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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 海外

『 はちどり 』 -小さな鳥も大きく羽ばたく-

Posted on 2020年8月10日2021年2月23日 by cool-jupiter

はちどり 80点
2020年8月8日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:パク・ジフ キム・セビョク
監督:キム・ボラ

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映画貧乏日記のcinemaking氏が激賞していた作品。キム・ボラ監督の長編デビュー作品。韓国の監督というのは往々にして自分で脚本も書くが、いつの間にか小説や漫画の映像化に汲汲茫々とするばかりとなった邦画の世界も、もっと見習ってほしい。

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あらすじ

14歳のウニ(パク・ジフ)は集合団地で暮らしている。父や兄は抑圧的で母や姉も自分にはあまり構ってくれない。そして学校でも、それほど友人に恵まれているわけでもないし、教師も非常に強権的。けれども、ウニは別の学校の友だちやボーイフレンドと、それなりに楽しい日々を過ごしていた。そして、通っている漢文塾でミステリアスな女性教師ヨンジ(キム・セビョク)と出会って・・・

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ポジティブ・サイド 

『 サニー 永遠の仲間たち 』の描いていた暗い世相を反映した1980年代を抜けて、『 国家が破産する日 』のプロローグで映し出されていた1990年代の高度経済成長時代のただ中の韓国の物語である。大きく成長してく国家や社会に、思春期という肉体的にも精神的にも大きく変わっていく時期の少女が重ね合わせられている・・・わけではない。逆に、そのような世界の大きなうねりに乗り出す前、家族や家、学校といった小さな環境の中で必死に羽ばたこうとするはちどりの姿がそこにある。

 

当然そのはちどりとは、主人公のウニである。冒頭のシーンからふるっている。買い物から帰ったウニが団地の902号室の呼び鈴を鳴らすが、誰も反応しない。不安になったウニが何度も何度も呼び鈴を鳴らすが、それでも在宅しているはずの母は一切反応しない。ヒステリックに叫ぶウニ。だが、次の瞬間、ウニは階段を上る。そして1002号室の呼び鈴を鳴らす。即座に母が出てきて「もっと良いネギはなかったの?」と言う。集合団地というどこもかしこも同じに見える環境に暮らすごく普通の少女が、そのうちに激情を秘めているという象徴的なオープニングである。

 

ウニは極めて抑圧的な環境で生きている。父に怒鳴られ、兄に殴られ、母にはあまり構ってもらえず、姉とは没交渉である。ウニの数少ない心の安定剤であるボーイフレンドとの仲は、しかし、かなり順調で、楽しくない学校生活のさなかにも、彼からの「愛してる」というポケベルのメッセージに心を弾ませる。学校は違うが塾は一緒という友人もいる。共犯者的な存在と言ってもいい。このような一方では充実したウニの世界も、次から次へと破綻していき、それがどうしようもなく観る側の心を揺さぶる。印象的だったのはウニの親友の少女。ある日、白いマスクを着用してきたのを見て、ウニも我々も「あれ?」と思う。もちろん風邪ではない。風邪なら塾を休めばよい。つまり、家にいられず、しかしマスクをつけなくてはならない事態があったということだ。ここで我々はキム・ボラ監督に想像力を試されていると言っていい。痛々しい真相が明かされるシーンは、遠景からのショットでありながら、ウニと親友の二人だけの会話を静かに映し出すというもの。世界はそこに存在するが、ウニたちだけの世界もまた、そこに存在するのだと感じられる不思議な余韻のあるシーンだった。そうか、はちどりはウニだけではなかったのか、とも感じられた。

 

大きな転機となるヨンジ先生との出会いも印象的だ。特に禅語の「相識満天下 知心能幾人」に、Jovianも唸らされた。そうか、世界とは森羅万象、そこにあるもの、目に入るものだけではないのか。人間関係とは往々にして相貌を認識できるだけの関係に留まるものなのか、と不惑にして考えさせられた。ウニが自分の世界の小ささと、そこから先に広がる大きな世界、さらにその世界で生きることの難しさと尊さの両方を感得するシーンであり、人生の師に巡り合うシーンでもあった。

 

それにしてもヨンジ先生を演じたキム・セビョク、最初に見た感じでは『 テルマエ・ロマエ 』で言うところの平たい顔族の女性代表かな、みたいな失礼な印象を抱いていたが、物語が進むにつれ、どんどんと魅力的な顔立ちに思えてくるから不思議なものである。特に、彼女が一曲アカペラで歌うシーン(と書くと、酒場でマッコリでも飲んで上機嫌で歌うように思えるかもしれないが、そうではない)では、その切々とした歌唱と凛とした表情、そして歌詞の伝える意味が、ウニの心に、そして観る側である我々の心にもストンと入ってきた。「トボトボ歩く」ことが、これほどリアルな哀切の情を表すとは。キム・ボラ監督の演出力にしてキム・セビョクの演技力の為せる業か。

 

思春期、そして青春の入り口を描きながらも本作は血と死の予感も漂わせている。ゾッとさせられたのは、ウニの呼び声に反応しない母親。鼓膜が一時的に破れていたのだろうか。その相手は夫なのか。壊れるべきに思える夫婦関係だが、そこでくっついたり離れたりを繰り返してきたのか。まるでウニの青春、ウニの人間関係のようではないか。ウニの叔父さんの決して語られることのない story arc やウニの担任の語る「一日一日、死に近づいていくのだ」という台詞。兄からの暴力。親友の受ける、それ以上の暴力。そして、終盤の悲劇。様々な事象が絡まり合い、ウニだけではなくウニの父やウニの兄も涙を流す。不器用な男たちが心の鎧を脱ぎ捨てる瞬間で、ウニはその時、父や兄の心の一端を知る。知心可二人というわけだ。はちどりは、その小さな姿からは想像をできないほどの超長距離を移動する渡り鳥である。英語のタイトルは“House of Hummingbird”。はちどりの大いなる旅立ちを予感させつつ、帰るべき場所をしっかりと示すエンディングは、多くの人の心に静かな、しかしとても力強いさざ波を立てることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ほとんどないのだが二点だけ。

 

一つは、ある重要人物の母親が嗚咽するシーン。ウニが親友ジスクと語らうシーンで「私が死んだら、あの人たち泣くかな?」に対する答えがそこにあった。この母親の泣きのシーンをもっと長く、もっと深くカメラに収めるべき=ウニに体感させるではなかったか。

 

もう一つは、エンディングそのもの。『 スリー・ビルボード 』と同じで、あと30秒欲しかったと思う。

 

総評

ポン・ジュノ監督がアカデミー賞監督賞を授与された時に、マーティン・スコセッシの“The most personal is the most creative”=「最も個人的な事柄が最も創造的な事柄である」という格言を引用したことが話題になった。キム・ボラ監督は、まさに自身の最もパーソナルな少女時代の経験を基にこの物語を創造したのだろう。極めて個人的な心象風景であるが、それはあらゆる少年少女、そしてかつて少年少女だった大人の心にも激しく突き刺さるという、非常にストレートなビルドゥングスロマンの傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チング

『 友へ チング 』という作品もある通り、友、友人、親友の意味。調べてみると同級生や同い年にのみ使うらしい。長幼の序を重んじる韓国らしい表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, キム・セビョク, パク・ジフ, ヒューマンドラマ, 監督:キム・ボラ, 配給会社:アニモプロデュース, 青春, 韓国Leave a Comment on 『 はちどり 』 -小さな鳥も大きく羽ばたく-

『 トンネル 闇に鎖された男 』 -閉所恐怖症は観るべからず-

Posted on 2020年8月5日 by cool-jupiter

トンネル 闇に鎖された男 60点
2020年8月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ハ・ジョンウ ペ・ドゥナ オ・ダルス
監督:キム・ソンフン

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北海道の豊浜トンネル岩盤崩落事故を思い出させる内容である。あの時は現場責任者が被害者家族をマスコミと勘違いして「偉そうに言うな!」みたいなことを言って大問題になっていたっけ。当時高校生だったJovianは連日連夜、マスコミがニュースでこの事故を時に真剣に、おちゃらけて取り上げていたのを覚えている。

 

あらすじ

家族の元へと車を飛ばすイ・ジョンス(ハ・ジョンウ)は、トンネルの突然の崩落事故で生き埋めになってしまう。手元にあるのはスマホ、ペットボトル2本分の水、そして娘へのプレゼントであるケーキのみ。彼は救助が来るまで生き延びることができるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

