの作家で読んだことがあるのは、マルセル・プルースト、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、セバスチャン・ジャプリゾ、ジョルジュ・ランジュラン(彼は少し違うか)ぐらいだろうか。シドニー=ガブリエル・コレットという作家は始めて知った。ディズニーは作品の映画化に際して盛んにフェミニスト・セオリーを実践しているが、世界にはまだまだ発掘されるべき女性がいるものである。

 

キーラ・ナイトレイは、言葉は悪いが薹が立ってきたなと感じていた。しかし、本作では片田舎の純朴そうな少女から、パリのサロンでも堂々と立ち振る舞う淑女に、そして年上の夫を容赦なく怒鳴りつける芯のある妻に、そして自らの才能と能力を駆使し、心が命じるままに寝るべき相手や仕事を共にする相手を選ぶという強かさを備えた個人を見事に具現化した。ジェニファー・ローレンスが『 レッド・スパロー 』で我々の度肝を抜いたほどではないが、久々に胸も晒してくれる。彼女は色気、色香、艶というものをボディライン、スタイルの良し悪しではなく、大げさな言い方をすれば生き方そのもので体現してくれる。

 

それにしても、ダメな男、ダメな夫をあらゆる意味で具現化するドミニク・ウェストの芸達者ぶりよ。飴と鞭ではないが、折檻と愛情の両輪で、金のなる木である妻をコントロールしていたはずが、いつの間にか自分という人間の醜さ、弱さ、至らなさというものがどんどんと浮き彫りになってくるという展開には、昭和や平成の初め頃まで量産されていた、ヤクザ映画、任侠映画にそっくりだなと思わされた。どういうわけか女性という生き物には、男がふとした弱さを見せると、そのギャップにコロッといってしまう傾向がある。一方で、本作のコレットはそうした女性性を持ちつつも、女性であることを軽々と超えていく強さと自由な精神も有している。この男女の奇妙な夫婦関係は最終的に破局に終わるわけだが、結婚という奇妙な因習の限界と奥深さを表しているとも言える。共働きの夫婦で鑑賞して観れば、自分達の新たな一面に気付かせてくれるかもしれない。または、性生活、もしくは子どもを作る作らないで互いの考えに微妙な齟齬がある夫婦で鑑賞するのもありだろう。そう、子どもである。パリの文壇を席巻するのみならず、一般女性の偶像にまで昇華されたクローディーヌというキャラクターは、コレットの子どもなのだ。娘なのだ。冒頭で描かれるコレットの両親の関係、コレットとの親子関係に是非とも注目をしてほしい。そして、親にとって子とは何か。子を産み育てるのに、男はどこまで必要なのかという根源的な問いに、コレットの生きざまは一つの示唆的な答えを与えてくれる。クライマックスのキーラ演じるコレットの内面の吐露をしっかりと受け止めて欲しい。本作を観たからと言って夫婦関係に亀裂が入るようなことはない。むしろ、夫婦の対話、向き合い方について学べるはずだ。独身はパートナーと、既婚者は配偶者と観るべし。

 

ネガティブ・サイド

なぜフランス映画界は、ガブリエル・コレットその人の映画化を英米に委ねてしまったのだろうか。フランス人が脚本を作り、フランス人が演じ、フランス人が監督した「コレット映画」を観てみたかったと思うし、フランスversionが製作されるなら、喜んでチケットを買わせてもらう。立ち上がれ、フランス映画界よ! This begs for a French remake, c’mon!

 

クローディーヌというキャラクターもの以外の作品が当時のパリおよびフランスでどのように受け止められたのかを、劇中でもっと知りたかったと思うし、コレットの華やかにして異端児的な恋愛遍歴についても、もっと描写が欲しかった。というか、このような立志伝中の人物を描写するのには2時間ではそもそも不足だったか。パントマイムや両刀使いの描写をばっさりと切って、「クローディーヌ」シリーズの生みの親としての顔にフォーカスしても良かったのではないかと思う。さあ、フランス映画界よ、リメイク製作の機運は高まっているぞ。It’s about f**king time for a remake, French cinema!