シチュエーション・スリラーと見せかけて、サスペンスでもありファミリードラマでありヒューマンドラマでもある。適度に韓国の大企業や政府への批判も織り交ぜられているのも韓国映画らしいところ。地震大国の日本でも、本作のようなアクシデントは起こりうるし、実際に1990年代後半にはJR西日本の新幹線のトンネルでコンクリート剥落事故が多発したことを覚えている人も多いだろう。コンクリートというものは、いつかは劣化するものなのだ。荒唐無稽なシナリオに思えるが、実は十分にリアルな状況設定なのだ。

 

閉じ込められることになるハ・ジョンウの演技力が素晴らしい。しぶとく生き残った男の安堵と不安の両方を一人芝居で演じきった。特に印象的だったのはペ・ドゥナ演じる妻と電話で話すシーン。「朝ごはんをしっかり食べろ」という台詞のあまりの場違いさにズッコケると同時に、その台詞の重み、すなわち、トンネル内で生き埋めになっていても大丈夫、お前はお前の日常を生きろ、という夫から妻へのメッセージに、胸が押しつぶされそうに感じた。自分が同じ状況に陥った時、こんな言葉が口から出てくるだろうか、と。トンネル内にもう一人と一匹の生存者がいると分かってからのジョンスの行動も重い。自分なら貴重な水を分け与えられるだろうかと思う。状況がリアルなため、ジョンスというキャラクターに感情移入がしやすく、それゆえに彼の言葉や行動の一つひとつが観る側に問いを投げかけてくる。

 

オ・ダルス演じる救助チームの責任者キム・デギョンも人間味があふれる男である。マスコミを一喝して、スカッとさせてくれる。一方で、彼は当事者でありながら当事者ではない。警察も消防も医療従事者も、対象には「あれしなさい、これしなさい」と気軽にアドバイスを送るが、「じゃあ、あんたはやったことあるんか?」と問いたくなったことがある人は多いだろう。Jovianと同じく不惑あたりの年齢の人は、健康診断のたびに「三食バランスよく食べなさい、早寝早起きをしなさい、1週間のうち2~3日はじんわりと汗をかく運動を1時間以上しなさい、ストレスを解消しなさい、酒を減らしなさい・・・」って、ドクター、あなたはそれが全部実践できているのですか?と、いつも尋ねたくなる。このオ・ダルスも、ジョンスにめちゃくちゃなアドバイスを送るが、言うは易く行うは難しをまさに実践する。人を救う職業に従事するのに理想的な男である。

 

ジョンスの嫁を演じたペ・ドゥナも素晴らしい。出番こそ少ないが、要所要所で確実なインパクトを残す。印象的だったのは現場で働く者たちに料理を作って給仕するシーン。そして、ジョンスに電話で「死ね!」と一喝するシーンだ。鬼嫁と勘違いすることなかれ。このような嫁を持つことができる男は果報者である。だが圧巻なのは、ラジオ局のシーンである。こればかりは鑑賞してもらうしかない。『 キャスト・アウェイ 』や『 ハリエット 』など、多くの作品に共通する展開ではあるが、やはりこうしたシーンは涙なしには見られない。万感胸に迫るものがあった。

 

大企業や政治家、そして一般大衆までも巻き込んで、鋭く韓国社会を撃つ。一人の人間の命の重さを正面から描く。台風や地震で家屋が倒壊して閉じ込められた、という時のサバイバル方法を学ぶことができる点もユニークだ。最後の最後に、ジョンスが観る者を最高にスカッとさせてくる。韓国映画ファンならチェックしてみて損はないだろう。

 

ネガティブ・サイド

やや記憶があいまいになっているかもしれないが、「有線のドローンを作らせて取り寄せろ」と言われたドローン・オペレーターが「アメリカのオンタリオですよ」と返すが、オンタリオはカナダではないか?それともこれは韓流ジョークなのだろうか。

 

あるパグ犬が重要な役割を演じているのだが、この犬の story arc が最後には不明になる。『 パターソン 』のネリーに近いレベルの神演技を見せるテンイが、ジョンスの家に招き入れられないなどということがあってよいのだろうか。とうてい承服しがたい。

 

最も不満に思うのは、後半のジョンスのサバイバルの過程がぱったりと描かれなくなることだ。途中までは日が経つごとにジョンスの髭がどんどん伸びていったが、それ以外の描写も欲しかった。たとえば爪の伸びや、あるいは皮膚の垢。または、頬がかなりこけてしまっている、という絵があってもよかった。極限状態を、それでも生き抜いた男の苦闘の跡がもっと目に見える形で表現されていれば、という点が惜しまれる。

 

総評

登場人物は少ないが、それでも2時間きっちりとドラマを生み出し、観る側を引き付ける力を持っている。脚本の力、そして役者の演技力の賜物である。『 リンダ リンダ リンダ 』のペ・ドゥナがなんとも milfy になっているので、彼女のファンは絶対に観よう。フェイクニュースや、マスコミの報道の在り方、そして我々のニュースの“消費”の仕方などについても多くの示唆を与えてくれる社会派映画でもある。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ウェ

とある長官の一言。意味は「なぜ」である。英語の Why? によく似ている。これも色々な韓国映画でちらほらと聞こえてくる定番の語彙だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, オ・ダルス, サスペンス, ハ・ジョンウ, ヒューマンドラマ, ペ・ドゥナ, 監督:キム・ソンフン, 配給会は:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 トンネル 闇に鎖された男 』 -閉所恐怖症は観るべからず-

『 海底47m 古代マヤの死の迷宮 』 -クリシェ満載のサメ映画-

Posted on 2020年8月4日2021年1月22日 by cool-jupiter

海底47m 古代マヤの死の迷宮 55点
2020年8月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ソフィー・ネリッセ コリーヌ・フォックス ブリアンヌ・チュー システィーン・スタローン
監督:ヨハネス・ロバーツ

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ジェイミー・フォックスの娘にシルベスター・スタローンの娘。ハリウッドにも親の七光りがあるようだ。それでもあちらのショービズは冷酷無比な生態系。結局はコネよりも実力あるもの生き残るはずだ。そういう意味でサメのように何億年も進化せずに生き残る生物というのは、完成形に近いのかもしれない。

 

あらすじ

ミア(ソフィー・ネリッセ)とサーシャ(コリーヌ・フォックス)は、親の再婚で姉妹となったが、まだお互いに打ち解けられていない。考古学者の父親は、二人でサメを観ることができる遊覧船に乗ることを提案する。しぶしぶ了承する二人だが、遊覧船乗り場には学校のいじめっ子が。二人はサーシャの友人が知るというダイビングスポットの穴場に向かうことにするが・・・

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ポジティブ・サイド 

前作(といってもストーリー上の関連はない)『 海底47m 』で主人公姉妹がダイビングに至るまでの背景があまりにもアホ過ぎたと監督と脚本家も考え直したのか、本作の女子高生4人組が海に潜る理由はそこまで荒唐無稽ではない。女子高生=学校に通っている=冷酷非情な生態系に住んでいる、ということであり、いじめっ子から遠ざかるために穴場スポットに向かうという流れには説得力もある。また、この序盤の展開が終盤に活きてくる。このあたりも監督と脚本家が前作よりも真面目にプロットを練ってきた証拠である。予算もしっかりついたのだろう。

 

暗い海底に適応したために視力をなくしたサメというのも、なかなかに興味深い。前作では、見えているにもかかわらず目標に噛みつき損ねるばかりという、実に情けないサメであったが、本作はそこを逆手に取った。だったら、サメから視力を奪ってやれ、と。これも面白い試みである。山口県の秋芳洞に行ったことがある人であれば、鍾乳洞に適応して、目をなくした魚を見たことがあるだろう。進化の完成形のサメにも、こうしたことが起きても不思議はない。実際に『 ダーウィンが来た! 』で紹介されたことがあるように、ニシオンデンザメという、ほぼ100%目に寄生虫が住み着いて失明してしまっているサメも実在する。盲目のサメにも、それなりのリアリティがあるわけだ。

 

ストーリーは単純である。迷路状のマヤの海底遺跡に巣食う巨大ザメからどのように逃れるのか、これだけである。そこに酸素ボンベという究極のタイムリミットもついてくる。否が応にもハラハラドキドキさせられる。

 

本作は色々な先行作品への、よく言えばオマージュに満ち溢れている。悪く言えば、パクリだらけ。控えめに言えばクリシェ満載ということである。けれど、それで良いではないか。サメ映画などというのは大量生産され過ぎて、今さら新奇なアイデアというのはなかなか望めない。だからこそギャグとしか思えないサメ映画が陸続と生み出され続けている。本作でも小説版『 メグ 』を読んでいる人なら、思わずニヤリとさせられる展開が序盤にあり、これが終盤に効いてくる。ヨハネス・ロバーツ監督は『 MEG ザ・モンスター 』を観て、「あ、これは原作に忠実じゃない」と感じて、「だったら俺が小説にオマージュを捧げるぜ」と意気込んだに違いない。また、『 ディープ・ブルー 』のサミュエル・L・ジャクソンのあっけない最期を知っている人からすれば、本作のとある瞬間に強烈なデジャブを覚えることだろう。Jovianはそうだった。そして、思わず小さくガッツポーズしてしまった。多くのサメ映画は『 ジョーズ 』を超えようとして失敗してきた。ジョーズに敬意は払っても、越えられない。だったら他作品に敬意=オマージュを払うまで。そうした割り切りは嫌いではない。

 

ティーンエイジャー4人組のワーワーキャーキャーのパニック映画であり、それ以上でもそれ以下でもない。家族の絆だとか古代文明の謎だとか、そんなものは一切考慮する必要はない。夏と言えば海、海と言えばサメなのである。海に行けないならば映画館に行こう。ライトなファンならば、本作で充分に涼はとれる。

 

ネガティブ・サイド

海の中ということで、必然的に画面は暗くなる。それが前作では不吉な予感を増大させ、サメが出て来ずとも、状況そのものが恐ろしいのだという雰囲気につながっていた。本作には、そうした視覚的な効果はない。ライトで照らすとそこには・・・というのは洞窟やら地底世界、あるいは夜の森などでお馴染みのクリシェで、サメ映画の文法ではない。そもそもこのサメは光に反応しないので、そこから恐怖が生まれないのだ。

 

キャラクターの掘り下げも不十分だ。特に主役のミア。いきなりいじめっ子にプールに突き落とされるが、その時にびしょびしょに濡れてしまった教科書は、いったいどの分野の何というテキストなのか。それが海の生態系やサメに関する書籍であれば、引っ込み思案に見えるミアが一転、海の中で大化けを見せる、といったプロットも構想できるし、あるいは目が見えないサメは、嗅覚と聴覚が鋭いに違いない。だから、逃げ切るためにはこうした行動が必要で・・・といったリーダーシップを発揮する場面を生み出せただろう。実際はそんな構図はほとんどなし。どのキャラもピーチクパーチク騒がしいだけ。

 

酸素ボンベの酸素の減り方もムチャクチャだ。ゆっくり泳いでいる前半に大半を消費し、激しく動き回る後半に残り少ない酸素で激しく運動するという???な展開。サメ遭遇時点でのボンベの残量を40%ではなく、60%程度にしておくべきだった。

 

最終盤のミアとサーシャの行動も不可解の一語に尽きる。パニックになっていたと言われればそれまでだが、サメが嗅覚と聴覚、どちらを優先するかを冷静に判断すべきだった。血の臭いが充満する海を突っ切って泳ぐか?そこは冷静に迂回すべきだっただろう。海でも山でも空でも、パニックになる者が死亡し、冷静さを保つものが survive するのである。

 

総評

サメ映画というのは、『 シャークネード 』や『 シャークトパス 』のような真面目なギャグ路線と、『 MEG ザ・モンスター 』や本作のような真面目なホラー・スリラー・パニック路線の二つの系統に分化、進化しつつあるようである。どちらのジャンルにも良さがある。もしも夏恒例のサメ映画を観たいのなら、本作は格好の暇つぶしの一本である。大画面と大音響で鑑賞してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

slip

滑る、の意。Oops, my hand slipped. = おっと、手が滑った、となる。英語でも日本語でも、これほど嘘くさい表現はあまりない。ちなみに「舌が滑った」は、a slip of the tongueと言う。Sorry, that was a slip of the tongue. = すまん、今のは失言だった、というように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, コリーヌ・フォックス, システィーン・スタローン, ソフィー・ネリッセ, パニック, ブリアンヌ・チュー, 監督:ヨハネス・ロバーツ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 海底47m 古代マヤの死の迷宮 』 -クリシェ満載のサメ映画-

『 海底47m 』 -二兎を追うべからず-

Posted on 2020年8月3日 by cool-jupiter

海底47m 50点
2020年8月1日 Amazon Prime Videoにて鑑賞 
出演:マンディ・ムーア クレア・ホルト
監督:ヨハネス・ロバーツ

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夏と言えば海、海と言えばサメ。映画ファンにとってはサメ、そしてゾンビの季節が到来した。アメリカでの評判がイマイチ、というか賛否両論あって劇場公開時にスルーしてしまった作品。続編からC級パニックスリラーの臭いしか漂ってこないので、これは見るしかないと思い、本作を予習鑑賞。

 

あらすじ

リサ(マンディ・ムーア)とケイト(クレア・ホルト)は仲の良い姉妹。メキシコでリサのボーイフレンドであるステュを交えて楽しいバカンスを過ごすはずが、リサはすでにフラれてしまったことを言い出せずにいたのだった。傷心のリサを「つまらない女じゃない」と分からせてやろう、と励ますケイト。二人は遊びに出かけたクラブで会った男たちから勧められたシャーク・ケイジ・ダイビングに挑戦することになったのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

パニックものは大きく二つに分けられる。未知の生物あるいは現象によって人々がパニックになるもの、そして状況そのものによって人々がパニックになるもの。COVID-19は未知のウィルスであるが、コロナウィルスに属する、または類するという点では既知とも言える。だからこそ人々はそこまでパニックに陥ってはいないし、どこか現実感も薄い。相手が目に見えないからだ。もう一つの状況型だが、これの良いところは、その怖さをたいてい体験したことがある、あるいはありありと想像できるところにある。その意味では本作の「海の底に沈められる」というのは、とてつもなく怖いシチュエーションである。窒息および溺死の恐怖が常にそこにあるからだ。

 

そこにサメ、しかも狂暴なホオジロザメを放り込んでくるのだから豪勢だ。サメ映画とはすなわち、人間がホオジロザメに襲われる、または喰われる。これである。サメなんか見たことないよ、という人も古典的名作『 ジョーズ 』のタイトルは聞いたことぐらいはあるだろうし、ジョーズのテーマ曲は絶対に聞いたことがあるはずだ。殺されるよりも怖いことの一つに、生きたまま喰われるというものが挙げられるだろう。ホオジロザメはその恐怖を味わわせてくれる数少ない生き物である。

 

海中および海底で酸素が徐々に尽きていくという恐怖。そしてどこにいるか分からない、いつ襲ってくるか分からないホオジロザメの恐怖。これらが二重に組み合わさった本作は、夏の風物詩であるB級サメ映画として、近年ではなかなかの掘り出し物である。オチも適度にひねりが効いている。#StayHomeしてレンタルやストリーミングで楽しむには充分だろう。

 

ネガティブ・サイド 

まずシャーク・ケイジ・ダイビングをやろうとする動機が不純である。というか、つまらない。男にフラれた。その男に振り向いてもらいたい、自分は退屈な女じゃないと証明したい・・・って、リサ、お前はアホかーーーー!!!何故そこでサメが出てくるのか?元カレを振り向かせたいのなら、色々な男と遊びまくって、それでもステディは誰にも決めていないということをアピールせえよ!姉妹で遊ぶのもいいけど、普通の男友達数人と普通に遊べよ。その方がよっぽどアピールになるはず。まず、シャーク・ケイジ・ダイビングをするまでのプロットに無理があり過ぎる。おそらく元カレ役の俳優を出すと、それだけギャラが生じて、映画全体の budget を圧迫したのだろう。

 

海中でも、サメは思ったほどは出てこない。これも低予算ゆえか。観る側はサメ映画だと期待しているわけだが、サメの登場頻度が高くなく、なおかつこのサメ、目は見えているにも関わらず、次から次へと目標を外す。サメの登場シーンを作るためだけのシーンで、真に迫ったスリルと恐怖が生み出せていない。観る側にハラハラドキドキを起こさせたいのなら、その対象を一つに明確に絞るべきだった。サメを優先するなら、救助に来たダイバーたちを次々に食い殺すといった展開が考えられるし、酸素ボンベの残量を優先するなら、起死回生の頭脳プレー、例えば海中に不法投棄されたゴミやら何やらを使って酸素を作る、あるいは海上と連絡をつけるなどの展開も考えられる。本作は贅沢にも両方の展開を盛り込もうとして、サメの方が疎かになってしまった。本末転倒である。