 

総評

『 天才作家の妻 40年目の真実 』と同じスコアをつけさせてもらったが、エンターテインメント性では本作が優る。女性という生き物が生物学的に優れている(=子どもを産める)ことのみならず、個としての強さと弱さの両方を併せ持ち、それでいて夫婦というものの在り方についても教えてくれる、貴重な伝記映画である。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、真実を事実の集積以上の意味で映し出している。単なる女性のエンパワーメント映画ではないので、男性諸氏も臆することなく劇場へと向かうべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ウォッシュ・ウェストモアランド, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

『 ザ・ミスト 』 -フランス産パニック・ムービーの珍作-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

ザ・ミスト 40点
2019年5月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ロマン・デュリス オルガ・キュリレンコ
監督:ダニエル・ロビィ

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TSUTAYAは時々、TSUTAYAだけでしかレンタルできません!的な作品を出してくる。本作もその一つ。大体において、この手の商品はただの製品であって作品ではないことが多い。が、Sometimes, I am in the mood for garbage. 駄作と分かっていて観るのも、亦悦しからずや。

 

あらすじ

マチュー(ロマン・デュリス)とアナ(オルガ・キュリレンコ)には、免疫疾患のため、金魚鉢的なコンテナに隔離された娘がいた。ある時、パリが地震に見舞われ、地下から謎の霧が噴出。それを吸った人々は倒れていく。娘は無事だが、機械のバッテリーがもたない。愛娘を助けるべく、マチューとアナは霧と対峙するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ゲティ家の身代金 』のチンクアンタを熱演したロマン・デュリスが本作でも額に汗して、子どもを守ろうとする。火事場の馬鹿力ならぬ霧場の馬鹿力で、一般人では少々無理目なアクションを易々とこなしていく・・・というような安易な展開を見せないところが良かった。リミッターが外れれば、ひょっとしたらこれぐらいなら出来るかもしれないと思わせてくれた。

 

また、金魚鉢に閉じ込められた娘が同病相哀れむように同じ疾患を抱える他の者と通信していることに意味があることも評価できる。単なるパニック・ムービー、もしくはディザスター・ムービーの場合、多くの場合は自然 vs 文明、地球 vs 人間 といったような単純、単調なテーマがモチーフになっている。謎の霧の正体は何か?いつ、どこで、どのように発生したのか?そんなことは追及しない。このあたりがハリウッド映画とフランス映画の違いなのだろう。小説にしろ、映画にしろ、人間関係を広げ過ぎず、なおかつそこにエスプリを織り交ぜてくるのがフランス流で、フランス料理のフルコースとフランス産の映画、小説は全く趣が異なる。アメリカ映画で胃もたれをおこした時には、フランス映画で中和するのも一つの手かもしれない。

 

ネガティブ・サイド

パニック・ムービー、スリラー映画とはいえ、キャラクター達の行動原理がよく分からない。いや、子どものために必死になっているということは分かる。しかし、合理的とはとても言えない行動の数々を選択するのは何故なのか。単にサスペンスフルなシーンを演出したいがためにしか見えなかった。娘のための防護服が破損していても代用品はある。例えば、『 MEG ザ・モンスター 』でも一瞬映っていたアクアボールなどは、いくらパリが海から遠いとはいえ、冷静に考えればどこかしらで調達はできるアイテムだ。変に街をかけずり回るよりも、知識と知恵をフルに活用するような展開をもっと織り交ぜられたはずだ。

 

母親の行動も、美しいと見る向きもあれば、???となる向きも多かろう。Jovianは後者である。必要なのは電池であって伝者ではない。これも無用なドラマを無理やり仕立てるというプロットありきで、人間を描くことには失敗していたように思う。

 

字幕で父親が軍隊に、「自己免疫疾患の娘がいる」と言っていたが、これは誤訳ではないだろうか。自己免疫疾患は自分の免疫系が、細菌やウィルスではなく、自分の細胞を排除の対象として攻撃してしまう疾患だからだ。もちろん、隔離に意味が無いとは言わないが、それなら娘に必要なのは免疫抑制剤なのでは?と思えてしまった。フランス語に堪能な方がおられれば、是非お確かめ頂きたい。ただし、名作傑作と言える類の映画でないことだけはご承知いただきたい。

 

総評

それなりに捻りの効いたオチもあるが、それもオリジナルというわけではない。これなら、小松左京の小説およびその映像化作品の『 首都消失 』(YouTubeで視聴可能)を鑑賞し、返す刀でハヤカワSF文庫の『 アトムの子ら 』を読んだ方が面白いだろう。あれ、微妙にネタばれしてしまったかな?どちらも相当に古い作品なので、お目こぼしいただきたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, オルガ・キュリレンコ, カナダ, スリラー, フランス, ロマン・デュリス, 監督:ダニエル・ロビィ, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 ザ・ミスト 』 -フランス産パニック・ムービーの珍作-

『 ドント・ウォーリー 』 -車椅子エンターテインメントの佳作-

Posted on 2019年5月17日 by cool-jupiter

ドント・ウォーリー 70点
2019年5月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス ジョナ・ヒル ルーニー・マーラ
監督:ガス・ヴァン・サント

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原題は“Don’t Worry, He Won’t Get Far on Foot”である。つまり、「心配無用。あの男は遠くまでは歩けない」ぐらいであろうか。障がい者を扱う作品は近年、特に増えてきている。本作はしかし、アルコール依存など諸々の別テーマも放り込んでくる興味深い作りになっている。

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あらすじ

ジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)は常に酒びたりのアルコール依存症。酒屋で酒を買うときにも手の震えが隠せない末期症状だ。そんな自堕落な男がとあるパーティーの帰り道、同乗者の飲酒運転で事故に遭い、胸から下が不随になってしまう。しかし彼は、新たに手に入れた車イスと風刺画の才、そしてアルコール依存脱却を目指すグループの人間関係で、第二の人生を歩んでいく・・・

 

ポジティブ・サイド

ホアキン・フェニックスの熱演よりも、ジョナ・ヒル演じるドニーの度量の大きさ、その器の大きさと小ささ、慈しみとその源泉たる悲しみ、語り口、表情などが圧倒的な迫力で迫ってきた。これは本当にジョナ・ヒルなのか。彼のファンならば決して見逃してはいけない。そう断言できるほどの会心の演技を披露してくれた。

 

主演のホアキン・フェニックスも魅せる。我々は障がい者に何らかの清い属性を投影しがちである。そのことは『 アイ・アム・サム 』や『 フォレスト・ガンプ 』などの作品を観ればよく分かる。一方で実在の障がい者を描いた作品は、彼ら彼女らの苦悩や人間的にごく自然で基本的な欲求を満たせないことから来るストレスなどを真正面から描く。『 ブレス しあわせの呼吸 』や『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』が好例であろう。ジョン・・キャラハンという主人公が自分では酒瓶を開けることができず、満足に動かせない手でボトルを掴み、コルクに齧りつく姿は滑稽以外の何物でもない。しかし、その姿に我々が見出すのは酒に溺れた憐れな男ではなく、生命力にあふれるしぶとい男なのである。食欲、性欲、睡眠欲は三大欲求と言われるが、キャラハンの飲酒欲は、彼が確かに生きていることの証明になっている。

 

そしてセックス方面もしっかり経験するから、スケベ映画ファンはそれなりに期待してよい。『 ドラゴン・タトゥーの女 』のレイプ/被レイプのような滅茶苦茶なベッドシーンではなく、非常にマイルドな描写なのであくまでも期待はほどほどに。それにしても、ルーニー・マーラは不思議な女優だ。ある作品では包容力ある大人の魅力ある女性を演じたかと思えば、別の作品ではパンクで過激な一匹狼を演じたりもする。我々にはもっとこういう女優が必要なのである。

 

そして、疾走するキャラハンの車椅子のスピード感よ。車イスと同じく、物語もテンポよくスイスイと進んでいく。ホアキン・フェニックスの近年の作品では白眉だろう。『 グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち 』には及ばないものの、ヒューマンドラマの佳作になっている。