 

Jovianはダイビングをしたことがないが、本作にはツッコミどころが山ほどある。テイラーやハビエルはシャーク・ケイジ・ダイビングでビジネスをする許可を当局から得ているのか?また、ケイジの底が板や網ではなく、目の大きい格子になっているのもおかしい。あれだと足がハマって動けなくなったり、もしくは飛び出た足をサメに食いつかれたりするかもしれないではないか。体長1メートルぐらいのサイズのサメなら、飛び出た足や腕をガブリとやることも十分に考えられる。

 

また、リサとケイトは顔の前面だけをマスクで覆っているが、あれで耳は聞こえるのか?いくら水の方が空気よりも音の伝導効率が高いとはいえ、マスクの中の空気の振動は水にまでは伝わらないだろう。本作の水中での会話シーンは何から何まで不可解だ。海上の船とも無線で交信するが、骨伝導型の無線でも使っているというのか。監修にプロのダイバーを起用しなかったのは、これも低予算ゆえか。

 

最大のツッコミどころは、ストーリーのオチだろうか。これはこれでアリだとは思うが、『 ゴーストランドの惨劇 』のように、そこからもう一波乱を生み出せれば、“ちょっと面白いサメ映画”から“かなり面白いサメ映画”になれただろうにと感じる。

 

総評

ちょっと面白いサメ映画であり、ツッコミどころ満載のシチュエーション・スリラーである。細かいストーリーや様々なガジェットのディテールを気にしては負けである。ハラハラドキドキを期待して、そしてハラハラドキドキできる場面を最大限に味わうのが本作の正しい鑑賞法である。90分とコンパクトにまとまっているので、#StayHomeに最適だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

break up with ~

~と別れる、の意である。しばしば romantic relationships の文脈で使われる。同じような表現に、split up with ~やpart ways with ~があるが、恋愛のパートナーと別れるという時の最も一般的な表現といえば、break up with ~で決まりである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イギリス, クレア・ホルト, シチュエーション・スリラー, パニック, マンディ・ムーア, 監督:ヨハネス・ロバーツ, 配給会社:ギャガ・プラスLeave a Comment on 『 海底47m 』 -二兎を追うべからず-

『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

Posted on 2020年8月1日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブラック アンド ブルー 75点
2020年7月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ナオミ・ハリス タイリース・ギブソン
監督:デオン・テイラー

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Black Lives Matter運動前に制作された映画。黒人市民ではなく黒人警官がこれでもかと虐げられる映画。しかも、その被害者=主役が女性というのも個人的にはタイムリー。ニューオーリンズについては最近見たこのTED TALKS、女性への侮辱的な言動についてはこのYouTube動画が興味深い。事前にこれらを予習しておくのもありだろう。

 

あらすじ

アリシア(ナオミ・ハリス)は新人警察官だが、黒人というだけで一部の同僚から侮辱的な扱いを受けていた。ある夜勤でアリシアは先輩警察官と共に廃工場へ向かった。そこでアリシアは刑事が麻薬の売人を射殺するのを目撃した。自身も撃たれるアリシアだが、防弾ベストのおかげでなんとか助かる。すべてを収めたボディカメラを罪証隠滅のために取り戻そうとする汚職警察官たち、そして彼らの陰謀によりギャングからもアリシアは追われることになり・・・

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ポジティブ・サイド

ニューオーリンズのイメージが一変すること請け合いである。オーリンズとはフランスのオルレアンの英語読みである。『 セルフレス/覚醒した記憶 』で若い肉体を手に入れたベン・キングスレーが悠々自適に街角のミュージシャンの演奏に耳を傾けていた異国情緒あふれる街。空港にルイ・アームストロングの名前をつける街。本作が映し出すニューオーリンズにはそんな呑気な光景は一切出てこない。『 華氏119  』でのミシガン州フリントのように、忌避された土地、警察官すらも近寄らない土地が舞台のすべてである。『 ブラインドスポッティング 』でも黒人と白人の友情が静かに壊れていく過程に緊張感が感じられたが、本作が生み出すサスペンスはそれをはるかに上回る。ギャングと警察が特定の個人を追うという構図は『 悪人伝 』と同じだが、そこにコミカルさはない。『 哀しき獣 』並みの絶望感だけがそこにある。拳や道具、せいぜい刃物で戦う韓国人に比べるとアメリカ人はあまりにも銃火器を使いすぎである。銃の威力も怖いのだが、誰もかれもがそれを持っていること、そして躊躇せず使おうとするところが恐ろしい。

 

アリシアが追われる展開までが非常にスピーディーだが、そこに至るまでの短時間にこれでもかとアリシアが虐げられる。ジョギング中に後ろから来たパトカーにいきなり呼び止められ、白人警官に暴力的に身分照会させられる。「指名手配犯に似ていた」と言い訳されるが、後ろから顔も見ることができないのによくもそんな言い訳ができるなと、一瞬で腹立たしい気分にさせられる。かと思えば、アリシアが黒人コミュニティ内でも「警察官だから」という理由だけで疎外されるシーンを挿入してくる。この孤立無援の感覚がアリシアの逃亡劇の恐怖とサスペンスを否が応にも盛り上げる。

 

BGMと様々な楽曲もアリシアに感情移入するオーディエンスの不安感をさらに煽る。『 ルース・エドガー 』のBGMも我々の心を落ち着かないものにさせるものだったが、ラップや金属音強めのBGMはそれを聴く者の心をざわつかせる効果があるようだ。映画的な文法に沿って言えば「まだ主人公は大丈夫なはず」という場面も、音楽と効果音の力が非常に強く、ハラハラドキドキが持続させられる。

 

アリシアとなし崩し的に逃亡することになるマウスが味わい深いキャラである。白人側に立つのか、黒人側に立つのか。警察官の側に立つのか、市民の側に立つのか。アリシアは複雑な選択を迫られるが、そうした二項対立的な選択肢しか存在しないことを、この映画は糾弾している。マウスはそうした疑問に一定の答えを呈示する役回りだ。この地域では黒人といえども警察官はお断りだという拒否感と、困っている人間を助けなければならないという良心とのジレンマは、そのままアリシアがかつて抱いていた心情である。

 

ラストのアリシア、警察、ギャングのバトルは壮絶の一語に尽きる。暗闇での接近戦は『 チェイサー 』のハ・ジョンウとキム・ユンソクの格闘を彷彿させ、またクライマックスの二転三転する形勢は冷や汗と鳥肌、両方を体感できた。

 

カメラが重要なモチーフになっている本作であるが、デオン・テイラー監督のメッセージはシンプルだ。見てほしい、そして見せてほしいということだ。差別。貧困。汚職。暴力。目を背けるな。そこには常に誰かがいる。その誰かとは肌の色や性別で区別される存在ではない。その誰かは、別の誰かにとっての子であり、父であり、友であり、同僚なのだ。親がいない人間はいない。社会的に親が存在しないことはあるが、生物学的には絶対に存在する。誰かは確実に誰かの息子であり娘である。人が人を見る時、属性ではなく関係で見る。それこそが求められる一つの答えなのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

様々な場面でのアリシアの行動に合理性や一貫性がない。序盤にカネを払わずコーヒーを買っていく同僚に代わりにカネを店に置いていく一方で、中盤の逃亡中に同じマウスの店でいきなり飲料品をゴクゴク飲みだす。緊急時なのでそれは構わないが、その後、警察の制服を脱ぐところ=一人の人間に戻るところで、代金を払うと申し出る、それをマウスが「要らない」と返すようなやりとりが必要だったのではと思う。あるいは編集でカットしのだろうか。人間同士のやり取りが、相手の帯びる属性で変わってしまうという重要なテーマを、もう少し掘り下げるべきではなかったか。

 

軍人としての経験豊富なアリシアが、武装したギャング連中に追われていることを知りながらあれだけ簡単に道路などの遮蔽物のない空間に飛び出たりするだろうか。司令部への通報を簡単に諦めたりするだろうか。プロットを前に進めるための、かなり強引なご都合主義に感じた。そこでそのスマホを手に入れろ!という場面もあっさりとスルーしてしまう。このあたりは脚本段階で改善の余地があったはずだ。

 

総評

黒人差別問題だけなら、本作の評価はここまで高くはならない。ハリケーン・カトリーナによって街が破壊され、放棄されてしまった。そこに我々はもっと注意を払わねばならない。50年に一度とされる大豪雨や洪水が2~3年に一度起きる国に日本はなってしまった。また#MeToo運動に見られるように、女性への差別問題の根深さも近年あらためて浮き彫りになった。人は人に狼 homo homini lupusや武器の下では法も沈黙する intra arma silent legesという状態からはそろそろ本当に脱出しなければならない。娯楽性とメッセージ性の両方を持つ、隠れた傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Way to go