 

ネガティブ・サイド

キャラハンとルーニー・マーラ演じるアンヌの関係の深堀りが見たかった。障がい者のロマンスには、常にサスペンスとスリルとドラマがある。トントン拍子ではないベッドシーンが見たかったと個人的には思う。

 

キャラハンが車イスに適応するまでがかなり短く感じられた。そこはそんなものかと納得できないこともないが、彼の車椅子生活への順応と、周囲の人間のキャラハンへの順応の過程も見たかった。馴染みの店や学校以外の場所でもキャラハンが生き生きとしている描写があれば、彼という人間のリアリティがもっと生み出せたはずである。不世出の天才物理学者スティーブン・ホーキングが車イスで街中を散歩するのが馴染みの光景になっていたように、キャラハンもコミュニティの重要な風景の一部になっていれば、彼の人生の迫真性がもっと増したはずである。

 

総評 

障がいと向き合うというよりも、人生における不運、アクシデントにいかに向き合うのかというストーリーである。アンヌとジョンの関係にもっと迫った作りのストーリー、つまり障がい者のロマンス、またはセックスが見たいという向きはベン・リューイン監督の『 セッションズ 』、松本准平監督の『 パーフェクト・レボリューション 』などもお勧めである。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ジョナ・ヒル, ヒューマンドラマ, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, 監督:ガス・ヴァン・サント, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ドント・ウォーリー 』 -車椅子エンターテインメントの佳作-

『 PK 』 -宗教哲学エンタメの一大傑作-

Posted on 2019年5月14日 by cool-jupiter

PK 85点
2019年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アミール・カーン アヌシュカ・シャルマ 
監督:ラージクマール・ヒラーニ

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ゴールデンウィーク中の神戸国際松竹のインド映画祭りで鑑賞が叶わなかった作品。やっとこさDVDを借りてきたが、思わず2回鑑賞してしまうほどのインパクトをJovianにもたらした。PKの母星は地球から目視できるようだが、それは木星なのか(劇中で語られる距離からすると違うようだが・・・)?

 

あらすじ

ベルギーに留学中のジャグー(アヌシュカ・シャルマ)はサルファラーズと恋人になるも、思わぬ形で破局。失意の彼女は故国インドに帰り、報道アナウンサーになる。ある日、彼女は「神様 行方不明」というビラを配布して回る奇妙な男、PK(アーミル・カーン)に遭遇して・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ターミネーター 』を思わせる冒頭のシーンで、アミール・カーンの役作りの本気度が分かる。『 ダンガル きっと、つよくなる 』でもそうだが、クリスチャン・ベールや松山ケンイチ、鈴木亮平のように役に合わせて体を作るものだ。それ以上に、まばたきをしない演技というクリシェのレベルを一段上に引き上げたことを評価したい。『 予兆 散歩する侵略者 劇場版 』の東出昌大はアミール・カーンから多大に学ぶことができるはずだ。

 

もちろん、ヒロインのジャグーを演じたアヌシュカ・シャルマも素晴らしい。次世代Indian Beautyという感じで、まるで森見登美彦(の描くへたれ男子キャラ)が恋焦がれてしまいそうなファーティマー・サナー(『 ダンガル きっと、つよくなる 』)とは、また違ったタイプの短髪アヒル口の美女である。彼女の導入シーンも、『 ヒットマンズ・レクイエム 』のパロディもしくはオマージュになっている。ベルギーで In Bruges で、一見すれば似た者同士が仲違いしそうになり、それでも上手く付き合っていきながら、しかしさらに上位の力のせいで・・・ と、やはりラージクマール・ヒラーニ監督は本作の着想のヒントを、マーティン・マクドナーから得たのではあるまいか。

 

インドという国は、日本とは多くの意味で異なる。おそらく最も理解が難しいのは宗教の違いだろう。これについてはインド人自身も自覚があるようで、これまでにも『 ボンベイ 』や『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』のような傑作が生み出されてきた。しかし、本作がこれらの先行作品に優る(と断言してしまう)のは、ヒンドゥー教とイスラム教といったような特定の宗教間の対立にフォーカスするのではなく、あらゆる宗教をまとめて張り倒して、それでも後に残るものは何かを追求しようとした点にある。『 ボンベイ 』で主人公が油を自らかぶって、「さあ、火をつけろ!」などと怒鳴るような方法で、相手も自分も宗教は違えど同じ人間だと気付かせる方法もある。一方で、『 インディペンデンス・デイ 』のように、宇宙人の襲来をもって、人類皆兄弟とある意味で強制的に納得させてしまう手法も存在する。本作のアプローチは後者の宇宙人型であるが、そこはハリウッドではなくボリウッド。宇宙人、必ずしも侵略者ならずである。

 

Jovianは大学で宗教哲学(古代東洋思想)を専攻したが、電話のかけ間違い(Wrong Number)という発想にはいたく感心した。これは哲学者アンリ・ベルクソンの「脳=電話交換局」というアナロジーに通じるところがあるからだ。人間と人間の対話がしばしば誤ってしまうのと同じく、人間と神との対話もしばしば誤ってしまう。このアナロジーが、さらに大きな意味で物語の入れ子構造になっている点にはさらにいたく感心した。『 きっと、うまくいく 』にも同様のプロット構造が採用されていたが、本作ではそれをさらに brush up した形で用いている。親子間の、また言葉によるコミュニケーションの難しさを実感する次第である。同時に、国籍や人種、信仰といった属性を剥いでしまった時に残るものを尊重できるかどうか。そのことの難しさと尊さをも実感させてくれる。

 

映画とは直接関係の無いところで面白いと感じたのは、宇宙人が language を必要としない種族であること。荒唐無稽に思えるが、language は communication を可能にする一つの媒体に過ぎず、心を読む能力さえあれば事足りるというのは説得力がある。心を読むとき、我々は抱くイメージ(!)は、文章を読むのではなく心象風景を読む、という心象風景である。知能=画像、と喝破する山本一成の知能論に説得力を感じつつあるJovianとしては、なぜ自分が殊更にビジュアル・ストーリーテリングを重視するのか。また、映像美に惹かれるのかを、本作に間接的に教えられたような気がする。

 

ネガティブ・サイド

PKの恋慕がやや唐突であった。ジャグーとの出会いの頃から、ほんのちょっとした会話や視線などを積み上げていくシーンがいくつかあれば、もっと良かった。

 

また、ダンスの兄貴との出会いをひ交通事故で描く必要性はあったのだろうか。何かもっと違う出会い方をしてほしかった。特に終盤の兄貴の story arc を考えると、勧善懲悪と言おうか、因果応報的な宗教的観念がどうしたって脳裏に浮かんでくる。兄貴には兄貴のカルマがあるのは分かるが、そこでもう少しマイルドな描写を模索して欲しかったと切に願う。

 

総評

宗教とは無関係、宗教には無関心。そうした姿勢の日本人は多い。しかし、本作に描かれるPKの神を巡る旅路は、宗教哲学的思考の実践としても、クリティカル・シンキングの模範としても、大いに参考になるものである。Dancing Carの部分だけはR15かもしれないが、その他のシーンでは中高生以上のあらゆる年齢層にとってeye-openingにしてjaw-droppingなストーリーを堪能することができる。これは文句なしに傑作である。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アヌシュカ・シャルマ, アミール・カーン, インド, コメディ, ヒューマンドラマ, 監督:ラージクマール・ヒラーニ, 配給会社:REGENTSLeave a Comment on 『 PK 』 -宗教哲学エンタメの一大傑作-

『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

Posted on 2019年5月13日 by cool-jupiter

The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 50点
2019年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニコール・キッドマン キルステン・ダンスト エル・ファニング
監督:ソフィア・コッポラ

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The Beguiledとは、魅了された者の意味である。同時に、騙された者という意味にも解釈可能である。無理やり日本語にするなら、「 落とされた者 」にでもなるだろうか。誰が誰に騙されたのか、誰が誰に魅了されたのか。これは何とも心憎いタイトルである。