「よくやった」、「おめでとう」、「グッジョブ!」の意。同僚や家族が良い仕事を成し遂げたら、“Way to go!”と声をかけるようにしよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, サスペンス, タイリース・ギブソン, ナオミ・ハリス, 監督:デオン・テイラー, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

『 リアム16歳、はじめての学校 』 -親離れと子離れと-

Posted on 2020年7月30日 by cool-jupiter

リアム16歳、はじめての学校 60点
2020年7月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダニエル・ドエニー ジュディ・グリア シボーン・ウィリアムズ
監督:カイル・ライドアウト

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シネ・リーブル梅田で去年(2019年)に見逃した作品。カナダの映画というのは、アメリカ映画とは違って、外部の日常生活に劇的な変化が起きるというプロットよりも、キャラクターの内面の変化やキャラ同士の関係性の変化を丹念に追うプロットが多い気がする。そういう意味では本作は典型的なカナダ映画である。

 

あらすじ

リアム(ダニエル・ドエニー)は物理学を愛する16歳。学校には行かず、ホームスクーリングで育った。ケンブリッジ大学に入学して天文学者になるという目標は、しかし、高卒認定試験を受けるために訪れた公立高校で変更となる。彼はそこで義足の少女アナスタシア(シボーン・ウィリアムズ)に恋をしてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

どことなく『 ミーン・ガールズ 』に似ている。大自然の中で育った少女が、高校という独自の生態系でも食物連鎖の上位者となっていく過程が面白かった。本作の主人公のリアムは逆で、自宅で温室栽培されていた。にもかかわらず、男子のダメなところをしっかりと学校で体現してしまう。リアムがアナスタシアの行動パターンを掴み、何度も何度も偶然を装って廊下ですれ違うシーンに共感する、あるいは自らの(情けない)過去を思い出す男性は多いに違いない。アナスタシアに恋焦がれながらも、アプローチができない。行動が小学生レベルなのだ。リアムの行動にもどかしさを覚えながらも共感してしまうという絶妙な仕掛けである。

 

何がユニークで面白いかと言えば、リアムがマリア・サンチェスという優等生の代わりになるというところ。普通におかしい展開なのに、あれよあれよという間にリアムがマリアとして学校に受け入れられるのには笑ってしまう。

 

母親とリアムの関係も多少の毒を孕みながらも真に迫っている。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』でも存分に描かれていたが、男というのはどこまで行っても本質的にはマザコンである。息子と母親の距離感にも共感することしきりである。これはリアムの初恋を描くと同時に母親からの旅立ち、そして母親への回帰、そして更なる自立への一歩を描く物語だからである。

 

シングルマザーとして過剰なまでにリアムの教育に注力する母親クレアもなかなかの味わいだ。夫、つまりリアムの父親との離婚については詳しく触れられないが、その部分にドラマを求めなかったのは正解である。リアムは極めて共感しやすいキャラクターであるが、自分と同一視してしまうという人はあまりいないはず。それはリアムと母クレアの関係の近さと強さが普通ではないからだ。お祖母ちゃんが常にそこに鎮座ましましているが、この祖母の距離と視点が我々ビューワーの距離と視点だ。実際にクレアが自宅の黒板にリアム教育プロジェクトのマイルストーンを一つ一つ書き出し、そして達成の暁には一つ一つ消していく。クレア視点ではなく第三者視点でそれが描写される。息子に「どうせ学校で覚えるのだから」とマリファナを吸わせたり、パーティーでの酔い方を積極的に学ばせようとしたりするなど、この母親への共感のしづらさがリアムへの共感のしやすさと絶妙なバランスを作り出している。

 

個人的に本作を最も面白くしているのはアナスタシアのパーソナリティだと感じる。『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ 』の主人公と同じ名前というところで笑ってしまうが、最も目を引くのは義足である。なぜ義足なのか。いつから義足なのか。そうした疑問の答えをマリア・・・ではなくリアムが得るまでに、一筋縄ではいかない初恋および青春の「あるある」が待ち受けている。初恋の相手は清純な乙女だった・・・というのは多くの男が抱く幻想であろう(だからといって女性がみんな百戦錬磨の恋愛強者だと言っているわけではない)。カナダ人や西洋人全般の文化やメンタリティだろうか。『 建築学概論 』に近い展開があり、我々ならここで心が折れてしまうかもしれないが、リアムはそうはならない。カナダ制作映画『 もしも君に恋したら 』のD・ラドクリフ演じる主人公と共通するメンタリティである。アナスタシアとの距離を徐々に、しかし確実に縮めていくリアムの姿はやはり男心を疼かせる。リアムの初恋は実るのか?固唾をのんで見守ってしまうこと請け合いである。アッと驚く展開あり、運命を予感させる展開もあって、なかなかに飽きさせない作りである。

 

それにしてもカナダというのはずいぶん進んでいる国だなとあらためて感じる。2017年にカナダ旅行中に見た子供向け番組の『 Super Ruby 』は主人公が眼鏡着用・・・だけなら別に驚かないが、なんと補聴器も装用している。そして補聴器の新品をゲットするために尋ねた言語聴覚士が義手装備。この記事の『 チョコレートドーナツ 』の項をよくよく読んでいただきたい。これがほぼ同時期の日本の現実である。

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ネガティブ・サイド

母親クレアのキャラクターに一貫性が欠けている。息子を愛してやまないのだが、ギャグやユーモアを前面に押し出しているシーンと、そうではないシーンを対比させた時に、ギャップがあり過ぎる。普段優しい人ほど怒ると怖いという感じではなく、息子の一番の親友という役を演じているテンションのまま母親として怒る、というのがどうにもチグハグに見えてしまった。

 

校長先生がリアムの母親にアプローチする展開が蛇足であるように感じた。もしもそうしたサブプロットを追求したいのなら、チャランポランな人物に設定すべきでない。しかし、チャランポランでなければリアムがマリアにはなれない。プロットとキャラクターのパーソナリティであれば、プロットを優先すべきだ。

 

キャラのちぐはぐさやプロットとの不整合は他にもある。学校でリアムをいじめてくるキャラになんらかの因果応報があってしかるべきだと思うが、なかった。うーむ、ベタでもいいから、何かこのいじめっ子にして恋敵の男にギャフンと言わせるような展開が欲しかった。また、リアムのお祖母ちゃんは存在感あり台詞なしというキャラで、最後に見せ場があるかと期待したが、これも無し。うーむ・・・

 

総評

妥当性確認が今もって為されていない「全国一斉休校」によって、日本各地で図らずもホームスクーリングが大規模に行われた。その意味では本作は自宅学習(の狙いや難しさ)をシミュレーションできる作品である。同時に親離れと子離れのプロセスを描く一種のセミドキュメンタリー的でもある。親バカの自覚のある人、または大学進学などで子どもが家から出ていくことが不安でならないという向きにお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You had it coming.

「自業自得」の意である。直訳すれば「あなたがそれをやって来るようにした」である。 I had it coming. や We had it coming. など主語を変えて使うこともできる。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, カナダ, シボーン・ウィリアムズ, ジュディ・グリア, ダニエル・ドエニー, ヒューマンドラマ, 監督:カイル・ラウドアウト, 配給会社:エスパース・サロウ, 青春Leave a Comment on 『 リアム16歳、はじめての学校 』 -親離れと子離れと-

『 パブリック 図書館の奇跡 』 -Don’t shoot me, I’m only a librarian.-

Posted on 2020年7月26日2021年1月21日 by cool-jupiter

パブリック 図書館の奇跡 70点
2020年7月24日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エミリオ・エステベス アレック・ボールドウィン ジェナ・マローン
監督:エミリオ・エステベス

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タイトルだけ読むと『 図書館戦争 』的な世の中で、それでも本を愛する人たちが・・・のような物語を想像するが、実際は全然違う。むしろ『 ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス 』を舞台にヒューマンドラマを作った。それが本作の紹介として最も端的かもしれない。

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あらすじ

シンシナティ公共図書館員のスチュアート(エミリオ・エステベス)は、体臭を理由にある人物を図書館から退去させたことで訴訟を起こされてしまう。失意の彼がその日の勤務を終えようとすると、いつもの馴染みのホームレスたちが図書館から去ろうとしない。大寒波の夜、シェルターも満杯。行き場がなく、居座ろうとする彼らを前に、図書館員のスチュアートが取った行動は・・・