 

あらすじ

南北戦争中のアメリカは南部のミシシッピの女子寄宿学園に、傷ついた北軍兵士が舞い込んでくる。園長のマーサ(ニコール・キッドマン)や教師のエドウィナ(キルステン・ダンスト)、年長のアリシア(エル・ファニング)らは、兵士マクバニー(コリン・ファレル)を介抱するうちに、精神的な変化を自覚するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

立ち上がりから非常に静かな映画である。音響的な意味でも静かであるし、台詞も特に多いわけではない。またドラマチックな展開になるまでにそれなりの時を要する。しかし、白を基調にしたドレスに身を包んだ婦女が、薄暗い屋敷兼校舎の中を楚々と動く様は色々な想像を掻き立てる。女の園というと、韓国の歴史宮廷ドラマの『 宮廷女官チャングムの誓い 』や『 トンイ 』が思い出されるが、これらのようなドロドロの暗闘や露骨な権力闘争などではなく、逆にこれらのドラマではほとんど触れられることの無かった、邦題で付された“欲望への目覚め”が大いに予感される。ソフィア・コッポラ監督の美意識というか、作家性なのだろう。これは心憎い。そしてこの監督の作家性は非常に露骨な形で終盤に爆発する。亀とキノコが重要なガジェットとして用いられることに笑わずにはいられようか。ここでは男性諸賢に大いに笑って頂きたいと思う。と同時に、冒頭からさりげなく小道具を仕込んでいる脚本にも拍手である。

 

女性陣ではキルステン・ダンストが特に良かった。うら若き乙女には出せない色気を出していた。というか、色気を出さないようにしようとすること自体が色気になっているという、非常に重層的な演技を見せてくれた。妖艶さとはまた違った妖しさがあり、無垢な(しかし悪女の素質にも恵まれた)スパイダーマンのメリー・ジェーン・ワトソンの成長した姿の一つの可能性の結実を見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

原作の男性視点バージョンを未見のため何とも言いかねるが、マクバニー伍長の魅力がもう一つ伝わらなかった。確かにナイスガイではあるが、兵士としての力強さや泥臭さには欠けていた。早い話、同じ男性として、男性ホルモンがたくさん出ているような男には見えなかった。少なくとも中盤までは。女性目線で見ると異なるのだろうが、あいにくと嫁さんは未鑑賞・・・

 

Jovian期待の星の一人、エル・ファニングの見せ場が足りなかった。濡れ場ではない。見せ場である。繰り返すが、濡れ場ではない。見せ場である。濡れ場だけが見せ場ではない。期待した自分が悪いのだ。濡れ場だけが見せ場ではない。スケベ心を抱いて本作を鑑賞しようという向きは、決して過度な期待を抱くべからず。

 

総評

初回鑑賞中に痛恨の寝落ちをしたために、あらためて見直した作品である。盛り上がるところでは恐ろしいぐらいに展開が盛り上がる。だが、そうではないところでは至って静かな、噴火前の火山がゆっくりじっくりとマグマを溜めこむような趣がある。そこを楽しめるかどうか、ソフィア・コッポラ監督の美意識と波長が合うかどうかで評価ががらりと変わる作品だと言えよう。

 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エル・ファニング, キルステン・ダンスト, サスペンス, ニコール・キッドマン, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

『 ヴァレリアン 千の惑星の救世主 』 -古典的SFコミックの映画化成功作品-

Posted on 2019年5月9日 by cool-jupiter

ヴァレリアン 千の惑星の救世主 65点
2019年5月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:デイン・デハーン カーラ・デルビーニュ
監督:リュック・ベッソン

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MOVIXあまがさきで公開二週目の木曜日のモーニングショーで観た記憶がある。近所のTSUTAYAで何故か目に入ったので、良い機会なのでI will give it a watch again. SFの面白さが充分に詰まった逸品に仕上がっている。

 