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ポジティブ・サイド

図書館の存在意義については『 ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス 』で自分なりにかなり深く考察したつもりだが、こんな現世的な図書館の利用方法があったのか。確かにニューヨーク公共図書館でも求職者たちに各種セミナーやサービスを提供していたが、シンシナティ公共図書館はホームレスたちにとっては昼間のシェルターなのだ。『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』でもシェルターや教会がLGBTQにとって重要な生活の拠点になっていたことが思い出される。

 

利用者たちは真面目な学習者から、ちょっとおかしな人まで様々だ。個人的に笑ったのは「ジョージ・ワシントンのカラー写真が載った本はありますか?」と尋ねる市民だ。ホームレスたちも多士済々。退役軍人もいれば、やたらと博識な者、対人恐怖症かと見せかけてメンタルに少々困難を抱える者など、素顔は様々だ。特に博識男のシーザーは愉快だ。トリビアを披露しては「ヘイル、シーザー!」と仲間に叫ばせる。キャラを立たせると同時に、彼らがどれだけ息が合っているのか、彼らがいかに長く図書館で過ごしているのか、どんな本を読んでいるのか。そういったことがわずか数分で明らかになる。この図書館のトイレのシーンはビジュアル・ストーリーテリングの極致である。

 

本作には明確な悪役が存在する。それはクリスチャン・スレーター演じる検察官だ。検察官というと、検察庁のナンバー2という要職にありながら常習的なテンピン麻雀で御用・・・とならなかった上級国民が今年はニュースになった。本作の検察官は市長選に立候補しており、「法と正義を執行する」ことで街を良くしていくのだと言う。実に分かりやすい。つまり、この男の言う法と正義の執行とは、主演兼監督のエミリオ・エステベスが「問題である」と感じ、自身のメッセージとして世に問いたい事柄なのだ。法の文言を守ることが重要なのか、それとも法の精神を守ることが重要なのか。個の領域に属すもの、例えばプライバシーなどに、法はどこまで効力を及ぼすのか。市民として守るべき法と職業人として守るべき法、それらが対立する時に、自分はどうすればよいのか。本作が投げかけてくる問いは、我々一般人も一度は深く考えてみるべきことばかりだ。

 

メディアの在り方についても問われている。フェイクニュースが各国で問題となる中、それが生み出される過程を本作は描く。Black Lives Matter運動以前に制作された作品であるにも関わらず、「無抵抗の黒人を殺すなよ」などというドキリとさせられる発言を警察官同士で行ったりしている。フェイクニュースとは、事実ではない報道のことだ。ここでの事実でないこととは何か。それは差別的な先入観であったり、偏見であったりだ。事実をまずは虚心坦懐に受け入れる姿勢ではなく、いかにセンセーショナルものなのか、いかにニュース・バリューがあるのかで判断する姿勢がメディアの側の問題点である。同時に、報じられるニュースがいかに自分と関係があるのか、それとも無いのかで我々はニュースに接する。コロナに罹患した人を「自己責任」と切って捨てるのは、自分はコロナには罹らないという過信から来ている。過信とはつまり、想像力の欠如のことである。メディアは自分たちが扱う事件や人物に対して、我々は報道の向こう側の事象や人物に対して、偏見ではなく想像力で接さねばならない。

 

図書館立てこもり組と交渉人刑事(演じるのはベテラン俳優のアレック・ボールドウィン)との間のちょっとしたサブプロットもあり、またエミリオ・エステベス演じるスチュアート自身の隠された過去もあり、単なる思想的な映画では終わらない。籠城組に対して思わぬ援軍が現れ、ことは図書館だけではなく街全体をも巻き込んでいく。そして、いざ武装警官が突入か、という緊張感マックスの場面で、スチュアートたちが取った起死回生の策とは?うーむ、すごい。確かに伏線というか前振りはあったが、それをここまで大胆にやってしまうのか。公共とは何かという問いをブッ飛ばすと同時に、法や正義とは何かという問いも同時にブッ飛ばす驚きの解決策である。社会派映画としても娯楽映画としても、高い水準で完成された作品である。

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ネガティブ・サイド

事の発端は大寒波の襲来だったはず。にもかかわらず、街行く人の吐く息がまったく白くない。誰も寒さで震えていないし、スチュアートとの交渉で下手をうった検察官が路上で上着を脱いで寝かされても、まったく震えもしない。いくらなんでもこれはおかしい。狭い路地裏で数人が固まれば、何とかしのげるんじゃ?と思ってしまった。

 

スチュアートやマイラの図書館員としてのプロフェッショナリズムの描写が、特に序盤に弱かった。『 水曜日が消えた 』は駄作だったが、深川麻衣は図書館員として本の整理や貸し出し以外の仕事をしていた。本をプロモートするか、セミナーやワークショップをどう開催するか。そうしたことも図書館員の仕事である。立てこもったホームレスの面々に思い思いに時間を過ごさせるのではなく、図書館員としての知識やスキルで人々をまとめるシーンが欲しかった。

 

スチュアートの隣人のアンジェラとの情事は必要だったか。やたら遅い時間に図書館を訪れてくるのを見て、本当は貸し出しカードを作りに来たのではないだろうと誰もが思うはず。この描き方では、夜の営みに手ごろな相手が見つかったぐらいにしか見えない。スチュアートとアンジェラの最初のシーンは、これから何かが始まるかもしれないぐらいの予感を漂わせる程度に抑えておくべきだった。

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総評

これは良作である。2018年制作ということだが、同じ頃の日本では、某大学が蔵書数万冊を焼却処分したことが話題になっていた。本を廃棄・焼却することの是非はともかく、図書館はどんな書籍にも差別はしない。何でも受け入れるのが図書館だ。その図書館という「民主主義の最後の砦」を舞台に繰り広げられる一夜の攻防は、エンタメ作品として合格。法と何か、正義とは何かという社会派な面でも及第点以上の出来である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

look for ~

~を探す、の意である。人でも物でも、この表現で探すことができる。

I’m looking for a Brad Pitt movie.

Where have you been? I’ve been looking for you.

What kind of job are you looking for?

など、「探す」=look for である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, アレック・ボールドウィン, エミリオ・エステベス, ジェナ・マローン, ヒューマンドラマ, 監督:エミリオ・エステベス, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 パブリック 図書館の奇跡 』 -Don’t shoot me, I’m only a librarian.-

『 アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい 』 -不器用なラブレター-

Posted on 2020年7月24日 by cool-jupiter

アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい 65点
2020年7月23日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アンナ・カリーナ
監督:デニス・ベリー

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『 気狂いピエロ 』などの代表作を持ち、2019年12月に亡くなったアンナ・カリーナのドキュメンタリー。カリーナは4度結婚しているが、その最後の夫であるデニス・ベリー監督が本作を撮影・制作。なんとも不器用なラブレターになっている。

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あらすじ

第二次大戦の最中、デンマークの母子家庭にアンネ・カリン・ベイヤーは生まれた。チャップリンの無声映画を観て、ミュージカルに魅了され、女優になることを夢見た少女は、17歳にしてフランスのパリに移住。デザイナーのココ・シャネルからアンナ・カリーナへ改名するようにアドバイスされ、そして映画監督のジャン=リュック・ゴダールと出会い、彼女は花開いていく・・・

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ポジティブ・サイド

アンナ・カリーナという女優の生い立ち、そして当時の社会状況しっかりとカバーしているところが素晴らしい。父の不在、そして母の再婚相手の父親との折り合いの悪さ。アンナの人生の前半に、positive male figureがいなかったことは明白である。監督のデニス・ベリーは黙して語らないが、自分だけがアンナにとってのpositive male figureだったとの自負があるのだろう。また、戦争や軍国主義が娯楽や文化、芸術に対して抑圧的に働くことは『 ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 』でも述べた。アンナ・カリーナは一個人ではあるが、その一個人を通じて歴史を語ることも可能なのだ。

 

10代のアンナの石けんのCM動画やポスターが明らかにするのは、彼女のまばゆいばかりの魅力である。決して絶世の美女だとか、スタイル抜群のセックス・シンボルというわけではない。彼女の一番の特徴である、その大きな目。その瞳に見つめられると、自分という人間の虚飾がすべて見透かされそうな気持になる。アンナ・カリーナに惹かれているということを隠せなくなる。だからこそゴダールは率直に彼女を口説き、誘った。こうした女性にあれやこれやの恋愛の手練手管は無用の長物である。

 

カリーナのフィルモグラフィーや歌手としてのキャリア、小説家としてのキャリアも描き出しており、実に興味深い。特にフランス初の長編映画の主役兼監督がアンナ・カリーナであるというのは非常に興味深い。グレタ・ガーウィグといった女優兼監督という存在の、彼女は嚆矢だったのである。時代で言えば『 ドリーム 』で描かれた人間コンピュータのキャサリン・G・ジョンソンの頃である。劇中で彼女は「アーティスト」と形容されるが、至言だろう。

 

往時のカリーナの歌唱シーンやダンスシーンは美しい。白黒映画には白黒映画の良さがあり、またデジタル撮影ではないフォルム映像には、写真やLPレコードと同じく、歴史性が感じられる。彼女はキャリアの後半に活躍の場をアメリカに移すが、そこでも巨大なレガシーを残している。Q・タランティーノは、そうした影響を受けた一人である。彼女は日本にも歌手としてやって来ていた。コンサートに『 気狂いピエロ 』のマリアンヌと同じ衣装を着てきた日本のファンもいたそうだ。スターやアイドルという言葉で語られるクリエイターやアーティスト、俳優は多いが、アイコンと呼べる人間はごく少数だ。アンナ・カリーナは、間違いなくアイコンである。

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ネガティブ・サイド

アンナ・カリーナの幼少期に焦点を当てていながら、彼女の後半生や晩年がそれほど丹念に描かれていない。別に容色が衰えた、作品数が少ない、シネマティックではない。そうした理由でデニス・ベリー監督がこのような構成にしたのであれば、それは失敗ではなかろうか。彼女のような、激動の人生を送ってきた人間ほど、現代人に届けるべきメッセージがあるはずだ。たとえば移民の問題、たとえば女性の社会進出の問題。彼女の語る言葉を金科玉条のごとく扱う必要はない。ただ、歴史の証人にして稀有なアーティストの一意見として、記録に残されるべきはないだろうか。

 

収められているのがカリーナ自身の肉声と、業界人の声だけである。アンナ・カリーナというアイコンが、一般庶民に与えた影響、そのインパクトの大きさや深さを語る当時の一般人の肉声が聞いてみたかった。

 

終わりがあまりにも唐突である。元々は劇場公開を想定していたのではなく、テレビの1時間番組枠か何かにきっちりハマるように作られていたのだろうか。これほどの知り切れトンボ感は近年なかなか味わえない。余韻が残らないのだ。もうちょっと何とかならなかったのか。アンナに最後まで歌わせてやって欲しかった。

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総評

アンナ・カリーナという人間を名前だけでも知っていれば、観る価値はあるだろう。単なる過去のフランスの名女優という切り取り方ではなく、しっかりした歴史の遠近法の中で捉えられているドキュメンタリーで、ちょっと風変わりなラブレターでもある。デートムービーには向かないかもしれないが、Jovianが鑑賞した回はオールド夫婦がかなり多かった。オールド映画ファンは是非とも劇場鑑賞しよう。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語会話レッスン

cinéma

英語でもフランス語でも、シネマは「シネマ」である、フランスは近代映画発祥の地で、発明者はリュミエール兄弟。cinémaは元々古代ギリシャ語のkínēma=キネマ=動き、から来ている。テレキネシス=念動力などと言うが、テレ=遠い(telephone, telescope, televisionからも分かるだろう)、キネシス=運動である。映画の歴史というのはTOEFL iBTのリーディングやリスニングでしばしば取り上げられる重要トピックの一つ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アンナ・カリーナ, ドキュメンタリー, フランス, 伝記, 監督:デニス・ベリー, 配給会社:オンリー・ハーツLeave a Comment on 『 アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい 』 -不器用なラブレター-

『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

Posted on 2020年7月23日 by cool-jupiter

パッセンジャーズ 50点
2020年7月20日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:アン・ハサウェイ パトリック・ウィルソン
監督:ロドリゴ・ガルシア

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飛行機墜落ものというと『 ノウイング 』(監督:アレックス・プロヤス 主演:ニコラス・ケイジ)を思い出す(冒頭だけだが)。これがけっこうな珍品で、面白くもあり、つまらなくもあった。以来、飛行機墜落ものにはあまり食指が動かくなくなった。しかし、心斎橋シネマートで『 アフターマス 』(監督:エリオット・レスター 主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)あたりから墜落ものも、ポツポツと再鑑賞し始めた。これもそのうちの一本。

 

あらすじ

飛行機墜落事故が発生。多数が死亡したが5名は生き残った。その生存者のカウンセリングを担当することになったクレア(アン・ハサウェイ)だったが、セッションを欠席した生存者が1人また1人と姿を消していく。クレアは事故の真相を何とか探ろうとするのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

アン・ハサウェイが相変わらず魅力的である。『 プラダを着た悪魔 』から『 シンクロナイズドモンスター 』まで、年齢を重ねつつも、魅力を増している。おそらく本作ぐらいが、いわゆる girl と woman のちょうど境目ぐらい(実際の役でもそうだ)で、それゆえに無垢な学生、姉との関係に悩む妹、男性と情事に耽る大人の女性などの多彩な面を見事に演じ分けている。彼女のキャリアにおけるベストではないが、間違いなく on the right side の演技である。

 

作品としては非常に分かりにくい。それは、「はは~ん、これは実はこういう話だな」ということがすぐに読めるからである。たいていの人は「これはアン・ハサウェイがセラピーをしていると見せかけて、実はセラピーを受けている側なのだ」と思うことだろう。Jovianは割とすぐにそう直感したし、映画や小説に慣れた人なら、あっさりとそう思えるだろう。それこそが本作の仕掛ける罠である。

 

「なるほど、そう来るか」

 

素直にそう感心できる twist が待っている。

 

本作の最初の展開に騙される人、あるいはそれを見破れる人は、以下のような作品に親しんでいる人だろう。以下、白字。

 

『 シックス・センス 』

『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』

『 ラスト・クリスマス 』

『 ムゲンのi 』

 

人によっては ( ゚Д゚)ハァ? となるだろうが、真相に至るまでには結構フェアに伏線が張られている。例えば寒中水泳のシーン、あるいは線路のシーン。このあたりをちょっと考えれば、誰もが何かがおかしいと感じられることだろう。それに、多くのキャラクターのふとした言動や、人間関係、他キャラとの交流のあり方もヒントになる。2000年代にもなると、ありふれた謎解きにも変化球が色々と混ざって来る。本作は、ただのシュートかと思ったらシンカーだった。そんな一品である。

 

ネガティブ・サイド

ちょっと風呂敷を広げ過ぎている。こういうのは中盤と終盤の twist のインパクトで勝負するしかない作品で、そこに至るまでがかなり間延びしているように感じられる。93分の映画だが、75分でも良かったのではないかと思えるのだ。エリックが壁を塗りたくるシーンや屋上にクレアを誘うシーンは削除できた。あるいは大幅に短縮しても、特にラストのインパクトに影響を及ぼさないだろう。

 

事故を起こした航空会社が、その自己の生存者を監視し、追跡し、拉致しているのではないかというクレアの推理は、はっきり言って迷推理である。生存者の名前は大々的に報じられるだろうし、そうした人間が本当に失踪したならば、周囲の人間が絶対に気付くし、捜索届を出したり、マスコミにも知らせたりするだろう。人間は陰謀論が大好きなのだから。一人ひとり消えていくのではなく、単にセラピーを欠席して、日常生活に帰っていった、という説明はできなかったか。

 

クレアとエリックのロマンスがどうにもこうにも陳腐である。アン・ハサウェイ演じるクレアから見たエリックが、一人の男性としての魅力に欠ける。いや、説得力に欠けると言うべきか。アン・ハサウェイから見て、危なっかしい弟のような存在、あるいは幼馴染のような友達以上恋人未満のような存在に見えないのだ。多面的なアン・ハサウェイの魅力とパトリック・ウィルソンのキャラ設定が、どこかミスマッチなのだ。

 

総評

アン・ハサウェイのファンならば観よう。こういった作品はドンデン返しを楽しむためのもので、そこに行くまでに退屈してしまうという向きにはお勧めできない。ディープな映画ファンならば、あれこれと先行作品を思い浮かべるだろうし、もっと鍛えられた映画ファンならば、この変化球が曲がり始めた瞬間に軌道を見切ってしまうかもしれない。結局、お勧めできるのはアン・ハサウェイのファンであるというライトな映画ファンになるだろうか。

 