あらすじ

28世紀。腕っこきのエージェントであるヴァレリアン(デイン・デハーン)とローレリーヌ(カーラ・デルビーニュ)は、千の種族が生きるアルファ宇宙ステーション(「千の惑星の都市」)の中心部に広がりつつある放射能汚染エリアの調査に乗り出す・しかし、それは巨大な陰謀の一部で・・・

 

ポジティブ・サイド

デヴィッド・ボウイの“Space Oddity”と共に流れる一連の映像だけで、人類と異星生命とのFirst Contact・・・のみならず、Second、Third、Fourth・・・とテンポよく伝えてくれる。何度でも言うが、ビジュアル・ストーリーテリングは映画の基本なのである。

 

ヴァレリアンとローレリーヌの関係性の描写も簡潔に、しかし丁寧に行われる。長い廊下を歩きながらの口論にも近い対話で、観る側は二人の微妙な距離と互いへの熱量の違いを明確に知ることができる。原作コミックのテンポがきっと元々小気味良いのであろう

 

『 アバター 』にも影響を及ぼしたであろう惑星ミュールのパール人も魅力的に描かれているし、何よりその生きざまが良い。小川一水の小説『 老ヴォールの惑星 』の生命体のような、とある特性を持っていて、小川も案外原作コミックから着想を得たのかもしれないと思わされた。

 

個人的にはネザを演じたクリス・ウーが気に入った。というかこの男、有能すぎる。組織の上位にある者には腹心、耳目、爪牙が必要であるとされるが、ネザは全てを兼ね備えた有能な軍人ではあるまいか。異星生命と当たり前のように交歓交流する宇宙では、人種の違いなど何のその。彼のような男と共に戦ってみたいものだ。He is definitely the kind of guy I want to go to war with!

 

本作はある意味では陳腐なクリシェの塊とも言えるが、それだけ原作コミックが時代を先取りしていた、あるいは当時の少年少女をインスパイアしたと言えるだろう。本作のクライマックスで語られる「愛とは何か」というローレリーヌの言葉には、『 インターステラー 』のアメリア(アン・ハサウェイ)との共通点が非常に多かった。ということは、クリストファー・ノーランもある意味では本作の影響を受けたと言えるのかもしれない。デイン・デハーンのキャラクターは、それこそ100年間から存在していたのだろうけれども、ね。

 

ネガティブ・サイド

情報屋トリオが言う「情報は3分割している」というのがピンと来ない。誰かから情報を1/3ずつ買うと言うのか。もしくは超絶記憶術と忘却術をマスターしていて、それで情報を分割して記憶しているとでも言うのか。このトリオは非常に味のあるキャラクターたちだが、不可解さも残した。

 

ややネタばれになるが、黒幕もしくは悪役はBritish Englishを話すというクリシェはいつになったら廃れるのか。それとも容易に廃れないからこそクリシェなのか。本作も開始早々から「こいつが陰謀の中心かな?」という人物が2人ほど目に付くが、一人はパッと見で除外、もう一人はパッと聞いた感じで怪しい、と感じてしまう。このあたりが課題なのだろう。

 

総評

リュック・ベッソンが作りたいように作るとこうなる、という見本のような作品である。頭をからっぽにして楽しむこともできるし、作中に登場する数々のガジェットやクリーチャー、あるいはシーンの構図などを分析して、先行作品や後発作品をあれこれと思い浮かべるのも楽しいだろう。ただし、SFの全盛期は1960年代の小説だった、というハードコアなSF原理ファンとも言うべき向きに勧められる作品にはなっていない。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SFアクション, カーラ・デルビーニュ, デイン・デハーン, フランス, 監督:リュック・ベッソン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ヴァレリアン 千の惑星の救世主 』 -古典的SFコミックの映画化成功作品-

『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

Posted on 2019年5月7日 by cool-jupiter

ゾンビランド 70点
2019年5月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェシー・アイゼンバーグ エマ・ストーン ビル・マーレイ
監督:ルーベン・フライシャー

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夏の風物詩といえば、ゾンビ映画かサメ映画である。おそらく商業ベースで全世界で毎年、数百本、インディものまで含めれば、おそらくは数万本のオーダーで製作されているであろうジャンルである。ということは、文字通りに玉石混交な分野なわけで、リバイバル上映されているということは、面白さはある程度保証されているという意味である。そして、それはその通りであった。

 

あらすじ

世界にはゾンビが跋扈していた。内向的な青年コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は厳格なルールを自らに課すことで生き延びていた。彼は故郷のオハイオを目指す途上で屈強なゾンビハンター、タラハシー(ウッディ・ハレルソン)と出会う。そして、旅を続ける二人はウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロックの姉妹に出会うのだが・・・

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ポジティブ・サイド

2009年製作ということは、今からだと10年前になる。にもかかわらずジェシー・アイゼンバーグもウッディ・ハレルソンもエマ・ストーンもトップシーンにあり続けているというのが良い。豪華なものを観た気分になれる。劇中でアイゼンバーグが、ゾンビ・ワールドを指して「フェイスブックを更新する必要が無くなった」というのには、思わずニヤリ。未見の人で、なおかつFacebookアカウントを持っている人は『 ソーシャル・ネットワーク 』を視聴されたし。

 

ゾンビと相対した時に、人間は人間らしさの欠如に恐怖することは『 イヴの時間 劇場版 』でも述べた。もう一つ、ゾンビの存在によって浮きあがってくるものに、ルールや秩序の存在もしくは非在がある。そのことをコロンバスは見事に体現してくれる。DOUBLE TAPは見事なギャグになっていると共に、秩序の存在しない世界では、秩序を自ら生み出す者が生き残るということのメタファーにもなっている。コロンバスは人間社会ではある種の人間嫌いとして引きこもり体質の童貞オタク青年だったが、ゾンビ世界では有酸素運動と銃の扱いに長じた非常に外交的なファイターに変身した。そんな彼が、エマ・ストーン姉妹に翻弄される様は滑稽でもあり、切実でもある。ゾンビに対してはイケイケの青年が、生身の妙齢の女子に対しては奥手になる。そのギャップに、人間の本質が潜んでいる。

 

ビル・マーレイが本人役で出演するが、この間のスキットはギャグであり、シリアスである。ゾンビ世界にあって、既存の人間社会の価値観がどれほど不安定で危ういものかを大いなる笑いの力で見せてくれる。同時に、タラハシーというキャラクターの底浅さと深みの両方が開陳される。このシークエンスには唸らされた。

 

クライマックスはまさにゾンビランドである。ディズニーランドではなくゾンビランドである。遊園地で遊戯のごとくゾンビをぶち殺しまくる末に、爽快感以上に手に入るものとは何か。それはストリーミングやレンタルビデオでお確かめ頂きたい。

 

ネガティブ・サイド

ウッディ・ハレルソンのアクションシーンに少々切れが足りない。巨大剪定ばさみのシーンなどは特にそうだ。ゾンビ映画の文法の一つに、時に華麗に、時に残虐にゾンビを退治するというものがある。序盤ではこのあたりにもっとフォーカスをしてほしかった。

 

中盤にも少々中弛みがある。ネイティブ・アメリカンの土産物店を破壊していくシーンは、既存の人間社会の価値観の破壊とそれへの決別宣言、さらにこの奇妙な男女四人組の絆の形成のためでもあっただろうが、カット可能であるように思う。88分というかなり短めな映画だが、もう3~5分短縮することができたはずだ。

 

総評

ゾンビ映画と敬遠することなかれ。豪華キャストでホラー映画の王道的展開を次々と守って行きながら、同時にぶち壊していった『 キャビン 』のゾンビ映画バージョンである。ゾンビ映画のお約束を呵呵と笑い飛ばす本作は、コアなゾンビ映画ファン、ライトな映画ファンの両方にお勧めすることができる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190507115817j:plain

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, エマ・ストーン, コメディ, ジェシー・アイゼンバーグ, 監督:ルーベン・フライシャー, 配給会社:日活Leave a Comment on 『 ゾンビランド 』 -ゾンビエンタメの佳作-

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