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work one’s ass off

「働きまくる」の意である。もうすぐ子どもが生まれるのか?じゃあ、がむしゃらに働かないとな!=You’re going to have a baby soon? Well, someone has got to work his ass off! などのように使う。同じような表現に、laugh one’s ass off = 爆笑する、というものがある。こちらは laugh my ass off = LMAO や、rolling on the floor laughing my ass off = ROFLMAO などの略語の形でネット上で見たことがある人もいるかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, アン・ハサウェイ, サスペンス, パトリック・ウィルソン, ミステリ, 監督:ロドリゴ・ガルシア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

『 悪人伝 』 -The Gangster, The Cop and The Devil-

Posted on 2020年7月20日2021年1月21日 by cool-jupiter

悪人伝 65点
2020年7月19日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:マ・ドンソク キム・ムヨル キム・ソンギュ
監督:イ・ウォンテ

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『 犯罪都市 』の暴力刑事から一転、マ・ドンソクが極道の組長として、連続殺人鬼を追うという悪人vs悪人、そこに刑事も加わるという三つ巴のクライムドラマ。少々意味不明な部分もあるが、全体的にはソリッドにまとまった秀作。

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あらすじ

ヤクザの組長チャン・ドンス(マ・ドンソク)はある夜、追突事故に遭う。穏便に済ませようとしたところ、突然相手に刺される。何とか撃退したもののドンスは重傷を負う。一方でチョン刑事(キム・ムヨル)は犯行を連続殺人鬼によるものと推測。ドンスに情報を渡すように迫るが・・・

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ポジティブ・サイド

原題はThe Gangster, The Cop, The Devilである。『 続・夕陽のガンマン 』=The Good, The Bad and The Uglyを彷彿させる。三つ巴の戦いには独特の面白さがある。それが極道、警察、連続殺人犯というところが、いかにも韓国らしいではないか。韓国映画における警察はしばしば無能もしくは腐敗の象徴として描かれる。つまり、この戦いに一見すると善人がいないのである。つまり、そこに裏切りの予感が常に漂っている。それが物語にサスペンスをもたらしている。

 

刑事が異様な熱血で、正義と法の執行のためなら、正義と法を曲げても構わない。そこまで暴走する雰囲気を湛えている。まるで『 エンドレス 繰り返される悪夢 』に出てくるもう一人のループ現象に囚われた男のような必死さで、各方面に突っかかって食らいついて行く。『 アウトレイジ ビヨンド 』における小日向文世演じる刑事のように、悪と悪を争わせて漁夫の利を狙うなどということはしない。どこまでも直情径行で、だからこそ自分の信念を法に優先させるという暴走をしそうだと感じられる。相手が極道の組長でもシリアルキラーであろうと妙に自信満々で、どこかの時点と唐突にサクッと刺される、あるいは撃たれる予感も漂わせる、何とも危ういキャラである。そんな男がどういうわけかだんだんと応援したくなる奴に見えてくるから不思議だ。傍若無人な暴力刑事が、血気盛んな熱血刑事に華麗なる変貌を遂げるその仕組みに興味がある方は、ぜひ鑑賞しよう。

 

対するヤクザのマ・ドンソクも、いわゆる任侠道を往くような男ではなく、己の欲望と野望のために無法を是とし、殺人を厭わない悪人だ。子どもに少々甘いというか、妙に優しい側面を見せたりもするが、そうした顔は決して前面に出てこないし、まなじりを下げることはあっても、それは優しさではなく暴力を予感させる不敵な笑み。実は良い人的なエピソードを取り入れそうなところで、そうしたシーンはことごとく回避される。実際はドンス組長のちょっと意外な優しい側面を強調するシーンも撮ったかもしれない。しかし、それを編集でそぎ落としたのは英断だった。また、『 アジョシ 』のマンソク兄弟のような、人間を人間と思わないような非人道的なビジネスに手を出していないことで、悪(あく)ではなく悪(わる)にとどまっている。ワルはワルのままの方が生き生きしていて、見ていて面白いから。腕っぷしにモノを言わせて殴りまくるのは『 犯罪都市 』と同じ。違うのは、そこに明確な血の臭いと痛みがあること。中盤の大立ち回りや、クライマックスの殺人鬼への殴打の連発シーンでは、爽快感と痛みを両方同時に味わえる。まさに“マ・ドンソク”時間とも言うべき、不思議な味わいの時間である。

 

これだけ濃いメンツに追われる殺人鬼=The Devilもしっかりとキャラが立っている。次から次に行きずりに人を殺し、ニーチェやキルケゴールなどの哲学書を読み、熱心に教会に通うというキャラで、高い知能と人生への深い思索を備えたサイコパスである。だが、そんなインテリ設定など吹っ飛ばすような不気味な目、そして笑いがこの悪魔にはある。他者の生殺与奪の権を握ることに快感を覚えるというパーソナリティは間違いなく異常者であり、『 暗数殺人 』のテオとは方向性こそ異なるものの、異常性では全く引けを取っていない。こんな奴でも法治国家で逮捕されれば、人権が確保され、弁護士が付き、そして心神耗弱を理由に罪が軽くなる。直接的な証拠がないために法廷で裁けない。それを知っているから、どこまでも強気でいる。韓国の殺人鬼というのは、アメリカやロシアの大量連続殺人犯に負けず劣らずの異常者で、日本ではちょっと見られないタイプである。キム・ソンギュという役者の狂いっぷりには感銘を受けた。

 

何をどうやってもハッピーエンドにはならないストーリー展開だが、一つ言えることは、一度歩むと決めた道なら死ぬまでその道を歩き続けなければならないということか。法が裁けぬ悪ならば無法者が裁いてくれようというプロットは爽快であり痛快である。勧善懲悪に飽きたという向きは是非とも劇場へ。

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ネガティブ・サイド

アクションとアクションのつなぎ目が少々粗いシーンがある。具体的には中盤のドンスとチョン刑事が、刺客集団を撃退するシーン。『 オールド・ボーイ 』の廊下での大立ち回りを再現せよ、とまでは思わないが、もっと一連の格闘アクションの一つ一つを編集で連続したものに見せるのではなく、実際にひとつの連続したアクションとして撮影できなかったか。

 

警察の捜査を描く過程が少々ずさんだ。例えば殺人鬼が飲食をしたと思われる店のゴミである焼酎の瓶を選り分けるシーンは何だったのか。結局、目当ての瓶は見つかり、そこから唾液は採取できたのか、できなかったのか。また若手連中に犯人のクルマを鑑識させるが、ハンドルカバーに残った血痕を見つけるのに、そこまで時間がかかるか?犯人が手で触れているはずの箇所なのだから、真っ先に調べると思うが。それに途中でドンスの策謀で、犯人の遺留品を使って敵対するヤクザの組長をヒットマンに暗殺させるが、これまでの殺人鬼の殺しの手口と全く異なるのに、道具だけで同一犯と断定するのは少々性急に過ぎはしないか。韓国映画では警察はしばしば無能の極みに描かれるが、ここまで無能ではないはずだ。

 

そろそろ終わりかという終盤での展開が少し中だるみする。最後の刑務所うんぬんのくだりはバッサリとカットして、ビジュアルで説明すればそれで事足りたはずだ。また最後のマ・ドンソクの台詞も蛇足だったと感じた。

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総評

マ・ドンソクのマ・ドンソクによるマ・ドンソクのための映画である。北野武の往事は、「バカヤローッ!」、「この野郎!」と凄みながら相手を殴っていたが、それをマブリーの腕力でやると何かが違う。コメディの度合いと同時に恐怖の度合いも上がるという、なんとも不思議な現象が起きる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ヒョンニム

あちらのヤクザの世界は親子ではなく兄弟関係になるらしい。下の者は上の者をヒョンニム=兄様と呼ぶ。ヒョン=兄、ニム=様である。ただ実際は兄貴ぐらいの意味合いでも使われる。吉本でも同門の若手は先輩をしばしば兄貴や兄さんと呼ぶ。『 トガニ 幼き瞳の告発 』で校長の双子の弟が兄を「ヒョン」と呼んだところ、「学校ではそう呼ぶな」とたしなめられていた。他には、『 パラサイト 半地下の家族 』のポン・ジュノ監督がアカデミー賞監督賞の受賞スピーチでタランティーノを指して「クエンティン・ヒョンニム」と言っていたのが印象的だ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, キム・ソンギュ, キム・ムヨル, クライムドラマ, マ・ドンソク, 監督:イ・ウォンテ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 悪人伝 』 -The Gangster, The Cop and The Devil-

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